通販生活でおなじみのカタログハウスの学校〜石弘之の地球環境塾・緊急講演

通販生活  >  カタログハウスの学校

過去のセミナーレポート

日本はどこへ行く〜どうなる福島原発事故〜

石弘之の地球環境塾・緊急講演

/
石 弘之さん
講師
石 弘之さん

いし・ひろゆき(環境学者、元東京大学大学院教授)

 3月11日に発生した東日本大震災による地震と津波は、3万人近い死者、行方不明者を出すとともに、福島第一原子力発電所の大事故を引き起こしてしまいました。いまなお、復旧のめどは立たず暗中模索の状態が続いています。テレビや新聞では報道されていないさまざまな実態もあきらかになってきました。
5月14日のセミナーは石弘之の地球環境塾第5回として「エイズの子どもを支える」を実施する予定でしたが、こうした事情を踏まえて、急遽テーマを変更し、このたびの震災と原発事故を受け止めて私たちはどう暮らしを変えていくべきか、石先生にじっくりお話していただきました。

 2011年3月11日は、「日本の危機」として、あるいは「世界の転機」として、長く語り継がれるでしょう。この日に起きた福島原発事故を境にして、かつての「夢のエネルギー」は「悪夢」に変わりました。原子力依存やエネルギー消費の見直しに拍車をかけ、低炭素社会の希望を冷却させ、さらには食料高騰や経済問題や広域環境汚染にも大きな影を落とすことは間違いありません。
 でも、悪いことばかりではありません。「安全とは」「技術とは」「便利さとは」といった、ふだんは意識されることの少ない問題に光があたりました。被災地の工場が生産を停止して 、部品不足が世界に広がってさまざまな産業が影響をうけているのを見て、改めて世界の相互依存に気づかされました。
 そして、大災害や大事故で日常が突然に断絶した被災者の忍耐心や克己心だけでなく、多くの心打たれるエピソードに人々は感動、史上最大といわれる百数十ヵ国からの支援や激励に、「人類の連帯」も実感することができました。

原発事故を巡る国内と海外の大きな温度差

 今回の福島第一原発の1〜4号機の事故ほど、日本と欧米との受け止め方に大きな「温度差」のある現象にこれまで出会ったことがありません。自国民を日本から避難させ、甲状腺がん予防の安定ヨウ素剤を送りつける欧米と、実感とかけ離れた発表を繰り返している日本政府や東京電力との差はどこからくるのでしょう。
 日本政府や東電が「事故は収束しつつある」「放射能汚染の健康への被害は考えられない」と繰り返しているうちに、次々に水素爆発が発生して原子炉は制御不能になりました。原発事故では最悪の事態といわれるメルトダウン(炉心溶融)にまで突っ走ってしまいました。
 原発は五重に保護され放射能が漏れ出す危険はないと、東京電力は豪語してきました。でも、この防護はあっけなく破られて、広範囲に放射性物質をまき散らし、原発周辺の住民や原発作業員が被ばくしたのをはじめ、土壌、農作物、ミルク、水道水、海水、魚介類まで汚染しつづけています。今後末永く、被ばくした住民は健康を心配しながら生きなくてはならないのです。
 現状は事故直後と変わりません。大量の冷却水を注入してひたすら冷やすしかないのです。でも、圧力容器にも格納容器にも穴が開いているために、この放射線を帯びた冷却水は建屋の地下から施設内のさまざまな場所にあふれ出し、海にまでに流れ出ています。この建屋内は高濃度の放射性物質で汚染され、人手に頼らねばならない修復作業はさらに遅れています。9ヵ月以内に原子炉を安定させるという見通しはあまりに楽観的すぎるでしょう。
 事故の深刻度は7段階評価で、最高のチェルノブイリ原発事故と同じレベル7になりました。外部への放出線量では、いまのところチェルノブイリ原発の方が圧倒的に多いですが、4基の原発が同時に制御不能の事故に陥ったという意味では、最悪と評価されても仕方がないと思います。
 欧米の原子力先進国は、こうした事態を事故直後の早い時期から予想していたため、対応が素早かったのです。各国は自国民を国外避難させて、関東・東北の在日外国人は事故後1週間で7割も減りました。在日米軍関係では、米政府が発表した家族向け「自主避難」計画に約9000人が申し込み、政府チャーター機で帰国しました。チェルノブイリ原発事故を経験したロシアは「最悪の事態を想定して」、大使館や総領事館の館員の家族の引き揚げを命じました。
 フランスは在日フランス人の日本脱出のために、災害支援の援助隊や支援物資を運んだ航空機に乗せて子どもなどを優先的に帰国させました。東京やその周辺にいるフランス人は5000人から2000人に減りました。
 イギリス外務省は東京と東京以北に住む自国民に退避するよう勧告し、ドイツ大使館はウェブサイトを通して被災地と首都圏在住者に対して国外退避を呼びかけました。イタリアでは日本に住む自国民のために安定ヨウ素剤を送ってきました。外務省によると、27ヵ国が都内にある大使館を一時閉鎖しました。

原発事故を巡る国内と海外の大きな温度差
欧米の報じる日本の危機と膨れあがる日本への不信

 事故後の欧米の主要紙やTVニュースをネットで検索すると、日本国内とはまったく異なるニュースが流れています。違いの大きさは、日本では報道管制がしかれていたのかと疑いたくなるほどです。
 米ニューヨーク・タイムズ紙は連日大特集を組みました。そのなかで「1960年代に開発され、当初からぜい弱性が問題になっていたこの旧型原子炉を、政府の原子力安全・保安院はさらに今後10年間の運転継続を認めていた」と指摘しました。そして「この運転継続と機器検査のずさんさは、東電と関係当局の不健全な関係によるものだ」とまで決めつけました。また、「日本の原発事業者は親しい政府当局者とともに、不安を募らせる一般市民の目から原発での出来事を隠してきた」と報じました。
 米ワシントン・ポスト紙は「唯一の被爆国」として世界に核廃絶を訴えてきた日本が、狭い国土に54もの原発を林立させた核大国になっていた」という異常さを指摘しました。自分たちが落とされた原爆の何千、何万発分にも相当する核物質を原子炉に保有しているのに危機管理ができていなかったことや、原発の周りに平気で住民を住まわせていることの異常さについて言及し、それは政府が情報を隠蔽しつづけてきた結果だとしています。これこそ、日本のメディアがなかなか報じなかった事故の本質です。
 米CNNテレビは、福島原発が世界最大級の原発であると前置きして、「メルトダウン(炉心溶融)のカウントダウンが進行」を繰り返し報じました。英BBCテレビは「高水準の原子力技術を誇る日本が、はじめて直面した核の緊急事態で数万人が避難している。日本政府は国民を納得させることにはなっていない」と第一報を伝えました。
 海外で深刻な事態が報道されているときに、日本の関係者は欧米の反応があまりにヒステリックだと不快感を示していました。しかし、その陰で官邸、原子力安全・保安院、東電の間で混乱がつづいていました。国内では、意図的に事態を過小評価しているとしか思えない発言が相次ぎ、希望的観測ばかりが流れてきました。内外から情報隠しが疑われ、日本政府も東電も危機意識の薄さをさらけ出ました。見通しがあまりに甘かったのです。
 クリントン米国務長官は、CNNのインタビューで公然と「日本の情報は混乱していて信用できない」と異例のコメントをしました。米CBSテレビの世論調査では、79%が「日本政府は原発事故に関して把握している情報をすべて開示していない」と回答しています。
 英インディペンデント紙は、「事故への不安が高まっている背景に東電の隠蔽体質がある」と指摘。英ガーディアン紙は、これまでのトラブル隠しや修理、検査記録の改ざんなどの不祥事も踏まえて、「東電は事実を伝えるという点に関して堕落の歴史を持つ」と報じました。
 ドイツでも、日本政府の事故対応について不信感を強調する報道が目立っています。メルケル首相は記者会見で「日本からの情報は矛盾している」と繰り返しました。オーストラリアのラッド外相はテレビで、「オーストラリアをはじめ、国際社会は福島第一原発の正確な状態に関する緊急の説明を必要としている」と情報不足を非難しました。日本は世界の信用を失ってしまいました。各国の世論調査では原発支持が急減し、代わって原発の中止を求める声が大きくなっていました。

後退する世界の原発

 各国の原子力政策にも大きな影響を与えています。ドイツでは社会民主党が政権を握った9年前に、2022年までに国内の原発をすべて停止する「脱原発法」を制定しましたが、2010年秋、メルケル首相は脱原発政策を見直して、原発の稼働年数を平均で12年延長する方針を決めたばかりでした。でも、今回の事故を目の当たりにして、急遽1980年以前に運転を開始した原発7基は条件付きで停止するとともに、残りの原発についても安全性を点検するよう要請しました。
 事故後に行われたバーデン・ビュルテンベルク州の選挙では、「90年連合・緑の党」と社会民主党が与党連合を破り、ドイツ政治史上ではじめて緑の党から州首相が誕生しました。
 欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は事故後、加盟27ヵ国のエネルギー担当相や電力会社代表らを集めて緊急会議を招集し、EU域内の14ヵ国で稼働中の原発143基すべてを対象に「安全性テスト」を任意で実施することで合意しました。
 イタリアはチェルノブイリの事故を受けて、国内4ヵ所の原発を1990年までに全廃しました。最近は温暖化対策を眼目にした原発復活を計画していましたが、今回の事故を受けて1年間、計画凍結を決めました。スイスでも原発の改修と新規建設計画を当面凍結する方針を打ち出しました。
 スリーマイル島事故から32年間、原発の新規建設ができなかった米国では、オバマ大統領が原発復活に政権の浮揚をかけていました。カリフォルニア州の2つの原発で、4基の原子炉が認可失効に備えて更新手続きに入っていましたが、日本同様、地震が多いカリフォルニア州のエネルギー委員会は、今回の事故を受けて更新の是非をめぐる再検討に入ると発表しました。
 福島原発の事故後、国内に対していち早く原発の安全性を強調し、原発増設計画の変更がないことを強調していた中国でも、温家宝首相が招集した国務院常務会議で新規の原発建設計画の承認を暫定的に停止するなどを決めました。インドでは、原発反対のデモが広がり警官隊と衝突して死者さえ出ました。原子力発電公社は稼働中の20基の原発の再検査を進めています。
 リーマンショック後、停滞していた世界の地球温暖化対策は、原子力を対策の牽引車とすることで景気対策と整合する「妥協点」を見出し、国際的にも合意ができつつありました。原発の復興を目指す「原子力ルネッサンス」という言葉さえ広まっていました。しかし、事故はそれをも津波のように押し流してしまったのです。原子力を柱とした温暖化対策は当分日の目を見ることはないでしょう。

欧米の報じる日本の危機
過去の2回の大事故から見えてくること

 米国スリーマイル島原発の2号炉は、1979年3月28日、轟音とともに白い水蒸気を噴き上げました。メルトダウンの幕開けでした。原子炉内に冷却水を送るパイプが詰まり冷却水の供給が断たれました。それでも、緊急時に備えた補助冷却水が注入されれば冷却が進むはずでした。最後の手段である緊急炉心冷却装置(ECCS)が自動的に作動し、設計通りに大量注水を開始しました。でも、運転員は操作の途中で、炉内が満水状態になったと勘違いしてECCSを手動によって停止させてしまったのです。その直前に行われた整備点検時に、閉めた冷却水パイプの弁を開け忘れていたのです(今回の福島原発でも、まったく同じ間違いをした疑いがもたれています)。
 炉内の温度や圧力が急上昇して冷却水が急激に蒸発して失われ、空だき状態になりました。溶けだした燃料は全体の45%が圧力容器の底に溜まりました。「圧力逃がし弁」が自動的に開き、ここから500トンもの放射性物質を含んだ冷却水が外部に漏れだしました。
 州知事が原発から8キロ以内の妊婦と学齢期前の子どもの避難を通告し、周辺の町は大混乱に陥りました。さまざまなデマが飛び交い、どうしてよいかわからない絶望感とどこへ逃げたら安全かの焦燥感が充満していました。「目に見えない」「臭いもない」「気がつかない間にすべてを汚染する」放射能の恐怖は、現場にいたものしか実感できません。

チェルノブイリでは原子炉が爆発した

 チェルノブイリ原発はウクライナ(旧ソ連)の首都キエフから約100キロ北にあります。1986年4月26日に事故が発生しました。当時、チェルノブイリ原発4号炉では、検査と燃料交換のために停止されるのを機に、こんな実験が行われようとしていました。事故や停電で原発のすべての電源が失われると、緊急時に大量の水を注入して炉心を冷やすECCSも止まってしまう。そのときに非常用ディーゼル発電機に切り替わるが、それが動きだすまでの数十秒間の空白がある。その間の電力を確保するため、原発が停止してもしばらくの間回りつづけるタービンの慣性を利用して電力をつくる実験です。
 この実験のために出力を下げはじめましたが、いくつかの操作ミスが重なって出力が下がりすぎてしまいました。そこで運転員が、核反応を抑えている制御棒を引き抜いて出力を上げようとしました。ところが、逆に出力が急上昇して暴走をはじめ、ついには原子炉上部の1600トンもあるフタが吹き飛ぶような大爆発を起こしてしまったのです。事故後36時間たって突然住民に避難命令が出され、住民は着の身着のままでバスに乗せられて移送されました。原発から30キロ以内に居住する約13万5000人を避難させて立ち入りを禁止しました。いまなお禁止は解かれていません。
 広島級原爆500個分もの放射性物質が飛び散り、風やジェット気流に乗って予想をはるかに超える広い範囲に広がっていきました。汚染地域は101万1000平方キロ、日本の2.7倍の面積に及びました。人体に危険なレベルの汚染地帯は4100平方キロと、東京都のほぼ2倍になりました。放射性物質はさらに風に乗って北半球全域に拡散していきました。
 現場に駆けつけた消防士は、致死量の放射能と濃霧のような煙のなかで火と戦わねばなりませんでした。ソ連政府の発表では、直接の死者は運転員・消防士合わせて33人ですが、それ以外に事故処理にあたった約80万人といわれる軍人や予備兵、駆り出された鉱山労働者の間にも多数の死者が出たといわれています。
 長期的な観点から見た場合の死者数は、国際原子力機関(IAEA)は4000人、世界保健機関(WHO)は9000人としています。それ以外では、国際がん研究機関は1万6000人、環境団体のグリーンピースは9万人と発表しました。また、事故後は、飛散した放射性ヨードのために、子どもを中心に約5000?6000人が甲状腺がんを発病しました。
 応急措置として、放射能の拡散を抑えるためにコンクリート30万立方メートル、鉄骨6000トンなどをかき集めて、原発をそっくり被う「石棺」をつくり上げました。その耐用年数は約30年とされ、内部の放射性物質の崩壊熱や降り込んだ雨水によって、コンクリートの劣化が進んでいます。チェルノブイリ原発は4基とも2000年に閉鎖されましたが、事故から25年たった今も、4号機の保守作業のために3900人が働いているのです。

多重安全設計という安全神話

 これまで東京電力は、原子力施設はさまざまな事態に対応できるように「多重安全設計」しているので安全性はきわめて高いと喧伝してきました。ある原発の安全性評価レポートでは、「世界中で原子炉の重大な事故は1000年に1度しかない。その危険度は隕石の落下で被害を受ける確率と同程度のものだ」と断定しました。原発建設予定地の住民らに安全性を説明するとき、ひんぱんに引用されてきましたが、過去32年間で3回目の重大事故が起きました。
 原発は多重安全設計だったと東電は言い張ってきましたが、現実に事故が発生しました。会社側が「想定外の地震や津波だった」と弁解しても、それは「多重安全設計が機能しないことを想定していなかった」ということではないでしょうか。
 この事故の本格的な影響はこれからはじまります。復興、補償、増税、節電、電気料金値上げ、と個人にもたらす影響は計り知れませんが、エネルギー政策、経済失速、地球温暖化対策……どれひとつとっても国の総力戦です。その指揮をとる政治の現状をみると、暗澹とした気持ちになります。危機脱出の最重要のカギをにぎるのは政治家の質かもしれません。

  • トップへ戻る

開催年で探す

「新宿」「新橋」「大阪」で開催中

【東京】会場は2ヵ所あります。
新宿校(カタログハウス本社)
新橋校(カタログハウスの店・東京店)
【大阪】
大阪校(カタログハウスの店・大阪店)

参加は老若男女どなたでも!

参加希望の方は、各セミナーの詳細ページからお申込みください。無料の会員登録をしていただくと、2回め以降のお申込みがよりかんたんに!
さらに、「お申込み履歴」ページもご利用できます。

お申込み履歴

現在お申込み中の内容や、過去の受講履歴を確認できます。

ご利用には無料の会員登録(ログイン)が必要です。

  • メルマガ登録のご案内

特別編集号のご案内

特別編集号

2009年に実施したセミナー23講座の内容を収録した『カタログハウスの学校へようこそ』が電子ブックでご覧いただけます。

最新のつぶやき

フォロー