企業理念
下を向いて歩こう。 ― 満腹社会下の通信販売 ―
「働きに出る主婦がそれほどふえたということですね」と説明する人がいるけれど、これは明らかにカン違い。昼間、働きに出ているから、自宅で商品が買える通販が重宝されるのではない。消費大国の日本では、全国すみずみにまでさまざまな小売店がひしめいているから、昼間働きに出ているくらいで、買い物に不便する人はいないのだ。
真相はまったくアベコベ。全国すみずみにまで小売店が発達していて、すでに必要なモノは家庭にそろってしまっているのだ。日本人はもう、買うモノがないのだ。
「必要」なモノが充たされてしまっている現代社会を小社は<満腹社会>とよんでいるが、カタログ・ショッピングはまさに、<満腹社会>ゆえに伸長してきたのだった。
お宅に届くカタログたちを開いてくださればお判りになる通り、カタログとは、いわばデパートの出張販売。四季に合わせて、お宅の居間にズカズカとデパートが入りこみ、女性服売場、家具売場、食品売場、料理器具売場、家電売場などを店開きするのがカタログの本質なのだ。
満腹しているから、とくに買いたいモノはない。だから街のデパートに出かけていくのはおっくう。でも、せっかく自宅へやってきて店開きしてくれているのだから、ちょっと覗いてやるか・・・・・・カタログという業態は、満腹してウトウトと眠りかけている消費欲望に火をつけてゆさぶる機能の力で伸長してきたのだった。
映画館へでかけていくのはおっくうだけど、家で「映画」が観られるのだから、レンタルビデオで映画を観るか。映画館は衰退したのに映画人口はふえている。そんな現象とよく似ていますね。
「家へ帰って、映画を観よう」
「家へ帰って、買い物しよう」
かくして、現代の消費者は中世の王様も味わったことのない贅沢を満喫できるご身分。朝、起きると、世界各国の商品や食品(の情報)がぞくぞくと自宅に集まっていて、代金はあとでけっこう、気にいらなければ返品もOKですから、よりどりみどりで選んでください・・・・・・。
近ごろは、アメリカ各地、ヨーロッパ各地の通販会社までが、海を越えてわざわざ日本の各家庭にカタログを直接送り届けてコビをふりまく始末。
「消費がふえれば生産もふえる。雇用もふえて経済もうまく循環する。途上国の貧困も解決できる。だから、どんどん消費しようよ」
「なにを消費するの?」
「地球の環境と資源を商品に替えて消費する」
「地球という自然は無限なわけだ?」
「いや、有限だけど・・・・・・」
というわけで、消費欲望刺激システムとして機能してきた通信販売は、いま、大きな岐路に立たされている。
これ以上、消費をふやしていいものだろうか。「消費をふやさなければ経済は成長しない」という説は本当なのか。壊された地球、有限の自然の上でもビジネスの無限成長は成り立つものか。官民いっしょに口をそろえて「景気回復」と唱えるときの「景気」って、一体、なんなんだ?早い話、石油が掘りつくされて無くなるといわれる45年後のビジネスはどうなっているのだろう?
「価格破壊」という名の使い捨てすぐまた買い替え型低品質商品を、これ以上売りつづけていっていいものか。
「紙」という名の森林を年間何百万トンものカタログ用紙にかえてせっせと消費していっていいものか。一点の商品を買うために、一人の消費者はどのくらいの紙(木材)を消費しているのだろう?
現代消費社会がかかえこんでいる<地球とビジネスとの共生>という難問を、もっとも尖鋭に露出させているのが、通信販売なのだった。「ビジネス満足」と「地球満足」の両軸に足をかけてふんばらないと仕事ができない時代。消費者の環境意識によって企業や業界の業績が左右される時代・・・・・・。
でも、考えてみたら、大量の「地球資源消費者」に一斉にインフォメーションできるお店(カタログ)を持っていることで、通信販売は他の小売形態よりも「地球満足」をアピールしやすい、いや、アピールしなければいけない業態なのだった。
上ばかり向いていないで足元の地球を向いて歩いていく・・・カタログハウスはそんな歩き方を身につけようと心がけています。
永く使えるのが、よい商品。 ― 販売後の顧客満足 ―
いちど購入してもろうた商品は永く使ってもらう。使い捨て商品は売らんよ。売りっ放しはせんよ。限りある地球資源を商品に変えた以上、その商品=資源は大切に使おうじぇ。大量消費→大量廃棄はもうよそうじぇ。これが、小社の基本の商品政策たい。
「人」という言葉はいつのまにか「消費者」と同義語になってしまった−アラン・ダーニング(『どれだけ消費すれば満足なのか』山藤泰訳・ダイヤモンド社)は、「人」っちゅうのは、森林や土壌・大気や水を傷つけながら地球資源を商品に変え、商品化された資源をひたすら消費していく動物になってしもた、とゆうとるばい。
「消費社会は資源の使用量を劇的に大きく引き下げなければならない」というかれの提案にわれわれは大賛成たい。
a.低品質低価格の商品を10年間で3台買い替える。
b.高品質高価格の商品を10年間、1台で使い通す。
地球資源的にみればaはもったいなか、「bが正解だ」っちゅうのが小社の立場たい。
そげな立場を、「何年も何年も使いつづけられるので、高品質高価格商品のほうが結局はトクよね」と小社の顧客たちも支持してくれとる。
商品を永く使うてもらうために、小社は次の三つのシステムを採用しとるよ。
A. 購入者一人一人に使用感アンケートを返送していただき、満足度の高い商品は何年も長期にわたって販売していく。
小社はみだりに、モデルチェンジにはとびつきません。
B.永く使っていただくために、お手入れや修理に関するメンテナンス通信を販売後一年めの段階で購入者一人一人に出しています。
C.販売した商品については、メーカーさんでの修理ができなくなってもつねに有料修理するセクションとしてのもったいない課。
そのために、長期にわたる修理用部品保有期間をメーカーさんにお願いしています。
多品目より少品目。 ― 小売の主役化 ―
多品目ちゅうのは、ヒーターとか掃除機とかいう一つのジャンルで、何点もの機種を陳列することじゃ。消費者は、そん中からメーカーやデザインや色や性能や価格をよう見て、好みと懐具合に合うたものを選び出すもんじゃ。ひとくちでいうたら、「消費者に選んでもらう」ちゅうのが多品目の本質ぞなもし。
この反対が少品目ぞなもし。一つのジャンルで、少うしの機種しか扱わんちゅうことじゃ。極端なケースでは、一つのジャンルで一機種しか扱わん。小社はこっちぞなもし。
「多品目」の意味が「消費者に選んでもらうん」なら、小社の「少品目」は「小売が選ぶ」じゃ。消費者は結局一機種しか買わんのじゃけん、その一機種を消費者にかわって小売が選ぶちゅうことじゃ。その選んだ結果をカタログにのせるんよ。「多品目」が問題の提起ちゅうんなら、小社の「少品目」は問題の結論ぞなもし。
カタログにのせる前に、小売という商品のプロが(消費者という商品のアマにかわって)ジャンルごとの多品目をプロの面子にかけて吟味し選別もし、一機種にしぼり切ることにしたんじゃ。一人一人の消費者の微妙な好みの差異にはこたえられんかわりに、商品の本質的な価値をよう吟味して、「私が消費者ならこれを選ぶ」と思える一機種を推せんするんじゃ。紹介するんじゃあない、推せんするんじゃ。陳列するんじゃあない、説得するんじゃ。これが、小社カタログの立場じゃ。「あなたにかわってこれを選んであげたぞ、その理由はかくかくしかじかだ」ちゅうメッセージを編集するんが小社のカタログぞなもし。
現代の消費者はモノの洪水にアップアップしとる。似たりよったりの多品目状況を目の前にして、さて、どれを選んだらええのかと、大半の消費者は目をキョロキョロさせとる。わが国のモデルチェンジ競争や模倣品競争はすごいもんじゃ。そんな消費者たちにとって、小社の「選択代行型カタログ」はえらく有効だと思うぞな。そのぶん、選択する側の責任は大きいけんど。
少品目のカタログの長所はもう一つあるぞな。一冊二千〜五千点の多品目カタログに比べたら、少品目なら、販売前の商品検査がしっかりできますわい。商品に関するお問い合せにもしっかり対応できますわい。一点一点の商品の説明に力を入れられますわい。販売後のメンテナンスにも気をくばれますわい。
メーカーさん側にとっても、ええことが大分ありますぞな。せわしないモデルチェンジ競争に一喜一憂するよりも、小社の選んだ一点をじっくり長期安定的に製造しつづけられたり、歳月をかけて改良していけることになりますわいなあ。
『通販生活』では、5年以上も売りつづけているロングセラー商品がそろそろ100点に達しますぞな。毎年、新しい読者が参加するんで、それでロングセラー化していけるんぞなもし。
カタログハウスが扱いたい商品。
それは次の5項目で消費者が満足する商品です。
項目 | 競合品との比較で |
---|---|
性能・使いやすさ | (1)「性能」と「使いやすさ」で優位性があること。「手入れ」や「収納」についても。 (2)「安心性」についての考慮がいきとどいていること。 (3)「効果」については公的機関の証明があること。 |
耐久性・メンテナンス | (4)「材質」「つくり」「故障しにくさ」での優位性(頑丈さ)(永もち性)があること。 (5)「部品保有期間」や「修理可能期間」「アフターサービス」が明確になっていること。 |
環境負荷 | (6)「材料(資源再生率)(産地)」の負荷、「加工剤」の負荷、「製造過程」の負荷などを読者に正確に伝えられること。 (7)「メーカーの環境負荷削除努力」を読者に伝えられること。 (8)「過剰な梱包」「有害なつめ物」はつつしんでいること。 |
価格妥当性 | (9)競合品との比較において、「価格」が妥当であることを読者に説明できること。 |
取扱説明書 | (10)消費者にとって判りやすく親切につくられていること。再生紙でつくられていること。 |
おカネを払って読む。 ― 商品情報の有料化 ―
小社のカタログは、世界でも類を見にゃー有料誌、と威張っとるカタログなんだわ。おカネを払ってまで読みたゃーという消費者だから、その100万人は無料カタログの1,000万人に匹敵する反応率の高さになるんだなも。
「誌代を払っても読みたいという定期購読者が114万人もいるカタログ雑誌」というおホメの言葉を、小社は「商品情報につよい関心のある消費者が自発的に114万人も集まってきた媒体」と解釈しとるんだわ。
当然、消費者がおカネを払うだけの値うちのある情報価値(つまり、素晴らしい商品)がにゃーと、掲載せーへん。そのかわり、掲載するとなったら、徹底的にくわしく、しつこく、その商品の素晴らしさを伝えるんだわ。
商品をまず情報として伝える。伝えるついでに売ってまう・・・・・・これが小社流だがね。商品を見せる(陳列する)という伝統的な売り方に対して、商品をまず情報化し、「買わなくてもいい」から「読んでください」というかたちで提示するんだわ。いっちゃん、読んでもらうことに力を入れるんだがね。読んでもらったら買いたい人が出てくるから、売ってあげるんだなも。
「売る」という目的の一つ手前に、まず「情報化する」「読んでもらう」を置くんだわ。「この商品は読む情報として面白いか面白くないか」・・・・・・小社の顧客たちは、商品情報を読むのが大好きという人ばっかり。ほんだで、カタログにわざわざおカネを払ってくれゃーす。
カタログという名の小売店は、「読ませる」技術に長けているでなも。一対一対応のデパートの売場とちがって、カタログの売場は一対100万人、一対1,000万人なんで、一点当りの説明費用もお店よりは贅沢にかけられるんだわ。お店の触診的説明とちがって、バリウム撮影やCTスキャンなみの透視写真で商品の内部構造も見せられるんだがね。
あるいは、カタログの売場は、自由に過去の時間へさかのぼれゃーす。過去に買って使用しとる消費者を売場へ連れてきて、使用体験を語ってもらう手法も展開できるんだわ。
ほんでもって、ある商品を説明するとき、「店員さんよりも商品の作者自身に語ってもらうほうが正確だし、説得力がある」と思ったら、その作者を自由に売場へ連れてこられるんだわ。これも一日ではなしに、カタログ有効期間中、ずっと売場に拘束できるんだがね。
カタログにおける小売というのは、いまのオールドメディア(印刷メディア)の段階においても、もう時間空間を超えているんだなも。