通販生活の読み物

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私の人生を変えたあの人の言葉

大沢悠里さん│「上見りゃきりない、下見て  暮らせ。橋の下にも宝船」内海桂子さんからの言葉

大沢悠里さん│「上見りゃきりない、下見て  暮らせ。橋の下にも宝船」内海桂子さんからの言葉

 生まれは東京・浅草。学生時代からずっと落語とラジオが好きで、高校・大学は放送部や放送サークルに入り、寄席にもよく通っていました。1964年、TBSにアナウンサーとして入社し、74年からスタートした「ラジオ寄席」の初代司会者に選ばれました。柳家小さん(5代目で人間国宝)、桂文楽(9代目)など名人と呼ばれる師匠たちと仕事をする幸運に恵まれました。お酒を酌み交わす機会も何度かあって、それはもう貴重な経験でした。

 なかでも、漫才コンビを組んでいた内海桂子・好江さんにはとても可愛がってもらいました。お二人は僕のことを「悠里ちゃん」と呼び、僕は桂子師匠のことを「おっかさん」、好江師匠は「お姉さん」と呼んでいました。実は桂子師匠には、若くして亡くなられた僕と同じ歳の息子さんがいらしたんです。だから、僕を本当の息子みたいに思って、気楽に何でも話してくれましたし、ときには叱ってもくれました。桂子師匠が65歳のとき、今のご主人について相談されたこともありました。「24歳も年下の男からラブレターが届くんだけど、どうしたらいい?」と。「いいじゃない。結婚しちゃいなよ」と答えました(笑)。

 86年に「大沢悠里のゆうゆうワイド」が始まるとき、パートナーは専門的な知識を持った人生経験が豊富な人にお願いしたいと思いました。聴取者の多くは年配の方ですから、45歳の僕がいろいろ話をするよりも番組に厚みが出ると思ったんです。当時、メインパーソナリティのパートナーは若い女性アナウンサーが務めるのがスタンダードでしたから、ちょっと異色だったでしょうね。制作部にも入っていたので、企画書も僕が書きました。

1974年から86年まで司会を務めた「ラジオ寄席」の収録の様子。内海桂子さん(左)、好江さんと撮った貴重な一枚。

1974年から86年まで司会を務めた「ラジオ寄席」の収録の様子。
内海桂子さん(左)、好江さんと撮った貴重な一枚。

「芸能」話を掘り下げる水曜日のパートナーをお願いしたのが桂子師匠です。桂子師匠との掛け合いは、聴取者にとても好評で、すぐに人気番組に。結局、5年にわたって登場していただきました。

 桂子師匠は番組内で三味線を弾きながらたびたび都々逸(どどいつ)を披露してくれました。なかでも印象的だったのが「上見りゃきりない、下見て暮らせ。橋の下にも宝船」というもの。謙虚な気持ちで暮していれば、足元に幸せが転がっていることに気づけるという意味なんでしょうね。僕はラジオ番組が好調だったし、放送終了後に電車に飛び乗って講演会に出かけるほど売れっ子でしたから(笑)、鼻っ柱が強いところがあって生意気に感じていたのかもしれません。そんな僕を“おっかさん”がたしなめるように唄ってくれたのではないかと思います。

 ほかにも、倦怠期を迎えた夫婦には「嫌になったらこの子をご覧、嫌じゃないときできた子だ」とか、都々逸ではありませんが「笑顔に優る化粧なし」など、たくさんの言葉を教えてくれました。

 ラジオは言葉を大事にするメディアで、その言葉からたくさんの勇気や元気をもらう人は多いと思います。僕がラジオにこだわったのも、言葉の力に魅力があったから。「ゆうゆうワイド」の30年間で出会ったすばらしい人たちとの時間は、勉強の場であり、宝物です。

 桂子師匠ももう95歳。昔のように一緒に飲み歩くことはできませんが、お会いしたときは「おっかさん」「悠里ちゃん、嬉しいよ」ってお互いに言ってハグするんですよ。桂子師匠には、いつまでもお元気で活躍してほしいですね。

おおさわ・ゆうり●1941年、東京都生まれ。64年にTBS(東京放送)に入社。ラジオ番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」は、91年にTBS退社後もメインパーソナリティとして2016年4月まで30年間続けた。現在は「大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版」(毎週土曜日午後3時~4時50分)を放送中。

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