通販生活の読み物

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人生の失敗

井川意高さん(1) 「平穏無事に生きることが幸せだと思う人もいるのでしょうが、僕はそういうタイプではないようです」井川意高さん(大王製紙前会長)

井川意高さん(1) 「平穏無事に生きることが幸せだと思う人もいるのでしょうが、僕はそういうタイプではないようです」井川意高さん(大王製紙前会長)

井川意高(もとたか)という名前を聞いても多くの人はピンとこないかもしれない。そこに「大王製紙」「カジノ」「107億円」というキーワードを加えると「あー、あの!」と思い出すのではないだろうか。
カジノで使う資金を子会社から借用したことで、刑務所で3年2ヵ月服役することになった井川さん。社会復帰して約1年半が経過した井川さんに「あの時」そして「いま」を聞いた。
取材・文 溝口敦(ジャーナリスト)

 井川意高(もとたか)さん(53歳)が平成日本の「蕩児(とうじ)」としてトップであることに誰もが異論はなかろう。なにしろ海外のカジノで約107億円もすった。大卒男子の平均生涯賃金を3億円とすれば、2010年4月から11年9月までのわずか1年半の間に、平均生涯賃金36人分という巨額のカネをマカオやシンガポールのカジノで蕩尽した。
 「売り家と唐様で書く三代目」と江戸の川柳にあるとおり、井川さんもまさしく大王製紙を創業した井川家の三代目である。筑波大学附属駒場高校から東大法学部に現役で進んだ秀才であり、しゃれた遊び人でもある。
 大王製紙は祖父の井川伊勢吉が1941年に創立した四国紙業を前身とし、近隣の14社を合併して43年にスタートした。二代目・井川高雄は87年~95年まで大王製紙の社長を務め、その高雄の長男・井川意高が07年~11年まで社長だった。その後井川さんは会長に転じたが、11年9月、カジノの資金にするための違法借り入れが発覚して辞任した。
 大王製紙は11年11月、井川さんが子会社7社から合計約86億円を不正に借り入れたとして告発、井川さんは会社法違反(特別背任)で東京地検特捜部に逮捕された。12年10月、東京地裁は懲役4年の実刑判決を言い渡した。井川さんは控訴・上告したが、13年6月、最高裁は上告を棄却、懲役4年の実刑判決が確定。「喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センター」に収監され、以後16年12月の仮釈放まで服役した。
 井川父子は大王製紙株を北越紀州製紙に全て売却するなどして、子会社7社からの借り入れを全額返済したが、大王製紙顧問だった父・高雄も、取締役だった弟・高博も解任され、一家は大王製紙から追われた。
 井川さんは収監前に出した『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』(双葉社)の中に記している。
「こうして、祖父・伊勢吉の代から築いてきた井川家3代の歴史は灰燼に帰した」
 自分が罪を償うだけでは足りず、家族まで巻き込んで財産を散逸させた。妻とも離婚し、3人の子にも衝撃を与えた。明らかに愚行であり、「人生の失敗」と言わざるをえない。
 しかし、子会社から流用したカネは全額返済している。事件当時、株価が下がった大王製紙の関係者の怨みを買うのは避けられないとしても、井川さんの行ないは「ギャンブルに狂っただけ」とも言える。仮釈放で出所したが、去年10月には刑の満期を迎えた。罪は償ったわけで、自由に新規まき直しを図れるはず。今、再出発をどう考えているのか。

いかわ・もとたか
1964年、京都府生まれ。東京大学法学部卒業後の87年に大王製紙に入社。2007年、42歳で社長に就任。会長時代の11年9月、カジノでの使用目的で子会社から約107億円を借り入れていたことが発覚。懲役4年の実刑判決が確定。3年2ヵ月服役し、16年12月に仮出所した。

小学校4年のとき、家族での米国旅行

小学校4年のとき、家族での米国旅行(写真提供:井川さん 以下同)。

小中学生のころは思い悩むタイプで、人間はなぜ生まれてくるのか、宇宙は何で存在するのかとか考え込んでいた。

中学校で所属していた美術部の仲間と(後列の左端が井川さん)。

中学校で所属していた美術部の仲間と(後列の左端が井川さん)。

井川 3年2ヵ月、不自由な生活だったので、戻ってきてから1年ぐらいはブラブラするつもりでした。これまで父が面倒をみていた小さい会社が手元に残っていて、ぼちぼち私がマネジメントしようかなと動き始めています。

 口ぶりからうかがうかぎり、一家は107億円を返しても、まだ余力を残しているようだ。底知れぬ財力である。中世ヨーロッパではやたら瀉血(しゃけつ)療法が行なわれた。体の調子が悪くなると放血し、健康の回復を図ろうとする。ことによると井川家はカネが溜まりすぎて、途方もない高額ギャンブルで大量に血を抜かないと身体がもたなかったのか、とさえ思いたくなる。
 井川さんはケロッとしていて、服役のダメージをまるで感じさせない。元気そうである。

井川 おかげさまで。刑務所に入る前は不摂生を重ねていたので、身長175cmで体重は74kgぐらいでした。向こうでの規則正しい生活と食事のおかげで、半年で20kgも痩せました。出るときには62kgだったので、ほぼ標準体重。刑務所に3年ぐらい入るのは、健康にはいいことですね(笑)。

 服役にさえ積極的な価値を見つける。そうとう図太い神経の持ち主である。井川さんが入った社会復帰促進センターは民間企業が運営に参画する刑務所だ。過剰収容の改善と経費削減を図るためにつくられた「半官半民」の刑務所だ。初犯者が対象で、喜連川のセンターには過去に鈴木宗男・元衆議院議員や守屋武昌・元防衛事務次官なども収監された。刑務所内でのことは井川さんと堀江貴文さんの共著『東大から刑務所へ』(幻冬社新書)に詳しいが、井川さんのような「有名人」には特別の配慮はあるのだろうか。

井川 私が配慮だと思ったのは、(収監先を)喜連川にしてもらえたことと、中では図書係に配属されたことですね。図書係はムショの中で唯一ホワイトカラーだと言われています。喜連川には基本的に粗暴犯がいなくて、経済犯ばかり。「オレオレ」などの特殊詐欺や企業詐欺、それから粉飾決算やヤミ金などの出資法違反で捕まった人。オレオレ詐欺の支店長クラスもいて、彼は8年半も収監されていました。でも、そういう連中はやっぱり頭がいい。収監されていた3年間、昼飯や運動の時間とかによく話して、退屈しなかったです。

 同期囚とはそれこそ「東京ではどこで遊んでるの?」といった会話も交わされただろう。出所後も井川さんの姿は盛り場で目撃されており、1人の女性を連れ歩く様子は筆者も小耳にはさんでいる。互いにすらりとした美男美女の組み合わせは、けっこう目立つらしい。
 井川さんはアル・パチーノ主演の映画『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』(92年)が好きだと、自分の本の中でも公言している。

井川 「世の中で一番大切なのは女、2番目、3番目がなくて、かなり離れてフェラーリだ」と、アル・パチーノが言う。僕も女性は好きですよ(笑)。こういうことを言うから、「反省してない」と怒られるのかもしれませんね。

 井川さんの場合、反省の結果、もう二度とカジノには足を踏み入れない、一族が支配する子会社にはカネの融通を頼まないとか、そういうことになるのか。

井川 明確に言えることは、当時の従業員や株主、そして友人や家族には心配や迷惑をかけました。しかし従業員や株主に一人ひとりお詫びするわけにもいかない。その分、何か社会貢献活動をするしかないのかなという思いもあり、タイミングを探しています。もちろん反省はしていますが、かといって禅僧のような生活を送るタイプではないので。

 井川さんの本の中には歌舞伎の「かぶく」という言葉が出てくる。街のいなせな兄ちゃん、不良といった感じだろうが、井川さんには「かぶく」や中世のバサラに憧れる気持ちがあるのか。

井川 あります。憧れるというか、結果的にそうなってしまっている。今はこんな図太いおやじですけど、小中学生のころは、けっこう思い悩むタイプでした。人間が生まれてくる理由は何なのか、宇宙は何で存在するんだろう、なんてことをバカな頭で考え込んでいた。それから数十年生きてきて、今、私が思っているのは、結局、誰もが裸一貫で生まれて、どんなに成功しても、死ぬときはゼロ、ゼロでスタートしてゼロで終わるんだと。ならばどういう人生を望むのかということです。平穏無事に生きられて幸せだと思う人もいるでしょうし、それを否定するつもりはないですが、僕はそういうタイプではない。事件のあとにこんなことを言うと、自己正当化しているみたいに思われるかもしれませんが、昔からの私を知っている友人は「井川はかぶいてるな」とよく言ってますので。

大学2年の夏、同級生と米国旅行(右端)。

大学2年の夏、同級生と米国旅行(右端)。

バブルの頃、とあるパーティーで弟の高博さん(左)と。

バブルの頃、とあるパーティーで弟の高博さん(左)と。

海外のカジノでは強制力を持って資金回収をする人間が裏側にいますが、日本ではそんなことは無理でしょう。

 井川さんには自分を積極的に動かすニヒリズムがあるのかもしれない。27歳のとき、当時は別会社だった名古屋パルプに社長として出向した。同社はティッシュの「エリエール」など家庭紙を造っていたが、年間70億円の赤字を出し、900億円もの借金を抱えていた。
 井川さんはわずか3年で、名古屋パルプの赤字を収支トントンに持っていき、見事建て直しに成功する。95年、大王製紙本社に帰還し、専務の椅子に座る。そして前記のとおり、07年、42歳で大王製紙の社長につくのだが、社長就任以前と以後とでは経営への熱意に差があるように感じる。もともと中学生のころから級友と雀卓を囲んだほどの博打好きだが、名古屋パルプのころにはほとんどギャンブルに手を出さなかった。

井川 私は博打をやる前から、毎日夕方6時には会社から絶対出ていたんです。土日もキチッと休んだ。名古屋パルプの建て直しの2年間は、盆と正月以外は全て会社に出ましたが、それ以外は必ず定時退社でした。
 私、大王製紙の仕事が大嫌いでしようがなかったんです。大げさでなく、毎日が砂を噛むような思いだった。そういう意味では、もともと経営への熱意はなかったですね。

 井川さんの著書を読むと、こういう見方もできるかと思う。つまり井川さんは、ワンマンな父親に対してずっといい子であり続けた。名古屋パルプまでは明らかにそうだった。ところが、その後、反動が出て謀反を起こした。それがギャンブル騒ぎだ、と。

井川 十分妥当性がある見方だと思います。裁判対策で情状酌量の材料にするためにと、弁護士からギャンブル依存症の診断書をもらってきてくれと言われましてね。それで、検査入院のために1週間分の着がえやタオルを持って精神科の病院に行ったのですが、整理整頓された私の部屋を見て医師は「井川さん、ストラヴィンスキータイプですね」と言ったんです。作曲家のストラヴィンスキーには一種の強迫観念みたいなところがあって、物を並べるときは平行にすべきものはきっちり平行に、直角にするものはきっちり直角にと、自分なりに整頓した後でないと、創作活動に入れなかったそうなんです。それを聞いて「自分も全く一緒だ」と思いました。
 私も強迫観念を持っているし、ストレスを抱えている。その原因は何かと言えば、父しかないわけです。もう家庭では暴君でしたから。子どものころ、勉強ができないとゴルフクラブのグリップ部分で殴られましたよ。
 別の精神科医には、僕のやったことは「結局、父親に対する復讐ではないのか」と言われました。無意識のうちにそうした行動をとっていたのかもしれない、と。その結果として、依存症的にギャンブルにはまり込んでいった可能性はあるかもしれません。

 井川さんは父親のことは著書で詳しく書いているが、それ以外の家族との関係は意図的に伏せているのか、著書も含めてこれまであまり言及していない。

井川 いえ、特に伏せようとは思っていません。服役する前と後で、家族との関係はあまり変化がないんです。僕は今でも両親と同じ家に住んでいて、事件前は2階に両親、1階に私の家族が住んでいました。両親が孫と一緒に住みたいと言うので、今は大学2年生になった息子が小学校5年生のときに、マンションから両親が暮らす一戸建てに移りました。
 私は40歳のときに離婚したのですが、その4~5年前から家庭内別居のような状態でした。子どもが受験を控えていたので、離婚後も表面上はそのままにしていて、私が刑務所にいる間も元妻は家にいました。刑務所から出る直前に彼女は近所のアパートに引っ越したのですが、今でも土日に長男の御飯をつくるとかと言って、うちに来ます。「おいおい、他人なんだから不法侵入だぞ」なんて冗談を私も言いますが、そういう関係なんです。

熔ける (双葉社 1,400円+税)

熔ける (双葉社 1,400円+税)

東大から刑務所へ (幻冬舎新書 820円+税)

東大から刑務所へ (幻冬舎新書 820円+税)

 学生時代からの付き合いという元奧さんは、俳優の池上季実子似の、きれいな女性らしい。

井川 たまにそう言ってくださる方がいるんで、否定しないでおきましょう(笑)。今でも家族の旅行にも一緒に行きますからね。部屋を2つとって、娘2人は元妻と泊まって、私と息子が同じ部屋に泊まって。長女は社会人、次女は関西の大学に行ってます。次女は私が刑務所から帰ってきたら色々と言ってやろうと思っていたそうですが、私の顔を見たら「まあ、いいや」となったそうです。長女は婚約したんですけれども、「パパのせいで結婚できなくなるとこだったじゃない」と言われたこともありました。今では笑い話ですけど、子どもたちにも迷惑をかけましたね。

 女の子は、もともとお父さんである井川さんを好きなのだろう。井川さんは率直で隠し立てしない物言いと、たぶん金離れのよさから女性や子どもには好かれそうだ。

井川 それほどでも。飲み代を払って、タクシー代を渡してカモにされているだけです。

 今でも経済的不安はなく、あちこちで面倒は見てやれる。優雅すぎる生活である。

井川 あちこちではないですけど(笑)、家族の面倒ぐらいは。あの事件のときファミリーで持っていた株をガサッと売ってしまったので、今は大して残っていません。

 紙の創業家は同じ金持ちといっても、規模がちがうようだ。欧米の金持ちに比肩する。最後に日本のカジノについて意見を聞くと「賛成でも反対でもない」という。

井川 簡単に言えば、自己責任でやりたい人はやればいいということですが、日本でカジノは成功しないと思います。まず日本人のハイローラー(高額な賭け金で遊ぶ人)は日本のカジノには来ません。面が割れるからで、マカオやシンガポールに行けばいい話です。海外のカジノではハイローラーに対して「信用」でおカネを貸します。私も途中から貸してくれるようになり、手ぶらで行って遊べました。最後は、シンガポールのカジノで10億円ぐらい貸してくれた。それで負けた場合は1ヵ月以内に払うという仕組みでした。
 日本で同じことをしたとして、海外から来た客があとでおカネを払うのかという疑問があります。海外のカジノの場合、強制力を持った、回収する力のある人間が裏側にいます。日本ではそんなことは無理。だからといって、その場で現金で支払う面倒な仕組みにしたら、海外からのハイローラーは来ないでしょう。

 経験者ならではの見方で説得力がある。井川さんは日本のカジノ論議の関連で「愚行権」にも触れた。J・S・ミルが『自由論』の中で述べた考えだそうで、「他者を害しないかぎり、愚かであるとか、間違っているとか他人がたとえ考えたとしても、自己決定に任されるべきだ」というような意味である。
 こうした考え方に異論・反論はあるだろうが、井川さんが愚行権を実行できる資産や環境に恵まれていることは間違いなさそうだ。

石田純一さん

石田純一さん

事件当時の週刊誌報道は「95%が誤報だった」と井川さん。撮影/細谷忠彦

みぞぐち・あつし
ジャーナリスト。1942年、東京都生まれ。
『山口組三国志 織田絆誠という男』(講談社)、『闇経済の怪物たち』(光文社新書)ほか著書多数。本連載をまとめた『人生の失敗 転んでもタダじゃ起きない』(七つ森書館)が好評発売中。

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