通販生活写真館山登りの巻

ヤフーはなかったけど「ヤッホー」はあった。(泉麻人)

A福島県・風間綾子さん 登山初心者で富士山に。落伍しなかったのは若さかも。

 今回のテーマは「山登り」。趣味の散歩の流れでちょっとした山や丘のレベルのところはよく歩くけれど、標高2000mに達するような本格的な登山の経験はほとんどない。
そんな登山シロートでも、富士山は5合目から歩きはじめて7合目あたりまでは登ったことがある。は、ちょっと懐かしい佇まいの“富士山噴火口”の看板が目にとまった。
「職場の山好きのグループの人たちに誘われて登山の経験もない私の初山登りでした。当時は浦和に住んでいたので夜行列車に乗り、早朝に登り日帰りでした」
浦和から富士方面までの夜行列車(御殿場あたりの下車か?)というのも時代を感じさせるが、写真の看板に日付があるように昭和37年8月1日のこと。帽子を被ってしゃがんでいるのが当時19歳の投稿者。

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B京都府・岩田朝子さん 高校3年生の夏休みに親友、担任の弟さんたちと富士山へ。

 も、翌昭和38年8月の富士登山のスナップなのだ。もちろん、頂上付近の浅間大社奥宮の鳥居……とか、富士登山っぽい写真もいくつかあったのだが、手紙にある「スイカを持って登ろうと誰が提案したのか?」なんて一節が気になってコレを選んだ(スイカをぶら下げて山登りしているような写真はない)。
登山のメッカともいえる、長野県の中部山岳地帯の写真を何点か紹介しよう。は上高地の小梨平(こなしだいら)。背景にそびえるのは穂高岳と思われる。
「早稲田大学の学生でした。野球の早慶戦のときは、講義が休みになるので山のサークル仲間と上高地で合宿するのが常でした」
昭和37年秋の早慶戦の時期、ちなみに手元の早慶戦関係の資料によると、この年の秋は11月3日、4日、5日と3戦行なわれて、慶応が大橋勲(翌年、巨人入りする捕手)の活躍で勝利してリーグ優勝も果たす。まぁ彼らはライバル早稲田の面々だから、おもしろくなかったに違いない。

C神奈川県・鈴木南子さん 山のサークル仲間6人で上高地の小梨平に合宿。

 上高地や穂高岳の北方、白馬連峰の登山スナップも寄せられた。
「昭和37年7月、例のごとく仕事を終え、大混雑の新宿駅に並び夜行、3泊5日の白馬連峰縦走に出ました。晴天に恵まれ、白馬尻から大雪渓を登り、白馬岳(しろうまだけ)・杓子岳(しゃくしだけ)・鑓ヶ岳(やりがたけ)・天狗尾根・不帰嶮(かえらずのけん)・唐松岳・八方尾根・八方池へと下るコースです」
大糸線の白馬駅からアプローチするときの定番ルートのようだが、この投稿、次の一節が楽しい。
「大雪渓の登りで関西弁まるだしの元気な女性5名(じゃじゃ馬とか)と行動を共にしました」

D埼玉県・小泉保夫さん 高度成長期の貴重な夏休み、白馬連峰縦走の旅へ。

 鑓ヶ岳頂上直下で撮影したというにその5人組らしき女性たちが写りこんでいる。
この話を読んで、ふと妙なエピソードを思い出した。大学時代にこの辺(白馬だったか栂池(つがいけ)だったか)にスキーに来たとき、同じペンションにいた関西グループの声がことさら耳についた。せいぜい1組か2組だったろうに、長野西部の山に来ると、関東人は関西弁の強さを思い知る。
ところで、ここまで昭和37年の登山写真が続いているが、この年はダーク・ダックスの「山男の歌」が大ヒットした、登山ブームたけなわの年でもあったのだ。幼稚園年長組の僕も、おじさんの買ってきたボニージャックスのソノシートで「雪山讃歌」とか「山の隊長」とかの登山ソングをよく聴いたおぼえがある。

E青森県・服部美穂子さん 中学1年生のときの八甲田山登山。ガスがかかっていて肌寒かった。

 は穏やかな遠足の集合写真を思わせるが、ここは厳しい雪山のイメージが強い青森・八甲田山。八戸の中学校の集団登山の一コマのようだ。
八甲田の名を有名にした雪中行軍遭難事件が発生したのは明治35年。昭和46年の新田次郎の小説がベストセラーになり、さらに6年後の高倉健の主演映画のヒットで冬の雪深い山景色が浸透した。しかしこの写真、秋とはいえ生徒たちの格好はその辺をピクニックするような軽装だ。

F北海道・渡辺幸子さん 母と母方のおじたち、2人の弟と夕張岳ヒュッテへ。

 は、さらに北の北海道、山小屋の表札にあるように炭鉱で知られた夕張。昭和34年の8月、カメラマンの投稿者の家族と親戚らしいが、白手袋の男の子はこの時代まだ日本では珍しかったGパンらしきものをはいている(鉱山の労働者あたりにはけっこう広がっていたのか……)。そして、当時夕張岳に入っていくには、いまの大夕張ダムの手前まで三菱鉱業大夕張鉄道が使えたはずだ。
一方、南の九州の山も。まずは大分県西部、阿蘇の東方に位置する久住(くじゅう)高原の久住山頂でのスナップ。女子登山教室(ボードによると住友金属工作課のサークルのようだ)の一行らしいが、こういう山の集合写真って、並んでる人の方も山型になっているのがなんだかおかしい。

G大分県・渡辺睦子さん 女子登山教室で大分県の九重連山を形成する久住山に登る。

 は、昭和40年晩秋の雲仙・普賢岳。平成年代に入ってからは大きな噴火のニュースで知られるようになってしまったが、福岡の洋装店の慰安旅行で行ったというこの女性の手紙からはのどかな雰囲気が伝わってくる。
「洋装店というおしゃれを扱う仕事に就いている関係で、履物は革のヒール。この靴のまま山道は登れないと引いたところ、都合よくワラ草履を売っていました」
一足10円のワラ草履を履いて案外スイスイ山頂まで登れたらしい。
「右側の黒い物は、友人のお尻です。なぜか四つんばいの姿でした」
と、写真におかしなオチが付いている。それにしても、なぜ四つんばいに。ワラ草履の切れたヒモを結んでいる……と、僕は推理したのですが、どうでしょう。

H福岡県・原弦子さん 慰安旅行で行った普賢岳。ヒールをワラ草履に替えて登った。

いずみ・あさと●1956年、東京都生まれ。編集者を経てコラムニストに。『東京いい道、しぶい道』、『還暦シェアハウス』(ともに中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)など著書多数。

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