人生の失敗

 山本譲司さん│1年2ヵ月の刑務所生活は、それまで過ごした人生の中で最も学ぶことが多かった「人生の学校」でした。

山本譲司さん│1年2ヵ月の刑務所生活は、それまで過ごした人生の中で最も学ぶことが多かった「人生の学校」でした。

今から18年前、「山本譲司」という民主党の衆議院議員がいた。若かりし頃の菅直人氏(元首相)の秘書として政治の世界に入り、都議と衆院議員を務めた。「みちのくひとり旅」で知られる演歌歌手の山本譲二さんと名前の読みが同じということで、記憶している方もいるだろう。衆議院議員のとき、秘書給与流用の詐欺容疑で逮捕されてから、山本さんの人生は大きく変わった──。

取材・文 溝口敦(ジャーナリスト)

 山本さんは2000年9月、政策秘書給与流用の詐欺容疑で東京地検特捜部に逮捕され、翌年2月に懲役1年6ヵ月の実刑判決を受けた。国から支給される政策秘書の給与を私設秘書の給与や事務所運営費に流用したということで、詐欺と認定されたのだった。一度は控訴したが、ほどなく取り下げ、01年6月から02年8月まで、栃木県の黒羽刑務所で服役。ここで、服役する障害者の下の世話までした。
山本さんにとって「人生の失敗」とはこの逮捕・服役になるはずだが、服役時の体験から、今では罪に問われた障害者・高齢者への支援を中心とした社会活動や著述業に従事している。服役は「失敗」というよりむしろ「転機」になったと言えるかもしれない。
とはいえ、新進の代議士がある日突然、有罪を宣告され、刑務所に落ちる。落差は大きく、衝撃だったはずである。同じように秘書給与の流用を疑われた国会議員は何人もいたが、たとえ有罪判決が出ても執行猶予つきで服役しないで済ませた者が多い。
山本さんは、そうした「同僚」からも、デマを交えた批判を受け、離反した元秘書からは、「山本は秘書給与を私的に使った」などとウソの告発がなされ、それがそのまま週刊誌などで報じられもした。秘書給与流用事件の場合、控訴審で争えば執行猶予がつくのが「相場」のはず。山本さんはなぜ実刑判決のまま控訴を取り下げたのか。

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山本 当時、目が覚めたような感じになったんです。選挙では保守色の強い地域ながら、いつもトップ当選でしたし、子どもの頃から試験に落ちたこともなかった。相当、自信家の部類だったんですよ。余りにも順風満帆すぎて、だんだん自分を疑うことを忘れてたんじゃないか、逮捕は自分の人生に対する警鐘じゃないかと思ったんです。まして秘書給与流用事件の端緒は、信頼していた秘書のリークですから。その秘書が2回目の衆議院選挙の直前に相手陣営に寝返っただけでなく、マスコミに給与流用の件をリークした。自分の人格や生き方そのものを否定された気がした。だから、ここで一度リセットもあるかなと。

 山本さんはよほど秘書に嫌われていたのか、それが不思議だ。そして結局、流用疑惑が報じられた後も、衆院選に出馬することになる。

山本  人間というのは、その与えられたポジションや環境の中で、どうにでも変わると思うんです。自虐的になったり、逆に人に対して残酷になったり。「実はかなりひどい態度で秘書に接していたんじゃないか」と思い始めて……。秘書が向こうの陣営に行って、秘書給与について告発もする。その時点で、自分に議員を続ける資格はあるのかと、自問を繰り返しました。一方で、先輩議員や後援会の皆さんに意見を聞くと、全てが「謝罪会見をしたうえで選挙に出るべき」という答え。その意見に従い、選挙に出たらまた圧勝した。でも、ルールから逸脱することをして、その後ろ暗い気持ちを4年も引っ張りながら政治家を続けていいのか、と思ったんです。

 秘書給与の流用事件が国会議員の間でよく起きるのは、制度が実際の政治活動に合っていないからではないか。政策秘書は特別職国家公務員で、その給与は国家公務員の課長補佐以上と頭から決められている。政治家とすれば、その給与が自由になれば、私設秘書をあと2人ぐらい雇えると考えるのは当然だ。
安易に、ルール違反をしたという後ろ暗さを感じるのではなく、自分が立法府に身を置いているのだから、法律を現実に即して使いやすいよう改めるという発想があってもよかったと思う。その方が国会議員らしい行動ではないだろうか。

北海道札幌市の大通公園でお父さんとお姉さんと
北海道札幌市の大通公園でお父さんとお姉さんと(写真提供は山本さん。以下同)。
小学校3年生から8年間、剣道漬けの毎日を送る。
小学校3年生から8年間、剣道漬けの毎日を送る。

山本  当時もそうした考えをもとに「徹底的に闘うべきだ」と、法曹界出身の議員たちから言われました。でも、それはやっぱり違うと思うんです。事件化された途端、急に「秘書給与制度がおかしい。改めるべし」なんて言えないです。
それともう一つ、子どもができたことも大きな理由だったかもしれません。私たち夫婦の間にはしばらく子どもができなかったのですが、ようやく恵まれた。妻から妊娠の報告を受けた日、その直後に東京地検特捜部からの呼び出しです。これは自分にとってのターニングポイントだと思ったんです。

 これから生まれてくる子どものためにも、控訴して無罪を勝ち取り、「普通の子」として育てたいと考えるのか。あるいは服役して、いわば「前科者の子」として育てるのか。山本さんは、その差を考えなかったのか。

山本  罪を認めて刑務所に入った父親であることを、子どもにちゃんと説明をしたい──そちらの道を選びました。ましてや満期で出てきても、まだ30代という年齢でしたからね。そのときに漠然と思ったのは、もう一回、学生時代のように福祉の現場に携わってみよう、刑務所から出た後でも、原点に立ち返ってやれるんじゃないかということです。

 山本さんは出所後の03年12月、服役時の日記をもとにした『獄窓記』をポプラ社から刊行し、04年に新潮ドキュメント賞を受賞した。05年にはTBSでドラマ化もされた。
『獄窓記』は数ある刑務所体験本の中でも服役者同士の人間関係に詳しく、非常に教えられる本である。山本さんは刑務所を「生活の場」とすることで、出所後、自分のやるべき方向を掴んだと言えそうだ。

山本  刑務所に入って、本当に驚きました。深く反省もさせられました。国会議員時代、偉そうに福祉の問題を論じてはいたんですが、実際は福祉の現実、いや、世の中の現実がまるで見えていなかったと気づいたんです。
私が入所したときは、あの悪名高い「監獄法」の時代で、一挙手一投足、それこそ目の動きまで監視されて、毎日怒鳴りつけられる。そんな生活をしていると、気持ちのうえでネガティブになる。「自分は悪い人間」という考えが染みついてしまうんです。出所後のことを考えると「もう社会に出ても自分に居場所はないだろう」という恐怖心すらわいてくる。非常に暗澹たる気分になっていましたね。
そうしたなかで、私に命じられたのは「寮内工場」と呼ばれるところでの刑務作業です。工場には身体・知的障害者のほかに認知症の高齢者や難病を患った受刑者などがいました。彼らの仕事というと、色のついたロウソクの欠片を色別に仕分けしたり、両端を結んであるビニール紐をほどいたりと、とても「生産労働」とは言えないもの。自分がどこにいるのかさえも理解できていない人がいましたから、仕方ないのですが。
服役中の私は、なぜ彼らがここにいるのか、どうして福祉は彼らに手を差し伸べなかったのか、それがずっと疑問でした。

 山本さんは寮内工場の「指導補助」として、同囚仲間の面倒を非常によくみた。排泄をまともにできない人の大便を素手で処理し、身体に障害のある人は、おんぶをして移動させる。累進処遇制度のもと、4級が3級になり、2級になりと、順調に昇級していった。そういう昇進が、自分の自信になることはなかったのか。自分は、かくも難しい環境で刑務所当局に累進処遇してもらった。シャバに出ても、この体験は生きるに違いないと思ったのではないだろうか。

山本  昇進よりも、あの寮内工場に配置されたことが、本当に僥幸だと思っています。得がたい体験と勉強をさせてもらいましたから。あそこに行かなければその後の人生、どうなっていたのか分かりません。

──山本さんが出所した後、「監獄法」が「受刑者処遇法」に改められた。新しい法律は、日本国憲法の理念に沿う形に改まった?

山本  まあ、私は評価しています。きっかけが、名古屋刑務所の刑務官の暴行によって受刑者2人の命が失われたことですから、当時の検察幹部、矯正局幹部は本気でしたよね。受刑者の視点も取り入れた改革を進めようとしていました。ですから前科者である私なんかを、全刑務所長が集まる会に講師として招いてくれたり、法務委員会の参考人として国会に出るよう、お膳立てをしてくれたりと。

──法律が変わってからは、刑務所内での信書の検閲や体罰はなくなった?

山本  まだ不完全なところはありますが、かなり改善されてきています。でも、依然問題なのは全てが所長判断というところです。だから「開かれた刑務所」もあるけど「閉鎖的な刑務所」もある。所長が交代すれば、閉鎖的だったところが受刑者の人権にすごく配慮した刑務所に変わったりする。所長次第というのはよくないと思うのですが、監獄法というカタカナ表記の文語体で書かれた法律がほんの10年ほど前まであったわけですから、それに比べれば新しい法律は前進であることに間違いありません。

大学時代には貧困国の子どもたちに学校を作る運動をしていた。写真はフィリピン。
大学時代には貧困国の子どもたちに学校を作る運動をしていた。写真はフィリピン。

 しかし、シャバで普通の暮らしをしていた人が、程度の差こそあれ人もなげに扱われる。入所の際には肛門の中まで調べられる。人権はないがしろで、名前ではなく番号で呼ばれ、私語は禁止。全ての行動が規制され、刑務官の言う通りに動かなければならない。誰にとっても耐えがたい生活を24時間、1年365日強いられる。幾ら何でも世界的に見て、日本は極端ではないだろうか。

山本  先ほどメンタル面でネガティブになるという話をしましたけど、厳しく管理すればするほど、更生するどころか社会性を失わせるだけなんです。再犯をしやすくしているだけ。原因は色々ありますが、突き詰めていくと「この国の為政者の考え方」でしょうね。人手不足とカツカツの予算で運営されている刑務所で「良し」とするなら、必然的に、がんじがらめの管理をするしかなくなります。でもそれは結局、「臭いものに蓋」で済ませているということ。

 山本さんは現在、寮内工場での経験を福祉に活かす活動をしているが、「法に活かす」やり方もある。所長の裁量が大きいのなら、それを改める。つまり出所後、山本さんが取り組む分野として、法律を改正するための活動もあったのではないかと。元政治家として、その方がふさわしかったかもしれない。

山本  確かにそういう活動もあったかもしれません。ただ、「刑務所の福祉施設化」がどんどん進んでいくなか、悠長に待ってはいられないんです。だから今の私は、長い時間をかけて行政を動かすよりも、刑務所内や福祉の現場で活動することを優先しています。

 福祉施設ではなかなかできないことを刑務所がこなしている、と聞いたことがある。服役者が指導補助として心身に障害を持つ服役者につくことで、刑務官にゆとりが生まれ、がんじがらめの規律に従わせるような処遇ではなくなっているそうだ。
山本さんのように優秀な受刑者がいることで、民間の福祉施設ではできないような丁寧な対応も刑務所内でできるのではないかとも考えられる。福祉施設では、それをやると費用も手間もかかるし、なり手もいない。だが刑務所では、刑務官が「おまえ、やれ」と言えば、手厚い介護もできてしまう。

山本  刑務所では、いや応なくやらされますが、もともと面倒を看る方も看られる方も受刑者仲間ですからね。ただ、だからと言ってハンディキャップのある人たちが、いつまでも刑務所に居続けていいわけはありません。刑務所での介護や介助は、あくまでも社会に戻ってもらうためのお手伝いなんです。

 でも問題は、彼らの出所後。残念ながら福祉施設は、どうしても、服役経験のある人たちを避けてしまう。
服役経験者を恐れる心理は分からないでもない。が、ヘタに福祉施設に入ると、介護者に面倒がられ、虐待される事件も起きている。

──現在、日本は高齢者の再犯率がものすごく高くなっているとか。

山本  再入所率が高くなっているということですね。1人の人間が何回も出たり入ったりしている。私は現在、初犯者が入る刑務所に関わっています。そこではそんなに高齢者は増えないのですが、累犯者が入る刑務所では高齢受刑者が急激に増えています。一度服役した人は刑務所を終の棲家にせざるを得なくなっていて、最終的には刑務所内で息を引き取り、棺桶に入ってようやくシャバに出る。

 ヤクザの場合は、究極のセーフティーネットとして、刑務所を捉えざるを得ない現実がある。ヤクザが新規に生活保護を受けるのは難しい。足を洗い、カタギの仕事につきたくても就職できない。月々給料を振り込んでもらうために預金口座を作ろうとしても、組を脱退して5年間は口座の開設ができないから、事実上就職できない。結局、衣食住が保障されるのは刑務所以外になく、万引きでも無銭飲食でも何でもして刑務所に入る。入ることで少なくとも自分1人の衣食住は何とかなる。奧さんや子どもの分についてはまた別個に考える、そういう人間が増えている。

山本さんの新刊 刑務所しか居場所がない人たち(大月書店 1,500円+税) エンディングノート(光文社 1,900円+税)
山本さんの新刊
刑務所しか居場所がない人たち(大月書店 1,500円+税)
エンディングノート(光文社 1,900円+税)

 山本 確かに……。でも、それよりも切実な問題を抱えた人たちが大勢います。障害のある受刑者や高齢受刑者は、そのほとんどが差別や虐待を受けた結果、受刑者となり果ててしまっている。是非ともその現実を多くの人に知っていただきたいと思うんです。小学生や中学生にも分かってもらいたい。そう願いながら書き進めたのが、新刊『刑務所しか居場所がない人たち』(大月書店)です。司法や福祉の関係者だけではなく、社会全体の意識が変わらなければ、この問題に対する解決の糸口は見つからないと考えたからです。

 この取材を都内でした後、山本さんは関西方面の刑務所に行くとかで、毎日忙しく過ごしているようだ。今、山本さんに自身の「商売」を尋ねたら、何屋さんと答えるだろうか。

山本  聞かれれば「作家」と答えていますが、まだまだです。初めて出した『獄窓記』やその後の『累犯障害者』(新潮社)は単行本と文庫本を合わせてけっこう売れました。でも、その印税のほとんどが活動資金に回っています。ですから、なんとか暮らしていける程度の作家ということです。まあそれでも、受刑者時代と比べれば、大変恵まれた立場ですけどね。

 山本さんには『続 獄窓記』(ポプラ社)、『累犯障害者』、『刑務所しか居場所がない人たち』(大月書店)などのノンフィクションの他に、『覚醒』や『螺旋階段』、『エンディングノート』(以上、光文社)などの小説もある。立派な著述業といっていいだろう。

──振り返って人生の転機になった刑務所について、改めて語るとすればどういうことになるのでしょうか。

山本  「人生の学校」ですね。国会4年、都議会8年弱、大学4年ですけど、刑務所での1年2ヵ月が一番学べたような気がします。逆に国会議員って、表面的なところしか見えなくなっちゃうんです。例えて言うなら、東京から新幹線に乗りパーッと地方に行って、車窓から風景を見ているだけなのに、それで沿線地域のことがすべて分かったような気になってしまう。ちやほやされ続けると、自己過信に陥りやすいんですね。かたや刑務所は、抑圧され、狭い空間に閉じ込められていますが、それゆえに人間の奥深いところまで見ることができる。「永田町で見えなかったことが、刑務所で見えてきた」ということでしょうか。

 山本さんの癖として、自分は長広舌を振るうところがあると『獄窓記』に書いている。長広舌は政治家としては悪いことじゃない。しかし、一般的に理屈の多い人だと思われることもある。お姉さんにも「あなたは格好つけすぎよ、改めなさい」と言われたとか。刑務所の中で、それが改まった形跡はあるのか。

山本  根底から考えを改めさせられたと言いたいところですが、今でも、「格好つけ」の性格が表に出そうになります。日々、自分を諌めていないとダメなんですね。この先どこに落とし穴が待っているか分からないし、また足元をすくわれるかもしれない。そう言い聞かせているつもりでも、すぐに忘れてしまう。
そうしたなかで、自分を諫めることにつながっているのは、出所者の人たちとの会話です。彼らと話すことによって、出所後の自分が第二の人生をスタートさせたときの「初心」を呼び戻してくれる。「ああ、あのときの自分だな」と重ね合わせ、その結果、今後も調子に乗らず、地道に、てらわずに生きていかなきゃなと、考えさせられるところがあります。

 山本さんは謙虚にそう語る。政治家としての復活願望は毛ほども感じられない。山本さんはもともと政治家というより、福祉の活動家だったのではないか。秘書給与流用問題でたまたま政治家を失脚したが、刑務所は代わりに、障害者や高齢者に関わる福祉の専門家を世に送り出してくれた。そして今や、ますます高齢化が進む時代に、福祉のキーパーソン的存在となった。山本さんの場合、「服役が幸いした」と断言してよさそうである。

受刑者の社会復帰支援に取り組み、民間が運営に関わる「PFI刑務所」のアドバイザーも務めるなど多忙な毎日を送る山本さん。移動の新幹線内で原稿を書くことも多いという。
受刑者の社会復帰支援に取り組み、民間が運営に関わる「PFI刑務所」のアドバイザーも務めるなど多忙な毎日を送る山本さん。移動の新幹線内で原稿を書くことも多いという。
撮影/細谷忠彦

やまもと・じょうじ
1962年に北海道で生まれ、九州で育つ。都議会議員を経て、96年の衆議院選挙で当選。2000年9月、秘書給与流用の詐欺容疑で逮捕され、懲役1年6ヵ月の実刑判決を受ける。出所後、東京都内の知的障害者の入所施設に勤めるかたわら、執筆活動を開始。03年、獄中生活を綴った『獄窓記』(ポプラ社)を出版。以後、ルポや小説など幅広い文筆活動を続ける。


みぞぐち・あつし
1942年、東京都生まれ。
『山口組三国志 織田絆誠という男』(講談社)、『闇経済の怪物たち』(光文社新書)ほか著書多数。
本連載をまとめた『人生の失敗 転んでもタダじゃ起きない』(七つ森書館)が好評発売中。

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