人生、笑ったもん勝ち。「浅草・女性芸人物語」

人生、笑ったもん勝ち。「浅草・女性芸人物語」

アハハと笑えば、人生楽しい。だけど、近頃は笑うのもなかなか難しい。流行のお笑いをテレビで見ても「面白さがよくわからない」と感じる読者は多いと思う。そんな人にとって、浅草の東洋館は希望の灯だ。「コント55号」や「トリオ・スカイライン」に手をたたいて笑った僕ら世代もここなら安心して笑える。東洋館に出演する芸人、なかでも女性芸人のたくましさには目を見張る。目じりのしわに刻まれた芸で身を立てる女の覚悟、人生模様を覗いてみた。
取材・文 小田豊二

~東洋館を楽しむ~

東洋館

東洋館は、都内唯一のいろもの(漫才、コント、曲芸など)寄席で、漫才協会、東京演芸協会、ボーイズバラエティ協会の3つの団体が中心となり、年中無休で公演を行なっています。毎日、午後12時開演。通常、チケットは当日販売のみで、大人2500円。最寄り駅はつくばエクスプレスの浅草駅。浅草の名所・浅草寺からも徒歩6分ほどです。詳しくは東洋館のホームページをご覧ください。

 いやあ、並んでる。並んでる。
何日も通ったが、いつも開場前は「老老男女」の人の列だ。
東京は浅草で多くの人たちが列をなして並んでいるのは、メロンパンの花月堂と天ぷらの大黒家、そして、ここ、「笑いの殿堂」東洋館。
浅草の東洋館といえば、名前こそ、明治時代の万博のパビリオンのようだが、その歴史たるや、驚くなかれ、本をただせば、あまたの逸材をこの世に送り出したあのストリップ劇場「フランス座」だ。
渥美清、関敬六、谷幹一の「スリーポケッツ」はここで生まれたし、作家の井上ひさしは、劇場の幕上げ下げ係兼座付き作家、そして、天下のビートたけしは、なんとこの「フランス座」のエレベーターボーイだったのである。その伝統を受け継いで、いまや漫才やバラエティの「カーネギーホール」と呼ばれているこの東洋館。大人気の「ナイツ」もここで修業し、出演している。
しかし同じ並ぶにしても、花月堂がカップル、大黒家が家族連れなのに比べて、この東洋館の列の平均年齢が高いこと高いこと。70代なら若い方だ。
「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」
そうなのだ、おじいさんとおばあさんは、昔はあるところにいたのだ。それがいまや、至るところにいる。
開演30分前、午前11時半にようやく開場。お年寄りが多いということは、会場もにぎやかだということ。
前のじいさんは、ガサガサとパンを取り出して「クリームパン、ジャムパン、食パン。このなかで『おーい』と声をかけたら、袋のなかでこっちを向くパンがいるけど、どれだ?」なんて隣のばあさんに言っている。「パンがこっちを向くわけがないだろ」「向くんだよ」「どのパンが向くんだ」「食パンだ」「なんでだよ」「食パンには耳があるからだ、ばーか」。
この人たちは、歌舞伎座には行かないだろうと思った。
でも、なぜ僕は今日、ここに来たのか? その理由は簡単だ。この東洋館に出演している女性芸人たちが実は、すごいパワーの持ち主だと聞いたからだ。何のパワーか。「生きるパワー」、「どんな苦労にも負けないパワー」、そして、「嫌なことがあってもそれを一気に吹き飛ばしてくれる笑いのパワー」を与えてくれる噂の女性芸人たちだという。だから、老老男女が朝から並ぶのだ。
これは行ってみなければ。老いたら、東洋館の女性芸人に従えだ。
噂は、はたして本当か!
いよいよ、開演。

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めおと楽団ジキジキ

音大声楽科卒の自慢はおでこ。

 女性芸人、早く、出て来ないかなあ。
出た! いや、お化けじゃない。この日の僕のお目当てのポリネシアの太陽、かおるこさん。姿を現した瞬間、浅草のステージが一気に南国になった。
「めおと楽団ジキジキ」の登場だ。
太陽はいきなり叫んだ。「みなさーん体操しますよ。両手を天井に向けて思い切り挙げて、はい!」、隣のきよしさんのギターの前奏が鳴り始める。
「私の歌に合わせて、こんなふうに揺らすのよ。いい? いきますよ。♪ワンツースリーフォー」
じじばばたちの両手が音楽と歌に合わせて天井に向かって伸びたり、右に左に大きく揺れる。大丈夫か七十肩。すごい、死ぬまでやり続ける勢いだ。
なんだ、この南の島の新興宗教は。それにしても、太陽の声が実にいい。ホント、素晴らしい音質と声量。
手元の資料を見て驚いた。彼女、武蔵野音大声楽科卒。モーツァルトの「魔笛」を歌う歌姫がなぜ、この東洋館に?
しかも、相方のご主人も侮れない。
サザンや竹内まりや、山下達郎らの仲間で、みんなの出世を一人だけで見送ったという悲運のロッカー。

 オペラ歌手の夢破れたかおるこさんとさすらいのギタリストきよしさんは、八丈島の星降る夜に出会い、結ばれた。まさに、きよしこの夜。
二人は音楽を諦め、「カレー屋」になろうと思い、修業に入った。
だが、きよしさんが突然の心筋梗塞。その時、二人は誓った。
「俺たちカレー屋のような食うためのライスワークはやめて、これからは好きな音楽をライフワークにしようよ」
彼ら夫婦には共通の致命的な弱点があった。それが「トイレの百ワット」、無駄に明るかった。それがコミックバンド誕生のきっかけだった。
幸い、応援する仲間もいた。1日いくらかでもギャラが入れば、全国どこへでも飛んで行こう。それでいい。お金は何とかなるさ。これだ、これ。
それからはや20年。念願の『笑点』にも出演し、いまや売れっ子バンドだ。
ピー、ヒャラララララー
ステージでは、ポリネシアの太陽かおるこさんのピアニカの「額(ひたい)」での演奏、通称「デコ弾き」が始まった。
ああ、『男はつらいよ』の前奏だ。かおるこさん、夢中になって、小さなピアニカの鍵盤を自分の大きなおでこに思い切りぶつけながら、弾いている。客はひっくり返って笑い、拍手喝采。唄い出す人もいる。
ここにも強い女の人生があった。

三味線で誘うお座敷の世界。

 おや? 続いて登場したのが、三味線抱えた江戸マチック二人娘。東京2020大会のマスコット人形にも使われた市松模様の着物姿。イチマツの不安。
「明るく楽しく元気よく、できる範囲で美しく! 東京ガールズです」
じじばばは納得がいったのか、どっと館内に笑いが。つかみはオッケー。
ちょっと頼りなさそうなお姐さんが柳家小糸さん、しっかり者の妹役が後輩の柳家小夏ちゃん。
「はい、これから私たちが弾いて歌うのは端唄、俗曲と申しまして、江戸から明治にかけて流行った流行歌です。端唄の端は中途半端の端、俗曲の俗は低俗の俗でございます」
と笑わせながら、三味の音色と粋な節回しでお座敷の世界へと客を誘う。いやあ、いいなあ。これが何とも癒される。きっと芸者さんの家にでも育ったのかと思いきや、この二人、実は約10年前までなんと普通の会社員だった。
東京は高円寺の小粋な飲み屋に通ううちに、店の小上がりで着流しの若旦那の弾く三味の音に魅せられたのが三味線を習うきっかけとなった。そして、その店の若旦那こそ、知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない「天才三味線弾き」柳家紫文師匠。
いや、マジでこの師匠の芸はすごい。

東京ガールズ

 重要無形文化財ならぬ余計文化財。
そんな人が気が向けば爪弾く居酒屋の三味の音に惹かれ、堅い企業にお勤めの会社員たちが夜な夜な人目を忍んで、店に通うのもわからないでもない。
そのうち、常連の女性たちの「夜の部活」としてはじまったのが、鉦(かね)や太鼓も交えた素人たちの「お囃子社中、東京ガールズ」だったのである。
それが話題となったのはいいけれど、「部員」たちは演芸を仕事にするわけにはいかない。そんななかプロになる勇気ある決断をし、第二の人生をスタートさせたのがこの二人だったのだ。
舞台は長唄『勧進帳』の早弾きのいいところ。三味線は普通、座って弾くが、立ってやるから大変だ。バチが激しく糸を叩く。いやあ、うまいなんてもんじゃない。言っておくが僕も長唄三味線も弾くし、歌舞伎の評論もするから、これはお世辞じゃない。
♪チリドツツルツル、チリドツツルツル、チリドツチリドツ……。佳境に入ると客席から一斉に拍手が起こり、鳴りやまない。いやあ、素晴らしい。
「はい、ありがとうございましたァ」
元会社員でもここまでできるのだ。かなり勇気をもらった。女性はたくましい。こうと決めたら、趣味を仕事にしてしまうのだから。
それに比べて……。

三段腹で踊って踊って化ける。

 それから3日後、僕がお年寄りを掻き分け掻き分け、館内に入った時、突然、舞台で爆弾が破裂した。
いやあ、驚いた。大迫力の女性コンビが舞台の袖から飛び出してきたのだ。
「仕事くれない、お金くれない、お嫁にもらってくれない、くれないぐみでーす!」
東京のいいとこの奥様風の紅じゅんこさんと「飴ちゃん、あげるで」と言いそうな大阪のおばちゃん風の紅ちかこさんのコンビ「くれないぐみ」だ。
なかでも、このちかこさんのパワーたるや半端じゃない。出っ張ったお腹をもろに出し、ステージ上を走り回って踊る肉弾ダンスには、ブッ飛んだ。
フラダンス、フラメンコ、阿波踊り、山本リンダ、またフラダンス、阿波踊り、時々入るじゅんこさんの「お化け屋敷!」というかけ声で、ちかこさん「おもてがそばやで、うらめしや!」と幽霊の真似の一瞬芸。じゅんこさん、息もつかせず「はい、フランダンス!阿波踊り! お化け屋敷! 山本リンダ!」と太ったちかこさんに休む暇を与えない。
ちかこさんの三段腹が台風の南シナ海のように激しく波打っている。それでも「お化け屋敷!」に合わせ、ちかこさん「おもてがそばやで、うらめしや」。

くれないぐみ

 これには、会場のじじばばも大声出して笑ってる。入れ歯が飛びそう。いやあ、よほどの芸でなければ苦虫を噛み潰してメモを取っている僕も、このコンビには抱腹絶倒だった。
そのうちなんと傘の芸。演芸サスペンス「和傘クリスティ」。分からないか。
調べたところ、奥様風のじゅんこさんは元名門劇団の舞台女優。大阪のおばちゃん風のちかこさんは、銀行員だったが、研ナオコさんに憧れて、研さんの付人を経て、一時は、人気番組『オレたちひょうきん族』に「がってん娘」として出演。その後、じゅんこさんと出会い、以後、調教され、猛獣を演じているというわけだ。
もちろん、売れない頃は、どこでも体を張った。男ばかりの刑務所にも行って「久しぶりに見る女が、こんなんですみません」と言いながら、踊りまくった。
いやあ、ほんと、嫌なことがあったら、この「くれないぐみ」をぜひ見るべし。「ようし、明日から頑張ろう!」という根拠なきエネルギーをもらえるのはまちがいない。
こんな話がある。
どんなに馬鹿を演じても応援し続けてくれていた母親が亡くなった日も、ちかこさん、いつものようにお腹を出して踊りまくった。じゅんこさんが見ると、コシノジュンコさんに似た、ちかこさんの瞳にはいっぱい涙が溢れていた……。
ああ、「ええ話」やないの。

夫婦漫才を支える妻の覚悟。

 それからまた2日後。
東洋館の舞台に現れたのは、夫婦漫才の大御所新山ひでや・やすこ夫妻だ。
早速、二人の息の合ったステージがはじまった。
「はい、この人が僕のコイ女房です」
「いやだ、あなた、私、恥ずかしいじゃないの。皆さんの前で何を言うのよ」
「はい、化粧のコイ女房です」
ガハハハ。斜め前の席のじいさんがやすこさんを指さして、大笑い。こら、人を指さすんじゃない!
いいか、じいさん、よく聞けよ。
「新山ひでや・やすこ」の夫婦漫才の笑いの陰にある感動的な「物語」を聞くと、思わず泣くぜ。
話は今から50年前に戻る。
栃木県足利のある工場に、茨城県の山奥から少女が集団就職でやってきた。 寮生活の心細い毎日。そんななか、いつも彼女に声をかけてくれる近所の女性がいた。その女性は休みの日に、故郷を離れて働く少女を家に呼び、母親代わりになり、手料理をごちそうしてくれた。その家は、母一人子一人。今でいうシングルマザーだった。
やがて、その一人息子も少女と同じ工場の工員だということがわかった。
それからしばらくして、その女性が病気になった。少女は毎日仕事を終えると病院に通った。しかし、薬石功なく、その女性は亡くなった。まだ42歳の若さであった。その女性は最期の時、少女の手を握りしめ、こう言った。
「どうか、あの子をお願いします」
両親に死別された息子21歳、たまたま知り合った少女18歳の時だった。
葬式が二人だけの結婚式になった。
息子は子どもの頃からお笑いの世界に憧れていたから、工場を辞め、上京し、浅草で「独身を装って」修業をはじめる。その間、糟糠の若妻は、一生懸命ミシンを踏んで、生活を支え、子どもを育てた。それが10年続いた。
「あの子をお願いします」と言われたお母さんの言葉を守り続けたのだ。

新山ひでや・やすこ

 もうお分かりだろう。この一人息子が新山ひでや師匠、そしてその妻がやすこ師匠だ。こんな話がここ東洋館には、ザラにあるから、たまらない。ひでやさん、10年の修業ののち、「新山えつや・東ひでや」としてNHKの漫才コンクールで最優秀賞を受賞し、妻子を東京に。だが、思わぬ事態が……。
絶頂の時、相方が脳血栓で倒れ、身体が不自由になった。舞台には立てない。毎日、やることがない彼は家から金を持ち出すと、競輪競艇競馬、便所の火事、いや、やけくそ。
お金の苦労には慣れているやすこさんも、相方と仕事を失った夫の心が異様に荒れ狂っているのを見かね、ある晩、精一杯の勇気を奮ってこう言った。
「ねえ、私に漫才はできない?」
「できっこねえだろ、お前なんかに!」と怒鳴られるのも覚悟の上だった。だが、意外にも答えは「できるかもな」。
そこから、「普通の奥さん」の漫才修業がはじまった。それまでの台本をひでやさんが夫婦漫才に書き直し、毎晩、家で稽古、稽古。しかし、何度やってもうまくいかない。だが、やすこさんは夫が舞台に立ってくれるためだったらと、泣きながら必死で稽古した。
こうして1994年、「新山ひでや・かあちゃん」というコンビが誕生した。
それから24年。この夫婦漫才は続いている。まさに、火事場の馬鹿力。
「じゃあ、夫婦川柳やりましょうか」
「うん、いいね」
「『ねえ、あなた』っていうの、どう?」
「いいよ、作ってみて」
「学歴も金も名誉もねえあなた」
やすこ師匠の反撃に館内は拍手喝采。
「私、この人のお母さんに頼まれたことを必死で守っているだけです」
楽屋を訪れた僕に、やすこ師匠は、そう言って、微笑んだ。美しい。
家に戻って、ふと自分も夫婦漫才ができるかなと思い、突然、かみさんを意外な名前で呼んでみた。
「ねえ、キャサリン」
「なあに、ウイリアム」
なんだ、この絶妙の返しは。いける! 玄関で続けた。「行ってくるね、キャサリン」。返事はこうだった。
「まだやってるの? あんた馬鹿じゃないの」いいもん。馬鹿だもーん。

撮影/吉崎貴幸 取材協力/片山幸子

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