「戦争を防ぐためにはまず真実を知ること。若い人たちが、戦争を「追体験」できる資料を残さねばなりません」早乙女勝元さん(作家、東京大空襲・戦災資料センター館長)

「戦争を防ぐためにはまず真実を知ること。若い人たちが、戦争を「追体験」できる資料を残さねばなりません」早乙女勝元さん(作家、東京大空襲・戦災資料センター館長)

社会には、「忘れさせていくシステム」が多々ある。そこに、内なる「忘れたい」思いが重なると…。戦争への思考も感受性も停止する。東京大空襲のご体験から様々な活動に取り組んでおられる早乙女勝元さんに。「忘れてはならない」お話を!

落合恵子

「深呼吸」ができない、あまりに異常な政治状況。

落合 初めてお目にかかったのは、読売新聞の人生相談コーナー「人生案内」の回答者をしていたときでしたね。早乙女さんが1984年から97年までで、私も84年にスタート。時期が重なっていて、年に1回の回答者の懇親会でご一緒させていただきました。

早乙女 落合さんの回答、いつも読んでは感心していました。でも、今考えれば、僕みたいな人間をあの読売新聞がよく回答者に採用したなと思います。

落合 まだ、いろいろな意味で緩やかな時代だったのかもしれません。最近は朝起きた瞬間、この対談のタイトルではないですが、「深呼吸」ができなくなってきました。どうして毎日こんなに息苦しいのだろう、と思います。

早乙女 何しろ、気象状況も政治状況もあまりに異常ですからね。

つづきを読む

軍事力を拡大するよりも、攻められない国になることが一番の国防政策です。

軍事力を拡大するよりも、攻められない国になることが一番の国防政策です。

落合 想像していた以上に早く、とんでもない時代が来てしまったという気がします。第2次安倍政権になってから特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、安全保障法制、共謀罪など、たくさんの反対の声を無視して進められてきました。その一方で、一時期みんながあれほど怒っていた森友・加計問題は、納得のいく説明がなされないまま忘れ去られようとしています。

早乙女 それについては、メディアの責任が大きいと思います。

落合 アメフトやボクシングの不祥事はあれだけの時間を割いて放送するのに、国の中枢で起こっているもっと大がかりな隠蔽や不祥事は、なかなかテレビで報じられない。メディアの幹部も安倍首相と会食をするのは別にいいですけど、本当のことを報道してください、と言いたくなります。

早乙女 安倍首相は、秋の臨時国会に自民党の改憲案を出したいと言っています。来年になると、新天皇の即位や参議院選挙もあってなかなか身動きが取れないので、私たちが思っていたよりずっと早く改憲への動きが加速していくのではないでしょうか。

落合 「平成の間にやってしまう」というフレーズも、いろんなところで使われていますしね。

早乙女 改憲で安倍首相が狙っているのは、自衛隊の明文化です。九条の一項、二項はそのままにして、新たに「九条の2」を設けて自衛隊の存在を明記するというもの。一項、二項が残っているのだから自衛隊を明記しても現状と大して変わりはないと言うんですね。

落合 安倍首相は「憲法学者の7割以上が自衛隊を違憲と考えている。違憲かもしれないけど『何かあれば命を張ってくれ』というのは無責任だ」と言います。災害救助などで頑張っている自衛隊の皆さんを憲法で認めるだけで、それ以外は何も変わらないんだ、と。

早乙女 でも、法律というのは遺言状と同じで後から挿入された部分のほうが優先的に効力を持ちます。だから、安倍首相の言うような改憲案が成立してしまうと、現行九条の「戦力不保持」も「交戦権の否認」も死文化して、否定されてしまうことになる。とても危険です。

落合 第2次安倍内閣が発足して以降防衛費は右肩上がりに増えて、18年度は5兆1911億円で過去最高。「戦争のできる国」づくりが進んでいます。

早乙女 ミサイル迎撃システムの「イージス・アショア」も、総額6000 億円以上をかけて導入される予定です。でも、軍事力というのは相手方よりも優位に立たないと意味がないので、どれだけ拡大しても際限がありません。行き着く先は核武装ですが、核を持ったところで、かつての冷戦時代の米ソのように軍拡競争が続くだけです。
そんなことをするよりは、世界のどこにも敵をつくらない「攻められない国」になることのほうが、よほど強力な「国防政策」になるのではないでしょうか。今、異常気象による自然災害が続いていて、陸上自衛隊が日本各地で救援活動を行なっています。13万8000人いる陸自の半分くらいを「災害救助隊」にすればいいというのが私の持論なんです。

落合 その災害救助隊が日本国内だけでなく世界で支援活動をする。そうなれば、どれだけ世界中の人たちから感謝されるでしょうか。それこそが「攻められない国」という国防政策ですね。18年度の一般会計ODA(政府開発援助)予算は5538億円と防衛費の約10分の1。ここを増やすだけでも相当違います。

戦争の被害と加害を、若い世代にどう伝えるか。

落合 しかし、こんな状況でも政治に対して「おかしい」と声をあげているのは少数です。安倍政権は一定の支持率を保ち続けていて、特に若い世代の支持率が高い。森友・加計問題で国会が揺れていた今年6月に日本経済新聞が行なった世論調査では、政権支持率は70代以上55%、60代44%に対して、18〜29歳63%、30代56%と、やはり若い世代で高い結果となっています。

早乙女 このまま「戦争のできる国」へと突き進んでいくと、一番の犠牲になるのは若い世代なのですけどね。

落合 まずは、小さいお子さんのいる親の世代や、お孫さんのいる祖父母の世代にこのまま黙っていたらまた戦争の時代になるかもしれない、という危機感を共有していただきたいと思うのです。が、私たちの言葉の選択にも問題があるのかもしれませんが、なかなか伝わらないのが現状です。早乙女さんは「東京大空襲・戦災資料センター」(以下「センター」と表記)を2002年に立ち上げて館長を務められていますが、過去の戦争を若い世代に伝えていくことに何か変化を感じられますか。

早乙女 まず、センターへの来館者が年々減っています。最盛期は年間2万人近くの方が訪れていましたが、今は1万人ちょっと。広島や長崎の原爆資料館の来館者はそんなに減っていませんが、沖縄のひめゆり平和祈念資料館は99年度に100万人の来館者があったのに、2017年度は55万人に減りました。他の戦争に関する施設も似たような状況ではないでしょうか。
人数だけではなく、たとえば10年前なら来館する小中学生はみんな親から話を聞いたり、学校で教わったりして、戦争や空襲についてある程度知識を持ったうえで来てくれていました。それが、今はまったくの白紙の状態で来る人がほとんど。どう受け入れればいいのか悩むことがあります。

戦争の惨禍を伝えてきた
「東京大空襲・戦災資料センター」

東京大空襲・戦災資料センター

1945年3月10日の東京大空襲をはじめとする東京の空襲被害を伝えることを目的にした民立民営の資料センター。3月10日の空襲でもっとも被害の大きかった場所の一つである、江東区北砂に2002年に建設された。設立のための募金には、4000人以上が協力。被災品や被災地図、体験者の証言映像などの展示の他、体験者の話を聞く機会も提供している。

住所:東京都江東区北砂1丁目5-4
TEL:03-5857-5631
開館日時:水曜日〜日曜日 午後12時〜4時
ホームページ:http://www.tokyo-sensai.net

落合 親や教師もすでに戦争を知らない世代ですし、興味や関心の薄れはあるのかもしれません。

早乙女 そういえば以前、ある大学に講演に呼ばれて行ったら、『東京大空襲と私』という題字が『東京大空龍と私』になっていて(笑)、怒るよりも気が抜けたことがありますよ。
私たちのセンターではずっと「知っているなら伝えよう、知らないなら学ぼう」と言い続けてきたのですが、その「知っている人」は今や少数派です。元軍人や軍属だった人たちの多くはすでにこの世を去り、戦争体験者も高齢化している。私たちは戦争体験を語り継ぐうえで、これまでにない大きな課題に直面しています。そうしたなかで、どうやって伝えていけばいいのか、もどかしい思いがあります。

落合 子どもの本の専門店「クレヨンハウス」を始めて42年経ちますが、戦争の記憶を子どもたちに伝えたいお母さんやお父さん、祖父母の世代の方々が「そのための絵本を並べてください、そうでないとどう伝えていいのか分からないんです」とおっしゃる。その方たちは「伝えなくては」という使命感がおありになるわけですが、そうしたこと自体を考えない人もかなりの割合を占めていると思います。
被害体験と同時に、日本の「加害」も伝えていく必要があると思いますが、これについては語る人も少なく、聞く側も耳を塞ぎたいという思いがあるから、なおさら複雑で難しいですね。

早乙女 被害は戦争の結果でして、原因まで遡って学ぶことで、戦争の本質が分かります。以前、センターに来館してくれた中学生からこんな質問を受けたことがあります。「東京大空襲の体験を語り継ぐことで、戦争を防ぐことができるんですか」と。私も一瞬首をかしげてしまいました。たしかに「伝える」だけで戦争を防ぐことは、物理的には無理かもしれない。それでも多くの人が「真実を知る」こと、正しい情報を選択するための知性、理性を身に付けることは、戦争を食い止める一歩にはなるはず。その一歩の積み重ねが、戦争をできない明日をつくっていくんだと思うのです。

落合 そのために、センターが果たした役割、これからも果たすであろう役割は大きいと思います。

早乙女 今、戦争体験のない人にも分かりやすい、戦災を「追体験」してもらえる展示を目指して討議を重ねています。活字だけでなく視覚的な語り継ぎも重要だと思うので、映像やコミックなど、いろいろな形の資料を残しておかなくては、と思っています。

落合 「伝える」ために、できる限りのことをやらなくてはなりませんね。若者の活字離れを憂うよりも、もしそうであるなら、活字以外の方法で伝えることも考えなくてはいけません。
ただ、一昨年には原爆投下前の広島を描いたアニメ映画『この世界の片隅に』が大ヒットしましたが、それが「戦争は嫌だ」という厭戦、そして反戦の実感になかなかつながっていっていないようにも思えます。今、若い世代はとても忙しいし、経済的にもなかなか大変です。高齢者の年金生活も以前よりずっと厳しいし、中間層は中間層でまた大変。そういう中で立ち止まって何かに耳を傾ける、考えるということ自体が難しくなっているのかもしれません。疲れてくると、面倒くさいこと、難しいことは考えたくなくなりますから。

早乙女 生活の中にゆとりがないんですよね。映画を1本見ても、日常生活に疲弊していれば、何かを突き詰めて考えようとは思わない。

日本の災害救助隊が国内だけでなく、国外でも支援活動をすれば、世界中の人たちから感謝され、攻められない国になれますね

日本の災害救助隊が国内だけでなく、国外でも支援活動をすれば、世界中の人たちから感謝され、攻められない国になれますね

落合 そして、その「ゆとりがない」という現実も、この国を「戦争のできる国」にしたい人たちのやり方とうまくリンクしているのではないか、と。みんなを疲れさせて考える余裕を奪い、機会を奪い、忘れさせていく。そしてその間に、気が付いたときには驚くほど状況が深刻化している、という。
ただ、私はよく冗談で「ねずみ講みたいなもの」と言うんですが、1人が5人に話し、その5人がさらに5人に話し、その5人がそれぞれまた5人に話して……とやっていけば、それだけでもいつかは広がっていくと楽観的な日は考えてます。そう信じなければ、市民運動はやっていられませんので(笑)。

早乙女 一歩ずつの歩みはささやかかもしれないけど、諦めてはいけませんよね。私には3人の孫がいて、一番下はまだ小学生なんですが、寝顔を見ていると、かわいくってね。私たち大人とこの社会を、百%信じ切っている顔だなあと思うんです。「戦争のできる国がいいよ」なんていう子が、1人だっていますか。

落合 それだけ全面的な信頼を寄せられているのですから、大人はその信頼に応えなくてはなりません。今は、残念ながら応えられていませんが。

「軍国少年」ではなかった子ども時代と、東京大空襲。

落合 早乙女さんの子ども時代のこともお聞かせください。戦中のお生まれですが、どんなお子さんでしたか。

早乙女 生まれたときから病気がちで、虚弱体質だったんですよ。そうしたこともあって、内向的で、自分を傷つけるかもしれない暴力的なものを本能的に嫌うようなところがありました。周囲の男の子はみんな「軍人になりたい」と口を揃える軍国少年でしたが、私はそうした雰囲気にはまったくなじめず、学校から逃げだすことばかりを考えていた。「国策からは落ちこぼれたダメな子ども」だったと思います。
太平洋戦争が始まったときは国民学校4年生でしたが、かすかに記憶があります。朝、「米英と戦闘状態に入れり」という臨時ニュースが入ったのですが、住んでいたのが東京の下町で人家が密集していたので、あちこちから「やった! やった!」という声が聞こえてきました。日中戦争が長く続いて多くの人がうんざりしていた時期だったから、「これで日本は世界へ羽ばたいていける」とでも思ったのでしょうか。私が見たところでは、周囲の大人たちはほとんど「戦争歓迎」でした。

落合 きょう持ってきていただいた鉢巻きについても聞かせてください。「神風」と書かれていますね(下写真)。

早乙女 私が国民学校高等科1年生のときに締めていたものです。
日本は神の国だから、万が一敵の大編隊が攻めてきたとしても、神風が吹いて相手を壊滅してくれる。おまえたちは早く神風の一員になれ、という訓示です。要は、神風特攻隊員になって死ねということ。当時はそうした教育が、徹底して行なわれていたのです。

今から74年前、勤労動員で隅田川沿いの工場に派遣された12歳の早乙女さんは、出勤時にこの鉢巻をしめていた。

今から74年前、勤労動員で隅田川沿いの工場に派遣された12歳の早乙女さんは、出勤時にこの鉢巻をしめていた。

落合 そして、1945年3月10日の東京大空襲を迎える。早乙女さんの活動の大もとにあるご経験です。

早乙女 東京大空襲は、本当に未曾有の人命被害だったんです。たった2時間ちょっとの空襲なのに、死者は10万人。そんな短時間でこれほど多くの人命が失われた場所は、世界でも他になかなかありません。沖縄戦、そして広島・長崎と続く、市民大量殺戮の始まりが東京大空襲でした。

落合 早乙女さんは70年に「東京空襲を記録する会」を立ち上げられ、多くの体験者の話を記録に残す活動を続けてこられました。特に印象に残っているお話にはどんなものがございますか。

早乙女 たとえば、あるお母さんの体験です。赤ちゃんを背負って空襲の中を走って逃げている途中、背中の赤ん坊がギャーッと、聞いたことのない異様な声で泣いた。慌てておぶいひもをほどいて下ろして見てみたら、泣いている赤ん坊の口の中が真っ赤っ赤。血じゃありません。火の粉が泣いている赤ちゃんののどを塞いでいたんです。それで、まだチリチリ燃えている火の粉を指でえぐり出しながら逃げたと。まさに火の粉の激流だったのでしょう。私たちの想像力も及ばない現実です。

落合 今年2月に出版された『赤ちゃんと母の火の夜』(新日本出版社)も、実際の母子のお話ですね。

早乙女 そうです。東京大空襲が始まる1時間前に出産した女性と生まれた赤ちゃんを、医師や看護師が担架に乗せて逃げ回り、守り切ったという話。その一方で、赤ちゃんの兄姉にあたる12人の子どもたちは、空襲で命を落としてしまうのですが……。

落合 拝読して胸が詰まったのが、医師たちが担架を押しながら両国の駅のほうに逃げていくと、周りの人が道を空けてくれたり、母子の世話をしてくれたりしたという場面です。人間は愚かなことをするけれども、信頼するに足るものも持っていることを証明してくれた気がしました。

早乙女 僕にとっても、話を聞いていてほっと一息つける部分でした。一方で、生きるか死ぬかの紙一重の状況では、なかなか赤ちゃんのことを気遣う余裕は持てないのが現実だろうな、とも思うのですが……。

落合 それを現実にやった方がいたわけですね。人には「我先に」と逃げ出してしまうような面も、そうして他人を気遣えるような面もどちらもあって、早乙女さんは体験の聞き取りをしながら、その両方を見てこられたのではないかと思います。

早乙女 「記録する会」では、本当にたくさんの方たちの経験をお聞きしてきましたが、その中で考えるようになったのが「聞いた側の責任」ということです。というのは、多くの場合、体験者は他人に空襲の話をしたことがない。私にだけ、初めて話したとおっしゃる方がたくさんいたんですね。

落合 あまりにつらい体験で、言葉にするのも難しかったのでしょう。

早乙女 そうなんです。つらすぎて誰にも話せずに来た、その扉を無理矢理こじ開けた私の責任は決して軽くはないように思うのです。これだけの話を聞かせてもらって、それを聞きっぱなしにしておいていいのか、ということですね。話を聞かせてもらうごとに、「この記録を後世に残さなくては」という思いが深まっていきました。

東京大空襲体験者の声を収録した『東京大空襲・戦災誌』は3年がかりの作業を経て1973〜4年に刊行された。

東京大空襲体験者の声を収録した『東京大空襲・戦災誌』は3年がかりの作業を経て1973〜4年に刊行された。

落合 以前に早乙女さんの講演でお聞きしたお話が強く印象に残っています。空襲で、赤ちゃんに覆い被さるようにして亡くなっていた母親がいた。彼女の背中はひどく焼けただれていて、無意識だったのかどうか、お乳を赤ちゃんに飲ませるような格好で、身体の下に赤ちゃんをかばって死んでいた……。そういったお話でした。同じことを繰り返さないために、今私たちがやらなければならないことは何か、と考えたのを鮮烈に覚えています。
東京大空襲に関しては、そうして被害の記録を残す活動のほか、被害者が原告となって、国に謝罪と損害賠償を求めた「東京大空襲訴訟」の支援も続けてこられました。

早乙女 地方裁判所での訴えから最高裁判所まで、7年間裁判を続けました。しかし、最終的には「戦争の損害は国民が等しく我慢すべきもの」とする「受忍論」で門前払い。補償は実現せず、司法での救済の道は閉ざされました。
その後は、東京大空襲の被害者への給付金を出すための立法を求める運動を続けています。現状の素案では、対象は空襲で障害などを負った人に限られ、給付金額も1人50万円と低額ではあるのですが、それでも訴訟の弁護団が頑張って、今年の通常国会に法案が提出される見込みになっていました。ところが、結局はうまくいかず……。その同じ国会で、会期を延長してまで成立させたのがカジノ法です。この国は今、表向きは民主主義かもしれないけれど、実際には「民」が不在の、民主主義とはほど遠い状況だと思います。

20代から毎日晩酌。今は焼酎をぐい飲み1杯程度。

落合 早乙女勝元という存在の一番の理解者であったお連れ合いが亡くなられて、10年経ったとお聞きしました。早乙女さんの秘書のようなお仕事もされていたとか。

早乙女 取材旅行にも同行して、インタビューの書記をやってくれました。私はテープレコーダーを使わないので、妻が私の横にいて、小さなノートに手書きで記録してくれたんです。彼女は7歳年下でしたから、当然私のほうが先に逝くものだと思っていたんですが、人生には番狂わせがあるんですね。

落合 その素敵な方と、どこで知り合われたのですか。

早乙女 僕が雑誌に連載小説を書いていたときに、それを読んでくれていたんです。彼女は音楽学校に通っていてアコーディオンのうまい人だったので、集会などで会ったときに歌を教えてくれたりもしました。楽しい人でしたね。

落合 写真を拝見しても、とても明るくてはつらつとされていて、戦後の民主主義をそのまま体現したような笑顔でいらっしゃいました。今はお一人で暮していらっしゃるそうですが、20代から1日も欠かさないという晩酌は?

早乙女 続けています(笑)。といっても、今は1日に焼酎をぐい飲み1杯程度ですけど。 

落合 まだまだ、早乙女さんに伝えていただきたいことはたくさんあります。お元気でいていただかないと。

早乙女 日本の現状を見ていると、絶望したくなるようなことばかりのように思えますが、世界に目を向ければ、必ずしもそうとばかりも言えません。たとえば、北朝鮮とアメリカの両首脳が会談するなんて、1年前なら考えられなかったじゃないですか。

落合 誰も想像できませんでした。

早乙女 それから、昨年7月に核兵器禁止条約が国連で採択されたでしょう。

落合 日本は参加しませんでしたが。

早乙女 でも、122ヵ国が賛成しました。そういうふうに希望の持てるニュースを見つめながら、自分自身を励ましていく以外にないと思うんです。諦めないことが大事ですよね。
「巨悪に対抗する」というような大きな勇気は私にはないけれど、小さな、ささやかな勇気を積み重ねることで、大きな勇気が必要になる深刻な事態を防ぐことはできると思うんです。たとえかすれ声であっても、「これは違うぞ、おかしいぞ」という一言を惜しんではならないと思います。

落合 私たちにはまだまだやれることはあると思います。諦めたら、今が次なる「戦前」になってしまいますから。

早乙女 まだまだだな、と思うのは、聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明先生が、昨年7月に105歳でお亡くなりになったでしょう。センターにも来館していただいたことがあるんですが、日野原先生のことを思えば、今私は80代半ばなので、まだあと20年あるな、と(笑)。次の世代に「平和のバトン」を渡していくために、何とかふんばりたいと思っています。

落合 そうですね。凝縮された20年をぜひお過ごしください。

構成・仲藤里美 撮影・細谷忠彦

 「元軍人・軍属の多くは亡くなり、戦争体験者も高齢化。語り継ぐ上で大きな課題に直面しています」 早乙女「戦争を防ぐためにはまず真実を知ること。若い人たちが、戦争を「追体験」できる資料を残さねばなりません。」落合

「元軍人・軍属の多くは亡くなり、戦争体験者も高齢化。語り継ぐ上で大きな課題に直面しています」 早乙女「戦争を防ぐためにはまず真実を知ること。若い人たちが、戦争を「追体験」できる資料を残さねばなりません。」落合

さおとめ・かつもと 1932年、東京生まれ。作家、東京大空襲・戦災資料センター館長。12歳のときに東京大空襲に遭遇した経験から、1970年に「東京空襲を記録する会」を立ち上げ、空襲体験者の声を記録する活動を続ける。著書には映画・ドラマ化されたものも多数。近著に『その声を力に』(新日本出版社)など。

おちあい・けいこ 1945年、栃木県生まれ。作家。21年ぶりの小説『泣きかたをわすれていた』(河出書房新社)を2019年4月に刊行。

● 落合さんが選ぶ 「早乙女さんの本5冊」

この5冊は、早乙女さんの活動の歴史でもあり、日本が戦争にどう関わったかの歴史でもあります(落合恵子)。

この5冊は、早乙女さんの活動の歴史でもあり、日本が戦争にどう関わったかの歴史でもあります(落合恵子)。

『炎のなかのリンゴの歌─東京大空襲・隅田川レクイエム』1988年 小学館

『炎のなかのリンゴの歌─東京大空襲・隅田川レクイエム』 1988年 小学館

『リンゴの唄』で知られる歌手・並木路子さんは、東京大空襲のとき、炎に追われて母と隅田川に飛び込んだ。隅田川で家族を亡くした女性たち4人の体験記。

絵本『東京大空襲』1978年 理論社

絵本『東京大空襲』 1978年 理論社

1945年3月10日、米軍のB29の大編隊が東京を空襲した。炎の夜の恐怖を、ようやく生きのびた作家と画家が描いたドキュメント。絵・おのざわ・さんいち。

『優しさと強さとアウシュビッツのコルベ神父』1989年 小学館

『優しさと強さとアウシュビッツのコルベ神父』 1989年 小学館

アウシュビッツ強制収容所で他の囚人の身代わりとなって死んだ神父の物語。「優しさと強さは決して別のものではないというメッセージが伝わってきます」(落合さん)。

『ベトナムのダーちゃん』1974年 童心社

『ベトナムのダーちゃん』 1974年 童心社

ベトナム戦争で家族を失った少女「ダーちゃん」が主人公の絵本。大きな反響を呼び、続編も何冊も刊行された。絵・遠藤てるよ。

『パパ ママ バイバイ』2001年 日本図書センター

『パパ ママ バイバイ』 2001年 日本図書センター

1977年に横浜で起きた米軍機墜落事故を描く児童書。「米軍基地がある限り、いつでもどこでも起こり得る事件です」(早乙女さん)。詩・門倉詇、絵・鈴木たくま。

● 早乙女さんの新刊

『その声を力に』新日本出版社 本体1600円+税

『その声を力に』 新日本出版社 本体1600円+税

『赤ちゃんと母の火の夜』絵/タミ ヒロコ 新日本出版社 本体1400円+税

『赤ちゃんと母の火の夜』絵/タミ ヒロコ 新日本出版社 本体1400円+税

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