「たくさん失敗をしてるけど、親父や嫁やスタッフなど人に恵まれたという点ではラッキーやったと思います」亀田興毅さん

「たくさん失敗をしてるけど、親父や嫁やスタッフなど人に恵まれたという点ではラッキーやったと思います」亀田興毅さん

現在、日本のボクサーで世界チャンピオンは5人いるが、その名前を全てあげられる人は少ないだろう。今回のゲスト、亀田興毅さん(31歳)の現役時代の知名度はずば抜けていた。ボクシングファンでなくてもその名前と顔ぐらいは知り、人それぞれ特定のイメージを持っているはずだ。現役時代は良くも悪くもメディアに取り上げられた亀田さんの「人生の失敗」に迫った。

取材・文 溝口敦(ジャーナリスト)

 亀田さんの現役時代の戦績は35戦33勝(18KO)2敗で、日本人として初めて3階級制覇を成し遂げた。その戦績は立派なものだが、一方で批判も多い。曰く「世界の強豪と戦ったことがない」「ビッグマウス」「パンチ力がなく、決め手を持たない」など。キャリアの割にこうした酷評を背負った亀田さんにとって「人生の失敗」とは何か。亀田さんのトレーナーを務めた父親史郎さん直伝の「喧嘩腰」の折衝術がうまくいかなかったのではないか。
そうでなくても日本ボクシング連盟の山根明会長が「奈良判定」(奈良県連盟名誉会長だった山根氏が国体で同県出身選手に有利な判定をするよう促したとされる疑惑)で辞任したことに象徴されるように、プロ、アマを問わず不透明、不明朗なガスがモヤモヤするボクシング界なのだから。
亀田さんは立て板に水でこう言う。

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亀田  失敗っていっぱいありますよ。あの時こうしとけばよかったって、けっこう思いますから。ポンサクレックというタイの選手に負けたんですけど(2010年3月)、あの時も、減量の仕方や練習方法、それから練習に取り組む姿勢とか、全てにおいて欠けていた部分があるから負けた。これも失敗です。
発言一つにしてもそうです。若い時って、イケイケでバーッと言うけど、もう少し別な言い方をすればよかったと思うこともいっぱいあります。でも、実際に失敗しないと人間は学ばないから、20代でいろんな失敗をしてよかったなと今は思います。どんな失敗をしても、30代から立て直しがきくじゃないですか。「若い時の苦労は買ってでもせよ」ですね。

 亀田さんはこうしたことを早口で語る。雄弁だし、頭がいいと思う。しかし、一方で「失敗の一般論」ではなく、亀田家、亀田三兄弟の身の処し方が、ボクシング界での「失敗」にどうつながったのかが知りたくなる。

──プロボクサーになってから、ヒール(悪役)のイメージを相当振りまいたと思います。あの演出はお父さんの発案だったんですか。

亀田  そうです。「とりあえず亀田という名前を日本全国に広めることが大事や」って。ボクサーは、強いからファイトマネーを稼げるわけではないんです。強いだけのボクサーはいっぱいいます。じゃあ、世界チャンピオンになれば、お金を稼げるかといえば違う。何が一番必要かというと、たくさんのお客さんが試合を見にくる、みんなが興味を持つ選手にならなあかん。亀田興毅の名前を早く売るには、結局ヒールが一番いいというのが親父の考えでした。それで、親父は「亀田興毅=ビッグマウス」というキャラクター設定を考えた。俺は本来そんな性格じゃないですけど、「西成から出てきたやんちゃなクソガキ」みたいなキャラを演じてました。
まだ子どもやったから、うまく周りに乗せられてたところもありました。今の自分だったら、ああはしてなかったろうなと思いますけど、逆にそれでは小さくまとまっていて面白くなかったかも分からないですしね。

──そういうキャラ設定とシナリオの中で、亀田さんをプロデビュー前から取材・放送していたTBSの役割も大きかったのですか。

亀田  TBSは、まあ面白いから自分らを取り上げたんでしょうね。全国に放送してくれるわけですから、ありがたい話です。

──TBSも、悪役キャラというのはオーケーだったわけですね。

亀田  そうでしょうね。「TBSは、最初はあんだけ持ち上げといて、亀田があかんようになったら、いきなりハシゴを外して」とか批判する人もおるけど、自分はそうは思ってないんです。こっちが勉強不足やっただけの話であって、テレビにコントロールされる側にも責任はある。こっち側がもう少し頭がよかったら、逆にテレビともっとうまく付き合えていたかもという話ですから、それは仕方ないですよね。でも、実際に全国的に放送をしてくれたわけで、どんな形であれ感謝してます。今のこの「亀田」という名前があるのはTBSのおかげですから。テレビに露出させるのってなかなか難しいですよ。今、自分は「TFC 東京ファイトクラブ」というボクシングの興行を運営しています。そこの4回戦の若い子たちをどうやってメディアに出そうか考えているのですが、売れないタレントを露出させるのは難しいですね。

──亀田三兄弟を売り出した、そこまではいい。亀田三兄弟がパフォーマンスを含めて、いわば「問題」を起こしたと。そのことが話題を呼ぶ面はあったのと同時に、逆にそのことでボクシングファンが離れていったという面はなかったのですか。

亀田  自分たちの当時の言動が原因でボクシングファンは離れてはないと思います。それを数字で示せと言われても、誰もできないでしょう。ファンが徐々に減ってきているのは事実ですけど、それはボクシング界全体が盛り上がってないからであって、自分たちの言動を見聞きして「じゃあ、ボクシングファンをやめよう」とはならないでしょう。
自分らの世界タイトル戦の視聴率でも分かりますけど、むしろ普段ボクシングを見ない人たちがあの時は見たわけです。その結果、ボクシングに興味をもって練習生が増えたり、ボクシング界の底上げにもなったと思います。井上(尚弥、現WBA世界バンタム級王者)選手も、お父さんがトレーナーのライセンスを取って一緒に練習をしてきました。亀田家のパターンと似てますよね。

 確かに、亀田さんたちの言動がファンを減らしたとは客観的には証明できない。ただ、TFCのウェブサイトに亀田さん自身がこう書いているように、ボクシング界の現状はそう楽観できないだろう。 「実はプロボクサーを目指す選手の数は減少傾向にあり、ついには2017年5月のプロテスト受験者が0人という現実がありました。現在、日本ボクシング界は競技人口の減少という深刻な問題に直面しています」

──子どものころのお父さんの教育はどういう感じだったんですか。

亀田  とにかく親父は、3人の息子を世界チャンピオンにすることだけが目標でした。親父自身も若い頃にボクシングをやっていて、世界チャンピオンになりたかったと聞きました。でも、結婚して子どもができて、練習どころじゃない、子育ても仕事もせなあかん。金銭的にも恵まれた状態じゃなかったから、プロテストを受ける直前に断念したんです。その夢を子どもたちに託した。

父史郎さんと1歳ぐらいの亀田さん

父史郎さんと1歳ぐらいの亀田さん(写真提供/トゥモロウズ、以下クレジットのない写真同)。

──亀田さんが小さいころ、お父さんはどんな仕事をしていたんですか。

亀田  解体業です。いつも泥まみれになって帰ってきて、そこからみんなで一緒にボクシングの練習です。そのあとは親父がつくった飯を食べて、みんなで一緒に寝て、また朝起きて「おまえら、走れよ!」と言うて、親父は仕事に行く。毎日そんなローテーションでした。自分が中学生ぐらいの時に、お母さんとは離婚していたので、親父が1人で子どもを育てていました。

──亀田さんの物の考え方に、お父さんの人生観や世界観が相当に影響している?

亀田  そうですね。自分は弟の大毅(だいき)とか和毅(ともき)よりも親父とずっと一緒にいましたから。小学校5年まで一緒に寝てたぐらいです。「興毅、興毅」って、どこへ行く時にも自分を連れて行く。自分、子どものころすごい人見知りだったんです。親戚のおっちゃんからお年玉をもらっても「ありがとう」も言えないぐらいの。親父がそばにおらなあかん、そういう子やったんです。

──興毅さんには、自分が長男で、弟たちの面倒も見なくちゃならん、そういう意識は子どものころからあったのですか。

子どものころ、お年玉をもらっても 「ありがとう」も言えないぐらいのすごい人見知りだったんです。
保育園のころ、亀田さんはイジメられっ子だった。 それを知った父史郎さんは近所の空手道場に通わせた。ボクシングをやるための準備段階という意味もあったという。

保育園のころ(上)、亀田さんはイジメられっ子だった。それを知った父史郎さんは近所の空手道場に通わせた(下)。ボクシングをやるための準備段階という意味もあったという。

亀田  どちらかというと、そういう性格です。結局、全部俺がやらなあかんと思いがちなんです。でも、子どもの時はそれでよかったけど今は違う。みんなそれぞれ大人だし、自分の力で生きていけるだけのものもあるし。

──お父さんは、目論見どおり三兄弟をボクサーに育て上げた。お父さんの立場からすれば、亀田三兄弟は大成功だと?

亀田  はい。三兄弟を世界チャンピオンにするなんて、ボクシング史上初ですから。名トレーナーです。親父は満足していると思いますけど、今は新たな夢に向かってます。亀田姫月(ひめき、19歳)という妹がいるんです。この妹を親父は大阪で指導してます。メキシコでのデビュー戦は2ラウンドTKOで勝ちました。親父は「四きょうだい世界チャンピオンや!」言っています。正直難しいと思うところはありますが、親父は「おまえら見とけよ、俺はやる言うたらやるんや!」って。
今、イクメンという言葉があるじゃないですか。親父は元祖イクメンですよ。子どもの御飯をつくって、練習も一緒にやって、旅行にも一緒に行く。近所の公園に子どもたちを集めてソフトボール大会をしたり。まさにイクメンのはしりですよ(笑)。だから、親父の気持ちも分かるんです。子どもがバッシングを受けたら、「何言うてんねん、俺が守るんや」という、そんな気持ちが、ほんまに誰よりも強かったんじゃないですか。

 07年10月、WBC世界フライ級王者・内藤大助選手と弟大毅さんとのタイトルマッチで、セコンドに就いた興毅さんが不適切な指示をしたとして、日本ボクシングコミッション(JBC)から厳重戒告処分を受けた。この時、 亀田家には抗議の電話が殺到した。

──興毅さんは頭を丸め、亀田家を代表する形で単身、謝罪の記者会見に臨んだ。これによりバッシングの風が少し弱まった。会見に1人で出たのはお父さんの指示?

亀田  あの時、親父は「俺は行けへん、おまえが亀田家代表として行ったほうが、おまえ(の印象)がよくなるから」と言いました。「何で? 親父(の印象)が悪くなるで」と言っても「ええって、大丈夫や、そんなん気にすんな」と。実際、あの会見で結果的に自分の好感度は上がったと思います。親父は子どものことをずっと思ってたんですね。当時、そこまで深く分からなかったのですが、やっぱり自分も子育てを経験したら、少しずつ分かってきました。親父は世間から乱暴者のように見られていますが、子どものことを第一に考えてるだけなんです。

──お父さんに反抗したことは?

亀田  何回もあります。大人になってからもありますもん。小学校の時、もう腹立つから顔面どついたろうと思って向かって行ったら、思い切り返り討ちにされてボコボコにされました(笑)。

親父は世間から乱暴者のように見られてるけど、子どものことを第一に考えてるだけなんです。
2006年8月2日、WBA世界ライトフライ級王者に。

2006年8月2日、WBA世界ライトフライ級王者に。

2009年11月29日、WBC世界フライ級王座を獲得。

2009年11月29日、WBC世界フライ級王座を獲得。

2010年12月26日、WBA世界バンタム級王座を獲得し、日本人初の3階級制覇を達成する。

2010年12月26日、WBA世界バンタム級王座を獲得し、日本人初の3階級制覇を達成する。

──今亀田さんは3人のお子さんの父親ですが、奧さんは中学の同級生だったとか。

亀田  そうです。13歳の時に付き合って、そこから、今まで18年間一緒にいます。

──奥さんも亀田さんのお父さんについては、子どものころからよく知っていた?

亀田  はい。中学ぐらいの時から、毎日家に来てました。付き合い始めた時ぐらいに妹が生まれたんですけど、その後、お母さんはいないじゃないですか。だから、中学の授業が終わったら家に来て、妹の面倒もみていた。妹からしたら、お姉ちゃんでもあり、お母さん的な存在でもあるんです。
大阪から自分らが東京に出てきた時に、あいつも一緒に東京に来ました。そこで一緒に住んで、まだ18歳なのに、亀田家の御飯をつくってました。男が4人もおるから量も半端ないし、相撲部屋のおかみさんみたいな感じでやってました。もちろん洗濯も。まだ結婚していなかったのに、彼氏の家族の物まで全て洗っていた。あいつ、もともと大阪の子なので東京に友だちが1人もいない。1回、ノイローゼになりかけたこともありました。そらそうですよね、男だらけのボクシングしかしない家に来て、友だちもいない。でも、文句一つ言わんとずっとついてきてくれました。
俺、いつも迷惑ばかりかけてるじゃないですか。申しわけないなと思って。今も3人の子どもを嫁さんが1人で育ててる。だから、俺はとにかく稼がないとと思っています。でも、難しいですよね、稼ぐのって。
お金の面でも、すごい失敗をしてます。昔ジムを経営してたんですね。内装費とか何千万円もお金をかけて「さあ、これから」というまさにその時(14年2月)、JBCからライセンスを停止されて、日本国内での活動ができなくなったんです。

 13年12月、国際ボクシング連盟(IBF)スーパーフライ級チャンピオンだった弟の大毅さんは、世界ボクシング協会(WBA)のチャンピオンとの統一王座戦に臨んだ。相手は前日の計量で体重超過の失格となったが試合は行なわれ、大毅さんが判定負けとなった。ところが、IBFの立会人が「IBFルールでは、勝っても負けても亀田は王者で初防衛だ」と説明したことから事態は混乱した。結局、この混乱の責任の一端を問われる形で亀田ジムの各種ライセンスが停止され、亀田さんたちは日本で試合ができなくなった。

亀田  当然、ジムには練習生も来ないので、毎月赤字です。ボクシングが出来なくなり、日本での活動が出来なくなるとテレビやイベントのオファーも何一つなくなって、収入がゼロです。でも、社員の給料を払わなあかんし、ジムの家賃から生活費から、毎月数百万円の出費です。そのうち現役時代に稼いだお金も底をつきかけて……。
そんなお金の失敗もしていますが、人に恵まれたという点で自分はラッキーだったと思いますよ。親父も嫁もそうやし、スタッフもそう。周りの人たちに支えられて、助けられて、今も協力してくれる人がたくさんいます。そのおかげで自分は生きています。

 悪役、亀田興毅さんもじっくり話を聞いてみると、身内への感謝の念を持っているし、ほろりともさせられる。謙虚さは改心した結果というより、もともと地がそうだったのだろう。世渡り上、悪役を演じていた。しかし、現役を引退した後の身の処し方はヒールではやっていけない。

2012年5月22日、父史郎さんの誕生日に家族で集まる。現在は三男の和毅さん(右端)と末っ子の姫月さん(中央)が現役選手として活躍する

2012年5月22日、父史郎さんの誕生日に家族で集まる。現在は三男の和毅さん(右端)と末っ子の姫月さん(中央)が現役選手として活躍する

亀田  今、世界チャンピオンでもファイトマネーは安いんですよ。1試合3000万円程度。世界戦は年3回ぐらいだから年収1億円に届かないんです。何度も防衛しないとファイトマネーは上がりません。これが日本チャンピオンクラスになるとアルバイトをしないと食べていけないんですよ。
今の低迷していて決して良いとは言えないボクシング界を自分は変えていきたいと思っています。亀田三兄弟みたいな思いをする子を作りたくないなと思って。だって、移籍一つにしてもなかなかできない業界なんですよ。1回ジムに入ったら、そこから移籍するのが難しい。そういうシステムから変えていきたいし、ボクシング界全体をもっとクリーンにして、売り上げを伸ばしていきたいんです。
今、年間200回ぐらい興行があって、半数くらいが後楽園ホールでです。お客さんが満員になっても1800人。でも、チケットもあまり売れない状況で、会場はガラガラが多く、実売で半分ぐらいでしょう。客単価を大体7000〜8000円と考えたら、1回の興行で1000万円にも届かない。年200回の興行には後楽園よりも客数が少ない地方興行もあって、売り上げは300万〜400万円とかでしょう。たまにやる世界戦は大きい会場でやりますけど、そんなものを含めてならして、1回の興行収入が平均1000万円とします。そうすると、年200回の興行で約20億円の売り上げですよね。ボクシング界の売り上げって20億円しかない。この20億を、約2000人のプロボクサーと全国約280の加盟ジム、みんなで取り合うわけです。それは完全に赤字ですよね。
他のプロスポーツと比べるのはどうかと思いますが、オリンピック競技で世界的なスポーツなのに今の現状は寂しく思います。このような状況だから選手もファイトマネーが少ない。ジムも赤字で、経営が難しい。興行しても収支がなかなか安定しない。興行をする人が減る。でも、興行をしなかったら、選手が戦うリングがない。じゃあどうするの? まさにそういう状態です。そんなボクシング界を変えるために今の自分の立場で何が出来るのか、限られた中でTFCという興行を立ち上げました。自分1人で、何ができるのかという声もあるでしょうが、未来のボクシング界のためにコツコツとやれることをやっていかないと。

 亀田さんの言うとおり、ボクシング界を取り巻く状況は相当厳しい。人気がないのなら関係者を削り、縮小するしかない。ヒールがホワイトナイトに変身してもボクシング界の窮状はそう簡単に救えそうにないが、亀田さんの今後の活動に注目していきたい。

自分1人で何ができるのかという批判もあるでしょうけど、ボクシング界を変えていきたいんです。
自分1人で何ができるのかという批判もあるでしょうけど、ボクシング界を変えていきたいんです。

「日本のファンの前でもう一度戦いたい」と今年5月に引退試合を行なった亀田さん。今は現役に未練はないという。撮影/細谷忠彦

かめだ・こうき 1986年、大阪府生まれ。中学卒業後、社会人ボクシングで活躍し、2003年にプロデビュー。06年8月、WBA世界ライトフライ級チャンピオンに。その後、WBC世界フライ級王座、WBA世界バンタム級王座を獲得し、日本人選手としては初となる3階級制覇を達成する。

みぞぐち・あつし 1942年、東京都生まれ。『山口組三国志 織田絆誠という男』(講談社)、『闇経済の怪物たち』(光文社新書)ほか著書多数。本連載をまとめた『人生の失敗 転んでもタダじゃ起きない』(七つ森書館)が好評発売中。

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