人から認められる、胸が躍る、介護現場の芸術の力。

人から認められる、胸が躍る、介護現場の芸術の力。

芸術には人の心を震わせ、生きるエネルギーをもたらす力があります。その力を介護現場に導入したらどうなるでしょうか。気持ちの変化は数字に表しづらく、導入に踏み切る介護現場はまだ多くはありませんが、認知症でも、芸術には無関心だった高齢者でも楽しめる“バリアフリーアート”があると聞いて取材しました。

絵画鑑賞 アートリップ:素直に感じて素直に言葉にできる、認知症の人の絵の見方は素敵です。

介護現場の芸術の力

絵を見て感じたこと、想像したことを問いかけ、言葉を引き出す林容子さん(左)と参加者。

絵を見て感じたこと、想像したことを問いかけ、言葉を引き出す林容子さん(左)と参加者。

「俺でも描けそうだな」
「どんなところを見てそう思います?」
「塗りたくってるだけじゃないか」
「ほんと、そうですね。何色を塗りたくっています?」

 国立西洋美術館で行なわれた、対話型アート鑑賞プログラム「アートリップ」の一コマ。認知症のAさん(80代男性)とアートコンダクター(進行役)の林容子さんがモネの絵『睡蓮』を見ながら話しています。林さんは、アートリップを主催している一般社団法人アーツアライブの代表です。
使われている色や描かれている花・水のこと、さらに絵から受ける印象へと対話は進みました。林さんが「モネは睡蓮を何枚ぐらい描いたと思いますか」と質問するとAさんは「この人は結構しぶといね。こんなものを仕上げちゃうって、絶対しぶといよ」と回答。実はとても鋭い指摘で、モネは30年間に200枚余りの睡蓮を描いているのです。林さんはAさんとの対話についてこう言います。

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「モネの絵を塗りたくっているだけとおっしゃいましたが、確かに何かを描くというよりも思いのまま塗っている。それがモネの特徴でもあるのです。一般に、そう思ってはいてもはっきり言えない人が多いのですが、認知症の人は絵の本質を突くコメントをしますし、素直に感じて素直に発言します。その感じ方がとても素敵で、羨ましく思うことがあります」

1人で見るより何倍も豊かに絵を見ることができる。

 アートリップは、認知症の人やその家族、介護職員、一般人などが一緒に対話しながら美術作品を楽しむもの。ニューヨーク近代美術館(MoMA)のプログラムを参考に、林さんが日本人向けに開発し、2011年に日本で始めました。
「アメリカでは同様のプログラムが100館以上の美術館で実施されていますが、日本ではこれまでに10館程度。東京近郊の介護施設や認知症カフェなどでも実施されていますが、全国に広めるためにアートコンダクター養成講座を開催して人材育成にも取り組んでいます」
アートリップを美術館や介護施設で採用してもらうため、林さんは国立長寿医療研究センターと共同で調査研究を行ないました。軽度認知障害とうつの症状がある高齢者76人に対するアートリップの影響を調べた結果、3ヵ月間アートリップに参加した人は、うつ症状の改善の兆候が見られたそうです。
「アートリップに参加すると、家では黙り込んでいる方がものすごくたくさん話し出して、家族が驚くことがあります。認知症による言語障害で意味のわからないことしか話せなかった男性が必死に言葉を発し、意味が伝わるようになったこともある。描かれた女性を見てお母さんを思い出したり、山の絵を見て故郷を思ったりするなど、回想療法的になることもあります」
アートリップでは、認知症の人に付き添って来た人たちも介護を忘れてアートを楽しみ、対等にコメントします。絵画は10人いれば10通りの見方がある。だから1人で見るより何倍も豊かに絵を見ることができるのです。これまで20回以上参加している軽度認知障害のBさん(60代男性)は、こう言います。
「見ていると、頭が熱くなるんだよね。みんなで一緒に話をしながら見るのが好き。1人だったら、このミロの『絵画』なんて、通り過ぎちゃうもの」

楽器演奏 ブンネ・メソッド:初めてでもすぐに弾ける楽器の力を借りて自分に誇りを持ってほしいのです。

器演奏 ブンネ・メソッド:初めてでもすぐに弾ける楽器の力を借りて自分に誇りを持ってほしいのです。

かんたんに弾けて音もいいブンネのスウィングバー・ギター

4本の弦を押さえるレバーを左右に倒すことで4つのコードが弾ける。

 一斉に音が鳴り、『バラが咲いた』の演奏が始まりました。認知症の高齢者8人と、ボランティアスタッフ、介護職員たちが演奏している楽器は「スウィングバー・ギター」という「ブンネ楽器」です。スウェーデン音楽療法士、ステン・ブンネさんが考案した誰でもすぐに演奏できるブンネ楽器は、操作はかんたんですが、音がよく、見た目がカッコいいのが特徴です。スウィングバー・ギターは1人でも弾けますが、この日は2人1組で演奏していました。ブンネ ジャパン株式会社の藤林明子さんは言います。
「ブンネは、1台の楽器を1人で弾くという概念を変えました。心身の機能が低下している方に、一般の楽器演奏を勧めてもストレスになってしまいます。でもブンネ楽器なら、みんなが一緒に、音楽をツールにした時間を共有できるんです」
この日は、東京都新宿区にある複合介護施設「原町ホーム」のカフェメモリィ原町(認知症カフェ)で、毎月1回開催の「ブンネの日」。ブンネ楽器の演奏を中心に、歌やかんたんなダンスを取り入れた音楽ケア「ブンネ・メソッド」を実施しています。
『川の流れのように』では「チャイムバー」というバーで叩くチャイムと、「単音フルート」という楽器も加わりました。演奏しながら歌を口ずさむ人もいて、かなりの盛り上がり。最後は『上を向いて歩こう』です。

初めと終わりでは、参加者の表情がまったく違う。

ミニベースの演奏をみんなにほめられて恥ずかしがるAさん(左端)。

ミニベースの演奏をみんなにほめられて恥ずかしがるAさん(左端)。

「新しい楽器、やってみたい方いませんか」という藤林さんの声に、Aさん(80代女性)が手を挙げました。楽器は1弦の「ミニベース」。自分で弦を押さえて音程を調節するため、難易度はやや高めです。Aさんは立ち上がり、ミニベースを手にして楽しそう。感想をうかがうと、「ワクワクしたわ」と答えてくれました。Aさん、実は普段はとても物静かで、ホーム内ではうつむいて過ごすことが多いのだとか。原町ホームの生活相談員・冨谷茉由さんはこう話します。
「高齢になると身体機能や認知機能の低下が見られ、自信をなくしてしまう方が多いんです。でも、初めて触ったブンネ楽器が演奏できると、表情が変わる。いらしたときは口数が少なかった方が、演奏後はたくさん話してくださる。そんな場面に遭遇すると、私も夢中になります」
藤林さんが続けます。
「介護施設で楽器というと、カスタネットやタンバリンが多いのですが、もっとできることはあります。高齢になっても、新しいことに挑戦して、自分に誇りを持ってほしい。ブンネは、参加者自身が演奏できたという達成感を得られ、自分らしさや自信を取り戻して笑顔になっていただける活動です」

絵やオブジェの創作 臨床美術:脳を活性化して元気になる、そのうえ誰でも満足のいく作品ができます。

絵やオブジェの創作 臨床美術:脳を活性化して元気になる、そのうえ誰でも満足のいく作品ができます。

絵やオブジェの創作 臨床美術

鮮やかな赤や濃い緑、群青など思い思いの色で仕上げられた背景。白抜きになった花の部分にパステルで色をつけていく。

「情熱の赤、Aさんらしくていいですね。Bさんは緑に青を混ぜたのが効いていますね」
前回、途中まで手がけた作品を、臨床美術士が1枚ずつコメントしながら、描いた本人に手渡していきます。
この日は、カラーという花を描く作業に6人の高齢者が参加していました。先週は、花の背景を描くところまででした。アクリル板にローラーで版画用の絵の具を塗ったあと、花を描く部分の絵の具を拭き取ります。アクリル板に紙をのせて刷れば、花の部分だけ色がない絵ができあがります。今週は白抜きになっている部分に、固形絵の具のパステルで、花を描いていきます。
それにしてもなぜ、こんな描き方をするのでしょうか。
「誰でもかんたんに、質の高い満足のいく作品が描けて、楽しいと感じられるようにです」
と、NPO法人日本臨床美術協会常任理事の蜂谷和郎さん。
「私たちが行なっている臨床美術は、認知症の治療に取り組んでいる医師と芸術家、カウンセラーが一緒になって考え出した、一種のアートセラピーです。とは言っても、心理分析はせず、絵を描いたり立体作品をつくったりすることで、脳を活性化して元気になろうというのがコンセプト。問題は、高齢者には美術が苦手で絵なんて描けないと思っている人が多いことでした。そこで、絵や立体などの作品ごとにつくり方を研究し、誰でも満足のいく作品ができる工夫を凝らしているのです」
この日の「カラーの花」も、花そのものから描きはじめようとすると難しく、その時点で嫌になってしまう人もいるでしょう。ところが、背景から仕上げて、花の輪郭部分が白抜きになっているこの方法なら、プレッシャーがなくなり、誰でもそれらしくできます。

絵やオブジェの創作 臨床美術

本人が変わる以上に、家族の気持ちが変わる。

 この日、東京都練馬区の介護施設・大泉学園ふきのとうのデイサービスで実施されている臨床美術に参加したのは、脳梗塞や心筋梗塞後のリハビリ、あるいは介護予防で始めた人たち。医師に勧められたものの、絵が苦手で渋々参加したところ楽しくなって10年近く続けている人もいるそうです。
「麻痺で動かなかった手が動くようになったといった効果もありますが、それ以上に、気持ちや認知機能に与える変化が大きいのです。認知症で普段はじっと座っていられない方が2時間も集中していて、職員がびっくりしたこともあります」(蜂谷さん)
自分が予想したよりもはるかに素晴らしい作品ができるだけでなく、作品をみんなの前で臨床美術士がほめてくれるのも励みになるようです。認知症のお母さんが臨床美術に通うようになってから、家事を手伝うようになったケースもあるんだとか。「お母さんを動かす環境をつくった家族が素晴らしい。認知症の人に家事を手伝ってもらうのは案外面倒なものです。自分でやったほうが早いし、包丁や火の扱いは危ない。でも、『認知症でもまだこんな素敵な作品をつくれる力があるんだ』とわかったことで、発想が変わる。本人も変わりますが、それ以上に家族の気持ちが変わるのです」

身体表現 アートデリバリー:自然と踊り出したり、子どものように遊び出したり、動く力を引き出します。

身体表現 アートデリバリー:自然と踊り出したり、子どものように遊び出したり、動く力を引き出します。

身体表現 アートデリバリー

 アーティストが介護施設などに出かけて、ワークショップを開催する「アートデリバリー」という取り組みがあります。いわば“アートの出前”で、実施しているのはNPO法人芸術資源開発機構(ARDA・アルダ)。美術や音楽だけでなく、ちょっと珍しい「身体表現」のワークショップもあります。たとえば、ダンス・アーティストの新井英夫さんのワークショップ「ほぐす・つながる・つくる」は、こんな様子です。
デイサービスに通う10人ほどの高齢者が輪になって椅子に座っているところに、上下赤い衣装を着た新井さんが太鼓を叩きながら登場。笛を吹きつつ一人ひとりの前に行って踊りながら手を取り、挨拶します。すると、新井さんと手をつないだまま立ち上がって踊り出す女性がいたり、拘縮した手を新井さんの動きに合わせて一生懸命左右に振る女性がいたり。場が盛り上がっていきます。
全員との挨拶が終わると、半透明の大きなポリエチレンのシートをみんなで持ち、上下に振って波をつくります。その上にいくつもの紙風船を転がし、大きな波、小さな波とつくるうちに、シートのザワザワする音が本物の海のようで、誰ともなく歓声が。車椅子で波の下に潜って「魚と遊んじゃった」と言う人も出てきました。
後半は、高齢者同士が互いに背中をマッサージしあったり、新井さんと高齢者が三尺帯の両端を持ってなびかせあったり。見えない焼き芋を焚き火の中から拾い上げ、「アッツツツ」と言いながら新井さんが手渡し、順に隣の人に回してもらったときは、渡さずに食べてしまう人がいて、全員が大笑い。よほど楽しく、気分が高揚したのでしょう、「お礼に1曲歌います」と立ち上がり、歌い出す男性もいました。

アーティストが出て来ただけで、心身が解放される。

身体表現 アートデリバリー

巧みに動き回るアーティストにつられて、笑ったり、手拍子したり、踊ったり。参加者の表情がみるみる変わる。

 身体表現について、アルダ理事の並河恵美子さんはこう言います。
「新井さんは初めから場を盛り上げるタイプですが、前衛舞踏グループ・山海塾のメンバーである岩下徹さんはビックリさせるタイプ。黒い衣装を着たスキンヘッドの岩下さんは、登場と同時に足下に横たわって奇妙な動きをするので『何だ、これは』という雰囲気になります。でも、眉間にシワをよせていた男性が、いつの間にか岩下さんと一緒になって腕を広げ足を上げて体を動かしている。アーティストが出て来ただけで非日常になって、気持ちも体も解放されるんです」
ただ、アートが人に及ぼす影響は測定できないものだけに、介護現場に取り入れられにくいのだそうです。
「私たちの活動は療法ではなく効果を数値化できません。いまの介護制度ではアートの入る余地がない。しかし、実際にワークショップをした施設の施設長さんに『食事・入浴・排泄の3大介護に追われている現場では、美しいものに触れ、人間の根源的な能力を引き出すアートの力が必要です』と言われ、背中を押された気持ちで理解者を得る努力を続けています」

「福祉施設と地域をつなぐ役割をアーティストが担っていくようになりますよ」日比野克彦さん

「福祉施設と地域をつなぐ役割をアーティストが担っていくようになりますよ」日比野克彦さん

 東京藝術大学で2017年から実施している「Diversity on the Arts Project(DOORプロジェクト)」は、「多様な人々が共生できる社会」を支えるための人材育成プロジェクトです。「アート×福祉」をテーマに当事者、実践者と対話を行なう講義、介護施設での実習、多様な人々との交流の場をつくり出すワークショップの企画立案など、1年かけて学びます。今年の受講生は社会人49人と東京藝大生。社会人の中には福祉関係の仕事に携わっている人のほか、様々な背景の人々が集まっています。修了後は、DOORの経験を活かして福祉の中にアートの視点を取り込み、社会福祉施設で働いたり、さまざまなアートプロジェクトを担う人材になってほしいと思っています。
いま芸術は、ある程度知識がないと楽しめない教養になってしまっているように感じるんです。美術の歴史を知らないと美術館に行っても理解できない、というような。本来はそうではなくて、内に溜まっているものを吐き出すのが芸術です。
何か障害があったとき、医療は治し、福祉は手を差し伸べますが、芸術は違いをそのまま受け入れる。一人ひとりバラバラのままで個性を伸ばすのが、芸術の考え方なのです。だから、違いを矯正してみんな同じにするという考え方には馴染みません。

日比野克彦さんによる高齢者とのワークショップ 2008年9月9日 場所:島の病院おおたに

日比野克彦さんによる高齢者とのワークショップ 2008年9月9日 場所:島の病院おおたに

 しかし、何らかの効果が数値化できないと予算がつかず、芸術が介護施設などの活動に取り入れられない現実があります。実際には、芸術に触れることで高齢者が生き生きとしたり、家族も驚くほどよく喋ったりといった事実があっても。そもそも数字で評価しきれないのが芸術なのです。
DOORでは、今年5月から約1年間、講座修了生2人がサービス付き高齢者向け住宅に住み込んで、高齢者と一緒に芸術活動をする「アーティスト・イン・そんぽの家S王子神谷(東京藝大×SOMPOケア)」という取り組みを始めました。1人は別の施設に務めている介護福祉士、もう1人は現役の東京藝大生。
この3ヵ月間、2人は高齢者とともに暮らし、交流を重ねて関係を育んできました。仲良くなった入居者に暑中見舞いを出したり、食堂にカフェスペースを設けて入居者とコーヒーを飲みながら談話したりしています。知人の音楽家を施設に呼んで開催するコンサート、近所のケーキ屋さんから出前してケーキを食べる会を開く計画もあるそうです。
こうした活動から次のヒントが生まれます。今後、入居者が「町内会のお祭りに参加してみよう」とか、近隣の人たちが「施設のワークショップに行ってみよう」というような動きも起こってくるでしょう。年齢や背景が異なる人々が出会うことは新しい価値観に出合うこと。物をつくらなくても、高齢者とアーティストの交流から多様性のある社会の芽が紡ぎ出されていくのです。
新しい価値観と出合う場所を文化施設というのならば、近隣の人たちが新しい価値観と出合うチャンスを生み出す介護施設も文化施設になり得ます。地域の人にとって何の関わりもなかった建物が、アーティストが入ることで変わっていく。施設の中で高齢者だけで完結していた世界が、これまでにない形で外とつながっていくのです。人間には表現を楽しむ時間が必要だし、施設がその時間をつくり出す存在になれば、それが地域の魅力にもつながっていくと、僕は思うのです。

取材・文/佐々木とく子 撮影/大倉琢夫、坂本禎久

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