「自分はうつ病のことを多少知っているつもりでしたが、いざ自分がなってみると知らないことばかりでした」先崎学さん

「自分はうつ病のことを多少知っているつもりでしたが、いざ自分がなってみると知らないことばかりでした」先崎学さん

藤井聡太七段の躍進もあり、この1~2年、将棋がブームになっている。そんな将棋界が盛り上がりを見せるなか、先崎学(せんざき・まなぶ)九段はうつ病を発症し、半年以上の休場を余儀なくされた。約1年の闘病生活を経た現在、病状は回復し、棋戦にも復帰している。将棋だけでなくエッセイなどでも才能を発揮する先崎さんに、現在の心境をうかがった。

取材・文 溝口敦(ジャーナリスト)

 先崎学九段(48歳)はNHK杯戦で優勝経験もあり、新進気鋭のころは「天才先崎」と呼ばれていた。羽生善治竜王と同年であり、「羽生世代」の1人とされる。

 先崎さんは2017年6月、突然うつ病になった。同年8月に予定されていた順位戦B級2組の村山慈明戦を休場し、そのまま同年9月から翌18年3月まで全公式戦を休場した。約1ヵ月間、東京・信濃町の慶応大学病院精神神経科に入院し、その後も自宅でうつ病治療をしていたからだ。

 うつ病になったことを「失敗」とは言えない。自己責任でなる病気ではないし、ほとんどの人が原因さえ気づかないまま発症する。本人としては、対処のしようがない。

 幸いにも先崎さんは18年6月、公式戦に復帰し、7月に闘病記『うつ病九段』(文藝春秋)を出版した。自分の体験を書くことをすすめたのは精神科医のお兄さんで、原稿は18年1月に書き始め、4月には脱稿したという。

 東京・西荻窪の「囲碁・将棋スペース 棋樂(きらく)」を訪ね、先崎さんに話を聞いた。「棋樂」は、夫人で囲碁棋士の穂坂繭(ほさかまゆ)さんが発案して、17年から2人で運営している。ラフな格好で現れた先崎さんには「病人臭さ」は全くなく、もう若い人たちと酒を飲むほどに回復したという。

 この部屋は、最初はプロ同士の研究会をするために借りたが、先崎さんがうつ病になったため、繭さんが急遽家具などを揃えてアマチュアにも開放して教室などをやることになった。繭さんはもし先崎さんが将棋界に戻れなかったときは、ここを頼りに生計を立てようと思っていたそうだ。先崎さんは闘病中、この部屋のベランダから富士山を見たり、持ち込んだハンモックに寝転がっていたという。 うつ病は身近に聞く言葉だが、その実態となると分かりにくい。「ひどい憂鬱症」ぐらいだろうと軽く考えていると、突然、その人が会社を辞めたり、自殺したり……。回復例はさほど聞かない。

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 先崎さんの場合はどうだったのか。『うつ病九段』の冒頭部分を要約して紹介する。

 17年7月中旬に対局があった。開始までに時間があったのでスーパー銭湯に行って、時間つぶしをすることにした。だが、仮眠室で横になっても、物凄い焦燥感がこみ上げてきて、すぐに歩き回ってしまう。仕方なく東京・千駄ヶ谷の将棋会館で時間つぶしをと考え、駅に向かった。が、電車に乗ることが無性に怖くなった。ホームに立つのが怖い。なにせ毎日何十回も電車に飛び込むイメージが頭の中を駆け巡っているのだ。いや、飛び込むというより自然に吸い込まれるというのが正しいかもしれない。
 今でもあの吸い込まれそうな感覚は、まざまざと思い出せる。健康な人間は生きるために最善を選ぶが、うつ病の人間は時として、死ぬために瞬間的に最善を選ぶ。苦しみから逃げるためではない。脳からの信号のようなもので発作的に実行に移すのではないか。

 先崎さんが自分の「異変」に気づいたのは47回目の誕生日の翌日だった。前日は、仕事を終えたあとボクシングジムで汗を流し、夜は家族とインド料理を食べてビールも飲んだ。帰りがけにはカラオケに行こうかと思ったぐらいだから、いつもと変わらない「普通の日」だった。ところが翌日体調不良に襲われ、そこから長い闘病が始まった。

──本を読ませていただきました。うつ病というのは「何かに悩んで死ぬのではない。死にたがるのが、うつ病の症状そのものなんだ」という記述がありましたが、初めてうつ病とは何かが分かった気がしました。

先崎 兄が精神科医なので、私もうつ病のことは多少知っているほうだと思っていましたが、自分がなってみると知らないことばかりでした。体が鉛のようになること、すべて悪い方向に考えてしまうこと、決断ができなくなること、何も考えられなくなることなどです。明け方に目が覚めて眠れなくなると、ネガティブなことばかりを考えてしまい、「そもそも人生そのものが失敗だった」と考えてしまうこともありました。

──症状がよくなってきたとはいえ、精神科医のお兄さんはよく先崎さんに本を書けとおっしゃった。その決断に、びっくりしました。

先崎 いや、兄もそんな大げさな感じではなかったんです。私は全然仕事がなくて「週休7日」でしたから、あまりにもやることがないので「ヒマなら手記でもまとめてみたらどうだい」と言われたんです。それで、週5日、毎日こつこつ書いただけです。

──闘病記を書くためには、発症以降の自分を客観視する作業が必要だと思います。そのことは、病状の回復にプラスになったのか、マイナスになったのか、どちらでしょうか。

先崎 文章を書くときには自分を俯瞰してみる作業が当然必要になりますが、そのことが病状にどう影響するのかは、正直言いますとよく分かりません。回復という意味では、この本を書き出した1月の頭の時点で、兄から「よほどのハードワークや徹夜とかをしなければ、眠れてさえいれば、必ずよいほうにうつは向かっていくから。もう悪くならない」と言われました。そのとき病院の診察があって、別の医師からも同じことを言われたので、「じゃあ大丈夫なんだ」と力強く書けました。

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 (文藝春秋 本体1250円+税)

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AI将棋の効果は分かりませんが、生まれた時からAIがある世代の人たちが新しいことをやるのでしょう。

──現在、体調はどうですか。若い頃からお酒はかなり飲まれていましたが、今は?

先崎 実は昨日も酒を飲んでいました(笑)。ただ、若い頃のように朝まで飲むなんてことはもう……。うつ病になる前から年齢と共に酒量は減っていましたからね。うつ病に関しては、全く問題ありません。それは医師からもはっきり言われています。

──うつ病になった人やその家族の方たちに、何か一言アドバイスをするとすれば?

先崎 あるメディアのインタビューでも言ったのですが、あれこれ考えないで、運が悪かっただけと思ってくださいということです。そして、正しい治療を受ければ治るので、その間がんばって時間を稼ぐこと。自分の人生が間違っていたとか、そういうことではないということです。

 先崎さんの闘病から復帰までの詳細は、『うつ病九段』を読んでもらいたい。うつ病で苦しむ本人や家族にとって参考になり、勇気づけられることだろう。
 今回はせっかくの機会なので、現在の将棋界、棋士という仕事、そして先崎さんの将棋以外の活躍などについても聞いてみたい。

──うつ病は治りましたが、将棋のほうは?

先崎 将棋は、もともともう勝てない年齢なんですよ。だからちょっと厳しいですね。プロの将棋は若いほうが有利で、(日本将棋連盟では)年間4人ずつ新鋭が出て、年間5~6人やめていきます。もう私なんかは上のほうの年齢なので、自分より先輩がいないから苦戦してます。まあ、しようがないですね。

──先崎さんが92年に出した『一葉の写真 若き勝負師の青春』(講談社)はこういう文章で始まります。

 忘れもしない。五年前の『将棋マガジン』に一葉の写真が載った。羽生善治新四段と先崎学初段が並んで立っているだけの小さな写真だった。写真には副題がついていた。〈左は元天才?の先崎初段〉クエスチョンマークがなければ、僕は将棋をやめていただろう。

──つまり「元天才?」と疑問符をつけられたから発奮して将棋にいっそう精進したと?

先崎 「元天才」は、私としては全く意味が分からないのですが、そういうニックネームが一人歩きしていたというか。地方で「天才」と呼ばれた人間が東京にきて将棋の世界に入ってみたら、似たような人間がいっぱいいる。だいたいみんな中学校低学年ぐらいでスタートします。そういう感じなので、何が才能なのか、もう訳が分からない世界です。

──羽生さんもさることながら、藤井聡太七段も真の天才に値するのではないですか。

先崎 デビューの仕方が非常に鮮烈でしたが、真の天才かどうかはまだ分からないです。天才というのは周りが勝手に言うもの。ただ、なかなかの将棋指しになることは間違いない。

──話が先走りますが、今、AI将棋(コンピューター将棋のソフト)が出てきた。それに藤井七段のような若手も出てきた。またプロとアマとの力量差が非常に接近してきている。一昔前までは「相撲と将棋はプロとアマの力量差はえらい違いだ」と言われていました。そういう意味で、今、将棋の世界は転換期にあるのではないですか。

先崎 なるほど、そういう見方もありますか。でも、実はAIは、棋士の「棋力」の向上に役立っていません。若い人たちがAIで勉強していることは間違いないのですが、どの程度、その棋士が勝っているかというと、分からないんですね。
 それから、プロとアマチュアとの実力差ですが、確かに「底辺の押し上げ」という意味では差は縮まっているかもしれません。なぜかというと、まずアマチュアの方でも情報収集がしやすくて、入口が入りやすいことがあげられます。プロの将棋がリアルタイムで見られますし、棋譜(対局者が指した手を順番に記録したもの)が簡単に入手できるので勉強がしやすい。それがアマチュアの方たちの実力アップにはつながっていると思います。
 あともう一つ、日本将棋連盟は三段から四段に上がるプロになる段階のハードルが高いんです。なので、三段で連盟を辞めた人がアマとしてたくさん勝つという現象が起きます。そういう意味においてもアマの方が、全体的に底上げされていることは確かなんでしょう。

AI将棋の効果は分かりませんが、生まれた時からAIがある世代の人たちが新しいことをやるのでしょう。

──囲碁の世界では、最初の布石の段階で、AIのソフトの出現以降、定石からして破天荒なものが出てきた。しかもプロがそれを採用しています。

先崎 そうですね。囲碁は、将棋より感覚的なところが重要なゲームなので、AIとの相性はめちゃくちゃいいんですよ。将棋の方では羽生さんや私とかより、藤井聡太君よりもっと下の、もう生まれた時からAIがあるような世代の人たちが、新しいことをやるのだろうなという気はしますけど。

──16年8月から17年5月にかけて将棋界を揺るがした「不正ソフト使用疑惑事件」がありましたよね。先崎さんは『うつ病九段』のなかでこう記しています。

 だが、まったく(うつ病発症の)予兆がないというわけではなかった。この半年以上、日本将棋連盟はいわゆる「不正ソフト使用疑惑事件」のことで揺れに揺れていた。真相を究明するために第三者委員会ができ、理事の半数以上が会員(棋士)の投票によって解任されるという異常事態が起きていた。将棋連盟はほとんど組織の体をなしておらず、行政の指導やらスポンサーの契約金の減額などという物騒なことばが飛び交っていた。詳しくは書かないが、私は佐藤康光会長と連日会って深刻なはなし合いをしていた。

 この騒動は先崎さんのうつ病の発症と関係があったんですか。

先崎 あの事件自体は、完全に解決しました。ただ私の中では、あの事件は非常なストレスになったと思っています。

──あのときに改めて将棋ソフトが話題になりましたが、ソフトにはプロでも勝てない?

先崎 将棋ソフトと人間が戦う「電王戦」が何回も行なわれていますけど、いや、もう人間では全然勝てないです。

──先崎さんは過去にずいぶん本を出されています。ネットで検索しただけでも27冊ありました。

先崎 えっ、そんなに出してるんですか。それはびっくりですね。

──将棋関連の本だけでなくエッセイ集も出されている。文章を書くことは時間も精力もいりますが、もともと書くことはお好きなわけですね。将棋の世界には先崎さんほど一般向けの本を著している人はいないのでは?

先崎 そうでしょうね。

──そういう意味では、将棋の普及に関して、非常に功績がある。

先崎 功績なんて、そんな大げさなものではないです。将棋の棋士の目的は対局に勝つこと、そしてファンの方たちに喜んでいただき、明るい気持ちになっていただくことです。プロの将棋といっても、やっている方は必死ですけど、見ている方たちにとっては、その晩、将棋の話をツマミに楽しくお酒を飲む、それぐらいのものでしょう。その延長線上で私はエッセイを書かせていただいて、私の文章をツマミにお酒を美味しく召し上がっていただければいい。その程度に考えていました。

──「書き屋は座り職人だ」という言い方がありますが、将棋棋士も盤に向かって座ってする仕事。そういう意味では、棋士も「座り職人」だと言えます。先崎さんの場合は、本職の将棋で座り職人で、文章を書く上でまた座り職人をやっているわけですよね。

ボクシングジムでサンドバッグに向かう先崎さん。うつ病が治ったあともジムに通っている(写真提供/文藝春秋)。

ボクシングジムでサンドバッグに向かう先崎さん。うつ病が治ったあともジムに通っている(写真提供/文藝春秋)。

先崎 根っからのインドア派なので、その意味では性に合っているかなという気はします。

──過去の著書を読みましたが、先崎さんの強烈な個性を感じました。たとえば、03年に出した『小博打のススメ』(新潮新書)では、ご自身の経験も含めて麻雀からチンチロリン、そしてカジノのことまで書かれています。

先崎 あのときはそんな本も書けたのですが、今はいろいろと難しいご時世です(笑)。

──こう言っては失礼ですが、読ませるコツを心得ていて、非常に文章がうまいですね。

先崎 ありがとうございます。

──たくさん本を書かれて、そのことによって読者を楽しませる一方で、将棋に対して集中できないところが出てきたということはありませんか。無我夢中、がむしゃらに戦い抜かないと将棋は勝てないものだと思いますが。

先崎 そうですね、プロの将棋は。文章を書かなかったら、もっとタイトルが取れたかもしれないし、そうではないかもしれない。分からないですね。でも、いろいろな仕事をしたいという思いはあります。将棋の世界は、当たり前ですけど将棋ばっかりやるので、そういう世界に身を置き続けることに対する疑問は若いころからありました。テレビの仕事や地方で将棋を教えたり、様々な仕事をしましたが、文章を書くのもその一環です。

──前にも触れた『一葉の写真』はなかなか面白い本でした。本の「序」を先崎さんの師匠である米長邦雄(永世棋聖、12年没)さんが書いている。序の冒頭数行目に、〈(先崎さんが)内弟子でいた三年間は、師匠の私はほとんど愛人の家に入りびたりで“火宅の人”であった〉と堂々と書いている。正直というか、豪傑というか、大したものです。そして先崎さんについて、こうも記している。

 先崎は固より、他人を切り捨てて生計を立てねばならぬライターではない。灌木が大木を論じて、得意気になっているところがある。自ら野中の一本杉となりて、天下を睥睨する男になってもらいたいものだ。(略)文中、名人の権威は地におちた云々とあるが、これなどは言わずもがな、書かずもがなのことである。入行間もない新人が頭取を評している図ではある。片腹痛い。

先崎 そんなことが書かれてましたか(笑)。全然覚えてないですね。

──米長さんも、一人前になった弟子に対して、けっこう思い切ったことを言うもんだなと思いました。普通、本の序には「うちの弟子が書いたから読んでください」と褒めて書くけど、それとは全く逆のことを書いている。本の構成として非常に面白いですね。

先崎 ありがとうございます。

──将棋連盟に加入して、プロとして食べている人は現在150人ぐらいですか。

先崎 現役の棋士が百三十数名で、引退まで含めるとあと50人ぐらい増えると思います。それと女流棋士ですが、正会員でない方もいますが、雑駁に言えば全部で200人です。

──将棋ファンが全国に1000万人いると言われています。その1000万人の中の選ばれた200人と言えるわけですが、末端の方たちは将棋で食べていけるのですか。

先崎 どんな世界でもそうでしょうけど、貧富の差はあります。格差がないと、この世界は成立しないですから。

──将棋だけをしていれば、最低限食える世界がある。先崎さんはその世界で、A級の現役バリバリだと胸を張れる位置に長らくおられた。今後、将来構想として、どんなふうにお考えですか。

先崎 まずは健康第一です。将来のことで言えば、もうさすがに年齢的なこともあって高望みはできないですね。みんな、もう死屍累累ですから、私の年代は(笑)。私は若い人たちといるのが好きなので、やる気のある若い人たちと一緒になって、少しでも将棋界のために役に立ちたいと思っています。

──後進の育成に努めるということですか。

先崎 そうですね、具体的なことはまだ考えていませんが。自分には弟子がいないのですが、そのかわりに後輩には大変恵まれています。この、今いるスペースにも毎週のように後輩が来てくれます。そういう後輩と、こちらも真剣、向こうも真剣、でも楽しく将棋を指しています。それからファンの方たちに対しては、昔ほど地方を飛び回るようなことはもう無理ですけど、また違った形で将棋の魅力を発信していこうと思います。

 先崎さんは見事にうつ病から生還した。多少「棋力」の衰えを自覚する口ぶりだが、若いころから筆力があり、二足の草鞋を履いてきた。自分や周りがどうなろうとツブシが利くタイプなのだろう。「棋」と「記」の両方で、まだまだわれわれを楽しませてくれるにちがいない。

今後のことは、まずは健康第一。そして若い人たちと一緒になって、将棋界のために役に立ちたいです。
「囲碁・将棋スペース 棋樂」では、アマチュア向けの将棋教室の開催だけでなく、先崎さんとプロ棋士の対局イベントも行なっている。写真撮影/細谷忠彦

「囲碁・将棋スペース 棋樂」では、アマチュア向けの将棋教室の開催だけでなく、先崎さんとプロ棋士の対局イベントも行なっている。
写真撮影/細谷忠彦

せんざき・まなぶ 1970年、青森県生まれ。小学5年のときに米長邦雄永世棋聖門下で、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関「奨励会」に入会。87年、四段になりプロデビュー。91年度「NHK杯戦」優勝。2014年、九段に。『摩訶不思議な棋士の脳』(日本将棋連盟)ほか著書多数。

みぞぐち・あつし 1942年、東京都生まれ。『山口組三国志 織田絆誠という男』(講談社)、『闇経済の怪物たち』(光文社新書)ほか著書多数。本連載をまとめた『人生の失敗 転んでもタダじゃ起きない』(七つ森書館)が好評発売中。

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