親子だからできること、親子だから難しいこと。

親子だからできること、親子だから難しいこと。

子が親を介護する─ごくありふれた光景ですが、それまでの関係が逆転する「親子介護」には、他人による介護とはまた違った悩みがあるものです。下の世話、終の住処、看取りなど、介護の場面場面で求められる判断にだれがどう答えるのか……。哲学者の岸見一郎さんと、本誌でもたいへんお世話になった永六輔さんの長女である永千絵さんに、ご自身の体験を通して介護が心にもたらす“効果”をお聞きしました。

親子の関係は、ほかの人間関係より難しい。

 先生も、お母さまが先に亡くなられたんですよね。

岸見 ええ。私が25歳、まだ大学院生だったときに脳梗塞で。49歳でした。

 ずいぶんお若かったんですね。私の母は2002年に68歳で、胃がんで亡くなりました。一般に女性のほうが長生きするので、父が残るとわかったとき、こんなはずじゃなかったと思ったんです。私たち子どもと父との間にはいつも母がいて、必要なことはすべて母経由でやりとりしていたので、父とどうやって生活していこうかということばかり考えていました。

学校の休みには、必ず家族で旅行していた永一家。お父さんと一緒に写真を撮るのが嫌だった千絵さん14、15歳のころ。

学校の休みには、必ず家族で旅行していた永一家。お父さんと一緒に写真を撮るのが嫌だった千絵さん14、15歳のころ。

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岸見 私は、小さいとき殴られたことがあったりして父とは関係があまりよくありませんでした。ですから、母が間に入ってくれていたのですが、母が亡くなって父と二人暮しになりました。父とは、同じ空間に居合わせるだけでも緊張しました。
 晩年、認知症になった父が「お前は一体いつになったら結婚するんだ? お前が結婚しないうちは死ねない」と言ったことがあります。もう結婚して30年も経っていたのですが……。このとき、父が私のことを気にかけてくれていたことがわかりました。そして、私がまだ独身で、2人で暮していた時期が、父にとってはいい思い出だったことに気づいたのです。

 私も、父の近くにいたくない時期がかなり長くありました。小学生の頃、父と手をつないで歩いていたら、前から来た人が私たちを見るなり指をさして笑ったんです。他人に大笑いされるほど、私は父に似ているのだとそのとき気づきました。同時に、父が顔を知られているから私がこんな目に遭うんだと思った。それ以来、私は父を避けるようになって、手をつなごうとする父の手を振り払ったこともあります。

岸見 親子の関係は、関係の近さと持続性の点で、ほかの人間関係よりも難しいのです。職場では、嫌な人でも仕事をして帰るときに「さよなら」と言えばそれで終わり。でも、親子はそうはいきません。嫌いでも付き合っていかなければいけないからです。

 父に介護が必要になって、腕をとって歩いたり、ベッドから抱き起こしたりしたときに「あのとき、手を振り払ってしまってごめんなさい」という思いがわきあがり、なんだか急に申し訳ない気持ちになってしまって。

岸見 「悪いことをしてしまったから、罪ほろぼしをしよう」とか、「親によくしてもらったから、一生懸命介護しないと」と思うと介護はつらいものになります。子どもは、親から受けたものを返せるはずがありません。でも、永さんの場合は、悪いことをしてしまったという思いがいい影響を与えたようですね。

 子どもの頃は振り払った手を、今はこんなふうにつないで歩ける、というのが楽しかったんです。

岸見 あるとき父が「忘れてしまったことは仕方ない」と言いました。普段は今し方のことも忘れてしまいましたが、認知症という病気は、ときおり霧が晴れたように頭が冴え渡る日があります。この言葉を聞いて私は、「過去にいろいろあったことを今さら問題にしてはいけない」と父が教えてくれたように思いました。過去に目を向けている限り、父と仲良くはなれない。今、目の前にいる父と付き合っていくしかないし、目の前にいる父をそのまま受け入れるしかないと気づいたのです。

介護は“真剣”に取り組む。でも“深刻”にならない。

 母が亡くなってから、父はずっと一人暮しをしていましたが、08年頃から呂律が回らなくなったり、転びやすくなったりといったパーキンソン病の症状が出始めました。でも、パーキンソン病の薬が劇的に効いて症状が軽くなったので、通院に私が付き添うぐらいで、あとは1人で暮せていたんです。
 状況が変わったのは、11年に家の中で転んで大腿骨頸部を骨折、緊急入院してからでした。このときも頑張ってリハビリをしたおかげで、退院後は一人暮しを続けることができたのですが、放っておくわけにはいきません。父は薬が大嫌いで、1人にしておくと飲まないんです。そこで、毎朝父の家に行って様子をみることにしたんですが、私が疲れた顔をして入っていくと「嫌だったら来なくていいです」と言われちゃうんですよ。

岸見 それ、言ってくださってよかったですね。ふつう、「疲れているな」とわかっていても言わないですから。お互いの心を探り合っているのがいちばんつらいです。ストレートに言えるのは、いい関係だと言えます。

子どもは何を選んでも後悔します。でも、子どもがした判断を親は決して責めないはずです。(岸見)
子どもは何を選んでも後悔します。でも、子どもがした判断を親は決して責めないはずです。(岸見)

 だから玄関の前で深呼吸して「おはよーっ!」と声をかけながら入るようにしました。これはいいトレーニングになりましたね。やらなきゃいけないことなら、どう楽しくやるかを考えるという。

岸見 私も、父がいつ死ぬかを恐れて、今日を無駄にしてはいけないと思いました。楽しい時間を共有する、今日を今日という日のためだけに生きる、と考えられるようになったのが介護で倒れなかった理由の一つだと思います。

 先生はお一人でお父様を看ていらしたんですか。

岸見 妻は働いていますから、ウィークデーは私1人で介護していました。幸いにというか、その3年前に私は心筋梗塞で手術を受けたために、仕事をあまりしていない時期だったのです。そうでなければ、父の介護はできなかったでしょう。実家と私の住む家は近かったので、毎日歩いて通いました。朝は父が起きる前に行って、夜は父が眠ってから帰るという日課です。食事の支度をしたりしながら、空いた時間は本を書いていました。介護は大変でした。感情的になってしまうこともありました。

 毎日通っていても不安ですよね。私が帰ったあとで父から「転んじゃったから、来てくれる?」と、電話がきたことがありました。加湿器のタンクを持ち上げようとして尻餅をつき、背骨を圧迫骨折してしまったんです。

岸見 私も、段差の多い昔の家ですから、父が転倒しないように重々気をつけていたのに、転倒して腰椎を圧迫骨折してしまったことがありました。それで自分を責めたのですが……。命がかかっていますから、介護は真剣に取り組まないといけない。しかし、深刻になってはいけない。“真剣”と“深刻”は違うのです。

介護で得られる「貢献感」をほかの人にも分けてあげる。

 つい、自分がやらなくては、と思ってしまうんですが、ときどき手を抜かないといけませんね。

岸見 「貢献感」をほかの人に分けてもいいと思うのです。貢献感とは、自分がすることがだれかに貢献していると感じられる気持ちです。貢献感を持てると、承認欲求から解放されて楽になりますしね。

 どういうことでしょうか。

岸見 承認欲求とは、他者に認められたいという気持ちです。たとえば、「一生懸命介護しているんだから、親に感謝されてもいいはずだ」と思うというようなことです。しかし親が感謝するとは限りません。承認欲求が強い人は「一生懸命介護しているのに、どうして認めてくれないんだ!」と不満が募ることになります。

 そうですね。

岸見 けれども、「介護することで、親に貢献しているのだ」と思えば、自分で自分の価値を認められます。自分は価値のある人間なんだという自信が持てますし、貢献することの喜びが得られます。この喜びを独り占めしないで、ほかの人にも分けてもいいではありませんか。

 今になってみると、「こんな思い出を持てるのは私だけだった。ごめんね、みんな」という気持ちは、確かにありますね。

岸見 そうですね。よくあることですが、普段あまり介護にかかわらないきょうだいなどが来たときに、愚痴を言うと誰も介護を手伝おうとはしません。でも、「こんな楽しいこと、私だけがしていていいの?」と、楽しそうにしていたら、「私にもやらせて」となるかもしれません。まあ、ならないでしょうが。介護はきれいごとでは済まないし、いいことばかりではありませんが、つらいと思っていると、なおさら手伝ってもらえないと思います。

親に勧める前に、自分が紙パンツをはいてみる。

岸見 介護がきれいごとでは済まないという一つに、下(しも)の世話があります。父はプライドの高い人でしたから、すごく嫌がっていましたが、最後には「拭いてくれ」とお尻を出して、下の世話を許すようになりました。私も、苦もなくできるようになりました。そのときに、かつて父もこうして、赤ん坊だった私の世話をしてくれていたのだろうなということに思い至ったんです。

 母の看護のときは、父に母の下の世話はさせられないと、私と妹とでしました。父のときには「はい、ちょっと見るね」という感じで、不思議なくらいあっけらかんとできました。私は息子が2人ですから、「昔こんなことをしたな」と思いながら。でも、父は嫌だったかもしれません。私の夫には、お風呂で背中を流したり体を拭いたりするのを手伝ってもらっていたようですが、私が「手伝うよ」と言っても、うんと言いませんでしたから。最終的には私も、体を拭くようになったんですが。

父は自分の体を知ろうとせず、「あなたがたいへんじゃないようにしてください」とすべて私にお任せでした。(永)
父は自分の体を知ろうとせず、「あなたがたいへんじゃないようにしてください」とすべて私にお任せでした。(永)

岸見 人間の尊厳の問題ですね。私の実家は2階が主な生活空間で、1階にトイレとお風呂があります。トイレに行くのに階段を下りないといけないのがネックになりました。尿意をもよおしてからトイレまで間に合わないのです。それで、父に「尿瓶(しびん)を置いておくから、ここでしたら」と言ったところ、怒りました。ちゃんと相談すればよかったのですが、一方的に言ったことが父は許せなかったのでしょう。

 私も父に「紙パンツをはいて」と言ったことがあります。夜トイレに起きて、廊下で転んだことが何度かあったので「間に合わないと思って慌てると、転ぶかもしれないでしょ。でも、紙パンツをはいてたら安心できるから」と。父は「僕が紙パンツをはいたら、あなたが安心なの?」と渋って、なかなか試してくれませんでした。

岸見 よく同意されましたね。

 その後、レギュラーでやっていたラジオ番組で「僕は今、紙パンツをはかされそうになっています」と、その日のゲストである鎌田實先生に話したんです。鎌田先生は父の主治医の1人で仲がよかったから、娘の所業を言いつけるつもりだったのかもしれません。そうしたら、鎌田先生が「僕もはいてます」っておっしゃった。先生は当時、紙パンツのCMに出ていらして、ご自分でも試していたんです。
 このやりとりを聞いて、父に勧める前に自分で試してみるべきだったって気づきました。

岸見 私は入院中、尿瓶では排尿は困難なことを知っていたので、言葉を選んで慎重に勧めるべきでした。

人は、生きているだけで価値がある。

岸見 認知症が重くなってから、父はほとんどの時間、自分の部屋で寝ているようになりました。下の世話などまだ何かやっているときはいいのですが、何もしていない時間が多くなりました。それで、「寝てばかりだから、来なくてもいいよね」と父に言ったら、「そんなことはない。お前がいてくれるから、安心して眠れるんだ」と答えたのです。

 私も、今思えば、何もしていない時間が多かったような気がします。妹が冷蔵庫に入れておいてくれたご飯を温めて、父と一緒に食べながらテレビを見るだけとか。だけど、私は父といるのが楽しかったし、父もそう思ってくれていたんじゃないかと思います。

岸見 それが介護です。何かをしなくては、と思わなくていい。ただ一緒に過ごすのだって介護です。同様に、介護される側の親も、そこにいてくれるだけで、価値がある。
 今、世の中は人間の価値を生産性で見ようとしています。何かができたら価値がある、できないと価値がない、と。要介護になった親は、何かを生産することはできなくなりましたが、価値が低くなったわけはありません。生きていることが、そのまま価値があることだと、私たちは知らないといけないと思うのです。

12年以上前、岸見さんのご自宅を訪ねてきたお父さんと。この頃はとてもお元気だった。

12年以上前、岸見さんのご自宅を訪ねてきたお父さんと。この頃はとてもお元気だった。

 本当にそうですね。父も母も、そこにいるというだけで、どれだけ心の支えになってくれていたか、亡くなって初めて気がつきました。

岸見 私は、心筋梗塞で動けなくなった経験があります。集中治療室で管につながれて、右を向かされたら右を向いたまま。そんな状態が2、3日続くと落ち込みました。仕事を失ない、家族にも迷惑かけて、生きている価値があるのかと。
 でも、もしも家族や友人が同じ状態になったら、私は「生きていてくれてよかった」と思うに違いありません。だから私も生き永らえたことで、家族や友人に貢献していると思っていいのだと思いました。私を看病するという貢献感を彼らが持つことに、私は貢献しているのだと。

 親は介護されることで、私たちが貢献感を持つことに貢献しているということですね?

岸見 はい。ですから感謝しないと。そう思えたら、深刻にならなくて済みます。

介護は“不完全であることの勇気”を持とう。

 父は何度か入退院を繰り返しましたが、最後の入院から家に戻って3ヵ月後の16年7月に亡くなりました。妹や夫とローテーションを組み、ヘルパーさんにも入ってもらって介護していましたが、あのときはあと3ヵ月だとは知りません。正直なところ、私自身の体力が年内は大丈夫だけれど、数年続いたらもたないだろうと思いました。結局、家で介護を続けましたが、妹と介護施設を探したこともあったんです。

岸見 介護施設に入れるというと、子どものほうが罪悪感を持ってしまうことがありますが、そんな必要はないと思います。介護で発言権があるのは、主たる介護者だけです。親本人でもないかもしれない。
 私の父は、最後は施設に入りましたが、家にいるときよりも状態がよくなりました。施設には仲間が大勢いることが、いい刺激になったのかもしれません。

 「入ってほしい」と言えば、父は施設に入ってくれたと思います。私たちが、父には向かないだろうと思ってやめたんです。父は好奇心旺盛な人でしたが、自分の体のことは知ろうとしませんでした。「あなたがたいへんじゃないように、あなたのいいようにしてください」とすべて私にお任せでした。あんなに何でも知りたがる人が不思議なくらい。

岸見 親の愛ですね。介護は、いろいろな判断を求められる場面に出遭います。胃ろうにするか、延命治療はどうするかとか。親本人に尋ねることができないケースも多い。親に代わって判断するとき、子どもはどちらを選んでも後悔します。でも、子どもがした判断を親は決して責めないはずです。

 母を自宅で看取ったときに、父のときはもっとうまくやれると思ったのですが、そうはいきませんでしたね。

岸見 私が学んでいるアドラー心理学では、「不完全であることの勇気」という言い方をします。介護をするとき、不完全であってもいいのです。介護は後悔の集大成のようなものです。完全な介護などだれもできません。

 あれもできたかもしれない、これもできたかもしれない、ああすればよかったなどと思うけれど、もうどうしようもないですしね。

岸見 父が家で転んで腰椎を圧迫骨折したとき、施設に入所する1週間前でした。いつも転ばないように注意していたのですが。私は偶然ではなく、父は入所するのがわかっていたのではないかと思いました。父を苦しませたのではないかと思うことが多々あります。でも、楽しかったことにもっと注目して、不完全であることの勇気を持たないといけないと思っています。

 不完全であることの勇気、いい言葉ですね。

岸見 今後、私たちが介護される側になったときにも、いい親になろうと思わなくていいのです。子育ても、手のかかる子ほどかわいいと言うでしょ? ですから私たちも、手こずらせる親にならなくては。

 不完全な親であることの勇気、ですね。

構成/佐々木とく子 撮影/大倉琢夫

えい・ちえ 映画エッセイスト。1959年、東京都生まれ。ラジオパーソナリティー永六輔さんの長女。成城大学卒業。学生時代から映画雑誌にエッセイを執筆。現在はカード会員誌『VISA』、朝日新聞夕刊に連載中。著書に父を介護した当時の心境を綴った『父「永六輔」を看取る』(宝島社)などがある。

きしみ・いちろう 哲学者。1956年、京都府生まれ。京都大学大学院博士課程満期退学。専門のギリシア哲学と並行してアドラー心理学を研究している。『嫌われる勇気』(共著、ダイヤモンド社)は185万部を超えるベストセラーに。『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)、『老いる勇気』(PHP研究所)など著書多数。

えい・ちえ 映画エッセイスト。1959年、東京都生まれ。ラジオパーソナリティー永六輔さんの長女。成城大学卒業。学生時代から映画雑誌にエッセイを執筆。現在はカード会員誌『VISA』、朝日新聞夕刊に連載中。著書に父を介護した当時の心境を綴った『父「永六輔」を看取る』(宝島社)などがある。

きしみ・いちろう 哲学者。1956年、京都府生まれ。京都大学大学院博士課程満期退学。専門のギリシア哲学と並行してアドラー心理学を研究している。『嫌われる勇気』(共著、ダイヤモンド社)は185万部を超えるベストセラーに。『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)、『老いる勇気』(PHP研究所)など著書多数。

『父「永六輔」を看取る』宝島社 本体1,300円+税

『父「永六輔」を看取る』宝島社 本体1,300円+税

『老いた親を愛せますか?』幻冬舎 本体1,100円+税

『老いた親を愛せますか?』幻冬舎 本体1,100円+税

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