週刊通販生活トップページ  >  読み物:「決死救命、団結!」――希望の牧場・吉沢正巳の訴え(後編)-1

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国の『全頭殺処分』方針は原発事故の証拠隠滅に思えた。

「どんなことがあっても牛を生かし続ける」
 そんな吉沢の思いがより強固な「決意」に変わった日がある。それは2011年の5月12日だった。
 この日、国と農林水産省は原発から20キロ圏内の警戒区域内の家畜を「全頭殺処分」とする方針を発表した。そして警戒区域内の家畜の飼い主たちに「殺処分への同意書」を配りはじめたのだった。
 これを知った吉沢は怒りを隠せなかった。

「警戒区域内で生き残った牛たちは『原発事故を語り継ぐ生きた証人』だ。被曝した牛たちを生かし続けて血液や尿を調べたり、被曝の実態や生まれてくる子牛たちへの影響を研究したりすることが必要なんじゃないか。それを『国の方針だから』と言って、ただ黙って殺せ? これは原発事故の証拠隠滅じゃないか。おれは牛たちを絶対に無駄死になんかさせない。殺処分の同意書に、絶対にハンコはつかない」
 吉沢の言葉を借りれば、「逆スイッチがバチーンと入った」瞬間だった。

事故で後ろ脚を切断することになった「二代目・ふく」。

 2011年7月。吉沢は警戒区域内の動物保護に尽力していた高邑勉衆議院議員(当時)や阿部知子衆議院議員らのサポートを受けながら、支援者たちと非営利一般社団法人「希望の牧場ふくしま」プロジェクトを立ち上げた。プロジェクトの目的は「原発事故で被曝した牛たちを学術研究目的で生かすこと」。吉沢は設立時から現在までずっと代表を務めている。
 代表になったからといって、やることに大きな変化はない。朝6時に起き、昼過ぎまで牛舎や放牧場の牛たちに1日5トンの餌を与える。午後は餌となる乾草ロールや「もやしかす」を自身が運転するトラックで引き取りに行き、牧場の餌置場に重機を使って積み上げる。牧場に草が生えない冬の間の餌を確保するために、各方面に餌の提供を呼びかけて奔走するのも仕事の一つだ。
 一時は餌のストックが底をつきそうになり、牛を「間引く」ことも選択肢の一つとして浮上したこともあった。ぎりぎりの状態は今も続いているが、そのたびに全国の支援者たちに助けられ、希望の牧場はなんとか活動を続けてきた。
 現在、希望の牧場の牛たちの餌は、栃木県や宮城県などの農家から厚意でわけてもらっている。しかし、それではとても足りないために、原発事故で放射能に汚染された牧草や稲わらを各地の農家から引き取って牛に与えている。

野菜くず、もやしカス、乾草ロール、果物など、いくつもの餌を与える。

「宮城県なんかでも、汚染された牧草や稲わらは問題化しているんだ。国や自治体は基本的には焼却処分しようとしている。だけど汚染が激しいものは住民の反対があるから燃やせない。だから農家が自分の農地に置いて保管したり、自治体が敷地を確保して保管したりしているんだ。放射能は福島県以外にも飛んでしまっているから、そういう牧草ロールはまだまだあるんだ。汚染された牧草や稲わらを抱えた農家さんは、置き場所が片付かなくて困っている。うちは餌がなくて困っている。だからうちで引き取って、出荷されることのない希望の牛たちに食わせてやりたいんだ。でも、国は汚染された牧草は移動するなという。じゃあ、どうしろっていうの? 本当に困ったよ」
 こうした牛の餌の運送費用やトラックの燃料代は、すべて希望の牧場の持ち出しだ。牧場の運営費用を支えるのは支援者からの募金。また、牛たちの世話をサポートするボランティアも全国から自腹で交通費や宿泊費を払ってやってくる。
「自分は2012年6月にエム牧場も退社したから、もはやこの牛たちは誰の牛だかはっきりしないんだ。エム牧場の牛なのか、それとも希望の牧場の牛なのか。おれにも村田さんにもわからないんだ。
 でもそんなことは問題じゃない。おれはもう60歳だから、ここで放射能の低線量被曝とも妥協しながら牛たちを生かし続ける。おれのようなベコ屋が牛の世話をできなくなったら、人生の意味なんてないんだからね」

ロールになった干し草をほぐして牛舎の牛たちに与える。

 原発事故後、吉沢が空間放射線量率を測るガイガーカウンターを手に入れたのは2011年6月になってからだった。その当時、線量計が示した牧場内の空間放射線量率は、平均すると毎時15〜16マイクロシーベルト前後だったという。
「木が生えているところなんかは線量が高くて、今でも10マイクロシーベルト以上あるよ。平地でも高いところはまだ6マイクロシーベルトぐらいのところもある。それでも、現時点(2014年末)の平均は、毎時1〜3マイクロシーベルトぐらいまで下がっているんじゃないかな」
 吉沢はこれまで自らの被曝を覚悟しながら牛たちに餌やりを続けてきた。もちろん健康上の不安が全くないわけではない。2011年7月には千葉県にある放射線医学総合研究所で、初めて内部被曝検査を受けた。
「最初の検査では6600ベクレル/kgだったよ。セシウム134が3100、セシウム137が3500ベクレル/kg。でもおれにはこの数値の意味がわからないんだ。『検査した浪江町民の中で何番目に高い数値なのか教えてくれ』って聞いたけど答えてくれなかった。ただ、一番高かった人の数値にかなり近かったことは覚えている。でも、この数値が高いのか低いのか、健康にどれくらい影響があるのかは、いまだにわからないままなんだ(笑)」

内部被曝検査の結果を見せる吉沢。この日は東京で松村と講演を行なった。

 吉沢はその後も20回程度の定期的な検査を受けているが、内部被曝検査の数値は回を重ねるごとに少なくなってきているという。
「最近は『問題のないレベル』だと言われているよ。被曝をヒステリックに考える必要はないと思う」
 吉沢は直近の検査結果を示す紙を見せながら笑い飛ばした。

おれはあえてみんなの賛否両論を聞きたいんだ。

 原発事故後から丸一年を目前に控えた2012年3月上旬。私はふたたび牧場に吉沢を訪ねて話を聞いていた。
「希望の牧場ってのはさ、殺処分に反対する畜産家たちが中心となって、行政、研究機関、民間企業と連携して放射線が家畜に与える影響を継続的に研究しようっていうものなんだよ。今は東北大学加齢医学研究所の福本学先生が、被曝した牛の血液採取やガラスバッジをつけて環境放射能のデータをとるなどの研究をしてくれている。その他にもいくつかの大学や企業の研究に協力しているよ。

希望の牧場では汚染土壌再生試験などさまざまな取り組みが行なわれている。

 でも、実際は連携するって大変なんだ。家畜の殺処分ひとつとっても、事故直後に家族の中でだってもめる。じっちゃんばっちゃんは『(殺処分の同意書に)ハンコつけ』と言うし、若い嫁は『嫌だ』なんて言う。結局、そうやって被災者どうしが対立していく中でみんなガタガタと崩れていったんだ。
 でも頑張っていた人たちもいた。いちばん許せないのは東電と政府だ。原発事故さえなければ、地元の人間が対立する必要なんかなかったんだから」
 吉沢はそう言ってやむなく牛の殺処分に同意せざるを得なかった農家の気持ちを代弁した。
 警戒区域内に残された牛たちに待っているのは、餓死か殺処分だ。「スタンチョン」と呼ばれる首輪のような器具をつけて飼育される乳牛の多くは牛舎の中で餓死していった。飼い主が自力で餌を取れるようにと器具を外しても、死んだ仲間が残っている牛舎から離れずに力尽きていった牛もいた。

被曝牛のスクリーニング(放射線量の表面汚染検査)も行なわれた。

 2012年3月当時、警戒区域内で生きの伸びていたのは牛舎から逃げ出して「離れ牛」となった肉牛がほとんどだった。国の方針に沿って殺処分をするためには牛を捕まえなければならないが、人がいなくなった警戒区域を闊歩する牛を捕まえるのは困難だった。牛の寿命は15年ほどで、出荷されなければ数は減らない。そして牛は一年中繁殖する。実際、私も離れ牛や震災後に生まれた子牛たちの群れが走り回る姿をたびたび目撃した。そのため離れ牛が住民のいなくなった民家に入り込み、家を荒らすという被害も報告されるようになっていた。原発作業に従事する車と離れ牛が衝突する交通事故も増えていた。
「牛がご近所迷惑の加害者になっていたのはそのとおり。でも、原発が爆発した後に牛を残して逃げた酪農家、畜産農家は全く正しい選択をしたと思うんだ。みんな大切な家族を避難させることに一生懸命だった。牛を避難先に連れていけないことははっきりしている。原発事故の後の避難行動は、誰にも批判される筋合いはない。みんな正しい選択だったと思うんだ」

牧場入口の看板。行政から看板を外すように言われたこともあったという。

 2013年10月中旬までに、旧警戒区域内では約1650頭の牛の殺処分が行なわれた。震災前にこの地域で飼われていた牛は約3500頭。つまり半数近くが殺処分されたことになる。
 殺処分にあたった担当者の話では、その時点での離れ牛は残り十数頭ということだった。そのため2015年1月現在、旧警戒区域内で離れ牛を見つけることはほとんどなくなった。
 吉沢は警戒区域内の離れ牛を保護して牧場に連れ帰る途中、行政が設置した柵に捉えられた牛が殺処分され、深さ3mの穴に埋められていく様子を何度も目にしてきた。
「本当は飼い主だって、現場の家畜保健衛生所の職員だって殺したくないんだ。家族同然に思って育ててきた飼い主もいたし、殺処分を担当して疲弊してしまった職員もいる。だから殺処分された牛たちは驚くほど丁寧に扱われていた。まるで人間の亡骸を扱うように、クレーンで下ろすときもゆっくりと、静かに降ろされていったんだ」
 今、旧警戒区域の中では「希望の牧場」のように柵の中で牛たちを管理しながら生かし続ける農家や団体が10軒存在する。その牛たちの総数は約640頭。約360頭を抱える希望の牧場はその中でも最大規模になる。

2012年初夏の浪江町請戸地区。この頃はまだ離れ牛の群れを見かけることもあった。
福島第一原発のすぐそばで見かけたこともある。

 しかし、希望の牧場のように「学術研究目的」で生かされている牛や、飼い主が殺処分に同意せずに生き延びている牛たちはあくまでも例外にすぎない。
「国の方針に反対して殺処分に同意せず、牛を生かし続けることには賛否両論あると思う。『生きていてよかったね』と言う人もいれば、『何やってるんだ』と言う人もいる。とくに殺処分に同意せざるを得なかった牛飼いの人たちの鬱屈した気持ちもよくわかる。『おれたちは泣く泣く殺処分に同意したのに、吉沢は売れもしない牛を生かしている』って酪農家から『お前の牛も殺せ』と言われたこともあった。そりゃあ快く思わないだろう。でも、おれはあえてみんなの賛否両論を聞きたいんだ。それが原発事故後の日本を生きるっていうことじゃないのか」
 国は今もなお「原則殺処分」の方針を撤回していない。吉沢は「原発の時代への逆戻りが始まっている」と言う。そんな国の政策に異議を唱えるため、吉沢は全国各地に軽ワゴン車の宣伝カーを運転して向かい、講演活動や街頭演説を続けている。

東京電力福島第一原発を視察する安倍総理に現状を訴えるため、原発入口の交差点で看板を広げる吉沢。

「福島県双葉郡浪江町、希望の牧場です。わたしたちは原発事故後も300頭以上の牛たちを生かし続けています。牛たちは放射能の被曝にさらされながら、今もなお元気に生きております。国は牛たちを全部殺せと言っています。
 その一方で、我々浪江町の避難民は、狭い仮設住宅の中で避難生活を送っています。残された時間はどんどん減っていく。このまま仮設住宅で人生が終わってしまうような、そんな絶望感の中で今苦しんでいます」
 福島県内の仮設住宅をまわる街宣活動を終えた後、宣伝カーを降りた吉沢は私にこう言った。
「仮設住宅のお年寄りたちの顔を見たかい? 覇気のある顔をした人なんてそうはいないだろう。みんな疲れているんだよ。
 今の国の政策は棄畜政策、棄民政策だ。人減らし、口減らし。時間とともに避難民の力がなくなっていくのを待っているんだ。こういう弱いものを踏みつけにするものと、おれは腹を据えて戦う。おれらは生き物だ。人間だ。がれきじゃないんだ。だから仮設住宅で元気をなくしているみんなにもおれの話を聞いてもらって、一緒に考えてほしいんだ」

国は、原発事故と牛の白斑症を結びつけるのを嫌がっているんじゃないか。

 2012年の夏頃、吉沢は牧場で飼育する一部の牛たちに「ある変化」が起きていることに気がついた。黒毛和牛の顔や体に、直径一センチほどの白い斑点が星のように広がっていたのだ。

原発事故後の2012年、吉沢は牛の顔や体表に白い斑点が出ていることに気づいた。

「最初はゴミか汚れかと思ってこすってみたんだよ。だけど、こすっても取れない。白い部分の毛をかきわけて根元を見ると、黒いはずの地肌まで白くなっていた。おれは牛飼いの経験が40年ぐらいあるけど、初めて見る症状だった。牧場に通ってくれている獣医師に見せても『わからない』と言われたんだ」
 奇妙に思った吉沢が牧場内の牛を調べていくと、白斑の量は個体によってさまざまだが、同じような白斑が出ている牛が約20頭もいた。
「どの牛も元気だったし、あまり目立たないからそのうち消えるかもしれないと思って経過を見ていたんだ。人間だってストレスで白髪が生えることはあるしね。ところがいつまで経っても白斑が消えなくて、逆に白斑の数が増えて目立つようになってきた。これはちょっと異常じゃないかと思って、警戒区域で牛を生かしている他の農家にも聞いてみたんだ。そうしたら大熊町で飼われている牛10頭にも同じような症状が出ていることがわかった。だから農水省に詳しく調べてもらいたいんだ」

農林水産省で林芳正大臣に窮状を訴える吉沢。

 2013年9月6日。吉沢は希望の牧場を個人的に支援していた渡辺喜美衆議院議員(当時)、中西健治参議院議員の紹介を得て、農水省に林芳正大臣(当時)を訪ねて行った。
 要請内容は大きく2つ。1つは自治体などが保管している汚染された牧草や稲わらなどを焼却処分せず、出荷されることのない被曝牛の飼料にするための移動を認めること。もう一つは白斑が出ている牛を含めた被曝牛の調査を国が責任を持ってやることだった。
 このうち、飼料については吉沢が望むような回答は返ってこなかった。しかし、被曝牛の調査については動きがあった。
 2013年10月10日。農林水産省からの連絡を受けたつくばの動物衛生研究所や福島県家畜保健衛生所のスタッフが、白斑牛を調査するため希望の牧場にやってきたのだ。
 この時の検査に参加した牛は10頭。そのうち5頭が白斑症状の出ている牛だった。保健所のスタッフはすべての牛から採血し、白斑が出ている部分の体毛を剃り、皮膚の切片も採取していった。

牛に現れた白い斑点は毛だけでなく皮膚まで白くなっているケースもある。

 そしてこの検査結果は約1ヵ月後に吉沢に告げられた。
「血液検査の結果、『全10頭に銅欠乏症が認められる』って言われたよ。このままでは牛がいつバタッと倒れてもおかしくないくらいの数値なんだそうだ。だから銅含有率の高い混合飼料も与えるようにしたんだ」
 しかし、白斑が出た原因はわからないという。検査では皮膚病変を起こす程度の有意な病原菌もみつからず、外部寄生虫(ダニ)や外傷、臨床的な真菌症も認められなかったという。吉沢は「放射能の影響だと確信を持っていた」と言うが、それもはっきりしないままだった。
「国は『原発事故との因果関係があるのかないのか』という土俵に乗ること自体を嫌がっているんじゃないだろうか。尿検査や血液検査の数値は出すが、そのことと白斑症を結びつけようとはしない。これまで被曝牛の血液検査は合計5、6回してくれたけれど、なぜか遺伝子損傷検査や染色体の検査はやらないんだ」
 吉沢の国に対する不信感は募るばかりだった。

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