週刊通販生活トップページ  >  読み物:映画『牡蠣工場』監督・想田和弘さんインタビュー

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「観察してみて面白くない人はいない。どんな人でもどんな場所でも必ず映画になります」

目の前の現実を、
先入観なしに「観察」する。

——想田監督の新作『牡蠣工場』が公開中です。この作品は「観察映画」の第6弾ということですが、「観察映画」とはどういうものなのか、まずご説明いただけますか。

(c)Laboratory X, Inc.

想田  僕が「観察映画」というとき、「観察」には二重の意味があります。
 一つは、僕自身が目の前の現実をよく見てよく聞いて、そこで発見したことを映画にするということ。もう一つは、観客にも映画の中で起きていることをよく見てよく聞いてもらって、それぞれ自分なりの解釈をして、自分の頭で考えてもらうということです。
 「観察」というと、どうしても対象から距離を置いて、離れたところから第三者的に見るというイメージでとらえる方が多いんですけど、そういうことではない。今回の映画でも、僕自身の声がかなり入っていたりすることもあって「もう観察映画じゃないね」などと言われることがあるのですが、「観察」という言葉をそういう意味で使っているわけではないんです。

——第三者的に「観察」するということではないんですね。

想田  そもそも、ドキュメンタリーには完全に第三者的な、安全な観覧席というものはないと思っています。「見れば必ず見返される」のがドキュメンタリーですから、どうしても、「自分を含めた世界」の観察にならざるを得ないわけです。
 そして、その意味での「観察」を実現するために、僕が定めた「観察映画の十戒」というのがあるんですね。

——「十戒」ですか?

想田  一が「リサーチをしない」。リサーチをして、先に知識を仕入れてしまうと、それが先入観になって、どうしても自分のすでに「知っている」ことばかりを撮ろうとしてしまうからです。
 二は「被写体になる人たちと打ち合わせをしない」、三は「台本を書かない」。とにかく、行き当たりばったりでカメラを回すということです。
 こんな調子で「十」まであるんですが、つまりは予定調和を避けるということ。先にテーマや言いたいことを設定して、それに合致することにカメラを向けるのではなくて、まずは「見させてもらう」。そこで何が起きるかはわからないし、もしかしたら映画にならないかもしれない。だけどとにかくカメラを向けて、そこから何が出てくるかなという態度で撮っていくのが「観察映画」なんです。

被写体は選ばない。
牡蠣工場との出合いも偶然だった。

——リサーチを一切しないということは、カメラを向ける被写体はある意味で「誰でもいい」ということにもなりそうです。

想田  たぶん、本来はどんなことでも必ず映画になるんだと思うんですよ。「観察してみて面白くない人はいない」というのが僕の持論なんですが、カメラを向けてみれば、必ずその人の中にはドラマがあって、日常にもスリルとサスペンスがある。だから、どんな人でもどんな場所でも必ず映画になるんです。被写体を選ばないのが観察映画なんです。

——今回は岡山県・牛窓(うしまど)の牡蠣工場が舞台になっていますが、本質的には場所も選ばないということですね。

想田  そうなんです。なにせリサーチをしないですから、たまたまご縁のあったところにカメラを向けるしかない。牛窓とのご縁も、妻の母親の故郷ということでよく遊びに行っていたところから始まっています。
 だから今回の映画を見た方に、牡蠣工場に中国人研修生が来ていることや、東日本大震災で被災して移住してきた人がいることぐらいは知ってたんでしょう、それを撮りに行ったんでしょうと言われるんですが、どちらも撮影に入るまでまったく知らなかったんです。

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──どこでも、誰でも、観察すれば映画になる可能性はある。その中で、想田さんが「これを映画にしよう」と思われるかどうかの境目はどこにあるのでしょう。

想田  自分が興味を持っているかどうかでしょうね。今回の映画でいえば、もともとは漁師の世界に興味があったんです。
 牛窓で何度か夏休みを過ごしたりするうちに、地元の漁師さんたちと知り合う機会があったんですが、その方たちがみんな70代、80代だったんですね。それで、魚もどんどん減っているし、後継者もほとんどいないという話を聞くうちに、もしかしたら、僕たちが当たり前だと思っている「漁師さんがいる光景」というのは、今後消えていってしまうものなんじゃないか、しかもそれは牛窓だけではなく日本全体で起こっていることなんじゃないかと思ったんですね。
 日本は島国で、海とすごく関係の深い国だし、漁師という職業は、日本人の自己像を形作る非常に重要な部分だと思うんです。でも、その職業自体がもしかしたら消えてなくなりつつあって、10〜20年後には「昔は漁師っていう職業があったんだよ」なんてことになるのかもしれない。そう想像してみたら、すごく衝撃的だったんです。
 そこで「これは撮っておいたほうがいいな」と思ったのと、あと、不思議だったということもあります。

——不思議だった?

想田  だって今、日本は少子化かもしれないけど、世界的に見れば人口は増えているわけですよね。ということは、当然食への需要は上がっていくはずなのに、どうしてそれを支えるはずの産業が儲からなくて後継者がいないという話になるのか。映画なら、「見る人がいないから、需要がないから儲からないんだよ」といわれるし、そのとおりですとしか言いようがないんですけど(笑)、魚はみんな食べるじゃないですか。それなのに漁業は衰退していく。そこにどんな力学が働いているのかを見ておきたいという気持ちもありました。

——でも、実際に撮影されたのはいわゆる「漁」ではなくて牡蠣工場。

想田  そうなんです。「撮影させてください」とお願いした漁師さんは、普段は魚を獲る普通の漁をされている方なので、そんなイメージを抱きながらカメラを持って参上したら、ちょうど11月が牡蠣むきのシーズンが始まるところだったので、そちらを撮らせてもらうことになって。僕はその方が牡蠣の工場をお持ちなことさえ知らなかったですから、これも本当に偶然なんです。
 だから、もし僕が観察映画という方法論で映画を撮らない人間だったら、「イメージと違ったから」という理由で、そこで撮影をやめていると思います。でも観察映画の場合は、むしろあらかじめ抱いているイメージはなるべく頭から取り去って目の前の現実を観察する、そしてそこから何が見えるかを考えるという順序なんですよね。だからやめなかった。そして今回の映画ができたわけです。

自分自身も観客から
「観察される」対象になる。

——撮影の時点ではテーマなども決めていないとすると、いつまで撮影を続けるか、どこでやめるかというポイントはどうやって決めるのですか。

想田  今回の場合は、映画の中にも出てきているように、牡蠣工場のオーナーから「(今日から中国人研修生がやってくるから)工場での撮影をやめてほしい」と言われます。あのときは交渉して撮影を続けられたのですが、結局、次の日には改めて「撮影をそろそろやめて欲しい」と言われました。だからそこでやめる以外に選択肢がなかったんですが…特に期限が決まっていない場合はその気になればいつまででも撮り続けられます。それでも終わりが来るのは、撮っていて「だいたいこれで撮れたな」という確信めいたものが出てくるから。そしてその確信というのは、文句なしにこれは強い、映画的で見応えのあるシーンだなという、「核となるシーン」がいくつも撮れたときに出てくる気がします。

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──今回の映画でいえば、それはたとえばどんなシーンですか?

想田  いくつかあります。僕は編集作業のとき、最初はテーマも設定せず、時系列も関係なしに、「ここのシーンは面白いな、絶対に重要だな」と感じた部分から編集していくんです。今回最初に編集したのは、近所の牡蠣工場の人たちが「うちで働いていた中国人が、1人やめちゃったんだ」という話をしはじめる場面でした。あの場面が撮れたことによって、「牡蠣工場に中国人がやってくる」ことが、映画の一つの縦糸になるに違いないというのが見えてきた。

——お話に出た、工場のオーナーから撮影を止められる場面ですが、それに答える監督の声が入っていたりと、それまでの場面とは違って監督自身の存在が前面に出てきますよね。そこに少し違和感というか、唐突な感じも受けたのですが、編集の際に、あの場面をそのまま使おうと思われたのはなぜでしょうか。

想田  あの場面で、急に「もうやめてくれ」と言われたことはかなりショックなことだったので、僕自身もかなり焦っています。観客はあの場面で、おそらくその焦りをも含めて「観察」することになるわけで……。僕自身のスタンスや対応の仕方が、見る人にさらけ出されているんですよね。いろんな場所や人を観察させてもらっているわけですから、僕自身もそうして「観察される」面があったほうがフェアだろうと思うんです。
 あともう一つ、オーナーのあの言葉から伝わってくるものもたくさんあると思ったんです。きっと、「中国人研修生を受け入れる」という初めての経験を前に、漠然とした不安を抱えておられるんですよね。そこに僕らのような、よく分からない撮影隊がいるというのは、不確定要素が二つになっちゃうわけで、もしかしたら、緊張感の限界だったのかもしれないと感じました。

——同時に、言葉も通じない場所で嫌な思いをしないようにという、オーナーの研修生への気遣いも伝わってくるシーンでした。

想田  そうですね。それも含めて、いろんなものが映り込んでいる場面だと思います。もちろん、非常に繊細な部分ですから、あの場面を使うことにまったく躊躇がなかったといえば嘘になるんですけど……。でも、その繊細な部分にこそ、工場の人たち、そして僕たち作り手の無意識が見えるようなところもあると思うんです。だから、僕の中では非常に重要なシーンですね。

——実は、あのシーンに違和感を覚えたのには理由があって。牡蠣の養殖場や工場の場面の合間に、近所で飼われている猫の「シロ」が何度も登場しますよね。そういう場面を見て、もしかしたらこの映画は『吾輩は猫である』みたいに、猫の視点で人間の世界を観察しているという立ち位置なのかなと思ったんです。

想田  それは面白いですね。そういえば、猫は僕(想田)のメタファーだ、と書いていた批評家の方もいましたよ。

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──監督自身が、あの猫のシーンを読み解くとするとどうなりますか。

想田  これは「正解」ではなくて、あくまで僕自身の解釈なんですが、猫を撮り始めた最初の理由は、単純に「かわいいから」です(笑)。とにかく猫好きなので、シロが寄ってくると「あ、シロが来た、かわいい」ってカメラを回しちゃうんですよ。
 ただ、撮っているうちにだんだん、シロが様々なもののメタファー(隠喩)に見えてきたんです。シロって、ちゃんとよその家に飼われていて、自分の家があるんですよね。なのになぜかしょっちゅう僕たちの家にやってきて、中に入りたがる。僕らは猫好きだから、来てくれるのはうれしいけれど、あくまで「よその子」だからうちの子にはできない。そういう存在なわけです。
 それが、牡蠣工場で働いている中国人研修生の姿と、どこか重なって見えたんですね。あと、東日本大震災で被災して、宮城から牛窓に仕事を求めて移住してきた方が登場しますが、その一家にも少し重なるところがある。あと、僕自身にも重なりました。

——監督自身ですか?

想田  僕と妻も、日本という生まれ故郷があるんだけどなぜかニューヨークに住んでいる。そこでは、いちおうは歓迎はされているけど、正式な市民というか「フルメンバー」ではない。ある意味で「よそ者」なんですよね。その立場が、どこかシロと重なる気がして。
 ただ、一緒にシロと遊んでいた妻は、まったくそんなことは考えていなかったみたいで「まさかあのシーンを使うとは思わなかった」と言ってましたけどね(笑)。

『牡蠣工場』

監督・製作・撮影・編集 想田和弘
製作・柏木規与子
2015/日本・米国/145分

瀬戸内海にのぞむ小さな町、岡山県の牛窓にある牡蠣工場を舞台にしたドキュメンタリー。東日本大震災で家業の牡蠣工場が壊滅的打撃を受け、宮城県から移住してきた一家は、ここ牛窓で工場を継ぐことになった。そして2人の労働者を初めて中国から迎えることを決心。だが、中国人とは言葉が通じず、生活習慣も異なる。隣の工場では、早くも途中で国に帰る脱落者も。果たして牡蠣工場の運命は? グローバル化、少子高齢化、過疎化、第一次・第二次産業の苦境、労働問題、移民問題、そして震災の影響など、牡蠣工場という小宇宙に大きな問題が浮かび上がる。

東京・シアター・イメージフォーラムにて公開中! その他、全国順次公開予定
公式ホームページ http://www.kaki-kouba.com/

『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』
想田和弘(著)ミシマ社(編) 1,800円+税

「観察映画」をつくる監督を逆観察──。映画『牡蠣工場』が完成するまでの約2年間を、想田監督へのインタビューを通じて記録した1冊。

想田和弘(そうだ・かずひろ) 映画作家。1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒。93年からニューヨーク在住。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。 これまでの監督作品に『選挙』『精神』『Peace』『演劇1』『演劇2』『選挙2』があり、国際映画祭などでの受賞多数。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)、『カメラを持て、町へ出よう』(集英社インターナショナル)、『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』(ミシマ社)などがある。

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