週刊通販生活トップページ  >  読み物:映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』監督・古居みずえさんインタビュー

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「『笑ってねえど、やってらんねえ』。怒りや痛みを抱えながらも、力強く生きる女性たちの姿を撮りたいと思いました」

故郷を奪われた飯舘村民の姿が
パレスチナの人たちと重なった。

──「飯舘村の母ちゃんたち」というタイトルの今回の映画は、福島県伊達市の仮設住宅で避難生活を送る飯舘村出身の2人の女性、菅野榮子さんと菅野芳子さんが主人公になっています。ともに飯舘村の農家の「母ちゃんたち」であるお2人の明るいキャラクターがとても印象的だったのですが、古居さんは彼女たちとはどういった経緯で出会われたのですか。

(c)Mizue Furui 2016

古居  飯舘村には2011年5月、計画的避難区域に指定された数週間後に初めて訪れました。その後、酪農家のお母さんたちを取材するために、村の人たちが暮す仮設住宅にも伺うようになって。そこで「面白い活動をしてる人がいるよ」と、榮子さんたちが開いていた、飯舘村の伝統的な味噌造りのワークショップのことを教えてもらったんです。避難生活が始まって2年目の、2013年のことでした。
 行ってみたら、榮子さんはじめ仮設に住んでいる女性たちが「ソーラン節」を歌いながら、袋に入った豆をつぶして、味噌をつくっていて。日頃はあまりやることがなくて元気のない女性たちも、そのときばかりは生き生きとして、笑い声があふれている。そういう様子を見ていて、「いいな、撮らせてもらいたいな」と思って取材に通い始めました。

──古居さんといえば、パレスチナを取材してこられたイメージが強いのですが、そもそも飯舘村を取材しようと思われたのはどうしてだったのでしょうか。

古居  原発事故後、飯舘村の全村避難の話を聞いたときに、ふとパレスチナのことが思い浮かんだんです。
 もちろん、紛争と原発事故で状況は違うけれど、力ずくで故郷を奪われて、突然人生を一変させられるという意味では同じです。それも都市住民ではなく、自然の中で土地に根付いて生きていた人たちが、その土地を追われてしまうという点でも、パレスチナを連想させられました。それが取材を始めたきっかけです。
 榮子さんたちは、突然訪ねていった私をすごく自然に受け入れてくれました。そういうところも、パレスチナの人たちと同じですね。彼女たちはパレスチナのことはよく知らないんだけど、「弾が飛んでくるようなところだ」というのは知っていて、「そんなところに行くような人が、なんでこんなところにいるんだ?」と言われたりしました(笑)。

──榮子さんと芳子さんは、飯舘村でも、仮設住宅でもすぐ近所に住んでいて大の仲良しなんですね。「ばば漫才」という言葉が出てきたように、途切れることないテンポのいいおしゃべりに、思わず笑ってしまった場面もいくつもあって。原発事故後の福島を扱った映画の中で、これほど「笑える」映画はなかったのでは? と思いました。

古居  榮子さんは本当に「話し出したら止まらない」人で、撮影していたらあっという間にカメラのデータ容量がいっぱいになってしまうんです(笑)。それに横で芳子さんが合いの手を入れるわけですけど、おとなしそうに見える芳子さんもそれだけの人ではなくて……実は、榮子さんは芳子さんがいないとダメなんですよね。芳子さんが家族のところに行って不在だったりすると、とたんにショボンとしちゃうし、芳子さんの言うことだけは聞くんです。こういう関係っていいなあ、被災者だからというんじゃなくて、私も将来的にこんな友達のいる生活ができたらいいなあと思っちゃいました。

(c)Mizue Furui 2016

──本当に、いいコンビですよね。

古居  ただ、榮子さんも芳子さんも、笑ってはいるけれど、もちろんそれぞれに生活もあって、悩んでいることもあって……。家族がばらばらに避難生活を送っていて、かわいがっている孫にもなかなか会えなかったりと、たくさんの怒りや痛みを抱えている。あの笑いは、その上で自分の心を奮い立たせるための笑いでもあるんですね。映画のキャッチコピーになっている「笑ってねえど、やってらんねえ」ということだと思うんですよ。深刻な話をしていても、最後は必ず「わっはっは」で終わるんです。
 そんなふうに、厳しさと、現状に負けない生き生きした明るさと、両面を兼ね備えている。そういう彼女たちの生き方をこそ、私は撮りたかった。そして、彼女たちの日常を通して、原発事故がどれだけ人に対して、そして家族や地域に対して影響を与えるものなのかを伝えていければ、と思ったんです。

食文化を守る。何十年後、何百年後かに、
飯舘村のことを伝えるために。

──そして、映画のもう一つの主役ともいえるのが「食べ物」です。榮子さんたちが育てている野菜や、それを使った漬け物、お餅やおはぎ…。どれもとてもおいしそうでしたし、自分で食べるものは自分でつくるという生活の力強さみたいなものを強く感じました。
 先ほど「味噌造りワークショップ」の話が出ましたが、榮子さんたちは今、県内外の各地で飯舘村の伝統食の作り方を教えるワークショップを開いているんですね。

(c)Mizue Furui 2016

古居  凍み餅、凍み大根、凍み豆腐、さすのみそ…榮子さんはじめ、飯舘村の伝統的な食文化を残そうという思いをもった人たちが、「いいたて匠塾」というグループをつくって活動しているんです。
 かつての飯舘村の暮しが、すぐに元通りになることはない。でも、もしかしたら何十年後、何百年後かに、また誰かがあの土地に住んで村を復興してくれるかもしれない、という希望を榮子さんは持っているんです。そのときに「飯舘村はこういうところだったよ」と分かってもらいたい、そのために食文化を残していきたい、というんですね。その思いがすごいなと思いました。

──もともと原発事故前の飯舘村は、食文化だけではなくて、日本版スローライフの「までい(手間暇を惜しまない)ライフ」で全国的に有名だったそうですね。

古居  自然に根ざしたその生活に惹かれて、よその県から移住してくる人や、別荘を建てて週末などだけ過ごしに来る人もいたそうです。本当に人間らしい、今の原発政策とは対極のところにある暮し方をしようとしていた村だったわけで。そこの人たちが、原発事故によって土地を追われることになったというのは、なんとも皮肉な話です。

福島だけの問題ではない。
そのことを、映画を通じて伝えていきたい。

──映画では、榮子さんたちが飯舘村の自宅を訪れる場面も何度か出てきました。

古居  そこがパレスチナとは違う点ですよね。故郷が、物理的に破壊されたわけではなくてそのままあるのに、そこで暮すことはできない…。放射能は目に見えないし臭わないし、住めるんじゃないかと思ってしまいますよね。震災後に亡くなった芳子さんのお父さんは、「俺はここから動かない」って自宅を離れようとしなくて、家族を困らせたそうです。もちろん、パレスチナとどちらがつらいというのではないけれど、「敵」が見えないつらさというのはありますね。

──住民が避難してからもまもなく5年が経つわけですが、村の家々はどんな様子なのでしょうか。

古居  榮子さんたちは「家が死んでる」という言い方をしますね。人がいないと家は死ぬんだ、夏でも空気が冷たく感じる、と。
 だから、最初は自宅に帰ると夜泊まったりしていたんだけど、最近は泊まるのも嫌になってきたそうです。亡くなった家族の写真が飾ってある部屋に、1人で寝ているのがつらくなるんですって。本当ならお子さんやお孫さんとしょっちゅう行き来する賑やかな家庭で、思い出もいっぱいあって。それなのに今は誰もいないという状況で、自分だけがそこにいるのがつらいんじゃないでしょうか。
 私が同行したときも、榮子さんは家の中にはなかなか入りたがらなかったですね。お願いして、やっと中を見せてもらったんですけど。

(c)Mizue Furui 2016

──本当なら、一番落ち着ける場所であるはずの自宅がそうなってしまっているのは切ないですね。

古居  今は、榮子さんたちにとっては仮設のほうが「おうち」になっていて、仮設に戻ってきたら「ただいま」という感じのようです。耕す畑もあるし、お友達もいる。家って、「箱」があればいいというものじゃなくて、周りに住んでいる人たちとのつながりなどがあって初めて「家」なんですね。
 ただ、仮設住宅にはいつまでもいられるわけではなくて、いずれは復興住宅などへ移動することになります。そうすると、せっかくできたコミュニティがまたばらばらになってしまうかもしれない。中には「自分はもうそんなに長く生きないんだから、そんなに頑丈な建物をつくってもらわなくてもいい、今の仮設のままでいいから友達と一緒にいたい」とおっしゃっている方もいました。せめて、コミュニティごとまとまって移動させてあげられるといいのですが……。

──原発事故から5年以上が経った今も、避難生活を続けている人は10万人以上います。本作のパンフレットには、「私たちに何ができるのかを模索してほしい」とありますが、古居さんご自身は「自分の役割」をどう考えておられますか。

古居  やっぱり、飯舘にしてもパレスチナにしても、「よそ者」である私なりに彼らの声を「伝えていくこと」なのかなと思っています。そのためにも、この映画をいろんなところで見ていただきたいですね。
 そして、見た人には、この原発事故の問題は5年で終わり、10年で終わりというようなものではないし、決して他人事でもないんだと感じてもらいたい。どうしても「福島だけの問題」と思われがちですし、政治もそう思わせようとしている気がしますけど、実際には日本には54基も原発があるんだから、どこで同じことが起こってもおかしくないはず。その現実を、もっと言っていかないといけないと感じています。

『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

出演 菅野榮子 菅野芳子
監督・撮影 古居みずえ
プロデューサー 飯田基晴 野中章弘
製作 映画『飯舘村の母ちゃん』制作支援の会
2016年/日本/95分

菅野榮子(かんの・えいこ)さんは79歳。孫に囲まれた幸せな老後を送るはずが、福島第一原発の事故で一転。住み慣れた福島県飯舘村は全村避難となり、ひとりで仮設住宅で暮すことになった。支えは親戚であり友人、78歳の菅野芳子(かんの・よしこ)さん。避難生活で両親を亡くし、ひとりで榮子さんの隣に移ってきた。「ばば漫才」と冗談を飛ばし互いを元気づける、2人の仮設暮しが始まった……。

5月7日(土)よりポレポレ東中野にて公開 ほか全国順次 公式ホームページ http://www.iitate-mother.com/

古居みずえ(ふるい・みずえ) 1948年島根県生まれ。アジアプレス所属、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会会員。1988年よりイスラエル占領地を訪れ、パレスチナ人による抵抗運動・インティファーダを取材。特に女性や子どもたちに焦点を当てて取材活動を続けている。映画『ガーダ パレスチナの詩』で第6回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞、映画『僕たちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』で第3回座・高円寺ドキュメンタリー大賞受賞。主な著書に『ガーダ 女たちのパレスチナ』(岩波書店)、『パレスチナ 戦火の中の子どもたち』(岩波ブックレット)、写真集に『パレスチナ 瓦礫の中の女たち』(岩波書店)がある。

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