週刊通販生活トップページ  >  読み物:ドキュメンタリー映画『FAKE』監督・森達也さんインタビュー

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「白か黒かの二項対立ではない“グレーの部分”にこそ、もっと豊かで、もっと面白い要素が隠れている」

「安保法制で日本が大きな曲がり角を迎えている時期に、なんでお前は佐村河内なんかを撮っているんだ」

──最近森さんが書かれた文章を読んでいると、ご自身の映画について語ることに強い違和感を表明されていました。なので今日は作品だけでなく、それをとりまく社会状況を含めて話を伺えればと思います。
 森さんは、世間から批判的に見られる団体など毎回刺激的な題材を映画にしていますが、そうした少数派に対する寛容性みたいなものが、年々失われつつあると感じるのですがいかがでしょう。

 1995年に『A』を撮りながら感じたのは、オウムという「悪」に対抗するために、社会全体が1つの集団になってしまったこと。この傾向はおそらく今後も続くんじゃないかと思ったら、むしろ加速しています。
 「集団化」は、言いかえたら「群れ」です。群れは、要するに同調圧力ですから、みんなで一体になろうという気持ちがとても強くなっている。これは別に人間だけじゃない、鰯やメダカを見ればわかるけど、弱い生きものは群れを作ってみんなで一緒に動くでしょう。一緒に動かない者は群れの中で異物になってしまう。
 そもそも何で群れをつくるかというと、外敵に襲われないためですよね。異物がいると外敵に襲われやすいということで排除する。「集団」というのはつまり、「みんなでつながろう」と言いながら、同時につながらないやつに対してはすごく厳しい制裁を加える。それが、まさしく今の社会の状況だと思います。

(C)2016「Fake」製作委員会

──群れのなかの少数派だけでなく、いわゆる「保守」と「リベラル」といった拮抗した勢力がお互いの意見を無視し合うことも、同調圧力で説明できますか。

 群れの本能がむき出しになれば、より攻撃的になります。イナゴなんかが一気に増えて作物を根絶やしにしてしまう「蝗害(こうがい)」ってありますよね。サバクトビバッタというトノサマバッタが典型だけど、数が増えるときに性格も変わるんです。凶暴になる。生物学で「相変異」と言うんですが、個体も変わる。羽根が長く、色も変わって、ちょっと大型になる。ふだんは草食なんだけど、肉食になる。
 僕は、この変化が人間にも起こると思うんです。つまり、群れがどんどん強くなると、より異物を排除したい、もしくは敵を探したいと攻撃性がより強くなる。なぜならば一人称単数の主語を失うから。

──個人的には、そのあいだでお互いが納得できる答えを探すことが大切だと思うのですが、そのためには何が必要だとお考えですか。

 「視点を変えること」です。あなたが見ている世界はひとつの方向でしかない。視点を変えたら違う世界が見えるはずですよって。

──森さんの書籍を読んでいると、この20年くらい一貫してそうおっしゃっています。「視点を変えること」は、なぜ広がらないんでしょう。

 それは僕の本が売れないから(笑)。みんな読んでくれないし、映画も見てくれない。

──失礼ですが、森さん、映画を興行的に成功させる気持ちはあります?

 毎回ありますよ。『A』も『A2』もそうだし、今回の映画も、今度こそ当たるぞって思っています。本もそうです。ただ、世間的に当たる方向がわからないのかもしれない。そっちに行く方法があれば教えてほしいくらいです。

──今回の映画『FAKE』は、佐村河内守さんという、一時期世間を大いに賑わせた方を主人公にしています。映画を見る前は、森さんもすこし世間のウケを狙ったのかもと思いました。

 友人からも、「なんでお前は佐村河内なんかを撮っているんだ」と散々言われました。2014年から撮影を始めましたが、社会的には特定秘密保護法や安保法制の問題があり、日本が本当に大きな曲がり角を迎えている時期に、森は何をやっているんだって。

(C)2016「Fake」製作委員会

ドキュメンタリーは、「撮る側の作為」と
「撮られる側の反応」を撮ること。

──映画の資料には、「単なるゴーストライター騒動をテーマにしているつもりはもちろんない」とありましたが、最初は書籍の企画で佐村河内さんに会われたとも聞いています。それがなぜ映画に?

 理屈よりも、佐村河内さんに会って話をして、絵になる男だなと思ったのが最初の感覚でした。それは彼だけでなく、奥さんがいて、猫がいて、暗い部屋があって、窓をあけるとマンションの下を電車が通っていてという状況を含めて、これは映像だなと思ったんです。

──佐村河内さんを特集したNHKスペシャル(「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」2013年3月31日放送)と今回の映画を見ましたが、佐村河内さんは純粋で不器用な人だと思う一方で、メディアに自分をよく見せたい、理解してほしいという強い思いもあるのではないかと感じました。森さんから見て、佐村河内さんはどんな人ですか。

 おっしゃるとおり、純粋で、茶目っ気もある一方で、やはり表現者ですから、自己表現欲は強いし、業(ごう)の強さもある。世間にこれだけ叩かれたわけですから、チャンスがあれば間違って伝わった部分は正したい気持ちは当然あるでしょう。でも、それもある一面であって、どんな人かというのは僕もまだわからないです。僕が感じている佐村河内さんのキャラクターについては、映画のなかで表現しているつもりですが。

──映画の冒頭から、佐村河内さんは森さんのことを「達也さん」と名前で呼んでいて、親密さが伝わってきました。

 撮影を初めてすぐにそう呼ばれました。それは人を信じやすいのか、見方を変えれば、人をうまくたらし込む能力があるということかもしれない。きっと両方でしょうね。
 ただ、映画を撮りたいとお願いする際に最初に言ったのは、「僕は佐村河内さんの名誉を回復する気はさらさらないです。自分の映画のために、佐村河内さんを利用させてください」ということです。当然、彼は嫌がりました。

──嫌がりましたか。

 最初は断られました。特に、奥さんが「私は撮影に協力できません」とおっしゃった。それでも何度かメールをして、何となく撮らせてもらえるようになりました。

(C)2016「Fake」製作委員会

──映画の途中、森さんが奥さんに、佐村河内さんのことを愛していると伝えるようにお願いしますね。状況を変えるため、森さんが積極的に仕掛けている印象を受けました。

 『A』や『A2』のときは、僕は状況に対して受け身だったんです。別に僕から仕掛けるまでもなく、現場へ行けば何かが起こるから、それを撮るのに精いっぱいだった。だから編集もほぼ時系列に並べています。
 でも、『「放送禁止歌」〜歌っているのは誰? 規制しているのは誰?』といったテレビドキュメンタリーをつくっていたときは、僕もけっこう画面に映り込んでいるし、仕掛けています。なぜならドキュメンタリーって、「撮る側の作為」と「撮られる側の反応」を撮ることです。でも、テレビは「撮る側の作為」を見せない。画面から消しちゃうんです。僕に言わせればそれこそフェイクであるし、面白さが消えてしまうと思う。
 この映画のラストシーンで、僕が何を言って彼が何をしたのかという部分もそうだけど、やっぱり仕掛けないことにはドキュメンタリーって成立しません。辞書などでドキュメンタリーを調べると、「虚構を用いずに、実際の記録に基づいて作ったもの」とあるけれど、それは監視カメラの映像であって、作品でもないし表現でもない。繰り返しますが、撮る側がどういう作為を持って仕掛けたかを明らかにしたうえで、撮られる側がどういう反応をするのかを撮る。それがドキュメンタリーの演出です。

──詳細は書けませんが、この映画のラストシーンはさまざまな解釈が可能な構成になっています。見終わった直後は、あんなシーンがはたして撮れるんだろうかと訝しむくらいでした。実は、森さんから佐村河内さんに、「こうしてほしい」といったお願いがあったのではないかとも思いました。

 『ドキュメンタリーは嘘をつく』という本も書いているので、「森は仕込み・やらせも全部オーケー」と解釈されることも多いんだけど、そのレベルの仕込みややらせはやっていてつまんないですよ。やはり、現実に翻弄されることがドキュメンタリーを撮る醍醐味ですから、台本を書いてお願いするということはないです。
 僕らはよく、「ドキュメンタリーの神が降りてきた」という言い方をするけれど、今回のラスト12分間のシーンについて言えば、僕も撮っていて「降りてきたな」という思いがありましたね。何があったのか、ここでは言えませんけど。

(C)2016「Fake」製作委員会

さまざまな解釈があるでしょうけど、
実は、純愛映画なんです。

──試写会場で、見終わった直後に「これ、全部嘘ってこと?」とつぶやいていた方がいましたが、白と黒が反転したと思ったら、またわからなくなる。最終的な「正解」はそこにはありません。

 白か黒かという二項対立的な発想が嫌いだから、この映画をつくったわけです。だから結果として、「白と黒」が「黒と白」になりましたじゃ意味がない。黒と白をぶつけて、物理学用語でいう「対消滅」――粒子と反粒子をぶつけてゼロにしてしまうようなラストにしたいと考えました。
 だからそれを見て、この映画が全部フェイクだったのかと思う人がいてもいいんだけど、少なくとも「白と黒」でも「黒と白」でもない、グレーの部分に誘導することができたんじゃないかと思います。

──“グレーの部分”が魅力的であると、どうしたら伝わりますか。

 こう説明することもできます。風景画を描くとき、葉っぱを緑色の絵の具だけで描く人はまずいないでしょう。だって、実際によく見れば緑の中に赤も混じっているし、黄色も混じっている。だから、普通はいろんな絵の具を混ぜながら描いていく。それがリアルだし、本当の葉っぱの美しさの表現にもなる。人の肌だってそうだし、地面にもさまざまな色が混じっていますよね。
 ところが、情報を四捨五入して端数を切り捨てちゃうと、葉っぱは緑、空は青、雲は白みたいになって、原色だけの非常に扁平でつまらない、しかも実際の風景とはかけ離れた絵になってしまう。でも、メディアがなぜ情報を四捨五入して伝えるかといえば、わかりやすさを社会全体が求めているからです。わかりづらいものをみんな見ようとしない。
 つまり、メディアを媒介にして世界を矮小化している。本来はもっと豊かで、もっとおもしろい要素が隠れているのに、そこに目が行かなくなってしまっている。だから、最初の話に戻るけれど、ちょっと視点をずらすだけでいろんな色が見えてくるし、いろんな形が見えてくるのに、なかなか人は視点をずらそうとしない。それはメディアも社会もお互いに不幸なことですよね。

──報道に対して公正中立を求める声が強まっているのも、そうした社会の反映なのでしょうか。

(C)2016「Fake」製作委員会

 そもそも情報である限り、誰かのバイアスが絶対あるわけです。誰かが笑っているとき、それをニコニコと書くか、ニヤニヤと書くかで、人が受ける印象はまったく違います。ニーチェは、「事実はない。あるのは解釈だけ」と言いましたが、情報ってそれぞれの解釈で成り立っているわけで、そう考えれば主観が入り込まない情報ってないですよ。
 僕は、報道ももっと主観的でいいと思う。そのかわり、この記事は記者の視点であり、この写真はカメラマンの視点であることをしっかり明記すればいいんです。だけど、これまでメディアはそれを隠してきた。客観性、公正中立、不偏不党――これらの言葉を自分たちの逃げ道に使ってきたんです。
 これはそのままメディアリテラシー(情報を見極める能力)にもつながります。ニュースを見る側、新聞を読む側も、情報というのはすべて記者やカメラマンの視点であり、主観なんだとみんなが見れば、その情報が絶対に正しいなんて誰も思わないわけでしょう。
 たとえば原発の是非について、なんで朝日新聞と産経新聞で論調が正反対なのか。どちらかが嘘をついているのか。嘘ではなく、つまりは視点が違うだけという意識を僕らが持てば、メディアも変わっていきますよ。

──森さんご自身が映画の中に映り込んでいるのも、主観を明確にさせるためなんですね。

 それだけじゃないけれど、誰かを撮るからには自分も顔はさらさなくてはいけないし、批判もされなきゃいけないと思っています。ドキュメンタリーって、被写体に対しても社会に対しても、与えるインパクトは強いですから。僕の映画によって傷ついたと思う人だって、おそらくいっぱいいると思います。であれば、やっぱり自分が隠れるわけにいかない。

──この映画は、見る人に対して挑戦的な映画だと感じました。最近、そういう映像作品って少なくなっていませんか。

 観た人の感想を聞いていると、何人かが「とても後味の悪い映画」とコメントしていました。それはいろんな意味があるんだろうけれど、僕もエンターテインメントだけに徹するつもりもないし、最後に「いい気分になれました」だけが残る映画なら、僕がつくる意味もないかなと思っています。だから「後味が悪い」というのはとてもうれしい言葉だし、もちろん「感動した」もうれしい。そもそもこれは、純愛映画ですから。

──純愛映画ですか!? そういえば、「お2人(佐村河内夫妻)の怒りではなく哀しみを撮りたい」と森さんが言うシーンがありましたね。

 そう、僕はあの2人を撮りたかったんです。怒りってあまり普遍化できないけれど、哀しみは普遍化できる。あの2人は「哀しみ」を共有していると思ったし、それはたぶん、見ている人にも伝わるんじゃないかな。
 だから純愛映画です。みんなこの映画を勝手に解釈していろんなことを言うでしょうけど、実は純愛映画なんです。これは強調しておいてください。

森達也(もり・たつや)1956年、広島県生まれ。立教大学在学中には映画サークルに所属し、黒沢清監督など映画に出演。86年にテレビ番組制作会社に入社、報道・ドキュメンタリー系の番組を中心に、数々の作品を手がける。98年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。書籍『A3』(集英社インターナショナル)は講談社ノンフィクション賞を受賞。近著に、『「テロに屈するな」に屈するな』(岩波書店)、長編小説『チャンキ』(新潮社)など。

『FAKE』

監督・撮影:森 達也 プロデューサー:橋本佳子 撮影:山崎 裕 編集:鈴尾啓太 制作:ドキュメンタリージャパン 製作:「Fake」製作委員会 配給:東風
2016年 109分 (c)2016「Fake」製作委員会

現在、ユーロスペースにてロードショーほか全国順次公開
→公式ホームページ

森達也監督15年ぶりの新作『FAKE』公開に合わせ
2002年劇場公開時にカットされた幻のシーンを入れた
「完全版」が、初めての劇場公開

『A2 完全版』

監督:森達也 撮影:森達也・安岡卓治 編集:森達也・安岡卓治
製作:安岡卓治 配給:東風 2001年 131分

6月18日(土)~24日(金)、7月9日(土)~15日(金)
ユーロスペースにてレイトショー

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