週刊通販生活トップページ  >  読み物:映画『追憶』監督・小栗謙一さんインタビュー

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「ペリリュー戦を“追憶”する人々の語りから、戦場の悲惨さに向き合ってほしい」

ペリリュー島の戦いを客観的に描き、
戦争そのものを否定したかった。

――なぜ、ペリリュー島の戦いを映画にしようと思ったのでしょうか。

小栗  昨年、天皇皇后両陛下がペリリュー島を初めて訪れ、戦没者を追悼されましたよね。私には、「なぜ戦後70年の節目の年にこの島が選ばれたのか?」との思いが浮かびました。
 ちょうどその頃、旧知の映画のプロデューサーである奥山和由さんから連絡がありました。すると奥山さんも「なんでペリリュー島なんだろう」と言うのです。その後すぐに「映画をつくろう。まずはこれを読んで」と、一冊の本を手渡されました。その本が、『追憶』にも語り手として登場する升本喜年さんの著書『「愛の手紙」~ペリリュー島玉砕~中川州男の生涯』(熊本日日新聞社)だったのです。

(C)2015「追憶」製作委員会

――ペリリュー島の戦いで日本軍守備隊を指揮をした中川州男(くにお)大佐について書かれた本ですね。

小栗  ペリリュー戦記が詳しく書かれていて、戦いの様子がよく分かりました。また、ペリリュー島に赴いた中川大佐と、日本で留守を守っていた奥様が交わした手紙のやり取りについても書かれていて、中川大佐の人となりが垣間見えました。
 妻に宛てた手紙といっても、軍人ですから、作戦に触れる記述はなく、内容は日常を伝える非常に淡々としたものです。しかし、その文面からでも、日本に残した妻を気遣う優しさが感じ取れました。
 その時すでに私は、ペリリュー島の戦いを客観的に記録するドキュメンタリー映画をつくると決めていました。「なぜ、戦後70年にして初めて、両陛下が慰霊に訪れたのか」そして、「そこで何が起きていたのか」、その答えとなる映画をつくりたかったのです。しかし、私を含めて観客の多くは、直接戦争を知らない世代でしょう。だからこそ、中川大佐が妻と交わした手紙が、観客と、70年以上前にペリリュー島で起きた激戦とをつなぐ糸口になると確信したのです。
 ところがその時、すでに手紙はなくなっていたのです。奥様が亡くなった後、ご遺族が処分されたそうで……。どうしようかと困りましたね。
 中川州男の地元、熊本県にある陸上自衛隊第8師団の資料館「防衛館」にも行ったのですが、日本軍の残した映像や写真はおろか、文書などの機密資料も残っておらず、題材探しに頭を抱える日々のなか、ふと「米軍になら、何か資料があるはずだ」と思いついたのです。すぐにワシントンD・Cへ飛び、米国立公文書館でペリリュー戦についての資料を探しました。すると、海兵隊の歴史部に、当時の記録フィルムが残っていると分かりました。

――そのフィルムの使用許可を取るために、アメリカの国防総省とやり取りをしたそうですね。

小栗  そうです。まず申請時には、作品の意図と構成を詳細に記した英文の書類を提出しました。待つこと2ヵ月、ようやく連絡がきました。「許可します」と。ところが、作品をつくり始めたのはよいものの、申請時に提出した構成と違っているところがないか、逐一フィルムやナレーション原稿を国防総省に提出し、チェックを受けなければなりませんでした。

――国防総省から、内容の修正を指示されたこともあったのですか。

小栗  問題となることは、ほとんどありませんでした。例えば担当者から「ここを修正してください」というコメントがあっても、「この表現には、こういう意図があるのです」と説明すれば「そういうことなら、このままで」などと、製作意図を尊重する姿勢で、柔軟に対応してくれました。むしろ事実確認の助言などをもらえた事はありがたく、手間はあったものの、完成した映画を見た国防総省の担当者から「ペリリューの戦記として、アメリカにも残せますね」という言葉をもらえたので、胸をなで下ろしています。
 国防総省は、この映画の核となるテーマに理解を示してくれました。私が表現したかったのは、人間の命と尊厳を奪う、戦場の残虐さ。『追憶』は、一言でいうなら戦争を否定する映画なのです。

人間は、兵器の前では等しく無力。 戦場の悲惨さを、記録フィルムがつきつける。

――米軍の記録フィルムを見ていると、実際の映像であるからこそ、その凄惨さに息が詰まります。

小栗  空からは爆撃機による爆弾の雨、海からは艦砲射撃、陸上では火炎放射、戦車砲、至近距離では銃撃……。米軍の攻撃は徹底的で容赦がありません。日本軍も徹底的に反撃しましたから、日米両軍合わせて1万2千人近くの犠牲者が出ました。人間が殺し、殺される戦場のむごたらしさを、私もこのフィルムを見ながらつくづくと実感しました。

――フィルムには、兵士が射撃や火炎放射といった戦闘行動を、まるで「作業」のように淡々とこなす様子も映ります。 

小栗  この映画の語り手、美輪明宏さんは、苛烈を極める戦場の映像に合わせて「人は、人を殺したことがないのが当たり前です」と語ります。目の前で倒れた兵士は、自分の手にする武器とは無関係に死んだのだと思わなければ、自分を保っていられなくなる。時に戦場では、人を殺す行為が人間らしい感情と切り離された「作業」となってしまうのです。
 それでも、人間の精神は戦場に順応することはできません。兵士は、敵を殺せば殺すほど、「今度は自分が殺される」と追い詰められていきます。

――『追憶』には、ペリリューの戦いから生還した二人の元米軍兵士が登場しますが、その語り口からは、戦場で感じた恐怖がありありと伝わってきます。

(C)2015「追憶」製作委員会

小栗  彼らは共に90歳を過ぎていますが、ペリリューの戦いを語る口調は生々しいですよね。激戦だったとはいえ、終始戦局を優位に進めた米軍の兵士でさえ、70年経っても忘れられないほどの恐怖を味わったのですから、戦場の悲惨さ、凄惨さを思わずにはいられません。

――日本軍の数少ない生還者の一人である土田喜代一さんもまた、当時の記憶を鮮明に語ります。

(C)2015「追憶」製作委員会

小栗  土田さんは激戦を生き抜いた後、終戦を知らないまま一年半以上もの間、鍾乳洞に身を潜め続けました。時折、日本兵の残党はいないかと調べに来る米兵に居所を悟られないよう、鍾乳洞の入口を岩でふさぎ、じっと息を潜めていたと、どこか飄々とした様子で、時に笑みすらこぼしながら語ります。

――土田さんの明るい表情と、語られる記憶に距離がある分、体験の壮絶さが浮き彫りになります。

小栗  これは私なりの解釈なのですが、90歳を過ぎて振り返るからこそ、ある種の達観というか、笑うしかないような瞬間があるのではないかと思うのです。
 ペリリュー戦当時、土田さんは20代の青年。激戦で仲間が次々と死んでいくなか、「軍人とはこうあるべきだ」「兵士の務めとは」といった軍の教えに向き合い、上官の命令に従っていたはずです。
 でも上官といっても、その多くは30代前半。土田さんは、その人たちの年齢をはるかに追い越してしまいました。だからこそ、「みんな若かった」「自分も若くて、何も分からないまま戦場にいた」と、ペリリュー島での激戦や鍾乳洞での潜伏生活を、どこか達観して振り返ることができるのではないでしょうか。そしてその時、「悲しいでも辛いでもなく、ただ笑うしかできない」。そんな感情になるのかもしれません。

(C)2015「追憶」製作委員会

 元米軍兵士のお二人にせよ、土田さんにせよ、戦場を振り返って人に語れるのは、戦場を生き抜いたからこそです。フィルムには、戦場で命を落とした兵士たちの姿も多数映っています。彼らには、自分が戦場で何を感じたのか、語ることはできません。フィルムは、人間は、兵器の前では等しく無力であると、私たちにつきつけます。そのなかで、戦場を生き抜くとはどういうことか、そして戦場で死ぬとはどういうことか。映画を通じて考えてもらえたらと思います。

戦争を抱えながら生きる人の声を聞き、
戦争をやめる知恵を生み出してほしい。

――映画にはまた、ペリリュー島の民間人もまた、語り手として登場します。

小栗  戦場となったペリリュー島で何が起きていたかを客観的に描くには、現地の人たちの視点も必要だと思ったのです。

(C)2015「追憶」製作委員会

 ペリリュー島の島民であるローズさんは、島で戦争が始まる前に、島民たちと一緒にパラオ本島へ避難しました。日本軍が避難させたのです。そして、ようやく戦争が終わって島に帰った時、ローズさんは変わり果てた島の姿を目にしたのです。
 ローズさんは、当時の島の様子を「何もない。何もない」と語りました。激戦の末、ジャングルも、島民たちの家も、畑も、全てが焼き払われていたのです。青い海に囲まれた緑豊かな島の面影は、どこにもなくなっていました。
 戦後長い時間をかけて、ジャングルは元の青さを取り戻しつつあります。しかし、島のあちこちには、朽ち果てた戦車や壊れた日本軍の兵舎、残骸となった戦闘機などが放置されたまま。未だ処理されない不発弾もあります。島民たちは、そうした戦争の遺産を見に来る観光客などを相手に、民宿を経営しながら生活しています。昼は海で魚を獲ったり、畑を耕したりして働いた後、夜は星空の下でダンスを楽しむといった、戦前は当たり前だった島の生活などどこにもありません。島は今でも、戦争を抱えながら生きています。

(C)2015「追憶」製作委員会

――戦争を抱えながら生きる……。『追憶』に登場し、ペリリューの戦いを振り返る人々はみな、「戦争を抱えながら生きている」ように感じます。

小栗  体験した方にしてみればペリリューの戦いは、思い出すほど遠い出来事ではないのでしょう。どれだけ時間が経とうと、戦争がもたらした恐怖や悲しみを、人は忘れられないのです。戦勝国の兵士であっても、それは変わらない。だとすれば、一体誰が戦争によって幸せになれるというのでしょうか。
 若い世代には、戦争は海の向こうの出来事で、日本が戦争をしていたのは遠い昔という認識を持つ人が多いかもしれません。
 しかしひとたび戦争が始まれば、戦場に送られる兵士のほとんどが10代、20代の若者です。土田さん含め、『追憶』に語り手として登場してくださった方々の青春時代は、戦争と重なっていました。戦争は、若者らしい夢や希望を塗りつぶしていきました。それどころか戦争は、多くの若者の命までをも、奪っていったのです。生き延びた若者たちも、どんなに年を重ねようと、戦場の記憶から解放されることはありません。戦場からは、ただただ大きな疑問しか見えてこないのです。
 だから若い人たちにも、戦争と向き合ってほしいと思います。恐ろしいことに、現在に至るまで兵器はどんどん「人間味」をなくし、兵士は戦場に行かずして、遠隔操作で人を殺すことさえできます。人間は、兵器の前では等しく無力であり、戦場は苦しく、酷く、虚しいところです。
 この映画が、戦争をやめる知恵を生み出すきっかけになればと、願っています。  

小栗謙一(おぐり・けんいち)1947年生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、フリーランスの助監督として主に中平康監督に師事。1981年、映像集団であるディレクターズシステムを設立。映画のほかにも、博覧会などのイベント映像やテレビ番組、CMなど、幅広い映像コンテンツの監督・プロデューサーとして活躍。主な作品は、『able/エイブル』(2002年)、『believe/ビリーブ』(2005年)、『TOKYO JOE』(2009年)、『幸せの太鼓を響かせて 〜INCLUSION〜』(2011年)、『天心の譜』(2012年)など。

『追憶』

2015年4月9日、天皇・皇后両陛下が訪れ、戦没者を追悼したことで注目が集まったペリリュー島。グアムやサイパンなどと並ぶ激戦地であったこの島で、何が起きていたのか――。日米両軍合わせて2万人近くの死傷者を出した70日に及ぶ激戦を、米軍の記録フィルムと生還者の証言から描き出す。

監督:小栗謙一 製作:奥山和由
語り:美輪明宏  ピアノ:小林研一郎
原案:升本喜年「愛の手紙」~ペリリュー島玉砕~中川州男の生涯(熊本日日新聞社刊) 企画制作プロダクション:チームオクヤマ 制作:KATSU-do 配給:太秦 製作:吉本興業

11月5日(土)より東京都写真美術館ホール
11月26日(土)よりシネ・リーブル梅田
12月3日(土)より熊本・電気館ほか全国順次ロードショー

日本/2015年/76分/DCP/5.1ch
映倫:G区分―120826
(c)2015「追憶」製作委員会
公式サイト:http://www.tsuiokutegami.net

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