週刊通販生活トップページ  >  読み物:ドキュメンタリー映画『息の跡』監督・小森はるかさんインタビュー

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「ニュースやメディアからはよく見えない、陸前高田に住まなければ“見えなかったもの”を記録したかった」

――このドキュメンタリーを撮ることになったいきさつを教えてください。

小森 2011年の東日本大震災の3週間後に、大学の同級生で一緒に制作活動をしている瀬尾夏美に誘われて、東北にボランティアに行ったんです。最初は「せめて何か役に立ちたい」という思いだけで、撮影をしようとは思っていなかった。宮古市の避難所でボランティアしているときに、そこにいたおばあさんから「私は辛くて被災した自分のふるさとを見に行けないけど、カメラを持っているなら、私の代わりに見て来てくれませんか」と言われたんです。それがいまにつながるきっかけになりました。自分がこの場所に“記録する者”として関わりたい、と思ったんです。

――なぜ被災地に移り住もうと?

小森 最初のボランティアのあとも月に1度くらい瀬尾と東北に通い、そこで聞いた話を「報告する会」を東京や関西で開いていました。でも月日が経つうちに「震災のことはもうよく知っている」「あなたたちは何をしたいの?」という反応になってきたんですね。「被災地に通って報告しているだけではダメだ。“作品”を作らなければ」と思った。12年4月に引っ越して、それから3年間、おそば屋さんなどでアルバイトをしながら出会った人や風景を「記録」してきました。
 最初は町の人たちも私たちが何者か、よくわからなかったと思います。なんでもいいから自分を使ってほしいと思っていたら、そのうちに「明日のサッカーの試合を撮っておいて」とか「お祭りの笛を吹ける人が少なくなったから、みんなが練習できるように録音してほしい」とか言われるようになって、うれしかったですね。

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

――そんななかで、映画の主人公「たね屋」の佐藤貞一さんと出会ったのですね。

小森 「英語で震災の手記を書いている人がいるよ」と地元の人に教えてもらったんです。佐藤さんは津波で自宅兼店舗を流され、自力でプレハブを建てて、店を再開していました。自分で井戸を掘りポンプで水をくみ上げて、種や苗を育てる傍ら、自らの被災体験を独学で学んだ英語で執筆し、自費出版をしていました。地域の津波被害の歴史を調べたり、過去の文献も検証しています。すごく魅力的な人だったし、佐藤さんの日常のそばにいてみたいと思い、13年の1月から撮影を始めました。

――映画はほぼ、佐藤さんの店の中とその周辺だけで進みます。カメラは佐藤さんの作業風景や、手記を英語で朗読する様子などをじっと見つめ、震災時の映像や津波の映像もない。なぜこういう形になったのでしょう?

小森 佐藤さんの日常生活を邪魔したくなかったので、撮影は開店前や閉店後、休日などだけでした。佐藤さんは普通に地域の人たちとのつながりもあるし、たね屋にもちゃんとお客さんは来るんですけど、佐藤さんの暮しにまで踏み込んでいこうとも思えなくて。ドキュメンタリー監督には向いてないかもしれないですね(笑)。もちろんたね屋の世界だけが佐藤さんの全てではないし、映像としても地域の行事の風景などを挟みました。
 でも津波の映像を使うなどは、考えたこともなかったですね。実際にそこに住んだからでしょうか、「災害で起きた出来事を伝えたい」という気持ちはないんです。そういうものの脇にあって、ニュースやメディアからは“よく見えないもの”。私がその場所に行かなければわからなかったことを写したかった。

――映画のなかで佐藤さんはしばしば小森さんに話しかけ、小森さんもそれに小さく答えています。自然で素直な受け答えが微笑ましく、信頼関係を感じます。

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

小森 自分で見ると「なれなれしくて、失礼じゃない?」と恥ずかしいんですが(笑)、私のほうが「そうさせてもらった」という感じです。佐藤さんはやはり“カメラに写っている自分”をよく理解していて、その上で演じている部分もあるし、いわゆる「被災者」として映ってしまうことも了解している。それが喜ばしいことではない、ということもわたしに伝えてくれました。その上で撮らせてくれたと思います。
 佐藤さんはよく「わかる? オレの言うことわかる?」と言っていました。「被災した人が本当にどんな思いでいるかわかる?」と。彼らはメディアが写すような「被災者」ではない。一人一人の人間であり、一人一人の経験、失ったもの、思いがある。でも私にそれをわかってほしいから言ってるわけではないと思います。どれだけ言葉を尽くしても、わからないことも彼らは知っている。メディアが“可哀想な物語”を求めて取材に来ていることも承知で、そのうえで表に立つ人もいる。わたしも自分の撮りたいものを撮らせてもらっていることに変わりはなくて、カメラをもって接する度に、土地の人の方が何枚も上手だなと思います。

――なぜ、佐藤さんは英語で手記を書いていたのでしょう?

小森 佐藤さんも度々同じ質問をされていましたが、「日本語で書くのが辛いから、英語で書いている」と初対面の人には決まり文句のように話していました。でも撮影をしていくうちに、もっと複数の理由があることを知りました。まず、町の人への配慮があります。「あの家は全部流されたけれど、あの家は残った」「あの人の家族は亡くなったけれど、うちの家族は無事だった」――本当のことを書き残そうとする佐藤さんにとって、日本語で書いてしまったら町の人を傷つけることもあるかもしれないし、非難されることもあるかもしれないと思うんです。だからわからない言葉で書いた。それに佐藤さんは震災前から英語に興味があって英会話教室にも通っていました。その教室の先生が津波で亡くなっています。他にもたくさんの語り尽くせない思いがあると思いますが、その一つ一つを並べれば書いた理由になるというわけでもないような気がしています。

――被災地の風景や人を「作品」にすることに、ためらいはありませんでしたか?

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

小森 私は外に向けてでも、被災した方のためでもなく、「誰かに受け渡すために、記録をしている」と思っています。最初は何になるかわからずに撮っていましたし、現地でもよく「何のために撮ってるの?」と言われました。でもそこで暮すうちに「被災した風景」にしか見えていなかった場所が、「ここには○○さんの家があった」「町の人々の思い出の場所だった」ということがわかってきた。そして「何を撮りたいか」がわかってきたんです。
 昨年、陸前高田で初めて展覧会『波のした、土のうえ』(2014年、瀬尾夏美との共同制作)を開催したときに、びっくりするほど、地元の人たちがたくさん来てくれたんです。1週間で5百人くらい。見た方から「懐かしい」「ありがとね」とたくさん言われました。瀬尾と私が記録してきたのは“震災後”のまちや人々ですが、彼らにはこの作品から“震災前”の風景が見えるんだなと。復興工事が始まって、さらに風景が変わりはじめた時期だったので、わたしたちが記録したものも、なくなってしまった後という状況でした。
 もともとアートや表現がやるべきことは「受け渡す」ものだったのだと教えてもらったことがあります。何かを直接伝えるのではなく、誰かの体を通して別の形にすることで、多くの人がそれを受け取れる。それに気づかせてくれたのが佐藤さんや陸前高田の人たちでした。佐藤さんのやっていることをアートとは言いたくないですが、本質的には近い。佐藤さんは「伝えられないことを、どうやって伝えたらいいのか」ということに、わたしなんかよりよっぽど向き合っているなと思います。

――現地に移り住んで、時間をかけて対象を撮影する手法は、93年制作のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』(佐藤真監督)に通じますね。

小森 『阿賀に生きる』をちゃんと知ったのは、陸前高田市に来てからなんです。それまでドキュメンタリーにはまったく関心がなく、見たこともほとんどありませんでした。ここに来てから自分にとって「記録」が制作の軸だと意識し、そのなかで『阿賀に生きる』に出合いました。佐藤監督の考えも、悩んでいるところも、いまの自分に重なる部分があった。阿賀に行くと『阿賀に生きる』は20年たった今も大事にされています。そこに生きる人たちにとって本当にかけがえのないものが写っているからです。私もそういう作品を作りたいと思いました。

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

――15年から、仙台に拠点を移されましたね。

小森 3年住んで、これ以上「現地の人」になってしまうのはよくない、と瀬尾から話があり、わたしもそう思いました。風景の変化や復興工事による変化がどんどん深刻になってきたし、「たね屋」もかさ上げ工事のためにもうありません。個人的にもつらいですが、でも感情移入したり、反対したり、発言してしまっては「記録」を続けられないと思いました。距離を取って見続ける存在になりたいので、仙台に越しました。陸前高田だけでなく、もっと広く、日本で起きていること、東北全体で起きていることを考えるための距離でもあります。

――この映画で伝えたかったことは?

小森 私自身が「何か伝えたい」というものはない気がします。佐藤さんのことを「こんな人がいますよ」と伝えたいわけでもないし、「陸前高田はこんなに大変です」と伝えたいわけでもない。ただ津波のあとの5年という時間に、佐藤さんがプレハブ小屋で「たね屋」を営んでいた。あの時間は「幻だった」というくらい、もう立ち現れることではない。そのときにあったことを時間が流れるのと同じように、簡単に失いたくなかったんです。いつか、かさ上げされた新しい土地の上に住む人たちがこれを見たときに、彼らのその時間と、佐藤さんがそこにいたこの時間の、何かがつながったらいい。陸前高田だけでなく、別の地域にも佐藤さんみたいな人がいっぱいいると思うんです。私はそういう人の言葉や生き方に励まされたりする。ほかの人にとっても、そうなったらいいなと思いますね。

小森はるか(こもり・はるか)1989年、静岡県生まれ。東京芸術大学美術学部卒業、同大学院修士課程修了。2011年3月末にボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきかっけに、画家で作家の瀬尾夏美とアートユニットとして活動。12年に岩手県陸前高田市に拠点を移し、風景と人々の言葉をテーマに制作を続ける。2015年仙台に拠点を移し、東北で活動する仲間とともに記憶を“受け渡す”ための表現をつくる組織「一班社団法人 NOOK」を設立。本作が劇場長編映画デビュー作となる。

『息の跡』

監督・撮影・編集:小森はるか 特別協力:瀬尾夏美
製作:カサマフィルム+小森はるか 配給:東風 93分

2017年2月18日(土)より、ポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次。

過去の制作作品『波のした、土のうえ』(2014年制作/監督:小森はるか+瀬尾夏美)『the place named』(2012年制作/監督・脚本・撮影・編集:小森はるか)も2月18日(土)よりポレポレ東中野にて上映が決定している。

*公式ホームページ
http://ikinoato.com/

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