週刊通販生活トップページ  >  読み物:フクシマの首長【第5回】双葉町 伊澤史朗 町長(1)

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福島第一原発の事故からもうすぐ3年。いま、福島では何が問題になっているのでしょうか。自治体の長として住民の課題に向き合う方々に話を伺っていきます。取材・文・写真/畠山理仁 写真(伊澤町長)/木野龍逸 取材/2014年5月2日

第5回-双葉町 松本幸英町長「再稼働の前に事故のために住むことができなくなった被災自治体の悲惨な状況を見てほしい。避難をしている自治体がどういう状況か、現場を見なければわからないはずだと思います」

伊澤史朗(いざわ・しろう)1958年生まれ。麻布獣医科大学獣医学部卒業。獣医を経て、2003年双葉町議会議員に初当選。11年から同副議長。13年3月、双葉町長に初当選した。

震災後、双葉町には国から避難用の
バスが来たと誤解されていますが、
残念ながら1台も来ていません。

――双葉町には東京電力・福島第一原子力発電所の5号機、6号機が立地しています。事故前、双葉町はどんな町だったのでしょうか。

伊澤  双葉町は福島県の浜通り(福島県東部。北は相馬郡新地町から南はいわき市までの太平洋側の地域)のほぼ中心に位置しています。面積は51・4km2で、双葉郡8ヵ町村の中では最も面積が小さな町です。福島県というと多くの方が雪をイメージするのですが、双葉町にはほとんど雪が降らず、気候も温暖で過ごしやすい町でした。震災前の人口は7122人。2611世帯が暮していました。

双葉商店街の入り口にかかるアーチ(国道6号線側から)。

双葉町商店街の入り口にかかるアーチ(国道6号線側から)。

――双葉町には電力関係の企業にお勤めの方は多かったのでしょうか。

伊澤  人口の約3分の1は東京電力を含めた関連企業にお勤めでした。兼業農家も多く、そうした方々も電力関係の企業にお勤めの方が多かったですね。

――町の財政状況はどうですか。

伊澤  平成26年度予算は66億円です。一番規模が大きかったのは平成10年度で80億円でした。原発事故の前後で自主財源と依存財源のバランスは多少変わりましたが、震災以降、いろいろな交付金で手当てされているため財政状況は悪化していません。以前は財政の健全性を表す実質公債費比率が「危険水域」と言われる25%以上だったこともありますが、平成25年度は3ヵ年平均で18%を切る見込みです。原発立地自治体には電源三法交付金制度があるため、財政的には恵まれていたと思います。

双葉町内には東京電力の社宅や独身寮もあった。

双葉町内には東京電力の社宅や独身寮もあった。

――原発を誘致する際、地元で反対運動はあったのでしょうか。

伊澤  私自身は当時小学生ぐらいですから、記憶が定かではありません。ただ、反対運動というイメージはないんです。原子力発電は斬新なエネルギーだというイメージでした。そして40年以上、一方的に国や東京電力の安全神話を聞かされてきたことで、「原子力発電所は完全に安全なんだ」と思い込んでいました。残念ながら現在のような状況を想定できていなかったことを、今は非常に反省しているところです。

役場へと続く道路にかかるアーチ。

役場へと続く道路にかかるアーチ。アーチの向こうの茶色い建物が双葉町役場(国道6号線側から)。双葉商店街の入り口にかかるアーチ(国道6号線側から)。

――2011年3月11日に東日本大震災が起きた当時、伊澤さんは双葉町議でした。原発事故後の双葉町の避難経緯を教えていただけますか。

伊澤  私自身はほとんど町役場と一緒に移動をしていました。震災時はちょうど町議会の開会中で、地震が起きた2時46分には役場で予算の勉強会をしていました。その後、委員会を中止して家族の安否確認をし、防災服に着替えて救助や炊き出し、水の配布など、できることをやりました。その日は役場にずっと詰めていました。
 3月12日の午前6時には避難命令が出て、防災無線で全町に「避難して下さい」という放送を流しています。ただ、放送が届いていないところもあったため、直接、町内各地の避難場所を回って避難勧告をしていきました。

――双葉町は最初に西側の川俣町に避難していますね。

伊澤  3月11日の夜には、町内を南北に通る国道6号線や陸前浜街道が津波や地震の被害で寸断されている状況を把握していました。そのため避難するならば西の方しかないと考えていました。

地震により崩壊した双葉町内の道路。

地震により崩壊した双葉町内の道路。

――避難の際、双葉町には国から避難用にバスが用意されたと聞いています。

伊澤  実際には来ていません。いまだに双葉郡の人たちからも「双葉町、大熊町はバスが来たからいいね」と誤解されていますが、残念ながら1台も来ていません。国がバスを手配したことは事実ですが、南北の道路が寸断されていたため双葉町にはたどり着けなかった。町民はそれぞれ自分の車に乗って避難しています。町のバスも使いましたが、そもそも2台しかありません。これが事実です。

――川俣町に避難した後には、埼玉県に避難していますね。

伊澤  3月19日に、当時の井戸川克隆町長がバスを手配して、川俣町の小学校や公民館、中学校、高校など10数ヵ所にわかれて避難していた町民1200人とともにさいたまスーパーアリーナに避難しました。その後、3月30日と31日の2日間にわけて、今度は埼玉県加須市にある旧騎西高校の避難所に入りました。そこから廃校になった校舎での共同避難生活が始まったんです。私もここで家族と避難生活を送りました。

日本で最後の一次避難所として約3年間使われた埼玉県加須市の旧騎西高校の様子。 日本で最後の一次避難所として約3年間使われた埼玉県加須市の旧騎西高校の様子。

日本で最後の一次避難所として約3年間使われた埼玉県加須市の旧騎西高校の様子。

――旧騎西高校は今年3月27日に閉鎖されるまでの約3年間、避難生活の拠点になっていました。最後まで残った一次避難所でした。

伊澤  旧騎西高校の避難所では、最大で1400人の双葉町民が避難生活を送っていました。最後の町民が退居したのは去年12月27日です。ここには全国からの支援物資なども置かれていたので、物資の運び出し、清掃、原状復帰をするために約3ヵ月の猶予をいただいて、今年の3月27日に埼玉県に鍵を返却しました。

旧騎西高校職員室に置かれていた役場の様子。

旧騎西高校職員室に置かれていた役場の様子。

旧騎西高校には寄贈されたホールボディカウンターも置かれていた。

旧騎西高校には寄贈されたホールボディカウンターも置かれていた。

旧騎西高校内の様子。廊下にはボックス型の簡易トイレも置かれていた。

旧騎西高校内の様子。廊下にはボックス型の簡易トイレも置かれていた。

旧騎西高校の様子。間仕切りのない中で共同生活を送っていた。

旧騎西高校の様子。間仕切りのない中で共同生活を送っていた。

――旧騎西高校に避難していた方々は、今はどちらにいかれたのでしょうか。

伊澤  今現在、避難所があった加須市周辺の借り上げ住宅等に住んでいる町民は約500名です。それ以外の方は福島県内に戻っていると考えています。

――双葉町の役場機能は2013年の6月16日まで埼玉県加須市の旧騎西高校に置かれていました。役場が現在の福島県いわき市に移ったのは、伊澤さんが町長に当選した後の昨年6月17日です。いわき市に役場機能を戻した経緯を教えて下さい。

伊澤  役場機能をいわき市に移したのは私の決断ではありません。井戸川前町長時代に町議会で議決して決めたことです。私が委員長を務めていた議会の特別委員会では、町民の希望を聞くために全町民にアンケートを取りました。その結果、町民の要望として一番多かったのが「いわき市に役場機能を移転してほしい」というものだったんです。町民の希望を反映するために、議会で議決をしました。

いわき市に移転した双葉町役場いわき事務所の外観。

いわき市に移転した双葉町役場いわき事務所の外観。

――双葉町は現在も全町民が避難生活を送っていますが、転出された方もいらっしゃるのでしょうか。

伊澤  現在の町民は約6400人ですから、震災後に約1割の方が住民票を移してしまいました。もちろん住民票を移しても町からの情報が欲しいという方には、継続して情報提供をしています。

――双葉町の避難区域は昨年5月28日に再編され、帰還困難区域と避難指示解除準備区域の二つにわかれましたね。

伊澤  双葉町の場合、面積の96%が帰還困難区域、4%が避難指示解除準備区域に再編されました。いずれの区域もいまだに居住することはできません。

出典:経済産業省のウェブサイト

帰還困難区域…放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超え、5年間を経過しても年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある地域。
居住制限区域…放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあり、引き続き避難の継続を求める地域。
避難指示解除準備区域…放射線の年間積算線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であると確認された地域。

――4%の避難指示解除準備区域も、津波被害で約100軒の家が流され、多くの町民が亡くなった地域だと聞いています。現在、双葉町民のみなさんが避難生活を送る仮設住宅は、福島県内に何ヵ所あるんでしょうか。

伊澤  福島市に2ヵ所、郡山市に3ヵ所、白河市2ヵ所、いわき市1ヵ所、猪苗代町1ヵ所、会津若松市1ヵ所の合計10ヵ所です。

福島県耶麻郡猪苗代町にある双葉町の応急仮設住宅。

福島県耶麻郡猪苗代町にある双葉町の応急仮設住宅。雪のない浜通りから雪の多い地方に移っての避難生活は、雪かきなど不慣れなことも多いという。

郡山市にある双葉町の応急仮設住宅

郡山市にある双葉町の応急仮設住宅。

白河市にある双葉町の仮設住宅。

白河市にある双葉町の仮設住宅。

――私も10ヵ所すべての仮設住宅を訪ねましたが、場所によって仮設住宅の作りが違いました。メーカーも違います。震災から3年が経過して、暮しやすさに違いは出ているのでしょうか。

伊澤  はっきり出ていると思います。3年経っても非常にしっかりしているものがある一方、修繕や手直しをしなければならない仮設住宅もあります。簡単に言うと、仮設住宅は隣の世帯との仕切りが壁一枚、板一枚ですから、防音も良くないし、断熱効果も非常に粗末です。寒さ対策、暑さ対策もできていません。たとえば猪苗代町にある仮設住宅では、結露や湿気によるカビに悩まされています。また、住宅の基礎を打っていないので、床も歪んできて建物の水平が取れず、住んでいる方は大変な状況に直面しています。そのため県に応急的な修繕をやってもらっているのが現状です。

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