週刊通販生活トップページ  >  読み物:フクシマの首長【第7回】川内村 遠藤雄幸 村長(3)

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「1ミリを目指す」という姿勢は貫くべきですが、現実的な対応も必要だと思います。

――除染によって村内の放射線量は下がったのでしょうか。

遠藤  川内村は2011年11月から、他の自治体に先駆けて環境省と一緒に除染のスタイルを作ってきた経緯があります。そういう面では除染の技術も改良されており、村内の放射線量は下がっています。また、村では放射線量を色の濃淡で可視化するガンマカメラを自前で購入し、測定データを住民に渡しています。「雨樋の下は高い」とか「水たまりができる場所は高い」とわかれば、自分でも除染できます。私も自宅の雨樋の下を4回ほど除染しました。ガンマカメラで測定すると、場所によっては線量が6〜7割ぐらい下がっていることがわかります。

森林では放射性物質の拡散抑制を開発・検証する実証試験が行なわれている。

森林では放射性物質の拡散抑制を開発・検証する実証試験が行なわれている。

 ただ、放射能に対する思いは個々人でバラバラです。僕自身は「安心感は自分で勝ち取るものだ」と思っています。国や東京電力、行政に任せっぱなしではダメだと思う。自分の目で確かめたり、自分で丁寧に除染をしたりしなければ、気持ちの上での安心感は得られないと思っています。

――除染をしても、年間被曝線量1ミリシーベルトの目安である「空間線量0・23μSv/h」を下回らない場所はありませんか。

遠藤  あります。村全体の住宅うち、3割ほどがそうです。

――「年間1ミリ」という数値についてはどうお考えですか。

遠藤  「なぜ1ミリか」という根拠を国がきちんと説明しないうちに数字がひとり歩きしてしまったと思います。そのため住民は「1ミリ以下にならないと戻らない」と思い込んでいる。これは不幸です。1ミリを求めて膨大なお金をかけて除染しても達成できないこともある。それならば除染費用をもっと別の使い方、たとえば復興事業に充ててもいいと僕は思う。「1ミリを目指す」という姿勢は時間をかけても貫くべきですが、現実的な対応も必要だと思います。

――除染後も「年間1ミリ」を下回らない場合はどうしますか。

遠藤  残渣除去とフォローアップ除染をやります。家の後ろに山がある住宅は、山側の線量が高くなる傾向にあります。しかし、実証実験では、林縁部から5mまでの距離をもう一度丁寧に除染すると、18%ほど線量が下がる結果が出ています。この残渣除去を行ないます。フォローアップ除染は国から具体的な方向性が示されていないため、もう少し時間がかかると思います。

住宅から20mの距離を示す木の枠。この範囲までは除染がされている。

住宅から20mの距離を示す木の枠。この範囲までは除染がされている。

――川内村の大部分は森林ですから、森林除染も課題ですね。

遠藤  そうですね。ただ、国はまだ森林除染の方向性を示していません。森林を除染するとなれば膨大な費用がかかります。単純に川内村の森林面積に除染単価をかけると1千億円を超えてしまう。「本当にできるのか。どんな方法でやるのか」という思いがあります。
 ただ、チェルノブイリを視察して思ったことがあります。チェルノブイリの森にある看板には「ここに入るな」とは書いてありません。「測って食べろ」と書いてあるんです。内部被曝の最大の要因は食べ物ですから、食べ物をきちんとコントロールすればなんとかなる。そのため帰国直後の2011年11月から、川内村に食品測定器を置いて検査をはじめました。きちんと日常生活の中でルールを守っていれば、心配はないレベルだと感じています。

――森林の除染はやはり現実的ではないとお考えですか。

遠藤  山あいは線量がそれほど落ちないので、自然減衰を待つしかないと思います。短期間で山を削ったり木を切り倒したりして裸山にすれば、逆に森の持つ保水力や景観などの資源を失います。災害が起きやすくなるなら本末転倒です。一気に森林を除染することは不可能ですから、除染ではなく、森林整備を長い時間かけて愚直にやっていくしかないと思います。

除染された林。

除染された林。

――どの程度の時間軸で考えなければならないのでしょうか。

遠藤  廃炉と同じくらいはかかりますかね……。でも、だからと言って林業の方々が山をあきらめるかと言ったら、あきらめませんよ。みんな自分が生きている間になんとかケリを付けてやろうと思っています。だから自分でコツコツと農地の除染をしたり、除染後に出た石を拾って袋に入れたりしているんです。
 もともと森林の整備は50年ぐらいのサイクルでやり続けるものです。あきらめたら負けです。心配なのは放射性物質が建築資材に影響を与えないかという点ですが、実証実験では「心配ない」との結果が出ています。ただ、今の幼木が成長した30年後にはどうなるのか。そこも含めてきちんとデータを取る実証試験を進めています。

――震災後、木材の出荷はしているのでしょうか?

遠藤  まだしていません。今年は試しに村有林の立木を売りに出そうと思っています。やはり市場に問うてみなければわかりませんからね。

――村で収穫したコメはどうでしょうか?

遠藤  震災前、川内村ではコメの作付面積が約300ヘクタールありました。震災後の作付けを開始したのは去年ですが、初年度は100ヘクタールでした。今年は160ヘクタールで、ようやく震災前の半分程度まで回復しました。
 昨年は収穫されたコメ約2万5000袋を全袋検査しましたが、食品安全基準の100Bq/kgを超えるものは一つも出ていません。ほとんどがND(検出されず)です。ほんの一部だけ数値が出ましたが、それでも約30Bq/kgと心配のないレベルです。ただ、去年は政府備蓄米として買い上げられたため、市場に出回っていません。お金も大切ですが、農家にとっては消費者に「おいしい」と食べてもらうことがコメを作る意欲の源です。今年はきちんと市場で評価してもらいたいですね。

避難指示解除準備区域の水田。

避難指示解除準備区域の水田。作付けをされないとあっという間に雑草が生い茂る。

――農業再生という点では、村内に野菜工場もできましたね。

遠藤  風評被害や露地栽培に対する不安もありましたから、土を使わない完全密閉式の新たな農業も提案しています。レタスやハーブ、夏いちごを栽培していますが、かなり引き合いがあります。今のところ人材不足で工場稼働率は50%ほどですが、透明性のあるデータを公表していくことでブランド化していきたいですね。被災地だという甘えは捨て、安くて美味しい新鮮なものを提供していくことで川内村の農業を再生していきたいと考えています。

――企業誘致も進んでいますね。

遠藤  金型製作の菊池製作所、蓄光材メーカーのコドモエナジー、家具製作の四季工房が来てくれました。現在、村内で造成中の工業団地には7社の進出が決まっています。村に仕事がなければ村民は帰ってきませんから、進出企業には感謝しています。

震災後、川内村に誘致された蓄光材メーカーのコドモエナジー

震災後、川内村に誘致された蓄光材メーカーのコドモエナジー。もともと大阪の会社で震災前は縁がなかったが、震災後に生まれた縁で進出が決まった。

復興は時間との勝負です。ここ2年は
帰還のために全エネルギーをつぎ込みます。

――川内村の一部にかかる旧警戒区域は、2012年4月1日に居住制限区域(18世帯・54人)と避難指示解除準備区域(139世帯・275人)に再編されました。今年10月1日からは居住制限区域が避難指示解除準備区域となり、これまでの避難指示解除準備区域は避難指示が解除されます。

遠藤  7月13日に開かれた「避難指示解除に向けた住民との懇談会」では、区長さんなどから「解除はもうすこし先に」という提案をいただきました。また、この段階では村が設置した「住民帰還検証委員会」の答申も出ていなかったため「国が提示した7月26日の避難指示解除は時期尚早」として一度は国に押し返しました。
 しかし、8月5日には検証委員会から解除に前向きな答申が出ました。また、携帯電話不通話地域の解消や道路の修復など、必要最低限のインフラ復旧にもめどがつきました。解除をしない理由がなくなったんです。ですから8月17日に開かれた国と住民との懇談会で「10月1日の避難指示解除」を受け入れる決断をしました。

「帰還に向けた懇談会」で挨拶する赤羽一嘉経済産業副大臣(当時)

8月17日に開かれた国、村、村民との「帰還に向けた懇談会」で挨拶する赤羽一嘉経済産業副大臣(当時)。この日、遠藤雄幸村長(左から3人目)は避難指示の解除を決断した。

――今年4月26日から希望者を対象に行なわれてきた「準備宿泊」の延長でいいのではないかという村民の声もありました。

遠藤  僕らの大切な仕事の一つは、判断して決定していくことです。どこかで折り合いをつけていくことも大切だと思いました。

村長室に置かれた「カエル」のタペストリー。

村長室に置かれた「カエル」のタペストリー。

――全村民の帰村までにはどのくらいの時間がかかるでしょうか。

遠藤  全村民が戻ってくるなんて、もう無理ですよ。3年前には戻れないと思っています。何割戻るのかという質問であれば、7割程度だと思います。

――以前は「8割」とおっしゃっていました。

遠藤  それはもちろん全員に戻ってきてもらえるように努力もしますし、8割ぐらいには戻したい。でも、三宅島や山古志村の例を見ると減らさざるを得ません。やっぱり強敵ですよ、放射能は。それでもあと2年ぐらいで大部分の人に帰ってきてもらいたい。
 今から2年後というと、震災から丸6年。復興は時間との勝負です。若い人たちは避難先で新しい仕事を見つける。子どもたちは新しい学校生活を始める。村に戻るためには避難先を離れなければなりません。今、川内村は戻れる環境になりつつあります。ここ2年は帰還のための環境づくりに知力、財力の全エネルギーをつぎ込もうと思っています。

村長室には「期限のない夢は叶わない」と書かれた紙が貼りだされていた。

村長室には「期限のない夢は叶わない」と書かれた紙が貼りだされていた。

――避難指示が解除されると、賠償は1年後に打ち切られます。それでも帰村しないと決めた人たちへの支援はどんなものが考えられるでしょうか。

遠藤  子どもの保育料は避難先でも村から援助しています。また、川内村は以前から高校、大学への進学者には申請者全員に奨学金を出していますし、通学やアパート代として月3万円を補助しています。
 もう川内村に戻らないと決めた人にとっても、故郷は必要だと思います。僕らが故郷を復興させていき、その情報を発信していくことが村を離れた人たちへの支援になる。誰しも、いつの日か故郷に帰りたいと思っているのではないでしょうか。

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