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放射線被ばくのリスクを承知で住み続ける福島の人たちの心の内をもっと知ってほしい

イアン・トーマス・アッシュ(Ian Thomas Ash)1975年生まれ。アメリカ・ニューヨーク州出身。最初の長編ドキュメンタリー『the ballad of vicki and jake』(2006年)が、スイスドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞。滞日歴は10年に及び、福島第一原発事故後の福島を撮った『グレーゾーンの中(In the Grey Zone)』(12年)や『A2-B-C』(13年)などがある。

心の声に突き動かされて
福島の南相馬市へ。

――来日してもう10年になるそうですね。

アッシュ  牧師をしている父が日本の姉妹教会と交流していたのが縁で、中学校の英語のELT(補助教員)として赴任したのがスタートでした。初めての訪日でしたが、なぜか「ただいま」という感じで(笑)、郷愁のようなものを強く感じました。その後、趣味で始めた映像制作を本格的に勉強したいと思うようになり、3年間の教員生活を経て、イギリスのブリストル大学の大学院に1年半留学。再び日本に帰ってきて、今度は貿易関係の会社で働きながら、映像作品を撮り続けてきました。

――3・11のときはどうしていたのですか。

アッシュ  友人宅に遊びに行っていたときに地震に遭遇しましたが、次々に伝わってくる東北地方の津波被害の大きさや、福島第一原発の事故に大きなショックを受けました。自分がこれからどうすればいいのかさえ考えられない状態でした。原発事故の深刻さが明らかになるにつれ、日本から脱出しようとする外国人が多かったのですが、アメリカの家族と電話で話すと、父は「帰ってくるかどうかは、お前自身が判断しろ」と言う。その言葉でハッと我に返って、震災の3日後からカメラを回し始めたんです。最初は都内で在日外国人にインタビューしたり、商品が買い占められたスーパーの様子などを撮影したりしていました。震災から10日後には宮城県の石巻市に入り、津波被害の状況や被災者の様子をカメラに収めました。

――福島の取材はいつ頃から始めたのですか。

アッシュ  4月の初旬に南相馬市に入り、10日間撮影を続けました。父には「原発の近くには行かないほうがいい」と言われていたのですが、やはり私の心の声が「行きなさい」と。

――南相馬市は、福島第一原発の20キロ圏、30キロ圏のある地域ですね。

アッシュ  僕が取材したのは、20〜30キロ圏内にある原町区と30キロ圏を少し出た鹿島区です。当時、原町区のほとんどの地域は国から屋内退避が指示されていました。しかし学校が再開されることになり、原町区の子どもたちは、30キロ圏外にある受け入れ先の鹿島区にある学校に通うことになった。放射線量はほとんど変わらないのに、朝、30キロ圏を少し出たところにある学校に向かい、授業が終わると再び屋内退避地区の原町区に戻ってくる。子どもたちにそんな生活を続けさせるくらいなら、初めから安全な地域に避難すればいいのにと、素朴な疑問があったのです。それで、原町区に住む住民や、受け入れ先の鹿島区の学校の校長先生、それと現地のお医者さん、それから南相馬市の市長にもインタビューしました。

――そのときの映像をまとめたのが『グレーゾーンの中』という作品ですね。

アッシュ  福島をテーマにした最初の長編作品です。「グレーゾーン」というのは、避難指示は出されていないけれど、自己責任で住み続けなければいけない、とてもあいまいな地域。そして、特に子どもたちにとっては、放射能被ばくによる将来の健康被害のリスクを承知で生活しなければならない、とてもつらい地域です。なぜ、そのリスクを背負ってまで住むのか? 日本ほどの歴史がないアメリカでは、自分の生まれた土地への執着はあまりないから、危険だと思えばアメリカ人はきっとすぐに避難するはずなのに……。

福島を取り上げた最初の長編作品『グレーゾーンの中』のシーン。2011年4月下旬に再開された学校ではすぐに地震・津波災害時の避難訓練が行われた。

子どもの健康被害を心配する
お母さんたちの悲痛な声。

――作品を通して何を訴えたかったのですか。

アッシュ  そういう質問にストレートに答えるのはなかなか難しい。僕自身が言うより、観た人に判断してほしいというのが僕の基本的なスタンスです。ただ、一つ言えるのは、僕が当初抱いた素朴な疑問は、そんな単純な問題ではないということですね。妻と子を放射能被ばくの心配のない地域に避難させて、生活を支えるために単身残っている父親がいたり、子どもたちを避難させたものの、経済的な理由から再び呼び戻さなくてはいけない家族がいたり。子どもの放射能被ばくのリスクは承知しながらも、日々の生活や生まれ育った土地への愛着などから、屋内退避区域に住み続けることを選択した人たちが大勢いたのです。

――『グレーゾーンの中』は海外の映画祭でも上映され、新人賞などを受賞してもいますが、「グレーゾーン」にいる住民たちのつらさは伝わったでしょうか。

アッシュ  僕は、そのような地域に住む人たちがどのように考え、どのような食事をし、どのような生活を送っているのか、それをありのままに伝えたいと思っていました。しかし、賞はもらったものの、『グレーゾーンの中』が上映された2012年の時点では、グレーゾーンに住み続けること自体が大きなリスクを負うことが海外の人には十分に理解されていないように感じました。「グレーゾーンというのはわかるけれど、で、結局、危ないの? 危なくないの? どっちなの?」という反応が実は多かったのです。

――その後も、福島に足を運び、いくつかの取材映像をユーチューブなどで公開していますね。

アッシュ  福島第一原発から30キロ圏外でも放射線量が高い飯館村や川俣町、二本松市、その他にも伊達市、福島市、郡山市、猪苗代町など、福島には毎月のように通っています。住民や避難民の実情を少しでも多く伝えたいと思い、30〜40分のショートフィルムとしてユーチューブなどにアップロードしています。そして、2012年の11月から4ヵ月かけて取材したものを劇場用の長編作品として編集したのが『A2-B-C』という作品です。これは、除染作業の様子や、子どもの被ばく不安を訴えるお母さんたちの声をまとめたものです。

――A2、B、Cというのは、福島県の県民健康管理調査での甲状腺検査の判定結果(注)のことですね。

(注)甲状腺検査の判定結果……A判定は2つに分かれ、A1は「結節や嚢胞を認めなかったもの」、A2は「5.0mm以下の結節や2.0mm以下の嚢胞を認めたもの」。Bは「5.1mm以上の結節や20.1mm以上の嚢胞を認めたもの」。要2次検査。Cは「甲状腺の状況等から判断して、直ちに2次検査を要するもの」。

アッシュ  当初は長編作品としてまとめようという意識はなかったのですが、伊達市に住むお母さんたちの話を聞いているうちに、『グレーゾーンの中』で取材した南相馬市のお母さんたちの不安の声と重なる点が多いことに気づいた。それは何かといえば、放射線被ばくをした我が子が、がんになりはしないかということですね。甲状腺検査で実際に嚢胞(のうほう)や結節が見つかると、お母さんたちは心配でたまらない。そんな不安が広がっていることを痛感して、これは作品にする価値があると思ったわけです。

――福島県の県民健康管理調査で発見された甲状腺がんが、原発事故による放射線被ばくの影響かどうかは、医学的・科学的にまだはっきりしていません。現段階では放射線由来のがんなのかどうかは「分からない」というのが正しい表現ではないかと思います。いま見つかっている甲状腺がんを「放射線と関係ない」と言うのも間違いですが、あらゆることを放射線の影響だとしてむやみに不安を煽ってもいけない。

アッシュ  そういう考え方はよく分かります。僕も放射能の専門家でもないし、不安を煽っているなどと思われるのは本意ではありません。甲状腺の検査結果と原発事故の因果関係も確かにはっきりしていません。しかし、分からないからこそ、お母さんたちの不安を伝える意味があるのだと僕は考えています。だって、因果関係がはっきりしてからでは手遅れでしょう。お母さんたちの不安を解消するためにも、検査で異常が見つかったときには、もっと迅速に丁寧に対応していくべきだと思います。丁寧な検査をして何もなければそれはそれでいい。検査もしないであとで後悔するよりはずっといいでしょう。チェルノブイリの原発事故からすでに30年近く経っていますが、あれだけ多くの健康被害が出ているのに、いまだに原発事故との因果関係はないと言っている専門家もいる。僕が愛している日本ではけっしてそんな意見がまかり通る国にはなってほしくない。

You Tubeなど動画投稿サイトには、東日本大震災後、福島の実情を追いかけた短編作品がいくつも公開されている。

パニックを防ぐという名目で
真実が覆い隠されてしまった。

――医学的にまだまだ解明されていないことがある中で、不安が深まっていることは確かですね。

アッシュ  健康問題だけではありません。原発事故直後から、国や東京電力からは「ただちに影響があるわけではない」といったコメントがよく出されましたね。あのあやふやな言い方に象徴されるように、パニックを防ぐという名目で、真実が覆い隠されて、それがかえって不安を募らせてしまうという現実がいっぱいあるじゃないですか。そういう意味では、『A2-B-C』で取り上げている除染問題も同じだと思います。いつになったら除染作業が終わるのか、いったいどれほどの効果があるのか、そして本当に除染後に元の家に戻って生活できるのか、いまだにはっきりしないでしょう。かすかな希望を残しながらも、正確な情報が伝わってこないから不安ばかりが募る。そして、除染後の放射性汚染物質が最終処分場も決まらないまま、仮置き場にどんどん山積みになっていく。その間、除染業者にはたくさんのお金が流れていくわけです。

――意味のない除染にお金が使われているということですか。

アッシュ  すべてがそうだとは言いません。しかし、住民が本当に戻れるかどうかわからないのに、将来再びその土地で生活ができるかのような幻想を持たせるのは、はっきり言えば「国のウソ」ではないかと思います。たとえ高齢者が戻りたいと言っても、中高年や若い世代も一緒に戻ってこなければ、生活基盤が整わない。病院などの社会的なインフラ施設も不十分なままの状態になってしまいます。そもそも家のまわりだけ除染しても、近くの里山や林が手つかずのままでは、雨風で放射能は拡散するし、生活圏として成り立ちません。

――では、国や市町村の施策としてはどうすべきだと?

アッシュ  分からないことはわからないとハッキリ言ったうえで、セーフティゾーンをはっきりと示すべきだと思います。「ここまでは絶対安全」「ここまでは確かなことが言える」ときちんと説明して、それを前提に移住対策や補償に関しても、住民にいくつかの選択肢を示してあげるべきだと思います。わずかの希望を持たせたまま仮設住宅での生活を長引かせてしまっては、生活の再建意欲もなくなってしまいます。

福島の2作目の長編ドキュメンタリー『A2-B-C』のシーン。
『A2-B-C』は2014年5月より東京・ポレポレ東中野他で順次公開予定。
問い合わせはa2bc.info@gmail.comまで。

子どもたちの未来のために
大人はもっと真剣に考えなきゃ。

――行政や関係機関の情報開示が不十分で、それが原発事故被災者の不安をさらに募らせているということですね。

アッシュ  ウソがあってはならないのはもちろんですが、何か大きな方針を決める際には、政治家も役人も、そして専門家も、もっともっと被災者の生の声に耳を傾けるべきです。かつて「原発事故によって死者が出ている状況ではない」と言った政治家がいましたが、現場を知らないからそんなことが平気で言える。避難先のストレスが原因で亡くなったお年寄りもいれば、将来を悲観して自殺した人もいる。そういった被災者の苦しみや原発問題そのものを、事故の直接の被害を受けなかった私たち自身ももっと肌で感じて深く考えなくてはいけないと思います。僕自身、3・11が起きるまでは、原発問題にはまったく無関心でした。いまではとても恥ずかしいことだったと思っています。

――自分自身も含め、「肌で感じ、深く考える」ためにカメラを回し続ける意味があると考えているわけですね。

アッシュ  そのとおりです。僕が大事にしているのは、自分が何を伝えたいかを訴えることより、カメラの前にいる人が何を伝えたいかを記録すること。だから僕は、自分の肩書きを「フィルムメーカー」、つまり「映像をつくる人」と言うことにしています。海外の映画祭などに行くと「監督」として挨拶を求められることもありますが、僕はそれがとてもイヤ。誰かを監督するつもりなんて、これっぽっちもない。自分がカメラを向けた「現実」を知ってもらえればそれでいい。貧乏しながらカメラを回す意味がそこにあります(笑)。
 私たち大人がけっして忘れてはならないのは、この地球は大人たちのためのものではないということ。子どもたちの命を守るために、子どもたちの未来のために、大人は原発問題をもっともっと真剣に考えなくてはいけない。未来を担う子どもたちから、大人はいまこの地球を借りているだけなんですから。