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『福島 六ヶ所 未来への伝言』の監督・島田恵さんインタビュー「原発の問題を、どうしたら地元以外の人たちにも『他人事』ではなく『自分事』として捉えてもらえるのか、そのことをずっと考えてきました」

「あなたはいのちのバトンをわたしますか/それとも放射能という『負の遺産』をわたしますか」――「原発」に翻弄される人たちの姿を通じて、観客にそう問いかける映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』。これが初の監督映画作品となる島田恵さんに、写真家として追い続けてきた青森県六ヶ所村への思い、そして映画に込めた思いをうかがいました。●聞き手・構成/仲藤里美(ライター)撮影/吉崎帰幸

「生活者」の視点から六ヶ所村を見つめたかった。

――島田さんの初監督映画作品『福島 六ヶ所 未来への伝言』では、原発事故が起こった福島とともに、再処理工場など核燃料サイクル施設を抱える青森県下北半島の六ヶ所村がテーマとなっています。島田さんは写真家として、この核燃料サイクル施設の立地が進展していく1980年代後半から六ヶ所村の取材を続けられてきたとうかがいました。そのきっかけは何だったのでしょうか。

島田 初めて六ヶ所村へ行ったのは1986年の夏、市民団体の主宰するスタディツアーです。青森県と六ヶ所村は、その前年に核燃料サイクル施設立地受け入れを正式決定していたのですが、86年の4月にチェルノブイリの原発事故が起こったことで、六ヶ所村での反対運動が大きな盛り上がりを見せていた時期でした。
 ただ、このときは原発や核燃料サイクルに関する知識もなく、地元の人たちの話に驚くばかりでした。本格的に取材を始めたのはその年の秋、二度目に六ヶ所を訪れてからです。施設建設のための海域調査を阻止しようとする行動を目の前で見て、すごい衝撃を受けたんですね。それまでは、原発は危険だくらいの意識はあっても、六ヶ所村につくられようとしている施設がどんなものか、きちんとはわかっていなかった。地元の漁師さんやお母さんたちが機動隊と睨み合い、まさに身体を張って抵抗しているのを見たときに、「これは本当に大変なことなのかもしれない」と初めて気づいたんです。
 個人的に、写真家として何か自分のテーマを持ちたいと考えていた時期でもあったので、ここにかかわっていこうと決めました。それで、東京と青森を行ったり来たりしながら現地の人の話に耳を傾け、反対運動の様子を撮影するようになったのです。

――そして1990年には、六ヶ所村へと移住されます。

島田 最初は「移住」という意識は全くなかったんです。その翌年、91年の2月に青森県知事選挙が予定されていて、チェルノブイリ以降反対運動が政治的にも一大勢力となる中、核燃の是非を真っ向から争う選挙になろうとしていました。その現場に絶対立ち会っていたかったので、半年か1年くらい現地に滞在して取材しようと思ったんですね。結果的にはそのまま、12年も暮すことになるのですが(笑)。

――しかし、その県知事選挙では核燃立地推進を掲げる現職知事が当選。県内の反対運動は急速に力を失っていきます。

島田 あれだけ全県的な反対運動が盛り上がっていたにもかかわらず、選挙では負けて、施設の建設がどんどん進められていくことになった。翌92年にはウラン濃縮工場が操業開始し、93年には再処理工場の建設工事も始まりました。その中で、「何をやっても無駄なのか」という無力感が蔓延していましたね。私自身も撮るべき被写体を見失ったというか、何を撮ったらいいんだろうという迷いの中で、ひどく落ち込みました。何度も「東京に帰ろう」と思いました。

――それでも結局はとどまられたのはなぜでしょうか。

島田 もちろん、生活する中で地元の人たちとのつながりが濃くなっていったことは大きかったですね。それから、この先青森や六ヶ所がどうなっていくのかを生活者としてもう少し見続けたいと思ったんです。「よそ者」という立場は変えられないけど、そこに「暮す」ことで、もっと生活者目線で物事がとらえられるかもしれない、と思いました。
 また、今の日本社会に共通する構造が次第に見えてきたということもあります。六ヶ所村にはかつて「むつ小川原開発」計画があり、人々はバラ色の夢を見させられました。それが頓挫したら今度は核燃料サイクル基地がやってきて……と、国のエネルギー政策に翻弄されてきたのです。原発だけではなく沖縄の基地問題などもそうですが、この国のありようは、社会的に弱い立場に置かれた人たちの犠牲の上に成り立っているということを、六ヶ所村で暮すことで実感しました。東京から通うだけだったら、自分が「他人の足を踏んでいること」を意識できなかったと思います。

原発がある社会の、「入り口」と「出口」を書く、

――今回の映画は、東日本大震災よりも前に企画されたもので、当初は六ヶ所村を中心とする青森県だけを扱う予定だったそうですね。

島田 はい。「一区切りつけよう」と思って2002年に東京に戻った後は、家庭の事情などもあって六ヶ所のことからはしばらく遠ざかっていたのですが、「何かしたい」という思いはずっとありました。それで、改めて六ヶ所について自分が伝えたいことは何だろうと考えたときに、それは青森の人たちの「抵抗の記録」だと思ったんです。

――抵抗の記録、ですか?

島田 というのは、「STOP ROKKASHO」プロジェクトなどによって核燃問題が少しは知られるようになってきてはいましたが、一方で「六ヶ所の人たちは交付金ほしさに、こんな危険な核施設を受け入れた」という見方があるのがとても残念だったんですね。たしかにお金は最大の誘因ではあるけれど、だからといって人々は何も考えずに計画を受け入れたわけじゃない。賛成・反対をめぐって親兄弟や親戚が互いに対立するような壮絶な状況を生み、その中で必死に続けてきた反対運動も潰された。核燃サイクル施設は、そうした人々の深い苦しみや葛藤の上につくられてきたという歴史を、埋もれさせたくないという思いが強くありました。
 それに、そうした反対運動の映像記録は系統立てては残されていないのです。これだけの抵抗の歴史があったんだということ、また、核燃立地のために相当の圧力や分断工作があったわけですから、その事実を明らかにしておかなければと考えました。

――もともとのご専門の写真や文章ではなく、映画という形を選ばれたのは?

島田 『六ヶ所村ラプソディー』(鎌仲ひとみ監督)などのドキュメンタリー作品を見て、映画の「伝える手段」としての力の大きさを感じていたからです。といっても私は映画はまったくの素人で、知識も技術も、人脈もお金も全部ゼロ。だから、最初は誰か青森県出身の監督に撮ってもらって、私は企画やプロデューサー的な役割に回ろうと思っていました。しかし、そうはうまくいかなくて……そうするうちに周りから「やっぱり思いついた人がやるのが一番だよ」とけしかけられたり(笑)。六ヶ所村でも、「島田さんがやるなら応援するよ」と言ってくれる人もいたので、これは自分でやるしかないと腹をくくりました。
 知人のカメラマンに撮影の助っ人を頼み、クランクインしたのが2011年2月。最初のロケでは、津軽地方を皮切りに八戸、六ヶ所と回りました。そして3月半ばに、2回目のロケを予定していたんです。

――けれどその前に、東日本大震災が起こるわけですね。

島田 もちろんロケは中止。1ヵ月くらいは「映画なんか作ってる場合なんだろうか」と、何も手につかない状態が続きましたが、結局は私にできることはこの映画を完成させて、世の中の人に見てもらうことしかないと思うに至り、制作を再開しました。
 ただそのときも、これだけの大事故が起きた福島のことを描かないわけにはいかない、と思いました。福島での事故によって原発はこれだけ注目されているけれど、原発は例え事故が起こらなくても、日々稼働しているだけで放射性廃棄物という大きな問題を生み出していて、それが六ヶ所村へどんどん運び込まれている。いわば原発社会の「入り口」と「出口」ともいえる福島と六ヶ所とを、結びつけて描こうと思いました。それで、青森と並行して福島での取材、撮影も開始したのです。

六ヶ所も福島も「地域の問題」ではない。

――映画の中に登場する福島の人たちは、東京へと避難してきた家族、県外へ避難すべきかどうかを迷っている母親、自分の土地で農業を続けようと苦闘する一家など、さまざまです。その人たちの取材を続けられていて何を感じましたか。

島田 みんな、本当に迷って、悩んで、もがいているんですよね。避難した人は避難した人で、将来の自分たちの道が見えなくて苦しんでいる。一方で、福島に残った人たちも、本当にこれでいいのかと、親として子供を被曝させていることに自分を責めながら毎日を送っているわけです。それはとてもつらい日常です。
 しかも、どうするのが一番いいのか、こんな状況がいつまで続くのか、答えは誰にもわからない。取材で話を聞いていても、かける言葉も見つからない……。私もすごく苦しくて、取材やロケから帰ってくると、疲れ果ててぐったりする。その繰り返しでした。

――避難した人も、残った人も、双方が悩み苦しんでいるんですね。

島田 さらに、避難した人たちと残った人たちの間で、互いに批判し合ってしまうという「分断」も起こっている。それでまたそうした人間関係に悩み苦しむという新たな構図があります。健康への影響といった目に見える被害だけではなくて、人間関係を壊し、コミュニティを壊す、それが原発というものなんだと痛感しました。

――そうした「分断」はまさに、六ヶ所で起こってきたことでもありますね。映画の中でも、核燃サイクルに強く反対を訴える地元の人たちが登場する一方、ある女性は「この事業が撤退したら食べていけなくなる」という不安を語っていました。

島田 そのとおりです。制作の過程でずっと考えてきたのは、そうした問題を、どうしたら地元以外の人たちにも「他人事」ではなく「自分事」として捉えてもらえるだろうか、ということでした。
 福島も、六ヶ所も、決して「東北のある地域」だけの問題ではありません。原発事故に関して言えば、高い値の放射線量が検出されている関東地方も現地です。また、そもそも福島にある原発でつくられた電気を消費していたのは首都圏の人間です。そしてその原発の核のゴミは六ヶ所村へと運ばれている。つまり、原発の「入り口」も「出口」も、決して福島と六ヶ所の問題ではなくて、この時代に生きる私たちが作り出してしまった大きな課題であり、一人ひとりがかかわっていることなんです。3・11以降その思いがさらに強くなりました。この映画を見た人たちに、そうした自覚を持ってもらえたら本望です。

――映画のフライヤー(チラシ)にも、「今の日本、この時代を未来のあなたへ伝えたくてこの映画を作りました」とありますね。『未来への伝言』というタイトルには、どんな思いが込められているのでしょうか。

島田 この時代にこんな過酷な原発事故があって、こんなにたくさんの人が苦しんだという事実を、同じ過ちを繰り返さないためにきちんと未来の世代へ伝えたい、という思いがまずあります。でも、それだけではありません。未来の、何世代か先の子孫たちが振り返ったときに、あの時代の人たちはあんな間違いをしたけれど、それを反省し、そこから学び、新しい時代へと舵を切ってくれた。あの先人たちが賢明な判断と行動をしてくれたおかげで、今の自分たちの安心な生活があるんだと思ってくれたら、この困難も報われると思うんです。この時代に生きた私たちが、一生懸命考え、将来の世代のために新しい未来を選択した、ということを本当は伝えたいのです。
 私たちが今いるのは、遠い先祖たちが「いのちのバトン」を連綿と引き継いできてくれたから。それを次の世代にちゃんとつないでいくことが、私たちの責任だと思うのです。

島田恵(しまだ・けい)写真家、映画監督。1959年、東京都生まれ。写真雑誌社、撮影スタジオなどの仕事を経てフリーランスの写真家に。1986年のチェルノブイリ原発事故後、核燃料サイクル施設の建設問題で揺れる青森県六ヶ所村を訪問。以後、東京と青森を行き来しながら、施設の建設強行とそれに抵抗する人たちの取材を続ける。1990年から2002年まで六ヶ所村に在住。2011年、新たに映像分野で核燃問題を伝えようと映画制作を開始し、初の監督作品『福島 六ヶ所 未来への伝言』を完成させた。2001年に写真集『六ヶ所村 核燃基地のある村と人々』(高文研)で第7回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞。著書に『いのちと核燃と六ヶ所村』(八月書館)がある。

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むつ小川原開発計画
青森県上北郡六ヶ所村では1960年代末から、付近一帯に石油化学コンビナートや製鉄所主体の大規模臨海工業地帯を建設するという「むつ小川原開発計画」が進められた。しかし、二度のオイルショックなどもあって計画は頓挫。1980年代から、これに代わって原子力関連施設の受け入れが進むことになる。
STOP ROKKASHO
ミュージシャンの坂本龍一が中心となってはじまった、六ヶ所再処理工場の危険性を世界に知らしめるためのプロジェクト。呼びかけに応えたアー ティストらによる六ヶ所をテーマにした作品がインターネット上で公開されたほか、音楽イベントなども開催され、広く注目を集めた。
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核燃料サイクル
核燃料サイクルとは、原子力発電所で使われた使用済み核燃料から燃え残りのウランやプルトニウムを取り出し(再処理)、再び燃料として利用する一連の流れのこと。エネルギー問題と放射性廃棄物処理問題を一挙に解決する「一石二鳥」の仕組みとして、原子力政策の基本に位置付けられてきた。六ヶ所村にはその「再処理」を行うための工場(2006年から試運転が続いているが、相次ぐトラブルなどにより、いまだ正式稼働には至っていない)をはじめ、4つの核燃料サイクル基地がある。
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