私はこう考える
三浦瑠麗さん
前編
アメリカ人は
目を隠すことは
気にしませんが、
口を隠すことは
「本心を隠している」と
感じ、嫌がります。
連邦議会議事堂を襲撃した暴徒に限って言えば、マスクをしていなかったのは、まず身元が判明することを恐れていなかったからでしょう。自分たちは犯罪者ではないと無邪気にも思っていたから、犯罪者のように顔を隠す必要はないと考えていたということです。
一般的に、マスクは感染予防のためにつけますが、議事堂に力ずくで乱入するようなリスクを冒す人がマスクをしないのは不思議ではありませんね。新型コロナウイルスに感染したり、感染させたりするリスクよりもずっと逮捕されるリスクの方が高いんですから。
そもそもアメリカにはマスクをしたがらない人たちが一定数います。共和党の支持者にとって「法と秩序」に従うことは誇りある概念ですが、マスクは特殊な義務です。アメリカ人はサングラスで目を隠すことは気にしませんが、口を隠すことを嫌がります。「本心を隠している」と感じるから。呼吸も苦しくなるし、自由を侵害されたとも感じる。その感覚は、政府による私的領域への介入を嫌がる共和党のメンタリティと合致するのです。
ブラック・ライヴズ・
マターのデモと
連邦議事堂への暴徒突入、
左右の精鋭化の
相乗化がもたらす
効果とは?
議事堂襲撃事件の初報を聞いた際は、非常に驚きました。アメリカで暴動が起こることは珍しくありませんが、民主主義の象徴的な場所である連邦議事堂に突入するのは前代未聞です。デモとはわけが違います。
突入は、権力の正統性やエスタブリッシュメント全般に対する不信の現れと見ることができます。「不正選挙で権力を盗む勢力がいる」と考えた陰謀論者たちは、「我々が統治を回復するんだ」という興奮状態にありました。多くの暴徒は自分の行為が正当化されると思っていたのではないでしょうか。
ここで指摘しておきたいのは、今回の議事堂襲撃事件とブラック・ライヴズ・マター(BLM)のデモとの相乗効果です。
BLMは、2012年2月にフロリダ州で黒人少年が白人警官に射殺された事件をきっかけに組織された新しいタイプの抗議運動です。警察官による人種差別的な逮捕や職務質問、容疑者の安易な射殺、黒人の命が白人よりも失われやすい住環境や治安環境に置かれていることなどを問題視しています。
SNS時代の特徴を反映してか、マーチン・ルーサー・キングJr.のようなカリスマ不在のネットワーク型の運動です。自発的に集まる運動ですから統率も指導もできない。地域に根差したものは別ですが、便乗犯や極右の忍び込みも容易なため、運動が過激化することを防ぎにくいという特徴があります。
BLMは日本ではリベラルで穏健な印象を持たれがちですが、その過激さゆえにアメリカでは評価が二分されます。BLMへの賛否が党派化した結果として、民主党側に公共物の打ち壊しなどを肯定する風潮が生まれました。共和党はそれに対して「法と秩序」を主張したのに、結局は少なくない共和党員が、自分たちも対抗すべく正規の手続きを踏み越えてよいと考えるようになった。人間は、相手の使う戦法に対抗するため、そして憎しみゆえに、誰しも戦う相手に似てくるものなのです。