

「一本刀土俵入り」大詰第三場・軒の山桜。
お蔦の家の前、桜の木の老い木と若木と二本植わってあり、花が咲いている。
利根川が家の横にやや遠く見える。
以下、名代の名作の段取り通りに――
やくざ姿もいなせな駒形茂兵衛(西田敏行)が、土地のやくざ達相手の大立廻り。
彦を打ちのめし、北公を角力のワザで投げとばす。
茂兵衛「(儀十を突き立て突き立て、小手をとってブン廻し、手許に引付け、家の中に向って)あらまし形がついたようでござんす(儀十の急所を圧す)」
儀十、気絶。
家から、お君を負うた辰三郎(梅沢富美男)、少し荷を持ったお蔦(木の実ナナ)が旅装で出てくる。
茂兵衛「飛ぶには、今が潮時でござんす。お立ちなさるがようござんす」
辰三郎「お蔦から話を聞きました。わずかなことをいたしましたのに」
茂兵衛「いらねェ辞儀だ。早いが一だ」
お蔦「(人の倒れ伏すを見て)あッ」
茂兵衛「なあに死切りじゃござんせん。やがてこの世へ息が戻る奴ばかり」
辰三郎「それでは茂兵衛さん。ご丈夫で」
お蔦「お名残り惜しいけど」
茂兵衛「お行きなさんせ早いところで。仲よく丈夫でおくらしなさんせ」
辰三郎夫婦が去っていく。
茂兵衛「(見送りつつ)︙︙ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に櫛かんざし、巾着ぐるみ意見をもらった姐さんに、せめてみてもらう駒形の、しがねえ姿の横綱の土俵入りでござんす」
チョンと柝のかしら。
●新興住宅の玄関口
柝が入ると同時に、サッとドアが開いて、サラ金取り立て屋の沼田薫(西田敏行)が、ヌッと現われてドスの利いたごあいさつ。
沼田「パラダイスローンズから集金に伺いました! 元利合計二百六十万とんで三千円、本日御返済がなければ御通告通り、現物で頂戴して参ります。御主人さん! 奥さん! 御返事がなくても上がらせてもらいますよッ(と、上がりこむ)」
チョン! と柝がはいって、その強欲面がストップ・モーション。
メイン・タイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●ダイニングキッチン
第一話「一本刀土俵入り」
沼田の采配で、古売屋たちが、そこらの家具を運びだしていく――テレビに冷蔵庫、ピアノにゴルフセット等、いずれもクレジット・ショップで買い込んだようなものばかり。
まさにマイホーム崩壊の図。
部屋の隅で寄り添い合っている若夫婦と女の子の三人(どこやら、一本刀土俵入りの辰三郎夫婦の風情)恐怖と怒りで、沼田を睨んでいるところがエライ違い。沼田、亭主に時間を訊く。
腕時計を見たその亭主の腕をグイと摑んで、腕時計をはずしてポケットに。
ついでに、若妻の指に光るルビーの指輪にも目をとめ、若妻の細腕を強引に摑んで、指輪を抜き取る。ワッと泣き伏す若妻や口惜し涙の亭主を尻目に、ゆうゆうと引き上げていく悪党、沼田。
インサート――。
新聞見出し!
「サラ金苦に一家三人心中」
「マイホーム背伸びして︙︙」
●新宿・繁華街
都会の雑踏。
その中を、セールスマンの畑中洋一郎(河原崎長一郎)が、何者かに追われて足早やに逃げている。
追うのは、一見銀行マン風の男が二人。信号で立往生したところを、とうとう捕まってしまう畑中。
男二人に両腕を取られて無理矢理、何処かへ連れ去られていく。
●ローンズランド・表
春の日射しをキラキラと反射している「ローンズランド」渋谷支店のビルの窓。
●店内
日当りのいい大手のサラ金オフィス。
接客中の若い女子社員や電話督促中の男子社員たちで活気づいているその雰囲気は、銀行の窓口とさして変らない健全な明るさを呈している。
支店長の馬場利夫(小野武彦)が、昼飯から爪楊枝くわえて帰ってくる。
女子社員「支店長。ニッタ自動車販売の畑中様が第三応接室でお待ちかねでございます」
馬場「(電話を差し)パラダイスローンズの沼田社長を呼びだして、廻して。それから、畑中さんのファイルもってきて(と忙しく、応接室へ入っていく)」
●応接室
だされた茶には手もつけずしょんぼり坐っている畑中のもとへ馬場がきて、
馬場「お仕事中御足労願いまして、どうも。あなた御多忙な方だからなかなかキャッチできなくて、社員たちもネを上げてましたよ。あなた、相当凄腕のサラ金キラーだったんですね。御利用の店もウチだけじゃないようだし」
この間、女子社員がきて〈畑中のファイル〉を馬場に渡してさがる。
畑中「(ひらき直って)三日待ってもらいましょうか。新車をさばいた金がはいってきますから、そしたら、利子だけいれにきますよ」
馬場「(ぜんぜん聞いてないで、ファイルをめくりながら)四回も切り替えなすってるんですねェ」
畑中「なんなら、もう一度、書き替えやりますか」
馬場「もう限度でしょう。切り替えより、もっとすっきりした方法がありますよ」
畑中「と言うと?」
テーブルの電話がコールする。
馬場「(取って)ハイ、つないで︙︙(先方がでて)沼ちゃん、馬場だけど、これからひとりお客さんをそっち廻したいんだがね。(ファイルを見ながら)お名前は、畑中洋一郎様」
畑中「(不安気に腰を浮かす)︙︙」
馬場「(ファイルをめくりながら)昭和十一年生まれの四十五歳。ニッタ自動車販売のベテランセールスマン。中野の2DKマンションで奥さんと六歳の子供の三人暮し。但し、三ヶ月程前から奥さんは子供を連れて富山の実家へ帰ったきり、戻っておりません。訳は御本人から訊いて頂戴。肝心の貸付金額、元利合計が六十八万七千円。キリよく七十万で肩代りしてもらいましょうか」
畑中「肩代りだと?」
馬場「まァ、かなりのクレジット・ドランカーではありますな。そう言いなさんな。︙︙サラ金もうちくらいの大手になるとそうそう、あこぎな取り立ても出来にくいんでね。お互い持ちつ持たれつでいこうじゃないの。金は本人と引き換えで頼みますよ。そ、七十万。これからすぐ伺います。(切る)ドライブしましょうか。若松町、すぐそこですから」
畑中「廻しにかける気か。そうはいくか。(と、ドアを開ける)」
通せんぼの男社員。
畑中「⁈︙︙サラ金一一〇番に訴えてやるッ」
馬場「こちらは契約書にのっとって、債権譲渡を実行しているだけです。(冷たい目)もう、誰も助けちゃくれませんよ。あなた、恨むなら、自分を恨みなさい」
●街の中
畑中を乗せた車が路地へ入っていく。
●雑居ビル・表
車が停まり、馬場が畑中の腕をとって下す。車には待っているように指示して古い雑居ビルの中へ、畑中を連れ込む。
●階段
薄暗い階段を馬場に押されて上っていく畑中︙︙つのる不安。
三階へ――。
●ドアの覗き穴のフレームで
長い廊下の向こうから、馬場と畑中がこっちへ向かってやって来る。
それを覗いている何者かの視点で――
魚眼のフレームいっぱいに接近してくる馬場と畑中。馬場がドアのチャイムを押す。ピンポン。
●パラダイスローンズ・表
チャイムを押す馬場。
インターフォンから、とろい女の声が返って来る。
声「どなた」
馬場「(インターフォンへ)ローンズランドの馬場だ」
声「どうぞ」
馬場、ドアを開けて、畑中を先に押しこんでいる。
●事務所
畑中と馬場が入って最初に見るのは、正面の事務机に坐っている中年女・沼田よし江(泉ピン子)。馬場が声をかけるまで電卓で帳簿をつけている。
馬場「(ファイルをポイとなげ渡し)さァ、奥さん、銀行までお供しますよ」
よし江「(ジロッと顔をあげて)たまには、まともな客も連れてきて下さいよ。こうくる客くる客、尻に火のついた磯の吹き寄せばかりじゃ、こっちの身がもちませんよ」
馬場「厭ならいつでも手を引くよ。うちから融通してる回転資金と一緒にね」
よし江「ふた言めにはそれだ」
馬場「さァさ、通帳と印鑑もって。車で送ってあげるから(よし江が下げたバッグをさわって)おッ、グッチだネ、戦利品?」
よし江「放っといて下さい。行きますよ」
馬場「旦那は?」
よし江「便所(と言い捨てて外へ出ていく)」
馬場「(トイレに向って)沼チャン! お客さんおいてくからね」
返事の代りに、ドシャーッと水洗音。
馬場「畑中さん、それじゃお宅とはこれっきりだ。もう二度とお会いすることもないでしょうが、お体お大切にね」
畑中「チョ、ちょっと」
バタンとしまるドア。
同時に、トイレのドアがパッと開いて、沼田が、ズボンのファスナーを上げながら出て来る。
沼田「(ブツブツと)さっさとくたばっちまえってんだ、あの野郎︙︙。(畑中をチラリ)俺は、あの馬場ッて野郎の顔見るとヘドがでそうになるんだ。(ファイルを手に取り)俺もよく同じこと他人様に言われてるんだけどもよ。(ファイルをめくりめくり)︙︙分相応の暮らしをしてりゃいいものを、なんでここまで落ちてきたんだい。女か? バクチか?」
畑中「(蒼白)︙︙そ、そんなところさ」
沼田「いやァ︙︙(舐めるように眺めて)あんたァ、バクチや女につぎこむタイプじゃねェな︙︙まァ、いいや。こっちゃァ、貸した金、返してもらいさえすりゃ何ァんにも言うこたァないんだ。(机に掛けて金庫を開ける)うちのシステムは二年間の自由返済、利息は日歩二十三銭。ただし、返済が一日でも延びりゃたちまち日歩が三十銭になりますから気をつけて下さいよ。お宅さんの場合は七十万の貸付だから、月の利息は四万八千三百円、月々、きちんと納めて下さればどうってこたないわけだ。エート、七十万のうち、六十八万七千円はローンズランドの馬場が持って行きやがったから︙︙お宅さんの手元・に残るのは︙︙一万三千円」
金庫から一万三千円を出して、畑中に握らせる。
沼田「預金なんてナとうに空ッポ。会社親戚友だちからも借りつくし、目ぼしい金品は売りつくし、頼りの妻からも見離されて、早速ですが、あんた、今月分の利息四万八千三百円、どうやって払います?」
畑中「(泣きベソ)︙︙逆さに振っても鼻血もでないよ」
沼田「人間どん底に落ちるとひらき直るから困るんだ。中古だけど、外車の出物があるんだ。BMW。さばいてくれるかな、内職で」
畑中「外車は売れませんよ、簡単には」
沼田「叩き売りでいいんだよ、あんたの利息分が出りゃいいんだ。こっちだって、金返してもらわなきゃ、夫婦で首くくんなきゃなんねえんだから、ホントだよ。必死なンだから。頼りにしてまっせ(と畑中の胸を叩く)」
畑中「(深い吐息をついて坐り込み)ああ︙︙いっそ死んでしまいたいッ」
沼田「(嘲笑)ヘヘ、死なれてたまるかい」
●ホテル・ロワイヤル・外観
天を突く都心の高層一流ホテル。
●フロント
フロントマンの松永健次(潮哲也)が、流暢な英語でアメリカ婦人に鍵を渡す。
その笑顔が、たちまち硬ばる。
健次「!︙︙」
沼田が立っている。
沼田「忘れ物をしたんだがね。車のキーを。BMWのね」
健次「︙︙御案内致します。どうぞ」
●エレベーター
健次と沼田、地下へ下っていく。
沼田「ゆうべのテレビの深夜映画、観ませんでしたか? 『陽のあたる場所』ッていうの」
健次「テレビなんて観たくても観れないね、寮だから」
沼田「そうか、マンション売り払って独身寮に引っ越したんでしたね。アメリカ映画なんだけど、その主人公ってのがね、あんたとよく似てんですよ。境遇がね。田舎出の真面目人間でサ。そいつがどういうわけか社長の娘といい仲になっちまうんだよね。ところが男には結婚を誓ったダサイ芋姐チャンがいるわけ。映画の方はティールームのウェイトレスじゃなかったけどネ」
健次「(不快)」
エレベーターが開くと、駐車場。
●地下駐車場
健次と沼田が車の間を歩いていく。
沼田「ウェイトレスちゃんには手切金いくら渡したの? 言っとくけどケチっちゃ駄目。ありったけ渡したってアンタ、損はないんだから、そうでしょうが」
健次「精一杯のことはしたさ。田舎の畑、兄貴に譲って、マンションも売って、サラ金にまで手をだして」
沼田「立派、リッパ」
BMWの傍に来る。
健次「この車だけは、手離せないんだ」
沼田「判るよ、社長のお嬢さんのプレゼントだし、車のないデートも不便だしな。しかし、こっちも商売なんだ。利息だけでも入れてもらわないとね。車のほかに売るのある? 諦めてキーを下さいな」
健次「結婚まで待ってくれないか」
沼田「それとも、社長令嬢に直にかけ合いましょうかね」
健次「彼女は無関係だッ︙︙(観念して、キーを沼田に放る)」
沼田「(キャッチして)上手くやれよ、シンデレラボーイ」
●私鉄・町田駅ホーム
滑りこんで来る電車。
ホームに流れる駅員のアナウンス。
アナウンス「電車が入ります。おさがりください。町田! 町田!」
乗り降りする人々に――
アナウンス「乗り降りは押さない様に。狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。そんな標語もありました。あッ、そこの女子高生のお嬢さん、お年寄りを押しちゃいけないな」
キャッキャと笑い合って逃げていく女子高生たち。
マイク片手に、ウケて図にのっている駅員の久保三郎(矢崎滋)。
久保「(アナウンス)譲り合う心と心、平和日本」
沼田「(声)約束は、守りましょうね、お互いに」
久保「ヒッ(ドキンと振り返る)」
沼田が目前でニヤついている。
沼田「借金の、借りっ放しは不和の元」
久保、思わず電車の中へ逃げこむ。
追いかけてとびこむ沼田。走り出す電車。
●走る電車の中
車両から車両へ人かきわけて逃げる駅員の久保。
泳ぐように追いすがる沼田。
怪訝
ついに、沼田に衿首摑まれてドアに押しつけられる駅員。
沼田「さァさァさァ、十万円の利息が先月分の六千九百円と今月分の九千六百二十一円、合わせて一万六千五百二十一円、キレイに払ってもらいましょうか」
久保「(人目を気にしながら)いまはないよッ」
沼田「カラオケバーにつぎこむ金はあっても、こっちに返す金はないとおっしゃるんですか」
久保「一週間待って下さい」
沼田「待てませんねェ。こう転々と勤務駅変わられちゃ、こっちも切符代がもたねェもん」
久保「おふくろから聞きだしたんですねッ」
沼田「噂を耳にして来たのよ。マイクもったら離さねェ、へらず口の多い駅員がいるって聞いてよ」
電車が停って、ドアが開く。
沼田「さァ、降りた降りた」
駅員の腕をとって電車を下りる沼田。
呆然と見送る乗客たち。
ドアが閉まり、再び発車する。
●新興住宅街の道
二十坪程の家が丘いっぱいに建ち並んでいる。その道を、沼田が拡声器を肩に下げてテクテクとやって来る。
●小川家の表道
その一軒の家の前に立って、外から家にマイクで呼びかける沼田。
沼田「(マイク)小川さん! 小川靖さん! 私はパラダイスローンズの沼田薫です。あなたに御融通した三十万円、その利息がもう三ヶ月滞
まるでチリ紙交換のようにガンガンと響き渡る拡声器の声に、向かいの家から中年の主婦がとび出して来て怒鳴る。
主婦A「うるさいわねッ、いつも。いくらガナリ立てたって小川さんはいないわよッ」
沼田「奥さんも? 買物?」
主婦A「病院よ。救急車で、御主人につき添って行っちゃったわよ」
沼田「(ワルイ予感)︙︙何やったの」
主婦B「(横あいから)自殺よ、あんたらのせいね」
沼田「あいた︙︙」
●病院・病室
無気力な小川妙子(萬田久子)の顔。
ベッドには経鼻力カーテルや点滴の管だらけの夫・靖(橋爪功)が死者のような様子で眠っている。
妙子「︙︙」
妙子の背後に、安っぽい花束を抱いた沼田が、そっと寄って来る。
沼田「助かって、よかったですね」
妙子「(振り向いて、憎悪の目)!」
沼田「住宅ローンで苦労してるのはお宅だけじゃないのに。御主人、ちょっと気が弱過ぎない?」
妙子「(眠る夫を見下して)︙︙勝手なもんだワ。結局自分のことしか考えてないんだから」
沼田「そうだよねェ、御主人、死んじゃったら、借金はそっくり連帯保証人の奥さんにまわっちまうんだもんね。(眺めて)呑気
妙子「もう、覚めないかも知れないって」
沼田「覚めない?」
妙子「薬のショックで、コーマに陥っているッて、お医者が言うの」
沼田「コーマ︙︙、何それ?」
妙子「眠り病よ」
沼田「眠り病?」
妙子「いつまでも眠ったまま生きつづける病気なんだって」
沼田「(疑いの目で)そんな変テコな病気があるかよ、聞いたことねェよ。(病人に)ネ、小川さん、冗談やめて起きて下さいよ。狸寝入りでしょう? ズルイよ、くすぐっちゃうから(と、くすぐるが)」
無表情の病人。
妙子「いつ目覚めるかは、誰にも判らないんですって。明日、覚めるかも知れないし、死ぬまで覚めないこともあるって言うの」
沼田「そんな、アータ」
夢遊病者のようにふらっと出ていく妙子。
沼田「まいったなァ。もう(諦めきれず、病人のワキの下をもう一度くすぐる)こちょこちょ︙︙小川さん︙︙」
看護婦がきて、
看護婦「なになさってるの」
沼田「イェッ︙︙(あわてて退散)」
●廊下
沼田が来て、ベンチに心細気に坐っている妙子の脇に掛け、花束を膝の上に渡す。
沼田「元気だして下さいよ。こうなりゃ、奥さんだけが頼りですからネ」
妙子のV字型のピンクのセーターから、若く張った胸の谷間がチラリと見える。
妙子「(深い歎息)︙︙」
沼田「(ゴクリと生唾呑みこんで)︙︙及ばずながら、今後は力になりますよ。お互い立場を越えて、手を取り合って頑張りましょうよ。奥さんさえその気になって下さりゃ金なんていくらでも稼げますって」
妙子「︙︙私に、なにをさせる気?」
沼田「黙って、私を信じて下さい。トルコやキャバレーで働けなんて言いません。もっと、芸術的な仕事です」
妙子「裸は嫌よ」
沼田「ふっふふ(と、悪魔のやうに囁やく)なに生娘みたいなこと言ってるんですよ。ほんの一瞬のことじゃありませんか」
妙子「︙︙イヤよ︙︙」
沼田「御主人は夢の中ですよ。あなただって、いっとき夢をみたと思えばいいんです」
妙子「︙︙」
眠れる病室の夫の顔。
●インサート
ストロボ・フラッシュ!
妙子のさまざまな官能的ポーズが光の渦の中で夢のように重なって――。
●コンピューター映像
「DRINKER WALKING」
ゲーム・マシン。
酔っぱらいが崖の上をホロ酔いで歩きながら、遂に落下してしまう残酷マイコン・ゲームの映像。
若いプログラマー(声)「コンピューターのプログラマーに最も要求されるのは創造力です。創造の泉が枯れたらデスクワークに廻されます。三十五歳位が限界じゃないですか。それ以上は使いものになりません」
●開発部
オフィスコンピューターをいじくりながら、喋っている若いプログラマー。客は沼田。
沼田「それで山村さんは、どこに廻されたの?」
若いプログラマー「地下のモンロー・オフィスの婿養子に納まりました」
沼田「モンロー?」
若いプログラマー「コンピューターの名前です。山村さんはモンローのお守り役です」
●廊下
白色光の世界に沼田が下りてくる。
突如、自動ドアが開いて、中からコンピューターの声が呼びかける。
コンピューター「ヌマタサン、オハイリクダサイ」
沼田「?︙︙(恐る恐る入る)」
●モンロー・オフィス
怪獣の呼吸のような不気味な換気音。
そこは部屋全体が巨大なコンピューター・ルームになっている。
コンピューター「ヌマタサン、ゴヨウケン、ドウゾ」
沼田「(キョロキョロ)山村さん! ふざけないで出てきてくれよッ。どこにいるんだヨ! 今日は利息だけでいいからよ、八万二千六百五円」
コンピューター「ヤマムラニカワッテオコタエシマス。ホンジツノヘンサイハフカノウ。スミヤカニオヒキトリクダサイ」
沼田「誰が喋ってんだッ。この野郎」
コンピューター「ワタシハモンロー18000、コンピューターデス」
沼田「ふざけるないッ。おいッ、山村! 今日という今日は、どうしても利息もらって帰るからな」
コンピューター「コノヘヤノドアハ、アト一プンデヘイササレマス。アスノゴゼン九ジマデヒラキマセン」
沼田「なンだ?」
セコンドの音。
コンピューター「五十秒マエ︙︙四十秒マエ」
沼田「チクショウ。コケ脅ししやがって。俺は一歩も動かねェぞ」
コンピューター「三十秒マエ︙︙」
沼田「コンピューターなんぞに追い出されてたまるか」
コンピューター「二十秒マエ︙︙」
沼田「山村ッ、どこ隠れてんだ、汚ねェぞ、出てこいッ」
コンピューター「十秒マエ︙︙九︙︙八︙︙七︙︙六︙︙五︙︙四」
秒読みにはいる。
さすがに不安がつのる沼田。
ゼロ直前で、たまらず、部屋からとびだす。
同時に、ドアがピシャッと閉まる。
マシンの物陰から、白衣の山村謙二郎(山本亘)が、ヌッと現われて、デスクに戻り、深々と腰を下して、
山村「(無気力に)モンロー、ご苦労︙︙」
コンピューター「ドウイタシマシテ、ダーリン」
●パラダイスローンズ・事務所
よし江が電話をしている。
よし江「(電話)そお、四谷の迎賓館の前に来てくれッてだけ、それが、なんの用だか言わないんだもん」
●迎賓館前
沼田が、パンを喰いながら佇んでいる。
馬場が信号を渡ってくる。
沼田「一体なんです? 小娘のデートじゃあるまいし、こんな所に呼びつけて」
馬場「国分さんの指定だ。文句言うな」
沼田「コクブって︙︙青竜会の?」
馬場「腕のいい取り立て屋をひとり借してくれッて電話があってな。そいで、あんたに来てもらった」
沼田「(警戒の目で)︙︙自分のとこの社員使えばいいのに」
馬場「あんた程のはウチにはいないよ」
沼田「ヤバイ仕事じゃないでしょうね。嫌ですよ、フィリピンまで保険金ツアーの案内役なんて」
馬場「国分さんと面識は?」
沼田「そりゃ、顔ぐらいは︙︙」
馬場「なんといってもローンズランドの生みの親、影のオーナーだ。せいぜい心証をよくしとくことだな。あれそうじゃないか?」
信号を、一台の黄金のロールスロイスがゆっくりとやってくる。
沼田「けェ、ガソリン喰うぜ、ありゃ」
馬場「ヤクザの見栄さ」
二人の前に車が停まり、運転席の窓が自動で開いて、サングラスの国分英樹(財津一郎)のニヒルな顔が現われる。
直立でお辞儀する馬場と沼田。
国分「︙︙乗せな」
馬場「はッ(後のドアを開けて)乗って」
沼田「馬場さんは?」
馬場「早く(と、押し込めてドアを閉める)」
沼田を乗せてダッシュするロールスロイス。
最敬礼で見送る馬場。
●走る車の中
緊張の沼田。
無表情でハンドルをとる国分の横顔。
国分「︙︙音楽は好きかね」
沼田「は?︙︙はァ、八代亜紀なんか、やっぱり」
さえぎるように国分の手がカセットを放りこむ。
ストラヴィンスキー「春の祭典」の〝いけにえの讃美〟が荒々しくとびだす。
沼田「(ビクッ)︙︙」
国分「君の取り立ての腕はかなりのもんだってね」
沼田「いえ、ただこっちが首をくくりたくねェだけで︙︙」
国分「死んだ先代を説得して、二百万預かってサラ金を始めた。それがわずか十三年で貸出残高二十五億の押しも押されもしない金融会社に成長してしまった。いまじゃ、君、ローンズランドの資金の六十三パーセントは各銀行からの融資だよ。サラ金業界はまだまだ伸びる。君も、いい仕事に目をつけたじゃないか」
沼田「恐れ入ります」
窓の外に流れる都会の風景。
国分「︙︙あんた、郷里
沼田「福島の田舎です」
国分「群馬の四万
沼田「いえ︙︙?」
国分「四万演芸館という温泉客相手の芝居小屋があるんだが、今は、市川梅三郎という一座が入っている。その一座の花形で竹沢市太郎という役者がいるから、そいつを訪ねてもらいたいんだ」
沼田「(メモ)タケザワイチタロ︙︙取り立てですか」
国分「そう」
沼田「金額は?」
国分「二千万」
沼田「(え? と)︙︙大金ですね」
国分「慰謝料としちゃ相場だろう」
沼田「︙︙女がらみで」
国分、後部に一枚の写真を黙って差しだす。
受け取り、見る沼田。
写真――国分とグラマーな女が同じ旅館の浴衣着で写っている。
その女の顔・由良常子。
国分「大久保で飲み屋を任していたんだが、役者とくっついて駈け落ちとしゃれこみやがった」
沼田「それじゃァ銭だけで済ますわけには」
国分「指でもつめさせろというのかね。はやらんよ。まァ、当分、借金地獄で喘
沼田「(ニタリ)︙︙よおく判ります」
●街中
沼田を吐き出して走り去るロールスロイス。
沼田、雑踏へ消える。
ストラヴィンスキー。音楽消える。
●上越線・電車
上信越の山間を走り抜けていく電車。
●電車の座席
電卓をたたいている沼田がいる。
沼田「︙︙元金二千万の利息、日歩二十三銭で、一日四万六千円︙︙一ト月で百三十八万円︙︙成程、地獄だ」
●山道(夕方)
中之条から四万温泉へ――黄昏の田舎道をバスがゆく。
●バスの中(夕方)
懐し気に窓にもたれ、田舎の景色を眺めている沼田の口元が、なにやら歌のようなものを(本人も無意識に)口ずさんでいる。
沼田「〽春の嵐に散りゆく花か、風にまかせた身は旅役者――」●四万温泉・山口(夜)
バスから降りれば、そこは宵闇迫る湯煙の町。
小さなバッグ片手に交番に向かう沼田の姿も、ここでは孤独な旅人の風情。
●旅館街(夜)
ぶらぶらと歩いてくる沼田。
老けた温泉芸者やマッサージとすれ違いながら――。
●橋の上(夜)
四万川の橋を渡っていく沼田。
風か︙︙歌か?
沼田「(ふと立ち止まり耳を澄ます)︙︙」
何処からか、レコードの歌が流れていて、それが沼田の足を止めたらしい。
「〽春の嵐に散りゆく花か
風にまかせた身は旅役者」
歌の流れてくる方へ、ふらふらと歩き出す沼田。
「〽更けて流しの三味の音きけば
捨てた故郷に
捨てた故郷に また涙」
●上り道(夜)
歌に誘われて山の方へ上っていく沼田。
「〽雁が啼く啼く 旅空夜空
お島痛かろ 草鞋の紐が
きょうも吹くかよ男体おろし」
●四万演芸館・表(夜)
「〽つなぐ手と手が
つなぐ手と手が また冷える」
沼田が上ってきた前方の丘の上に、忽然と現われる、狸御殿のような演芸場(!)
懐しの歌はそこからもれている。
沼田「⁈︙︙(しばし眺める)」
闇の中に、そこだけがきらびやかな別世界の輝きを放っている芝居小屋。
夜風になびく数本の幟
「市川梅三郎さん江」「竹沢市太郎さん江」
沼田「(なぜか懐しい)︙︙」
演芸場に近づいて、表のポスター写真を眺める沼田。
その中に「竹沢市太郎」の女形の美しい写真。
沼田「竹沢市太郎︙︙女形だったのか︙︙」
木戸を覗けば、白髪の老婆が坐っている。
千円札をだすと、切符と三百円のツリ銭が返ってくる。不思議と心がはずむ沼田︙︙いそいそと入っていく。
●場内(夜)
ちょうど幕間
空いてる棧敷に、すっと坐る沼田。
隣りの女が煙草を突きだしてくる。
女(声)「兄さん、火貸して」
沼田、百円ライターの火をつけてやや面倒くさ気に女に差しだす。
皮のコートをひっかけて煙草の火をもらう、その女の顔を見て、ドキッとなる沼田。
女は、由良常子(木の実ナナ)だ。
常子「アリガト(煙草をふかす)」
沼田「(間違いないッ)!」
念のため、懐中から写真をだして確かめた上で、おもむろに、
沼田「姐さん︙︙一本、頂けますか」
常子「どうぞ(と、モアをだす)」
沼田「(その顔を睨んでニヤリ)」
常子「?」
沼田「国分さんの使いできました」
常子「⁉︙︙」
途端に、場内が暗くなって舞台にスポット。
森進一の「それは恋」の演奏が流れて幕が開けば、まばらな拍手と歓声の中に現われる市川梅三郎の忠兵衛と女形・竹沢市太郎(梅沢富美男)のあで姿。
沼田「ほぉ︙︙(と見とれる)」
常子「(市太郎を目で追いながら)︙︙覚悟はしてたわ
︙︙。見かけない顔だけど、組の人?」
沼田「舎弟じゃありません」
常子「どうして組の者ンが来ないの」
沼田「女に逃げられたなんてな、そう自慢にできる話じゃありませんからね」
常子「︙︙私と取り引きしない?」
沼田「見逃しは無理でしょう」
妖艶に踊る市太郎。
常子「︙︙気まぐれじゃなかったのよ。︙︙使いのあんたにこんな言い訳しても仕様がないけど︙︙市ちゃんとはね、十五年ぶりに再会の幼な馴染み︙︙二人共旅役者の子供で、物心つく前から舞台に上げられて、二人で踊ってた。(しみじみと)花村月之丞一座」
沼田「(ひっかかる)花村月之丞?」
沼田の脳裡に一瞬のフラッシュバックで――降る雪の寒夜の遠方に芝居小屋の灯。
沼田「花村︙︙(遠い記憶)」
常子「とうに潰れちゃったけど、私は、これでも座長の娘だったの」
沼田「花村月之丞︙︙(何かが近づいてくる)」
ふる雪に「花村月之丞」の幟。
沼田「月之丞︙︙(次第に思い出す)」
こっちおいでと雪の中で手招きする白塗りの股旅姿の旅役者(中年女)。
沼田「(ハッと)そうだッ︙︙あれは花村月之丞︙︙」
七歳ぐらいの少年(沼田)が、駒形茂兵衛(月之丞)に手をとられ、すうっと芝居小屋の中へ誘われる。
沼田「(涙が勝手にあふれてきて)あれ? なんだいこりや︙︙(と自分の涙に驚き)え? 俺が泣いてやがる︙︙」
常子「(気づいて)ナニ、どうかしたの?」
沼田「(恥しい)︙︙姐さん、いまおっしゃったこと︙︙本当でしょうね」
常子「なによ」
沼田「姐さんが、花村月之丞の娘さんだって」
常子「だったら、どうだって言うの」
沼田「(愛しい目で)いいえ︙︙そうだったんですか」
常子「(気味が悪い)︙︙」
沼田「(舞台を見やり)あの人も、あのときの一座に︙︙」
市太郎の華麗な舞い姿。
やんやの喝采に、自己陶酔の極致の流し目。
沼田の涙の顔。
幕が閉まる。
●回想――雪の芝居小屋の風景(夜)
雪降る夜の村はずれの芝居小屋。
その明りが哀しく、遠く――。そんな〝日本昔ばなし〟の風情に流れるは「お島千太郎旅唄」(メロディのみで)
沼田(声)「俺が七つン時でした。隣り村に女剣劇の一座がやってきたんです。花村月之丞一座といいました」
●四万演芸館・場内(夜)
客の引けたガランとした棧敷で、沼田が常子と市太郎(女形の扮装のまま)の二人を相手に、身の上話をしている。
音楽つづいて――
沼田「あの頃、俺、伯父の家に預けられてたんです。この伯父夫婦ってのが揃って業突
常子「あんたの親は?」
沼田「親父は俺が三つん時、熊に襲われて死んじまって︙︙」
市太郎「熊に⁈」
沼田「南郷村には、時々、出てたんです。熊狩りもよくやってました」
常子「お母さんは?」
沼田「これが、どうしようもない母親で、ヘッヘヘ、駈け落ちなんかしやがって、東京からきた農機具のセールスマンでしたけど相手は」
市太郎「子供捨てて、そりゃ、ひでェゃ」
沼田「伯父の家じゃ、そりゃァみじめな思いをさせられました。喰いもんから着るもんまで、実の子たちとは絵にかいたような差別をされましてね」
●回想―農家のいろりばた(夜)
音楽つづいて――
薫少年が独り淋し気に、いろりに薪をくべている。
沼田(声)「芝居見物も俺だけはのけ者で、いつも泣きなから留守番をしたもんです」
●回想――農家のいろりばた(夜)
音楽つづいて――
いろりを囲む伯父一家、観てきた剣劇芝居を身ぶり手ぶりで談笑する。その話を懸命に聞いて、笑ったりしている薫少年、哀れ。
沼田(声)「俺の楽しみは、みんなが、観てきた芝居の話を楽し気に喋り合うのを、脇で聞かしてもらうことでした」
●雪の山道(夜)
音楽つづいて――
沼田(声)「それがあの時は、話聞いてるだけじゃ気が済まなくなって、こっそり家を抜けだして、八里の山路を越えて、隣り村の芝居小屋まで出掛けて行ったんです」
雪の山路を鼻水ふきながら歩いていく薫少年。
●回想――芝居小屋・表(夜)
音楽つづいて――
芝居小屋の明りが、わびしい寒村の佇まいの中で、そこだけ幻夢の世界を浮きあがらせている。
「花村月之丞一座」の毒々しいポスターに見とれる薫少年。
股旅やくざ(駒形茂兵衛役)の女剣劇座長・花村月之丞のいなせな写真。
沼田(声)「芝居小屋までは行っても、もとより一文無し、表のポスターを眺め、中からもれてくる音楽に耳を傾けていると――」
ふる雪の中に、ポスターと同じ股旅姿をした花村月之丞が立ってこちらを見ているではないか。
少年「?(驚いて目を見張る)」
月之丞「坊や︙︙芝居を観たいのかい?」
少年「(頷く)︙︙」
月之丞「どっから来たの」
少年「南郷村」
月之丞「ひとりで山越えしてきたのかい?」
少年「(頷く)︙︙」
月之丞「そうだ、いいものを上げよう(と、懐中からハーシーのチョコレートを取り出して少年に握らせる)」
ハーシーの大判チョコレート!
少年「(目を見張る)!」
月之丞「それ食べながら見物おし、さァ、一緒においで︙︙」
と、少年の手をとって、小屋の中へ入っていく月之丞。
音楽消える。
●四万演芸館・場内(夜)
沼田、常子、市太郎。
市太郎「女で股旅姿というなら、そりゃァ座長のほかにはないよ、ねェ、お嬢」
常子「そう、私のおふくろだわ」
沼田「やっぱりッ︙︙(グスンと鼻を鳴らして)あの時の茂兵衛の、いや、座長さんの手のぬくもりとお白粉のかおりはいまでも忘れられません。あの晩の舞台のなんてきらびやかだったこと︙︙それにもまして忘れられないのが、あんとき頂いた、ハーシーの大判のチョコレート。あのブ厚さ、あの味︙︙恥しながら、アメリカ製のチョコレートを口にしたのは、あの時が生れて初めてだったんです。いまでも町角で、あの形のチョコレートを見かけると、あの雪の夜の座長さんのお顔が思い出されて、思わず、瞼が熱くなりますんで」
●回想――芝居小屋の中(夜)
薫少年のイメージで、実際よりもはるかに魅惑的な「一本刀土俵入り」大詰の場。
音楽「一本刀土俵入り」(メロディのみ)
目を輝やかして観る薫少年の顔にダブる舞台の世界。
月之丞の茂兵衛、立廻りあって、
月之丞「お行きなさんせ早いところで︙︙仲良く丈夫でおくらしなさんせ」
涙ぐむ薫少年の顔。
月之丞「お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に櫛かんざし、巾着ぐるみ意見をもらった姐さんに、せめてみてもらう駒形の、しがねェ姿の横綱の、土俵入りでござんす」
音楽盛り上がる。
●四万演芸館・表(夜)
音楽そのまま流れつづけて――
沼田が思い入れの顔つきで木戸から出てくる。
見送りにでた常子と市太郎に、深々とお辞儀をして、闇に消えていく沼田の心境は、はや駒形茂兵衛。
お蔦と辰三郎のように見送る常子と市太郎。
●橋の上(夜)
すっかりその気で歩いてくる沼田茂兵衛。
沼田「(口ずさみ)〽角力名のりを やくざに代えて いまじゃ抱き寝の一本刀 利根の川風まともに吹けばア」
橋の真ン中で、つと立ち止まり、二枚目風に振り返る沼田。
沼田「〽人の情を人の情を 思い出すゥ」
●回想――四万演芸館・場内(夜)
沼田から借用証を見せられて震撼する常子と市太郎。
常子「二千万円⁈」
市太郎「そんな大金、払えるわけがないじゃありませんか」
常子「私が国分のもとに戻ればいいのね」
沼田「︙︙それがですね。国分さんとしちゃァ、もう姐さんに未練はないと」
常子「エッ?(意外)」
市太郎「未練はない?︙︙」
沼田「その証書に、お二人の印鑑だけをもらってこいと︙︙」
市太郎「これに判を押せば、どういうことになっていくんでしょうか︙︙」
沼田「一生を借金地獄の中で、身も心もさいなまれていくことになるんでしょうね」
常子「(市太郎の手を取り)市ちゃん、逃げようッ」
市太郎「じき捕まるだけさ。捕まったら最後、辰三郎の台詞じゃないが、腕一本ヘシ折られるか、軽いところで中指かけて、二本はかたわにされるだろう」
常子「それじゃ、どうすりゃいいの」
市太郎「どうすりゃいいか、こっちが訊きたいよ」
沼田「どっちかが︙︙死ぬしか道はないでしょうね」
二人「(ドキッと)死ぬ⁉」
沼田「(意を決し)︙︙市太郎さん、あんた、死んでくれますか」
二人、身をすくめて拒む。
沼田「(不敵な笑い)︙︙俺に、任して下さい。悪い様には致しません」
常子「助けてくれるの?」
沼田「はい」
市太郎「どうして、兄
沼田「なァに、これも二十年前、ハーシーのチョコレートをもらった上に、芝居のタダ見までさしてもらった姐さんのおふくろさんへの、しがない恩返しの真似事でございますよ」
●駅前(夜)
沼田が深夜の駅に歩いてくる。
公衆電話ボックスを見つけ、入る。
電話ボックスの中――。
百円玉を流しこんで東京へのダイヤルを廻す沼田の手。
●国分のマンション・寝室(夜)
ダブルベッドでゆったりと眠っている国分。傍の電話は留守番テープにセットされている。
沼田からのコールに応え、留守番電話が作動する。
●電話ボックス(夜)
沼田の受話器から、若い女のテープの声。
電話の声「こちらは、国分でございます。国分は只今休んでおりますので、あなた様のお電話は留守番電話が応待しております。間もなく、プーという信号音が鳴りますので、そのあと、あなた様のお名前と御用件をお話し下さい。明朝、御連絡致します。では、どうぞ」
沼田「(緊張)︙︙」
受話器から〈プー〉の信号音。
沼田「(咳払い)︙︙エー。パラダイスローンズの沼田でございます。エー、弱ったな、ホントは直にお話しなきゃマズイんですが︙︙あらましだけ、では、かいつまんで︙︙」
●国分のマンション・寝室(夜)
沼田の声を収録している留守番電話のテープ。
国分の無防備な寝顔。
沼田の声「わたくし、いま中之条の駅前から掛けてるんですが︙︙実は︙︙大変な事が起ってしまいまして︙︙そのことだけ、一刻も早くお知らせしといた方がいいと思いまして」
●電話ボックス(夜)
芝居がかってくる沼田。
沼田「気を落着けて、お聞きになって下さい。実は、姐さんが︙︙常子さんが︙︙市太郎を殺
●国分のマンション・寝室(夜)
国分の寝顔。
廻る留守番電話。
沼田の声「私としては、国分さんの御期待にそいたい一念から、例の二千万の借用証を突きだして精一杯責め立てたわけですが、どうやら度が過ぎたようで、市太郎が、急に姐さんに死のうなんて言い出しやがって、いきなり包丁で姐さんを刺し殺そうとしやがったんです」
●幻想の山中(夜)
忠兵衛の扮装の市太郎が、梅川役の常子を、包丁で刺そうとする。
合掌して目を閉じる常子。そうはさせじと間に割り入る、茂兵衛役の沼田。
歌舞伎の所作で、からみ合う、三人。
包丁は、市太郎の手から沼田の手へ、そして常子の手へ。
沼田と市太郎がもみ合う中、自害しようとする常子に気づいて、とびこむ沼田、それにからむ市太郎。
三人、もみ合いながら、常子の包丁が市太郎の胸を刺す。
バッタリ倒れる市太郎。
血のついた包丁を手に茫然自失の常子。
常子から包丁を取り上げる沼田。
ワッと泣き叫んで市太郎にとりすがる常子。
沼田の声「すわ、心中する気か! 冗談じゃねェ、あの世へなんぞ行かれてたまるものかと、市太郎からもぎ取った包丁が俺の手から姐さんの手に渡ってもみ合う中に、ハッと気づいて見れば、なんと、姐さんの包丁が、市太郎の胸をひと突きにしているじゃありませんか!︙︙まるで悪い夢をみている様でした」
●国分のマンション・寝室(夜)
夢にうなされる国分。
沼田の声「ひとまず、市太郎の死体は演芸場の裏山に埋めました」
●電話ボックス(夜)
沼田「姐さんには何もなかったんだと言い聞かせて旅館に戻ってもらいました。借金に追われた市太郎が、姐さんを置き去りにしてドロンを決めたと、まわりが思ってくれれば有難いんですが」
●国分のマンション・寝室(夜)
国分の寝顔。
沼田の声「さらに詳しくは東京に戻りましてから御報告に伺います。今後の御指示をよろしくお願い申します。では」
切れる。ストップするテープ。
●電話ボックス(夜)
受話器を下して、ホッとひと息の沼田。
沼田「(ぼそりと呟やく)︙︙お行きなさんせ。早いところで︙︙仲よく丈夫でおくらしなさんせ」
●駅のプラットホーム(夜)
テーマ曲「淋しいのはお前だけじゃない」始まる。
キャスト・スタッフ・タイトルが流れる。
ひなびた温泉町の小さな駅のホームで、一番電車を待っている沼田が独り︙︙。
エンディング――。
次郎長外伝「荒神山」の第八場は吉良の仁吉の家。
波の音。
新国劇の名舞台さながらに――
いましも、半紙にさらさらと離縁状を書いている吉良の仁吉(沼田薫)。
見守っている女房のお菊(沼田よし江)、長吉(由良常子)、子分の慶之助(竹沢市太郎)。
仁吉「さて、お菊」
お菊「ハイ?」
仁吉「お前と俺とはこの紙一枚の縁だったナ。誰もはじめから別れようと思って夫婦になる奴はねェが、どうしても一緒になって居られねェことが出来ちまったんだ。お前に落度は何ンにもねェが、何も言わずにこの離縁状を持ってたったいま、伊勢の桑名へ帰ってくれ」
お菊「(驚き)お前さん︙︙」
仁吉「慶之助、すぐにお菊を船着場まで送ってやってくれ。荷物はあとから届けてやる」
お菊「お前さんッ、そりゃ正気で言ってんのかい。あたしゃ離縁状なんか受ける覚えはないよ」
仁吉「だからよ、お前に落度は何にもねェと言ってるじゃねェか」
お菊「いやだ、いやだ、私は離縁をされる覚えはないよ」
仁吉「めそめそ言わずに出てゆけと言ったらさっさと出てゆかねェか。ヤイ、早くお菊を連れてゆかねェか」
慶之助「へえ、いったんこうと言いだしたら後へは引かねェ御気性だ。さァどうかお立ちなすって」
お菊「私しゃ嫌だよ、桑名へ帰る位なら死んだ方がましだ。殺されたって帰りゃしない」
慶之助、お菊を無理に連れてゆく。
長吉「兄弟、勘弁してくれ。お菊さんを離縁なんかされた日にゃ俺はどうしていいか分らなくなってくるじゃねェか。お前の心持ちはよく分ったから、どうかお菊さんと離縁するのだけは思いとどまってくれ。頼む。なァ、兄貴」
仁吉「見損うねェ、兄弟分の盃をしたのは何のためだ。まさかの時に腕を貸そうがためじゃねェか。吉良の仁吉はナ、義理のためには可愛い女房だって、捨てるんだァ(と見得を切る)」
チョンと柝のかしら。
仁吉の見得の顔がストップ・モーションして、
メインタイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●上越線の電車の座席(朝)
忍び寄る不安を胸の沼田に、朝の光――。
第二話「任俠・吉良の仁吉」
●国分のマンション・寝室
目覚し時計のブザーが鳴り、裸の国分がスッキリと起床する。
ブザーを止め、枕元のオーディオ用のリモコンを操作すると、自動でレコードが掛かり、ヴァイオリンの調ベが流れでる。
カーテンを開け放ち、留守番電話のテープ巻き戻しのスイッチを入れて洗面所へ去る。
巻き戻っていくテープ。
バスルーム――
シャワーを浴びる国分の胸にはアラン・ドロンみたいなペンダント。
寝室――
バスガウンをはおって歯ぶらしをくわえて戻ってくる国分、留守番電話の再生テープを作動させる。
テープの第一報は、組員からのもの。
男の声「(軍隊調で)青竜会より業務連絡です。春の合宿強化訓練の日程は原案通り五月十七日に決定。これに関連し愛国塾より教課に自主憲法改正特別講座を補足したいという申し入れがありました。以上」
つづいて、沼田の声がでてくる。
沼田の声「(咳払い)エー、パラダイスローンズの沼田でございます。エー。弱ったな、ホンとは直にお話しなきゃマズイんですが︙︙あらましだけ、では、かいつまんで」
画面が半分割れて、電車の中の沼田の沈んだ顔が現われる。
沼田の声「わたくし、いま中之条の駅前から掛けてるんですが、実は、大変なことが起ってしまいまして︙︙そのことだけ、一刻も早くお知らせしといた方がいいと思いまして」
国分「(イライラ)何をウジウジ︙︙」
沼田の声「気を落着けて、お聞きになって下さい。実は、姐さんが︙︙常子さんが、市太郎を殺
国分「?︙︙(もう一度、逆転させ再生し直す)」
沼田の声「常子さんが、市太郎を殺っちまったんです。つまり、その、はずみで、殺してしまったんです」
国分「⁈」
沼田の声「私としては、国分さんの御期待にそいたい一念から例の二千万の借用証を突き出して精一杯責め立てたわけですが、どうやら度が過ぎたようで、市太郎が急に姐さんに死のうなんて言い出しやがって、いきなり包丁で姐さんを刺し殺そうとしやがったんです。すわ、心中する気か! 冗談じゃねェ、あの世へなんぞ行かれてたまるものかと、市太郎からもぎ取った包丁が俺の手から姐さんの手に渡ってもみ合う中に、ハッと気づいて見てみれば、なんと、姐さんの包丁が、市太郎の胸をひと突きにしているじゃありませんか!︙︙まるで、悪い夢をみている様でした」
画面半分――そわそわと落着かぬ沼田の表情。
画面半分――茫然として石のように動かなくなっている国分の顔。
沼田の声「ひとまず、市太郎の死体は演芸場の裏山に埋めました。姐さんには何もなかったんだと言い聞かせて旅館に戻ってもらいました。借金に追われた市太郎が、姐さんを置き去りにしてドロンを決めたと、まわりが思ってくれれば有難いんですが。さらに詳しくは東京に戻りましてから御報告に伺います。今後の御指示をよろしくお願い申します。では(プツンと切れる音)」
●雑居ビル階段
蒼白の沼田が独り言を呟きながら上ってくる。
沼田「エライ事しちまった︙︙エライ事しちまったよ」
●パラダイスローンズ・事務所
半開きのドアをドーンと蹴とばして沼田が帰ってくる。
喰いかけの親子丼から顔を上げる女房のよし江。
沼田「何度言や判るんだ、この馬鹿ッ、ドアはチェーンロックしろッ、サラ金強盗が怖くねェのか。(入口に転がっているビニールのゴミ袋を蹴とばし)ゴミばっかりためこみやがって、このウスノロが」
ビニール袋からこぼれたゴミを見て、
よし江「ああ、ゴミがこぼれた︙︙」
沼田「拾えよ」
よし江「あんたが蹴とばしたんじゃない」
沼田「拾えッたら(と、手を振り上げるポーズ)」
よし江「またァ(と猫のように身をすくめて床のゴミを袋にもどす)」
沼田「(親子丼をいまいまし気に見て)チェッ、亭主が生きるか死ぬかってときにのんびり飯なんか喰らいやがって。(丼を見て)生意気に親子丼だって、たまご丼にしろよな」
よし江「(ゴミを拾いながら)あんたも取る?」
沼田「いらんッ。お前もな、たまには手料理つくれよ。店屋物ばっかりじゃねェか、もう」
よし江「(ブツブツ)ひとりじゃ出前の方が安上りなんだもん」
沼田「口応えすんなッて言うの。殴るぞ。(吐息)ああ、とにかく電話だ︙︙電話︙︙おいッ、青竜会の国分さんから電話はいっていないなッ」
よし江「いえ︙︙」
沼田「やっぱりこっちからの連絡を待ってるんだ︙︙(手帳を出して電話番号を捜しているうちに)国分︙︙国分︙︙。(ついでにめくって)︙︙久保︙︙小川︙︙畑中︙︙松永︙︙山村︙︙このコゲツキ野郎共がこれからの督促先にしとくか(と落着きなくダイヤルを廻す)︙︙ああ、モシモシ、営業の畑中さんお願いします。町田小学校の担任で岡部と申します。︙︙(待っている間、机の親子丼をとって喰う)あッ、畑中さん? 俺だよ、パラダイスローンズの沼田」
●ニッタ自動車販売・営業部
電話口で苦い顔の畑中セールスマン。
沼田の声「(電話)毎度、用件はひとつ。お願いしますよ。払ってやって下さい。(だんだんヒステリックに)そっちが、大変なことも判りますがね、こっちだって、アンタいまや命賭けなんですよッ。判んないでしょう」
●病院・病室
電話口で泣きそうな顔の妙子。
看護やつれしたその顔の向こうには、こんこんと眠りつづけている眠り病の夫のベッドがある。
沼田の声がつづいて――
沼田の声「(電話)あなたね、私のこと、それは非情な男だと思ってるんでしょ? 血も涙もない鬼だ、外道だと思ってますよねッ。でもねェ、本当は違うんですよォ」
●ホテル・ロワイヤル・フロント
体裁をつくろいながら沼田の電話をうけている迷惑顔のフロントマン、松永。
沼田の声「(電話)身すぎ世すぎのサラ金稼業をやってたって、俺だって人の子だ。義理も解せば、人情にも泣きますよ」
●町田駅・駅員詰所
沼田の声「(電話)人間、恩を忘れたら、畜生も同然だ。ねェ、そう思うでしょう」
●コンピューター・ルーム
新製品のパソコンのテストをしている山村。
その脇に放りっぱなしの電話の受話器。
沼田の声「(電話)おいッ、聞いてんのかよッ! 返事しろ、手前ェ!」
●パラダイスローンズ・事務所
乱暴に受話器を戻して、吐息つく沼田。
沼田「どいつもこいつもクズばっかりだ」
ポリ袋にゴミを詰め直して、親子丼に戻ってくる、よし江。
よし江「(丼は空ッポ)︙︙」
沼田「(手帳をめくって国分の番号を見つけ出し)国分英樹︙︙も少し、待つか︙︙チクショウ、なんか似合わねェことやっちまったかなァ(と後悔の体
突如、電話が鳴る!
とびあがる沼田。
沼田「お前、取れ!」
よし江「(取って)パラダイスローンズでございます。はい、おります。(受話器を突き出し)アンタ」
沼田「だれ︙︙」
よし江「ローンズランドの馬場サン」
●ローンズランド・店内
支店長の机に足投げ出して、横柄に電話する馬場。
馬場「(電話)ヨオ、ヨオ、色男。お前さん、ずい分と国分さんに気に入られた様じゃないか。忘れなさんなよ、お前さんを国分の兄貴に引き合わせたのは、この馬場さんだからネ。国分さんからお前さんに伝言してくれッて俺ンとこに電話があったんだよ」
●パラダイスローンズ・事務所
沼田「(電話)そっちへ⁈︙︙ハイ、ハイ(メモをとる)代々木の、ライオンアスレチッククラブへ︙︙ハイ、三時に︙︙ここへ来いッておっしゃったんですね。判りました」
画面が割れて、馬場が現われる。
馬場「(電話)沼チャン、国分さんに何頼まれてんだよ」
沼田「(電話)エ? 言えませんよ、そいつばかりは」
馬場「(電話)水くさいじゃないか、まァいいけどさ、たまにゃ一杯つき合いなよ。今夜あたりどう」
沼田「(電話)国分さんとの会合がどうなりますかねェ。結構こみ入った話なもんで、長びくといけませんから、この次にでも、また」
馬場「(電話)そう︙︙国分さんによろしくお伝えしてくれや」
沼田「(電話)ヘイ、ヘイ。そいじゃ、わざわざ、どうも。(切って、武者ぶるい)〽好いた女房に三下り半を︙︙」
よし江「(横目づかいに見る)︙︙」
沼田「国分の野郎、なんで直に掛けてこねェんだ︙︙とぼけようッてのか? ヘッヘ、そうはさせねェ(内ポケットから一通の封筒を出して)おい、金庫にしまっとけ」
よし江「なんなの?(と受け取って、開けようとする)」
沼田「開けなくていい。︙︙そいつが俺の命綱だ」
●アスレチッククラブ
運動する男たち、さまざま。
●同・サウナ
蒸風呂の白い湯気の中から、沼田のぼそぼそ声がする。
沼田「(声)責め立て過ぎた私もヘマでしたが、駈け落ち代二千万円というのも、ちょっとふっかけ過ぎじゃなかったんでしょうか」
湯気の中に裸の沼田。
沼田「相手はたかだかドサ廻りの役者です。二千万なんて大金、たとえ分割にしたって払えるわけがありません」
湯気に包まれて「考える人」の国分。
国分「私は一銭のおとし前も請求しなかった︙︙君にも何も頼んじゃいない︙︙君なんかの顔も知らん︙︙そういうことにしておこう」
沼田「あとは、お預かりした二千万円の証文を燃しちまえばいいわけだ」
国分「証文は持ってきているだろうね」
沼田「それが、うっかり、うちへ置いてきちゃいまして」
国分「(凝視
沼田「今日のところは、私も、生きて、帰りたいもんで︙︙」
国分「用心深いね。そうでなくちゃな︙︙。市太郎の死体は、どこに埋めたって?」
沼田「演芸場の裏山に、折よく墓場がございまして、そこに︙︙」
国分「シロウトにしちゃ機転がきくじゃないか」
沼田「兄貴のおためと、もう夢中で」
国分「図にのるなよ」
沼田「え?」
国分「手前ェみてえな雑魚
沼田「ごもっともで。唯、私だっていつまでも雑魚でいる気はありません。これをご縁に、多少のお引き立てを頂きたいもんで。目をかけて下さりゃ、それなりの、働きは致します。引き合いに出すのもなんですが、ローンズランドの馬場なんぞよりゃ、お役に立つつもりです」
国分「証文人質に売り込みかい」
沼田「チャンスはフルに利用しませんと、私ら雑魚は一生這い上がれませんので」
国分「抜け目のない男だ。その小賢しいところが気にいったよ」
沼田「恐れいります」
国分「常子の処分だが︙︙四万温泉のどこに、かくまってるんだい」
沼田「処分、とおっしゃいますと︙︙まさか、姐さんまで」
国分「恋しい男が蒸発したんだ。世をはかなんで自殺しても不思議じゃないだろう」
沼田「口封じなら、マニラあたりに高飛びさした方が利口じゃないでしょうか。多少の金はかかっても、ヤバイ橋渡り損ねて元も子もなくすよりは︙︙」
国分「それも考えたが、私のルートじゃかえって怪しまれる」
沼田「任して頂けりゃ、送り出しから受け入れまで私の方で一切段取ります。保険金ツアーのルートですが︙︙」
国分「マニラか︙︙」
沼田「ええ︙︙」
国分「︙︙いくら用意すればいい」
沼田「向こうでの当座の生活費も込みで︙︙一千万渡して下されば、姐さんにも、ウンと言わせます」
国分「一千万私からもぎ取って、お前、いくらピンハネする気だ」
沼田「姐さんがパクられりゃ、私だって死体遺棄でお縄になるんです。ケチな気は起こしません」
国分「いいだろう︙︙お前さんに任せよう」
沼田「(ニタリと一礼)︙︙姐さんとは、お会いになりますか。なんなら、すぐに呼び寄せますが︙︙」
国分「沼田」
沼田「はい︙︙」
国分「あんた、損な性格だねェ」
沼田「ヘッ?」
国分「役には立つようだが、肝心のところでひとを不快にさせる。念のため言っとくが、任した以上は、ヘマは許されないよ。刑務所行くまえに、あの世に行ってもらうからね」
沼田「(びびって)ヘイッ︙︙」
国分「金は明日渡す。夜、あけといてくれ。そのとき例の証文も忘れない様に(と、立って腰のタオルをひらりとはずし肩にかける)」
国分の立派なイチモツを眼前に見せつけられて、ギクリとなる沼田。
沼田「⁈︙︙(見とれつつ)どちらの方へ伺えば」
国分「車を迎えにやる(とブラブラ出ていく)」
沼田「ヘイ︙︙(己れのものを眺め直して、みじめ)」
●パラダイスローンズ・事務所(夜)
電話機をかかえこんで報告している沼田。
沼田「(電話)上手くいきましたァ︙︙これで二千万の証文にも追いまわされずに済むんですよ。よかったですねェ」
●四万温泉・旅館の一室(夜)
涙ぐんで沼田の電話を受けている常子。
常子「︙︙」
沼田(声)「これから先は、どっか国分の目の届かない土地で、市太郎さんと一から出直すんですねェ」
常子「(電話)沼田さん︙︙御恩は一生、忘れないわ。でも、︙︙あなたは大丈夫なの? 私たちを逃がしたあとは︙︙」
沼田(声)「私のことなんか気になさることはありません」
●四万温泉・橋の上(夜)
旅館の障子窓に、電話中の常子の影が映っている。湯煙のたち上る橋の上から、常子の影をジーッと見ている不気味な男がいる。
顔色は病人のように蒼白く、目は死神のように冷たい、西方。
西方「︙︙」
常子の影
●パラダイスローンズ・事務所(夜)
沼田「(電話)市太郎さんは、ちゃんと隠れてくれているんでしょうね。もう少しの辛抱ですから。また、明日、連絡します。(切って)︙︙昔の恩返しが出来た上に、こっちのポッポにゃぬれ手であわの一千万。八方めでたしのコンコンチキだ」
奥のドアからよし江が顔を出す。
よし江「あんた、風呂︙︙」
沼田「(聞こえないふり)〽好いた女房に三下り半を」
よし江「先、はいってもいい?」
沼田「どうれ、景気づけに前祝いでもしてくるか。(と椅子を立ち)鍵掛けとけヨ、帰りは明け方だ(と言い捨てて外へ出て行く)」
よし江、淋しく内鍵をかける。
●翌日――洋品店
千円均一のバーゲンネクタイを、うるさく物色している沼田。
女店員に柄ものの蝶ネクタイを薦められて、鏡で覗くが「キザだよ」と返す。
●パラダイスローンズ・トイレ(夜)
結局、その蝶ネクタイをしている沼田。
トイレの鏡で、サングラスを掛けたりはずしたりしているところへ――、
〈ピッピーッ〉と車のクラクション。
沼田「(ビクッ)!」
●路上(夜)
ロールスロイスが、ひと吠え〈ピッ!〉
●事務所(夜)
トイレからとび出してくる沼田。
沼田「おいッ、きのうの証文!」
帳簿づけのよし江、判らず「え?」
沼田「ぼけっとしやがって、この大飯喰らいが。金庫だよォ、(と、自ら金庫を開けて中を覗き、ギョッ)︙︙ない⁈ 証書がないッ」
よし江、机の引出しから、封筒を出して差し出す。
よし江「コレ?」
沼田「(ひったくって、叩くポーズ)!」
よし江「(身をすくめる)!」
沼田「金庫にしまっとけと言ったろうがッ、この︙︙(荒荒しく出て行く)」
●路上(夜)
沼田が、サングラスをはずしながら、ロールスロイスに駈け寄ってくる。
沼田「どうも、お待たせしまして︙︙国分さんの車ですね」
返事の代りにドアが開く。
乗りこむ沼田。
ダッシュ。
●走る車の中(夜)
やっぱりサングラスを掛ける沼田。
沼田「(運転手に大物ぶって)わざわざお迎えご苦労だな︙︙国分の兄貴にも気を使わしちゃって申し訳ねェや。そいで、どこまで行くんだい?」
無言の運転手――は、西方(!)。
西方「︙︙」
沼田「︙︙(鼻唄)〽怨むまいぞえ俺等のことは、またァの浮世で逢うまでは」
●料亭・水月・路地(夜)
神楽坂あたりか、三味の音が春風にのってきこえる粋筋の路地。
●渡り廊下(夜)
沼田が仲居に案内されてやって来る。
芸者とすれ違う︙︙が、場慣れを装ってあえて振り返らない。
●座敷(夜)
「お連れさまでございます」と、仲居。
国分(声)「お入り」
仲居に襖を開けられて、沼田が腰を低くして入ると、ひとり、国分が昇り竜の恐い掛軸を背に盃をかたむけている。
沼田「お待たせ致しまして(坐ろうとすると)」
国分「常子と連絡はとれたかい」
沼田「え?」
国分「高飛びのことさ」
沼田「はい、はい、きのうの話はあらまし︙︙」
国分「承知したかね」
沼田「はい、それはもう、二つ返事で(正座する)」
国分「それはよかった。まァ、楽にして(と酒をすすめる)」
沼田「(盃をうけて)頂戴致します。今夜はまた、グッと乙なところで」
国分「商売ついでさ、此所の若主人がバクチ好きでね、権利書なんぞをカタに預かったもんだから、うちで面倒みることになっちまってね、気骨がおれるよ。あんた、料亭の経営に気があるなら、任せようか」
沼田「また、また、御冗談を︙︙」
国分「私はね、裏切りは絶対に許さない」
沼田「はい︙︙」
国分「だから、その分、役に立ってくれた者への見返りはキチッとする男だ」
沼田「はい︙︙あッ(内ポケットから、封筒を取り出して差し出し)お預かりしてました二千万の借用証書でございます。常子さん、市太郎の印はもらっておりませんので」
国分「そうかい(封筒のままサッと取り上げて内ポケットに収め、代りに、別の白い封筒を出して、沼田の前に差し出し)こっちも忘れねェうちに、一千万、小切手だ」
沼田「確かにお預かり致します(と、そのまま内ポケットに入れようとする)」
国分「中、確かめなくていいのかい」
沼田「え? それじゃ念のため︙︙(と、出しかける)」
国分「私の前で確かめることもないだろうが」
沼田「ええ︙︙ヘッヘヘ。(と、すぐひっこめる)」
どこからか三味の音が聞こえている。
国分「あんたにゃ、思わぬ気苦労をかけてしまったね(酌をする)」
沼田「(頂いて)恩きせがましくとられちゃ困りますが、あの、姐さんが市太郎をブスッ(と刺す手つき)とやっちまったときにゃ、私も、目の前が真暗になっちまって、もうどうしていいやら︙︙」
国分「死体を運ぶのも大変だったろう」
沼田「この市太郎ッてのが、女形のくせしてけっこう骨太の奴でして、こいつが重くて、重くて︙︙?(なにかに気をとられる)」
端唄が流れている。
国分「どうしたい」
沼田「イエ︙︙どっからか、唄が︙︙」
国分も聞く。
誰かが唄っている。
「〽夏の涼みは 両国の
出船入船 屋形船」
国分「︙︙聞こえるが、ただの端唄じゃないか」
国分、障子を開ける。
中庭越しの離れた座敷の障子に、芸者の舞い姿がシルエットで見える。唄もそこから聞こえている。
三味線を弾く女の影もある。
国分「向かいの座敷だ︙︙」
うながされて眺める沼田。
舞う芸者の影絵︙︙。
三味線を弾く女の影と、その声︙︙。
沼田「︙︙(どこかで見たような、聞いたような)」
「〽上る流星 星くだり
玉屋がとりもつ 縁かいな」
国分「(眺めて)常子も、三味線が得意だった︙︙旅役者の娘でね。死んだ市太郎とは、幼な馴染みじゃなかったのかな?」
芸者の影絵の舞いが、沼田に説明のつかない不安をつのらせる。
沼田「(不安)︙︙」
国分「影絵だけじゃつまらねえな。向こうも、障子を開けてくれねえかなァ︙︙なァ、沼田」
沼田「(うわの空で)エ?︙︙」
すると、障子に、もうひとり男の影が現われて、国分の御注文通り、障子を開け放つ。
開け放ったのは西方。
踊っている芸者は意外や、市太郎!
三味線を弾くのは、これまた常子!
沼田「(驚愕)⁉」
恨めし気に舞う市太郎。
情なく唄う常子。
呆然と眺める沼田。
国分の冷笑。
常子「〽石川五右衛門 釜の中
お染久松 倉の中
私とあなたは 深い仲
最中の中にも 餡かいな」
中庭に散る夜桜を隔てて、人形のように動かない沼田と、残忍な目で目下す国分。
終りにむかって踊りつづける市太郎と、唄う常子。
沼田「(驚きが、じわじわと恐怖に変わっていく)︙︙」
●走る車の中(夜)
運転する西方、助手席に国分。
うしろに、沼田をはさんで常子と市太郎(芸者姿のまま)。
不気味な沈黙を漂わせて走る車。
●東京港の埠頭(夜)
車がとまる、ライトが消える。
夜霧の彼方に灯台の光が幻想的に廻っている。
時折、霧笛。
車の中――。
これから何をされるのか、恐怖におののいている沼田、常子、市太郎をバックミラーで覗きながら、国分が、意外と、おだやかな口調で、
国分「沼田よ︙︙」
沼田「︙︙ハッ」
国分「私のね、中大の法学部をでて最初の就職先は、警視庁だよ。知らなかったのかい」
沼田「(アチャー)︙︙」
国分「これから先のことだが、ひと思いに殺して欲しいか、それとも、生きたいか」
沼田「(泣きべそ)生きたいです」
国分「楽しいことなんて何んにもないぞ、これからは。それでも生きたいのか」
沼田「生きたいですッ。命だけは助けて下さいッ」
国分「お前がいまやっているパラダイスローンズな、事務所ごと、こっちにもらうが、いいか」
沼田「差し上げます。一切合財」
国分「代りに、仕事をやるよ。生きたきゃ、仕事をしなきゃ」
沼田「(泣きださんばかり)どんなことでも」
国分「ポケットから、あれ、出しな」
沼田「あれ?」
国分「座敷で渡したもんだよ」
沼田「一千万の小切手︙︙」
国分「さっさとッ」
急いで内ポケットから封筒を出して差し出す沼田。
国分「開けてみな」
沼田「ハイ︙︙(開封すると証書がでてくる)︙︙小切手は?」
国分「そんなもの渡すかい。その証文が仕事だよ」
沼田「(見て)借用証書︙︙二千万?」
国分「おまえがくるまえに、常子と市太郎には、心良く判を押してもらった」
常子、市太郎、あわてて相槌をうつ。
国分「元金二千万円の日歩二十三銭、従って利息は一日四万六千円ッて条件は、まえの証文と同じだ。その金を、脇の御両人から取り立てるのが、お前さんの仕事だ。取り立ては本業だろ?」
沼田「私、命賭けて取り立てますッ」
国分「承知なら、お前さんにも判を押してもらおうか。その証文の、二人が判を押しているところの下に︙︙」
沼田、証書を見直す。
国分「連帯保証人、沼田薫とあるだろう︙︙そこに」
沼田「連帯保証人?」
国分「そこの二人にもしものことがあった場合にゃ、二千万はあんたに払ってもらうッ、てこと」
沼田「(蒼白)そんな︙︙」
国分「死んだ方がましか?」
沼田「いいえッ」
国分「そんなら、早く、判を押して」
沼田「あの︙︙印鑑の持ち合せが︙︙」
国分「手を貸してみな︙︙手を」
沼田の手を強引に引っ張って、親指をねじ上げる国分。西方が、カミソリを光らせる。
沼田「ああ︙︙やめて下さい︙︙(切られて)ギャーッ!」
国分「血判、押しな」
市太郎と常子が両脇から沼田の血に染まった親指を押さえつけて、証文に印させる。
――車が埠頭から走り去る。
放り出された三人(沼田、常子、市太郎)、呆然として、見送る。
●翌日――パラダイスローンズ・居間
事務所から響く馬場の怒声に、居間で小さくなっている、よし江と常子。
馬場の声「納得できねえよッ。俺はァ納得できねェ! そうだろうが、おい、手前ェがどんな不始末したか知らねェが、どうして俺までが渋谷支店長のポストをはずされなきゃならねェんだッ」
沼田の声「(おろおろ)そんなこと俺に言われても」
馬場の声「とぼけるなッ」
殴る音。倒れる音。
常子が出ていこうとするのを、よし江が引き止める。
●事務所
机の下から沼田を引きずり上げて、衿首を摑んで壁に押しつける馬場。
馬場「今日中に手前ェらの荷物をまとめとけ。金庫と机と帳簿は引き取ってやる。明日中には出ていくんだ。すぐあと釜がくるからな」
沼田「あと釜って、どんな野郎で」
馬場「聞きたいか︙︙(自分を差して)こんな野郎さ」
沼田「馬場さんが︙︙?」
馬場「そお︙︙なにもかも、お前のお陰だよ(沼田を突きとばして)」
荒々しく出ていく馬場。
ヨロヨロと起き上がる沼田。
居間の戸が、そっと開いて、よし江が亀のように顔を出す。
よし江「アンタ︙︙」
ドンドンとノック(!)
バタンと顔を引っ込めるよし江。
沼田「ハイ︙︙」と恐る恐る開ける。
と︙︙そこに立っているのは薄い度付のサングラスをした、のっぺり顔の、パッとしない男(実は、素顔の市太郎)。
市太郎「(ペコリ)遅くなってどうも」
沼田「(判らず)なんだい、出前なンかとってねェよ」
市太郎「出前?」
沼田「そうか、金借りんならよそ行ってくれ。うちは閉めたんだ(と、ドアを閉めようとする)」
市太郎「(あわてて身を入れて)待って下さいッ」
沼田「手前ェ、しつこいぞ、金はこっちが借りてェんだ! おとといきやがれッ」
市太郎「(ドアにはさまれてサングラスを落とす)俺ですよッ! 市太郎ですよッ」
沼田「市太郎?」
奥から、常子とよし江が出てきて、
常子「市チャン!(沼田を突きとばしてドアを開け市太郎を引っ張りこむ)」
沼田「これが︙︙あの市太郎さん?」
常子「だれと間違えたのよッ、ゆうべも会ってて(と怒る)」
市太郎「(サングラスを拾って)あ、割れてる︙︙度がはいってるんですよねェ︙︙(ヒビが入った眼鏡を掛けて)弁償して頂けますね」
沼田「(興ざめて)︙︙そりゃもう」
●居間(夕方)
出前のラーメンをズルズルとすすっている四人(沼田、常子、市太郎、よし江)。
沼田が真っ先に喰い終って、
沼田「さてと、よし江︙︙(ポケットから一枚の書類を取り出す)」
よし江「ハイ?」
沼田「お前と俺とはこの紙一枚の縁だったナ」
よし江「?」
沼田「誰もはじめから別れようと思って夫婦になる奴はねェが、どうしても一緒になって居られないことが出来ちまったんだ。何も言わずに、この紙に判を押して、たったいま、伊勢の桑名へ帰ってくれ」
ラーメンをすすりやめて沼田を窺う常子と市太郎。
常子「(用紙を取って)離婚届?」
よし江「どうしてェ? 私がなに悪いことしたのよォ」
沼田「だからよ、お前に落度は何もねェと言ってるだろうが、荷物はあとから送ってやっから」
よし江「いやだァ、私、帰るとこなんかないもん」
沼田「桑名の伯父さんとこ帰りゃいいじゃないか」
よし江「いやだ、あんな助平伯父さんのとこなンかッ」
沼田「つべこべ言わずに判を押せ」
市太郎「(見かねて)兄
沼田「いや、口出しは御無用に願います。これは、夫婦の問題なンで、そちらさんとは関係ございませんから」
と、言う割には、なにやら、聞かせたがっている風にも見えて、
沼田「なァ、よし江、よおく聞くんだ」
よし江ならずとも、そう言われちゃ聞かないわけにいかない。
沼田「離縁してくれと言うのは、だれのためでもない、お前のためだ。何度も言うように、常子さんと市太郎さんは、これから先、二千万ッて途方もない借金かかえて生きていかなくちゃならない。俺がその取り立て屋ときた。利息だけでも一日で四万六千円。一ト月ためりゃ百と三十八万円だぜ。まともな稼業で払っていけるわけがねェんだ。と言って、おまえ、恩ある常子さんに、まさか川崎のトルコで働いて下さいとは言えねェだろうが」
常子「(トルコで働けと聞こえて)︙︙」
沼田「同様によ、この市太郎さんに、二丁目のゲイバーでおかまやって下さいなんて言えるか? いくら銭になるからッて、そりゃ言えないよ」
市太郎「(おかまやれと聞こえて)︙︙」
沼田「結局は、連帯保証人にされたこの俺が、肩代りしていくしか仕様がねェんだ。俺はそれでいい。命が残った分だけ儲けもんだったと思っている。ただ、いまの俺は無一文だからよ、これから先は地獄道だ。俺の傍にいたら、ろくなことにはならねェ。トルコに売っとばされたかねェだろう? 保険金かけられて南方に飛ばされるのは厭だろう? だから、別れようと言ってるんだ。(常子と市太郎にあらたまって)お気になさらず、どうぞ、ラーメン、冷えちゃいますよ」
常子と市太郎、恐縮。
よし江「(亭主と常子を疑いっぽく見比べてブツブツ)恩をうけたと言っても、たかがハーシーのチョコレートぐらいで︙︙」
沼田「あ? 言いたいことあんなら、はっきり言え、はっきりッ」
よし江「(迫られて)ハーシーのチョコレートもらったぐらいで、あんた、そんなに恩義を感じることないと思うんだけど︙︙昔のことでしょう? チョコレートくれたんだって、この人じゃなくて、この人のおッ母さんでしょ? 恩義、恩義ッて、変よ」
沼田「なにが変なんだよ︙︙え? 言ってみろよ、なにが変なんだよッ。この女
退くよし江。
二人の間に割って入る常子と市太郎。
常子「待ってッ、落着いてッ」
市太郎「お気持は、ヨオーク判ってますからッ」
沼田「馬鹿野郎︙︙手前ェにゃひとの真心ッてのが判らねェのか︙︙このッ(と、拳を振り上げるジェスチュア)」
よし江「(ビクッと身を竦
沼田「(ヒステリックに)俺は命を投げだしてんだぞ! 国分はヤクザだ。それも、そこらのユスリタカリの暴力団じゃない。貸出金二十五億のサラ金業をバックにもった大組織だ。そこの大幹部を敵にまわしちまったんだぜ。このお二人のためによォ」
二人、荷が重い。
沼田「俺だって、命は惜しい。逃げられるもんなら逃げだしたいよ︙︙。それがどうにもできねェから、せめて女房のおまえだけでも長生きしろと言っている、俺の気持が判らねェのかッ、ばかやろう」
すすり泣く、よし江。
沼田「(二人に)どうも、お見苦しいとこお見せしちゃって、気を悪くなさらないで下さい」
常子「イイエ︙︙(市太郎とウンザリの目を交わす)」
市太郎「︙︙奥さん、お茶、頂戴できますか?」
沼田「お茶だよッ、ぼけっとすんな」
よし江、台所に立っていく。
沼田、苛々と煙草をくわえる。
すかさず常子が火をつける。
沼田「あ、キョウシュクです」
常子「︙︙私たち、沼田さんを見殺しにはしませんから」
市太郎「こうなったら逃げも隠れも致しません。二千万は二人で背負って、沼田さんには御迷惑のかからないように致します」
沼田「その気持だけでも嬉しいなァ。たとえ、言葉だけだとしてもねェ」
常子「口先だけじゃありません。沼田さんがトルコで働けとおっしゃるなら行きます」
市太郎「おかまになれとおっしゃるならなりますとも」
常子「ただ、それよりもっと確かで分のいい仕事を、ネッ(と市太郎に)」
市太郎「二人で相談し合ったんですが」
常子「まえまえから話し合ってたことなんですけど」
市太郎「お嬢、あれをお見せしたら」
常子「そうね」
と、常子は立って自分の手荷物の中の紙袋から、いくつかにたたんだ、薄汚い布ものを大事そうに持ってきて、
常子「見てやって下さい」
市太郎が手伝って、タテ長の布をするすると広げると、それは、幟
〈花村月之丞一座〉の七文字が現われる。
沼田「花村月之丞一座⁈」
常子「座長だった母親が残していった唯一つの形見です」
沼田「(涙ぐみ)︙︙懐しいなァ、この幟、︙︙飯盛村の雪の空にこの幟が夢のようにはためいてたんだよなァ︙︙」
よし江も来て見る。
沼田「そう、この幟の下で、駒形茂兵衛の月之丞さんに、ハーシーのチョコレートもらって、芝居のタダ観をさしてもらったんだァ︙︙」
常子「この幟を、もう一度、上げたいんです」
沼田「え?」
市太郎「お嬢に二代目花村月之丞を継いでもらって、一座を復興したいんです」
常子「トルコやゲイバーよりは、きっと稼ぎもいい筈よ」
沼田「一座を︙︙」
そういうことかと、やや冷静に戻って坐り直す沼田。
沼田「おふた方の心意気は判りますよ︙︙でもねェ、いまどきドサ芝居なんて︙︙そりゃ、稼げりゃいいですヨ」
市太郎「稼げますとも、だれも道楽でやろうと言ってるわけじゃないんだ」
沼田「木戸銭いくらでしたッけ、四万温泉じゃ七百円でしたよね。一日百人詰め込んだって、七万円ぽっちの上りだ。一座組むとなりゃ、座員も集めなきゃなんないでししょう」
常子「昔の座員たちを集めますッ」
沼田「いくら集まってきてくれたって給料は払わなきゃいけませんよね。小屋代も払わなきゃいけない。その上に、月に百三十八万円もの金を、どうして払っていけるんです?」
常子「おひねりがあります」
沼田「なんです?」
常子「おひねり」
市太郎「花代ですよ。ひいきの役者にお客さま方が花を投げて下さるんです」
常子「これが馬鹿にならないの」
沼田「(笑止)ケッ、爺さん婆さんに大根や煙草、いくら投げてもらったって仕様がねェや」
市太郎「お嬢、ことばで説明したってラチあかない。百聞は一見にしかずだ。沼田の兄ィさんに、これからちょいと見てもらおうよ。ちょうど十条に知り合いの一座が掛っているから、あそこで頼んでとび入りで」
常子「あんたの踊りを見てもらうのね」
市太郎「二人の踊りをさ」
常子「私も踊るの?」
市太郎「座長なんだから。沼田の兄ィさん、ご足労ですが、ちょいと十条までつき合って下さい。私たちのドサの踊りがいくらのものか、その目でしっかり見て頂きます」
●パラダイスローンズ・廊下(夕方)
市太郎、常子、沼田がでてくる。
中から、追いすがるようなよし江の声。
よし江「(声)私も行きたァい」
沼田「馬鹿。引越しのかたづけしてろ(と、ドアを閉めて、行く)」
●事務所(夕方)
よし江、しょんぼりと居間へ戻る。
●居間(夕方)
しわくちゃになって捨てられている離婚届用紙を拾って、シワをのばすよし江。
淋しい。
狭い部屋に長々とのびている〈花村月之丞一座〉の幟。
よし江「(疎
●ガード下(夜)
沼田を手招きしながらヒョコヒョコとうかれ歩いていく常子と市太郎。
二人に誘われるままに、暗いガード下の闇の中へ入っていく沼田。
●山手線・切符売場(夜)
自動販売機で切符を買う沼田。
市太郎も常子もうしろで買ってくれるのを待つ。
沼田「︙︙(仕方なく切符を渡して、またコインを入れる)」
●山手線(夜)
立って揺られていく三人。
●池袋駅ホーム(夜)
山手線から吐き出されて、向かいの赤羽線に駈け込む三人。
●走る赤羽線(夜)
十条へ――。
●十条駅・改札口(夜)
三人、でてくる。
●商店街(夜)
三人、歩いていく。
常子と市太郎は、歩きながらも、早や身ぶり手ぶりで踊りの打合せ。
無視されて、うさんくさ気についていく沼田。
●篠原演芸場・表(夜)
夜風にそよぐ〈梅沢武生劇団〉の幟。
三人くる。
沼田「(眺めて)ヘェ、小っぽけな小屋だねェ」
木戸に、老婆がきて、百円玉七個をだして、切符をもらって入っていく。
沼田「客もシケてそうなのばっかりだ。市チャン、顔なんだろう? 入ろうか(と、顔パスで入ろうとする)」
市太郎「(とめて)兄さん、今夜は木戸銭払って観てやって下さい」
沼田「(笑いでごまかし)別にアンタ、タダ観しようなんてさもしい根性はもってませんヨ。七百円でしょう、三人分?」
常子「私たちは楽屋の方に」
市太郎「裏から入りますから」
沼田「いらないのね。(木戸に)大人一枚(と千円だして切符をもらう)」
常子「︙︙じゃあ、沼さん、あとは舞台で」
沼田「まァ、花の方は期待しないで、気楽に観せてもらいますよ」
●場内(夜)
沼田がくる。
舞台では、梅沢武生一座のお芝居が進行している。たたみ敷きの客席のうしろの方に、靴をもって、どっかと坐りこむ沼田。
周囲みまわせば、客はいずれも中年以上の貧しそうな主婦や老人子供ばかり。
沼田「(舌打ち)寒そうな面が並んでやがる︙︙」
舞台――武生の大見得で終幕となり大拍手。
隣りの金歯の主婦など大感激の涙して、
主婦「武さまッ、日本一!」
沼田「(テレて)カンベンしてヨ、モゥ」
●楽屋(夜)
着替えや次の支度でごった返している中で、座長の梅沢武生にかけ合っている市太郎と常子。
座長「(着替えながら)舞踊ショー、ちょうど始めたとこだから、市チャンとお嬢が舞ってくれるなら客も喜ぶわ。衣装も好きなの選ぶといいや。おーい、誰か、この二人にカツラ合わしてやってくれ」
市太郎「あの、甘えついでに、お願いがあるんですが、少しばかり、花をもたしてやって頂けませんか。客席に大事な人を連れて来てるもんで」
座長「判った。俺の花をまわしてやるよ」
二人「有難うございます」
座員のひとりが向こうから、
座員「歌はなんにしますか?」
常子「あり合わせで結構ですよ」
座長「(座員の方に)矢切りの渡し。あれなら二人舞いに合うわ」
座員「ハイ!」
座長「そいでと、上りの一割はそっちのもんッてことにしよう」
常子「いいえッ、お金の方は一円も要りませんから」
座長「そう言わずに取っときなって。お嬢のおッ母さんにゃ、世話になりっ放しだったからな、俺も。お嬢、本気で二代目継ぐ気になった?」
常子「はいッ、遅ればせながら」
座長「仏さんが喜ぶわ。応援するよ」
二人「お願い致します(と低頭)」
●場内(夜)
ひと踊り終っての幕間。
舞台そでに白ぬりの座員司会者が現われて、ざわめきの中で、
司会者「つづきましての登場は、客演、二代目花村月之丞と竹沢市太郎の名コンビで、歌は矢切りの渡し」
前奏と同時に、黒幕が左右に開いて、板付きの御両人は、市太郎の女形と常子の伊達男。
ばらつきの拍手。
ラムネ片手にうんざり顔の沼田。
舞台の二人は、息もピッタリ。
とろけるような市太郎の女形と、いなせな常子の男ぶりが、不思議に魅惑的な、倒錯の世界に客たちを引きずりこんでいく――。
〽連れて逃げてよ
ついておいでよ
夕暮れの雨が降る
矢切りの渡し
親の心に 背いてまでも
恋に生きたい二人です
――沼田も、だんだんと見とれていく。
沼田「︙︙」
色気たっぷり、秋波
しかし、二番にはいっても、肝心のおひねりが飛んでこない。
沼田「世の中、そうそう甘かねェよ」
〽見捨てないでね
捨てはしないよ
北風が泣いて吹く
矢切りの渡し
――歌が三番にはいったとき、突如、異変が起こる。それまで、一個のおひねりも飛ばなかった客席から申し合わせたように、一斉に、万札の束が噴き上げて、舞台に乱舞する。
沼田、仰天して立ち上がる。
沼田「⁈」
この貧しそうな客席の闇の中の、どこにこんな大金が潜んでいたのかと目を疑うくらい、ピンピンの万札と、七色の色紙に包んだおひねりの雨あられが、舞台の二人めがけて惜し気もなく飛んでくる。
舞台の上は、みるみる札束とおひねりで埋めつくされ、黄金の吹雪の中で舞い踊る二人の駈け落ち人はいまや無我の境。
沼田、呆然――。
〽何処へゆくのよ
知らぬ土地だよ
揺れながら櫓がむせぶ
矢切りの渡し
沼田、札束の乱舞する舞台に涙を流す。
沼田「(拝む思いで)命がつながる︙︙死なずに済む︙︙助かった︙︙これで助かったッ!」
テーマ曲始まる。
沼田の泣き顔に、ゆっくり、ゆっくりと落下する札吹雪!(スローモーション)
キャスト・スタッフ・タイトル流れて、
エンディング――。
「矢切りの渡し」を踊る常子と市太郎に――客席から飛んでくる万札の吹雪。
舞台の踊りより、そのおひねりに見とれ感涙にむせんでいる沼田。
〽何処へゆくのよ
知らぬ土地だよ
揺れながら櫓がむせぶ
矢切りの渡し
メインタイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●飲み屋・表(夜)
十条の路地裏の縄のれんからもれている三人の歌声。
第三話「札吹雪白浪十人衆」
●店内(夜)
手拍手で、ああこりゃこりゃと気分を盛り上げている沼田に常子に市太郎。
〽菊は栄える 葵は枯れる
桑を摘む頃、逢おうじゃないか
霧に消えゆく 一本刀
泣いて見送る 紅つつじィ
市太郎「イヨ、日本一!」
常子「待ってました! 花村月之丞!」
等と、互いに声を掛け合って、
市太郎「ネ、ねェ、ねェ、沼田の兄ィさん、見たでしょ、見たでしょ、あちきらの実力!」
沼田「イヤッ、恐れ入谷の鬼子母神。この世の眺めとは思えなかったねェ、あのおひねりの雨あられ」
市太郎「とび入りであれですからね」
常子「一座を組んで、ご贔屓
沼田「もっとくる?」
市太郎「まァ、私らがひと舞いしたら三十万円はくるでしょうヨ」
常子「ケンキョねェ、片手はかたいわョ」
沼田「五十万もッ」
常子「ワンステージよ」
沼田「凄いなァ。しかし、どう考えても惜しいねェ、あれだけのおひねり、ザッと五十万はあったかなァ。そっくり向こうの座長に巻き上げられちゃってさァ」
常子「そっくりじゃないョ、一割は頂戴したんだ(と、ご祝儀袋を出して見せる)」
市太郎「いくら入ってた?」
常子「(袋の中を覗いて)ヒイ、フウ、ミー、ヨー、イツ、ムー、ナナ︙︙七枚」
市太郎「七万。こいつが一割なら、花は七十万とんで来た勘定だ」
沼田「やめられないねェ」
市太郎「この勢いで早いとこ旗上げしちゃおうッ、もう、あれこれ考えないでサ」
沼田「座員は集まるでしょうね」
常子「アータね、花村月之丞一座は三十人からいたのよ」
市太郎「お嬢がひと声掛けりゃ昔の連中が、おっとり刀で馳せ参じますって」
常子「半分が集まっても十五人。多過ぎるわねェ」
市太郎「十人もいりゃ沢山なんだから」
常子「ふるいにかけるのが骨かもね」
沼田「情に流されちゃいけません。行革、消エネでいかなくちゃ。あんたら二千万ッて借金を背負っているんですからね。その借金返済のための一座結成なンだから、目的を忘れないで下さいヨ」
市太郎「取り立て屋がウルセエなァ」
沼田「好きで取り立てやるわけじゃないぜ。俺は連帯保証人なンだぞ。あんたらが払えなきゃ、ツケはそっくりこっち廻ってくるんだからな、おいッ、判ってんのか、おかま役者」
市太郎「おかま?︙︙おい、もういっぺん言ってみな、兄さん」
沼田「なべでもおかまでも、こっちゃ金さえはいりゃ文句はねェんだッ」
市太郎「この野郎、俺が、おかまかどうか、この場でみせてやる(と、ジャンパーを脱ぐ)」
常子「(さえぎって)金のことならこの二代目花村月之丞と」
市太郎「(つられてうける)六十余州に隠れのねェ、日の本一の女形、竹沢市太郎にお任せしなせェ」
常子「思い廻せば二人とも」
市太郎「花に縁ある」
二人、揃って、
二人「出逢いじゃなァ(と、キメル)」
沼田「イョッ、大統領!」
市太郎「〽影か柳か、勘太郎さんかァ」
いきなり、また手拍手で歌い出す三人、めちゃノリの体。
●パラダイスローンズ・表(夜)
千鳥足で帰って来る沼田。
沼田「〽棄てて別れた 故郷の月に
しのぶ今宵の ほととぎすゥ」
ドアまでたどり着き、叩く。
沼田「開けろ!(蹴る)」
●事務所(夜)
「開けろ!」
居間から、寝ボケたよし江がでてきて、鍵をはずして開ける。
転がり込んで来る沼田。暗がりでつまずいて転ぶ。
明かりをつけるよし江。
沼田「アイテテ︙︙(と起き上がり)なんでェ、こりゃ?」
家財道具が、ひとまとめにして机や床に積み上げられている。
よし江「古道具屋に売る分︙︙」
沼田「売る?」
よし江「持ってけないもん。行先も決まってないのに︙︙」
沼田「どこ行くんだ」
よし江「どこ行くって、国分さんに取られちゃったんでしょう、ここ(奥へ去る)」
沼田「︙︙そうか追い出されるのか︙︙(興ざめして奥へ)」
●居間(夜)
引越しのかたづけで雑然としている居間に、沼田が来て、
沼田「なンだ、このとっちらかし様は︙︙」
よし江「(枕と毛布を夫に差し出して)布団、詰めちゃったの。今夜はこれで我慢してね」
沼田「(キョロキョロ)幟
よし江「のぼり?」
沼田「花村月之丞一座の幟だよッ」
よし江「あ、あれ︙︙どこ行ったかな」
荷物の中を探しものする夫婦。
沼田、くしゃくしゃにまるめられた幟を見つけて、
沼田「あったッ。大事な預りもんをくしゃくしゃにしやがってこの野郎︙︙」
荷物の上に、広げる。
〈花村月之丞一座〉の字が現われる。
沼田「(拝む)花村月之丞一座大明神。なにとぞ二千万円稼がせ給え。(柏手打って)おい、よし江、おまえ芝居好きか」
よし江「(首を振る)」
沼田「キライ? 嘘つけ、手前ェ、去年、杉良の芝居内緒で観に行って俺にひっぱたかれたくせして。いいか、俺、劇団つくるからな。花村月之丞一座を復興させるんだ」
よし江「(泣きべそ)私は嫌だ︙︙」
沼田「ナニ?」
よし江「ねェ、桑名へ逃げようよ。常子と市太郎の借金は国分さんとこで直(じか)に取り立てりゃいいんだ。私たちは、桑名で出直そうよ」
沼田「(小馬鹿にして)ほう、ほう、お前さんのふる里でねェ、それで、俺に田植えでもやらせる気か?」
よし江「あんたにはキツネがついてる」
沼田「キツネ?」
よし江「常子も市太郎も、あいつらはキツネだわ。あんたはたぶらかされているのよ。ねッ、あんな得体の知れない連中とは縁を切って私と桑名へ行こうよ(と、すがる)」
沼田「やかましいヤイ(と、突きとばし)あいつらがキツネなら、手前ェはなンだ、狸みてェな面しやがって。そんなに桑名へ帰りたきゃ手前ェひとりで行け。いますぐ出て行けッ」
と、よし江の衿首を摑んで外(事務所)へ放り出す。
●事務所(夜)
暗い事務所に放り出されたよし江、毎度のこととて、ソファーに寝っころがる。
よし江「︙︙いつもあとで悔むんだから︙︙」
●居間(夜)
沼田も寝ている。毛布の上に〈花村月之丞一座〉の幟を掛け布団代りにして、夢路をさまよっている。
ヒラヒラと舞い落ちる万札の夢。
●夢の舞台
狐が二匹、若衆と姫君の恰好で踊っている。
乱れとぶ万札。
沼田の両手に舞い落ちてくる一万円札の束が、突如、枯葉に変る。
沼田「⁉」
舞台に乱れとぶ万札も、たちまち、枯葉に変る。
落葉に埋れて踊る二匹の狐。
戯笑が響き、渦巻く落葉の中に二匹の姿もかき消える――。
●翌日――パラダイスローンズ・表の路地
雑居ビルを出ていく沼田夫婦。
両手に持てるだけの荷物をもって、トボトボと。
ビルの中から、あとかたずけの馬場がゴミ袋をだしに出てきて、二人の後姿に、ペッと唾を吐き捨てる。
●雑踏
人混みを歩いていく常子。
男と女の電話のやりとりが画面に流れてくる。
男(声)「そっちにも来たかい?」
女(声)「きたわヨ」
男(声)「で、どうしたい」
女(声)「決まってるじゃない。断わったわヨ。あんた、うけたの?」
男(声)「冗談じゃねェだろう、いまさら、役者なんて」
女(声)「お嬢さんは、本気風だね。急にどうしちゃったの?」
男(声)「死んだ座長の怨霊でものり移っちゃったんじゃないのかい」
女(声)「気持悪い。塩まいとこ」
●小料理屋「花ぞの」・表
板前夫婦に見送られて、気まずく帰っていく常子。
●バー「蘭蝶」・表
小さなバーから出てくる常子。
迷惑顔で送り出す中年のママ。
●繁華街(夜)
ピンクサロンの呼びこみ屋をしている昔の仲間を常子がくどいている。
「勘弁して下さい」と逃げ腰の呼びこみ屋。
●ストリップ劇場「ロック座」・舞台
歌謡曲にのって天真爛漫なストリップ嬢の踊り。
●その楽屋裏で
五分刈りのごま塩頭をした清水政吉(60)が、たらいで洗濯したバタフライやブラジャーを干している。
「政吉さん」
と、女の声に振り向くと、訪問者は常子。
常子「お久しぶり︙︙」
政吉「(バタフライを持ったまま、ポカンとみつめる)︙︙」
常子「常子よ︙︙月之丞の娘︙︙」
政吉「(涙ぐみ)︙︙忘れるもんですかい、お嬢︙︙座長に生き写しだ︙︙」
常子「政吉さんも、昔のまンま︙︙」
政吉「とんでもねェ(手にしたバタフライを、慌ててたらいの中に投げ捨てて)︙︙楽屋のにおいから離れ難くてこの歳まで、あちこちの小屋を渡り歩いているうちに、とうとう、こんなとこまで落ちてしまいました。殺陣師の政吉もザマありませんや」
「ちょっと、おっちゃん!」
と、若いストリッパーがきて、
踊り子「ソフトクリーム三つ買ってきて。バニラとストロベリーとマーブル。急いでよ(と千円札を握らせて去る)」
政吉「(気まずい)︙︙」
常子「(明るく)花村一座を再結成しようと思うの。手伝ってもらえないかしら」
政吉「お嬢︙︙(みるみる涙ぐみ)待ってたんですよ。その日がくるのを」
常子「戻ってくれる?」
政吉「(大きく頷き)今日まで、生きてた甲斐がありましたッ」
常子「(ホッと)よかったァ︙︙(ハンドバッグからメモとボールペンを出して)私が泊ってる旅館の電話番号書いとくから、明日でもまた」
政吉「(さえぎって)ご一緒致します。さ、参りましょう」
常子「いますぐ?」
政吉「ヘイ」
●楽屋から
ストリッパー嬢がイライラとくる。
踊り子「あのボケ親父、いつまで待たせんのよォ。おっちゃーん! まだァ」
と、裏口を覗くと、
ブラジャーやバタフライの洗濯物と一緒に、千円札も洗濯バサミでブラ下っている。
●スナック「大和」・店内
沼田が一同(常子、市太郎、政吉、よし江)を引き連れてぞろぞろと入ってくる。
うさんくさ気に見るマスターの加賀。
沼田「イヨッ、マスター、相変らずボケーッとした面してェ。先週の中山、3・5、当った? ホラ、ホラ、厭な顔して。聞いて欲しくないのネ。たまには当てろよなァ。ささ、どうぞ坐って。(よし江に)おまえは、あっち」
四人掛けのテーブルに向かい合って坐る沼田、常子、市太郎、政吉。
よし江だけがちがうテーブルに坐る。
沼田「(メニューを差して)みんな好きなもん、適当に頼んで。ここは俺のツケでいけるから、遠慮はいらねェよ。喰いもんあるでしょう。味はハッキリ言ってマズイけど、その分、量をサービスさせるから。おい、マスター、俺は、いつものな」
加賀「いつものッて?」
沼田「俺がいつものと言ったら、いつものじゃねェの」
加賀「いつものなンて食いものは、ウチじゃやってないんだよ」
一同、ムッ? と緊張する。
沼田「おい︙︙マジでからんでんのか?」
加賀「あんた、もうね、この界隈じゃあんまりでかい顔しない方が身のためだよ。あんたがパラダイスローンズをお払い箱になったことは、とうに知れ渡ってんだから。あんた見かけたらブッ殺してやると言ってる奴もいるよ。俺だってこんな店やってなきゃ腕の一本もヘシ折ってやりたいとこだけどサ。お連れさんもいるし、今日のとこは我慢してやるから、飲むもの飲んだら、サッサと帰ってくれよな」
一同、シュンとなって、沼田を窺う。
沼田「(作り笑い)ヘッヘ、判ったッて。人間落ち目にゃなりたかねェなァ。よし江、みんなの注文、聞いてやれ。俺ァ、コーヒーでいいや」
各々、よし江の方に、
市太郎「私も、コーヒー」
常子「同じもの」
政吉「コーヒーを」
よし江「(マスターに)コーヒー四つと、私は、オムライス」
市太郎「あ、私も、それじゃオムライス︙︙」
常子「私、カレーライス」
政吉「カレーライス、二つ」
市太郎「カレーライス、三つね。オムライスやめて」
加賀「コーヒー四つに、カレー三つ、オムライス一つ。(沼田に)旦那、食いもんは? 別に毒は入れませんよ」
沼田「(手を振る)︙︙」
マスター、奥へ引っ込む。
沼田「(舌打ち)たいした変り身だ。役者になれるよ。花村一座に入れようか。(皮肉っぽく)ひと声かけりゃ十五人はかたいなんて大きなこと言ってたけど、大丈夫なんだろうなァ、この先」
ブツブツと小声で喋りだす一同。
市太郎「みんな、消息が判んないンだよねェ、意外と」
政吉「菊太郎には声かけた?」
常子「大森で(おかまの手つき)ママさんになってた。いまさら、ドサ廻りする気はないッて」
政吉「みんな薄情だ」
常子「最後は金よ。気持はあっても、金で縛られて身動き出来ないッてのが何人もいるんだもの」
市太郎「衣装やかつらも、借り集めるにしたって、まるまるタダってわけにはねェ︙︙(と、沼田を窺う)」
沼田「俺になにやれってんだい」
市太郎「他人の褌(ふんどし)で相撲取ることばかり考えてないで、自分でも出来ることやってみたらどうなのサ」
沼田「俺にも役者やれってのか?」
市太郎「ばァか。あんたに出来ることッて言えば、金集めのほかにゃないだろう」
沼田「金もってこいだと?」
常子「なに始めるにも元手はいるわねェ」
よし江が向こうの席から、
よし江「金ならサラ金で借りたら? ヘッヘ(と淋しく笑う)」
沼田「やかましッ! 馬鹿が︙︙サラ金に手を出す程、落ちぶれちゃいねェよ︙︙(とは言ったものの、思案)」
●パラダイスローンズ・事務所
「阿呆か」
事務椅子にふんぞり返った馬場。
短期間のうちに、人相まですっかり悪相になっている。
身なりもだらしなく、酒で目が血走っている。
馬場「金を貸してくれ? どの面さげて︙︙(嘲笑するが長くつづかない)」
身すぼらしいなりの沼田が立っている。
身なりが落ちたわりには、悪相がやや直っている。
馬場「おまえ、ちゃんと飯喰ってんのか? ひどい面になっちゃって︙︙体も、どっか悪いんじゃないの?」
沼田「自分じゃ気づきませんけど︙︙」
馬場「俺も他人
沼田「十万でもいいです。なんなら十一
馬場「殺してもあき足らない奴を、どうして助けなきゃいけないの? なんの義理でッ。頼むから、もう帰ってくれ︙︙二日酔いで、ガンガンしてるんだ。(煙草をとるが、空ッポ)」
沼田が、自分のキャビンを差し出す。
馬場「欲しいが︙︙いらねェよ」
沼田「(煙草を箱ごと机の上に投げて)︙︙はじめから他を当たりゃよかった」
ドアに手をかけた沼田の背中に、
馬場「(声)待てよ」
振り向いた沼田の足下に、馬場が、五冊のファイルをドサッと放り投げる。
馬場「拾いな︙︙」
沼田「?︙︙」
馬場「クズにゃクズが似合いだ。くれてやるんじゃねェぞ。手前ェの才覚で取り立てきれたら使え。その分を貸してやる」
沼田「取り立て?︙︙」
馬場「手前ェが取り立てきれねェでいたコゲツキ客の中でも、極め付のクレジット・ドランカーたちだ」
沼田「!(馬場の意図が判って)」
あわてて床に散らばっているファイルをかき集めて抱きしめる沼田。
馬場「(冷たく見下して)溺れる豚はワラをも摑むか。まァ、せいぜい追い廻してみな。電車賃でも取れりゃもうけもんだろうがよ」
沼田「(ファイルを抱きしめて)︙︙恩にきますぜ︙︙」
●公園(夕方)
ベンチでアンパンをかじっている沼田。
無駄とは知りつつ膝のファイルを開けてみる。
畑中洋一郎の顔写真。
松永健次の顔写真。
久保三郎の顔写真。
小川妙子の顔写真。
山村謙二郎の顔写真。
どの顔も、沼田がいじめぬいた債務者ばかり――。
沼田「このクズ共が︙︙みんな、どうしてっかなァ︙︙なんだか、久しぶりに見ると、懐しくなるじゃねェか」
遠くから物売りのラッパの音が、物哀しく流れてくる夕ぐれ。
五人の顔写真をパラパラと眺めながら、そのとき、沼田の脳裡に奇妙ににぎやかなお囃子が湧き起こる。
沼田「(妄想を追う)︙︙」
その顔に、お囃子の音がさらに広がって――
●沼田の妄想――舞台
桜吹雪の江戸情緒。
市丸姐さんの〝隅田川ぞめき〟にのって綺麗どころが勢揃い。いずれ菖蒲
沼田の鳶を真ン中にチョチョンと極まって! 大喝采。
●公園(夕方)
空ッ風。
淋しい現実に戻る沼田。
その、への字の口元が、あることを思いついて、かすかにほくそ笑む。
沼田「︙︙いけるかも知れねェ︙︙(ファイルを眺め直して、すっと立つ)」
そのまま砂塵に吹き上げられるようにヒョロヒョロと歩き去る――。
●数日後――町田駅・プラットホーム
都会の夜明けは気だるい。
早朝電車が重そうにホームを離れていく。
●駅員詰所
駅員の久保が寝不足の無気力な目を、一通の、ガリ刷りの手紙におとしている。
文面からは、あの沼田の声――。
沼田の声「(明朗)拝啓、風薫る候、久保三郎様にはますます御健勝、御清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、私こと沼田薫、今般一身上の都合にて御愛顧頂きましたパラダイスローンズを円満退社いたしました」
●改札口
つまらなそうな顔つきも露骨に、キップ切りをしている久保――欠伸
沼田の声「今後は心機一転、かねてよりの願望でありました観光事業に、自らの夢と可能性を賭して、一路邁進の覚悟でございます。何卒、これまで以上に親しくおつき合い下さいます様、衷心よりお願い申し上げます。つきましては、このたび新たに設立いたしました、〝パラダイス観光株式会社〟の発足を記念いたしまして、日頃お世話になりました皆様方を、当社の目玉企画、南房総白浜温泉一泊二日の旅へ、無料御招待させて頂きます」
●構内
ホーム階段をムッツリ顔で掃除する久保。
沼田の声「日時は五月二十九、三十日。東京から白浜温泉までは、グランドホテル太陽の専用バスが、皆様をお運びいたします。集合場所は、新宿駅西口広場。二十九日の午後一時までにおいで下さい。すべて無料です。手ぶらでお気軽にお出掛け下さい。海と太陽の下で、人生をリフレッシュしよう!」
●カラオケバー・「どん底」(夜)
マイク片手に生き返った獣の如く歌い狂っている久保。
久保「〽ギンギラギンにさり気なくゥ
それが俺のやり方ァ!
ギンギラギンにさり気なくゥ
それが俺のやり方ァ!」
●コンピューター・ルーム
机上の電話がソフトにコールする。
プログラマーの山村はそこにいるが出ない。
代りに、モンローコンピューターが作動を始め、ピカピカチカチカしながら応対にでる。
(留守番電話を高度にした仕掛け)
コンピューター「ハロー、コチラハ、モンローオフィス。アナタハ、ドナタ?」
受話器の中からは沼田の声。
沼田「(電話)また、あんたか」
コンピューター「ソノ声ハ、ヌマタカオルサン」
沼田「(電話)憎たらしいコンピューターが、チクショウ」
コンピューター「オヒサシブリネ」
沼田「(電話)山村さん出してくれよ。大事な用があるんだ」
コンピューター「フザイデス」
沼田「(電話)俺の電話にゃ居留守を使えッて仕込まれてるんだろう。判ってんだよ。そこにいることは。もう借金の催促じゃないんだから代ってくれよ」
コンピューター「フザイデス」
我関せずで仕事をしている山村。
沼田「(電話)そいじゃ、俺の手紙、読んでくれたかだけでも訊いてくれよ」
コンピューター「手紙ハ読ミマシタ。答エハ、ノウデス」
沼田「(電話)ノウ? 伝わっていないのねェ、俺の真心が」
コンピューター「アナタノゴショウタイニハ、ギゼントキケンノニオイガスル」
沼田「(電話)何ぬかしやがる、機械のくせして。︙︙私ねェ、改心したの。生まれ変ったの、サラ金とも関係なし。取り立ては仕事だったんだから、それは判って下さいよ。これまでのことは水に流して、そのお詫びも兼ねての白浜温泉御招待なんだから」
コンピューター「モウキルワヨ」
沼田「(電話)五月二十九日お昼の一時! 新宿駅西口広場にグランドホテル太陽のマイクロバスが待ってますから、きっと来て下さいよォ」
コンピューター「シネ(切れる)」
山村「︙︙(立つ)」
●社内診察室
レントゲン写真――山村の頭蓋骨の前面と側面が、スライドに映し出されている。
医師と対面している山村。
医師「漠然とした不安の体験、頭痛、動悸と窒息感、倦怠感、物忘れ、軽い失語症︙︙CMIとメコリールテストの示すところでは、あなたの症状は、メコリールSP型、心身症型自律神経失調症といったところでしょう」
山村「治療法はあるんですか」
医師「ベルガルを差し上げましょう。自律神経安定剤です(立つ)」
山村「︙︙機械の体が欲しいですね。神経も内臓も、機械だったらと思いますよ」
医師「銀河鉄道スリーナインね。私も、メーテルのファンです」
山村「(低く)阿呆か︙︙(立つ)では、これで」
医師「それと︙︙休養することです。出来れば、二、三ヶ月、コンピューターから離れて積極的に人と交わること、勿論、仕事外の。スポーツもよし、旅行もよし。太陽の光を浴びて、喰いたいものを喰って、美しいものに心を動かして、よく笑い、よく泣くこと︙︙つまり、人間らしい日々をもつことです」
山村「︙︙無理ですよ。二、三ヶ月も、休めるわけがない︙︙」
医師「でしょうな。︙︙お好きな様に(去る)」
●コンピューター・ルーム
山村が元気なく戻ってくる。
やけに白々とした室内に独りぼっち︙︙。
コンピューター「オカエリナサイ、ダーリン」
山村「︙︙(空しい)」
●ニッタ自動車販売営業所・表
中古・新車の売車が何台も並んでいる。
そこへ、セールスの車が帰ってきて、畑中が降りてくる。
営業所へ仏頂面で向かう畑中を、
「畑中サーン」
と、聞きなれた、いまわしい声が呼び止める。
畑中「!」
振り返れば、案の定、沼田がにこにこと駈け寄ってくる。
沼田「どうも、どうも、手紙着きました? 私の招待状。畑中さんだけには来てもらわないと、俺の気が済まなくてねェ」
畑中「まったく、よく来てくれたな」
沼田を待ちかまえて、一発パンチを喰らわせる畑中。ふいうちくらって、ひっくりかえる沼田。
畑中「わざわざ御招待なんぞうけなくても、これで気は済んださ。もう、二度とその小汚い面を俺の前に出すな(と行く)」
沼田「待って下さいって」
鼻血拭きながら、ヘラヘラと追いすがって、畑中にホテルのパンフレットを渡そうとする沼田。
沼田「積もり積もったお怒りはごもっとも。だからこそ、こうしてお詫びに伺ってるわけだから、まァま、これ見て下さい、白浜のホテルのパンフレットね」
畑中「(無理に渡されて)︙︙」
沼田「畑中さんは釣りが得意なンだ。いい釣り場ですよォ、ご存知でしょう。黒潮が房総の鼻先にバーンとぶつかった所でさ、気絶した鯛やヒラメがうようよ、入れ喰いどころか手づかみですよ。二十九日、新宿西口でお待ちしてますから。お互いの命の洗濯をしようじゃありませんか。二十九日一時ですからね」
言うだけ言って、ひょこひょこと立ち去る沼田を不審気に見送って、
畑中「気色の悪い奴だ︙︙(所内へ)」
●販売部
畑中が机の電話を小声で受けている。
畑中「(電話)お前、住民票まで移さなくても︙︙判ったよ。直子は元気か?︙︙そう︙︙お義父さん、お義母さんによろしくな︙︙また電話くれるか(切れている)︙︙」
淋しく受話器を戻す。
女子社員が茶を運んでくる。
畑中「ヨォ、恵子チャン、気がきくね(と手を伸ばすが)」女子社員
「おっちゃんじゃないの」
とかわして、お茶は課長の席へ。
畑中よりもグッと若くて二枚目の課長が坐っている。
若い男子社員が畑中のもとへ小箱を片手にくる。
男子社員「畑中さん、石田課長の栄転祝いのカンパお願いします」
畑中「あ︙︙いくら?」
男子社員「宴会の費用と記念品代込みで一万円です」
畑中「そ︙︙(財布をさがす)」
課長の席から、課長が茶をすすりながら、平社員の畑中の方へ、
課長「申し訳ないですねェ、畑中先輩にまで、とんだ出費さしちゃって。畑中さんには僕もセールスのイロハを教えてもらった口 だから、ホントは、こっちがお礼を出さなきゃいけないのに」
畑中「なにおっしゃってるんですか︙︙(財布を出しかけて)会はいつだっけ」
男子社員「二十九日、土曜日です」
畑中「二十九︙︙」
課長「畑中さんの名物ヘソ踊りも見おさめだなァ」
女子社員「イヤァ、またあの下品なのやるのォ」
男子社員「下品でもなんでも盛り上ればイイのッ」
畑中「(内心の不快を押し殺して)ちょっと待ってよ︙︙二十九日は確か︙︙(と、手帳をぎこちなくめくって)あッやっぱり予定はいってるワ。千葉の方のお客さんとこに車納めに行かなきゃならないんだワ」
男子社員「結構です。用が済んだら駈けつけるってことで、会費だけ頂いときます」
畑中「︙︙(渋々、一万円を渡す)」
男子社員「ハイ、確かに。お次は、山田さん」
畑中、机の上の〝白浜のパンフレット〟をじっと見る。
●ホテル・ロワイヤル・結婚披露宴会場
豪華な結婚披露宴の風景(実景)。
●廊下
正装の人々が行き交う中を、フロントマンの松永健次がくる。
ウェイトレスの今里恵子(21)がトレーを片手に追いすがってくる。
健次の前に立ちふさがって、一礼。
恵子「マネージャー、御相談があるんですが」
健次「(不快もあらわに)いま忙しいんで、あとにしてくれ」
恵子「では、社長に直にお話します」
健次「(歩を止めて睨む)︙︙」
恵子「こちらに、どうぞ」
恵子、控の間のドアまで戻って入る。
健次も、あたりをはばかって急いで従う。
●控の間
健次、ドアを閉めて、
健次「ホテル内では話しかけるなと言ってあるだろうがッ」
恵子、涼しい顔で、テーブルのコーヒーやジュースのグラスをトレーにのせながら、
恵子「寮に電話しても出てくれないし、毎晩どこ出歩いてるの。社長のお嬢さんとデート?」
健次「その話し合いなら、もう、終ってる筈だ」
恵子「札幌から両親がでてくるの。大宮の兄貴がいよいよ結婚すんの。で、二十九日」
健次「(ウンザリ)俺には、もう関係ないんじゃないか」
恵子「判ってるわよ。私だって、未練がましいことはしたくないわ。ただね、親たちには、あなたと別れたことまだ話してないのヨ」
健次「手切金の領収書でも見せようか」
恵子「(カッと)お金の問題じゃないわッ!」
健次「︙︙(逃げたい)」
恵子「あなたの方に迷惑が掛っちゃいけないと思うから相談してるのよォ。うちの親たちは、田舎者で考えも古いからァ、上手に説明しないとサァ、子供まで堕さした女を、どうして嫁にできないのか。納得できないと思うのよ。私ひとりでいくら説明したって、一本気の親だから、許せないとなったら、こちらの社長さんのとこだってどこだって怒鳴りこんじゃうからね、平気で。そうなったら、あなたが困るでしょう。だから相談してんじゃない。それを、ゴキブリでも見るような目つきで、こそこそ逃げ隠れして」
健次「︙︙悪かったよ」
恵子「こうなることが判ってたら、親たちとも会わなきゃよかったのよネ。おととし、北海道旅行したとき、うちに一泊しちゃったでしょう。婚約者だって紹介しちゃったしね。あなたも、あの頃はずい分、調子のいいこと言ってたから︙︙」
健次「(腕時計を見て)︙︙どうすればいい」
恵子「ひとまずさ、二十九日の兄貴の結婚式にだけはでてよ。招待状いってる筈よ」
健次「それは、しかし︙︙」
恵子「親たちへの説明は、式が終ってから、キチッとしたかたちでやって欲しいの。話し合いの場所は、私がセッティングする。あなたも面倒でしょうけど、親たちからしてみれば、娘の一生の問題だからね、婚約解消なンて。あなたも、男として最後の誠意だけはみせた方が得だと思うの」
いきなりドアが開いて正装のおばさん達(二人)が顔を覗かせる。
客「アラ、失礼、ここじゃなかった?」
それをきっかけにして出ていく健次。
トレーにグラスをのせて追いかける恵子。
●廊下
エレベーターを待つ健次。
となりに恵子も並ぶ。
エレベーターが開き、先に「スミマセン」とのりこむ恵子。厭々つづく健次。
●エレベーターの中
下降。
健次と恵子の二人だけ。
恵子「私もしつこいのは嫌いだけど、親には親の常識ッテのがあるから、ベイビーまで堕した仲で別れるなンてうちの親たちは考えられないのよね」
サバサバといかにもサッパリ風をよそおってはいるが、恵子は相当にねちっこい。
表面は知らぬ顔の健次だが︙︙内心には、殺意すら蠢
健次の妄想が動きだす。
虫も殺さぬ顔の健次の体内から別の健次(半透明)が抜けだして、恵子の首を締める。
恵子、悲鳴!
トレーもひっくり返してあばれる恵子。
その首を、ぐいぐいと締めあげる健次。
恵子の断末魔(!)
●ロビー
エレベーターが開き、健次と恵子がでてくる。
「松永チャン!」
沼田が、待ちかまえていたように近寄ってくる。
健次も、咄嗟に、
健次「やァ!(と、手を上げて歩み寄る)」
沼田「(殴られるんじゃないかと身をかばう)!」
意外にも、沼田の手をとって、にこやかに応対する健次。
健次「招待状ありがとうございます。是非、参加させてもらいますから」
沼田「えッ、来てくれるの?」
健次「勿論です。パラダイス観光様は、当ホテルにとっても大事なお得意様でございますから」
沼田「あ?」
健次「ときに、日時はいつでございましたですかね」
沼田「二十九日、昼一時に新宿西口の︙︙」
健次「(さえぎって)二十九日かッ、かち合っちゃうなァ(と、背後に立っている恵子に振り返る)」
睨み返す恵子。
健次「(恵子を差して)親戚の子なんですが、ちょうど二十九日に、この子の兄貴の結婚式がありましてね」
沼田「(恵子と健次を見比べて)それは、こっちの方へ来て頂かないと。松永さんが欠けちゃ何も始まりませんよ︙︙だからこうして念押しに伺ったんだから」
健次「(恵子に)そういうわけで、二十九日は出席できないな。一応、祝電は打っとくよッ。あとの話し合いは、また他日ッてことで、御両親にもよろしく」
沼田「スイマセンネェ、お嬢さん」
恵子、ふんと踵を返す。
ホッと見送る健次の肩を、ポンポンと叩いてニヤつく沼田。
沼田「例のお姐チャンね。まだ、つきまとわれてるの?」
健次「俺、いつかあいつを殺しちゃうんじゃないかな︙︙」
沼田「思いつめるもんじゃないッて。(白浜のパンフレットを渡して)これ、白浜のパンフレットね。芸者もね、土地ッ子のピチピチしたのがわんさかいるんだ」
健次「女は、もうウンザリだ︙︙(げんなりしてフロントへ去る)」
沼田「待ってますよ!(と見送って)︙︙欲の皮突っぱらかして、金持ちの女にのりかえた手前ェがいけねェのさ。人生、そうそう甘かねェよ」
独り言を呟やきつつ去る。
●スーパー・ストア
夕食の買物の主婦でごったがえしている。
ずらりと並ぶレジのカウンターで目まぐるしく働く、レジ嬢やパートタイマーのアンカーたち。
レジ嬢(洋子)の後手にひかえて食品を袋に詰めるパートの小川妙子。
まだ慣れなくて、手つきが不器用。
年若の洋子が、時々、イライラした目つきで睨む。
しかも、耐え難く、欠伸
男子店員「(目ざとく見つけて)この忙しいのに、欠伸はないでしょう」
妙子「済みません」
男子店員「旦那さんに寝かしてもらえないワケ?」
妙子「そんなことは︙︙(袋からジャガ芋こぼして)あ、ゴメンナサイ」
●街路
スーパーの制服のまま、風呂敷包みを抱いて病院へ小走りにいく妙子。
●病院・病室
妙子がきて、ギョッと立ち竦む。
妙子「⁈」
ベッドの病人(夫)を踊らせるようにして着替えをさせている三人の中年女がいる。
姑の小川菊江(55)と小姑の遠山和子(30)に看護婦も手伝って、生命維持装置をつけたままなのでその様子たるや厳粛かつ大袈裟。
妙子「お義母さん?︙︙お義姉さんも、おいでになること連絡して下されば︙︙」
妙子を無視して、病人の着替えをつづける姑、小姑。
眠り病の夫は、人形そのもの。
菊江「和子、そっちの手、上げてやって︙︙」
和子「兄さん、まるで寝てるみたい」
菊江「そりゃ眠り病だもの」
和子「(看護婦に)いっになったら目が覚めるんでしょうか?」
看護婦「(適当に)それが判らないんですねェ。明日お目覚めになるかも知れないし、あるいはねェ、一年とか二年かかるかも知れませんし、なにしろめずらしい病気ですから」
妙子「(風呂敷から着替えの下着をだして)あの、着替えは︙︙」
和子「病院の売店で買ったから」
菊江「どうして、こんな病気になっちゃったのかしら。食いもんのせいかね」
和子「働き過ぎよ」
菊江「無理して土地付の家なんか買うことなかったのに」
和子「だって、結婚の条件だったんでしょう?(と妙子に)結婚したら一戸建に住みたいッて、妙子さんの夢だったのよねェ︙︙」
妙子「(心外)?︙︙」
菊江「アパートで十分じゃない、子供もできないくせに」
和子「妙子さん、二つ三つ若返ったみたい」
妙子、茶の仕度をしながら、
妙子「そうですかァ(疲れる)」
菊江「女が外働きにでると間違いのもと」
和子「背に腹はかえられないわ。ローンや病院のかかりで、妙子さんも大変なんだから」
菊江「自分が蒔いた種だ」
和子「あ、コレ、あなたにお手紙」
テーブルの上から、一通の封書を妙子に差し出す。
妙子「(受け取り)?︙」
開封してある。
和子「沼田薫さん。急ぎの用ならいけないと思って、一応、なか確かめましたからね」
妙子「(読む)︙︙」
和子「白浜のホテルに泊まりがけの御招待なんて、どういう関係なの? それも、タダだって」
菊江「行ってくりゃいいじゃないか、病気の亭主放っぽらかして、一泊でも二泊でも、好きなことしてくりゃいいさ。妙子さんだって、たまにゃ、気晴らしもしなきゃ」
和子「どうでもいいけど、兄さんと借金残して蒸発したりはしないでね」
菊江「蒸発? やれるもんならやってごらんなさい。テレビ局に頼んで世間様のまえに引きずり出してやるわ」
妙子「︙︙(哀しく夫を見る)」
物言わぬ夫の無責任な寝顔。
●翌日――スーパー・ストア
二十九日・正午―。
忙しいレジ周辺。
モタモタと袋に客の買物品を詰めている妙子。その間にも、妙子の脳裡に呼びかけてくる沼田の招待状の声に――。
また袋をひっくりかえす。
洋子「(ヒステリックに)小川さんッ」
妙子「済みません(と、急いで品物を拾う)」
床から拾い上げた果物パックを、
主婦「コレ、替えてもらえる」
洋子「ハイッ、どうぞ、済みません」
ランチタイムの交代要員がくる。
キビキビと明るく引き継ぎの挨拶が交わされて、解放された妙子に、
洋子「小川さん、ためにならないからハッキリ言わしてもらうわ。あなた、レジには向かないわ。倉庫の仕事にまわってよ。私、主任に言うわッ」
妙子「(クシュン)︙︙」
●休憩所
仕出し屋のワンパックの安弁当をパート仲間の主婦たちと一緒に食べている妙子。
妙子「︙︙(喉を通らない)」
ふと、腕時計を見る――十二時三十分。
●表
アンカーたちがストアに戻っていく。
妙子だけが、ハンドバッグを持って、ふらりと帰ってしまう。
●バスの中
妙子が乗りこんでくる。
ストアの制服を脱いで、髪を下す。
妙子「︙︙」
●新宿駅西口広場
バスが到着して妙子が下りる。
指定のバスを捜す妙子。
いた!
道路を隔てた向こう側に、グランドホテル太陽の文字を光らせたマイクロバスが停っている。
妙子「(動揺)!︙︙」
駈けこみたい気持と、引き返したい気持が交錯して、ひとまず、青になった歩道を渡って、マイクロバスをまわりこむ様に迂回する。
反対の舗道に渡って、マイクロバスを眺める妙子。
妙子「︙︙」
黙って、妙子を待っているマイクロバス。
脳裡をよぎる、夫の寝顔︙︙姑、小姑の憎たらし気な顔。
やっぱり帰るべきか︙︙。
その時、意外にも背後から沼田の声が掛かる。
沼田(声)「お待ちしてました、奥さん」
妙子「!(振り返る)」
缶ジュースやビールのダンボール箱をかかえてにこやかに立っている沼田。
沼田「迷っているんですか」
妙子「後悔するのが嫌なのね︙︙」
沼田「︙︙どっちにしても、後悔はしますよ。行っても︙︙行かなくても」
妙子「︙︙(マイクロバスを見る)上手いこと言うわね」
沼田「ぼつぼつ出発します。だいたい顔も揃ったんで︙︙みんな、気のいい人たちです。淋しいのは奥さんだけじゃないんですよ」
信号が青に変って、マイクロバスの方へ歩く沼田。
従う妙子。
マイクロバスの前――。
沼田「どうぞ」と妙子を先に乗せる。
●マイクロバスの中
妙子と沼田が乗りこんでくる。
車中で、既に待っていた男たちの視線が一斉に妙子に注がれる。
同乗者は、畑中、山村、健次。
沼田「ご紹介しましょう。こちら、お仲間の小川妙子さん。エー、ニッタ自動車販売の畑中さん︙︙ホテル・ロワイヤルのマネージャーで松永さん︙︙コンピューターのプログラマーをやってらっしゃる山村さん」
三人、無愛想に黙礼。
沼田「どうぞ、お好きなところへ坐って下さい」
妙子、坐る。
めかしこんだよし江が、駅弁八人分かかえて息せき乗りこんでくる。
沼田「茶は?」
よし江「(忘れて)あッ︙︙買ってきます」
沼田「いいよッ、間に合わないから。(腕時計を見て)予定では、もうお一人お招きしてたんですが、時間も過ぎましたので、出発しましょう。よし江君、運転手さん、呼んで」
よし江、外で煙草を吸っていたホテルの運転手を、大声で呼ぶ。
よし江「運転手サーン! 出発よォ!」
サンダル履きでペタペタと乗りこんでくる安房(あわ)のアンチャン。
よし江も坐る。
沼田「(よし江の服を引っ張って)お前、もう、いいよ」
よし江「え?」
沼田「ちょっと、下りて」
と、よし江をバスの外へ引きずりだす。
外――。
泣きべそのよし江。
よし江「私も、連れていくって︙︙」
沼田「人数が足りなかった場合はッて言ったろうが。まァ、頭数は揃ったし、女手もはいったしな。帰っていい」
よし江「せっかく美容院にいったのに」
沼田「勿体ないことすんなッ」
よし江を残して、バスに乗り込みバタンとドアを閉める沼田。
もう一度、ドアを開けて、駅弁を一個よし江に渡し、
沼田「出発!」
ドアが再び閉まり、よし江を置き去りにして走り去るマイクロバス。
恨めし気に見送るよし江の姿︙︙みるみる遠ざかる。
●町田駅・改札口
久保が、時計を気にしながら、切符を切っている。
心ここにあらずの体で、定期券にハサミを入れたり、客の指をはさんだり。
●高速道路
白浜へ向けてひた走るマイクロバス。
●町田駅・改札口
改札係が消えている。
騒ぐ客たち。
●ホーム
駅長が駅員の知らせで駈けつける。
そこには、脱ぎ捨てられている駅帽に制服、ネクタイ。
一同〈?〉
●走る電車の中
ワイシャツにセーター姿の久保が、シルバーシートに坐っている。
久保「(キョトンとした目)︙︙」
車内検札がくる。
久保、悪びれず財布から小銭をだして、
久保「白浜まで」
テーマ曲始まる――。
●フェリー
川崎から木更津へ――。
フェリーが波をけって渡っていく。
潮風も心地いい甲板の、畑中、山村、健次、妙子の、それぞれにさわやかな顔。
キャスト・スタッフ・タイトルが流れる中、エンディング――。
浪幕前に、白浪五人男が稲瀬川勢揃の場の出立
弁天小僧菊之助(久保三郎)。
弁天「雪の下から山越しに、先ずこれまでは落ちのびたが」
忠信利平(山村謙二郎)。
忠信「行先つまる春の夜の、鐘も七つか六浦川
赤星十三郎(小川妙子)。
赤星「夜明けぬうちに飛石の、洲崎を放れ舟に乗り」
南郷力丸(松永健次)。
南郷「故郷をあとに三浦から、岬の沖を乗り廻さば」
日本駄右衛門(畑中洋一郎)。
駄右衛門「陸
弁天「しかし六浦の川端まで、乗っきる畷
忠信「油断のならぬ山風に、追風
赤星「ろかいにあらぬ一腰の、その櫂
南郷「腕前見せて切り散らし、敵わぬ時は命綱」
駄右衛門「碇を切って五人とも、帆綱の縄に」
五人「かかろうか」
突如、雷光。
浪幕が振り落とされ、舞台は一変して、不気味な山中の洞穴と変る。
その一段高い岩場より、バタン、バタバタバタとツケ打ちにのってセリ上ってくる土蜘蛛(沼田薫)と二匹の女郎蜘蛛(常子と市太郎)。
下座に合わせて、三匹の蜘蛛が手中からパッと無数の糸を投げる。
糸を浴びる五人衆、各々、刀を抜いて蜘蛛の糸を断ち斬るが、糸は矢つぎ早やに二人をからめて引きずりこむ。
「土蜘蛛」対「白浪五人男」の、引っ張りの見得がきまったところで――
柝がはいり、
メインタイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●南房・海岸の道
第四話「土蜘蛛」
白浜の海岸通りを走るホテルのマイクロバス。
●走るバスの中
カラオケをバックに手拍子でひとりはしゃぎ歌っている沼田。
沼田「〽いい湯だな いい湯だな日本人なら 浪花節でも」
のってない四人は、畑中、山村、健次、妙子。
めいめい他人行儀にバラバラに坐っている。
英語の専門誌を読んでいる山村。
ぼんやり窓の外の海を眺めている妙子。
寝たふりの健次。
歌謡曲集をめくっている畑中。
四人をのせようとして手拍子をうながしてまわる沼田
だが、みんな陰気にしている。
沼田「〽うなろかなハハハン うなろかなハハハン
ここは房総白浜の湯
ババンババンバンバン
借金返せよ!
ババンババンバンバン
じょうだん 冗談」
曲終る。
沼田「ハーイ、南房総の旅、カラオケタイム、沼ちゃんひとりで十曲もたてつづけに歌っちゃって喉チンコ、カラカラ、もうダメ、もう誰か代ってくんなきゃイヤ。畑中さん、一曲いきましょう。決まったでしょう、番号、言って下さい」
畑中「(のらない風に)番号?︙︙Bの3︙︙しつこいんだよなァ、お宅も」
沼田「Bの3番(カラオケのボタンを押す)私がしつこいのは先刻ご承知のくせに。ハイ、どうぞ(とマイクを渡す)」
佗し気なイントロが流れだす。
やれやれと腰を掛けて缶ビールを呑む沼田。
畑中が歌いだす。
畑中「〽貧しさに負けたァ
イイエ 世間に負けたァ
この街も追われたァ」
じめっとした空気がバスの中を包む。
悔蔑を浮かべる山村。
嘲笑の健次。
涙ぐむ妙子。
沼田はげんなり――
畑中「〽力の限り生きたから
未練などないわ
花さえも咲かぬ 二人は枯れすすきィ」
●グランドホテル太陽・玄関
観光バスからにぎやかに下りてくる老若男女の団体さんを、支配人を先頭にホテル従業員総出の出迎え。
「いらっしゃいませ」「おつかれさまでございました」と、客と荷物を競い合ってドドッと奥へ御案内。客を吐き出して駐車場へ去る観光バス。
玄関は、台風一過の静けさに戻る。
そこへ――マイクロバスが到着する。
沼田につづいて、畑中、山村、健次、妙子が下り立つが、先刻の盛大な出迎えが嘘のように、こちらには誰もでてこない。
ひとり水撒きにでてきた若い従業員(晴美)が、沼田たちには目もくれず、最後にマイクロバスから下りてきた運転手に、
晴美「おかえりィ、早かったね」
運転手「カラオケで下手な歌ガンガンやりまくるからヨ、ブッとばしてきちゃった。ああ、頭痛てェ(去る)」
沼田、ムッと見送る。
妙子「(身をよじりながら、晴美に)あの、おトイレどこでしょう」
晴美「フロントの左側の奥」
駈けこむ妙子。
健次「出迎えはないの?」
沼田「最近はないんです。どうぞ、どうぞ(と先へ入る)」
陰気に従う三人。
●ロビー
広いガラス窓の海。
ロビーの椅子にてんでに坐って眺めている健次、畑中、山村。
妙子がトイレから戻ってきて、離れて坐る。
四人共、自分から話しかける者はいない。
健次が、大きく背伸びする。
畑中「(ブツブツ独り言)道具は貸してくれるんだろうなァ」
忙し気に通る支配人に、
畑中「(大声で)ちょっと! ちょっと! 釣り道具借りたいんだけどなァ」
支配人「(それどころかと)少々、お待ち下さいませ(と、駈け去る)」
畑中「(舌打ち)︙︙カラ返事しやがって︙︙なんだと思ってんだ」
健次「あれ支配人でしょう。フロントに掛け合った方が早いんじゃないですか(海を見たまま)」
畑中「いいや、あとで沼田に頼もう︙︙(と、これも独り言のように)」
山村「(妙子に)コーヒーかなにか呑みます?」
妙子「はァ︙︙」
健次「もう呼びに来ますよ」
畑中「(妙子に)お宅さんも、沼田のパラダイスローンズから、やっぱり借りて︙︙?」
妙子「はァ︙︙主人の方が︙︙」
山村「今日は御主人は?」
妙子「入院してますので、代りに私が︙︙」
健次「(笑止)代りにとはね︙︙」
畑中「沼田の野郎は、しかし、本当にパラダイスローンズ辞めたんだろうなァ、あいつの取り立てには、ずい分泣かされてきたから、どうも、もひとつね」
健次「われわれの知らない間に、保険金なんか掛けられてたりして」
四人、ヘラヘラと力なく笑い合う。
沼田がフロントから鍵をもらってやってくる。
沼田「お待たせ致しました。さァ、お部屋へ御案内致しましょう」
健次「また、あんたが案内すんの?」
沼田「こっち来ちゃうと、もうすっかり身内扱いでね。社長とツーカーってのも良し悪しですわ。さァ、どうぞ」
四人、沼田の先導でエレベーターの方へ。
●客室
沼田の案内でぞろぞろとはいってくる四人。十畳間ぐらいの和室で、窓から海がひろびろと見える。
沼田「さァさ、こちらでございますよ。海が綺麗でしょう。どうです、この眺め。心が洗われますなァ」
四人、棒立ちのまま。
健次「まさか相部屋じゃないだろう?」
畑中「御婦人がいるんだぜ」
沼田「ここは食事部屋です。おやすみの部屋は、ちゃんと別にとってございますから。お任せ下さい。御不自由はかけませんから。なにはともあれ、ひと風呂浴びて、夕飯前に下のロビーで一杯やりましょう。やっぱ、揃いの浴衣にならないと旅にきたって感じがしませんよね」
畑中「釣りやりたいんだけどな。道具貸してくんないかな」
沼田「聞いたんですけどね、ホテルじゃ貸道具がないってんですよ」
畑中「乗り合い船だと、船で貸してくれるでしょう」
沼田「ここいらは仕立てだから、頭数揃えないと、えらく高くつきますよ。ほかに、釣りに行くかた、いらっしゃいます?」
山村も、健次も、妙子も、知らん顔。
畑中「(見わたし)︙︙」
沼田「(畑中の肩をたたいて)今回は岡釣りの方で我慢して下さい、ネッ。じゃ、みなさん、(時計を見て)六時に、一階のロビーに集合ってことで」
と、出て行く。
畑中「調子いい野郎だ︙︙」
健次「どうせ御招待なんだから、まァ、いいじゃありませんか(と、テレビをつけて独占する)」
山村は、隅にバッグを下して中からカメラをだして点検する。
畑中も、別の隅にバッグを置く。
靴下に穴があいている。
畑中「!(気づいて、恥かしそうに脱ぐ)」
ハンドバッグひとつの妙子は、窓際の椅子に所在なげに坐って、海をみつめる。
妙子「︙︙」
畑中が、ホテルの浴衣とタオルをめいめいに配る。
妙子にも浴衣とタオルを渡す。
畑中「どうぞ、奥さん」
妙子「どうも」
健次「さてと、ひと風呂、浴びてくるか」
服を脱ぎ出して着替えを始める健次。
山村も、上着を脱いで妙子をチラリ。
妙子、すっと外へ出ていく。
●フロント前
沼田がせかせかときて、館内電話をとり、
沼田「(電話)501号室つないで︙︙」
「沼田さん!」
突然、声をかけられてみれば、玄関から、セーター姿の久保が近づいてくる。
沼田「(咄嗟
久保「(キョロキョロと)︙︙ここでいいの?」
沼田「よく来てくれましたねェ。荷物は?」
久保「も、このまま」
沼田「さすが駅員さんだ、旅慣れてますね」
久保「わるいけど、一本電話してくれないかな」
沼田「俺が? どこに?」
久保「僕の駅の駅長に︙︙無断できちゃったから、あんたから言い訳を︙︙」
沼田「はァ︙︙」
●ロビーの電話口
電話する沼田。脇にへばりついている久保。
沼田「(電話)山口駅長さんでいらっしゃいますか。私、久保三郎の親類のものでして、石橋といいます。はい、出札係の久保︙︙(ひとしきり先方は怒鳴っている)実は、そのことで、本人が申しますに、業務中に突然、気分が悪くなりましたそうで、辛抱たまりませんで病院に駈けこんだんです。嘘じゃございませんですョ」
久保、ズル休みの生徒のように、おどおど。
沼田「気分はなんとか治ったらしいんですが職場放棄した自分の責任の重さを省みてですね、エ? 本人ですか? ようやく眠らせたところですが︙︙」
フロントの前を、妙子が手ブラで外へふらふらと出て行く姿が沼田の目に止まる。
沼田「(妙子を目で追いながら)明日まで様子をみまして出勤させたいと思います。ハイ︙︙ごもっともで︙︙申し訳ありません︙︙ハイ、ハイ(先方の怒鳴り声を途中で切る)」
久保「駅長、怒ってた?」
沼田「もう出勤しないでいいッてサ。(妙子が気になって)部屋、案内するから(と、エレベーターへ向かう)」
久保「あんたが悪いんだからな、こっちの予定も聞かずに招待状だすからいけないんだ。責任とってよな(と追う)」
●エレベーター前
エレベーターを待つ沼田と久保。
沼田「(イライラ)︙︙」
脇に、〈花村月之丞一座上演〉のポスター。
久保が目を止めて読む。
久保「江戸芝居︙︙花村月之丞一座、ヘェ、芝居やるの」
沼田「(窺うように)芝居、好きなの?」
久保「おふくろがね。僕は、カラオケ専門」
沼田「歌手か役者になればよかったのに、久保さんも、生き方、間違えたんじゃないの?」
久保「それは言われたことある」
エレベーターが開き、久保を先に入れて、つづく沼田。
●廊下
沼田と久保がきて、ドアをノックするが返事がない。
鍵も掛っている。
沼田「︙︙風呂か」
●大浴場
湯舟から首だけだしている畑中、山村、健次。ガラッと戸が開いて、裸の久保が沼田に連れられて入ってくる。
沼田「みなさん! お仲間がひとり増えました。町田駅の駅員で久保三郎さんです」
タオルで前を隠した久保が、ペコリとお辞儀する。
沼田「久保さんは、カラオケのチャンピオンでしてね。今夜は、たっぷり聴かされますよ、みなさん。エー、あっちから、ニッタ自動車販売の畑中さん、コンピューター・プログラマーの山村さん、ホテル・ロワイヤルのフロントマネージャーの松永さん」
三人、不愛想に会釈。
沼田「ひとつ、よろしく(と、戸を閉める)」
久保、つま先だって湯舟にはいってくる。
●海岸
砂浜から海を見ているやつれ顔の妙子。
妙子を誘う潮騒。
夕映え淋しい水平線。
ベタ靴を脱いで、裸足になり、海に向かう。
打ち寄せる波に裸足を濡らすうちに、昔に戻りタイガースの歌を口ずさんでいる。
妙子「〽雨がしとしと 日曜日
ぼくはひとりで 君の帰りを待っている」
ふっと、死の誘惑にかられて、波に引っ張られるように、一歩ずつ、海へはいっていく。
「奥さんッ!」
背後の沼田の大声に振り返った時には、もう、腰近くまではいっている。
砂浜に立っている沼田。
睨み合う二人。
沼田「(用心深く)︙︙泳ぐには、まだ少し早いでしょう︙︙ここの温泉はいりました? まだでしょう? 泳げますよ、広いから︙︙晩飯の献立がまた豪華でしてね。伊勢エビの活づくりで一杯やってごらんなさい。生きててよかったなァと思いますよ、ホント」
できるだけ、さり気なく、しかし必死に説得する。夢からさめたように、ふらふらと戻ってくる妙子。スカートはびしょ濡れ。
靴を拾って駈け寄る沼田。
妙子「︙︙どうしちゃったのかしら、私︙︙(靴を受けとり、ホテルの方へ歩きだす)」
沼田「(吐息)油断も隙もあったもんじゃねェ」
●グランドホテル太陽・外観(夕方)
ホテルロビーの広い窓ガラスに映る夕暮れの紅い海。
●ロビー
揃いの浴衣がけでビールをくみ交わしている沼田、久保、山村、健次、畑中、妙子の六名。それぞれ、ほろ酔い加減。
沼田「(快気炎)要するに、生れ変りたい。生れ変って、すべてをやり直したい。サラ金から足を洗って、観光業を始めた理由は、ただそれだけ。だって、人間その気になれば、いくらでも生れ変れるんだもの。みなさんも、もっと思いきって自分の環境を変えてみたら如何ですか」
誰もまともに聞いている者はいない。
ビールの追加を運んできた晴美に少し悪酔いの気のあるらしい畑中が、
畑中「おい、ビールはもういい、水割りもってこい」
沼田「飯前だから、程々にした方が︙︙」
久保「飯に酒ついているの?」
沼田「つけましたよ、勿論」
畑中「ケチケチしやがって」
晴美「水割りどうすんの?」
沼田「いらない、いらない」
ビールの空瓶を乱暴に持ち去る晴美。
健次「なんて従業員だ。マナーがてんでなってないじゃないか」
畑中「罪ほろぼしのつもりなら、沼田さん、あんた、もっと我々にサービスしなくちゃァ。ぼくが女房子供に逃げられたのは、あんたのせいだよォ」
沼田「まァま、いきましょう。(ビールをつぐ)畑中さんは、いまの仕事、向いてないんじゃないかなァ」
畑中「辞めたいねェ、セールスマンなんて、ほかの仕事頂戴よ、いつでも辞めるよ」
妙子「(海を見て吐息)私生れ変りたい︙︙なにもかも捨てて︙︙」
沼田「仕事を変えりゃいいんですよ。奥さんなンて、勿体ないもん、その美貌でスーパーマーケットのパートなンて。もォっと自分を高く売らなきゃ」
妙子「(よしてヨの手ぶり)︙︙」
健次「いくら仕事変えたって同じサ」
山村「プログラムを変えれば、すべて変りますよ。目的が変るんだから」
沼田「そお! コンピューターと同じ理屈」
健次「サラ金に追われてるうちは、なにやったって同じだと言ってんの」
畑中「そりゃそう。沼田さんが転業したからって俺たちの借金が御破算になったわけじゃないんだからな」
久保「取り立て人が変るだけの話か︙︙」
沼田「こんなとこまできて嫌な話はしたくないんですが、私のあとがま、馬場ッての、ローンズランドの渋谷支店長をやってた野郎でしてね、応援部くずれの本格やくざです。取り立ての悪どさも、私なんかの比じゃありません」
五人、嫌な気分。
沼田「極悪非道ってのは、ああいう奴のことを言うんでしょうな。御承知の通り、ローンズランドチェーンは、青竜会の直営ですから、金権尊重、人権軽視で迫ってきますからね」
妙子「も、やめてッ」
山村「また、めまいしてきた︙︙」
畑中「いっそ集団自殺でもしますか、え? ヘッヘヘ」
沼田「気の弱いこと言っちゃダメ。団結することです。今回を機会に、みなさんが横につながって助け合うんです。辛いのは俺だけじゃないッて気持でね。私も親しい友人として、できるだけのアドバイスはさせてもらいますよ。まァ、死ぬとか、逃げるとか、踏み倒すとか、そういう消極策は考えない方が利口でしょう。やはり、一日も早く、一円でも多く、負債を減らしていくことを考えるベきです」
沼田の熱弁の途中から、一同の隣りのテーブルに、白塗りの役者が二人と興業師らしい男が坐って、みんなの気はそっちにとられる。役者用の浴衣がけに羽二重をした、女形(市太郎)と、女優(常子)。興業師は政吉。
政吉「そこ、掛けな」
怖れ入ってかしこまる役者の地姿が一同には、めずらしい。
沼田のベラベラ喋りと、政吉の怒鳴り声が重なって、一同の気はすっかり隣りへ傾いてしまう。
沼田「でも、みなさん、私、長いことみなさん方の仕事なり生活なりを拝見してきてね、率直なところ、これじゃ駄目だと思いましたね。いまのままじゃ、百年かかったって借金は返せません。返せないだけじゃないね。負債は増える一方だ。借金はかさむ。取り立てはますます厳しくなる。どうします? だから、根本的に、生き方から変えていかなきゃダーメだと言ってるわけで︙︙(政吉の声に押されて、次第に、力を失い、遂には、黙ってしまう)︙︙」
政吉は、市太郎と常子に怒っている。
政吉「あんたら、この年寄りを殺す気かい。もう一、二時間で幕が上がろうッて段になって、座員にドロンされましたんで、芝居の方は出来ません。歌と踊りだけで勘弁して下さい? 世の中、通る話と通らない話があるんじゃないのかい。これじゃァ詐欺だ、イカサマだッ」
晴美「(来て)御注文は?」
政吉「いらねェッ(と怒鳴る)」
退散する晴美。
政吉「台湾ショーの入国が一日遅れたから、あんたらには、その穴埋めできてもらった。そいだからこそ三十万ッて破格のギャラ払ったんだ」
市太郎「そのギャラも持ち逃げされたんです」
政吉「知ったことかッ」
常子「お金はなんとしてもお返しします」
政吉「銭金で済む話じゃねェでしょう。興業師ッてのはね、仁義と信用でもってるんだ。興業師がこの二つを失ったらこの世界じゃ生きちゃいけねェんだよッ」
隣りの人々は、もう自分らの会話も止めて、聞いてないフリをしながら息を呑んでいる。
政吉「花村月之丞一座が十年ぶりに旗上げする。嬉しい話だ。こっちもホテル側に御祝儀をはずんでもらい、片迎えが並のところを両迎えにして、大口の団体さん呼んで、さァ、幕を開けましょうか、となったらこうだ。いくら、劇団にドロンはつきものだッたって、五人も六人もいっぺんにドロンなんて話は、ついぞ聞いたことがないよ」
市太郎「ひとり悪い頭取が転がりこんできましてね、こいつが連れてきた連中で、みんなグルだったんですね」
政吉「下らん言い訳なンか聞きたくねェよ、いまさらッ」
市太郎「ハイ︙︙」
政吉「契約通り芝居は打ってもらいます。二人きりなら、二人でやれる芝居をやってもらおうじゃないか。芝居ができないとなりゃ契約違反だ。そんなことしたら、あんた方、関東一円の舞台にはこんりんざい立てなくなるから、その覚悟でいるこった。まったく、俺の顔もまる潰れだ。とにかく、二時間後には幕を上げるからね。頼みましたよッ」
言い放って席を蹴る政吉。
くしゅんと残される二人の役者。
他人の悲劇は蜜の味、どうでるかと横目でかたずを呑む債務者連中。
隣りの好奇の視線には、まるで気づかぬ風に、ぼそぼそと語り合う常子と市太郎。
常子「ごめんね、市ちゃん、私がふがいないばっかりに︙︙」
市太郎「お嬢のせいじゃありません」
常子「ね、どうしよう︙︙」
市太郎「いまさら逃げだすわけにもいきませんしねェ」
常子「二人でできる芝居ッてなんかある?」
市太郎「道具は長屋がいっぱいきりでしょう︙︙せめて、もう一人いりゃなァ」
常子「金貸し金兵衛がいりゃいいのよ」
市太郎「そう、金貸しの役さえいれば、なんとか恰好つくんだがなァ︙︙」
隣人たちの視線がチラチラと、いじわるっぽく沼田を見る。
健次「(沼田を足で蹴って)金貸しだって、ホラ、金貸しさん」
沼田「よせよ」
久保「(ニタニタと小声で)ここに本物の金貸しがいますよォ、ケッケ」
妙子「お手伝いしましょうかァ︙︙なんちゃって(ふくみ笑い)」
隣人たちのざわめきに、常子、市太郎も気づいて、艶っぽく会釈する。
常子「どうも、おやかましゅう」
畑中「いえ、いえ、気にしない、気にしない︙︙」
健次「(尚も沼田の足を蹴って)ホラ、金貸しさん、出てやったらァ」
沼田「また、松永さん、嫌だなァ」
常子、市太郎の視線が、じわっと沼田に注がれる。
常子「あのォ︙︙」
沼田「ハイ?」
市太郎「失礼ですけど、芝居関係のかたですか?」
沼田「え? とんでもないッ」
健次「(指差して)金貸しですよ、本物。この人、本物」
畑中「出演してやったら」
久保「人助け、人助け」
山村「地のままでいけるかな」
沼田「金貸しはもうやめたんですから、ひやかさないで下さいよ」
妙子「(常子たちに)済みません。すこしお酒がはいってるもんですから」
畑中「(グラスを市太郎に差しだして)そっちも、どう、一杯」
市太郎「はい︙︙ありがとうございます」
畑中「遠慮しないでサ」
市太郎「そうですか︙︙じゃ、折角ですから、一杯だけ(と、受ける)」
沼田「(常子に)そちらも、如何です(と、グラスを差し出す)」
常子「頂戴します(と、沼田のビールを受ける)」
沼田「花村月之丞さん?」
常子「はい。どうして、私の名を︙︙」
沼田「いえ、エレベーターんとこのポスターみて」
久保「それに、さっきの野郎がね」
山村「あれは、なんですか?」
畑中「興業師だよ」
沼田「聞く気はなかったんだが、なんとなく、聞こえてきちゃってねェ。あんたらも大変だァ」
常子「御不快でございましたでしょう。折角、おくつろぎのところをお騒がせしちゃって︙︙」
「イエイエ」と一同。
久保「しかし、ずい分ひどいこと言われてましたねェ」
畑中「沼田さんの取り立ては、もっとひどかったけど」
沼田「また、また、すぐ︙︙」
健次「でも、興業師の言ってることは筋が通ってたよ」
常子「そうなんです。悪いのは、こっちなんです」
ビールのグラスを手に持ったまま、呑むきっかけを失っている二人の役者に、
妙子「ビール、どうぞ」
二人「はいッ」
常子「(乾杯の恰好で)では、いただきます」
一同も、常子と市太郎につられて、意味なく乾杯の恰好をして、呑む。
常子「(呑みほしたところで、ウッと鳴咽をこらえる仕草)︙︙」
市太郎「お嬢、役者がひとさまのまえで泣いちゃいけませんぜ」
常子「(気丈にもち直し)判ってる。悲しいんじゃないのよ。みなさまの御親切が身にしみて、つい︙︙」
一同、悪い気はしない。
健次「(ニヤニヤと)親切ついでにやってやりゃいいじゃない、沼田さん」
沼田「芝居を? 冗談よして下さい。学芸会もやったことないのに、やれるわけないでしょう。久保さん、あんたなんかカラオケで毎晩歌ってる人だから、舞台慣れしてるでしょう。どうです、こちらさんのお手伝いしてあげたら」
久保「歌うだけなら、まァねェ。芝居はダメですよ。台詞ッてのが憶えられないもん」
市太郎「私らの芝居には、台詞なんてないんですよ」
久保「台詞がない?」
常子「決められた台詞がね。自分たちの思い思いのこと、勝手に喋ればそれでいいわけなんです」
市太郎「一応の筋にのっかってね。簡単は簡単です。(久保に)そうですか、歌がお得意で」
久保「ま、素人のおあそびょ」
市太郎「おハコは?」
久保「ムッチーからマッチまでひと通りやるけど、まァ、演歌が多いね」
常子「(沼田に)金貸し、とおっしゃいますと︙︙、銀行関係かなにかの」
沼田「サラ金やってたのよ。も、廃業したけど」
常子「じゃ、取り立てなんか、かなり︙︙」
畑中「そりゃ、きついもんでしたよ」
山村「ぼくなんか心身症にかかっちゃった」
健次「やり口がえげつなくてねェ」
妙子「こうして一緒にビールなんか呑んでるのが嘘みたい」
沼田「(小さく)ごもっともで」
常子「私たちのお芝居もね、病気で伏せってる役者夫婦のところへ、強欲な金貸しが取り立てにくるッて話なの」
健次「もう、彼(沼田)、ピッタリ」
市太郎「宴会の座興かなんかのおつもりで、気軽なお気持で、ひとつ、どうでしょう、チョイト、つき合って頂けないでしょうか」
沼田「えッ? えッ? 真面目に言ってるのォ」
常子「いつも取り立てに行ってらしたんでしょう?」
沼田「そりゃ本業でしたから」
常子「本業のままでやって下さりゃオッケイなんです。取り立ての口調も、なにもかも、地のままでやってもらえれば」
沼田「そう言われても︙︙」
畑中「やる、やる」
久保「もう決まりッ(拍手)」
一同、拍手。
沼田「テヘッ、ちょっと待って下さいよ」
常子「お願いします。命を助けると思って︙︙」
健次「ここまで頼まれて引き下ったら、男じゃないね」
妙子「やって上げて、沼田さん」
山村「彼は、やるよ」
沼田「(決心)︙︙判りました。みなさんがそこまでおっしゃるなら、ひとつ、サンシャインビルからとび下りたつもりでやってみようじゃありませんか」
ワーイとひやかし半分の拍手の歓声。
沼田「みなさんの魂胆は判ってるんだ。私をさらし者ンにして楽しもうッて腹でしょう。いいですとも。みなさんに楽しんで頂けるなら、芝居でも踊りでもやってやろうじゃありませんか」
畑中「その意気!」
山村「へェ、やるの」
健次「(せせら笑って)ばっかだねェ」
沼田「役者じゃないんだから、ハチャメチャやるよ。いいんだね」
常子・市太郎「はいッ」
沼田「俺が、お二人さんに貸してある金額は?」
市太郎「五十両ッてあたりで」
沼田「なンだ、時代劇?」
山村「ますます面白いねェ」
畑中「話の終りは決まってるの?」
市太郎「終りだけは、決まってます」
妙子「どんな結末?」
沼田「俺が取り立てたら、それでおしまいじゃないの?」
「それじゃつまらない」と、口々に不満の声があがる。
常子「そこはやはり勧善懲悪劇という形で、悪い金貸しがやっつけられないと、お客様は満足しないんです」
久保「そりゃそう」
沼田「しかし、誰にやっつけられるの」
市太郎「三人だけだと、そこがねェ︙︙」
常子「本筋から言うと、もう一人、金貸しをやっつける講釈師の竜斉という人物が登場することになってんだけど︙︙」
市太郎「最後、金貸しをブン殴って追っぱらう、正義の味方ッて役なんですがねェ︙︙」
沼田「え、俺、ブン殴られるの︙︙」
常子「はっきり言って、悪役ですから」
沼田「やだねェ」
畑中「本当にブン殴っていいなら、俺やろうかな」
常子「やって頂けますッ?」
畑中「冗談だよ」
久保「僕には︙︙無理だろうな」
沼田「おい、そんなに俺を殴りたいのか」
市太郎「(久保に)お兄ィさんは、女形が合うわ、品がある、端正な顔立ちだもの︙︙(と、見とれる)」
久保「(テレる)︙︙女形なンて、そんな︙︙」
常子「雀のお松の役。これね、立ってるだけでいいんです。ひやかしに、やってみません?」
山村「立ってるだけなら、やってみれば」
久保「そお?︙︙沼田さんがやるんだったら」
沼田「俺はやるよ。畑中さんもやってみようよ」
畑中「久保さん、ホント、やる気?」
久保「旅の恥はかき捨て」
山村「畑中さん、やってごらんよ」
畑中「ヨーシ、みんなを代表して、沼田の旦那をブン殴るか」
常子「これでいけるわッ」
市太郎「ザッと稽古をやってみましょう」
沼田「エライ事になっちゃったな、こりゃァ」
常子「それじゃ、早速、舞台の方で」
山村「(健次に)見物、行きましょうヨ」
健次「みんな、ばかだよ」
一同、ぞろぞろと席を立つ。
五人のうしろにつづく常子と市太郎。
二人の間に割りこんでくる沼田。
左手と右手で、二人と後手に握手する。
●小劇場
旧館二階の小劇場。
ガランとした舞台の上で、稽古をしている常子、市太郎、沼田、久保の五人。
畳敷の客席で、ニヤニヤしながら見物している健次、山村、妙子の三人。
主に市太郎が、筋のはこび、演技の指導をしていく。
市太郎「此所
常子「私は、女房のお菊(市太郎の枕辺に坐る)」
市太郎「そこへ、同じ長屋の住人、講釈師の南玉が見舞いに来てます」
畑中「竜斉ッて名前じゃないの?」
市太郎「どっちでもいいですから、それと、雀のお松さん、これ、新内の師匠ですから、色っぽくね。そこ土間に、二人立って下さい︙︙」
畑中と久保、言われるままに、ボケッと立つ。見物の健次たちに手を振る久保の仕草は学芸会で喜ぶ小学生並。
沼田「俺は?」
市太郎「金貸し金兵衛の出は、もっとあとですから、そでに引っ込んでて」
沼田、下手の花道に立つ。
市太郎「ハイ、これで幕が開きます」
常子「あッ、肝心な役が抜けてるわ、一心太助」
市太郎「判ってるけど、演る人間がいないんだから。あの役だけは、誰でもいいッてわけにはいかないでしょう。チャキチャキの江戸ッ子で、粋でいなせないい男でなきゃつとまんない役だもの」
常子「(客席の方に)あちらのお兄ィさん、ピッタリなんだけどなァ」
ギクッと身構える、健次と山村(それぞれ自分だと思っている)。
市太郎「(調子を合わせて)あ、なるほど、あの兄ィさんなら、立っててもらうだけで、絵になるわァ」
常子「いかがでしょう(と呼びかける)」
手を振る健次と山村。
常子「そこの、小ぶりのお兄ィさん」
山村「!(自分を指す)」
常子「ええ、あなた︙︙」
沼田「山村さんだ」
市太郎「山村のお兄ィさん、立ってて下さるだけでいいから、ちょっと、こちらへ上って下さいよ(と、手招く)」
山村「ええ︙︙立ってるだけでいいの?」
妙子「いってらっしゃいよ」
山村、苦笑しながら舞台へ上がる。
健次、不快。
市太郎「一心太助、御存知でしょう? 魚屋の」
山村「中村錦之助の映画を観たことがあります。あれは︙︙昭和三十三年、江戸の名物男、一心太助という映画でした」
市太郎「それ、それ、それ思い出してやって下さい」
山村「此所は、太助の長屋ですか」
常子「そうよ」
山村「では、お仲がいなきゃ、おかしい。太助には、お仲という女房がいるんだ」
常子「あ、お仲ちゃんねェ」
久保「(小声で)たいした記憶だ」
畑中「コンピューターだもん」
沼田「(妙子に)奥さん、太助の女房、やってみませんか」
妙子「私、ダメ」
畑中「そんなこと言わないで、奥さん(と手招く)」
久保「大丈夫、ぼくらがやってるんだから(と手招く)」
妙子「いやだァ︙︙(と迷う)」
市太郎「これも、立ってるだけの役ですから」
山村「お願いします。奥さん」
妙子「いやだわァ。どうして、私まで︙︙(と、言いながらズルズルと舞台に上がる)」
健次が、ポツンと独り取り残される。
健次「︙︙(嘲笑が消えていく)」
市太郎「お仲さんは、太助さんの傍に寄り添って、ハイ、結構です。幕が上がりました。私は布団の上で半身を起こしています。みなさん、見舞いにきている。そこで南玉の旦那、一言、粂さん体の具合いはどうだい」
畑中「俺が言うの? なンて?」
久保「桑さん、体の具合いはどうだい」
市太郎「あ、お松さん、その調子で、そっちが言って下さい」
久保「(ややその気で)粂さん、体の具合いはどうだい︙︙(テレる)」
市太郎「(大芝居で)おかげさまをもちまして、今日は、枕があがったようにござりまする。これ、女房、みなさま方に粗茶など差し上げてはくれまいか」
常子「(同じトーンで受けて)あい、かしこまってござりまする。これはこれは、ようこそおいで下されました。どうぞ、お上がり下さいませ」
市太郎「と、まァ、こういう調子でいきますから、みなさん、上って︙︙坐って下さい」
畑中、久保、山村、妙子、ひとかたまりになって坐る。
常子「上がるより、土間に掛けてもらった方が、動きやすくない?」
市太郎「そうね。じゃ、みなさん、そこが土間のつもりで、横に並んで坐って下さい」
四人、言われるままに動く。
健次「(独言)︙︙大丈夫かね」
市太郎「そいで、みなさん、私たち夫婦がいたわり合ってるの眺めながら、それぞれ勝手に、私たちのことを誉めて下さい」
常子「よく出来た女将
市太郎「もう、でまかせで。いい夫婦だねェ、とか」
四人、口々に、呟やき合う。
「よくできたカミさんだねェ」「いい夫婦だねェ」
市太郎「早く舞台が踏めるようになるといいわねェ︙︙と、お松さん」
久保「早く舞台が踏めるといいわねェ」
市太郎「この病いさえ治ったら、晴れの歌舞伎座の檜舞台に、きっと錦を飾りまするゥ︙︙」
常子「お師匠さん、御注文の着物が縫い上がりました。どうぞ、お納め下さいまし。と言って、お松さん、着物を渡しますから、受け取って下さい(と、渡すフリ)」
久保「はい︙︙(受け取るフリ)」
市太郎「そこへ、鳴り物入りで、花道から、金貸し金兵衛が登場します。沼田さん、どうぞ(口囃子で)チャカチャン、チャカチャン、チャカチャカチャン」
沼田、因業爺になりきった体で、舞台にやってくる。とてもにわかとは思えない。
沼田「おお、ごめんよ。ガラガラと戸を開けた。(四人を見て)あッ、みんな揃ってやがるな。こいつァ、好都合だ」
畑中「うまいもんだねェ」
市太郎「感心してないで、みんな、あッ、金兵衛がきた! 四人共、金兵衛に金借りてますから、逃げろ」
久保「逃げろ」
市太郎「逃げられないで、立往生」
沼田「逃がすものか。丁度いいや。︙︙証文出しましょうか、みんなの」
常子「そうね、はっきりするわね」
沼田「懐中から四人の証文出して︙︙ホラ、畑中さんにゃ七十万円︙︙久保さんには六十五万︙︙」
四人、嫌な気分︙︙。
市太郎「沼田さん︙︙これは、芝居ですから役名で︙︙」
沼田「あッ、そうですね。エート、一心太助ンとこは女房の借金も合わせて百二十両。粂之丞が五十両。今日という今日は、利息分なりもらっていくからそう思え」
常子「上手いわッ」
山村「やるねェ」
沼田「テヘッ、サマになってます?」
市太郎「なり過ぎて気持悪いくらい」
久保「現実と重なって足が竦むよ」
山村「あっち(客席)へ逃げ出したくなるね」
沼田「本当に逃げないで下さいよ。芝居なンだから」
市太郎「その調子で金兵衛さん、お松の持ってる着物に目をつけて」
沼田「おッ、いい着物もってるじゃねェか」
市太郎「百両のカタにも網笠一貫」
沼田「百両のカタにも網笠一貫。利息代りにもらっといてやるぜ。と、ぶんどるんですね(と、久保から着物を取り上げるフリ)」
市太郎「(久保に)後生ですから、これだけは勘弁して下さい」
久保「後生ですから、これだけは勘弁して下さい」
市太郎「この着物は明日の七五三のお祝いを楽しみに待っているわが子の晴れ着」
久保「新内の師匠に、子供がいるんですか?」
市太郎「子供の晴れ着だと言った方が、客の同情を呼びますから」
沼田「ハイ、しかし、どう泣き事言われてもこっちは動じない。着物はもらった」
畑中「待てこの野郎、手前ェ、それでも人間か。一発ブッとばしてやるッ(と、いきなり沼田の衿首摑んでこぶしを振り上げる)」
市太郎「(慌ててとめて)まだ早いのッ。南玉が金兵衛を殴るのは、もっと、あと、あと︙︙」
畑中「まだなの︙︙」
常子「本当は、此処で堀部安兵衛の登場なのよ」
沼田「高田馬場の堀部安兵衛? あの四十七士の安兵衛が、この長屋にいるの?」
市太郎「実は、いるんですよ、まだ有名になるまえの安兵衛が︙︙」
常子「安兵衛抜きでやろ、仕様がないワ」
そのとき、客席から、咳払い。
咳払いは健次。
一同、健次を見る。
健次「︙︙何?」
沼田「︙︙こっち(手招く)」
健次「なんでよ」
沼田「いいから、こっちへ」
久保「おいでよ」
健次「なんだよ(と、渋々の体で舞台に上ってくる)」
沼田「ひとりでなんにもしないでいるのも、つまんないでしょう?」
常子「観てるより、やった方が楽しいですよ」
市太郎「芝居ッてな、利口者がやり、バカが観るもんッて言葉もありますから」
妙子「安兵衛なんて、カッコいいじゃない」
健次「だれも、やりたかないとは言ってないけどサ」
常子「ヨシ、安兵衛決まり」
市太郎「安兵衛さん、こっちから来て下さい(と、健次を下手に立たせ)ここに、玄関口が立ちますから。台詞で、おい、待ちな!」
〈おい、待ちな〉
と健次の代りに、客席のうしろから政吉の声。一同⁈
政吉、舞台の上の八人を眺めて、
政吉「こりゃ、どういうこったい」
市太郎「ごらんの通り、総勢八人の花村月之丞一座の舞台稽古ですよ」
ホテルの浴衣姿もだらしない、モヤーッと勢揃いの五人。サマにもなにもならぬ眺め。
政吉「ホテルの浴衣なんか着て、そいつァ、素人衆じゃないんですかい」
常子「政吉さん。今夜の舞台に穴をあけりゃ、あんただって顔がつぶれる。ここはお互い、協力し合うのが利口じゃないでしょうかね」
政吉「(得心)︙︙成程、判った」
市太郎「それじゃ、定刻通り」
政吉「幕は上げますぜ」
チョンと柝が入って――
●大劇場の楽屋(夜)
化粧と着付けの段取りになっている。
既に、羽二重、鬢
連中を横一列に並べ、流れ作業で仕上げていっている常子、市太郎、政吉。
常子「お客さんは?」
政吉「もう入ってる」
久保「(気分はもう女形)稽古した場所でやるんじゃないの?」
市太郎「あんなチャチな所でできますかッて。此所が本舞台ですよ。ハイ、一丁上がり」
常子「着付けは、こっちよ」
久保に着物を着せる常子。
妙子は自分で、どうにか着ている。
政吉の化粧法は、昔ながらの己れの唾をペッと掌に吐いてそれで紅をとかし、指で描いていく手法だから、やられる側の健次などは気持が悪いが、おだてられるから文句も言えない。
政吉「(健次に)あんたの顔は、化粧栄えする顔だねェ」
健次「そうですか︙︙(鏡をチラリ)」
政吉「舞台顔だよ、いいねェ、肌が若いから、のりのいいこと(唾をペッ)」
姿見で、変身していく自分の立姿に、うっとり見とれる久保。
各人各様の変身ぶりが、あわただしく進行する中に――
支配人「(来て)そろそろ時間ですから、よろしくお願いします」
●舞台(夜)
開幕前の舞台に、市太郎、常子、畑中、健次、妙子、山村、久保らがきて、長屋のセットの位置にそれぞれが市太郎の指示で板付きとなる。
すっかり悪相にメーキャップされた沼田は下手で控える。
場内アナウンスが始まる。
アナウンス「(メモを見ながら)たいへん長らくお待たせを致しました。これより、花村月之丞一座によります江戸芝居、金貸し殺し長屋八犬伝一幕を上演致します。配役は、役者市川粂之丞一役、竹沢市太郎」
市太郎、布団の上で構える。
アナウンス「(声)女房のお菊一役、座長、花村月之丞」
常子の顔。
アナウンス「(声)講釈師南玉一役、中村京四郎」
畑中「(興奮)中村京四郎︙︙」
アナウンス「(声)雀のお松一役、坂東玉二郎」
久保「(うっとり)坂東玉二郎︙︙」
アナウンス「(声)一心太助一役、尾上松之助」
山村「!」
アナウンス「(声)その女房お仲一役、芳沢みなと」
妙子「みなと︙︙」
アナウンス「(声)堀部安兵衛一役、市川染太郎」
健次「!(武者ぶるい)」
アナウンス「(声)金貸し金兵衛一役、嵐熊吉」
沼田「熊吉?︙︙(不快)」
アナウンス「(声)その他オールキャストをもちましてお送りいたします。最後までごゆっくり御覧下さい(下座音楽のテープを押す)」
政吉が、沼田の背後に立って、
政吉「(にんまりと)やりましたね。千両役者」
沼田「(にんまり)あんたも、なかなかの役者だよ」
政吉「さァて、開けるか」
と、緞帳のボタンを押す。
一同、緊張。
にぎやかなオープニングの音楽にのって、緞帳がゆっくりと上がっていく。
役者たちの目前に、大拍手と共に、そこに現われるのは、劇場いっぱいの観客、ザッと千人!
ド肝を抜かれる、にわか役者たち。
沼田「(唖然)⁉」
台詞もなにも吹きとんで立ち竦む長屋の住人たちに、病いの床の市太郎から、
市太郎「これはこれは長屋のみなさま、本日はお揃いで、ようこそお越し下されました」
と、スタートする。
以下、キマリ通りに運び出す。
●フロント(夜)
電話を受けている支配人。
支配人「(電話)どなたをお呼び出しで? 沼田薫さま?」
●東京街路の公衆電話口(夜)
両手にバッグを持ったよし江が必死に叫んでいる。
よし江「(電話)そっちに花村月之丞一座ッていうのが来てるでしょう。そこの役者を︙︙やってる筈なんだけど」
●ホテル・舞台(夜)
粂之丞とお菊を相手に、借金払うか、女房を渡すかと責めている金兵衛の沼田。
下手ソデに――支配人が来て、
支配人「沼田って役者いる?」
政吉「(舞台を差して)あすこにいるよ」
支配人「電話がはいってんだが」
政吉「もう、引っ込んでくるだろ」
●東京・公衆電話口(夜)
10円玉をドンドン流し込んで待っている、よし江。
●ホテル・舞台ソデ(夜)
悪タレついて引き上げてくる沼田の金兵衛。
政吉「(労をねぎらう)やァ、リッパ、立派。さすがイヤガラセが堂に入ってる」
沼田「(高揚)水ないかな、水。喉がカラカラだ」
政吉「それより、電話だよ。フロントに」
沼田「デンワァ︙︙」
舞台では、市太郎と常子の大熱演。
●フロント(夜)
金兵衛の沼田がヒョコヒョコとやってくる。
沼田「私に電話ですか?」
支配人「どうぞ(と、受話器を渡す)」
沼田「(電話をとって)モシモシ、沼田ですが︙︙」
電話の声「(よし江)アンタァ! 私ィ」
沼田「(たちまち厭な顔)なんだよォ。仕事中なンだぞ、こっちは」
●東京・公衆電話口(夜)
残り少い十円玉を入れながら、泣きべそで、
よし江「(電話)だって、アパート追い出されちゃったんだもん。あんた、勝手に解約して、敷金もってっちゃったの? 大家がそう言うんだけど︙︙そしたら、私、今夜からどこ泊ったらいいのよォ(十円玉もなくなる)」
●ホテル・フロント(夜)
金兵衛の怒声に支配人もビクリ。
沼田「(電話)やかましいッ。一晩ぐらいどこでもあるだろうが︙︙金がない? もう、地下鉄の通路でも、公園のベンチでも好きなところで寝ろ、このウスノロが。(ブーと警告)切るぞ」
●東京・公衆電話口(夜)
よし江「(電話)待って、あんたァ。明日、どこに帰ってくるのッ。私、どこに行けばいいのよォ(切れる)︙︙」
重い荷物をかかえて、心細気に雑踏へ消えていく、よし江。
●ホテル・舞台(夜)
ソデに沼田が戻ってくる。
政吉「出だよ! 早く、早く」
舞台に押し出されていく金兵衛。
舞台――。
沼田「やい、金はできたかい」
で、始まって――キマリ通り、粂之丞のおおむ返し戦術にひっかかって喧嘩となり、粂之丞は死んだフリ、お菊は気がふれたフリ。そこへ、長屋の住人たちが次次に現われて、金兵衛に口止め料を求める。その中、粂之丞も生き返り、カッとなった金兵衛と長屋の一同の大立廻り――までは、ひとまず段取り通りに運んだが︙︙、各々、金兵衛をやっつける段になって、役を離れ、地金の不満、怒りがとびだす。
殺気立った一同に取り囲まれて、吊し上げの金兵衛。
畑中「そりゃ確かに手前ェから金は借りたさ。しかし取り立てにも、程というものがあるだろう。なにも︙︙うちの子の幼稚園まで押しかけてイヤガラセしなくたって」
健次「だいたい、やり口が卑劣だ。いちいちひとの弱身につけこみやがって、職場には押しかける、車は取り上げる、ふた言めには、婚約者のとこへ押しかけると脅す。なんべん、殺してやろうと思ったことかッ」
山村「僕が心身症型自律神経失調症にかかったのも、元は君の過酷な取り立てのせいだッ」
久保「駅員がカラオケにこってなにが悪いんだッ。大人しくしていればいい気になって、ひとのこと、母親ッ子の甘ったれ人間とか、落ちこぼれの分裂病だとか、言いたい放題言いやがって、手前ェこそ何様だと思ってんだッ」
妙子「みんな甘いわよッ。私なんか、もっとひどいのよ。こいつのねちっこい取り立てのおかげで、主人は自殺したんですッ。それも、すんなり死ねたら、まだ倖せだったのに、自殺未遂のショックで植物人間になっちゃったのよッ。家のローンと眠り病の夫をかかえて、その上、こんな毒虫みたいな取り立て屋につきまとわれて︙︙それでも、生きていかなきゃならないんでしょうかッ」
〈姐チャン! ガンバレ!〉の野次。
妙子「ガンバッテるわ。グズでぶきっちょな私だけれど、精一杯、ガンバッています(弁論大会の口調)」
大拍手!
〈金貸し、やっちまえ!〉
〈殺せェ!〉
さかんな野次や罵声に調子づいて、本気で沼田をこずきまわす五人。
舞台中を本気で逃げまわる沼田に客は大爆笑。
政吉が、急いで、エンディングのテープを掛ける。一同、めちゃくちゃの見得のポーズを極めたところで、あわただしく幕が下りる。
大喝采。
●海岸(夜)
灯台と沖の漁火。
晩春の夜の海辺に、流木の焚火を囲む八つの影。
血の騒ぎと酔いを冷しにきたものの、興奮の渦はなかなか静まりそうもない風情。
市太郎のつま弾くギターも、それぞれが熱い思いを胸に海を眺めるポーズも、なにか、高校時代のキャンプファイヤーっぽいムード。
沼田、市太郎、常子は、素顔と浴衣がけに戻っているが、畑中、久保、山村、妙子、健次たちは、化粧なり、衣装なりに、扮装の名残りを、未練がましく残している。
妙子「まだ胸がドキドキしてる︙︙」
山村「体中の血が騒いでどうも今夜は、眠れそうもないなァ」
畑中「眠るなんて勿体ない。こんな酒のうまい夜は久しぶりだ(茶碗酒をグビリ)」
健次「高校の頃の、文化祭の夜を思い出すなァ。あの時も、みんなで徹夜して、劇の稽古や道具作りをしたんだよなァ」
沼田「なァんだ、やっぱり劇なンかやったんですね」
常子「道理で、サマになってましたもの」
健次「まァ、一応、演劇部員ではあったんだけど」
久保「チッ、それが、一番のってないフリしちゃって」
妙子「ホントは、一番やりたかったくせにネ」
健次「そういうみんなも、結構、上手にやってたじゃないか」
畑中「いやァ、凄い拍手だったよ」
久保「あんなに沢山の人から拍手してもらったの初めて。も、全身が総毛立っちゃった」
妙子「今夜のことは、一生、忘れられそうもないわ」
市太郎が、タイミングよくギターと一緒に、青春ッぽい歌を歌いだす。
みんなも、気分よく、つづく。
海に石を投げたりする者もいる。
沼田、みんなから離れたところに腰を下す。
常子が近づいてくる。
にんまりと目と目を交わす二人。
常子「土蜘蛛さん︙︙これで、みなさん、蜘蛛の糸にかかってくれたかしら?」
沼田「ふっふ、見事にかかった」
常子「あの中の何人が、戻ってくると思う?」
沼田「全員、戻ってくるさ。︙︙見なよ、みんな、まだ未練がましく、衣装つけたり、化粧残したり︙︙なかなか、元の自分に戻りたくないんだろう。奴等、みんな人生の負け犬だ。いままで唯の一度だって、こんな晴れがましい夜は味わったことがなかったろうよ。一度吸ったらこんりんざいやめられない、媚薬をたっぷり吸わせたんだ。︙︙ひとり残らず戻ってくるさ」
市太郎のギターにのせられて、青春抒情歌をコーラスしている、五人のカモたち。
●タイトルバック
テーマ曲始まる――。
キャスト・スタッフ・タイトル。
翌朝のホテル玄関前――
常子、市太郎、政吉らに見送られてマイクロバスに乗りこむ沼田とその一行。
運転手は、きのうと同じアンちゃん。
晴美が色紙をもってきて、畑中に、サインをしてくれと頼む。
テレながら、慣れない手つきで芸名をサインする畑中、嬉しい。
一行を乗せて出発するマイクロバス。
いつまでも手を振る常子、市太郎、政吉――
顔見交わして、ほくそ笑む。
バスの中――
昨日とはうって変った和気あいあいの車内のムード。
房総の海岸線を、一行のバスは、一路、東京へと還って行く。
エンディング――。
新国劇の極付「国定忠治」、第一幕・赤城天神不動の森の場より――峨々
忠治「︙︙鉄」
巖鉄「へい」
忠治「定八」
定八「なんです親分︙︙」
忠治「赤城の山も今夜限り、生れ故郷の国定村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手前ェ達とも、別れ別れになる首途
巖鉄「そういや何だか嫌に寂しい気がしやすぜ」
雁の声。
定八「ああ、雁が鳴いて南の空に飛んでいかァ」
忠治「月も西山に傾くようだ」
巖鉄「俺ァ明日から執方へ行こう︙︙」
忠治「心の向くまま、足の向くまま、当も果てしもねェ旅へ立つのだ」
二人「親分ッ」
笛の音、聞こゆ。
定八「︙︙円蔵兄貴が︙︙」
忠治「彼奴も矢張り、故郷の空が恋しいんだろう」
忠治、一刀を抜いて、溜池の水に洗い刀を月光にかざす(!)
忠治「加賀の国の住人、小松五郎義兼が鍛えた兼物。万年溜の雪水に浄めて、俺にゃあ、生涯、手前という︙︙強え味方があったのだ」
定八、刀を拭う。
忠治、見得が極って――拍子木。
メインタイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●デパートのショーウインドウ
第五話「名月赤城山」
リッチで楽しそうなのはショーウインドウの中のマネキン人形たちばかり――。
書き割りの海や林に、水着の美女やテニスウェアの美男子が不気味な戯笑を湛えている。ウインドウの外は、あくせくとした雑踏。
ショーウインドウに、突如、見すぼらしい女が映る。沼田よし江――不釣り合いなグッチのバッグを握りしめて、いっちょまえにマクドナルドのハンバーガーを頬ばりながら、ウインドウの中の夏のレジャーに見とれる。
マネキンのニカッとした笑顔。
疲れたよし江の顔︙︙真似て、ニカッと作り笑いしてみる。
●パラダイスローンズ・廊下
よし江がくる。チャイムを押して、ストッキングのヨレを引っ張り直す。
ピンポン――インターフォンから馬場の声が返って、
声「だれ?」
よし江「(緊張)ぬッ、沼田です」
声「知らねェよ。帰れッ」
よし江「沼田薫の家内ですよ、馬場さん」
声「用事はなに? 金は貸さんヨ」
よし江「手土産もってきたのに︙︙(タイ焼き)」
ドアが半開きして、昼酒で血走った馬場の目が覗く。
馬場「(よし江とタイ焼きを見て)︙︙」
素早くドアを閉める、が、
よし江「ギャッ!」
なんと、ボロ靴の片足をドアの間にはさめていたらしく︙。
馬場「!(舌打ちしてドアを開ける)慣れたもんだ」
●事務所
タイ焼を肴
よし江が気をきかせてグラスにつぎ足そうとするのを、
馬場「も、いいから、いいから余計なことしてくれなくても(と、ビール瓶を取り上げて)あんたの亭主の行方なんか知っちゃいないんだから、も、帰って、帰って」
よし江「金借りに来たでしょう、此所に一度」
馬場「俺も甘いよなァ。金こそ貸さないが、あいつの泣き落としにコロッと騙されて、こげつき野郎共のリストを貸してやったんだ」
よし江「そうですよ、そのこげつき連中と白浜に出掛けたっきり行方が判んなくなったんです」
馬場「(怒鳴る)知るかッ、あいつが生きようと死のうと。変死体置場にゃ行ってみたかい」
よし江「え?」
馬場「消されちゃったんじゃないの?」
よし江「だれにですか? 青竜会の国分さんにですか?」
馬場「そお」
よし江「(泣きべそ)国分さんがうちの良人
馬場「二千万の取り立て?」
よし江「そおッ︙︙知ってたんですか?」
馬場「あのネ、俺が渋谷の支店長の座をおろされて、こういうザマになったのは、アンタ、国分さんに、あんたのバカ亭主を紹介したお陰じゃないのサ、とぼけんじゃないよ、女房のくせに」
よし江「スミマセン︙︙」
馬場「だいたいが無理な話だよな。敵はドサ廻り役者と三十
よし江「殺
馬場「かどわかされる玉か」
よし江「ホントですよ。借金返しのために芝居の一座をこしらえるんだとかなんとか、二人がかりでうまいこと並べて、うちの良人
馬場「も、知らん、知らん! 聞きたくないッ、なにもッ」
よし江「︙︙」
馬場「別れりゃいいじゃんか。ガキもいねェんだし、その気になれば簡単でしょうが。この俺でさえ、二度目の女房にこないだ逃げられて、目下、募集中ヨ。なんで逃げないの? あいつも国分に睨まれちゃおしまいだよ。くっついてたってロクなこたないんだから。別れちまいな」
よし江「︙︙(一礼して、ドアへ向かう)」
馬場「待ちな。一杯どうだい(と、グラスを向ける)」
よし江「(ドアに手をかけて)あの︙︙あたし、いま、下北沢の鈴なり横丁の二階の倉庫で、倉庫番やっていますから︙︙もし、うちの良人から連絡でもあったら、あたしの居場所を」
馬場「うるせェ!(と、差しだしていたグラスを床に叩きつける)帰れッ。うちの良人、うちの良人ッて︙︙うちの良人の迷惑料に、手前ェ、沼津のパンマに叩き売ってやろうかッ」
よし江、退散。
馬場「(走り去る足音を聞きながら虚ろに)︙︙俺は、おまえらみたいなゴミとは違うんだ。日大応援部の馬場といやァ、ちょっとは聞こえた名前だったんだッ。一緒くたにするな︙︙︙(と、唇を噛みしめる)」
●表路地
よし江、ドアにはさめた脚をひきずりながら歩き去る。
●郵便局・年金の窓口
政吉に沼田がくっついてきている。
沼田「俺もネ、この窓口は結構、馴染みなんだヨ」
政吉「まだ年金の厄介になる歳でもねェでしょうに、どうして、兄ィさんが?」
窓口嬢「清水政吉さん」
政吉「ヘイ、ヘイ」
窓口嬢「老齢年金、前期分です。ちゃんと数えて下さい(と渡す)」
政吉「ヘイ︙︙(指に唾つけてわずかなものを数える)ヒィ、フゥ、ミィ︙︙」
沼田「(横目で見ながら)サラ金の客にゃ年金暮しの年寄りも多くてね。年寄り独特のあつかましさがあるでしょう? 急に耳が聞こえなくなったりしてサ。そんな野郎の胸ぐらつかんで、ここまでついてくるわけヨ」
政吉「で、トンビが油揚げさらうみてェに、横からかっさらっていくのかい」
沼田「そ、こっちはワリと平気ヨ、事務的に」
政吉「余生いくらもねェ年寄りの命の綱を、よくもまァ平気で」
沼田「金のためなら、大抵のことは平気だねェ」
政吉「(年金袋を懐中にしまって)せいぜいあこぎに生きて、針の山へ行くがいいサ。(窓口嬢に)どうも、お世話さんでございました」
窓口嬢「落とさないようにね」
政吉「ヘイ」
沼田「案内してきてやったんだから、約束通り、昼飯代、爺さんもつんだぜ」
出ていく、二人。
●大衆食堂
昼定食を喰い終って、ひと心地の常子、市太郎、政吉に沼田。
常子が食後の一服をくわえると、脇から、市太郎がすかさず火をつける。
はや、座長気取りで、
常子「お茶、欲しいわね」
政吉「姐チャン! お茶お代りッ」
〈ハーイ〉と店員、茶を運ぶ。
常子「(鼻から煙だし)でもさ、群馬の田舎の納屋ン中に駒形茂兵衛の衣装や与三郎のカツラが、一緒くたにまるめてあるのを見たときには、涙がでたわ。情なさ半分と、あの強欲な親戚がよくまァ売らないでとっててくれたッて嬉しさ半分よねェ」
政吉「私も一座解散ンときの形見分けにもらった小松五郎義兼と爺々、婆々のカツラ、手離さねェでよかったァとしみじみ思いましたぜ」
市太郎「売りたくても売れないんですよね、ああいうの。質屋でも預かんないしね」
政吉「(ムッと)俺は売れなくてとってたんじゃねェぜ。いざ鎌倉ッて時のために、いつでもお役に立てるように大事に保存してたンだ」
市太郎「(面倒)だれも政吉さんのこと言ってんじゃないンだから。も、すぐムキになって」
常子「長屋の道具は梅沢の座長さんから譲ってもらったのをあのまま使うことにして、これで白浜のメンバーが揃えば、一応の恰好はつくんじゃないの? ねェ。十条の小屋はいつあけてくれるって?」
市太郎「そのまえに、一応、出し物を見せてくれってことなんですヨ」
常子「あら、花村一座が旗上げしようっていうのに信用がないのね」
市太郎「いえ、小屋主さんは大乗りですヨ。モノがよきゃ、来月予定のもんと差し代えてもいいッて」
政吉「分は?」
市太郎「ご祝儀で、折半にしてやろうッて」
政吉「いまどき折半なンて常識だナ。祝儀代りなら、せめて四分六と言ってくんなくちゃ」
常子「欲は言えないわ。花村一座といっても看板だけ、玄人はこの(自分と市太郎と政吉)三人きり、あとは寄せ集めのド素人ばかりだもの」
沼田、のけ者にされて笑みが消える。
市太郎「(沼田に)熊吉ッつぁん、あいつら、本当に集まってくるでしょうね」
沼田「熊吉ッて誰のこったい」
市太郎「自分の芸名、忘れちゃいけませんよ。白浜の公演以来沼田の兄ィさんの芸名は、嵐熊吉ッて決まったんだから」
沼田「決まったって、だれが決めたんだい」
常子「私が決めたのよ、熊ちゃん」
沼田「気にいらねェな。その芸名」
市太郎「素人衆はこれだ」
沼田「なんだよ︙︙手前ェら、月之丞とか、市太郎とか、カッコつけて、ほかの連中のも、玉二郎とか染太郎とかカッコイイ名前つけて、なンで、俺だけ嵐熊吉なンだよ。俺は、こだわるなァ。白浜ンときは、一回きりだと思って我慢したんだ。これから先つづける名前だったら俺はいやだなァ」
政吉「兄ィさん(と、肩をたたき)そりゃ、通らねェ」
市太郎「座長がいったん命名した名前だもの。しかも、その名前でまがりなりにも白浜で初舞台踏んでいるんだから、その名前をやめる時は、一座をやめる時だよ」
沼田「どうして、手前ェの気に入った芸名つけちゃいけねェんだよォ」
政吉「言ってるでしょう。座長があんたに下すった芸名だからですヨ」
沼田「ほお、座長ッてな、そんなに偉いのかい」
嘲笑をうかべて顔を見交わす市太郎、常子、政吉。
政吉「(さとすように)あァたねェ」
常子「いいわ、私が言うわ。︙︙熊吉さん(と見据える)」
沼田「(押えながらも)︙︙俺は、沼田だ」
市太郎「クマキチ」
沼田「(大声で)沼田だッ!」
店員やほかの客たちがジロリ。
常子「(押さえて)︙︙この際、はっきりしときましょうよ。座長が兄ィさんにつけた名前、どうしても厭だっていうなら、そんな一座、つくらない方がいいわ。名前ひとつでもめ事起こしているようじゃ、うまくいきっこないもの。一座をつくる気があるなら、座長をテッペンに置いて一から十まで従ってくんなきゃ」
政吉「この世界じゃねェ、座長は殿様。民主主義じゃまとまりがつかねェんだヨ」
沼田「︙︙」
常子「座員の名付け、出し物の選定、役の割り振り、みんな座長が決めて、座員には黙って従ってもらいます。うちの母親もそうしてきたし、私も、母親のやった通りにさせてもらいます」
市太郎「どうしても兄ィさんの思い通りにしたかったら、兄ィさんが座長になるしかないんですヨ。座長になれますか? 無理でしょう?」
沼田「︙︙判ったよ。芝居のこたァ、そっちが玄人だ。何歩でもゆずってやるが、こいつだけは忘れるなよ。あんたらローンズランドの国分さんに二千万ッて借財を背負ってるんだ。俺は、その取り立て屋だ。ほかのこたァいい。唯、一座の金は俺が仕切るぜ。文句はないだろうな」
常子「金銭のことは︙︙熊吉さんに、お任せするわ」
沼田「︙︙いいだろう。こっちゃ、月々決まった金をもらっていけりゃ文句はないんだ。役者なンて、本気でやるつもりなんかねェんだからよ。ヘッ、(政吉に伝票を握らせて)爺さん、俺の分、年金で払っとけよ(と立つ)」
●表
楊枝くわえて出てくる沼田。
沼田「(中天の陽を見上げて)サァテ、そろそろ、迎えにいってやっか」
●沿線の踏切
のどかな初夏の田園風景に、どこからか、カラオケ伴奏のクサイ歌声が流れている。
歌声は、踏切小屋から聞こえている。
小屋の窓から、ヌッと突きだしている裸足の足が、リズムをとっている。
歌声「〽男どころに 男がはれて
意気がとけ合う 赤城山」
不機嫌な顔で踏切を渡っていく近所の主婦たち。
●線路
電車が刻々と踏切に向かっている。
●踏切
遮断機は未だ下りていない。
リズムをとって歌っている踏切小屋の足。
歌声「〽澄んだ夜空の まんまる月に
今宵横笛 誰が吹く」
〈ピーッ!〉
と、鉄路の彼方から電車の警笛。
やっと、窓から足が引っ込み、旗をもった警手の久保が大儀そうにでてきて、遮断機を下ろす。
直進してくる電車。
ピラピラと〈進入〉の旗を振る久保。たいして振らぬ間に、電車はけたたましく通過する。
その間も、なんと、歌いつづけている。
久保「〽渡る雁がね 乱れて啼いて
明日にいずこの ねぐらやら」
踏切小屋に戻る。
●踏切小屋
ステレオ・カセットの伴奏で、身振りよろしく歌いつづける久保。
久保「〽心しみじみ 吹く横笛に
またもさわぐか 夜半の風」
●踏切
下りたままの遮断機。
通行人や車が両サイドにたまっていく。
踏切小屋からは次の股旅演歌「おしどり道中」が始まっている。
歌声「〽堅気育ちも 重なる旅に
いつかはぐれて 無宿者」
小屋を覗く人々。
車のクラクション!
●踏切小屋
久保「〽知らぬ他国の たそがれ時はァ」
すっかり入れ込んで歌っている久保を、抗議の目が覗く。さらに、クラクション!
久保、ようやく気づいて、
久保「(歌いながら操作機を押す)
〽俺も泣きたいことばかりィ」
●踏切
遮断機が上がって、ぶつぶつと文句言いながら踏切を渡る人と車。
運転手「(踏切小屋に)バカヤロー! 何してやんでェ!」
通行人A「いつもこうなのヨ」
通行人B「投書しなきゃ」
●踏切小屋
どこ吹く風の久保。
久保「〽染まぬはなしに 故郷をとんで
娘ざかりを 茶屋ぐらし」
歌いながら、制帽の中から大事そうに取り出して見つめるのは、白浜でもらった大入り袋。
久保「〽茶碗酒なら︙︙︙(窓の外に何かを見つけて)⁈︙︙」
わが目を疑って、外へでる。
カラオケの伴奏だけがつづく。
●踏切
久保、でてきて踏切の向こう側を眩しそうに見つめる。陽炎
久保「月之丞さん︙︙⁈(歓喜して進メの旗を振る)」
「おしどり道中」の伴奏にのって、ゆっくりと踏切を渡ってくる常子。
常子の耳にもカラオケが届いて、ひょいとのっかる。
常子「〽かたちばかりの おしどり姿」
久保も、小躍りしてつづく。
久保「〽ならぶ草鞋
二人、手を取り合って息もピッタリに、
二人「〽浮世あぶれた やくざな旅は
どこで散るやら 果てるやら」
カラオケ・エンディング。
●ホテル・ロワイヤル・フロント
気取って働いているフロントマンの健次。
外人の泊り客がきて、
外人客「Any messages?」
健次「May I ask your name and room number?」
外人客「Henry Walton, Room 527」
健次「(調べて)Here's a letter for you.(と手紙を渡す)」
外人客「Thank you.」
健次「Please sign a receipt for the message.(と、用紙を差し出す)」
外人客がサインする間、無意識に鼻唄を口ずさむ健次。
それも、股旅演歌を。
健次「(演歌ハミング)」
怪訝に顔を上げる外人客〈?〉
振り向くチーフ〈?〉
健次「(ハッと気づいて止める)︙︙Thank you very much Mr. Walton」
客が去るのを待って、チーフが寄ってくる。
チーフ「なにか口ずさんだ?」
健次「(とぼけて)なにかッて?」
チーフ「鼻唄みたいな︙︙」
健次「まさか」
チーフ「聞き間違いだろうな︙︙(離れる)」
健次「︙︙」
女子フロントが電話を下して健次を呼ぶ。
フロント嬢「松永さん、支配人がお呼びです」
健次「ありがとう(去る)」
●支配人室
健次が一礼してくる。
テレビにビデオカセットをセットしている鈴木支配人。
健次「なにか?」
支配人「そこへ掛けて︙︙テレビを観てもらいたいんだ」
健次「テレビを?」
支配人「きのう放送した〝お昼のあなた〟のテレビ人生相談を録画したものなんだが︙︙まァ、掛けて」
健次、不審気に腰掛ける。
ビデオのスイッチを入れる支配人。
ブラウン管に――
老歌手のマントヒヒのような顔が現われる。
老歌手「(東北訛り)それで、あなたネ、その彼氏とは、何年くらいのつき合いだったの?」
スリガラスの相談者は、若い女性。
相談者「五年間デス」
老歌手「いくつで知り合ったの?」
相談者「私デスカ? 十九デシタ」
老歌手「十九から五年間も、婚約者として引きずられて、あれでしょう? その間に子供も堕したんでしょう。それでいまになって、自分は社長の令嬢と結婚するから、婚約は解消だというのは、その男も、ちょっくら虫がよすぎるんではねェの?」
次いで、映画監督のブルドッグのような顔が現われて、
監督「ズバリ訊くけど、あなた、男は彼が初めてだったのネ?」
相談者「オトコ?」
監督「処女だったのネ」
相談者「ア、ハイ、ハイ」
監督「野郎がのり代えちゃった社長令嬢というのは、あなたや野郎が勤務しているホテルLの、社長のお嬢さんなわけね」
相談者「ハイ︙︙」
テレビを凝視する健次と上司。
監督「許せないなァ、こういう男は。こんな卑劣漢をフロントマネージャーにしているホテルも許せないなァ、僕は。ホテルLなんて曖昧にしていないで、ハッキリ公表しちゃおうよ。僕ァ、言っちゃうヨ。いいよね、ホテル・ロワイヤル! ハッキリさした方がいいんだ。社長も令嬢も奴と共犯だよ。社会的な制裁をうけた方がいいんだ。こういう欺瞞的なホテルは」
健次、蒼白。
司会者「法律的な立場からは如何でしょう、弁護士の古木先生」
弁護士「そうですね。このような婚約の不当破棄に対しては、慰謝料というような形で損害の賠償を請求できるわけなんですが︙︙相談者の方、彼から、手切金のようなものをもらいました?」
相談者「︙︙ハイ」
弁護士「いくらぐらい?」
相談者「オ金ノ問題ジャナインデスヨネ」
老歌手「そうですヨ。愛情の問題ですヨ」
弁護士「とはいえね、あなたの場合には、十九歳から五年間、言ってみれば花の盛りを彼のために犠牲にしたんですから、それ相当の賠償を要求してもかまわないと思いますがね」
監督「踏んだくってやりゃいいんだ、そんな身勝手な野郎からは」
テレビのボリュームを下げる支配人。
おもむろに健次に向き直る。
支配人「身に覚えがあるね」
健次「(憮然)︙︙」
音の消えた画面で、スリガラスの女がまだ何かメンメンと訴えている。
間違いなく恵子だ。
支配人「このビデオは、既に、社長もご覧になっている。お嬢さまがイタリアからお帰りになる前に、君の進退もきれいにしておくようにという仰せだった。今後、社長が直に君に会われることは、もはやないと思う。君も、一言の弁解もあるまい」
健次「(恨めしくテレビを見たまま)︙︙」
ハンカチで涙を拭いているスリガラスの恵子。
●廊下
肩を落して戻っていく健次。
健次「(ハッと立ち止まる)!」
ウェイトレスの恵子がルームサービスのコーヒーを運んで来る。
健次に気づいて、にっこり微笑って会釈し、客室に消えていく。
健次「︙︙(怒る気もなく歩き去る)」
●独身寮・部屋(夜)
遠い恋人からの夢の便りを、スタンドの灯の下で悲しく読んでいる健次。
声(理恵)「気まぐれな母のお供で、ローマからヴェニスへ来ています。アカデミア橋のたもとのガラス工芸の店で、素敵なシャンデリアを買いました。モチロンふたりの新居のために。あなたが一緒だったらと思うことばっかり。母のガイドはもうクタクタ。早くあなたのもとへ帰りたい。アリベデルチ︙︙私の健次」
ハガキを返すと、美しい〈ヴェニス〉の風景が招く。
健次「︙︙(悲しい)」
絵ハガキを破る。
その時、ノック。
健次「(だれだろう)?︙︙」
立ってドアを開ける。
訪問者は市太郎。
市太郎「今晩は」
健次「どなた︙︙?」
市太郎「(芝居口調で)おぬしゃ、俺を、見忘れたかい︙︙」
健次「(ハッと)市太郎さん⁈」
市太郎「(ニコニコと)ヘイ、その節はどうも、お世話になりましたァ」
健次「いま、ちょうど、あんたたちのこと思い出していた。よく来てくれたねェ」
市太郎「お邪魔じゃございません?」
健次「どうぞ、どうぞ」
市太郎「ごめんなさいまし。(と入ってきて)いえね、今日は、ちょっと御相談がございましてお伺いしたんですよ。松永健次さんにじゃなくて︙︙役者の、市川染太郎さんにね」
健次「?︙︙」
●翌日――新興住宅街
沼田が菓子箱を下げて来る。
●小川家・表
沼田、おや? と立ち止まる。
引っ越しのライトバンが停っている。
妙子の家の中から、女物の家具をかかえた畑中がせかせかと出てきて、ライトバンに積み込む。
沼田「ん?︙︙ありゃ、畑中?」
つづいて、花柄の電気スタンドなど持った山村が現われて、ライトバンに積む。
沼田「山村も?」
窓から、ジーパン姿の妙子が顔をだして、二人に、
妙子「ねェ、ひと休みしましょう。コーヒーいれるわ」
二人、にっこりと手など振って家の中へ戻っていく。
沼田「ヘェ︙︙こりゃびっくり」
●小川家・リビングルーム
ガランとした居間でインスタントコーヒーを呑む畑中、妙子、山村。
床に下ろして置いてある壁掛け時計を足でつっついて、畑中が、
畑中「これ、もう捨てちゃったら。壊れてるヨ」
妙子「ん、でも一応もってくわ」
畑中「六畳一間のアパートじゃ、掛けるとこないヨ。修理するより新しく買った方が早いんじゃないの?」
妙子「そうねェ︙︙」
山村「ダメだよ。洋チャン、うしろ見てごらんヨ」
畑中「うしろ?(時計を引き寄せてうしろを見る)」
贈・結婚記念・小川靖・妙子様の金文字。
畑中「あ、結婚の記念品か」
妙子「いいんですけどネ、捨ちゃっても、もう」
山村「よかないよ」
畑中「御主人が退院してきて、なくなってたら怒るわな」
妙子「いつ退院できるか判んないんだもの」
山村「ずっと、眠りっ放し?」
妙子「ええ、死ぬまで目が覚めないこともあるんですって」
山村「たまらないね」
畑中「たまらないのは、妙子ちゃんの方だよ」
妙子「でもサ、辛い思いしているのは、私だけじゃないッてことも判ったし、山村さんや畑中さんと知り合えて、また元気がでてきたわ」
畑中「助け合っていけば、なんとかなるもんさ。サラ金の取り立てに追い廻わされる気持ッてな、こりゃ、経験した者ン同士でないと判んないヨ」
山村「ホント、小便から血がでるからねェ。(妙子に)あ、失礼、失礼」
妙子「ヘイキよ、そんなの、生娘じゃないんだから」
畑中「ヨシ、この時計は持っていくと(時計を持って立つ)」
山村「家具、意外と少なかったね」
妙子「めぼしいのは、あの沼田さんが、利息代りにちょくちょく持ち去ってたから」
畑中「(吐き出すように)沼田ッ。あのゴキブリ野郎がサラ金から足を洗ったと知ったときには、ホントにホッとしたな」
山村「あれも、根は、意外にいい奴だったんだね」
妙子「白浜のホテルに招待してくれたりしてね」
畑中「(急に懐しそうに)白浜といやサ、あの役者たち、どうしてるかねェ」
山村「花村月之丞一座」
畑中「色っぽかったねェ、あの竹沢市太郎」
妙子「私たちも、よくやったわねェ」
山村「僕なんか、尾上松之助だからね」
妙子「私、芳沢みなと」
畑中「おいら、中村京四郎」
山村「沼田の金貸しを舞台の上で本気で殴って蹴って、あんな楽しかったことなかったなァ」
畑中「いまでも毎晩、夢みるんだ。舞台で芝居やっている夢」
妙子「私なンて、大事にとってるわよ。あのときもらった、大入り袋(と、ハンドバッグから大入袋を取り出してみせる)」
山村「いくら入ってた?」
妙子「同じよ(袋から千円札を出してみせる)千円」
畑中「懐しいなァ」
妙子「またやってみたいわね」
山村「(庭先に動くものを見て)だれ?」
庭の木陰から、三人の前に、不気味な笑い声をたてて現われる沼田。
沼田「ヘッヘッヘッ︙︙みなさま、お揃いで」
畑中「沼田⁈」
沼田「あンときの芝居風でいきゃア、おッ、みんな揃ってやがるな。こいつァ、好都合だ。チョン、てなもんで」
●表
沼田も加わって荷物をライトバンに積みこむ妙子、畑中、山村の四人。
沼田「なるほどねェ、此所を社宅に貸して、奥さんはアパート暮し。月々のローンも家賃で払えるしね。山村さんの会社なら一流だし間違いないや。嬉しいねェ、お互い助け合って」
畑中「俺たちは助け合ってますけどネ、あんたは、何しにきたの?」
山村「もう取り立ては関係ない筈でしょう?」
沼田「そんな仲間はずれにしないで下さいヨ。共に同じ舞台を踏んだ仲じゃありませんか」
妙子「あの役者さんたち、いま、どうしています?」
沼田「そのことで御相談に伺ったんですよ。おとといですか、訪ねてきましてね、うちのオフィスに」
山村「月之丞が?」
沼田「ええ、笑っちゃったんですがね、一座にはいってくんないかッてんですよ、正式に、役者として。俺に、役者になれってんだから、まいっちゃいましたヨ」
三人、積み荷の手をとめて沼田の話の次を聞く。
沼田「冗談だろうつッたら、本気だってんですよ。来月、十条で旗上げするッてんです。ホラ、駅員の久保と、ホテル・ロワイヤルの松永、あの二人は、もう座員になってるッていうんですヨ」
畑中「ホント?」
妙子「ウソォ︙︙」
沼田「どうやら、本当らしいんです」
山村「あの二人が︙︙」
沼田「俺はできないつッたら、じゃァ、畑中さんと山村さんと、小川さんの奥さん、あの三人に当ってみてくれないかッて言うんですヨ」
三人⁈
沼田「御三方共、素質があるッてんですヨ、役者のネ。でも、俺は言いましたヨ。山村さんも畑中さんも、一流会社のエリートサラリーマンなんだから、先ず、誘うだけ無駄だよッて、唯、小川さんの奥さんなら、あるいは、バイト代りにやるかも知れねェ」
妙子「ヤダ」
沼田「小川さんの奥さんが承知したら、俺もやってやろうじゃないかッて」
妙子「そんな︙︙」
沼田「私もネ、実は、迷ってましてね。そいで、奥さんに相談に伺ったんですヨ。どうしましょうね、奥さん」
妙子「どうしましょうッて言われても︙︙(畑中と山村に)どうしよう」
二人、異口同音に、
二人「やれば」
妙子「エーッ?」
沼田「(にんまり)決まりだ」
●翌日――ニッタ自動車販売部
辞表。畑中が若い課長に差し出す。
課長「本気なの? 畑チャン」
畑中「(殊勝気に)決意は変りません。本社に身辺整理のための長期休暇を申し入れたんですが駄目でした。仕方ありません。突然で御迷惑をかけますが、退職させて頂きます」
課長「困るなァ、僕の転任前に、こんなこと。君のようなベテランが一人はいてくれないと困るんだよねェ。せめて僕の後任課長が現場に慣れるまでの間でも」
畑中「(怒鳴ってさえぎる)うるせえ! うだうだと」
課長、びっくり⁈
畑中「貴様みたいな生意気な若僧の下で、ペコペコしながら働くのは、もう、うんざりなんだよッ。ホントは、このアゴに一発喰らわしてバイバイしたいとこなんだがね(と課長のホッペをペタペタ)」
●表
晴ればれとした顔で畑中が出てくる。
待っていたのが、山村と妙子。
両サイドから現われて畑中と腕を組み、サッソウと中古車の広場をあとにする。
●数日後――篠原演芸場・表
昼下り――。
●場内
客のいない客席のうしろで小屋主の田村が、舞台の上で展開している芝居を、オーディションしている。
芝居は「金貸し殺し長屋八犬伝」。
役者は、白浜の時とそっくり同じ配役で、市太郎、常子、山村、健次、畑中、妙子、久保、沼田のメンバー。
渋い顔の田村、のってない。
確かに、白浜の時より、めいめい慣れた分だけ、迫力がなくなっている。
政吉が、不安気に田村にすり寄って来る。
政吉「客がいねェと、みんな、もうひとつ調子があがらねェようで」
田村「ふん、四、五年田舎を廻って出直してくるんだな。四年たったらまた会いましょうって、お嬢にゃ、そう言っといてくれ(と、引きあげる)」
政吉「旦那!(と追いすがる)」
舞台の上から――シマッタ、と見送る市太郎と常子。他の連中は、そんなこと知ったことじゃない。もう、無我夢中で自己満足の迷演技を披露している。まるで、学芸会。
常子、市太郎はガックリ。
●スナック「大和」(夜)
マスターの加賀がカウンターの中から秘かにどこかへ電話している。
加賀「(電話)ヘイ、じゃそういうことで、イエイエ︙︙(切って、テーブルを見る)」
向こうのテーブルで、沈んだ面
常子「まァね、いきなり東京で旗上げというのが、土台、無理な相談なの。判ってたんだけどね︙︙。もう一回、白浜行こうか、ねェ、政吉つぁん、白浜のグランドホテル、また是非来て下さいッて言ってたよね、あの支配人︙︙連絡とってみようか」
政吉「もう、当りました」
常子「いつならいいッて?」
政吉「二度と、お断りだって︙︙」
常子「はっきり言うわね、あのダボハゼ」
市太郎「無理な話だったかもね。ド素人だもんねェ、なんつったって」
沼田「小屋は、十条しかねェのかよ、浅草とか、船橋とか、ほかにもあるだろうが」
市太郎「無駄でしょう。十条に断わられたもの、ほかもってたって歯牙
政吉「常打ちの小屋が欲しいねェ」
市太郎「夢話いくらしたって仕様がないんだから、ネッ、この話はなかったことにしません? 土台が無理な相談だったんだ」
政吉「市チャン、ずい分、先を急ぐじゃないか。どっかの一座から声掛ってんじゃないのかい?」
市太郎「妙な詮索はよして下さいよ」
沼田「抜けがけは許さねェぞ、おい」
市太郎「じゃ、どうしろッてのサ。私ら役者ですヨ。舞台上に上がっていくらの者なんだ。その舞台がないんだもの、どうしようもないじゃない」
常子「そんな簡単に諦めないでさ。もっとまともな連中を集め直せばいいのよ、時間かけて」
沼田「時間をかけて?︙︙あんたら、肝心のこと忘れてやしないかねェ。お互い、二千万円の借用証に血判を押した夜から、かれこれ、二十日棒に振ってるんだぜ。あと十日で一ト月だ。一ト月たったら利息分だけでも百三十八万円。こいつを払えなかったらどういう目に合うか、国分の情婦
常子「︙︙」
三人、くしゅん。
沼田「命が惜しかったら、ともかく百三十八万円、十日の中にこしらえなきゃならないんだから、そこんとこヨロシク頼むぜ」
そこへ、外から馬場がせかせかと入ってくる。
馬場「(マスターに)ヨッ、電話ありがとヨ」
加賀「(沼田のテーブルを差す)」
馬場、沼田のうしろから近づいてきて、ポンと背中をこずく。
馬場「捜してたぜ」
沼田「(とび上がり)馬場さん⁈」
馬場「事務所まできてくれや。手間はとらせないから(と、腕をとる)」
●パラダイスローンズ・事務所(夜)
沼田が、刑事部屋の犯人のような面持ちで坐らされている。机に足を投げだして、テレビの野球中継を観ている馬場。
沼田「(不審)︙︙馬場さん、一体、だれがくるんです?」
馬場「あ?︙︙だれがくるかって?」
沼田「も、三十分はたちましたけど」
馬場「(野球を観ながら)国分さんとこの者
沼田「国分さんが?︙︙なんの御用で︙︙」
馬場「利息の取り立てじゃないのか? おまえみかけたら連絡しろッて言われていたからヨ」
沼田「利息の取り立て?」
馬場「例の二千万の」
沼田「エーッ? 納金は三十日切りでしょう?」
馬場「俺は十日切りだって聞いたぜ。初回だけ特別に二十日切りにしてやったって、一ト月も放っとくのは心配なんじゃねェか?」
沼田「(泣きべそ)聞いてねェもん、そりゃ︙︙」
馬場「二十日切りで九十二万」
沼田「聞いてねェもんッ。まいったなァ︙︙」
馬場「言い訳より、半額でも納めること考えないと、あんた︙︙知らねェよ」
沼田「あと十日待って下さいよッ。そしたら、キチッと百三十八万耳を揃えて納金しますヨ」
馬場「俺はラチ外だ。国分さんの使いにそう言ってみな。多分、聞き入れちゃもらえないだろうが」
沼田「馬場さんッ」
馬場「うちはないよ」
沼田「(ドアへ)︙︙今夜ンとこは帰らして下さい。十日たったら、必ず、百三十八万もって来ますからッて、国分さんの使いにゃ言っといて下さいよッ。ネッ、お願いしますよッ」
沼田、逃げるようにドアを開けて、
沼田「ヒッ(と竦む)」
目前に、死神の目つきをした西方が立っている。
沼田「︙︙(震えて後退)」
すうっと入ってくる西方。馬場、立つ。
馬場「︙︙」
西方「(掌を出す)︙︙」
沼田「⁈︙︙」
馬場「一卜月切りだと、勝手に思い込んでいたようで」
西方「(冷たい目で沼田を刺す)︙︙」
沼田「ス、スミマセンが︙︙」
西方「(低い声で)納金はできない?」
沼田「あ、あと十日︙︙きっと︙︙」
西方「俺は使いだ。あんたに会ってきたという証拠が欲しい。小指を一本もらっていこうか」
沼田「カ、勘弁して下さい︙︙」
西方の手中から細長いジャックナイフが、ビッと音をたててとびだす。
沼田「ああッ︙︙」
西方、ナイフをテーブルに突き立てて、
西方「(馬場に)音、もっと上げな」
馬場「!(テレビのボリュームを上げる)」
野球の歓声が上がる。
蛇に睨まれた蛙。しばらく西方に睨まれた末、突如のパンチを喰らって、ふっとぶ沼田の体。
立ち上がろうとするところを蹴り上げられ、逃げようとするところを引き戻されて殴り倒される。
無抵抗のまま、散々に痛めつけられる。
初めは、薄笑いを浮かべて眺めていた馬場も、西方のあまりにも陰険なリンチに、次第に表情を硬ばらせる。完全にグロッキーになった沼田の腕をテーブルにのせ、指をひろげさせて、ナイフで切ろうとする西方。遂に、馬場が見かねて、テレビを消し、
馬場「そいつの指︙︙俺に十日だけ預からしてくれませんか」
西方「︙︙(少し考え、ナイフをしまう)」
馬場「これだけ痛めつけりゃ、こんどは、約束守るでしょう」
西方、無言で出て行く。
イモ虫のようにのびている沼田の頭に、ビールをブッかける馬場。
首をもたげた沼田の顔は、血だらけのボロボロ。
馬場「(ぞっとして)︙︙お前、歩けるか」
沼田「ヒッヒヒ︙︙(頷く)」
馬場「歩けるなら、外行って倒れろや。邪魔だからヨ」
沼田「ロウモ、スミマヘン︙︙(這って床を手探り)」
馬場「なんだ?」
沼田「ハ︙︙歯が︙︙」
馬場「歯、折られたのか︙︙(仕方なく捜してやる)」
沼田「あった︙︙(拾って、大事にハンカチにくるんでしまう)歯医者も高いから、ヒッヒ」
馬場「(哀れ)そうだ、そいつをさし歯にしてもらえ、新品作ると高いからな」
沼田、這いながら出て行こうとする。
馬場「おい︙︙(呼び止めて)女将
沼田「︙︙(一礼して、出て行く)」
●駅の構内便所(夜)
水道で顔の傷を冷やす沼田。
沼田「〽泣くなよしよし ねんねしな
山の鴉が 啼いたとて」
●ホーム(夜)
ベンチに坐りこんで電車を待つ沼田。
沼田「〽泣いちゃいけない ねんねしな」
●下北沢駅前(夜)
小田急線の踏切を渡ってボロボロ顔の沼田がくる。
●鈴なり横丁・表(夜)
沼田がきて、見上げる。
「鈴なり横丁」という赤いネオン。
元は木造モルタルのアパートだったらしいが、今は、目茶苦茶に改造を重ねて、一階はハモニカの穴の如き小さな飲み屋が巣くっている。
不思議な横丁である。
沼田「(眺めて)︙︙倉庫なんて、どこにあるんだ︙︙」
沼田、廻れ右して帰りかける、その背中に、
「あんた?」
振り向けば、横丁の焼き鳥屋ののれんから、汚れた割烹着のよし江が、窺うように顔をだしている。
沼田「(特に感激もない)よオ︙︙」
よし江、店の主人に「すみません、ちょっと時間下さい」と断わって、駈け寄ってくる。
よし江「また、ひどい顔になったね」
沼田「放っとけ。︙︙そこ(焼き鳥屋)で働いてんのか」
よし江「夜だけね。住まい二階だから」
沼田「だれの世話で、お前」
よし江「だれの世話もないよ。パラダイスローンズ追い出されるとき、掛け帳一冊ちょろまかしてきたの」
沼田「やるじゃねェか。ちっとは回収できたか」
よし江「ダメ。みんなシブトイ。でも、ここ(二階)は拾いもんだった。来てよ」
二階へ、鉄階段を上っていくよし江。ついていく沼田。
よし江「持ち主が夜逃げしたあとを、私が差し押さえたんだ」
●鈴なり横丁・二階廊下(夜)
死にかけの蛍光灯が点滅する廊下を、よし江が沼田を案内してきて、アパート風の一室に入れる。
沼田「アパートだったのか?」
よし江「昔はね。いろいろに作り変えて使ったらしいよ」
沼田「幽霊屋敷だな」
●部屋(夜)
六畳一間。
よし江「此処が住まい」
食器などのほかにはなにもない。
沼田、上って窓の外を眺めたりして、
沼田「結構、住めるじゃないか」
よし江「家賃なしッてのがいいよ」
沼田「道々、考えてきたんだがな︙︙東京をおさらばしようと思うんだ」
よし江「ドサ廻りすンの?」
沼田「芝居は駄自だ。諦めた。︙︙逃げるしかないんだ」
よし江「あんた、どこへ逃げるの」
沼田「サラ金を捨て、月之丞を捨て、一座に誘った連中とも別れて︙︙当ても果てしもない旅にでるんだ︙︙」
よし江「桑名へ行こうよ! 私の郷里
沼田「(涙ぐむ)よし江︙︙俺には、生涯、お前という強い味方がいたんだなァ」
よし江「(テレて)エッヘヘ︙︙あんた、晩飯は」
沼田「昼から喰ってない」
よし江「下で焼鳥どう」
沼田「︙︙行くか」
二人、でる。
●廊下(夜)
部屋に鍵を掛けるよし江に、
沼田「倉庫って、どこにあるんだい」
よし江「こっち(と向かいのドアを差し)覗いてみる?」
と、戸を開けて入る。
沼田「別にいいけどよ︙(と従う)」
●倉庫(夜)
裸電球のスイッチをいれるよし江。
眺める沼田。
ガランとした木造の倉庫に、ガラクタが点在している。
よし江「広いでしょう。本格的に倉庫屋の看板あげて商売やろうかッて考えていたんだけど︙︙勿体ないでしょう」
沼田、奥へ進んで一段高い床に上って、見まわす。
暗がりで、なにかに蹴つまずき、
沼田「あいたッ︙︙」
よし江「足下、気をつけて」
沼田がつまずいたはずみで、隅の滑車のようなものが廻りだしている(シルエット)。
スルスルと天井に吸い上げられているロープ。
沼田「?」
つづいて、天井から何かがゆっくりと下りてくる。
あたかも、よし江が劇場の客席にいるような位置で、正面の壁一面に、いま天井から、書き割りの赤城山が下りてきたのだ。
よし江「?(目を疑う)」
沼田が、下手からその書き割りの前にでてきて、よし江に向き、
沼田「どうしたい?」
よし江「︙︙(唖然)」
沼田、振り返って、ギョッとなる。
それは芝居用の書き割り!
つぎはぎだらけの赤城山には、すすけた満月も照っている。
沼田「(愕然)⁈」
円蔵の横笛がピーッと鳴る。
芝居小屋だったのか!
沼田「!(よし江を見る)」
よし江「(一瞬、不安がよぎる)!」
沼田「︙︙(ゆっくりと満月を仰ぎ見る、その目が輝やく)」
書き割りの赤城山。
テーマ曲始まる。
キャスト・スタッフ・タイトル流れだす。
ストップモーションのよし江の顔。
沼田の生気をとり戻した顔。
●スナック「大和」(夜)
沼田の帰りを待ちつづけている常子、市太郎、政吉。
タイトル、つづいて――
●妙子のアパート・一室(夜)
妙子、畑中、久保、山村、健次の五人、集まってワイワイと芝居の稽古をしている。
タイトル、つづいて――
●書き割りの赤城山に戻って
タイトル終る。
エンディング――。
長谷川伸作「沓掛時次郎」の序幕・第四場、三蔵の家の外。
旅人の時次郎(沼田)と土地のやくざ三人(健次、久保、山村)が喧嘩支度で三蔵の家を囲んでいる。
時次郎「(家の中へ)もし、六ッ田の三蔵さん。おいでなさいますかえ」
入口の道具の所に姿を半ば見せる三蔵(畑中)。
三蔵「六ッ田の三蔵はまだおります。何でござんす」
時次郎「あっしは旅人でござんす。一宿一飯の恩があるので、怨みもつらみもねェお前さんに敵対する、信州沓掛の時次郎という下らねェ者でござんす」
三蔵「左様でござんすか。手前もしがない者でござんす。ご叮寧なお言葉で、お心のうちは大抵みとりまするでござんす」
時次郎「お見上げ申しますでござんす。勝負は一騎討ち。(三人の方をあごで示し)他人まぜなしで、潔くいたしとうござんす」
三蔵「お言葉、有難う存じます」
三蔵、外へ出てきて、
三蔵「信州の人、ご所望の一騎討ち、相手になりますぜ(抜刀)」
時次郎「合ッ点だ(抜刀)」
激しく斬り合う二人。
三蔵の女房おきぬ(小川妙子)が伜の太郎吉(畑中直子)の手を握りしめて、家の中からハラハラと見守っている。
時次郎に斬られて倒れる三蔵。
太郎吉「ちゃんやぁ!」
時次郎「恩も怨みもねェ人と命の取りっこするのは、つき合いの義理があるからだ。三日前に草鞋を脱いだとき、俺のすることは決められていたんだよォ(と、長谷川一夫風の見得)」
チョンと柝のかしら。
メインタイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●鈴なり横丁・表
第六話「沓掛時次郎」
二棟の木造モルタルのアパートを一軒につなぎ合わせたような古い奇妙な建物が、下北沢の町はずれにある。
「鈴なり横丁」という。
横丁の中のシャンソン喫茶「モンパルナス」から古いシャンソン(ダミアの「暗い日曜日」)が流れでている、昼下り。
ベラの声「私とマリヤがこの土地を買ったのは、もう二十年もまえ。そのまえはなにしてたかなんて野暮な詮索はなしにして頂戴。ともかくも女ふたりが手を取り合って地獄から這い上ってきたと思ってよ」
横丁の風景あれこれ――。
ベラの声「土地の権利も建物も二人できれいに半々にして、最初は大人しくアパート経営から始めたんだけど、だんだん面白くなくなってネ、私は、自分の持分の一階を全部飲み屋に改造して」
横丁の小さな飲食店の群れ。
ベラの声「マリヤは、二階を映画館に造り変えちゃったの」
閉じられた木戸口。
ベラの声「その後、私の方はなんとかかんとかやってきたんだけど、マリヤの映画館は上手くいかなくてね。芝居小屋にしたり、ストリップ劇場に変えたり、苦労を重ねてたわね」
クモの巣の張った元劇場の倉庫。
●シャンソン喫茶「モンパルナス」
ダミアのシャンソン流れる中、大年増のママ、ベラ谷口が、沼田とよし江の相手をしている。
ベラ「マリヤが借りた金はいくら?」
沼田「千三百万円です。証文もこの通り(懐中から封書を差し出す)」
ベラ、開けて見る。
沼田「私らは、しがないサラ金の取り立て屋です。南郷マリヤさんに直
ベラ「本人が雲隠れしてんじゃ、それも仕様がないわね(と、証文を返す)」
沼田「ついちゃ、いまのまま物置きにしとくのも能がねェんで、利息代りに、ちょいと商売に使わさしてもらいます。異存はねェでしょうね」
ベラ「上で、何やろうっていうの」
よし江「(横から)貸倉庫を」
沼田「ばか。手前ェ、口出すなッ」
よし江「(クシュン)︙︙」
沼田「見たとこ芝居小屋に戻すのが、一番手っ取り早いようなんで、実は、私、サラ金のほかに興業の方もやってましてね。劇団ももってますんで、取り合えず、うちの一座の常打ち小屋にさしてもらいます」
ベラ「(のらない態で)︙︙芝居小屋をねェ」
沼田「上がにぎやかになりゃ下の店だって活気づきますよ。ひとつ共存共栄で仲良くやっていこうじゃありませんか」
ベラ「そりゃ、にぎやかになりゃいいけど、マリヤは芝居小屋でしくじってるからねェ」
沼田「やり方ひとつですッて。まァ、任しといて下さい」
ベラ「どうしても芝居小屋やるってんなら、お願いだから、神棚作って、お祓
沼田「神棚がない? 劇場やってたのに?」
ベラ「マリヤが無宗教でね。だから、あんなことになったんだ」
沼田「あんなことって?」
よし江「なんか、あったんですか?」
ベラ「ストリップ小屋やってる時にね、木戸番と踊り子が、舞台の上で首吊り心中するなんてことがあってサ。三年程前の話だけど。それから客足もサッパリになっちゃって、マリヤも体のあちこちがおかしくなってきてね、ここ(頭)の方も。警察
二人「︙︙」
ベラ「三角関係になってたんだね。︙︙私はね、木戸番と踊り子は心中したんじゃない。本当は、殺されたんじゃないかと思ってるよ︙︙マリヤに」
二人「⁈」
ベラ「(哄笑)冗談よ。二人は立派な心中、警察がそう判断してくれたんだから間違いないわ。でも、お祓いはした方がいいね。あの場所で二人の人間が死んでるんだから」
舞台――書き割りのバトンにブランとブラ下っている男女の首吊り死体。
沼田・よし江「(イヤな気分)︙︙」
●表
喫茶店から出てくる沼田とよし江。
沼田「(思い出したように店の中へ)そうだ。ママさん!」
でてくるベラ。
沼田「皿洗いとかホステスとかの人手がいる店あったら世話してくれませんか。うちの役者共をバイトさしたいんで」
ベラ「給料によるね」
沼田「安くしときますッて。その話は、またあとで(と去る)」
ベラ「神棚、忘れないでね!」
沼田「ヘイ、ヘイ」
二階への鉄階段――。
上っていく沼田とよし江。
よし江「あんた」
沼田「あ?(振り返る)」
よし江「︙︙どうしても、やるの」
沼田「しつこいな、お前︙︙」
よし江「祟
沼田「なんの?」
よし江「マリヤが木戸番と踊り子を殺したんだ。二人は、殺されたんだ。私は恐いッ」
沼田「やかましッ。そんなこと、俺にゃ関係ねェ」
よし江「桑名へ行こうヨ」
沼田「ひとりで行け。ばか(二階へ)」
おどおど従う、よし江。
●二階・入口
沼田、よし江きて、入口右手の納屋に立って、
沼田「ここ、売店にすりゃいいんだ。焼鳥に焼ソバ、ラーメンなんか作って売りゃ、結構、儲かるぞ。仕込みは、お前の仕事だ。(倉庫へ)」
●倉庫
沼田くる。
薄闇の舞台の上に、ボーッと立っている男女の影二つ。
沼田「(悲鳴)ワッ!」
同時に、背後からポンと背中をこずく者がいる。
沼田「ヒイッ(と、跳び上がる)」
政吉が立っている。
政吉「なに、はしゃいでるの?」
沼田「政吉つぁん?」
舞台を見直せば、立っている男女は、市太郎と常子。
常子「使えるじゃない、熊チャン」
市太郎「立派なもんだよ」
沼田「(冷汗)︙︙きてたのか」
よし江も廊下から顔をだし、
よし江「だれ?︙︙(三人と判って)ああ、キツネ」
常子「たいして造り変えもいらないじゃない、これなら」
市太郎「照明やスピーカーは︙︙」
沼田「みんな注文済み。壁の塗りかえ、表看板、楽屋の普請、ぜんぶ手配済みだ」
政吉「代金はどうするんだい」
沼田「決まってるじゃない。すべてツケよ」
市太郎「小屋の名前考えなきゃね」
沼田「それも俺が決めたヨ。鈴なり座ッてんだ。下が鈴なり横丁だから、上も鈴なり座」
常子「駄目よ、そんなの」
政吉「ピンとこねえなァ」
市太郎「花村座でいこうよ。どうせ、うちの常打ち小屋でしょう?」
政吉「花村月之丞の花村座。こりゃスッキリしてるワ」
沼田「折角だが、もう看板屋に注文済みだ」
常子「のらないわねェ、鈴なり座なンて(と、フテる)」
沼田「座長。あんたらは芝居のことだけ考えてくれりゃいいんだよ。小屋主は、一応、俺だから、小屋の名前なンて俺に任してもらわないと」
よし江「鈴なり座、いいじゃん(と、小声でいっぱし援護する)」
「ふん」と、三人フテって舞台の方へ、
常子「市ちゃん、引き幕やら書き割りはどうしよう」
市太郎「梅沢劇団が古いの譲ってくれるッて言ってますから、明日でも、まとめてもらってきます」
沼田「(入口の方から)椅子もベンチの古いの頼んであるから、二百人分」
常子「ちょっと、腰掛け椅子はやめて頂戴よ。ゴザ敷きにしてよ」
沼田「いまどき、ゴザ?」
常子「舞台がこれっぽっちの高さじゃ、第一、お客が観にくいわヨ」
市太郎「客の詰め込む数だって、倍違うヨ。椅子で二百? ゴザにすりゃ四百は入るヨ」
政吉「熊チャンね、舞台のこたァ、なんたって、こっちゃ玄人なンだから、ひと言相談あっても損はねェと思うんだがね」
三人に睨まれて、ニガ虫をつぶす沼田とよし江。
沼田「︙︙判ったよ。こっちもゴザの方が安上りだ(と、出ていく)」
よし江、ふんといった顔で、亭主に追従する。
政吉「イヤな夫婦だ」
市太郎「ド素人のくせしやがって、なにが小屋主だ」
常子「追い追い思い知らせてやりゃいいわ。どのみち、旗上げしたら、なにもかもこっちのもんなんだ」
赤城山の書き割りをバックの三人、真ン中の常子、あたかも忠治の風情。
●それから数日間の劇場あちこち
表――
「鈴なり座」の看板を描くペンキ屋。
見上げている沼田とベラ。
売店――
よし江の指図で売店を作る大工。
劇場内(倉庫)――
床にゴザを敷いて鋲を打ちつけていく畳屋。
舞台に照明を取りつける電気屋。
楽屋――
掃除する政吉。
廊下――
各部屋に、芸名の名札を貼っていく常子。
駅前の道――
手荷物かかえてメモを見ながらやってくる畑中、山村、妙子。
踏切――
渡ってくる健次と久保。(リュックをかついでいる)
これらの動きが、次々と、いくつもに割れた画面の中で同時進行していく。
●場内
改装工事が進行中の劇場内で、召集された新兵のようにひと束にされている畑中、山村、妙子、久保、健次を前に、沼田がメモを片手に立って、
沼田「部屋割りを言うから、ひとまず荷物を部屋に置いてきて下さい。小川さんの奥さん、荷物は?」
妙子「あたし?」
山村「彼女は通い。アパート越したばかりだもの」
畑中「御主人の、病院通いのこともあるから」
妙子「すみません」
沼田「そうか、こっち住み込んじゃえば家賃ただで済んだのに、引っ越し、もちっと待ってりゃよかったんだァ。エート、各人の部屋は、廊下の向かい側ね。奥の角部屋から、畑中さんと山村さん」
常子「(声)角部屋は、私と市太郎がもらうわ」
沼田「⁈」
下手の楽屋の方から政吉を従えて常子が割り込んでくる。
常子「部屋の前に名札を下げてあるから、それを見て入って」
久保「ひとり部屋じゃないんですか」
常子「ひとりがよけりゃ、此所(劇場内)で寝起きするしかないわね」
畑中「荷物、置いてこよう」
妙子を残して、ぞろぞろと出ていく四人。
キッと睨み合う沼田と常子。
政吉「(脇から)部屋割りは座長の職分だ」
沼田「︙︙」
沼田、ムッとして出ていく。
常子「(妙子に)楽屋の方の掃除、手伝って頂戴」
妙子「はい」
●廊下
沼田は売店の工事場へー―。
名札を確かめている四人。
久保「坂東玉二郎︙︙僕だ(入る)」
山村「中村京四郎ッて、畑中さんじゃないの?」
畑中「あ、こっち︙︙山村ちゃんは?」
山村「僕は尾上松之助、一緒だ」
健次「市川染太郎ッて、俺か(と入る)」
売店からきて、自分の部屋の名札を見る沼田。
一番入口に近い側の部屋の表に、ちゃんと「嵐熊吉」「沼田よし江」と並んである。
沼田「(いまいましく)勝手に能吉なンて名前つけやがって、虫の好かねェ女
●一号室
沼田、はいってびっくり?
ボロ布と綿だらけで足の踏み場もない中で、よし江が縫い物をしている。
沼田「なんだ? こりゃ︙︙何やってんだ? お前」
よし江「(ブスッと)座布団」
沼田「ばか、座布団なンて作ってる段か。このてんてこまいの時に」
よし江「だって、あの女座長が︙︙芝居小屋に貸し座布団はつきものだッて︙︙エラそうに」
沼田「ヘェ︙︙座布団貸して金とるのか。昔の人は、考えたねェ。せっせと作れ。ほかにゃ能もねェんだから(と、出ていく)」
こみ上げる嗚咽こらえて針仕事のよし江。
●二号室
沼田がノックもなしで覗く。
沼田「どう、気に入った?」
六畳一間、ボロ畳、汚い壁、破れた窓ガラス。
健次はジーンズに、久保は、グランドホテル太陽の浴衣に着換えしている。
健次「窓ガラスが破れてるヨ」
沼田「ボール紙でも貼っときな」
久保「食事は付くんですか」
沼田「ちゃんと、晩飯付きだよ」
久保「晩飯だけ?」
沼田「アンタ、その浴衣、どっかで見たことあると思ったら、こないだのグランドホテルのじゃない。もってきちゃったの?」
久保「(科
沼田「気をつけよう(と閉める)」
●三号室
隣りも同じ造り。畑中はトレーニングウェアに着換えている。山村はそのままの恰好で、窓から外を眺めている。
沼田、ドアから覗いて、
沼田「いよいよだね。お互い頑張ろうじゃない」
畑中「風呂は?」
沼田「風呂屋がすぐそこだから」
山村「学生時代の下宿と造りがそっくりだ。窓からの景色までよく似てる」
畑中「嫌でも若返るな」
沼田「そりゃコンピューター・ルームや中古車ン中いるよりゃ十年は若返りますヨ」
畑中「まるで演劇部の合宿だ」
沼田「そう、そう、その気軽な気分が大事」
外から、クラクションが呼ぶ!
●廊下
常子が大声で呼びかける。
常子「道具がついたわよ! ぼやぼやしないで手伝ってェ!」
沼田が畑中、山村をうながして常子に従う。
二号室も叩くと、健次、久保も出てくる。
沼田「衣裳やかつらがきたんだ。運び、手伝ってくれ」
一同、ぞろぞろと階下へ。
●表通り
市太郎が運んできた軽トラいっぱいの芝居道具を二階へ運びこむ沼田ら新入座員たち。
ここでも、常子はアゴで指図するだけ。
重い衣裳箱かつがされて、いまいまし気に階段を上っていく沼田のほかは、総じて、心浮かれている。
●場内(夜)
その夜――。
引き幕をハシゴを掛けて取りつける座員たち。
それも完了して。
常子「オッケイね。閉めてみて」
政吉「梅沢の座長さんは、さすがに気前がいいですねェ。大道具小道具ごっそり譲って下すった上に、こんな立派な定式幕まで︙︙⁈」
幕が広がってみて、政吉も、口をつぐむ。
とても立派とはいえない、虫喰いの穴だらけの定式幕。
一同、客席の側に並んでポカンと眺める。
常子「名前貼っつけようか。虫喰い穴いくつある?」
市太郎「ヒイ、フウ、ミー(と、穴を数えて)ちょうど、八つあります」
常子「足りるじゃない。市チャン、京四郎、玉二郎、松之助、染太郎、みなと、熊吉、私と」
政吉「あっしが作りましょう」
常子「お願いします」
沼田「さて、みんな働きずくめで腹減ったろう。いま、晩飯運ばせるから。女房につくらしてるんだ(と、行きかける)」
常子「これから稽古ッ。食事なんてそのあと」
沼田「も、七時まわっちゃったしよ。さっとかきこんで、稽古はそれからみっちりやってよ」
常子「稽古ッても今日は一日目だから、踊りと歌のおさらいだけ」
沼田「そんなら尚のこと、先に、飯喰っちゃってくれよ」
常子「(うんざり)も、ヤダ、こんなトーシロウの相手すてんの。(市太郎に)あんた、説明してやってよ」
市太郎「熊チャン。この世界じゃね、パクと風呂は、一番あと」
沼田「パクってなンだい?」
政吉「飯のことだよ」
市太郎「稽古を済まして、そしてパク。公演が始まっても、そう。舞台をつとめて、ひと風呂浴びて、明日のおさらいをして、そしてパク。これはネ、酢のこんにゃくのッて理屈じゃない、この世界のキマリなんだから。あんたも、この世界に足を突っこんだ以上、キマリを覚えてもらわないと、座長や私らもやり難いよ」
沼田「多数決でいこうじゃない。ネッ、飯より先に稽古をやりたい人、手を上げて」
沼田以外の全員がサッと手を上げる。
沼田、立場を失うが、めげず、
沼田「あ、みんな、飯あとでいい? じゃ、そうしよう。みんながいいッてんなら、なにも︙︙無理に先に食べることもないんだ」
〈できたよォ〉と、そこへ、よし江が、盆にのるだけ丼うどんをのせて入ってくる。
沼田「(怒鳴る)飯はあとだッ。引っこめろ」
よし江「のびるよォ。うどんだから」
沼田「みなさん、飯より稽古が好きらしいから気にすんない。下げて、下げて」
よし江、仏頂面で引っ込む。
久保「(小声で)うどんが晩飯?」
健次「(小声で)今夜だけだろう」
●売店(夜)
よし江、不機嫌に戻ってきて、丼のうどんを次々に鍋に放りこむ。
よし江「勝手ばかりぬかして」
●場内(夜)
舞台の上に一列に並ばされて歌唱力のテストを受ける素人座員たち。
客席から演出家然として睨み上げている常子。両脇に市太郎と政吉。
健次「〽神戸ェ、泣いてどうなるのサ」
常子「ハイ、次」
山村「〽独り酒場で、飲む酒は」
常子「次」
畑中「〽淋しさに敗けたァ」
常子「つぎ、次」
妙子「〽雨がしとしと日曜日、ぼくは独りでェ、君の帰りを待っている」
常子「ハイ、次」
久保「(待ってましたと)演歌にします? それとも、最近のヤツ」
市太郎「なんでもいいから」
久保「じゃ、そうね︙︙ちょっと古いけど、東海林先生のむらさき小唄︙︙〽流す涙がお芝居ならばァ、何の苦労もあるまいにィ」
常子「次」
久保「(聞こえないフリして)〽濡れてつばめの」
市太郎「も、いいのッ」
常子「(最後の沼田に)どうぞ、熊チャン」
沼田「(緊張)俺は、どうも歌は︙︙」
常子「下手なのは判ってるから、さっさと、やって」
沼田「︙︙〽女なんてサ、女なんてサ、嫌いと思ってみても」
常子「(無視して)市チャン、恋ひとすじ、セットして」
市太郎「(カセットをだして)用意できてます」
沼田「〽ひとりで飲む酒まずい酒」
常子「(手を打って黙らせる)あとね、踊りを見ます」
沼田「(ムッ)︙︙」
常子「いま歌を流すから、それに合わせて、めいめい好きに踊ってみて、いいわね」
妙子「(不安気に)踊りッて、日本舞踊でしょうか」
常子「日舞でなきゃ、何踊りたいの? みなとちゃん」
妙子「私は、バレーしかやったことないもんですから」
常子「演歌でバレーは踊れないでしょうね」
山村「どうしても、踊りもやらなくちゃ駄目でしょうか」
常子「別に、花がいらない人は踊らなくても結構よ」
市太郎「花ッて、おひねりね」
妙子「(小声で)おひねりッて?」
久保「(小声で)ご祝儀」
常子「歌謡ショーやお芝居のときは花は決してとんできませんからね。花がくるのは、舞踊のときだけ。ここがそれぞれの値打ちの決まりどこだから、性根すえてやって頂戴。市ちゃん、いいわョ。」
カセットを押す、市太郎。
イントロが流れだす。
常子「なにボケッとしてんの。もう始まってんのよッ。構えてッ」
座員たち、めいめい、ポーズする。
森進一の「恋ひとすじ」
勝手が判らぬまま、不恰好に手足をくねらせて踊る(?)座員たち。
優越感の笑みをたたえて見守る常子側。
歌につられて、よし江も覗く。
よし江「?」
わが亭主も、懸命に踊っているが、どちらかといえば舞踊というより、太極拳に近い。
よし江「見ちゃいられないわ(と、引っ込む)」
常子、市太郎たちも、苦笑まじりにテープを止める。
常子「ハイ、判りました。これじゃ大根もあがんないワ」
棒立ちの座員たち。
政吉「人前にさらせる芸じゃありませんぜ」
沼田「いまさらそりゃないぜ。特訓してくれよ。そのつもりでみんな早目に呼んだんだ」
市太郎「柿落(こけらおと)しまで、何日あるの?」
沼田「まだ、三日あるよ」
常子「たった三日? 無茶いわないでよ。どんな特訓したって、十日はかかるわよ」
沼田「十日も待てるかッ。三日後には開けるッ」
常子「恥かくだけよッ。やりたきゃあんたらだけでやりゃいい。花村一座の看板は降させてもらうわ」
市太郎「その芸で木戸銭取ろうッてのは、ちょいと、あつかまし過ぎるよ。学芸会じゃないんだから」
山村「ぼくら十日でも二十日でも辛抱します。どうか、納得のいくまで特訓して下さいッ」
沼田「あんた黙ってろッ。︙︙座長、ちょっと」
下手楽屋へ常子をうながす沼田。
常子、市太郎をうながしてついていく。
不安気に見送る座員たち。
●楽屋(夜)
荷ほどきしてないかつら等の荷物が積み上げられている。
沼田についてくる常子と市太郎。
沼田「︙︙あんたら、二千万の借金を背負ってること、忘れてるんじゃないだろうね。俺なんて、そいつを取り立てるために、あんたらにくっついてるだけなんだぜ。なにも芝居やりたくて一緒にいるわけじゃないんだ。あいつらかきあつめて一座こしらえたのも、こんな小屋みつけてあてがったのも、二千万ッて金をあんたから頂戴して国分さんに納めるためだぜ」
常子「だから一生懸命やってんじゃないの。なに文句あんの?」
沼田「みんなの芸がなってないことは俺も認めるよ。そりゃそうだろう。昨日までは車のセールスや駅員やってた連中だもん。できるわけがないよ。と言ってサ、できるようになるまで待ちましょうッて訳にはいかないんだよ。月末まであと七日だぜ。月末には最低一ト月分の利息だけでも、百三十八万円、耳を揃えて納めないと、俺は、この小指がなくなるんだ。俺は、小指で済むが、あんたらは命に関わるぜ」
市太郎「三日で開けて、月末までには、たった四日、四日で百三十八万円は所詮できない相談でしょう」
沼田「おい、おい、おい、いまさらそりゃないよ。ひとさし舞えば、おひねり五十万は固いッて言ったのは、あんたらだよ。確かに篠原の演芸場じゃ二人踊って七十万の花が飛んできたのを俺もこの目で見たんだ。だからこそ俺もやる気になったんじゃないか。一晩のおひねり五十万として、三日で百五十万。四日で二百万。それだけはいりゃ月末百三十万の利息がひねり出せると踏んだんだ。ここまできて弱気はなしにしてくれよ。いまは、あんたら二人のおひねりだけが頼りなんだから。ほかの連中はさし身のツマよ、はじめから当てにしちゃいないんだ。あいつらの芸が上達すんの待ってたんじゃ、俺の指は百本あっても足らないよ。なにがなんでも三日後には幕を開けるッ。興業四日間、その上がりを国分の顔に叩きつけてやるんだッ。俺たちが、五体満足で生きのびる道はほかにゃねェよッ」
沼田の迫力に押されて、渋々黙る常子、市太郎。
よし江が顔を出す。
よし江「あんた、私、ぼつぼつ下の焼鳥屋いく時間だから、あと頼みますゥ」
沼田「おお」
常子「奥さん、みんなに食事やって頂戴」
市太郎「稽古は」
常子「今夜はやる気しない」
よし江「もう喰べてるヨ(と引っ込む)」
●表・階段(夜)
よし江が二階から鉄音響かせて下りてきて、一階表の「焼鳥屋」にかけこんでいく。
「遅くなりましたァ」
●売店(夜)
うどんをすすっている座員たちのもとへ沼田、常子、市太郎がくる。
政吉「(ちょうど喰い終って)つづきやる?」
市太郎「今夜はヤメ」
沼田「みんな、喰いながらでいいから聞いてくれや」
常子と市太郎に政吉がいそいそとうどんを差し出す。
政吉「温めましょう」
常子「いいわ、このままで」
沼田「(一同に)これからの︙︙特に、こいつ(と指でお金をつくり)のことなんだが、みんなは、それぞれパラダイスローンズに借金残してるよな。この返済のことだけど、今後は、俺の方で、みんなの借金を一括して、パラダイスローンズに払っていくことにするから。その件についちゃ、パラダイスローンズの馬場とも話し合い済みだから、みんなには、借金のことは忘れて、芸道一筋に励んでもらいたいのね」
五人の間に、安堵と喜びが通う。
沼田「サラ金に追いまくられちゃ、芝居どころじゃないもんね」
五人、ヘラヘラと笑う。
沼田「みんな、ここにいる限りは、家賃もタダ。食いもんの心配もいらない。サラ金地獄にあえぐこともない訳だ。その上、本職の役者さん方に、タダで歌や踊りを教えてもらえるってんだから、この世にこんな天国はないぜ」
五人、ヘラヘラと同調。
沼田「その代り!」
一同、シーン。
沼田「︙︙この一座の中の金銭の支出収入は、いっさい、私の方で管理させてもらいます。みなさんが、舞台の上でお客さんからもらう、御祝儀、おひねりの類も一円残らず、私の方で、いったんまとめさせてもらいます。これは座長も花形さんも同じ条件です。それからのちほど、御案内しますが、みなさんには、舞台がはねてからあと、ちょっとの時間ですが、下の店で︙︙鈴なり横丁に飲み屋がたむろしてますね︙︙あすこでアルバイトをしてもらいます」
エッ? とどよめく一同。
畑中「アルバイトって?」
沼田「飲み屋でバイトといやァ、ホステスかボーイか皿洗いぐらいのもんでしょう」
健次「そんな話、聞いてないな」
山村「体がもたないよ」
沼田「昼間寝れるから、大丈夫ッて」
久保「俺たちは役者できたんだ。水商売するために来たんじゃないぞ」
妙子「私、昼間は主人の看病もあるのよッ」
畑中「約束違反だ」
健次「いまさら、ボーイなンて出来るかい」
と、口々に抗議する。
沼田「(怒鳴る)甘ったれるんじゃねェよッ、お前ら、一体、なに様のつもりだ。エッ?︙︙すこし甘い顔すりゃ、図に乗りやがって。はっきり言ってしまえば、あんたら、みんな、世間からはじき出された敗け犬じゃないか。返す当てもない借金かかえて、放っときゃ首くくるか、もの盗りにでもなるしか生きる道はないんじゃないの。体がもたないの、水商売やりたくないのなンて人並の口きくんじゃないよ。そんなワガママは、返すもん返して、世間を大手振って歩ける身分になってから、のたまわってもらいたいんだなァ。俺はね、あんたたちをどんな悪どいサラ金の連中からも、命賭けで守ってやるよ。その代り、あんたらにも働けるだけ働いてもらうッ。(急に優しく)そしてさァ、お互い、一日も早く、誰からも追いまわされない自由の身に戻ろうじゃないの」
五人︙︙しょんぼり。
常子「(うどんを喰い終って)熊チャン。この人たちにバイトさせるのは結構だけど、まさか、私らにまで、同じことをやらせようッていうんじゃないでしょうね」
沼田「(ドスを利かせて)いやァ、座長にも花形にもやってもらいます」
二人⁈
政吉「俺もかいッ」
沼田「あんたは雇う方でお断りだ」
●表・鉄階段(夜)
沼田に引率されて二階からゾロゾロと下りて来る、畑中、山村、妙子、久保、健次、常子、市太郎。
情けない顔で見送る政吉。
一同、鈴なり横丁へ――。
●鈴なり横丁・表(夜)
凹型の中央にひとかたまり佇んでいる常子以下の座員たち。
「モンパルナス」から沼田がベラを連れて来る。
ベラ、一同を一瞥して、向かいの閉店しているバーの鍵を開けて、
ベラ「(沼田に)女だけ連れて来て(と入る)」
沼田、常子と妙子をうながして入る。
●カウンターバー(夜)
ベラが明かりをつけると、無人の赤い壁のカウンターバーが現われる。
ベラ「居抜きで貸してあげるわ。面倒な条件は抜きにして、月五万でどう? 拾いもんでしょう?」
沼田「権利金、敷金は?」
ベラ「二ヶ月ずつでいいわ。酒も冷蔵庫も揃ってるし、明日からでもオープンできるじゃない」
常子「まえの経営者は?」
ベラ「結婚すんだって。いいのよ、私が全部任されてンだから、やる? やめる?」
沼田「そりゃ、もう。ねェ、座長」
常子「(眺めまわし)そうねェ︙︙」
〈キャッ!〉と妙子が小さな悲鳴。
三人?
妙子「血が⁈︙︙(指に赤いものがついている)」
沼田「エッ」
ベラ「ペンキよ。昼間、壁を塗りかえさせたの。やたらとさわんないで」
●表(夜)
バーに女二人を残して、沼田とベラがでてきて、待っている五人の男たちに、
ベラ「ここで、女形は?」
沼田「市太郎と︙︙」
久保「(手を上げる)ぼくも、一応︙︙」
ベラ「じゃ、あんたとあんた、こっち来て」
ベラに連れられて奥の「セラヴィ」というバーに消える市太郎、久保、沼田。
●バー「セラヴィ」(夜)
ベラがおかまのママ、サリーを三人に紹介する。
ベラ「ママのサリー」
堕ちるだけ堕ちて、遂に、仏様のような憂いをたたえるに至っている中年おかまのサリー。
サリー「相棒が脱腸で入院して困ってるとこだったの。二人もはいってもらえて嬉しいわ。(気品良く握手を求める)」
作り笑いで握手する市太郎と久保。
サリー「お名前は?」
市太郎「竹沢市太郎です」
サリー「あなたは?」
久保「坂東玉二郎と申します」
サリー「素敵なお名前。上と下で、しっかり稼ぎましょう。ね」
久保「はい」
ベラ「あと、こまかいことの打合せは双方でやってもらうことにして、次、いきましょう」
沼田「へい」
●表(夜)
健次、山村、畑中が待っているもとへ、ベラと沼田が戻ってくる。
ベラ「あとはうちの店でボーイさんが欲しいんだ。(三人の顔を物色する)あんたと、あんた来て」
選ばれたのは健次と山村。
畑中「ぼくは?」
ベラ「あんた、いらない。(沼田に)こんなとこね」
沼田「彼(畑中)も、どうにかなりませんかね」
ベラ「これで満パイだね。(健次と山村に)仕事の説明するから来て」
健次・山村「はい」
色男二人を連れて店に戻って行くベラ。
みじめに残る畑中。
畑中「︙︙」
沼田「シェーカー振れる?」
畑中「いや」
沼田「ビールの栓は抜けるよな」
バーから点検終って出てくる常子と妙子。
沼田「座長、彼、バーテンに頼むね。シェーカー振れるそうだから」
常子「カクテルなンか呑む客がくるかしら。(看板をこずいて)店の名、変えるよ」
沼田「黒猫でいいじゃない」
常子「私の店らしくないわ。花村に変える」
沼田「花村ね。(妙子に)奥さん、今夜、こっち泊っていく?」
妙子「電車のあるうちに帰ります」
常子「その奥さんッていうのは、いい加減やめなさい」
沼田「みなとちゃんネ」
常子「(沼田の代りに)駄目よ。明日は、朝から踊りのおさらい。昼から町廻り。それが済んだら、切狂言の稽古みっちりやるんだから」
沼田「町廻りッて?」
常子「あんた、小屋さえあれば客が勝手に入ってくると思ってるの? 役者の顔見せをして練るのよ、町を」
沼田「あ、宣伝か」
畑中「ガキの頃みたことあるッ」
常子「それをやるのよ。本当は、初日からでいいんだけど、なるたけ広く廻った方がいいからね。明日からやるわ」
沼田「そう、宣伝は早い方がいい。みなとちゃん、御亭主の看病は、当分、あっちのお義母さんたちにお願いするんだね」
妙子「(仕方なく頷く)︙︙じゃ、早く来ます︙︙」
畑中「駅まで送って行こう」
妙子と畑中、去る。
沼田、二人の後姿を見送って、
沼田「おい! 畑中! 早く帰って来いよ」
聞こえないフリの畑中。
沼田「あの野郎︙︙あぶねェなァ」
常子「一番あぶないのは、あんたじゃないの。言っとくけど、商品に手を出しちゃいけないよ」
沼田「あんたと市太郎はどうなんだい」
常子「私ら、フィアンセだもの」
沼田「なにがフィアンセだか」
二人、鉄階段を上りかけると、焼鳥屋から、よし江がひょいと出てきて、
よし江「アンタ、一杯やっていかない?」
沼田「え?︙︙ああ」
上りかけた階段を戻って、よし江の焼鳥屋へ入っていく沼田。
常子はそのまま二階へ上っていく。
●翌日――表
「鈴なり座」の看板も次第に完成していく。
政吉が、リヤカーに太鼓をのせて引いてくる。
二階からもれる演歌。
●場内
昨夜と同じく舞台に一列に並ばされて演歌で踊りの稽古をしている座員たち。
師匠の常子と市太郎、かわるがわるに怒号をとばしている。
常子「(久保に)ホラ、ひょっとこ! 腰がふらついてるッ」
市太郎「(妙子に)ブス! 白鳥の湖やってんじゃないんだからねッ、もっと色気だしてッ」
常子「口で判んなきゃムチでヒッぱたくよッ」
妙子、泣きべそで踊る。
市太郎「(畑中に)ホラ、ボケ! 太極拳やってんじゃないヨ」
駈け上って、自ら科
政吉が、太鼓をかついで入ってくる。
常子「どうしたの? ソレ」
政吉「(どっこいしょと下して)町廻りにゃ、やっぱり、こいつの音がねェと」
常子「どっからもってきたの?」
政吉「ヘイ、ちょいと御町内から借りてきました」
常子「(カセット止めて)やめ!」
市太郎「ヘェ、太鼓きた(と舞台から下りてくる)」
常子「バチは」
政吉「ちゃんと(常子と市太郎に渡す)」
市太郎「すぐ練習させなきゃ」
工事用の台の上に太鼓をすえ直す。
常子「(一同を見廻し)染太郎と松之助おいで」
健次と山村くる。
市太郎「バカ囃子の叩き方、教えるから、憶えて。(染太郎に)いいかい、この調子でやるんだ。デッカイチンコ、デッカイチンコ、デッカイチンコ、ホイ。叩いてみるヨ(叩きながら、デッカイチンコホイを復唱する)」
健次「(面白い)デッカイチンコね」
常子「(山村に)こっちは、チッサイチンコ、チッサイチンコ、チッサイチンコ、チッサイチンコ、ホイ(と叩く)」
市太郎「いくよッ」
市太郎と常子、両サイドから、〈デッカイチンコ〉と〈チッサイチンコ〉で連打する!
二人、だんだんと昂揚――。
ポカンと聞き惚れる沼田たち。政吉などは、感涙ホロリ。叩きつづける常子と市太郎。
連打、高まって!
●一号室
黙々と座布団を作っているよし江。
にぎやかな太鼓の音が聞こえている。
●場内
太鼓を叩く健次と山村。常子と市太郎の指導でまァまァやれている。
見守る沼田、畑中、久保、妙子。
政吉が楽屋から来て、
政吉「座長! 町廻りの衣装の支度できました」
常子「ご苦労さん。(一同に)役を言うから、言われた人は、その衣裳を政吉さんにもらって支度をして頂戴。鳥追い、玉二郎。新内流し、染太郎。沓掛時次郎、京四郎。若衆、みなと。児雷也は︙︙松之助。芸者は市太郎。私は雪之丞。以上、すぐ支度にかかって」
みな、喜々として楽屋へ去る。
沼田、ひとり残る。
沼田「︙︙」
●楽屋
にぎやかに化粧したり、衣装を着付けたりの和気あいあいのムード。
沼田が、廊下からひとり羨しそうに覗く。
沼田「︙︙なんか、手伝うことない?」
常子「帰ったら、すぐお昼にするから、作っといて。おにぎりなんかいいわ」
沼田「︙︙(去る)」
●一号室
沼田が仏頂面で覗く。
布団作りのよし江に、
沼田「おい、昼飯、にぎりとたくわんだ。奴らが帰るまでにつくっとけよ」
よし江「あんた、行かないの」
沼田「お断わりだよ。あんなチンドン屋みたいな真似できるかい」
よし江「座布団、何枚作りゃいいの」
沼田「二百枚はいるな」
よし江「貸し賃いくら取るの」
沼田「一枚百円。おまえね、綿なんかじゃなくて、ウレタンマット使えよ」
よし江「二百もじゃ、そうする」
沼田「まったく、トロイ女だなァ、お前(出ていく)」
よし江「(不感症)︙︙」
●場内
ポツンとある太鼓。
沼田がぶらぶらときて、太鼓を指ではじく。
沼田「デッカイチンコ、デッカイチンコ、デッカイチンコ、ホイ。チェッ(と、ひとりで失笑)」
おや? と視線が一点にとどまる。
入口に、六歳位の女の子が立っていて、こっちを見ている。
沼田「?︙︙だれ」。
少女「パパいる?」
沼田「パパ?︙︙どこのパパだい?」
少女、逃げる。
沼田「なんだ?」
●表
二階から、雪之丞やら芸者やら児雷也やらが、太鼓かついで、にぎにぎしく下りてくる。
待っているリヤカーには、政吉が立てた〈花村月之丞一座〉の小幟と〈鈴なり座〉の横看板がくくりつけられている。
見送りに下りてくる沼田ひとりがシラケ気分。
リヤカーに太鼓をのせて、役者衆打ち揃い、いざ出発という、その時に、突然、横丁の物陰から、
〈パパ!〉と呼びかける少女の声。
ハッと振り向く、時次郎の畑中。
畑中「!」
少女の手を握りしめている平凡な中年主婦は、畑中の妻(和江)。
気まずそうに会釈する。
立ち竦む畑中。
一同、すぐさま察して、
常子「(畑中に)旅人
畑中「︙︙スイマセン。すぐ追い駈けます」
そそくさと出発していく町廻りの役者たち。
沼田と畑中、やや見送って、
沼田「︙︙奥さん?」
畑中「(頷く)」
沼田「あんた迎えに来たんなら、俺が話つけるぜ」
畑中「心配しなさんな。その反対さ」
妻の方へ歩み寄る畑中。
白塗りの顔を、わが子に向けて、
畑中「直子︙︙この顔で、よくパパだって、判ったね」
少女「ウン︙︙すぐ判った」
畑中「(妻に)持ってきたかい?」
和江「ええ︙︙(ハンドバッグから用紙を出しかける)」
畑中「上、行こう」
畑中の時次郎に従って階段を上る妻子。
沼田、見上げて、
沼田「別れるのか︙︙」
●三号室
離婚届用紙に印鑑を押す時次郎。
畑中「(用紙を返して)︙︙長い間、苦労ばかりかけて、済まなかった」
和江「︙︙直子は、田舎で立派に育てますから」
畑中「︙︙頼む」
●売店
沼田が、少女とあそんでやっている。
一号室から、よし江がでてきて
よし江「︙︙どこの子?」
沼田「ちょいとな︙︙」
三号室から、畑中と和江がでてくる。
父をみつめる少女。
和江「直子︙︙パパの顔をよく見て覚えとくのよ。大きくなっても、忘れないようにね」
少女「パパ︙︙私の顔も、覚えててね」
畑中「(グッとくる)直子ッ︙︙覚えとくともッ」
未練を断ち切ってとびだそうとする畑中に、
沼田「待ちな」
沼田、ポケットからしわくちゃの千円札を二、三枚だして、畑中の手に握らせる。
沼田「ちょうど昼時だ。子供を腹すかしたまま帰すこたないだろう。そのへんで、三人で食ってきな」
畑中「(意外)⁉︙︙でも、私にゃ、町廻りが」
沼田「俺が代ってやるよ」
●表
白塗り股旅人の沼田が、サッソウととびだしてきて、鉄階段を駆け下りていく。
●町中各所
沼田の時次郎が、バカ囃子の太鼓の音を追って駈けていく。
振り返る通行人たち。
●町角
バカ囃子に追いついて仲間に加わる沼田の時次郎。
市太郎「?︙︙あんたは」
沼田「ヘイ、代役で」
見物客に向って、常子の口上。
常子「東西、東西ーい。このたび、ご当地下北沢は鈴なり座の柿落しへ初お目見得いたしまする花村月之丞一座にございまする。待ちに待ちたる鈴なり座の新装開演は、いよいよ来たる二十八日が初日にござりますれば、なにとぞ、お誘いあわされまして賑々しくご来場たまわらんことを、座員一同、乞い願いたァてまつりまする!」
雪之丞の常子以下全役者、画面に向って深々と一礼する。
テーマ曲始まる。
町中各所――。
〈花村月之丞一座〉の町廻り風景。
途中、妻子連れの畑中が一行を見かける。
時次郎の沼田にそっと感謝の一礼をする畑中。
そんな情景に――キャスト・スタッフ・タイトル流れて、
エンディング――。
浜に雪が降っている。
長谷川伸の名作「雪の渡り鳥」は大詰・二場の間戸ヶ浜付近。
鯉名の銀平(嵐熊吉)と卯之吉(市川染太郎)が、百助(尾上松之助)と作蔵(清水政吉)を相手の立ち廻り。銀平と卯之吉、それぞれ二人のやくざ者を斬って、
銀平「さァ、卯之、この先でお市ちゃんも待ち合す筈、早く行け」
卯之吉「有難う。行って別れを告げてくらあ」
銀平「何だと」
卯之吉「堅気になったは束の間で、今夜限り元の体だ。お前を真似て、旅へ出るよ」
銀平「そうか。止せとはいわねェ、自由にしな」
卯之吉「お前は」
銀平「俺ァ、これから下田へ行こう」
卯之吉「じゃァ別れか︙︙」
銀平「早く行きな」
卯之吉、去る。
入れちがいに、九郎蔵(坂東玉二郎)と又五郎(中村京四郎)その他の子分、武装して追いかけて来る。
又五郎「や、百助がやられてらあ」
銀平「俺がやったんだ。こっちにゃ洞穴
九郎蔵「卯之の家へ行って見たが立ったあと、てっきり彼奴が行きがけに、やった仕事と思ったに、思いがけねェ銀平が舞い戻ってきてやったのか。銀平、親分の弔いになくてはならねえ手前の首、貰うぞ」
銀平「取れたら取れ。ひとッきりで大事な物だ、滅多にうぬ等にくれるものか」
又五郎「野郎、黒目の又五郎だ」
銀平「さあ来い」
斬り合い激しくなり、雪が盛んに降る。
メインタイトル――『淋しいのはお前だけじゃない』
●豪邸のガーデンテラス
第七話「雪の渡り鳥」
初夏の風の輝き。
緑の芝生も眩しいブリリアントな昼下り。
令嬢の大谷理恵が、興信所の調査員の報告書に目を通しながら説明を聞いている。
理恵「(報告書をめくっている)――」
調査員(声)「御依頼の、松永健次氏の、ホテル・ロワイヤル退職後の動向についてですが、現在従事している職業は、大衆演劇の役者」
理恵「(怪訝に顔を上げる)役者?︙︙彼が?」
●町廻りスナップ
町廻りの健次(染太郎)を追う隠し撮りのカメラで――
ストップ・モーション。
染太郎の扮装は水もしたたる新内流し。
「花村月之丞一座」の幟の下に太鼓叩いてねり歩く月之丞(常子)以下の座員たち。
調査員(声) 「ハイ、花村月之丞一座と称するドサ廻り劇団の座員となり、名も、市川染太郎と改めております。一座の総員は、十名。女座長の花村月之丞は、本名、由良常子」
雪之丞の扮装の月之丞の顔――ストップ・モーション。
調査員(声)「つい先頃までは、青竜会という広域暴力団幹部の囲われ者だった女です」
芸者姿の市太郎――ストップ・モーション。
調査員(声)「一座の花形、竹沢市太郎。座長の月之丞とは夫婦も同然の仲です」
●鈴なり座・表
花村一座のポスター(月之丞と市太郎)を表に貼る、政吉。
調査員(声)「ほかに、頭取の清水政吉」
●場内
舞台に下した定式幕の虫喰い穴を、役者の名前の布切でふさいでいる。〈中村京四郎〉の布切をもって幕の上をうろうろしている京四郎(畑中)。
調査員(声)「中村京四郎こと畑中洋一郎は、元はニッタ自動車販売のセールスマン」
〈尾上松之助〉の布切を貼りつけている松之助(山村)。
調査員(声)「芸名、尾上松之助、本名、山村謙二郎、本職はコンピューターのプログラマーですが、目下は、心身症型の自律神経失調症と診断されて休職中の身の上です」
客席で座布団縫いをしている芳沢みなと(妙子)。
調査員(声)「小川妙子。芸名、芳沢みなとは、病気の夫をかかえた主婦で、座員の中ではひとりだけ通いのようです」
●二号室
ホテル太陽の浴衣姿でひとり踊りの稽古をする板東玉二郎(久保)。
調査員(声)「元は駅員の久保三郎。芸名、坂東玉二郎」
同室者の染太郎が「飯だ」と呼びにくる。
●場内
車座になって昼飯を食う座員たち。
まずそうに麦飯を食う。染太郎、玉二郎、京四郎、松之助、みなと。
調査員(声)「松永氏、久保氏、畑中氏、山村氏、小川さんらの転職組には、ひとつの共通点がございます。それは、借金です」
ガツガツとだれよりも大飯喰らっている嵐熊吉(沼田)。
調査員(声)「元パラダイスローンズというサラ金業をやっていた沼田薫。この男が、松永氏たちの債権者です。松永氏たちの債務は、そのまま沼田の後任者に引き継がれた筈ですが、いかなる話し合いの結果か、松永氏らの借金は凍結のまま、沼田が事実上の肩代り状態にあり、松永氏らの身柄はあたかも担保の様なかたちで、昼夜、沼田の監視下におかれています」
●場内
舞踊の稽古風景。
染太郎、松之助、玉二郎、京四郎、みなと、熊吉が、一列に並べられて、月之丞、市太郎の厳しい指導をうけている。
一同、未だ未熟ながらも前回よりは見られる恰好になりつつある。
調査員(声)「サラ金取り立て屋の沼田が、どんな因縁で月之丞や市太郎と知り合い、その上、どんないきさつから自分の債務者たちを引き連れてあの様な一座を結成するに至ったのか、まだ不明の点も多いのですが、ともあれ、下北沢は鈴なり横丁の二階、鈴なり座の常打ち小屋に陣取った彼等は、いよいよ、明日、柿落
●売店
売店兼台所。
よし江、問屋から買ってきた売店用の菓子類や飲み物類を棚に並べている。
調査員(声)「(ぞんざいに)あ、ついでながら、もう一人、一座の雑役婦のような者もおりましたので当ってみましたら、これは沼田のつれあいでした」
●場内
市太郎が、座員一同を並べて、
市太郎「さてと、いまから明日初日の狂言の稽古にはいりますがね、出し物と配役を座長から発表してもらいます。座長、お願いします」
月之丞、メモを手に立つ。
一同、緊張。
月之丞「狂言は、忠治旅日記。配役は、火の玉の若い者、市川染太郎!」
染太郎「!」
月之丞「同じく火の玉の若い者、尾上松之助」
松之助「!」
月之丞「用心棒、椿四十郎、中村京四郎」
京四郎「(にんまり)!」
月之丞「茶店の後家、おふじ、竹沢市太郎」
市太郎「︙︙︙」
月之丞「その娘、お浜、芳沢みなと」
みなと「(テレる)︙︙」
月之丞「土地の親分、火の玉の大五郎」
顫吉「(俺か)︙︙」
月之丞「坂東玉二郎」
玉二郎「!」
月之丞「国定忠治は、私がつとめさせてもらいますよ」
市太郎「そういうことで、早速、稽古にはいるよ」
熊吉「あの、俺の役は?」
月之丞「熊吉は、今回はありません」
市太郎「せいぜい歌と踊りの方で頑張ってね」
月之丞「じゃ、市チャン、口立てでお願いするわ。みなさんも、市太郎に、よろしくお願いします、と言って」
熊吉をのぞく全員で、
一同「よろしくお願いしまァす」
市太郎「ハイ、ハイ、それでは、みんな、舞台の方、上って」
市太郎に従って、一同、舞台へ上がる。
ひとり取り残された恰好の熊吉。
熊吉「︙︙︙」
市太郎の口立てで、「忠治旅日記」の稽古を始める一同を、ひがみっぽく眺める熊吉、しばらく小馬鹿にしたような目つきで眺めて虚勢をはって立ち去る。
●売店
電話局の工事人が廊下にピンク電話を設置している。売店の値段表をマジックで書いているよし江。
熊吉が来て、
熊吉「おい、下足用のビニ袋は」
よし江「きてる」
熊吉「灰皿は」
よし江「揃えた」
熊吉「きょうびラーメン百五十円はねェだろう。百八十円にしな」
よし江「インスタントにお湯かけるだけよ」
熊吉「百八十円ッ」
値段表の百五十円に横線を引いて、下に百八十円と書き直す、よし江。
熊吉「ばか、新しく書き直せ。どけ、俺がやるッ(マジックをひったくり)」
よし江をどけて、値段表を書く。
〈ラーメン・百八十円〉
よし江「罐ビールはいくらで売るの?」
熊吉「(書きながら)二百五十円」
よし江「コーラは?」
熊吉「百五十円」
よし江「お茶は?」
熊吉「百五十円」
よし江「ぼろいねエ。売店の儲けは、みんな私らのもんだよね」
熊吉「心配すんな。儲けはみんな国分が吸いあげてってくれるよ」
よし江「自動車事故で死んでくれないかしらねェ、国分さん」
熊吉「国分の車、黄金のロールスロイスだぜ。ジャリトラとぶつかっても死なねェよ」
政吉が下から上ってきて、
政吉「寿湯
熊吉「いやァ」
政吉「だめじゃねェか。地元の風呂屋にゃ、真ッ先に行って貼らしてもらわなきゃ」
熊吉「よし江、いって来い」
政吉「俺がいくよ。ビラ下券二、三枚もってこか」
よし江「ビラシタ?」
政吉「招待券だよ。貼り賃代りに風呂屋に差し上げるんだ」
熊吉「おまえ、印刷屋が持って来た切符は?」
よし江「下の木戸においてる」
熊吉「ばか、部屋にしまっとけ。盗まれたらどうすんだ、この。早く、取ってこいッ」
よし江、階下に駈け下りる。
ついて来る政吉。
電話工事人が電話のテスト。
工事人「(受話器とって)こちら鈴なり座、鈴なり座。本日は晴天なり。ハイ、オッケイ(切って、熊吉に)取りつけ終りましたから」
熊吉「ご苦労さん」
工事人「印鑑、お願いします(と書類を差し出す)」
熊吉「判コはと︙︙(売店の引出しをあさる視線が、ふと、あるものにとまる)」
ガラス箱の中のチョコレート、懐しのハーシーがある。
熊吉「!」
印鑑を工事人に渡して、自分はハーシーを取り出してみる。
工事人「ハイ、どうも(と印鑑を返す)」
熊吉「(受けとり)︙︙電話屋さん、子供は?」
工事人「え? 坊主がひとり」
熊吉「いくつ」
工事人「幼稚園ですが」
熊吉「そう︙︙(ちょっと惜しい気もするが)コレ、お子さんに︙︙(と、ハーシーを差し出す)」
工事人「こりゃどうも(無雑作にもらおうとすると)」
横合いから、ちょうど戻ってきたよし江がカラスのようにひったくって、熊吉を睨む。
よし江「売り物ンですよ。これは。(工事人に)御苦労さん」
工事人「(舌打ち)なんでェ」
むくれて引き上げる。
よし江「ひとにガメツイことばっかり言って、自分は、どういうつもり? も、どいて(ハーシーを棚に戻す)」
熊吉「︙︙(廊下へ去る)」
廊下――
熊吉、立ち止まる。
劇場内からもれて来る芝居の稽古の声。
市太郎の声「そこへひとり旅人が訪ねてきて、一夜の宿をお願いしますと娘に頼む――」
熊吉「(しばし佇み耳を傾ける)︙︙」
「雪の渡り鳥」のメロディ始まる。
●インサート
股旅姿の役者に、ハーシーのチョコレートをもらう薫少年。
●廊下
熊吉に戻って、音楽消える。
熊吉「(自嘲)︙︙甘えなァ、俺も」
部屋に去る。
●場内
市太郎の口立てを、真剣なまなざしで聞いている座員たち。松之助はいちいちメモをとっている。
市太郎「夜中になって、忠治が寝ていると、娘が、そっと忍びこんできて、忠治の枕元から財布を盗む! 忠治、ハッと目を覚まして、とび起きる。だれだッ」
市太郎の口立て、自然と盛り上って、緊張していく面面の表情。
●一号室
「想い出まくら」の歌をカセッ卜に流して、ひとり秘かに踊りの振りを研究する、熊吉。
●場内(夜)
その歌流れて、いつか夜となり、座長のまえで研究の成果を披露している熊吉。
月之丞の非情の鞭がビシッと熊吉の尻をブツ。
熊吉「痛テッ」
月之丞「腰がはいってないッ、次」
熊吉「(尻をさすって退場)︙︙」
代って「残菊ばやし」の曲が流れ、松之助とみなとがおずおず立って踊りだす。二人踊り。
月之丞「色気忘れないで。肩、落として!(ビシッとみなとの肩を鞭でぶつ)」
みなと「(半べそ)︙︙」
●売店
うどんを作っているよし江の脇のピンク電話で、ご贔屓
市太郎「(電話)明日の柿落し、忘れちゃいやよ。もう席もいちばんいいとこ取ってあんだから。本当? 嬉しい。御主人にみつかんないようにね。あたし、まだ命惜しいからサ」
その間にも、劇場内から、みなとが泣きべそ顔でとびだしてきて、廊下の陰で忍び泣く。
それをまた、熊吉が追ってきて、
熊吉「辛いのは、奥さんだけじゃないんです」
みなと「踊りが下手なのは判ってます。でも、犬や猫じゃないんだから、なにも、鞭でぶたなくったって」
熊吉「奥さんの美貌に嫉妬してんですヨ。あの座長。我慢して下さい」
などと、なぐさめながら中へ連れ戻す。
よし江も市太郎も、そんなこと知ったこっちゃない。よし江は十人分のうどん作りでくたくた。
市太郎は、メモをめくって次へのダイヤル廻し、
市太郎「エート、次は吉原のトルコのミキちゃん︙︙」
●場内(夜)
その夜――。
鞭を鳴らして怒る月之丞。
月之丞「(熊吉に)あんた! 明日が初日だっていうのに、稽古をやめて、下に働きにでろッて言うのッ」
熊吉「(腕時計をみて)一応十時になったし、二、三時間顔だけでも出してもらいたいんだなァ。そういう約束だしさ」
月之丞「約束もヘチマもないでしょうッ。ひとの苦労も知らないでよくそんな呑気なこと言えるわね、この人」
政吉「とてもじゃないが銭とって観せられるシロモンじゃねェんだぜ、あんたらの芸は」
市太郎「座長は踊りを、私は芝居を、手とり足とり教えても、一卜月はかかるところを一日でやろうとしてるんだよ」
月之丞「まァいいじゃない。稽古のいらない人には行ってもらえば。恥をかくのは本人なんだ」
玉二郎「(すかさず)あたし、お稽古お願いしますッ」
染太郎「俺も、もうちょっと踊りの稽古しないと自信ないなァ」
京四郎「この上、バーテンやらされちゃ身がもたないヨ」
玉二郎「あんた、バーテンだからまだいいよ。こっちは、おかまバーだよ。火の玉の親分と切り換えきかないですよ」
松之助「みなとちゃんだって、今夜から、月末まではアパートには帰らないで、こっち泊まり込みで頑張るッて言ってるのに、ホステスなんかさしちゃ時間が勿体ない」
玉二郎「(みなとに)泊まるッて、部屋は?」
みなと「まだ、決めてないけど︙︙」
熊吉「(大声で)俺の部屋でいいッ、俺の部屋で!」
熊吉︙︙孤立。
熊吉「︙︙俺は、外でいいヨ。なんでェ、どいつも、こいつも可愛いくねェ野郎共だ(と踵を返す)」
●廊下(夜)
熊吉、でてくる。
よし江「飯にしてもいい?」
返事せず階下へ降りていく熊吉。
よし江「(劇場内に呼びかける)夜食どうぞ!」
●横丁の表(夜)
「モンパルナス」から、ペコペコ低頭しながらでてくる熊吉。
熊吉「セラヴィのママさんにも詫び入れときましたんで。招待券、また、ごそっと持ってきますんで。済いません、勝手ばっかり言って」
ベラがでてくる。
ベラ「そりゃいいけど、あんた、神棚、作ったでしょうね」
熊吉「神棚?」
ベラ「首吊り心中の話したでしょう」
熊吉「あ、ストリップ小屋のとき、舞台で」
ベラ「忘れないでヨ。祟るわヨ」
熊吉「手頃な神棚がなくて。でも、すぐやっときます」
ベラ「ケチっちゃ駄目よ」
熊吉「そんなつもりは、毛頭。信心深い方ですから、こうみえても(と、そそくさ二階へ駈け戻る)」
風がでる。
不吉にはためく花村一座の幟。
●翌日――街路
〈花村一座〉の町廻り風景。(熊吉はいない)
●鈴なり座・表
木戸を掃除するよし江。
上からは熊吉の歌声「帰ってこいよ」が聞こえている。
「鈴なり座は、此所ですか?」
よし江?
理恵が立っている。
よし江「いらっしゃいませ(木戸から切符をとり)一枚ですか? 七百円です。開演は六時半ですけど」
理恵「沼田さん、いらっしゃいます?」
●場内
マイク片手に舞台の上で声はり上げている白塗りの熊吉(服は普段着)。
熊吉「〽帰ってこいよォ 帰ってこいよォ
帰ってこいよォ︙︙」
よし江が理恵を連れてくる。
理恵――会釈。
熊吉「?」
●「モンパルナス」・店内
ラケルメレーの「パリの屋根の下」流れる中で、理恵と向かい合っているお役者・熊吉。
熊吉「別れる気がない?︙︙︙とおっしゃるんですか」
理恵「︙︙まだ、諦めがつかないんです」
熊吉「興信所でお調べになったんなら、あらかたのことは御承知の上なんですね。まえの女にゆすりかけられて、手切金づくりにサラ金にまで手だして、あなたのお父さんのホテルもクビになって、此所まで落ちてきた男ですよ。この上、なんの未練があるんです?」
理恵「︙︙私、先週まで一卜月、イタリアを旅行してました。帰ってきたら、あの人は、会社を辞めて行方知れずになってました。一通の置手紙も、ひと言の弁解もしないで、私のまえから姿を消したんです。私、彼は、いさぎよいと思いました。過去の犯ちなんかどうでもいいんです。いまでも、私への気持が変わらないでいてくれるなら︙︙」
熊吉「奴の気持が変ってなけりゃ、どうしようってんです?」
理恵「︙︙私、彼についていきます」
熊吉「お嬢さん、お父さんを説得できますか」
理恵「父は決して許さないと思います。私が家を出ます」
熊吉「家出ね︙︙」
理恵「彼となら、どんな貧乏でも耐えられそうな気がします」
熊吉「ふうん︙︙(思案)」
カウンターで黙々とトランプ占いをつづけているベラ。熊吉、ベラと目が合い、無言の苦笑を交わす。
ベラ「︙︙︙」
熊吉「︙︙(無言の思案の果てに、ボソリと)言っちゃおかなァ」
理恵「?」
熊吉「松永さんにゃネ、もう、コレ(小指)がいるんですヨ。判るでしょう? コレ」
理恵「!︙︙」
熊吉「同じ座員でね、妙子ッて人妻なんだけど。なんせ色男だもの、野郎」
理恵「(みるみる失意が浮かぶ)︙︙」
●下北沢駅前
理恵が一直線に階段を駈け上っていく。
理恵とすれ違いに階段を下りてくる馬場。
街頭の宝クジ売りの婆さんに、
馬場「(宝クジを一枚買って)鈴なり座はどっち?」
売り子「(知らぬ)さァ︙︙」
馬場「(不安)知らねェの?︙︙」
●鈴なり座・木戸
よし江が俯いてマンガ本を見ている。
「ヨッ!」
木戸口に馬場の顔が覗く。
よし江「!(ビクッと顔を上げる)」
馬場「捜したぜ。知られてないねェ、この小屋。大丈夫? 入りはどう?」
よし江「(モゴモゴ、ひきつり笑い)︙︙」
馬場「花輪もないし、淋しい初日だねェ。上ね(と、勝手に上る)」
よし江「(身をのりだして見送る)︙︙」
●売店
駈け上ってくる馬場。
白塗りの顔で売店に立っている熊吉に、
馬場「イヨッ、千両役者。偵察だよ、偵察」
熊吉「(ギクリ)!」
馬場「お互い、小指がかかってるからヨ。入口、こっちか?(と、入る)」
熊吉、慌てて座布団と茶のセッ卜をもって追う。
●場内
開演前の定式幕が閉まっている。
演歌のレコードが、客もまばらの劇場内に空しく響いている。
真ン中に、不機嫌に坐っている馬場。
熊吉が座布団をすすめる。
熊吉「どうぞ、お当て下さい」
馬場「客、これっぽっちか︙︙」
熊吉「ぼつぼつ埋まるでしょう」
馬場「月末まで、あと三日ヨ。三日で百三十八万円。大丈夫ね」
熊吉「ダメなら、こいつを一本(小指)くれてやるまでですヨ」
馬場「いい度胸だ」
熊吉「(とは言うものの見渡し、不安)︙︙」
突如、音楽が止まり、玉二郎の場内アナウンスが流れる。
アナウンス(玉二郎)「長らくお待たせ致しました。本日はお忙しい中、当鈴なり座柿落し特別公演に御来場下さいまして誠に有難うございます」
緊張する熊吉。
●舞台下手ソデ
玉二郎(火の玉の親分の扮装)がマイクでアナウンス。
玉二郎「では只今より、花村月之丞一座にてお送り致します本日の御下題、第一部に御覧頂きます、みなさま方お馴染み、国定忠治は忠治旅日記」
脇で、古い拍子木を撫でて感慨ひとしおの政吉。
●木戸
花束をもったベラが招待券をよし江に渡して上っていく。
マンガ本にもどる、よし江。
アナウンス「そして、第二部は、あの歌この歌、花の歌謡ショー。第三部は、夢の舞踊ショーをもちまして本日のおひらきでございます。最後のお時間までごゆっくりおあそび下さいませ」
●場内
ベラがきて前の方に坐る。
熊吉、ペコペコ会釈。
アナウンス「では、第一部に御覧頂きます、忠治旅日記の主なる配役、御紹介致します」
●楽屋
ロケッ卜発射の秒読みにも似た緊迫感で――
アナウンス「火の玉の若い者一役、市川染太郎」
染太郎「!」
アナウンス「同じく火の玉の若い者一役、尾上松之助」
松之助「!」
アナウンス「火の玉の用心棒、椿四十郎一役、中村京四郎」
京四郎「!」
舞台――
アナウンス「茶店の後家おふじ一役、竹沢市太郎」
市太郎「!」
アナウンス「その娘おはな一役、芳沢みなと」
みなと「!」
舞台ソデ――
玉二郎「土地の大親分、火の玉の大五郎一役、坂東玉二郎」
楽屋――
アナウンス「そして、御存知国定忠治一役、座長、花村月之丞。その他オールスターキャストをもちましてお送り致します、忠治旅日記、最後のお時間までごゆっくりおあそび下さいませ」
忠治姿の月之丞――鏡に向かって、
月之丞「母ちゃん︙︙」
舞台ソデ――
政吉が、木がしらを打つ!
玉二郎が下座のテープを入れて、幕を開ける。
馬場やベラや熊吉らの前に、茶店の座敷がひらける。そこで語らう玉二郎のおふじと娘のみなと。芝居の開幕。
まばらの拍手。
母子のやりとりのあと、すぐに、下手よりヤクザの子分、染太郎と松之助が登場する。
客席――
熊吉、ベラのうしろに、にじり寄り舞台の上の染太郎を眺めながら、
熊吉「(耳打ち)染太郎にゃ、御令嬢のことはコレ(口をつぐむ手つきで)」
ベラ「分ってるわヨ。悪党」
何も知らずに芝居をする染太郎。
熊吉、出ていく。
●売店
熊吉くると、よし江がカップラーメンに湯をかけて食べようとしている。
熊吉「なに油売ってんの、お前」
よし江「も、こないでしょう、始まっちゃったから」
熊吉「途中からでもくる奴はくるんだよッ。下、行ってろッ」
熊吉に追いたてられて下りていく、よし江。
●場内
市太郎母子と火の玉の子分(松之助と染太郎)のからみ。
五両の証文がいつの間にか五十両になっていると言ってもめている。
退屈そうに観ている馬場。
●場内(夜)
舞台は歌謡ショーになって――
歌手は熊吉、精一杯しゃれたつもりの着流しで「帰ってこいよ」をカラオケバックに熱唱する。
熊吉「〽帰ってこいよォ 帰ってこいよォ 帰ってこいよォ」
ベラが、花束を渡す。
熊吉、すっかり二枚目気取りで退場。
馬場「(鼻で嘲笑って)長生きするよ」
アナウンス「お待たせしました。つづきましては、座長、花村月之丞に歌って頂きましょう。名曲、悲しい酒。どうぞ」
月之丞、艶っぽく変身して登場。
「悲しい酒」を歌う。
馬場「︙︙二千万の借金背負わされて気の毒に。相手が青竜会じゃ、逃げも隠れも出来ねェしな︙︙」
隣りの老婆が無言でバナナをくれる。
しつこくすすめる。
馬場「(気味わるいが、もらう)︙︙」
●売店(夜)
衣装のままの熊吉が、興奮を残して戻ってくる。
売店はみなとが代りをつとめている。
熊吉「やァ、あがった、あがった。バトンタッチ」
みなと「座布団がひとつ出ました」
熊吉「ハイ、ありがと」
みなと、楽屋へ駈け去る。
場内から馬場がバナナ下げて浮かぬ気にでてくる。
熊吉「あ、馬場さん。見てくれました(と胸を張る)」
馬場「肝心のもんがとんでこないじゃねェの、肝心のもんがサ」
熊吉「おひねり? これからですよ。舞踊ショー見てって下さい」
馬場「金持ってそうなのいねェがな。こんなのばっかりだ(とバナナを熊吉に渡す)」
熊吉「金持ちは、金はバラまきません。貧乏人ほど、くれたがるんです」
ベラでてくる。
ベラ「素敵だったわヨ、熊チャン」
熊吉「お帰り? これから舞踊ショーですよ」
ベラ「みたいけど、店があるから。また明日。(下りていく)」
熊吉「お花、ありがとうございましたァ」
馬場「俺も、帰ろかな」
熊吉「ほかの奴らはともかく、月之丞と市太郎の踊りが勝負です。嫌味な二人だが、口惜しいかな、金のなる木。ひと舞い片手の花が咲きます」
馬場「五万?」
熊吉「五十万」
馬場「まさか」
熊吉「三日で百五十万。二千万の今月分の利息百三十八万円、きれいに払える計算になってるんですよ」
●楽屋(夜)
舞踊ショーの着替えで、ごった返している。
踊って戻ってくる京四郎。
京四郎「やァ、終ったァ」
迎える、松之助、みなと、染太郎。
染太郎「ご苦労さん」
松之助「さァ、いよいよぼくらの番だ。いくか、みなとさん」
みなと「ハイ」
アナウンスが流れてくる。
「つづきましては、尾上松之助と芳沢みなとの名コンビで、残菊ばやし」
手を取り合って出ていく松之助とみなと。
着替える月之丞と市太郎。
目を見交わし、ヒソヒソ。
月之丞「市ちゃんのご贔屓さん、きてる?」
市太郎「パラパラ︙︙小口ばかり」
月之丞「お先、真ッ暗」
●舞台ソデ(夜)
月之丞と市太郎、ソデにきて出を待つ。
舞台では、松之助とみなとが助け合いながら懸命に踊っている。
政吉が、涙ぐみ、
政吉「お嬢︙︙(木がしらを見せて)聞いてくれました? あっしの木がしら」
月之丞「ええ、昔のまンま、さえわたってたわ」
政吉「ひと目見せたかった。お嬢と市ちゃんの晴れ姿。座長が生きてなすったらねェ︙︙」
市太郎「お嬢︙︙今日は初日だ。亡くなった座長に見てもらう気で踊ろうよ」
月之丞「あい」
●場内(夜)
アナウンス「長らくお待たせを致しました。つづきましては、座長花村月之丞と竹沢市太郎の名コンビでお送り致します。恋の唐傘。御両人どうぞ!」
「恋の唐傘」の音楽にのって登場する、月之丞と市太郎。
熊吉と馬場が入ってきて、立ち観する。
熊吉「まァ、見てて下さい」
馬場「―――」
舞台――月之丞と市太郎の入魂の舞い姿。
しかし、待望の花はとんでくる気配がない。
ジリジリしてくる熊吉と馬場。
熊吉「ぼつぼつきまっせ︙︙」
二、三人の中年女や老婆が、二、三千円とかタバコとかバナナとかを上げる。
馬場――冷笑。
熊吉――あせる。
無心に踊る月之丞と市太郎。
馬場、もはや見るに及ばずとばかり、サッと出ていく。
熊吉「(おろおろと追う)ばばさん︙︙」
●廊下(夜)
「馬場さん」
と、ついてくる熊吉を突き放すように、
馬場「いいか。間違ってもあの二人をフケさせたりするな。国分さんにゃ見たまンまを報告しとく(階段を駆け下りる)」
熊吉「チョ、ちょっと待って下さいッ(と追う)」
●木戸前(夜)
鉄階段を駆け下りて、馬場を見送る熊吉。
木戸から、よし江が心配そうに覗く。
よし江「アンタ︙︙」
熊吉「︙︙(力なく)切符の上がり、いくらあった」
よし江「(銭箱みせて)はいった客は、四十二人だけど、招待券できたのが十二人。だから、売れた切符は三十枚。二万一千円の上がり︙︙」
熊吉「(ガックリ)︙︙」
●舞台(夜)
踊る月之丞と市太郎。
●木戸口(夜)
消沈の熊吉とよし江。
熊吉「あいつら、やっぱりキツネだ。俺は、驅された︙︙」
●舞台(夜)
踊る月之丞と市太郎。
日めくりカレンダー。
二十八日がめくれ――ニ十九日。
「忠治旅日記」の舞台より、忠怡(月之丞)が、市太郎、みなと母子を訪ねる下り。
舞踊ショー。
踊る京四郎。
二十九日がめくれて――三十日。
「忠治旅日記」の舞台より、忠治対火の玉一家の立ち廻り。
忠治に斬られる大五郎(玉二郎)と子分(松之助、染太郎、京四郎)たち。
舞踊ショー。
踊る月之丞と市太郎(矢切りの渡しの扮装)。
二日間の舞台が夢のように流れて――
●鈴なり座・表(夜)
三十日の深夜――。
しおれ気味の幟。
●一号室(夜)
寝ている、よし江とみなと。
●二号室(夜)
疲れ果てて寝ている、玉二郎と染太郎。
●三号窒(夜)
寝ている、京四郎と松之助。
●四号室(夜)
眠れない、月之丞と市太郎。
●楽屋(夜)
数々の衣装やカツラの中に政吉が寝ている。
●場内(夜)
舞台の上に、貸座布団を重ねて寝ている、熊吉。
悪夢にうなされている。
夢か、うつつか、︙︙熊吉のまわりに妖気が漂い、熊吉の体が宙に浮きだす。
よくみると、数人の黒子が、文楽の人形のように熊吉の手足をもって、舞台の上から吊るされている首吊り縄に、ひっかけようとしている。
人形振りで逆う熊吉。
熊吉「やめろ! やめてくれェ!」
とび起きる熊吉。
一瞬にして消える幻。
熊吉「︙︙(脂汗)」
ヨロヨロと起き上り、便所へ行く。
●廊下(夜)
便所からでてくる熊吉。
四号室のボソボソ声に、ふと立ち止まる。
声の主は、月之丞と市太郎。
月之丞(声)「逃げよう。一緒に逃げて、市ちゃん」
市太郎(声)「逃げるッてどこへ。どこへも逃げられやしないヨォ」
月之丞(声)「明日の夜には国分がここへくるのよッ。それまでにどこかへ逃げなきゃ」
熊吉「⁈︙︙(抜き足で去る)」
●舞台(夜)
坐り込む熊吉。
熊吉「(何を考えついたのかボソリと)︙︙あいつを、売るか︙︙」
●翌日――公衆電話ボックス
熊吉が(理恵に)電話をしている。
熊吉「(電話)あれから、妙子にはよく言い聞かせまして、身を引かせました。松永さんもね、お嬢さんのもとへもう一度戻りたいと言ってるんですよ。ただ、お嬢さんも御承知の通り、松永さんにゃ借金があるんですよ。百三十八万円ね。こいつさえ払って頂けりや、彼をお嬢さんにお返しできるんですがねェ。︙︙そりゃ一時間だって早い方が。ことに今日は月末でしょう。借金には利息ッてもんがありましてね。今日までだったら百三十八万。明日になったら、また増えるんですよ。今日、来て頂けますか︙︙」
●鈴なり座・場内(夜)
舞台は「忠治旅日記」大詰。
旅立つ忠治と市太郎、みなと母子の別れの場。
母(市太郎)「(忠治からもらった財布を握りしめて)それじゃ難儀を救って下すったばかりじゃなく、こんな大金まで私たちのために」
忠治(月之丞)「気にせず使ってくんねェ」
母「忠治親分、ありがとうございます」
忠治「おっと、やくざに頭を下げちゃいけません。娘さん、親孝行なせェよ」
娘(みなと)「はい。御恩は一生忘れません」
母「親分、これからどちらへ」
忠治「さァねェ、追われ追われのこの忠治、いまじゃ上州に帰ェることもできねェ凶状旅。行きあたりばったりの草の根枕、あても果てしもねェ旅にでるんでござんす。おッと、お女将さん、娘さん、泣いちゃいけねェ。男のかどでに涙は禁物だ。(演歌伴奏はなやかに)お二人さん、笑って見送っておくんなさい!(見得)」
柝が入って幕。
まばらの拍手。
●楽屋(夜)
舞台から下りてくる月之丞、市太郎、みなと。
月之丞と市太郎、目と目で合図。
各々、支度している染太郎、松之助、京四郎たち。
●舞台ソデ(夜)
アナウンスの玉二郎。
玉二郎「つづきましての舞踊ショー。トップ・バッターは、市川染太郎。雪の渡り鳥!」
旅人姿の染太郎が、二葉百合子の歌にのって舞台へ上っていく。
政吉が、ロープを引いて紙の雪を降らす。
舞台――雪に踊る旅人染太郎。
〽未練みの字を 振りすてて
翼破れた 渡り鳥
●裏口(夜)
歌つづく中を、衣装のままの月之丞と市太郎が、小荷物だけ抱いて裏階段を下りていく。
二人、途中でギクリと立ち竦む。
階下で待ち構えている熊吉。
二人「⁈︙︙」
熊吉「国定忠治が後家さんと夜逃げかい。サマにならねェ話だな。︙︙戻ってもらおうか(と、上ってくる)」
上に追いあげられる忠治と後家。
月之丞「熊チャン、私ら引き戻していくら踊らせても、百三十八万の花は無理じゃないかしら」
熊吉「お前らの踊りなンか当てにしてるもんか。安心しな。金は、いま踊ってる染太郎が稼いでくれるよ」
二人?
●場内(夜)
〽思い切る気で いるものを
夢になぜ浮く 紅だすき
踊る染太郎。
理恵が入ってきて観る。
染太郎も、踊りながら理恵に気づく。
染太郎「(意外)⁈」
理恵「︙︙︙」
●インサート
ドライブをした、ありし日の健次と理恵。
スカッシュする健次と理恵。
水中でラブシーンする水着の理恵と健次。
〽無事か達者か
倖せだろか
風にかしげる三度笠
●場内(夜)
あのブリリアントな健次はどこへ行ってしまったのか?
この白塗りで演歌を踊る男が、本当に私の愛した人なのか?
見つめる理恵。
二番と三番の間奏にはいる。
舞台から、理恵に向かって、語りかける健次。
染太郎「もう昔のことだ、忘れた︙︙と言いてえところだが、忘れられねェ︙︙だからお市ちゃん︙︙俺ァ、だれのために行くんでもねえ︙︙お前のために︙︙俺ァ行こうぜ」
〽五尺いくらの この体
賭けてやるとも いつだって
理恵、バッグから、銀行の現金封筒を取り出して舞台に向かって進みでる。
踊る染太郎の足下に無雑作に置いて、さっさと出て行く。
踊りながら、見送る染太郎。
●廊下(夜)
出口に向かう理恵に、
「お嬢さん!」
と、熊吉が声をかける。
理恵「(振り向き)︙︙お金は舞台の上に置いてきたわ。百三十八万円」
熊吉「はいッ。下のモンパルナスで待ってて下さい。終ったらじき連れて行きますから」
理恵「もういいの。あの人を自由にして上げて︙︙(去る)」
熊吉「え?︙︙チョッ卜(舞台が気になる)」
●表(夜)
鉄階段を駈け下りて理恵が帰っていく。
うしろ姿に未練はない。
外で見張りの馬場が助平の目で見送る。
〽まして惚れてる 女のためだ
雪よ見てくれ 剣舞
●場内(夜)
音楽終って一礼して引っ込む染太郎。
マイク片手にソデからでてくる玉二郎。
玉二郎「ありがとうございました(と、紙筒を拾う)」
熊吉がとびだしてきて引ったくり、ポケッ卜に隠して、楽屋に染太郎を追う。
●楽屋(夜)
熊吉が染太郎をつかまえて、
熊吉「見たろ! 令嬢があんたを迎えに来たんだ! 早く行ってやれ! 早く」
染太郎「(キッパリ)別れは舞台で言った。これで、いいんだよ」
熊吉「別れ︙︙(ポカン)」
染太郎「彼女、舞台に何を置いてったんだろ?」
熊吉「(急にガメツク)舞台の上がりものは、俺が管理する約束だッ」
染太郎「どうぞ、御自由に(頓着ない)」
熊吉「(ホッとする)」
●表(夜)
月之丞以下、座員扮装のまま客を総出の送り出し。
客の一番最後から熊吉が階段を下りてくる。
よし江が蒼い顔で駈け上ってきて。
よし江「あんたッ︙︙」
馬場「お待ちかねだぜ」
熊吉「!」
馬場にうながされて見れば、道を隔てた向こう側に、一台の黄金のロールスロイスが不気味に停っている。役者たちも気づく。
玉二郎「あれみて、凄い車」
京四郎「ロールスロイスじゃないか」
みなと「黄金よ」
月之丞・市太郎「(恐怖)!」
ロールスロイスから、西方が降り立ち、ジッと一同を見据える。
熊吉、ゆっくりと階段を下りて、ひとりロールスロイスに歩み寄る。
テーマ曲始まる。
キャスト・スタッフ・タイトル流れだす中――熊吉が、西方に、現金封筒を渡す。
西方、ちょっと意外の表情で、中をあらため、車の中の人物に向き直る。
後部シートの窓が開き、国分の顔が現われる。
国分、窓から、熊吉と︙︙その向こうにまとまってこっちを見守っている役者群を眺めて︙︙また、無言で窓を閉める。
西方も運転席に戻る。
熊吉と、送り出しの座員一同に見送られて走り去っていく黄金のロールスロイス。
俯瞰。
エンディング――。

