もくじ

第一話 西伊豆早春譜

第二話 回想の中房温泉

第三話 療養上等、碁点温泉

第四話 九州横断、湯布院盆地

第五話 憧れの常磐ハワイ

第六話 玉造、皆美別館の夜

第七話 熱塩温泉、雪見酒

第八話 下北半島、海峡の宿

第九話 なぜか浦安草津温泉

第十話 春宵一刻一万五千二百円

第十一話 常磐ホテル 花梨の庭

第十二話 湯涌白雲樓のヤマボウシ

第十三話 五島列島、黴臭い旅

第十四話 安近短、埼玉に秘湯あり

第十五話 北海道、馬と漁り火

第十六話 奥鬼怒、露天風呂めぐり

第十七話 我が師の宿、大阪屋

第十八話 決死行、山中・山代・片山津

第十九話 軽井沢は真冬に限る

第二十話 呉越同舟、汪泉閣の宴のあと


山口 瞳

大正15年(1926)、東京生まれ。昭和37年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞、昭和54年には『血族』で菊池寛賞を受賞。平成7年(1995年)69歳没。

山口 瞳

大正15年(1926)、東京生まれ。昭和37年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞、昭和54年には『血族』で菊池寛賞を受賞。平成7年(1995年)69歳没。

温泉へ行こう

山口 瞳

西伊豆早春賦


部屋よし、風呂よし、按摩よしを期待して、
「踊り子」号に乗り込んだが

 温泉行に三種あり

 昨年暮の某日、慎重社の熟年向き総合雑誌編集長のヤマキョウ君とスバル君が拙宅を訪れた。
「なにか連載の仕事を考えてみませんか」
「いやあ、駄目だ。へたばっている」

「今年は何もやらないつもりだ」

「のんびりと暮したい」
 なんだか二人がニヤッと笑ったように思われた。不気味だ。何かあるゾ。
「ご承知のように、糖尿病と高血圧だ。コレステロールに中性脂肪。それに胃に引きれがある」
 僕は、去年、この雑誌の連載を二回で中止している。そうそう読者に迷惑をかけるようなことはしたくない。恥をかきたくない。
「だからよう、だからさあ、考えてきたんだよ」
 ヤマキョウ君は三十年来の友人である。急に友人同士の言葉遣いになった。
「温泉へ行っていただきたい。温泉へ行って、のんびりと静養してもらいたい」
 スバル君が後を続けた。なんだか二人組の詐欺にあったような気がする。一方で、うまく引っかけるもんだなとも思った。
「温泉へ連れて行くっていったって、結局は、それを書くことになるんだろう」
「それはそうです」
「それにだな。温泉と言ったって、どこへ行くのかね」
「まかせてください。良いところ、いくらでも知っています」
 スバル君は、つい最近まで、交通公社に勤務していた。
「そうかね」
 結婚詐欺にあう良家の子女になったような気がする。あれよあれよといううちに事が運んでしまう。
「これからは温泉の時代です」
 なんてことを言う。うまいことを言う。あとで一人になったら、温泉の時代? いくら考えても何のことかわからない。
「じゃあね、第一回はドイツのバーデンバーデンにしてくれたまえ」
「ギョ!」
 こんなことを言って笑ったら、もう僕の負けなのだ。
「いや、冗談だ。一回目は遠くないところがいい。あまり近くても面白くない」
 僕、もう、その気になっている。ホンダのスクーターのように、乗りやすいタイプなのだ。ナイス・フットワーク? 苦いものがこみあげてくる。
「もちろんです。いきなり遠くへ行くなんて考えていません」
「第一条件はだね、糖尿病もしくは高血圧に効くところ。温泉効果が一番だ」
「もちろん、そのつもりです」
「湯の町というムードがほしい」
「いいですね」
「あまり淋しくてもいけない。山の中の駅で降りてジープで一時間半、そのあと山道を二時間歩くなんていうのは、いくら温泉効果があっても、困る」
「そりゃそうですよ」
「ヌード・スタジオが一軒なんていうのがいい。ヌード嬢が一人、これが切符売りも兼ねているなんてところ。その劇場へ行くつもりはないけれどね」
「行ってもいいです」
「それから、何かポリシーがほしいな。狙いと言ったらいいかな。一貫するものね。どの場所にも共通するもの」
「混浴です」
 スバル君が唾を呑みこむのがハッキリと見えた。僕も大いに心が動いた。しかるに、この案は捨てざるをえないことになった。なぜならば、西のほうには混浴の温泉が極めて少いからである。混浴は、東北・北海道に多いのである。
「露天風呂
「あ、それ、いいな」
「露天風呂とか、村の衆の共同浴場のあるようなところ」
「それだよ」
「秘湯めぐりってのもいいですね」
「それはいい。熱海とか草津とか登別のぼりべつってのは、マンションに大浴場があるようなもんだ。それはいいが、読者に馴染みがあるところがいい。行こうと思えば行かれるところ。冒険旅行じゃないんだから」
「その通りです」
「それからだね、絵は駄目だよ。スケッチ旅行は前にやっているから。絵の道具は重いんだよ。それに絵を描くってのは疲れるんだ。ご承知かどうか知らないが。さらにだな、場所探しに時間をとられる。静養にならない」
「そんなこと考えていません」
「じゃあ、そんな線で考えてみてくれたまえ」
 うかうかと乗せられてしまった。
 およそ、温泉行に次の三種類がある。
 一、団体旅行。会社の宴会や社員旅行で温泉へ出かける。ドンチャン騒ぎをする。このごろは、気のあった同士、サロンバスを仕立てて、道中飲み通し、カラオケ大会、着いたときは泥酔状態なんてのもある。
 二、美女とともに温泉にしけこむというやつ。口説文句に「どっか一泊旅行しないか、温泉かなんか」というのがあるそうだ。洗ったり洗われたりで、綺麗になりサッパリして帰ってくる。そのかわり一睡もできない。脹れぼったい目になる。静養にならない。第一、これはさいが許さない。
 三、湯治。農閑期のお百姓さんなんかが行くやつ。これは長逗留になる。多くは自炊である。僕、それは不得手だ。それに、言いたかないが、そんなひまはない。リハビリテーション(社会復帰)なんてのも、これ。
 さあ、困った。
 僕の温泉行は、どれに当るのだろうか。いて言えば湯治にちかい。ミニ逗留か。とかく、われら日本人、
「疲れたから、温泉へでも行こうじゃないか」
 と言う。そうして、出かけていっちゃ、さらに疲れて帰ってくるのである。変な人種だ。そうなっては困る。
 温泉というのは本当に体に良いのか。これにも疑問がある。
 湯疲れというのがある。湯当りがある。
 それに危険でもあるのだ。おそれ多くも東宮侍従長をはじめとして、風呂場で急死する例もすくなしとしない。温泉に老人二人が死んで浮いていたなんていう新聞記事を読んだことがある。温泉旅館の火事もある。
 友人の文芸評論家が、お尻に大きなオデキをこしらえて帰ってきた。
「きみねえ、温泉っていうのは黴菌ばいきんの巣窟だぜ。あの温度だろう。穴蔵みたいなところにあるだろう。岩風呂ってやつ。そこにだなあ、かさっかきがウジャウジャ出かけるんだぜ。感染うつらないほうが不思議だよ。きみ、糖尿があるんだろう。糖尿病はみやすい。膿んだら治らない。そんなの、よせよせ」
 彼、二カ月ばかり這って歩いていた。
 僕の心は千々に乱れるのである。乗りやすいタイプであることを恨んだ。そうこうするうちに月日は流れ、三月初旬、約束の梅の候になった。温泉へ行くっていうことは、湯に浸ってボンヤリすることである。ボンヤリして退屈していますっていうのを、どうやって原稿にしたらいいんだ。古来、塩原温泉の『金色夜叉』には宮あり、湯沢温泉の『雪国』には駒子あり。僕には何もないのだ。


 腕時計を買う

「うしろ姿が素敵ですよ」
 そう言って、スバル君が近づいてきた。三月六日、午後二時十五分、東京駅、十二番ホーム。僕らは、二時半発、踊り子号に乗車して、下田へ行こうとしているのである。
 僕は、黒の革帽子、黒の革ジャン、ジーパンという姿である。革ジャンだと、いくらか足が長く見えるという得がある。
「前へ廻ったら
 スバル君は、口をおさえて笑った。どうせ、そんなこった。
 僕、この頃、旅行に出るとき、必ず何か忘れものをする。旅行だけでなく、散歩に出ても忘れものをする。この日は腕時計を忘れた。時計なんか無くてもいいようなものであるが、旅先きで時計がないなんてのは何か不安である。
 そこで時計を買うことにした。さいわいと言っていいかどうか、僕は、遠くへ行くとき、待合せ時刻よりうんと早く着いてしまう。この日は一時前に東京駅へ着いてしまった。発車まで一時間半。時計を買う時間はタップリある。
 僕、大丸百貨店へ入っていった。六階の時計売場。僕は、あの、何と言うのか、文字盤に漫画のミッキー・マウスなんかが描いてある、ディズニー時計とでも言うのか、そんなのを買おうと思っていた。どうせ、家へ帰れば不要になるものである。値段で言って、千円から千五百円まで。誰か遊びにきた女の子かなんかに進呈すればいいと思っていた。
 しかるに、時計売場にディズニー時計がないのである。折からの進学シーズン、たぶん中学生になった息子のお祝いに時計を買うのだろうと思われる母親と、トレイナーを着た頬の赤い少年。こういうのは、ショー・ケースにへばりついていて、なかなか買うものが決まらないのである。
「あのぅ、腕時計が欲しいんですが」
「どんなのをお求めですか」
「安いのがいいんだ。千円から千五百円ぐらいまで」
「そういうのは、ちょっと」
 僕は事情を説明した。
「だからね、安いのがいい。値段につられて買うといったような。旅に出るんでね」
 店員が、ちょっと洒落しやれたデザインのデジタル時計をショー・ケースの上にのせた。一万二千円。
「これを三割引にするの?」
 大売出し・全品三割引という旗が立っているのを見ている。
「いえ、もう割引になっているんです」
「あのぅ、パチンコの景品なんかにあるじゃないか。千円とか二千円とかのやつ」
「さあ、そういうものは、当店では
 よっぽど、目の前のものを買ってしまおうかと思った。考えるのも面倒だ。しかし、洒落ていると見えたデジタル時計に兎のマークがついている。これはプレイボーイのものだろう。言っちゃ悪いが、鹿児島とか青森とかから上京してきた青年、イメージとしては日大法学部に合格した学生が、喜んで買うといった感じなのだ。
「女物でもいい。とにかく安ければいい」
 店員は変な顔をした。そうして、本当に女性用の腕時計をプレイボーイの隣にならべた。二千八百円。こういうとき、僕は、決断がつかないのである。大いに迷った。
 それもデジタル時計である。
「これが、いちばん安いかね」
「はい」
「よし、それにきめた。女物をください」
 ちゃんと保証書も説明書もあるのである。そうやって、実際に、腕時計を自分の腕にはめたとき、さあ、何と言っていいか、ある種の歓びと言っていいような感情が湧きあがってきたのである。僕は早春の西伊豆の温泉へ行く。女物の腕時計を買う。それが、いかにも相応ふさわしい出来事であるような気がした。俳句をつくってみたいような気分になった。

 西伊豆へわが行かんとす時計買う

 駄目だ駄目だ。僕には俳句の才能がないのだ。ただし、気分としては、そういうことになる。
 足取りも軽く一階までエレベーターを使わずに降りていった。まだ一時間の余裕がある。僕は喫茶店に入ってコーヒーを注文した。それから、横の窓を見て、
「ぎゃっ!」
 と叫んだ。目の前の名店街の雑貨店で時計を売っていた。特別セール、九百五十円ヨリと書いてある。ディズニー時計がならんでいる。時間の余裕はたっぷりあったのである。こういうところが駄目なんだ。喫茶店で時間を潰して、ゆっくりと十二番線ホームへあがっていって、スバル君に声をかけられたというわけである。
 僕は、女物の腕時計を見た。すでに踊り子号はホームに入っているが、掃除中だとかで乗せてくれない。
 二時十九分。僕はデジタル時計の2:19という数字を見て、それを頭のなかで普通の時計の文字盤に変え、ホームの大時計で確認してから、
「二時十九分だ」
 と言った。
「やあ、良い時計ですね」
「そうかな」
「だけど、どうして女物なんですか」
 僕は、そのわけを説明した。
「よく腕にはまりましたね」
「うん。ベルトをいっぱいまで伸ばしてくれたんだ」
 そのとき、僕は、もう一度、ギャッと叫ぶことになる。西伊豆の温泉へ行く。帰ってくる。そのとき女物の腕時計をしている。それを女房がどう解釈するか。困難な事態が起ることが容易に想像された。僕は、女房が、時計を忘れて出て行ったことを自分で発見することを祈らずにはいられなかった。
「大沢温泉へ行きます。絶対の自信があります」
 列車が動きだしてからスバル君が言った。専門家が言うのだから間違いないだろう。地図で見ると、下田で下車して、やや北寄りの山の中にある。しかし、海からは遠くない。大沢温泉に、ゆっくりと三泊して、場合によったら海岸へ絵を描きに行けばいい。
 そうなのだ。僕は水彩画の道具を持ってきた。こういうところが弱い。それと、束子たわし。僕は束子に凝っている。これでもって体をこすると気持がいい。垢が出る。皮膚が丈夫になって風邪を引かないという。
「なにに効くのかね」
「え?」
「その大沢温泉の湯だよ」
「ええ、まあ、なんとなく
 スバル君の顔つきは、はなはだ曖昧である。ええ、おい、よせよ、糖尿病か高血圧に効くというのが第一条件だぜ、と言おうとしてやめた。無駄な抵抗というものだ。
 五時十九分。下田駅に到着した。風が冷い。
 大沢温泉の僕らの泊った旅館は、なかなかに善美なるものであった。母家ではなく新館に通された。ベッドと畳の上の布団の両方がある。和戦両用という感じがした。炉があって自在鉤じざいかぎがある。しかし、火はガスであるようだ。
 スバル君、なにやら浮かぬ顔をしている。彼、モト業者であるから、客に満足してもらわなければならぬという考えがある。
「なんだか変ですよ」
 と言った。
 僕は大満足である。僕は、いつでも、良い旅館に泊ると、こんどは仕事でなく、女房を連れてこようと思う。このときも、そう思った。
「息子の新婚旅行にも、こんなところがいいんじゃないか」
 そうも思った。
 すぐに風呂へ行った。それが僕に課せられた任務である。その大浴場が良かった。総檜風呂。天井が高い。僕は部屋へ手拭いを忘れてきた。どうもいけない。スバル君が取りに行ってくれた。仕方がないから束子で前を隠した。なんだか変なものだ。
「ああ、いい湯だな」
 すぐ前の洗い場で因業そうな親爺が向うむきで背中を流している。陰嚢が床に垂れている。僕、いつでも不思議に思うのは、あんなものを女性が舐めたりすることだ。婦人雑誌にそう書いてある。愛咬せよとも書いてある。女に生まれなくてよかった。
 任務だから、ゆっくりと浸った。水の色は変りないが、ヌルヌルしている。あとで番頭さんに聞いたら、石膏泉で、神経痛、リュウマチ、腰の痛みに効くという。糖尿病や高血圧に良いとは言わなかった。向いの旅館の湯は硫黄泉であるという。ずいぶん変な所だ。効能書がないのは、オデキの客とか病人が集ってくると観光客が来なくなるからだという。
 夕食に出たものは、ヤマメ、ウド、うずらの照り焼き、カ二(ただし足が一本)、ツクネイモダンゴ、猪鍋、鮎の塩焼き。
 この日、僕、イレ歯の調子が悪く、固いものは食べられなかった。猪は特にうまいというものでもない。また、血圧の関係で塩焼きは敬遠した。
 スバル君、依然として浮かぬ顔をしている。僕、断言するけれど、この新館は、若い建築家が設計したものである。若い前衛ふうの建築家、特に女性の建築家は、日本の木造建築については全く無智である。材木のことを知らない。日本建築の作法を知らない。
 炉なら炉があればいいと思っている。炉にも作法がある。子供騙しみたいなことをする。
 昔、奥多摩の旅館に泊ったら、どの部屋も三枚障子という旅館があった。とても気持が悪い。訊いてみたら、有名な前衛建築家の設計によるものだった。だから、ダイニング・ルームとかロビーなんかはよく出来ているのである。畳の部屋は駄目だ。
 早く寝ることにして按摩あんまを呼んだ。この按摩(女の人)、いきなり僕のオッパイを揉みだした。
「乳揉みはいらないんです」
 と言おうとしたが声にならない。恐怖のあまり睡気がすっとんでしまった。按摩は、ふつう、最初は、背後から揉む。背後から手が伸びてきて僕のオッパイを摑んだ。
 ついで、腐った梨のようなものが僕の頬に触れた。それが彼女の頬であるらしい。
「ヤヤ、コレハ
 と思うまもなく、耳朶をねぶられた。大変なことになったと思ったが、怪しい振舞はそれで終った。どうやら、これは南伊豆地方独特の挨拶だったようだ。足を揉んでもらっているとき、うす目をあけて見ると、朝潮引退後二十年といった様子の女性だった。マッサージは十五分間で終った。僕の経験する最短記録である。
 もう一度、風呂へ行った。入口のところに全裸の老婆が立っている。彼女、ニヤニヤ笑っていて動かない。老婆であるが、オッパイは退廃していない。こういう女性もいるものだ。さながらフルムーン女優の如し。
「はい。ごめんなさいよ」
 仕方がないから、彼女の脇をすり抜けて風呂場へ入っていった。怪しい老婆ではなかった。湯殿にもう一人の老婆がいて、足もとがおぼつかないらしく、それを監視しているのだとわかった。それにしても、深夜、全裸の老婆がニタニタと笑っているのは無気味である。


 終りよければ

「出ましょう、ここを」
 翌日の朝、スバル君が言った。この旅館、うまく言えないが、万事につけて、嘘くさいのである。ロケーション(見てくれ)はいいが実質が伴わない。さすがにモト業者のスバル君、いち早く察知していた。
「こんなはずじゃなかった。どうも、おかしい」
 ツアー・リーダーの顔になっている。彼は案内書をひろげた。
「堂ヶ島へ行きましょう」
 本当を言えば、僕は大沢温泉でもよかったのである。風呂は悪くない。しかし、乗りやすいタイプである僕は、すぐに賛成した。そうして、案内書に出ている由緒ありげな旅館を選んだ。
 タクシーに乗って、波勝崎はがちざき雲見くもみ、松崎などを見て廻った。運転手に堂ヶ島の旅館名を告げた。
「ああ、あそこなら中曽根さんも泊った」
「それは総理になる前かね、それとも後かね」
「総理大臣になる前だね」
 なんだか悪い予感がした。
「あそこなら食べものは上等だ。風呂もいい。眺めも上等だ。安くはないけんどねえ」
 運転手の推薦するラーメン屋は信用できるけれど、旅館は駄目だ。
「どういう人が泊るの?」
「やっぱり作家だねえ。作家に画家に御隠居さん。お客さん、どういう商売?」
「作家で画家で隠居だ」
 僕は真実を言ったのだけれど、運転手は馬鹿にされたと思ったようで、以後は口をきいてくれなくなった。
 悪い予感が的中した。由緒ありげなのは旅館の名前だけであって、実は、ドライブインを改造して間のない旅館であるという。
「お客さん、晩飯は何時に食べっかね」
 女中が突っ立ったままで訊いた。いったいに、悪い旅館の女中は、突っ立ったままで、しきりに客の荷物やら服装やらをめ回すものである。
 スバル君、腐りきっている。ツアー・リーダーの面目なし。風呂は芒硝ぼうしよう泉。糖尿に効くとは書いてない。
 絵を描かなくてはいけない。黒沢明なら撮影中止にするような上天気である(黒沢は雲のない空なんて空じゃないと言ったそうだ)。ふたたびタクシーに乗って浮島ふとう田子たご安良里あらり黄金崎こがねざき宇久須うぐすと見て廻った。安良里の港を描くことにして旅館へ戻った。西伊豆は午後になると強風が吹く。絵は翌日のことにして旅館の近くを歩いた。天窓洞てんそうどうを見た。伊豆三大名所のひとつというユスリ橋も見た。
「このへん、名古屋あたりの人が新婚旅行に来るんじゃないかね」
「そんな感じですね」
 食堂の看板のエビフライ定食というのが、やたら目につく。
 旅館に戻って、電気ゴタツでスバル君とさしむかいになった。
「将棋を指しましょうか」
いやだよ」
博奕ばくちでもしましょうか。トランプ持ってきています」
「厭だ。きみと博奕打ってもはじまらない」
 風呂に二度入って、洗うべきところはすべて洗った。束子で洗った。剃るべきものはすべて剃った。することがない。酒はやめている。睡眠は足りている。
 お茶を飲む。小便をする。お茶を飲む。小便をする。その繰り返し。することがない。
「風呂へ行きましょうか」
「いい加減にしてくれ。風呂だって飽きるってことがあるぜ」
 夕食は、思っていたように、舟に乗った刺身と、携帯燃料による寄せ鍋が出てきた。
「運転手の言っていた磯の幸、山の幸というのがこれだな」
 そう言うと、スバル君、いよいよ腐ってしまった。
「この企画、考え直さなくちゃいけませんね」
「いや、愉快だよ。面白かった」
 翌朝は早く起きて安良里港へ行った。ここの民宿に泊るのが正解だったと、いまにして思う。なぜならば、魚市場があって、僕の好きないわしでもあじでも新鮮なのが食べられたはずである。凄いと言いたいような快晴。南アルプスまで見えた。僕は浜からと、丘の上のドライブインからと、二枚の安良里港を描いた。
 そこからバスに乗って修善寺へ行った。菊屋旅館。例の夏目漱石が血を吐いた旅館である。なんのことはない、最初から、ここにすれば良かったのである。やっと、スバル君、愁眉しゆうびをひらいた。部屋良し、風呂良し、食事良し、按摩良し。第一、女中が突っ立ったままでモノを言ったりはしないのである。いま思いだしたが、大沢温泉の按摩と堂ヶ島の女中、あれは大きな女だったなあ。源頼朝の子孫かしらん。
 温泉ガイド
 大沢温泉
 
 ■ところ・足の便 静岡県賀茂郡松崎大沢 伊豆
 急下田駅よりバス50分大沢温泉入り口下車。
 ■宿 大沢温泉ホテル
 
 堂ヶ島温泉
 
 ■ところ・足の便 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科
 伊豆急下田駅よりバス70分。
 
 修善寺温泉
 
 ■ところ・足の便 静岡県田方郡修善寺町修善寺
 伊豆箱根鉄道修善寺駅よりバス5分。
 ■宿 菊屋旅館

回想の中房なかぶさ温泉


北アルプス・燕岳まで下駄で三十分――
四十五年前の記憶を頼りに山奥の湯に出かけたが

 下駄で三十分

 中房温泉へ行くことになった。中房温泉というのは燕岳つばくろだけの中腹、北アルプス一帯の登山口になっている。僕、場合によっては燕岳に登るつもりになっていた。
 中房温泉から燕岳まで、下駄で歩いて三十分。ずっとそう思いこんでいた。まさか下駄では行かないが、軽装でいい。小学生でも登れる超初心者コース。そう思っていた。すくなくとも燕ややりの見えるあたりまで行って絵を描く。これは悪くないと思った。
 ドスト氏に同行をお願いすることにした。彼、山の絵を描きたいと言っていたのである。
 僕、中房温泉へは行ったことがあるのである。むかし、と言っても四十五年前、昭和十三年、小学五年生のときに中房温泉へ行った。燕にも登った。下駄で三十分。それは、そのときに得た知識である。
 僕の父と母、それに担任の大山正雄先生、生徒は犬飼孝、工藤久雄、永淵一郎の三名だったと記憶している。
 総勢七人。そのときの温泉が良かった、湯量が豊富だった。
 小学生の僕に温泉の良し悪しがわかるわけがないが、温泉好きの母が、「こんなにタップリしたお湯は見たことがないわ。もったいない」
 と言ったのを覚えている。湯は旅館の庭にも道路にも溢れていた。
 七月二十四日、日曜日、午前六時。スバル君が迎えにきてくれた。そこからドスト氏の家(彼の家は近い)へ廻って八王子に向った。
 梅雨つゆが明けていない。曇天。一九八三年の梅雨時を巨人軍ファンは忘れることができないだろう。あれほど独走していたのに連敗に次ぐ連敗。ついに広島に追い抜かれた。僕はアンチ巨人だから愉快でたまらない。愉快なのだが、長梅雨には参った。
 八王子七時三十五分発、あずさ一号に乗りこんだ。
 グリーン車にフルムーンがいる。ナイス・ミディがいる。若い登山客の一行がいる。
 その登山客、男三人に女一人。見るからに重装備である。どこへ登るのか、スバル君に訊いてもらった。
「北穂高だそうです」
 昂然こうぜんとして答えた。スバル君が威張ることはないのだが、その若い男女には、さあ何と言うか、威厳のようなものがあった。お前等とは違うぞという様子がアリアリとうかがわれた。
 たった一人の若い女客がいる。山へ行く若い女は、神様の失敗作というのが多い。そうでない美形は、思いつめていて自殺もしかねないという風情。岩波文庫なんか読んでいる。
 ちかごろの若い女性、前髪を垂らしたのが多い。松田聖子や中森明菜の影響じゃないのか。前髪を垂らしているから前が見えない。従って顎を突きだしている。鼻の穴が見える。このテの女が多くなった。
 ナイス・ミディの一行。一人は座席の上に坐っちゃっている。たしかにミディだがナイスじゃない。これが絶えず口を動かしている。反芻はんすう動物じゃないかと思う。車内販売の売り子が来ると、
「ああ、ちょっと
 必ず何かを買う。それを仲間にわける。敷島コンブなんか買っている。膝の上には吹き寄せだろうか、揚げせんべいの箱かなんかを置いている。僕、何もいらないが、あの女の胃腸を安く譲ってもらえないかと馬鹿なことを考えている。
合歓ねむの木の花がいいですね。色があざやかです。空気のせいでしょうか」
 ドスト氏が感心している。キスゲだか萱草かんぞうだかも美しい。
 松本駅が近くなって、登山の一行に緊張感が見られた。男三人、女一人。その女は一人の男の細君であるらしく肩を寄せあっていたが、立ちあがって網棚の荷物をおろした。こうなると戦士の一人になる。見ていて気持がいい。彼等の無事を祈らずにはいられない。
 登山の道具は急速に進歩している。釣りの道具もそうだ。これはヴェトナム戦争の副産物だと言われている。
 振ると暖かくなるホカロンなんてものがある。反対に振ると氷になるやつもある。万事につけて便利になった。たいていの登山客は、人工芝をまるめたようなものを持っている。これはテントのなかに寝ていて雨が降ってきた際に役立つそうだ。僕には、まるっきり、その方面の知識がない。


 中房温泉は日本一

 十時四十三分、穂高駅に着いた。安曇野あずみのを通って、そこからの林道がいい。中房川を見おろして走る。墜落すれば、釣人に発見されないかぎり、行方不明になるという。
 中房温泉までタクシーで四十分。窓をあけはなって森林浴のつもり。中房温泉は標高一四六二メートル。
 なお、ここで、僕の誤りを記しておく。中房温泉から燕岳まで下駄で歩いて三十分というのは、大きな間違いだった。合戦小屋まで二時間半、そこから二十分歩いて標高二四八九メートルの三角点に達するのである。さらに四十五分歩いて燕山えんざん荘。そこからまた三十分歩いて燕岳と案内図に記されている。
 いったい、「下駄で三十分」というのは、どういう記憶違いなのだろうか。
 僕は、尾根伝いの平坦コースを記憶している。お花畑があった。槍が見える。雷鳥を見た。灌木かんぼくにひそんでいた野生の兎を見た。その兎と目と目があったとき、ドキドキした。兎は頂上に向って逃げだした。追いかければ捕えられそうな気がしたものである。
 中房温泉は旅館が一軒しかない。
 だいたい、この近くにある小学生は、昼頃中房温泉に到着し、仮眠して夜中の十二時に出発する。燕岳で御来迎ごらいごうをして昼に旅館に戻ってくる。そこでカレーライスを食べて解散というのが普通の日程であるようだ。
「二、三日あとに東京の学芸大学附属の小学生がくるんです。この生徒たちは四泊するんです。ずいぶん金持の小学校があるんですねえ」
 と女中さんが言った。つまりは一泊というのが常識になっている。僕なんかからすると、ずいぶんもったいないことをするということになる。
 僕等は三泊の予定。三泊して帰りは松本へ寄って、うまいものを食べて帰るつもりにしている。
 旅館の建物には記憶がない。山の中にしては、ずいぶん立派な旅館だと思っていたのである。それに、万事につけて物価が高かったという記憶がある。下界で十銭だったカレーライスが十五銭だったか二十銭だったか。サイダーなんかも高かった。そんなことを覚えている僕は、かなりセコイ少年だったに違いない。運搬料が加算されているのだと思った。
 浴衣に着かえて散歩に出た。
「あ、思いだした」
 僕は、長谷川伸の芝居みたいなことを言った。温泉プールがあったのである。それには見覚えがあった。
 そこから月見ノ湯へ行った。それは記憶にない。大浴場の裏へ廻った。そうだ、そこなのだ。山からの湯が滾々こんこんと溢れていて、木のといに湯の花が厚くへばりついていた。
「見覚えがあるよ」
 母が感動したのは、その場所である。そこに蒸し風呂(サウナのようなもの)があり、隣に湯の滝があった。
 一ト廻りして、手拭を持ってきて、順序通りに、もう一度歩いた。
 温泉プールは、底がヌルヌルしていて、その感触も思いだした。ずいぶん深いプールだと思ったものである。
 スバル君が泳いだ。クロールとバックで。僕も試みたが、体が沈むだけだ。
 月見ノ湯は熱くて入れないので、蒸し風呂へ行った。
 ドスト氏とスバル君と僕。戸塚ヨットスクールと内田裕也と梶原一騎が留置場にいる山藤章二の漫画を思いだした。これは気持がよかった。ドスト氏とスバル君は滝の汗。僕は、なかなか汗が出ない質である。
 その隣で滝に打たれた。これがいい。よく温泉場にあるお体裁だけのものとは違う。五メートルの高さから落ちてくる。
 そこから、さらに大浴場へ戻った。中房温泉は温泉のデパートと呼ばれているそうだ。
 ドスト氏は七百グラム減。スバル君は一キロ減。蒸し風呂の効果があらわれた。僕は変化なし。
 ラジウムの含有量が多いという。肌がツルツルになる。ここは温泉として日本有数のもの、いや日本一であるかもしれない。穂高から乗ったタクシーの運転手が「糖尿病が抜けた人がいる」と言ったのを思いだす。僕はこの種類の言葉は無条件に信用することにしている。
 体力の衰えがはなはだしい。旅館の階段をあがるだけで息がきれてしまう。そのうえこの一カ月ばかり、絶えず嘔吐感がある。胃に鈍痛がある。さらに悪いことに、たった二本残っている歯の根がうずくのである。いったい、僕の体、どうなってしまったのかしらん。
 雨になった。もう、外へは出られない。中学生、高校生といった男女が、傘をさして外を歩いている。僕等の部屋の下に、マント狒々ひひみたいな奴がおりに入っていて、危険ですから餌をやらないでください、と書いてある。
 若い男女も、老人も、アルバイトで働いている人たちも、必ず、いったんはその檻の前に立ちどまるのが妙だ。
 この山には鳥がいない。これも妙といえば妙なことだ。硫黄が鳥を退けているのだろうか。そうとしか考えられない。トンボも蝶も少い。この季節、ふつうは山には赤トンボが群をなすものである。ふもと大町おおまちの福田家旅館に泊ったときは鳥の声がうるさくって早朝に起こされたことが思いだされる。
 雨が小降りになった。その頃になって、僕はドッと汗が出てくるのを知った。
「それは汗おくれって言うんです」
 とドスト氏が言った。
「汗遅れ?」
 それも頭と顔に集中する。
「知恵おくれみたいなもんです」
 ドスト氏は焼山へ登ると言って、一人で出て行った。
 焼岳ではない。蒸し風呂と滝の湯の間に田村薬師という神社があり、そこが焼山登山口になっている。徒歩二十分。百五十メートルぐらい登るらしい。そこは明礬みようばんの産地であり、少し掘れば百二十度を越す高温になり、鶏の丸焼きが出来て、それが中房温泉の名物になっている。むろん、卵なんか、すぐに茹だってしまう。
 旅館の階段で息切れがするのだから、僕は遠慮した。そのドスト氏が五時を過ぎても帰ってこない。心配でもあり、山をスケッチするという彼の絵も見たかったので探しに行くことにした。
 登山口で躊躇ちゆうちよしていると、七十歳を過ぎたと思われる老婆が杖をつきながら降りてきた。
「頂上にマント狒々みたいなお爺さんがいませんでしたか」

「絵を描いているお爺さんですが」
「ああ、いましたよ。なんでも小説家が来ていて挿絵を描いているんだと言ってました」
 老婆も二本足、我も二本足。登れぬはずはないと思い、スバル君に後押ししてもらって登ることにした。
 前回、西伊豆へ行ったとき、修善寺の梅林へ行っただけで顎を出したという経歴の持主である。思うに、年齢・体力に関係なく、山登りに適した人間と、そうでない人間とがあるのではないか。
 それでも、滑ったりよろけたりしながら、焼山に登った。中房温泉の標高は一四六二メートルだから、一六一二メートルを制覇したことになる。
 ドスト氏、悠然と岩に腰をおろしている。
「ここで宴会をやっている連中がいましてね、一杯御馳走になっちゃった。茹で卵、うまいですよ」
 どうりで赤い顔をしている。どこへ行っても誰とでも仲好くなってしまうのが彼の特技である。
「この肉、どうですか?」
 ドスト氏が砂のなかからネズミの死骸のようなものを掘りだしてきた。
「この肉、新鮮だそうです。今朝、松本の肉屋で買ってきたんだそうです。これもうまいですよ」
 僕は駄目だ。スバル君が、おそるおそるかじった。
「あ、うまい」
 しかめ面をして言った。


 雨が止んだら
 深夜になって豪雨。樋が壊れているらしく、凄い音でひさしを叩く。四百人ばかりの小学生は登山を中止したらしい。それでも、若い男女の五人組は出発したという。
 山とは水であるというのが僕の認識である。それをすっかり忘れていた。雨合羽を用意していない。傘を持ってきていない。靴はスニーカーである。
 山の天候は変りやすい。たとえば天気予報で、北アルプスは晴れという予報は、まず絶無だと言っていい。晴れ後曇、晴れ後霧ところにより雷雨というのが通常のことである。
 よしんば晴天であっても、朝には朝露がある。晴れていても水が落ちてくる。木雨きさめなんて言うらしい。雨具は必携品なのである。そのことを忘れている。また、もう山に登ることはあるまいと考えているところがある。
 一日目、雨。夜中に豪雨。二日目も雨。そうして、僕は、三日目が晴れたら燕岳に登ろうと決意していた。そのへんのところ、自分でもわからない。
 映画で言えば『心の旅路』といった感情があったようだ。北アルプスの尾根。お花畑。雷鳥。雪渓。野生の兎。兎の目。まあ、そういったところだ。
 例によって眠れない。だから、朝、ウトウトする。その間にドスト氏もスバル君も蒸し風呂へ行ったようだ。この二人、合計で三度ずつは、蒸し風呂と大浴場へ行ったようだ。
 特に蒸し風呂が馬鹿に気にいってしまっている。彼等はパンツを穿かない。すぐに風呂へ行かれる態勢をつくっている。
「癖になりそうだ」
 とスバル君が言った。
 僕は寝てばかり。
「明日はどうなさるおつもりですか」
 夜になって女中さんが言った。
「晴れていたら燕に登ります。戻ってきて一泊します」
 僕は明言した。
「雨が降っていたら?」
「雨になったら帰ります」
 僕は信濃大町へ行って福田家へ泊るつもりにしていて、ドスト氏にもスバル君にも諒解を得ていた。福田家は紀尾井町の福田家と縁続きで、もと赤坂にあった店が移転したもので、そりゃあ善美なるものだ。とても山の中の旅館とは思えない。福田家に泊って味噌でも買って帰ろうと思っていた。
 中房温泉の食事も悪くはなかった。念のため、加島屋の鮭茶漬とカニ缶を用意してきたが、それが必要ないくらいだった。山菜が主体になる。しかし、日本海から直接運ばれる魚の上物を買い占めてしまうという福田家に及ぶわけはない。
「お泊りになるのでしたら、鶏の丸焼きを用意します。それがここの名物ですから。朝の十時に焼山に埋めるんですから、早く言っていただかないと
「ですからね、朝晴れていたら、泊ることになります。そうしたら、鶏をお願いします」
 絶えず嘔吐感があり、歯が疼いている僕には鶏の丸焼きはあまり有難くはないのだけれど


 胸突き八丁

 三日目も残念ながら雨だった、と書きたいところである。雨なので、無念であるが燕制覇ができなかったというのが僕の青写真であり心づもりだった。
 しかるに、有難いことに(残念にも)快晴だった。山の天気は変りやすいから晴れと断言できないが、とにかく朝から青空が見えていた。
 忙しいことになった。昼食用の弁当を頼む。雨合羽とリュックサックを借りる。傘も借りる。魔法瓶を借りる。それらは、すべてスバル君が手配してくれた。
 僕、モモヒキを穿く。靴下を二枚穿く。一枚はズボンの上に穿く。
「わ、恰好いい」
 カッコイイわけがないじゃないか。
 中房温泉を少し下りたところに燕岳登山口がある。午前十時。折しも、四、五百人の小学生の一隊が登山を開始するところだった。
「すみませんねえ。お先きに行かせてもらいます」
 引率の教師が挨拶した。
 子供たちがノロノロと登ってゆく。
「これはたまらぬ」
 実際に僕はそう思ったのである。僕、自慢じゃないが、足が早いのである。せっかちなのである。
 やっと、小学生の最後尾が目の前を通り過ぎた。
「さあ、行こう」
 ドスト氏が先頭。僕、スバル君の順。僕の荷物はスバル君が持ってくれている。
 断崖絶壁。そう言ったら、山男諸君は笑うだろう。ここは初心者コースなのだから。
「ゆっくり、ゆっくり。駄目、駄目。まだ早い」

「わざとノロノロ歩くというくらいでちょうどいいんです」
 それでも小学生の最後尾に追いつかない。彼等は、すぐに見えなくなった。なぜならば、スバル君の言によれば、
「先生、十メートル登って五分休むんだから」
 という具合だったからである。
「ゆっくりと大地を踏みしめるように」
 本当に重装備の若い山男たちは、ゆっくりとノロノロと登ってゆく。何組に追いこされたことか。それでいて彼等は大地を揺るがせるように地響きを立てて登ってゆく。
「この山道を行きし人あり」
 僕、はなはだ折口信夫先生的心境になっている。憧れちゃうなあ。折口先生、やっぱり男色的傾向があったんじゃないか。
 僕が軍隊にいて行軍をしたとき、何が嬉しいかといって小休止ぐらい嬉しいものはなかった。戦争が終るとは思っていなかったが、除隊して山歩きをするときは、うんと小休止をやってやろうと思い思いしたものである。
 小休止でなく大休止がいい。
「おい、少しやすませてくれ」
「だめ、だめ」
「もう駄目だ」
「坐っちゃいけませんよ。坐るとかえって疲れる。立ったまま休むんです」
「そんなことできない」
「いくらか平坦な道があるでしょう。そのとき呼吸を整えるんです」
「お茶を一杯飲ませてくれ」
「いけません」
「じゃ一服するぞ」
「煙草ですか。とんでもない。煙草なんか吸ったら息があがっちまいます」
「きみは戸塚宏か?」
「戸塚です」
 本当は自分でも煙草が吸いたくないのである。これは不思議だった。ただただ休みたいだけである。
「さあ、行きましょう。元気をだして」

「息をね、吸って吸って、吐いて吐いて」
「スースー、ハーハー」
「そうそう。吸って吸って、吐いて吐いて」
「スースー、ハーハー。三深九浅じゃなかったかね」
「冗談を言っている場合じゃありません」
 ドスト氏は、とっくの昔に見えなくなっている。彼は先きに行って、僕を待ちながら、しかるべき場所で山の絵を描こうとしているのである。
 第一のベンチという休憩所がある。案内書によれば、そこまで四十分となっているが、僕は一時間半を要した。やれやれ。
 第一のベンチから尾根伝いになると思っていたが、そうではなかった。
 十二時を過ぎると下山する客に会うようになる。家族連れがいて幼児もいる。
「この坊や、何歳?」
「四歳です。いま三歳の女の子も降りてきますよ」
 さすがに三歳の女の子は手を引かれたりおぶさったりしていたが、昨夜、豪雨のなかを登って燕山荘に一泊したのだそうだ。驚くよりさきに気が遠くなる。
 ペア・ルックの老夫婦がいる。
「お達者ですね」
「いや、さっき、七十歳のお婆さんに会いました」
 僕、山登りする人の気持がわからない。彼等は、登るときに上を見ないのである。すばらしい眺望があっても見ようとはしない。ただただ地面を見つめるだけだ。何が面白いのか。しかも、生命の危険を冒して。不可解である。釈然としない。
 第二のベンチ、第三のベンチ、第四のベンチ、第五のベンチ。これが休憩所であるが、案内書によれば、第四のベンチなんかは休まないほうがいいと書いてある。
 驚くなかれ、僕は、ついに第五のベンチを通過して合戦小屋まで登ったのである。
「数えてみたら、先生は、第五十六ベンチばかりありました」
 スバル君がいやなことを言う。
 合戦小屋で、ドスト氏はビールを飲み、湯茶と菓子のサービスなんかしてもらっている。
 僕は、どうして合戦小屋まで登ることができたのか。
 第一に、小屋へ着いて、煙草を吸い弁当を食べたいという気持があった。第二に、僕等が引返したらドスト氏が昼食を食べられない。第三に、ここがわからないが、そこに山があるからという名言に近い気持があったようである。第四に、北アルプスの尾根伝い。雪渓、お花畑、雷鳥、兎という思い出があった。そいつを確かめたいという気持があった。
 合戦小屋から、見晴しのいい三角点まで登りの二十分。
 三角点から燕の頂上まで一時間(平坦コース)。合計約一時間半。
 小屋の人が、僕を見て、
「そうねえ、中房からここまで二時間半だから、それを五時間かかったのだから、燕までは二時間みないとねえ」
 と言った。
 僕等は引返すことにした。いまにして思えば、そこまで登ったのだから、燕は無理としても燕山荘に一泊すべきだった。しかし、僕には鶏の丸焼きをどうするかという頭があった。人の親切を無にすることはできない。三時になって山道を駈けおりた。地球に引力のあること嬉し。下りは楽だ。
 そのときになって僕は気がついた。
 四十五年前、小学五年生のとき、僕等は燕山荘まで登ったのである。燕山荘から燕岳まで、下駄で歩いて三十分。それなら辻褄つじつまが合う。
「なんだ、そうだったのか」
 かくして、幻のお花畑、雷鳥、野生の黒兎の光る眼、それらは僕の頭から消え去ることになった。僕は、当時野球部の選手であって、激しい運動に耐えていたから、中房から合戦小屋までなんか屁の河童、道中の苦しさなんか記憶に価するものではなかったのだ。
 温泉ガイド
 中房温泉
 
■ところ・足の便 長野県南安曇郡穂高町有明中房 大糸線有明駅よりバス75分。(ただし直通は七、八月のみ。宮城よりタクシー利用40分)
■効能 リューマチ、骨折、火傷、胃腸病、皮膚病、痔疾。
■宿 中房温泉
■近況など 裏山や谷間等々、泉源は三六か所も。周囲はすばらしい広葉樹林で、手を加えない自然を満喫できる。なお、駐車場の関係で、日帰りの場合はタクシー利用が得策。

療養上等、碁点温泉クアハウス


体調は満点。温泉は碁点。
リョーヨージョートー夜は更けて、糖尿病もとんでった。

 理想的健康診断

 九月八日、午前七時、スバル君が迎えにきてくれた。
 温泉へ行くのじゃない。今回は、温泉へ行く前に健康診断を行うことになっている。日本健康開発財団の経営する東京駅八重洲口の向いにある総合健診センターへ行くのである。
 僕は、山形県天童てんどうのそばにある碁点ごてん温泉(駅で言えば奥羽本線楯岡たておか駅が近い)へ行くと聞いていた。ところが、スバル君、
「碁点温泉へ行くには、その前に、総合健診センターで健康診断を受けなければ行かれません」
 と言うのである。あとでわかったのであるが、そんなことはない。村山市で経営している碁点温泉は、村山市民なら入浴料五百円、市民でない人は千円、一泊(三食つき)七千円から一万円で行かれるのである。
「こんどの場合、実は本当にひっかけたんです。競馬で言えば出来レースです。まあ、一種の詐欺です。ごめんなさい」
 これは有難い話である。こういう詐欺なら、何度でもひっかかりたい。
 二年前、都内の大病院で胃の透視検査を受けたとき、「引れがあります。癌だか潰瘍かいようだかわかりませんが、胃カメラを呑んでください」
 と言われた。僕、胃カメラは駄目なのだ。ノドの検査でさじみたいなものが口に近づいただけで吐いてしまう。
 胃カメラなんて、あんな電話のコードみたいなものが呑めるか!
 そこで僕は禁酒にふみきった。僕の禁酒時代は二年に及んでいる。癌なら仕方がない。これは運命だ。潰瘍なら禁酒で治せるのではないか。そう思ったのである。
 しかるに、この夏、胃の鈍痛が続いた。なんとも無気味だ。近くの町医者で薬を貰ってきて、一日三回服用すべしというところを寝る前にもんで一日四回、ついでに痛み止めも服んだが治らない。僕、検査を受けたいと思っていたのである。
 その大病院で検査を受けたとき、持病の糖尿病(血糖値の変化に典型的な糖尿病のパターンが見られる)のほかに、コレステロール、中性脂肪の数値が感心できない。
 血圧も高い、眼底出血の疑いありと言われていた。検査を受けなければ行かれない温泉なんて、そんな馬鹿な話があるか。僕は半ば疑っていたのであるが、スバル君の誘いを、ここは一番、奇貨くべし、詐欺なら詐欺でいいや、ひっかかってやれと決意していた。
 九月八日の前日は、午後九時以降、絶食と禁煙(やればできるんだ)。それでもってスバル君と二人で家を出た。
 検査は午前九時から。この総合健診センターの有難いのは、午前中で検査が終ってしまうことだ。
 九時より前に到着した。
 応接室のような待合室のようなところへ案内された。受付で番号札を渡される。二十二番。田淵の背番号だと思った。
 僕、かねがね、病院については、こんなことを考えている。
 人間は必ず死ぬ。死すべきものである。そうだとすれば、いい心持でもって死なせてもらいたい。豪奢な病室。
 女医も看護婦も絶世の美女。国手こくしゆは、むろん世界的な権威。
「どうも、あなた、駄目ですね」
 これなら納得がゆく。かぐわしき若き美貌の看護婦が手を握って、「死ヌ、死ヌ、行キマス、行キマス」
 こうありたいじゃないか。死は人生の一大事、大金を惜しまぬつもりだ。そういう病院があったっていいじゃないか!
 それは冗談だとして、こういうことがある。大病院における内科、外科の医者は悠然として紳士的。しかるにたとえば眼科の医者なんかは、何かひがんでいて劣等意識に悩まされているとしか思えない場合がある。白衣なんかも薄汚れている。第一志望が内科、第二志望が外科、第三志望が産婦人科、いずれも志を得ずして眼科に廻されたのではないか。新聞記者でも政治部や社会部は勢いがいいが、芸能記者なんかは程度が悪くショボクレているのが多い。
 眼医者が検眼表を棒で叩いて、
「これ
 その言いようの突慳貪つつけんどんなこと。
「わかりません」
「わかりませんじゃ困るんだな。それは字が読めないのか見えないのか」
 僕だって片仮名ぐらい読めらあ。
「さあ、コのようにもニのようにも」
「わかってるんじゃないか、コだよ。じゃ、次、これ
「わかりません」
「よし。杓文字しやもじを替えて。そうじゃない、開いているほうの目で見るんだ」
 総合健診センターは、僕の理想にちかいと言ったら言いすぎになるが、待合室のソファーだって開設当初は豪華で美麗であったに違いない。従業員のほとんどが若い女性。どれが女医で、どれが看護婦で、どれが案内係りなのかわからないが。それに、全女性が絶世の美女だとも言わないが
 検査を受ける人にも女性が多い。こっちは主に中年熟年。まれに若い女もいる。夫婦で来ているのも多い。一見榎本三恵子ふうあり、こいつはうるさいぞという桃井かおりふうあり、顔は上品だが口をきくとにわかに下卑る銀座ホステスふうあり。それぞれけんを競っている。
 僕思うに、健康というのが、一種のファッションになっているのではないか。健康食品のブームに似ている。
 ここは彼女たちのエリート意識をも満足させてくれる。
「二十二番の方、どうぞ
 受付嬢の声がやわらかい。こうこなくっちゃいけない。そこで手術着みたいなものに着換える。
 身体計測、聴力、肺機能、胸部X線、胃部X線、眼科精密検査、心電図、血圧、血液検査、尿検査など、すべてが十一時半までに終った。女性は、あと、午後に婦人科の検診がある。その費用が六千円。だから御婦人方は気の毒だと常々そう思っている。
 十二時半、総合健診センター所長の植田理彦みちひこ博士から結果の判定があった。胃のレントゲン写真を見せられて、こういう診断があった。
「単なる胃炎ですね。癌とか潰瘍になる性質のものではありません。血圧は正常です。コレステロールも中性脂肪も、ご心配になるようなことはありません。体重六十四キロですか。これ以上ふとらないようにしてください。それと空腹時に煙草を吸わないように。朝、煙草を吸うんでしたら、お茶一杯飲んでからにしてください」
 この健診データが碁点温泉に送られる。そこで温泉のコースと食事のカロリーが決まるのである。そういう連携プレイが行われている。
 思っていたように眼科の女医も親切だった。胃の透視も不愉快な思いをせずにすんだ。そうなんだ、大病院のレントゲン技師で、おそろしく乱暴な奴がいる。だいたい、ゲップの出る薬を飲ませておいてゲップをするなと言うほうが無理なんだ。総合健診センターというのは、僕には、医療の企業化というふうに受けとられた。それでいいじゃないか。サービス満点。愉快じゃないが不愉快じゃない。
 その足で歯医者へ行った。総イレ歯がはまらなくなっている。
「ああ、おかしいな。エエト、あ、わかりました。奥の親しらずが成長しているんです。珍しい人だ」
「歯茎が引っこんだんじゃないですか」
「それもありますが、親しらずが生えてきたんです」
「ほかの歯も生えてきませんか」
「それは無理です。根のないものが生えるわけがない」
 僕は、検査の結果を報告した。慢性胃炎らしいと言った。
「水ものを飲みすぎたんじゃないですか。夏はどうしても
「糖尿病はノドがかわきますから、お茶をがぶがぶ。胃の薬は服んだんですが」
「その胃の薬がいけない。胃の薬にはノドがかわく成分が含まれているんです。だから水ものを飲みすぎる。すると胃液が薄くなる。従って胃に鈍痛がくる」
 なんだ、初めから歯医者へ行けばよかった。イレ歯を修理してくれた。これで満点。満点で碁点へ行くことになった。
 僕の体は胃炎のほかに異常がないことが、すぐに編集者仲間に伝わったようだ。いままで、どこが痛いあそこが痛い、頭が痛いけつが痛いと言って仕事を延引していたのを嘘をついていたように言う男がいる。
 そうじゃないんだ。禁酒による節制のほかに減塩に勤めた結果、こうなったんだ。


 よぐござたなっす

 九月十一日、日曜日。曇、霧雨。午前七時二十分発、秋田行奥羽本線、つばさ五号。
 本当は羽田空港から飛行機に乗ればいいんだ。天童には空港があるんだから。あるいは、東北新幹線で福島で乗りかえたほうが早い。しかし、僕には、どういうわけか、東北へ行くなら在来線という考えがある。
 朝の上野駅。これ、東京駅とはずいぶん違う。どこが違うか。たとえば、アナウンス。
「白線のあとへ下ってください。子供さんたちは、特に気をつけてください。白線のうしろへ下ってください」
 これ、文字だけではわからない。上野駅では早口に、命令口調で叱りつけるようにしてアナウンスするのである。嘘じゃない。機会があったら注意して聞いてもらいたい。東北人のひがみっぽさは、すでにこのあたりに胚胎はいたいしていると思われてならない。
 稲は緑。その緑がかすかに黄ばんでいて秋の到来を告げている。僕、列車のなかで読まなければならない資料を持ってきていたが、どうしたって列車に乗れば外の景色を見てしまう。第一、緑は目にいいそうじゃないか。
 今年の夏は、冷夏、猛暑、熱帯夜、残暑ときやがった。
 ――夏の好きなぼくが夏が嫌いになりそうだ。
 と、池波正太郎先生がどこかに書いておられた。まったく同感。僕の胃炎も風邪かぜもそこからきたんだ。
 十二時十九分天童駅着。食事をすることにした。僕が田舎家ふうの大きな店に入ろうとすると、スバル君がそでを引いた。
「待ってください。この水車が臭い。こういう店の前に水車のあるような店はあやしいんです」
 肯綮こうけいに当る意見である。
「じゃ、あそこの角の店はどうかね」
 その店のウインドウの前に立ったとき、スバル君が無言で僕の背中を押した。彼が引っぱっていったのは「又右ヱ門」というソバ屋だった。これが良かった。知らない町で美味うまいものを喰わせる店を探す天才がいる。何か匂うんだそうだ。スバル君も天才の一人である。
 あとでわかったのだが、碁点に「あらきそば」という有名な店がある。「あらき」の支店で「又右ヱ門」。悪かろうはずがない。「あらきそば」ではモリソバ以外を食べさせない。薬味はネギだけ。ワサビなし。こういう店を嫌うなら、近くに「くれない園」があって、ソバガキ定食が、これも有名。
「又右ヱ門」の蒸籠せいろは五角形。そう言えば、天童は、駅の天童温泉という看板から何からすべて五角形。駅員の顔も五角形。建物も五角形が多い。将棋の駒の産地だからである。だから、天童温泉で将棋のタイトル戦が行われることがある。
 そこへもってきて碁点とは剛情なもんだ。と、思ったが、そうじゃなかった。最上川の碁点橋のあたりは、最上川下りの三大難所のひとつ。中心部が深く、周囲に岩があって、その岩に碁石のような斑点があらわれるのだという。もっとも、碁点温泉で本因坊戦が行われたことがある。日本棋院にも洒落しやれた人がいるもんだ。
 天童からタクシーに乗って、午後一時半頃、碁点温泉に到着した。もっとも、碁点温泉と言ったって、泊れる旅館は田圃たんぼのなかに一軒しかない。碁点温泉をクアハウスという。多目的温泉保養館といった意味である。温泉であって温泉じゃない。
 療養所であって病院ではない。広々とした近代的な建物である。
「よぐござたなっす(ウエルカム)」
 でもって迎えられる。
 内部は日本座敷である。支配人の丹野さんが来て、内容を説明してくださった。
「糖尿病なんですが」
「はい。東京から連絡を受けています。先生の食事は千八百カロリーで我慢していただきます。トレイナーが三人いまして、朝の散歩、体操を指導します。体力測定も行います。
 大阪の財閥のお一人でYさんという方がいらっしゃいました。かなりひどい糖尿病で、お着きになったときは、フロントで御住所も書けませんでした。手が震えてしまって。ご夫婦でいらっしゃったんですが、一週間というところを、お気にいられて二週間に延長されました。
 お帰りになるときはスラスラと字を書かれるようになりました。すぐに礼状をいただいたんですが、綺麗な字で震えなどありませんでした。糖尿病も治るという自信がでてきましたね」
 トレイナーは松田、斎藤、保科の三氏である。なんだか爆弾三勇士(江下、北川、作江)みたいな感じがあるが、いずれもうら若き処女おとめ。体育大学を卒業したばかりだそうだ。
 松田清美さん、斎藤かおりさんが部屋へ来てくれた。
「明日の朝、私たちと一緒に林檎りんご園を散歩していただきます」
 夢みたいな気がする。
「それから体操です。何時からにしましょうか」
「七時です。朝食前になりますか?」
「そうです。大阪の財界の方で、Yさんという方がいらっしゃいまして
 その話は聞いていますとも言えない。Yさんは碁点では有名人であるようだ。
「Yさんは、来年六月に、またおいでになるそうです。六月の二十日頃が一番いいんです。サクランボがおいしいですし、バラ園のバラが盛りになります」
 彼女たちが帰り、
「さあ、風呂だ、風呂だ」
 入浴は午前一回、午後一回、寝る前に一回と定められている。よく七回も八回も入るのを自慢する人がいるが、これは体に良くないそうだ。
 ガラスのトンネルを抜けて、クアハウスのクアハウスたるべき浴室へ行く。
 僕は、当然、糖尿病・肥満者コース。
 かぶり湯十杯→全身・部分浴→圧注浴五分から十分、もしくは打たせ湯三分から五分→休憩五分から十分→泡沫浴・トゴール浴五分から十分→休憩五分から十分→全身・部分浴→休憩三十分から六十分。
 このうち、トゴール浴というのは、トゴールウォームタイト鉱物を使用した浴槽であって、腰痛、筋肉痛、肩こり、冷え症、便秘、睡眠不足、肉体疲労の回復に卓効があるそうだ。
 スバル君は、ストレス解消コース。
 かぶり湯十杯→泡沫浴五分から十分→寝湯→休憩五分から十分→打たせ湯三分から五分→大浴槽五分から十分→休憩三十分から六十分。
 なんだか眠くなってくる。
「おい、なんだか、おっそろしく疲れるな。眠くってしようがない」
「それが温泉効果でしょう。特に泡沫浴です。あれでもって、ぐったりと疲れます」
「そうそう。あのブクブクだ。見るだけで疲れてくる」
 日曜日だから家族連れが多い。混浴ではない。たくさんのチンボコを見た。象の鼻あり、フランクフルト・ソーセージあり、ウインナ・ソーセージあり、丸首シャツを着た禿頭の如きあり、大鵬部屋巨砲おおづつといった感じあり。
 ちびた鉛筆かクレヨンかという幼児のそれが大きくなって、疲れた象の鼻になって一生が終るかと見ていると、なんだか悲しくなってくる。
 夕食、千八百カロリー。スバル君は平常食。これが悪くない。特に米沢が近いせいか、牛肉が美味い。
「わるいですねえ」
「とんでもない。このために来たんだ。それにね、千八百カロリーというのは僕には多すぎるんだ。三分の一は残すな。ときに、スバル君。千八百カロリーという指示はあったけれど、飲みものについては指示を受けていませんってトレイナーが言っていたな」
「そうです」
「冗談、冗談。酒のカロリーってのは凄いもんなんだ」
「スポーツ・ドリンクでも買ってきましょうか」
「いらない。柏戸(鏡山親方)が糖尿でね、同じ病院なんだ」
「ああ、山形県出身ですね」
「鶴岡だったかな。その柏戸がね、九千カロリー喰っていたのを六千カロリーに減らされたって話を聞いたことがある。あいつら何を喰ってんのかね」
 暗くなってくる。碁点温泉は最上川に面している。体育館とスイミング・スクールがあるだけの町。
 最上川逆白波さかしらなみのたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
 という斎藤茂吉の歌があるが、そんな夕暮になってきた。
 もう一度、入浴。


 おしんの故里ふるさと

 七時起床。雨。散歩は中止。雨を集めて最上川の流れが速い。泥のように濁っている。
 体操。老人むき。それでも体を動かすと気持がいい。眠くなる。
 入浴。ねむい、ねむい。
「これはいいぜ。毎回、これでいこう。これは、もう、健康になるより他にどうしようもない」
「いけません。ときには濃厚なやつもないとね」
 スバル君の言う濃厚の意味がわからない。
「ときにだね、散歩をしなかったね」
「はい」
上山かみのやまに散歩に行かないかね」

「やってないかな」
 スバル君が電話を掛けた。幸か不幸か、やっている。
「山形県の老人福祉にも貢献しないとね」
 そういうわけで上山競馬場へ行くことになった。タクシーで小一時間という距離にある。
 昼食が来た。チャーハンのようなもの。
 ひき肉と見えたのが納豆をつぶしたものだった。
「納豆ピラフ!」
「さすが、おしんの故里だ」
「私もそれを言おうと思ったところです」
 山形県は『おしん』でウケに入っている。おしんコケシは製造がまにあわないそうだ。
 山形空港に着いた関西方面の客が、タクシーの運転手に、おしんの故里へ連れて行けと言うので、運転手はめんくらうらしい。それは銀山温泉のことではないかと彼等同士で話しあっているという。
 そのタクシーで競馬場へ。
「運転手さん、忙しいかね」
「ひまだねええ」
「競馬は好きかね。往復にしたほうがいいのなら、やっていかないか」
つらいなほうでないね」
 ということで、三人で特観席へ入った。
 僕は嘘を言っているのではない。競馬場での階段の昇り降りは相当な運動量になる。それでも、入院中に脱走して競輪場へ行ったという将棋の芹沢博文八段、競輪について廻って四国まで行ったという作家の色川武大さんに似たような心境になる。
 山形県の福祉事業に若干の貢献をして帰ってきた。
 ねむい、ねむい。
 スバル君は七時に眠ってしまった。僕は、八時まで我慢したが、たまらずに床に入る。
 朝早く目が覚めたと思って時計を見たら午前一時。小便に行く。その音でスバル君も目が覚めたらしい。二人で顔を見合わせた。
「こうなったら、一気に寝切るっきゃない」
 スバル君は猛然と布団にもぐった。
 僕はおかしくて仕方がない。ゲラゲラ笑ってしまう。スバル君の『寝切る』という言葉が、なんとも滑稽だ。一気に逃げ切る、一気に差し切るという競馬用語が彼の頭を離れないらしい。
 六時に起床したスバル君が僕を起こしてくれた。二人とも十一時間は寝たことになる。新記録だ。これでもって碁点の温泉効果は証明されたと言っていいだろう。これを温泉効果と言わずして他に何があろうか。これなら一週間で、軽い糖尿病は治ると僕が保証する。
 一週間で、丸谷才一、開高健、色川武大の諸氏なら十キロの減量が可能だろう。普通の人で五キロ減は確実だと僕は断言する。ただし、丸谷さん、開高さんが千八百カロリーに耐えられるかどうか、そこが、ちょっと心配だが。
 散歩。最上川べりと林檎園。リンゴは、いまが最盛期。斎藤かおりさんがつきあってくれる。ときおり、甘いような酸っぱいような香りがただよってくる。斎藤さんは、まったく化粧をしていない。なるべく斎藤さんの背後を歩くようにする。乙女の発散するものも体に良いはずだと僕は信じている。健康になって鼻も鋭敏になっているのかもしれない。
「これじゃあ、健康になりすぎる」
 斎藤さんが警戒するような目で振りかえる。あたりに人影がない。だいじょうぶだよ。おじさんは大久保清じゃない。
 体操。入浴。体力テスト。
 体力テストの成績、左の如し。
 握力、左右平均二十六㎏。垂直跳び、三十八・二センチ。閉眼片足立ち、四秒。背筋力四十六㎏。反復横跳び、二十秒間二十回。立位体前屈、マイナス十四センチ。
 これが、小学校の成績表のように1から5までで記録表に記入される。僕の成績はどうなっていると思うかね。
 垂直跳びが3、片足立ちが2。あとはすべて1である。3が普通、2がやや劣る、1は大変劣るという判定になる。
 垂直跳びだけが普通ということは、蛙みたいなもんだ。それもガマ蛙だろう。
「この成績だと、肉体年齢は何歳になるんですか」
 と訊いてみたが、斎藤トレイナーは笑って答えてくれない。
 八重洲口の総合健診センターから碁点温泉クアハウスまで、共通して言えることは当りがやわらかいということだ。たとえば、僕は身長百六十四センチ、体重六十四キロ。これが病院であれば、断乎、六十キロ以下に減量せよと命令される。しかるに、
せればいいってもんでもないんですよ。いまの体重を維持してくださればよろしい」
 こういう言われ方のほうが心が安まる。万事につけて、そうなのだ。糖尿病ではストレスの解消が第一だ。碁点温泉でも、
「飲みもののことは聞いていません。ご自由になさってください」
 と言う。そう言われれば誰が酒なんか飲むものか。
 ××よいとこ、一度はおいで、という歌がある。僕は、碁点温泉を再訪するつもりだ。大阪の財閥なんかに負けちゃいられない。
「あまり健康になりすぎるのも体に良くない」
 スバル君と僕の意見が一致した。そこで、その夜、上野駅に着いてから銀座へ廻って少し飲むことにした。
 温泉ガイド
 碁点温泉
 
■ところ・足の便 山形県村山市碁点 奥羽本線楯岡駅より谷地・岩野駅行きバスで15分。
■効能 動脈硬化症、温疹、創傷、運動器障害
■宿 クアハウス碁点
■近況など アスレチックのコースやテニスコートも出来、施設が充実。健康ブームの影響か、四、五人のグループで訪れ、ヘルス・ケア・トレーナーを希望する客が増えてきたもよう。またテニスのプレイを兼ねた若い女性客の利用も増加中。

九州横断、湯布院ゆふいん盆地


湯の町別府から高原を越えると、そこは原始の国の桃源郷――
湯よし、料理よし、内儀よし。噴煙の阿蘇までよかよか連発の旅。

 温泉行も決死の覚悟

 三泊四日となれば、売れない作家でも、ある程度の仕事を片づけなければ出られない。ごくごく短い原稿が四本、連載中の週刊誌が一本。この週刊誌では、挿画が入るので柳原良平さんに電話でストーリーを話す。業界では、これを絵組みと言う。
「どこへ行くの?」
湯布院ゆふいんです」
「ああ、爆発のあったところ」
「爆発なんかないよ」
「なにかあったじゃないか」
「直下型の地震があった。五十一年だったかな。九重くじゅう高原山下湖のレークサイド・ホテルが潰滅した。それは湯布院じゃない。だいぶ離れたところだ」
「気をつけて行ってらっしゃい」
 仕事は終った。前回と較べれば体の調子もいい。
 十月三日、月曜日。午後六時発のブルートレイン個室寝台でもって湯布院へ行こうとしている。湯布院での食事が美味であることを知っている。
 朝、東京新聞の運勢欄を見ると「親しい友と旅立ち楽し」となっている。
 だが、待てよ、と僕は考える。こういう何もかもうまくいっているというときが危い。何か思いがけぬ災害が待ちうけているような気がする。要慎ようじんしなくてはいけない。
 四時に家を出た。中央自動車道はすいていて五時に東京駅八重洲口に到着してしまった。小佐野賢治の経営する国際観光ホテル一階の喫茶室でウインナコーヒーを飲むことにした。こういうとき、天井から何か落ちてきはしまいかと思ってしまう。あたりを見廻す。いやに込んでいる喫茶室である。
「ありゃあとうございましたッ!」
 ボーイの声がやかましい。さすが小佐野は商売上手と評判のいいホテルであるが、落ちつかない店だ。ウインナコーヒーは苦いだけ。砂糖を忘れたのではないか。
 五時半になるのを待って九番ホームへあがっていった。
 慎重社のヤマキョウ君がいる。都鳥みやこどり君、スバル君がいる。スタッフの渡辺少年(通称ナベショウ君)がいる。自民党の代議士になったような気がした。なんだ、こんなことなら、早くホームにあがっちまえばよかった。
 ナベショウ君は、いつでも見送りにきてくれる。どんなに朝が早くても。そうして、必ず、旅の友というか、酒のさかなというか、オヤツというか、そんなものを持ってきてくれる。その日の旅の友は次の六種であった。
 おつまみチーズ、貝柱風。
 たこくん(なとり食品製)。
 坂角のゑびせんべい。
 花とみのあられ、品川巻風。
 帯広名産六花亭ハイミルクホワイトチョコレート。
 六花亭ビタスイートチョコレート。
 慎重社のパラオ君は、このテの旅の友を選ぶ名人だった。
 「えっえっえっ。こんなもの召しあがりますか」
 まるでラヴレターか袖の下を渡す感じで僕に持たせるのである。有難く頂戴する。その心持が嬉しい。ところが、僕は、これを食べたことがなかった。いつでも、持って行って持って帰るのである。いつだったか、缶ビールを六本、持って行って持って帰ったことがあった。これは重かった。
 だから、今回も、チーズの貝柱風というのがどういうものかわからなかった。貝柱の形をしたチーズなのか、貝柱の味のするチーズなのか。でも、その気持が実に有難い。
 ヤマキョウ君が持ってきたのは、ティオペペというシェリー酒である。僕は酒ならなんでも飲むが、シェリー酒はちょっと苦手である。食前に少量というのなら結構であるが。これは少し飲んで宿へ置いてきた。
 都鳥君が持ってきたのは、スイス製カマンベール、小岩井製クリーミーチーズ、鎌倉ハム製の缶入スライスドハムの三種であり、カマンベールが上等だった。スライスドハムは、持って行って持って帰った。
 快晴である。快晴の東京駅の夕刻の別れ。みんなニヤニヤ笑っている。
 先日、中学のクラス会の幹事会が開かれたが、なかの一人は、大阪へ行くのも飛行機を使用すると言う。
「東海道新幹線、揺れるからね。東北とか上越はいいけれど」
「酔っちまうのか」
「酔ったりしないけれど、揺れるから胃の調子が悪くなる」
「飛行機、こわくないか」
「落ちたら落ちたでいいじゃねえか」
「ハッハッハ。まあそうだけれど」
 もう一人は、大阪なら新幹線だけれど、広島は飛行機だと言う。
 こっちは広島どころじゃない。ブルートレインで別府まで行って、そこから自動車で湯布院に向うのである。ふつう、百人のうち九十八人まで、羽田空港から大分空港まで飛行機で行くと思う。僕は駄目だ。とにかく、飛んでいるあいだ、生きた心持がしない。それくらいなら、退屈でも時間の無駄でも寝台車で我慢してしまう。同行するスバル君にとっては、いい迷惑だ。もし、湯布院がつまらなかったら、三泊を二泊にして飛行機で帰ってきて皆を驚かしてやろうとも思うのだが、これは驚かないな、きっと。
 すぐに食堂車へ行った。
 僕は特級酒一本とハムサラダだけ。特級酒の銘柄は富の花だかなんだか、相撲みたいな名前だった。
「すみません。昼から何も食べてないので、私は焼肉定食」
 と、スバル君。あやまることはないと思うんだけれど。
 こっちをにらんでいる中年の男の客がいる。こういうのはカバ焼定食だと思っていたら、やっぱりそうだった。そのほかに、ウナギ長焼御飯というのがある。これは百円安い。百円高いのを注文したからといって睨み廻すことはないじゃないか。ウナギとステーキの客は威張った感じになる。長焼というのは関西のマムシに対応するものではないかと思った。
「大阪。大阪まで飲んでいなさい」
 そう言って個室になっているスバル君の部屋に入った。本当に大阪まででオヤスミナサイを言って、僕は自分の部屋に引きあげた。
 ブルートレインの個室では、横むきに寝ることになる。横むきに運ばれる。これ、不都合じゃないか。葬儀自動車だって縦に乗せるのである。遺体を安置するという。死んだ人だって縦に運ばれるのである。そうでなければ安置とは言えない。
 いったいに、列車の震動によってよく眠れると言う人が多い。これもわからぬ。列車の震動は一定していない。時に後方に時に斜めに体が持っていかれる。それから音響だ。これも一定していない。ガタンガタンならガタンガタンでいい。ときに、ガッといって息を飲むような感じになり、また、ガクーンといういやな音がする。僕は一
号車の二号室。脱線したんじゃないかと思って飛び起きることになる。
 さらにまた、慣性の法則というやつがある。僕は横むきにちぢこまって寝るのであるが、つまり、慣性の法則でもって、進行方向と反対の側に、すなわち壁側に体をあずけられた状態になっている。駅に停車する。すると、ガクーンと、さらに壁側に押しつけられる。次にガタンでもって元に戻されればいいのだけれど、ガクーンでもってガタンがない。とても不安定だ。実に不都合だ。
 それでも朝になった。下関駅で、スバル君が新聞を買いに行った。
「大変だあぁッ!」
 戻ってくるなり叫んだ。
「どうしたんです」
「三宅島の大爆発です」

 冗談じゃない。三宅島の湯ノ浜温泉も今回の候補にあがっていたのである。これはもう、飛行機でもって、昨日の昼に羽田を発てば、ぴったり、その時刻に三宅島にいたことになる。
 群馬県宝川温泉の水害あり、古くは熱海、近くは川治かわじ温泉の大火あり、静岡県寸又峡すまたきようの人質事件あり、バスの転落事故などは初中終しょっちゅうで、温泉へ行くと言ったって、これはもう決死の覚悟なのだ。けっしてノンビリとしたものではない。


 ここが桃源郷だ。

 別府駅。いきなり頭上からの、さあ、たぶん別府小唄とでもいうのだろうが、ガンガンという音響でもって迎えられた。
 別府は湯の町である。市内中、濛々もうもうの湯煙り。
「駅レンはどこだ?」
 こんどはレンタカーを利用する。スバル君は運転の名手である。ときどき、
「(ガクーン)あ、ごめんなさい。(ガク)あれ、どうしたのかな」
 という科白せりふが挿入されることになるが。
 九州へ来ると、いつも思うこと。
 ここは原始の国であり、原初の土地である。阿蘇あそ、霧島、桜島は活躍中であって、ははあ、こうやって国が出来たんだなと思わせるところがある。
 言葉の面白さ。
 たとえば、中年女性が鏡に向ってモダンバレーの稽古をしていたとする。こういうのを佐賀では、
「そばはずかしか!」
 と言う。これは翻訳不可能であって、そばはずかしかはソバハズカシカ以外のものではない。
 由布院、亀の井別荘。
 由布岳の麓の盆地だから由布院、これが町名となると湯布院になる。
 湯布院とは、荒っぽく言えば原始の国の桃源郷である。別世界である。小林秀雄先生は、毎年冬、一度はここを訪れたという。真贋を見極わめる鑑定人の第一人者が選んだ温泉地なんだから間違いがない。実際、別府というのは野鄙やひであり俗なのだが、ひとたび山を越え、湯布院盆地にさしかかると気持がなごんでくる。ホッとする。この、ホッとするという感じは、現代では、まことに得難いものなのである。
 単純温泉、泉温七十七・五度。無色透明、無味無臭。
 リューマチ、運動器障害、神経麻痺、神経症、病後疲労回復に卓効ありという。
 さて、亀の井別荘。
 僕は丸谷才一さんと二人で、日本旅館ベストスリーを選んだことがある。丸谷さんは、長崎の諏訪荘、神戸の播半はりはん、金沢の浅田屋を挙げ、僕は、小樽の海陽亭、松江の皆美みなみ館、名古屋の八勝館の名を挙げた。このうち、海陽亭と八勝館は、めったには客を泊めないようになっている。何か他にあったはずだがなあと思うのだが思いだせなかった。
 スバル君の運転で湯布院盆地が見えてきたときに、
「ああ、しまった、亀の井別荘を忘れていた」
 と気づいたんだから、僕、どうかしている。ここは、昼食だけのときをいれて四度目になるだろうか。
 亀の井別荘は、次の部門にわかれている。
 田舎家ふう離れ式山荘。全室風呂つき。ときに宴会も行われるようだ。
 庄屋と呼ばれる二階家。もと民宿で低料金。
 湯の岳庵と呼ばれる食堂。巨大な囲炉裏がある。
 天井桟敷という喫茶室。若者むきであるが、なかなかに高級。常にバロック音楽が流れている。
 鍵屋という土産物店。近隣地区の民芸品を扱っている。自家製の柚子ゆずねり、ジャムがうまい。
 大浴場。外部から入浴だけの客のための浴場もある。そっちは野天風呂もある。
 僕等は、離れのほうに泊った。ここは、たとえば紀尾井町福田家と較べても遜色がない。一泊二食つき二万円。これを高いと思うか安いと思うか、判断がわかれるだろうけれど、僕なんかは、ただただ有難いと思うばかりだ。なにしろ桃源郷なんだ。建物がいい。環境がいい。湯がいい。そうして、僕は断言するけれど、湯布院の食べ物は絶品である。それはおいおいに説明するとして、こういう超一流温泉旅館であるのに、気取ったところ、よそよそしいところがまるで無い。その証拠に、若者の客が多いのである。新婚旅行によし、フルムーンによし。中谷健太郎夫人であるところの内儀が美人である。
 すぐ入浴。僕は部屋についている風呂、スバル君は大浴場。スバル君は特に風呂好きであるとは思われないが、五度も六度も大浴場へ飛んでゆく。彼、この温泉は飽きがこないと言う。なるほど、無色透明でサラサラしている。
 この日の夕食は左の如し。
 まず、自家製梅酒。カボスが浮いている。酒は西の関を頼んだ。
 一、先付 雲丹うに豆腐。
 二、向付 ます洗い糸づくり。山芋、川茸、山葵わさび
 三、椀盛 川蟹汁。
 四、焼物 鮎塩焼、カボス。
 五、預け鉢 ぜんまい篠田巻、百合根、青味、柚子。
 六、替り鉢 合鴨あいがもロース。
 七、進肴 鰻巻あんかけ。
 八、小皿 白ダツ、茄子なす、胡麻ダレ。
 九、八寸 茗荷田楽みょうがでんがく無花果いちじくワイン寄せ、銀杏ぎんなん友千鳥。
 十、酢物替り たずな寿司。
 十一、汁 鯉濃こいこく汁。
 十二、飯 麦めし。
 十三、香物。
 十四、水物 梨、葡萄ぶどう
 そのほかに、馴染なじみ客ということで、自家製ローストビーフが供された。これは温泉熱を利用したローストビーフであって、中谷さんが苦心研究して開発したものである。
 夕食後、また入浴。
 僕の家は、東京三多摩地区の国立市。五年ほど前、夫婦で旅に出て、若者たちに留守番を頼んだ。何を飲んでもいい、冷蔵庫のなかの何を食べてもいい、そのかわり、ノートに日記をつけてくれと言い置いてあった。その日記の一節に「夜というものが、こういうものだと、はじめてわかりました」という箇所があった。都心と比較して国立市は、そのくらいに静かなのである。
 その僕が、湯布院の夜の静寂に驚くのである。物音がしない。平庭の先きは自動車道路であるのに、九時を過ぎれば、自動車も走らなければ人通りもない。
「まるで、静寂という音があるような気がするなあ」
 風呂に入りながら、そう思った。高原の風は冷いのだが窓をあけはなしても寒くはない。快いとしか言いようがない。
 木犀もくせいの香がただよってくる。
「こいつは出来すぎじゃないかな」
 僕は、湯布院に来ていつも思うことを口に出して言ってみた。


 コスモスの秋

 昨日、ブルートレインに乗っていて本州西端では曇っていた。九州に渡って晴れてきて、中津あたりで快晴、別府でも晴れていた。しかるに湯布院で雨になった。そういう地形になっているのだろう。
 阿蘇へ行くことにした。レンタカーがあるから、行動は自由自在、すなわち九州横断である。
 僕は、この、やまなみハイウエイが好きだ。スバル君の運転で網走から小樽までドライブしたときもよかったが、やまなみハイウエイも高原に山が迫ってくるのが別の味わいになっている。
 すすきとコスモス。樹木に紅葉が少しずつはじまろうとしている。この季節のはなやかさと淋しさがわるくない。
 十二時ジャスト。噴煙の中岳に到着した。スバル君は、もと交通公社の社員。実に正確に到着するのが有難い。キチンとしている。それはそうなのだが、なんでも予定通りに運ぶというのが、団体旅行の一員になってしまったようで、いくらかは味気ないと言ったら、彼、怒るだろうか。つまり食堂は満員。修学旅行の連中でやかましい。カレーライス。外国人の客が多い。ヒッピーふうの男女もいる。ホットケーキに汁粉をかけたようなものをアメリカの女性が喰っているのを見ると背筋が寒くなる。わが国の名勝地の食堂は低級だ。なんとかならないかと思う。
 草千里の烏帽子えぼし岳と駒立こまだちを描く。ついで阿蘇の中岳。僕の絵の噴煙しているのが中岳(そう見えることを切望するが)で、うしろが高岳。その高岳の左にちょこっと見えるのが根子ねこ岳。阿蘇と言ったって、その外輪山は、実に巨大、かつ広範囲に及んでいる。九州全体が活火山じゃないかという感じだ。
 雨になったので早く帰ることにした。途中、寒の地獄に寄った。ここの湯は冷い。手を突っこんだ感じでは零度。入浴したらストーブ・ルームに駈けこむという仕掛けになっている。梅毒、糖尿病その他に効くという。だから梅毒にいたる行為は厳にこれをつつしまなければならぬ。
 ここに「冷泉行進曲」という歌があり、これを歌いながら、お互いに励ましあって入浴するものらしい。おそろしか。
  石も木片もみな凍る
  果てなき寒さかみこらえ
  進む日の本男の子じゃと
  両の腕をなでながら
  あとのふるえを誰か知る

  思えば今日の浴場で
  寒さこらえてニッコリと
  笑っていんだ病友が
  一本半だレコードと
  残した声が忘らりよか

 スバル君が、ここに飛びこむというのを思いとどまらせた。彼が凍えると僕が帰れなくなる。このように、やまなみハイウエイの周辺、裏阿蘇一帯は温泉だらけである。
 由布岳というのが、なかなかに良い山であることがわかった。しかし、これに立ち向って描くという気力がない。
 夜は地鳥鍋。これが名物。ブロイラーじゃない。鳥自体に力がある感じ。他に山女やまめ、シラコ(何の子であるか聞き忘れた)、馬刺ばさし
 どういうわけか、オナラばかり出る。いちいち便所へ立つのが面倒になる。
「うん、いまのは、いい音だ」
 スバル君が論評する。放屁大会。腸がゆるんでしまったのか。スバル君と将棋。この旅行中、平手で二勝二敗。一年前、二枚落で僕のほうに分があったのだが、長足の進歩にびっくりする。スバル君、筋がいい。気合がいい。
 負けるはずのない加藤一二三が谷川浩司に負けた。負けるはずのない内藤国雄が高橋道雄に負けた。これは時の流れというものだろう。かくして人は老いてゆく。
 女房が、レーガンがフィリピンへ行くのは、やっぱり訪比っていうんでしょうかと言ったのを思いだす。人は老いる。大腸も括約筋かつやくきんもゆるんでくる。将棋の格言に「放屁ほうひ(王飛)接近すべからず」というのがある。だから、僕とスバル君は、部屋の隅と隅に離れて位置している。
 入浴すると疲れる。碁点ごてん温泉では眠くなって困った。湯布院でも疲れる。久しぶりに快い疲れを味わっている。

 三日目。十月六日、木曜日。快晴。
 九重高原小田野池を描きにゆく。これが今回の僕の目的であり楽しみでもあった。何度かの由布院行で、その日本ばなれのした風景に目を奪われていた。行ったことはないけれど、これはカナダに似ているんじゃないかと思った。
 森林浴をかねたスケッチ。頑丈無比のスバル君が疲れたと言う。
「森林浴っていうのは疲れるんです」
 そういうわりには、体の動きも目もイキイキしている。そんなふうな疲れ方なのだろう。
 杉の木が多い。僕は杉を描くのが下手だ。杉の葉は細かい。密生している。従って濃い影を造る。影の部分は黒だ。その黒を描くと、黒だけが浮きあがってくる。そうかといって省略して描くと玩具じみてくる。積木を置いたようになる。往生した。
 以前から、そうなのだ。杉が描けないと日本の風景は描けない。油なら、上から重ねてゆけばなんとかなるのだが、水彩ではそうはいかない。一時、僕は、杉山さんとか杉林さんとかに会うと、それだけで気分が悪くなったものだ。
 小田野池を終って、隣の山下湖。そのレークサイド・ホテル。これが例の直下型地震で潰滅したホテルであるが、いまは改装して営業中である。ところが、このとき、湯布院の亀の井別荘も直下型地震に見舞われているのである。これは、まことに不思議な現象だった。
 亀の井別荘の天井桟敷という喫茶室。農家を運んできた太いはりを使った頑丈な建造物である。この建物も、もう少し余震が続いたら倒れたであろうと思われる激烈な地震だった。離れの山荘の板戸がヘシ折れたそうだ。
 亀の井別荘の内儀は、湯布院全体が潰滅したと思っていると、翌朝になって続々と従業員が出勤してきたので二度ビックリであったという。やられたのは亀の井別荘とレークサイド・ホテルだけだったそうだ。これも九州という土地の不思議ではあるまいか。
 ここで、亀の井別荘についての、さあ何と言うか、僕にとっての一種の違和感のようなものを率直に言ってみてしまいたいと思う。亀の井別荘は、桃源郷である。こんなに有難いところはない。こんなに嬉しいところはない。何か狐につままれているような気さえするのである。スバル君など、感激して、この夕食だけでも東京では二万円では食べられないと言うのである。従業員は親切であり動きがキビキビしている。
 はじめに、超一流の温泉旅館であるのに気取ったところ、よそよそしいところがまるで無い、と書いた。どんな人だって桃源郷に連れてこられたら、最初は、なんだか変だなと思うに違いない。まあ、そういったようなことだ。
 中谷健太郎さんは、僕の尊敬する人物の一人である。
 彼は、農家に一頭ずつの牛を飼うという運動を行っている。牛がいないと野焼きをしない。従って原野が荒れる。湯布院盆地を守るためには牛が必要である。この牛は委託制度になっている。農家に牛を提供する人は、無農薬野菜を頂戴するという恩恵にあずかることになる。一方、農家のほうには、牛が仔を産むというメリットがある。ざっと言うと、そんなことであるらしい。こういう運動には大いに肩入れをしたい。大賛成である。
 中谷さんは「心に理想を抱く人」である。僕の印象はそうなっている。
 また、毎年夏に映画祭を催しているのを東京の新聞で承知している。根っからの映画好きが湯布院町に集合する。いま、やや映画ブームが復活するかのごとき傾向が見られるが、ドン底であった時代から続けられている。
 この「心に理想を抱く人」と、善美を尽くした超一流の温泉旅館というのが、僕にとっては何かシックリとこないというところがある。こいつは良過ぎるのである。こういう思いがあるかぎり、僕は何度でも亀の井別荘を訪れることになるだろう。
 レークサイド・ホテルを描きながら、僕は、そんなことを考えていた。
 この日の夕食は、牛の炭焼きであった。その一片を、まず、スバル君に試食してもらった。
「どうだ?」
 スバル君は、拳をつくり、その拇指おやゆびを立てて、
「ううん、バッチシ。グウです。こりゃあ、うめえや」
 話すよりもうなった。あとは唸るばかり、喰うばかり。ナス、ピーマン、タマネギがついている。そのタマネギが甘い。僕はピーマンはやや苦手。その僕がピーマンをむさぼり喰ったということで、残余のことを察してもらいたい。
 後に、大分県の財界の巨頭の一人にその話をすると、
「中谷くんなら、そのくらいのことやるでしょう。その
ピーマンは、ほんとにうまいピーマンなんです」
 と言い、また、
「あそこへ行くと、みんなポーッとなっちゃうんです。鍵屋っていう土産物の店があるでしょう。ポーッとなっているから、何でも買っちまうんです。うまい商売です」
 と言った。そういえば、スバル君、どういうつもりか、その土産物の店でメキシコ製のバッグなんか買ってしまった。
 特にフルムーンの紳士淑女諸君、生あるかぎり湯布院の亀の井別荘を一度は訪ねてもらいたいと大いに吹聴しておく。
 温泉ガイド
 由布院温泉
 
■ところ・足の便 大分県大分郡湯布院町川上久大本線由布院駅下車
■観光 由布岳、城島高原、民芸村など。
■宿 亀の井別荘
■近況など 昭和五十年以来開催されている音楽祭(七月下旬)、映画祭(八月下旬)は、ともに今年で十回を数える。以来、若者客が増加中。また「牛食い絶叫大会」の元祖でもある。三月から十一月までは、温泉地間を辻馬車が走る。「小さいながらも、気くばりの行き届いた味わいのある宿でありたい」とは支配人の弁。

憧れの常磐じょうばんハワイ


少年時代に読んだ『パノラマ島奇談』を想い起させる一大娯楽センター。
巨大なドームでのフラダンスは、美麗かつ迫力もあったけれど

 晴れた空、そよぐ風

 温泉へ行くというのに心が少しも浮いてこない。ソワソワしない。これは変だ。
 体の調子は悪くない。仕事は片づけた。それなのに浮いてこない。こんなことは初めてだ。憧れの常磐ハワイアンセンターへ行くというのに。
 頼んであったタクシー会社から電話があって、首都高速道路でトレーラーが横転し、道が込んでいるという。そこで電車で行くことにして、午前七時半に家を出た。
 久しぶりにラッシュ・アワーを体験する。これは決して悪いものじゃない。国立くにたち駅で、ギュッという感じで押しこまれる。この、戦闘開始という気分を三十余年にわたって経験してきた。いまは予備役に編入されているが、歴戦の勇士である。
 黒革のジャムパー、革の鳥打帽、手提鞄にショルダー・バッグという立立いでたち。ついに革ジャンの季節が廻ってきた。
 この頃、庭で落葉を掃いているとハナ歌が出る。そのメロディーが何であるかと考えていると、
 〽松の木ばかりがまつじゃないあなた待つのもまつのうち
 とか、
 〽別れることはつらいけど、仕方がないんだ君のため
 とか、
 〽貴方のくれた帯留の達磨だるまの模様がチョイト気にかかる、さんざ遊んでころがして、あとであっさりつぶす気か
 であり、
 〽あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろであったりする。これは温泉旅館で婆さん連中が大合唱する歌であって、僕も、ようやくにして温泉人間になっちまったような気がする。あんまり教養があるとは言えない。こんどは常磐ハワイアンセンターへ行くと言うと、若い女性は、
「エエーッ
 と言う。そこへ二泊三日すると言うと、
「エエーッ。うっそうッ。ほんとうッ?」
 となるのである。僕は、そういうことを言う人の気が知れない。僕は、意外にも、こういうところが好きなのである。だって面白いじゃないか。まして常磐ハワイアンセンターは、炭坑が駄目になり、乾坤一擲けんこんいつてき、社運を賭してこれを大温泉旅館に造成したものである。炭坑夫の娘がフラダンスを踊るという。二十年ぐらい前に、このニュースを耳にしたとき僕の胸も踊ったものである。土壇場で発揮される人間の叡智。これは貴いものだ。その東北の叡智を見に行こうとしているのである。
 下田は伊豆のハワイであるという。秋川渓谷にもハワイアンなんとかという波のあるプールがあり、ハワイというのは日本人にとって楽しいところ夢のようなところ常夏とこなつの桃源郷という意味があるようだ。芸能人はハワイのことをワイハと言う。こっちには淫猥いんわいな響きがある。
 八時三十分、上野駅に到達した。十八番ホーム。これは上野駅の東端にあって、常磐線の発着するところであるが、何かローカル線に乗る感じがする。
 スバル君がすでに待っていて、
「ニッ
 と笑う。僕が一時間前には到着することが周知徹底したようだ。これまでは、いつでもスバル君にかぎらず同行諸氏は五分前十分前に駈けこんでハラハラさせたものである。今回は見送りなし。なんだか自民党から革自連に鞍替くらがえになったような気がする。
 スバル君もベージュ色の革の上衣。旅をするときの衣裳は革製品に限るのだ。暖い、軽い、動きやすい。
 転勤する社員がいるらしくて見送りの輪が出来ている。禿頭の重役風から、ぷくっと肥った受付嬢らしき人まで。
「あれは日立製作所かなんかじゃないか」
 寒そうに輪の中心に立っている長身の石橋委員長に似た男が転勤者である。いかにも技術者らしい真面目一方の風貌。
「あれが彼の一番いい背広だ。名刺の受付係りがいないところを見ると、まだ偉くない」
 僕、余計なことを考えている。僕がサントリーにいたころ、東京支店から大阪本社へ転勤になる男がいると、そうやって東京駅へ見送りに出たものである。万歳の音頭をとる社員がいて、彼はバンザイ屋と言われていた。そのバンザイ屋本人が転勤になって、キッカケをつくる男がいないので、妙に淋しい転勤風景になった。発車の合図のベルが鳴って、バンザイ屋の唇がもぞもぞと動いたことを思いだす。
 僕は、その見送りの光景を車内から見ていた。変なものが好きだなと自分でも思う。
「おい、柱の陰でハンカチをんで涙ぐんでいる女はいないな」
「このごろ、そういうのいないんです。堂々と前へ出てきます。それに、あの人は固い一方の人です。女性関係ゼロ」
「そうだろうな。しかし、こういう男が危い。駅前のスナックの女にひっかかって問題を起こす。この女にヤーさんがついていて示談金をとられる。ために、あたら重役候補が工場長どまり。それがっていうのが細君が焼餅やきで常務に訴えてでたのがいけない。可哀相だな、せっかく東大の理科を出たっていうのに
 その転勤者の席は僕等の前だった。
「エヘン
 僕等をにらんで直立不動の姿勢。無理に笑って見送りの社員たちに頭をさげた。栄転じゃないらしい。
 十一月七日、月曜日。九時三十五分発、常磐線ひたち三号は静かに動きだした。僕、見送りの人につられて拍手。僕が拍手したって仕方がないのであるが。転勤者は窓に額をつけて、長く長く上野駅を見ている。それから、エヘンともう一度せきばらいして着席し、男性週刊誌のヌード写真を熱心に見つめるようになる。


 ハワイに入っては

 十二時、湯本駅に到着した。
「ハワイアンセンター」
 スバル君が常連客でもあるかのような軽い口調でタクシーの運転手に言った。
 二十分足らずで常磐ハワイアンセンターに着いた。思っていたように巨大な体育館のような建物。入場料(入浴料?)千三百円。本館ホテルは百メートルばかり離れたところにある。他に別館やら新館やら。さらに何だか知らない、工事中の箇所があって、これは大浴場建設中と見当をつけた。
 このあたり、湯本駅という名でわかる通り、温泉地帯であったわけだ。いま、附近に六箇所のゴルフ場がある。このへんの、たとえば寿司屋のあんちゃんの趣味を問えば、間違いなくゴルフと競輪(たいら競輪が近い)と答えるだろう。小名浜おなはま港があって魚のイキがいい、野菜が安い。住みやすいところである。
 フロントへ行ったら、まだ部屋は掃除中であるという。時計を見ると十二時半。どうやら、部屋も風呂も食堂も、十時から午後の二時まで休業ということになるらしい。さすがに旅馴れたスバル君でもどうにもならない。実に、このフロント氏、頑固というか官僚的というか。だけど、僕、悪い気はしない。こういう、企業がサービス業に転ずるとき、四角四面になる場合がある。そのかわり、頼んだことはキチンとやってくれる。倉敷レーヨンがアイビースクエアというホテルを経営しているが、フロントの感じが実にいい。僕は優秀なサラリーマンの体臭といったものを嗅ぎとってしまう。これは好きなのだ。
「仕方がないよ。きみ、ハワイに入ってはハワイに従え、だ」
「ハワイアン・ルールですね」
 将棋連盟には、麻雀に大山ルールというのがある。厳として曲げることはできない。僕の鎌倉の叔父は九十歳にちかく、いまだに矍鑠かくしやくとしているが、これが麻雀狂、ふつう平和ピンフーはメンゼンでないかぎり自摸つもれば役を失うが、叔父は頑として「自摸のほうが偉いはずだ」と主張して、これを平和あがりとする。七対子チートイツの同一はい四枚使用も認めてしまう。同一はい二枚ずつが七通りだから七対子なのだが、叔父は「四枚のほうが偉いんだ」と言って譲らない。
 ハワイアンセンターでは、客がどんなに遠いところから来ようとも、どんなに疲れていようとも、二時にならなければ部屋へ入れてくれない。十時がチェック・アウトだそうだから十二時半には掃除は終っているはずである。そうでなくたって、小部屋のひとつぐらい掃除するのに手間はとらないはずだと思うのだが。僕等はロビーのソファーに坐っていた。
 ハワイアンセンターの開場当時、一年前に予約しないと部屋が取れなかったという。それくらいに繁昌した。大当りだったのである。いま、閑散としている。客は一人もいない。
 正面入口の扉が開くたびに、僕等は振りかえった。入ってくるのは、テレビ局の裏方みたいなジャムパーを着た男たちばかりである。トンカチやらハサミやらを腰に差している。これは客ではあるまい。ダンボールの箱を肩に担いだ男が入ってくる。
「あれは電気工事だぜ。どっか漏電してるんじゃないか」
「そうらしいですね」
 実にわびしい。
 一時になった。この日、日本シリーズ、西武対読売第七戦。すなわち、ロビーのテレビをつける。なんだ、家にいるのと同じじゃないか。スバル君、自動販売機のコーヒーを買ってきてくれる。実にわびしい。
 そこへ、三人連れの男の客が入ってきた。
「やってる、やってる」
 彼等がテレビの前に坐った。
「ああ、やったやった。山倉いいぞ」
 大の男が三人とも立ちあがって拍手する。山倉がホームランを打ったのだ。巨人ファンには、このテの男が多いのだ。スバル君も僕もアンチ巨人軍である。部屋に入れないのは我慢できるが、巨人気違いと同席するのは耐えられない。
 スバル君が、再度フロントに交渉する。OKのサインを送ってくれる。ほらみろ。もと炭坑のサラリーマンは話せばわかる人たちなのである。
 六畳の和室に板の間。国民宿舎の感じ。こういう部屋に入ると、遊びにきたのではなくて幽閉ゆうへいされているような気になる。すぐにテレビ。2―0で巨人リード。この二点目が失策がらみで流れが悪い。しかし、西本はバテていてアップアップ。バテているのに摑えきれず、本当に手に汗する。こういう試合では、藤田監督も、あの広岡さんも采配ぶりが、てんでなっちゃいない。藤田は西本と心中だと言う。これは逃口上である。時のエースと心中と言えば浪花節の日本人にはウケルのである。監督の役目は非情に徹することだ。あの広岡さんでさえ、東尾と心中、杉本と心中と叫ぶのだからいやになっちゃう。
 七回、無死満塁からテリーの逆転打。拍手。
「ああ、やったやった、テリーいいぞ」
 なんだ、巨人狂と変らないじゃないか。
「おい、風呂へ行こう!」
 僕等は本来の目的を思いだしたのである。それを思いださせてくれたのは掌の汗だった。


 呼び物のフラダンス

 本館からハワイアンセンターまで百メートルの距離だと書いた。
「やや、これは江戸川乱歩の世界ではないか。あるいは三島由紀夫か」
 僕の頭にひらめいたのは『パノラマ島奇談』である。巨大なる人工的なもの、人間生活にとって本来必要のない遊びの世界。それが乱歩や三島に通じてくる。
 入口で靴を脱ぎスリッパを履こうとして叱られた。スリッパを履くのは、入浴後にセンターから本館へ戻り部屋に入るときのみに許される。センターのなかでは、靴袋に靴をいれ、それを持って裸足で歩くのである。ついでに言うと、ここのホテルでは、浴衣で場内を歩いてもかまわない。スリッパでダイニング・ルームへ行ってもかまわない。むかし、大阪のロイヤルホテルで阪急ブレーブスの黒人選手がロビーを裸足で歩いていて、ずいぶん奇異に感じたものだ。
「ハワイに入ってはハワイに従え」
「ハワイアン・ルールです」
 金風呂というのがある。男子専用というのではない。純金(金箔きんぱくだろうが)製の風呂なのである。ここでスバル君が写真を撮ろうとして、また叱られた。
「個人写真、お断り」
 ここでは業者による記念写真でなくてはいけない。
 ナイヤガラ風呂がある。これは野天であって、そこへ行くまでにローマのカラカラ浴場みたいな豪華きわまる浴室群を通り抜けることになる。そのカラカラ浴場の前は、畳敷の宴会場。そこで握り飯を喰ったり赤ん坊にミルクを飲ませたりしている。
 言い忘れたが、このセンターの広さは、室内野球場、すなわち、所沢の西武球場に屋根をつけたようなものだと思っていただきたい。そんなには大きくないが、七千立方メートルの大ドームである。
 センター内は暖い。常夏の国である。汗びっしょりになって戻ってきた。
 本館七階にも大浴場がある。これは地下四、五百メートルのあたりから湧出するもの。なにしろ炭坑の跡だから深い深い。湯量は毎分五トン。といったって僕には見当がつかないが、使用量が湯量に追いつかぬという。
 野球中継が終り、夕食前だから、浴場はいっぱいの人。だいたい七十パーセントの泊り客があるという。驚くべし、僕等がテレビを見ている間に、バスによる団体客が陸続とつめかけていたのだ。案ずることはなかった。
「おい、糖尿病に効くと書いてあるぞ」
「たいていの温泉は糖尿病にいいはずです」
「どうして」
「温泉に入れば運動したことになりますから」
 スバル君はすました顔でひげなんか剃っている。
 老人客ばかりだと思ったら大きな間違いで、慰安旅行の若い男たちも多い。これから飲んでやろう歌ってやろう、お目当てのショーガールに声をかけてやろうと思っているから、すでにして、ナニがいきりたっている。僕、素っ裸で野球大会をやったらどうかと考えている。常磐メンブランズ。
 夕食は湯本駅のほうへ食べに行った。民芸調の店わらじ。これがよかった。小名浜港があり、野菜も安い。コノシロ、イカがうまい。特製御新香がいい。ヤナギガレイが絶品。
 ハワイアンセンターに戻ると、呼びもののショーがはじまっていた。ハワイアンダンス、タヒチアンダンスに白根一男の歌謡ショー。一杯の人。
 だいぶまえに、僕、南武線の溝ノ口のキャバレーに白根一男の看板が出ているのを見た。昼間だったから入らなかったけれど、一度見てみたいと思った。
 ついに白根一男にお目にかかった。昔、僕は藤島桓夫というのがヒイキだった。その頃の人ではないか。フランク永井がしなびたような感じの歌手だった。それでも、ライトの加減か、とても若く見える。
 ちゃんと専属の司会者がいる。この司会者、酒をと発音するのが耳ざわりだったが。『はたちの詩集』というのはミリオン・セラーだと言う。はて、そんな歌があったかと思っていると、猛烈な拍手。これが白根一男の独参湯どくじんとうなのだろう。僕等の知らないところに、確固たる別の世界がある。
 さて、ハワイアンダンス。なかなかに美麗であり迫力もあり、音響効果、照明もよろしい。技術的には本場に劣らない。フトメの女性が多いが、まずは美人揃いだと言っておく。
「あれ、一番右の若い。目が綺麗です」
 そのお嬢さんは日色ともゑに似ていた。スバル君、目が早い。
 しかしながら、本場ものとは、どこかが少し違うんだな。その感じが、うまく言えない。僕は、先年、タヒチ島、ボラボラ島に旅している。その僕が言うのだから、信用してくれたまえ。リズム感が違う。
 こりゃあもう、血だとしか言いようがない。何代にもわたって幼女時代から踊りつづけ音を聞きつづけてきた女とこっちの女との違い。これはどうにもならないものだ。肉体が違う。単に綺麗ということだけを取りあげれば、色が白いだけでもこっちのほうが綺麗だ。日本髪の芸者が海水着を着るとおかしいでしょう。そんなもんだとしか言いようがない。
 なんだってそうなんだ。野球がそうだ、競馬がそうだ、オペラがそうだ、バレエがそうだ。日本人がやると、どこかがおかしくなる。
 その意味で、ハワイアンセンターのフラダンスを含むところのショーは、まことに日本的であり日本人そのものである。
 タカラヅカだって、宝塚温泉の浴槽に板を渡して、その上での娘手踊りから出発したのだ。タカラヅカというのは、公平に見て、結局は世界の物笑いのタネのひとつだと思うが、それでもあそこまで行ったんだ。
 野球の日本シリーズだって、アメリカの水準とは較べものにはならないが、そう思って見れば、それなりに面白いところもある。競馬のジャパンカップなんかも田舎芝居みたいなもんだが、歴史が浅いんだから仕方がない。
 常磐ハワイアンセンターのフトメの踊り子諸嬢よ、だから、頑張れ!


 小名浜港夕景

 十一月八日、火曜日。神様が日本人に呉れたプレゼントとしか思えない物凄い快晴。秋晴れというのが、まさにこれだ。
 朝食。大食堂での和食バイキング。これがなかなかに良い。僕、何度か和食バイキングを試みているが、最高傑作だと断言する。農家の人の来るところでは野菜を食べるといい。彼等は、そいつだけにはうるさいはずだ。とくに東北なら漬物。妙なものを提供すれば、ぶん殴られる。
 ドイツ料理に、ファーマース・ブレックファーストというのがある。簡単な馬鈴薯料理であるが、ここでの和食バイキングは、東北地方の農民の食餌嗜好を知る絶好の機会だと思った。
 最初に売り切れたのはウインナ・ソーセージだった。最後まで大量に残ったのは生野菜だった。うずらの煮豆も半分ぐらい残っている。なんだ、そんなものなのか。小学生の弁当のおかずで最高人気はウインナ・ソーセージだということを思いだした。朝食をシッカリと食べるというのが僕の健康法の第一である。
 ナイヤガラ風呂へ行った。ナイヤガラ上空の神様の呉れた東北の蒼空。カラカラ浴場も満喫した。
 昼間のショーを見に行ってスケッチ。即写と称している。
 部屋へ戻った。さあー、することがない。これだけの娯楽施設が整っていて退屈するのはどういうことだ。
「常磐ハワイアンセンターに二泊三日するのは気違い沙汰だ」
 と言われたことを思いだす。その意味がわかってくる。平競輪でもやっていればよかったのだが開催していない。
 昼寝。僕の健康法の第二がこれだ。入浴して、またわらじへ行く。僕は旅に出ても、ここと決めたらその店ばかりへ行く。喧嘩の強そうな主人が西武ファンで機嫌のいいのも御馳走のひとつ。町を歩く。何度も書くが、八百屋での野菜が安い。そうかといってサツマイモを背負って帰るのも気が利かない。
 絵を描きたいという気持が猛然と湧いてきた。タクシーでとってかえして、ふたたびハワイアンショーに挑戦。
 しかるに、残念ながら、描けなかった。絵というのは、どんなに暗いものでも描ける。暗夜にからすだって描けるのである。しかし、手もとが暗ければ描けない。なまじ舞台が強いライトで輝いているだけに、余計にいけない。目がチカチカする。スケッチ・ブックは闇の中。懐中電燈を持ってくればよかった。
「そこまでは気がつかなかった」
 と、スバル君。それは当り前だ。
 部屋でテレビを見て早く寝る。家にいるのと同じことだ。
 僕は風呂好きではない。温泉好きでもない。温泉についての知識もないし知りたいとも思わない。
 その僕が、なぜ温泉へ行くのか。よくわからない。日本人は何かというと温泉へ行こうと言いだす。その真意を解明したいという気持がないことはない。温泉好きの日本人に、良い風呂を紹介したいという気持は大いにある。しかし、それは専門家にまかせたほうがいい。いったい、なんだろう、この僕が温泉へ行くというのは。そんなことを考えながら眠った。(日本は湿気が多いから温泉へ入りたがるというのが丸谷才一さんの説である)
 十一月九日、水曜日。快晴。朝、前の廊下が騒がしい。大河原婦人会の一行である。
「大河原ってどこですか」
「このへんのあんたらにはわかんねえだろうが飯能はんのうだニィ」
「ああ、埼玉県の。むかし肺病の療養所があった
 と言ったらいやな顔をされた。
 湯ノ岳へ登った。もっともタクシーで行ったのだけれど。
 紅葉の盛り。ここから栃木県あたりが見えることがあるという。さすがに寒い。そのタクシーで小名浜へ行った。常磐ハワイアンセンターへ行って、ついでに小名浜の魚河岸で安い魚を買って帰るナントカ・ツアーというのがあったのを思いだしたからだ。大河原婦人会御一行様もきっとそうするだろう。常磐に行っては常磐に従え。
 小名浜港で船を描いた。
 第三十八幸辰丸というのが目の前に接岸してしまった。
「さすがにプロは違うねえ。銚子にもあんたみたいな絵描きがいた」
 目のショボショボした老人に言われて良い気分になる。波を見る漁師は乱反射でもって乱視になるという。
「いまは無線で連絡を取るでしょう。石巻の漁師はねえ、銚子の奴等はなまりがあって何言ってんだかわかんねえって言ってましたよ」
「そうだべなあ」
「ところが石巻の訛りって言ったら、こりゃひどいもんで」

「ありゃひどい」
「そうかねえ。おら、石巻の漁師だが
 しまった。小名浜港を歩いているから小名浜の漁師とは限らない。全国から集まってきていることに気づかされた。
「その絵、買ってやんべか」
 そう言ったのは、アキ竹城に似た中年女性である。
「売る絵じゃありません。それにこんなボロ船じゃあ
「幸辰丸はらほうの船だけんど」
 うっかり物も言えない。しかし、オーナー夫人に怒る気配はなく、大きな金歯を夕陽に光らせて笑った。
 温泉ガイド
 常磐湯本温泉
 
■ところ・足の便 いわき市常磐湯本町 常磐線湯本駅下車。駅前一帯も温泉街だが、ハワイアンセンターへは駅よりバス利用。車なら10分。
■効能 高血圧、神経痛、糖尿病。
■観光 白水阿弥陀堂、塩屋崎、沼ノ内弁天など。
■宿 常磐ハワイアンセンター
■近況など 豪華金風呂、一年中泳げる大プール等が呼び物。近年改築され、さらに大きく華麗に変身。後背地ではゴルフ・テニスのほか、鮭狩り、相馬野馬追いが楽しめる。

玉造たまつくり皆美みなみ別館の夜


山陰は松江――旧知の旅館で気分快調、イレ歯も好調。
宍道湖七珍を肴に「重役」さんから聞かされた「温泉入浴法」の秘伝。

 山陰は強風快晴

 十二月一日、午後九時。スバル君と僕とが東京駅十番線ホームにいた。夜行寝台、特急出雲三号に乗って松江へ行こうとしているのである。
 都鳥君が送りにきている。新橋のナントカ寿司の折を呉れた。前回は誰も来なくて、自民党から革自連に鞍替くらがえになったようだと書いたからだろう。これで新自由クラブぐらいに昇格した。都鳥君、河野洋平みたいな顔で、
「じゃ、くれぐれも気をつけて、いってらっしゃい」
 と言って頭をさげた。あとで判明したのであるが、ヤマキョウ君がホームにあがったとき、出雲三号は動きだしていたそうである。
 こんどは個室寝台ではなくてA寝台である。なんだかデューク・エリントンのA列車に乗ったようで良い気分。ご承知のようにA寝台は縦に寝る。僕の席とスバル君の席は向いあっている。ともに下段。ところが、僕は進行方向に頭、スバル君は反対で足。トランプ式である。
「もう寝ようじゃないか」
「そうですね。おやすみなさい」
 だから、挨拶するには具合がいい。この出雲三号、食堂車はあるのだが営業していない。どうせ眠れやしないだろうけれど、僕、これは昼寝なんだと自分に言いきかせた。昼寝ならうまくゆくことがある。あ、あれ、エート、エート、都鳥君に貰った寿司の折、あれはどうしたんだっけな。まさかスバル君が一人で喰っちゃったんじゃあるまいな。とにかく、僕は食べた記憶がない。
 このA寝台がガラガラ。車掌の言によると、シーズンになって学生さんが乗ってくれないとということだった。近頃の学生は贅沢なもんだ。もっとも、普通の人は、松江へ行くときは飛行機でもって出雲空港へ飛ぶ。国鉄の赤字、容易には解決しないと思った。僕、公営ギャンブルは山口組が、国鉄は堤義明が経営すべきだというのが持論になっている。
 永井龍男先生の名作『手袋のかたっぽ』によると、昔、東京の市電は二つの会社が経営していた名残なごりで「街鉄」と「外濠そとぼり」という車体の違うものが走っていた。その一方は「駄句だく駄句、駄句駄句、脱訓」という音で走り、もう一方は「脱訓、駄駄駄駄、脱訓」であったという。
 僕は、子供のとき、電車ゴッコをするときは「ガッターン、ゴットーン、ガッターン、ゴットーン」と言っていたが、僕の腹違いの兄は「ガッタンユキ、ガッタンユキ」だと言って譲らなかった。これには違和感があったがガッタンユキのほうは、いかにも前方へ動いている感じで新解釈だと思った。柳家金語楼によると、同じ東海道線でも、静岡あたりを走るときは、チャバタケ、チャバタケ、チャバタケであったという。
 わが出雲三号も揺れる。たえず揺れているのであるが、ときどき、ひときわ大きく「我訓」とくる。これでおさまったかと思うと、さらに大きく「くうん!」とくる。なんだか僕等の車輛だけ脱線したまま走っているような気がした。
 少しは眠ったらしい。カーテンを開いて暗闇に目をこらすと、熱田あつた駅を通過するところだった。午前二時、熱田といえば名古屋の手前である。なんだ五時間走ってまだ熱田か。日頃、新幹線なんて日本の端から端へ棒を渡したようなもんだと悪口を言っているのだが、ありゃあ有難い乗物だなと思う。冗談じゃないよ、まだ九時間ちかく乗っていなくちゃいけない。
 また少し眠ったらしい。寒いような気がして、ふたたびカーテンを開くと窓外は灰色で吹雪ふぶきであるようだ。午前六時半。頸を振って和田山駅を確認した。冬型の気圧配置で雪は覚悟している。十日ほど前、新潟は雪だったという。野坂さん御苦労さま。
 そのまま起きてしまって、七時になる直前にスバル君に声をかけた。
「おい、こら、起きろ!」
 なんてことは言わない。折よく車掌のアナウンスがあった。
「みなさま、お早うございます」
 僕はニヤッと笑った。スバル君、パッと目を開き、しばらく虚空をにらんでいたが、
「あ、そうか」
 と叫んで上体を起こした。
「眠れたかね」
「眠れるわけないでしょう。震度二とか三とかいう状態ですから」
 僕のほうは、僕としては眠れたほうに属する。出発前、八重洲口の金好で僕はカキフライ、スバル君はヒレカツを食べ、酒を一合半ずつ飲んだ。スバル君に喰い過ぎだと叱られたが、その満腹感がよかったのかもしれない。その店に、お好み焼きとモンジヤキと牛天の相違を論じてまぬ酒客がいた。
「こんど営業の柴崎に案内させよう。あのは下町育ちだから、よく知ってるだろう」
 僕等はモンジヤキではなくモンジャキと言ったもんだ。変なものをサカナにして飲む人がいると思い、柴崎さんは気の毒だと思った。
 だから、僕は、まあ、寝覚めは上等である。イレ歯の調子も絶好調だと言っていい。
「どうも、この、日本海というのは鈍色にびいろでないといけませんね」
 スバル君の言うように、案に相違の快晴。風が強いようだ。スバル君がカニ寿司、僕が幕の内弁当を食べた。


 宍道湖しんじこの夕焼け

 十時四十六分、松江駅に到着した。ドスト氏と二人で松江へ行ったときは食堂車があってウエイトレスの一人が松江という名札を胸につけていて、もう一人は米子(よなご)だった。米子で下車する組と松江で下車する組とにわかれていたらしい。
「松江はいけないんです。ひどいめにあった。米子のほうは良い女でした」
 そんなことを言っていたのを思いだす。
 駅から皆美館みなみかんまで自動車で五分。
「どっかへ行くんですか。市内見物ですか。待ってましょうか」
「いや、歩くんだ」
 そう言ったら運転手は不機嫌になった。それくらいに皆美館は駅に近い町中にあるのである。町中にあるんだが、いわゆるうなぎの寝床であって、奥の部屋に入ると、いきなり宍道湖が開けるという具合になっている。そのことはスバル君には内緒にしておいた。
 玄関に荷物を置いて外へ出た。僕は、好きな旅館に行って玄関で番頭さんやら女中さんやらに出迎えられると顔がニタニタになってしまうのが自分でもわかる。ニタニタのままソバ屋の古曾志こそしへ行った。割子そば。僕はどこへ行っても寄る店はきまっていて、昼食は古曾志、コーヒーは京橋川縁の珈琲館、菓子は皆美館のすぐ前の風流堂、土産物は風流堂の斜め前の民芸店から津田カブを送ると決めてしまっている。
「どこへ行ってもそうなんだ。知らない店へは行かない。
 銀座でもそうだ。小料理屋はここ酒場はここと決まっている。冒険しない。同行者には悪いと思っている。しかし、いろんな店へ行くのと、同じ店ばかり行くのとどっちがいいのかな、旅行者として」
「それは珈琲館かひかん(価値観)の相違じゃないですか」
 古曾志へ行き、松江城の周囲を、これも左廻りと決まっているのであるが、だから右から左へと歩き、武家屋敷と松江神社を見て帰ってきた。小泉八雲のことを松江ではヘルンと言うが、ヘルン先生の記念館は修理中だった。
 以前、記念館の前の公衆便所へ入ったら、隣の男が覗きこんで、
「ご立派ですね」
 と言った。そんなことを言われたのは初めてだったので、喜ぶべきかゾッとすべきかよくわからなかった。
 皆美館では二階の奥の部屋と決まっている。
「やや、これは。これは凄い」
 宮様の泊る部屋だから、十二畳に六畳の次の間が二室。便所なんか、ずいぶん遠い。スバル君は、部屋の立派なのと、そこからの眺めのいいのと両方に驚いている。言いたかないが、皆美館の有名な島崎藤村の間なんか、ずっとちいさい。
 左に松江大橋、右に宍道湖大橋。そうして宍道湖。
「やあ、大山だいせんが見える」
 それには気がつかなかった。松江大橋の背後の大山は雪をかぶっている。
「絶景であるな。あれが嫁ヶ島だ。しかし、まだ驚いちゃいけない。問題は夕食だぜ」
「先生、その前に、仕事仕事」
「そうだ。いけね、いけね」
 僕等は温泉に入りにきたのである。
 皆美館は何を隠そう、実は温泉旅館なのである。その風呂が好きだ。まったく飾りっけのない風呂場。湯槽ゆぶねは三角。湯槽が三角であること嬉し。皆美館へ来たのは四度目であるが、一番新しいのは色川武大さんと都鳥君と三人でだった。色川さんは巨腹の持主で、どうしたって都鳥君が露払い、僕が太刀持ちで横綱の土俵入りだった。
 スバル君は長身で、まあ若嶋津か。僕が栃剣でもって裸になった。ここの湯は無色透明でサラサラしている。ちょっと塩味がする。効能は、リューマチとか神経痛とか書いてあったが忘れた。女性性器の炎症に良いというのだけ不思議に記憶している。だから、新婚半月なんてのが夫婦で来ると具合がいいんじゃないか。
「こりゃ、極楽、極楽」
 そう言いながら、部屋に戻って縁側の籐椅子に坐った。
 日が落ちかかっている。
「みんなね、カメラマンは逆光でもって嫁ヶ島を撮るんだ」
 その宍道湖の夕焼けを描いてみたいと思った。松江大橋の彼方かなたの大山もいい。
「日本海側の人は、誰でも夕陽が海に落ちることを自慢します」
 しかるに、海上に厚い雲があって日が隠れた。一瞬のレンブラント光線のあとで日が没した。四時五十分。逆光でもって黒くなっていた雲が白くなった。
 重役来たる

「待ちきれませんね」
 僕がさんざん吹いたもんだから、スバル君、余計に腹が減ったようだ。なにしろ一時間歩いて風呂に入っている。
「そうかね」
 五時半に食事にしてもらった。
 カキ酢。カニの子。
 たい細造り。
 フグの白子スリ流し。
 公魚あまさぎ(ワカサギ)の照り焼き。
 川エビ。
 シラウオ。
 牛杉板焼き。
 アカ貝。
 アイガモ治部煮。
 カモ貝焼き。
 焼きオニギリ昆布だし。
 イチゴ。柿。
 酒は豊の秋。
 スバル君は別名食べ役さん。すなわち大量に食事する人である。その彼が、
「参った」
 と言って深く頭をさげた。
 築地の吉兆へ行くと、ここで鱈腹たらふく食って泊りたいと思うことがある。風呂に入って飲み直したいと思うこともある。もし、窓をあけて湖が見えたら、さぞよかろうと思うときがある。これらのすべてを満足させてくれるのが皆美館である。
 以前、お内儀さんに文句を言ったことがある。
「こりゃあ、あなた良すぎますよ」
 同じ材料であっても、日本海→築地魚河岸→吉兆という経路があるのと、宍道湖そく皆美館というのとでは鮮度が違うような気がする。ここには食堂があって、オートバイで乗りつけた若者が気軽にカモスキを食べていったりする。
「部屋がいい。温泉がいい。食事がいい。従業員のしつけがいい。皆美館は善美なるものである。しかし、お内儀さん、すべてが良いからと言って皆美と名告なのるのは行き過ぎじゃありませんか」
「でも、祖父の皆美与蔵、主人の皆美健夫は本名なんです」
 泰然と答えられギャフンとなった。そう言えばソバ屋の古曾志も本名である。
 グッスリ眠った。これが馴染みの旅館の有難いところである。僕のひそかな願いのひとつは、東京では徹夜続きのスバル君によく眠ってもらうことである。彼もよく眠った。
 翌朝の七時半、係りの女中さんが起こしにきた。僕は目覚めていたのだが、スバル君は、
「ひゃッ
 と叫んで飛び起きた。
 今回は、実は玉造たまつくり温泉へ行くことになっている。ここに皆美館の別館があり、一度来てほしいと何度も言われていたのである。僕は玉造温泉というのは山の中にあると思っていた。ところが、山ではあっても、ほとんど宍道湖に面しているという。このへんが、僕の万事につけて疎いところである。松江から自動車で十五分。
 また、このたびは、スバル君の上役であるところの「温泉の好きな重役」が来てくれることになっている。どれくらい好きであるかは後で詳しく述べることにする。
 十二月三日、土曜日。曇。
 玉造温泉の皆美別館は、民芸風の大旅館である。それがちっとも厭味いやみになっていない。近頃は、どうしたって団体の客が多いから、こういう旅館が必要になってくる。玉造は、どの旅館も設備がいいように見えた。
 芒硝泉ぼうしようせん。無色透明。リューマチ、胃腸病、婦人病に効くという。松江温泉は、含硼酸ほうさんフッ素石膏・食塩泉であって少し違うようだ。
 旅館から宍道湖のほとりまで歩いた。絵を描きかけたが気が乗らない。玉造トルコというのがある。
「僕は絵を描いているから、その間、あなたトルコへ行ってらっしゃい」
「いやですよ」
「体を洗ってくれるだけだって言ってたよ」
 その玉造トルコの脇に、髪を三つ編みに編んで、それが左右に突っぱっている女が立っていた。顔色が悪い。
 妙に白い。三十歳にも四十歳にも見える。
「あれだってね、暗いところで電気の灯りで見れば、けっこうい女に見えるもんだよ」
「いやです」
 こういうとき、積極的に行動する小説家を何人も知っている。もし僕がそうであったら、もう少しマシな小説が書けたはずである。つくづくと作家根性が稀薄だと思う。
 雨になった。早く引きあげたのは正解だった。
 四時に着くという温泉の好きな重役を出雲空港へ迎えに行った。飛行機の旅をして、空港に誰かが迎えにきてくれているというのは、とても嬉しいものである。
 雨が激しくなった。十分遅れになるというアナウンスがあった。いまごろ、温泉の好きな重役は雲の上だと思うと落ちつかない。この雨では揺れているだろう。不安だろう。空港の出迎えというのは切ない気分になるということを知った。
 意外! 温泉の好きな重役は、革のジャムパーにアノラックみたいなものを着て降りてきた。ビヨン・ボルグの黒ズボン。彼は僕の四十年に近い友人であるが、紺の背広・紺のネクタイでシャキッとめている姿しか見たことがなかった。
 すぐに三人で入浴。重役氏、説いていわく。
「社員旅行で温泉に行きますね。着いてすぐに風呂へ行く。夕食の前に入る。宴会の途中で入る。汗になるから、また飲める。これで三回。普通二次会があってどこかへ行きますね。帰ってきて入る。よく眠れます。四時か五時に目が覚める。そのとき風呂へ行く。部屋へ戻って二度寝。これがいいんだな。朝起きて入る。朝食は湯豆腐とビール。出発前にまた入る。これで七回です。七回は必ず入りますね」
 重役氏の入浴をじっと観察していたスバル君が言った。
「見ていて、動きにいちいち意味がある。寸毫すんごうも無駄がない」
 僕もそう思った。ほれぼれする。塚原卜伝ぼくでんなんていうのは、こんなふうじゃなかったのか。隙がない。
 宍道湖七珍ななちんというのがある。モロゲエビ、スズキ(奉書焼きが名物)、シラウオ、ワカサギ、シジミ、ウナギ、コイ。これにかもを加えて八珍とも言う。夕食には、これがすべて供された。その他に松葉ガニ。途中、スバル君が絶賛したお座敷ソバの実演があった。重役氏はモロゲエビとスズキとコイの細造りが三傑だと言った。
 お内儀さんと女中頭の如き人がつききりでサービスしてくれる。お内儀さんは、京マチ子と葦原邦子と清川虹子をぐっと若くして、足して三で割ったような豊満美人である。
 芸者を二人掛けてくれと言ってあった。松江で聞いたところによると、貴志きしちゃんというが第一の売れっ妓で、若くて器量よしで芸達者で座持ちがいいという。
「キシは駄目だそうです。別のお座敷があって」
 そりゃそうだ。忘年会シーズンの十二月の土曜日に、いきなり売れっ妓を頼んだって無理だ。
「キシが駄目なら佐藤でも池田でもいいよ」
 ところが、いったん引っこんだお内儀さんが、別の旅館から貴志ちゃんを連れてきた。
ぜひ貰い、か」
「いえ、ご挨拶だけです」
 本当に美人だった。芸は立ち方(踊り)で、辰之助のほう(紫さんでなく)の藤間流であるという。彼女は〝宵にちらりと見たばかり〟といった感じで去った。
「おい、芸者は七十人いると言ったなあ。あと一人も、いくらかマシなのが来るんじゃないか」
「先生、読みが甘いなあ。いちばん若いっていう貴志ちゃんが二十九歳でしょう。そこから考えて宴会のお余りがどんなものか察しがつきそうなもんじゃないですか」
 スバル君が言下に否定した。
 はたせるかな、次に来た芸者は池田勇人がかつらをかぶったような女性だった。気立てはいい。その芸者にかぎらず貴志ちゃんも、どういうものか眉毛を太く濃く描く。タケチャンマンを見るような気がした。
 重役氏の講義が続く。
「体を洗うのは最初の一回だけでいいんです。初め叮嚀ていねいに洗う。だけど、頭だけは毎回洗うんです。実にサッパリとする。それから出るときに、頭から水をかぶります。すると汗が出ます。その汗がひっこんだところで部屋へ戻る。風邪をひかない」
 お内儀さんも僕も、ことごとく感心して聞いていた。肯綮こうけいに当ることばかりである。しかし、スバル君は、水をかぶるというときに僕にめくばせをした。主治医であるところの彼は、高血圧と糖尿病の僕には、それは危険だという見解であるようだ。
 重役氏は、さらに言う。
「高級温泉旅館で、厚手のタオルが出ることがあります。サンローランだかセリーヌだか知りませんが。あれはいけません。絞っても絞っても水が垂れる。そうかといって、背中が洗えないような寸足らずの手拭いは、これまた論外です。そのかわり、バスタオルは、どんなに厚くても、どんなに大きくてもかまわない」
 重役氏は毎日必ず入浴する。休日はどうするかというと、午後になって新宿のサウナ風呂へ行く。帰ってくると、男の子を連れて銭湯へ行くんだそうだ。彼の子供は銭湯のファンであり、夫人は町内の温泉旅行が大好きだそうだ。
「温泉はいいよ。入っていると何もかも忘れる」
「しかし、風呂でアイディアを思いつくっていう人もいますね」
 と、スバル君。
「いや、何も考えない。何もかも忘れる。これがいい。それから、ここの風呂ね、とてもいいんだけれど、蛇口がいけないね。押していないと出てこない。湯のほうは熱湯だ。もっとね、お湯と水とが調合して出てくるんじゃなきゃ」
「あれは銭湯式だね。団体客が多いから、水を無駄使いする人がいるんだ。仕方がないよ」
「駄目です」
「松江は水の便が悪いんだ。すぐに断水する。だから
「いけません」
 温泉の好きな重役とは四十年来の友人であるが、一緒に入浴し、同じ旅館に泊ったのは初めてである。僕は大いに愉快になり、かつ有益な夜になった。
 翌朝は指定通り湯豆腐にビール。
「八回入った。これは新記録だ」
 スバル君の証言によると、重役氏は深夜に二度入浴したという。それで八回になった。
 松江の皆美館に戻って、重役氏のみ入浴。昼は家伝の鯛めし(大阪梅田阪急グランドビル、東京赤坂月世界ビルに支店あり)。神魂かもす神社参拝のあと重役氏は四時の飛行機で帰京した。
 夜はカニスキ。
 スバル君は、なにしろ、松葉ガニはオヤガニ(雌)のほうが好きで十二ハイは食べる人である。そのスバル君が満腹したと言ったのである。僕は用心してカニ雑炊を辞退した。
 僕は九時に寝ちゃった。夜の町へ出る元気がない。
 十二月五日、月曜日。伯備線で岡山へ出て新幹線で京都へ行った。山科の陶芸家竹中浩氏のところで絵つけ。やまふくで食事。ナマコと大根(煮つけ)がメチャうま。加薬御飯。
 その日、スバル君も僕も、大きな声では言えないが、八時に寝ちゃったのである。
「祇園へ遊びにきて八時に寝る人なんて見たことありませんわ。お部屋をのぞいたら、お二人とも、もう眠ってらっしゃるんですもの。わたしんところ、まだ御飯前でしたわ」
 祇園二鶴の内儀が、あきれたような顔で言った。
 いやあ、湯疲れ、湯疲れ、御馳走疲れ。
 昔、と言ったって二、三年前までは、祇園で飲み廻って、深夜にお内儀さんと二人でラッキョウかなんかで飲み直したものである。
 しかし、早く寝ると体は楽ですなあ。
 翌日は何必館かひつかんで村上華岳と山口薫を見て、昼の新幹線で帰ってきた。
 名古屋を出たところで、スバル君に言った。
「おい、何かまずいものが喰いたいなあ」
「そうですね、食堂車のカレーライスなんかいかがですか」
「いい考えだな。しかし、きみ、まだ満腹してるんじゃないか」
「いいえ。私は全天候型ですから。オールウェイズOKです」
 強い味方がいるものだ。食堂車のまずいカレーライスがうまかった。不味まずいものの効用というものもあるのではないか。
 ついでに白状すると、僕は、その日、五時半に帰宅して、そのまま寝てしまったのである。温泉の好きな重役に対抗しようとしたのがいけない。われ敗れたり。
 ああ、湯疲れ、湯疲れ。松江と玉造の皆美館の温泉は強烈にくなあ。
 温泉ガイド
 玉造温泉
 
■ところ・足の便 島根県八束郡玉湯町大字玉造山陰本線玉造温泉駅よりバス10分。駅付近に新玉造温泉あり。
■観光 宍道湖、出雲大社など。
■宿 皆美別館
   皆美館
■近況など 温泉街は桜並木の玉造川に沿っており、立派な旅館が多い。皆美館では、文人墨客の部屋を残して増改築が行われ、和風の四階建てとしてオープンしたばかり。最上階のスカイホールからは宍道湖の眺望をほしいままにできる。大量の発掘物で話題をさらった荒神谷遺跡は、車で20分の距離。

熱塩あつしお温泉、雪見酒


こわれたイレ歯を小箱に入れて、さえない顔の鹿島立ち。
倉の町ではちゃっぷい仕打ち。廃線間近の列車で行くと、アッと驚く奇蹟が

 朝食にパン!

 一月七日、土曜日、朝の八時半。僕は家の食事室で朝食をしたためていた。
 僕の一日は牛乳を飲むことからはじまる。それが、だいたい八時頃。牛乳を飲みながら朝刊を読む。そうすると、いくらか頭がハッキリしてくる。牛乳を飲み終ったころ、女房が野菜ジュースを持ってくる。なぜ、いきなり牛乳を飲むかというと、何も腹に入れないで煙草を吸うと体に悪いと聞いたからである。ところが、いきなり牛乳を飲むと腹の中で固形化してしまって、それも体に悪いと言う人がいる。そこで、ビスケットを二、三枚食べることがある。牛乳を飲み野菜ジュースを飲み終ったあたりで、女房が、半地下の食事室から、
「もう、いいわよ」
 と叫ぶことになる。隠れんぼをしているのではない。
パンが焼きあがったと言っているのである。ここまでに煙草を五本か六本吸っている(これが悪い)。
 かくして、一月七日、土曜日、八時半、僕は朝飯を喰っていた。僕の最近の運勢にこんなのがあった。「日長く子供のように漫然と日送る 発奮せよ外出は駄目」。これは東京新聞の運勢欄にあったもので、占師は松雲庵主となっている。この人は名古屋のほうの坊さんだと聞いたことがあるが、実によく当るので拳々服膺けんけんふくようしている。
この運勢は一月七日のものではないが、僕の日常生活を言い得て妙だと思っている。子供のように漫然とというのが巧い。その通りだ。僕はなまけ者であって、実にどうも何もしない。日向ぼっこをしたり昼寝をしたりしているうちに一日が終ってしまう。何もしないのは気がとがめるので散歩にでも出ようかと思っていると、外出は駄目とくる。発奮せよは仕事せよだろうが、仕事なんてものはやらない。
 このように日が過ぎてゆくのであるが、僕の日常に波風を起こし、ある日、突如として引っつあらってゆくのがスバル君である。温泉へ行こうと言う。実際は何カ月か前に打ちあわせをして、どこへ行こう、乗物はこれこれ、日時はしかじかとなっているのであるが、僕の日常からするならば攫われるという感覚でもって受けとめられることになる。
 この日、僕は福島県熱塩あつしお温泉へ行くことになっていた。
スバル君が提案した何案かのうち、僕は、漫然と熱塩を採択した。山の中へ行ってみたいと思ったのである。前回は松江の皆美館で御馳走づくしだったので、自然に何もない山の中を選ぶという心境にあった。御馳走が続くと体に悪い。
「熱塩で圧勝です。これ正解です」
 何のことかわからないが、土地の人が熱塩をアッショウと発音することが後になってわかった。
 かくして一月七日の朝をむかえた。僕の朝食はパンとコーヒー。
 パンにバターを塗り、ナチュラル・チーズをなすりつけ、マーマレードをちょこんとのせる。総イレ歯だから、パンを細かく千切ちぎって食べる。イレ歯というのは奥歯でむ。従って、固いものでも食べられるが、小さくしないといけない。大きいものは食べられないのである(一例=アワビのステーキなどは不可)。
「おい、このパン、うまいな。どこで買った?」
「サンジェルマンです」
「当分、これにしてくれ」
 そのパンは実に美味だった。焼きあがりもいい。狐色でカリカリするというのではなく、カリカリの直前で、香ばしいが固くない。
「うまいよ、このパン」
 バターとチーズをたっぷりと塗り、マーマレードをのせ、少し大き過ぎると思ったので二つに折って奥歯のほうへ放り込むようにした。
「このパンは
 そう言ったとき、口中でパンッ! という乾いた音がした。東京の赤坂では、原因不明の大音響が問題になっている。ジェット機の爆発音だか地下鉄工事だか、いまだに解決していない。そんな大音響ではないが、原因不明という意味では同じである。僕は、かまわずにパンを嚙み続けた。
「あ、いけね」
 僕にある種の予感があった。半年前にイレ歯が割れたのである。そのうちに、口中でパンを嚙むのでなく、骨を嚙んでいる感じになった。口中がぐちゃぐちゃになった。
「困ったな」
 はたして、イレ歯は中心部から真二つに割れていた。前回は、歯医者がすぐに直してくれた。今後どういう注意をすればいいかと歯医者にくと、注意しなくていい、かまわずに嚙め、イレ歯は割れるもんですと言われた。僕のイレ歯はプラスチック製であるが、プラスチックにも疲労が溜るのだそうだ。疲労が蓄積して割れるのだから不可抗力であるそうだ。だから、僕は、かまわずに嚙んでいたら、こんなことになった。
 そのとき、スバル君があらわれた。
「どうしたんです」
 かくかくしかじか。スバル君が蒼くなった。いや、それ以前に、僕の顔面も蒼白になっていたはずである。
「いや、いいですよ。時間を遅らせましょう。先生の歯医者さんは東京駅の近くでしょう。治療を受けているあいだに、東京駅で切符を変更してもらいます。遅らせても列車はあるはずです」
 俊敏なるスバル君は、もう時刻表の頁を気忙きぜわしく繰っている。僕は歯医者へ電話すべく、住所録を取りに立った。
「ああ、駄目だ。いけない。今日は土曜日だ。開業していない」
 週休二日制の歯医者である。
 僕のかかりつけの歯医者は名医である。イレ歯の権威である。だから、イレ歯は薄く軽く出来ている。ピッタリと吸いつくように出来ている。他の歯医者へ行く気がしない。
 僕の歯医者の患者の一人に、亡くなった総理大臣の佐藤栄作がいた。思いだしていただきたい、晩年の佐藤栄作の写真は笑ってばかりいたじゃないか。特に沖縄返還以後は大笑いが続いた。あれは笑っていたのじゃなくてイレ歯を自慢していたのである。そのくらいの名医であるが、東京の下町でひっそりと営業している町医者であるにすぎない。こういう人の自宅へ押しかけて静養の邪魔をするわけにはいかないのである。
「じゃあ、こうしましょう。大宮から新幹線で郡山こおりやまへ行きます。在来線に乗り換えて喜多方きたかたへ出ます。喜多方から日中につちゆう線で熱塩へ行くんですが、その間、二時間の待ちあわせになります。喜多方で歯医者へ行きましょう」
「喜多方に歯医者があるかね」
「歯医者ぐらいあるでしょう。喜多方市ですから。割れたのをひっつけるぐらいできるはずです」
 そんなことがあって、こわれたイレ歯を小箱にいれて、九時に家を出た。
 僕、家にいるとテレビばかり見ているから、目がいかれてしまっている。イレ歯がないから満足に口がきけない。耳も遠くなっている。だから、こんどの旅、見ざる言わざる聞かざるでいこうと思った。実を言うと、東北の漬物をバリバリ食べるのを楽しみにしていたのであるが


 喜多方は倉の町

 武蔵野線西国分寺駅から南浦和で乗り換えて大宮駅。寒い日だった。温泉へ行くというのに、ちっともウキウキしてこない。「前途三千里の思ひ胸にふさが」るばかりである。大宮駅から十一時発東北新幹線「やまびこ十九号」。冬枯れの田畑が続く。ちりひとつ落ちていないように見える。宇都宮を過ぎて、しばらく行くと、その田畑が白くなった。那須のあたりだろうか。
「なんら、ほうひょうらっへ、ほのふらいふっらほろがあらあ、ふはひは」
「え?」
「なんだ、東京だって、このくらい降ったことがあらあ、昔は」
「そうです。東京でも昭和二十五、六年までは、このくらい雪が降りました。いま降らないのはスモッグのせいです。地球が暖かくなったんです」
 一時間十分で郡山に着いた。そこで十二時二十四分発、磐越西線「ばんだい五号」に乗り換える。この列車がいい。
「日中線は盲腸線ですが、これも喜多方まりですから盲腸線みたいなもんですね。盲腸の先きは何でしょう」
「もうひょうのはひは、ひんほほひゃへえは」
「ええっ?」
 僕はスバル君の耳へ唇を突きだした。
「盲腸の先きは、チンボコじゃねえか」
「チンボコの先端です、熱塩は」
「おい、それは落語の『二人旅』だよ。爪の先きは垢だっていう」
 二時に喜多方へ着いた。倉の多い町である。東の喜多方、西の倉敷であるという。なぜ倉が多いのか、よくわからないが、このごろは、夏は観光ギャルで賑わうという。
 駅前のタクシーに乗りこんだ。スバル君が、
「歯医者へ行ってください。一番近いところがいい」
 と言うと、運転手が変な顔をした。
「歯医者ったって、いろいろありますが」
「一番近いところ。次の日中線に乗るんだから。いや、一番上手な歯医者。評判のいい医者」
 スバル君の言葉が終らないうちにタクシーがとまった。××歯科医院。なかなか綺麗な建物である。扉をあけると、いっぱいの靴、長靴。繁昌しているらしい。
 受付の小窓にむかって、懸命に叫んだ。
「旅の者が難儀をしております。お願いします」
 可愛らしい白衣の娘が顔をだした。
「旅の者です。イレ歯が割れて困っています。なんとかしていただけないでしょうか」
「イレ歯をお持ちでしょうか」
「はい、持っています」
 白衣の娘に箱を渡した。
「おあずかりして、月曜日の午後になります」
「それでは困るんです。月曜日には東京へ帰るんですから」
「駄目です。出来ません」
「接着剤でつなぐだけでいいんですが」
「いけません」
 押問答が続いた。スバル君も応援してくれたがらちがあかない。ニベもないという感じだった。僕はあきらめた。
「旅の者なんて言うからいけない。余所者よそものには冷いところなんです」
 大通りを歩きながら、スバル君は不機嫌になっている。もとより僕もションボリしている。もう一軒の歯医者へ行った。大きな駐車場のある立派な歯科医院である。
「旅の者ですが難儀をしております」
 受付の女性に言った。スバル君がにらんだけれど、旅の者ですがと言わないと調子がでないのである。縷々るる説明したが、やはり駄目だった。
「明日は休みだっからァ、明後日あさつてになるねえ」
 尻っぱねする東北弁である。
「そこをなんとか」
「だめだめ」
「技工士さんはいないんですか」
「いません」
歯医者せんせいにちょっと見てもらうわけにいきませんか」
「だめです」
「技工士さんの家を知りませんか」
「知りません」
 ピシャッと小窓をめやがった。さあ、腹が立つ。
 駅前のホテルでカレーライスを食べた。ぐちゃぐちゃしたものなら食べられるのである。歯茎はぐきが頑丈になってきている。
「僕のドテ馬鹿にするべからずカレー食う」
「冗談言ってるばやいじゃないですよ」
「だから東北人は嫌いだって言ってるだろう」
「最初の歯医者ね、どこか他の歯医者を紹介してくれって言ったら、ほかの歯医者なんて知りませんって言いやがったなあ。喜多方には歯科医師会なんてないんですかね」
「そんなはずはない。すぐ近所に立派な歯医者があったじゃないか」
 僕にしたって事情はわかっているのである。しかし、儀礼的にも主人であるところの歯医者が出てきて、遠くからきて難渋なんじゆうしている男に説明をすべきではないかと思う。
「おいおい。ここは渡部恒三の地盤じゃないか」
「そうです」
「あの野郎。大臣になったら歯をむきだして笑ってばかりいやがって。なにィ、煙草も原発も体にいいだって。とんでもねえ厚生大臣だ」
「ああ、そうだ。思いだした。渡部厚生大臣の細君は歯医者ですよ」
「なに? なんだと。けしからん。五十歳で総理大臣になるって言いやがった。だから田舎者の早稲田の弁論部なんて大嫌いなんだ。渡部といい富塚といい、福島なんて大嫌いだ」
「福島のケネディだそうです」
「あれがマリリン・モンローを情婦にするつらかよ」
「しかし、困りましたね」
「倉の町だって言うからね、倉の絵を描くのを楽しみにしてやってきたんだ。倉なんか、ありゃしねえじゃないか」
「味ももない町ですね」
「喜多方なんて、金輪際、もう来てやらないよ」
 喜多方発、四時十分、日中線。これを盲腸線と言う。
 盲腸線とは、地図で見る鉄道の虫様突起のようなもの。本来は米沢まで通ずるはずだった。これも、まもなく廃止になるという。
 本来、鉄道とはこういうものではなかろうか。板張りの内部のその板がピカピカに光っている。ドアの把手とつて真鍮しんちゆうもしかり。鉄道員の愛情がむんむんしている。鉄道マニヤなら狂喜するだろう。沿線の無人駅が、これまたいい。僕の大好きなもののひとつが山間の小駅である。その山間の小駅が続く。
 熱塩駅に、熱塩温泉笹屋本館主人の鈴木修悦さんがマイクロバスで迎えにきてくれていた。


 健ちゃんの活躍

 旅館の極致は民宿だと書いたことがある。僕が旅館に望む最大のものはインチメイトな感じである。これさえあれば他は目をつぶる。
 笹屋本館は格式の高い旅館であるが、実にインチメイトだった。鈴木修悦さんの息子を女中さんは健ちゃんと呼ぶ。僕等もこれにならった。健ちゃんは女中さんの一人をセッちゃんと呼ぶ。これがいい。
 ご主人が挨拶に来られた。優男やさおとこではないが品がいい。古武士の風格があるが、はたして先祖は会津藩士だったという。咄家はなしかに誰かこういう顔があったと思うが思いだせない。今輔が百面相で仁王様をやったらこんな顔になると思った。
「一番悪い時期にいらっしゃいました」
「いや、寒い所へは寒い時期に、雪国には雪のときに、というのが好きです。ここはスキー客は?」
「ちかごろ、若いお客さんは機械リフトがなければスキー場だと思わないようです」
 僕はイレ歯が割れた話をした。
「それはお困りですね。熱塩に歯医者はありません。ここは無医村なのです」
 今年の熱塩は異常に雪が少いという。今年は南のほうが雪が多いそうだ。その南と言っているのが北陸山陰のことだと知って、喜多方、つまり北方であることを思わないわけにはいかない。
 僕等はすぐに風呂場へ行った。熱塩の名でわかる通り塩分の強い温泉である。茶色に濁っている。ソルト・サンスターなんて歯磨があるが、そのままうがいをすれば歯を磨く必要がないと思った。
 脱衣場が寒い。一基の小さな電気ストーブが、かえって寒さを誘う。
「ここで脱ぐには気合がいります。何事も気合です」
「そうだ。えいッ!」
 もし、これで湯が熱過ぎたらどうしようかと思った。しかし、天然の温泉であるのに適温が保たれている。水を必要としない。蔭の苦心があるそうだが、健ちゃんは企業秘密であるから教えないという。
「へいほ、おんふえんのふひはひゅうやふへ」
「えっ?」
 僕は湯をきわけてスバル君に近寄っていった。
「例の温泉の好きな重役ね、あれからどうしたと思う?」
「さあ
 前回、温泉の好きな重役は、土曜日の夕刻近く玉造温泉にやってきて八回入浴し、翌日の昼に飛行機で東京へ帰っていった。
「夕方、家に着いて、すぐに銭湯へ行ったそうだ」
「ええっ!」
 スバル君が驚いて、ぶくぶくっと湯にもぐった。そうなのだ。僕もその話を聞いたとき、湯を何杯も呑んだような心持になった。
 鯉と山菜と寄せ鍋。残念ながら、ほとんど食べられない。雪見酒の一手。
 給仕に出たセッちゃんでないほうの女中さんが言った。
「イレ歯がこわれたら、釣道具屋へ行けばいいんです」
「へっ?」
「釣道具屋に接着剤があります。私はそれで直しました」
「ほんとかな」
 イレ歯と義歯いればとは学術用語としても異るのである。女中さんの言うのは義歯のほうではないかと思った。
「そうしましたら、私、歯を反対にくっつけてしまいまして
 ほうら、やっぱり義歯だ。彼女の言うのはサシ歯のことではないか。総イレ歯を逆に取りつけるということはあり得ない。
「釣道具屋の接着剤は、よくねばります」
 粘っちゃ困ると思ったが、それは付くという意味であったらしい。
「えいっ!」
「やあ!」
 でもって、僕等は再度入浴した。
 最近の観光ギャルは、湯槽ゆぶねにお盆を浮かべ、そのうえに徳利と盃をのせ、一杯やりながら入浴するのが温泉だと思っているという話を聞いた。婦女子の頭の固いこと、かくのごとし。だから、冬の熱塩温泉では、窓をあけて雪のカタマリを掘り起こし、それを湯に浮かべ、徳利を差しこんで酒を飲むという。また、混浴を喜ぶのもギャルのほうだという。婦女子はスケベだ。
 すぐに寝る。その布団の重いこと。
「これはうなされるんじゃないか」
「熱塩で圧死は困ります」
 糖尿病による頻尿で、たびたび目がさめる。その廊下の寒いこと。いきなり顳顬こめかみが痛くなる。
 ちゃっぷいちゃっぷい。どんとぽっちい。
スバル君は「どんと」でなくロッテ製菓のホカロンを使用している。僕はトーコーエイザイの温熱療法剤温熱パット RAK.HOT-A を愛用している。
 一月八日、日曜日。健ちゃんの運転で喜多方へ行った。
途中の桐の林がいい。下駄の産地である。会津のまさなんて俠客がいたような気がする。
 僕等は、まず釣道具屋を探した。女中さんは、騙されたと思って釣道具屋へ行ってごらんなさいと言った。騙されるのは大好きである。
「接着剤には毒性があるんじゃないか」
「それが心配です」
「その毒で死んだら困る。イレ歯が直っても本体が駄目になったら」
「先生死すともイレ歯は死なず」
 実際、乱暴な話だ。東京の名医が聞いたら目を廻すだろう。僕思うに、近頃の釣竿はグラスファイバーだろう。これが折れたときに修理するには強力な接着剤が必要になる。
 釣道具屋の女主人が、まず驚いた。持ってきたのは、東亜合成化学のアロンアルファという接着剤だった。
「よく粘ります」
「先生、大丈夫です。外科手術に用うと書いてあります。毒性はありません」
 祈るような気持というのがこれだろう。僕が二つに割れた総イレ歯を取りいだし、スバル君が慎重な手つきで接着した。なにしろ名人の作なので少しでも狂ったらはまらない。
 テーブルの上に置き、健ちゃんと三人でもって息をのんで凝視みつめること数刻。
 奇蹟は起ったのである。僕はイレ歯を装着し、女主人にすずしい声で言った。
「有難う。あなた、イレ歯直しますという貼紙を出しなさいよ」
 お茶をれてくれた。そのお茶のうまいこと。
「おい、喜多方の人はいいな」
「親切です。人情があります。いい所です」
「これで、なんだな、渡部恒三っていうのも実行力はあるんじゃないかな。田中派だから
「実行力あります。福島のケネディです」
「自分を放りだして角栄の女婿じよせいを応援したって言うじゃないか」
「実行力も人情味もあります。喜多方はいい所です」
「町に味がある。俺、今年の紅葉の頃、また来るよ。きっと来る」
 黒漆喰しつくいのすばらしい甲斐という酒店へ寄って味噌を買った。この手造りの味噌がうまい。「うるし奉行所やまと」という漆器店で茶托を買った。素朴でいい味だ。黒田辰秋に劣らない。
木地きじ屋へ連れていってくれませんか」
 女房の欲しがっていたなつめを買おうと思ったが高価で手が出ない。そこで、木地で買ってドスト氏に蒔絵まきえを頼むという魂胆である。
 喜多方市天満前というのが木地職人の町であるようだ。その秋葉さん(健ちゃんの友人)という家で、棗の木地二箇、夫婦めおとの大きなうるし椀を頂戴した。どうしても代金を受けとらない。大感激。
「喜多方ってのは、いい所だなあ。俺、ぜったい、また来るよ」
 熱塩に引き返し熱塩駅を描くことになった。三時過ぎ。
四時三十八分に列車が到着するまでに描きあげなければならない。これだって容易なことではなかった。なにしろ豪雪地帯である。そこで熱塩駅を見下す位置を定めなければならない。健ちゃんがスコップで雪を搔き道を造り、マイクロバスを乗りいれるという大活躍。自動車のなかからでないと描けないのである。その自動車のなかに、鈴木修悦さんの用意してくれた自家製花梨かりん酒、茶菓子。
「洗濯屋ケンちゃんとはえらい違いだ」
「ウラビデオやってません」
「これでねえ、健ちゃん、そばにいい女でもいてくれたら」
 喜多方にも芸者がいるが、最年少四十九歳の芸妓は若さを買われて東山温泉に引き抜かれたという。
「日中線というのは、どういう意味だか知っていますか」
 僕は宮脇俊三さんの書いたもので、四キロ先きの日中温泉までレールを敷く予定で名づけられたものであることを知っていたが黙っていた。
「ここは日本の中心になります。だから日本中央本線の略です」
「嘘つけ」
 おたがいにそんなことが言える仲になっていた。
 四時三十八分着、日中線六二三列車。その第一次廃線候補のディーゼルカーがあえぎながら雪を押しけて熱塩駅に迫ってくるのを見たとき膝頭がふるえ胸が詰り、僕は涙を流した。
「温泉に入ったし、今夜は山菜が喰えるし、お椀は貰ったし、イレ歯が直ったし、絵も描けたし
「言うことなし」
 温泉ガイド
 熱塩温泉

■ところ・足の便 福島県耶麻郡熱塩加納村熱塩磐越西線喜多方駅よりバス25分。
■効能 婦人病、不妊症、リューマチ、皮膚病
■観光 磐梯高原、猪苗代湖、山の神神社など。
■宿 笹屋本館
■近況など 別名「子宝の湯」として知られる。古来、曹洞宗の名刹・示現寺の門前町ゆえ、予約次第で早朝の坐禅に参禅できる(徒歩5分)。現在、借景風の大きな庭を造成中。なお、日中線は廃止されたので御注意。

下北半島、海峡の宿


かわゆい人との二人旅、そのケはなくともキケンは一杯。
雪道ものかは辿り着いた本州最北端。さて何が起ったか――

 明眸めいぼう

 困ったことになった。怖れていたことが、ついにやってきた。温泉行の伴走者であるところのスバル君が、家庭の事情で来られなくなったのである。スバル君は別名〝歩く時刻表〟であって交通関係・地理関係は何でも知らないことがない。こういう人が同行すれば、まことに安心である。そのうえ、彼は僕の主治医であって、僕の肉体および心的傾向を知悉ちしつしている。さらにまた、彼は膂力りよりよくの人であって、僕の荷物はすべて引っ担いで疾駆する。こういう人と一緒に旅をすれば、安心かつラクチンである。
 スバル君の指名代打としてUKゆうけい君が登場することになった。昭和三十五年生まれ、広島県竹原の産。これが大変に困るのである。
 第一に、僕は、車中でコーヒーを飲むとき、スジャータの蓋があけられぬという男だということがある。ガスの火が点けられぬ。自動点火になって、さらにそれは困難になった。ガスストーブ、石油ストーブなどは論外、点けることも消すこともできぬ。前にも書いたが、列車に乗って、東に走ると思っていると、必ずその列車は西へ動くのである。これじゃあ、迷い児になるなと言うほうが無理だ。青森へ行こうと思って鹿児島へ行ってしまうという態の男なのである。しかるに、今回、弱冠二十三歳、大学を出て社会人になったばかりのUK君との二人旅であるから、その僕が指揮を取らねばならぬ。するとどうなるか。僕の危惧は、すなわち当編集部の危惧でもあった。
 第二に、UK君は明眸皓歯めいぼうこうしの人ということがある。顔面のみならず、全身抜けるように色が白い。オメメパッチリ、愁いを含んだまつげが長い。これ、困るじゃないか。白系ロシヤの血が流れているのじゃないかと思ったが、スバル君は、長崎から大阪へ上る切支丹伴天連キリシタンバテレンの、広島岡山あたりでの仇情あだなさけの末の産物だと主張するのである。そう言えば、混血児眠狂四郎を書いた柴田錬三郎も岡山の人だった。
 UK君、眼鏡を取ればダスティン・ホフマンに似ていると言っておく。すなわち女装可能の人である。若いから肌艶の良さはホフマンの比ではない。
 僕にそのケがあるかと問われれば、あるとも言えるし無いとも言える。三年前、僕は横浜のゲイボーイに入れ揚げた。あと一歩で『寝台の舟』が書けるところまで行ったのであるが、女房の激怒にあって終った。男だからいいじゃないか、男でも駄目、そういう一幕があった。
 かりに、僕とUK君とでもって新宿のホテル街を歩いていたとすると、完全に沖雅也と日本のジャバ・ザ・ハットこと日景ナニガシの関係と間違えられるだろう。
 斯道しどうの先達、淀川長治氏は「私は非常に淫乱な性分でね、どんな人見ても一緒に風呂に入りたくなるんですね」と言う。冗談じゃない。僕等は一緒に風呂に入るという任務を遂行しなければならぬのである。
 しかし、御安心あれ。UK君は僕の趣味じゃない。淀長氏のように「どんな人見ても」というわけにはまいらぬ。すなわち「淫乱な性分」じゃない。僕の趣味はピーターである。キンヤでもコロッケでもない。
 僕、紀行文を書くのが好きで、これまで、臥煙君、都鳥君、スバル君たちと同宿の旅を重ねた。夜中の心臓発作などあるといけないので、必ず同じ部屋の隣りに寝てもらった。これには経費節減の意味もあったが、自慢じゃないが、ただの一度も間違いを冒したことはなかった。寝相の悪い都鳥君は、泥酔をよそおい、臀部太腿をきだしにして、さかんに挑発したが、僕は微動だにしなかった。
 臥煙君は、自分で思っているほどではないにしても、なかなかの男前である。スバル君は端正な顔立ちをしている。都鳥君だって渋いと言えば渋く、後家殺しのおもむきがある。彼等と山中の一軒家、駅前旅館、はた豪奢な温泉宿に同宿し、ともに入浴し、背中の流しっこをし、深夜にその寝顔を見ても僕の心が動くことはなかった。僕には自信があった。
 しかし、今回はいけない。僕には自信がない。趣味じゃないにしても、その美貌、その若さ。夜中に布団から顔だけだして、睫が顔に濃い影をつくるとき、僕は平常心を保つことができるだろうか。意馬心猿いばしんえんとなって襲いかかることがないと誰が保証できるだろうか。スバル君を弁慶とするならば、UK君は義経である。今回、みちのく行、僕は不安で不安でならなかった。
 ここで、僕のホモセクシュアルについての定義を記しておこう。ホモとは「女の感覚でもって世の中を見直そうとする心の動き」である。従って、それは人生を二倍楽しむ法であって、小説家の大多数はその心の動きを持っているはずである。
 二月十日、金曜日、午後九時、玄関のチャイムが鳴って、UK君が姿をあらわした。赤いダウンジャケットに赤の正チャン帽。実にかわゆい。これだ、これだ。これがいけない。


 着ぶくれて

 無線タクシーを呼んで家を出た。車内が妙に酒臭い。運転手が酔っていたら大変だが、そんなわけはない。ハハーン、時間が時間だから、UK君、ってきたのか。
「ヤマキョウさんが歓送会を開いてくれたんです」
 決死の覚悟はUK君のほうだった。僕は、己がジャバ・ザ・ハットであることを再確認することになった。
「水盃か?」
「ひっひっひ。まさか」
「その笑い方、やめたまえ」
 僕は最初に威厳を示した。UK君、なかなかの飲み手であると聞いている。都鳥君が飲み役、スバル君が食べ役であるが、UK君も飲み役が勤まるようだ。僕は禁酒しているし、食餌制限をしているから、こういう人がいないと困るのだ。
「食べるほうも、速度は駄目ですがひっひっひ量ならスバルさんに負けません」
 たのもしい。愛してるよ。
 僕の服装は、ラクダのシャツにラクダの股引ももひき、セーターに毛糸のチョッキ、コールテンの上衣、フラノのズボン、フードつきのコート(これは息子がニューヨークで買ってきたノーザン・グース・ダウンというもの。北極に棲む鵞鳥の冬の胸毛が縫いこまれている)、帽子はドスト氏の妻の風船女史の作製によるもの(雪中を行進する兵士のかぶるようなもの。裏地はミンクである。これは八甲田山死の彷徨ほうこうと命名されている)、革のブーツ(内部も毛皮)といったものである。着ぶくれて腕の動きがままならぬ。便所では往生した。大関朝潮の苦労がわかるような気がした。
 出発に先だって、スバル君は注意書をUK君に手渡した。それは左のようなものである。

 山口瞳先生同行十ヶ条
 一、いい取材が出来ますようにと、常に心の中で念じていること。
 二、いかなる場合でも骨身を惜しまない。
 三、次の展開を読んで、一歩先きを考えて行動する。
 四、かといって、決して出しゃばってはいけない。
 五、旅館の従業員やタクシーの運転手、食堂のネエチャンに対しては、コワモテという意味ではなく、こちらの要求をはっきりと指示する。
 六、荷物は持てるだけ持つ。
 七、車中の隣席で眠ってはいけない。なるべく食堂車にお誘いする。
 八、夜、スースー、シーシーと歯を磨いてはいけない。アテツケになる。
 九、絵を描かれるのは重労働と心得よ。お疲れの様子だったらすぐに休んでいただく。
 十、クシャミが出たら、葛根湯かつこんとうを飲んでいただくこと。

 これはよく出来ているし、有難いことばかりだが、僕は次の二項をつけくわえたい。
 十一、先生は総イレ歯なり。夜寝るときに歯を水に漬けるためのカップもしくは小鉢のようなものを入手すること。
 十二、先生は頻尿の傾向あり。寝るときは便所に近いほうに先生を寝かせること。

 十時に上野駅に着いた。その混雑に驚く。十一日(紀元節)、十二日(日曜日)という連休の前日だった。子供連れのスキー客多し。
 旅路という喫茶店でコーヒー。僕等は青森県の下風呂温泉へ行こうとしているのである。みちのくは道の奥であるが、とても道の奥なんてもんじゃない。奥の奥の奥である。本州最北端。糖尿病に効く、水虫に効くと聞いて胸が躍る。
「やあ、やっぱり、読み筋通り」
 そう言って臥煙君が入ってきた。なに、時間が遅いのでここしか営業していなかったのだ。赤い顔、赤い目。どうも、みなさん、僕をダシにして一杯やってくるらしい。
「今回は、ソバづくしです」
 ソバ飴、ソバ加林糖、ソバ焼酎。それに静岡の生甘納豆。臥煙君、いくらか趣味がよくなった。それとも特別手当かなんか貰ったのかしらん。
 ホームにヤマキョウ君とスバル君。
「ああ、一緒に行きたいなあ」
「これ、赤羽にとまるかな」
「いやいや、せめて水戸あたりまで」
 UK君は乗りこんで僕の荷物の見張りをしている。
「タイトルは『下風呂温泉、菊一輪』か」
「いっそ『仏ヶ浦心中』でどうか」
 どうやら羨望嫉視しているらしい。
 二十三時五分発、夜行寝台特急ゆうづる九号。UK君がA寝台の上段、僕が下段。これなら安心だ。
「なんか御用があったら、遠慮なく起こしてください」
「御用なんかないよ」
 午前一時、水戸。窓外の猛吹雪ふぶきを見たのは浜吉田のあたりで、それが午前四時二十分。だから三時間ばかり眠ったようだ。四時四十分、仙台。六時十分、水沢。雪は止んでいる。
「自動販売のあったかいコーヒーを買ってきてくれ」
 停車時間が短いのでハラハラする。UK君が、なかなか戻ってこない。折口信夫先生が春洋さんを案ずる気持がこれではないかと思った。
「駄目でした」
 やっと盛岡駅でコーヒーを手にすることができた。UK君、はあはあ言っている。
「自動販売のコーヒーとかヌードルを東京の人は馬鹿にするけれど、こういうときは有難い」
「そうです」
 幕の内弁当。UK君は牛丼弁当スキヤキ味。
 九時になった。横なぐりの雪になったかと思うと晴れあがって風花が舞う。東北の空は端倪たんげいすべからざるものがある。
 僕は顔を洗いに行った。そのすぐ後に信じられないことが起った。
「降りるんです」
 UK君が洗面所に飛んできて叫んだ。顔面蒼白。
「えっ? どうして」
「野辺地です」
「へのへののへじ、か」
「とにかく降りるんです。いそいで」
 僕は、野辺地は青森より先きだと錯覚していた。盛岡、青森以外に乗換駅なんかあるとは思ってもみなかった。ほらみろ。だから言わないこっちゃない。
 当初、スバル君が同行する予定になっていたとき、青森からレンタカーで行くことになっていたので、僕は、乗換駅はずっとずっと先きだと思っていたのである。
「いそいでください」
 UK君が駈けていった。たしかに停車している。ちっぽけな駅だ。
「降ります。一人降ります」
 UK君がホームに降り立って車掌に交渉している。僕は寝呆け眼か夢見心地という按配で、僕等の席に忘れものがないかと点検している。そのときになっても、まだ、ここで降りるというのが信じ難いものに思われていた。
「いや、違います。もう一人降りるんです」
 UK君、列車に手をかけて発車をとめる恰好で叫んでいる。
 ようやくにして下車することができた。ここで二時間以上を待たなければいけない。
「長靴を買おう」
 それも楽しみのひとつだった。前回、喜多方のスーパーのウインドウで見た長靴が欲しくて仕方がなかった。
 靴屋はどこかと訊くと、いま雪きをしているでしょう、その前ですと教えられた。雪搔きをしている中年女性も、道を訊いた女性もイカトンビのような菱型になった同じ服装。
 歩きだしたとたんにUK君が滑って転倒。
「だいじょうぶです」
 そう言ったとき、またスッテン。
「UK君野辺地の駅で二度転び」
 僕が長靴、UK君が半長靴。UK君のは演歌歌手の角帯みたいな飾りがついている。後に旅館の玄関で脱いだときに夫婦めおとみたいで具合が悪かったが、お揃いを買ったら、また何と言われるか。
 僕のが三千四百円、UK君のが四千五百円。UK君が内懐ろへ手をいれかかったので、
「おい。第四条、決して出しゃばってはいけない、というのを忘れたか」
 こいつは便利だ。半長靴を五百円負けてくれて七千四百円。これくらいで啖呵たんかをきっちゃいけないが。中敷きもサービスしてくれた。
 駅前喫茶店で僕はミルク、UK君カルピス。雪は依然として吹雪になり粉雪になり、風花になり
「雪の中を走る列車っていうのは、なんだかふわふわしていて揺れなかったような気がするな」
「そんなことはありませんけれど、雪っていうのは眠くなりますね。さっき薬屋を探したんですけれど、ありませんねえ」
「腹が痛むのか」
「いいえ。リップ・クリームを売っていないかと思って」
 これだもんねえ。その赤き唇に何を塗ろうとするのか。


  湯がみてくる

 野辺地駅発十一時三十一分、下北を経て、午後一時二十三分大畑駅着。陸奥むつ湾を左に見て、恐山おそれざんふもとをぐるっと廻ったことになる。
 大畑駅からタクシー。
「あれは津軽かね」
「いいえ、北海道です。恵山えさんです」
 そのような快晴であって、北海道が大きく近く見えた。
 〽上野をでてようようと、下風呂までは来たれども、
 雪降る道に足は痛みはせぬかや
 〽なんのこれしき
 僕、玉三郎を連れた孝夫の心持になっている。
〝バスが下風呂部落へ着いた時は、五時を廻っていた。
 一番構えの大きい旅館の前が停留場だった。〟
 これは、井上靖先生の『海峡』という小説の一節であり、長谷旅館かくちょう(かくちょうは、口に長)の看板にも海峡の宿と書かれている。他に、ここには、水上勉さんの『風間浦のひと』という名作がある。
 もはやかくちょうは一番構えの大きい旅館ではなくなっているが、たしかに旅館の前がバス停になっている。むしろ小躰こていな宿と言うべきか。
「今日はあったかいです。零度ぐらいでしょう。昨日は氷点下十度ぐらいでした」
 哲学者か仏教学者かという風貌の主人の長谷八太郎さんが出迎えてくれた。
「ここが、井上靖先生が『海峡』をお書きになったお部屋です。ここでお食事をしてください」
 二階の奥の部屋で見晴しがいい。眼下に下風呂港、遠く北海道。その北海道は氷の島のように見える。天われを見捨て給わず。
「こちらの部屋を寝室にしてください。お風呂にご案内します」
 風呂場は地下にあって、部屋にも廊下にも硫黄の香が漂っている。
「ここが風呂場ですが掃除中でしたら女風呂を使ってください。家族風呂もあります。どの風呂もなかから鍵がかかります」
 それが困る。いくらか勘違いされているのかもしれないと思った。UK君が可愛いのがいけない。
 港周辺の集落を歩いてから、夕食まで眠った。
 夕食のマスの刺身がうまい。ホヤが良い。酒一合。
ああ、湯が滲みてくる。(中略)なぜこんなところへ来たのだ。(以下略)〟
 これも井上靖先生の文章の一節だが、大きな額になって飾られている。
 湯が滲みるというのが、はじめわからなかったが、入浴してはじめて理解できた。本当に滲みてくる湯だった。つまり、刺戟的だがやわらかい。硫黄泉。適応症は、高血圧、動脈硬化、末梢循環障害、リウマチ、糖尿病などとなっている。五回以上入浴すべからずという注意書がある。温泉の好きな重役、もっていかんとなす。
「女性性器炎症、月経異常にも良いと書いてあります。大場久美子なんかにいいんじゃないですか」
 UK君が学のあるところを示した。石鹼の泡が、まったくたたない。ところが、UK君のほうは盛大に泡が吹きでている。
「シャンプーとリンスです」
 これだもんねえ。近頃の若者の美容と健康についての関心は計りしれぬものがある。
「お貸ししましょうか」
「いらねえや」
 どうやら、ここは、傷を負った漁師やきこりの湯治場になっているようだ。打身や創症にいいらしい。彼等はパジャマを着ている。パジャマ党が、どかどかっと入ってきた。湯を浴びる大猿という感じがする。僕、自然に、玉三郎を守るために身構える。実際は、学生時代にサッカーの選手だったというUK君のほうが強いにきまっているのだが。パジャマ党の一人、よほど変った寝癖があるのか、髪の半分が逆立っている。こんなのにUK君を奪われてなるものか。
 こういう、何もない町を旅行しているとき、冬期オリムピック開催中というのが助かる。NHKは全国放送である。更疣サラエボを遅くまで見て寝た。


  天は我を見捨て給う

 二月十二日、日曜日。朝は再び我に在り。快晴。天われを見捨て給わず。
 自動車を雇って大間崎まで行った。すなわち本州最北端。その最北端と書かれている碑の裏へ廻って北海道に向って小便をした。雪のなかの黄色い小便。いま、僕の肉体の最北端が屹立きつりつして本州全体を引っ張っているのだと思った。
 大間崎から、フェリーが函館まで出ている。行ってみたいという思いに耐えるのに苦労した。一日二便。行ったら帰ってこられない。函館山の麓の銀花という喫茶店へ行って、高倉健愛用のアーモンド・ティーを飲みたいという思いに駆られる。
「ぼくも行ってみたいな」
「秘すれば花と言うけれど、忍ぶれば花ということもあるんじゃないか。我慢したほうが思いが濃くなる」
 そのように函館方面は、手を出せば届くような感じで白銀に輝いている。その奥にススキノがあり、トルコ風呂があり、ナニちゃんが泡踊りをしているなんて、まったく信じられない。
 UK君は鳥類研究家だった。『海峡』の主人公もアカエリヒレアシシギを追って下北へやってくるのである。
 UK君、白鳥、カモ、ウミアイサ、ウミウを見るたびに声をあげた。自動車をとめてもらい、双眼鏡で見て、図鑑を参照し、写真をうつす。
「そんなことしないで、いきなり写真を撮ればいいじゃないか。ほら、逃げちまった」
「カモにもいろいろ種類がありまして」
 UK君は僕にコーチするつもりだったようだ。長靴の調子がいい。UK君ももう転ばない。靴底の切味がいい。
 下風呂に戻って、味一番あさの食堂でカツカレー。酒、二人で三本。雪の多い土地へ来て嬉しいこと。酒は薬であり必需品になること。甘味も同様。少々のカロリーオーバーもやむをえない。
「止むを得なければ、すなわち止むを得ませんね」
 UK君に僕の口ぶりがうつってしまっている。
 『海峡』の部屋から、港と海と北海道を描いた。もっといい角度があるのだけれど、寒いから仕方がない。止むを得ないものは止むを得ない。
 僕の眼目は北海道にあった。その印象は強烈だった。氷の島。だから、北海道だけを、見えるかぎりにおいて綿密に描く。漁港は描かない。描いてもウッスラと描く。蒼海に浮く白銀の北海道。幻のような白。これ素敵じゃないか。
 僕は、その北海道のあたりだけをつけておいた。なぜならば、朝の東からの光線のほうがモア・ベターだと思われたからである。白銀だけでは絵にならぬ。横からの強い光が白銀に黒い影をつくるのでなければ
 そう思って早く寝た。翌日は昼頃に出発する予定になっている。七時に起床すれば、描く時間はタップリある。
 二月十三日、月曜日。七時起床。あたりが実に明るい。シメタと思った。雀躍こおどりする心持だった。しかるに、なんぞはからん、猛吹雪なのである。雪というやつ、明るいのである。天は我を見捨て給うたか。むろん、北海道は見えない。止むを得ない。眼下の漁港だけを描いた。予期に反すとはこのことか。
 口惜しいから風呂へ行った。
 これが江國滋さんや池波正太郎さんであったなら、表へ出ていって、バス停でバスを待つ雪国の人たちを、さっとスケッチされるだろう。
 口惜しいから湯槽ゆぶねで歌を歌った。
 〽われに江國の鬼才なく、池波正太郎のわざもなし
 そのあとで、ヤケクソになって、松竹社長邸に火事見舞に行く歌舞伎役者という声色をやった。
「これはこれは、大旦那さま、此度こたびはとんだ御災難
 これを尾上松緑、市川海老蔵、中村歌右衛門の順でやった。風呂場のせいか、われながら上出来である。そこへ例の寝癖の悪い大猿が飛び込んできた。彼、驚いて、しばらくは声がなかった。
「おばんでした」
 よせやい。まだ朝だぜ。

 猛吹雪を突いて出発した。何事も予定通りというのが僕の主義である。タクシーで三時間半、三沢まで。これ、ちょっと無謀だ。
「デカクルトキハワスリズニ
 なんて言っていたUK君が旅館に正チャン帽を忘れた。世話がやけるなあ、まったく。山あり海ありの三時間半。
「僕は帽子が肉体の一部になっているんだ。これ、すなわち禿の一得」
 僕において帽子を忘れるなんてありえない。黒髪豊かなUK君を見て、僕は、内心、せせら笑っていたのである。
 三沢駅前、古牧温泉に一泊。二月十四日、僕等は盛岡に出て、東北新幹線車中の人となった。
 その僕が帽子を紛失するのである。ビュフェの棚に置いたのがいけなかったとだけ言っておこう。あのミンクの八甲田山死の彷徨は、ちょっと惜しかった。
 九時二十七分、上野駅着。スバル君が迎えに出ている。僕、頭がスースーする。UK君も無帽、僕も無帽。これ、ちょっとおかしい。
「無謀な旅でした」
 UK君がスバル君に仔細を報告し、臥煙君と都鳥君の悪しき感化を受けて、駄洒落だじやれで詫びている。
「洒落でごまかすつもりか。だから言っただろう。普通の人じゃないんだって」
 叱ることはないじゃないか。僕が油断したんだ。
 そのスバル君、僕のところへ駈け寄って荷物をひったくり、
「帽子わけありません」
 と言って、深々と頭をさげた。
 温泉ガイド
 下風呂温泉

■ところ・足の便 青森県下北郡風間浦村下風呂
大畑線大畑駅よりバス20分。
■観光 大間崎、尻屋崎、恐山など。
■宿 海峡の宿 かくちょう温泉(かくちょうは、口に長)
■近況など 旧南部藩の湯治場らしく、現在も素朴な趣を残している。小説のゆかりを訪ねる家族連れが多く、アンノン族の侵入からは免れている。新鮮な魚料理は出色。なお、七月と九月は恐山の大祭で、宿泊客も多くなる。

 古牧温泉

 ■ところ 青森県三沢市三沢駅前

なぜか浦安草津温泉


ディズニーランド、競馬場、かも料理屋、舟だまり――
『青べか』の世界を舞台に趣向も凝ってはみたけれど、早春の風が冷たくて

 なぜ浦安なのか

 いま、なぜか浦安であるという。URAYASUでなくULAYASUであるそうだ。RAでなくてLAである。
 LAはロスアンジェルスである。ロスである。ロスは西海岸である。オリムピックである。疑惑の銃弾である。ロス市警殺人課コロンボ刑事である。UCLAである。
 これが浦安とどう結びつくのかはつまびらかではないが、話題の中心、興味の中心、時代の最先端ということだろうか。
 わが浦安はディズニーランドである。海釣り川釣り、釣り人のメッカである。中山競馬場、船橋競馬場が近い。ショッピングなら船橋ららぽーとがある。その道の人には浦安劇場(通称浦安ミュージック)がある。レジャー、ギャンブル、お色気とそろっている。幼児から老人から外国人まで楽しめる。これで文句あっかと迫ってくるのである。浦安は千葉県であるが、地下鉄東西線で日本橋から十八分、自動車に乗れば銀座から十五分という近間ちかまにあるのである。
 その浦安へ行くことになった。なぜ温泉めぐりに浦安なのかという疑問が生ずると思う。驚くなかれ、地下鉄東西線浦安駅のほんネキに浦安草津温泉旅館という温泉が存在するのである。
 僕と浦安草津温泉とのめぐりあいについて書いておきたい。
 いまから五年前の春、『新潮現代文学』という文学全集の山本周五郎の巻の装画を頼まれた。山本さんなら『青べか物語』である。「青べか」なら浦安である。
 僕の絵は、家を描くなら屋根瓦の一枚一枚を描くという式のものであって、とても二日や三日では完成しない。だから泊りこみでなければならない。
 地図を見ると、町中に林屋旅館という旅館がある。そこへ行ってみたら断られた。困ってしまって『青べか物語』では「千本」の長となっている人の経営する吉野屋へ相談に行った。どこか釣宿を紹介してもらおうと思ったのである。
「泊るなら浦安大衆旅館がよかっぺ。うちの客はそこへ泊っから。ああに、駅のそばだよ」
 礼を言って去ろうとする僕に、
「温泉だよ」
 追いかけるようにして長さんが言った。
 当時、たしか、浦安草津大衆温泉旅館という大看板が出ていたと思う。その看板は、先年の台風で吹き飛んだ。どうもその名前からして如何いかがわしい。
 行ってみると、フロントというか歯医者の受付けみたいなところに一人の中年男が坐っていた。無口で頑固者。ひと目でそう思った。頭は五分刈。剃りをいれたように禿げあがっている。細い八字ひげ。全体にムッとふくれあがったような体つき。
「こりゃダミだ」
 そう思ったのだが、意外にも泊めてくれるという。素泊り三千円。
 そんなことから仲よくなって、僕は受付けにいた中年男(彼は専務サンと呼ばれている)をトッカピン氏と呼ぶようになった。トッカピンという精力剤のキャラクターによく似ているからである。このトッカピン氏は、朴訥ぼくとつにして稀にみる好人物であり、以後、ちょいちょい泊りにゆくようになり、僕は町の人(主に漁師)に浦安のなあ公あんちゃん)と呼ばれるようになったのである。
 僕は、いつ頃からか、この旅館には、遠く草津温泉から直径十センチくらいのパイプでもって温泉が流れてきていると信じこむようになった。トッカピン氏にそのことをただすと、そうだともそうではないとも言わない。
「企業秘密だから」
 と言って笑うだけである。この世で信ずべきものは人間と人間のあいだの愛だけではないか。少くとも僕はそう信じたい。何度裏切られても。従って、僕は、ここに生命いのち温泉いずみ湧くと信じて、少しも疑うことがないのである。僕は他の泊り客に遠慮して遅い時間に入浴する。シマイ風呂である。そのときのドロドロに黄濁した湯は、ありゃあ、やっぱりタダゴトではない。

 三月二日、金曜日。六時に起床した。あれこれ荷物を整理していると、十一時にスバル君がやってきた。彼の自動車で出かけることになっている。
 買いものをすませて十二時に出発。中央高速道のもっともいている時間を選んだのだが、それでも浦安に着いたのは二時になった。途中ディズニーランドのシムボルであるところのシンデレラ・キャッスルが見えてきた。そこでヤマキョウ君とUK君とP子が待っているという。
 ヤマキョウ君の親類である山田喜志夫さんはディズニーランド建設の功労者であって、いろいろと案内してくださるそうだ。
 UK君は前回に書いたように二十三歳。その同僚であるP子は芳紀まさに十九歳。こういう人たちは、スバル君のようなオジン、僕のような老人が、二人だけでディズニーランドを訪れるのは、
(許せない)
 と思っているようだ。


 おみなとはかかるものかも

 ディズニーランドを自動車で訪れる人が、まず最初に注意すべきことは、自分の自動車をどこへ置いたかをシッカリと確認することだそうだ。それくらいに駐車場も広大であるのだ。総工費千七百億円。こうなると僕なんかには実感が伴わない。
 家を出て自動車に乗ったとき、スバル君が、
「そのオーバーを脱いでください」
 と言った。そう言って、彼も革ジャンを脱いだ。僕は、なにしろアメリカ訪問だと思っているので、黒のソフト、カシミアの黒のオーバーを着用していた。
 スバル君の言ったように、自動車内は、すぐに暑くなった。まったく、彼の助言は常に適切であって誤まらない。
 ディズニーランドの駐車場に降りたつと、いやその寒いこと。埋立地であって浜風が吹く。さえぎるものがない。
 ただただ平らなコンクリートがあるだけ。まあ、単に寒いなんてもんじゃないと言っておこう。
 スポーツシャツにジーパンという若者たちがふるえあがっている。地方都市からここを訪れる老人たちは、そのことによく留意していただきたい。ディズニーランドの従業員は、一月と二月に重点的に休みをとるそうだ。つまりは、冬には行ってはいけないところなのである。今年のような寒さなら三月でも無理だ。
 ゲートのところでUK君が声をかけてくる。顔面蒼白。歯の根があわぬという態。それでも元気は元気だ。
「スッゴイですねえ」
 スバル君が山本晋也か所ジョージかという口調で言った。
「スッバラシイですねえ」
「イッイですねえ」
 実際、ディズニーランドというところは、スッゴイですねえとしか言いようがない。それで、その凄いと素晴らしいの陰に馬鹿馬鹿しいがひそんでいる。それがディズニーランドだ。ひと目、かんの強い幼児なら気が狂ってしまうのではないかと思われた。こういうところが青少年の情操教育に役立つかどうかということになると、僕には見当がつかない。
 みんながコーヒーショップで待っている。三井不動産監査役の山田喜志夫さんは、ひどく懐しい感じのする穏和な方だった。UK君とP子は、心ここにあらずという感じで、運ばれてきたコーヒーに手をつけない。ついでに言うと、ディズニーランドの従業員は、何か機械仕掛けの人形のように見える。ルールがあって命令通りにしか動かない。そんなふうに思われた。
「地方都市から来た人はすぐわかります。お土産をたくさん買います」
 と、山田さんが言う。京都へ行った人が八ツ橋を買いこむようなものだ。
 P子は、張りきっているのだけれど、どこか浮かぬ顔をしている。UK君も同様だ。それは、どうやら、スペース・マウンテンが、修理のためだかどうだか、その日は動いていなかったせいであるようだ。
 家を出るときに、息子に、スペース・マウンテンだけは乗ってはいけないよと注意された。また、ディズニーランドの関係者に、ひとつだけ乗ってもらいたくない乗りものがあります、私も乗っていませんと言われたことを思いだした。
 講談社発行『ディズニーランド大図鑑』のスペース・マウンテンの項は、「まっくらな宇宙のかなた。あなたを待っているのは、ブラックホールか、流星群か? ここは、手に汗にぎる、スピードとスリルの宇宙旅行」
「暗黒間を走るジェットコースター。赤い光のシャワーを浴びたらワープ完了。つぎの赤いシャワーまで、経験したことのないスリルいっぱいの宇宙旅行が楽しめます」
 となっている。つまり、暗黒のなかをジェットコースターが走る。その暗黒に映像を逆に流すことによってスピード感と恐怖感が倍増するという仕組みなのだろう。
 僕は、そもそもジェットコースターに乗りたいとは思わない。乗れそうもない。はっきり言えば、生まれ変ったって、あんなものに乗ることはないだろう。それが暗闇を突っ走る⁉
(ところが
 悪く言えば、ディズニーランドというのは子供だましである。壮大なお化け屋敷である。大人(と言ったって若者のことであるが)が面白がるのは、唯ひとつスペース・マウンテンだけである。
(スペース・マウンテンに乗るのでなければ、ディズニーランドへ行ったことにならない)
 そう言ってもいいと思う。UK君とP子の憂鬱と落胆はここにあったのである。
「あたし、死ぬかと思ったわ」
 僕がディズニーランドへ行くと言ったら、銀座の女性がそう言った。
「ほんとに死ぬかと思った」
「スペース・マウンテンか」
「そう。こわかったわ。あんなもの乗っちゃ駄目よ」
「そのつもりだ。ジェットコースターだって乗れないんだ。暗闇ででんぐり返るんだって?」
「そんなもんじゃないのよ。ああ怖い。思いだしただけで心臓がちぢまるような気がするわ」
りか?」
「こりごりよ。だけど、あたし、五回乗ったの」
 これがわからない。
「どうして?」
「自分でもわからない。乗りたくなるのよ」
「どうしてかなあ」
「あのねえ、もう一回こわい思いをしてみたいって思うの」
「わからんなあ」
「二回乗ると、もう一回って思うの」
「理解できない」
「それがねえ、怖いっていうのが、だんだんに快感に変ってゆくの」
「快感?」
「そう、快感よ。いい気持になるの」
「小便をチビルっていうじゃないか」
「あたしだってチビッたわよ。快感があって下着が濡れてくるの。はじめはあったかいわよ。そのうち、つべたあくなってくるの。それで、戻ってくると、また列に並んでいるの」
「わからん」
「もうビショビショ」
「きたねえなあ」
「きたなくないわよ。ただいい気持。足まで濡れちゃった」
「ははあ、つまり、こういうことか。きみ、初体験はいつ?」
「あたし遅かったの。高校二年だから十七歳かな、いえ、十六歳」
「痛かったろう」
「痛かったわ」
「もう懲り懲りだと思ったろう」
「こりごりだと思ったわ。もう、あんなこと絶対にいやだと思ったわ」
「ところが、恋人に迫られると、その気になっちまうだろう」
「そうなの。どうしてかしら」
「二度が三度に度重たびかさなって、だんだんに快感に変ってゆく」
「そうそう」
「スペース・マウンテンと同じだ。みんなが乗るから私も乗る。みんなが怖い思いをするんだから私も怖い思いをしたい。みんながやってるんだから私もやってみる」
「やってみるなんてスケベねえ」
 女はわからない。わからないけれど、僕は、なんだか納得がいったような気もしていた。豪放磊落らいらくに見える石原慎太郎さんも大橋巨泉さんも飛行機が怖いのである。仕事がらみでなければ、こんりんざい、あんなものには乗らないと言う。女はそうではない。飛行機大好き空港大好きという女性が多い。成田からハワイへ行くというとき、ハワイへ行くという目的があるだけであって、その過程なんかどうでもいいのだそうだ。そのへんのところ、僕には理解できない。これは勇気とか大胆とかとは別問題であるようだ。

 ディズニーランドへ行ったら童心にかえれという。あるいは、これは恋人同士で行って、わざと怖がってキャアキャア言うところである。その通りなのであるけれど、僕は、その前に、若さを返してくれと叫びたいような気持になっていた。
 ディズニーランドは暑いときに行くところである。Tシャツ、半ズボン、女性は麦藁帽むぎわらぼうにショートパンツ。こうでなくてはいけない。LAなんだから。
 たしかに、これは千七百億円かけただけのことはある。凄い。素晴らしい。日本のなかのアメリカだ。しかし、人間がいけないな。客がお粗末だ。いかにも不似合だ。農協の団体みたいなのがシンデレラ・キャッスルの前で記念撮影している。ヨレヨレの黒の小倉の制服の中・高校生がウロチョロしている。いかにも田舎いなか田舎したシマリのない顔つきばかりだ。
 スバル君と僕とはボートでナイル川を下った。大探検だった。ワニが出る。象が出る。カバが出る。首狩り族の襲撃にも遇った。面白くもなんともない。
 ホーンテッドマンションというお化け屋敷へも行った。人形はなかなかよく出来ていると思ったが、怖くもなんともない。一人、怖い顔の従業員がいた。そのほうが怖かった。ディズニーランドが悪いのではない。僕等が悪いのでもない。僕等が若くないのがいけない。やい! 若さを返せ。青春を返せ。いまさら、こんなものを造られても困るのだ。

 山田さんはお帰りになり、残った全員で浦安の秀寿司へ行った。P子は下着を濡らさずに済んだのである。明日の早朝に東亜航空で釧路へ遊びに行くという。その若さがほしい。トッカピン氏も来た。
 浦安海岸で獲れるというアオヤギ、トリガイが、めったやたらに美味うまい。
 ディズニーランドについての僕の所感を一口で言えば、
「アメリカ人ってバッカですねえ」
 ということになる。
 ここは夏に来るべきところである。二月や三月に来て悪口を言ってはいけない。夏の夜なんかはいいと思う。
「そうじゃねえんですよ」
 と、トッカピン氏が言った。
「夏は暑くてねえ。なんせコンクリで固めたところでしょう。照り返しでもって暑くて暑くって。子供が日射病でやられてねえ。そうでなくても暑いから、コーラだアイスクリームだって飲ませるでしょう。みいんな腹くだし。うちへ泊る客は小児科の病院への往復で行ったりきたり、朝までギャアギャアうるせえのなんのって」
「でも、夏なんか浦安のシンコ(小鰭こはだの子)でもって、あそこで一杯やったら、いい気分だろうねえ」
「酒は飲ませねえんです。それに持ち込みもいけない。なんせ食べものって言わねえんですから。あそこではフーズなんです」
 どうも地元の人に評判が悪いようだ。


 成分と効能は?

 夜の十時、スバル君と僕とは浦安草津温泉の浴槽のなかにいた。
「草津まで行くことはねえよなあ」
 シマイ風呂だから客はいない。スバル君、枕木みたいなものに頭をのせて手足を伸ばしている。悠々たるものだ。
「ほんとうだ。ああ、湯がみる。いい気持だ」
 ヤマキョウ君とUK君は、勇躍、浦安ミュージックへ出かけていったが、手入れを喰ったのか休業中だったそうだ。
「温泉の紹介をしましょうよ」
「ああ、やってみようか。場所は?」
「地下鉄東西線浦安駅のそば」
「名前は?」
「浦安草津温泉」
「成分は?」
「草津温泉、常水、カゼイン、硫黄、生石灰。この草津温泉というのがいい。有無を言わせぬところがある。凄い迫力だ。やっぱりパイプで引いている」
「効能は?」
「神経痛、リューマチ、冷え性、腰痛、あせも、ただれ、しもやけ、其の他」
「しもやけってのは、あまり流行はやらないね」
「しかし、其の他ってのが嬉しいじゃありませんか。糖尿病にも淋病にも効くような気がします」
「お値段は?」
「一泊素泊り三千円。民宿より安い」
「収容人員は?」
「五十人から八十人まで。宴会のできる大広間があります。舞台つきです。カラオケもあります」
 あったまることはあったまる。芯まで冷えきっていたのがホカホカになった。久しぶりで熟睡。
 三月三日、土曜日。駅前の喫茶店ティファニーで朝食。いつも、ここかジョルジュに決めている。ジョルジュのサンドイッチはジョルジュサンドで、なかなか上等だ。
 浦安という町には不思議に活気がある。人口がいっきょに八万人に増加して市に昇格したのもそのひとつ。それに妙に寿司屋の多い町だ。四十軒あるという。深川の通り魔殺人の犯人川俣軍司が浦安の寿司屋の職人であったことを記憶している人が多いと思う。
 中山競馬場へ行った。ビギナーズ・ラックとはよく言ったもので、ヤマキョウ君もUK君も少し儲けて昼に帰っていった。
 僕の狙いは第九レースの桃花賞にあった。芝ならアジサイで勝てる。アジサイは三枠だが、同枠のサニースポットも郷原騎乗で勝負気配。三月三日の桃花賞だから③③だという考えもあった。
 僕の思った通り、アジサイが四角過ぎて混戦から抜けだしてゴールイン。そして、
「夢ではないか」
 サニースポットがゴール前、内から躍り出て二着。僕は単勝式を四千円、連勝式を二千円買っていた。ラジオ日本の計算では、単勝五百九十円、連複五千百十円と告げられた。僕は、すばやく計算した。合計十二万五千八百円。
 このレースが審議になった。長い審議の結果、一着失格になった。すなわち単勝も連複もパー。アジサイは直線走路で斜行したのだそうだ。やい、中央競馬会! ミスターシービーのようなエリートには許すが、アジサイのような下馬したうまには許さんと言うのか。吉永ならいいが、大西ではいかんと言うのか。
「たかが十二万円ぐらいでクヨクヨするな」
 そう思うのだが、情けないかな、あとは目が見えないようになった。思えば、これがケチのつきはじめで、次々に考えられないような不幸が僕の身に起ってくるのである。
 都鳥君がやってきた。彼も浮かぬ顔をしている。
 三人で、行徳ぎようとくの「かも苑」へ行った。雨になった。駅の近くだと聞き、交番でも駅から四百メートルだと聞かされたが、僕の感じでは、不良馬場のダート千七百メートルだった。競馬場も寒かったが行徳も寒い。夜になって雪になった。
「かも苑」の鴨スキは素敵に美味かった。イレ歯も絶好調。座敷で飲んで食べて、デザートまでついて一万五千円程度だったようだ。
「どうかね、お勘定はリーズナブルかね」
「リーズナブルなんてもんじゃない。これでは安過ぎます。うますぎます」
 というのがスバル君の感想。まだまだ浦安や行徳には食通の穴場が残っているのである。遠くまで行くことはない。
 三人で入浴。あいかわらず、都鳥君、むっちりした良い肌をしている。
 三月四日、日曜日。三人で競馬。スバル君大当り。実に鋭い。
 三月五日、月曜日。こうしちゃいられない。絵を描かなくてはいけない。さいわいに好天、暖い。春のうららのうらやすの歌が出そうになる。
 僕の狙いは、砂漠のなかに突如出現した魔法の塔シンデレラ・キャッスル、これを幻想的に描くというあたりにあった。
 ところが、その角度をつかむのが困難だった。シンデレラ城は、どんな建造物とも合わないのである。その前に従業員宿舎があっても駄目。駐車場も駄目。マンションも駄目。むろん建売住宅などは論外。さらに、その大きさも問題になる。近過ぎても駄目。離れ過ぎるとわけがわからなくなる。
 埋立地なんだから、砂漠に見える場所があるだろうという心づもりだった。朝早く出て、昼過ぎに、やっと、これっきゃないという所を発見した。立入禁止の場所である。
 パステルを用意していた。雲がない。僕の絵の雲は、別の空から借りてきたものである。
 二時になって急に寒くなった。午前中が暖かく午後になって寒くなるというのが、いかにも早春らしい。
 三月六日、火曜日。
 昨日パステルで描いたところを水彩で試みたいと思った。前日と同じ天候。にわかに洟水はなみず。クシャミ。キャッチ・ア・コールド・イン・ノーズ。いわゆるひとつの鼻風邪。携帯用のティシュ・ペーパー二袋をたちまち使い尽して、大箱を買ってきた。埋立地と言ったってゴミ捨て場みたいなところだから、盛大にティシュ・ペーパーを捨てた。あとで人が見たら、ずいぶん激しいアヴェックが坐っていたもんだと思うに違いない。
 すくなくとも、それでよせばよかったのである。
 それから僕は、江戸川の舟だまりへ行った。以前、ここを描いて、僕としてはまずまずの絵が描けた場所である。もう一枚と思った。それがいけない。雨になった。やめればいいのに雨の中で描いた。僕は、ホドホドということが出来ない性分である。
 洟水、せき、ノドの痛み、発熱。ついに、完全に、いわゆるひとつの感冒状態となった。
 寒いディズニーランド、寒い競馬場、雨の中の行徳、寒い埋立地、雨の舟だまり。これじゃあ、誰だってたまらない。一日や二日ならよかったのだ。五日間。五連闘。ついに僕はダウンしてしまった。
 それから一週間、寝たり起きたり、頭はボーとして考えがまとまらない。ディズニーランドはスッゴイですねえというスバル君の言葉が耳にちらつく。砂漠の上のシンデレラ城が霞む。失格になったレースがちらちらする。
 僕の今回の浦安温泉行。アイディアは悪くなかったが、要約すると次の一言に尽きるのではないか。
「僕ってバッカですねえ
 温泉ガイド
 浦安草津温泉

■ところ・足の便 千葉県浦安市北栄 東京・地下鉄大手町より東西線浦安駅下車徒歩三分。
■宿 浦安温泉旅館
■近況など 浦安は、山本周五郎がスケッチ旅行に出かけ、そのまま住みついた地。現在は『青べか物語』の頃の面影はないが、ディズニーランド(宿から車で10分)の所在地として著名になった。夏場はつり客が多い。『酔いどれ紀行』(山口瞳著・新潮社刊)の舞台のひとつにもなっている。舞台付き大宴会場あり。

春宵一刻価一万五千二百円


六甲の桜は蕾だったが、阪神競馬場の桜花賞は満開――
太閤さんも愛した有馬の湯につかり、夜のミナト神戸に繰り出したら

 人間の啓蟄けいちつ

 四月六日、金曜日。快晴。急に暖くなった。こうなると、三月までの今年の寒さが噓のようで、暑いのである。モモヒキをステテコに、長袖シャツを半袖シャツに変えた。スポーツ・シャツに替え上衣。フラノのズボン。レインコートにハンティング。僕の服装は、こうなった。
 そうかといって油断しちゃいけない。春だと思っても寒い日もあるのである。しかし、まあ、四月六日は、まことに良い気分だった。春宵一刻、春眠暁、そんな言葉がチラチラする。僕は浮き浮きしていた。こういう気分を人間の啓蟄と言うのではあるまいか。
 東京駅へ着いた。十一時二十分。例によって一時間も早いのである。僕の乗るひかり153号は十二時二十四分の発車予定になっている。
 同行するスバル君は通常は発車予定時刻の五分前ぐらいにやってくる。それはそれでいいのであるが、一時間も早く着く僕の習慣を知っている彼が気を使って早く来ないものともかぎらない。気を使われるのは困る。大変に疲れる。誰だ「気くばりのすすめ」なんてのを書いたのは。気を使ってくれるスバル君をホームに放っておくわけにはゆかぬ。
 そう思いながら、僕は東京駅地下の喫茶店へ入った。時間潰しはここと決めてある。とても感じの悪い喫茶店である。部屋の中央の一段高い所に緋毛氈ひもうせんなんか敷いてあって茶道具が置いてある。そこでお茶をてることなんかないのに。テープでもって箏曲そうきよく「六段」なんかを流す。コロリンシャン。ツレンレツロン。こういう店は、まず間違いなく感じが悪い。ウエイトレスが、どうだい女だろうという顔をしている。さも退屈だというふうを装って壁に寄りかかっている。コーヒーを頼むと、ミルクをちょびっといれて砂糖壺と一緒に持っていってしまう。そのコーヒーを七分目ぐらい飲むと、どこから見ているのか、すっとあらわれて、これも持っていってしまう。そのあと、僕は「いま来たんじゃないぞ、すでに注文をすませて、飲み終って、注文したものをウエイトレスが持っていっちゃったんだぞ」という顔をずっと保ち続けていなければならない。伝票をテーブルの真中に置きなおしたりする。
 なぜそんな喫茶店を選ぶかというと、どうも僕には嗜虐しぎやく性もしくは自虐的性格があるためらしい。そういう傾向がある。酒場の客でも、そんなのがいる。マダムにののしられても平然として飲んでいる奴がいる。あの神経はわからないが、それを見て、ああいやだと思いながら席を立たない僕のほうもどうかしている。
 もうひとつ。何かで喧嘩になった場合、こういうお高くとまっている喫茶店のほうが、喧嘩のしがいがあるということがある。老夫婦で経営しているミルクホールなんかでは喧嘩にならない。
 そんなことを考えているうちに、十一時五十分になった。心配して早く来ているかもしれないスバル君を待たせてはいけない。
 僕が十九番線ホームの中央階段附近に立っていると、しばらくしてスバル君が駈け寄ってきた。
「やあ
「おう
 やっぱり嬉しいものだ。こういう心使いは。
 スバル君を見ると、いつでも僕は、
「世が世であれば――」
 と思ってしまう。世が世であれば良い兵隊になれたのにと思う。
 その俊敏さ。その理解力。その運動神経。その心使い。
 臥煙君もそうだ。その抜群の記憶力。彼は、演歌なら二度聞いただけでそらんじてしまう。軍隊なんてところは、記憶力だけあればいいのだ。応用は必要ない。爆弾を抱えて戦車に体当りしますと自分の体はどうなりますか、なんていう質問をしてはいけないところなのである。歌唱力があり、モノ真似の上手な臥煙君は、たちまち部隊の人気者になるだろう。そのように、軍隊というところは、演芸会で明け暮れるのである。
 スバル君には歌唱力がない。そうして彼は上官に反抗するだろう。臥煙君は内務班向き、スバル君は実戦向きであって、どちらを甲乙とは決めがたいが、良い兵隊になれることは疑いの余地がない。僕だって前大戦の勇士(二等兵)だったんだぜ。
 スバル君、薄茶色の皮の上衣。これは適性。軽快だが寒さにも強い。
 この季節、服装がむずかしい。夏服のお嬢さんがいる。背広で毛糸のチョッキという、いかにも部課長どまりという感じの田舎ふう紳士がいる。三つ揃いで薄手のオーバーを着こんだのがいる。冬なんだか春なんだか夏なんだか。

 世の中にたえて桜のなかりせば
 春の心はのどけからまし

 春というのは不安定である。気候がそうだ。桜がそう だ。服装がそうだ。人の心がそうだ。
 僕たちは有馬温泉へ行こうとしているのである。温泉に浸り、六甲山の桜を描く。それから、桜花賞レース(阪神競馬場)をも見ようとしているのである。
 東京の桜は、まだつぼみが固い。西のほうへ行けば咲いているのじゃないかと思った。桜花賞は初めて見るのだが、テレビ中継で見ると、いつでもスタート附近の桜は満開だった。
 虫明亜呂無さんによると、牝馬ひんばは、明け四歳の桜花賞によって競走生命を終えてしまうのだそうだ。すくなくとも、そこまでが花だ。桜花賞、オークス、エリザベス女王杯と勝ち進む牝馬はいない。桜花賞で終りというのは名言である。牝馬の強豪で男まさりのオークス馬ナスノチグサは、その後まるで期待の裏切り通しだった。去年の桜花賞馬シャダイソフィアは関西馬だからよくは知らないのだが、どこへいっちまったのか。女心はつかみ難い。これも不安定である。
 そのうえ、この季節の牝馬は、いつどうなってしまうか見当がつかない。まるっきりアテにならないのである。人間の女と同じだ。

 世の中にたえて女のなかりせば
 人の心はのどけからまし


 最古の温泉、最古の芸者

 有馬温泉へ行く。温泉紀行を続けるかぎり、この名湯を見逃すわけにはいかない。僕は有馬温泉の上品なところが好きだ。ここは大阪でも神戸でもなく芦屋だという感じがするのである。ところが、関西人に言わせるとそうじゃない。関西人のなかに、有馬温泉をイカガワシイところと見る人がいる。そのへん、僕はまだわかっていない。
 有名な馬主の和田共弘さんは、有馬温泉に一泊して桜花賞を観戦されるという。その真似をしてみたいと、かねがね思っていた。
 新神戸着、三時五十二分。そこからタクシーで約四十分、有馬温泉〝中の坊瑞苑ずいえん〟に到着した。新神戸トンネルが完成して、ずいぶん近くなった。
 この旅館は、すばらしい日本建築であったが、神戸ポートピアにあわせて改築された。残念だが仕方がない。
 おそらくは黒川紀章一派の前衛建築家が設計したものだろう。僕は、これがどうも落ちつかない。館内ですぐに迷い児になってしまう。一言で言うならば、前衛建築家の設計する日本旅館は「四角くない」のである。三角形だったり五角形だったりする。通路は、だいたいにおいて斜めになっている。部屋の内部もそうだ。五角形のところへ矩形くけいの畳を敷くから、どうしたって余分なスペースができてしまう。そこへ砂利を敷き雪洞ぼんぼりを置いたりする。なんだか鉄道線路の脇で寝る感じになってしまう。いま、日本の建築は、施主も設計士も試行錯誤の時代を続けているのだと思う。
 神戸、芦屋、有馬温泉、宝塚、阪神競馬場が、それぞれほんネキにあるということが、関東者の僕には容易には摑めない。不思議な感じがする。
 もっとも、僕は、石川県、福井県、鳥取県の位置関係が、いまだによくわからぬという男なのである。
 十年くらい前だが、岡山市で飲んでいて、十二時ごろ、「広島に知っている小料理屋があるんだ。これからそっちへ飲みにいこう」
 と言って笑われてしまった。自動車に乗れば三十分ぐらいで広島に行かれると思っていたのだ。岡山市と広島市とは、だいたい同じところだと思っていたのである。
 国際情緒豊かな酒と肉の神戸、上流社会の芦屋、名湯有馬温泉、桜花賞の阪神競馬場、少女歌劇の宝塚が、それぞれ近いということは夢を見ているような思いになる。
ここもまた桃源郷か。ということは大阪空港も近いんだな。
 日本最古の湯、太閤たいこうさんも愛した有馬温泉。その有馬の湯は赤湯である。掌ですくってみても赤い。赤湯のほかに透明な湯もあって、金と銀というふうに言うらしい。赤湯は塩分が強い。タオルを漬けると、たちまち赤くなる。
 夕食のたいが美味。そう思っているときに、有馬の名妓鯛奴さんがあらわれた。東京から来たと言うと、
「うち、東京へ行ったこと、あるんよ」
 そりゃあるでしょうよ。僕とスバル君とで顔を見合わせた。関西の人は、しゃべりやなあという言い方をするが、鯛奴さんも相当なしゃべりだった。もっとも、僕等、歌われても踊られても困るのだ。
「うち、しゃべりでしょう」
 自分でもそう言う。
「この温泉、効くか効かへんか、ようわからへんけど、入ったお方は、一週間は体が軽い言わはります」
「それは効くということです」
 そのうちに鯛奴さん、スバル君のほうに向きなおった。「あんたはん、ほら、なんと言ったかな、歌舞伎のほら、ほら、離婚しそうなせえへんような役者がいはるやろう、ええと、どない言うたかいな」
「高田美和の旦那、秀太郎」
「そや、そや。なんや変態やて。あれにそっくりや」
「ひどいことを言うな」
「ちゃいますわ。離婚しそうな歌舞伎の役者はんの弟のほうですわ」
「ああ、片岡孝夫、か」
「そや、そや。孝夫にそっくりや。うち、会うたことあるんや。ちょっと、その眼鏡とっておくれえな」
 スバル君、しぶしぶ眼鏡をはずした。渋面をつくっている。
「ほら、その額のシワ。孝夫はんも縦皺をつくらはるやろ。ほんまに、ええ男や」
 鯛奴さんは、完全にスバル君のほうへ向きなおってしまって、こちらを見ようともしない。
「冥土の土産ができました」
 日本最古の温泉の最古の芸者。せめて五十年前に会いたかったとスバル君は思ったことだろう。
 また入湯。僕等の部屋が五階で浴室が四階。そこへ行くのにもエレベーターを使用しなければならないのが不都合だ。階段だってあるにはあるのだろうが、そこはそれ迷路仕掛け。
「先生、こっちです。そっちは女湯です」
 スバル君に毎回注意される。
 一睡もできなくて外が明るくなった。
「先生、よくおやすみでしたね」
 と、スバル君に言われたが、朝の六時から七時半というあたり、つまり、普通の人が目ざめるときに眠っているから熟睡と間違えられる。


 浩チャン、あらわる

 生田川の桜はまだ。東京と同じだ。従って、標高七百メートルはあろうかという六甲山系の桜が咲くわけがない。
 僕等はタクシーで阪神競馬場へ向った。
春霞はるがすみだな」
 空は薄曇りに曇っている。
「いいえ。これは黄沙こうさです。中国大陸のほうからやってきまして」
 運転手は言うが、どっちでも同じようなものだ。
 その競馬場が寒い。気温で言えば暖いのであるが風が強い。風が冷い。四階の指定席は吹きっさらしである。
 第十レース、忘れな草賞にスイートキャサリンが出走している。父パーソロン、母スイートフランスという名血である。野平祐二厩舎、和田共弘氏の持馬。ということは、かのシンボリルドルフとほぼ同じ。武邦彦騎乗で一番人気。有馬温泉という縁で、この馬で単複連と大勝負して惨敗(四着)。
「忘れな草賞か。ホアゲット・ミイ・ナットなんて、この恨み誰が忘れるもんか」
 スバル君の頰が引きっているのは寒さのせいではないらしい。
 終って、僕、通算で五万九千五百円のマイナス。僕よりも荒っぽく買うスバル君の負けは、僕の比ではないだろう。
「どうだった?」
「グリコの社長です」
「お手挙げか?」
「いいえ。グリコの社長で裸で逃げだしたい心境です」
「うまい!」
 洒落しやれに感心しているばやいじゃない。
 仁川にかわ駅から、阪急で西宮北口まで。電車の網棚にかばんを忘れた。途端にスバル君が疾駆する。その電車、鞄を乗せたまま折り返して宝塚まで行っちまった。僕等夫婦の銀婚式の祝いに梶山季之が買ってくれた双眼鏡。これは金には換えがたいものだ。他に携帯用ラジオ。ウイスキイ。その鞄、宝塚駅の駅長室に保管されているという。
「よかった! 阪急の客は上等だ」
 このごろ、忘れものがひどい。充分に気をつけているつもりなのだが
 タクシーで宝塚駅まで行って、その道が混雑していて、だから有馬温泉〝中の坊瑞苑〟まで戻ってきたら七時になっていた。
「お連れさん、まだのようです」
 京都の陶芸家竹中浩さんが来ることになっている。
 浩チャンのあらわれ方が劇的だった。
 スバル君と僕とは、風呂へ行った。夕食時で入浴客は一人もいない。
 スリラー映画で、洋服箪笥だんすのなかから立ったままの死体が出てくるというのがある。僕は、だから、知らぬホテルで洋服箪笥をあけるのが怖いのである。それと同じ感じで浩チャンがあらわれた。
 大浴場の一角にサウナ風呂がある。そのサウナ風呂の扉が狭い。そこから、ヌッと全裸(当り前だが)の浩チャンが出てきて、
「バアーッ」
 と言ったのである。別室を取ってあった彼は、すでに到着していたのである。
「声でわかりました。だから
「まだ心臓がドキドキしている。あらわれるはずのない人が、いきなりだからね」
「ごめんなさい」
 夕食は、
  前 菜 三段重ね
  造 り 鯛うす造り
  木の実 山桃ワイン
  おこわ いなりおこわ
  焚合せ 春野菜、山野菜
  焼 物 神戸肉杉板焼
  油 物 花蝶蒸出し
  酢 物 酢取みる貝
  止 椀 順才、三つ葉
  香の物 三種もり
  果 物 メロン
 と献立表に書いてあった。
 懐石料理ふうに出てくる。これが実は曲者であって、ついつい食べてしまう。宴会料理だと、ざっと眺めて、これとこれは食べないと決めることができるのであって、ふだん悪口を言っている宴会料理の一得を知らされたように思った。ただし、中の坊瑞苑の料理は全体として量が少いのが有難かった。また係りの女中さんの感じがよかったことも書いておきたい。口数が少く、決して出過ぎることはなく、要所は心得ているという按配。

 四月八日、日曜日。桜花賞。
 指定席が取れなくて、来賓席へ廻された。第一レースがはじまる前なのに、大川慶次郎さんが来ておられる。僕は大川さんが大好きだ。その世界での神様、天皇、帝王と称される人は、まず間違いなく威張っている。大川さんだけが例外である。競馬ブームを生む原動力となった斯界しかいの大恩人であるのに、実に腰が低い。それがイヤミにならない。初対面のスバル君、浩チャンが感動してしまったのだから、僕が余計なことを言う必要がないだろう。
 戦前、向島に住んでいた僕の女房は、近くに、
「大川さんちの原っぱ」
 というのがあったと言う。そこで大川さんちのお河童かつぱ頭の慶ちゃんが三輪車に乗って遊んでいたそうだ。育ちが違うのである。そんじょそこらの成り上りじゃない。
「馬の出来で言えばダイナシュガーです。凄い気合です。それから絶好調はタケムスメです。ちょっと外へ廻されましたが
 神様から講義を受けた。
 僕の見解は、こうだ。勝つのは田原成貴騎乗のダイアナソロン。トライアル一、二着のダイナシュガー、ファイアーダンサーは嫌う。連対は五枠から内側で、特に五枠のロングレザー、ロングキティーの両馬がチャーミングだ。すなわち、連複は④⑤一点勝負。
 結果はその通りになったのだから、大勝利かというと、そうはならない。僕は、クラシックでは、面白馬券を買ってしまう。馬券はロマンで買えという主義である。ザミヤビレディーの単複で大勝負。単勝なら、前日の前売りオッズで百十二・三倍を示していた。これで二百万円になる、と、すぐにそう思ってしまう。(結果は二十一頭立ての二十一着)。
 それでも④⑤は買ったから、この日、通算で四万四千三百円のプラス。昨日の分から差引き一万五千二百円のマイナス。僕は、有馬温泉、桜花賞、六甲山という春ランマンを一万五千二百円で買ったことになる。
 最終レース。浩チャンが、一番人気の馬の複勝式馬券を千円だけ買った。
「そんな馬券を買ってどうするんです」
「家内に炭酸せんべいを買って帰ります」
 配当百四十円。四百円の儲けで炭酸せんべいとは、まことに言い得て妙だ。その最終レースは、大川さんの予想通りに一、二着した。
「よかったですね。いっきに挽回でしょう」
「それはわかっているんですが、桜花賞が終ったらお金がなくなっていたんです」
 神様は憮然ぶぜんたる面持ちで言った。スバル君の頰も昨日に続いて引き攣りっぱなし。もしかしたら、またしても、和田共弘さんのスイートソフィアと心中してしまったのかもしれない。


 また、御難

 旅は、それがどんな旅であっても、常に冒険旅行であることを免れない、というのが僕の持論である。新幹線で新神戸、そこからタクシーで有馬温泉へ行って三泊四日。それだって冒険旅行である。どうか、諸君、旅に出るときは、くれぐれも気をつけて呉れ給え。
 競馬が終って、仁川駅から三宮駅へ行って、駅前のステーキハウスでステーキを食べた。浩チャン推薦の店である。店の構えは非常によく、家族連れが行列するくらいに繁昌している。
 スバル君四百グラム、浩チャン三百グラム、僕二百グラムと電話で予約してある。
 食べ終って、トア・ロードを歩いていたら、スバル君がおなかが痛いと言いだした。僕も少し気分が悪い。食べ役(競馬ではジョッキーのことを乗り役と言う。それにならって食事の量とスピードを誇るスバル君のことを食べ役と呼んでいる。都鳥君は飲み役、臥煙君は歌い役である)であるところのスバル君が、こんなことを言うのは初めてのことである。さては肉に当ったかと思って蒼くなった。二人で薬局へ行って薬を飲んだ。
 その日の夜中、僕は、将棋を指していて二度続けて頓死する夢を見た。俺の人生、これだから駄目だなんて思っているうちに、猛烈な悪寒に襲われた。嘔吐感と便意。便所へ行ったが、出るべきものが出ない。
 僕は、これは脳溢血か、脳梗塞こうそくか、蜘蛛くも膜下出血じゃないかと思った。脳溢血の際は便意を催すという。蜘蛛膜下の際は激しい頭痛が起るそうだ。頭痛は軽微である。熱もない。
 六甲山の花と散るかと思い、不安のうちに一夜が明けた。僕の報告を聞いて、スバル君、怒るまいことか。
「どうして起こしてくれなかったんですか」
 彼のほうが、脳溢血みたいに真赫まつかな顔になった。彼を起こせば医者の家に飛んでいって叩き起こすだろう。この深夜、知らない土地で、僕にはとうていそんなことは頼めないのである。それに、スバル君、とてもよく寝ていた。
 僕は、六甲山へ登って絵を描くことにしていたが、それは不可能になった。急遽きゆうきよ、指名代打を浩チャンに依頼することになった。従って、今回の挿画は浩チャンの労作である。いや、わずかな持時間での無理作と言ったほうがいい。
 神戸市内へ降りていって、石井町の飯田医院というところへ飛びこんだ。
「旅の者が難儀をしております」
「どうれ
 院長の飯田威先生は、僕とほぼ同年輩、いかにも内科の医者らしい穏やかな親切なお医者さんだった。問診、触診。僕は自己診断と不安とを訴えた。
「脳溢血なんかじゃありません。われわれの齢になりますと、どうしてもそのことをまず考えますが。これは感冒性腸炎です」
 そう言って太い注射を射ち、二日分の内服薬をくださった。
「ステーキに当ったんじゃないですか」
「肉のせいじゃありません。いま感冒性の腸炎が流行しています」
 どうやら、犯人は、肉ではなく、競馬場の冷い烈風であったようだ。浩チャンの頰が、やっとゆるんだ。神戸の医者は親切だった。喜多方きたかたの歯医者とは違う。やっぱり大都会はいいな。
 新神戸駅。その駅前の桜並木が、二分か三分咲き。布引庵という店で、ケツネウロンを食べて乗車。
 京都駅で、浩チャンが下車した。
「お世話になりました。また、絵のほうで無理を言って、申しわけありませんでした。でも、全体として楽しかった」
「そっちのお花見には伺います。サンボアのママとご一緒に」
 神戸の市内を歩いて西洋骨董でも買おうという楽しみは奪われたが、それも命あってのことである。桜を見られなかったが、それも良しとしなければならない。
 名古屋を過ぎてから食堂車へ行った。
 ヘトヘトに疲れていた。その食堂車が、国鉄自慢の〝ステーキ定食試食列車〟という、いわば特別列車。
「ステーキでも食べるかね」
「とんでもない」
 スバル君が、今朝の顔で怒った。
「でも、せっかく、国鉄のほうで、こういう食堂車を用意したんだぜ」
「よりによって、変なのに乗っちまったな」
 隣の客がステーキ定食をオーダーして、百八十グラムのステーキが運ばれてきた。焼けた肉の、通常であれば好ましいはずのこうばしい香り
「オエーッ。ぼくは、あのステーキの二倍以上も食べたんです。先生だってあれより多かったんです」
 関西弁で、えづくと言う。それだそれだ。とにかく、ヘトヘトにへたばってしまった。どこか温泉にでも行ってこようかしらん。
 温泉ガイド
 有馬温泉

■ところ・足の便 兵庫県神戸市兵庫区有馬町
神戸電鉄有馬温泉駅より徒歩20分。国鉄三ノ宮駅より有馬温泉行きバスで45分。
■効能 リューマチ、創傷、婦人病、尿酸体質、火傷、神経痛。
■観光 六甲山、瑞宝寺公園、温泉寺など。
■宿 中の坊瑞苑
■近況など 鉄分の多い金泉で、古くから子宝の湯として聞こえる。夏でも24度を越えない静養地で、付近の六甲山や摩耶山は、家族連れの散策には最適。逆にアンノン族は比較的少ない。中の坊瑞苑の売り物は、京風懐石料理。常に旬のものを出すよう配慮されている。

常磐ときわホテル花梨かりんの庭


わが町国立から車で二時間。甲府の湯村温泉は新緑の候。
十年ぶりに訪れた宿の湯も、料理も、庭もすべてよし。だけどちょっと様子が

 理想の庭

 有馬と阪神で疲れてしまったので、温泉治療に行くことにした。神戸では、牛肉に当ったとは言わないが、疲れている胃腸にステーキがヘヴィーだったことも動かせない事実である。だから、今度は近いところがいい。僕の家から最も近いところの有名温泉となると、甲府の湯村温泉しかない。
 僕は、昔は甲府および中央本線が苦手だった。なぜなら、僕が戦時中に入隊したのは、甲府の六三ロクサン部隊であり、これは名にし負うヤマザル連隊であって相当に痛めつけられた。また、中学四年のとき松本高校を受験して失敗した。だから、アッチ方面は鬼門だと思っていた。さらに、山梨県人の県民性というものが肌に馴染まない。財界で小林一三、小佐野賢治。わかりやすく言えば、巨人軍コーチの堀内の現役時代のニックネームが悪太郎、その悪太郎というのが僕にとっては具合が悪い。虫が好かない。
 ところが、サントリーに入社して、甲府に山梨ワイナリーという葡萄園、白州鳥原に白州ディスティラリーというウイスキイ工場が出来てからは、そうも言っていられなくなった。縁が出来てしまったのである。
 僕は出張で甲府へ行けば湯村温泉の常磐ホテルに泊まるようになった。そのほか、女房と二人で遊びに行く。女房の母を連れて甲府に泊って身延山みのぶさんに参詣する。女房の姉を連れて昇仙峡を見物する。いつでも常磐ホテルに泊った。
 僕は軍隊時代に、演習の後で、たびたび温泉に入った。それが、いまでは確かめようがないのだけれど、位置関係からして、ほぼ常磐ホテルに間違いないと思われるのである。独特のぬるい湯だった。ホテル側でも、よく兵隊さんが入浴にきたと言っている。甲府には良い思い出がないのだけれど、その温泉だけは実に懐しい。
 さて、僕は、そうやって深い関係が出来るようになってからは常磐ホテルがすっかり気にいってしまった。
 常磐ホテルのどこが気にいったか。どこがいいのか。
 まず第一に庭がいい。平庭である。素朴である。旅館の庭というのは、築山を造り池を掘り、枯山水かれさんすいをあしらったり、大層な松を植え、巨石を据えたりする。これは成金趣味である。常磐ホテルの庭は、そうじゃない。とても上品だ。自然が生きている。これは、現笹本社長と笹本夫人のお兄様と二人で設計されたものだそうだ。良い育ちの方だとすぐにわかった。中庭は一面の芝生であって、中央にけやきの大木が一本。東側に湧水を利用した小川。むろん躑躅つつじの植え込みなどはあるのだけれど、ほぼこれだけだと思っていただきたい。実は、これ、僕の理想とする庭なのである。もし、僕に巨億の富があったなら、庭はこうしたいと夢に描くところのものである。
 第二に風呂がいい。僕は甲府の温泉が好きだ。甲府の温泉は、前に書いたように温いのである。熱いのはいやだ。箱根なんかで、どうかすると、とても熱いのがある。裸になって震えながら手を突っ込むと、これが「手もつけられない」くらいに熱い。水でうめるっていったって温泉の湯槽はプールのように広い。これが自慢の岩風呂であったりすると、余計に腹が立つ。温泉というのは、人それぞれの好みがあろうけれど、旅館に着いて、とりあえず浴場へ走っていって、ズボンと飛び込む、これがヌル目であって、漬っているとジワジワッとあったかくなる。「ああ、いい湯だな」。これでなくちゃいけない。常磐ホテルの湯が、まさにこれなのだ。
 第三に建物がいい。とくに離れがいい。むろん、木造平家建て。ゆったりとしている。僕は、宮様が泊るという九重ここのえという部屋を愛好していた。この離れ座敷のほうの庭に花梨の大木がある。僕が行ったのは秋から初冬にかけてのときが多かったようで、いつでも花梨の実がっていて芳香を放っていた。花梨の実は黄色である。ラグビーのボールを小型にしたようなもので、これが、どういうわけか、垂れさがるのでなく、横ざまに生るのである。凜冽りんれつの気がみなぎっているように感じた。それで、僕は、常磐ホテルの庭を花梨の庭と名づけていた。
 秋から初冬にかけてだから、甲府盆地は寒い。寒い寒いと叫びながら、大浴場へ向って渡り廊下を駈けてゆく。そうして、ここが肝腎なところなのであるが、戻ってくるときは少しも寒さを感じないのである。すなわち、常磐ホテルの湯は、あったまるのである。体がカッカとするという感じではない。ゆるゆると、なんどりとあったまってくるのである。――そこで一杯――自然に、そうなってくる。大きな有名旅館は、すべて高層建築になってしまった。常磐ホテルのみ、そうではない。庭も平庭なら建物も平らである。その感じが実に豊かだ。いやしくない。経済的な効率なんてことを考えていない。もっとも敷地が広いからそれが可能になるのだけれど――。言うまでもないが、ゲームセンターなどはない。おっと、大事なことを忘れていた。静かなのである。甲府駅からタクシーで約十分という町中にあって物音がしないのは不思議な気がする。しかも本館は大通りに面しているのである。山の中の旅館ではない。僕は、いつでも、常磐ホテルに泊るたびに「人は石垣、人は城」という信玄の言葉が浮かんでくる。常磐ホテルの静寂は人間の知恵によって造られ、守られ続けてきたと考えている。
 第四に食事がいい。品数が多過ぎず少な過ぎず。量もまたしかり。今回の夕食が初日が白い御飯、二日目がグリーンピースのぜ御飯、三日目がたけのこ御飯という気の使いようだ。温泉旅館でこんなのは滅多にはない。
 僕は、このように常磐ホテルがすっかり気にいってしまっているのである。ほとんど熱愛していた。

 さて、ところが、しかし――。
 僕は、この十年ばかり、常磐ホテルへ行っていない。それには訳がある。あるとき、ちょっとした事件があって、僕は怒ってしまった。その事件について書かなければ、わけがわからなくなるが、まあ、やめておこう。


 なんだか様子が変ですよ

 僕の家のお向かいに住んでいる彫刻家の今城国忠先生もまた常磐ホテルの熱愛者であって、実にしばしばお出かけになる。
「トキワ、よくなりましたよ。新館が出来ました。立派になりました」
 そんなことを聞くたびに僕はイライラする。別れた女の噂を聞かされるようなものだ。どうも、僕はその女に未練があるようだ。
「小林秀雄先生と井伏鱒二先生がお泊りになったそうです」
 井伏先生も常磐ホテルの愛好家であって、この四月にもお出かけになっているそうだ。
「井伏先生と安岡章太郎さんが、昼間から中庭で五時間もお酒を飲まれたらしい」
 僕のイライラは、ほとんど頂点に達した。これは僕の負けだ。降参だ。僕は自分からは言いにくいので、スバル君に頼んで部屋をとってもらうことにした。
 五月六日、日曜日の夕刻、国立くにたちインターチェンジから中央高速道に乗って、国立市のタクシー運転手であるところの徳サンの運転で甲府へ向うことにした。
 これには、ふたつの理由がある。
 ひとつは、ゴールデンウイークが終ったところで、道路もそうなら旅館もいているだろうという思惑と心遣いがあったからである。
 もうひとつは、徳サンとスバル君と三人で府中で悪戯わるさをして、その足で出掛けようという魂胆である。第十二レースの発走は四時二十分である。これなら、ちょうどいい時刻に旅館に着く。競馬・温泉・酒・芸者とくるなら徳サンも文句はあるまい。
 僕等が国立インターの料金所に入ったのは五時過ぎである。五時半に相模湖を通過した。雨の予報がどうにか保って、暑いくらい。いや、あれは快晴といってもよかったのかな。
 ご承知のような今年の天候で、まだ桃が満開という箇所がある。山桜がいい。新緑がいい。
 六時半、甲府昭和インターを降りた。これは快適な旅といってよかったのではないか。上りは延々長蛇の渋滞。僕等のほうは、二時間足らずで常磐ホテルに到着した。狙いは誤またずといった感じで、とてもいい気持。
 ホテルの入口に、支配人だか番頭だか女中だか、ずらっと整列している。僕等は新館二階の奥の部屋に案内された。一番上等の部屋であるらしい。三人で一部屋と言ってあったのに、隣の部屋も使ってくれという。連休明けで客がいないからだろうけれど、これは特別扱いだ。
 常磐ホテル、今城先生の言われたように、少し変った。本館と離れをつなぐところの新館が鉄筋の豪華なホテルのようになった。ただし三階建て。このあたりが経営者の趣味のいいところだ。風呂も変った。しかし、中庭も花梨の庭もそのままだ。
「離れのほうがよかったですか」
 顔馴染の女中が言った。僕は少し考えてから、
「いや、ここでいいです」
 と答えた。甲府盆地の朝晩は冷えるかもしれない。それならば、密閉された現代建築の部屋のほうが安心だ。
 ただちに大浴場へ行く。これが宝石風呂となっていて、浴槽にも壁にも宝石がちりばめられている。あまり感心できない趣向であるが、甲府は水晶と宝石の町であり、僕もこれに代る妙案が浮かばない。
 湯は、まさに、懐しい湯村の湯だった。そのままズボンと飛びこめる温さであり、ジワッとあたたまって湯ざめの心配はない。医治効用は左の如し。

胃腸病
神経痛・リウマチス
鼻咽喉・気管支加答児カタル
皮膚病
婦人病
新陳代謝病
外傷性障害

 ズボンと飛びこめる温さではあるのだが、僕等はそんなことはしない。かかり湯を右肩から五回、左肩から五回。これは碁点温泉で学んできたものだ。
 相客は一人もいない。
「いい温泉ですね。部屋もいい、ロケーションもいい。これは上等です」
 スバル君が泳ぐようにして近寄ってきて言った。
「いいだろう。僕はとても好きなんだ。女房も、お風呂はここが一番だなんて言っている」
「だけど、なんだか様子が変だとは思いませんか」
 それには僕も気づいていた。俊敏なスバル君がそれを察しないわけがない。
「緊張感のようなもんだろう。ピリピリしてるな」
「そうです。戦々恐々としているような感じです」
 最初に僕等が部屋に案内されたとき、エレベーターに乗ると、女中が最敬礼をした。エレベーターを降りると、その女中がふたたびニッコリ笑って最敬礼をしている。いかに二階であるとはいえ、その中年の女中は全速力でもって階段を駈けあがったことになる。
「ちょっと困ったな」
 むかし僕が怒ったのは、しかるべき理由があったのだけれど、やっぱり、めったなことでは怒るもんじゃない。いや、その、めったなことが起ったのだけれど。社長以下、戦々恐々としている。従業員の顔が引攣ひきつっている。僕思うに、常磐ホテルの笹本社長は、大変に繊細な神経の持主なのではあるまいか。恐縮しきっているのではないか。なんだか、済まないことをしたという思いがこみあげてくる。
「まあ、いいや。宮様とか県知事なんかが泊ると、こういう扱いを受けるんだろう。ここは一番、宮様になったつもりでいようじゃないか」
「うんと我儘わがままを言ってみるとか、ね」
「そのほうが向うも気が楽になるかもしれない」
 七時半に食事と言っておいたら、七時半ピッタリに女中が呼びにきた。別室に用意したという。
 鯉のあらい

フキノトウ、タラノメなど季節の山菜のてんぷら
ソバの実の酢のもの(これはうまく説明ができないが、女中は、枕にするソバガラのカラを取り去ったものだと言った。食べたらソバの味がした)
煮貝(甲府名産のアワビ。大好物)
アユ塩焼
ホウトウ鍋

 これが、腹が減っていたせいかもしれないが、めったやたらにうまかった。バカうまであった。
「先生のおかげで、こんなうまいものが食べられる」
 と、徳サンが言ったが、温泉旅館で、いつでも、こんな上等な食事が出るとはかぎらない。決して高価でも珍奇でもないが、一皿一皿に心がこもっている。食べ役であるところのスバル君が、
「この板前さんは年輩の方ですか、どこで修業されたんですか」
 などと女中に訊いているところからも、それは実証されたと言っていいだろう。
 あまり上品ではないところの宮様三人は早く寝ることになった。


 盆地の朝

 五月七日、月曜日。鳥の声で目がさめた。五時半。オナガであるらしい。
 カーテンを開くと、どうやら曇り空であるらしい。いや、曇っているのか快晴であるのか、よくわからない。全体に鉛色をしている。
 そのうちに、とんでもない空の高いところに白いものが見えてきた。それが甲斐駒かいこまだか千丈岳だかの残雪だった。つまりは快晴であって、山頂に陽が当ってきたのである。だんだんに、少しずつあぶり出しのように山が姿をあらわしてきた。
「起床!」
 と僕は叫んだ。甲府へ来ると軍隊調になってしまう。スバル君が、うっすらと目をあけ、ここはどこだという表情になり、次の瞬間に飛び起きた。
「入浴!」
 温泉へ行って何が嬉しいかというと、この朝風呂だ。風呂から出ると、風呂番が直立不動の姿勢で迎えてくれる。
 八時ピッタリに女中が呼びにきた。ふつうは朝食の際は女中はセーターなんか着ているが、きちんと着物を着て、これは盛装。ふたたび宮様気分。
「おい、メシあげ!」
 僕等は食堂へ行った。
 食後すぐに白州ディスティラリーへ向った。山梨ワイナリーのほうは何度も行っているので、ウイスキイ工場の貯蔵庫の絵を描こうと思ったのである。なんと、そのあたり、まだソメイヨシノが満開。
 板谷工場長には迷惑をかけてしまった。連休あけで行楽地はひまだという考えだけが頭にあって、工場では、さあ、これからだ、気をひきしめて、という時期であることを失念していたのである。どうやら、朝から会議中であったようだ。
 スバル君と徳サンは工場見学。僕は絵を描く場所を探すことにした。
「そうですか。それならSPGを一人つけて案内させましょう」
 SPG?旅館で宮様扱いを受けたうえで、工場で護衛みたいなものをつけられたら頭がおかしくなってしまう。
「そんなVIP扱いは困りますよ」
「それなら、SPGは工場見学のほうへまわってもらって、山口さんには中山リーダーに案内させましょう」
 このSPGというのは、サントリー・パブリケーション・ガールの略であって山梨県下で選りすぐった美人たちであったことが、すぐに判明した。サントリーを退社して二十年。嗚呼ああ! 中山リーダーというのは、このSPGを統括するところの屈強の中年社員だった。
 高原の林のなかに巨大な白壁の貯蔵庫が点在する。その向うに八ヶ岳がそびえる。それが僕の描いた構想だった。しかるに八ヶ岳が見えない。林が深すぎるのである。貯蔵庫を描くとすると、これは巨大に過ぎるのであって、白壁のほかは何も見えなくなる。それでも僕は、二時間ばかり、あっちへ行き、こっちへ行き、粘りに粘ったのであるが、僕の手に負えるものではないことがわかった。断念せざるをえない状況だった。
 ここで読者に耳よりの情報をお伝えする。この白州ディスティラリーの工場見学には、特別の申し込みは不要である。美しいSPGに案内されたあとで、確約はしないが、上等なウイスキイが供されることになっている。夏になると、八ヶ岳山麓からテニスギャルがわんさと詰めかけることになる。


 盆地の夏

 五月八日、火曜日。快晴。花梨は花の時期であって、そのピンクの花には風情がない。仕方がないから、部屋の窓から中庭を描くことにした。
 今年の拙宅の花見には、吉井画廊の吉井さんの経営する清春芸術村の清春という葡萄酒を持ってきてくれた人がいて、これがすこぶる美味であったことを思いだした。
「おい、うんと我儘を言ってみようか」
「なんですか」
 旅館の売店へ行ったが清春は売っていない。それを見ていた笹本社長が、ご自分用の葡萄酒を自宅から持ってきてくださった。昼から庭で酒盛り。けやきの大木が濃い影をつくっている。暑いのだけれど、さらさらした風が快い。なんともいい気分だった。途中一度入浴して、また葡萄酒。この清春は、一升瓶に詰めてある。それを、とうとう空にしてしまった。僕は禁酒中の身である。そうは言っても少しは飲む。少しは飲むんだけれど、スバル君と二人で一升というのは、この数年来にないところの大酒である。
 温泉治療で元気になったが、あまり健康になるのは体に良くないというのはこのことだ。酒が飲めない程度に体が丈夫というあたりがいい。ふらふらになって三度目の入浴。
 芸者が来た。湯村温泉の芸者である。
「もう飲めないよ」
「それなら昼間呼んでくれればよかったのに」
 それでも二合だけ飲んだ。この日はシシ鍋だった。
 色の白いのと黒いのと。一恵と福千代。どっちがどっちだったか。としの頃なら二十七、八。いや、三十七、八か。黒いほうは歌が上手だ。これは、おそらく湯村温泉芸者のNO・1とNO・2だろう。ここでも常磐ホテルの心遣いが身に沁みる。
「このひと、犬を散歩に連れてでるときにも日傘さして行くんだからね」
 黒いほうが白いほうを指さして言った。
「おまんこ
 こんどは、僕の隣に坐った白いほうが黒いほうを指さした。スバル君が記念撮影をしようとしている。
「はやく、おまんこっちぃこうし」
 こっちへおいでというほどの意味であるらしい。変なところで切るもんじゃない。ああびっくりした。
 まことに申しわけないのだけれど、昼の葡萄酒がきいてきて、早く芸者が帰らないかと、そればっかり考えている。そのかわり、翌日の昼に会うことにした。場所は湯村温泉街の柳の木の前の菊水というソバ屋。「ねえ、屹度きつとよ」
「わかった。ソバぐらいおごるよ」
「ゆびきりげんまん」
 五月九日、水曜日。快晴。暑い暑い。
「もう夏だな」
「その上衣、脱いだほうがいいんじゃないかな」
 僕は上衣を脱ぎ、スポーツシャツの袖をまくりあげた。
 湯村温泉街を歩くのは初めてのことである。〝本日、芸能センターで夜八時からストリップショー〟なんて看板が出ている。もう一晩泊ることにすればよかった。閑散としている。客がいるのか、いないのか。日射しが強い。甲府が賑わうのは、なんといっても葡萄の秋である。葡萄畑の紅葉は悪くない。
 なるほど、川があり橋があり、いかにも温泉街らしい柳の大木があって、その前に菊水というソバ屋があった。僕はカケソバに卵。
「精をつけるんですか」
「まあ、そういうことだ」
 スバル君は、ザルソバ。ソバ屋のテレビが昼メロを放映している。探しあてた実の母がアル中でといった筋であるようだ。どうも、地方都市のソバ屋のテレビってものは、いつでもこんなストーリーのドラマばっかりであるような気がする。
 芸者は来なかった。

 ここまでを読んだスバル君が言った。
「変に疲れましたね」
「だから、また温泉へ行こうよ」
「気を使ってくれるっていうのは疲れますね」
「だけど、常磐ホテルってのはいいだろう」
「ええ、もう、最高です」
「みんな一所懸命だった」
「私たちが帰ったあとで、従業員一同で万歳三唱したんじゃないでしょうか」
「そんな感じだった」
「その事件っていうのは何ですか」
「それは書くわけにはいかない」
「でも、そうすると、読者のほうで、何かとんでもない大事件があったと推測してしまうんじゃないでしょうか」

「だとすると、常磐ホテルに迷惑がかかりますね」
「そうかなあ」

 十年ばかり前のことだった。
 僕は女房と二人で常磐ホテルに泊っていた。
 午前四時頃、部屋の扉をドンドンドンと激しく叩く音がした。続いて、男が一人、部屋に闖入ちんにゆうしてきた。
「おう、二人寝てるな。異常ないな」
 そう言って出ていった。〝ごめんください〟でもなく〝失礼しました〟でもなかった。僕は、一瞬、これは戦前にあった臨検ではないかと思った。
 余談になるが、臨検という言葉を説明するために、滑稽な挿話を紹介することにする。
 僕の知人で、ある会社の社長の話だ。
 彼は、結婚して、その新婚旅行に際して、ありきたりのものではなくて、何か変ったアイディアはないものかと考えた。彼は予約をせずに新妻を連れて京都の宿屋を泊り歩くことを思いついた。これは卓抜なプランである。実に洒落しやれている。
 ところが、なんと、臨検にあってしまうのである。予約をしていない。新婚旅行だから大荷物を持っている。大金を所持している。当時は、怪しい若い男女は、こうやって、不意に警察の取調べを受けるということがあったのである。
 ところで、僕の場合であるが、僕としては珍しく烈火の如く怒ったのである。僕の女房は心臓神経症の気味があって、よくよくのことでもないかぎり二人で旅行に出るなんてことはできないのである。だから、僕は、ハレモノにさわるような感じで連れて歩く。
 ――それをまあ、ところもあろうに、時もあろうに、という思いが爆発してしまった。常磐ホテルでは、すぐに支配人が手土産てみやげを持って鄭重ていちように詫びにきた。というのが事件の概略である。
 後になって、次のような事情であることがわかった。常磐ホテルの前に、酔っぱらいの行き倒れがあった。どこの誰ともわからない。そこで、もし泊り客であったとすると困るので、各部屋を警備員が調べて廻ったというのである。つまり、社長にも従業員にも罪はなくて、巡りあわせが悪かったということだ。
 そんなことがあったので、以後ずっと、僕の熱愛する常磐ホテルを敬遠する仕儀となっていた。
 僕は、いつでも迷ってしまう。判断がつかない。無礼な仕打ちを受けた場合に、我慢すべきか、怒るべきか。怒ったほうがいいのかわるいのか。その事件の場合、僕の取った態度が正しかったのか、そうでなかったのか。
 温泉ガイド
 湯村温泉

■ところ・足の便 山梨県甲府市湯村 中央線甲府駅からバス10分。
■観光 武田神社、山梨県立美術館など。
■宿 常磐ホテル
■近況など 南アルプス連峰、昇仙峡、富士五湖巡りの宿泊地として最適。広大な自然庭園は、園遊会や野立てなどにも利用されている。また、武田信玄ゆかりの田舎の旧家を移築した、炉端焼の「田舎家」は、特に都会の人に喜ばれている。

湯涌白雲樓のヤマボウシ


昼は車夫、夜は三助。怪人物倫敦屋は八面六臂の大活躍。
競馬場に遊び、日本海の魚に舌鼓初夏の金沢は言うことなし。

 金沢片町倫敦ロンドン

 六月七日、木曜日。金沢へ行くことになった。金沢といえば湯涌温泉である。湯涌温泉といえば白雲樓ホテルである。こんどはドスト氏が同行してくれる。ドスト氏とスバル君と僕の三人。わるかろうはずがない。その日を楽しみにしていた。わくわくする。ゆわくわくわくでもって六月七日の夜を待っていた。
 金沢には倫敦屋という怪人物がいる。やや狂的と言っていいほどの僕の愛読者フアンである。彼は僕の書くものを読み、僕の行く酒場を探索して、それを部分的に真似たバーを金沢片町に造ってしまった。ある部分は西銀座のクール、ある部分は東銀座のボルドーといった按配である。だから、倫敦屋へ入ってゆくと、ちょっと妙な気分になる。金沢という古都に、こんな東京風の凝った店を開業してどうなのかと心配していたが、意外や、これが大当り。こんど増改築して、百人以上が坐れるという大きな店になった。思うに、凝った造りが、例のカフェ・バーの流行にぴったりと一致してしまったためではないか。
とにかく、主に若いアヴェックが、わんさかわんさか詰めかけるのは壮観というほかはない。増改築完成の日の入場人員は四百七人であったという。こうなると酒場ではなくて劇場だな。
 僕が金沢へ行くのを知った倫敦屋は、毎日のようにスバル君に電話を掛けてくる。やれ内灘うちなだ海岸のアカシヤの咲き具合、やれ天候と温度、やれ金沢駅から白雲樓までの所要時間、白雲樓から内灘海岸までの所要時間、等々。彼は、毎日、自動車でもって所要時間を計る練習をしているという。僕が行く予定にしている所までのすべての道路状況を調べ所要時間を計算してスバル君に報告してくる。
「大変なれ込みようです」
 とスバル君が驚いている。
 もうひとつ。僕は『草競馬流浪記』という全国の公営競馬場を歩いた紀行文でもって、金沢競馬場は、北海道の旭川競馬場と兄たりがたく弟たりがたい日本一の競馬場だと書いた。これが石川県知事中西陽一氏の目にとまった。山口が来沢する際は、しかるべく歓待せよという指令が出たかどうかは知らないが、競馬場関係者も焦れ込んでいるという。
 さらに、もうひとつ、つけ加えておきたい。金沢へ行くときは、夕食は鶴家ときめている。僕は鶴家の河田三朗さんが大好きだ。将棋ファンなら河田三朗さんの名に聞きおぼえがあるかもしれない。県代表クラスの強豪で、最近でも、二上九段、米長王将を飛落でもって連破した。いや、将棋のことはどうでもいい。僕は、料理人としての河田さんにしびれている。彼は日本海を愛している。魚は日本海、野菜は北陸と決めこんでいるようだ。そのうえ人柄がいい。腕のいい板前は、どうかすると威張ったりするのがいるが、彼には寸毫すんごうもそんなところがない。悠揚迫らず春風駘蕩たいとう、それでもって実力者だけに備わるところの威厳がある。その河田さんが、これも新装開店の「つる幸」に移った。めでたい。「つる幸」の料理をドスト氏と食べ役であるスバル君に食べてもらう。これも大きな楽しみのひとつだ。金沢へ行ったら変な金沢料理を食べるなと僕は言いたい。
 六月七日、木曜日。木曜日というのは、僕が二十年以上にわたって連載を続けている週刊誌の原稿の締切日である。それを書き終って寝台特急でもって金沢へ行く。まるまる一週間の解放感はいかばかりのものであろうか。
 週刊誌の原稿枚数は八枚である。テーマがきまって昼から書きはじめた。三枚、四枚、五枚。あと少しだと思ったとき、ほとんど法悦エクスタシーといっていいような感情に包みこまれることになった。この人生に、こんなに喜ばしいことがあろうか。
 午後四時。ついに八枚の原稿が完成した。その瞬間に気も狂わんばかりの絶頂感に襲われることを予測したが、そうはならなかった。僕を襲ったのは脱落感だった。なんだか気落ちしてしまった。やれやれ。ぐったりとしている。疲れている。
 なんのことはない、僕も焦れ込んでいたのである。気合の乗りすぎていた馬が向正面で失速するようなものだ。それに、そもそも、僕という男は根が暗いのだろう。


 アカシヤとヤマボウシ

 六月七日、木曜日、午後九時五十分上野駅発、寝台特急「北陸」。
 パラオ君が送りにきている。缶ビール、ウイスキイ、それに田原屋のサンドイッチ。パラオ君の趣味が向上したのか、ボーナスが出てふところが暖かいのか。とにかく、その田原屋のサンドイッチが美味うまかった。
「お気に召さなかったら捨ててください。ウッウッウッ
「冗談じゃない。これは昔から永井荷風なんかが愛好したもんだ。あい願わくんば次回もこれにしていただきたい」
「陽気が悪いですから、道中呉々くれぐれもお気をつけになって、エッエッエッ
 そうなんだ。梅雨つゆ入り前。暑いんだか寒いんだかわからないような天気が続いている。
「弁当忘れても傘忘れるなって言いますからね、北陸では。わたしは、ちゃんと傘持ってきました」
 ドスト氏が鞄を開いて見せてくれた。僕はそんな便衣べんい隊みたいなことはしない。
 駅の別れ。まして上野駅。まして夜行寝台。列車はするすると動きだしてパラオ君のはちきれそうな頰が遠くなってゆき、それも柱の陰に消えた。
「旅の夜風がやけに身に沁みるなあ」
「そんなこと言ってないで、ビールぐらい飲みましょう。明日の朝、金沢着は六時三十九分です。富山あたりで起きられると、ちょうどいいと思います」
 スバル君は常に現実的である。

 やっぱり一睡もできない。僕、駄目なんだ。魚津でスバル君を起こし、高岡でドスト氏を起こした。悪い男だ。ドスト氏のような平常心の人は、どこでもよく眠る。僕なんか、一晩中、総イレ歯をはずすべきか否かを考えていた。はずせば歯茎を休めることができるが、そのかわり、夜っぴてこれを見張っていなくてはならない。そう言えば、ドスト氏は歯茎のことを歯ニクと言うなあ。イレ歯をはめたままだと痛いなあ。その点、個室寝台なら洗面所つきだから有難かったんだけれどなあ。そんなことを考えているうちに夜明けてしまった。日本海は雨。その青田が美しい。
 金沢駅の改札口に倫敦屋が直立不動の姿勢で立っていた。彼も眠れなかったという。
 小雨だが、かまわずに、倫敦屋の運転で市街を突き抜け、日本海へ行った。
 前回、金沢へ行ったのは去年の四月の下旬だった。日本海の防風林になっているアカシヤを見に行ったのだが、ちょっと早くて花は見られなかった。それで今度は六月七日出発にしたのである。ご承知のような今年の気候。一カ月半おくらせた。倫敦屋はヤキモキしていた。どうやら、アカシヤは終り加減というところであるようだ。倫敦屋がカセット・テープのスイッチを押した。
 〽アカシヤの雨にうたれて、このまま死んでしまいたい
 倫敦屋というのは、こういう男なのである。つまりは演出家、異常なほどの凝り性である。しかし、なんという陰気な歌であることか。こういう歌がヒットした時代というものが、僕には見当がつきかねるのである。
 アカシヤの花というのは、白い短い藤の花房だと思ってもらいたい。地味な花だ。
 僕は自動車の窓をあけた。たちまち芳香が押しよせてきた。せ返るとはこのことかと思った。
「倫敦屋さん、あなた、髪にヘリオトロープをつけていますか?それともチックかなんか」
「いいえ。なんにもつけません」
 それが群生するアカシヤの匂いだった。
「このあたり、アカシヤに見とれて事故を起すことがあるそうです」
 アカシヤの白一色の間に日本海が見える。そういう場所を倫敦屋はずいぶん探したんだそうだ。たしかに、そういう小高い場所があるにはあった。描いて描けないことはない。しかるに、いかんせん、雨である。雨では水彩画は描けない。僕らは、あきらめることになった。
 湯涌温泉へ直行。
「おい、まだ十時半だぜ」
 白雲樓でも部屋の準備ができていないだろう。
 江戸村と檀風苑へ行った。どうやら、江戸村も檀風苑も白雲樓ホテルの所有地であり、白雲樓ホテルで経営しているらしい。
 このあたり、金沢市郊外の山岳地帯で、温泉地と避暑地とを兼ねているのではないか。檀風苑には加賀の伝統工芸に関する製作用具が展示されているが、金箔きんぱく用の諸道具が珍しい。僕思うに、金沢という地名の由来は、きんさわに扱う所ということにあるのではないか。
 ヤマボウシが満開である。僕の一番好きな花だ。僕の家にも二本のヤマボウシが植えてあるが、その純白の花の色が違う。群がって咲くその密度が違う。スバル君も倫敦屋も、すっかりヤマボウシが気に入ってしまったようだ。
 ショウジョウバカマとシャガも満開。シシガシラ、クジャクシダなどの羊歯しだ類がいい。
「この宝塚、少し頂いていきましょうか」
「ここは駄目だよ。白雲樓さんに断って山へ入ればいい。だけど、宝塚って何だい」
「だって、ショジョバカマでしょう」
 倫敦屋は、ショウジョウバカマ(猩々袴)をショジョバカマ(処女袴)と受けとったらしい。


 三助のスタイル

 白雲樓ホテルに着いた。湯涌温泉は、すなわち白雲樓ホテルだと思ってもいいのではないか。巨大な旅館である。
 その白雲樓の玄関の前に、春風亭柳昇のような人物が立っていた。
「春風亭柳昇と言えば、いまや我が国ではわたくし唯一人であります」
 そんな顔をしている。これが番頭さん、いや、営業担当重役だろう。いったい、スバル君は、どういう触れ込みでもって宿泊の交渉をしたのだろうか。その疑いは、部屋に通されるに及んで、さらに濃くなった。
「どうなんだい?」
「ええ、まあ
 麒麟きりんの間。十八畳の部屋に、十二畳の次の間。廊下に応接セット。内風呂。便所がほぼ八畳敷。これじゃ、小便に行くのだって、くたびれちまう。係りの女中二人。入口にオナラブル・ゲスト・ルームと書かれている。麒麟の間をかしこきあたりの泊る部屋とするならば、倫敦屋が泊ることになった書院造りの麝香じやこうの間は、さしずめ入江侍従長の部屋に当るだろうか。
 さっそく、大浴場(仙人風呂)へ行く。エレベーターで五階から地下へ。麒麟の間から仙人風呂までの距離を二百五十メートルとする。例の温泉の好きな重役は、温泉へ行けば八回は入浴するのであるが、往復合計四千メートルは歩くことになる。四千メートルと言えば中山大障害だぜ。二泊すればグランド・ナショナル大障害レースだぜ。
 その大浴場からもヤマボウシやホオノキの花が見える。敷地六十六万平方メートル。
 ドスト氏とスバル君と僕。お互いに背中の流しっこなんかしてるのに、いっこうに倫敦屋が入ってこない。恥ずかしがっているのかと思ったら、そうではなかった。
ふんどしとパッチを白にしようか赤にしようか迷っていたんです。さらしは白しかありませんが」
 入ってきた倫敦屋を見て、僕らは叫び声をあげた。
「あれッ!」
「どうしたんだい!」
「ギョッ!」
 倫敦屋は完璧なる三助の姿であらわれたのである。石川県は富山県とならんで風呂屋の本場である。三助の産地である。
「昼は車夫。夜は三助。そのつもりで研究してきたんです」
「その割には、その鉢巻がいけない。その結び方は三助ではなくて駅伝ですよ」
 そう言ったのはドスト氏である。
「あるいは助六か。しかし、よくそんなものが揃ったね」
「ええ、さすがに売っていなくて、芝居をやっている友人に借りたんです」
「褌を貸し借りするってのはよくないな」
 練習したにしては流し方がうまくない。もっと、パンパンと音をたてなくちゃ。
「おい、ちょっと待ってろよ。女の客が入ってきたら、一人百円で稼がせてやるから」
 混浴になっているのだが、ついに女性客はあらわれなかった。倫敦屋は糠袋ぬかぶくろも用意していた。
 すっかり長風呂になってしまったが、あがったあとの山の風がこころよい。この湯はキリキズに卓効ありという。源泉を飲めば胃潰瘍かいように良いそうだ。昔から胃にただれがあると医者に言われている僕なんかには絶好だ。その源泉が常にコーヒー・ショップで冷やしてあって、朝昼晩、ずいぶん飲んだ。十五年ほど前、下部しもべ温泉で源泉を飲みすぎてあたったことがあったが、今回はそんなことはなかった。もっとも、下部のときはウイスキイを一瓶、源泉を一升、水割にして飲んでしまったのだが
 湯涌温泉の源泉、やや塩からく酸味があって、やわらかく、味もノド越しもいい。


 ドスト氏の霊感

 六月九日、土曜日。金沢競馬場へ行った。なぜ競馬場へ行ったかというと、
 一、金沢競馬場のロケーションは日本一である。河北潟の埋立地であって水田が美しい。晴れた日に、その水田に白雲が映る様は、なんとも形容しがたい。右に日本アルプス、左に能登宝達ほうだつ山。ひろびろしていて気がせいせいする。
 一、馬場の整備が行き届いていること。従って落馬事故が非常に少い。場内清潔。その筋の男を見たことがない。
 一、番組面の充実。全国のトップをきって連単制に踏みきった。一日九レースであって少頭数のレースがない。中央から名馬がおりてくる。このように番組面にいろいろな工夫がある。いま、市内での場外同時発売を検討中であるそうだ。
 一、関係者の熱烈歓迎。
 など、いろいろに言訳を考えるのだが、要するに、僕、ギャンブル好きなのだ。それに、この温泉紀行、温泉だけでは退屈してしまう。そうして、ここが一番肝腎なところであるのだが、競馬場というのは、だいたいにおいて眺めの良いところに存在する。机がある。椅子がある。来賓席は天井まで総ガラス張りで、どこでも見渡せる。冷暖房完備。食堂があり喫茶室がある。つまり、絵を描くときに、こんなに具合いのいい場所はないのだ。
 唯一の難点は、目の前を馬が走っていて、その馬券を買っているのだから気が散るということだ。
「キャア! こんな良い所があるのを知りませんでした。昨日一日無駄をさせてしまった。クックックウッ
 倫敦屋が泣いた。それは彼の責任ではない。倫敦屋にはマゾッ気があるのであって、常に泣く材料を探しているのである。
「夫の我慢は家庭の幸福」
とか、
「うちの奥さんはお綺麗な方です」
 と言ったりする。それは事実であって、倫敦屋の繁昌の原因の大半は、夫人の美麗によるものだと思われる。
 特筆すべきは、この日、倫敦屋がジャムパーの下に、ジョッキーの着る真赤なペラペラの勝負服を着こんできたことだ。あるときは酒場の経営者、あるときはトヨタ・クレスタの運転手、あるときは富山の三助、あるときは草競馬の名騎手。端倪たんげいすべからざる人物というのは彼のような男を指すのだろう。
 ドスト氏は、絵を描きながら、
「はい3番、はい5番」
 と言ってスバル君に金を渡す。買うのは単勝式だけ。これがよく当る。的中率五割強。また、ドスト氏の買った馬は、すべて三着以内に入着する。霊感おそるべし。複勝式ならパーフェクトであった。そのあげく、
「競馬って面白いもんですね」
 と涼しい顔で言ったりする。
 僕のところに地方新聞の若い記者が取材にくる。何を言っても、
「ふうん、ふうん」
 と相槌あいづちを打つ。誰もがそうなのだから、これは若いジャーナリストの間での流行なのかもしれない。感心しているのか馬鹿にしているのか、よくわからない。
「いまのレース、いくら買ったんですか?」
「そんなことには答えない。こっちの勝手だ」
「ふうん。当りましたか」
「当らない」
「ふうん。どのくらい儲かりましたか。あるいは、どのくらい損をしましたか」
「そんなことに答える義務はない」
「ふうん。勝新太郎なんか一レースに五百万円も買うそうですが」
「そんな買い方はしない。勝新太郎や北島三郎とは違うんだから」
「ふうん。いままで、競馬でどのくらい儲けたことがありましたか」
 だんだん、腹が立ってきた。
「そういう質問をすると、寺山修司はとても怒ったんだよ」
「ふうん。なるほどねえ」
 寺山修司は、競馬では平均するとどのくらい儲けていますかと質問されて激怒した。怒った寺山は、
「競馬は平均するもんじゃない」
 と叫んだ。
「じゃあ、反対に君に質問する。君の人生は平均すると楽しかったかね」
 僕は寺山の考え方に賛成する。しかしながら、僕と地方新聞記者とのヤリトリでもって、その日の僕の成績を察してもらえると思う。寺山修司も平均すると大損をしていたに違いない。
 ただし、僕には新聞記者の狙いもわかるのである。
〝作家の山口瞳氏、金沢競馬で大当り〟というようにやらないと社会面の記事にはなりにくいのである。
 終って、すぐに「つる幸」へ行った。言い忘れたが、この日は梅雨時の北陸には珍しい快晴だった。
 食べものに関しては端境期はざかいきであったが、日本海のイカがうまい、シマダイが絶品。
「先生がいらっしゃるとうかがったのでイワシを仕入れてきました」
 河田三朗さんが笑いながら言った。イワシは大好物だということはあるが、総じて僕は元値の安いものが好きなのである。いまだに、寿司屋へ行ってエビのオドリが食べられない。アワビのステーキなんかも駄目。すぐに懐勘定をしてしまう。根っからの貧乏性。育ちが悪い。
「イワシ、いくらだった?」
「大きいのを選(え)っていたんですが、それじゃあ困ると言われまして一箱買わされました。一箱で七百円です」
 僕、思わず、ニンマリとする。ええ、おい、どうだい、一箱そっくり喰ったって七百円だぜ。
「イワシ、何が出来る?」
「塩焼きにヌタにツミレです」
「じゃ、ヌタにツミレだ。減塩しているんで塩焼きは敬遠だ」
 そのツミレ、椀の蓋を取ると、ふわっと匂う。ナマグサイんじゃない。これはもう、うまいとしか言いようがない。
「このごろ、家庭でツミレをやらなくなった。スーパーでパック入りを売ってるから。あんなもの、ツミレじゃない。おい、どうだい、スバル君、このシマダイ、このツミレは」
「ううん
 スバル君がうなった。本当に唸った。
「このまま死んでしまいたい」
「それは困ります」
 と、河田さん。
 そのスバル君、シマダイのお代りをした。
「白身のサカナ、いちばん好きです」
 なに、うまいものは何でも好きなのだ。
 酒は日栄にちえい。これが何と言うか、いろっぽい御新造さんという感じ。白雲樓の黒帯という地酒も村娘の感じで悪くなかったが、日栄には奥がある。
 スバル君、塩焼きのイワシも食べた。あろうことか、アワビのステーキも食べた。さらに、能登牛のステーキ(石焼き)もオーダーした。少しずつお裾分けにあずかる。
 ほかに、スズキ、冷いトロロ芋のスープ。あとは忘れた。「つる幸」の飯は、きまっておこわである。小さな蒸籠せいろで出てくる。デザートのオレンジ・ゼリーもいい。
 いちばん好きな花のヤマボウシの満開を見た。公営日本一の競馬場で遊んだ。日本でもっとも好きな店のひとつである「つる幸」で食べた。オナラブル・ゲスト・ルームで寝た。温泉に入った。源泉をしこたま飲んだ。敬愛するドスト氏と一緒。言うことなし。
 六月十日、日曜日。予報が外れて雨。いったん家に帰っていた倫敦屋が戻ってくる。その姿を見て、二度、いや三度吃驚びつくり。登山帽、腰に手拭い。足に長靴、手にシャベル。すっかり植木屋の姿になっている。扮することの好きな人だ。
 シシガシラ、クジャクシダ、ショウジョウバカマ、シャガを掘ろうというのである。
「おい、それは有難いんだけれど、白雲樓さんの許可を得てくれよ」
「ええ、もう、話をしてあります」
 その倫敦屋が、ズボンをびっしょりと濡らして戻ってきた。ボール箱一杯の植物採集。
「そんなに持てない。宅急便で送ってくれないか」
 酒場の経営者だから、ボール箱は捨てるほど持っている。
「シャガを掘っていましたら、うしろから、誰の許しを得て掘っているんだって声がしたんです。私、ずるずるっと崖から落ちましてね。声の主はドスト先生です。悪い人です」
「来年、そのシャガが咲く頃、うちへ見にこないか」
 倫敦屋は、僕の狂的なファンであるけれども、いままで拙宅にあらわれたことがない。僕の行く東京の酒場や小料理屋はすべて踏破しているのだけれど
「ええ、まあ、そのうちに。でも、その勇気がないな」
 いよいよ変な男だ。
 僕、何度か金沢へ行って、こんなことを思った。
 金沢と京都とは違う。松江とも違う。湯涌温泉は箱根や伊豆とも違う。粗野だと言ってしまうと言い過ぎになるし、僕は決してそうは思っていないし、現に粗野と言うのは当っていない。しかし、金沢は繊細優美ではないと思っている。何かどこかに骨太なところがある。東のくるわ西の廓も祇園ぎおん先斗町ぽんとちようとは違う。芸妓もどこか違う。
うまく言えない。いま、僕は、金沢は、やっぱり能登だとしか言いようがない。それ以外に言えない。

 六月十一日、月曜日。金沢駅一番線ホーム。駅の別れ。朝の別れ。
 倫敦屋が直立不動の姿勢で立っている。ドスト氏とスバル君と僕とは、名古屋行の列車のなかにいる。
 倫敦屋の顔色が、いやに白い。硬直している。頰がぴくぴく動く。いかにも辛そうだ。
 ベルが鳴った。僕は頭をさげた。言葉がない。倫敦屋、疲れたろうなと思った。
 列車はまだ出ない。
 倫敦屋の目がうるんできたように思われた。少年の顔になってきた。僕は、あわてて目をそらせた。
 温泉ガイド
 湯涌温泉

■ところ・足の便 金沢市湯涌町 北陸本線金沢駅よりバス45分。
■効能 皮膚病、外傷、胃カイヨウ
■観光 江戸村、壇光苑、玉泉湖など。
■宿 白雲樓ホテル
■近況など 標高四〇〇メートルの高原にあり、避暑客が多い。館内には桃山様式の大広間があり、各部屋も書院造りになっており、さながら美術館を思わせる。料理にも力を入れており、月二回献立てが変わる。甘海老、蟹の他、鍬焼きがおすすめ品。

五島列島、かび臭い旅


長崎から船に乗って数時間、遥か来ました五島列島。
隠れ切支丹の跡を尋ね、東シナ海に臨む湯につかり、往時に思いを馳せました

 すべては運命だ

 東京駅八重洲口地下の喫茶店へ入って行こうとすると、背後から、
「むんず
 とばかり肩の荷物を引張られた。それがスバル君であることがわかっている。否も応もない。荷物はすべて彼に奪われた。(先生の荷物は持てるだけ持つ)を彼はモットーとしている。こういう同行者を彼以外に知らない。また、僕が出発の一時間前に駅に到着するのを知っていて、これに合わせてくれる人も彼以外に知らない。
「早かったね」
「ええ、まあ。パラオさんは見送りに来られないそうです」
 従って、田原屋のサンドイッチは食べられないことになった。僕はパラオ君を愛している。ほとんど熱愛している。担当が変って、なかなか彼に会えない。だから、旅行の際は、パラオ君は無理をしてでも見送りに来てくれるのである。ちょっぴり淋しい感じがした。
「愛ってよくわからないけど、傷つく感じがいやだな」
「すみません」
「きみがあやまることはない」
「だけど、先生、顔色がいいですね」
昨晩ゆうべ、徹夜したんだぜ」
「でも、とても血色がいいです。去年、碁点温泉へ行ったころは、言いにくいんですが、元気がありませんでした」
「そうかな。いや、そうかもしれない」
「温泉効果があらわれたのかな。だって、西伊豆以来、延べにして六十回ぐらいは入湯していることになりますから」
「温泉ってのはね、延べで計算するもんじゃない。湯治っていうのはね、二週間か三週間ぐらい温泉場に滞在して、一日に一回か二回入浴して、それではじめて効果があらわれるもんなんだ。きみンところの温泉の好きな重役みたいにね、一泊で七回も八回も入浴して、それで温泉効果を期待するのは間違っている。そりゃ、いったんは、すみずみまで綺麗になるだろうけれどね。それに、第一、僕の水虫は治っていない。血圧もさがらない」
 七月五日、木曜日、午後四時三十分東京駅発、寝台特急さくら号に乗ろうとしているのである。長崎着は、翌日の十一時五十二分。そこから船に乗って五島列島福江島へ行く。福江島に荒川温泉という温泉があり、豆谷旅館に泊る予定になっている。
 いま、こんな馬鹿な旅をする者はいない。東京駅から長崎駅まで、ざっと二十時間、そこから船で四時間半。合計一昼夜。これを飛行機にすると、なんと二時間で到着してしまうのである。
 なぜ、こんな馬鹿なことをするかというと、飛行機に乗るのが怖いからである。もっと正確に言うと「飛行機に乗っているあいだ生きた心地がしない。それが厭だ」ということになる。しかし、こういう旅をすると、激職にあるスバル君に迷惑を掛けることになる。それが、とっても心にひっかかる。どうやら、彼は「飛行機大好き人間」であるらしいのだ。
 僕の友人であるケネディ君が言った。
「わたしだって飛行機は嫌いです。汽車の事故だと、ニュースで死者何名、負傷者何名と言うでしょう。ところが、飛行機だと生存者ですからね。いきなり、生存者はでしょう。それで、必ず、生存者ナシなんです」
 そう、そう、その感じなんだ。ところが、ケネディ君は、よく飛行機を利用する。
 昔、タクシーに㊝マークというのがあった。優良運転手という意味だろう。僕は㊝を選んで乗った。ところが、この㊝を嫌う男がいた。
「㊝というのは十年間無事故という意味だろう。だから、統計学的に言って、そろそろ危いと知らせてくれているようなもんじゃないか」
 これにも一理ありと思った。
 このところ、大韓航空機撃墜事件以外、大きな飛行機事故はない。だから、これを諸機械の進歩、航空事情の良化と判断して、怖がらずに大いに飛行機を利用すべしという考え方がある。これが普通の考え方である。反対に、
「いやあ、人間のすることだ。人間なんて、そんなに信用できない。無事故が続いているからこそ、そろそろアリと思ったほうがいいぜ」
 という考え方がある。僕は、そっちのほうだ。
 博奕ばくち打ちにつらっ張りと裏っ張りとがいる。丁と出れば丁丁丁と押してゆくのが面っ張り、丁丁丁と続けば次は半だろうと考えるのが裏っ張り。僕は裏っ張りなのだ。
 六月十日のエプソム・カップをサクラシンボリが制覇した。この馬は腰が弱い。騎乗者の小島太は不調が続いている。全般に、サクラの馬はサクラショウリ以後、勝運に見離されている感がある。しかし、サクラシンボリは、本来、千六百メートルの持時計がよく、馬体に恵まれた実力馬である。末脚強烈。もうそろそろ、このへんでと僕は考えた。湯涌温泉へ行ったとき、金沢競馬場で大惨敗を喫したと書いたが、実は東京にいる都鳥君に電話で馬券を頼んで、そのぶんの取返しはついていたのである。後で知ったのだが、小島太の重賞制覇は一年七カ月ぶりであったそうだ。二着馬との着差はハナであったという。これは僕の推理が正しかったのではなく、すべては運なのだ。
 だからさあ、だから怖いんだ。無事故、無事故と続けば、ドカンと一発、大事故あり、生存者ナシ。すべては運命だ。
 愛するパラオ君は、こんなことを言う。
「たまさか乗るからいけないんです。こんなことを言っちゃ叱られるでしょうけれど、飛行機が落ちると、必ず遺族会御一行様なんてのが乗ってるんです。一生に一度、なんてのがいけない。商用でもって初中終しよつちゆう乗っている人は平気です。また、そんなのは落ちません。怖い怖いと思っていると落ちるんですね。はあ。うっへっへ。いっひっひ。そういうもんなんですね。ひっひっひ
 彼、意地の悪いところもあるんです。いつだったか、羽田から千歳へ飛んで、小樽を取材に行ったとき、見送りにきたパラオ君は、いそいで国電、地下鉄と乗りついで会社に帰り、テレビの前にかじりついて航空事故のテロップが流れることを期待して見ていたという。
「ところが、会社に着く前に、先生のお乗りになった飛行機は千歳空港に到着していたんですね。あんなに残念だったことはない」
 そりゃあんまりだぜ、パラオ君。


 ひとつの必勝法

 ところが、ここに、もうひとつの事情がある。
 僕は寝台車では眠れないのである。まず絶対と言っていいくらいに眠れない。寝台車→長崎→船→五島列島→船→長崎→寝台車という日程であると、いかにも強行軍であり過ぎて、これではヘトヘトに疲れてしまう。帰ってきてから一週間は寝込んでしまうことになるだろうし、場合によっては年内再起不能という事態も考えられる。
 それに、僕、船に乗ると酔うのだ。以前、隠岐島へ行ったとき、酔ってしまって、かえりは僕のほうで言いだして、出雲空港まで飛行機に乗った。なんのことはない、隠岐島から十五分ぐらいで着いてしまった。そのとき、飛行機は、なんて有難い乗り物なのかと思った。寝台車では眠れない、船では酔う、飛行機は怖い。ああ、僕のように厄介な男が、この世に二人といるだろうか。
 そこで僕は一大決心をして、スバル君に言った。
「よし、わかった、復りは飛行機にしよう。福江空港から大村の長崎空港へ飛ぶ。長崎に一泊して羽田まで、また飛行機だ」
「だいじょうぶですか」
「余計なことを言うな」
 僕は胸を張って言ったが、内心、シマッタと思っている。
「たかが五島列島じゃないか、たかが温泉じゃないか。たかが福江島の荒川温泉じゃないか。お前は、そんなものに命を賭けていいのか」
 僕が飛行機に乗るときに、もうひとつ考えるのは同行者である。機内を見渡して、この男と一緒なら絶対に落ちないと思うときは非常に安心である。
 さあ、誰の名を挙げたらいいだろうか。ぶっ叩いても死なない感じというのがいい。たとえば、生涯一捕手の野村克也である。昔、僕が野球の観戦記を書いていた頃、西鉄ライオンズが強かった。ライオンズの本拠地は平和台である。日本シリーズになると、デイ・ゲームだから、前夜のムーンライトという夜間飛行機に乗る。そのときの月光に照らされた雲は、この世のものとも思われぬ美しさだった。富士山の真上も飛んだ。「この富士を葛飾北斎知らざりき」なんて川柳をんだもんなんだ。こういうとき、同じく観戦記を書くムース野村は、飛行機が動きだす前に眠ってしまっていた。そうして、着陸してしばらくしてから、目をさまして、キョトキョトして、あたりを見渡していた。ここはどこ?私は誰?という感じだった。こういう人と同乗するときは絶大な安心感がある。いま御病気中だけれど、大山康晴十五世名人についても同じことを感じた。大山さんにムース野村の話をすると「私も同じです。すぐに眠ります。だって起きていたって時間の無駄じゃありませんか」という答が返ってきた。まことに、さもありなんと思った。
 さて、わがスバル君はどうだろうか。前に書いたと思うが、彼は、つい最近まで日本交通公社の職員だった。百五十人ぐらいの団体旅行のツアー・リーダーが勤まる男である。従って、彼と一緒に旅行すると間違いが起らない。だから、彼と行を共にするときは、旅行記につきものの失敗談が生じないのである。それが難と言えば難。その点、パラオ君、都鳥君、臥煙君などと旅をすると、失敗談まじりの珍道中になるのだが。しかし、正確無比の男と一緒に飛行機に乗ると、その飛行機は墜落しないという保証はどこにもない。航空事故は失敗談にはならない。すべては運命であり、結果はナッシングである。
 僕は寝台車では眠れない。そこで一計を案じた。
 プロの将棋指しに、ひとつの必勝法というものがある。ただし、後手番に限られる。ふつう、対局は朝の十時開始ときめられているが、前の晩に、何も考えずに、酒を飲んでしまう。飲み明かす。相手は、いろいろと策戦を練ってくる。こっちは、ひどい宿酔ふつかよい。事実、僕は、駒をつまんだ指を見ながら、この指先きまでまだ酔っていますなんて言った棋士の姿を見ている。そうして、後手番だから、相手に追従して千日手に誘導するのである。矢倉なんかは有効だし、たとえば伊藤はたす五段の風車戦法などは、下段の飛車を左右に移動させるだけで仕掛けない戦法だから千日手になりやすい。
 そうやって千日手が成立すると、飲み明かしたほうの棋士はグッスリと熟睡することになる。一方、相手の棋士は興奮状態が残っていて眠れない。策戦変更という気落ちもある。翌日指し直しになると、先手後手が変る。熟睡したほうの棋士が先手番になるのであって、これ唯一の必勝法だと言うのだが、はたしてどうなのか。あんまり偉い棋士が採用したという話を聞いたことがない。
 出発の前日、すなわち七月四日は仕事に精出して、首尾よく徹夜ということになった。明け方から酒を飲んだ。ところが女房の機嫌がすこぶる悪い。女房は僕が隣に寝ていないと眠れないという女なのである。もう、お互いに五十七歳、そっちのほうのことではなく、長年の心臓神経症のためだ。女房は、僕が床にくという段になって誘眠剤をむ。いまかいまかと思って横になっているわけだから、朝、仕事机の前で酒を飲んでいる僕を見たら機嫌が悪くなるのは当り前だ。こっちにすれば、妻子のために仕事に精出してイヤな目で見られるのは、どこか釈然としない。
 釈然としないまま、しかし、徹宵てつしようには成功して、僕、なにか中途半端な気持で寝台車に乗りこんだのである。そもそも、復りを飛行機にするというあたりで、女房は平静ではなくなっていたのである。女房の考え方は、こうだ。
「空の高い所で椅子に腰かけているなんて、とっても厭!」
 どういうわけか女房を贔屓ひいきにしてくれる池波正太郎さんは、こう言う。
「それが正常な神経の持主の考え方です」


 口も荒いが気も荒い

 ついに僕は寝台車に乗りこんだのである。このA寝台という奴、言うまでもなく飛行機よりも料金が高い。
 すぐに食堂車へ行った。そうして、禁酒中の僕としては珍しく大酒を飲んだ。これで備えは万全だ。眠れるはずである。
「五島列島というところは」すでに荒川温泉へ行ったことのあるスバル君が、やや昻奮気味に言った。「魚がうまいんです。特にイカがうまい。生がわきのミズイカのスルメ。これ最高です。大きいのになると、一枚一万円はします」
「五島列島というところは」無知なる僕が言った。江の島の倍ぐらいの大きさだと思っていたんだ。正直に言うと、長崎から橋が懸っていると思っていた。長崎から船で四時間半と聞いて驚いた」
「橋を渡って行かれるのは平戸ですよ。厭ンなっちまうな。まあいいや。とにかく魚がうまい。そうそう、ハマチが最高です。天然ですから、ぜんぜん違う」
「そうだろうな。あんな所へ行って養殖のハマチが出るわけがない。なにしろ玄界灘だからな」
「東シナ海です」
 僕は、小倉生まれで玄海育ち、口も荒いが気も荒い、と無法松を鼻歌で歌った。意気は大いに揚ったのである。
「飯はどうするかね。長崎チャンポンでも喰うかね」
「言うにゃあ及ぶ。むろん、そのつもりです」
「皿ウドンとどっちがいいかな」
「チャンポンです」
 長崎行きのこの列車の食堂には、そんなものも用意されていた。皿ウドンにしなくてよかった。皿ウドンのでっかいこと、量の多いこと。僕等は長崎チャンポン。すなわち、すでにして長崎異国情緒気分は、いやがうえにも高まっていたのである。
「おい、ウイスキイがあったな」
「へい」
 僕等は喫煙室へ行って、ウイスキイを飲んだ。そこへ車掌が来て言った。
「もうお客様がおやすみになっていますから、お静かにお飲みください」
「うるせえな。そんなこと、わかってらあ」
 その僕の声が高くなっているのを自覚する。時計を見ると十一時。頃はよし。
「じゃあ、寝るとするか」
 しかるに。しかるに、だ。僕、眠れないのである。なんたることか。あの将棋必勝法、間違っているんじゃないか。
 仕方がないので、一人、起きだして喫煙室へ行った。午前四時半。もう明るい。この程度の酒では僕は宿酔しない。ただ疲れている。ヘトヘトに疲れている。これから長崎に着いて、すぐに四時間半の船旅か。うつつ心でもって煙草を吹かしている。所在ないとはこのことか。
 車窓から見る満開の紫陽花あじさいが梅雨の終りを、咲きはじめた合歓ねむ夾竹桃きようちくとうとが初夏の到来を告げている。


 長崎から船に乗って

 昼前に長崎に着き、長崎港で手続きをすませた。何か食べないといけない。港の待合室に立ち喰いのウドンとオデンの店がある。
「あれ、食べましょうか」
 僕はスバル君の提案を退けて、二階の食堂へ行った。二階から港の風景が見えるのではないか、早描きで一枚描けるのではないかと思ったこと、チャンポンがまだ胸につかえていてウドンを敬遠したいと思ったこと、二つの理由でもって二階へあがっていった。
「カツカレーかな」
 これが失敗だった。カツの油が悪い。カレーが、ちょっぴりしかかかっていない。
「なんだこりゃ」
 港の風景もイマイチで絵にはならない。こうなると、眼下に見えるウドンの屋台店がバカにうまそうに思われてくる。スバル君にさからうと、ろくなことはないのである。そのウドンの店に九州商船の女子社員がたかっている。
「こういう、ね、女の社員が喰ってる昼食ってのがうまいんだ」
「ほら、ごらんなさい」
 長崎九州商船フェリー福江が港に入ってきた。どの客もヘトヘトに疲れきっている様子だ。
「おい、みんな疲れきってるぜ」
「そりゃそうですよ」
 それ、どういう意味だ。前途多難だと思った。カーフェリーだから安心です、揺れませんと言ったのは誰なんだ。フェリー福江は、ちっぽけな船だ。全長八十メートル。
 その特等室。なに、特等室と言ったって、一等、二等と変りがない。雑居房といった感じだ。オシボリとお茶をボーイが持ってきた。そこが一等や二等とは違うんだと思うことにした。ボーイにチップをやらなかった。
「あ、しまった。船暈ふなよいの薬を買うのを忘れた。シーシックかなんか持っていないか」
金盥かなだらいならそこにありますよ」
 スバル君、厭なことを言う。僕、そんな気分になっちまっている。助けてくれ。
 横になっていたスバル君が起きだして船室を出ていった。
「これ、どうですか」
 どこでどう都合をつけたのか白い錠剤をさしだした。トラベルミンという薬。不思議な男だ。
 道中なんの話もなくというのは噓で、船室に横になっていると、頭から地の底に引きずりこまれるような思いをする。その次は足のほうから海底に落ちてゆくような感じ。つまりは大きなローリング。トラベルミンのおかげで助かったということにしておこう。金盥のお世話にはならなかったが、かくすること四時間半。五時を廻ったところで福江港に着いた。埠頭にレンタカーの女事務員が出迎えにきてくれていることになっている。
「おい、わかるのか」
「顔を見ればわかります」
 その言葉通り、スバル君は、一発で女事務員を探しだした。
「五島の女の顔って、わかるんです。丸くって、ひらべったくって、鼻が低いんです」
 どうやら、森昌子をぐっと悪くしたような顔であるらしい。しかし、その女事務員は、なかなかの美人だった。
「可愛らしいけれど、あれ、亭主持ちだぜ」
 足が地面について、安心すると、余計なことを言うのが僕の悪い癖だ。
 僕思うに、五島列島の女の顔は、名産であるところのミズイカとケンサキイカ(こっちは細面ほそおもて)の二種類に別れるのではないか。それにしても、福江港に迎えに出ていた女は、すべて五島の人で、どうして、それがレンタカーの女事務員だとわかったのか。どうもスバル君というのは変な男だ。
 福江市内というのは厭なにおいがする。言ってみれば、汗臭いタオルの臭いだ。
 福江市から、スバル君の運転で、さらに一時間。ついに、ようやっと、荒川温泉豆谷旅館に到着した。六時を廻っている。
 部屋で裸になって、すぐに入浴。塩分だけかと思ったが、旅館の人は硫黄泉だという。熱い。七十度の湯が湧きでるそうだ。風呂場から浜木綿はまゆうの花が見える。名前のわからないシャガに似た赤い花、百合の花。
「ああ、極楽、極楽」
「命があるっていうのは、いいもんだな」
 部屋へ戻ると夕食の支度が整っている。スバル君の目の色が変った。
 イシダイ薄造り、ウチワエビ、天然ハマチ、キビナゴ、サザエ、アワビ、アジのたたき。
「お疲れさまです」
「あんたこそ疲れたろう。荷物は持ってくれるし、運転はするし、その他いろいろと
「なにしろ、二十四時間です。いや、それ以上です。四時半に列車に乗って、いま七時ですから。この時間があればニューヨークまで楽に往復できます」
 七時になったが、まだ明るい。ぜんぜん明るい。昼間のようだ。そう言えば、夕食を六時半にしてくださいと言ったら、旅館の嫁さん(この女性はケンサキイカ)も内儀(こっちはミズイカ)も変な顔をしていた。なにしろ、八時になっても明るいのである。ずいぶん西のほうへ来たものだ。
「これ、永遠に暮れないんじゃないか」
 九時になり、やっと暗くなったので外へ出た。荒川温泉は、嵐のときの避難港だった。そう言えば察しがつくと思うが、遊廓の町だったのである。お女郎衆が五、六十人もいて、朝から太鼓と三味線でもって大変な賑いであったという。いま、それとおぼしき構えの店があるが、大袈裟おおげさでなく、町は人っ子一人通らない。赤線が廃止になって急にさびれた。いや、それよりも、レーダーというものが進歩して嵐が怖いものではなくなったのである。
 コーヒーを飲みに出たのだが、教えられたシオサイという店に人がいない。仕方なく酒場に入った。老いたるケンサキイカが出てきて、電気をけ冷房のスイッチをひねった。BGMを流そうとするから、それは断った。そんな音が流れたら余計に淋しくなる。
「カラオケ、やらないんです」
「おや、珍しい。こんな店でも女の子が一人いるんですよ。今日、昼間、お客さんが五人ばかり見えまして、その子、一升も飲んじまって、宿酔で倒れちまったんです」
 泣かせるじゃないか。売上げをあげようと思って頑張ったんだ。
「水割と、何か乾いたもの、ください」
 出てきた南京豆が、僕の歯ではめなかった。固いんならいいんだ。そうじゃないんだ。南京豆がヒネタクワンのようになっている。湿気しけているなんていう段じゃない。
「この南京豆、去年仕入れたんじゃないのか」
 ケンサキイカは笑って答えない。
「ねえ、スバル君、さっきのキビナゴうまかったなあ。九州じゃあキビナゴだが、あんなうまいの喰ったことがない。ああ、いや、サザエも上等だった」
「ぼくはイシダイの薄造りだな。ここでは薄造りが自慢なんです。新しすぎて厚くては嚙みきれないという意味でしょうか」
「イシダイもよかった。それに、あのハマチ」
「だから言ったでしょう。天然は違うって」
 その夜は、行軍で疲れきった兵隊が眠るようにして眠った。本当に地の底に引きずりこまれた。


 九死に一生を得て

 七月七日、土曜日。スバル君の運転で島内を一周した。三井楽みいらく町の海水浴場は、とても美しい。タヒチの海とよく似ていた。セルリアンブルーが限りなく透明に近い。大瀬崎大断崖を見た。ルルドの聖地と呼ばれる井持浦天主堂を見た。堂崎天主堂へ行った。ここの煉瓦れんがの教会を描くつもりだったが、工事中でショベルカーが邪魔になって、うまくいかない。その海岸で貝を拾った。赤貝に似ていて、その中心部にマリア様が立っているように見える。隠れ切支丹キリシタンの誰かが守り本尊にしていなかったと誰が言いきれようか。その貝をスバル君に見せた。
「どうだい、真中のところが赤くなっているだろう。マリア様に見えないか。ほら、うっすらと」
「そうですね、うっすらと。うっすらと生樽なまだると書いてありますね」
「バカ!」
 堂崎天主堂へ行くときに、珍しくスバル君が道に迷った。道路標識が壊れていたのである。しかし、それが良かった。両側の崖が羊歯しだ類におおわれた曲りくねった山中の細い道に迷いこんだのであるが、離島保護政策だか何だか知らないが、どこでも完全に舗装されている。まったく人に会わない。そうして、突然、頭上に家があらわれるのである。足下にテレビ・アンテナが見えたりする。これが隠れ切支丹の〝隠れの里〟ではないかと思った。
 福江島というのは、全体の感じが屋久島によく似ている。緯度でいうと、ずいぶん違うのだが、亜熱帯の感がある。地熱のせいだと言う島の人がいた。
「九州のようで九州じゃない」
「韓国のようで韓国じゃない」
「済州島のようで済州島じゃない」
「熱帯のようで熱帯じゃない」
「そこはどこかと尋ねれば、ゴトゴト五島の福江島」
 そんなことを言いあったものだ。
 ルルドの聖堂のそばのパンドラという店でコーヒーを飲んだ。入江にたくさんの浮標ぶいが浮いている。
「あれは何ですか」
 と店の女性に訊いた
「右のほうが真珠です。左のほうは、ハマチの養殖です」
 そのときのスバル君の顔を誰かに見せたかったな。彼は、一瞬ポカンとして、少し経ってから笑いだした。バツが悪いという言葉は、このときのスバル君のためにあったという気がする。しかし、豆谷旅館のハマチは美味だった。たとえそれが養殖であったとしても
 福江の町で昼食をった。町の臭いを、はじめ、僕は、中心地に魚市場があるためではないかと考えた。どうも、そうではないらしい。土産物の店へ入っても同じ臭いがする。
「どうだい、昼飯は、小綺麗で冷房のきいた中華料理店、味は問わず、というのは」
 僕が提案して、そんなような店に入った。僕がラーメンでスバル君がワンタンメン。僕は悪くないと思ったのだが、スバル君はすぐにはしを置いた。
「おやめになったほうがいいですよ。このラーメンの玉茹でる前は玉になっているでしょう。その玉がわるくなっています」
 急に低声こごえになって言った。
「腐っているのか」
 僕も低声になった。僕の提案が成功することはめったにはない。
「コーヒーとトーストなんかがよろしいかと
 スバル君の提案で中華料理店を出てUCCコーヒー店に入った。ここも、なんかかび臭いが、五分もすると馴れてくる。麻痺まひしてくる。
「わかりました。急に暑くなって、急に冷房装置を使いだして、そのクーラーの機械が黴びているんですよ」
 スバル君は、なんでもこんなふうに分析し、断定する人である。じゃあ、町中全体が黴びた冷房装置なのか。
 水浦教会へ行って絵を描いた。ここは絶好の場所なんだが、失敗してしまった。まあ、そんなこともあるさ。しかし、僕が五島くんだりまで怖い飛行機を利用してまでも出かけていったのは絵が描きたかったからである。口惜しくって仕方がない。失敗の最大の原因は、僕の持っていった画用紙が黴びてしまって(専門用語で紙が風邪を引くと言う。水彩絵具をはじいてしまう)いて、少しも染みこまなかったためである。
 暑い日だったが粘りに粘った。天上から音楽が鳴った。

 〽主よ、みもとにちかづかん

 数カ月前に銀座のPという酒場のママさんが亡くなって、基督キリスト教信者だったので、銀座教会で葬儀が行われた。久しぶりに基督教の葬儀に列席して歌ったのが、その讃美歌である。あのママさんは、心のきれいな良い人だった。
 その夜の豆谷旅館の夕食は、イサキ、ワタリガニ、カレイ、アジ。
「困ったなあ」とスバル君が言う。「イシダイとかキビナゴなんていうのはいいんですよ。東京では、めったに食べられませんから。だけど、カレイとかアジが困るんですよ。こんなにうまいものを食っちまうと、どうしても比較するでしょう。当分、魚が食べられなくなる」
「そうだな。本当にそうだな。困ったことになったな」
 しかし、僕は、なに困ることはないと内心では思っているのである。なぜならば、福江空港から飛ぶはずのYS11機が無事に長崎空港に着陸するとは思っていないからである。あんなに大きな、あんなに重い物体が大勢の人を乗せて、空を飛ぶはずがない。さすれば東京で魚を喰う機会は訪れない。
「うまい
「うまいな、先生、もっと食べてくださいよ」
 しかし、僕は、普段の程度にしか食べなかった。石田三成は、処刑される前日、胃弱を理由に好物の柿を食べなかった。その三成の心境に似ていた。僕は糖尿病で、食餌は千八百カロリーに制限されているのである。
 七月八日、日曜日、福江空港にいる僕の目の前にYS11機があった。こんなものが空中を飛ぶわけがない。あたりにムース野村も大山康晴名人も見あたらない。
 しかし、奇蹟的にのYS11機は空中に舞いあがった。

 〽主よ、みもとにちかづかん

 どんどん空高く舞いあがってゆく。僕は、ポケットのなかの、堂崎天主堂で拾った貝殻を握りしめた。赤貝に似た貝の中心部のドドメ色をしたマリア様のあたりを拇指おやゆびの腹ででた。奇蹟よ起れ。もう悪いことはしません。無事に着陸させてください。僕は、何度も何度も貝の中心部を力をこめて撫でた。指でこすった。そのうちに、なんだか乙な気分になってしまった。
 温泉ガイド
 荒川温泉

■ところ・足の便 長崎県南松浦郡玉之浦町荒川郷 五島バス本社営業所(福江)より荒川行きバスで60分。
■効能 胃腸病、神経痛、皮膚病。
■観光 大瀬崎断崖、大瀬崎燈台、キリシタン遺跡、嵯峨ノ島など。
■宿 豆谷旅館
■近況など 宿の前が海
岸になっており、生き海老を使った釣りが楽しめる。夏場は、夕陽が美しく、日本最西端の落日を見に訪れる若い女性が増えてきた。断崖めぐりの定期遊覧船も出る。キビナゴが殊に美味で、団扇エビや蟹、ミズイカ等もおすすめ。

安近短あんきんたん、埼玉に秘湯あり


「古風で素朴で田舎ふう」のキャッチフレーズに、
心おどらせて近場の秘湯をたずねたが

 アンキンタンとは何ぞや

 東京都五日市市の裏に網代あじろ温泉という知られざる温泉場があるという。夏はそこへ行くことにしていて、タイトルも「安近短、東京に秘湯あり」と決めていた。アンキンタンというのは、この夏の流行語で、安くて近くて短期間という意味である。
 ところが、網代温泉では旅館が一軒しかなくて、この旅館を経営する老夫婦は、夏は疲れてしまって、とても二泊もお世話することは出来ないと言いだした。
 さあ、困った。こっちは安近短に決めているのである。心も体も安近短になっちまっている。近場ちかばでなくてはいけない。スバル君が苦心研究の結果、奥秩父の鹿しかというのを探しだした。
「オクチチブっていうとわきの下あたりでしょうか」
 一緒に行くことになったドスト氏が言った。もう一人、ケネディ氏も同行する。ドスト氏がグリコで、ケネディ氏がグリコのオマケということになっているが、実はケネディ家のジャガーに乗せてもらうのである。
 人間は社長と先生に二大別されるというのが僕の持論であるが、もうひとつ、頭の良い人と頭の悪い人に分けることができると思っている。人間は、この二種類しかない。
 ケネディ氏とスバル君は社長であり頭の良い人である。ドスト氏と僕とは先生であり頭の悪い人である。頭の良いスバル君が計画をたて、水先案内を務め、社長のケネディ氏が運転するのだから、こんなに安心なことはない。先生二人はラクチンである。
 僕は、某週刊誌に二十年以上にわたって随筆を連載し続けている。一回も休んだことはない。こういうことは「馬鹿でなくては出来ない」と思っている。ドスト氏のことを頭が悪いと言ってはおそれ多いが、ナニ、結構、頭が悪いのである。そうして、概して言うならば、頭の悪い人のほうが、絵なんか描かせると、上手に描く。
 鹿の湯で二泊して、あと寄居よりいへ出て、寄居の京亭で鮎飯あゆめしを食べ川越の骨董屋を廻って帰ってくる予定にしていたが、ドスト氏は京亭というのを競艇だと思っていたのである。こういう人を頭が良いとは言い難い。
 八月十二日、日曜日の朝、社長二人、先生一人が僕の家へやってきた。ロス五輪オリムピック柔道で山下が勝ったのを見てから家を出たのだから、時刻は午前十時半ということになる。
 山下は足を怪我していたが、うまく寝技にもちこんで勝った。山下にかぎらず柔道選手はよく怪我をする。僕思うに柔道というのは護身のためのスポーツではないのか。だから最初に稽古するのは受身である。それなのに、すぐに怪我をするのが理解できない。
 マラソンというのは耐久力と精神力のスポーツなのではないか。それなのに瀬古は炎天下の練習をやりすぎて内臓に故障が生じていたという。なんのための練習なのか。本来、自分の体を管理する専門家でなくてはならないのに。増田明美にいたっては論外だ。顔を見ただけで精神的にも肉体的にもマラソンには不向きだとわかるじゃないか。あれは我儘わがままこらえ性のないネエチャンの顔だぜ。僕、女子バレーが負けてから五輪ピックについて不快感を抱いている。僕は江上由美に惚れていたのだ。
 しかるに、スバル君は、
「こんどのオリムピック、とてもいいです」
 なんてことを言う。
「どこがいいんだ」
「体操のレットンがいいです」
「アメリカの少女か。十六歳にしては婀娜あだっぽいな」
「私、ああいうコツマナンキンみたいなのが好きなんです。床運動の切れ味がいい。惚れちゃうなあ」
「きみは愛国心てものがないな。なんだ、十六歳で床上手とは」
 立川から飯能はんのうへ出て、秩父市を経て三峰みつみね山麓に達するというコース。その前にわが国立くにたち市の紀ノ国屋というスーパー・マーケットで食糧を仕入れた。ハム、シャケ、サーディンの缶詰。チーズ。パパイヤ、オレンジ。インスタント・コーヒーなど。なにしろ、電気を引いたのは最近のことだという山奥の宿へ行くので。
 入間川いるまがわ上流、荒川上流の人出の多いのに驚く。キャンプをする人。水浴びをする人。昆虫採集の少年。多くは家族連れである。僕は、これに弱い。ジンときてしまう。僕は、水浴びといえば湘南しようなん海岸、若者は夏休みには冷房のきいた東京の映画館もしくは六本木あたりのディスコへ出掛けるものと思っていたので、こういう光景に接すると嬉しくなってしまう。
「お盆ですな」
「この川に何千人いや、これは何万人という人だな」
 道は自動車で混みあっている。僕、飯能はんのうの先きなんかは人っ子一人通らない山奥だと思っていたが、大きにそうじゃない。地図で見ると、国立市と秩父市とはとても近いのだ。ただし、電車の便が悪い。電車で鹿の湯へ行こうとすれば、八王子まで出て、そこから八高線に乗って寄居へ行き、秩父鉄道に乗りかえて、三峰口みつみねぐちの手前の白久しろくで下車することになろうか。東京方面からだと、池袋から西武秩父線に乗って秩父に出ることになると思う。いずれにしても、ここら一帯は、西武堤義明様の御城下だ。
 山また山を抜ける。正丸トンネルを潜り抜けた。
 秩父市に入り、こいけというソバ屋で昼食。午後一時。このように、スバル君の計画には寸分の狂いもない。ケネディ氏、三色天麩羅ソバともりソバ。スバル君、三色ソバと本日の変りソバ。
「私、ソバには目がないんです」
 とスバル君は言うが、彼、甲殻類にも目がない、白身の魚にも目がない、千疋屋せんびきやのフルーツ・ゼリーなんかも大好物。要するに、何でもいい人なのだ。
 このこいけのソバが美味だった。店員の感じがいい。店の構えがいい。山本益博さんを連れてきたいと思った。
 昔、秩父市へ行ったとき、町の人が、
「ソバを自慢するのは貧乏県の証拠で
 と言ったが、そのとき御馳走になったソバよりもずっとうまかった。僕、田舎ふうの黒くてボキボキしたやつを好まない。すなわち本当のソバ好きじゃない。こいけのソバは僕にも合う。三色ソバというのは、白いの灰色の黒いのと三種類で、これなら誰でも食べられる。腰が強い。本日の変りソバというのは、ソバにレモンが絞りこんであるもののようだった。


 古風で素朴で田舎ふう、とは

 さらにまた、山また山を通り抜け、白久の駅に到着した。そこが鹿の湯温泉郷入口。
「この温泉郷の一番奥のはずです」
 さらに山道に入る。
「腋の下の奥だとどこになるかな」
「肩甲骨のあたりじゃないかな」
 と、ケネディ氏。
「やや
 何事かを察知したらしいスバル君が叫んだ。鹿の湯山荘、歩いて0分という標識のあたりにジャガーが止った。〝古風、素朴、田舎ふう〟というのがキャッチ・フレーズになっている。
 たしかに田舎ふうだった。倒れかかった農家の納屋をつぎ足しつぎ足ししたようなのが崖にへばりついている。いまどき珍しいには違いない。
 看板の出ているあたりを潜り抜けると左手に土間があり、そこが玄関であるらしい。えたような臭いが立ちこめている。僕は軍隊を思いだした。移動部隊にいたから、こんなような農家に何度も泊った。玄関から引き返すように細い廊下があり、突然、垂直に立つような階段(梯子はしごと言うべきか)があって、これを登るのが一苦労だ。二階の奥の間。だから一番上等な部屋なのだろう。天井に天窓がある。なにしろ電気を引いたのが最近のことだそうだから、昼間は天窓の明りで暮していたのだろう。むろんテレビはない。
「俺、自殺したい!」
 スバル君が悲鳴に近い声をあげて畳の上に仰向あおむけに寝た。畳は敷いてあるんだ。
「いいんですよ。何事も経験だ」
「むかしのね『伊豆の踊子』とか『天城越え」なんていうのは、こういう宿屋じゃなかったのかな」
「そうですよ。軍隊では、こういう部屋で雑魚寝ざこねだった」
 床の間に子熊の剝製と赤い巨大な消火器。
「便所はどこだろうか。家のなかにあるんだろうな」
 と、僕が言った。なにしろ頻尿の傾向があるので、夜中に五度も六度もあの梯子を昇降するんでは、たまったもんじゃない。
「いやあ、こういうところでは屋外でしょう」
「これでもね、野宿することを考えれば、ずっと上等ですよ」
 そう言ったのはドスト氏であり、彼は、それこそ草枕でもって三峰山あたりへ登ってしまう人である。後日、僕が昼寝しているときにドスト氏がやってきて、女房に、私はもっとヒドイところへ泊ったことがあるんですよ、と言ったそうだ。よってもって事態を推察していただきたい。
「わたしは大阪生まれの大阪育ちなんですが」と、ケネディ氏が言った。「戦時中に丹波の山奥に疎開しましてね
「助けてください」
 スバル君が頭をかかえこんだ。
 そうなのだ。僕も学童疎開という言葉が、頭のなかでチラチラしていた。あの頃は子供も苦労したんだ。
「こうやって、四人で坐っていると、救助されたボートピープルだな」
 ちなみに、日本交通公社出版事業局で発行された『新日本ガイド・武蔵野秩父丹沢』によれば、鹿の湯は次のように紹介されている。

鹿の湯  [温泉]アルカリ性硫黄泉、25度。

白久温泉よりさらに奥まって、熊倉山のふところに抱かれている。一五〇年は経ているというひなびた宿にランプが似つかわしい。近代的な設備はないが、むかしながらの素朴さが受けて、近ごろは若い人の間でも評判になっている。新館もあるが、かえって古いほうの建物に人気がある。周囲の林の下草には野草が生え、山菜つみができる。


「新館ってどこなんだい?」
「その隣のつぎ足した部分じゃないのか」
「ペンキ塗りのガラス窓のあるのが新館ですよ」
「素朴って、こういうことか」
「それよりさ、田舎ふうっていうのがこれだとしたら、田舎ってのはどうなってるんだ」
「林の下草には野草が生えているにきまっているじゃないか」
「これで涼しければ話は別だが、ソヨとの風もない。むし暑い。たしかに、近代的な設備はないな」
 そんなことを言いあっていたが、僕、実を言えば、この旅館、嫌いじゃない。なんだか懐しい感じがする。三泊ぐらいなら平気だ。
「しかし、一週間いれば気が狂うな」
 もうひとつ、声を大にして言っておきたいのだが、ここは蝶類の宝庫だった。ミヤマカラスアゲハ、オナガアゲハ、ゴマダラ、コミスジ、キアゲハ、クロアゲハ、シジミチョウ。ちょっと見ただけで、これだけを数えることができた。実は、ケネディ氏は少年時代に蝶類学者を志したほどの蝶好きで、彼に教えてもらったのである。むろん、トンボの数も多い。ただし、勘のいい人は、これで何かを感ずるかもしれない。たとえば蝶類は屎尿しにようの臭いを好む性質があるといったことなど
 僕が口に出して文句を言ったのは、僕とスバル君が主人役で、ドスト氏とケネディ氏は、いわばゲストであるからだ。スバル君とケネディ氏は、ほとんど初対面と言っていいくらいの仲である。それで、こんなことになった。鹿の湯大好きとは言わないが、僕は満足していた。
 一例として、階下の、もっと粗末な部屋に、中年夫婦と二人の子供が長逗留していたらしい気配があったことをあげておきたい。これは非常に上品な一家であって、二人の男の子のうちの幼児のほうは、僕にすぐに挨拶したくらいである。
「おじさん、こんにちは」
 こういうのを育ちがいいと僕は言う。普通は、いまの子供たちは、テレビがないというだけで、帰ろうよ帰ろうよと言いだすのである。僕は、主人のほうは大学の教師ではないかと推測した。
 鹿の湯に着いたのは午後二時二十分。ソバ屋で要した時間、お盆休みで混雑した時間を差し引けば、国立市から二時間と少しで到着できるはずだとケネディ氏が言った。
「どこかへ行きましょう。時間がもったいない」
 そのケネディ氏が言った。僕等は地図で見て、秩父湖へ行くことにした。
「秩父湖へ行って、そこが描けそうもないとわかるだけでも、ひとつの効果じゃないでしょうか。あるいはわざありかもしれない」
 僕等はケネディ氏の教育的指導に従った。とにかく開けたところへ行かなくては駄目だ。山の中では息が詰まる。空が見えなければ絵にならない。
 山の中の湖。人造湖。ダム。これにどれだけだまされたか知れやしない。〽山の淋しい湖に、一人来たのも。そんなロマンチックな気分になって出かけていって、ガッカリして帰ってくるのである。秩父湖もそうだった。とにかく絵にはならない。


 恐怖の一夜

 六時近く、鹿の湯へ帰ってきた。
 入浴。古風、素朴、田舎ふうの風呂場はどんなものかというと、ヨコ一メートル、タテ一メートル半のタイル張り。薄暗い。
「ははあ、これが田舎ふうか」
 かすかに硫黄の匂いがするが、あまり有難いものではなかった。
 誰も浴衣ゆかたに着かえない。スバル君が半ズボン、僕がバミューダ・ショーツ。夕食の支度が出来ていると老婆が言いにきた。階下の一室が食事室になっている。
 山菜。イワナの煮びたし。シシ鍋。あとは忘れた。もっとも、たぶんシシ鍋だろうと想像しただけのことである。それくらいに暗い。ブタかもしれない。黒っぽい冷凍肉が薄く切ってあるので、何だかわからない。暗闇鍋くらやみなべとでも言うべきか。
 僕は土産みやげ用に清酒の一升瓶を持っていったが、突っ返された。
「こんなも、貰うイワレはないと言っています」
 女中である老婆が言った。
「旦那さんがいるんだろう。せっかく東京から持ってきたんだ。受け取るように言ってくださいよ」
「旦那さんはお婆さんなんです」
「えっ?」
「お婆さんが旦那さんなんです」
 よくわからないが、わかったような気もする。
「未亡人か」
 老婆は、それには答えない。
「あなた、五十何歳?」
 ドスト氏が言った。まったく老獪ろうかいである。
「いやですよう
「ああ、ご免なさい。四十代ですか。綺麗な方ですね。若いときは綺麗だったでしょう。ああ、いけない。いまでも若いや」
「いやですよう。七十六歳ですよう」
 まんざら悪い気がしないでもないようだ。老婆の顔つきがなごんだ。
「でも、旦那がいるんでしょう」
「いません」
「旦那はいなくても男はいるでしょう。その人に、このお酒、あげてください」
 それで土産に持っていった一升瓶の件は落着した。うまいもんだ。新宿のゴールデン街あたりで勉強したものが、秩父の山奥で成果をあげた。技ありでなくイッポン。
 食糧を仕入れてきてよかった。缶詰のハムなんてうまいもんではないが、ここでは、マキシムのロースト・ビーフぐらいには喰えた。
 二階の廊下を幼児が駈けると、家全体が揺れる。天井がないせいだとドスト氏が言った。これが田舎ふうなのだと理解した。本当の田舎家ならはりが太いから揺れることはない。
 僕等が飲んだ酒は金沢の日栄にちえい。ウイスキイはホワイト・ホースのスペシャル。贅沢なもんだ。
「明日の夕食はどうしましょうか」
 また、老婆が顔を出した。もう一人、別の老婆も来ている。
「さあ。明日の夕食ねえ」
 スバル君が僕等の顔を見渡して決断した。
「とりあえず、明日の夕食は、ナシです」
「やっぱりねえ」
 それで僕は一度に情況をつかむことが出来た。
〝むかしながらの素朴さが受けて、近ごろは若い人の間でも評判になっている〟という交通公社発行のガイドブックを読んで、若いアヴェックなんかがやってくる。二泊とか三泊とかを予約する。着いてビックリ、見てビックリ、あわてて予約を取り消すのではないか。
「おばあさんが頑固なもんですから」
 だから、ずっと電気も引かなかった。改築もしない。だから、若い人にかぎらず、都会人は敬遠する。一泊だけはするにしても
「ようし
 スバル君が言って立ちあがった。秩父湖の戻り道で、国民宿舎ふうの小綺麗な旅館に宿泊を頼んでみたのである。どこも満員で断られていた。頑固なお婆さんのいる帳場で、その目の前でよその旅館に予約の電話をいれるのは相当に勇気がいる。
 僕等が二階の部屋に引き揚げると、しばらくしてスバル君が戻ってきた。
「どうだった?」
「OKです」
 彼の顔に生色がよみがえった。
「大変だったろう」
「お婆さんが見てますからね。でも、これが仕事ですから。お婆さんが三人いるんです」
「旦那のお婆さんのほかに?」
「そうです。その三人がトラムプをやっているんです」
「それは怖いな」
「ババ抜きです。無言でやっているんです」
「四人いるなら麻雀をやればいいのに」
 恐怖の夜がきた。と言っても、まだ八時前である。なにしろ暑いのである。
 網戸がない。ガラス窓にベッタリとが張りついている。
「電気を消してみようか。それで窓をあければ、いくらか涼しいんじゃないだろうか。蛾も入ってこない。なにしろ、これじゃたまらない」
「いや、人間の臭いでが入ってきますよ」
「とにかく、やってみようよ」
 真っ暗になった。布団が敷いてある。暗い。本を読むこともできない。そうなったら横になるより手立てはない。出された寝間着を着る人は一人もいない。サルマタにランニング・シャツ。
 とたんに、ガーッといううわばみのような鼾声いびきごえ。僕が真にドスト氏を尊敬するのはこういう時だ。度胸の据わった人だ。いや、いつでも平常心でいられる人だ。ドスト氏は、どこへ行っても、その土地の住人と間違えられる。北海道へ行ったときはアイヌと間違えられた。タヒチへ行ったら原住民と間違えられた。蒙古なんかへ行ったら、ジンギスカンの子孫ということになるだろう。いま、彼は奥秩父の杣人そまびとか三峰山の修験者しゆげんじやになっちまっている。
「ううん
 スバル君が寝返りを打った。それだけで建物全体が揺れる。スバル君が起きあがった。自殺でもされたら困ると思って薄目をあけていると布団の上に坐って煙草を吸いだした。こんなことも珍しい。よほど寝苦しかったのだろう。
 こんどは寒くなった。さすがに秩父の山奥だ。風が冷い。窓を締めなければ誰かが風邪を引くと思っても、金縛りにあったように体が動かない。
 夜が明けた。遠い蟬時雨せみしぐれ


 終りよければ

「隣の部屋にアヴェックが泊っていますよ」
 サルマタとランニング・シャツのドスト氏が言った。
「まさか
「ほんとですよ。お前、こっちへおいでよ、なんて声がしてました」
 ひそかにうかがってみると、それは事実だった。どの旅館でも満員で断られた男女が、夜になって、この山奥の奥に辿りついたのだろう。それにしても、ドスト氏、眠っているのかそうでないのか、わからない。不思議な人だ。
 八時、入浴。野良猫が、ぎょうさんに住みついていることがわかった。
 怖い顔をした老婦人が部屋へ入ってきた。これが噂の旦那さんであるらしい。三益愛子に似ている。若いときは美人だったろう。
「逆だ、逆だ。反対だ。こっちが貰いものするなんて、話が逆だ」
 袋いっぱいのイワタケを持ってきてくれた。根は善人で、筋を通さないと気のすまない人なのだろう。
 スバル君が予約したのは、白久駅の向う側、柴原しばはら温泉郷の柳屋という旅館だった。森林のなかの平野部に何軒かの旅館を望見したとき、なにかホッとした気分になった。
 〽俺たちゃ、山には住めないからに
 そんな思いがした。
 増改築二週間目の新館。十畳間。むろん畳も新しい。網戸。冷暖房、テレビつき。北山杉のような床柱。床の間に剝製の熊もいなければ巨大な消火器もない。代りに煙り探知機。風呂は総ひのきで木の香がプンプン匂う。風呂場の床は鉄平石。その趣味が悪くない。
「天国と地獄だね」
「スバル君、これ、きみの演出じゃなかったのかね」
「違いますよ。偶然ですよ。運がよかったんです」
 彼、もと交通公社の社員。いまだに番頭さん気分が抜けていない。
 テレビをつけると、イカンガーが走っている。
「どうしても帽子をかぶっている選手を応援してしまうな。ベノイトがそうだった」
 僕は禿頭のせいで帽子は欠かせない。
「瀬古が帽子をかぶっているのがいけない。馴れないことをするもんじゃない」
 その瀬古が帽子を脱ぎ捨て、そのあたりから遅れだした。
「ほら、ごらんなさい。あの帽子がいけなかった」
 スバル君はそう言うが、僕としては悲しいのである。
 麦藁帽むぎわらぼうをかぶって写生に行った。音楽寺、観音寺、岩ノ上堂など、いわゆる秩父の番寺ばんでらを廻ったのだが、結局は、荒川上流越しに武甲山ぶこうざんを描くことになった。富士へ行ったら富士を描けというのが正解であるようだ。玄米パンのような山になったが、これはこれで仕方がない。
 柴原温泉郷を秘湯とは言い難いが、東京から近い夏の穴場だと言ってもいいだろう。食事も手が込んでいて上等だった。第一、電気が通じている。
 その夜は、網戸で寝た。とても涼しい。入浴すること三度。硫黄泉、25度。
 早く起きて寄居へ向って出発した。十時過ぎに着いた。ここも荒川上流。玉淀たまよどのあたりを写生した。こんどはパステル。
 京亭で昼食。この鮎飯というのが絶品である。鮎は全国どこでも獲れるが、鮎雑炊ぞうすいというのはあっても鮎飯は珍しい。鮎の釜飯だと思ってもらいたい。秩父の温泉郷へ行った帰りには、ぜひお寄居よりいと推奨する。
 僕、この京亭旅館の若奥さんが好きだ。ハキハキして
 いて感じがいい。おいしいコーヒーをれてくれる。「あなたに会いたかったな。あなたも僕に会いたいと思っていたでしょう」
 彼女、笑って答えない。知らない土地へ行って知らない旅館に泊るのは楽しい。しかし、以前に遊んだことのある土地へ行って、知っている旅館に泊り、仲よくなった若奥さんに会うというのも嬉しいものである。その安堵感と気安さはたまらない。
「だんだん良くなりますね。鹿の湯、柴原温泉郷の柳屋、寄居の京亭と
 ドスト氏とケネディ氏が同じことを言った。
「終りよければすべて良し、です」
 やっと、スバル君が、眉を開いて笑った。
 温泉ガイド
 白久しろく温泉

■ところ・足の便 埼玉県秩父郡荒川村白久 秩父鉄道白久駅から徒歩20分。
■効能 胃腸病。

 柴原温泉

■ところ・足の便 埼玉県秩父郡荒川村柴原 秩父鉄道武州日野駅より徒歩40分。送迎車あり。
■効能 糖尿病、胃腸病、リューマチ、足腰の痛み。
■宿 柳屋
■近況など 百二十年の伝統をもつ宿で、料理は一切手づくり。きのこ料理や手打ちソバは絶品。秩父札所めぐり等を兼ねた日帰りの客が、比較的多い。

北海道、馬と漁り火


日本一のサラブレッド牧場を訪ねて登別へ。
一千坪大浴場でL型女体群にビックリ仰天。
旅の終りの湯の川では、中秋名月に北国の人情。うっすら涙の旅でした。

 日程表に乗せられて

 毎週火曜の晩はきまって「ボビー大衆食堂」にビーフシチューを食いに出かける。ここのビーフシチューは実にこってりしているわりに安いんだ。だからブロードウェイ界隈かいわいの連中にはとても評判がいいぜ。
 そんなわけでこの話の起った週の火曜日もボビーの店で、ジャーナル新聞の競馬欄に目を通しながらビーフシチューを食っている。と、そこへフィリー(訳注フィラデルフィアの略)で昔馴染むかしなじみだった二人の男が入ってくる。もうひとり別の男を連れている。おれはこの男のつらに見覚えはないんだが、ほかの二人と一緒にいるし、そのうえまたひどい悪党面をしているもんだから、こいつもまず昔馴染の二人と同類だとは察しがつくわけさ。(加島祥造訳「紳士のみなさん、陛下に乾杯」より)

 僕は、デイモン・ラニアンの『ブロードウェイの天使』(新潮文庫)を読んでいる。なかなか快調な滑り出しだ。ところが、いっこうに内容が頭に沁みこんでこないのだ。
「なに? ビーフシチューだって? それが、こってりしているわりには安いんだって? そこへ三人の男が入ってくる。ひとりがひどい悪党面で、ほかの二人も同類なんだから、三人とも悪党なのか。それがどうしたって?」
 僕の頭のなかを占領している文字はデイモン・ラニアンのそれではなかった。はっきり書けば、
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
 であって、この七文字が絶えず頭のなかを流れていて、ときにロックのようにガンガンと音を発する。
 僕は、羽田空港九時四十分発、JAL505便、ジャンボジェット機の機内にいた。隣に坐っているスバル君の頭のなかがどうなっているか知る由もないが、その顔は微笑をたやさない。
 このとき僕は、飛行機が墜落しないように念じていたのではなく、ただただ時間が早く過ぎ去ってくれるように祈っていた。多少は揺れてもいい。早く時が経ってくれ。快晴。時速八百五十キロ。高度一万一千百五十メートル。
 明治四十四年、米人飛行家マース氏が大阪城東練兵場で大飛行を公開したとき、大阪朝日新聞は、
流石尨大さすがぼうだいなる機体も一個の手提鞄が浮揚せる位に見え、
 と報じているが、僕らのジャンボは、瞬時にして地上から見えなくなったのだろう。その地上からは見えないところに僕は着席しているのである。これを恐怖しない人間は、そっちのほうが間違っているのではないか。いま、人間の智慧ちえでもって天上高く舞いあがっている。人間の智慧ってものが、こんなにうわずってしまっていいものか。人間の智慧は、せいぜい一個の手提鞄ぐらいのものであってしかるべきではないか、としきりに思う。
 僕の恐怖は、しかし、実は、搭乗しているときは、さほどではない。もう観念している。南無妙法蓮華経の世界に没入している。
 辛いのは、出発前一週間というあたりにある。特にスポーツ新聞を見るのがよくない。
「火を吹く巨人打線!」
「大砲爆発!衣笠、山本浩!」
 なんてものを読むと、飛行機が空中分解するときのショックはいかばかりであろうか、着陸に失敗して爆発炎上するときの脱出法やいかに。そんなことばかり考えてしまう。
「日興証券の遠山さんがね
 なんて話題もいけない。
「遠山さんって、航空事故で亡くなったんじゃないか」
「うん。フランスでね」
「どんな事故だっけ
 いらぬことを詮索する。

 九月七日、金曜日。午前九時四十分羽田空港発。十一時五分千歳空港着。レンタカーで社台ファーム早来はやきた牧場見学。登別のぼりべつ温泉泊。
 九月八日、土曜日。社台ファーム白老しらおい牧場見学。登別温泉泊。
 九月九日、日曜日。午前九時四分東室蘭発の列車に乗り、十一時五十一分函館着。場合によっては函館競馬場で遊ぶ。湯の川温泉泊。
 九月十日、月曜日、函館山ほか市内見物。湯の川温泉泊。
 九月十一日、火曜日。午後二時四十分函館空港発ANAトライスターに乗って、四時羽田空港着。

 これが今回の日程である。スバル君の作製したものであるが、さすがによく出来ている。無料で公開するのが惜しいくらいのものだ。まず、登別温泉、湯の川温泉の二泊ずつというのがいい。僕のように絵を描く男は、初日が場所探し、二日目に朝から全力投球という日程が実に有難い。気持がゆったりする。絵を描かない人でも、このくらいの日程がいい。一泊ずつで道内を駈けめぐるなんてのはせわしなくっていけない。
 登別温泉には、いずれは行かなくてはいけないと思っていたが、そのときは船で行く、あるいは東北新幹線と連絡船を使って函館に上陸してなんて考えていたが、こんなに完璧な日程表を見せられては否も応もない。飛行機は怖いけれど、覚悟を決めた。


 早来牧場のカウボーイ

 ジャンボジェット機は定時に千歳空港に到着した。
「おめでとうございます」
 スバル君が拍手でもしたいような表情で言った。
「うむ。しかし、このパイロット、あまり上手じゃないな」
 着陸のときガタガタ揺れた。そんなこと本当はどうでもいいのだ。僕、心にもないことを言っている。とにかく到着すればいい。
「なあ、スバル君。一万メートルの高さから落ちて死ぬのも、このタラップから落ちて死ぬのも、死ぬということに関して言えば同じだな」
「それはそうです」
「油断するな」
 たしか岡田茉莉子さんだったと思うが、エスカレーターが怖いと言っていた。なぜ怖いかというと、登りきったところにバリカンみたいなものがあるからだそうだ。僕は、無事に空港ロビーに達する恐怖のバリカン地帯も通過した。
 空港のレストランで食事。僕はホット・ケーキにコーヒー。スバル君は、いくらめし
「ぼく、いくら飯には目がないんです」
 レンタカーの事務所へ行った。
「おい、これを見ろよ」
 僕は事務所の壁面を指さした。北海道警察・北海道交通安全協会のポスターが貼ってある。
「北海道にはタンポポとカラスとハエが多いと思った。六月二十日の朝、スバル君運転のニッサン・ローレルは能取湖を離れた。/シートベルトはしっかりと着用している。/北海道の自動車事故というのは、きまって人身事故である。多くは即死になる。(山口瞳著『草競馬流浪記』より)」
 スバル君は、いきなり自分の名前に直面して驚いている。
「おい、多くは即死だってさ」
「自分で書いたんじゃないですか」
「それはそうなんだけれど、怖いことは怖い」
 一難去ってまた一難。北海道の自動車ってことを忘れていた。
「これはニッサンのセドリックのオートマチックです」
「なんだそりゃ」
「ローレルより上等です。これならガクガクッときません」
 なんのことかわからないが、僕は、しっかりとシートベルトを着用した。このあたり、吉田善哉様の御城下である。僕は、北海道では、千歳空港の近辺が好きだ。広々している。スバル君の慎重な運転で、僕らは無事に社台ファーム早来牧場に到着した。
 吉田善哉さんと言ったって、知らない人には何もわからないだろう。お父様の代から牧場経営で苦労してきたが、ノーザンテーストという種牡馬しゆぼばが当りに当って、いまや日本一の牧場王になっている。シャダイとかダイナの名のつく競走馬は、ここの産駒である。とにかく、よく走る。
 早来牧場の場長の吉田勝己さんは善哉さんの次男である。真ッ黒に日焼けして、ディーン・マーチンがカウボーイに扮したら、こんな感じになるだろうと思われた。長男の照哉さんは千歳牧場の場長で、温和で商人ふうの腰の低い方である。三男の晴哉さんは東京の事務所の責任者でダイナース・クラブの経営に当っている。非常にクレバーな方だそうだ。運のいい人はどこまでも運がいいのであって、馬にも恵まれ、子供運にも恵まれた。三人の男の子だから、毛利元就もとなりになぞらえる人がいる。
 さっそく、ノーザンテーストに会った。あまり見栄えのしない馬だと思っていたが、よく見るとそうじゃない。要所要所の筋肉が逞ましい。ノーザンテーストは、威勢よく、喜び勇んで馬房から出てきた。
「ここへ出されるときは種付けだと思っているから」
 勝己さんが言った。道理で色っぽい目つきをしている。僕を見てガッカリしたんじゃないか。申し訳ない。僕は彼の首筋をでた。その感触は、いまでも僕の掌に残っている。他に種牡馬としてボアデグラース、ニチドウアラシ、リアルシャダイの三頭が待機している。こいつは走るぜ。競馬ファンはお忘れなく。特にニチドウアラシの産駒に注目したい。
 勝己さんの運転で、早来牧場の隅から隅まで廻った。でかいのなんのって。僕、絵が描きたくてうずうずしている。空港牧場へ行く途中で叫んだ。
「あ、このへんがいいなあ」
「ここは駄目です。テンポイントの墓のあるところです」
 そのほか、ここは権左の牧場、ここは助十の牧場というわけで、すべて吉田一族の牧場であるようだ。産駒に恵まれずさびれているような牧場のほうが風情があって絵になりそうなのだが、この際は勝己さんの息のかかったところでないと具合が悪い。
 いま、当歳馬の乳離れがはじまるところで、こういうのは母子で放牧されている。他に勢いのいい二歳馬。これはまだ牡牝同居していて、すでに馬っを出しているのもいる。二歳と言ったって、でかいぜ。
 絵を描いていると馬が寄ってくる。総じて牧場の人は人懐っこい。それはそうだろう。こんな広大なところで、いかに牧歌的な環境が良いからといったって、めったには人に会う、それも都会の人に会うことはないのだから。馬だってそうだ。僕は、気がついたら二歳馬に囲まれてしまっていた。むのがいる。蹴るのがいる。なまじ、そういう知識があるのがいけないのだが、不思議に僕に恐怖心が湧いてこない。ひたすら良い気分。人馬一体となる感じだ。良い匂いがただよっている。僕は馬の匂いが好きなのだ。


 混浴ではなかった。

 六時過ぎ、登別温泉第一滝本館に到着。すぐに入浴。
 むかし、僕が第一滝本館に泊ったときは混浴だった。地下の千坪の大浴場に行ったとき、女学校の修学旅行の一団に出会でつくわして、彼女達が床に寝そべっているのを見て仰天した。またいでいかなければ浴槽に行かれない。まるで、魚河岸に揚った冷凍マグロをまたいでゆくような気がした。
 いま、混浴ではなくなっている。男女別に仕切られていて、女のほうが男湯に入ることはかまわないが、その逆は禁じられている。とても嬉しいような、なんだか物足りないような。僕、馬っ気を出さずに済んだ(なんて見栄張っちゃって)。
 混浴ではないほうがいい。しかし、登別温泉は、そのおおらかな一大特徴を失ったようにも思った。千坪の浴場に男女の区別なしというのは、思い返してみると、とても素晴らしかったというような気もする。
 さらに、昔は登別の湯は黒かったような気がしていたが記憶ちがいだったのか。ちょうど、有馬の湯が茶色であったように。いま細かく仕切られて、十九の浴槽に十種類の温泉。硫黄、酸性、鉄分など。
 東京を出るとき胃の調子が悪かった。たぶん、この夏の猛暑の疲れからだろう。念のため、羽田空港で便所に入った。離陸前の緊張のためか、便所は込んでいた。扉の前に立っていると、背広にネクタイの中年紳士が用を済ませて出てきた。ウンコなんかしていませんという顔をしている。エヘンとせき払いなんかして会議室から出てきたような素振りだ。こういうのに限って流すのを忘れている。特売用台湾産バナナのようなのが二本。とても立派だった。彼の健康を祝福せずにはいられなかった。
 去年の夏、僕が北海道へ行ったときは最悪だった。三日だか四日だか便秘が続いて、本当に部屋のなかを這って歩いた。あれは辛かった。とば口まで出かかっていて出ないんだもん。
 そのとき都鳥君と一緒だったが、彼が、
「浣腸しましょうか」
 と言った。
いやだよ。北海道まで来て男に浣腸されるなんて」
「なあに簡単ですよ」
 彼、SM趣味があったのかもしれない。都鳥君が下剤を買ってきてくれて、やっと開通した。そのときは嬉しかった。記憶力の悪い僕が、なぜそれを覚えているかというと、その日が八月十五日だったからだ。それを僕の終戦記念日と名づけた。
 夕食。
 従って、エビカニは食べなかった。甲殻類に目のないスバル君に提供した。スバル君は、よく動きよく食べよく眠る。うらやましいのを通り越して人種が違うのだと思っている。彼の如き人生は、僕には想像がつきかねる。これ、同じ人間なのか。
 九月八日。社台ファーム白老牧場。これは海の見える牧場である。こんどはパステル。吉田善哉さんの別荘で入浴。この温泉は黒かった。このへんは、どこを掘っても温泉が湧き出るそうだ。白老牧場を管理している大須賀さん夫妻に昼食を御馳走になった。ホッキ、ボタンエビ、イカの刺身、シャケの照り焼き。ビール。
「やっと北海道へ来たような気がする」
 北海道へ来るとビールがうまいのだ。貝類とイカとさけに目のないスバル君は、目を輝かせて盛大に喰い、大須賀さん夫妻を喜ばせた。僕の胃も恢復している。
 第一滝本館に戻り、むろん、すぐに入浴。この風呂の良いところは、上り湯が蛇口から出るのではなく、浅い流れになっていて、おけみだせることだ。温泉の好きな重役が見たら、泣いて感激するだろう。頭なんか洗いやすい。
 中年女性の一隊(十人ばかり)が幕内の土俵入りという感じで一列縦隊で入ってきた。小錦のようなのがいる。堂々たるものだ。なかに一人、三十歳ぐらいの女性がいる。色あくまで黒く、体型が良いとは言えないが、どうしても目がそこへ行ってしまう。若いってことは素敵なことなんだ。
 さて、この女性の一隊が何をするかと見ていると、端に子供用温泉プールがあり、そこに入るための滑り台があるのだが、一人一人、滑り台の上に立ち、何事かを念ずるような面持ちで滑り降りてくる。
 ジャボンという水煙。キャアという歓声。
 僕が、女性というものが理解できない、何か信じられないという気持になるのは、こういう時なのだ。
 彼女達は、十種類の温泉をちょっとずつ試してみるような感じで浴びてから、また一列縦隊を組んで女湯へ帰っていった。
 この日は土曜日。第一滝本館は収容能力千五百人であるが、千四百人の客があったという。エレベーターなんか一回じゃ乗れない。
 夜中に、もう一度入浴したが、廊下にお膳を出して、四、五人で飲んでいる一行がいる。倒したお銚子が三十本。おそらく、八畳間に六人という団体旅行で、布団を敷くために、はみだしてしまったのだろう。他に焼酎甲類の瓶が二本。これも空になっている。登別温泉というのは、思いっきり飲んで、食べられるだけ食べ、ふやけるまで温泉に漬って一泊で帰るという客が多いのだろう。
 札幌の一流ホテルで耕運機の展示会を開いたとき、廊下で立小便をする客がいたという。彼等にとって、ホテルの廊下は田の畔道あぜみちと同じだったのだろう。どれもこれも、北海道らしくて豪快であり、僕はこれを良しとする。


 漁り火、満月

 九月九日。早く起きて東室蘭駅に向った。
「淋しいなあ」
「淋しいですねえ」
 北海道の駅前の市街地というのが、道路が広いだけに、やけにわびしい感じになる。
 列車に乗っても、淋しいなあ、淋しいですねえを函館駅まで繰り返していた。北海道はロマンチックだと言っても、僕なんかは、とてもその淋しさに耐えられないだろう。自然が、まだ人間に征服されていない。
 東室蘭で雨だったのが、函館で豪雨になり嵐になった。
 湯の川温泉。旅館は若松。ここも、去年の夏に泊ったところだ。僕は忘れていたのだが、浴室の前に天然温泉と書かれているのを見て、やっと思いだした。部屋も二階の奥の同じ部屋。係りの女中さんも同じ豊満美人。この人、気立てがいい。
「おなか、だいじょうぶですか」
「うん、だいじょうぶだ。去年のようなことはない。夕食にイカゾーメンを出してくれないか」
 若松は天皇陛下の泊った旅館だ。いまは警備の関係でそれは不可能になっているだろう。つまり、古い。湯の川温泉は北海道最古の温泉であるが、若松はそのもっとも古い旅館なのだ。函館の何度もの大火にも焼け残った。
 北海道の旅館には冷房装置がない。暑いときに窓をあけはなって寝ればいいと思われるかもしれないが、ここではそうはいかないのだ。ここは津軽海峡に面している。二階の部屋に波飛沫しぶきが掛るかと思われるくらいに海が近い。従って、ドウドウの海鳴りが物凄い。だから雨戸を締めることになる。誰もが今年の夏の暑さを言う。函館でも三十度を越す日が何日も続いた。潮風といさというのが若松のキャッチ・フレーズなのだが、雨戸を締めきった暑さというやつは想像を絶するものがある。
 夕食にイカゾーメンと特に注文をだしたのは、函館では夜はイカを食べないからだ。イカゾーメンというのは、本来、あくまでも朝食用なのである。函館の人は、その朝とれたイカをその朝に食べるのを誇りとする。
 それでも、夕食に出してもらったイカゾーメンは僕らには実に美味だった。殊にも、スバル君はイカゾーメンには目のない人である。小鉢で運ばれたイカゾーメンを眺めて、ふと目をあげると、スバル君の鉢は、もうからになっていた。よく食べる人は、例外なく早く食べる人である。
 疲労は、時間ではなく走行距離に比例するというのが僕の持論である。飛行機だと体が楽だと思うのは錯覚であって、やっぱり疲れる度合は同じだ。すなわち、僕、三日目になって、ヘトヘトに疲れている。
 疲れているのに眠れない。雨戸を締めれば嵐の日でも暑いのだ。雨戸、アルミサッシ、ガラス窓と三重に締めてあっても、ドウドウの海鳴りは、体ごと揺さぶられるように響いてくる。
 朝のイカゾーメン。これはもう絶品としか言いようがない。
 九月十日。この日は十五夜である。天われを見捨て給わず。北海道の空に雲ひとつなしと言いたいが、嵐の余波で、激しく雲が流れる。その雲間の蒼空の濃くクッキリとしていること。入道雲が一転して秋の鰯雲いわしぐもに変る。絹雲に変る。北海道の風景を支えるものは、この雲の変化にあるのではなかろうか。
 函館空港の近くから、トラピスチヌ(女子修道院)を描く。水彩画を描くときに、この快晴の強い日射し、この澄んだ秋風が有難い。
 函館山に登る。ここからの山、ここからの海を描きたいのだが時間がない。
 大町の弥生小学校の向いにある銀花という喫茶店へ行く。ここは、僕の原作である映画に主演した高倉健さんに初めて会った店だ。函館で撮影が行われ、高倉さんは毎日のように銀花を訪れたそうだ。彼は、この店のアーモンド・ティーばかり飲んでいた。僕と会ったときもお代りをしていた。
 小粋な感じのする美人のママさんは僕のことを覚えていてくれた。それは、僕もアーモンド・ティーを注文したためかもしれない。
「高倉健さん、一ト月前に、またいらっしゃいました。少しおふとりになられました」
 ママさんがカウンターの奥から伸びあがるような恰好で話しかけてきた。
 銀花は蔵を改造した店である。函館の町には蔵が多い。それは大火が多かったためだと思われる。蔵を改造しただけで、ほとんど飾り気がなく、少しの気取りもない喫茶店である。ついでに言えば、飲みものにも軽食にも思いがこもっているように僕には感じられた。
 窓の外に、隣の家の小さな花壇のコスモスが揺れている。
 不意に、これが人生だという思いがあふれてくる。高倉健さんとここで会い、ともにアーモンド・ティーを飲んだ。今年の初め、雪の下北半島へ行ったとき、その本州最北端に立ったとき、松前山や恵山えさんが見えた。そこに函館があり、そこに銀花があると思ったとき、船に乗って渡りたいという思いがしきりにした。北島三郎なら「とても我慢ができなかったよ」と歌うだろう。
 函館へ行ったら銀花へ寄ろうと思い詰めていた。そこへ行ったらママさんが僕のことを覚えていてくれた。それだけのことである。他に何もない。あまり意味がない。しかし、これが人生だという感情はどこから湧いてくるのだろう。そうして、僕は、この世に生きるということは、こういうことであるに過ぎないという思いが、なおも激しく去来するのである。
 函館山の麓の富茂登ふもとという料亭へ行った。ここは小樽の海陽亭の千枝子さんに教えられた店である。千枝子さんと富茂登の女将の京子さんは学友である。それで、去年もここで飲んだ。
 スバル君の目のないものばかり出てきた。エビ、カニ、新スジコ、ルイベ、キンキ、アイナメ、鮭、サンマ、ヒラメ。僕はトウキビを出してもらって、それが一番美味うまかったと言ったのを皮肉と取られはしまいかと心配した。実際、スイート・コーンの名の通り、とても甘味があった。
 女将も顔馴染の女中さんたちも実によく飲む。それが気持がいい。
「お手があいているようでしたら
 と言ってお酌を催促する。それが、何とも可愛らしい。
 京子さんを誘って表へ出た。
 高いところに満月。雲がなくなった。
 そうして、漁り火。海が燃えているという言い方があるが、水平線に一列に小火ぼやが続いている感じで、それが揺れてまたたき、そこらあたりから空に向って淡いピンク色に染まり、十五夜の月が、乳暈にゆううんのような形で、同じような桃色の光を照射する。
 僕らは元町一番館という少し気取った喫茶店で紅茶を飲んだ。そこからも満月と漁り火が見える。
 一番館は函館山の山懐にある。そこから、京子さんとスバル君と三人で、月を見ながら、ゆっくりと歩いて戻るときに、またしても、これが人生だという思いが込み上げてきた。
 温泉ガイド
 登別温泉

■ところ・足の便 北海道登別市登別温泉町 室蘭本線登別駅よりバス15分。
■効能 神経痛、リューマチ、胃腸病、皮膚病、外傷、婦人病。
■宿 第一滝本館

 湯の川温泉

■ところ・足の便 北海道函館市湯川町 函館本線函館駅より市電で20分。
■効能 リューマチ、神経痛
■宿 若松

奥鬼怒、露天風呂めぐり


平家の落人が潜んだという山峡の秘湯。
目の醒めるような紅葉をめでつつ、いざ行かん、はしご湯ツアー。

 手拭を買う

「デカクルトキハワスリズニ」という呪文を唱える。いや、出発の四日も五日も前から準備万端怠りなく、荷物を整える。それでも忘れものをする。必ず何かを忘れる。
 今回忘れたもの。鉛筆と手拭。
 鉛筆は絵を描くためのもの。僕はステッドラーのホールダーつきを使用している。2B。例のタモリが「笑っていいとも」で怪しげな絵を描いているのが、これではないか。鉛筆なんか旅先で買えばいいじゃないかと思われるかもしれないが、大きにそうじゃない。使い馴れたものでないと気分が違ってくる。どうして鉛筆を忘れるかというと、ふだん仕事のときにも使っているので、ついつい鞄にいれるのを忘れてしまうのだ。
 手拭。これはもう温泉評論家としては失格だ。むろん、近頃の旅館では名入りの手拭と歯ブラシがセットになったものを用意している。しかし、旅館の手拭というのは寸足らずでいけない。布地も良くない。殊にも、こんどは山の中の露天風呂に入るのだ。僕は、これを大いに恥とした。
 十月一日、月曜日、朝の十時。僕は東武線浅草駅のそばでウロウロしていた。呉服屋と洋品店を探していた。呉服屋があった。まだシャッターが降りている。
「ごめん。誰かいませんか」
 スバル君が裏口へ廻って店員を呼びだし、シャッターをあけさせた。
「いらっしゃいまし」
「うむ。手拭を見せてもらいたい」
「へいへい
 店員がショーケースを指さし、なかから袋入りの一本を取り出した。
「これなんか、いかがでしょうか」
「ううん。豆絞りか。おいおい、俺は、これから吉原なかへ繰りこもうってんじゃないんだぜ」
「へいへい」
「俺にカッポレか深川でも踊らせようっていうのか」
 僕の頭のなかに 〽チョキーでぇ、セッセエというメロディーが流れだした。
「あいすいません。では、このしばらくなんか粋なもんですが」
「わかってねえなあ。俺は悠玄亭玉助じゃないんだ。これから風呂に入ろうってんだ」
「それはお楽しみでございます。でも、旦那、当節は歌麿でも金瓶梅でもタオルがございまして、ウフッ、洗ってくれます。おい、定吉や、トルコ・エデンの割引券があったろう」
「違うってば
 僕、シャッターをあげさせた手前、仕方なくおど熨斗のしの手拭を買った。七百円。こういうのは税務署は必要経費として認めてくれるだろうか。
 浅草駅発十一時、東武線ロマンスカーに、ドスト氏スバル君と共に乗りこんだ。日光行き。日光というと必ず外国人がいるから不思議だ。ロマンスカーというと、発車してすぐに飲みだす客がいるから、これも不思議。東武線というと、商人ふう、労働者ふうが多いのは、これは当り前か。
 玉ノ井、堀切、北千住、梅島、草加、春日部かすかべ
「朝から飲んで極楽だ」
「これ、どうです」
「奥の手を出したな。味付海苔のりにタタミイワシを貼っつけたやつか。アイデヤだな。この味付海苔ってやつ、甘いか辛いかどっちかで、ちょうどいいってのがない。おい、車内販売のねえちゃん、ツマミないか」
「よう、マルちゃん、こういうのは会計で払うのか。それとも俺が払うのか」
「雑費で、あとで請求してください」
 これは台東区のタクシー運転手の一行。非番の組の社員旅行らしい。
 僕等は、ひっそりと黙りこくっている。ドスト氏、何か元気がない。東武線に乗って思うのは関東平野は広いっていうこと。今年は豊作であるようだ。
 二時間足らずで日光駅に着いた。レンタカー。このごろ、スバル君はニッサン・セドリックに凝っている。
 僕、浅草で買った手拭が気にいらない。綿めんは駄目なのだ。そこで土産物屋に飛びこんだ。タオル地はタオル地だが、思っていたように東照宮の染めぬき。日光小唄だか何だかもプリントされている。一本三百八十円というのを三百五十円に負けてくれた。
「じゃ三本買うから千円に負けないか」
「それは、ちょっと困ります」
 ドスト氏がピンク、スバル君が黄、僕が紺で三本買った。このタオルを僕は日光沢温泉に忘れてきてしまうのである。


 癖になっちゃう

 スバル君がパイポというものを買ってくれた。どこまでも親切な男だ。例の、これで会社をやめましたという禁煙用ハッカパイプ。これをくわえると、僕は総イレ歯だから口中がプラスチックだらけになってしまう。
 僕は、喫煙行為というのは次の諸動作で成立すると思っている。
 ①喫煙するかどうか考える。
 ②煙草を口に咥えて点火すべきかどうか考える。
 ③点火。
 ④ゆっくりと煙草を吸い込む。吐きだす。
 ⑤灰を落とす。
 パイポは、このうち、②だけを取りあげたもので、代償行為となるかどうか非常に疑問だ。現に、僕は、しばしば点火してしまってアッチッチと騒ぐことになる。これは口唇性欲だけを満足させるものではないか。
 ニッサン・セドリックは蜿蜒えんえん長蛇の山道を登っていった。霧降きりふり高原という所は、その名の通り霧に包みこまれている。何も見えない。その霧のなかで画架イーゼルを構えて絵を描いている人がいる。
「あれは心眼で見えているのです」
 と、ドスト氏。
 僕、体調がすこぶる悪い。この夏の暑さがいけなかった。下痢と風邪。ノド痛と悪寒おかん。絶えざる嘔吐感。口が乾く。そうしておならばかり出る。僕の師匠の高橋義孝先生は、
「このごろのオナラは臭くないので面白くない」
 とおっしゃったことがある。布団にもぐりこんで一発ぶっぱなしたのににおわないのでは張合いがないと言われるのである。僕、ノド痛で抗生物質をまされたので、それでオナラが出るのかしらん。自動車のなかというのが困る。温泉の大浴場なんかだとごまかせるのに。
「行キテ入ラザル、か」
「なんですか、それ」
 僕、本当に自信がなかった。入浴しなければ温泉紀行にならぬ。
「いや、温泉に飛びこめるかどうか」
キテ還ラザルよりはいいですよ」
 瀬戸合というところのドライブインで休憩した。山の奥の奥である。このあたり、平家落人の集落であり、五、六人の老女がサービスしてくれる。
「がいして言うと、平家の落人の村というのは美人がいませんね」
「だってさ、歌舞伎だって、うしろにならんでいる女官なんてのは不美人で意地のわるそうな顔をしてるじゃないか」
 ここからの紅葉がいい。赤は赤、緑は緑。截然せつぜんとしている。
 さらにまた、山また山を登る。
「どうして、こんな山奥に東照宮なんてものを造ったんでしょうか」
「方角がよかったんじゃないでしょうか」
 その日光東照宮からもずいぶん山奥に入ってきている。日光駅から二時間二十分を要して女夫渕めおとぶち温泉ホテルに到着した。
 女夫渕温泉に旅館は一軒しかないが、馬鹿にしちゃいけない。ちゃんとホテルの恰好をしているから妙だ。
 すぐに入浴。僕、決死の覚悟で裸になった。この大浴場が実にいい。湯量豊富。新鮮清潔、かつ透明。地球から湧きでたばかりと本物の温泉評論家は言う。熱くはないが、あったまる。僕が今度の奥鬼怒行で感じたのも、この透明感だった。空気が透明、水が透明、紅葉も新鮮かつ透明と言ったら笑われるだろうか。
「ここは、なんだな、優に中房なかぶさ温泉に匹敵するな」
「本当に、いい湯ですね。これで中房温泉ぐらいに電車を降りてからの距離が近ければ言うことありませんね。その点、日光の手前でイマイチですか」
 ドスト氏が古い洒落しやれを言った。
 大浴場の下が露天風呂。その下が渓谷であって、その水が川俣湖に流れこむのだろう。露天風呂の数、実に十一湯。
 この頃の若者は温泉を好むという。週刊誌なんかで温泉特集が組まれているから、一種のブームなんだろう。ギャルは特に露天風呂を好むそうだ。そのくせ、僕は、ギャルが露天風呂に入っている姿を見たことがない。しからん話だ。
 スバル君が裸で飛びだしていってOKのサインをだしたので、僕たちも露天風呂へ行った。とても気持がいい。
「露天風呂の人気っていうのは何だろう」
「さあねえ、解放感でしょうか」
「ひとつはねえ、自動車文化だろう。ハイウェイを飛ばすなんてのに飽きちまって、山また山の山奥までドライブする。すると、そこに露天風呂がある」
「そうかもしれません。ただ、現実には、体があったまって頭が冷える。これが気持がいいんじゃないでしょうか」
「あの、温泉の好きな重役をここへ連れてきたら狂い死にするね」
「即死です。あ、いけない。私も癖になりそうだ」
 スバル君の言う通り、谷を渡る透明な風、活力をあたえる新鮮な湯、それが露天風呂の醍醐味だろう。かくして、ドスト氏を親猿としてハゲ猿、若猿の三匹の猿は、いつまでもいつまでも露天風呂に漬かっているのだった。
 夕食は、ヒメマスの刺身、鹿の肉の刺身、それに山菜。主人のサービスで、テラピアの活造いきづくりも供された。これは熱帯淡水魚を温泉で飼育したものらしい。
 また、大浴場。そのあと、スバル君は、三度露天風呂へ行った。本当に癖になっちまったらしい。


 堂々たる人生

 翌日は一階大広間で朝食。
 隣に若いアヴェック。十人ばかりの男女の町内旅行ふう。あとの一組は、三十歳から三十五歳ぐらいまでの女五人を引き連れてビールを飲んでいるあから顔の中年男(五十歳ぐらい)という一行。
 隣のアヴェックの男のほうが言った。
「こういうところへくると、昼も長いけれど、フッフッフ夜も長いねえ」
 これを、落語のあくび指南のようにゆっくりと言ったのである。ヌケヌケと。飛びかかって殴り倒したいような気持になった。女のほうは、目をポーッと赤くしていて、いかにも寝不足。それでいて、体のほうは火照っている感じ。ムンムンしている。腹が立つなあ、まったく。
 もっと驚かせたのは、女五人を連れている中小企業経営者ふうの中年男だ。彼は、立ちあがって女五人を見廻した。そのとき、朝食の客は僕等以外に誰もいなかった。彼は、こう言ったのである。
「おい、みんな、はまぐりをよく洗っとけよ」
 その意味が僕にはわからない。わからないけれど感動した。僕が感じたのは、堂々たる人生ということだった。
「あのなかの一人が細君です。ほら、お給仕している人。あとの四人は愛人ですね」
 と、ドスト氏が言った。
「そんなこと、わかりますか」
「わかるんです」
「そうすると、秋期愛人連慰安旅行ですか」
 僕等三人は呆気あつけにとられてシュンとしてしまった。
 僕の感動は一層強くなった。大多数の男の願望を徒手空拳でもって具現した男がそこに立っていると思った。
 トルコ嬢と結婚するとかスワッピングとか乱交パーティーとか、そんなミミッチイものではない。まとめて面倒みようという男のなかの男だ。
「しかし、女の人の顔とか体つきとか、みんな似ていますね。姉妹かもしれないな。あるいは親戚とか」
「妹が愛人という場合もあるんです。それに、女好きの男の好きになるタイプって似てくるんですね」
 ドスト氏の言は確信に満ちていた。
「どうだかわかりませんが、男っていうのは、あのくらいの威厳がないといけませんね」

 露天風呂めぐりに出かけた。
 女夫渕温泉から加仁湯かにゆまで、山道を歩いて四十分を要するという。僕には自信がなかったが、仕方がない、ヨロヨロと歩きだした。
 これから山道にさしかかるというところ、ナニ、女夫渕から歩いて二百メートルばかりのところであるが、そこで、もう、息があがってしまった。
「おい、ここから登るのか」
「川に沿って歩くんですから、たいしたことありませんよ」
 ドスト氏とスバル君が同じことを言った。
 すると、そこで消防のホースのようなもので道路に水を撒いていた男が声をかけた。
「どこまで行くのかね」
「加仁湯です」
「そんならホテルの前からバスが出るよ」
 よっぽど、僕の歩く姿が疲れきっているように見えたのだろう。
「おい、あれは栃木県人だぜ」
 顔もまずいし言葉も荒いが、栃木県人は親切者が多いというのが僕の持論である。
 僕等は女夫渕まで引き返した。なるほど、ホテルの前にマイクロバスが止まっている。片道五百円だという。どうやら、これは正規のものではないようだ。正規のものなら、ホテルの番頭が教えてくれるとか案内書に出ているとかするだろう。ガイドブックに出ていればスバル君が見逃すはずがない。僕は片道一万円と言われても乗ったと思う。地獄で仏とはこのことかと思った。
 マイクロバスは約二十分で加仁湯に到着した。川沿いの道でなく山道を通ったのだけれど、僕は、歩いていたら、間違いなくぶったおれたと思う。
 加仁湯から日光沢温泉まで、歩いて十五分ばかりだと聞いた。道もよさそうだ。そこで、さきに日光沢へ行くことにした。
 日光沢温泉にも旅館があった。
「これは、やってないようだな」
「廃屋のようですね」
 しかし、それにしては、庭にチリひとつ落ちていない。湧水がうまい。水があって屋根があって椅子があって、というところは絵を描くのに都合がいい。
「ひとつ、はじめましょうか」
 山の絵は自信がない。とくに、こんなあざやかな緑と黄と赤の紅葉の山はお手あげなのだ。
「秋の夕日に照る山もみじ」
 僕は歌いながら描きだした。山峡である。その山峡の中心に絶壁を造る巨岩がある。うまく言えないが、僕の絵は、どんどん卑猥な感じになっていった。こんな下品なことは書きたくないが、書かなければわからないので仕方なく書くことにするが、カメラマンの言うところの豊満美女の大股びらきといった絵になってしまった。特に中心部のウルシの赤がいけない。もっとも、日本画では滝は女陰のように、岩は男根のように描くのだという。
 僕の背後で、クスッという笑い声がした。アネさんかぶりの中年女性がほうきを持って立っていて僕の絵を見ている。
「笑っていいとも」
 僕は口の中で言いながら描き続けた。崖の周辺の樹木を描き足すと、これが応援団がチャッチャッチャになってしまう。そうか、あれは崖のようなものであったのか。僕は断念することにした。
 僕はドスト氏の山の絵が好きだ。なんと言うか、力がある。こんもりと五彩の山が盛りあがっていて、淡彩だが力強い。
「ああ、五目寿司が食べたくなった。この黄色がタマゴ、この赤がベニショウガだ」
 屈強な感じのする老人が旅館から出てきた。ここは廃屋ではなかった。日光沢温泉は営業中だった。
「飴玉を売っていませんかね。キャラメルでもいい」
 僕は口中の乾きがひどくなっている。
「さあ、飴玉はないねえ」
 旅館の主人である老人が言った。このあたり、今年は五メートルの積雪であったという。
「露天風呂ありますか」
「あるよ」
 主人の案内で沢へ降りていった。入浴料二百円。〝のぞき見厳禁〟という看板。三匹の猿は、ふたたび露天風呂の人となった。
 この湯がいい。露天のたたずまいがいい。湯の底は一箇が三十センチ四方ぐらいの大きなタイル張りなのだが、どことなく品位がある。飾り気のないところが、つまりは卑しくない。露天風呂としては最高だと推奨しておこう。
「こんなもの、どうだい」
 老人が缶を差しだした。栄太楼の肉桂アメである。その一粒を押し戴いた。
「甘い!」
 僕は文章には、なるべくルビを振る主義なのだが、この甘いは、アマイとウマイの両方で読んでもらいたい。
 さらに言う。僕は温泉研究家でも紀行文の専門家でもない。その僕が旅に出るのは、まさに、こういう思いを味わいたいからだ。だから、この甘いは、人生のうまさだと受けとってもらっても差し支えない。
「おおい
 僕は露天風呂のなかから叫んだ。マイクロバスで一緒だった老夫婦が山道を登ってくるのが見えたからである。笠智衆と田中絹代のようなカップルだった。
「こっちへ来て、一緒に入りませんかァ。いい御夫婦だな」
 あとの言葉はドスト氏に言った。
「ああいうのはね、悪い嫁がいてね、うちにいられないんで旅に出てくるんですよ。可哀相な夫婦なんです」
 ドスト氏は、ときに意地の悪い辛辣なことを言う。栄太楼アメを貰うときに、お爺さんもひとついかがですかと言われたので機嫌がわるくなっている。その飴でまだ片頰がふくらんでいるのに
 加仁湯まで戻った。むろん、露天風呂に入った。ここの湯は白濁している。入湯料五百円。ちょうど十二時。
「はい、これ、召しあがってください」
 スバル君が、頭だけだしているドスト氏と僕に握り飯と魔法瓶のお茶を配った。女夫渕で用意させたらしい。どこまでも抜け目のない男だ。そのタイミングの良さ。もっとも、こういう正確無比、コンパクトな日程の組み方が、ときに息苦しく感ぜられることもあるのだが
 加仁湯温泉は、野球の大洋ホエールズの保養所になっていて、山下大輔の色紙が廊下に貼ってある。従って加仁湯は禿頭には効かないらしい。しかし、鉄人アートロン衣笠の例もある。大輔頑張れ!
 女夫渕温泉に引返し、すぐさまスバル君の運転で日光戦場ヶ原へ。約一時間二十分。その山王林道が、いろは坂の連続。入口に、事故が起きても責任は負わないという立札がある。


 思わず絵筆を

 女夫渕温泉へ帰ってきたときは暗くなっていた。すぐに大浴場、露天風呂。
 大浴場のガラス窓にがはりついている。
「こういうの、何て言うか知ってるかね」
「知りません」
て蝶って言うんだ」
「はあ。季語ですか」
「そこで徳川夢声に一句あり。凍て蝶やどうぞそのままいてちょうだい」
 スバル君が笑いだしてブクブクともぐった。この山峡では、すでに冬が始っているのだ。
 十月三日。朝の九時二十分に女夫渕温泉ホテルを出て、また山王林道で戦場ヶ原へ向った。ドスト氏は男体山が描きたいという。ここで注意しておくが、初心者は山王林道のドライブは無理だ。
「私なんか、林道で事故を起したことがありますから。一度やっちまえば、あとは平気です」
 おいおい、そんなこと聞いてないぜ、スバル君!
 昨夜は雨が降った。今日は天気雨。そのせいかとも思うが、紅葉が見事だった。このあたり、標高千五百メートルというところか。一昨日と昨日とでは紅葉の色が違っていた。昨日と今日とでは、また違う。
「一昨日が十五、六歳の少女だとすれば、昨日が十八歳だった。今日は二十歳になったばかり。しかも、もちろん未通女むすめです」
 そのドスト氏の未通女という言葉が、少しもイヤらしくなく不自然でなく、ピッタリという感じだった。
「新鮮だなあ
 スバル君が感動する。まったく、こんどの旅は、新鮮透明、新鮮透明の連続だった。おそらく、あと一週間、あと十日で日光の紅葉は新鮮であることを失ってしまうだろう。絵ハガキの赤になってしまう。その直前のたまゆらの赤であり黄であり緑だった。
 鋭いばかりの紅葉に感激している僕等が、さらにまた声をあげた。僕には山はわからぬ。あれは山王縄手山なのだろうか。男体山が見える前の、山王林道から左手に見える山と言っておく。緑が一層濃く赤が一層濃く、黄が黄金に耀き、茶がいよいよ渋く濃く、橙色だいだいいろが朱色に沈むと形容すればいいだろうか。こういう十月の初めの雨あがりの強い日射しという好条件に恵まれることは滅多にはないはずだ。その山王縄手山の紅葉は凄絶と言ってもいいくらいだった。凄絶なる処女が光り輝く一瞬を見たと思った。
「思わずシャッターを切ってしまいました」
「思わず絵筆を落としてしまったでしょう」
 僕とドスト氏がそんなことを言ったのは、内心の動揺を隠したいためだったのかもしれない。
「よくあるんだよねえ、こういうの。アマチュア写真コンクールの銅賞なんかに必ずあるんだ」
 スバル君も似たような思いでいたのだろう。彼は、長崎のとら寿司でアジを食べたとき、金沢のつる幸でツミレを食べたとき、こういうのは困ると言った。彼の言い方を真似するならば、こういう腰が抜けるような凄い紅葉を見てしまうと、京都の三千院とか高尾の紅葉を見ても感動しなくなってしまいそうなのが困るということになる。
「そうそう、カレンダーの見本の十一月なんてのにも必ずある構図だな」
 ずっと自動車をとめたままでいた。三人とも外へ出ていた。
「あ、そうだ、昨日のあの男ね。朝食のときの」
「五人の女を連れていた、あの中年の」
「ああいうのを壮年というんじゃないか。あの壮年男の苗字ね、秋山さんていうんじゃないだろうか」
 ドスト氏とスバル君が間を置いてから笑った。
「苗字が秋山で、俳号が錦繡きんしゆうなんてね。案外に俳句を作ったりするんだ、あのテの男は」
「蛤は女夫渕にかぎる」
「夜中は赤貝か」
「まったくねえ、五人いっぺんというのは縄手山みたいな男だ」
 雲の間の蒼空も濃い。
 強い通り雨が縄手山を濡らしているらしい。その雨はすぐに止み、今年の最後の秋の激しい日射しが矢のように降ってくる。
「あ、あれ、なんだ。ムクムクッて
「虹ですよ」
 五彩の山に七彩の虹が懸った。
 温泉ガイド
 女夫渕温泉

■ところ・足の便 栃木県塩谷郡栗山村川俣女夫淵 東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅より125分。
■効能 創傷、リューマチ、運動器障害、婦人病。
■宿 女夫淵温泉ホテル
■近況など 鬼怒川沿いに十ヶ所の露天風呂があり、それぞれに変化を楽しめる。山菜・川魚の他、鹿・熊の料理や、養殖のいずみ鯛も好評。

 奥鬼怒温泉郷

 鬼怒沼山東南麓にある八丁ノ湯、加仁湯、手白沢、日光沢の四湯をいう。女夫淵温泉より徒歩70100分。

我が師の宿、大阪屋


草津はよいとこ湯も濃厚。白根に登れば樹氷の世界。
おまけに現れいでたるは、倶梨伽羅紋々武闘派ヤクザ――

 草津とは何ぞや

 高崎駅。昼。
 晩年の糸井重里という感じの男が、立ち喰いのソバを喰っている。
「俺は駅の立ち喰いのソバには目がない」
 という顔で、あたりを睥睨へいげいしながら大きな口をあけて喰っている。
 その隣に落語の小三治みたいなのが、百円ライターで煙草に火をつけようとしている。これがかないのだ。掌で覆ったり外套の袖で囲ったり、いろいろ工夫しているが、点かない。僕は二十五回まで数えた。
「おい、きみ、見てごらんよ。あのライター、なかなか点かない」
 僕は隣の座席のスバル君に言った。
「風が強いんですね」
 スバル君が数えはじめてから十回に達したが点かない。小三治は、ソバ屋の店の蔭にかくれてしまった。粘り強い。
 群馬県には、このテの顔が多いのかもしれない。どこかコスッカライところがある。その癖、どこかノンビリしている。あれは好人物であるに違いない。
 上野発、白根3号、長野原行きの車内にいた。十一月十二日、月曜日。僕等は草津温泉へ行こうとしていた。僕もスバル君も、初めて草津へ行く。
 そも、草津とは何ぞや。その正体がわからない。草津よいとこ一度はおいで、という歌しか知らない。そんなに良い所なのか。
 草津へ行ったことのある知人が言った。
「草津? 熱海と同じよ。でっかいビルが並んでいてね。すっかり俗化しちまって温泉情緒なんかないよ。ガッカリしちゃった」
 友人の虫明亜呂無さんが言った。
「草津? ふっふっふ。ありゃ軽井沢だね。高原のリゾート地帯よ。テニス・ギャルが、わんさかわんさか。ふっふっふ。とてもいいよ。なにしろ、きみ、ベルツ博士だからね」
 これではわからないのである。
 いったい、草津へどうやって行くか、即座に答えられるかね。熱海なら新幹線に乗って熱海駅。有馬なら同じく新幹線で新神戸。道後どうごなら飛行機で松山空港。別府なら大分空港。一発で答が出る。草津というのがわからない。地図を見て、すぐに草津を指さすことができるかね。浅間山麓なのか、白根山麓なのか。
 こころみに友人の一人に訊いてみた。
「白根
「ほんとか」
おら、知らね」
 これが正直な所だろう。関東地方に住んでいたってそうなのだ。それでいて日本一の名湯であるという。
 上野から三時間、前橋から二時間、長野から二時間と言われると、余計にわからなくなる。近いんだか遠いんだか。関東地方の北部山沿いというのが妙にわかりにくいのである。たとえば足利あしかが市。これ、どうやって行くのか、僕なんか答えられない。たとえば銚子市。これなんか太平洋に面して利根川の河口だから地図で指さすことができる。しかし、銚子へ行く電車は上野から出るのか両国から出るのか、それは何線であるのか、海側を通るのか山の中を通るのか。草津も、僕にとってはそういうところのひとつだった。
 草津は湯が良いという。温泉紀行家としては、どうしても行かなければならない。
 高崎を出て、山が迫ってくる。左に吾妻川。僕、今回は、ゆっくりしようと思っていた。ゆっくり、のんびり。なにしろ入湯だけが目的である。のんびりして絵を一枚だけ描けばいい。体をやすめようと思った。僕のような売れない作家でも年末はなにやかや忙しいことになる。体力づくりに行こうと思っていた。
 しかし、山を見ると気持が昻ぶってくる。あの山をどう描くか。つまり、森鷗外博士の言うところの芸癢げいようというやつだ。ムズムズする。ノンビリとムズムズで、気持が中途半端で落ちつかない。


 真面目なストリップ

 長野原駅に着いた。そこで昼食を摂るか、それとも電車かバスに乗るか、タクシーに乗って草津へ行ってしまって、草津で昼食を食べるか、ちょっと考えさせられた。
 僕には、テニス・ギャルでいっぱいという虫明さんの言葉がちらちらしていた。それなら、草津へ行っちまえば、気の利いた喫茶店かなんかあるだろう。コーヒーとトーストなんてのも悪くない。空腹でイライラしているようなスバル君が僕の意見に従った。僕の提案に賛成するとロクなことはないのだが
 名物ホルモン焼き、元祖栗おこわなんていう看板を恨めしそうに眺めながら、スバル君がタクシー乗場へ歩いていった。
「草津ってところはね、老人が多いんですか、それとも若い人が多いんですか」
 僕は、すぐに運転手に訊いた。運転手が、バック・ミラーのなかで不思議そうな顔をした。
「そりゃね、どっちかって言えば、じいさんばあさんばっかりだね」
「若い人がふえたって聞いてきたんだがね」
「そんなことはないよ」
 この運転手、大柄で色の白い人であるが、顔に赤い斑々むらむらがある。あとで、スバル君が、あの運転手、相当に血圧が高いですよ、ひやひやしましたと言った。僕は、先日、片手で運転する個人タクシーに乗った。軽い脳血栓で倒れて、左手はしびれているんだと言った。そのときも怖かった。
 僕には先入観があった。思い込みの激しいほうの男である。草津は瘡津くさつである。お医者でも草津の湯でも、というのは、そのあとに惚れた病いと続くのであるが、この場合の草津の湯というのは、かさっかき、すなわち梅毒に卓効ありという意味に解釈していた。申しわけないが、草はくさ、津は水というふうに思いこんでいて、つまりは草津には瘡っかき多しという印象を拭い去ることができない。それは僕だけではなく、多くの人がそう思いこんでいて、草津の人としては、そういうイメージを捨ててもらいたいために、ギャルの誘致に躍起になっている、と、言うならば、そんなふうに思いこんでいたのだった。
「昼飯を食べたいんだけれど、うまいソバ屋かなんかないかね」
「さあねえ、うまいったって」
「ソバ屋じゃなくてもいい」
「ないね」
「なんでもいい」
「普通の店ならあるけど。まあ、普通の店ばっかだね」
「ちょっと洒落しやれた喫茶店かなんか」
「そんなの、ないね」
「カツ丼でもいい。カツ丼の上なんか」
「そんな店、ないね」
 こりゃダミだ。
「黄葉がいいね。あれは落葉松からまつか」
「紅葉は今年は駄目だった。三日で散っちゃった」
「日光はよかったよ」
「日光はよかったかしんねえけんど、草津は、ほんの一時いつときだった」
「紅葉も桜と同じで短いからね」
「ああ、三日で終っちまった」
 話がみあわない。長野原から草津まで、約三十分。大阪屋で荷物をおろした。
「このへんに、どっか、食事する良い店はありませんか。ソバでもいいんだけれど」
「ソバなら、うちのが一番うまいんです」
 番頭さんが言った。しまった。訊くんじゃなかった。
 大阪屋の左側に、土産物の店があり、その奥がソバ屋になっていて、これを上屋敷と言っている。先祖は名主か庄屋だったのだろう。
 身軽になった僕とスバル君が、ソバ屋の床几しようぎに腰をおろして、なんとなく顔を見合わせて溜息をついた。
「悪くはないが、いまいちピンとこないな」
「私もそう思った」
 大阪屋は四年前に改築した。宮様の泊るような立派な旅館である。すると、どうしたって、近頃の若い建築デザイナーの手にかかることになる。絵で見る草津、つまり風呂番が褌一丁で湯もみをしているというイメージからは程遠い。
時世ときよ時節さ」
 酒を飲んだ。大阪屋のソバは、なかなか美味だった。僕は、黒いボキボキした田舎ふうのソバが苦手なのだが、そうではなかった。白くて細くて腰が強い。ここでソバを打っているねえさんは名人なのだそうだ。
 散歩に出た。湯畑ゆばたけを見た。
 熱海のようで熱海じゃない。有馬のようで有馬じゃない。修善寺のようで修善寺じゃない。草津は草津なのであるが、その説明が困難である。鄙猥ひわいのようで鄙猥じゃない。クリーンのようでクリーンじゃない。山の中の温泉地が急激に近代化すると、こうなるのではないか。
 ストリップ劇場が五軒。ということは、僕等は町のほとんどを歩いたことになる。僕は、むかし、ストリップが好きだった。地方都市へ行けば、無理をしてでもストリップ劇場へ行ったものである。いまの生本番というのを好まない。客が僕一人、ストリッパーが一人、客席は冷いコンクリート。
 〽ワシントン広場の夜は更けてなんて時代は良かった。
「寒いから、もういいよ」
「だって、それじゃわるいもん」
 というヤリトリがあって、
「これ、少しだけど
 散財袋に千円札をいれて渡す。
「ありがとう」
 ああ、もう、こういうことは無くなってしまった。
 熱海のストリップ劇場で、黄変したスルメみたいなものを見せられたことがある。照明の加減でそう見えるのかしらん。僕の隣に七十歳ぐらいの老人夫婦がいた。二人とも、熱心にのぞきこんでいる。
「これじゃ、宿へ帰って、おめえのを見たほうがマシかしんねえな」
 爺さんのほうが言って、ストリッパーを怒らせてしまった。あのへんから時代が悪くなった。
 案内所で貰った地図によると、○○ミュージックというのが真面目なストリップであるそうだ。
「この、ね、真面目なストリップというのが、いかにも草津らしいな」
「そうですね。しかし、わかりませんよ。客は先生と二人っきりで、本番を強制されたら、どうします」
「きみが舞台にあがる」
「あがりませんよ。でも、あがったとしましょうか。それで、ハイ、拍手! なんてことになったら、どうします」
「俺が一人で拍手するのか。なるほど、それもいやだな」
 土産物の店の多い坂道を歩く。本当に爺さん婆さんばっかり。花インゲンの納豆、ツクダ煮、山菜、ヤマイモ、カボチャの種、温泉マンジュウ。多くは三袋千円となっている。
「どうして一袋ずつ売らないのかな」
「それは、きみ、田舎の客が多いっていうことだ。田舎から来た客は隣近所に土産物を配らなければならないんだ」
「あ、そうか。伊勢の赤福、京都の八ツ橋のような」
「おたべ、とかね。安くて数買えるものでないと」
 いろいろ試食してみたが、これが結構うまい。特に花インゲンが悪くない。親切で暖い味がする。
 真面目なストリップに心動いたが、朝鮮焼肉の店から出てきた、いかにもそれらしき二人の金髪女性の態度が横柄で威丈高いたけだかだったので止めることにした。


 濃厚で力強い湯

 大阪屋へ戻って、すぐに入浴。この大浴場の造りがいい。石の風呂で、イヤ味がない。九十七点ぐらい差しあげたい。
 草津の湯は、いままでの温泉と較べると、一言で言えば〝力強い〟ということに尽きる。濃厚で力がある。これが僕とスバル君の一致した意見だった。これは僕等二人が肌で知ったことであるから間違いがない。それでいて、サラッとしていて、裸で立っていると、すぐに乾く。
 また、ちょっとピリピリする。刺戟的だ。それで最初は熱く感ずる。例の湯もみは、そのためのものではないか。板でき廻すと肌になじんでくる。実際は少しも熱くない。最高の酸性泉で、殺菌力が強いのだそうだ。タクシーの運転手が、とにかく草津は湯がいいからと言っていたのを思いだす。
 のんびりと湯に漬っていたら、一目でマル暴とわかる三人組が入ってきた。言うならば、梅宮辰夫、松方弘樹、北大路欣也。もちろん、俱梨伽羅紋々くりからもんもん。とても正視できなかったが、なかなか上等な刺青いれずみであるようだ。ヤクザにもいろいろ業種があるが、彼等三人は武闘派である。
 十年ばかり前、浜松のホテルの展望風呂に入っていたら、三十人ばかりの男が入ってきて、すべての男が見事な俱梨伽羅紋々。これに取り囲まれてしまって怖い思いをした。
 五年ほど前、赤城山の旅館の大浴場で、同じような目つきの男たち四十人ばかりに囲まれてしまったことがある。この人たちには刺青がなかった。あとで機動隊の演習が行われたことを知った。あれは、だいたい同じ体つき、同じ顔、同じ目つきであることがわかった。
 僕、わざと悠々としていたら、彼等と出るのが一緒になってしまった。
「マツ! 煙草!」
 という野太い声がして、僕の隣で褌を締めようとしていた梅宮辰夫がぶるっとふるえた。
「ハイ!」
 北大路欣也が長椅子で胡坐あぐらをかいている。わからないもんだ、北大路が若頭で梅宮が子分であるらしい。僕も一緒になってぶるっと慄えた。彼等、刺青の色なおしに来たのかしら。それとも殺菌力のほうか。
 夕食。懐石ふう。すなわち、先付、珍味、炊き合せ、
 向付、椀、八寸はつすん強肴しいざかな、焼物、油物。僕、わがままを言わせてもらうならば、山菜、コンニャク、下仁田ねぎといったふうなほうがよかった。
 ロビーにも廊下にも僕等の部屋にも、わが師吉野秀雄先生の書。そのほか、俳人の上村占魚せんぎよ、松本たかし、詩人の田中冬二の書。これはすべて吉野先生の友人ばかり。はじめ、僕に対するサービスかと思ったが、そうでもないらしい。なんぞはからん、大阪屋は吉野秀雄先生の常宿であったのだ。先生の親友である画家の中村琢二先生もよく来られたらしい。大阪屋の中沢副社長はアララギの歌人であるそうだ。
 吉野先生の書は、かなり癖がある。僕は、先生の書なら読めるつもりでいたが、なかなか、そうはいかない。
 この宿の夕ともしびは雨さむき道ゆく人の傘にとどけり
 部屋の書をそう読んだが、僕のことだから間違っているかもしれない。間違っていたとしても、これはいい歌だ。格調が高い。
 ふた方に浅間白根の噴きけむり直立すぐたつかもよゆく春の空
 つばくろは湯畑の上を飛び交へり山寒ければ湯気を戀ひつつ
 などの草津遊吟を懐かしく思いだす。そうだったのか、これは大阪屋で詠まれたものだったのか。


 草津の二つの顔

 十一月十三日。
 山の見える所へ行こうと思った。専務さんに頼んでマイクロバスで中沢ヴィレジというところへ連れていってもらった。つまり中沢村。白根山の見える高原の台地である。その中心にヴィレジ・ホテルがある。
 虫明亜呂無さんの言うテニス・ギャルの世界がここに出現したのである。大阪屋もヴィレジ・ホテルも中沢家の経営である。
 ここは北海道によく似ており、北海道に軽井沢を重ねあわせた趣きがある。爺さん婆さんはいない。ただし、オフ・シーズンで、テニス・ギャルの姿は見られなかった。
 僕は胸一杯に清浄で冷い空気を吸いこんだ。これが良かったか悪かったか、神のみぞ知るというところだ。
 ホテルのほかに分譲マンションがある。その最上階から白根山を描くことにした。このマンションは二千万円から二千五百万円。必然、最上階は高価だから売れ残っていたのである。各室に風呂があるが、地下に温泉大浴場があるらしい。
 こういう条件で絵が描けるというのは、とても有難いことなのだ。
 僕は絵を描いていて変なことに気づいた。山の頂上に緑がある。その下が白い。白いのは雪なのだけれど、その雪の形が変なのだ。白い岩かと思ったが岩でもないようだ。緑が点在して、その下のほうに雪があるというのがおかしい。こういうことは絵を描いている人でなければ気がつかない。
 僕は何でも見た通りそのままに描いてしまう男なので、不思議に思いながら、そのままに描いた。
 ヴィレジ・ホテルで昼食。フランス料理のフルコース。いよいよ虫明さんの世界。これが本格的であって、特に牛肉がうまい。むろん白赤葡萄酒。
 自動車で白根山に登る。
 むかし、吉野秀雄先生が白根で遭難しそうになった話を聞いた。当時、ケーブルで頂上附近まで登ったのだが、結核患者で喘息ぜんそく持ちの先生は呼吸困難におちいってしまった。非常に危険な状態になり、救助隊のスノー・ボートで下山されたのだそうだ。
 登るにつれて、僕が白い岩のように見たのが樹氷であったことが判明した。樹氷・霧氷・粗氷という言い方があるらしいが、僕はその区別を知らない。
 一面の熊笹である。これが緑。その上のもみの木の樹氷。だから、ゴルフ場にクリスマス・ツリーが林立する光景だと思ってもらいたい。はなはだメルヘンチックである。夢幻の世界である。ゴルフ場のように人工的ではないから、これは大自然の素晴らしさだということになる。天から賜ったものだ。
 中沢副社長も専務も運転手も昻奮している。こんな光景は見たことがないと言う。何度も自動車を止めた。外に出て近寄ってみると、霧氷がナナカマドであったりする。その赤い実が凍りついているのである。おそらく気温は零下十度ぐらいだったろう。
 樹氷は、時に満開の吉野山の桜のように見える。そして蒼空あおぞら。僕等は何度も声をあげた。天の贈りものに拍手した。風景に拍手するというのは僕にとっては初めての体験である。
 自動車は渋峠の山小舎に到着した。ここが群馬県と長野県の境になる。
 専務が赤電話に飛びついた。草津市にいるカメラマンに電話をしている。すぐに登ってこいと叫んでいる。こんな光景は滅多に見られるもんじゃないと言っている。
 ついで、副社長が市の観光課に電話を掛けている。専務と同じ言葉を伝えている。二人とも、ひどく昻奮している。
 はじめ、二人が昻奮して素晴らしいを連発していたのは遠来の客へのサービスの一種かと思っていたが、そうではなかった。
 山小舎の主人も、こういう光景を初めて見たと言った。樹氷が出来て、熊笹に降った雪だけが融けて一面の緑になる。そこに午後の日が射すということは、滅多にはない。千載一遇とはこのことかと、そこにいる誰もが思ったことだろう。たいていは、この峠ではガスが巻いてしまうのだそうだ。山に不案内な僕でも、そのことは容易に推測できた。
 そのあと白根山に登った。どうも、これが余計だったらしい。僕は、ひどい風邪を引きこんでしまった。思えば、遭難しかかった吉野先生よりも僕はずっと年長になってしまっている。硫黄いおうでノドをやられたのかと思ったが、それだけではないらしい。二つ良いことはないなと思った。あるいは、この世のものとは思われぬものを見てしまった罰なのかもしれない。
 大阪屋へ戻って入浴。そのときは風邪に気がついていない。症状はあらわれていなかった。ただ、やたらに鼻水が出た。
 もう帰ったろうと思われたマル暴三人組が、まだ残っていた。どういうわけか、大浴場でかちあってしまう。怖しいので、すぐに出た。それもいけなかったようだ。
 僕は旅に出ると容易には眠れない。前夜は、ほとんど眠れなかった。この夜も眠れなかった。しかし、次のような夢を見たのだから、少しは眠ったようだ。
 僕とスバル君が、大浴場に体を沈めている。
「おい、昨日のアレは完全に暴力団だぜ」
「組のモンですよ」
「ケチな刺青だったな」
「モンモンとしては安ものですよ」
「ああいう奴等はね、一泊で帰るんだ」
「そりゃそうですよ。一晩御開帳して、朝帰るんですね」
「こんな上等な旅館に長くは泊っていられないよ。暴力団も不景気だから」
 そのとき、誰もいないと思った湯槽が泡立って、梅宮辰夫、松方弘樹、北大路欣也の三人が顔を出し、立ちあがった。
「ひやあぁっ!」
 そこで体がぶるっと慄えて目が覚めた。
 もうひとつの夢。
 二泊三日の旅であると、女房は、猿股二枚、下着一組を用意する。ところが、風呂敷をあけてみると、靴下ばかり、五足も入っている。
「バカヤロー」
 と叫んだ。ずいぶん、つまらない夢を見るものだ。
 翌日。また、朝からヴィレジ・ホテルへ行った。昨日昼食したテーブルから見た白根山が良かったからである。よほど親切なホテルでないと、あるいは懇意にしていないと、そんなところで絵を描かせてくれない。
 十一月十四日。この日、関東地方は全域にわたって雲ひとつない快晴になった。
 僕は、また、
「おや、変だぞ」
 と、首をかしげることになった。
 頂上のわずかな雪を残して、ほとんどの樹氷が融けてしまっているのである。
 あの童話的世界は、やはり夢幻であったのか。なんだか、そんな気にもなってくる。あんなに美しい世界が存在するわけがない。

 大阪屋は、江戸初期は杢右衛門もくえもんであった。関東の最古の湯である。その湧出量は日本一。江戸末期に大阪屋市郎次になった。
 昨日、白根山から降りてくるときに、中沢副社長が、そこで止めてくださいと運転手に言った。そこで、
「これが、うちの台地です」
 と副社長が指さした。遠く浅間山、赤城山。国境の雪。
「あの赤い屋根の建物は、全部うちで経営しているんです」
 はなはだセザンヌ的である光景が展開している。ここはベルツの丘であり、ベルツの森である。
 ああ、一度でいいから、僕も、これがうちの台地ですと言ってみたかったなあ。うちの先祖は江戸初期に何をしていたんだ。いま、杢右衛門は、中沢ヴィレジとなって、ギャルたちに桃源境を提供している。この高原の台地(地名で言うと大谷地やち、ヤチとはアイヌ語で湿地帯という意味である)は杢右衛門→市郎次→ベルツ→中沢家という歴史そのものである。
 なお、有名なベルツ水というのは処方であって、これはあかぎれの薬であるそうだ。僕は化粧水かなんかだと勘違いしていた。
 温泉ガイド
 草津温泉

■ところ・足の便 群馬県吾妻郡草津町草津 吾妻線長野原駅からバス30分。
■観光 湯畑、西ノ河原、殺生河原、大滝の湯等。
■宿 大坂屋
■近況など 地元産のかぶらを使った京風のかぶら蒸しや、白根ブドウのワインが新たにメニューに加わり、料理に幅が出てきた。昭和六十一年から、歴史と伝統を守る宿の会「和風村」が内湯の名湯めぐりを企画。また、白根山頂では人工スキー場がオープンした。

■中沢ヴィレジ

決死行、山中・山代・片山津


殺風景な温泉駅。夜中にシシも出るという。
僕はだんだん川口浩隊長のような心境になってきたのです。

 僕の決意

 山中・山代・片山津へ行くことになった。これに粟津あわづをあわせると加賀温泉郷になる。粟津を敬遠したことに別に意味はない。山中・山代・片山津のほうが語呂がいいというだけの話だ。
 それぞれのキャッチ・フレーズを書いておくと、
(渓流とみどりのふる里・山中温泉)
(遊ばせ上手の・山代温泉)
(湖畔の湯のまち・片山津温泉)
(人情と唄の湯のふる里・粟津温泉)
 であり、総称としては、
(くつろぎの加賀路)
 ということになる。
 さて、山中・山代・片山津というと、人は何を思い浮かべるか。中年以上の男性ならば、まず、
「へへっ
 と笑う。そうして、
「ついに、やっぱり、あなたも
 なんてことを言う。何のことかわからないが、これで通ずる人には通ずるのである。
 たまたま、手もとにある日本交通公社発行の雑誌『旅』の新春特大号を見ると、特集温泉リフレッシュとなっていて、巻頭は阿部牧郎さんの「山中温泉 一夜の悦楽」という文章で飾られている。そうなんだ。山中温泉とくれば〈一夜の悦楽〉と続かなくてはならない。そうでなければおかしいんだ。
 読者から、
「温泉紀行をやっていて温泉芸者が出てこないのはどういうつもりなのか」
 というお叱りの手紙がくるそうだ。
卑怯ひきようじゃないか」
 の声もある。そうまで言われては、
「よし。受けて立とう」
 と言わざるをえない。
 受けて立つ決心をしたが、さあ、どうするか。僕には、根本に、
「金で女を買うのはいやだ」
 という思想がある。しかしまた、同時に、
「山中・山代へ行って、そんなことを言うのは野暮だ。男じゃない」
 という考えもあり、山中節の、
〽病なおしの山中なれど、病もとめた人もある
 という心配もあった。心のなかは千々に乱れるのである。
 友人のY画伯が山中温泉へ泊ったことがある。
「そうしたら女が来ちゃってねえ。俺、その趣味ないから、帰ってくれって言ったら怒りだしちゃってねえ。すったもんだで大騒ぎよ」
 せっかく遊びに行って不愉快な目にあうのは厭だ。こういう場合はどうするか。もし、これがい女であったなら、女の要求を通す。むこうも商売なんだから。そうでなかったら、しかるべき金を渡してお引取り願う。まあ、そういうことになるのではないか。
「成り行きでいこう!」
 僕は、そう思った。これではハッキリしないから、僕は自分の考えを次のように整理した。
「かりに、小柳ルミ子か石川さゆりといったようないろっぽい年増芸者があらわれて迫られたときは、これは不可抗力ではないか。愛がなくても悦楽の鬼となろう。これを不可とするのは、男にとって一種の拷問なのではないか。僕は、その拷問に耐えられそうもない。また、死をもって拷問に耐えるというべき事柄でもない。あるいは、ぐっと若く堀ちえみのような接待さん(加賀温泉郷では女中のことを接待さんと称す)があらわれて、教官! お願いします、泊ります! と言われたときはどうするか」
 僕は、こういうドジで間抜けでノロマな亀のような若い女の子も嫌いじゃない。
「あるいはまた、山本陽子のような大年増の場合はどうするか。ええと、ええと、そういう際にはだな
 なんのことはない、僕には自分の考えが整理できないのである。なんだか、落語の『湯屋番』のようになってきちゃった。しかし、ポリシーとしては、成り行きでいこう! という確乎たる決意でもって北陸温泉郷めぐりに臨んだのである。
 ゴタゴタも厭だけれど、恥をかくのも厭だ。そこで僕は、湧永製薬株式会社のレオピンファイブという精力剤を用意した。薬用人参、牛黄ごおう大蒜にんにく製剤混入とうたってある。なんのことかわからないが、これはきそうだ。よってもって、僕の決死の覚悟のほどがわかろうというものだ。


 良い接待さんの条件

 十一月三十日、金曜日、午後三時、僕とスバル君は加賀温泉駅に降り立った。無風、快晴。インディアン・サマーとも言うべき日で、あったかい。皮のコートにブーツという完全装備で来たのだが拍子抜けする思い。
「越中の立山、加賀では白山、駿河するがの富士山、三国一」
 の白山の雪がクッキリと見える。これが、つまり、北陸の秋の終りであったのだろう。次第に曇ってくるのである。
 加賀温泉駅というのは殺風景な所だ。そのことが、加賀温泉郷ではコレッキャナイことを暗示しているようにも思われた。途中、芦原あわら温泉で下車した男たちが、一様に鼻の穴をふくらませていたことを思いだす。
「これから先き、どんな災難が待ちうけているかわからない」
 僕は、だんだんに川口浩隊長のような心境になってきた。夜の夜中にシシが出る所だ。芸者のことを山中でシシ、山代でコトリ、片山津でカモという。
「山中では上品な旅館を選びました。山中・山代・片山津と落ちてゆきます。土地柄もそうです。山中のかよう亭は、湯布院ゆふいんの亀の井別荘に匹敵するような素人しろうとっぽい上等な旅館です。期待してください」
 自動車のなかでスバル君が言った。十一月の終りの金・土・日という旅程である。忘年会シーズンであって、旅館の予約にスバル君は苦労したと思う。
 柿の実が赤い。このごろ、どうして、からすやオナガドリが柿を食べなくなったのか。
「このへんでは、雪が積りだすと食べるようになります」
 と運転手が言った。悧巧りこうなもんだ。山代を通過して山中へ着いた。その間三十分。
「セックス産業という点では山代温泉が一番盛んです」
 という運転手の話。僕もテレビで女体盛りなんていうのを見た。もし、女体盛りの料理が出たらどうするか。それは成り行きにまかせる。
 山中温泉かよう亭。なるほど上品な旅館だ。築四、五年というところか。県会議員である社長が政治に金を使ってしまって、大きな旅館を売り払い、趣味的な旅館を建てたという噂を聞いた。部屋数は十室で、ゆったりした数寄屋ふう。
 玄関に接待さんがずらりと十人ばかり並んで三つ指をつく。はなはだ森光子的風景だと思った。みなさん、若くて美しい。
 清流の間。実に静かだ。雪が降れば、もっといいだろう。すぐに入浴。この風呂場が、なんというか、開放的。天井から床まで大きなガラス。

浴用の適応症
①リウマチ性疾患 ②痛風および尿酸素質 ③創傷 ④高血圧症 ⑤動脈硬化症
飲用の適応症
①慢性の便秘 ②慢性肝、胆道疾患 ③じん麻疹 ④肥満症
泉質
カルシウム・ナトリウム――硫酸塩泉(アルカリ性低張性高温泉)

 あえて難を言わせてもらうならば、この浴室、床に傾斜がない。だから床に湯が溜る。
「わざとそうしているんじゃないですか」
 というのがスバル君の見解。
 散歩に出た。温泉情緒があると思いきや、商店街が続くだけで、土産物、射的などの店が少い。ヌードスタジオはあるそうだが、僕は気がつかなかった。そのかわり、商店街の裏は、芸者置屋といった風情ふぜいの家がならぶ。昔、遊廓があった名残りではないか。
 地方の温泉町へ行って目につくもの。薬屋の前の〝生理不順にメスコン〟というり紙広告。
「そうです。その生理不順という文字に赤で三重丸が書いてあります」
「ということは、更年期の芸者が多いということか」
「さあ、どうですか」
 別室で夕食。まず、初めに、驚くなかれと言っておく。本当に、これだけのものが出たのだ。

御付出し 揚慈姑くわい柚香煮 柚子釜 なまこ親子えいか紅葉もみじ和え
御前菜  平茸ひらたけおろし和え 椎茸柿生酢なます 黄菊胡麻酢和え
御吸物  すっぽん 焼葱焼餅 露生姜しようが
御造り  奉書造り 山茶花さざんか ぶり たら 甘海老
御焚合せ 青竹 芋そば 紅葉麩 ワサビあん
御追肴  一盛り 干口子ほしくちこ酒焼 河豚糠漬ふぐかすづけ 大根寿司
御 鍋  かも鍋 いろいろ とき玉子
御揚物  自然薯じねんじよ 磯部揚 青唐辛子 出汁
御酢物  こうばこがに 胡瓜きゆうり 二杯酢
御酢物  能登がきレモン酢
御 飯  なめこ雑炊 もみのり
御香物  三種
御果物  メロン

 このなかで、僕は、なまこ、鱈の刺身、大根寿司がうまかった。こうばこ蟹はスバル君に進呈した。
「私は口子と能登がきです」
 と、スバル君。驚くなかれと、もう一度言う。スバル君は能登がきのお代りをしたのである。彼は牡蠣かきには目がない。その数合計三十有余。ここで、三度び、驚くなかれと言う。スバル君には、松葉ガニ雄三杯、セイコガニ雌十二杯という記録がある。ニューヨークでは牡蠣を六ダース喰ったそうだ。昔、胃袋魔人とか人間ポンプという見世物があったが、スバル君なら拮抗できるのではないか。
 僕は、かよう亭の案内に、御昼食一万円ヨリとあったのを思いだす。
 給仕は秋田美人の内儀。白い肌が美しい。接待さんは、トシちゃんとアイちゃん。トシちゃんは感じがいい。アイちゃんは全日本女子バレーの三屋裕子に似た美人。
 酒は金沢の日栄にちえい。僕は、この酒が大好きだ。かなりの辛口。
 ここで、旅館にかぎらず、料亭などにおける良い女中さんの条件を書いておく。まず第一に、客に言われたことをキチンと実行する。第二に、何を言われても泰然自若、笑って聞き流す。これではないか。そうして、たとえば温泉旅館で一番愉快なことは、良い女中さんに当るということである。
 今度の旅では、女中さんは皆合格である。特に最後の宿のあたかやのてる子さんは絶品だった。将来の無形文化財候補と言っておく。
 サロンで、トシちゃん、アイちゃんと酒を飲んだ。このあたり、ムササビが出るそうだ。本当に山の中だ。この日は大安吉日の金曜日。結婚式やら宴会やらで良い芸者は出払っているという。山中温泉の悪い芸者ということになると見当がつかない。
「僕は清流の間の広いほうの部屋に一人で寝ています。
 あとでしのんできてください」
「ハイハイ」
 と、アイちゃんは泰然自若。
「嫌いじゃないんだろう」
 とスバル君が言った。
「嫌いになったら、女やめます」
 佐賀県出身のアイちゃんは、きっぱりと言い切った。
「ああ、そうだ。その前にマッサージを呼んでくれないか」
「男の人ですか、女の人ですか」
「女の人がいいな」
 僕、そういうことが言えるようになっている。十数年前、ホテルでマッサージを頼んだら、雲を突くような大男で顔はバスケットボールのようで、さながら海坊主のような人が来て怖い思いをした。そのマッサージ師、ベッドの上にあがらない。あるとき、ベッドが壊れたことがあったんだそうだ。だから、自衛上、マッサージは女性を頼むようにしている。〝東京の小説家、加賀温泉郷で按摩に踏みつぶされる〟なんて北国新聞に掲載されたら困る。
「女の人で若い人がいい。可愛らしい人で、色白で餅肌で、マッサージが上手で
「ハイハイ」
「感じがよくて、そばへくると良い匂いがして、アマユビって言うのかな、掌がしっとりしていて、イヤ味がなくて北陸美人の典型のような
「そんな人、いません」
 アイちゃん、とうとう、怒ってしまった。山中節を教えてもらおうと思ったら、出だしの 〽ハアだけで三年かかるというのでやめた。
 僕はそれでいいとして、スッポンの生血を飲み、口子を食べ、牡蠣をあれだけ食べたスバル君はどうするか。
「そのマッサージ、若くて綺麗で感じのいい人だったら
 スバル君がヒトサシ指でもって、カモンという動きを示した。あとで廻してくれという意味だろう。
 僕は早く床に入った。
「ごめんください」
 若い女の可愛らしい声がする。
「マッサージの人が来ました」
 若い男の盲人のマッサージ師を連れてきた。色白で感じのいい人だった。
「どこが凝ってますか」
 野太い声だった。力がある。隣の部屋のスバル君の鼾声かんせいが高い。若くて綺麗で感じがいいということではスバル君の要望に該当する。ただし男性だ。彼、そのケがあるのかどうか。どうしようかと思ったが、僕は眠ってしまった。
 山中の夜は、夜の夜中にシシもムササビも出なかった。
 山中温泉のかよう亭を僕に一言で言わせるならば、
「大阪や京都の、あるいは時に金沢の旦那衆が、それも水商売の旦那衆が隠れて遊ぶところ」
 ということになる。


 山代の雪雷ゆきかみなり

 十二月一日、土曜日の午後、山代温泉あらやに到着した。町を歩くと山中によく似ている。何の変哲もない。畑中純作「まんだら屋の良太」(『漫画サンデー』連載)の世界は見られなかった。近頃、ホテル式の大旅館のなかに、ショーもありコムパニオンもいて、むろん土産物屋もあって、それで町中が寂れてしまうのではないかと思った。
 山代温泉では、接待さんがそのまま部屋に泊ってしまうという。その比率は八十パーセントであるそうだ。山中の人にそれを聞いた。
 あらやは十七代も続いた古い旅館である。僕等の泊った部屋は百五十年前のものであるそうだ。室内はすべて漆塗うるしぬり。
 夕食に、スバル君待望のズワイガニが出た。僕は仕入値の高いものは食べない主義である。だから、さば中毒あたったりするのである。にしん大根がうまい。僕はお代りをして、それだけを喰っていた。酒は日栄。
 僕とスバル君が芸者を呼ばなかったのは、お内儀かみさんが美人(原節子に似ている)で、ぴったりとサービスしてくれたからである。
「それに、かよう亭は安くないぜ。ここで芸者を呼ぶと予算オーバーになるのではないか」
 という考えがあった。編集者出身の小説家は、どうしても、そういう心の動きをしてしまう。
 どうやら、あらやは八十パーセント以外の旅館であったらしい。
「わたしは小松で生まれ育ったんですが、山代へ嫁に行ったと言いますと、学校のクラス会なんかで、みんな驚くんですの」
 と、原節子が言った。それだけ、北陸でも淫靡いんびな土地という定評があるのだろう。テレビにはポルノビデオがあった。
「十軒の店でやらないことを一軒だけやるっていうのは良くないでしょう。また、十軒の店でやっていることを一軒だけやらないっていうのも良くありませんわ」
 それはポルノビデオを置いてある弁明であり、原節子の処世哲学でもあった。
 スバル君は原節子に誘われて夜の町へ出ていった。僕は疲れたので(どうして疲れるんだ)マッサージを頼んで早く床に就いた。あらわれたマッサージ師は海坊主に近い大男だった。かくして、僕は、またしても難を逃れ、恥をかくこともなかったのである。
 かよう亭は山中の山の中の旅館であったけれど、あらやは町中の旅館である。西武球場と後楽園球場の違いがある。僕は町中の旅館も嫌いじゃない。
 ああ、そうそう、あらやの浴室も、ゆったりとして感じがよかった。泉質は、含石膏、食塩、芒硝泉ぼうしようせんである。
 ただし、あえて難を言えば、ちょっと臭う。うんと悪く言えば、ゴムの腐ったような臭い。しかし、温泉好きの人は、その匂いがタマラナイと言うかもしれない。
 この夜、凄い雷。松江の人は、これを雪おこしと言う。北陸では雪雷と言う。冬に入ったのだ。スバル君は、熟睡して、この雷鳴を知らなかったそうだ。若いってことは偉いことだ。


 コムパニオン来る

 十二月二日、日曜日。
 雷の予告通りにみぞれが降った。そうかと思うと急に晴れあがり、また暗雲が垂れこめる。全天候型である。これが北陸らしくっていいなんて言う人がいる。
 片山津のあたかやは柴山潟しばやまがたに面している。僕は柴山潟から見える白山を描こうとしていたのだが、白山は見えず、どうかすると柴山潟も霞んでしまう。
 山中、山代、片山津と、だんだんに落ちてゆくとスバル君が言っていて、僕は、半ばそれを楽しみにしていて、半ば恐怖していたが、どうしてどうして、あたかやは善美なるものであった。
 ホテル式の新しい大旅館であり、内部は和室であるが、僕の知るかぎり、建築物としても第一等のものであった。高層建築であるのに、全体として平屋の感じがある。設計士の技倆はナミのものではない。とてもよく出来ていて気分がゆったりとする。浴室も広い広い。海ハトッテモ大キイナという感じだった。目の前が柴山潟で、朝早く、風呂のなかから御来迎が拝めるそうだ。フルチンで太陽に直面する。僕は、そんな榎本三恵子みたいな恥ずかしいことはできない。
 絵が描けない。何もすることがない。そんなら温泉に漬って寝たり起きたりしていればよさそうなものだが、若いスバル君は、そうはいかないようだ。
「金沢競馬へ行きましょう」
 僕は十月の毎日王冠から十一月終りのジャパンカップまで、競馬には食傷していたが、スバル君に同行することにした。はたせるかな、馬券は一度も適中せず、スッテンテン。とても疲れた。
「疲れるわけですよ。昼飯を食べなかったんですから」
 おい、まだ喰う気か。
 帰りの自動車のなかで僕は声をあげた。
「しまったあ!」
 夕陽が落ちるところだった。実に大きい。僕は日本海に落ちる夕陽を描いてみたいと、ずっと思い続けていたのである。落日は、およそ十分間で終ってしまう。もっとも、朝の天気では、予測のつかないことであったのだが
「おい、コムパニオンを呼んでくれ」
 まったく女っ気なしでは相済まないことになる。
「それから、金沢の倫敦屋ロンドンやに電話してくれ。ここにいるというだけでいい。ぜんぜん連絡しないというのもおかしいだろう。たぶん日曜日は休みのはずだ」
 金沢片町の酒場倫敦屋の戸田宏明さんは僕の愛読者である。それも狂のつくほうの人である。僕、自慢じゃないが、案外に、こういう読者が多いのである。狂的なのが多いから、従って、本を出しても部数が伸びない。不特定多数にならない。浮動票が得られない。
 夕食の日本海のたいがうまい。ネットリとして甘味がある。酒がまた日栄であること嬉し。
「こんばんは」
 コムパニオン二名が入ってきた。誰だってギョッとするだろう。白いブラウスはいいとして、長い長い捲きつくような赤のスカート。妓生キーサンであるような、官女であるような、こりゃなんじゃ。二十四歳と二十二歳の姉妹。姉は阿木耀子、妹は中森明菜に似ている。うんとオーバーに言えばの話であるが
「あなた、赤川次郎さん?」
 阿木耀子のほうが言った。
「違うよ」
「だって、フロントで東京の小説家だって言ったわよ」
「違いますよ。赤川次郎さんはね、俺の子供ぐらいの年齢だ。それに、美男子だよ、なかなか。俺みたいに禿げていない」
「でも、小説家だって言ったのよ」
 こういうふうでないと浮動票は得られない。小説家は赤川次郎一人だと思いこんでいる。
「あたし、大ファンなの。昨日『Wの悲劇』を読み終ったの」
「『Wの悲劇』は夏樹静子さんじゃなかったかな」
「ふうん。そうなの」
 コムパニオンは九時までしか部屋にいられないという。なあんだ。
「きみたちね、その恰好で町を歩けるかい?」
「歩けないわ」
「じゃあ、ここまで着てきた洋服があるだろう。それに着かえてきてくれないか」
「はあい
 戻ってきた二人は、一人が白のセーター、一人が黒のセーター。あまり変り栄えがしない。
 中森明菜が、けたたましく笑った。
「おかしい
 僕のはしの持ち方がおかしいのだそうだ。僕、自分でも承知していて、注意されることもあるのだが、こんなにあからさまに大声で笑われたのは初めてだ。この姉妹、よほどしつけのやかましい両親に育てられたのだろう。
 二人とも東京へ行ったことがない。東京のどこへ行きたいかと訊くと、
「ディズニイランド!」
「あれは千葉県だぜ」
 そこへ倫敦屋から電話があった。倫敦屋の細君からだった。
「もう、そっちへむかっている」
 ということだった。
 程なく倫敦屋があらわれた。
「霙が道の脇に積っていて、ハンドルを取られてスピードが出せないんです」
 酔ってしまっているスバル君から手荒い歓迎を受けた。この夜、スバル君は御飯を食べたという記憶がないという。冗談じゃない。山菜赤飯おこわをうまいうまいと言って喰っていたくせに。
「おじさんはね、この部屋に寝ている。夜中に庭のほうからノックしてください」
 と中森明菜に言った。
「そこ、通れないわよ」
 部屋は湖に面している。
「なんとかしなさい」
 それでも、二人のコムパニオンは十時ちかくまで遊んでいった。やっぱり、女性は、いないよりいたほうがいい。女の力は偉大だ。料金三万四千円。女中のてる子さんは芸者より高いんですと言っていた。
 むろん、片山津の夜の夜中にカモは出なかった。
 翌日は、昼まで柴山潟を描いていた。白山は見えない。
 殺風景な加賀温泉の駅前広場に、僕とスバル君と倫敦屋とが立っていた。
 かくして、僕は、決死の覚悟で東京を出てきたが、難を逃れて無事に生還することができた。何もしないのに、とても疲れた。
 こんどの旅で気のついた不思議なこと。日本の穀倉地帯であるのに、上等な旅館を泊り歩き、あんなに御馳走がでたのに、米の飯が美味ではなかったこと。朝食でスバル君は御飯のお代りをしなかった。もうひとつ。悪くはないのだけれど、あたかやを除いて、寝具が極上ではなかったこと。僕は、あたかやで一番よく眠った。
 なんだかもものあたりがかゆい。そう言えば、山中温泉の入浴注意事項に「強い酸性泉や硫黄泉では、入浴後に皮膚に〝湯ただれ〟が出来やすいので、皮膚の敏感な者は注意を要する」という一項があったのを思いだす。
「女房に疑いをかけられるのが困るな」
 と言ったら、スバル君が笑った。
「罪なくしてしいせらる」
 プラットホームの倫敦屋は、すでにして涙ぐんでいる。電車が動きだした。僕は、股を搔きながら、
「サヨナラ」
 と言った。
 温泉ガイド
 山中温泉

■ところ・足の便 石川県江沼郡山中町湯の出北陸本線加賀温泉駅よりバス30分。
■宿 かよう亭

 山代温泉

■ところ・足の便 石川県加賀市山代温泉 加賀温泉駅よりバス10分。
■宿 あらや

 片山津温泉

■ところ・足の便 加賀市片山津温泉 加賀温泉駅よりバス10分。
■宿 あたかや佳水郷

軽井沢は真冬に限る


四十年ぶりに訪ねあてた我が家の別荘地。
戦争末期に思春期を送った土地に佇むと、僕はしだいに涙声

 完全武装

 一月十一日、午後一時五分、スバル君と浩チャンと僕とが軽井沢駅に降り立った。僕の家へよく遊びにくる連中のことを山口組と言う人がいる。僕はこの呼称を好まない。浩チャンというのは、京都の陶芸家竹中浩氏のことであり、時々、僕の旅行に同行してくれる。すぐれた作陶家はすぐれた料理人である(北大路魯山人を見よ)というのが僕の持論であって、こういう人と一緒の旅は楽しい。浩チャンは大酒家であり、スバル君は大食家である。飲み役と食べ役がいてくれると僕は大いに安心する。
 それはいいのだけれど、本当の山口組の跡目は竹中という人がいだ。従って、竹中浩氏と一緒だと、僕はともすると山口組の親分になったような気分になってしまう。西部劇を見て映画館を出るとき、自分がジョン・ウェインになったような感じがして、歩き方まで違ってしまう人がいる。まあ、あんなようなものだ。
 さて、そういうわけで、いくらか肩肘張ったような感じで軽井沢駅の改札口を出ると、ちょっと凄味のある男が迎えにきてくれていた。これが星野温泉の運転手の塚田さんだった。
 リンカーン・コンチネンタル・リムジン。アイボリイより白に近い、おっそろしく大きな自動車だ。脇っ腹に鳳凰ほうおうの絵が描かれている。これが駅構内を出た所にピッタリと横づけされている。僕は、こういう車に乗るのは初めてだ。こういう車に乗るのはマル暴か野球解説者の金田正一ぐらいだと思っていた。ついでに言うと、警視庁ではマル暴(○の中に暴)、神奈川県警ではマルビーと称す。
 これより先き、スバル君と浩チャンは横川駅で釜めしを食べていた。僕は、旧軽井沢へ行って喫茶店でコーヒーとトーストを喫するつもりにしていたから釜めしは食べない。冬の軽井沢で営業している喫茶店なら間違いがない。熱いコーヒーに厚手のバタートースト。軽井沢なら、こうでなくてはならない。外国人の多い町には上等なベーカリーがあるはずである。
旧軽きゆうかるへやってください」
 僕は重々しい声で言った。
「どこか喫茶店があるでしょう。僕なんか旧軽通りと言っていたが、いまは銀座通りと言うのかな。昔、草軽くさかる電鉄があった頃、線路を越えた左側にアメリカ屋という喫茶店があった。戦争中にアメリカ屋という店があるのが妙に嬉しかった」
 と言いかけて、僕は、鼻の奥がくすぐったいような塩辛いような妙な感じになった。僕は四十年ぶりに軽井沢を訪れるのである。なぜそうなったかという理由は後でくわしく書く。
「いま、ありませんか」
「さあ
「アメリカ屋の先きに三笠書房のやっている本屋があった」
「さあね、知りませんね」
「あなたは、ここへ来て何年になりますか」
「十年と少しです」
 塚田さんが答えた。
「それじゃあ駄目だ。わかるわけがない。僕が言うのは昭和十八、九年頃の話だ。スバル君なんか生まれる前の話だから」
「コーヒーのうまい店はあります」
「そこでいい。そこへ連れていってください」

 ここで僕の服装について書いておく。僕は厚い毛糸のセーターに、毛糸のチョッキ。そのうえに革ジャン。さらにそのうえにノーザン・グース・ダウンという息子がカナダで買ってきたジャケット。岩橋邦枝さんがロシヤで買ってきてくれた毛皮の帽子。レッグ・ウォーマーに革のブーツ。完全武装だ。将棋で言えば、四枚矢倉に成り角を引きつけ、自陣飛車を打つという鉄壁の構え。最強の布陣。スバル君も浩チャンも穴熊程度には武装している。
 この日は快晴で、一枚ずつ武装解除したいくらいの陽気だった。軽井沢では暖いと言ってもいいのだろう。
 軽井沢に住みついている玉村豊男さんは、こんなふうに書いている。
「ピンポーン、とチャイムが鳴るから玄関のドアをあけてみると、ほとんど身動きがとれないほど着ぶくれた、南極へでも行けそうなかっこうをした人が立っている。
『い、いったいどうしたの⁉』
 そうきいても、口までマフラーで覆っているから返事もできない。暖房の効いた部屋の中に案内すると、途端に全身から汗が吹き出す始末だ。
 いったい、冬の軽井沢を何と心得おるのか。たしかに寒いが、極地ではない。ちゃんと人の住む、レッキとした町なのである。
 そこへ探険隊のような重装備でやってきて、
『よくこんなところに住めますねえ』
 と言う。」(『文藝春秋』昭和六十年二月号)
 たしかに、僕の恰好なら南極へも行かれるだろう。
 しかし、その玉村さんは、こうも書いている。
「朝、新聞を取りに庭先に出て深呼吸をしたら、ノドの奥が軽い凍傷にかかった。」
 深呼吸もできない町なのだ。いったい、どっちが本当なんだ。

 リンカーン・コンチネンタルでもって、旧軽井沢銀座通りの茜屋珈琲コーヒー店に乗りつけた。昔、郵便局のあったあたりの少し先き、つるや旅館の手前だ。
 扉をあけると、わっとばかりにチャイコフスキー、ヴァイオリン協奏曲の最高潮、つまりはサワリのところが鳴っている。店内は民芸調だがいやしくはない。十メートルの長い長いカウンター。そのカウンターの中央に三人で坐った。
 セーターにジーパンの若者が二人。これは従業員であって客ではない。客は一人もいない。ひっそりとしている。
「どうだい、真冬の軽井沢ってのは悪くないだろう」
 僕は㊝の続きが残っている。
「トースト、ありますか」
「そんなもの、出来ません」
 従業員の様子が少し変だ。
「それじゃあ、ブレンド・コーヒーをください」
 僕は、ブルーマウンテンとかキリマンジャロと言いたいのを我慢してブレンドと言ったのだ。ブレンドと言うときには、当店に恭順の意を表するという気味がなくもないのだが、それでもいけなかったらしい。単にコーヒーと言わなければいけないことが後になってわかった。
「わたしはアメリカン」
 と浩チャンが言った。若者は返事をしない。こりゃまずいと思った。
「そんなもの、ありません」
 正確に、そんなものと言ったかどうか忘れてしまったが、若者の様子からすると、そうだった。
「じゃあ、デミタス」
 おいおい、そりゃまずいよ。
 はたして、若者は、はりからぶらさがっているコーヒーカップを指さして、
「こんな大きさですが
 と言った。さすがに浩チャンもむっとした表情になった。かなり険悪な雰囲気になった。昔の僕なら、ないならないと言ったらいいじゃないかと叫んで席を立つのだが、この頃、老獪ろうかいになっている。
「このコーヒー、いかほどですか」
 といてみる。
「九千九百円です」
 それでわかった。九千九百円のコーヒーを飲ませるということで取材に訪れた新聞記者の態度が悪かったので一時間も待たせたという噂話を聞いている。
「九千九百円のコーヒーを五百円で飲ませるんだろう」
「そうです」
 やっと若者が笑った。もし、九千九百円を請求されたら告訴も辞せずという決意だった。じょうだんじゃないよ。
 そのコーヒーは、うまかった。
「久しぶりで美味うまいコーヒーを飲んだよ」
 態度は態度として、認めるものは認めなくてはいけない。
 茜屋珈琲店は、軽井沢ギャルに非常に人気があるという。それは、叱ってくれるのが嬉しいからだそうだ。ヤング・ギャルの嗜虐しぎやく的傾向について、またひとつ勉強したと思った。こんどから叱り飛ばしてやろう。
「よし、明日から毎日来るぞ」
 そんなことを言ったときには、二人の若者と、すっかり打ち解けていた。
 玉村豊男さんはいざ知らず、軽井沢で越冬して商売しようとする人たちのなかには、偏屈者がいるはずである。そうして、僕は、またしても、戦前の軽井沢人種のヘンコツを思いだすのである。たとえば、玉村さんも書いているが、カルイザワと言う人とカルイサワと澄んで発音する人と二種類に別れるのも、その一例。


 軽井沢人種とは

 旧軽井沢に別荘を持つ人は、千ヶ滝せんがたきに別荘のある人を軽蔑していた。千ヶ滝に別荘のある人は、星野温泉の別荘を軽侮していた。まことにいわれのないことであるが、これは事実である。また、旧軽井沢でも、テニスコートの裏手(万平ホテル近辺)に別荘のある人たちは、そうでない人たちを軽く見ていた。軽井沢というのは、そういう、まことに厭なところなのである。
 この軽井沢人種は、真に唾棄だきすべきものであるが、しかし、それにもかかわらず、軽井沢という土地は、非常に素晴らしい所だ。それは僕が一番よく知っていると言ってもいいと思う。
 軍需成金であった僕の父は、千ヶ滝に六千坪の地所を持っていた。昭和十七年だったと思うが、初めは、箱根土地(いまの国土計画)から五百円別荘と言われた別荘を買った。それを、だんだんに買い足していって、ついに六千坪になった。おそらく、千ヶ滝では最大であったろうし、旧軽井沢でも、そんな別荘はなかったと思う。第一、これは誰が考えてもバカバカしいことなのだ。
 五百円別荘といっても地所はなかなかに広いのである。僕の家の前に哲学者の三木清、家の前の小径を歩いて大通りを突っ切ったところに山本五十六いそろく元帥、ほかに近くに小説家の石坂洋次郎、横山美智子がいた。
 地所のなかに涸沢からさわがあった。そこに橋を渡し、その向うの広大な平地に新潟から農家を解体したものを運んできて、別荘のセカンド・ハウスを建てた。平地の向うは崖になっていて、崖下に小さな池があった。その池の先きの斜面までが、僕のところの土地だった。合計六千坪。庭に沢があり橋があり池があるというのは気持のいいものだ。なんともロマンチックである。このように、僕の父と母は、浮かれだすと止処とめどがないというところがあった。いや、案外に、発展疑いなしという千ヶ滝に六千坪の土地があれば、一生を安楽に暮せるという計算が働いていたかもしれない。その別荘は、終戦後、財産税が払えないために三十五万円で手放してしまった。三十五万円というのは巨額であるが、インフレーションが、たちまちこれを蚕食さんしよくした。
 僕は、この別荘が気にいっていた。昭和十七年、十八年、暇さえあれば軽井沢へ出かけた。昭和十九年、第一早稲田高等学院に入学してすぐに中退してしまった僕は、もう千ヶ滝に入りびたりになった。春、夏、秋、冬。落葉松からまつの新緑、浅間にかかる夏の雲。秋の高原の冷気。そうして僕は、特に酷寒の軽井沢を愛した。雪は滅多には降らない。そのかわり、地面が凍る。凍った道に月光が射す。その美しさを形容するすべを知らない。
 僕が、戦後、四十年間、軽井沢を訪れることがなかったという意味を、これでわかっていただけるだろうか。別れた恋人に会いたくない、むしろ憎んでしまうという心のありように似ているかもしれない。雑誌の編集部や洋酒会社の宣伝部にいたから、軽井沢の文化人たちの原稿を取りに行くという機会は何度もあったのである。どの場合でも、僕はかたくなに拒否していた。その理由を誰にも言わなかった。


 意外な穴場、星野温泉

 中軽井沢駅のそばの、かぎもとやでソバの昼食。星野温泉に到着。
 僕は、この温泉旅館にも泊ったことがある。本館は巨大な廃屋あばらやのような建物で、長い渡廊下の先きに風呂場があった。風呂から部屋へ戻るとき、手拭が凍ってしまって、ピンと突っ立ってしまったのを記憶している。
 だから、温泉熱を利用した全館床暖房の豪壮な近代ホテルになっているのを見て瞠目どうもくせずにはいられなかった。
 僕は、かねがね、星野温泉というのは、秘湯とは言わないが、温泉として相当な穴場であると思っていた。なぜならば、軽井沢に温泉があるというのを知らない人が多いからである。知っていても鉱泉もしくはかし湯だと思っているのではないか。湧出量ゆうしゆつりようは毎分千リットル(ドラム缶五本分)、温度は50°Cである。それに何と言ったって軽井沢だ。旧軽井沢まで足をのばせば、東京の一流店が何軒も店を出していて何でも食べられる。何でも買える。冬はスキー、スケート。冬以外ならテニス、ゴルフ。こんな良い所はないと思っている。草津温泉でただれた皮膚を星野温泉で洗い流すというのが上手な温泉治療のやり方だったようだ。
 到着してすぐに入浴。男女各二百名収容サウナ付きの大浴場、太陽の湯。これが清潔で、明るく、びるところがない。ほかに十二月に完成したシェイプアップのせせらぎの湯。
「どうだい、穴場だろう」
「穴場です」
 スバル君と浩チャンが、ゆったりと手足を伸ばす。泉質、弱アルカリ炭酸泉。
 飲めば、胃腸、糖尿、胸やけ、便秘に卓効あり。
 浴用は、神経痛、リューマチ、高血圧、不眠症、やけど、皮膚病に効果ありという。
 せせらぎの湯へも行った。ブクブクと泡が出て、湯のなかでをしてもわからない仕掛けになっている。ここで、実に、なんと、スバル君は、四キロの減量に成功した。僕は彼のことを人間ポンプ、もしくは胃袋魔人だと思っていたが、毛穴怪人でもあったのだ。
 湯槽ゆぶねのなかで、スバル君と浩チャンが何やら言い争っている。手で湯をきわけながら近づいてみると、二人の命題は、
「女の乳房は、湯のなかで浮くか沈むか」
 だった。バカバカしいが、考えるだけではわからない。二人とも、土佐のイゴッソウの血が流れているようだ。
 夕食。キツツキ鍋。これはチャンコ料理の一種だ。星野温泉の食堂の料理を僕流に一言で評するならば、なんだかトリトメガナイ、もしくは、取ッ散ラカッテイルということになる。鍋料理なのに、途中で吸いものが出たり、茶碗蒸しが出たりするから印象がアイマイになる。一貫性がない、主張がない。しかし、スキー、スケートのヤングたちは、歓声をあげてむさぼり喰っている。あんなふうに食べれば、印象もヘチマもないのだ。
 第一夜、眠れない。


 落葉松の林を過ぎて

 一月十二日、土曜日。濃霧。
 西高東低、冬型の気圧配置が続くと思っていたので、安心して床に就いたが、軽井沢ではまったく珍しい霧だった。
 浅間山が見えない。どころじゃない。三十メートル前方が見えないのだ。
 星野温泉社長(四代目嘉助さん)の案内で、僕の昔の別荘へ行くことにした。
 僕の記憶では、中軽井沢(沓掛くつかけ)駅から浅間山方向に向って、まっすぐに伸びる道があって、その道ではなく、その道が軽井沢からの国道と交叉するところを左へ(つまり追分方向へ)三十メートルぐらい歩いたところに、こんどは、グリーンホテルを目指すところの一本の長い長い直線道路があって、その直線道路の右と左が落葉松ばかりの林になっている。その直線道路が、北原白秋の「からまつの林を過ぎて/からまつをしみじみと見き/からまつはさびしかりけり/たびゆくはさびしかりけり」の道ではないかと言われていた。その道の尽きるところにロータリーがあり、左角に箱根土地の中区事務所(星野社長に西区と訂正された)があって、そのロータリーを、さらに、やや右方向に登ってゆくと、三百メートルばかり前方に、その道をよぎるところの流れの早い小川がある。その小川から、百メートルばかり戻ったところに、小径があって、小径を左に曲って二軒目というあたりに僕の別荘があった。
 この記憶は、部分的には鮮やかであるが、全体としてはアイマイである。なにしろ四十年前のことなのだ。僕は画用紙に地図を描いた。落葉松の道は描けるが、道と道とがつながらない。
 キメテとなったのは山本五十六である。山本元帥は昭和十八年に戦死したが、僕は悔みに行っている。西区の事務所からの道を、僕のところは小径を左に折れるのであるが、山本さんの家は右に曲るのである。悔みに行ったとき、軍神になった方にしては見窄みすぼらしい別荘だなという印象があった。その山本五十六の子息の方(NHK勤務)と星野社長とは親交がある。さらに、私の言う小川で遊んだこともあるそうだ。
「山本の家ならわかります。行ってみましょう」
 僕等は社長の運転で、まず落葉松の道を走った。うっすらと雪が積っている。落葉松は、枯枝ばかりだが、ほぼ僕の記憶通りに生い繁っていた。ということは二代目三代目であるのかもしれない。この道を歩いて町へ買いだしに行ったものだ。
「山口さんの別荘から駅まで三キロはあったでしょう。いや、一里ちかくあるかもしれない」
 自転車もなかった。僕は凍りついた道を何度も往復したものだ。
 懐しいというよりは、僕は怖かった。この恐怖感は何に由来するのだろうか。もしかしたら、僕には、軽井沢の別荘、それも六千坪の別荘があったなんて、あれは夢の中の出来事であったのかもしれないという気さえするのである。
 西区の事務所が昔通りの姿をあらわし、ついに小川に到達した。川は雪に覆れていて流れているのかどうかわからない。
「山本の家は、こっちです」
 たしかに、山本という軽井沢独特の木札の標識があった。
「そうすると、これを、こっちに曲るんです」
 僕を戸惑わせたのは樹木だった。こんなに大きなヒマラヤ杉や落葉松はなかったのだ。それは当り前だ。苗木だって四十年経てば巨木になる。
 その道を進むと涸沢があった。
「これ、ここですよ、山口さんの家は」
 社長が言い、
「ああ、そうですね、この涸沢です」
 スバル君と浩チャンが異口同音に、ヨカッタデスネと言った。
 しかし、僕一人、釈然としない。ピンとこない。何かが違う。涸沢は、こんな一メートルばかりのものではなかったし、これを六千坪の地所とするのは無理だ。
 雪の中に立ちつくしている三人を残して、僕は、ふたたび、小川の方へ歩きだした。
 浅野という標識があった。そうだ、浅野さんの家には美少女がいた。僕は、おそらくは無人であろうところの浅野さんの家に向って歩きだしたい誘惑にかられていた。しかし、かりに、彼女が当時十七歳であったとして、いまは五十七歳になる。また、その浅野さんであるという保証もない。
 おかしな言い方を許してもらうとすれば、僕にも思春期があり青春という混沌があったのである。戦争末期というのは決して暗いばかりの時代ではなかった。見方を変えれば、それは底抜けに明るかったという言い方もできる。ただし、その明るい道は行き止まりになっていた。僕の前方には軍隊という巨大にして仮借かしやくなきいじめっ集団と、間違いのない死が待っていた。明るい道の行く手は死の淵だった。
 僕は新響(いまのN響)の会員で、定期公演には必ず日比谷公会堂へ聴きに行っていた。日比谷公会堂の廊下は、当時の上流階級の社交場だった。軽井沢で見た美少女と顔が合う。むこうは知らん顔をしている。そうして、美少女の婚約者であった男が戦死したことを知らされたりもする。また、彼女自身も、後にヒロシマで原爆で大火傷やけどを負うのである。
 僕は、また文学座の友の会の会員でもあって、アトリエ公演なんてものも見に行った。さすがに、新劇では軽井沢人種に会うことはなかった。もっと言えば、長唄研精会なども社交界を形成していた。僕は吉住小三郎のファンでもあった。美声を通り越した物凄い声だった。
「山本さんの家を見せてください」
 僕は社長に言って、雪のなかを歩きだした。どうやら、山本家の標識は間違って道に突きささっていたようだ。あるいは別の山本さんであったのかもしれない。
「こっちですよ、こうですよ」
 逆に僕が道案内する形になり、三十分ばかり歩いた末に、ついに山本五十六の家をたずねあてることができた。
 見窄らしいと書いたのは誤りで、それは簡素な感じのいい家だった。
「この道です。この道を突っ切ればいいんです」
 その道が大通りに突き当ったところにも、たくさんの標識があった。一松という標識もある。
「やあ、イチマツさんだ」
 僕は、わざと間違えてその名を読んだ。
「違います。これはヒトツマツと読むんです」
 と、社長が言った。もう間違いがない。
「一松さんはお医者さんです。父の主治医でした。その息子が大変な秀才でね」
 僕の言葉に社長が、いちいち、うなずいた。一松さんは僕の家を訪れて、感動してここに別荘を建てられたのである。
 だから、山本さんの家からの道をまっすぐに突き進んだ。
「これ、これですよ」
 佐藤という名が見えた。むろん、知らない家である。ここに五百円別荘があった。現在は立派なコテイジ風になっている。
「この奥に、あ、あれ、おかしいな」
 幅五、六メートルに及ぶ涸沢があり、橋を渡った奥に新潟の農家が建っていたのである。涸沢の手前に瀟洒しようしやな別荘が建っている。
「これ、農家ですよ。トタン板で囲ってありますが、おそらく個沢の向うから移築したんでしょう」
 僕にもそう思われた。僕等は涸沢を渡り、その奥の広い平地に立った。平地の先きが崖になっていて、そこにも洒落しやれた別荘がある。
「ここなんだ。この崖の下に池があった」
「あ、ありますね。湿地帯になっていますが
 その奥までとすると、優に六千坪に達するだろう。
「アップダウンのすばらしい地形ですね。ここは千ヶ滝の一等地です。浅間山も一番いい姿で、よく見えるはずです、晴れていれば
 社長が、そんなふうに解説した。
「この池に、おおいかぶさるようにして、一本の菩提樹ぼだいじゆの大木があったんだ。池に、いい影を落していてね。ロマンチックなんて言葉を使いたくないが、実にロマンチックだったな。その池に、ちょっと無理なんだが、ボートを浮かばせたいと思っていたな。そのボートに俺が寝ているんだ。そこへ日傘をさした美少女がやってくる」
少女おとめのごとき君なりき
「そうなんだ。世の中よ、あはれなりけり/常なけどうれしかりけり/山川に山がはの音/からまつにからまつのかぜ」

「おい
「なんですか」
「おい、スバル君
 僕は自分の声が涙声になっているのを知った。「おい。スバル君。もし、だね。もし、昔通りの五百円別荘が建っていて、昔通りの新潟の農家があって。もし、そうだったら、俺、泣いちゃうな」
 僕はスバル君の顔を正視することができず、ソッポをむいた。
「わかります」
 スバル君もソッポを向いてから崖の下に目を落とした。

 一月十三日の日曜日は雪になった。これも軽井沢では珍しい。長野県に大雪注意報が出た。それでも浩チャンはグリーンホテルと、せせらぎの里と呼ばれる湿地帯を描きに行った。この夜も眠れなかった。やはり、ひどく昻奮してしまっていたのだろう。
 一月十四日。僕等は軽井沢駅の構内にいた。発車まで、まだ二時間もある。
「何か食べようや」
 僕等は駅前の食堂に向って走った。一陣の風、なんてもんじゃない、俄かの突風。風速一メートルにつき一度気温が降下するという。この日、軽井沢の気温が零下五度であったとすると、どうなるか。
 僕は、あまりの寒さに歩けなくなった。大通りの真中に立ちどまった。むこうから大型トラックがくる。スバル君が駈け寄ってきた。この時、僕が感じたのは恐怖感ではなくて、一種の恍惚感である。凍死するというのは、もしかしたら甘美なる死に方であるかもしれない。
「おい、スバル君」
「いそいで、いそいで、あぶないから。えっ? なんですか」
「スバル君よ。軽井沢は、ま・ふ・ゆにかぎるな」
 僕の頭のなかにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が鳴っているように思われた。
 温泉ガイド
 星野温泉

■ところ・足の便 長野県北佐久郡軽井沢町星野信越本線中軽井沢町よりバス5分。
■観光 野鳥の森、千ガ滝、鬼押出し。
■宿 星野温泉ホテル
■近況など 秋は紅葉、冬はスケートリンクと、避暑以外にも楽しめる。軽井沢高原教会での結婚式やテニスは、若い女性客の人気の的。啄木きつつき鍋や馬刺は珍味。また、野鳥の保護にも力を入れており、朝の目醒めは爽快。ホテルの電話のお待たせオルゴールが野鳥の音色になっている点もユニーク。

呉越同舟、汪泉閣おうせんかくの宴のあと


会費三万円。新宿の文壇バー主催のツアーに加わって、
クマと一緒に湯につかり、満喫した日本一露天風呂の野趣。

 耳寄りな話

 温泉旅行には団体旅行、宴会旅行というのがある。それを、ぜひ、やってみたかった。とりわけ、バス旅行をやってみたかった。
 新宿に、ひでという有名な酒場がある。場所は厚生年金ホールの裏、東京ビジネスホテルの前であって、このあたり、アンダンテ、捺瑪なつめなど文壇酒場が多い。ただし、客である小説家、評論家、雑誌編集者は、やや若手に属する。だから、有名だとは言っても、知らない人は、ぜんぜん知らない。
 この英の常連客で、毎年、バスを仕立てて、団体宴会温泉一泊旅行が行われているという。会費三万円。この話を持ってきたのは常盤新平(今回にかぎり、特別の場合を除いて敬称を略することにする)である。願ってもない話であるので、これに便乗することにした。僕は、しかし、英には一度も行ったことがない。
 酒場の女経営者で、旅行好き、登山が好きという人がいる。これも、ひとつのタイプである。休日は家でぶっ倒れていると思われるかもしれないが、案外にそうではなく、思いを雪山に馳せるという型がある。ふだん、カウンターの奥に跼蹐きよくせきする身としては、そんな心持もわかるような気がする。
 僕は、参加の意志を表明してから、岩橋邦枝に電話を掛けた。
「出かけるときからベロベロかね。往きのバスのなかで大宴会が始まるのかね」
「そんなことはないわ。でもね、朝の十時に集合でしょう。前の晩は飲み明かしてくる人がいるわ」
 タハッ! おそろしい。でも、僕の若い頃はそんなふうだった。
「酒癖の悪い人がいますか」
「いないわよ。××さんは来られないっていうし
「俺、オシッコが近いんだ。バスは頻繁に止まってくれるかね。溲瓶しびんを持っていかなくていいかね」
「だいじょうぶよ。わりに頻繁に止まってくれるわ」
「念のため、ビニールの袋を持っていこうか」
「平気、平気」
「あれはね、洩らすと初めはあったかくて、あとが冷い」
 彼女、笑って答えない。それほど怖がらなくてもいいようだ。しかし、なるべく水物は控えようと思った。

 宝川たからがわ温泉へ行く。これは水上みなかみの奥だと思ってもらいたい。近年、秘湯ブームと露天風呂で俄かに有名になった所だ。また、宝川の氾濫で旅館が流されたことがあるという話も聞いていた。
『利根川物語』(ちくま少年図書館)という本を読んでいたら次の箇所が出てきた。
楢俣ならまたダムと藤原ダムの中間のあたりに、右から流入するのが宝川である。この川べりに熊が泳ぐ温泉として有名な宝川温泉があり
「この藤原は、かつて奥州の藤原氏の落人おちうどが住みついたといわれ、さらにその昔は、アイヌなどの先住民族のかくれすんだところといわれている。
 地図で見ると利根川の奥の奥、ほとんど水源地であると言っていいい。

 旅は、それがどんな旅であっても、常に冒険旅行であることを免れない。そのことを僕は何度も書いてきた。
 三重交通のバス転落事故、台湾でのバス転落は、まだ生々しい。火山の爆発(温泉は火山帯に生ずる)。地震。砕石流。土石流。雪崩なだれ。入浴による事故死(伊豆半島で、毎年四十人から五十人が死ぬと聞いた。大酒を飲んだあと温泉に入って脳内出血などで倒れる。なかでも寒い脱衣場がいけないようだ)。さらに、もっとも警戒すべきは男女関係のもつれだ。旅に出ると、浮かれてしまって、急にいろっぽくなってしまう人がいる。会社内の温泉旅行で出来てしまったという例をいくつも知っている。この後遺症は大変なことになる。
 二月二日、土曜日。新宿駅西口、安田生命本社ビル富士銀行前、午前十時集合。スバル君が八時に迎えにきてくれた。あまり機嫌がよくない。彼のような専門家は、自分で企画しないと落ちつかないようだ。
「道は狭いですよ。バスが通るかな」

「なにしろ、秘湯ですからね」
 彼は、十数年前、秘湯がまだ本当の秘湯であった頃、一人で宝川温泉へ行っている。
「熊が出るそうじゃないか」
「出ます。熊が泳ぎます」
 僕は、星野温泉へ行ったのと同じ服装で出かけた。ただし、ダウン・ジャケットは着なかった。雪が深いというのでブーツをゴムの長靴にかえた。
 一行二十二名。これを、ガラス窓の大きい京王帝都バスの座席順に記すと次のようになる。
 小島栄一(運転手)。沼田。山口(僕)。石井(スバル君)。常盤。古井。長谷川。岩橋。南。森。中嶋。川合。なぎさ。内藤。平井。不島ふしま。森田。田中。横山。西部にしべ。成田。山口。寺田(あとから上越線で参加した)。
 男女半々で十一名ずつ。年齢は二十一歳から五十八歳まで。残念ながら僕が最年長である。女性は、なかなかの美人ぞろいだと言っておく。だいたいにおいて、小説家、ジャーナリスト、酒場のマダムの一行だと思ってもらいたい。
 常盤新平は、講談社の『小説現代』に温泉紀行を連載している。僕のほうが先発だから『フォーカス』と『フライデー』の関係に似ている。すなわち呉越同舟の感がある。


 誰も歌わない

 出発と同時に酒盛りになると思っていたが、そうではなかった。西部(英の経営者)が、
「午前中は飲ませない」
 と言明した。先年、新宿で文壇歌謡大会が行われたとき、古井由吉、李恢成、僕の三人が審査員を勤めた。そのときの優勝者は寺田博である。寺田の持歌は岡晴夫おかつぱるであるが、八代亜紀の「舟唄」に挑戦したのが評価された。
 講談社の辻章も名人級であって、僕は最高点をつけたが、そのときは入賞しなかった。それも新宿西口の酒場で行われたのであるけれど、酔っぱらった辻が僕にからんできたので、僕は採点表を見せた。
「いくら最高点をつけたって駄目なんですよ。それを形で示してくれなくちゃ、誰にもわからない。ねえ、銀行だってマッチをくれるじゃないですか」
「ああ、三角のね」
「三角だって何だっていいんですよ。形で示さなくちゃ」
 酒場での催しは、その酒場に対する貢献度で評価される。寺田は歌も上手だが貢献度もナムバー・ワンだった。それに懲りて、審査員なんかやらないようになった。編集者が小説家を尊敬したり小説家に感謝したりすることは、少くとも表面上はあり得ない。多くは恨んでいる。なかには俺が有名にしてやったと思っている人もいる。一方、小説家のほうは編集者を鬼だと言う(僕はそんなことを言わない)。文壇歌謡大会での編集者連中の歌は、僕には、すべて恨み節に聞こえた。もっとも、いま、文芸雑誌は売れなくなり、文芸図書も売れなくなり、大手出版社の給料は、年々に良くなっているから立場は逆転しているのであるが
 僕は、バスが出発すると同時に酒盛りになりカラオケになると予測していたのであるが、そうはならなかった。そうして、瀕死の状態で旅館に到着すると思っていたのであるが
 それは、リーダー格であり、マイクを握ったら放さないと言われる寺田がバスに乗らなかったためだと思われた。古井も歌わない。長谷川も歌わない。
 僕は前のほうに坐っていたから、はっきりとはわからないが、女連中は出発と同時に眠ってしまったようだ。僕の席から見える沼田は、ずっと眠りっぱなしだった。若いってことは偉大なことだ。
 小島運転手は、発車するときに「京王帝都・うたのしおり」を配布したのに、誰も歌わないから不機嫌になってしまった。つまり、バス旅行では、カラオケで歌うのがキマリなのだろう。それが運転手の体のリズムになっているのではあるまいか。あるいは最新のカラオケ装置を用意してあったのかもしれない。僕は蜜柑みかんやウーロン茶を持っていって、運転手の機嫌をとることに勤めた。
 僕は、ひどい音痴である。スバル君もそうだ。それで、僕は、万一の場合を考えて松田聖子の歌を勉強しようと思ったが、バカバカしいのでやめてしまった。もし、指名されることがあったら、僕の住んでいる谷保やぼ村の数え唄を歌おうと思っていた。カラオケ大会にならなかったのは、とても有難かったのであるが、なんだか拍子ひようし抜けしたような感じでもあった。
 だから、かりに、演歌なんかを猛烈に学習してきた男が、カラオケ大会があって、なかなか順番が廻ってこなかったとすると、ずいぶん切ない感じになるだろうと思った。カラオケで喧嘩になるという話は本当だと思った。
 僕は朝食を摂らないできたので腹が空いてしまった。十一時半になって、弁当の催促をした。荒木町のナントカという料亭の幕の内弁当は美味うまかった。ああ、そうだ。旅の危険の一項目である食中毒を忘れていた。だから、僕はタマゴヤキとネリモノは食べない。
「そうです。タマゴヤキに中毒あたるとひどいですよ。即死です」
 スバル君は、そう言いながら、僕のぶんのタマゴヤキも食べてしまった。
 食後に西部の許可が出て酒になった。それでも歌う人はいない。騒ぐ人もいない。おとなしいものだ。
 僕は、もっぱら、携帯ラジオで競馬中継を聴いていた。それが群馬県に入ると聞こえなくなってしまった。ラジオ日本は、もとラジオ関東といっていた。群馬県は関東地方ではないのかもしれない。


 スバル君の見解

「なんだ、雪がないじゃないか」
 そんなことを言う人がいた。おそらく、雪の露天風呂がいかに素晴らしいかを西部が吹聴していたのだろう。
「あの山に白く見えるものは何なんでしょう」
 と言う人もいる。国境のトンネルを抜けたかどうか知らないが、にわかにあたりが白くなった。運転手がタイヤにチェーンを巻いた。ノロノロ運転になった。
 僕は、もしバスが川に転落したら、大きな窓に体当りしようと思って身構えている。橋というものは、川に対して直角にかっていることを知った。だから、橋を渡るときは急カーブになる。三重交通の事故は、それを曲りきれなくて起ったのだろう。あのとき、僕は、どの水死体もうつ伏せになっているのをテレビで見ていた。
「女は上を向くと思っていたんだけれど」
「あれは時間が経っていないからでしょう。時間が経てば女性の水死体は上を向くはずです。陰陽ですから」
 そんな話ばかりしているから、ますます運転手の機嫌が悪くなる。いいや、いいや。もうすぐ着くだろうし、かえりは僕は電車で帰るんだ。
 宝川温泉には旅館が一軒あるだけだ。しかも谷底の旅館と聞いていたので、ひなびたものを予想していたが、どうしてどうして汪泉閣は巨大な旅館だった。秘湯ブーム、露天風呂ブームのせいで建増し建増しになったのだろう土曜日曜は一年前に予約しても部屋がとれるかどうかという盛況ぶりであるという。旧館、本館、新館、第一別館、第二別館、宝川山荘とあって、それでもまだ追いつかない。
 常盤新平はすぐに露天風呂へ行ったが、スバル君と僕とは内湯へ行った。出てきた客が、
「熱い、熱い」
 と言う。僕も熱いのは苦手だし体にも悪いと思っているが、水道の蛇口のあたりはそれほどでもなかった。体が温泉に馴れてきているのかもしれない。昔、箱根で、とても熱い風呂があった。とうてい身を沈めるというわけにはいかなかった。タクワンを二、三本放りこんだぐらいではぬるくならない。あんなのは困る。露天風呂はぬるいらしいが体はあたたまるそうだ。この内湯が、なかなかに結構だった。
 効能。
 外傷性諸障害、慢性筋及び関節楼麻質斯ロイマチス、慢性湿疹、官能性神経病、ヒステリー及び神経衰弱、軽度ノ脊髄病、中枢及梢末性麻痺、経久性半身不随小児麻痺、婦人生殖器慢性諸病、慢性欇護腺炎、諸病恢復期、腺病質。

 大広間で宴会になった。コの字になった上座に坐らせられる。最年長だから仕方がない。遅れてきた寺田は、やっぱり舞台のカラオケ装置に一番近い所に坐った。
 女性たちが、さかんにお酌にきてくれる。
「お流れ頂戴というのは、そうやるんじゃない。自分で飲んでから、お酌をするんだ。そうそう
 いやあ、女性連中の強いのなんのって。少しも悪びれるところがない。すぐに酒がなくなってしまう。
 掛りの女中が、なかなかあらわれない。どの人に聞いても、あたしじゃないと言う。このくらいの宴会なら、社長なり内儀なりが挨拶にくるのが普通だ。群馬県人というのは、人はいいのだが愛想がない。「目が廻るように忙しい」ので、とてもそれどころじゃないのかもしれないが。汪泉閣は、サーヴィスの面で万全ではないと思われた。もっとも、近頃は、サーヴィスしないのがサーヴィスだという考え方があるようだ。それとも西部英子御一行様は軽く見られているのか。あるいは、去年か一昨年に、よほどたちの悪い男がいたのか。
 歌になった。みんな上手なのに驚く。とても聞いちゃいられないというのもあったが。もっとも、宴会の余興というのは、あんまり上手なのも興醒めする。適当にうまく適当に下手というあたりがいい。
 僕は、寺田の「青春のパラダイス」が好きでリクエストしたのだが、彼は一番しか歌えなかった。歌詞を忘れてしまったのだ。自分でも驚いたらしいが僕も驚いた。
 〽晴れやかな 君の笑顔
 やさしく われを呼びて
 晴れやかな笑顔でなく悲しそうな顔になった。紅顔の美少年はどこへ行ったのか。昔、寺田がそれを歌うと、沈みかけた夕陽が戻ってくるような、青春時代がパッと甦ってくるような実にいい気分になったものである。そのあたりでオヒラキになり、部屋へ戻って、また酒盛りになった。僕も、近年にない大酒になってしまった。
 最年少のU嬢が卑猥な歌を歌ったのには驚かされたが、軍歌を知っているのにもっと驚かされた。会社(講談社)の前に右翼の宣伝カーが来るので、自然に覚えてしまったのだという。出版社は集中攻撃を受けることがあるので、充分に考えられることだった。
「さあ、行こうか」
 と言ったのが、西部だったか寺田だったか常盤だったか、それも忘れてしまった。十二時を過ぎていた。男も女も、大勢で一緒に露天風呂に行くというのが、この旅行の最大の狙いであったようだ。汪泉閣の日本一と言われる露天風呂は、男用と女性専用にわかれている。深夜になると、その区別がなくなってしまうようだ。
 U嬢は中森明菜に似た美少女である。西部は盛りを過ぎたが、往年のトランジスタ・グラマーである。あるいは、コツマナンキンか。関西ではドテカボチャなんてことを言う。その他にも美女多し。
 僕だって、大いに心動いたが、やめることにした。僕は今年を健康元年と定めた。施政方針は「無理をしない」ということに尽きる。雪のなか、吹きさらしの脱衣場を思うと、危険という考えが先きに立った。温泉紀行を続けていて、どうにかして素敵な混浴にめぐりあえぬものかと思っていたが、いま、その機会に遭遇しながら、体が動かない。
 僕は六人部屋の空いている布団にもぐりこんだ。スバル君は内湯へ行ったらしい。
 スバル君は言う。
 宝川温泉の汪泉閣が成功したのは、女性専用の立派な露天風呂を造ったことです。露天風呂というのは気持のいいものです。まして、雪のなかです。頭寒足熱です。女性専用の露天風呂は他の温泉にもありますが、こんなに大きくない。設備も悪い。
 これは肯綮こうけいに当る意見である。僕は、女性は本来的に危険を好む性情を具有していると思っている。ややヤクザっぽい男がモテルのはそのためだ。僕のような謹厳実直にして野暮天というのは駄目だ。いまごろそれに気づいても、もう遅い。また裸になりたいという欲望を抱いていると考える。のぞかれる心配のない露天風呂というのは、彼女たちの要求にピッタリ合う。スバル君の見解は卓見というほかはない。
 U嬢は、男用の露天風呂に飛び込んで、
「カイカーン(快感)、カイカーン」
 と叫びながら泳ぎ、男連中の喝采を浴びたという。写真も撮られたらしい。西部は男風呂と女風呂との雪道を裸で二往復したという。
 男連中はどうかというと、古井は猿股を盗まれた。いや、誰かに間違えられたのだろう。彼のモモヒキから察するに、盗まれるような上等な猿股を着用しているとは思われなかった。寺田は眼鏡の玉の片方を割った。いったい、何やってたんだ。西部は男風呂と女風呂との間のストリーキングの最中に一度転倒したと言うし、これと寺田の眼鏡損傷とをあわせると、いわゆるひとつの「怪しい構図」が浮かんでくる。さらにこれに古井の猿股を重ねあわせると、事件の全貌がほぼ明瞭になってくる。彼等は深夜の入浴後、ふたたび宴会を開き、三時過ぎに就寝したそうだ。怪しからぬ話だ。老人である僕を寝かせておいて、という発想がいけない。しかし、僕は、これを善意に解釈することにした。ああ、齢は取りたくないものです。


 宴のあと

 昨夜と同様、大広間にコの字型に坐って朝食。
「お酒を飲みましょうか」
 と、常盤新平。
「何本持ってきましょうか」
「十本ぐらい」
「一升ですね」
 まさか一人で飲むのではないだろうが、急速に実力をつけたものだ。彼の酒は晩学である。こういう人が怖しい。
 別れのときが来た。みんなロビーに集合してコーヒーなんか飲んでいる。
 U嬢が、ひどく打ち萎れている。自己嫌悪なんだそうだ。猥歌を歌ったのがいけなかったのか、それとも男風呂で泳いだのがいけなかったのか。こちらからすると、とても可愛らしかったのだけれど。それにしても、自己嫌悪というのは懐しい言葉だ。志賀直哉を思いだす。
「きみ、なんでもないんだよ」
 寺田が優しくU嬢の肩を叩いた。それから察するに、寺田のほうの自己嫌悪も相当なものなのだろう。その寺田、眼鏡を掛けていない。玉がひとつでは駄目らしい。気の毒に。
 バスが発車した。
「さよなら」
「ありがとう」
「気をつけてね」
「さよなら」
 僕は番頭をよそおって最敬礼した。僕は性分で、日帰りとか一泊旅行はできないのである。
 さて。みんな帰ったが雪になった。武尊ほたかは見えず、絵は描けない。僕は炬燵こたつに足を突っ込んでうたた寝をした。スバル君は露天風呂へ行った。頭に雪が積ったそうだ。
 ひどく気落ちしている。歓楽極まりて哀情多し、というところか。U嬢ほどではないにしても。実は、僕も歌ってしまったのだ。あれは出過ぎた行為ではなかったろうか。そのことがチクチクと胸を刺す。いいとしをして。
 その晩は、何も考えずに早く寝ることにした。スバル君と二人で三本の酒を飲んだだけだ。憂鬱な気分が僕を支配しているが、その実体がつかめない。
 どういうものか、花柳幻舟の夢を見た。
 二月四日、月曜日。
 あまりぱっとしない天候であるが、雪は降っていない。はじめて露天風呂に入った。微温湯ぬるまゆだと聞いていたが、出ると寒いということはない。外国人の客が多い。尻のほうまで毛だらけのアメリカ人がいて、こいつが女を連れている。その女は終戦直後のパンパンガールを思いださせてくれるような面貌だった。病気をうつされては困るので、そばへ寄らないようにした。
「アメリカ人はオカメづらを好むんですね。あれが彼等から見ると、エキゾチックなんです」
 とスバル君が解説する。
 熊が入ってきた。飼育係りのおじさんがついている。なんだ、熊が出るって、このことか。本来なら冬眠中なのだろうに、熊からすればいい迷惑だ。
 列車の時間まで、部屋から絵を描いた。前方に見えるのは、旧館だか本館だかの屋根である。この屋根の雪が平らでないのが僕にとっての不幸だった。画面、左上端にまっ白な武尊が見えるはずだった。
 皮肉なことに、出発時間の十二時になって晴れてきた。ついに、坂東太郎(利根川)の水源地である武尊を見ることができた。
 上毛高原駅から新幹線に乗った。すぐに高崎。それで高崎から大宮まで二十九分。速い速い。かくして、僕は、火山の爆発にもあわず、地震もなく、熊の難から逃れ、男女関係の縺れに遭遇することもなく、食中毒もなく、無事に東京へ帰ることができた。メデタシ、メデタシ。
 こんどが最終回であるので、都鳥君と臥煙君を呼んで、銀座の鉢巻岡田で鮟鱇鍋あんこうなべを囲むことにした。
 なにしろ、食欲も飲欲も旺盛な連中だから、僕のほうは食べたんだか食べなかったのだか、よくわからなかった。僕は夢の話をした。
「花柳幻舟ねえ。ああ、わかりました。連載が終って、先生は収入が減ってしまうでしょう。花柳減収なんですよ」
 と、臥煙君。なんだ、そんなことか。僕の憂鬱の根元はそこにあったのか。つまらない。
 そのあと、僕は初めて、新宿の英という酒場へ寄った。そうしないと、僕の長い旅が終らないような気がした。西部はケロッとしている。達者なもんだ。すぐに常盤新平があらわれた。中嶋が来る。内藤が来る。平井が来る。なんだなんだ、これは。
 それからゴールデン街。まえだ、ジュテ、マイ・ラヴ。ジュテのママさんが川合である。これもケロッとしている。すべて此の世は事もなし、という顔をしている。
「疲れなかったかい? 若いって偉いもんだな」
「だって、あたし、寝てばかりいたんですもん」
 そう言えば、あまり顔を見なかった。そういう人もいたんだ。
 温泉旅行というのは、家へ帰って、自分の家の風呂に入って疲れをいやしたときに終るのだとも思っている。
 温泉ガイド
 宝川温泉

■ところ・足の便 群馬県利根郡水上町藤原 上越線水上駅よりバス45分。
■観光 藤原湖、洞元湖、奥利根湖、天神平など。
■宿 汪泉閣
■近況など 渓谷をとりこんで造成した広い庭園の中に、各種露天風呂がある。婦人専用の露天風呂ができてからは、若い女性客が急増した。また、宿では熊を飼っており、客と一緒に入浴するので、一見の価値あり。山菜料理等のほか、熊鍋は珍味。


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