もくじ

もくじ

第1話 西伊豆早春譜
温泉行に三種あり / 腕時計を買う / 終りよければ

第2話 回想の中房なかぶさ温泉
下駄で三十分 / 中房温泉は日本一 / 雨が止んだら / 胸突き八丁

第3話 療養上等、碁点温泉クアハウス
理想的健康診断 / よぐござたなっす / おしんの故里

第4話 九州横断、湯布院ゆふいん盆地
温泉行も決死の覚悟 / ここが桃源郷だ / コスモスの秋

第5話 憧れの常磐じょうばんハワイ
晴れた空、そよぐ風 / ハワイに入っては / 呼び物のフラダンス / 小名浜港夕景

第6話 玉造たまつくり皆美みなみ別館の夜
山陰は強風快晴 / 宍道湖しんじこの夕焼け / 重役来たる

第7話 熱塩あつしお温泉、雪見酒
朝食にパン!/ 喜多方は倉の町 / 健ちゃんの活躍

第8話 下北半島、海峡の宿
明眸禍 / 着ぶくれて / 湯がみてくる / 天は我を見捨て給う

第9話 なぜか浦安草津うらやすくさつ温泉
なぜ浦安なのか / おみなとはかかるものかも / 成分と効能は?

10話 春宵一刻一万五千二百円
人間の啓蟄 / 最古の温泉、最古の芸者 / 浩チャン、あらわる / また、御難

11話 常磐ときわホテル 花梨かりんの庭
理想の庭 / なんだか様子が変ですよ / 盆地の朝 / 盆地の夏

12話 湯涌白雲樓ゆわくはくうんろうのヤマボウシ
金沢片町倫敦ロンドン屋 / アカシヤとヤマボウシ / 三助のスタイル / ドスト氏の霊感

13話 五島列島、かび臭い旅
すべては運命だ / ひとつの必勝法 / 口も荒いが気も荒い / 長崎から船に乗って / 九死に一生を得て

14話 安近短あんきんたん、埼玉に秘湯あり
アンキンタンとは何ぞや / 古風で素朴で田舎ふう、とは / 恐怖の一夜 / 終りよければ

15話 北海道、馬と漁り火
日程表に乗せられて / 早来牧場のカウボーイ / 混浴ではなかった / 漁り火、満月

16話 奥鬼怒おくきぬ、露天風呂めぐり
手拭を買う / 癖になっちゃう / 堂々たる人生 / 思わず絵筆を

17話 我が師の宿、大阪屋
草津とは何ぞや / 真面目なストリップ / 濃厚で力強い湯 / 草津の二つの顔

18話 決死行、山中やまなか山代やましろ片山津かたやまづ
僕の決意 / 良い接待さんの条件 / 山代の雪雷ゆきかみなり / コムパニオン来る

19話 軽井沢は真冬に限る
完全武装 / 軽井沢人種とは / 意外な穴場、星野温泉 / 落葉松の林を過ぎて

20話 呉越同舟、汪泉閣おうせんかくの宴のあと
耳寄りな話 / 誰も歌わない / スバル君の見解 / 宴のあと

山口 瞳

大正15年(1926)、東京生まれ。昭和37年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞、昭和54年には『血族』で菊池寛賞を受賞。平成7年(1995年)69歳没。

温泉へ行こう

山口 瞳

西伊豆早春賦


部屋よし、風呂よし、按摩よしを期待して、
「踊り子」号に乗り込んだが

 温泉行に三種あり

 昨年暮の某日、慎重社の熟年向き総合雑誌編集長のヤマキョウ君とスバル君が拙宅を訪れた。
「なにか連載の仕事を考えてみませんか」
「いやあ、駄目だ。へたばっている」

「今年は何もやらないつもりだ」

「のんびりと暮したい」
 なんだか二人がニヤッと笑ったように思われた。不気味だ。何かあるゾ。
「ご承知のように、糖尿病と高血圧だ。コレステロールに中性脂肪。それに胃に引きれがある」
 僕は、去年、この雑誌の連載を二回で中止している。そうそう読者に迷惑をかけるようなことはしたくない。恥をかきたくない。
「だからよう、だからさあ、考えてきたんだよ」
 ヤマキョウ君は三十年来の友人である。急に友人同士の言葉遣いになった。
「温泉へ行っていただきたい。温泉へ行って、のんびりと静養してもらいたい」
 スバル君が後を続けた。なんだか二人組の詐欺にあったような気がする。一方で、うまく引っかけるもんだなとも思った。
「温泉へ連れて行くっていったって、結局は、それを書くことになるんだろう」
「それはそうです」
「それにだな。温泉と言ったって、どこへ行くのかね」
「まかせてください。良いところ、いくらでも知っています」
 スバル君は、つい最近まで、交通公社に勤務していた。
「そうかね」
 結婚詐欺にあう良家の子女になったような気がする。あれよあれよといううちに事が運んでしまう。
「これからは温泉の時代です」
 なんてことを言う。うまいことを言う。あとで一人になったら、温泉の時代? いくら考えても何のことかわからない。
「じゃあね、第一回はドイツのバーデンバーデンにしてくれたまえ」
「ギョ!」
 こんなことを言って笑ったら、もう僕の負けなのだ。
「いや、冗談だ。一回目は遠くないところがいい。あまり近くても面白くない」
 僕、もう、その気になっている。ホンダのスクーターのように、乗りやすいタイプなのだ。ナイス・フットワーク? 苦いものがこみあげてくる。
「もちろんです。いきなり遠くへ行くなんて考えていません」
「第一条件はだね、糖尿病もしくは高血圧に効くところ。温泉効果が一番だ」
「もちろん、そのつもりです」
「湯の町というムードがほしい」
「いいですね」
「あまり淋しくてもいけない。山の中の駅で降りてジープで一時間半、そのあと山道を二時間歩くなんていうのは、いくら温泉効果があっても、困る」
「そりゃそうですよ」
「ヌード・スタジオが一軒なんていうのがいい。ヌード嬢が一人、これが切符売りも兼ねているなんてところ。その劇場へ行くつもりはないけれどね」
「行ってもいいです」
「それから、何かポリシーがほしいな。狙いと言ったらいいかな。一貫するものね。どの場所にも共通するもの」
「混浴です」
 スバル君が唾を呑みこむのがハッキリと見えた。僕も大いに心が動いた。しかるに、この案は捨てざるをえないことになった。なぜならば、西のほうには混浴の温泉が極めて少いからである。混浴は、東北・北海道に多いのである。
「露天風呂
「あ、それ、いいな」
「露天風呂とか、村の衆の共同浴場のあるようなところ」
「それだよ」
「秘湯めぐりってのもいいですね」
「それはいい。熱海とか草津とか登別のぼりべつってのは、マンションに大浴場があるようなもんだ。それはいいが、読者に馴染みがあるところがいい。行こうと思えば行かれるところ。冒険旅行じゃないんだから」
「その通りです」
「それからだね、絵は駄目だよ。スケッチ旅行は前にやっているから。絵の道具は重いんだよ。それに絵を描くってのは疲れるんだ。ご承知かどうか知らないが。さらにだな、場所探しに時間をとられる。静養にならない」
「そんなこと考えていません」
「じゃあ、そんな線で考えてみてくれたまえ」
 うかうかと乗せられてしまった。
 およそ、温泉行に次の三種類がある。
 一、団体旅行。会社の宴会や社員旅行で温泉へ出かける。ドンチャン騒ぎをする。このごろは、気のあった同士、サロンバスを仕立てて、道中飲み通し、カラオケ大会、着いたときは泥酔状態なんてのもある。
 二、美女とともに温泉にしけこむというやつ。口説文句に「どっか一泊旅行しないか、温泉かなんか」というのがあるそうだ。洗ったり洗われたりで、綺麗になりサッパリして帰ってくる。そのかわり一睡もできない。脹れぼったい目になる。静養にならない。第一、これはさいが許さない。
 三、湯治。農閑期のお百姓さんなんかが行くやつ。これは長逗留になる。多くは自炊である。僕、それは不得手だ。それに、言いたかないが、そんなひまはない。リハビリテーション(社会復帰)なんてのも、これ。
 さあ、困った。
 僕の温泉行は、どれに当るのだろうか。いて言えば湯治にちかい。ミニ逗留か。とかく、われら日本人、
「疲れたから、温泉へでも行こうじゃないか」
 と言う。そうして、出かけていっちゃ、さらに疲れて帰ってくるのである。変な人種だ。そうなっては困る。
 温泉というのは本当に体に良いのか。これにも疑問がある。
 湯疲れというのがある。湯当りがある。
 それに危険でもあるのだ。おそれ多くも東宮侍従長をはじめとして、風呂場で急死する例もすくなしとしない。温泉に老人二人が死んで浮いていたなんていう新聞記事を読んだことがある。温泉旅館の火事もある。
 友人の文芸評論家が、お尻に大きなオデキをこしらえて帰ってきた。
「きみねえ、温泉っていうのは黴菌ばいきんの巣窟だぜ。あの温度だろう。穴蔵みたいなところにあるだろう。岩風呂ってやつ。そこにだなあ、かさっかきがウジャウジャ出かけるんだぜ。感染うつらないほうが不思議だよ。きみ、糖尿があるんだろう。糖尿病はみやすい。膿んだら治らない。そんなの、よせよせ」
 彼、二カ月ばかり這って歩いていた。
 僕の心は千々に乱れるのである。乗りやすいタイプであることを恨んだ。そうこうするうちに月日は流れ、三月初旬、約束の梅の候になった。温泉へ行くっていうことは、湯に浸ってボンヤリすることである。ボンヤリして退屈していますっていうのを、どうやって原稿にしたらいいんだ。古来、塩原温泉の『金色夜叉』には宮あり、湯沢温泉の『雪国』には駒子あり。僕には何もないのだ。


 腕時計を買う

「うしろ姿が素敵ですよ」
 そう言って、スバル君が近づいてきた。三月六日、午後二時十五分、東京駅、十二番ホーム。僕らは、二時半発、踊り子号に乗車して、下田へ行こうとしているのである。
 僕は、黒の革帽子、黒の革ジャン、ジーパンという姿である。革ジャンだと、いくらか足が長く見えるという得がある。
「前へ廻ったら
 スバル君は、口をおさえて笑った。どうせ、そんなこった。
 僕、この頃、旅行に出るとき、必ず何か忘れものをする。旅行だけでなく、散歩に出ても忘れものをする。この日は腕時計を忘れた。時計なんか無くてもいいようなものであるが、旅先きで時計がないなんてのは何か不安である。
 そこで時計を買うことにした。さいわいと言っていいかどうか、僕は、遠くへ行くとき、待合せ時刻よりうんと早く着いてしまう。この日は一時前に東京駅へ着いてしまった。発車まで一時間半。時計を買う時間はタップリある。
 僕、大丸百貨店へ入っていった。六階の時計売場。僕は、あの、何と言うのか、文字盤に漫画のミッキー・マウスなんかが描いてある、ディズニー時計とでも言うのか、そんなのを買おうと思っていた。どうせ、家へ帰れば不要になるものである。値段で言って、千円から千五百円まで。誰か遊びにきた女の子かなんかに進呈すればいいと思っていた。
 しかるに、時計売場にディズニー時計がないのである。折からの進学シーズン、たぶん中学生になった息子のお祝いに時計を買うのだろうと思われる母親と、トレイナーを着た頬の赤い少年。こういうのは、ショー・ケースにへばりついていて、なかなか買うものが決まらないのである。
「あのぅ、腕時計が欲しいんですが」
「どんなのをお求めですか」
「安いのがいいんだ。千円から千五百円ぐらいまで」
「そういうのは、ちょっと」
 僕は事情を説明した。
「だからね、安いのがいい。値段につられて買うといったような。旅に出るんでね」
 店員が、ちょっと洒落しやれたデザインのデジタル時計をショー・ケースの上にのせた。一万二千円。
「これを三割引にするの?」
 大売出し・全品三割引という旗が立っているのを見ている。
「いえ、もう割引になっているんです」
「あのぅ、パチンコの景品なんかにあるじゃないか。千円とか二千円とかのやつ」
「さあ、そういうものは、当店では
 よっぽど、目の前のものを買ってしまおうかと思った。考えるのも面倒だ。しかし、洒落ていると見えたデジタル時計に兎のマークがついている。これはプレイボーイのものだろう。言っちゃ悪いが、鹿児島とか青森とかから上京してきた青年、イメージとしては日大法学部に合格した学生が、喜んで買うといった感じなのだ。
「女物でもいい。とにかく安ければいい」
 店員は変な顔をした。そうして、本当に女性用の腕時計をプレイボーイの隣にならべた。二千八百円。こういうとき、僕は、決断がつかないのである。大いに迷った。
 それもデジタル時計である。
「これが、いちばん安いかね」
「はい」
「よし、それにきめた。女物をください」
 ちゃんと保証書も説明書もあるのである。そうやって、実際に、腕時計を自分の腕にはめたとき、さあ、何と言っていいか、ある種の歓びと言っていいような感情が湧きあがってきたのである。僕は早春の西伊豆の温泉へ行く。女物の腕時計を買う。それが、いかにも相応ふさわしい出来事であるような気がした。俳句をつくってみたいような気分になった。

 西伊豆へわが行かんとす時計買う

 駄目だ駄目だ。僕には俳句の才能がないのだ。ただし、気分としては、そういうことになる。
 足取りも軽く一階までエレベーターを使わずに降りていった。まだ一時間の余裕がある。僕は喫茶店に入ってコーヒーを注文した。それから、横の窓を見て、
「ぎゃっ!」
 と叫んだ。目の前の名店街の雑貨店で時計を売っていた。特別セール、九百五十円ヨリと書いてある。ディズニー時計がならんでいる。時間の余裕はたっぷりあったのである。こういうところが駄目なんだ。喫茶店で時間を潰して、ゆっくりと十二番線ホームへあがっていって、スバル君に声をかけられたというわけである。
 僕は、女物の腕時計を見た。すでに踊り子号はホームに入っているが、掃除中だとかで乗せてくれない。
 二時十九分。僕はデジタル時計の2:19という数字を見て、それを頭のなかで普通の時計の文字盤に変え、ホームの大時計で確認してから、
「二時十九分だ」
 と言った。
「やあ、良い時計ですね」
「そうかな」
「だけど、どうして女物なんですか」
 僕は、そのわけを説明した。
「よく腕にはまりましたね」
「うん。ベルトをいっぱいまで伸ばしてくれたんだ」
 そのとき、僕は、もう一度、ギャッと叫ぶことになる。西伊豆の温泉へ行く。帰ってくる。そのとき女物の腕時計をしている。それを女房がどう解釈するか。困難な事態が起ることが容易に想像された。僕は、女房が、時計を忘れて出て行ったことを自分で発見することを祈らずにはいられなかった。
「大沢温泉へ行きます。絶対の自信があります」
 列車が動きだしてからスバル君が言った。専門家が言うのだから間違いないだろう。地図で見ると、下田で下車して、やや北寄りの山の中にある。しかし、海からは遠くない。大沢温泉に、ゆっくりと三泊して、場合によったら海岸へ絵を描きに行けばいい。
 そうなのだ。僕は水彩画の道具を持ってきた。こういうところが弱い。それと、束子たわし。僕は束子に凝っている。これでもって体をこすると気持がいい。垢が出る。皮膚が丈夫になって風邪を引かないという。
「なにに効くのかね」
「え?」
「その大沢温泉の湯だよ」
「ええ、まあ、なんとなく
 スバル君の顔つきは、はなはだ曖昧である。ええ、おい、よせよ、糖尿病か高血圧に効くというのが第一条件だぜ、と言おうとしてやめた。無駄な抵抗というものだ。
 五時十九分。下田駅に到着した。風が冷い。
 大沢温泉の僕らの泊った旅館は、なかなかに善美なるものであった。母家ではなく新館に通された。ベッドと畳の上の布団の両方がある。和戦両用という感じがした。炉があって自在鉤じざいかぎがある。しかし、火はガスであるようだ。
 スバル君、なにやら浮かぬ顔をしている。彼、モト業者であるから、客に満足してもらわなければならぬという考えがある。
「なんだか変ですよ」
 と言った。
 僕は大満足である。僕は、いつでも、良い旅館に泊ると、こんどは仕事でなく、女房を連れてこようと思う。このときも、そう思った。
「息子の新婚旅行にも、こんなところがいいんじゃないか」
 そうも思った。
 すぐに風呂へ行った。それが僕に課せられた任務である。その大浴場が良かった。総檜風呂。天井が高い。僕は部屋へ手拭いを忘れてきた。どうもいけない。スバル君が取りに行ってくれた。仕方がないから束子で前を隠した。なんだか変なものだ。
「ああ、いい湯だな」
 すぐ前の洗い場で因業そうな親爺が向うむきで背中を流している。陰嚢が床に垂れている。僕、いつでも不思議に思うのは、あんなものを女性が舐めたりすることだ。婦人雑誌にそう書いてある。愛咬せよとも書いてある。女に生まれなくてよかった。
 任務だから、ゆっくりと浸った。水の色は変りないが、ヌルヌルしている。あとで番頭さんに聞いたら、石膏泉で、神経痛、リュウマチ、腰の痛みに効くという。糖尿病や高血圧に良いとは言わなかった。向いの旅館の湯は硫黄泉であるという。ずいぶん変な所だ。効能書がないのは、オデキの客とか病人が集ってくると観光客が来なくなるからだという。
 夕食に出たものは、ヤマメ、ウド、うずらの照り焼き、カ二(ただし足が一本)、ツクネイモダンゴ、猪鍋、鮎の塩焼き。
 この日、僕、イレ歯の調子が悪く、固いものは食べられなかった。猪は特にうまいというものでもない。また、血圧の関係で塩焼きは敬遠した。
 スバル君、依然として浮かぬ顔をしている。僕、断言するけれど、この新館は、若い建築家が設計したものである。若い前衛ふうの建築家、特に女性の建築家は、日本の木造建築については全く無智である。材木のことを知らない。日本建築の作法を知らない。
 炉なら炉があればいいと思っている。炉にも作法がある。子供騙しみたいなことをする。
 昔、奥多摩の旅館に泊ったら、どの部屋も三枚障子という旅館があった。とても気持が悪い。訊いてみたら、有名な前衛建築家の設計によるものだった。だから、ダイニング・ルームとかロビーなんかはよく出来ているのである。畳の部屋は駄目だ。
 早く寝ることにして按摩あんまを呼んだ。この按摩(女の人)、いきなり僕のオッパイを揉みだした。
「乳揉みはいらないんです」
 と言おうとしたが声にならない。恐怖のあまり睡気がすっとんでしまった。按摩は、ふつう、最初は、背後から揉む。背後から手が伸びてきて僕のオッパイを摑んだ。
 ついで、腐った梨のようなものが僕の頬に触れた。それが彼女の頬であるらしい。
「ヤヤ、コレハ
 と思うまもなく、耳朶をねぶられた。大変なことになったと思ったが、怪しい振舞はそれで終った。どうやら、これは南伊豆地方独特の挨拶だったようだ。足を揉んでもらっているとき、うす目をあけて見ると、朝潮引退後二十年といった様子の女性だった。マッサージは十五分間で終った。僕の経験する最短記録である。
 もう一度、風呂へ行った。入口のところに全裸の老婆が立っている。彼女、ニヤニヤ笑っていて動かない。老婆であるが、オッパイは退廃していない。こういう女性もいるものだ。さながらフルムーン女優の如し。
「はい。ごめんなさいよ」
 仕方がないから、彼女の脇をすり抜けて風呂場へ入っていった。怪しい老婆ではなかった。湯殿にもう一人の老婆がいて、足もとがおぼつかないらしく、それを監視しているのだとわかった。それにしても、深夜、全裸の老婆がニタニタと笑っているのは無気味である。


 終りよければ

「出ましょう、ここを」
 翌日の朝、スバル君が言った。この旅館、うまく言えないが、万事につけて、嘘くさいのである。ロケーション(見てくれ)はいいが実質が伴わない。さすがにモト業者のスバル君、いち早く察知していた。
「こんなはずじゃなかった。どうも、おかしい」
 ツアー・リーダーの顔になっている。彼は案内書をひろげた。
「堂ヶ島へ行きましょう」
 本当を言えば、僕は大沢温泉でもよかったのである。風呂は悪くない。しかし、乗りやすいタイプである僕は、すぐに賛成した。そうして、案内書に出ている由緒ありげな旅館を選んだ。
 タクシーに乗って、波勝崎はがちざき雲見くもみ、松崎などを見て廻った。運転手に堂ヶ島の旅館名を告げた。
「ああ、あそこなら中曽根さんも泊った」
「それは総理になる前かね、それとも後かね」
「総理大臣になる前だね」
 なんだか悪い予感がした。
「あそこなら食べものは上等だ。風呂もいい。眺めも上等だ。安くはないけんどねえ」
 運転手の推薦するラーメン屋は信用できるけれど、旅館は駄目だ。
「どういう人が泊るの?」
「やっぱり作家だねえ。作家に画家に御隠居さん。お客さん、どういう商売?」
「作家で画家で隠居だ」
 僕は真実を言ったのだけれど、運転手は馬鹿にされたと思ったようで、以後は口をきいてくれなくなった。
 悪い予感が的中した。由緒ありげなのは旅館の名前だけであって、実は、ドライブインを改造して間のない旅館であるという。
「お客さん、晩飯は何時に食べっかね」
 女中が突っ立ったままで訊いた。いったいに、悪い旅館の女中は、突っ立ったままで、しきりに客の荷物やら服装やらをめ回すものである。
 スバル君、腐りきっている。ツアー・リーダーの面目なし。風呂は芒硝ぼうしよう泉。糖尿に効くとは書いてない。
 絵を描かなくてはいけない。黒沢明なら撮影中止にするような上天気である(黒沢は雲のない空なんて空じゃないと言ったそうだ)。ふたたびタクシーに乗って浮島ふとう田子たご安良里あらり黄金崎こがねざき宇久須うぐすと見て廻った。安良里の港を描くことにして旅館へ戻った。西伊豆は午後になると強風が吹く。絵は翌日のことにして旅館の近くを歩いた。天窓洞てんそうどうを見た。伊豆三大名所のひとつというユスリ橋も見た。
「このへん、名古屋あたりの人が新婚旅行に来るんじゃないかね」
「そんな感じですね」
 食堂の看板のエビフライ定食というのが、やたら目につく。
 旅館に戻って、電気ゴタツでスバル君とさしむかいになった。
「将棋を指しましょうか」
いやだよ」
博奕ばくちでもしましょうか。トランプ持ってきています」
「厭だ。きみと博奕打ってもはじまらない」
 風呂に二度入って、洗うべきところはすべて洗った。束子で洗った。剃るべきものはすべて剃った。することがない。酒はやめている。睡眠は足りている。
 お茶を飲む。小便をする。お茶を飲む。小便をする。その繰り返し。することがない。
「風呂へ行きましょうか」
「いい加減にしてくれ。風呂だって飽きるってことがあるぜ」
 夕食は、思っていたように、舟に乗った刺身と、携帯燃料による寄せ鍋が出てきた。
「運転手の言っていた磯の幸、山の幸というのがこれだな」
 そう言うと、スバル君、いよいよ腐ってしまった。
「この企画、考え直さなくちゃいけませんね」
「いや、愉快だよ。面白かった」
 翌朝は早く起きて安良里港へ行った。ここの民宿に泊るのが正解だったと、いまにして思う。なぜならば、魚市場があって、僕の好きないわしでもあじでも新鮮なのが食べられたはずである。凄いと言いたいような快晴。南アルプスまで見えた。僕は浜からと、丘の上のドライブインからと、二枚の安良里港を描いた。
 そこからバスに乗って修善寺へ行った。菊屋旅館。例の夏目漱石が血を吐いた旅館である。なんのことはない、最初から、ここにすれば良かったのである。やっと、スバル君、愁眉しゆうびをひらいた。部屋良し、風呂良し、食事良し、按摩良し。第一、女中が突っ立ったままでモノを言ったりはしないのである。いま思いだしたが、大沢温泉の按摩と堂ヶ島の女中、あれは大きな女だったなあ。源頼朝の子孫かしらん。
 温泉ガイド
 大沢温泉
 
 ■ところ・足の便 静岡県賀茂郡松崎大沢 伊豆
 急下田駅よりバス50分大沢温泉入り口下車。
 ■宿 大沢温泉ホテル
 
 堂ヶ島温泉
 
 ■ところ・足の便 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科
 伊豆急下田駅よりバス70分。
 
 修善寺温泉
 
 ■ところ・足の便 静岡県田方郡修善寺町修善寺
 伊豆箱根鉄道修善寺駅よりバス5分。
 ■宿 菊屋旅館

回想の中房なかぶさ温泉


北アルプス・燕岳まで下駄で三十分――
四十五年前の記憶を頼りに山奥の湯に出かけたが

 下駄で三十分

 中房温泉へ行くことになった。中房温泉というのは燕岳つばくろだけの中腹、北アルプス一帯の登山口になっている。僕、場合によっては燕岳に登るつもりになっていた。
 中房温泉から燕岳まで、下駄で歩いて三十分。ずっとそう思いこんでいた。まさか下駄では行かないが、軽装でいい。小学生でも登れる超初心者コース。そう思っていた。すくなくとも燕ややりの見えるあたりまで行って絵を描く。これは悪くないと思った。
 ドスト氏に同行をお願いすることにした。彼、山の絵を描きたいと言っていたのである。
 僕、中房温泉へは行ったことがあるのである。むかし、と言っても四十五年前、昭和十三年、小学五年生のときに中房温泉へ行った。燕にも登った。下駄で三十分。それは、そのときに得た知識である。
 僕の父と母、それに担任の大山正雄先生、生徒は犬飼孝、工藤久雄、永淵一郎の三名だったと記憶している。
 総勢七人。そのときの温泉が良かった、湯量が豊富だった。
 小学生の僕に温泉の良し悪しがわかるわけがないが、温泉好きの母が、「こんなにタップリしたお湯は見たことがないわ。もったいない」
 と言ったのを覚えている。湯は旅館の庭にも道路にも溢れていた。
 七月二十四日、日曜日、午前六時。スバル君が迎えにきてくれた。そこからドスト氏の家(彼の家は近い)へ廻って八王子に向った。
 梅雨つゆが明けていない。曇天。一九八三年の梅雨時を巨人軍ファンは忘れることができないだろう。あれほど独走していたのに連敗に次ぐ連敗。ついに広島に追い抜かれた。僕はアンチ巨人だから愉快でたまらない。愉快なのだが、長梅雨には参った。
 八王子七時三十五分発、あずさ一号に乗りこんだ。
 グリーン車にフルムーンがいる。ナイス・ミディがいる。若い登山客の一行がいる。
 その登山客、男三人に女一人。見るからに重装備である。どこへ登るのか、スバル君に訊いてもらった。
「北穂高だそうです」
 昂然こうぜんとして答えた。スバル君が威張ることはないのだが、その若い男女には、さあ何と言うか、威厳のようなものがあった。お前等とは違うぞという様子がアリアリとうかがわれた。
 たった一人の若い女客がいる。山へ行く若い女は、神様の失敗作というのが多い。そうでない美形は、思いつめていて自殺もしかねないという風情。岩波文庫なんか読んでいる。
 ちかごろの若い女性、前髪を垂らしたのが多い。松田聖子や中森明菜の影響じゃないのか。前髪を垂らしているから前が見えない。従って顎を突きだしている。鼻の穴が見える。このテの女が多くなった。
 ナイス・ミディの一行。一人は座席の上に坐っちゃっている。たしかにミディだがナイスじゃない。これが絶えず口を動かしている。反芻はんすう動物じゃないかと思う。車内販売の売り子が来ると、
「ああ、ちょっと
 必ず何かを買う。それを仲間にわける。敷島コンブなんか買っている。膝の上には吹き寄せだろうか、揚げせんべいの箱かなんかを置いている。僕、何もいらないが、あの女の胃腸を安く譲ってもらえないかと馬鹿なことを考えている。
合歓ねむの木の花がいいですね。色があざやかです。空気のせいでしょうか」
 ドスト氏が感心している。キスゲだか萱草かんぞうだかも美しい。
 松本駅が近くなって、登山の一行に緊張感が見られた。男三人、女一人。その女は一人の男の細君であるらしく肩を寄せあっていたが、立ちあがって網棚の荷物をおろした。こうなると戦士の一人になる。見ていて気持がいい。彼等の無事を祈らずにはいられない。
 登山の道具は急速に進歩している。釣りの道具もそうだ。これはヴェトナム戦争の副産物だと言われている。
 振ると暖かくなるホカロンなんてものがある。反対に振ると氷になるやつもある。万事につけて便利になった。たいていの登山客は、人工芝をまるめたようなものを持っている。これはテントのなかに寝ていて雨が降ってきた際に役立つそうだ。僕には、まるっきり、その方面の知識がない。


 中房温泉は日本一

 十時四十三分、穂高駅に着いた。安曇野あずみのを通って、そこからの林道がいい。中房川を見おろして走る。墜落すれば、釣人に発見されないかぎり、行方不明になるという。
 中房温泉までタクシーで四十分。窓をあけはなって森林浴のつもり。中房温泉は標高一四六二メートル。
 なお、ここで、僕の誤りを記しておく。中房温泉から燕岳まで下駄で歩いて三十分というのは、大きな間違いだった。合戦小屋まで二時間半、そこから二十分歩いて標高二四八九メートルの三角点に達するのである。さらに四十五分歩いて燕山えんざん荘。そこからまた三十分歩いて燕岳と案内図に記されている。
 いったい、「下駄で三十分」というのは、どういう記憶違いなのだろうか。
 僕は、尾根伝いの平坦コースを記憶している。お花畑があった。槍が見える。雷鳥を見た。灌木かんぼくにひそんでいた野生の兎を見た。その兎と目と目があったとき、ドキドキした。兎は頂上に向って逃げだした。追いかければ捕えられそうな気がしたものである。
 中房温泉は旅館が一軒しかない。
 だいたい、この近くにある小学生は、昼頃中房温泉に到着し、仮眠して夜中の十二時に出発する。燕岳で御来迎ごらいごうをして昼に旅館に戻ってくる。そこでカレーライスを食べて解散というのが普通の日程であるようだ。
「二、三日あとに東京の学芸大学附属の小学生がくるんです。この生徒たちは四泊するんです。ずいぶん金持の小学校があるんですねえ」
 と女中さんが言った。つまりは一泊というのが常識になっている。僕なんかからすると、ずいぶんもったいないことをするということになる。
 僕等は三泊の予定。三泊して帰りは松本へ寄って、うまいものを食べて帰るつもりにしている。
 旅館の建物には記憶がない。山の中にしては、ずいぶん立派な旅館だと思っていたのである。それに、万事につけて物価が高かったという記憶がある。下界で十銭だったカレーライスが十五銭だったか二十銭だったか。サイダーなんかも高かった。そんなことを覚えている僕は、かなりセコイ少年だったに違いない。運搬料が加算されているのだと思った。
 浴衣に着かえて散歩に出た。
「あ、思いだした」
 僕は、長谷川伸の芝居みたいなことを言った。温泉プールがあったのである。それには見覚えがあった。
 そこから月見ノ湯へ行った。それは記憶にない。大浴場の裏へ廻った。そうだ、そこなのだ。山からの湯が滾々こんこんと溢れていて、木のといに湯の花が厚くへばりついていた。
「見覚えがあるよ」
 母が感動したのは、その場所である。そこに蒸し風呂(サウナのようなもの)があり、隣に湯の滝があった。
 一ト廻りして、手拭を持ってきて、順序通りに、もう一度歩いた。
 温泉プールは、底がヌルヌルしていて、その感触も思いだした。ずいぶん深いプールだと思ったものである。
 スバル君が泳いだ。クロールとバックで。僕も試みたが、体が沈むだけだ。
 月見ノ湯は熱くて入れないので、蒸し風呂へ行った。
 ドスト氏とスバル君と僕。戸塚ヨットスクールと内田裕也と梶原一騎が留置場にいる山藤章二の漫画を思いだした。これは気持がよかった。ドスト氏とスバル君は滝の汗。僕は、なかなか汗が出ない質である。
 その隣で滝に打たれた。これがいい。よく温泉場にあるお体裁だけのものとは違う。五メートルの高さから落ちてくる。
 そこから、さらに大浴場へ戻った。中房温泉は温泉のデパートと呼ばれているそうだ。
 ドスト氏は七百グラム減。スバル君は一キロ減。蒸し風呂の効果があらわれた。僕は変化なし。
 ラジウムの含有量が多いという。肌がツルツルになる。ここは温泉として日本有数のもの、いや日本一であるかもしれない。穂高から乗ったタクシーの運転手が「糖尿病が抜けた人がいる」と言ったのを思いだす。僕はこの種類の言葉は無条件に信用することにしている。
 体力の衰えがはなはだしい。旅館の階段をあがるだけで息がきれてしまう。そのうえこの一カ月ばかり、絶えず嘔吐感がある。胃に鈍痛がある。さらに悪いことに、たった二本残っている歯の根がうずくのである。いったい、僕の体、どうなってしまったのかしらん。
 雨になった。もう、外へは出られない。中学生、高校生といった男女が、傘をさして外を歩いている。僕等の部屋の下に、マント狒々ひひみたいな奴がおりに入っていて、危険ですから餌をやらないでください、と書いてある。
 若い男女も、老人も、アルバイトで働いている人たちも、必ず、いったんはその檻の前に立ちどまるのが妙だ。
 この山には鳥がいない。これも妙といえば妙なことだ。硫黄が鳥を退けているのだろうか。そうとしか考えられない。トンボも蝶も少い。この季節、ふつうは山には赤トンボが群をなすものである。ふもと大町おおまちの福田家旅館に泊ったときは鳥の声がうるさくって早朝に起こされたことが思いだされる。
 雨が小降りになった。その頃になって、僕はドッと汗が出てくるのを知った。
「それは汗おくれって言うんです」
 とドスト氏が言った。
「汗遅れ?」
 それも頭と顔に集中する。
「知恵おくれみたいなもんです」
 ドスト氏は焼山へ登ると言って、一人で出て行った。
 焼岳ではない。蒸し風呂と滝の湯の間に田村薬師という神社があり、そこが焼山登山口になっている。徒歩二十分。百五十メートルぐらい登るらしい。そこは明礬みようばんの産地であり、少し掘れば百二十度を越す高温になり、鶏の丸焼きが出来て、それが中房温泉の名物になっている。むろん、卵なんか、すぐに茹だってしまう。
 旅館の階段で息切れがするのだから、僕は遠慮した。そのドスト氏が五時を過ぎても帰ってこない。心配でもあり、山をスケッチするという彼の絵も見たかったので探しに行くことにした。
 登山口で躊躇ちゆうちよしていると、七十歳を過ぎたと思われる老婆が杖をつきながら降りてきた。
「頂上にマント狒々みたいなお爺さんがいませんでしたか」

「絵を描いているお爺さんですが」
「ああ、いましたよ。なんでも小説家が来ていて挿絵を描いているんだと言ってました」
 老婆も二本足、我も二本足。登れぬはずはないと思い、スバル君に後押ししてもらって登ることにした。
 前回、西伊豆へ行ったとき、修善寺の梅林へ行っただけで顎を出したという経歴の持主である。思うに、年齢・体力に関係なく、山登りに適した人間と、そうでない人間とがあるのではないか。
 それでも、滑ったりよろけたりしながら、焼山に登った。中房温泉の標高は一四六二メートルだから、一六一二メートルを制覇したことになる。
 ドスト氏、悠然と岩に腰をおろしている。
「ここで宴会をやっている連中がいましてね、一杯御馳走になっちゃった。茹で卵、うまいですよ」
 どうりで赤い顔をしている。どこへ行っても誰とでも仲好くなってしまうのが彼の特技である。
「この肉、どうですか?」
 ドスト氏が砂のなかからネズミの死骸のようなものを掘りだしてきた。
「この肉、新鮮だそうです。今朝、松本の肉屋で買ってきたんだそうです。これもうまいですよ」
 僕は駄目だ。スバル君が、おそるおそるかじった。
「あ、うまい」
 しかめ面をして言った。


 雨が止んだら
 深夜になって豪雨。樋が壊れているらしく、凄い音でひさしを叩く。四百人ばかりの小学生は登山を中止したらしい。それでも、若い男女の五人組は出発したという。
 山とは水であるというのが僕の認識である。それをすっかり忘れていた。雨合羽を用意していない。傘を持ってきていない。靴はスニーカーである。
 山の天候は変りやすい。たとえば天気予報で、北アルプスは晴れという予報は、まず絶無だと言っていい。晴れ後曇、晴れ後霧ところにより雷雨というのが通常のことである。
 よしんば晴天であっても、朝には朝露がある。晴れていても水が落ちてくる。木雨きさめなんて言うらしい。雨具は必携品なのである。そのことを忘れている。また、もう山に登ることはあるまいと考えているところがある。
 一日目、雨。夜中に豪雨。二日目も雨。そうして、僕は、三日目が晴れたら燕岳に登ろうと決意していた。そのへんのところ、自分でもわからない。
 映画で言えば『心の旅路』といった感情があったようだ。北アルプスの尾根。お花畑。雷鳥。雪渓。野生の兎。兎の目。まあ、そういったところだ。
 例によって眠れない。だから、朝、ウトウトする。その間にドスト氏もスバル君も蒸し風呂へ行ったようだ。この二人、合計で三度ずつは、蒸し風呂と大浴場へ行ったようだ。
 特に蒸し風呂が馬鹿に気にいってしまっている。彼等はパンツを穿かない。すぐに風呂へ行かれる態勢をつくっている。
「癖になりそうだ」
 とスバル君が言った。
 僕は寝てばかり。
「明日はどうなさるおつもりですか」
 夜になって女中さんが言った。
「晴れていたら燕に登ります。戻ってきて一泊します」
 僕は明言した。
「雨が降っていたら?」
「雨になったら帰ります」
 僕は信濃大町へ行って福田家へ泊るつもりにしていて、ドスト氏にもスバル君にも諒解を得ていた。福田家は紀尾井町の福田家と縁続きで、もと赤坂にあった店が移転したもので、そりゃあ善美なるものだ。とても山の中の旅館とは思えない。福田家に泊って味噌でも買って帰ろうと思っていた。
 中房温泉の食事も悪くはなかった。念のため、加島屋の鮭茶漬とカニ缶を用意してきたが、それが必要ないくらいだった。山菜が主体になる。しかし、日本海から直接運ばれる魚の上物を買い占めてしまうという福田家に及ぶわけはない。
「お泊りになるのでしたら、鶏の丸焼きを用意します。それがここの名物ですから。朝の十時に焼山に埋めるんですから、早く言っていただかないと
「ですからね、朝晴れていたら、泊ることになります。そうしたら、鶏をお願いします」
 絶えず嘔吐感があり、歯が疼いている僕には鶏の丸焼きはあまり有難くはないのだけれど


 胸突き八丁

 三日目も残念ながら雨だった、と書きたいところである。雨なので、無念であるが燕制覇ができなかったというのが僕の青写真であり心づもりだった。
 しかるに、有難いことに(残念にも)快晴だった。山の天気は変りやすいから晴れと断言できないが、とにかく朝から青空が見えていた。
 忙しいことになった。昼食用の弁当を頼む。雨合羽とリュックサックを借りる。傘も借りる。魔法瓶を借りる。それらは、すべてスバル君が手配してくれた。
 僕、モモヒキを穿く。靴下を二枚穿く。一枚はズボンの上に穿く。
「わ、恰好いい」
 カッコイイわけがないじゃないか。
 中房温泉を少し下りたところに燕岳登山口がある。午前十時。折しも、四、五百人の小学生の一隊が登山を開始するところだった。
「すみませんねえ。お先きに行かせてもらいます」
 引率の教師が挨拶した。
 子供たちがノロノロと登ってゆく。
「これはたまらぬ」
 実際に僕はそう思ったのである。僕、自慢じゃないが、足が早いのである。せっかちなのである。
 やっと、小学生の最後尾が目の前を通り過ぎた。
「さあ、行こう」
 ドスト氏が先頭。僕、スバル君の順。僕の荷物はスバル君が持ってくれている。
 断崖絶壁。そう言ったら、山男諸君は笑うだろう。ここは初心者コースなのだから。
「ゆっくり、ゆっくり。駄目、駄目。まだ早い」

「わざとノロノロ歩くというくらいでちょうどいいんです」
 それでも小学生の最後尾に追いつかない。彼等は、すぐに見えなくなった。なぜならば、スバル君の言によれば、
「先生、十メートル登って五分休むんだから」
 という具合だったからである。
「ゆっくりと大地を踏みしめるように」
 本当に重装備の若い山男たちは、ゆっくりとノロノロと登ってゆく。何組に追いこされたことか。それでいて彼等は大地を揺るがせるように地響きを立てて登ってゆく。
「この山道を行きし人あり」
 僕、はなはだ折口信夫先生的心境になっている。憧れちゃうなあ。折口先生、やっぱり男色的傾向があったんじゃないか。
 僕が軍隊にいて行軍をしたとき、何が嬉しいかといって小休止ぐらい嬉しいものはなかった。戦争が終るとは思っていなかったが、除隊して山歩きをするときは、うんと小休止をやってやろうと思い思いしたものである。
 小休止でなく大休止がいい。
「おい、少しやすませてくれ」
「だめ、だめ」
「もう駄目だ」
「坐っちゃいけませんよ。坐るとかえって疲れる。立ったまま休むんです」
「そんなことできない」
「いくらか平坦な道があるでしょう。そのとき呼吸を整えるんです」
「お茶を一杯飲ませてくれ」
「いけません」
「じゃ一服するぞ」
「煙草ですか。とんでもない。煙草なんか吸ったら息があがっちまいます」
「きみは戸塚宏か?」
「戸塚です」
 本当は自分でも煙草が吸いたくないのである。これは不思議だった。ただただ休みたいだけである。
「さあ、行きましょう。元気をだして」

「息をね、吸って吸って、吐いて吐いて」
「スースー、ハーハー」
「そうそう。吸って吸って、吐いて吐いて」
「スースー、ハーハー。三深九浅じゃなかったかね」
「冗談を言っている場合じゃありません」
 ドスト氏は、とっくの昔に見えなくなっている。彼は先きに行って、僕を待ちながら、しかるべき場所で山の絵を描こうとしているのである。
 第一のベンチという休憩所がある。案内書によれば、そこまで四十分となっているが、僕は一時間半を要した。やれやれ。
 第一のベンチから尾根伝いになると思っていたが、そうではなかった。
 十二時を過ぎると下山する客に会うようになる。家族連れがいて幼児もいる。
「この坊や、何歳?」
「四歳です。いま三歳の女の子も降りてきますよ」
 さすがに三歳の女の子は手を引かれたりおぶさったりしていたが、昨夜、豪雨のなかを登って燕山荘に一泊したのだそうだ。驚くよりさきに気が遠くなる。
 ペア・ルックの老夫婦がいる。
「お達者ですね」
「いや、さっき、七十歳のお婆さんに会いました」
 僕、山登りする人の気持がわからない。彼等は、登るときに上を見ないのである。すばらしい眺望があっても見ようとはしない。ただただ地面を見つめるだけだ。何が面白いのか。しかも、生命の危険を冒して。不可解である。釈然としない。
 第二のベンチ、第三のベンチ、第四のベンチ、第五のベンチ。これが休憩所であるが、案内書によれば、第四のベンチなんかは休まないほうがいいと書いてある。
 驚くなかれ、僕は、ついに第五のベンチを通過して合戦小屋まで登ったのである。
「数えてみたら、先生は、第五十六ベンチばかりありました」
 スバル君がいやなことを言う。
 合戦小屋で、ドスト氏はビールを飲み、湯茶と菓子のサービスなんかしてもらっている。
 僕は、どうして合戦小屋まで登ることができたのか。
 第一に、小屋へ着いて、煙草を吸い弁当を食べたいという気持があった。第二に、僕等が引返したらドスト氏が昼食を食べられない。第三に、ここがわからないが、そこに山があるからという名言に近い気持があったようである。第四に、北アルプスの尾根伝い。雪渓、お花畑、雷鳥、兎という思い出があった。そいつを確かめたいという気持があった。
 合戦小屋から、見晴しのいい三角点まで登りの二十分。
 三角点から燕の頂上まで一時間(平坦コース)。合計約一時間半。
 小屋の人が、僕を見て、
「そうねえ、中房からここまで二時間半だから、それを五時間かかったのだから、燕までは二時間みないとねえ」
 と言った。
 僕等は引返すことにした。いまにして思えば、そこまで登ったのだから、燕は無理としても燕山荘に一泊すべきだった。しかし、僕には鶏の丸焼きをどうするかという頭があった。人の親切を無にすることはできない。三時になって山道を駈けおりた。地球に引力のあること嬉し。下りは楽だ。
 そのときになって僕は気がついた。
 四十五年前、小学五年生のとき、僕等は燕山荘まで登ったのである。燕山荘から燕岳まで、下駄で歩いて三十分。それなら辻褄つじつまが合う。
「なんだ、そうだったのか」
 かくして、幻のお花畑、雷鳥、野生の黒兎の光る眼、それらは僕の頭から消え去ることになった。僕は、当時野球部の選手であって、激しい運動に耐えていたから、中房から合戦小屋までなんか屁の河童、道中の苦しさなんか記憶に価するものではなかったのだ。
 温泉ガイド
 中房温泉
 
■ところ・足の便 長野県南安曇郡穂高町有明中房 大糸線有明駅よりバス75分。(ただし直通は七、八月のみ。宮城よりタクシー利用40分)
■効能 リューマチ、骨折、火傷、胃腸病、皮膚病、痔疾。
■宿 中房温泉
■近況など 裏山や谷間等々、泉源は三六か所も。周囲はすばらしい広葉樹林で、手を加えない自然を満喫できる。なお、駐車場の関係で、日帰りの場合はタクシー利用が得策。

療養上等、碁点温泉クアハウス


体調は満点。温泉は碁点。
リョーヨージョートー夜は更けて、糖尿病もとんでった。

 理想的健康診断

 九月八日、午前七時、スバル君が迎えにきてくれた。
 温泉へ行くのじゃない。今回は、温泉へ行く前に健康診断を行うことになっている。日本健康開発財団の経営する東京駅八重洲口の向いにある総合健診センターへ行くのである。
 僕は、山形県天童てんどうのそばにある碁点ごてん温泉(駅で言えば奥羽本線楯岡たておか駅が近い)へ行くと聞いていた。ところが、スバル君、
「碁点温泉へ行くには、その前に、総合健診センターで健康診断を受けなければ行かれません」
 と言うのである。あとでわかったのであるが、そんなことはない。村山市で経営している碁点温泉は、村山市民なら入浴料五百円、市民でない人は千円、一泊(三食つき)七千円から一万円で行かれるのである。
「こんどの場合、実は本当にひっかけたんです。競馬で言えば出来レースです。まあ、一種の詐欺です。ごめんなさい」
 これは有難い話である。こういう詐欺なら、何度でもひっかかりたい。
 二年前、都内の大病院で胃の透視検査を受けたとき、「引れがあります。癌だか潰瘍かいようだかわかりませんが、胃カメラを呑んでください」
 と言われた。僕、胃カメラは駄目なのだ。ノドの検査でさじみたいなものが口に近づいただけで吐いてしまう。
 胃カメラなんて、あんな電話のコードみたいなものが呑めるか!
 そこで僕は禁酒にふみきった。僕の禁酒時代は二年に及んでいる。癌なら仕方がない。これは運命だ。潰瘍なら禁酒で治せるのではないか。そう思ったのである。
 しかるに、この夏、胃の鈍痛が続いた。なんとも無気味だ。近くの町医者で薬を貰ってきて、一日三回服用すべしというところを寝る前にもんで一日四回、ついでに痛み止めも服んだが治らない。僕、検査を受けたいと思っていたのである。
 その大病院で検査を受けたとき、持病の糖尿病(血糖値の変化に典型的な糖尿病のパターンが見られる)のほかに、コレステロール、中性脂肪の数値が感心できない。
 血圧も高い、眼底出血の疑いありと言われていた。検査を受けなければ行かれない温泉なんて、そんな馬鹿な話があるか。僕は半ば疑っていたのであるが、スバル君の誘いを、ここは一番、奇貨くべし、詐欺なら詐欺でいいや、ひっかかってやれと決意していた。
 九月八日の前日は、午後九時以降、絶食と禁煙(やればできるんだ)。それでもってスバル君と二人で家を出た。
 検査は午前九時から。この総合健診センターの有難いのは、午前中で検査が終ってしまうことだ。
 九時より前に到着した。
 応接室のような待合室のようなところへ案内された。受付で番号札を渡される。二十二番。田淵の背番号だと思った。
 僕、かねがね、病院については、こんなことを考えている。
 人間は必ず死ぬ。死すべきものである。そうだとすれば、いい心持でもって死なせてもらいたい。豪奢な病室。
 女医も看護婦も絶世の美女。国手こくしゆは、むろん世界的な権威。
「どうも、あなた、駄目ですね」
 これなら納得がゆく。かぐわしき若き美貌の看護婦が手を握って、「死ヌ、死ヌ、行キマス、行キマス」
 こうありたいじゃないか。死は人生の一大事、大金を惜しまぬつもりだ。そういう病院があったっていいじゃないか!
 それは冗談だとして、こういうことがある。大病院における内科、外科の医者は悠然として紳士的。しかるにたとえば眼科の医者なんかは、何かひがんでいて劣等意識に悩まされているとしか思えない場合がある。白衣なんかも薄汚れている。第一志望が内科、第二志望が外科、第三志望が産婦人科、いずれも志を得ずして眼科に廻されたのではないか。新聞記者でも政治部や社会部は勢いがいいが、芸能記者なんかは程度が悪くショボクレているのが多い。
 眼医者が検眼表を棒で叩いて、
「これ
 その言いようの突慳貪つつけんどんなこと。
「わかりません」
「わかりませんじゃ困るんだな。それは字が読めないのか見えないのか」
 僕だって片仮名ぐらい読めらあ。
「さあ、コのようにもニのようにも」
「わかってるんじゃないか、コだよ。じゃ、次、これ
「わかりません」
「よし。杓文字しやもじを替えて。そうじゃない、開いているほうの目で見るんだ」
 総合健診センターは、僕の理想にちかいと言ったら言いすぎになるが、待合室のソファーだって開設当初は豪華で美麗であったに違いない。従業員のほとんどが若い女性。どれが女医で、どれが看護婦で、どれが案内係りなのかわからないが。それに、全女性が絶世の美女だとも言わないが
 検査を受ける人にも女性が多い。こっちは主に中年熟年。まれに若い女もいる。夫婦で来ているのも多い。一見榎本三恵子ふうあり、こいつはうるさいぞという桃井かおりふうあり、顔は上品だが口をきくとにわかに下卑る銀座ホステスふうあり。それぞれけんを競っている。
 僕思うに、健康というのが、一種のファッションになっているのではないか。健康食品のブームに似ている。
 ここは彼女たちのエリート意識をも満足させてくれる。
「二十二番の方、どうぞ
 受付嬢の声がやわらかい。こうこなくっちゃいけない。そこで手術着みたいなものに着換える。
 身体計測、聴力、肺機能、胸部X線、胃部X線、眼科精密検査、心電図、血圧、血液検査、尿検査など、すべてが十一時半までに終った。女性は、あと、午後に婦人科の検診がある。その費用が六千円。だから御婦人方は気の毒だと常々そう思っている。
 十二時半、総合健診センター所長の植田理彦みちひこ博士から結果の判定があった。胃のレントゲン写真を見せられて、こういう診断があった。
「単なる胃炎ですね。癌とか潰瘍になる性質のものではありません。血圧は正常です。コレステロールも中性脂肪も、ご心配になるようなことはありません。体重六十四キロですか。これ以上ふとらないようにしてください。それと空腹時に煙草を吸わないように。朝、煙草を吸うんでしたら、お茶一杯飲んでからにしてください」
 この健診データが碁点温泉に送られる。そこで温泉のコースと食事のカロリーが決まるのである。そういう連携プレイが行われている。
 思っていたように眼科の女医も親切だった。胃の透視も不愉快な思いをせずにすんだ。そうなんだ、大病院のレントゲン技師で、おそろしく乱暴な奴がいる。だいたい、ゲップの出る薬を飲ませておいてゲップをするなと言うほうが無理なんだ。総合健診センターというのは、僕には、医療の企業化というふうに受けとられた。それでいいじゃないか。サービス満点。愉快じゃないが不愉快じゃない。
 その足で歯医者へ行った。総イレ歯がはまらなくなっている。
「ああ、おかしいな。エエト、あ、わかりました。奥の親しらずが成長しているんです。珍しい人だ」
「歯茎が引っこんだんじゃないですか」
「それもありますが、親しらずが生えてきたんです」
「ほかの歯も生えてきませんか」
「それは無理です。根のないものが生えるわけがない」
 僕は、検査の結果を報告した。慢性胃炎らしいと言った。
「水ものを飲みすぎたんじゃないですか。夏はどうしても
「糖尿病はノドがかわきますから、お茶をがぶがぶ。胃の薬は服んだんですが」
「その胃の薬がいけない。胃の薬にはノドがかわく成分が含まれているんです。だから水ものを飲みすぎる。すると胃液が薄くなる。従って胃に鈍痛がくる」
 なんだ、初めから歯医者へ行けばよかった。イレ歯を修理してくれた。これで満点。満点で碁点へ行くことになった。
 僕の体は胃炎のほかに異常がないことが、すぐに編集者仲間に伝わったようだ。いままで、どこが痛いあそこが痛い、頭が痛いけつが痛いと言って仕事を延引していたのを嘘をついていたように言う男がいる。
 そうじゃないんだ。禁酒による節制のほかに減塩に勤めた結果、こうなったんだ。


 よぐござたなっす

 九月十一日、日曜日。曇、霧雨。午前七時二十分発、秋田行奥羽本線、つばさ五号。
 本当は羽田空港から飛行機に乗ればいいんだ。天童には空港があるんだから。あるいは、東北新幹線で福島で乗りかえたほうが早い。しかし、僕には、どういうわけか、東北へ行くなら在来線という考えがある。
 朝の上野駅。これ、東京駅とはずいぶん違う。どこが違うか。たとえば、アナウンス。
「白線のあとへ下ってください。子供さんたちは、特に気をつけてください。白線のうしろへ下ってください」
 これ、文字だけではわからない。上野駅では早口に、命令口調で叱りつけるようにしてアナウンスするのである。嘘じゃない。機会があったら注意して聞いてもらいたい。東北人のひがみっぽさは、すでにこのあたりに胚胎はいたいしていると思われてならない。
 稲は緑。その緑がかすかに黄ばんでいて秋の到来を告げている。僕、列車のなかで読まなければならない資料を持ってきていたが、どうしたって列車に乗れば外の景色を見てしまう。第一、緑は目にいいそうじゃないか。
 今年の夏は、冷夏、猛暑、熱帯夜、残暑ときやがった。
 ――夏の好きなぼくが夏が嫌いになりそうだ。
 と、池波正太郎先生がどこかに書いておられた。まったく同感。僕の胃炎も風邪かぜもそこからきたんだ。
 十二時十九分天童駅着。食事をすることにした。僕が田舎家ふうの大きな店に入ろうとすると、スバル君がそでを引いた。
「待ってください。この水車が臭い。こういう店の前に水車のあるような店はあやしいんです」
 肯綮こうけいに当る意見である。
「じゃ、あそこの角の店はどうかね」
 その店のウインドウの前に立ったとき、スバル君が無言で僕の背中を押した。彼が引っぱっていったのは「又右ヱ門」というソバ屋だった。これが良かった。知らない町で美味うまいものを喰わせる店を探す天才がいる。何か匂うんだそうだ。スバル君も天才の一人である。
 あとでわかったのだが、碁点に「あらきそば」という有名な店がある。「あらき」の支店で「又右ヱ門」。悪かろうはずがない。「あらきそば」ではモリソバ以外を食べさせない。薬味はネギだけ。ワサビなし。こういう店を嫌うなら、近くに「くれない園」があって、ソバガキ定食が、これも有名。
「又右ヱ門」の蒸籠せいろは五角形。そう言えば、天童は、駅の天童温泉という看板から何からすべて五角形。駅員の顔も五角形。建物も五角形が多い。将棋の駒の産地だからである。だから、天童温泉で将棋のタイトル戦が行われることがある。
 そこへもってきて碁点とは剛情なもんだ。と、思ったが、そうじゃなかった。最上川の碁点橋のあたりは、最上川下りの三大難所のひとつ。中心部が深く、周囲に岩があって、その岩に碁石のような斑点があらわれるのだという。もっとも、碁点温泉で本因坊戦が行われたことがある。日本棋院にも洒落しやれた人がいるもんだ。
 天童からタクシーに乗って、午後一時半頃、碁点温泉に到着した。もっとも、碁点温泉と言ったって、泊れる旅館は田圃たんぼのなかに一軒しかない。碁点温泉をクアハウスという。多目的温泉保養館といった意味である。温泉であって温泉じゃない。
 療養所であって病院ではない。広々とした近代的な建物である。
「よぐござたなっす(ウエルカム)」
 でもって迎えられる。
 内部は日本座敷である。支配人の丹野さんが来て、内容を説明してくださった。
「糖尿病なんですが」
「はい。東京から連絡を受けています。先生の食事は千八百カロリーで我慢していただきます。トレイナーが三人いまして、朝の散歩、体操を指導します。体力測定も行います。
 大阪の財閥のお一人でYさんという方がいらっしゃいました。かなりひどい糖尿病で、お着きになったときは、フロントで御住所も書けませんでした。手が震えてしまって。ご夫婦でいらっしゃったんですが、一週間というところを、お気にいられて二週間に延長されました。
 お帰りになるときはスラスラと字を書かれるようになりました。すぐに礼状をいただいたんですが、綺麗な字で震えなどありませんでした。糖尿病も治るという自信がでてきましたね」
 トレイナーは松田、斎藤、保科の三氏である。なんだか爆弾三勇士(江下、北川、作江)みたいな感じがあるが、いずれもうら若き処女おとめ。体育大学を卒業したばかりだそうだ。
 松田清美さん、斎藤かおりさんが部屋へ来てくれた。
「明日の朝、私たちと一緒に林檎りんご園を散歩していただきます」
 夢みたいな気がする。
「それから体操です。何時からにしましょうか」
「七時です。朝食前になりますか?」
「そうです。大阪の財界の方で、Yさんという方がいらっしゃいまして
 その話は聞いていますとも言えない。Yさんは碁点では有名人であるようだ。
「Yさんは、来年六月に、またおいでになるそうです。六月の二十日頃が一番いいんです。サクランボがおいしいですし、バラ園のバラが盛りになります」
 彼女たちが帰り、
「さあ、風呂だ、風呂だ」
 入浴は午前一回、午後一回、寝る前に一回と定められている。よく七回も八回も入るのを自慢する人がいるが、これは体に良くないそうだ。
 ガラスのトンネルを抜けて、クアハウスのクアハウスたるべき浴室へ行く。
 僕は、当然、糖尿病・肥満者コース。
 かぶり湯十杯→全身・部分浴→圧注浴五分から十分、もしくは打たせ湯三分から五分→休憩五分から十分→泡沫浴・トゴール浴五分から十分→休憩五分から十分→全身・部分浴→休憩三十分から六十分。
 このうち、トゴール浴というのは、トゴールウォームタイト鉱物を使用した浴槽であって、腰痛、筋肉痛、肩こり、冷え症、便秘、睡眠不足、肉体疲労の回復に卓効があるそうだ。
 スバル君は、ストレス解消コース。
 かぶり湯十杯→泡沫浴五分から十分→寝湯→休憩五分から十分→打たせ湯三分から五分→大浴槽五分から十分→休憩三十分から六十分。
 なんだか眠くなってくる。
「おい、なんだか、おっそろしく疲れるな。眠くってしようがない」
「それが温泉効果でしょう。特に泡沫浴です。あれでもって、ぐったりと疲れます」
「そうそう。あのブクブクだ。見るだけで疲れてくる」
 日曜日だから家族連れが多い。混浴ではない。たくさんのチンボコを見た。象の鼻あり、フランクフルト・ソーセージあり、ウインナ・ソーセージあり、丸首シャツを着た禿頭の如きあり、大鵬部屋巨砲おおづつといった感じあり。
 ちびた鉛筆かクレヨンかという幼児のそれが大きくなって、疲れた象の鼻になって一生が終るかと見ていると、なんだか悲しくなってくる。
 夕食、千八百カロリー。スバル君は平常食。これが悪くない。特に米沢が近いせいか、牛肉が美味い。
「わるいですねえ」
「とんでもない。このために来たんだ。それにね、千八百カロリーというのは僕には多すぎるんだ。三分の一は残すな。ときに、スバル君。千八百カロリーという指示はあったけれど、飲みものについては指示を受けていませんってトレイナーが言っていたな」
「そうです」
「冗談、冗談。酒のカロリーってのは凄いもんなんだ」
「スポーツ・ドリンクでも買ってきましょうか」
「いらない。柏戸(鏡山親方)が糖尿でね、同じ病院なんだ」
「ああ、山形県出身ですね」
「鶴岡だったかな。その柏戸がね、九千カロリー喰っていたのを六千カロリーに減らされたって話を聞いたことがある。あいつら何を喰ってんのかね」
 暗くなってくる。碁点温泉は最上川に面している。体育館とスイミング・スクールがあるだけの町。
 最上川逆白波さかしらなみのたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
 という斎藤茂吉の歌があるが、そんな夕暮になってきた。
 もう一度、入浴。


 おしんの故里ふるさと

 七時起床。雨。散歩は中止。雨を集めて最上川の流れが速い。泥のように濁っている。
 体操。老人むき。それでも体を動かすと気持がいい。眠くなる。
 入浴。ねむい、ねむい。
「これはいいぜ。毎回、これでいこう。これは、もう、健康になるより他にどうしようもない」
「いけません。ときには濃厚なやつもないとね」
 スバル君の言う濃厚の意味がわからない。
「ときにだね、散歩をしなかったね」
「はい」
上山かみのやまに散歩に行かないかね」

「やってないかな」
 スバル君が電話を掛けた。幸か不幸か、やっている。
「山形県の老人福祉にも貢献しないとね」
 そういうわけで上山競馬場へ行くことになった。タクシーで小一時間という距離にある。
 昼食が来た。チャーハンのようなもの。
 ひき肉と見えたのが納豆をつぶしたものだった。
「納豆ピラフ!」
「さすが、おしんの故里だ」
「私もそれを言おうと思ったところです」
 山形県は『おしん』でウケに入っている。おしんコケシは製造がまにあわないそうだ。
 山形空港に着いた関西方面の客が、タクシーの運転手に、おしんの故里へ連れて行けと言うので、運転手はめんくらうらしい。それは銀山温泉のことではないかと彼等同士で話しあっているという。
 そのタクシーで競馬場へ。
「運転手さん、忙しいかね」
「ひまだねええ」
「競馬は好きかね。往復にしたほうがいいのなら、やっていかないか」
つらいなほうでないね」
 ということで、三人で特観席へ入った。
 僕は嘘を言っているのではない。競馬場での階段の昇り降りは相当な運動量になる。それでも、入院中に脱走して競輪場へ行ったという将棋の芹沢博文八段、競輪について廻って四国まで行ったという作家の色川武大さんに似たような心境になる。
 山形県の福祉事業に若干の貢献をして帰ってきた。
 ねむい、ねむい。
 スバル君は七時に眠ってしまった。僕は、八時まで我慢したが、たまらずに床に入る。
 朝早く目が覚めたと思って時計を見たら午前一時。小便に行く。その音でスバル君も目が覚めたらしい。二人で顔を見合わせた。
「こうなったら、一気に寝切るっきゃない」
 スバル君は猛然と布団にもぐった。
 僕はおかしくて仕方がない。ゲラゲラ笑ってしまう。スバル君の『寝切る』という言葉が、なんとも滑稽だ。一気に逃げ切る、一気に差し切るという競馬用語が彼の頭を離れないらしい。
 六時に起床したスバル君が僕を起こしてくれた。二人とも十一時間は寝たことになる。新記録だ。これでもって碁点の温泉効果は証明されたと言っていいだろう。これを温泉効果と言わずして他に何があろうか。これなら一週間で、軽い糖尿病は治ると僕が保証する。
 一週間で、丸谷才一、開高健、色川武大の諸氏なら十キロの減量が可能だろう。普通の人で五キロ減は確実だと僕は断言する。ただし、丸谷さん、開高さんが千八百カロリーに耐えられるかどうか、そこが、ちょっと心配だが。
 散歩。最上川べりと林檎園。リンゴは、いまが最盛期。斎藤かおりさんがつきあってくれる。ときおり、甘いような酸っぱいような香りがただよってくる。斎藤さんは、まったく化粧をしていない。なるべく斎藤さんの背後を歩くようにする。乙女の発散するものも体に良いはずだと僕は信じている。健康になって鼻も鋭敏になっているのかもしれない。
「これじゃあ、健康になりすぎる」
 斎藤さんが警戒するような目で振りかえる。あたりに人影がない。だいじょうぶだよ。おじさんは大久保清じゃない。
 体操。入浴。体力テスト。
 体力テストの成績、左の如し。
 握力、左右平均二十六㎏。垂直跳び、三十八・二センチ。閉眼片足立ち、四秒。背筋力四十六㎏。反復横跳び、二十秒間二十回。立位体前屈、マイナス十四センチ。
 これが、小学校の成績表のように1から5までで記録表に記入される。僕の成績はどうなっていると思うかね。
 垂直跳びが3、片足立ちが2。あとはすべて1である。3が普通、2がやや劣る、1は大変劣るという判定になる。
 垂直跳びだけが普通ということは、蛙みたいなもんだ。それもガマ蛙だろう。
「この成績だと、肉体年齢は何歳になるんですか」
 と訊いてみたが、斎藤トレイナーは笑って答えてくれない。
 八重洲口の総合健診センターから碁点温泉クアハウスまで、共通して言えることは当りがやわらかいということだ。たとえば、僕は身長百六十四センチ、体重六十四キロ。これが病院であれば、断乎、六十キロ以下に減量せよと命令される。しかるに、
せればいいってもんでもないんですよ。いまの体重を維持してくださればよろしい」
 こういう言われ方のほうが心が安まる。万事につけて、そうなのだ。糖尿病ではストレスの解消が第一だ。碁点温泉でも、
「飲みもののことは聞いていません。ご自由になさってください」
 と言う。そう言われれば誰が酒なんか飲むものか。
 ××よいとこ、一度はおいで、という歌がある。僕は、碁点温泉を再訪するつもりだ。大阪の財閥なんかに負けちゃいられない。
「あまり健康になりすぎるのも体に良くない」
 スバル君と僕の意見が一致した。そこで、その夜、上野駅に着いてから銀座へ廻って少し飲むことにした。
 温泉ガイド
 碁点温泉
 
■ところ・足の便 山形県村山市碁点 奥羽本線楯岡駅より谷地・岩野駅行きバスで15分。
■効能 動脈硬化症、温疹、創傷、運動器障害
■宿 クアハウス碁点
■近況など アスレチックのコースやテニスコートも出来、施設が充実。健康ブームの影響か、四、五人のグループで訪れ、ヘルス・ケア・トレーナーを希望する客が増えてきたもよう。またテニスのプレイを兼ねた若い女性客の利用も増加中。


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