もくじ

汝の敵を愛せよ――『氷点』

ふぞろいな人間たち――『想い出づくり』

記録より記憶に残るドラマ――『傷だらけの天使』

大人の青春ドラマ――『金曜日の妻たちへ』

越えられない壁――『淋しいのはお前だけじゃない』

国民的ドラマ――『北の国から』

蒼い名作――『冬の運動会』

真似できないドラマ――TBS水曜劇場

時代を映す鏡――『太陽にほえろ!』

岡田惠和(おかだ よしかず)

1959年2月生まれ。テレビドラマ、映画、舞台などを手がける脚本家。繊細なタッチの物語世界とポジティブなキャラクター造形、会話劇を得意とする。
ドラマでは、「ちゅらさん」(NHK・2001)、「ひよっこ」(NHK・2017)、「ビーチボーイズ」(CX・1997)、「最後から二番目の恋」(CX・2012)、「姉ちゃんの恋人」(KTV・2020)。
映画では『いま、会いにゆきます』(2004)、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(2017)など。2021年には「にじいろカルテ」(EX)『おとなの事情 スマホをのぞいたら』(ソニー・ピクチャーズ)が公開予定。

2005年 岩波書店刊

TVドラマが好きだった

岡田惠和
汝の敵を愛せよ――『氷点』
 テレビドラマという生きものは、つくり手が自覚していようがいまいが、時代を映す鏡として存在してしまうのではないだろうか。
「いま」を描こうと取り組んでいる問題作でなくても、である。そこには必ず時代がある。時代の空気がそこに封印されている。つくり手がいま、その作品をつくった「気分」、そして視聴者が観たいと思った「気分」。その二つが重なるとき、名作は生まれるのだと思うのだ。
 過去の大先輩たちの作品を、自分なりに検証してみたいと思う。
(というと大げさだし、不遜だけど。)
 そして、かつてそのドラマを観ていた自分も振り返ってみたい。この作業が、いまドラマ制作の現場にいる自分にも大きな力や、何かヒントを与えてくれるのではないかと期待しつつ。
 さて、第一回は『氷点』である。放映時には銭湯の女湯がガラガラだったという話を聞いたことがあるような気がするのだが、記憶違いだったら失礼。
 連続ドラマ『氷点』は一九六六年一月から四月に日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)で放映された。全一三回。
 原作は三浦綾子のベストセラー。脚本は楠田芳子。演出は北代博。音楽は山本直純。主演は新珠三千代、芦田伸介、内藤洋子。ほかに田村高廣、市原悦子、北村和夫、岸田森、藤原釜足、そしてナレーションは芥川比呂志。
 その後、何度もこの作品はリメイクされている。つい最近も『氷点二〇〇一』というタイトルで、浅野ゆう子主演で連続ドラマ化された。
 物語をごく簡単に書いてみると
 北海道旭川の病院長夫人は、若い医師と自宅で密通中(ちょっと言葉は古いがまさにそんな感じ、肉体関係は感じられない、だが気持ちは、という描き方)、娘が誘拐され殺害される。そして、夫である院長は、娘が殺されたとき、妻が何をしていたのかを知り、妻への復讐として、一人の娘を養女として引き取る。それは、娘を誘拐し殺害した男の娘。そして、それを後に知った妻は娘に憎悪を抱き、冷たくあたり続ける。だがそれでも少女は
 何ともすごい話である。そしてこれが実によくできている。決して激情に走ることなく、静かなトーンで淡々と描かれる。それだけに心に棘のように刺さってくる。物語から逃れられなくなる。
 俳優たちも名優ぞろいで素晴らしい。
(などと若輩の私が書くのも失礼な話だが。)
 インテリの苦悩を演じた芦田伸介のたたずまい。清楚で上品な中に人間の怖さをみせる、新珠三千代。そして、どこまでも可愛らしくけなげな、内藤洋子。明るく頼りがいのある、市原悦子。バンカラ気質のよき友人、北村和夫。みんな、素敵。
 NHKの『ちゅらさん』というドラマで、北村和夫さんと仕事をさせていただいたときは、いつになく緊張してしまった。
 さて放映された一九六六年(昭和四一年)はどんな年だったかというと
「イザナギ」景気と呼ばれる戦後最長の好況期を迎えた頃であり、ビートルズが来日し日本武道館でコンサートを行い、若者のあいだで長髪が流行し、日本の人口が一億人を突破した年。といえば、その時代を過ごされた方には、思い出せるだろうか。
 さらに、流行語では「びっくりしたな!もう」「ケロヨーン」。流行歌では『夢は夜ひらく』『星のフラメンコ』『骨まで愛して』『君といつまでも』。フォークソングブームでもあり『バラが咲いた』などの唄が愛された年。
 残念ながら、私は一九五九年生まれなので、この年はまだ七歳。よって記憶は定かではない。だからあまり無責任には語れないのだが、全体として決して暗い、下を向いた時代ではなかったのでは?という気がするのだが、どうだろうか。
 さて『氷点』だが、この年に放送されたNHKの「朝ドラ」『おはなはん』とともにかなりの高視聴率番組で、『おはなはん』がどちらかというと陽であり動のドラマであるなら、それとは対照的に、影であり静のドラマだったのではないだろうか。
 同じ年に、いずれも過去から現在を描いた、対照的な二本のドラマが人々の心を捉えたというのは興味深い。明るく前向きに元気に生きていくヒロインを愛すると同時に、人間の心の闇を見据えようとする作品をも愛する。当時の人々の心情をどちらも反映しているのだろうか。
 豊かになり、明るく前を向いていこうとする「気分」と、豊かになったことで浮かびあがってくる、人間の心の闇。それを観たいという「気分」。どちらも時代の「気分」だったのではないかと思うのだ。
 七歳だった私だが、このドラマの記憶はある。物悲しいタイトルバックと音楽。子供である自分にはわからない、怖い世界を感じていたような気がする。それは恐怖映画などの怖さではなく、自分が知ってはいけないような世界の持つ怖さ。「見ちゃダメ」と言われたかどうか、記憶は定かではないが、そっと覗き見していたような気がする。ちゃんと観ていたとしても理解できたかどうかは疑問だが。
 印象として、『氷点』は、母の継子いじめがクローズアップされて私たちの記憶に残されている気がするが、とんでもない話。これは限りなく深く人間を描いたドラマである。
 だからこそ、不思議な気がしてくるのだ。
『おはなはん』が時代に受け入れられたのは何となくだが理解できる。前に前にくじけずに明るく向かっていくヒロイン像は、まさに時代が求めていたものなのだろうと思う。
(このヒロイン像は「朝ドラ」のヒロインの雛型になっている。明るく前向き、笑顔がいい、そんなヒロイン。そして、その求められる雛型にいま、私たちは多少苦しめられている。)
 では『氷点』はなぜ?
 物語の力といってしまえば、それまでだ。でも、それだけでは、この重い物語をみんなが受け入れるとは思えないのだ。そこには、時代の「気分」があったはずだ。
 先日、NHKスタジオパークに『おはなはん』の主演女優の樫山文枝さんが出演しておられたのを拝見した。お話はどれも楽しかったが、一番興味深かったのは、「あの頃」といまのテレビドラマに対する視聴者の温度の違い。
 テレビ、そしてドラマというものが人々の生活と密接に結びついていた時代。樫山さんは老けメイクで高年齢を演じたときには、人生相談を持ちかけられたこともあるそうな。
 私などからすれば、何ともうらやましい時代という気もする。
 視聴者は『氷点』にどんな反応を示したのだろう。いじめられ役の可憐な内藤洋子をみんな、応援したのだろうか。そしていじめ役の新珠三千代には、「いじめるな」とか怒りの投書が届いたというようなことがあったのだろうか。
『氷点』の、何が人々の心に響いたのだろう。
 戦後間もない時代、一九四七年(昭和二二年)がドラマ設定のスタートである。夏祭りが再開される日に事件は起こる。第一話にこんなセリフがある。
「内地はまだ大変なんだ、お祭りなんてまだ早いよ」
 この一言で、おそらく視聴者はスッと時代設定を飲み込めたのだろう。そして、描かれた時代の気分も。
 だが、時代設定を表わすセリフ、という以外の意味を考えてしまう。妙に気になるセリフなのだ。戦後すぐの、初めての祭り。その夜の悲劇。
「祭りなんてまだ早い」
 祭りの夜、妻の不義(浮ついた行動、欲望)。そこに起きる悲劇。
 そんな連鎖が思い浮かぶ。そして、その連鎖が、作品が放送された時代へと結びつく。
 戦争を忘れかけ、世の中は好景気。人々の欲望、享楽。
「祭りなんてまだ早い」
 足元をすくわれるぞ
 バリバリの戦後生まれのうがった見方だろうか
『おはなはん』の健全な前向きさに対して『氷点』の、足元を、そして心の奥の闇をえぐる力。未来を信じようとする気持ちと、過去にいまだ縛られ、逃れられない気持ち。そこが時代とマッチしたのではないだろうか?
 このドラマのテーマは聖書のマタイ福音書の「汝の敵を愛せよ」という言葉。作者自身が語っているし、ドラマ内でも繰り返し語られる。
(放送終了後、司会者と原作者が番組について語るコーナーがある、これが面白い。いまのドラマ事情からすると考えられないことで、何とものどかな感じさえするのだが。でも原作者にドラマのテーマについて語られるというのは、脚本家としてはどういう気持ちなのかなという思いはあるが。)
 そこで原作者は、ドラマを(原作を)書くきっかけになった出来事を語る。遠縁の者がかつて殺害されたことがあること。そのとき、はたして自分はその犯人を許すことができるのかどうか、自問自答したという。それがきっかけであるという。
 第一話で、院長が幼い息子にこう質問される。「敵って何?」。そしてこう答える。「敵というのはね、一番仲良くしなきゃいけない相手のことだ」。
 その一番仲良くしなきゃいけない相手、かつての敵。そこに「世界」をあてはめるのは乱暴だろうか?
 そして、『氷点』はストレートなドラマである。テーマについて、真っすぐな言葉で語られる。人と人とが議論をする。いまの言葉で言うと「くさい」会話をする。
 それが少しうらやましかった。いまは「語れない」時代である。ドラマの中で人と人とは話し合わないし、気持ちをなかなか語らない。語るとなぜかウソくさく感じる。
 これもその時代を生きる人々の雰囲気の違いなのだろうか。

 いまさら私などがこんなことを書かなくても、とは思うのだが、連続ドラマ『氷点』が放映された時代といまではテレビ(ドラマだけでなく)を取り巻く状況は激しく変化している。
 簡単に言ってしまうと、テレビは自らの機能を開発し、より優れた便利なモノへとどんどん進歩している。そして進歩することで、視聴者のテレビ離れを誘発してしまっている。
 悪循環である。
 たとえば『氷点』放映当時とまったく違うのが、「リモコン」の出現である。
 リモコンがなかった頃、私たちはいまよりももう少し、チャンネルを変えることに対して辛抱づよくなかっただろうか? いや、もちろんつまらなければ、チャンネルを変えたのだろうが、いまのようにはしていなかったのでは?
 私の子供の頃の記憶では、手動式のガチャガチャと回すチャンネルを、あまり頻繁にいじると親に「壊れる」と怒られたものだ。
(事実、本当に壊れもした。)
 あまりチャンネルをいじると、「落ち着かないからやめろ」とも言われた記憶もある。
 ところが、リモコンの出現以降はどうだろう?
 関わった連続ドラマが放送されているあいだ、私は毎分視聴率のグラフというものを送ってもらう。そこには一時間のあいだ、一分ごとの視聴率の各番組の推移がグラフになっているのだが、それを見ると、視聴者がいかにザッピングしているのかわかって、少し哀しくなる。
 まず、やはり(民放の場合)CMである。CMになると、視聴者はおそらく条件反射のようにリモコンをいじる。見事にそれはグラフに現われている。
(スポンサーの企業の方には申し訳ないが。)
 一通りほかのチャンネルをざっと眺めるのだろう。戻ってきてくれればいいのだが、行った先に「おっ?」と思わせる映像が待っていると、戻ってこない。
 明らかにリモコンの功罪である。座っていた場所からテレビの場所まで歩いていってチャンネルをガチャガチャさせていた時代は、こうではなかったはずだから。
 リモコンだけでなく、それ以降ビデオの出現により、「いま、観なくてもいい」時代に入り、次にテレビ画面はゲームに占領されることになり。つぎつぎとテレビは進歩することで「観ていただかなくてもいい」モノになってしまっている。
 視聴率という存在も『氷点』の頃とは変化したのだと思う。
 もともとは業界内の指標であったはずの視聴率が、いつのまにか一人歩きをし始め、いまや誰でも知っていて当然の情報になってしまっている。子供にすら「ちょっと落ちちゃいましたね」なんて言われる時代である。私の子供の頃は、視聴率なんて存在も知らなかった気がするのだが
 自分が夢中になって観ていた『時間ですよ』とか『太陽にほえろ!」とか、そういう番組はそれこそ八〇パーセントくらいの人が観ていた感覚だったのだが
 いつの頃からか、一般情報として視聴率が流れ始めた。これでも、テレビは自分で自分の首をしめている気がする。もう逃れられなくなっている。
 情報が先行することで先入観が視聴者に生まれる。
「視聴率がいいらしい」=「面白いらしい」
「視聴率が悪いらしい」=「つまらなそう」
 簡単に言うと、こんな図式のように意識が先導されてしまう。
 したがって連続ドラマは、スタートダッシュ以外の成功がなかなかできないでいる。全話の中の構成では、バランスをくずしてでも、第一話にすべての要素や魅力をぶちこもうとする。とにかくスタートで興味をひくために、ありとあらゆることをする。それはもう涙ぐましいのである。
(もちろん私も含めて。)
 相撲でいうと、毎回張り手でつっかかっていく感じである。張り手ばかりでは飽きられるので、ありとあらゆる小技や奇襲をつかって。
「がっぷり四つ」は許されないのだ。それはもう涙ぐましい計算をしているのだ。
(もちろん私も含めて。)
「いいものをつくっていれば、わかってくれる」なんて綺麗ごとは、あまり言いたくない。
 テレビドラマは基本的にその瞬間だけのものである。たとえば映画は、地味な映画が賞をとったりして観客が増えたり、再評価されたりすることはあるだろう。だが、テレビドラマはそれとは違う。「いま」評価されなければ、どうにもならない生きものなのだ。
(まあ、そこが潔くて私は好きなのだが。)
 なんだかくどくどと「いま」のつくり手の愚痴を書いてしまったようだが、それくらい『氷点』の時代と、いまは違う。改めてドラマをビデオで観返してみて、つくづくそう思った。
『氷点』のこの静けさにいまの視聴者はついてこられるのだろうか? ついてこられるというか、「待って」くれるのだろうか? 正直言って疑問である。
 いま、この素材を連続ドラマに料理するとしたら、私はどうしただろう?
 もっと過激に、もっと早くスピーディに、もっと衝撃的に、もっと陰湿に、もっとあおって演出し、過剰に音楽をつけ、あざとく引っ張り。やはりそういうふうにしてしまうのかなと思い、少し哀しくなった。
 観る人のドラマへの意識、そして求めるリズムなぜ、変わってしまうのだろう。いま、自分たちがつくっているドラマも、何十年かすると、違和感のあるものになってしまうのだろうか。「この頃は良かった」そんなふうに思われるのだろうか?
 人は同じスピードで生きているはずなのに。

 改めて『氷点』を観て、反省させられることも多かった。
 いまのつくり手は、視聴者にわかってもらえないのではないか、という潜在的な不信感を持っている。「むずかしい」「暗い」は正直言っていま、あまり受け入れられない。
 この二つは、いつの頃からか、マイナスのイメージのキーワードのようになってしまった。「考える」ことを強いるドラマは、行き場を失いつつある。いったい、いつから、深く考えることを「暗い」という負のイメージのものとしてとらえるようになってしまったんだろう。格好悪いことの代名詞みたいに、なぜなってしまったのだろう。
『氷点』は後半に、芦田伸介演じる院長が、実際に起きた事件、洞爺丸事件の現場にいあわせる(乗船している)という、フィクションとしてはかなり強引ともいえる出来事が大きなプロットポイントとして描かれる。
 洞爺丸に乗り合わせていた院長は結果的には助かるのだが、いままさに沈もうとしている極限状態の船の中で一人の牧師と出会う。数が足りない救命具を決して受け取らず、死を選んでいく牧師と。その出来事が主人公である彼を変える。
 最後に大どんでん返しがあり、ドラマは終焉を迎える。
 これだけ深く、答えの出ないテーマを描きながら、視聴者(大衆)の心を虜にする、娯楽性を持っていることが、このドラマの見事なところである。
 それはどのように計算されたものだったのかは、わからない。ただ、要は志の問題なのだ。視聴者がわかりやすい作品を、と媚びるのではなく、かといって高みに立ったような作品でもなく、視聴者とともに存在するようなドラマ。
『氷点』はそうだったのではないだろうか? と思う。
 だが、現在はどうだろう? 自分を含めて、過去の先輩たちの作品を超えているだろうか? 超えようとしているだろうか?
 自信がない。
 はたして、自分の娘を殺した男の子供を愛せるのかというドラマが、いま連続ドラマで企画が通るのだろうか?
(連続ドラマという娯楽性の高いジャンルであることが私にとっては重要なのである。)
 このような答えの出ないテーマに向かって、私たちドラマ作家は取り組んでいるだろうか。正直言って自信がないのだ。
『氷点』をビデオで観返したのは、今回で二度目である。
 一度目は一九九五年。私は『イグアナの娘』という萩尾望都さん原作の連続ドラマを書くことになり、正直途方にくれていた。原作は「母に愛されなかった子供(娘)」が描かれている。そして、そのことがトラウマのように主人公の心を支配し、鏡に映る自分の姿がイグアナに見えてしまうという話。そして、それは誰もが持つ自分の容姿へのコンプレックスともつながっていて
 限りなく深い原作。ただ原作は四〇ページほどの短篇である。ほとんどオリジナルにドラマをおこさねばならない。
 母と娘の関係を中心に描こうと腹は決めた。子供を愛せない母親と、愛されない子供。しかし、いったいどんなふうに描いたらいいのだろうか? 何か参考になる作品はないのか?
 そんなとき、ふっと(本当にふっと)子供の頃に観た『氷点』を思い出したのだ。そして局に頼んで一気に夢中になって観た。
 そのときに強く思ったのだ。自分もいつか、こんなふうに思い出されるようなドラマのつくり手になりたい。『イグアナの娘』もそんなドラマにしたい。
 そしてもう一つ、ドラマって結構すごいもんだなぁと、思ったのだ。
ふぞろいな人間たち――『想い出づくり』
 私が山田太一さんについて語るのは、おそらく、ロックミュージシャンがビートルズについて語るようなものだと思う。
 必ずしもビートルズに限らないと思うが、たとえば子供の頃、ラジオから流れてきた曲を聴いて、体に電流が流れ、それが後にミュージシャンになる第一歩だとする。
 その曲のつくり手について、冷静に語るのはむずかしい。思いが先走って、客観的には語れない。その曲がどうやって生まれたのか、なぜ衝撃を受けたのか、歴史的にどういう意味がある曲なのか、そういうことを冷静にはなかなか分析できないと思うのだ。
 私も山田さんをリスペクトし続けている書き手の、数多い中の一人だと思う。私自身の作品でいうなら、『彼女たちの時代』というドラマでは『想い出づくり』を、『夢のカリフォルニア」というドラマでは『ふぞろいの林檎たち』を、という具合に
 ただ、誤解しないでいただきたいのだが、同じドラマをめざしたのではない。あのドラマを観て、私が感じたような気持ちを、いまの視聴者に向けて発信してみたい。そんな思いで、書いただけ。
 当然、作家が違えば中身は違うし、時代が違えば、人間も違ってくるはずだ。
 さて、『想い出づくり』である。
 放映は一九八一年。脚本は山田太一。プロデューサーは大山勝美、片島謙二、演出・鴨下信一、井下靖央、豊原隆太郎。役者陣は、森昌子、古手川祐子、田中裕子、柴田恭兵、前田武彦、坂本スミ子、児玉清、佐藤慶、佐々木すみ江、加藤健一、田中美佐。綺羅星のような、スタッフ、キャストである。
 私たち四〇代のドラマ制作者たちが、飲んだときの話題によく出てくるのが、この年である。TBSの『想い出づくり』と、フジテレビの『北の国から』は、同クールだった。
 まだビデオの普及率の低かった時代である。つまり、どちらかを選ばなくてはならなかったのである。なんと贅沢な。まるで究極の選択。
「君はどっちを観ていたのか」
 そんな話で盛り上がる。
(私は『想い出づくり』派だった。)
 連続ドラマの最盛期、つまり、もっともよかった時代だという人もいる。
(それも寂しい話だが。)
 自分たちは、あの頃のような思いを視聴者に与えているのだろうか。そんな思いにさせられる。
 この頃のテレビドラマの書き手たちの充実ぶりが、いま、私たちの世代の脚本家や、制作者を生んだのもまちがいない。なんだか、テレビドラマが輝いて見えたのだ。映画より、小説より。
 山田さんの名前を最初に意識したのは、『高原へいらっしゃい』というドラマだった。
 挫折したり、埋もれたりしている人たちが高原のレストランに集まり、ゼロからのスタートをきる話。それ以来、山田さんの連続ドラマはかかさず観てきた。私の勝手な解釈で一貫しているのは、いまの言葉でいうと「いけてない」人たちのドラマであるということ。「普通の」(という言葉はあまり好きではないのだが)人たちの、心の叫びや、ぼやき、愚痴、よろこび。そんなものを、時には、おかしく、情けなく、そしてせつなく。無理をせずに描いているところが素敵だな、と思うのだ。
「なんでこの人は私の気持ちを知っているんだろう」
 ドラマを観ていて、そんな思いにときどき胸をつかれることがある。それが、笑えるシーンである場合もあるし、女性のセリフだったりもする。そこがすごいところだし、そうなりたいと思うところ。
 いつだったか、脚本家同士でこのドラマの話をしていたときのこと。
(ファン、多いです。)
 どのシーンが一番好きだったか、という話になった。
 驚いたことに見事に一致したのが、ドラマも終盤に近い頃のシーン。主人公たち女の子三人の父親が集まって、娘たちによる結婚式場ジャックという不始末の事後処理について、うなぎ屋で話し合うシーンであった。
 初めは、冷静にというか、普通に話し合っていた男三人が、だんだんもめていくシーン。本音がどんどん出てきて、最後はつかみあいになる。
「田舎のエセインテリが!」
 佐藤慶さんが児玉清さんに言うセリフが好きだった。ただ、そのシーンも、緊迫だけではない。前田武彦さんは、もめているあいだも、
「よそうよ。またなんかこわして弁償だなんてことになったら」
 なんて言っていると、障子を壊してしまって、という展開。絶妙である。
 だが、よく考えてみると、そのシーンについて語っている私も含めた同業者たちは、ほぼ同じ年。つまり、放映時には二〇代である。それが、一番好きだったのが、オヤジたちのシーン?
 そこが山田さんのすごいところだと思うのだ。

 言うまでもなく、このドラマの主人公たちは女の子三人である。
 いま書くと、なつかしい気もするが、女の子はクリスマスケーキと同じ。売れるのは二四まで、二五になると売れ残り。そんなふうに言われていた時代の、適齢期の女の子たち。まわりからは、そろそろ結婚とか言われるし、結婚しかないのかと思うと腹がたつけど、だからと言って、胸をはって言えるそれに代わる何かがあるわけじゃないし、でも、そんなことは何となく認めたくないし、冒険してみたいけど、勇気もお金もないし、もともと慎重だし、臆病だしでも
 そんな女の子たちの、「でも」の話である。
 ドラマはこんなふうに始まる。新宿の雑踏で柴田恭兵演じる、典夫がキャッチセールスをしている。
「旅行なんか行くほう? アンケートなんだけど」
 そこに、主人公三人が声をかけられる。だが、三人は乗らない。慎重なのである。ところが、蓋をあけてみると、すっかりだまされていて
 こんなふうにして三人は知り合う。絶妙の出だし。
 たしかに二五すぎるといきおくれなんて、いまはあまり聞かないのかもしれない。女性が一人でいることに対しても、プレッシャーは弱くなっているのかもしれない。でも、いま書いたような光景は現在でも、そのへんにあるのではないだろうか? 埋もれているだけで。何も変わっていないのではないだろうか? そんな気がするだけで。「普通の」人々の中では
 改めて、全編観直したが、そこにはちゃんと「いま」があった。もちろん、風景や風俗やファッションは「いま」とは違う。でも、彼女たちの心の声の中には「いま」があった。何も変わってない。そう思えた。
 同じようなドラマが、いまもそのへんで起きているのではないだろうか? そんな気がした。
 そしてまた改めて、思ってしまったのだ。私は、私たちは、このドラマを超えられるのだろうか? 二〇年後に、自分たちのつくったドラマを、若い作家たちが語ったりしてくれるのだろうか? それは、二〇年後も色褪せずに観られるドラマになっているのだろうか?
 ちょっと、いや、かなり自信がない。
 このドラマが放映された頃、私は二一歳。現役の大学生である。とくに先行きに夢が強くあるわけでもなく、かと言って、そのまま過ごしていても立派な人生が保障されるようなポジションでもなく、結構鬱々とした日々。さえない日々だったように思う。
 まさに『ふぞろいの林檎たち』の主人公たちのような日々。
 大学にも全然通わなくなって、ドロップアウト(と言うほど格好よくはない、ただ現実から逃げていただけ)寸前の気持ちを思い出す。ドラマの主人公たちは女性だったが、そのあたりの心理が「つぼ」だったのかもしれない。明らかに自己投影して観ていたのだと思う。
 その対象は、女性たちだけではなかった。このドラマのもう一つ、すごいところは、女性主人公たちのドラマでありながらも、男たちのドラマでもあったところ。
 とくに、私のお気にいりだったのが、柴田恭兵さん演じる、典夫。もう、どうしようもない男である。定職にもつかず、キャッチセールスのバイトなんかしていて、まぁいわゆるダメな男である。
 そんな彼が「ちゃんとして」という女の子の声に対して、こんな独白シーンがある。
「それでも俺はききたいね。ちゃんとってぇのは、なんだよ? 本当にちゃんとするってえのはどういうこったよ?」
 このセリフが忘れられない。
 ドラマの中に答えはあったのだろうか?

 最近、どうもテレビドラマに対する風あたりが強い。ドラマそのものの質の低下、スタッフの質の低下といったことなどが毎クールごとに叫ばれる。
(当然、脚本家も含まれます。)
 正直、ここ数年ずっとそう。もう、パンチドランカーみたいになってしまっているくらいである。当事者としては。
 決まって言われるのが、視聴率のためのドラマづくりをしているということ。だが、私の知っている範囲では、そんな取り組みでドラマをつくっている人はいない。
 もちろん、視聴率は番組を評価する一つの座標として与えられているので、当てたいと思うのは当然だし、そんなものなんて関係ない、などと嘯く人は、かえって信用できない。
 メディアも矛盾していると感じるときもある。視聴率のためのドラマづくり(たとえて言えば、人気者を集めればいいと思っているというような)について、批判しているかと思うと、同じメディアで「低視聴率! 打ち切り!」「**の俳優生命も終わりか!」なんて記事が載っていたりする。
 なんか釈然としない。
 むかしも、たしかに名作はたくさん生まれたけど、つまらない、ダメなドラマも死屍累々としていたんじゃないのかなぁ、などと思ってしまうのだ。いまがそんなにダメなのかなぁと。
 ただ、以前、現役の仲間たちの発言で、「いまはドラマがつくりにくい時代」とどこか匙を投げたようなものがあったのだが、これは違うような気がする。
 ドラマがつくりにくい時代なんてあるんだろうか?
 それはまちがっているような気がする。
 人が生きて、考えて、悩んで、恋をして、傷ついて、そして死んでいく限り、ドラマはあるはずだ。一○○パーセントの楽園に、いまがなっているならば、ドラマがつくりにくいというのもわかる気がするが、そんなことはないわけだから。
 なんだか、愚痴っぽくなってしまったが、自作を含めて、最近のドラマを観ていて、思うことが一つだけある。
 人の暮らしが出てこないなぁということ。
 暮らし、もしくは生活というのは、ただ単に家での日常が描かれたり、食卓のシーンがあればいいというものではない。
 また、仕事場が出てくればいいというわけでもない。いまは職業物のドラマが隆盛なのだが、これなども、どこかイビツな感じがする。職業は職業であって、すべてではない。医者は医者でしかなく、人として描かれているものが少ない気がするのだ。もちろん、病院以外のシーンがあればいいということではなく
(そのあたりが何とも表現がむずかしいのだが。)
『週刊文春』での、大先輩、大山勝美さんの発言によると「つまらない人間のつまらない日常を、いかに面白くリアルに描くか、これがテレビドラマの役割なんです」「人生は哀しいし、苦しいし、泣きたくなる。その機微をリアルに示すために、作り手たちはのたうち回りながら悩みました」。
 この発言を読んだときは、シュンとしてしまった。たしかにいまのドラマはそこを避けているのかもしれない。
(もちろん自分も含めてだが。)
 全部が全部、そういうドラマでなくても別にかまわない。荒唐無稽な話も、キラキラしたラブストーリーも必要。だが、人を描くドラマもやっぱり必要なわけで、そのための闘いを、私たちはしてないのかもしれないと。
 で、『想い出づくり』である。
 大山さんの発言を読んだあとに、このドラマを読み返し、観返してみると、まさに「つまらない人間のつまらない日常を、いかに面白く描くか」がなされているのが、よくわかる。
 特別な人間は一人も出てこない。ヒロイン三人も、その周りの人たちも
 実家は洋品店で一人娘、親の反対と心配を押し切って、一人東京に出てきたが、職業はロマンスカーの売り子。彼氏なし。
 実家は下請けの町工場で、父母、そして出来の悪い不良気味の弟と同居。仕事場はロッテの工場で、親は取引先からの見合い話を断れなくて
 福島の実家には、役所勤務の真面目で面白みのない父と、母、兄がいてそこにはお嫁さんが同居していて、母と折合いが悪くそんな彼女は、中堅の会社で、お茶くみなんかしている。
 そんなヒロインたちである。
 絶望するほど、ひどい暮らしをしているわけではないし、生死にかかわるようなドラマを背負っているわけではない。が、特別ではない人の特別ではない人生が、実に面白く描かれているのだ。
 そこに圧倒されてしまう。
 女性として新しい生き方をするわけでもなんでもない。結婚する前に、なんか想い出つくりたい、その程度の夢を持っている娘たちの話なのである。
 当然。恋愛も登場するが、その華やかでないこと。
 一人は、詐欺まがいの仕事をしている男とすったもんだの末、結ばれ
 一人は、親の勧める、俗物を画に描いたような、見合い相手と。ずっと嫌だ嫌だと言っていたのに、結局は結ばれ
 一人は上司に勧められた見合い相手を、そんなに悪くないかもと思うのだが「処女じゃないと嫌だ」と言われでも根津甚八が好きだと言っていた彼女は、根津甚八そっくりな男と結ばれるのだ。
(ここにはちょっと夢がある。)
 その登場人物の中で、出色なのが、森昌子さんの見合い相手役、加藤健一さんの役どころである。
 青森で、裸一貫からガソリンスタンドや食堂などを経営するまでになった男。方言まるだしだし、いい男でもない。よく描かれる、地方の実直で真面目な人ではなく、「金ならなんぼでもだすよ」などと発言する人物である。
 見合い相手の森昌子を気に入り、あとは、押しの一手、しかも物量作戦である。親にプレゼント攻撃。不良の弟の面倒までみて、もう来ないでと言われても何度でもやってくる。
「僕と結婚すれば、金の苦労はさせない」
 そう胸をはって宣言する人物。
(それにしても、このドラマで初めて観た、この役の加藤健一さんのインパクトたるや。夢に出るほどだった。)
 いまのドラマでは、ヒロインがこのタイプの男と結ばれるなどという展開は、ほぼありえないであろう人物である。でも、魅力的なのだ。初めはヒロインと同じ目線で、絶対嫌だと思うのだが、だんだん否定できなくなってくる。憎めないというか、かなわない気がしてくるのだ。
 この人物の描き方などは、何度観ても、私はうなってしまう。ただうなるしかないという感じなのである。
(まあ、ファンなので仕方ないかもしれないが。)
 見事だとしか申し上げられない。
 そして、もう一つ、このドラマが名作だなと思うところ。
 それは、答えのないところである。
 私の中で名作と思えるかどうかの基準の中で、これは重要なポイントである。答えのないところ。
(私ごときがそう思っているだけなので、たいしたことではないが。)
 ドラマの中で、こうあるべきだ、と教えられたくないのだ。どうして、そんなことが、あなたは自信を持って言えるのか、それだけで作者を信用できなくなってしまう。
 答えなどない、それは視聴者一人ひとり違うはずだ。説教臭いドラマではダメなのだ。
 そして、もう一つは、むずかしいことをむずかしく描かないこと。むずかしいことを、むずかしく描くのは言ってしまえば簡単なことなのだ。それはテレビの役割ではないような気がする。
『想い出づくり』は、笑えるのだ。コメディだというのではない。笑わせようとしているのではないところで、笑える。これは素敵なことだと思う。だが、むずかしい。
 先に、柴田恭兵さんのセリフを書いた。
「それでも俺はききたいね。ちゃんとってぇのは、なんだよ? 本当にちゃんとするってぇのはどういうこったよ?」
 ドラマの中に答えはあっただろうか?
 答えはない。
 彼女と結ばれた彼は、一見ちゃんとして車の修理工場で働いて、子供もいてどうやら、それでもすぐ「仕事やめたい」としょっちゅう言っているらしい。
 それは「ちゃんとした」ということなのかどうか。彼はそれで幸せなのかどうか
 その答えはない。なぜなら、そんなこと誰にもわからないから。
 どうすれば、こんなドラマが書けるようになるのだろうか?
 山田太一さんの一ファンである、若輩の脚本家は途方にくれる。そんなドラマである。
記録より記憶に残るドラマ――『傷だらけの天使』
『傷だらけの天使』は連続二六回。一九七四年一〇月から一九七五年三月まで日本テレビで放映された。
 レギュラーは、萩原健一、水谷豊、岸田今日子、岸田森、西村晃、ホーン・ユキ。脚本は、市川森一さんをはじめ、数多くの方がかかわっている。柴英三郎、大野靖子、鎌田敏夫、永原秀一、宮内婦貴子、柏原寛司、渡辺由自、高畠久、峯尾基三、山本邦彦、大野武夫、篠崎好、田上雄の各氏。
 プロデューサーは、清水欣也、工藤英博、磯野理。演出は、深作欣二、恩地日出夫、神代辰巳、工藤栄一、児玉進、鈴木英夫、土屋統吾郎。
(余計なことかもしれないが、全員の名前を書かせていただいた。私もドラマスタッフとして経験があるが、「****ほか」と書かれるほど嫌なことはないので。本当、「ほか」は失礼だと思うのだ。)
 これほど、語られることの多いドラマはめずらしいのではないだろうか? そして、これほど作り手にいまの「傷だらけの天使」をやりたい、そう思わせるドラマもめずらしいのでは?
「傷だらけの天使」的なものを目指して、数々のドラマや映画がつくられてきた。だが、正直言うと、あまり成功した作品を私は知らない。気持ちはわかるのだ。「傷だらけの天使」をやりたいと思う気持ちは。
 でも私は絶対に手を出さずに来た。何となく、かなわない気がするのだ。失敗する予感がする。超えられない気がする。男二人の、兄貴と弟分的な関係。ドラマにそれがあるだけで『傷だらけの天使』っぽくて、恥ずかしくて書けない。それどころか「傷だらけ」「天使」という言葉をタイトルに入れることすらできない。
 それくらい大きな存在なのかもしれない。私にとっては。神聖なものといってもいい。
 放映時に思春期だったつくり手は、飲むと必ず「あぁいうのがやりたい!」と熱く語る。脚本家も、演出家も、役者も。あの頃、ワクワクしながらブラウン管を見つめて、格好よさにしびれていた人で、映像のつくり手になった人ならみんな、そう思うはず。
『傷だらけの天使』はみんなが観ていると思っていた。人気ドラマだと勝手に思い込んでいた。だが、必ずしもそうではなかったらしいのだ。
 脚本集『傷だらけの天使』での市川森一さんのあとがきによると

『傷だらけの天使』は、テレビ界のどんな賞も、もらわなかった。視聴率も、最後まで二〇パーセントに届かなかった。

 それにも関わらず、自作の中で、これ程、いつまでも、人々の囗の端にのぼる作品を、私は、他にもたない。(中略)しかし、その一方では、あのくらい評判の悪かったシリーズもめずらしかったのだ。

「ふざけ過ぎている」「下品だ」「ストーリーが判らん」「テーマがない」等々の風評に絶えずさらされていた。

 
 と、いうことだったらしい。まさに記録ではなく、記憶に残るドラマだったということだろうか。
 みんな、何にそこまで惹かれたのだろうか。
 まず、何と言っても「格好よさ」なのだと思う。それほどまでに、このドラマの格好よさは衝撃的だった。いままでのテレビドラマではないもの、観たことのないものが始まる。観ている側にも、そんな高揚感のようなものがあった気がする。
「格好よさ」といっても、単純なヒーロー像が持つ格好よさではない。弱い、なさけない、つまり「格好悪い、格好よさ」なのである。
 この主人公像は、それまでのテレビドラマでは観られなかったものだったのではないだろうか。
 まずは、タイトルバックの格好よさが強烈だった。
 いきなり「傷だらけの天使」という白字のタイトル。
 革ジャン着て、でっかいヘッドホンをして、アイマスクがわりに水中眼鏡? をつけたショーケンが眠っている。
 むっくり起きて水中眼鏡をはずす。
 テーマ曲が始まる。
 小さな冷蔵庫をあけて、朝食になりそうなものを取り出す。
 トマト、ソーセージ、コンビーフ、牛乳、etc。
 トマトを丸かじりし、次にトマトにおもいきり、塩をかける。
 クラッカーを一枚食べて、今度はコンビーフを缶のまま、食べる。
 トマトをまた一口食べたあと、新聞を手に取り、読むのかと思うとエプロン代わりに、襟元に突っ込む。
 そして、トマト。
 今度は、ソーセージをビニールごとくわえて、歯であけて、ペッと吐き出す。
 汚れた手を新聞紙でふいて
 壜の牛乳の栓を囗であけて、そこらに捨てる。
 そして牛乳を飲む。
 最後にカメラ目線になって、コンビーフを食べて、牛乳。
 ストップ。

 以上が、『傷だらけの天使』の冒頭に出てくる、タイトルバックである。この一連の動きの中に、ショーケンの白黒写真がインサートされる。
 克明に覚えている。おそらくタイトルバックをこれほど克明に覚えているドラマは、これっきりだと思う。
 まさに、その食べ方は下品で貧しく、でも格好よかった。よく真似したものだ。ただしコンビーフの缶をあけての直喰いは、かなりおすすめできないが。
 このタイトルバックを観ると、当時ショーケンこと萩原健一がいかにスターだったのかよくわかる。いま、タイトルバックに主人公一人というドラマはほとんど見られない。

 放映時、私は中学一年から二年。よって、このドラマのストーリーをどこまで理解していたかは、かなり怪しい。
 一応、主人公は探偵(かなり下っぱ)ということにはなっているが、事件物ではない。
 展開する、ダークでアンダーグラウンドな世界は、まだ私には理解できていなかったような気がするのだ。だが、「格好悪い、格好よさ」に心をつかまれたのだと思う。
 タイトルバックを含め、細かいディテールを実によく覚えている。
 主人公の暮らす、代々木の雑居ビルの屋上にあるペントハウス。その部屋の中。髪形、服装。すべてに憧れた気がする。そういえば友達と代々木まで、そのビルを探しに行ったこともあったし、一度は屋上のペントハウスに住んでみたいと思ったものだった。夏の暑さと冬の寒さはかなり厳しいらしく断念したけど。
 そういうテレビドラマはほかにない。いまも見当たらないのでは? それは私がいい大人だから感じないのだろうか?
 ドラマを観ている中学生などが、かつての私のように憧れ、真似したりしているのだろうか?
(同じ服を探して買ったり、ということはありそうだが。)
 後に松田優作の『探偵物語』というドラマが登場するのだが、そのときには思春期も過ぎ、結構大人になっていたので、無邪気に憧れたりは、もうできなくなってしまっていた。中学生だった私に、生まれて初めての「格好悪い、格好よさ」を教えてくれたのが、このドラマだった。それまでのテレビドラマのヒーロー像とは明らかに違っていたのだ。
 ハリウッド映画における、アメリカンニューシネマの役割を、日本のテレビドラマの中ではたしたのが、『傷だらけの天使』だったのではないだろうか? 私は映画青年でも何でもなかったので、ニューシネマ作品の『イージー・ライダー』や『真夜中のカーボーイ』などを観たのは、ずいぶんあとになってからで、『真夜中のカーボーイ』を観たときには、『傷だらけの天使』みたいだなあと、思ったものだった。
 主人公の社会での位置。弱さ、情けなさ。正義の味方でないところ。そして最後にやってくる、あまり救いのないラスト。『傷だらけの天使』は私にとってニューシネマの役割をはたしてくれたのだと思う。
 ラストシーンのインパクトは、ニューシネマの作品群など問題にしないできだと思う。それくらい強烈だった。しばらく、どうしていいかわからない気持ちになったのを覚えている。
 このラストシーンも真似すると、痛い目にあう、でもやりたくなる。

「長嶋茂雄引退、ハイセイコー引退、傷だらけの天使最終回」
これが、連続ドラマ『傷だらけの天使』最終話「祭のあとにさすらいの日々を」に向けての予告編についていたナレーションである。
 改めてビデオで観返してみて、驚いた。記憶には残っていなかったから。予告にナレーションという手法は最近見ないものであることもあるが。
(当時はどうだったのだろう? あまりなかったのでは?)
 驚いたのは、その内容。長嶋にハイセイコーである。それと自ら肩を並べる宣言。もちろん、シャレなのだろうが、ちょっと羨ましくなった。つくり手たちの「自分たちは歴史に残る作品を、忘れられない作品をつくったのだ」という自負のようなものを感じたからだろうか。
 そして、実際そういう作品としていまも語られているのだから、それは素晴らしいこと。
 こんなふうに語られる作品に、生涯一本でもかかわれたら、幸せだと思う。

 ビデオで観返してみて気づいたのが、この作品の音楽の素晴らしさ、格好よさ。井上堯之さんと大野克夫さんのつくった劇伴のこの格好よさは、ただごとではない気がする。
 テレビドラマにおいて、音楽が耳に残っているというか、完成されたものは、ほかに知らない。
(いまのように主題歌というかたちで一人歩きするものではなく、あくまで劇伴で。)
 あえて言えば『太陽にほえろ!』劇伴だろうが、これも同じ音楽スタッフの仕事である。
 井上さん、大野さんは、ザ・スパイダースのメンバー。主演のショーケンこと萩原健一さんは、ザ・テンプターズ。このGS世代の人たちの才能はすごい。当時のショーケンやジュリー(沢田研二さん)の人気というのは、いまでいうと、どんな感じだったのだろうか。匹敵するのは、やはり、キムタク(木村拓哉君)ぐらいなのでは。一挙手一投足が注目され、ファッションリーダーでもある、つまり生き方の注目のされ方が近いのは、木村君ぐらいだろうか。
(ここで、いや、そんなもんじゃないというと、急にオジサン臭くなるので控えておきますが。)
 そして、もう一つビデオを観て、感じたこと。
 これは、少し書きにくいのだがストーリーが、あまり記憶に残っていなかったことに、少し驚いた。何となく、ミステリー小説の、アメリカン・ハードボイルドに似ている。アメリカン・ハードボイルドのシリーズも、正直言って、物語の記憶はあまり残らない。
(私だけではないはずだと思うのだが。)
 ストーリーよりも主人公のありよう、暮らし、言動そこが記憶に残っている。
(脚本スタッフには、非常に申し訳ないし、怒られてしまうかもしれないが。)
 まず、私が当時中学校一年から二年という年齢だったこともあるかもしれない。背伸びしてわかったような顔して観ていたのだろう。だが、どこまで理解できていたかは、かなり怪しい。
 それにしてもなのだ。記憶に残っていた場面は、たくさんあった。だが、物語となるとなのだ。
 そもそも実は主人公の設定が、テレビドラマ的には、わかりやすくない。そして、これまたテレビドラマ的にいうと共感されにくい。
 主人公は調査会社の下請け? というか、使い走りに近い存在。まぁ探偵っぽい仕事でなくもないのだが、そこにそもそも正義はない。岸田今日子さん演じる、綾部貴子が経営する調査会社の存在はかなりうさんくさく、闇の世界にも通じている空気が漂っている。したがって、主人公にくる仕事も、かなり、うさんくさい。
 これっぽっちも、世のためや、誰かのための仕事ではないのだ。それどころか、主人公は、調査会社にとっては、捨て駒。途中でどんな危険な目にあおうが、下手して死のうが気にしない。それくらいの存在。
 爽快さのかけらもないのだ。
 雰囲気はハードボイルドなのだが、どこか違う。主人公は一見自由に生きているのだが、組織からは逃げられない。むしろ寄生虫的存在なのかもしれない。決して格好いいアウトローではない。
 危険な仕事をだまされるかたちで行ったあと、もう二度とあそこの仕事はしない、と宣言するが、それを受けるしか生きる術はない。かなり弱っちい虫けら、都会のネズミなのだ。
 だがだが、そんな何の力もない、正義もない主人公たちも、闘うときはある。上(会社)にたてついても、小さな闘いを挑む。
(その場合も、綾部さんの手のひらの上である場合が多いのだが。)
 そんな物語である。テレビドラマ的には共感されにくい主人公だし、共感されにくい物語。後味も決してよくはない。
 だからこそ、格好いい?
 そんな主人公のありようにはどんな意味や思いがあるのだろうか?
 主人公は、まっとうな社会の一員ではない。かといって夢物語の格好いいヒーローのように社会から超越した自由な存在でもない。ある意味、ものすごく現実的な存在なのだ。落ちこぼれてはいる。はみ出してもいる。でも決して、まっさらな自由、組織や社会に背を向けては生きられない。大切なのは自分。やりたくないことも、嫌というほどしないと、生きていけない。
 でも最後の抵抗、最後の自由は持っている。それは反権力とか、正義とか、復讐ではない。あるとすれば、人情。義理人情。そこだけは、せめてゆずれない。
 そんな主人公のありよう。それが七〇年代中期の、空気みたいなものなのだろうか? 闘いの季節は終わり、それぞれ、みんな現実の中で生きるしかない。自由なんて夢もそうは見られない、そんなあきらめ。
 そんな時代の空気を、勝手にドラマの中に感じてしまうのは、学生運動の季節にかすりもしなかった世代の、ファンタジーなのだろうか? でも、やはりそんな気がする。
 あのときの、あの時代の、あの役者、あのスタッフ。だからこそ成立する、奇跡的に生まれた微妙な空気感。バランス。それまでのテレビドラマとは違うことをやろうとする勢いから出る、格好よさ。
 そんなドラマもあると思うのだ。だから真似はしない方がよい。というところに、繋がるのだが
 少なくとも、かたちから真似しない方がいい。本当の意味での、「傷だらけの天使」をいま、つくりたいのなら。いまの「傷だらけの天使」をつくりたいのなら、精神だけを引き継ぐべきだ。すると、おのずから萩原健一版『傷だらけの天使』とは、似ても似つかないものになるはずだし、でないと嘘だ。だって『傷だらけの天使』は三〇年も前に、もうやられてしまっているものなのだから。スタイルを模倣することは、精神をゆがめることにすら、なると思うのだ。
『傷だらけの天使』的なドラマや映画は数多くつくられてきたが、どれもピンと来ない。いま述べた意味でいうと、いまの「傷だらけの天使」は、宮藤官九郎脚本の『木更津キャッツアイ』くらいしか思いつかない。
 さて、『傷だらけの天使』といえば、なんといっても最終回。
 連続ドラマの最終回というのは、大抵の場合(自作含む)どうもすっきりしないというか、無理矢理終わらせた感がぬぐえないもので、実はドラマを語るときに、みんなの記憶にあるのは、最終回ではない場合が多い(と思う)。
 だが、このドラマはその正反対。それほど強烈なラストシーンだった。
 綾部事務所が突然閉鎖し、みんな行方不明になり、事務所の持ち物であった、ペントハウスも壊されることになる。みんな、バラバラに夢の終わり。
 主人公の修は、行き場もなくプラプラしていると、弟分の亨がゲイバーのアトラクションボーイをしているのを見る。綾部から修だけ欧州に連れていってやると言われ、弟分を捨てて逃げるつもりだった修だが、亨はひどい風邪から肺炎になり、死んでしまう。
 修はリヤカーにドラム缶をのせ、その中に亨を入れ夢の島へ
 そこに、亨の入ったままのドラム缶を残し、リヤカーをひいて、逃げるように去っていく修。
 それがラストシーン。
 この言葉にしてみると、伝わらない気がするが、こんなに寂しく、救いもないテレビドラマのラストシーンは初めて観た気がした。
 眠れなかったのを覚えている。どう解釈していいのか、わからなかったのだと思う。いまもわからない。
 だから格好いい。
 次の日の中学校の男子生徒たちは、ドラマの最終回のことで、もちきりだった。だが、誰もみんなが納得できる解釈を披露できなかった。
「格好よかったなぁ」「終わっちゃったなぁ」――それがほとんどの回想。でも、だからこそ、おそらくみんなの記憶の中にいまも残っている。
 こんなドラマがつくれたら、素敵だと思う。本編の最後に、おまけ(提供バックか?)映像がついていたのもビデオで発見した。おそらく放送時はドラマの衝撃的なおわりの余韻の中だったのだ。
 ドラマのクラックアップの瞬間。喜ぶショーケンを残してロケバスは去っていく。「冗談じゃねえよ」と言いながら追うショーケン。
 これがオマケ。うれしい発見だった。
 素敵なスタッフに乾杯。

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