もくじ

『あの丘越えて』

『月夜の傘』

『純愛物語』

『いつでも夢を』

ラスト・シーン


干刈あがた(ひかりあがた)

一九四三年、東京生まれ。早稲田大学政経学部新聞学科中退。八二年、「樹下の家族」で第一回海燕新人文学賞、八四年、「ゆっくり東京女子マラソン」で第三五回芸術選奨新人賞、八六年、「しずかにわたすこがねのゆびわ」で第八回野間文芸新人賞受賞。

干刈あがた(ひかりあがた)

一九四三年、東京生まれ。早稲田大学政経学部新聞学科中退。八二年、「樹下の家族」で第一回海燕新人文学賞、八四年、「ゆっくり東京女子マラソン」で第三五回芸術選奨新人賞、八六年、「しずかにわたすこがねのゆびわ」で第八回野間文芸新人賞受賞。

ラスト・シーン

干刈あがた
『あの丘越えて』
 一年生と二年生は、早番と遅番とを一週間ごとに交代する二部授業だった。
 二年生のふみ子の住んでいる東青梅の家の近所には、同級生がいなかった。早番の日、文子は上級生にくっついて、歩いて小一時間ほどかかる青梅本町の小学校まで通った。通学路は単線鉄道青梅線の線路ぞいの道で、途中までは日の当る明るい道。四分の三ほど歩いたところで踏切りを渡ると、神社の裏手にあたる斜面の下の、湿った暗い日蔭道になる。そこを過ぎると、また日の当る側へと線路を跨ぐ橋を渡る。するとすぐ先に小学校があるのだった。
 遅番の日、文子は一人でぶらぶら日向ひなたの道を歩いていった。お寺の境内にある枇杷、農家の垣根のグミ、線路脇にとつぜん咲く真赤な彼岸花、線路のむこうの機工場はたこうばから響いてくる織機しよつきの音。どこにどんな食べられる実があるか、どこにどんな花が咲くか、どこからどんな音が響いてくるか、文子はもう知っていた。
 日蔭側の道へと渡る踏切りが近づいてくると、文子は緊張した。神社の裏手の斜面には、木の間隠れに小さな小屋があった。その小屋には南京錠が掛っていて、戦争から気が狂って帰ってきたササキという男が閉じこめられているのだという。ササキはときどき狂暴になり、食事を運んできた人をぶちのめして小屋から逃げ、斧を持って通りがかりの人を襲うという噂があった。
 それだけでもこわいのに、その湿った暗い道には二か所、映画のポスターが貼ってあるところがあるのだった。文子は映画のポスターもこわかった。
 一か所は、踏切りを渡ってすぐのところにある家の窓の横。その窓ガラスは上の一枚だけが透きガラスになっていて、そこから昼間でも灯っている裸電球と機械の一部が見え、中からは何かゴトゴトという音が聞こえてきた。二拍子の織機の音とは違っていた。そこに『羅生門』のポスターが貼ってあったときには、そこから「この毛を抜いてなあ、この毛を抜いてなあ、かつらにしようと思うたのじゃ」という声が追いかけてきて、うしろから髪をつかむような気がした。映画を見てきたという子が教室で、そのセリフを言ったのだ。
 もう一か所は、ササキの小屋より少し手前にある、小さな文房具屋のガラス戸の横。そこでは「蛇姫様」や「影法師」や「お岩さん」が待ち構えていた。文子はその道を、息を詰めるようにして急ぎ足で歩いた。ランドセルの中で、鉛筆がカタカタと鳴った。
 題名や絵がこわくないときでも、映画のポスターにはたいてい見てはならないような落書きがついているので、文子は見ないようにしてポスターの前を通った。
 青梅の町には映画館が二つあった。
 遠まわりをして青梅街道を通って下校するときには、学校から街道へ出るまでの途中で青梅キネマの前を通る。『てんやわんや』という映画の大きな看板が出ていたことがあったが、青梅キネマの前はいつも、てんやわんやだった。扉は半開きで観客がはみ出し、次回上映を待つ人々の人だかりができていた。
 学校の映画教室のときは、もう一つの映画館ヘディズニーの『せむしの仔馬』や『白雪姫』を見に行ったのだが、文子がめったに通らない道の方にあったので、その映画館の名も、普段どんな映画をやっているのかも知らなかった。
 映画教室のニュース映画で古橋広之進の水泳を見たあと、男子生徒のあいだでは「古橋広之進ごっこ」が流行はやった。裏山から舞い落ちて厚く積った枯葉のプールの中へ、渡り廊下のスノコに並んだ男子たちが飛び込み、落葉のしぶきをあげて泳ぎ、一着になった子が古橋広之進になるのだった。
 青梅街道を通って下校するとき、町ぜんたいが日に日に明るくなり活気づいてきているのが、子供の文子にも感じられた。街道ぞいにはパン屋や編物教室や銭湯が新しくでき、開店休業のようだった店々にも品物が多くなり、きれいな色のリボンやセルロイドの髪飾りなども並ぶようになった。
 夏の夜には夕涼みの大人たちが、探照灯の光線が扇形に動く立川基地の方の空を見ながら、「朝鮮戦争」や「糸へん景気」の話をしていた。青梅夜具地と呼ばれる綿織物で立つ青梅の町は、景気がよくなっているらしかった。
 文子が二年生になったとき、町は近隣の町村を合併して市になり、記念事業の一つとして電柱に取り付けられた有線放送のスピーカーからは、「市からのお知らせ」のほかに、商店や映画館の広告なども流され、あいまにはラジオ歌謡の「森の水車」や、美空ひばりの「東京キッド」の歌声も流れてきた。
 けれど、文子の通学路の日蔭の道だけはほとんど変らず、ほかの道が明るくなった分だけ、よけいに暗くなっているような気がした。そして、映画のポスターが貼ってあるところが、ひときわ暗く感じられた。
 文子の家のある東青梅は町はずれだったので、街道筋ほどには変らなかったが、それでも電柱にはやはり有線放送のスピーカーが取り付けられ、広告や歌が流れてくるようになった。そして町村合併に伴って東青梅の近くに第二小学校の建築が始まり、東青梅の子供と、もとは村だった地区の子供が通うことになった。文子も三年生からは、そっちへ通うことになっていた。
 文子が三年生になる少し前、東青梅には新しい映画館もできることになった。文子はときどき家から歩いて五分ほどのところにある、三つめの映画館の建築現場へ行き、敷地の地搗きや、基礎工事の進行具合などを見守った。
 そんなある日、文子の家の近所の、コメカミにいつも梅干を貼っている頭痛持ちのおばさんの家の外壁に、とつぜん青梅キネマのポスターが貼り出された。それまでは、家のまわりにはどこにも、映画のポスターは出ていなかったのだが。
 その家は、玄関の横に手スリのついた窓があり、夏には開け放った窓辺で、いつもおばさんが造花の内職をしていた。ポスターはその窓の横の羽目板に貼り出されたのだった。その家の子供たちはもう大きくて、お嫁に行ったり働いたりしていたので、何人家族なのか文子はよく知らなかったが、奥では病気のおじさんが寝ていた。おばさんは内職をしながらいつもラジオを聞いていた。音を大きくしているので、徳川夢声の声が路上に流れてきたりした。
 おばさんはポスターを貼り出した理由を、近所の人たちにこう説明した。
「新しい映画館ができっから、青梅キネマもうかうかしてられねえんだんべ。映画のポストを貼らせてやれば、タダの切符をくれるっていうんだ。おれが映画見てきて、父ちゃんに話してやるべえと思って。父ちゃんもラジオばっかりじゃ、つまんねえべえ」
 その家は南に面していて裏道のように暗くもないし、こわそうなポスターでもなかったので、文子は近づいて見てみた。『わが家は楽し』という題だった。美空ひばりか松島トモ子が出ていないかどうか、ポスターに書いてある映画俳優の名前も読んでみた。文子は映画教室で見た映画のほかには、ほとんど映画を見たことがなかったが、借りて読んだ『少女クラブ』や近所の上級生の女の子たちの話で、その二人が人気があるのは知っていた。美空ひばりが「東京キッド」を歌っている映画はとても見たかったが、文子の兄は結核性の病気で入院していて、家計が大変なことはわかっていたので、連れていってとは言えなかったのだ。でももう退院したので、こんど美空ひばりの映画が来たら連れていってあげると、母親が約束してくれたのだった。けれど『わが家は楽し』のポスターには、美空ひばりの名前も松島トモ子の名前も書いてなかった。
 窓の近くで内職をしているおばさんには、ポスターに人が近づくと曇りガラスごしでもわかるらしく、窓を開けて文子に「高峰秀子がきれいなんだあ。見て損はねえよ」と言った。まだ窓を開け放す季節ではなかったので、おばさんは人が近づくたびに窓を開けたり閉めたりして、同じことを言った。
 もしかしたら今日はポスターが変っているかもしれないと思って、文子はたびたびポスターを見に行った。けれど『わが家は楽し』のポスターは、なかなか変らなかった。そしてある日、ポスターを見て文子はドキンとした。黒いクレヨンで、裏道のポスターに書いてあるのと同じ、見てはいけないような落書きがしてあったのだ。
 窓を開けたおばさんが「また文ちゃんか」と言ったとき、おばさんに言おうかどうしようかと文子は迷った。でも、見るのさえ恥ずかしい落書きのことを、言うことはできなかった。文子の顔を見ておばさんが「どうしたんだい?」と聞いたので、文子はポスターを指さした。
 外に出てきてポスターを見たおばさんは、消しゴムや雑巾を取ってくると、「いけすかねえ。どいつのしわざだ」とぶつぶつ文句を言いながら、こすってみたり拭いてみたりした。けれど落書きは消えず、かえって黒い色がひろがったり、雑巾にくっついた埃が斜めや渦巻きの跡をつくったりして、ポスターは汚れてしまった。
 やがて、文子は三年生になり、新しい小学校へ通うようになった。ある日学校から帰ってくると、ポスターは『自由学校』に変っていた。有線放送では「じゆうがっこう」と広告していたので、文子は「自由」という字を読むことができた。けれど「自由学校」の意味はよくわからなかった。文子が通学するようになった第二小学校は、設備もまだ整っていず、校庭には小川が流れ、校舎にはヘビやカエルも出入りし、先生たちも若かったので、桜の大木や石垣のある重々しい本町の第一小学校より、からっぽで楽しい感じがした。文子の心の中で、なんとなく第二小学校と自由学校とが結びついたが、『自由学校』のポスターの絵には、生徒らしい子供の顔はなかった。そして美空ひばりの名前も、松島トモ子の名前も書いてなかった。
 おばさんはすぐ見に行ってきたらしく、ポスターを見に近づく人にまた、「誰それがよかった。見て損はねえ」と言った。俳優の名前は変ったが、おばさんはそれしか言わないので、どんな映画なのかよくわからなかった。それに「父ちゃんに話してやる」はずなのに、おばさんは窓を半開きにして外の人にばかり話しているようだった。
 そのあいだにも、三つめの映画館はどんどん完成に近づいていた。青梅キネマよりかなり大きな、倉庫のような四角い白っぽい建物で、入口の面だけがカマボコのような形になっていた。
 文子は『自由学校』のポスターも、いつ変るのだろうと思いながら、たびたび見に行った。おばさんは「また文ちゃんか」とも言わなくなった。大人には相変らず「見て損はねえ」と広告するのに、文子には何も言わなくなったので、どうせポスターを見るだけで映画を見には行かないのだと思われているような気がした。
 やがて三つめの映画館が完成して、最初に第二小学校の生徒たちが並んで『バンビ』を見に行った。道にそった建物の長い壁には、大きなガラスの標本箱のようなものが取り付けてあって、掲示板になっている壁には、外国人の映画俳優の写真がたくさん貼ってあり、『バンビ』のポスターも貼ってあった。これなら落書きされたり雨に濡れたりしない、と文子は列の中からそれを見て思った。おばさんの家のポスターは『自由学校』にも落書きされ、雨に打たれるとしわしわになってしまうのだった。
 カマボコ型の入口の上には、青梅スバル座と書いてあった。その名前はしゃれていて、外国の映画をするらしい映画館に似合っていると文子は思った。
「あっちの映画、どうだったい? 学校から見に行ったんだんべ」
 と、またポスターを見に行った文子に、おばさんが久しぶりに窓辺から声をかけた。
「きれいだった」
 と文子は言ったが、ほんとうは『バンビ』より『せむしの仔馬』の方がずっときれいだと思っていた。キラキラ光る粉を撒き散らすようにして、天から馬が舞いおりてくるところが、とてもきれいだったのだ。それに、それは初めて見たディズニー映画だったので、世の中にこんなにきれいなものがあるのかと、びっくりしたりうっとりしたりしたのだった。
「そうかい」とおばさんは気に入らなそうな顔をしてから、「まあピーチクパーチクの切符もらっても、しようがあんめえ」と言った。
『バンビ』には鳥もたくさん出てきたが、ピーチクパーチクというのは英語のことらしかった。
 おばさんは「見て損はねえ」と青梅キネマの映画の広告をしたり、青梅スバル座の映画をほめたら気に入らない顔をしたりして、まるで青梅キネマの人みたいだけど、切符をもらうだけなのだろうかと文子は思った。
『自由学校』のポスターもなかなか変らなかった。そして、やっと変った。筒のように丸めたポスターと、針金で吊ったペンキの缶のようなものに入れた糊を持った人がやって来て、『自由学校』の上に刷毛でべったりと糊を塗り、その上につぎのポスターを貼ったのだった。
「これはどのくらい続くんだ?」
 とおばさんがポスター貼りの人に聞いた。
「評判がよけりゃあ長く続くけど、でえてえは一か月ぐれえだな」
「長く続きゃあ、おれのもらい分が損するな」
 とおばさんは不満そうに言った。
「んじゃあ」
 と言って、ポスター貼りの人は、おばさんに切符を二枚渡した。文子はそれを見ていたが、文句を言ったから二枚もらえたのか、いつも二枚もらえるのかはわからなかった。
「今度のはおもしれえのけえ?」
 とおばさんは聞いた。文子は美空ひばりの映画がいつごろ来るのか聞きたかったが、
「見てのお楽しみだんべ」
 と言って、ポスター貼りの人は帰っていった。
 おばさんはつぎの映画の最初の日にさっそく見に行ったらしく、学校から帰った文子がポスターに近づいても窓は開かなかった。今ならば落書きできると文子は思った。落書きする人は、いつのまにするのかわからなかった。その映画にも、美空ひばりや松島トモ子は出ていなかった。そしてそのポスターにも、いつのまにか落書きされた。
 二枚目のポスターの上には三枚目が貼られ、その上に四枚目が貼られていった。何枚も重ねて貼られたポスターの端は、夏のかんかん照りに糊が乾いてめくれ、ボロの重ね着の袖口のようになり、濡れたり乾いたりして紙がでこぼこになり、色があせてきたり、落書きされたりして、ポスターはだんだん汚なくなった。おばさんもだんだん熱心ではなくなってきた。
 文子はそこに貼られているポスターをこわいと思ったことはないが、やっぱりそこにも、なんとなく暗さがただよい始めているような気がした。
 そして、もう誰も珍しがってわざわざ近づいてポスターを見たりしなくなったころ、やっと美空ひばりの『あの丘越えて』のポスターが貼り出された。
 ほんとうに、やっと。
 ポスターの美空ひばりは馬に乗っていて、そばに学生服を着た鶴田浩二が立っていた。美空ひばりの顔は、おでこが大きくて、利口そうで明るそうで活発そうだった。そして、とてもきれいだった。文子はポスターの貼ってあるあたりが明るくなったように感じた。
『あの丘越えて』を見て、文子はますます美空ひばりが大好きになった。お金持ちのお嬢様のように威張っているような感じや、意地悪そうな感じが、ぜんぜんなかった。やさしそうな感じもしなかった。やさしいというようなこととは、まったく違う感じがした。青空のような感じだった。美空ひばりという名前は、ほんとうに美空ひばりに似合っていると文子は思った。
 文子はひばりちゃんのポスターを落書きから守るためなら、ポスターの見張りをしてもいいと思った。
 でも、もしおばさんにスキがあったら、自分がポスターの糊をはがして、もらってしまいたかった。
 有線放送からは『あの丘越えて』の主題歌の、「山の牧場の夕暮れにヤッホー、ヤッホー」という歌が流れてきた。その歌が流れてくると、近所の年上の女の子たちも、文子も、それに合わせてうたった。文子は自分が誰よりも上手に美空ひばりそっくりにうたえると思っていたが、うたっている子はみんなそう思っているらしかった。
 有線放送からは、もう一つの映画館の『八ッ墓村』の広告も流れてきたが、文子はもう、あの湿った暗い道のポスターの前を通って学校へ行かなくてもいいのだった。

(『あの丘越えて』昭和26年 松竹作品)


『月夜の傘』
 人の動きはわかるが顔まではよく見えない、という位置から一時間近くロケを見ていても、どんな場面を撮影しているのか、さっぱりわからなかった。
「あら、文子ちゃん、ロケを見に行かないの? ひろしは行ったわよ」
 と頼母子講の寄合いのために文子の家に来た、隣りのおばさんに教えられて駆けつけたのだが、文子がロケ現場に着いたときには、もうそこは人だかりに囲まれていた。
 ロケをやっているのは、文子の同級生である宮地さんの家の近くの、角の空地だった。東京の杉並区と練馬区の境に近いそのあたりには、屋敷林に囲まれた大きな農家が数軒と、その十倍ほどの数の小さな新築の家や建築中の家があったが、まだ畑や空地も多かった。家の建っていないところは、大根やホウレン草やネギが並んでいる畑、もう作物はつくっていないが黒土の畝がそのままのところ、キャベツが腐ったまま放置されているところ、雑草の生えている空地、整地されている空地、などがモザイク状に入りまじっていた。
 空地はたいてい、宅地として買手がついたが家はまだ建っていないところか、宅地として売り出し中のところだった。文子も宮地さんも、そして六年生の同級生の多くも、ここ数年のうちに家を新築して引越してきた家の子供だった。そうした子供たちで一クラスは六十人にふくれあがり、もともとの地元の子の方がずっと少なかった。
 ロケをやっている空地は子供たちが遊んだりもする場所なので、真ん中へんは踏み固められた土が白っぽく乾き、まわりには枯れた雑草が立っていた。角で交差する道と、ネギが並んでいる畑との境の畑道との三方から、ロケ見物の人々がその空地を取り囲んでいた。カメラが向いている正面の一辺だけには人がいなかった。その正面の奥に宮地さんの家があるので、宮地さんは庭先からロケ見物ができそうだった。
 文子が着いたときには、道端にバスが一台と幌をつけたトラックが一台止っていて、十人ほどの男の人たちが、道からすぐの雑草のあたりに据えられたカメラと車との間を行き来したり、カメラのまわりで何か話し合ったりしていた。大声で何かを指示しているらしい声なども聞こえた。
 カメラの正面には俳優らしい男と女がいたが、文子には顔が見えないので誰なのかよくわからなかった。日活のニューフェイスだとか、俳優の名前を言ったりする声が聞こえたが、文子の知らない名前だった。ただ「監督は久松静児だ」という声が聞こえたときには、その名前は知っていた。久松静児という名前を漢字で頭の中に書くことができた。どこかでその名前を見たことがあるような気がした。
 二人の俳優のまわりにも何人かの人がいて、銀色の板を頭の上に持ち上げている男の人がその板の角度を変えたり、エプロンをした女の人が女優のところに走り寄って髪のあたりをいじったりしていた。俳優とカメラとのあいだには、まるで木の根か植木鉢にでもなったように、白っぽい花の咲いている木を支えてしゃがんでいる男もいた。動く木の根は、誰かに指示されて何度か位置を変えた。
 二人の俳優は、むこうからカメラの方へ歩いてきては、戻り、また歩いてくる、というのを繰り返していた。腕を組んで歩いたり、腕を組まずに並んで歩いたりしていた。
 カメラの近くにいて、ときどきカメラを覗いたりするのは一人ではなかったので、どの人が監督なのかも、文子にはわからなかった。
 途中で何度かロケ隊の人が、畑との境に入りこんで見ている人々に「さがって、さがって」と大声で言った。見物人がさがると、そのうしろの畑のむこうから「畑に入るな! ネギを踏むな!」と怒鳴り声が響いた。ロケをしている空地とは反対側の角の、ヒバの垣根の家のおじさんが、家の横手にまわって監視しているのだった。
 やがて二人の俳優はカメラのところまで歩いてくると、灰色の登山帽のようなものをかぶった男の人と何か話し、その人に頭を下げてから、道に止めてあるバスの方に歩いていった。銀色の板を持っている男の人も、動く木の根も、トラックの方に戻っていった。二人の俳優はこれといった演技をした様子もないのに、撮影は終ったのか、ロケ隊の人々はカメラや機材を片付け始めた。何も持たずにぶらぶらとバスの方へ戻っていく灰色帽子の男の人が、監督であるらしかった。
 二人の俳優がバスに近づくと、サイン帳を持った人々がまわりを取り囲んだ。文子も近くへ行って顔をよく見たいと思ったが、ロケ見物をしていた人々の大部分がそこへ押し寄せていたので、なかなか近づけなかった。並んで前へ進みながらみんなが平等に見るとか、俳優の顔を見た人は帰るとか、誰かが決めてくれればいいのにと文子は思ったが、バスのまわりの何重もの人垣はなかなか崩れなかった。そのうちバスの警笛が鳴り、人垣が動いた。そしてバスは発車してしまった。
 六年生の教室でロケ隊の噂が広がり始めたのは一週間ほど前からで、最初は西武線の井荻駅と下井草駅とのあいだの、線路のむこう側で撮影したらしい。そのときは田中絹代が来ていたそうだ。それからほとんど毎日、学校へ行くと、昨日は下井草の駅の近くで宇野重吉が来ていたとか、昨日は井荻駅前の橋のところに撮影隊が来ていたが俳優はいなかったとか、話ばかりは耳に入ってくるのだが、聞いたときにはもう間に合わなかった。やっと家の近くに出現して、間に合ったけれど、何がなんだかわからないうちに終ってしまった。映画の題は『月夜の傘』というのだそうだが、こんなざわざわした撮影でほんとうに映画になるのだろうか、と思いながら文子は解散する人々の流れにまじった。
 ヒバの垣根の家の前では、通る人みんながネギを踏んだに違いないと思っているような顔をして、腕組みをしたおじさんがロケ見物から帰る人々を睨みつけていた。
 バス通りへ出るまでの道の脇には、柘植や松やツツジや椿などの植木をたくさん植えてある一画もあった。もとは畑だったところだが、農家が新築の家に売る植木の栽培を始めたのだった。でも新築の家はたいてい、まだ門や塀や庭木までは手がまわらず、ただ土地の上に家が建っているだけという丸坊主の家、せいぜい金網のフェンスと丸太の門といった家が多かった。バス通りに面している文子の家も、五年生のひろし君のいる隣りの家も、そんなふうだった。
 文子の家では、頼母子講を終えたらしい近所の母親たちが、お茶を飲みながらおしゃべりをしていた。六人の母親たちが月に千円ずつ持ち寄って六千円。その六千円を、その月に特にお金が必要な人が落とすのだと、母親は文子に説明した。順番でみんなに同じ回数だけ落ちる仕組みになっているとも言ったが、その二つは矛盾しているようで、文子には頼母子講の仕組みがよく理解できなかった。月に千円ずつ貯金しておけば利子がつくのにと思った。その月に落とす人が利子がわりにお茶菓子を用意するのだそうだが、お茶を飲んでおしゃべりをする方が主たる目的のように、話は弾んでいたり、深刻そうだったりした。寄合いをする家も順番にまわるので、文子の家でも何度か寄合いがあったのだった。
 翌日学校へ行くと、昨日のロケについて、幾つかの詳しい事情が文子の耳にも入った。
 道に止っていたバスは、ロケバスというのだそうだ。
 カメラの正面奥の宮地さんの家にはロケ隊の人が来て、画面に入るかもしれないから庭や縁先から見たりしないようにと言ったのだそうだ。それで宮地さんは道の方から見たのだという。
 動く木は白木蓮で、本物だったが、花はまだほとんどが蕾だったので、監督が「ちらほら咲かせろ」と言い、小道具係が造花をくっつけたのだそうだ。
 二人の若い俳優のサインをもらった人もいたが、見ても文子には読めなかった。聞いた名前も、そのうち忘れてしまった。同級生の中には、田中絹代や宇野重吉のサインをもらった人もいた。ロケ騒ぎが始まってから、教室ではサインの練習が流行していた。文子も練習してみた。サインの字は読めないように書くのがコツらしかったが、文子はどうしても、読めてしまうサインしか書けなかった。
 ロケ隊は二週間ほどでぱったり来なくなり、ロケ騒ぎは終った。と思っていたら、ぽつんと一つだけ離れた点のように「ゆうべ、橋のところで、田中絹代と宇野重吉の撮影をした」と、井荻駅前の橋の近くに住んでいる坂田さんが言った。夜だったので見物人はあまりいなかったという。ほんとうにそれを最後にして、目撃談はなくなった。
 もうロケのことなど忘れてしまったころ、文子は新聞の映画広告欄で『月夜の傘』の封切を知った。広告は大きくはなかった。ロケ騒ぎをした六年生のときの級友たちは中学生になっていて、クラスも別々になり、ロケのことを知らない他の小学校から来た生徒たちとも一緒だったので、教室ではその映画のことはほとんど話題にならなかった。これといったスターも出ていないその映画に、文子もあまり興味を感じなかった。中学生の文子にとって、田中絹代はスターではなかった。
 けれど、文子は母親と一緒に、封切館ではない野方のがたの映画館で『月夜の傘』を見た。
 野方駅は西武線の井荻駅より四つ新宿寄りにあり、駅のまわりには大きな商店街と、映画館が三つあった。商店街には安くて品揃えの豊富な布地屋や靴屋、食料品マーケットなどがあったので、母親はたまに、文子たち兄妹三人を連れて野方へ買物に行った。文子の兄は中学生になったころから、もう母親と一緒に出かけたりはしなくなったが、文子は野方の商店街が好きでいつも一緒に行った。母親が買うのはたいてい子供のものか食料品で、自分のものはめったに買わなかった。
 そして、もしその日が、夕食の仕度が少し遅れてもいい父親の宿直の日なら、母親は「おもしろそうな映画があったら見て帰ろう」と言った。文子は買物なら、荻窪マーケットより野方商店街の方がゆっくり見て歩けて好きだったが、映画を見るなら、家の前から出ているバス一本で行ける荻窪の封切館の方がよかった。野方にある三つの映画館はどれも古くて小さく、椅子はガタガタしたり壊れたりしていて、館内には「W・C」の匂いがするのだった。
 けれど文子は、いつごろからか、わかっていた。母親は買物のついでに映画を見るのではなく、ゆっくり映画が見られる日に野方に出て、子供のものを買い、自分も映画を見るのだ、それがささやかな楽しみなのだと。そして、自分一人ではなく子供と一緒だから、料金の安い野方の映画館の方がいいのだと。
 それで文子は「映画を見て帰ろう」と言われると「うん」と答え、三つの映画館の看板を見くらべ、母親と話し合ってどれを見るか決めた。文子と母親はおおむね一致した。西部劇や男の映画ではなく、好きな女優が出ている邦画を選ぶのだった。そんなふうにして、小学校五、六年生のころ、文子は母親と一緒に、香川京子の『ひめゆりの塔』、青山京子の『潮騒』、子役の二木てるみが出ている『警察日記』、香川京子と久慈あさみの『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』などを見た。
 文子は『月夜の傘』も母親と野方の映画館で見たことは覚えているが、内容についてはよく覚えていなかった。あまり理解も感動もしなかったのだろう。いやそのころ見た映画はどれも、タイトルと、見たということと、出ていた女優の名前と、幾つかのシーンの断片くらいしか覚えてはいないのだった。
『月夜の傘』の主役は宮地さんの家の近くでロケを見たときの若い男女の俳優かと思っていたが、二人は土地を見に来る若夫婦か婚約者の役でちょっと出てくるだけだった。その場面に宮地さんの家がうつっているかと思ったが、うつっていなかった。見知っている場所は、あまり出てこなかった。出てきたとしても、映画の中では違う場所のように見えるので、よくわからなかった。文子は『月夜の傘』を見ながら、そんなことばかりを追っていたようだ。
 ただ、最後の場面に出てくる橋は、よく知っている井荻駅前の橋だったのと、その日の帰りに母親が言った言葉のせいとで、内容や話の流れを理解していないままに、ラスト・シーンだけは後々までよく覚えていた。宇野重吉と田中絹代の夫婦が小さな橋を渡ったとき、川面に月がうつっている。二人でそれを見ながら、宇野重吉が「おれはやさしくないかね?」と言い、田中絹代が「いいえ、やさしいですよ」と言うのだった。
 その日の帰りに井荻駅でおりた文子は、少し歩いて小さな槁にさしかかると、ここから田中絹代と宇野重吉は川面にうつる月を見たのだと思い、妹と並んで川を見た。一方は床屋と蒲団屋のあいだ、一方は和菓子屋と駐在所のあいだを流れている、町なかの小さな川だったが、水は澄んでいて水草がなびいていた。するとそのとき、文子の横で同じように川を見ながら、母親がこう言ったのだった。
「あれでやさしいなんて」
 見た映画について母親が意見のようなことを言ったのは初めてだった。意見を言ったことも思いがけなかったが、その意見の内容も、文子には意外だった。
 田中絹代が「いいえ、やさしいですよ」と言ってハッピーエンドになるのだから、それでいいではないかと文子は思った。それに、文子から見ても、宇野重吉の父親はやさしいと思えた。映画の中では、宇野重吉がチャブ台をひっくり返して茶碗がとび散る場面があったが、気に入らないことがあったときチャブ台をひっくり返す父親はやさしい、茶碗やコップや火箸を人間にむかって投げつける父親より、ずっとやさしいと思う。だから文子は、あの結末はあれでいいような気がした。けれど母親は納得できないらしかった。
 その喰い違いと、母親が映画について意見を言ったこと自体のめずらしさとで、『月夜の傘』という映画のラスト・シーンの橋の風景と、同じ橋に立っている母親と自分の姿が、文子の記憶の中に重なって残った。

 それから三十年近くたっていた。
 ある日の午後、番組を確かめずにテレビをつけ、主として音声を聞きながらアイロンかけをしているうちに、なつかしさの波のようなものがテレビからひたひたと寄せてくるのを感じ、文子は眼を上げて画面を見た。
 ポンプ井戸のまわりで何人かの女の人がおしゃべりをしながら、タライで洗濯をしている情景がうつっていた。背景にはまばらな雑木林があり、そのむこうの遠景の中を、二輛編成の電車が通過していった。
 この映画を見たことがある、と文子は思った。そして、ただ昔見たことのある映画だというだけではなく、何かが画面から自分を呼んでいるような、自分の中の深いところで何かがうごめくような、不思議な感じがした。
 やがてコマーシャルで画面がとぎれる前に、右下に『月夜の傘』というタイトルが出た。文子はそれまで意識したことはなかったが、『月夜の傘』という映画をもう一度見てみたいと、ずっと思っていたのだという気がした。そして、本格的に画面を見始めた。
 私鉄が通っていて、駅前には商店街や飲み屋もあるが、駅から少し離れるとまだ畑や雑木林の多い東京近郊。雑木林を切り拓いたところに、引越してきたばかりの若夫婦の新築の家や、それより前から住んでいた子供のいる夫婦の家などが数軒ある。以前からの住人も、そこに住み始めた年に差があるだけで、土着の人ではない。りっぱな塀に囲まれているわけでもない安普請の家からは声も漏れてしまうし、ポンプ井戸は共同だから、いやおうなく近所づき合いをしなければならないし、互いの家庭の事情もわかってしまう。ときには助け合わねばならない事態も生じる。いざとなれば思わず駆けつけてしまう、善意の人々なのだ。そうして暮していくうちに、その数軒の家庭は、互いに違う暮しを並べつつ、親しくなっていく。ときには少し影響を受けたりして。おおむねそんな内容だった。
 その数軒の中で一番年上の夫婦の妻である田中絹代は、若い夫婦を見ているうちに、ある淋しさを感じる。若夫婦のことをアプレゲールだと言ったりする夫の宇野重吉は、気に入らないことがあるとチャブ台をひっくり返したりもする。そんな夫に、妻はふと「あなたはやさしくない」と呟く。
 子供の事故や、近所の人との交流などのいくつかのエピソードがあって、最後の場面では、田中絹代が傘を持って駅まで宇野重吉を迎えに行く。連れ立って帰るころには雨は上っている。濡れて光っている夜道を歩いて帰る途中、二人は小さな橋の上から、川面にうつっている月を見る。そこで「おれはやさしくないかね?」「いいえ、やさしいですよ」という会話になるのだった。
 文子はそれを見ながら、今にして思い出すこと、思い当ること、わかることが、たくさんあった。
 一度目に見たときは、知っている場所が出てくるかどうかといったことばかり見ていたのだということも、二度目にそれを見ながら思い出したのだった。
 またたとえば、ロケ騒ぎの最後に坂田さんが言っていた橋でのロケのことも思い出し、ぽつりと離れて一日だけ、夜に撮影をしたというのは、雨上りの夜という条件を待って撮ったのかもしれないと思った。
 また、映画の中で近所づき合いをしている女の人たちの姿は、月給日前になると隣りのおばさんと母親がお金を貸し借りしていたこと、あのロケを見た日も母親たちは頼母子講をしていたこと、などを思い出させた。
 二度目に見てもやはり、最後の会話のやり取りは、文子には妥当に思えた。「やさしくないかね?」という言葉を口にする夫は、「やさしい」ということについて意識するようになった夫の変化を暗示している。
 けれど母親の心にはたぶん、結局は何も変らないの姿がうつっていたのだ、と文子は思った。そして中学一年だった自分は、チャブ台をひっくり返す父親の方が、コップを人間にむかって投げつける父親よりやさしいと感じた。母親と自分は意見が喰い違っていると思ったが、母親も自分もあのとき同じ一人の人のことを思い浮かべていた、という点ではたぶん同じだったのだと。
 そして自分は、映画の結末としてはあれでいいではないかと思い、母親は映画の中の妻とは違って、希望を持つことのできない思いを「あれでやさしいなんて」という言葉にしたのだろうと。
 二度目に見たとき、文子はもう一つの、母親の言葉を思い出したのだった。それを思い出したとき、「あれでやさしいなんて」と言った母親の孤独感がわかったような気がした。
 野方で『月夜の傘』を見た日も、いつものように買物に行き、幾つかの映画の中から選んでそれを見たのだと、文子は思っていた。けれどあの日は、母親と文子は初めからあの映画を見るつもりで、野方へ行ったのだった。あの日、母親はこう言ったのだった。
「隣りのおばちゃんが『月夜の傘』を見てきたんですって。田中絹代が私に似てるっていうから、どんな映画か見に行ってみよう」

(『月夜の傘』昭和30
 日活作品)


『純愛物語』
 その日は四人で中間テスト前の徹夜勉強をしようという意気込みで、塩野さんの家に集まった。そろそろ進学志望高校を決める中学三年の二学期だったが、試験までにはまだ数日あったので、半分は遊び気分で文子は出かけた。
 それまでは誰も「うちで徹夜勉強しよう」などと言い出す人はいなかったので、文子と同じように、うちゃんにもタッチンにも初めての経験だった。
 福うちゃんとタッチンと文子の三人は、中学では別のクラスになったこともあったが、小学校以来の友達だった。塩野さんは中学二年のときに引越してきて、福うちゃんと同じクラスに入り、そして三年で四人とも同じB組になったのだった。
 文子は福うちゃんとタッチンの家には小学生のときに行ったことがあり、家の雰囲気も知っていたが、塩野さんの家はそれまで外からしか見たことがなかった。丸太の柱と簡単な垣根があり、ちょっとした前庭にはマーガレットやカンナの花の咲く、二階建ての家。
自分の家と似ている、と文子は思っていた。そして家の中に入ってみて、雰囲気も似ていると思った。無駄なものがない感じ。
 一緒に新宿の紀伊國屋へ参考書を買いに行くと、塩野さんはかならず路地の屋台のようなブロマイド屋でブロマイドを買うし、友達を家に呼んで徹夜勉強をするなどという新風を持ち込むような人だから、文子は何かもう少し違う家の雰囲気を想像していた。たとえば洋服のひらひらやレースのような何かを。でも彼女の家は、シンプルなシャツカラーのブラウスみたいな感じだった。ただ、彼女の家が水色やクリーム色のブラウスだとすれば、自分の家は灰色がかった色、という違いはあったけれど。
 塩野美奈子の父親も文子の父親も公務員で、二人とも最初から都立高校を一校しか受けない、すべり止めの私立高校などは受けない、と決めているところも似ていた。塩野さんはまだ都立のA高とB高とどっちにするか決めていないけれど、一緒にA高を受けて、一緒に受かって、臙脂色のラインの入ったセーラー服を着て一緒に通学できるといい、と文子は思った。
 もし塩野さんがA高を受けなければ、クラスからA高を受けるのは、文子一人になってしまう。他のクラスからA高を受けそうな人は、弁護士の娘や、とても大きな家の娘や、わざわざA高ねらいで関西から親類の家に寄留して通学している人などだった。
 でも塩野さんは、文子ほどA高や臙脂ラインのセーラー服に憧れてはいなくて、「B高へ行った方が入学してから楽そうだ」などと言っているのだった。
 その日も、妹と共用だという部屋を一晩だけ明け渡してもらい、リノリウム張りの座卓を四人で囲んで、まず二時間は口をきかずに集中すること、という約束で勉強を始めたのに、二時間たたないうちに最初に口をきいたのは塩野さんだった。
「ねえ、ひと休みしない?」
 と塩野さんが言うと、「うん、そうしよう」とすぐにタッチンが応じた。
「私なんか勉強したってしょうがない。どうせ川口には無視されてるんだから」
 とタッチンは、先生の名前を呼び捨てにして言った。
 文子はタッチンには、ひと休みしないで頑張ってもらいたかった。タッチンは、文子がレポート用紙にまとめた社会科の試験範囲の要点を、自分のノートに写していたのだから。理科も国語も能率よく写してもらって、徹夜明けにはぜひともレポート用紙を持って帰りたかった。
「くやしいから勉強するって、タッチン、自分で言ったんじゃない」
 と三番目に、文子が口をきいてしまった。
「こんなにたくさん写して暗記するなんて、できないよ」
「暗記しようとしなくても、書いているうちに、しぜんに覚えるから」
 文子はD組の金田君にあげるために、試験のたびに自分のまとめたものをもう一通のレポート用紙に写すとき、いつも考えることを、声に出してタッチンに言った。何度も書けばしぜんに覚えるから自分の試験勉強にとっても無駄ではない、と思いながら金田君用に書き写すのだった。写したレポート用紙は自分で金田君に渡すわけではない。文子の兄の昇が金田君に頼まれてきたので、昇に渡すのだった。
「あと四十分ぐらいだから、頑張りましょうよ」
 と、女子美術大学の付属高校を受けることに決めている福うちゃんが、おっとりした声で四番目に口をきいてしまった。
 それからあとの四十分は、勉強を続けたが、話をしながらだった。
「川口のやつ、就職する生徒なんか、どうだっていいんだから。そんな扱いされると、ほんとうに私まで、どうだっていいって気んなっちゃう」
 とタッチンが言った。就職するって、どんなにかこわくて、さびしいことだろうと文子は思う。もし自分がそうだったら、やっぱり勉強など手につかないような気がする。
 文子は兄のことを考えた。高校三年の昇も、高校を卒業したら働くことに決めていた。タッチンが就職するのは弟妹の多い家庭の事情のせいだが、昇は父親が「男なんだから大学へ行っておけ」と言うのに、住込みで働くと言うのだ。早く家を出たいからなのだ。文子も家は早く出たいが、その前にちゃんとした職業に就けるように勉強しておきたいと思う。できれば大学にも行きたい。そのためにもA高に入っておきたい。でも父親は「女は大学に行く必要はない。き遅れになるのが関の山だ」と言う。「昇と文子が反対にならないもんか。昇のやつはなんだ、アロハシャツなど着てぶらぶらして」と言うのだった。
「でも、いいんだ」とタッチンが言う。「貯金して、ダンス学校へ行って、日劇ダンシングチームの重山規子みたいになるんだ」
「それがいいわ」
 と福うちゃんが言った。タッチンはクラブ活動でダンス部に入っていた。文子は文化祭のときに舞台の上でゴマ粒みたいに跳ねていたタッチンを思い出し、神様はせめてタッチンの背をもう少し高くしてあげればいいのにと思う。文子とタッチンはいつも、教室で前の方に席を並べていた。
「福うちゃんは絵描きさんになるの?」
 と塩野さんが聞いた。
「何かの形で絵を描くのは続けたいけど、母を見てると、本格的にやるのはやめた方がよさそう。母は今ねえ、不眠症なのよ」
 と画家の母親をもつ福うちゃんが言うと、塩野さんはこう言った。
「私もほんとうは女子美を受けたいんだけど、うちはそういう家庭じゃないから。たぶん早く結婚して、ふつうの奥さんになると思う」
 放課後の教室に居残って遊ぶのがまだ禁止されていなかった一学期のころ、四人はよく黒板に落書きをした。塩野さんは時代劇のお姫様や町娘の絵を描くのが上手だった。桃割れとか丸髷とかの髪型をよく知っていて、芸者や腰元の髪型を描き分けられるのだった。塩野さん自身も、日本髪が似合いそうな端正な顔立ちをしていた。
 女生徒たちが前の黒板で落書きをしていると、男生徒はうしろの黒板で落書きをした。男子の中には、塩野さんに熱を上げていると知れ渡っている馬場君もいた。でも文子たちが三年生になったときに赴任してきた校長先生は、いろいろな規則をつくり、二学期からは放課後いつまでも教室や校庭で遊ぶことも禁止されてしまったのだった。
 文子はひたすらA高に憧れ、できれば大学に入りたいというところまでは考えているが、その先までは考えていなかった。独身のままで学校の先生をしている自分の姿を、ぼんやりと思い浮かべた。ちゃんとした職業に就きたいとは思っているが、そのくらいしか「ちゃんとした職業」を思いつかないのだ。
 二時間たつと、塩野さんは待ちかねたように座卓から立ち、自分の机からカステラの木箱を持ってきて、
「ねえねえ見て」
 と、その中からブロマイドを取り出した。
 三人は座卓の上のノートなどを片付け、塩野さんはブロマイドをトランプのカードのように並べた。座卓の上がいっぱいになり、さらに畳の上にまで並べられたブロマイドは、ほとんどが東映時代劇の中村錦之助のものだった。
 塩野さんはその一枚一枚について、髪型や扮装から、これは『紅孔雀』のときのだとか、『笛吹童子』だとか『里見八犬伝』だとか言えるのだった。東千代之介や大友柳太朗や高千穂ひづるや田代百合子のも何枚かあって、それについても『霧の小次郎』とか言うことができた。それらの映画の幾つかは文子も一緒に見たが、そんなふうにブロマイドを見ただけで言い当てることはできなかった。
 四人でブロマイドを見ていると、窓の外から口笛が聞こえた。「塩野さーん、馬場が好きだってよー」という声や笑い声も聞こえてきた。
「またあいつらが夜回りしてる」
 とタッチンが言った。同じクラスの男子数人は、級友の家を見回って窓明りをたしかめ、翌朝、黒板に「ガリ勉一覧表」を書き出したりするのだ。彼らは銭湯の近くの電柱によじ登って、近所の人に通報され、パトカーがやってきたこともある。そのメンバーの中には、昇と同じ新聞屋で配達のアルバイトをしている、昇の子分のような男子もいたので、文子は彼らにあまり騒ぎが大きくなるようなことはしてもらいたくなかった。
「馬場君からのラブレターに返事出した?」
 と、彼らのざわめき声を聞きながら、タッチンが塩野さんに聞いた。
「べつにラブレターじゃないわよ。ただの暑中お見舞いのハガキよ」
 と塩野さんは、あんまり馬場君には興味がないような顔をして言った。でも、ほんとうに興味がないのだろうか、と文子は思い、チラと金田君の〈おせわになりました〉のことを考えた。金田君はいつも試験が終ると、返さなくてもいいのに、返すより手元に置いておいて復習すればいいのに、昇を通してレポート用紙を返してくる。それには一枚余分な紙がついていて、〈おせわになりました〉と書いてあるのだった。それもべつにラブレターではなくただの御礼の言葉だと思うが、文子はその金田君の字を見ると、なんだか切ないような甘いような気持になった。
 金田君は夜回りをしている小魚のような男子たちとは格が違う、ほんとうの練鑑ねりかん帰りだ。練馬少年鑑別所に入っていたことのある彼は、坊主頭や坊っちゃん刈りの同級生たちより一つ年上で、男子生徒の中で一人だけリーゼントの髪を光らせていた。彼が廊下を歩いたあとには、ポマードの匂いがただよった。まだ保護観察の身なので、ポマード以外は学校ではあまり目立つ行動をしないが、いるだけで凄味がある。
 男子たちがふざけている廊下を文子が通り抜けようとしたとき、金田君がさっと廊下の端によけて「おい、通してやれ」と言い、たちまち男子が両脇に分かれたことがあった。そのときも文子は切ないような甘いような気持になり、胸がドキドキしたが、まだ金田君と眼を合わせたり口をきいたりしたことはなかった。
「私も昇ちゃんにラブレター出そうかなあ。ブンちゃんは妹でいいなあ」
 とタッチンが言った。タッチンはいつも昇のことを「いかしてる」と言うが、夏休みにアロハシャツを着て首に舵のペンダントをぶらさげ、同じような格好をした金田君や子分たちを引き連れて歩くような昇が、文子は恥ずかしい。『太陽の季節』の石原裕次郎にはアロハや舵のペンダントが似合うが、高校生の坊主頭に椰子の木の模様のアロハは似合わないし、ぞろぞろ一団となって歩く姿は、文子にはカッコイイとは思えなかった。
 男子たちのざわめき声が遠ざかり、窓の外が静かになっても、「さあ、また勉強に取りかかろう」とは誰も言い出さなかった。文子は眠くなってきた。徹夜勉強なんてできそうもない。家に帰ってゆっくり眠りたかった。文子がそう言うと、福うちゃんも「私も」と言った。
「えーっ」とタッチンが言った。
「写し終ったのだけ持って帰るから。明日の午後までに、理科と国語を写して返してくれればいいから」
 かわいいスーちゃんと泣き別れ、という練鑑ブルースの一節を思い出しながら、文子はそう言った。
「そんなあ」とタッチンは言ったが、結局その日は徹夜にはならず、福うちゃんは電話をして母親に迎えに来てもらい、家がバス通りに面していてそう遠くないタッチンと文子は、塩野さんの家の前で別れて反対方向に帰っていった。
 試験前日の夜、文子は赤鉛筆でアンダーラインなどを引いたレポート用紙を持って布団に入り、最後の復習をしながら眠りに落ちた。文子は勉強が好きだった。昇や金田君のようには不良になれない文子は、勉強をしていると、家の中にいながら、家とは別の世界に入っていられるような気がしたのだった。
 そうは言っても、試験が終った日はもっと好きだった。最終日の午後、文子たちはいつも連れ立って映画を見に行った。その日は毎月の乏しい小遣い以外に、親から映画代がもらえるのだ。福うちゃんと塩野さんはバス代ももらえたが、タッチンと文子は映画代だけだったので、四人は三十分ほどかけて荻窪まで歩いていった。どの映画を見るか相談しながら。
 荻窪には邦画の封切館が四つと、小さな古い洋画館が一つあった。五つの映画の中から一つを選ぶのは、楽しくて難しくてつらい。四人の中で、好みがハッキリしているのは、塩野さんとタッチンだった。塩野さんは断然、東映時代劇。タッチンは日活映画、重山規子や団令子が出ている東宝映画がかかっていれば、それ優先。どれでもいいと言う福うちゃんと、ぜんぶを見たい文子は、たいていファンの勢いにつき合った。
 三年二学期の中間テスト後のそのときは、ほんとうに、文子がぜんぶ見たいと思うような豪華な映画が並んでいた。
 日活『俺は待ってるぜ』石原裕次郎。
 東宝『青い山脈』司葉子と雪村いづみ。
 松竹『喜びも悲しみも幾歳月』高峰秀子と佐田啓二。
 ところが東映は、塩野さんの好きな時代劇ではなかった。
 東映『純愛物語』中原ひとみと江原真二郎。
「今日はブンちゃんにつき合って、東映にしない?」
 と福うちゃんが言った。文子は『米』を見てから、江原真二郎のファンになっていた。タッチンは「優等生路線!」とからかうが、文子は木村功など、学生っぽい真面目な感じの俳優が好きだった。そういう兄がほしいと思っていた。
 四人は荻窪東映に入り、『純愛物語』を見た。
 職場である工場では白い三角布をかぶり、白衣を着て働いている女子工員である中原ひとみは、同じような境遇の江原真二郎と恋をする。二人はお寺の鐘つき堂に腰かけて話しているうちに、並んで空を見上げるように仰向けに寝ころぶ。やがて中原ひとみがそっと体を起こし、自分の方から江原真二郎の顔をおおうようにキスをする。
 二人は文子たちと同じように、自分たちが生まれたころに戦争があったことを知らないわけではないが、現実の生活で戦争を意識したことなどない十代の若者だ。けれどそのうち、中原ひとみの体には原爆の後遺症が出てくる。江原真二郎は中原ひとみの死を看取ったあと、キスをした唇をいとおしむように、マスクをかけて工場街を歩いていく。
「かわいそう」と帰り道でタッチンが言った。タッチンはまだどこに就職するか決っていなかったが、毎年の女子の就職先は、大きな菓子メーカーのパン工場や、電気部品工場なのだった。
 四人は言葉少なに歩いて帰った。あのキスは素敵だったと文子は言いたかった。でもキスという言葉を口には出せなかった。たぶんみんなもそうなのだと思った。
 家に帰ると文子は眼を閉じて、自分の指を唇に当ててみた。指を誰かの唇だと感じるようにして。でも本当のキスがどんな感じなのかはわからなかった。誰かの唇を想像することもなかった。二十歳になったらキスをするとして、それまでの五、六年が、永遠のように長く感じられた。それまでに自分は死んでしまうような気がした。もし生きていたとしても、誰かとキスをしたり結婚したりする日があるとは思えなかった。
 お正月休みに、四人はもう一度、塩野さんの家に集まった。彼女が親類の映画会社関係者からもらったという、カレンダーを見に行ったのだった。それは新東宝のカレンダーだったので、筑波久子や三ッ矢歌子など水着姿のグラマー女優が多くて、見せる方も見る方もなんとなく照れ臭そうにしていた。
 塩野さんはそれを見せたあと、馬場君から来た年賀状を見せた。それには年賀の挨拶のほかに、こう書いてあった。
〈塩野さんは中村錦之助が好きなのですね。僕も好きです。〉
 文子にはその文章は、「好きです」というところにだけ意味があるように思えた。文子も男子から一通だけ、年賀状をもらった。同じクラスで、一番難関の男子系都立高校を受ける中村君からだった。
〈高校入試ヘラストスパート!〉
 と書いてあった。金田君からは年賀状は来なかった。
 でも、三学期のテストのあとに返してきたレポート用紙には、こう書いてあった。
〈都立A高の入試がんばって下さい。僕もがんばります。〉
 金田君は大きな自動車メーカーに就職が決まり、卒業したら組立て工場がある愛知県へ行き、従業員寮に入るのだと、文子は昇から聞いた。
 都立高校ヘ一斉に願書を出しに行く日は、雨が降っていた。高校別に並んでみると、女子でA高へ願書を出すのは七人だった。他のクラスからは二人ずつ、文子はクラスで一人だった。男子も二人いた。その一人である馬場君が、なんだか茫然としたような、愕然としたような顔をして、文子の方を見ていた。それを見て、文子はあっと思った。馬場君はたぶん、塩野さんもA高を受けると思ったのだ、と。
 塩野さんはB高を受けることにしたのだった。A高に着くまでのあいだ文子はずっと、今なら変更も間に合うのではないか、馬場君は大急ぎで中学に戻って先生に書きかえてもらえばいいのに、と思っていた。でも馬場君の顔は傘に隠れて見えなかった。そして馬場君はA高の窓口に願書を出してしまった。
 卒業も間近になった日、昇が住込みに持っていく荷物をまとめながら、文子にこう言った。
「NやSが卒業式で一暴れする相談してたの知ってるか?」
 新しい校長先生が放課後の下校時間を厳しく取り締ったり、校歌を変えたりしたので、それに抗議したい者は、卒業式で新しい校歌をうたわないことにしていた。文子もうたわないつもりだった。でも一暴れというのはそれとは違い、男生徒の何人かが職員室に乱入するとかの相談をしていたのだという。
「それを金田が止めたんだ。なんでだと思う?」と昇は言った。「お前が卒業生総代になったから、式をメチャメチャにするのはやめろと言ったらしい」
 胸がトックントックンする感じを隠して、文子はそっけなく言った。
「べつに私は卒業生総代じゃないわよ。同じクラスの中村君が総代で答辞を読むことになったから、繰り上って私がクラス代表で卒業証書をもらうことになっただけよ」
 昇はそれ以上は何も言わなかった。
 ラストスパートの中村君が答辞を読んだ卒業式は、無事に終った。階段や廊下の腰板に蹴りを入れた男子が何人かいて、腰板が一枚割れたが。
 文子が卒業証書を受け取って席へ戻る途中、拍手すべき場面ではないのに、D組の席から拍手の音が響いた。そのとき初めて、一瞬、文子は拍手をしている金田君と視線を交えた。
 春休みには、文子はもう、金田君や子分を引き連れて歩く兄に気持をわずらわされずにすんだ。けれど、なんだかさびしかった。その春休みにも、文子は福うちゃんと塩野さんと三人で荻窪へ映画を見に行ったが、タッチンは一緒ではなかった。三人は石原裕次郎と小林旭の出ている『錆びたナイフ』を見たが、タッチンがいなくては日活映画もさびしかった。
 文子は憧れの臙脂ラインのセーラー服を着て、荻窪発・新宿行きの都電で都立A高へ通うようになった。まだ元の府立高等女学校の雰囲気の残っている伝統校には、「女性が職業をまっとうしようと思ったら、結婚とは両立しません」という信念を笑顔で披瀝する頬が桃色の先生や、女でもちゃんとした職業を持つ必要性の証人のような戦争未亡人の先生など、立派な女の先生が多かった。女生徒たちも、英語を英語のように発音する人や、「第一から」というのが口癖の熱血社会派議論少女や、『醜女の日記』という文庫本を読んでいる人など、個性的で魅力的な人が多かった。
 五月になったころには、厚手サージのセーラー服と重苦しさと劣等感をまとった文子は、汗ばみながら、都電の停留所と校門とのあいだにある「遅刻ふり分け坂」を登った。胸がトックントックン高鳴った。
 馬場君もA高に受かり、ラグビー部に入った。男子生徒の少ない高校で、雄叫びを上げて校庭を走り回るラグビー部員はとても目立った。馬場君は思いきりボールを蹴とばしていた。文子は教室の窓から、予想どおりには飛んでいかないラグビーボールを眼で追った。

(『純愛物語』昭和32
 東映作品)


『いつでも夢を』
 都心ではあちこちで、東京オリンピックめざして、高速道路やビル建設の突貫工事をしていた。
 のぞみが丘団地の住所は東京都だが、団地のはずれの道からむこうはもう埼玉県だった。そのあたりには、ひばりが丘団地、東久留米団地、前沢団地などが、つぎつぎに造成されていた。のぞみが丘団地は十二月二十五日から入居が開始されることになっていたが、まだ半分は造成中だった。団地の中央商店街も、居住者たちの入居日から営業を開始することになっていた。
 商店街の鮨店で住込みのアルバイトをすることになった文子は、開店までの数日間、毎朝十七歳のサブちゃんが無免許で運転するライトバンに乗って、野火止のびどめ用水にそった道を走り、埼玉県の平林寺まで熊笹を取りに行った。それを洗って板前の島さんに渡すと、島さんはそれを何枚か重ね、出刃庖丁の先で、鮨の上にのせる「飾り海老えび」を切るのだった。
 板前見習いだがまだ出前持ちのサブちゃんも、島さんに教えてもらいながら笹を切った。飾り海老にはいろいろな形があった。文子もいたずら半分に切ってみたりしたが、開店の日が近づくにつれて、そんなことをしている暇はなくなってきた。宣伝用の品書きや広告マッチが届くと、文子は二日がかりで朝から晩まで、それを団地じゅうの鉄扉の新聞受けに入れて回った。各棟に五つの階段口があり、各階段の両側に一戸ずつ五階まで、一棟に五十戸の鉄扉があるのだった。まもなく入居が始まるのは二十棟ほどの約千戸。
 何度も階段を上り下りしているうちに、膝はガクガクしてきた。まだよく乾いていない階段の壁はひんやりしていて、触われば指先が凍傷になってしまいそうなのに、背中は汗ばんできた。
 五階の踊り場でひと休みして周囲を見ると、完成されて入居が始まるこちら半分の棟と同じ程の数の棟が、まだ縦横に組まれた鉄パイプの足場をつけたまま、低い商店街の棟のむこうに林立していた。畑や雑木林の多い農村の地表を四角く切り取って剝がし、そこにコンクリートを流し込んだようにして、団地の建物群が立っているのだった。
 開店メンバーは、まだ新婚の店主夫婦、店主が板前修業した本店から助っ人として来た「上板かみいたさん」と呼ばれる上級板前一人、職人あっせん所から来た板前の島さん、本店で店主の弟弟子でしだったサブちゃん、新聞の求人欄を見てやって来た秋ちゃん、そしてアルバイ卜大学生の文子に、地元の農家の息子である高校生二人もアルバイトとして加わった。開店前日と当日は、店主の若妻の伯父でもある本店の大旦那が、板前や出前持ちを何人か連れて応援に来ることになっていたが、年末の忙しい時期なので、応援はその二日間だけなのだった。
 当分は出前だけ、それも器を回収する手間を省くために折詰ですることにして、テーブルの上に折箱や割箸や包装紙を並べ、開店前日の準備がすべて終ったのは午前二時過ぎだった。店主夫婦と本店からの臨時メンバーは店の座敷に泊ることになり、上板さんと島さんとサブちゃんの男三人、秋ちゃんと文子の女二人が、従業員用にあてがわれた団地の一室、2DKに帰った。
 とろとろ眠りかけたばかりなのに、文子は騒がしい物音に、眠りの底から無理やり引っぱり上げられた。クラクションの音や、人の騒ぐような声が聞こえた。火事か何かが起こっているような物音だった。文子がベランダに出て白い息を吐きながら物音のする方を見ると、まだ暗い中央道路に大型トラックのヘッドライトが並び、それぞれの棟へ行く道へ曲ろうとする車や、車間距離が近すぎてバックできない車がクラクションを鳴らし、運転手たちが怒鳴り合ったりしているのだった。
 その日、午前十時過ぎには、もう店の板場のガラスケースの上には端から端まで伝票が並び、時間がたつにつれて滞る数が増えていった。電話番の文子は、注文を受けるあいまに包装を手伝うことになっていたが、電話が鳴る間隔はだんだん短くなっていった。電話を受けながら伝票に書き込み、受話器を置いて板場へ伝票を渡しているうちに、つぎの電話が鳴った。午後からはそれに、催促の電話が加わった。折詰の包装と、店員たちの食事をつくる役の秋ちゃんは、包装で手いっぱいだった。店主の若妻は酢飯づくりに追われ、出前のサブちゃんと高校生は休む間もなくトンボ返りで出ていった。注文を受けるのは午後六時で打ち切ったが、最後の出前が終ったときは午前零時を過ぎていた。
 そんな騒ぎが入居開始日から一週間続いた。商店街には八百屋や肉屋も開店していたが、鮨屋や中華料理屋など、出前をする飲食店は四軒しかなかったのだ。電話番をちょっと交代してもらって文子が団地内を自転車で走ってみると、商店街の店はどこもごった返し、中央道路にはトラックが並び、そのあいだをガス器具工事や電器店の小型車が走り回り、新聞屋や牛乳屋の自転車が走り抜けていた。
 大晦日の夜には、テレビから橋幸夫と吉永小百合のうたう「いつでも夢を、いつでも夢を」という歌声が流れてきたが、文子は眼を上げて『紅白歌合戦』の画面を見る気力もなかった。番組が『ゆく年くる年』になり、テレビから除夜の鐘の音が流れてくるころ、ようやく片付けに取りかかった。誰もが疲れ果て、無口になり、動作も緩慢になっていた。
 店から従業員用の2DKに帰る両側の棟にぽつりぽつりと点っている窓明りは、一つ一つを見ればあたたかそうなカーテンの色をうつしていたが、棟そのものは、星の瞬くはがねのような冬空の下に氷の柱のように立っていた。そのあいだの道を通って、家族ではない五人は冷え切った2DKに帰った。店は元日と二日は休みで、三日からまた営業するのだった。
 元日、2DKの五人はお昼もだいぶ過ぎてから起きた。当分は助っ人として泊り込む上板さんは、都心にある自分のアパートへ、出かけるようにして帰っていった。あとの四人は店へ行き、店主の奥さんの用意した屠蘇と雑煮で祝うと、また2DKに戻り、ダイニングキッチンの炬燵を囲んだ。暖房はそれしかなかった。
「帰らないの? 東京に家があるんでしょう?」
 と、秋ちゃんが文子に聞いた。文子は両親と妹のいる家を思い出し、妹のために「明日帰ってみようかな」と言った。
「私も洗濯は、明日にしよう」
 と言って、秋ちゃんはレターセットを取ってくると、年賀状を書き始めた。彼女はお弁当を隠して食べる子のように、左手で隠しながら書いた。
「秋ちゃんは、家、どこよ?」
 とサブちゃんが聞いた。山形から、最初は集団就職で上京したのだと秋子は言った。
 サブちゃんは茨城だと言い、「帰ろうと思や帰れるけど、すぐ戻ってこなきゃなんねえしな」と言った。
「俺も集団就職で働き囗が決ってたんだけど、なんだか気が進まなくて」と島さんが言った。「それすっぽかして、中学の卒業式のつぎの日、紀伊半島の山ん中から一人でフケたんだ」
 まだ田舎に住所を知らせていないのか、あるいは新しい居住地なので郵便局の都合によるのか、店には従業員あての年賀状は一通も来ていなかった。
 文子はフランス語の試験が気になっていたが、何もする気になれないので流し台に寄りかかって、手紙を書いている秋子を見ていた。四畳半に文子と布団を並べて寝る秋ちゃんは、二十七、八歳で、寝る前にかならず明色クリームを顔にすり込み、肌を光らせたまま布団に入った。昼間でも、秋ちゃんの鼻のまわりは光っていた。
 島さんは、開店前に買っておいたらしい二冊の映画雑誌を六畳間から取ってきた。それから儀式のように、ビールをグラスに注ぎ、グラスを右に寄せ、炬燵台の上の水滴を袖口で拭くと、雑誌を眼の前に置いた。そしてビールの最初の一口を飲みながら、じっくりと表紙を見た。それから表紙を開き、指でたどって頁を割り、第一頁を読み始めた。
 島さんの雑誌の読み方は、一頁目の一行目から最後の行までをすべてを読み、それからスターの顔写真や映画の一シーンの写真をしげしげと見つめ、深い溜息をつき、つぎの頁を開いて、また開き目を指で割り、また一行目からすべて読むのだった。
「島さん、どんな映画が好きなの?」
 と文子は聞いた。
「鶴田浩二や高倉健だね」
 と島さんは本から眼を上げずに言ったが、むしろ、このごろときどきテレビに出ている眼の細い、下駄のような顔をした浅草出身の喜劇役者、渥美清に似ていると文子は思った。
「俺はギャング映画がいいなあ」とサブちゃんが言った。「マヒアのしんじゅけいとーってカッコイイよな」
「それ、なあに?」
 と文子が聞くと、ギャングの組織だとサブちゃんは言ったので、マフィアには真珠系統というエリートコースのようなものがあるのかもしれないと文子は思った。
「みんなで映画見に行こうか」
 とサブちゃんが言うと、秋ちゃんが年賀状から眼を上げた。
「着替えて新宿や池袋まで行く気になれないな」と島さんが言った。「田無にも映画館あるけど」
「田無かあ」サブちゃんが言った。「やっぱ、やめとくか」
 秋ちゃんは年賀状に眼を戻した。
 映画雑誌を読みながら飲む島さんのビールは、とても旨そうだった。ビールを飲みながら読む島さんの映画雑誌も、とても旨そうだった。
「島さん、そっちの一冊、貸してもらえる?」
 と文子が言うと、島さんは眼を上げて「悪いんだけど」と困ったような顔で言った。
「これはまだ読んでないから。古いのが何冊かあるから持ってくるよ。俺が読んでからなら、いくら読んでもいいんだけど。悪いね」
 島さんは立って、また六畳間から何冊かの映画雑誌を取ってきた。文子は頁をぱらぱらめくって、主として写真を見た。島さんが新しい雑誌の最初のあたりをまだ読んでいるうちに、文子は一冊を見終ってしまった。
 正月明けから二週間ほど、また店は忙しい日が続いたが、成人の日の祝日を過ぎると、引越しはほぼ終ったらしく、団地の中央道路に入ってくるトラックも少なくなった。もう出前だけではなく、店での営業も始めていたが、入居者たちは引越しでお金を使ってしまったのか、店へ食べに来る客は少なく、出前の注文もめっきり減った。
 そのかわり夜になると、まだ建築中の棟の方からやってくる工事関係者たちで店はにぎわった。配管や塗装の親方が、配下の職人たちを連れて飲みに来るのだった。その中には、まだ頬の紅い中学生のような少年工もいた。そんな一人である塗装工の新吉は、サブちゃんとなかよしになった。まだお酒より甘いものの方がいいらしく、店の裏でサブちゃんと今川焼を食べたりしていた。
 店からは工事現場や飯場のある奥へも出前に行くようになった。文子も昼間、自転車でそっちへ行ってみた。暗く湿っている林の中に、プレハブ造りの飯場があり、飯場で働いているらしい赤いセーターの女なども見えた。
 いつのまにかはざま組はどの店、銭高ぜにたか組はどの店と、出入する店もほぼ決っていた。文子の働いている店には、銭高組と浅沼組がやってきた。そして商店街や店では、違う組の、あるいは同じ組の者どうしの、喧嘩出入りがしばしば起こった。飯場でも喧嘩が多いのか、三日に一度くらいはパトカーか救急車のサイレンの音が、中央道路から奥の方へとむかっていくのが聞こえた。救急車が工事現場や飯場から、怪我人を団地内の診療所に運んでくることもあった。
 夜はほとんど入居者たちが商店街に来なくなったことに頭を痛めた店主たちは、いろいろなことを相談するために、定期的に店主会を開くことなども始めた。
 そんなある夜、文子が店主の妻と一緒に伝票整理や帳簿付けをしてから、みんなより遅く2DKへ帰ろうと裏口から出ると、中庭にある商店街の共同トイレの前に地下足袋の男が倒れていた。そのまま放っておいたら凍死しそうな、ひときわ寒い夜だった。文子は店に引き帰して店主を呼んだ。店主は男を揺すって呼んでみたが、男はイビキをかいていた。店主は妻や文子の心配を聞き入れて一一〇番に電話をした。
 すると翌日の昼前、表から四人の男が勢い込んで入ってきた。先頭のメリヤスシャツに黒っぽい背広を着た男が、低く押さえた声で言った。
「うちの組の者が迷惑かけたことは詫びる。ただし、パトカーを呼ぶことはなかったんじゃないか。飯場者でも客だということを忘れないでもらいたい」
 うしろに従った男たちは、それぞれ手に刃物を構えていた。板場の中で店主が庖丁を握るのが文子に見えた。それを島さんが取り上げた。男の一人がカウンターの白木に刃物を突き立ててわめいた。
「店の一つや二つ潰すのは朝飯前なんだよ!」
「あの、そうじゃないんです」と文子は震え声で言った。「べつにお店に迷惑をかけたわけじゃないんです。私が夜遅く帰ろうと思ってトイレの前を通ったら、倒れていたから、このまま放っておいたら凍え死にするんじゃないかと思って。揺すっても呼んでも起きないから、どこの組の人かもわからなかったし」
 言ってから文子は、体じゅうが震えているのを感じた。先頭の男が文子を見つめてから、うしろを振り返った。刃物を構えた男たちは手を垂らした。
「どなたがこの店の旦那で」と先頭の男が言った。
「私ですが」店主の声も上ずっていた。「そのとおりです。妹に呼ばれて裏へ出てみたら、倒れていたので」
 店主は文子の兄なのだった。
「そうですか」男が言った。「こちらの早とちりだったかもしれません。もう一度事情を詳しく調べてから参上します。失礼の段がありましたら、あらためて」
 みんなが茫然としているうちに四人は出ていった。
「勇ましかったねえ」と島さんが文子に言った。
「こわかった」と文子は言った。「まるでヤクザ映画」
「ヤクザだよ」島さんが言った。「手配師じゃないかな。労務者を集めて飯場を取り仕切っているんだよ。俺、出ていって土下座しようかと思ったんだ。一つ間違えば店なんかメチャメチャにされるから、ああいう時は謝るのが一番いいんだよ。負け犬みたいだけど、何度もああいうの見てきたんだ」
「女の子だからよかったんじゃないかな」とサブちゃんが言った。「男だったらガタガタ言うなって、わけも聞かなかったんじゃないかな」
「島さん、年いくつなの?」
 と文子は、見当のつかない年齢を聞いてみた。三十歳ぐらいかと思っていたが、二十歳の文子と三つしか違わなかった。
「もっとずっと上かと思ってたわ。すごく人生経験あるみたいだもの」
「貧乏な家の七人兄弟の下から二番目で」と島さんは言った。「中卒で働き始めて、いろんな思いしたからね」
 手配師らしい男はその夜、配下の者を連れて詫びに来た。そしてそれ以来、ときどき一人で来てカウンターに坐るようになった。男は物静かで、文子が箸などを出すと軽く頭を下げた。男は若くて、店主や島さんと同じくらいの年齢らしかった。
 文子は店から2DKへ帰るとき、明るいカーテンの色のうつっている窓を見ながら、ここに住んでいる人たちと、店や建築現場で働いている人たちとは、そう違わない年齢なのだと思った。団地の入居者は、新婚や小さい子供のいる若夫婦が多かった。文子の鼻の奥がジンとして、鼻水が垂れてきた。ビニール靴を履いている足の指先はしもやけで、2DKに帰って炬燵に入ると痒くてたまらなかった。
「学校、あんまり行ってないみたいだね」
 と二人だけのとき、島さんが文子に言った。文子は試験だけは受けたが、授業にはあまり出ていなかった。
「もう入学試験の時期で、休みだから」
「おれとしょたいもたないか」
 と島さんがボソっと言った。文子は復唱してみてびっくりした。俺と世帯持たないか。世帯。それは文子のボキャブラリーにはない言葉だった。島さんはうつむいていた。
「学校ぐらい行かせてやれるよ。勉強だけすればいい」
 うつむいている島さんを見ているのがつらいので、文子もうつむいた。二人は黙って向い合っていた。それから島さんが言った。
「ごめん、冗談だよ」
 団地の残りの建築は完成に近づき、つぎつぎと足場が取り払われ始めていた。店に来る工事関係者もだんだん少なくなり、商店街は落着いてきた。助っ人に来ていた上板さんも引きあげ、商店街では月二回の一斉休業日も決った。
 その最初の一斉休業日は朝から雨だったので、塗装工の新吉も2DKに遊びに来た。その日も島さんは映画雑誌を見ていた。
 文子は湯呑み茶碗で、みんなにインスタントコーヒーをいれて配った。新吉はほとんどうつむきっぱなしだった。
 文子は店で猥歌をうたう親方にからかわれ、「こいつ童貞だから、教えてやってよ」などと言われたことがある。そのときも新吉はうつむいて、真赤になっていた。
「雨で仕事が休みのときは何をしてるの?」
 と文子が聞いても、新吉は黙って眼を伏せていた。かわりにサブちゃんが答えた。
「親方たちは、すげえ金賭けてバクチするんだよ、な? でも新吉は、ただ見てんの。俺やってみてえな」
 サブちゃんは見てきたようなことを言った。
「あんまりあっちに出入りするなよ。ヤバイぞ」と島さんが言った。
「新吉はこのあいだ『いつでも夢を』見てきたんだと。『キューポラのある街』も見たんだよ、な?」
「吉永小百合のファンなの?」
 と秋子が聞くと、新吉は耳まで赤くなった。
「ファンレター出せば?」
 と手紙マニアの秋子が言うと、みんなはにわかに活気づいて賛成し、秋子は自分のレターセットを持ってきた。サブちゃんが島さんの映画雑誌で調べてみると、ファンクラブがあり、『さゆり』という機関誌を出していることがわかった。
 頬を紅くしている新吉をよそに、みんなは文子が代筆することに決めてしまった。文子は内心、一度はファンレターを書いてみたかったので、その話に乗り、まだ一本も出演映画を見ていない女優にファンレターを書いた。
 〈吉永小百合様
  僕はあなたのファンです。
  『さゆり』を送って下さい。〉
 と本文を書き、封筒にファンクラブのある六本木の宛名を書いてから、文子は新吉に聞いた。
「差出人の住所はどこにする?」
 新吉は真赤になって「いいです」と言った。ファンレターなど出さなくていい、ということらしかった。
「ここでもいいわね」
 と言って、文子は2DKの住所を書いた。みんなはひとしきり、何日ぐらいで『さゆり』が送られてくるだろうか、ということなどについて話し合った。何かを楽しみに待つなどということは、定休日ができるまで、なかったのだった。一日の休みは、疲れを取るだけで終ってしまった。
「つぎの入居が始まる前に、やめさせて下さい」
 とある日、島さんが店主に言った。島さんは渡り職人だから、庖丁一本持ってどこへでも行ける。働くだけのこんなところより、映画館のたくさんある繁華街で働くこともできるのだ。出ていける者は出ていけばいい、自分もそろそろちゃんと勉強しなければと文子は思った。ところが島さんはそのあと、文子にとっては意外なことを言った。
「秋ちゃんも一緒に」
 文子が世帯という言葉を聞いてから、まだ半月くらいしかたっていなかった。島さんは自分が所属している職人溜りから、よさそうな職人を選んで、この店に来るように話もつけてあった。
「秋ちゃん、島さんと世帯を持つの?」
 と文子は四畳半に並べた布団の中から、隣りで顔を光らせている秋子に聞いた。
「五つも年上だから、ちゃんと結婚してくれるかどうかわからないけど」
「すると思うわ」と文子は言った。「やさしい人だから」
 島さんと秋ちゃんが店をやめる前、店主夫婦やサブちゃんたちと二人を囲んで慰労会のようなことをしたとき、島さんはこんな話をした。
「集団就職がいやで、卒業式のつぎの日、紀伊半島のすごい山ん中から、ボストンバッグ一つ持って名古屋まで出たんだよね。大阪に行こうか東京に行こうか考えて、先に東京行きの列車が来たから乗ったんだ。そして最初に見つけた働き口が鮨屋で」
 大阪か東京かというのは、秋ちゃんと私のことかもしれないと思いながら、「映画みたいね」と文子は言った。
 島さんが出ていったあと、六畳間には映画雑誌が何冊か残っていた。島さんは鶴田浩二や高倉健の映画が好きだと言っていたが、彼が店にいたあいだは休日もほとんどなかったので、映画を見てきたという話は文子は聞かなかった。島さんは映画より映画雑誌が好きで、もし休日があったとしても映画館へは行かずに、2DKでビールを飲みながら映画雑誌を読んで溜息をついていそうな気がした。でも、ヤクザ映画をたくさん見ている人のような気もした。もしかしたら、ヤクザ映画のような現実の場面をたくさん見てきた人、なのかもしれない、とも思った。
 いやそれよりも、と文子は思った。トレンチコートの衿を立て、ボストンバッグ一つと晒しに巻いた庖丁を持ち、秋子を連れ去っていった島さんは、彼そのものが映画の中の登場人物のようだった。
 島さんがいなくなっても、店にはときどき手配師の若い男が来て、カウンターに坐っていた。あの人もやがて去っていき、たぶんもう一生会えないのだと文子は思った。
 暮に入居が始まった団地の半分の芝生は、茶色からだんだん緑色になってきていた。日曜日になると、ピクニックのように若夫婦がその上に坐ったり、そこで子供を遊ばせたりしていた。
「どいつもこいつも腹ボテになりやかって」
 とサブちゃんは悪態をついたが、文子は妊婦よりも若い夫たちの方が気になった。ウィークデーの朝はバス停に、灰色や紺色の背広姿の男たちが長い列になって並ぶのだが、日曜日の夫たちは、なぜか赤いセーターや赤いポロシャツ姿が多かった。おだやかな中間色がなくて、ドブネズミ色と赤というのが、なんだか切なかった。
 東京オリンピックはもう、その年の秋に迫っていた。

 テレビ局の玄関先で客を降ろしたタクシーに、入れかわりで文子たち三人が乗り込むと、それを確かめたように、局構内の駐車場から左ハンドルの黒い乗用車がすべり出した。その車には運転手のほかに、助手席にマネージャー、後部座席に女優と付き人が乗っていた。
 タクシーに乗ったのは、大手出版社の正社員である女性編集者と、下請けのフリーライターである文子と、取材カメラマン。
「あの車のうしろからついていって。行先は六本木」
 と女性編集者が言った。前を走っていく黒い車の後部座席には、髪をアップにした女優の頭部と、卵色のスーツを着ている肩の一部が見えた。その隣りの地味な服を着ている付き人が、うしろを確かめるように振り返った。
 タクシーの若い運転手は、「うしろからついていって」と「うしろからつけていって」の違いを理解しなかったのか、変に押さえたような声で聞いた。
「尾行ですか? 誰が乗ってるんですか?」
 テレビ局からだし、タクシーの助手席に坐ったカメラマンは一見してカメラマンとわかる風体だったから、無理もないかもしれないが、スキャンダルを暴く一味とでも思ったらしい。編集者は黙っていた。カメラマンと文子は彼女の付録のような立場なので、彼女が黙っているいじょう、やはり黙っていた。テレビ局でも文子は編集者を通して女優に一応紹介されたが、お互いに「よろしくおねがいします」という挨拶の言葉を交しただけで、あとは直接口をきいたりはしなかった。
 文子は大学で一度だけ、その女優と口をきいたことがある。
 学生新聞のスタンドの前に立った彼女が、
「一部ください」と言い、
 文子が新聞を渡して十円を受け取り、
「ありがとうございました」と言ったにすぎないが。
 文子はその十円玉を自分のと取りかえて、彼女の手に触れた十円玉を塗装工の新吉に渡してやりたかったが、もう新吉と会うことはできなかった。
 前の車に乗っているのは、文子がかつて新吉のかわりにファンレターを出した、女優の吉永小百合なのだ。K出版社が彼女の日記を出版することになり、その社の正社員である編集者は、日記のどの部分を削除するかなどの打ち合わせをするため、忙しいスターのスケジュールに合わせて同行しているのだった。その出版に合わせて、同じ出版社で出している女性月刊誌に、彼女のスケジュール追跡記事と日記の一部を載せることになり、文子とカメラマンが同行している。文子は女優には今日一日しか会わないはずだが、日記は一週間ほど前にK社に出向き、見せてもらって月刊誌に載せたい部分を写したりした。
 吉永小百合とのかかわりで新吉を思い出したせいか、このところ文子はしきりにあの2DKのことを思い出す。数日前には『冒険者たち』という映画を見ているうちに、2DKとそのまわりにいた人たちを思い出して涙が出ぐんだ。日本の団地とはかかわりない、フランスの映画なのに。
 アラン・ドロンとリノ・バンチュラは、パリの凱旋門の下を飛行機でくぐったりする冒険野郎。二人が暮している原っぱの中のプレハブ造りのような整備工場に、ある日ジョアンナ・シムカスがやってくる。彼女は彫刻家の卵で、自動車の廃材をバーナーで焼くような作品をつくっている。その材料をもらいにきたのだ。やがて彼女は作品展を開く。二人の男はそれを見に行き、新聞記者に囲まれている彼女を遠くから見て、よかったよかったと、もう彼女と会えなくなる淋しさを互いに隠してよろこび合う。
 けれど彼女は批評でたたかれ、意気消沈して工場に戻ってくる。二人の男は彼女をやさしく迎え、彫刻をやめてしまった彼女と三人で、昔の城砦のある島へ宝さがしに出ていくのだ。彼女が二人の男のうち、どっちを愛しているか、などのドラマの展開もあるのだが、文子にはその工場があの2DKに思え涙がにじんできたのだった。文子は団地の丘をおりたあと、結局は大学を中退してしまったが、ダメだったわと帰っていく2DKはもうない。部屋はあっても。
 あのダイニングキッチンの炬燵をいつも囲んでいたのは、暖房がそれしかなかったからというだけではなく、帰っていく場所のない者たちが、あたたかさを求めて寄り添っていたのだという気がした。そして、文子が島さんと並べて思い浮かべたもう一人の男は、あの若い手配師だった。
 黒い車は六本木の通りへ入り、高速道路の下を走っていた。
 テレビ局では、吉永小百合は三十分の歌番組の収録をした。一人だけで数曲うたい、そのあいまに司会者との対談などが入る番組の、歌の場面だけを収録していたのだった。「寒い朝」「いつでも夢を」「銀色の道」などを、一曲うたっては、背景を取りかえるあいだに日記についての打ち合わせをしていたのだが、彼女はカメラの前からスタジオの隅に戻ってくると、自分の方から話を切り出した。編集者との打ち合わせと、番組の収録をコマ切れに繰り返しながら、両方の流れを把握し、それがどこで途切れたかも覚えているようだった。
 やがて黒い車は、通りに面したビルの前で止った。つづいてタクシーを止めた運転手は、前の車からおりた女優の美しさに見とれて、料金を受け取るのもうわの空だった。
 彼女はそこに立ったまま、微笑を浮かべてタクシーからおりた三人が近づくのを待っていた。その両側をガードするように、マネージャーと付き人が立っていた。彼女はそのビルの中にある自分の事務所に編集者を案内した。
 職員室のように机を寄せ、その上にいろいろな書類などが積んである事務所には、数人のスタッフがいて、たびたび電話が鳴った。そこでも彼女の時間はコマ切れだった。編集者と打ち合わせをしているテーブルの横に、たびたび「失礼します」と事務所の人が近づき、そのたびに用件に返事をしたり、立って衣裳を胸に当てたり、印刷物に眼を通したりした。
 壁には『キューポラのある街』や『若い人』や『いつでも夢を』や『光る海』のポスターが貼ってあった。文子は『光る海』を見たが、それはあの団地の丘を下りてからだったから、新吉が見られなかった映画だ。
「そろそろお時間ですから、衣裳がえを」と付き人が言った。
「失礼します」と言って彼女は立ち、それから事務所のスタッフの一人に「先生に電話しておいてくれた?」と尋ねた。
「やだわ、何時に電話すればいいのかうかがっておいてくれなくちゃ。こっちの都合でかけちゃ失礼じゃないの。先生、いらっしゃるかしら」
 とスタッフの返事を聞いた彼女は、編集者と話しているときとは少し違う、いらだったような声で言った。それから自分で電話をかけた。卒論についての相談だった。
 新聞スタンドの前に立ったとき、彼女は授業が夜の第二文学部の一年生で、文子は三年だったが、彼女はもう四年生なのだと文子は思った。高校生のときからスターだった彼女は、検定で大学入試受験の資格を取り、大学にも受かったので、それまでは世間にあまり知られていなかった「大検」という制度が知られると共に、働きながら勉強している若者や、正式に高校を卒業していない人を励ましたようなところがある。働きながら勉強も続ける意志や願望を持つことと、実行することはとても違う。文子はそれを実行できなかったのだ。
 外部の者にむける表情とは少し違う彼女のいらだった声を聞いたとき、文子はそれまで日記を読んでもあまり感じられなかったざらりとした感じを受けた。人間的な感触というやつかな、と文子は紋切り型の言葉を思いうかべ、記事にはそんな言葉はつかわないようにしようと考えた。
 文子は編集者から彼女の日記帳をそのまま手渡されたとき、ちょっと驚いた。けれどそれは読んでみると、人に見せてもいいような日記だった。勉強したくてもできない焦りや、家族関係のことや、好きな人がいるらしいことが、にじんではいたが露わではなかった。いっしょうけんめい、いろいろなことを胸の奥深くに埋めているような感じがした。そして全体としては、ふつうの少女の日記とそう違わないような印象のものになっていた。スターでも同じなのね、という共感は得られるかもしれないが、文子は、そんなはずはないという気がしていた。
 こんなに忙しいスケジュールで動き、こんなに大勢のスタッフをかかえている人が、ふつうの少女と同じはずはない。いらだったような声を聞き、それで事務所がピリリとしたのを感じたとき、文子はその奥にあるものにほんのちょっと触れたような気がした。と同時に、痛ましさも感じた。彼女はスケジュールやスタッフなど投げ捨てて、ふつうの少女のようになりたいのではないかと。
 電話を終えると、彼女は別室に入っていった。
 彼女を待ちながらスタッフの仕事を見ているとき、文子は一人のスタッフの机の上に積まれているのが『さゆり』だということに気がついた。ああ、ファンレターに書いた宛名は、たぶんここだったのだ、と思った。
 文子が新吉のかわりにファンレターを書いたあの2DKには『さゆり』が届いたが、塗装工の新吉はそれを見なかった。飯場の喧嘩出入りで人を刺し、自分も刺され、出血多量で死んだのだった。救急車で団地内の病院に運ばれた新吉の担架が通ったあと、コンクリートの上には子供服の赤いボタンのような血玉が落ちていた。飯場の女をめぐる喧嘩ということだったが、サブちゃんは「女が悪いんだよ。そうに決ってるよ」と泣きながら言った。サブちゃんの言葉を聞きながら、文子はなんだか自分が、じっと黙っている新吉のような子のこわさを以前からよく知っていたような気がした。
 さっきまで髪をアップにして卵色のスーツを着ていた吉永小百合は、髪を垂らし、紺色のワンピースを着て別室から出てきた。髪には紺色のヘアバンドをしていた。文子が見る、三度目の違う服だった。歌番組の収録をしていたときは、裾の長い白いドレスを着ていて、それから局を出るときに卵色のスーツに着がえたのだった。
 紺色のワンピースを着た彼女が黒い車に乗り込むと、さっきと同じように後部座席には付き人が並んで坐り、前の助手席にマネージャーが坐った。テレビ局では付き人が身のまわりの世話をし、マネージャーは局の人と一緒にカメラをのぞいて女優を写す角度に注文をつけたり、歌を何番までうたうか折衝したりしていた。そして運転手を含めて、彼女はいつも彼らと一緒に動いているらしい。
 彼女の日記には、雨の日の記述が多かった。いつも人眼にさらされている彼女は、雨の日は少し安らぐようだった。彼女にも「ダメだったわ」とか「ヤメたわ」と帰っていく工場や、リノ・バンチュラのような人がいればいいのにと思い、文子は自分に苦笑した。
 車に乗るほどでもない距離の、六本木の裏通りに、蔦におおわれた洋館のような写真スタジオがあった。そこではカメラをセットした有名カメラマンが待っていた。
 カメラにむかって微笑を浮かべている彼女を、事務所のスタッフ、文子たち取材陣、そしてさらに写真スタジオのスタッフたちが見つめていた。これらの眼のむこうに、彼女はファンを感じるのだろうかと考えてみたが、文子には想像がつかなかった。
 文子は彼女を見ながら思った。自分の眼をそのまま新吉にあげられればいいのに。でも、あげることができても、新吉はその奥にある自分の眼を伏せてしまいそうだ。新吉はなま身のスターに会うことよりも、スターの人間的な感触に触れることよりも、一冊のファンクラブの機関誌の方をよろこびそうだ。そしてそこにはやはり、微笑を浮かべているスターの写真が載っていなければ、と。

(『いつでも夢を』昭和38年 日活作品)


ラスト・シーン
 彼女はアメリカン・ファーマシーの前に立ち、日比谷映画劇場とその奥の映画街の方を見た。かつては、その一画だけが明るかったが、今はむしろそのあたりだけが暗く沈んでいる。20年の間に周囲がそれだけ変ったのだ、と思いながら夕暮れの大通りを映画街の方へと渡った。
 彼女は立ち上り、日比谷映画劇場をあらためて正面から見た。一、二階が薄茶色のタイル貼りの円形劇場で、正面部分は中央入口の右手に券売窓口、左手にポスター掲示板。その上に、白い絹のシルクハットをかぶっているように丸い塔が立っている。ただし白はすでに疲れた灰色になっている。
 シルクハットの庇の上、横幅いっぱいに白地に黒文字で「さよならフェスティバル」と書かれた大看板。そして、券売窓口の横には、黒文字で『風林火山』と書かれた白い大きな垂れ幕。
 男爵は死装束でうなだれているようだ、と彼女は痛ましい思いで日比谷映画劇場を見た。それから、日比谷映画街と呼ばれる右手の通りの奥に建ち並ぶ、幾つかの映画館のイルミネーションに眼をやった。
 かつて彼女は日比谷映画劇場の案内係をしていた時、自分の働いている映画館に男爵という渾名をつけた。映画街の入口に立っているその建物の姿は、その奥の有楽座、みゆき座、東京宝塚劇場といった女性的な感じのする劇場、淑女たちを護衛しているように見えたのだった。一つの建物というより、一つの人格という気がした。当時20歳だった彼女から見れば、人生を知っている洒落た年上の男、というような感じだった。貧しい小娘の生活にはない、外国煙草やウイスキーや香水やスエードの匂いを持った男のような。
 彼女は眼の前の日比谷映画劇場から、看板と垂れ幕を想像で取り除いてみた。やはりそれは一つの建物というより、一つの人格のように見える。
 よく、昔は美しかった男が生活の退廃から、無惨に汚れた貧相な男になっているということがあるが、そういう感じではない。相変らず気品は備えているが、それを保証するだけの豊かな背景はもうなく、かろうじて己れ一人の気力で矜恃を保っている。しかしすでに疲労の色がにじんでいる、そんな感じがした。
 取壊されるのも仕方がないのだ。だが、なぜ。洋画ロードショー館の男爵には、やはり洋画が似合うのに。最終上映映画が洋画でないなんて痛々しい。そう思いながら立ち尽している彼女の視線の先をチラと見て、若いカップルが通り過ぎながら言った。
「この映画館、もうすぐ取壊されるんだろう」
「あら、そうなの」
 彼女は道を渡って、映画館前の少し傾斜しているアプローチを、正面入口左手の掲示板へと近づいていった。そして、そこに掲げられてある看板の文字を読んだ。
「  ごあいさつ
 映画街へようこそ。
 皇居のほとり、日比谷の地に有楽座、日比谷映画劇場が誕生して50年、激動する昭和史の中で幾多の困難に会いながらも、両館は常に世界最高の傑作・名作・超大作をみなさまに贈り続けてまいりました。
 この街で映画と出会い、その魅力に酔い、多感な青春を過ごされたファンの皆様、また、将来の夢を映像文化に託して巣立たれ、活躍されている方も数限りありません。
 この栄光に満ちた両館も、永い使命を終え、皆さまに惜しまれつつ閉館いたします。そして再開発にともない新たに地上18階、地下4階のビルに生まれ変ります。この地区には広場と二つの劇場を設け、広く内外の名画を上映する計画です。
 一方、この10月には、新日劇ビルに三つの映画館が、最新鋭の設備と、映写・音響効果の粋を尽して誕生いたしました。新しい酒を新しい革袋に入れる準備が整ったわけでございます。
 この度の閉館にあたり、永いあいだ両館を守り育てて下さった皆様に、感謝の催しをと願っておりましたが、幸い、各配給会社、映画関係者のご理解とご協力を得て、映画界始まって以来の豪華な『さよならフェスティバル』を開催する運びとなりました。
 永年のご愛顧を厚く御礼申し上げますと共に、新劇場にも、両館に増して温いご支援を賜りますよう心からお願い申し上げます。
 本日はありがとうございました。
    1984年10

東宝映画株式会社」


 今年50歳だとすると、あの時、男爵はまさに30歳の壮年だったのだ。彼女は少しうつむいて看板の前を離れた。その足元の敷石の一部に厚いガラスが塡め込まれてあることに彼女は気がついた。
 円形劇場の壁に沿ったパーラーの前を通る時、彼女はガラス戸越しに店のなかを覗いた。客は一人もいなかったが、彼女には、赤と白の縞のワンピースを着た若い女優と、彼女の恋人である気弱そうな若い歌手が、テーブルに向い合って笑っているのが見えた。その上の、劇場の二階の窓を彼女は見上げた。そこは案内係たちの更衣室だが、人の気配は感じられなかった。
『テキサスの四人』から『山猫』へ。『アカプルコの海』から『五月の七日間』へ、そして『トム・ジョーンズの華麗な冒険』へ。あの「さよならフェスティバル」の看板を取り替える作業も、上映映画が変る夜のあわただしさももうないのだ、と思いながら彼女は日比谷映画劇場を離れ、銀座へとむかった。
 上映映画が切り替る最終日は忙しかった。最終回に遅れてやってくる客足も途絶えると、地下の事務室から支配人や営業係や経理係も全員上ってきて、切り替え作業を開始した。
 窓口係は券売窓口の外に出て〈本日限り〉の札を外し、明日からの新しい上映時間表タイムテーブルや料金表に取り替える。
 劇場案内係はロビーを回って、タイムテーブルを取り替えたり、スチール写真を貼り替える。それらをあらかじめ用意して、指示しておくのは営業係の仕事だ。時間表は、窓口係の女子従業員のなかの、最古参の人が作った。
 やがて正面入口に大看板を積んだトラックが到着し、取り替え作業が始まると、営業係と支配人は外に出て、新しい看板の出来具合を確認した。道路を渡って、全体を正面から見る位置に立つ。全体のタッチや色の具合は、アッピールしたいイメージどおりに出来上っているかどうか。通行人や、看板を目標にやってくる人たちの眼をひく効果があるかどうか。取り付け作業が終ると、間近から文字を読んでみる。原稿どおりのキャッチフレーズが洩れなく書かれているかどうか、監督やスターの名に誤字はないかどうか。
 大看板の確認が終ると、支配人と営業係は窓口に出した新しいタイムテーブルや料金表、ロビーのスチール写真などを確認して回り、最後にOKを出すと、全員がホッとした。
 最終回の客たちは、自分たちが入った時と出る時とでは、ロビーの時間表や正面入口上の大看板が変ってしまっていることに、ほとんど気がつかないのだった。
 だが今週の最終日のあと、あの看板は取り外されるだけ。あまりに淋しいラスト・ショーのような気がした。
 彼女は銀座の珈琲専門店の前にくると、扉を押した。半白の髪に童顔の男が、彼女に合図を送った。彼女がテーブルにつくと、男は名刺を差し出して挨拶をした。

 女子社員が「失礼します」と声を掛け、窓際の応接セットの茶器を片付けるために衝立の奥に入ると、上司である長身の男は窓辺に立っていた。テーブルの上には『ウホッホ探険隊』の企画書が置いてあった。
 男は眼下の、塔をもつ円形の建物を中心とした一画を見ていた。その周囲には数階建ての古い建物が密集していて、右手の高架線に若草色の電車が走っていく。その向うには銀色のビルの一部が見える。林立する高層ビルに囲まれて、眼下の一画だけがすり鉢の底のようだ。
 その一画は、男が立っている東宝本社の所有地である。土地の高度利用にその一画を再開発して高層ビルを建築するため、本社直営の日比谷映画劇場も取壊すことが決ってから、男は窓辺に立つことが多くなった。塔の最上階には電話の交換室があることを男は知っている。彼は新入社員時代を日比谷映画の営業係として過ごしたのだった。
 テーブルの上の企画書は、童顔のプロデューサーが置いていったものだ。そのプロデューサーの制作した『お葬式』は、小さな映画館で封切られたが、初日には映画館の前に行列ができた。アイドル映画ではないのに行列ができるのは、最近では珍しいことだ。そして、かなり高齢の観客が多いのも珍しい。
「『ウホッホ探険隊』はXプロやYプロからも話がきてるよ」
 と長身の男は、これまで何度か組んだ親しみが馴れ合いになっていない、淡々とした学生っぽい口調で言った。制作会社は配給会社が決定しないと、具体的にどの程度の予算でどの程度のスタッフを集め、キャスティングが組めるか、といった骨子が決らず、具体的に動けないのだ。
「検討してみてください」
 と差し出された企画書を手に取って、彼はざっと読んでみた。彼は内心『ウホッホ探険隊』の原作そのものが、映画化に適していないのではないかという気がしていた。中学生になる直前の兄と小学生の弟の兄弟の両親が離婚し、兄弟は父とも行き来しながら母と暮すことになるという小説だが、家族の激しい愛憎が描かれているわけではなく、風景としては淡々としている。それが小説としては新しさだとしても、映像としては弱い。離婚しても夫と妻が子供を間にして友人のようになる、兄弟は離婚後の生活を「探険」と考える、という現代的な家族の問題はメリットだとしても、それだけでは足りない、よほど大きなプラスアルファが加わらなければ無理だという気がする。小説自体ベストセラーでもなく、賞をとったわけでもなく、原作者も新人で知名度もない。
 彼自身は淡々とした映画や小説は好きだが、個人の好みと興行収入の見込みがあるかどうかの判断は別だ。この夏公開した冷え冷えとした雰囲気の、テロリストを扱った映画は、評価が高く彼も好きだったが、興行収入はよくなかった。
 だが、ヒットしないのではないかという予測はついても、今はどういうものならヒットするという定型もない。映画館も新しい館はどこも座席数を少なくし、場所柄や客層に合わせてきめ細かく上映作品を選別し、客と館とのコミュニケーションを密にしている。童顔のプロデューサーが名を挙げた何人かの若い監督たちが、新しい質の良い映画を作っているが、大劇場があふれんばかりのかつての盛況というのが再びやってくることはないのではないかと、眼下の日比谷映画劇場を見ながら彼は思っていた。
 昼休みに彼は一人で昼食をとりに出ると、最後にゆっくりと時間をかけてコーヒーを飲んだ。必要がない限り、食事は一人の方がよい。
 昼食を終えてビルの三階のレストランを出ると、エレベーターには乗らず、道路に面した踊り場へと階段を下りた。ベランダのようになっている踊り場の手スリ越しに、黒壁に白い漆喰で筋交模様のついた向い側の土蔵のような建物を見た。その一階の有楽座の入口の庇の断面に三段に並んでいるイルミネーションの豆電球が、乱杭歯のように半分ほど欠けている。その様子から、もうずいぶん長い間イルミネーションを点滅することもなかったのだろうと、彼は今日初めてそのことに気づいた。今までは看板やポスターの方に気を取られて、建物自体をまじまじと見たことはなかったのだった。
 下を見ると、道路の向う側、有楽座と日比谷映画の間の通り抜けアーケード入口の前の小さな空地の半分は瓦礫の山になっている。有楽座の方から、灰色の作業服を着た男が二人がかりでスチール机を持ってきて、瓦礫の山の傍らに置き、戻っていった。映画街の取壊し工事が始まってから、日比谷映画劇場の方から道路に入ってくる人はほとんどいなくなった。
 男は階段を下りて歩道に出ると、道路を渡り、イルミネーションの庇の下へ歩み寄っていった。有楽座の入口脇に、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テーラーが一緒に写っているポスターが埃をかぶり、ちぎれかけたまま壁に貼られてある。その横の半分以上破れている男の顔は、クラーク・ゲーブルだと彼にはすぐわかった。有楽座の方からまた男が二人、今度は一人で一脚ずつ椅子を持ってきて瓦礫の山の脇に置いた。
 長身の男は有楽座と日比谷映画劇場の間の、駐車場などに使っていたコンクリートの空地に入った。有楽街アーケードの入口は、鉄格子のシャッターで仕切られているが、瓦礫の山でそこまではたどり着けない。有楽座の脇に地下酒場へと下りる階段がある。下り口の右手の壁のウインドーはそのままで、埃をかぶった酒器や天ぷらのサンプルが並んでいる。薄暗い階段の奥の〈居酒屋邑楽ゆうらく〉と書かれた赤提灯も埃だらけになっているが、破れてはいない。
 男は数歩歩いて日比谷映画の側へ寄った。映画館脇にあった喫茶店への上り階段だけが、舞台装置のように土台ごと残っている。階段の上り口には〈珈琲館ウエストン2F〉と書かれたガラスケースがあり、〈サンマルコ風スパゲティ〉などと書かれた品書とサンプルが、店が営業していた時そのままに残っている。埃を払ってそこだけに視界を区切れば、今でも二階喫茶店へ上っていってスパゲティが食べられそうだが、しかし階段の途中で落ちることになる、と途中で切られたトンネルのようになった階段の奥を見上げた。その階段の支柱は瓦礫に半ば埋っている。
 二つの映画館のどこを、すでにどれほど壊したのか外観からはわからないが、主としてコンクリートの破片が壁際で二メートルほど積もり、そこからスロープになって、まだ空地の中央部にはコンクリートの床が見える。灰色の破片の間から、波形トタンや切れた電線がとび出している。換気ファンが半分埋もれている。ボールペンや宣伝ビラも見えた。残っているコンクリートの床の部分には台車が一台置いてある。
 舞台装置のような階段の下の支柱の向うの薄暗いところに、明りが揺れた。男は日比谷映画劇場に最後に勤務していた社員は全員知っていたが、それぞれ配置転換になった。誰だろうと男が立ったまま待っていると、階段の下に体をかがめて、紺色の作業服を着て懐中電灯を持った男が、向うから不審そうに長身の男の方を見た。すでに建物の管理は、取壊し工事を請負う建設会社に移されている。守衛らしい紺色の作業服の男が、こちらに出てきた。
 長身の男は内ポケットから名刺を取り出して見せ、「なかはどうなってるの?」と聞いた。
 紺色服の男は的確な返事ができないというように「そのままです」と答えた。
「座席やスクリーンもそのまま?」
 と男は聞いた。取壊し工事の概要は知っているが、建物の内部にいつどこから手をつけるのかまでは、本社の者たちも知らない。
「はい」
「いつから座席など取り外すのかな」
「さあ、私は警備の方ですから」
「ちょっと見せてもらえないかな、今のうちに見ておきたいんだ」
 警備員は名刺を見直してから、「本社の方なら」と、何かあったら責任はそっちにあると念を押すように言った。警備員は日比谷映画の建物の脇の人一人が通れる階段を地下へと下り、円形の外壁に沿って半地下の通路を奥へ行き、扉の鍵を開けた。客席横ロビーの奥の階段の非常口である。警備員は男の先に立って横ロビーのゆるやかなスロープを上り、正面ロビーまでくると「館内全部を回るんですか?」と聞いた。監視人としてついて回るべきかどうか思案しているようだ。
「ここに立っていればわかるはずだから」
 と長身の男は、客席の後ろ正画扉を開けて言った。そして薄暗い客席を見て警備員の方を振り返り、「懐中電灯を貸してください」と命令するように言った。警備員は部下のように懐中電灯を渡して扉口に立った。
 男は後ろから五番目の通路脇の席に腰かけた。横幅の広いスクリーンは緞帳で閉ざされている。暗い客席は、電気係が明りを落してこれから映写が始まる前のようでも、これから明りが灯って客席がざわめく前の一瞬のようでもある。誰も坐っていない椅子の一つ一つに人影が見えるような気がする。平日の午前、まだあまり客の入らない一回目に、男の一人客がぽつりぽつりと坐っていたことを思い出す。そうしたセールスマン風の男は、互いに離れて、それも真ん中より後ろに坐ることが多かった。一回目の客の入りで、その日の興行成績が読めるので、気をつけて様子を見ていたのだ。
 特に新しい映画の封切初日には、その日の入りを見て、地方の映画館の館主がフィルムのプリントを買うかどうかを決めるので、客を動員して無理をしても初日につっこんだ。そして従業員は全員、自分の仕事の場所から場内やロビーのざわめきや話し声を聴き取り、営業係はそれらの情報を集めて、どのくらいの入りがあるかを予測し、何週間の続映にするかなどを決める手がかりにするのだった。
 彼は初日に入口のカウンターに案内係と並んで立ち、半券を切るのを手伝いながら客の表情を見、幕間に客席の後ろに立ち、眼を閉じてざわめきを聴くだけで、どの程度のヒットになるかの予測がつくようになった。新入社員時代に膚で知った映画と観客との関係が、今の仕事の判断の基準になっているのだった。映画雑誌や批評家による前評判と、客の動員数が必ずしも一致するとは限らない。面白い映画いい映画は、客の動員数に何よりも具体的にあらわれる。そしてそれは生き物のようだ。鉦太鼓で宣伝をしても、いっこうに客の動かない時がある。初めは入りの少なかった映画が、じわじわと客を呼ぶようになり、予定の打切り期日近くなって勢いがつき、続映が決定されることもある。また、初日からある期間は満席になったのに、急にぱたりと入りの止ることもあった。そうした客の動きを膚で読み取ることも、この映画館で知ったのだった。
 彼は眼を閉じて場内のざわめきを聴いた。人気映画の時の熱気のこもったざわめき。不人気な時の棘のあるささやき。狙いどおりに当った時は、打った宣伝や前準備のすべてが正しかったと確信が持てるが、不人気な時はどこに原因があったのか考えてもいっこうにわからない。そして、そうした手応えのない状態が続くようになってきた。あれはいつ頃からだろう、もう個々の映画についての宣伝や準備だけではどうにもならない何かを感じるようになったのだった。
 しかしここ数年は、少ない客のささやきが壁に吸い込まれていくような、寒々とした時期の底は通り過ぎたような感触を男は感じている。とはいえそれも、かつてのように定員1730のこの観客席にざわめきが満ち、壁に反響するようなことはもうないだろうと思う。
 彼は入社して日比谷映画の営業係になった途端に『ジェーン』に出喰わしたのだった。そして次の年に『地下室のメロディ』、そして次の年に『テキサスの四人』。そして『山猫』のあと有楽座に移り、そこで『マイ・フェア・レディ』そうした映画の時は、入場券を受け取って「いらっしゃいませ」という案内係の声も生き生きとしていた。
 彼は眼を開けると、再び誰も坐っていない椅子の背の列を見た。
 それから席を立って正面後ろ扉から出ながら、脇に立っている警備員に「ちょっと二階へ」と言った。そして正面扉の両側にある、貴婦人がローブの裾を引いて二階から下りてくる舞台装置のような、広い、赤い絨毯を敷いた階段を上った。最近の小さな映画館にはないような広い二階ロビーの中央には、伏せたフェルト帽子のような、背もたれのあるゴブラン織りの円形ソファが置いてある。そこには芝居がかったロングドレスの女や、日本の映画女優が坐っていたこともある。来るたびに違う男と一緒だった美しい女。同じ映画が続映中なのに、毎日一人でやってきて、出る時は必ず男と一緒だった指定席の女。
 男はソファの脇を通って二階正面扉を押して二階席に入ると、足もとの段を懐中電灯で照らしながら手すりのところまで下りた。一階の指定席からほどよい眼の高さでスクリーンを見ると、自分がスクリーンのなかの世界に入りこみ、自分が主人公であるような気持になる。彼もかつては中央指定席が好きだった。だがいつ頃からか、むしろ二階席の少し横の位置で、遠くから人生を見るようにスクリーンを見るのが好きになった。
 男は手スリから身を乗り出して、一階席を見下ろした。穴の底のような一階席に正面扉からの薄い光が射し込んで、椅子の背の列をぼんやり浮き上らせている。彼は向きを変えて手スリに沿って一列めの椅子の前を歩き、壁際の席との間の階段通路を上った。そして二階席の奥にある箱型の映写室の扉を開けた。懐中電灯で中を照らすと、もう映写機材は持ち去られ、丸椅子が一つだけ残っていた。
 二つのリールが回る音が聞こえるような気がした。彼の入社後しばらくして、映写機はノー・リバインド方式になり、リールを取り替える時にスクリーンの映像が途切れたり、フィルムが切れたりする事故はなくなったのだが、時々ひっかかるような音や雑音が聞こえたりするリールの音は、一回スイッチを入れれば一本につないだフィルムが正確に流れていく新しい機械の軽い音より、人間に近い何かを感じさせた。活動写真とかセピア色などに近い何かだ。
 しかしノスタルジーを追っているわけにはいかないのだ、と思いながら彼は扉を閉じ、映写室のすぐ下の椅子の列の間を横歩きして通り抜けると、階段通路を何段か下りて、二階席正面扉から再びロビーに出た。ロビーには窓ガラスを通して外からの薄い光が射していた。壁のタイムテーブルや非常口標示灯を見ながら、彼はロビーの奥へと歩いていった。そしてロビーの端、建物の壁側の、少し奥まった目立たないところにある、〈関係者以外立入禁止〉と書かれた札の掛った扉を開いた。
 三和土たたきの奥が八畳ほどの畳敷きになっている、女子従業員の更衣室を兼ねた控室だった。ここにも右手の高い位置にある窓の網ガラス越しに薄い光が射し込んでいる。ロッカーが窓の下の壁際に並んでいる。デコラ張りの座卓が壁に立てかけてあり、壁際には十枚ほどの座布団が積んである。天井には蛍光灯が取りつけられてあり、少し埃をかぶっている。
 まるでアパートの一室のようだった、かつてのその部屋のたたずまいを男は思い出す。いま置いてある壁際のロッカーはスチール製だが、かつては正方形の棚が三段に並び、蝶番で戸蓋のつけられた薄い板張りのものだった。冬は真ん中に炬燵が置いてあり、コンセントから電気を取って、電気コンロで飯を炊いて食べている女子従業員もいた。住込みの者はいなかったが、上映中の交替休憩時間に、更衣室に戻って味噌汁を作ったり、ちょっと走り出てコロッケを買ってきたりして昼食をすませる女子従業員もいたのだった。
「営業さん、ご飯食べに来ない?」と声をかけられることもある。館内の男は支配人も電気係も汽罐係も映写技師も中年だったから、大学を出たばかりの営業係は女子従業員に人気があったのだ。そんな時は、彼女たちの顔ぶれに気をつけなければならなかった。ある窓口係の時には控室に入り、ある案内係の時は入らないというのはよくない。また、一人の時は決して入ってはならない。しかし、まったく入らないというのもいけない。女子従業員と親しくなり、彼女たちの悩みを聞いて、女子従業員たちの調整をはかるのも営業係の仕事だった。地下には経理係の女性がいたが、本社と直結している経理係に、劇場だけの従業員である窓口係や案内係は、どことなく馴染めないものを感じていたらしい。そして経理係は女学校出の50歳近い女性であり、彼女たちは20歳前後で殆どが中卒だったのだ。
 女子従業員たちの調整をはかる時は、必ず最古参の窓口係を立てるようにしたのだが、ある時、トップの窓口係と二番の窓口係が対立して、取っ組み合いの大喧嘩になったことがあった。
「今度の社員旅行、どこがいい」
 と休憩時間に控室で菓子を食べながら彼が聞いた時、トップの子が「伊香保がいいわ」と言った。二番の子が「石和もいいわよ」と言った。
 その時自分が「それなら、温泉の線で考えよう」とでも軽く言えばよかったのだが、「石和なら葡萄狩りもできるな」と言ってしまったのだ。派手な感じのトップの女の子の顔が不機嫌になり、二番の女の子にチクチクと客への態度が悪かったことなどを言った。すると二番の女の子も虫の居所が悪かったのか、ありありとわかる態度でソッポを向いた。それを見て派手な方の子がとびかかっていったのだった。
 髪の毛を引っぱったり、馬乗りになって腕を締めつけたり、組打って部屋中を転げ回りながらも、彼女たちは顔には手を出さなかった。自分は止めに入りながら、どこかで冷静にそれを観察していたのだと思う。あとでトップの子に言ったのだった。
「女の喧嘩って初めて見たけど、顔を殴ったりはしないんだね。男の喧嘩のようにルールがあるんだね」
 その時トップの女の子が言ったことを今も覚えている。
「声だって出さなかったわよ。ロビーの奥から従業員の喧嘩の声なんか聞こえたら、この映画館の品が落ちるって叱言こごと言われるからね。この映画館、お上品なんだもの。顔を殴らなかったのも、こっちから殴ったら、向うも殴ってくるから。顔をやられたら、窓口や案内、クビになっちゃうもの。生活かかってるからね」
 中学生の頃から映画が好きで、大学の映画研究会から映画会社に入り、日比谷映画の営業係になってからも、スクラップブックに色刷りの鑑賞券を貼って、上映期間や興行収入を記録して整理したり、プログラムを集めたりしている自分と、彼女たちは違うのだとその時痛感したのだった。
 だが彼女たちも、この映画館は上品だからと拗ねたようなことを言いながら、この映画街の中で自分の働いている日比谷映画が最も格が上だと思い、誇りにしていた。窓口係、案内係といっても、外からモギリと呼ばれる彼女たちは、自分が二流館や三流館のモギリではなく、映画街の入口に堂々と建つ洋画ロードショー館の従業員であることを誇りにしていた。映画がそろそろ斜陽と言われ始めた頃、近隣の映画館と興行成績の連絡をし合う時、他の館が上映作品によってひどく悪い成績を連絡してくることがあっても、この映画館だけは波としては下り坂でもコンスタントな成績を挙げていることを誇らしそうに、彼女たちは電話でこちらの興収を告げていたような気がするのだ。
 畳もずいぶん長い間取り替えていないらしく、色の褪せた表が摺り切れている。彼はこの映画館で今年上映された映画の幾つかを思い出した。『水滸伝』『ジョーズ3』『スカーフェイス』『ミスター・マム』『13日の金曜日・完結編』『ザ・キープ』彼女たちは、それらの興収を報告する時、かつてのような顔をするだろうかと彼は考えた。
 彼は控室の扉を閉めると、振り返って二階ロビー全体を見渡した。もう一人の営業係と交替の遅番の時、夜の最終回が終って客を送り出したあと、スチール写真が盗まれたりポスターが破れたりしていないかどうか、二階ロビーを歩いて点検していると、電気係が地下室で照明のスイッチを一つ一つ切っていく。一つまた一つと明りが消えていき、ロビーがだんだん暗くなっていくのを見ているのが好きだった。
 彼は薄い光の中を歩いてロビーを横切り、中央階段を一階へと下りた。
 両側の階段の中央、内側から外を見ると正面玄関、その左が券売窓口で右に地下へと下りていく階段がある。その向うの横ロビーの外周に沿って、送り出し扉。夜の最終回の終映時刻が近づき、その扉を二枚両方にいっぱいに押し開くと、パーラーの店先の赤や緑の灯が見えたものだ。
 彼は懐中電灯で足元を照らしながら地下への階段を下りた。そこは絨毯を敷いていないので靴音が響く。踊り場で折れてさらに下る階段の右側に大きなボイラー。そして下の奥に汽罐室、建物の外側に沿って事務室がある。事務室と汽罐室の扉はすでに取り外されていた。
 天井の明り取りの厚いガラス越しに薄い光が落ち、事務室全体をぼんやりと浮き上らせている。古い五つの机はそのままだった。中央に二つずつ向い合い、その奥にやはり顔を見合わせる位置に支配人の机。二つずつ向い合った机の向うには、和服の上に紺色の上っ張りを着た経理係の女性が坐っていたが、積み上げられた資料や帳簿で、いつもうつむいて算盤をはじいている経理係の顔は見えなかった。営業係は新しい映画の封切前には、客の動員数を予測して指定席、一般席別の入場券の必要枚数を連絡する。すると経理係がそれを点検したり釣銭の用意もするのだが、そんな時、メモに書いて声をかけると、積み上げた書類の向うから小柄な彼女の顔の半分が見え、手がのびてきてメモを受け取った。
 客の入場時間が少し過ぎ、遅れて入る客足も途絶えた頃、彼女は一階の正面窓口から〈あがり〉の入った木の箱を持って下りてくる。箱の中には、前売券と当日券、指定席と一般席、大人と小人、それぞれ輪ゴムで束ねた半券と、売上金が入っている。彼女は半券と売上金の帳尻合わせを始めると、殆ど口をきかない。それを一日五回繰り返すのだった。たまに前売券が予想以上に出て、彼女が検印を受けに本社へと、和服の裾を蹴って走っていくことがあった。
 営業係は常に窓口やロビーや客席の様子を見に階上に上ったり、本社へ出向いたり、席があたたまる暇がなかったが、支配人はたいてい奥の席に坐っていた。営業係があちこちに電話をかけ、経理係が算盤や貨幣の音を立てる中で、支配人も雑然と書類の積み上げられた机の前で資料に眼を通したり書類を書いたりしていたが、そのあわただしさの中でも、支配人自身のまわりには不思議におっとりした雰囲気が漂っていた。
 支配人と営業係は常に本社と連絡を取り合って動いた。上映作品と封切日が双方の数度の会議で決定すると、映画館側では本社に提出する書類を作成する。上映に関する決裁表、収支予算表、指定席券の申請書などを作るのだが、それには今度の映画がどのくらいの観客を動員できるか、何週間ほど続映が必要か、などの予測を立てなければならない。その資料になる情報を集めるのも営業係の仕事だった。予告篇に客が興味を持つたかどうか、ちらしのはけ具合はどうか、電話での問い合わせや前売券の売れ具合はどうかなど。それから、新聞広告やテレビでの紹介番組をいつ打つか、などを本社の宣伝部と検討して決める。
 前売りが始まると、何時頃どんな客が窓口へ割引鑑賞券や指定席券を買いに来たか、電話予約は何時頃かかってくるのが多いか、などを一時間単位の表に書き込み、毎日その写しを本社に提出する。男か女か、20代か30代か40代か、なども細かく分類検討できる表になっている。窓口係には、来た客となるべく細かく応対して、学生か勤め人か、どんなところに興味を持っているのか、などの感触もとるように指示しておくのだ。そしてそれらをまとめて、宣伝で狙った客層と合っているかどうか、どんな人たちに前人気があるかなどを判断する。以前上映したどの映画と、客の出足が似ているかなども、過去の表と較べてみたりする。
 そして新しい映画が封切りされると、その様子を見ながら、続映期間や打切り日を考え、次の上映の準備に取りかかる。ポスターやチラシや看板の手配。次回作の宣伝のチェック。階上では上映中の映画の反応をつかむことに感覚をとぎすまし、地下に下りると次回作の段取りをする、ということをしているうちに、営業係は二つの映画がごっちゃになってしまうような感じになってくる。そんな時も支配人は地下室に坐って、冷静に事の成行きを見て指示するのだった。
 彼は新入社員当時、支配人は本当に映画が好きなのかどうか、と疑わしいような気持になった。学生時代の映画研究会の仲間たちは、熱っぽく新しい映画の感想を言い合ったり、諤々の議論をしたが、支配人は頭上で上映されている映画の内容の評価について殆ど話さなかった。
 しかしやがて彼にもわかってきた。支配人がたまに営業係と経理係を昼食に誘う。そんな時、支配人は地下で交しているような映画に関する情報や報告めいた会話はいっさいしない。良家の坊っちゃんがそのまま大人になったような支配人は、ただ料理を深く味わうことに集中する。そして皿を下げたテーブルにコーヒーが届くと、ゆっくり時間をかけてコーヒーを飲みながら、深いところから息を吐くように「今度のはいいねえ」と言い、またそのまま黙ってコーヒーを味わっていることがあったのだ。
 男はだんだん学生時代の映画研究会の仲間と会っても、あまり感想を言い合ったり議論したりしなくなった。彼が現場の喧騒を離れてゆっくり食事をとり、コーヒーを飲むようになったのは、その支配人の影響だ。いや、もともと映画好きの人間は、一人の密やかな時間が好きなのかもしれないともこの頃感じる。
 彼は奥の汽罐室をのぞいた。そこにもまた、自分だけの空間を愛しているような男がいた。汽罐係はいったん館内に入ると、決して外へ出なかった。食事もそこで弁当をひろげた。ボイラーの傍らから決して離れないのだった。男は懐中電灯で汽罐室の黒い大きな鉄のかまを照らしてみた。それはまるでこの地下の主のように腰を据えていた。
 彼はまた懐中電灯で足元を照らしながら、一階へと上った。正面入口の切符の半券を切るカウンターと券売窓口事務所もそのままだったが、客が金を差し入れる小さな窓口はベニヤ板で塞がれている。一階ロビーの上のシャンデリアには灯は点っていず、電気コードが引かれてところどころに裸電球が吊り下げられていた。
「迷惑かけてすみませんでした」と彼は警備員に言い、「これで気がすんだ」と誰にともなく言いながら懐中電灯を返した。
 彼は券売事務所と背中合わせにロビー側にカウンターを向けたクロークに沿って歩いていき、脇ロビーのスロープを下がり、奥階段の手前の非常口から外に出た。円形の建物の外壁に沿って半地下の通路を歩き、表の券売窓口の後方に当る階段を上って路面に出ると、表正面に回った。正面入口はそのままだが、券売窓口にはベニヤ板が打ちつけてある。中央の丸い塔は縦に並んだ窓枠と、その間の壁が縦の縞模様を作っている。その両翼の四角い部分が薄茶色のタイル貼りであることにも、男は初めて気づいた。中央の塔の部分は灰色だが、開館したばかりの頃は白だったのかもしれない。昭和9年という50年前の時代にこの建物を置いてみようとしても、男は自分が生まれる6年前のその頃の風景を想像することはできなかった。
 彼は映画街の奥の方へと戻り始めた。その時、日比谷映画の脇、瓦礫の山より少し手前に、黄色い大きな四角い発電機が置いてあることに気づいた。さっきは気がつかなかったのだろうか、それとも自分が中に入っている間に運ばれてきたのだろうかと思いながら、その発電機の下の方の放熱板を見ているうちに、彼は不意にノー・リバインド方式の映写機が入った時のことを思い出した。
 それまでは二つのリールの傍らに坐ったり、映写室の長椅子に横になったりしながらも、常に気を張っていた映写技師は、スイッチさえ押せば、あとは終映まで放っておいてもよいということになったのだった。叩き上げの映写技師、電気係、そして営業係の三人でガード下で飲む時、技師と一人だけ特別な呼び方をされる映写技師は、新しい映写機が入ってから、だんだん酒の飲み方が荒れてきたのだった。
 彼はまた歩き始めた。有楽座の前を通った時、壁の向うから何かを叩き壊すような響きが聞こえた。
 花屋、喫茶店、若い女の子たちの好みそうな小物を並べた店、その先の映画街の一番奥の映画館の前には、若い男が三十人ほど並んでいる。19歳のアイドル女優の封切初日舞台挨拶があるのだ。彼女の映画は三本目だが、毎回立見が出る。今度の映画では、今までより大人びた役柄でベッドシーンもある。観客がそれにどう反応するかが一つの問題点だったが、この分なら大丈夫そうだと思いながら、長身の男は若い男たちの横を通り過ぎた。交差点の向うに見える帝国ホテルも改築され、かつては映画街の奥に煉瓦壁が立ち塞がっているように見えたが、今は旧館と新館の間の通路への入口になっている。
 男は左に曲って劇場の上にある本社の建物に入っていった。エレベーターの前で、若い男たちが並んでいた映画館の営業係が出てくるのと会った。
「出足よさそうだね」
 と彼は言った。
「この分だと、五時からの舞台挨拶までにかなり並びますよ」
 と去年入社した営業係は言い、急いで出ていった。
 彼はエレベーターを降りて自分の席のあるフロアーに戻ると、もう窓辺には立たず、若い男たちが並んでいた映画館からの申告書を手に取って開いた。

 今朝の新聞に「変わる日比谷映画街」という記事が出ていた。
 建物が壊されるたびに感傷的になどなっていられないのだ、東京で暮していたら、と思いながら、女は死装束でうなだれていたような男爵を思い出した。そして、建物に男爵なんてと苦笑した。日比谷映画で働いていた頃のことも、もう断片的にしか思い出せないのに、なんだか気になる。
 劇場案内係のアルバイトをしていたのは、七ヵ月か八ヵ月の間にすぎなかった。冬休みの頃の記憶が一番はっきりしている。昼間は大手町の自動車会社で部品カード作りのアルバイトをして、五時に退社すると、ビルの谷間の道を日比谷まで歩いていった。昼間もほとんど陽の射さないその道を、東京で一番つめたい道と名づけたのだった。道の両側には、電々ビル、東銀ビル、東京海上火災ビル、丸ビル、三菱ビル、古河ビルなどが並んでいた。イチョウの裸木の並木が寒々としている道を歩いていくと、大きな通りへ出る角のアメリカン・ファーマシーの店先の明るい電飾が前方に見えた。
 アメリカン・ファーマシーの角へは五時半頃には着いてしまう。映画館のアルバイトは六時半からなので、館内に入るには少し早過ぎる。だが彼女はそのまま道路を渡って、日比谷映画の正面入口から入っていった。映画は上映中なので、券売口に窓口係が一人、半券を切る台と客席内に一人ずつの案内係がいるだけで、あとの女子従業員は二階の控室に上っている。彼女たちは、アルバイトの案内係が、なぜ早目にアルバイト先にやってくるかを知っている。彼女は「おはようございます」と言いながら正面入口を通ると、一階の売店で餡パンと牛乳を買い、下りスロープになっている横ロビーを歩いて奥へ行き、階段を上る。そして二階横ロビーの奥の目立たない控室扉を開けて「おはようございます」と言う。
 座布団を囲んで花札をしている女子従業員のうち何人かが「おはよう」と返事をする。部屋の右手上には網ガラスの窓。その下のロッカーの前に彼女は正座する。そして花札をしている三人を見ながら、餡パンを食べる。
 何人かいた女子従業員のうち覚えているのは四人。名は覚えていない。一人は髪をいつも肩にきれいに流し、赤いマニキュアをしている甘い面立ちの美人。もう一人は、なぜか葛飾に住んでいた人だということを覚えている。あとの二人のうち一人は、背が高くて白いあやめのような楚々とした人。もう一人は髪の毛を二つに分けて結んだ、まだ中学生のような、子熊のような女の子。そのほかは思い出せない。色黒の骨っぽい体つきの人もいたような気がするが。
 餡パンを食べ牛乳を飲み終ると、アルバイト案内係はロッカーを開ける。四十センチ四方ほどのロッカーは、下三分の一のところにビニール靴が、上には緑色の制服と懐中電灯が入っている。彼女は花札をしている従業員たちに背を向けて、ブラウスを脱ぎ緑色の制服に着がえる。それはもう何年も、何人もが着用したために、布地がてろりとしている開衿に膝までの丈のプレーヤースカートのワンピースだ。初めてこの控室に来た時に、使われていないロッカーに入っていた何着かの中から、体に合うものをあてがわれたのだった。制服に着がえると彼女は踵の低い黒いビニールの、これも初日にサイズを聞かれて支給された靴を三和土に出し、自分の似たような茶色のビニール靴を入れる。そして鞄の中から教科書を取り出し、ロッカーに寄りかかって読むのだ。最初は昼間の従業員に気兼ねして、ただ黙って坐って彼女たちの花札を見ていたのだが、遠慮しながら教科書を読み始めるようになると、彼女たちも黙って部屋の隅に坐っていられるよりも、気楽に感じるらしいということがわかってきた。
 その控室には、外部からの人の出入りも結構ある。給料日のあとには必ず、生命保険の集金人と、化粧品の営業販売員の女がやってくる。畳の上にひろげた口紅やクリームを買って千円札を払うのを見て、アルバイト案内係は驚いた。彼女たちの給料は八千円くらいだと思われたから。そのほかにも洋服屋がブラウスを持ってきたりアクセサリー屋が来たりして、彼女たちは控室で給料の殆どをつかってしまうのではないかという気がした。ただ、葛飾の人だけが、殆ど金をつかわなかった。
 アルバイト案内係は六時半になると、ロッカーから懐中電灯を取り出し、教科書を持って、何人もの人が履いたために足になじまない袋のようになっているビニール靴を履いて控室扉から出る。赤い絨毯を敷いた、人影のない広い二階ロビーに、上映中の映画の会話や笑い声や音楽、ピストルの音などが洩れてくる。毎日同じ時刻にロビーを通るので、一つの映画の続映中は毎日同じ音を聞きながら、広い正面階段を下りていく。そして、半券を切る台に立っている正規従業員と並んで立つ。ぼつぼつ最終回の客が入り始める。
 最終回の前の回の終映十五分前になると、二階の控室から女子従業員が全員下りてくる。地下の事務室からは、支配人、営業係、経理係全員が上ってきて、それぞれの配置につく。券売窓口、クローク、客席扉口。営業係が一階横ロビーの送り出し扉をいっぱいに押し開けてロックする。
 後ろ正面の扉からそっと入った案内係は、ラスト・シーンの上に「FIN」あるいは「THE END」の文字が重なり、スタッフ名が現れては消えていた画面が真白になり、両方からスルスルと幕が寄ってきて真ん中で重なると同時に、扉をいっぱいに開けてロックする。横扉も同時に開かれる。早過ぎてはいけないのだ。最後のスタッフ名やマークまでしかと見るのが、この館の客なのだから。
 そして横の扉口に立った案内係は、大きな声で「ありがとうございました。出口はこちらでございます」と言い、後ろ正面扉からは最終回の客を入れるようにする。送り出し口に立った支配人と営業係は、客たちがまだ映画の雰囲気に酔ったまま、おぼつかない足取りとぼんやりした表情のままロビーを歩いてくるのを、「出口はこちらでございます」と大声で誘導し、「ありがとうございました」と送り出す。夕方まだ明るい街を歩いてきて館内に入った客たちは、とっぷりと日が暮れネオンの色が鮮やかになっている夜の街へと出ていくのだった。
 アルバイト案内係は切符受取り台にもう一人の正規案内係と立っている。そして切符を受け取っては半券を切り、指定席、一般席、前売券別に釘に刺していく。間に合わない時は、取りあえず台の内側の引出しに放り込む。二階指定席切符の客には、切符の番号を見てとっさに右か左か判断し、「こちらの階段からどうぞ」と手で示す。言われた時、なんとなく照れた表情をする客、得意そうな顔をする客、慣れているというように無視する客、少し頭を下げたり「ありがとう」と言ったりする客。
 日比谷映画には外国人の客が多い。映画街奥の帝国ホテルの宿泊客が、昼間のビジネスを終えて、夜の時間に見に来ることも少なくない。アルバイト案内係が「お二階へどうぞ」と英語で言うと、外国人は必ずにっこり笑って「サンキュー」と言う。アルバイト案内係は時々、外人客に困ったクロークや客席の案内係に呼ばれることがある。クロークで片言の英語を話す女子従業員に、「アメリカのカントリーより早くこの映画が見られる」と言ってウインクする外人客。「アメリカで見なかったアメリカ映画を日本で見たと、土産話ができる」と笑う外人客。遅れて入ってきて、指定席まで足元を照らして案内してもらった外人客が、出る時に「おかげで足を折らずにすんだ、日本の階段には私の脚はトゥー・ロングだから」と冗談まじりに礼を言ったこともある。ジョークはおおむね上品だ。
 映画が変るたびに必ず初日にやってくる若い外国人の男と日本人の女のカップルを、案内係たちは覚えてしまった。指輪を見て正式な夫婦だと判定した案内係たちは、白い毛皮のコートを着た妻の腰に手を回して大切そうに扱う夫に溜息をついた。初日に必ずやってきていたそのカップルが来なくなった時、彼女たちは話し合い、その妻は夫と一緒にアメリカに行ったのだということになったのだった。
 夜七時半、あるいは七時四十五分、あるいは七時五十五分からの最終回の本篇が始まると、切符受取り台の案内係は半券を種類別に分けて木箱に入れ、券売窓ロヘ持っていく。窓口係はそれぞれの半券と現金を数えて一覧表に書き込む。経理係は〈上り〉の入った箱と表を持って地下の事務室へ下りていく。開映から十五分過ぎると、交替の遅番一人を残して、昼間の女子従業員たちは二階の控室へ上っていった。最終回は途中で切符を買って入る人も殆どいないので、窓口も閉ざす。遅れて入る人は、切符受取り台の方へやってくる。正面入口には、遅番の一人とアルバイト案内係だけになる。
 やがて二階から女子従業員たちが下りてきて、正面入口から出ていく。葛飾の人は、いつも衿元までブラウスのボタンを留め、かっちりした仕立が幾分野暮な感じのする茶色のスーツで帰っていく。子熊は刺繍などのついた子供っぽい服。白いあやめは紺色や白のセーターやタイトスカート。誰もが、何着もない服を取っかえ引っかえ着ていた。どの女子従業員も自分と同じように家が裕福ではないのが、アルバイト案内係にはわかった。そのなかで赤いマニキュアの人だけが、バンとした毛皮のコートで出てくる。彼女はそこから今度は銀座のバーヘ出勤するのだ。
 その頃になると、地下の事務室から窓口へ電話がかかり、本日の入場人員と興行収入金額が連絡される。それを窓口係が黒板に書き込む。黒板は近隣の映画館の名と〈頭〉〈興収〉の一覧表になっている。やがて近隣の映画館から、「本日の興収、お願いいたします」と電話がかかってくる。相手はまず自分の方の入場人員と興行収入を連絡する。こちらではそれを聞いて黒板に書き入れ、「ありがとうございます」と言ってから、こちらの〈上り〉を連絡する。その電話はアルバイトの者が受けることも許されているが、窓口に坐ることと現金に触れることは、決してしてはならないのだった。
 興収連絡が終ると、二人のうちどちらかは客席の後ろ扉からそっと入って、終映近くまで映画を見ていてもよい。アルバイト案内係は切符受取り台を受け持ち、引出しの中に入れておいた教科書を開く。眼をあげて外を見ると、もうどこの映画館も最終回が始まった映画街には、人ってくる人影も殆どない。大きな通りの方を見ると、アメリカン・ファーマシーの電飾だけが輝いている。そちらへ出る道路とほぼ直角に、日比谷公園の方から入ってくるイチョウ並木の紅茶専門喫茶の店先の明りが見える。風の強い日には、アメリカン・ファーマシーの方から、あるいは日比谷公園の方から、正面入ロヘと風が走ってくる。
 激しい雨の日は、雨足が正面入口前のアプローチのコンクリートを叩き、雪の日は、映画館のイルミネーションに照らされた部分だけに見える雪片が、時折風にあおられて渦を巻いた。
 アルバイト案内係が一人で台の前に立っていた雪の日、地下の事務室から上ってきた、和服に紺色の上着を着た経理係が言ったことがあった。
「大雪の日にここに立っていたら、兵隊が列を組んで前を通っていったのよ。叛乱軍か鎮圧軍か、どっちかわからなかったわ」
「その日も、ここでは映画を上映していたんですか?」
「なんだか変だけど、そうなんでしょうねえ。だって私は見たんですもの」
「どちらからどちらへ行ったんですか?」
「よく覚えていないわ」
 二・二六事件は昭和11年であることを案内係は知っていて、もう四半世紀以上も経理係はここにいるのだと思った。
「戦争中も映画をやっていたんですか?」
 とアルバイト案内係は聞いた。
「ええ。でも『オーケストラの少女』が国家総動員法の年で」
 昭和13年だと、まだ受験勉強の知識が残っているアルバイト案内係にはすぐわかった。
「それからだんだん洋画が入ってこなくなったの。でも手持ちのフィルムを再映したりで、なんとかつないでいたのよ。それが昭和17年からは邦画封切館になってね、『海行かば』とか戦争映画ばっかり
 経理係が黙ったので、アルバイト案内係も黙った。
「終戦の翌年、戦後初めて洋画が来た時には涙が出たわ。『春の序曲』という映画でね、連日満員だった
 アルバイト案内係は話しかけられないと話さないので、支配人とも営業係とも殆ど話したことがなかったが、経理係の女の人とは時々そんな話をしたのだった。地下の事務室へは、給料をもらいに行く時しか下りたことがなかった。印鑑を持って階段を下り、経理係の机の前に立って茶色い給料袋を受け取り、指示された欄に印を捺すのだった。狭い部屋の机の上に雑然と書類が積み上げられていた。そのほかには館内に誰がいるのかも知らなかった。いや、毎日餡パンを買う売店のおばさんと、最終回になると掃除を始めるおじさんは知っていたが、口をきいたことはなかった。
 だが初めの頃は殆ど口をきかなかった正規の女子従業員たちは、遅番で二人だけになる時に話しかけてくるようになった。
「英会話ができるのね」
 と子熊は言った。
「大学行く入って、お金持ちのお嬢さんかと思ったら、働きながら行く人もいるのね。アルバイト大学生って男だけかと思ってたけど」
 子熊は控室でアルバイト案内係が畳の上に正座していると、座布団を持ってきてくれたり、お菓子を分けてくれたりするようになった。
 白いあやめのような人はこう言った。
「つき合っていた大学生がいたんだけど、三河島事故で死んだの」
 葛飾の人はこう言った。
「兄が大学に行ってるの。弟も来年行くの」
 葛飾の人は花札も一番強くて、給料日に精算する時、千円くらいは儲けていた。
 赤いマニキュアをして、毛皮のコートを着て退社する人だけは、とうとう話しかけてこなかった。彼女のロッカーの戸蓋の裏には、映画俳優のブロマイドが貼ってあった。彼女はそのブロマイドの「映画俳優のおじさん」が自慢で、「今度は何の映画に出ている」「誰それと共演した」と控室で話していたが、アルバイト案内係はその顔も名も知らなかった。「おじさん」というのは、話しぶりから血のつながったおじであるようにアルバイト案内係は感じたが、無駄遣いをしない葛飾の人は、「あの人はバーでもナンバーワンだけど、ぜんぶおじさんに貢いでしまう」のだと言っていた。
 思い出してみると案外、次から次へと思い出すものだと彼女は思った。日比谷映画劇場は日本人と同じ経験をした建物なのだ。建物も人と同じように、歴史や時代と無縁ではないのだ、という気がしてきた。
 銀座へ出たついでに、女はまた日比谷映画劇場を正面から見る位置に立った。正面入口のアプローチは、白い工事テントでさえぎられていた。しかし建物はまだそのままで、その周囲に塀をめぐらすための土台であるらしい鉄骨が組まれていた。彼女は道路を渡って正面アプローチに近づき、工事テントの内側を覗き込んだ。
 テントの蔭には丸太で櫓が組まれ、黒い鉄の歯車のようなものが幾つか組み合わされた機械が据えてあった。彼女はテントの蔭に入りその機械に近づいていった。その周りにはバケツが三個とドラムカンが二個置いてある。ドラムカンの中には油の浮いた泥水が入っている。機械は水揚げポンプかもしれないと女は思った。ドラムカンの中には鉄の棒が二本突き立てられ、その頂のところに、なぜか紫色のゴム手袋が片方差してあった。うなだれた手袋を、女は道路の方に向ってオイデオイデをする向きと形に直した。女はふと考えて、手袋がもう片方あれば祈りの形にしてもよいと、周りを探したがどこにも見当らなかった。女は正面入口を見た。扉にも券売窓口にもベニヤ板が貼られてあったが、まだ外装はそのままだ。
 彼女はテントの蔭から出て、建物の周囲を回った。左の方に回ると、送り出し扉にもベニヤ板が打ちつけられ、パーラーは白いテントで覆われている。彼女は薄茶色のタイル壁の上の窓を見上げた。女子従業員控室の窓には裸電球の明りらしいものが映っていた。しかし、しばらく見ていたが、人影が動いている様子はなかった。
 彼女は正面テントの外を回って戻り、映画街の奥へ歩いていった。日比谷映画と有楽座の間のコンクリートの空地にはトラックが一台止っていた。その近くでベニヤ板の上に坐って弁当を食べていた男が、覗き込んでいる女を見て「危ないよ」と言った。
「なかはどんなふうになっていますか?」
 と彼女は黄色いヘルメットをかぶった男に聞いた。
「メチャメチャだよ」
 と男は言った。
「メチャメチャつて、どんなふうに?」
 とさらに尋ねる女を男は不思議そうに見た。男にとっては正体の見当のつかない女が、なぜこんな工事現場に興味を持つのかわからないというような顔をした。
「私、ここで働いていたことがあるんです」
「そうか」
 と男は安心したようだ。
「なかを見せていただけませんか」
 と彼女は男に言った。男は50歳ほどに見える、角張った顔をしていた。
「事務所で許可してくれるかな。今、昼休みだからなかの仕事も休憩中だけど」
「ちょっとだけでいいんです」
「でも怪我すると事務所に連れてってやるから、自分で聞いたらどうかな」
 と言った時には男はもう立ち上って歩き出していた。
 男は黙って白いシートで覆われたパーラーの前を通り、その先の角を左に折れ、屋台店のようなラーメン屋や焼きソバ屋の並んでいる狭い路地の左側のビルに入ると階段を上った。そのビルもやがて取壊されるのか、もう人が住んだり事務所に使ったりしている気配はない。踊り場を何度か曲り、三階か四階に着くと、壁の腰板に打った釘に、ヘルメットが並べて吊ってあった。男はドアの外に女を待たせてなかに入り、少したってからドアを開けて女を呼んだ。
 広いフロアーの半分を占めている大きな机の上に地図がひろげてあった。奥には事務机が幾つか並び、数人の男がいた。男たちがいっせいに女を見た。案内した男が、その事務所の所長だという男を女に紹介した。
「お仕事中に邪魔をして申し訳ありません。昔、日比谷映画で働いていた者ですが、なかを見せていただけないでしょうか」
 律儀そうな所長は女を見て、困ったように言った。
「なかは危険ですから。足元は瓦礫の山だし、天井から何が落ちてくるかわかりませんよ」
 男たちはみな作業服を着て、安全靴のようなものを履いている。緊張して働いている場所に入りたいなどと無理に頼むべきではない、外から見るだけでいいと彼女が諦めようとした時、案内してきた男が所長に言った。
「見てもらってもいいんじゃないかね。壊し屋だって力いっぱいなのに、見てもらえるのは新しいビルの方ばかりだ」
 周囲の男たちから反対の声は出なかった。所長は考えてから、女に言った。
「ヘルメットをかぶっていってください。それから、この男が危険だと言うところへは入らないでください」
「はい、ありがとうございます。余計なご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 女が頭を下げて出ると、案内してきた男は廊下に並んでいたヘルメットの一つを取って渡した。女はその黄色いヘルメットをかぶった。男はまた一言も喋らずに同じ道を戻った。
 確かになかはメチャメチャだ、と女は思った。一階横ロビーの奥の非常口から入ると、ロビーの赤い絨毯は引き剥がされ、壁は壁紙が剥がされてコンクリートがむき出しになり、割れた壁の一部から鉄骨や針金が尖り出ている。天井もコンクリートがむき出しになり、電線などが垂れ下っている。壁際にはコンクリートの塊や何かを壊したらしい木材やガラスの破片が寄せられ山になっている。そんななかにベニヤ板を敷いて、男が一人寝ていた。
「おい、風邪をひくぞ」
 と男が声を掛けると、寝ていた男は生返事をしただけだった。クロークと券売窓口の仕切り壁は打ち抜かれていた。
 正面入口から入って客席の後ろ正面扉に向う位置に立つと、両脇から下りてくる広い階段も絨毯が取り外され、コンクリートがむき出しになっていた。なぜか天井のシャンデリアはそのまま吊り下っている。今にも落下してきそうだった。
 客席の後ろ正面扉はすでに取り外され、ぽっかりと囗を開けていた。その奥の客席は、椅子が一つもないコンクリート敷の広場になっていた。そしてそこに三台の青いトラックが止っていた。周囲の扉はすべて閉っている円形の建物の中央に、トラックが三台止っているのだった。一台のトラックの荷台には観客席のシートが重ねられて積まれてあった。もう一台の荷台には事務机。もう一台の荷台はからっぽ。
 そして客席の奥には、コンクリートがむき出しのスクリーンがあった。横に長く、弓形に湾曲している。
 そのスクリーンの背景と、高い天井のせいか、三台のトラックがひどく遠くに見えるような気がする。遠近感の狂ったかつての観客席を見ているうちに、彼女はめまいしそうになった。壁に手をつこうとすると、傍らについていた男が支えた。
「壁に触ると怪我するよ」
 と男が言った。壁からは釘の先のような突起が出ていた。
「すみません」
 女は言い、「ロビーの奥の方を見てもいいですか」と聞いた。
「今日が最後になるところだった」
 と男は言い、少し先を歩きながら、安全靴で足元の破片を寄せては進んだ。売店はなく、そのあたりにはガラスの破片が積んであった。その先の送り出し扉はそのままだ。その奥の〈お手洗い〉の標示が、そのまま壁から出た金具に掛かっているのが、なんだか日常的で周囲とそぐわない感じだ。角を曲って脇ロビーの奥を見た時、女は声をあげそうになった。二階へ上る奥階段はコンクリートがむき出しになって、上から半分のところで宙吊りになったまま途切れているのだ。たとえば人間の首が断ち切られて逆さ吊りになっているような、なまなましさを女は感じたのだった。むき出しのコンクリートの断面が、肉の断面のように見える。その下にはコンクリートの塊がちぎれた肉片のように散乱していた。
 彼女は振り返って脇ロビーを戻った。そして正面入口のところに立つと、二階ロビーへ上る両側の階段を見上げた。階段の上にいろいろなものが折り重なっているらしいのが見える。
「二階へは上らない方がいいよ。一階よりひどい」
 と男がいたわるように言った。
「はい。二階の奥に畳の部屋があったと思いますが、どうなっていますか」
「あそこも、もうメチャメチャだな」
 女は正面入口の方を振り返った。天井にはコードが渡され、ところどころに裸電球が灯っている。
「地下はどうですか」
「ああ、地下は見ておくといいよ。きれいなもんだよ」
 と男がやさしい声で言った。足音を響かせながら下りていく階段の途中にコーラの缶がころがっていた。踊り場で折れると、左手に事務室があったところ。奥の汽罐室も、もう扉はない。事務所を覗いた途端に土の匂いがした。
 八畳か十畳ほどの穴洞の中に、薄い光が斜めに流れ込んでいた。天井を見上げると、明り取りのガラスが塡め込まれていた。「さよならフェスティバル」の看板がかかっていた日、アプローチの敷石の一部に厚いガラスが塡め込まれてあったのを彼女は思い出した。光はそこから入ってくるらしい。
 眼が慣れてくると、床のコンクリートはすでに剥がされ黒い土が露出しているのが見えた。そこには墓場のような静けさがあった。彼女はこんなに静かな光を今まで見たことがなかったような気がした。それは眼を射るようなまばゆいものではなく、また光を光として感じさせるようなものでもなく、闇がどういうものであるかをおしえているような光だと感じた。彼女はしばらくそこに立ち、静かな光を見ていた。
 彼女はそこを離れ、円形劇場の地下の中心部にあたる部分に向って、かつては扉があったらしい四角い穴洞からその中を覗いた。闇のなかに何本もの太い鉄柱が見えた。そこにも湿った黒土の匂いが漂っていた。
 そしてその手前の、かつては汽罐室だったところには、黒い鉄の大罐が眠りについた巨大な生きもののようにうずくまっていた。
「ありがとうございました」
 と女は言い、階段を上った。正面入口に戻り、階段脇の柱を見た時、そこには原子力光線に灼かれた人影のように、細長い上映時間表の剝がされた跡が、周囲の濃い灰色の中に薄い灰色で浮き出ていた。そこだけに五十年前に近い色が残り、周囲は時間の光線に灼かれたのだと女は感じた。
 通用口から外の空地まで送って出た男に女が礼を言うと、男が言った。
「もう見ない方がいいよ。顔色が悪い」
「はい」
 と言い、彼女はまた礼を言って男と別れると、一人で日比谷映画劇場の正面に回り、振り返らずに高架線の方へ歩いていった。そしてさっきの解体作業事務所の階段を上っていった。女はヘルメットを壁の釘に返すと、責任者のところへ行き、頭を下げて迷惑をかけたことを詫びた。
「怪我がなくてよかった」
 と責任者が言った。
 彼女は有楽町駅の方へ歩きながら、今日はもう「メチャメチャになっている」という、女子従業員の控室にいた女たちは今はどうしているだろうと考えた。
 彼女たちが映画のことを話すのを聞いたことがなかったような気がする。彼女たちは、自分が働いていた時に上映されていた映画の内容を知っていただろうか。
 もとアルバイト案内係だった女は、自分が働いていた時にかかっていた映画の幾つかのシーンを覚えている。客の入りが途切れたころ、もう一人の従業員とどちらか一人が後ろの扉から入るので、見るシーンはいつも映画が始まってから二十分ほどたっている場面だった。そして終映二十分くらい前になると出るので、結末を知ることはできない。覚えているのは、その中間の幾つかの場面だ。
『山猫』の、クラウディア・カルディナーレたち娘が、大きなレースをみんなで編んでいる場面。
『アカプルコの海』の、高い崖の上から村の男が海へ飛び込むショーの場面。もう太り始めていたエルヴィス・プレスリーが、アロハシャツ姿で、口元にあの独得の笑いを浮かべて歌う場面。
『トム・ジョーンズの華麗な冒険』では、俳優の名は知らないがトム・ジョーンズ役の男が、ショパンとかモーツァルトのような髪型やコスチュームで、森のなかを走って女を追いかける場面。
 あとになって、たまたまその映画がテレビで放映されたり、ビデオ化されたものを見たりした時、ジグソーパズルの数片が大きな絵の中に納まって全体がわかるように、それらの場面の断片が一つの映画の中でどんな意味をもっていたのかが、鍵穴にカチリと鍵が合うように得心がいく、というようなことが何度かあった。
『テキサスの四人』は、最後の数分間にドンデン返しがあるのだが、それを彼女が知ったのは、ごく最近のことだ。カードのことなど何も知らない西部のつつましい家庭婦人が、せっぱつまって町の名士や流れ者たちと酒場でカードゲームを始める。その女の正体を、二十年後に知ったのだった。
 きっと劇場案内係だった子熊や葛飾の人や毛皮の女たちも、その後の人生のなかで、ある時「ああ、そういうことだったのね」と得心する場面が何度かあっただろう。そしてきっと彼女たちは、映画について批評などということはしないだろう。ただ、その時、あの控室のことや、正面入口に吹きつけてきた風のことや、そのころの自分の暮しのことなどを一緒に思い出したに違いない、という気がした。

 高架線の向う、巨大な新しいビルが建ち並んでいる側は、クリスマスツリーの電飾が点滅し、音楽が流れ、人々がぶつかり合いながら行き交っていたが、ガードの下をくぐった途端に人影も絶えた。長身の男は燻んだ小さなラーメン屋や喫茶店の間の道に入っていった。
 眼の先の左手に明るい色彩がある。枝を大きくひろげた白い木。犬を連れて散歩する白い人。二人連れで歩いている白い人。日比谷映画劇場を取り囲んだ黄土色の波形トタンに、白で絵が描いてあるのだった。
 白い塔は黒い鉄骨で網状に囲まれている。鉄骨に取りついた黄色いヘルメットをかぶった男が鉄を叩く音が響いている。映画館正面を回って映画街の方へ出ると、塀は有楽座まで続いている。脚立の上に乗った男が、塀に線で描かれた木やベンチや人や犬の型のなかに、白い塗料を塗っている。男は塀際から離れ、歩道から車道に出て歩いた。
 日比谷映画と有楽座の間の空地のところだけ塀がシャッターになっている。シャッターは半分上っていて、こちら側の送り出し扉をすでに取り外した館内の、観客席と思われるところから粉塵がもうもうと上っているのが、裸電球の逆光線に映って見えた。
 その一画が毎日のように変っていくのはもう日常のことなので、男がなんとなく工事の進み具合を見ながら通りすぎるのも習慣になってしまった。
 右手の東京宝塚劇場の前にファンの少女たちが群れている。長身の男は人の群や列を一眼見て、ほぼ正確にその数を把握することができる。ただしそれは映画館や劇場の前の人の群についてであって、駅の群衆や競馬場の人混みについて、いたずら半分に試してみたが正確度は落ちた。
 彼は東京宝塚劇場の向い側のみゆき座の前には誰もいないのを見た。第一回上映中なのだ。映画は男性アイドルグループのメルヘン喜劇といったところなので、ファン層は少女たちだが、東京宝塚劇場の方がクッキーの匂いがするとすれば、先日見かけたみゆき座の列の方はハンバーガーといったところだ、と男は分析した。
 みゆき座アイドル映画の若手監督も自主制作に近いところから頭角を現してきた。そしていわゆる商業映画を撮らせれば、それなりに娯楽性があって、自分のカラーを持った映画も作る。そうした若手監督が増えてきた。かつてはいわゆる芸術映画や文芸作品を撮る監督と、娯楽映画を撮る監督ははっきり分かれていたが、最近はどちらも撮る、それも楽しんでしまうような若い監督が出てきていることが面白い。何かが変りつつあるという気がするのだ。それが大きな映画会社にとってどうかはまだわからないが。
 男が角を曲って本社ビルに戻り、エレベーターから降りて自分の席に戻ると、童顔のプロデューサーが待っていた。彼はみゆき座の方で上映中のアイドル映画にも一枚嚙んでいる。アイドルグループの所属プロダクションとテレビ局と彼のプロダクションの提携作品だった。
「予想よりいま一息というところかな」
 と長身の男が言うと、プロデューサーが言った。
「冬休みに入ると伸びると思うんですよ。ところで、先日のあれですが」
 とプロデューサーは空いている隣の椅子を引き寄せて、男の横に坐った。
「『ウホッホ探険隊』ですが、三人の若手に原作を見せましてね、AとBが乗り気なんですよ。ただAは間もなく撮影に入りますから来年はちょっと無理かと思いますが。二十世紀テレビも乗り入れそうな雰囲気ですから、一つ考えてみてください」
「まだ捨ててなかったの。Xプロの方は脚本まで作って原作者に見せたけど、OK取れなかったそうだね。彼も熱心だったが」
 Xプロで『ウホッホ探険隊』を進めたがっていた監督は、撮影所で助監督からつとめてきた男だ。撮影所育ちで、自分の映画をいつかは撮りたいと思いながら、果たせない男も多いことを彼は知っている。彼の机の上には、そうした日の目を見ない企画書が山積していた。
「今日はこれから原作者に会うんですよ。よろしくお願いします。それでは今日はこれで」
 と童顔のプロデューサーはあっさりと切り上げ、フロアーの一同に挨拶しながら出ていった。
 監督のABC三人については、それぞれ評価が高まりつつある。特にAが目覚ましい。Aはおそらく今期の監督賞をとるだろう。それはプラスアルファの要素だ。しかし、まだ自分なりの決定を下して会議にかけるだけの確信は男にはなかった。
 一ヵ月後、長身の男のいる本社から、眼下に見える日比谷映画劇場の塔は、巨大な鉄の玉によって打ち砕かれた。女子社員が悲鳴とも嘆声ともつかない声をあげる後ろで、男は見ていた。鉄の玉がぶつかるたびに、塔からはもうもうと粉塵が噴きあがり、それがアメリカン・ファーマシーの方から吹きつけてくる風に乗ってこちらに流れてきて、窓ガラスがうっすらと曇った。この日の工事を知って、かつて日比谷映画に勤務していた者はもちろん、本社の殆ど全員が窓際に立ってその光景を見た。映画好きの人間で日比谷映画街に思い出のない者、取壊されることに痛みを感じない者などいないのだ。だがこれも仕方のないことだ、と思いながら男はその光景を見ていた。
 巨大なクレーンの先から吊り下った黒い鉄の玉が何度か打ちつけられた時、塔がぐらりと揺れた。

 クレーンからロープで吊り下げられた巨大な黒い鉄の玉が、日比谷映画劇場の脇腹を音を立てて打った。壁が音を立てて崩れ落ち、埃が舞いあがった。玉が打ち当るたびに、見ている元アルバイト案内係の女は自分が打たれているように痛みを感じたが、男爵はまだ倒れはしなかった。
 何度も黒い玉が打ちつけられ、日比谷映画劇場は次第にボロボロになりつつあった。だが彼は、精いっぱい抵抗するように体を支えている、闘っている、と彼女は思った。
 白い土埃が狼火のろしのように、高架線の上の青空に向って流れていった。
 死装束でうなだれていたのが嘘のように男爵は力強く足を踏みしめている。みごとなラスト・シーンだと彼女はその姿を見ていた。
 数日後、日比谷映画劇場の塔はひしゃげた鉄骨を哂して歪みながら、まだ立って抵抗していた。その鉄骨に取りついて、何というのだろう電気ノコギリのようなもので切りつけている男がいた。青い火花が散っていた。男爵と切りつける男とは、まるで、互いに精いっぱい闘うのが礼儀だというように頑張っているように、彼女には見えた。
「取壊す方だって一生懸命なのだ」
 と言った男かもしれないと、元アルバイト案内係は思った。まるで日比谷映画劇場と切りつけている男が、協力して何かをしているようなその風景は、一種の建設作業であるような奇妙な感じがした。
『ウホッホ探険隊』が映画化されて、そのあとに建設されるという映画館で上映される風景を、彼女はその風景に重ねて夢見た。
 約1年後、彼女は愕然として見下ろした。
 日比谷映画と有楽座のあった土地は、塀のところから見ると、平地のように見える。そこに板が張り渡されていると見えたのだった。ところが敷地の中に渡した板の下は、何十メートルかと思われる四角い窪地になっていて、何重にも鉄骨が縦横に組み渡されているのだった。
「こんなに深く、どのようにして掘るのですか?」
 と彼女は工事現場に入れてくれた作業員に聞いた。
「まず地下一階部分を掘り下げて、そこに鉄骨を組みます。それを基礎にして、地下二階部分を掘り下げるのです」
 それでは、建設というのは地を削って破壊していくことと同じなのか。破壊の時に建設しているように見えたのも正しいのかもしれないと彼女は思った。
「この巨大な穴、美しいですね」
 と彼女は言った。作業員は何も言わない。東京の地下にはこんな穴が沢山あるのだとすれば、東京の地面はコルクだ。日比谷映画劇場だけではなく、東京の建物はすべて、いつ崩れても不思議はないのだと、彼女は奇妙に明るい気持になった。
 眼を上げると、日比谷映画劇場がなくなったために、高架線やその下の建物の裏側が見える。高架線の向うの銀色のビルも見える。銀色のビルに、こちら側のビルが映っていた。
 彼女は日比谷映画劇場の正面だった角を曲り、パーラーのあったところを通って、有楽町の方へ去っていった。日比谷映画のアルバイト案内係だった彼女には今も、明るいパーラーの中で恋人と向い合っていた、赤と白の縞のワンピースを着た若い女優の笑い顔が見える。
「『ウホッホ探険隊』のお母さん役が決まりました」と、童顔のプロデューサーが原作者の彼女に告げた名は、その女優だった。

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