もくじ

口絵

かなりや軒

下駄分隊

道修町

スラバヤの太鼓

花咲く港

今日を限りの

がめつい奴

放浪記

丼池

東京の風

五条木屋町

毒薬

鐘の嗚る丘(隆太の巻より)


菊田一夫(きくたかずお)

1908年 神奈川県横浜市に生まれる
日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。

菊田一夫(きくたかずお)

1931年 神奈川県横浜市に生まれる
日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。

菊田一夫戯曲選集

菊田一夫

かなりや軒


一幕

昭和八年七月
ムーラン・ルージュ上演

(人物)
惣兵衛 (かなりや軒の主人)
おとく (おかみさん)
お銀 (娘)
仙吉 (円タクの運転手)
おしな (帰って来た女)
敬三 (その内縁の夫)
客五、六人

(場所)
隅田川に沿った町のある小さなミルクホール

舞台 かなりや軒の一戸建(三方かざり)そのA面をかなりや軒の裏側から見たる外観、そのB面を店——、そのC面を台所兼家族達の居間とする。

そして此の三方かざりを総括したるかなりや軒の建物をつゝむ、そのあたりの家、及び隅田川の景を、外飾りとして此の舞台装置は構成される。

A面、外観は——板壁の中央正面に窓(ガラス戸がしまっている)その上に二階の窓、物干用の小さなてすりと、雨除けがついている。雨戸がしまっている。


幕があく。

朝である、薄暗い朝靄に包まれた空気——。

工場の汽笛が鳴る。

舞台は次第に明るくなる。

やがて隅田川の向う側の町からやって来た朝の日ざしが、かなりや軒の二階の雨戸をオレンジ色に染めて、一日の始まりを知らせる。

二階の雨戸が内側から開かれる。

中からお銀ちゃんのまぶしそうな顔がのぞく、お銀ちゃん、手にはかなりやの鳥篭をぶらさげている。かなりやの啼声——。


お銀 かなりやが啼いてるわかなりやちゃん、あんたお腹すいたの?待ってらっしゃいね、すぐに朝御飯こしらえて上げるからね、一寸待ってるのよ。


と、かなりやの籠を雨除けの釘にかける。

そして一旦、姿をかくし、今度は九官鳥の篭をぶら下げて姿を現わす。

九官鳥の啼声——。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


お銀 あんたもお腹すいたの? 待ってらっしゃいね。お前は後よ、かなりやちゃんが済んでからね。


九官鳥の啼声——。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


お銀 駄目! そんなに催促しちゃあ、九官鳥は厚かましいから嫌いさ。待ってるのよ、大人しく。


と、お銀は餌鉢で餌をする。

かなりやの啼声——。

階下の方の窓ガラスが内からあけられる——。

お銀の母おとくさんが上を見上げてのぞく。


おとく お銀、お銀。

お銀 なあに。(と、下を覗く)

おとく 父さん起きたかい。

お銀 まだ、ぐうぐう寝てるわよ。

おとく 起こしておくれよ、お店を開けなきゃ、折角お客が来ても帰っちゃうじゃないか。

お銀 私、かなりやちゃんと九官鳥のエサを慥えるのよ。それにお父さん、私が起こしたって起きないのよ、お母さん起こしてよ。

おとく 仕様がないね、本当に父さんは(と、ガラス戸をしめる)


お銀、餌をすりつゞける。

やがて二階へ登って来たおとくの姿が二階の窓の中に見られる。おとくが惣兵衛を起こす後姿。


おとく お前さん、お前さん。

惣兵衛(声だけ)う、う、う、うーん。

おとく 起きなさいよ、もう何時だと思ってるんだよ、起きなさいってば、そんなに寝ると眼玉がとろけて流れちゃうよ。

惣兵衛(声だけ)何を言ってやがんでえ、この位で眼玉がとろけたら、おれの眼玉なんかいくらあったって足りやしねえや。

おとく 何んだって?起きないのかい。起きなきゃ起きないように考えがあるよ。

惣兵衛(声だけ)起きる、起きるよ起きるよッ(姿現わす)起きるってば


と、窓に腰かける。

九官鳥の啼声——。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


惣兵衛 馬鹿野郎、煩せえやい。

おとく 何んだって?

惣兵衛 九官鳥に怒ってるんだよ、お前に言ったんじゃないよ、だからいいじゃないか実際この九官鳥と来たひにゃ実際ろくな事を覚えやがらねえ。九官鳥なんてものは「今日は」とか「お早よう」とかって言葉を真先に覚えるもんだ。それだのに「お父ちゃん叱られた」だなんて、何んて事をぬかしゃがるんでえ、お銀だろう、こんな事を教えたのは。

お銀 知らないわよ私、九官鳥がひとりでに覚えたのよ、ねえお母さん。

おとく そうだよ、お銀でなくったって、九官鳥だってかなりやだって、お前さんのだらしないのはよく知ってるよ。

惣兵衛 本当か?(と九官鳥の篭をのぞく)

おとく 馬鹿だね、九官鳥に向ってきく奴があるかい。


九官鳥の啼声——。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


お銀 もういいの! 駄目、そんな事言っちゃ。

惣兵衛 実際、女房の野郎がおれを尊敬しねえから、鳥迄がおれをなめてやがる。

おとく いいからさ、お前さんは早く店を開けて、顔を洗っといでよ、おつけがさめちゃうじゃないか。

惣兵衛 洗って来るよ。(去る)

おとく 本当に、お父さんも、もう少ししっかりしてくれなきゃあねえ。

お銀 あれでいいのよ、世の中には随分悪いお父さんだっているんですもの。家のお父さんみたいにいいお父さんはないと思うわ、いい人だというだけで沢山よ。

おとく そりゃそうだけど、今はお店の方だってどうにか三人が食べて行かれるという程度だろう。私ゃせめてお前にお聟さんを貰う時の支度だけでもしたいと思ってさあ。

お銀 あらそんな事いいわ。このままで来る人が無かったら、お聟さんなんか欲しかないわ。

おとく そりゃ口ではそういうけどね、なかなかそうはいかないもんだよ。

お銀 そうかしら

惣兵衛(階下で声だけ)おとく、おとく。

おとく 何さ、お前さん。

惣兵衛(同)店にお客さんが来てるぜ。

おとく お前さん出とくれよ、近くにいるんじゃないか、何してるの、お前さんは

惣兵衛(同)おれか、おれゃ飯食ってるんだよ。

おとく まあ仕様がないね、あの人、顔も洗わずに御飯食べてるよ。(と去る)

お銀 (餌をかなりやと九官鳥の篭に入れてやる)かなりやちゃんも九官鳥も御飯食べてしまったら、私と一緒に今日もお店にお客様がいっぱい来ますようにっておいのりするのよ、ね、おいのりするのよ。


かなりやの啼声——


舞台半廻しとなり—B面となる。

店の間——下手に街路に面したガラス戸の相当間口の広い出入口。(その外側にはかなりや軒と書いた白いのれんがかけられてある)出入口の向うには隅田川及び、その河向うの町がぼんやりと見える。

その出入口のやゝ上手、正面向きに、奥へ通ずる出入口。(カーテンがさがっている)

その上手にコーヒー沸し、ソーダ水注入器などを飾りつけた台、台の片隅には旧式な金銭登録器——。店は土間になっていて、テーブル、椅子などが程よくおいてある。

そのテーブルに向った椅子の一つにおしなが掛けている。その前におとくが掛けている。


おとく 家の人がお客さんだって言うからさ、出て来たらおしなちゃんじゃないか、びっくりしちゃったよ、たよりがちっともなかったからね、どうしたのかと思って、家でも始終噂してたんだけど

おしな すみませんおかみさん皆様は?

おとく お蔭様でね、皆丈夫なのさ、それでおしなちゃん、今は?何処にいるの。

おしな 遊んでるんです。

おとく 遊んで? 銀座の方の店は?

おしな とっくに止しちゃったんです。そして方々の店を廻ったんですけど、一寸した事情があるため落ちつけなくて

おとく だってそれじゃ困るだろう。

おしな ええそれでね(ためらいながら)あのお願いに来たんですけれど、お店、今誰かいます?

おとく ううん、あれっきり誰もおかずに、お銀も店へ出て働くようにして親子だけでやってるんだけど、でもうちなんかじゃ、あんたも知ってる通り、カフェーと違ってお金にならないからねえ。

おしな でもいいんですわ、我慢するわ。

おとく そりゃあ有難いけど、直ぐに又厭になっちゃうよ。

おしな 今度は大丈夫よ、私カフェーからカフェーをまわって働いてる内に何処で働くのも同じだということが判ったんですもの、今度は心を入れかえて働くから大丈夫ですわ。

おとく 大丈夫かねえ、じゃとにかく家の人に聞いて見るからね、お前さん、お前さん。

惣兵衛(奥座敷で——声だけ)何んだよ。

おとく 一寸、店へ来とくれよ。

惣兵衛(同)飯食ってるんだよ。

おとく あら、まだすまないのかい、随分長い飯だね、おしなちゃんがきてるんだよ。

惣兵衛(同)誰?

おとく おしなちゃんだよ、家にいたさあ、それでねえ、家でもういっぺん働きたいっていうんだけどね一寸来とくれよ。

おしな すみませんわね、御飯中でしたの。

おとく いいんだよ、こんな事でもなけりゃ飯をやめないんだから。


惣兵衛が正面出入口奥から出て来る。


惣兵衛 おう、おしなちゃんかい、どうしたね。

おしな 御無沙汰しました。

惣兵衛 お客様だと思ったものだから、おとくに出てくれって言ったんだけど、おしなちゃんなら俺一人で出て来てしんみりと逢うんだったよ。

おとく 馬鹿だねお前さん。

惣兵衛 儲かるかねおしなちゃん。

おしな ちっとも儲かりませんわ。

惣兵衛 そうだろうね。

おとく お前さん! 儲かりませんわといったのに、そうだろうねえって挨拶する人がある?

惣兵衛 相手がおしなちゃんだからいいよ。

おとく 相手がおしなちゃんだからじゃないよ、お前さんは誰にだってそうなんだから、少しは考えて物をいいなさいよ。

おしな 相変らずなんですのね。

おとく 本当に仕様がないんだよ、所でお前さん、どう今の話

惣兵衛 いいだろう。(と、言いながら煙管を出して煙草をのむ)

おとく そりゃおしなちゃんがいてくれるとね、随分お客様の数がちがうからねじゃあ、おしなちゃんに何処かいい所が見つかるまでいてもらう事にしようか。

惣兵衛 そうしろよ、それがいいよ。

おしな まあ、おいて下さいます? すみません、何時も我儘ばかり言って。

おとく いいんだよ、そんなことじゃお前さん、そうしようよ、ね。

惣兵衛 それがいいよ。いいことはいいが、おとくおしなちゃんが来て口が殖えたからって、俺に、飯を加減しろなんて言っちゃ厭だぜ。

おとく 馬鹿だね、そんな事いやしないよ。

惣兵衛 お前時々いうじゃねえか。

おとく およしってば見っともないじゃあね、奥へ行ってその着物着換えておいでよ、お銀のが何かあるだろう、その着物のままじゃ汚れるよ。

おしな ええ、私、自分勝手においてもらう事にきめて着換えの着物も持って来ましたの。

おとく そうかい、馬鹿に手廻しがいいんだねお銀、お銀。

お銀(奥で、声だけ)なあに。

おとく 一寸。

お銀(同)はい。(と、奥から出て来る)何か用?

おとく おしなちゃんが来たんだよ。

お銀 えッ、おしなちゃん!

おしな お銀ちゃん。

お銀・おしな まあ


と、二人はすがり合う。


おしな お銀ちゃん、しばらくの間に随分大きくなったわ、そして綺麗になったわ。

お銀 あーら、おしなちゃんこそ。

おしな 本当にきれいになったわ、お聟さんはまだ。

お銀 いやだわあ、私お聟さんなんか貰わないわ。

おしな まだ小さい時と同じことを言ってるのね、可愛いわ。

おとく お銀、おしなちゃんにね、前みたいに店で働いて貰うことになったんだけど

お銀 まあ嬉しいわ、二人で働けるんだといいわね、お父さんと二人でお店へ出てるととてもつまんないのよ、父さんちっとも話相手にならないんですもの、私の言うことちっとも判らないのよ。

惣兵衛 何を言ってやがんでえ、人聞きの悪い事言うねえ。

おとく お前も賛成なら尚の事いい。じゃ、おしなちゃんが着物着換えたいといってるから、一しょに奥へ行って手伝っておやり。

おしな いえ、私、勝手知ってますから一人で着換えますわ。

おとく そうかいそれじゃお銀、御飯食べておしまい、お母さんも一しょに食べるから

お銀 店番は?

おとく 店番はお父さんにしてもらえばいいじゃないか。

惣兵衛 (慌てて)おれゃまだ飯食うんだぜ。

おとく まだ食べるのかい。

惣兵衛 だって、さっきは中途で切れたんじゃないか、食べ直しだよ。

おとく まあ呆れたよ、この人は

惣兵衛 そう呆れるない、だからさっき念を押したんじゃないか。

お銀 いいわ店番は私してるから

おとく それじゃ直ぐにお母さんが代るからね

お銀 ええ

おとく じゃ、おしなちゃん。


と、おとく、おしな奥に入る。


惣兵衛 お銀ちゃんと店番してるんだぞ、居ねむりなんかするんじゃないぞ。

お銀 居ねむりはお父さんじゃないのさ。

惣兵衛 何を言ってやんでえ。


と、惣兵衛も奥へ入る。

お銀はテーブルの上の皿をおき直したり、テーブルの位置を替えたりして、やがて立て込んで来る客への準備をする。

自動車のラッパの音——。

ギヤーをかけて停止する音——。

円タクの運転手仙吉が下手から出る。


仙吉(つくり声で)御免下さい。

お銀 あ、いらっしゃいませあら仙吉さんじゃないの、厭ッ、おどかしちゃ。

仙吉 御免よ、あまり夢中になって片づけてるからさ。

お銀 だって自動車がとまったからきっと仙吉さんだと思って、わざと知らない顔したのよそうしたらまるで違う声で御免なさいって言うんですもの

仙吉 おどろいた?

お銀 いやな仙吉さんよ

仙吉 御免ね、御免よ。

お銀(機嫌を直して)今日は忙がしい?

仙吉 普通だな。

お銀 今日もミルクとトースト?

仙吉 うん。

お銀 仙吉さん、ミルク好きねえ。

仙吉 だって、お銀ちゃんの顔の色と同じだからさ。

お銀 馬鹿ね一寸通してくるわね(と、奥のカーテンの所へ行く)お母さんトーストとミルク頼むわ。

おとく(奥で、声だけ)今御飯なんだよ。

お銀 お父さんは?

惣兵衛(奥で、声だけ)今御飯だよ。

お銀 まだ食べてるの、お客様なのよ早くしてよ。

惣兵衛(声だけ)客か待たしとけ。

お銀 まあ(と、テーブルへ戻って来る)

仙吉 君んちのお父さんもお母さんも暢気でいいね。

お銀 暢気すぎて困るのよ。

仙吉 お銀ちゃん一人で働いてるんだろう。

お銀 そうでもないわ、忙がしくなると親子総出よ。

仙吉 そう、でも僕が来る時は何時もお銀ちゃん一人じゃないか。

お銀 だって(恥じらいながら)なるべく、私、私一人でいるようにしているんですもの。

仙吉 有難う、お銀ちゃん実はね僕もね、お銀ちゃん一人の時を見はからってやって来るんだよ。

お銀 そうお。

仙吉 街を流しながら客を拾っても、正午近くになるとね、此処の反対の方面に行けという奴には、とても高くふっかけてやるんだよ。

お銀 駄目よ、そんな事しちゃ、商売は大事よ

仙吉 だって、人の気も知らずにさ、平気な顔をして高田の馬場だなんて此処と反対の方へ行かせようとしやがるからさ。だから、そういう奴乗っけた時にはわざと石ころの上や、凸凹の所を走るんだよ。すると客の奴ね、車の中で天井に頭をぶっつけたりなんかして、この車随分ゆれるねえだってさ、ハハハハ。

お銀 あたしもよ、仙吉さん来てるでしょう。そんな時にくるお客とってもしゃくにさわるのよ。だから、わざとコーヒーの中に砂糖入れずに持ってゆくのよ、すると随分にがそうな顔して飲んでるわ。

仙吉 そうかい、面白いなあ、お客ってばね、今朝君んちが開いて間もない時分、此処へお客様を一人運んだんだぜ。

お銀 店開けてすぐ?

仙吉 うん、女のお客様さ。

お銀 あ、あれ、家の人よ。

仙吉 家の人? 親類かい?

お銀 ううん、元、家にいた人なの、他処へ行ってたんだけど、今日から家で働くんだって

仙吉 そういえば女給みたいな装で、随分男なれのした口のきき方だったけど、君んちにずっといるの?

お銀 あの人、きれいでしょう、だから、あの人がずっといると、店が又はやるようになるわよ。

仙吉 それ程、きれいでもないよ。

お銀 あら、きれいよ。

仙吉 そうかな。


おしながじみな着物と着換え、ミルクとトーストを盆にのせて運んで出る。


おしな お待遠様、ミルクとトーストこちら?

お銀 あら、おしなちゃん、もう着物着かえたの。

おしな ええ、早いでしょう。(と、テーブルの上へ運んで来たものを並べる)

お銀 早いわねこの人知ってる?

おしな この人?

仙吉 今朝程は(と立上って堅くるしくお辞儀をする)

おしな あら、今朝の運ちゃんね。

お銀 まあ、運ちゃんだなんてひどいわ。

おしな 御免なさい。

お銀 今ね、おしなちゃんを此処へつれて来た事を、お客様連れて来てやったんだってこの人自慢してる所なのよ。

おしな お客様でなくてがっかりしたでしょう、ホホホホ。


小僧さん風の客A、Bが入って来る。そして下手よりのテーブルにつく。


お銀・おしな いらっしゃいませ。

おしな(そのテーブルへ行く)何にいたしましょう。

客A 紅茶とトースト。

客B ライスカレー。

おしな はい、かしこまりました。(お銀の傍に来て)お銀ちゃん、おかみさんがね、今の間に御飯食べておしまいなさいって

お銀 あたし、まだいいわ。

おしな でも、たてこんでくると食べられなくなるわよ。

お銀 そうね。

おしな 食べておしまいなさいよ。(と、言いすてゝ奥のカーテンの所へ行く)紅茶とトースト、ライスカレー一ちょう。

お銀 仙吉さん、まだいるでしょう。

仙吉 もう、一寸いらあ。

お銀 直ぐにすませてくるわね待っててね。

仙吉 うん。


お銀、奥に入る。

おしな、仙吉のテーブルへ来る。


おしな ねえ、運転手さん、あんた毎日、此処へ来るお客様?

仙吉 うん、毎日来るよ。

おしな 私、ずっと此店で働くのよ、どうかよろしく。

仙吉 いや、僕こそ。

おしな 僕こそだなんて随分堅そうな人ね。


と、てれて赤くなった仙吉の顔をまじまじと見つめる——私がつき合った男の中にはこんなにウブな男はいなかった——と心の中で思う。


おしな 朝は御免なさいね、私あんたが此処のお客様だってことを知らなかったのよ。だから、いろんな事べらべらしゃべっちゃって

仙吉 いえ、面白かったですよ。

おしな そうお、だってね、私が前にいた時には、あんたみたいな可愛いお客様来なかったのよ、あんたみたいな人が来るんだったら、私、この店で働いてても張り合いがあるわ。

仙吉(てれて)うまいこと言ってらあ。

おしな あら、ほんとよ。


仙吉は言葉のつぎほに困って唯機械的にミルクをすする。


惣兵衛(カーテンからのぞく)紅茶とトースト、ライスカレー上ったよ。

おしな はい(と、言って客A、Bの所へ運ぶ)お待遠様——(仙吉のテーブルへ来て)あんた毎日おひるじゃないと来ないの。

仙吉 夜は忙がしくて、滅多に来られないんだよ。

おしな 今日からは、夜もいらっしゃいよ。

仙吉 来られたら来るよ。

おしな 来られたらじゃなくてさ、今夜来る?(と、おっかぶせるように)

仙吉(へどもどしながらそして何かしら引ずられるような力を感じながら)大てい来ます。

おしな そう、じゃあ、待ってるわね、必らず来るのよ。

仙吉 うん


おしな、じっと仙吉の顔をみる。

仙吉は眼のやり場に困ったようにもじ〳〵としている。


仙吉(立ち上る)ぢゃ今夜廻って来る間の時間だけ稼がなくちゃならないから。

おしな もう行くの。

仙吉 ああ。(と、墓口の中から五円札を出す)おつりくれないかこれで

おしな あら、おつり? こまかいのないかも判らないわ、私、立替えといたげるからいいわ。

仙吉 でも

おしな いいんだったら、しまっときなさいよ。(と、仙吉の手を握って押しかえす)

仙吉(気弱く)じゃ、晩に返さあ。

おしな ええ、いらっしゃいね、きっとよ。

仙吉 左様なら。


と、仙吉は出て行く。

自動車の出てゆく音。

お銀が奥から出て来る。


お銀 あら、仙吉さんは

おしな 仙吉さんて?

お銀 そこにいた人。

おしな 今の運ちゃん? 帰ったわよ。

お銀(がっかりして)帰ったの。

おしな あの人仙吉さんていうの?お銀ちゃん、あの人好き?

お銀 ううん。(恥かしそうに首をふる)


青年団員風の客C、Dが来る。そして仙吉の坐っていたテーブルにつく。


おしな いらっしゃいまし。

客C ライスカレー。

客D コーヒーにトースト。

おしな(奥へ向って)はい、ライスカレーにコーヒーにトースト一ちょう。(と、大きな声)

客A 勘定だ。

おしな(客A、Bのテーブルへ行く)はい、有難うございます。


この時、お銀一人を残して舞台全体が暗くなる。


お銀 仙吉さん仙吉さん何時も黙って帰ったりなんかしないのに、何故帰っちゃったのかしら(と、つぶやく)


照明そのまゝで舞台はC面へ向って廻ってゆく。

C面の舞台。

上手に、B舞台下手出入口の外側となるガラス戸と白いのれん。

その下手に台所兼、かなりや軒の調理場(土間)。その下手に奥座敷へ行く二重。二重の下手に障子。中央には店の間へ行くカーテンの出入口。調理場には小さい台の上にガスと七輪、パンを焼く旧式の大きいテンピなどが乗せてある。

その横にコーヒー茶碗、コップ、シロップなどを乗せた棚。

夜——

調理場の中は明るく、外は暗い。上手ののれんの後からは店の間の灯りが浅れて見える。

惣兵衛が牛乳の瓶をあけて牛乳沸しの中へ移している。

おとくが店の方から入って来る。

紅茶の茶碗を持っている。


おとく お前さん、何んだいこりゃ

惣兵衛 紅茶だよ。

おとく 紅茶というものは、お湯みたいに透き通ってるものかい。

惣兵衛 紅茶は紅いものだよ、決まってるじゃねえか。

おとく 決まってる? じゃたしかに紅いんだね。

惣兵衛 紅いから紅茶じゃねえか。

おとく そんならこれを御覧。何だいこりゃ

惣兵衛 あれえ、お湯の薬鑵と紅茶の薬鑵と間ちがえてついだんだよ。


と、牛乳沸しを下ろし、コップに牛乳を注ぐ。


おとく 馬鹿野郎、はっきりしとくれよ、お店は忙がしいんだよ何してるのさ。ミルクのコップに指をつっ込んで

惣兵衛 へまをやると又お前に怒られるからさ、味を見てるんだよ。

おとく 汚ないね、早くこっちへお出し。

惣兵衛 あいよ。(と、渡す)

おとく(店へ行くカーテンの横の窓口から)おしなちゃん、ミルク上ったよ。

おしな(店の方で声だけ)はーい。

おとく(惣兵衛の傍へ来て)だけど、お前さん、お銀どうしたんだろう。お昼すぎから、馬鹿に変な顔してるよ。

惣兵衛 変な顔って、どんな顔だい。

おとく どんな顔ってさァ、判らないかねお前さん、泣きそうな顔をして、お客様が来ても、何時もみたいに嬉しそうに出て行かないんだよ。

惣兵衛 病気じゃねえのかい。

おとく そうでもないらしいんだよ、年頃だからね。

惣兵衛 ヒステリーか。

おとく 違うよ。

惣兵衛 ああ、ヒステリーはお前か。

おとく 殴るよ、本当に今晚でもお店終ったら聞いてやろうよ。

惣兵衛 そうしなよ。

おとく ああ、二階の窓のカナリヤと九官鳥、しまったかい。

惣兵衛 しまったよ、しまって店の帳場の上につるしておいたよ。

おとく 忘れると、夜は寒くて、殺しちゃうからね、それにお銀が殊に大切にしてるんだしねえ本当にお銀どうしたんだろう。

惣兵衛 心配する程の事もねえやな。

おとく そうかねえ


お銀が店へゆくカーテンから駆け込んで来る。


お銀 お母さん、大変よ。

おとく あ、びっくりした、どうしたんだよ。

お銀 お店に変な人が来て、おしなちゃんにからんでるのよ、おしなちゃん困ってるのよ。

惣兵衛 変な人って、どんな奴だい。

おとく どんな人だい。

お銀 ならず者みたいなの。

おとく 仕様がないね、お前さん、一寸行っておくれよ。

惣兵衛 よしッ、俺がつまみ出してやろう。

おとく お客様が大勢いるんだから、あまり手荒な事するんじゃないよ。

惣兵衛 客が居ようがいまいがかまいやしねえ、叩き出してやるんだ(と、行きかけて後へ戻る)だけどお銀、俺があぶなくなったら交番へかけつけるんだぞ、お父さんが殺されそうですっていいか。

おとく そんな事頼む位なら余り威張って行くんじゃないよ、大人しくなだめるんだよ。

惣兵衛 よしッ。(と、肩をそびやかして店の方へ行く)

おとく えらそうな事いって怪我しなきゃいいが前から知ってそうな人なのかい。

お銀 どうもそうらしいの、かなり深い関係の人らしいのよ。

おとく おしなちゃんもいいけど、時々こういう事があるんでね


惣兵衛がぼんやりと出て来る。


おとく おや、お父さんどうしたんだい。

惣兵衛(ぼんやりと)どうもしないよ。

おとく 馬鹿に早いじゃないか、もう外へ追い出したんかい。

惣兵衛(ぼんやりと)まだだよ。

おとく(じれったそうに)じゃ何故、逆もどりして来たんだよ。

惣兵衛(ぼんやりと)だってさ、お前なんかの出る幕じゃねえ、引込んでろっていうからさ。

おとく 馬鹿。

惣兵衛 どうもすみません。


舞台B面へ向って半廻しとなる。

店の間。

上手よりのテーブルにおしなとおしなの内縁の夫である敬三がかけている。

下手、中央のテーブルには客E、F、Gがいる。


おしな だからさ、今日はこのまま帰っておくれったらさ。

敬三 駄目だよ、金を出すか、俺と一緒に帰るかどっちかにしろよ。

おしな だから、お金は今日ないからといってるじゃないか。

敬三 此処の主人に借りりゃいいじゃないか。

おしな こんな小さなミルクホールに金があるものか。

敬三 その金のねえミルクホールなんかに何んだって住みこむんだよ、お前は俺から逃げるつもりだろうが、そうはいかねえんだぜ。

おしな きっとこしらえるよ、きっとこしらえるから帰っておくれよ私、この家の人のいい旦那や、おかみさんや娘さんを驚かしたくないんだよ。

敬三 驚かしたくないんなら尚更早く出しゃいいじゃないか。

おしな 何度言えば解るの勝手におしよ。

敬三 勝手にするさ、勝手にして明日の朝まででもねばっててやるぜ。

客EF(さゝやき交わして立上る)おい、勘定おいたぜ。(と、出て行く)

おしな はい、有難うございます。(と、そのテーブルへ行き、金を持って奥のカーテンの所へ行く)おかみさん、お会計です。

おとく あいよ。(と、出る。金銭登録器へ金を入れてから小声で)おしなちゃん、まだ帰りそうもないのかい。

おしな 御免なさいね、おかみさん。

おとく いや、いいんだけどさ、交番に走らせようか。

おしな いえいいんです、私、私帰しますわ。

客G おいいくら。

おとく はい、十五銭いただきます。

客G 金をおいて去る。

お銀(おとく達の傍へ来て、小声で)おしなちゃん、大丈夫。

おしな 有難う、お銀ちゃん、大丈夫よ、あんなの、ちっとも怖くなんかありゃしない。(と、敬三の傍へ行って不貞くされたように坐る)

お銀 大丈夫かしら。

おとく おしなって子は気が強いね。


自動車の停る音。

仙吉が入って来る。そして下手の椅子にかける。


おとく おや仙吉さんが来たよ、仙吉さんが夜来るなんて珍しいじゃないか。

お銀 えッ仙吉さんが、あらッ、昼間黙って帰ったんで、きっと謝りに来たのよ。(仙吉のテーブルへ行く)いらっしゃい。

おとく まああの娘は(と、のび上ってお銀達の方をみる)


同時に舞台、おとくのいる所だけを残して暗くなる。


おとく(奥へ向って)お前さん、お前さん。

惣兵衛(奥の方で声だけ)何んだい。

おとく ちょっと、ここへ来て店の方をのぞいてごらんよ。

惣兵衛(同)それ所じゃないよ、今ホットケーキがこげついて大変なんだよ。

おとく どの位こげたのさあ。

惣兵衛(同)一寸だよ。

おとく 一寸ならいいじゃないか。

惣兵衛(同)ううん、たべられる所が一寸しかないんだよ。

おとく 仕様がないね、じゃ、それは新しく焼く事にしてさ、ここへ来て一寸のぞいてごらんよ。

惣兵衛(カーテンから顔だけ出す)何だい、のぞけ、のぞけって

おとく ほら、あれを見て御覧よ、お銀が昼間からシクシクしてた原因が解ったよ。

惣兵衛 ああ、あの運転手の事でか、チエッ仕様がねえなァ。

おとく だってもう、年頃なんだもの、仕様がないよ。それにあの仙吉って子は堅そうだからね。

惣兵衛 人間が堅いばかりじゃ仕様がねえぞ、頭の使える奴じゃねえと仕様がねえぞ。

おとく 生意気言うんじゃないよ奥へいってホットケーキを早くこしらえといで。

惣兵衛 こしらえるよ。

おとく 味を見るんだなんて、又なめたりしちゃいけないよ。

惣兵衛 あいよ。(と、顔を引っこめる)

おとく(独言)ああやって、嬉しそうに話してる所を見ると、お銀も娘らしくなったよ、一緒にしてやってもあんな具合に仲好く行くかしらそうだと、いいがねェ。

客H(ライトのかげで)おいホットケーキまだかい。

お銀(同)はい、唯今。(おとくの傍へ来る)お母さんホットケーキお催促よ。

おとく ああ今すぐだよ。

お銀 そう。(と、行きかける)

おとく お銀。

お銀 え。

おとく これ仙吉さんに持っていっておやり。(とシュークリームの皿を出す)

お銀 まあ、シュークリーム。

おとく 仙吉さん、好きなんだろう。

お銀 ええ、好きだけど、いいの、お母さん。

おとく 仲好くおしよ。

お銀 まあいやッ、そんな事いっちゃ

おとく まあ.あんなに喜んでうまく行ってくれるといいがね。


これで舞台全部が明るくなる。


お銀 仙吉さん、これお母さんが御馳走するんだって

仙吉 お母さんが、やあ、どうもすみません。


おとく、微笑んでうなずく。


お銀 いいのよ、そんなにお辞儀なんかしなくったって

仙吉 でも悪いじゃないか。

お銀 いいのよ。

仙吉 有難うねェお銀ちゃん、さっきから気になってるんだけど、あそこにいる変な男、何?(と、敬三達の方を指さす)

お銀 おしなちゃんと向きあって坐ってるんでしょう、何んだか悪い奴らしいのよ。

仙吉 悪い奴?

お銀 ええ、おしなちゃんにとてもからんで来るのよ。

仙吉 おしなちゃんの恋人なの。

お銀 なんだか、そうらしいけど

仙吉 人相の悪い奴だね、追っ払ってやろうか。

お銀 よしなさいよ、怪我しちゃつまらないわ。

仙吉 だけどさ。

お銀 仙吉さん、そんなに気になるの?

仙吉 ううん別に別にそうじゃないけどさ。

お銀 おしなちゃん気が強いから大丈夫よ、怪我でもしちゃつまらないわ。


と、お銀立上りかけた仙吉を抑える。


敬三(おしなの黙りこくった横顔をみつめていたが)おい、何時迄此処に坐らせとくつもりだ。

おしな だって、何時迄も坐ってるからいいって、自分で言ったじゃないの。

敬三 返事はどうするんだ、返事は。

おしな だからさ、さっきから出来ないと言ってるじゃないのさ。

敬三 出来なきゃ俺と一緒に来て、俺の言う通りに働け。

おしな 厭なこった。

敬三 何ッ、厭だ?

おしな 何時まで私の骨をしゃぶりたいというのさ、もっと男らしくおしよ。

敬三 生意気言うな。


と、いきなり立上っておしなを殴る。

おしなが逃げようとする拍子にテーブルが倒れる。皿やコップがこわれる。


おしな 何をするのさ。(泣声)

敬三 何を言ってやがんでえ。(と、つゞけさまにおしなの顔を打つ)

仙吉(立上る)とめてやろう。

お銀 仙吉さん、およしなさいよ。

仙吉 可哀想じゃないか。


と、立上る仙吉をお銀とめる。


お銀 仙吉さん。


仙吉、それをふりはらって、敬三の傍へ進み寄る。


仙吉 おい、よせ、可哀想じゃないか。(と、敬三の肩をつかむ)

敬三 お前は何んだ。

おしな(初めて仙吉に気づき)まあ、だめよ、出て来ちゃ。

仙吉 だって、余り乱暴するからさ。

おしな まあお昼の約束守って来た上に親切なのね。

敬三 この青二才はなんだ。

おしな 私の可愛い人よ。

敬三 何ッ。(と、仙吉をつき倒す)

おしな あっ、あぶない。


仙吉、テーブルと一緒に倒れる。


仙吉 畜生あっさりやったな。(と、敬三に武者ぶりつく)畜生。


仙吉と敬三、取っ組み合う。おしなとお銀はそれをとめようとしている。


お銀 仙吉さん、仙吉さん、あぶない。

おしな およしッ、およしってば。(泣声)

おとく(カーテンの所へ行って叫ぶ)お前さん、一寸来ておくれ、お前さん。

惣兵衛(出る)何んだ何んだ、こらッやめろ、やめねえか、やめねえと、どいつもこいつもたたきのめすぞ。(と、椅子の上に乗っかってどなる)

おとく そんな高い所へ乗っかって怒鳴ってないでさ、傍へいってとめるんだよ。

惣兵衛 こらッ、やめろ、やめろ、やめないと家のおかみさんにぶたれるぞッ、やめろ、やめろ。(と、惣兵衛は敬三と仙吉の取っ組み合った中に割って入る。ひとたまりもなく突倒されて、カウンターの下に逃げ込む)

おしな(泣声)やめとくれよッ、やめとくれよッ、やめておくれったらさあ。(と、夢中になって二人の間に分けて入る)


おしなは敬三を、お銀は仙吉を遂にとめる。


敬三(息をはずませて)どうだ若僧。

仙吉(同)何ッ、いくらだってやるぞ。

お銀(仙吉の腕にすがって)仙吉さん、やめてよ、やめてよ、あんた私が可哀想だと思ったらやめてよ。

仙吉 大丈夫だよ、お銀ちゃんあんなやつ、なんでもありゃしないや。

おしな(敬三を下手の方の椅子に無理に坐らせ、そしてお銀と仙吉達の方へ来る)仙吉さん、怪我なかった。

お銀(怒気をふくめて)大丈夫よ、仙吉さん、怪我なんかしないわよ。(と、仙吉とおしなの間に入ってしまう)

おしな あお銀ちゃんはそうだったのね見てあげて、見てあげてね。

おとく 本当にあぶなかったよ、お銀、仙吉さんを(上手を指さし)あっちの椅子に坐らせて繃帯を巻いておあげ。

お銀 ええ。(と、仙吉をつれて上手よりの椅子にかけさせる)

おとく 大丈夫かい、仙吉さん。

仙吉 ええ、大丈夫です、すみません、御迷惑かけて

おとく いいんだよ、お銀、帳場のひきだしに繃帯があるだろう。

お銀 ええ。(と、カウンターの下から繃帯を出して仙吉の腕を巻く)


おとくはお銀を手つだって仙吉の身体の泥を落してやる。

この間、おしなは佇んだまゝお銀たちのすることを放心したように凝視する。

間——。


おしな(トボ〳〵と敬三の傍へ寄って)お前さん、私、お前さんの言う通りに此処の家お暇もらうわ、そして何処へでもお前さんの言う通りにつとめるわ。

敬三 そうしろ。

おしな 今夜帰ってすぐ寝るところあるの?

敬三 何んとかなるさ

おしな そうじゃ一寸表で待っててよ。

敬三 逃げるんじゃねえだろうな。

おしな 大丈夫よ、馬鹿だねね、待っててよ、その横の露路の所でさ。

敬三 うん、待ってるよ。(と、出てゆく)

おしな(おとくの方へ来る)おかみさん! 御迷惑かけてすみませんでした。

おとく(やさしく)帰ったのかい、あの男

おしな いいえ、待たしてありますの。

おとく 待たして?

おしな ええあの本当に勝手な事言って何ですけど、私やっぱり此処にいちゃいけないと思いますから。

おとく やめるのかい。

おしな え。

おとく(しんみりと言ってきかせるように)余り変な男にかかり合わない方がいいよ。

おしな でも、あの人やっぱり私がいないと困るらしいの、私が断わったりなんかしたからいけなかったのだわ似た者夫婦で似た者夫婦で丁度いいかかも知れないわ。(泣く)

おとく おしなちゃんも苦労するね。

おしな 自分が悪いんですものお銀ちゃん、御免なさいね、私ね、お銀ちゃんのこと、昔のままのねんね扱いにしてたのね、御免なさいね。

お銀 (さっきはあんなに強く憎んですまなかったと思うそしてたまりかねて)おしなちゃん。

おしな 仙吉さんと仲好くしてね、仙吉さん純な人だわ、純な人だわ。

お銀 おしなちゃん、これから何処へ行くの。

おしな なんとかなるそうだから、きっとなんとかなるでしょう。(笑う、だがそれがすぐ涙になる)御免なさい、泣いたりしてあのおかみさん、私、風呂敷包どうしたかしら。

おとく あ、お銀とってきてお上げ、奥にあるだろう。

お銀 ええ(と、奥へ入り、すぐに持って出る)これでしょう。

おしな 有難う。(受取る)風呂敷包抱えこんで子守っ子のお宿下りみたいねおかみさん、店このままで

おとく いいよ、仕方がないよ、あ、一寸お待ち。

おしな え?

おとく これ、わずかだけどね。(金を出して紙に包む)今日の分の働き賃だよ。

おしな まあ、おかみさん!

おとく 持ってお行きよ。(と、無理に握らせる)

おしな (泣く)すみません。

おとく 馬鹿だね、泣くやつがあるかい、早く行っておやり、待ってるよ。

おしな え、仙吉さんとお銀ちゃん、仲好くね。

仙吉 ありがとう。

お銀 左様なら。(泣く)

おしな あの旦那さんは?

おとく お前さん、お前さん、何処へ行ったんだよ。

惣兵衛(カウンターから顔を出す)おーいもうすんだのかい。

おとく 何んだね、変な所へかくれておしなちゃん帰るんだよ。

惣兵衛 えッ、おしなちゃん帰るのかい、あの男と一しょに

おしな ええ。

惣兵衛 風邪ひくなよ、身体は大切だぞ。

おしな 有難うございます左様なら。


おしな、惰然と入る。


おとく 可哀そうにね。


店の片隅にかけられた篭の中でかなりやが啼く。


惣兵衛 おや、今の騒ぎで鳥が二羽とも、目をさましちゃったぜ、可哀そうに


かなりやの啼声——。


お銀 かなりやちゃんが鳴いてるわ。かなりやちゃん、何んでもないから、心配しないでねんねするのよ。みんな、みんな済んじゃったのよ、さあ、ねんねするの、ねんねするの。


お銀、惣兵衛、おとく、仙吉の四人はかえって来た平和を心から楽しむような風に鳥篭をかこむ。

だが、四人の胸の内には、今夜のねぐらすらもない、おしなの寂しい姿が悲しくきざみつけられているのだ。

小鳥の啼声——。

(静かに幕)

下駄分隊


七景

昭和十五年一月
有楽座上演(ロッパと兵隊)

(人物)
小山田軍曹(班長)
早川上等兵 小松上等兵
砂川一等兵 木本一等兵
浜崎一等兵 鋼木一等兵
福西一等兵 片岡二等兵
山内二等兵
李起鳳(班の給仕)
李青蓮(その妹)
李雲成(その弟)
王春興(仕立屋)
玉金(その妻)
妙琴(町の女)
芳枝(小山田の妻)
その他
(時)昭和十四年、日華事変の頃
(所)西湖のほとり、小さな町


第一景


小山田班長

西湖に近い小さな町


小山田班の兵隊達が、宿営している家の内部から街路をみる。

かつて、この家は、商舗であったらしく、左手の街路に面した表口は、間口いっぱいの、ガラス戸及び陳列棚右手には、二階へ昇る階段。正面は、店の間——。

品物は何もない。何処からか、兵隊達が集めて来たシナ椅子が五六脚、屋内の中央では、石油罐の中の焚火が赤々と燃えている。


この班の兵隊、他の班の兵隊大勢の兵隊達で騒ぐ声、喚声で幕があく。


街路では、仕立屋の王春興と女房の玉金が、取ッ組み合いの喧嘩をしている。それを取り巻いて兵隊達は声援したり、仲裁したりしているのである。


木本(王春興と玉金を仲裁して)プシンプシン夫婦喧嘩プシン。


併し、この仕立屋夫婦は、聞き入れない、尚一層はげしい剣幕で、掴み合いをつゞける。


木本(持て余し)おい、誰か、班長殿を呼んで来てくれ。

浜崎 よし来た。(と、右手の階段を昇ってゆく)


王春興と玉金の、はげしい怒鳴り合い掴み合い。二人の掴み合いは次第にこの家の中へ移動してくる。


木本(二階へ向って叫ぶ)班長殿、班長殿、早く来て下さいよ、こら、やめろ、やめんか、プシン、プシン、夫婦喧嘩プシン、プシン。


屋外にたかった兵隊、面白がって、ワイ〳〵と噺し立てている。


砂川(夫婦の間にもまれて)やめろ、やめんかやめんと、ぶっぱたくぞ。


階段を小山田軍曹が降りて来る。四十歳位、口髭をはやしている、相当のロートル軍曹である。


小山田 毎日々々煩さい奴だな、どうしたんだ、こら、やめろ、やめよ。(東北訛がある)


と、小山田班長は、王春興と玉金を押し分ける。

王春興と玉金シナ語で、小山田班長に、何事かを口々に喚き立て、訴える。


小山田 何判らんよ、俺は日語なら判るけど、シナ語は判らんのだから。

玉金(シナ語で何事か訴える)

小山田 そんなに早口で言うても判らん、もっとゆっくり言うてみろ。

玉金(シナ語で——もっと早く言う)

小山田 ゆっくりだと言うのに、判らんのかね。

王春興(シナ語でもっと早口で、訴える)

小山田(癇癪を起こす)煩さい、よく飽きもせずに、毎日々々喧嘩がやれるものだね。俺は、何もお前方の夫婦喧嘩をとめる為に、はるばると日本から来たのではないのだよ。(怒鳴りつける)

玉金(シナ語で前よりもっと早口に、訴える)

小山田 やかましい、夫婦喧嘩なんかしないで、帰りなさい。夫婦喧嘩はプシンだよ。

砂川 ナビエンチュバ。(と外を指さす)


王春興、玉金、お互いに喧嘩に疲れて、外へ出てゆく。

街路を左手へ去る。

他の班の兵隊達は、それ〴〵散って去る。


小山田(屋内に残った自分の班の兵隊達に)驚いた奴等だね、毎日毎日、よく喧嘩の種がつきないものだ。

木本 いやどうも班長殿、どうも御苦労さまでありました。

小山田 御苦労さまでしたじゃないよ、ぼんやりあの喧嘩を見とってお前達はそれでも日本の兵隊かね。

木本 ハッ、でも、戦争ならとにかく、あんな訳の判らない、シナの夫婦喧嘩ときてはどうも。

小山田 夫婦喧嘩だから、どうしたというのだね、夫婦喧嘩も戦争も、大きいのと小さいのとの違いだけでしょう。お前達、戦争はたしかに強いが、夫婦喧嘩の仲裁はなってないよ、仲裁は下手でもいいんだけど、私に迷惑だけは、かけてもらいたくないね、え

砂川 ハッ。

小山田 まあ、掛けたらどうだ。

兵隊達 ハッ


兵隊達は、なか〳〵腰かけない。


小山田 遠慮なくかけたらいいでしょう。こんなに火が燃えているのに、遠慮したって、火の節約にはならないよ。

木本 ハッ、かけてもいいのでありますが

小山田 何、かけてもいいのだが、どうした。かけてもいいのだが、又お説教されるのが、いやだと言いたいのだろう。

木本 いや、そんなことはないのであります。自分は御説教は大好きであります。

小山田 うまいことを言うんじゃないよ。いいから皆かけなさい。

木本 ハッ。


兵隊達は、火のまわりへかけたり去ったり、小山田軍曹を囲む。


小山田(兵隊達を見廻して)儂だって、何も好きこのんで、文句を言うんじゃないよ、言いたくはないけど、皆の為を思うから言うのだよ。

砂川 ハッ、判っております。

小山田 そんなに早く判らなくともええ。そんなに早く判るわけはないのだからねえ皆は今は儂の部下だ。所がこれで、万が一にも、万が一にも、無事で内地へ帰る日が来れば、現役の人は別だが、応召して来た兵隊ならば、この中には会社員もおるだろう、大工もおるだろう、畳屋もおるだろう。帰還したら、皆それぞれ元の職業へ戻るのだ。儂は、その時のことまで考えて文句を言うのだよ。兵隊でいる間に、精神をきたえてしまえば、社会へ戻ってからも、実に立派な人間として働けるのだからねえ、儂なぞも、これでもし帰還することがあれば一寸、儂の商売には向かん位、立派な、厳格な、人間にきたえ上ってしまったよ。

早川 班長殿は

小山田 儂は下駄屋をやっとったんだよ。知ってる癖にわざわざきくなよ下駄屋から文句を言われるとなると、皆だって変な気がするだろう。

木本 ハハン、それで班長殿は、召集されて部隊の配属が決まった当座、我々が銃剣を磨いていると傍へ来て、よく磨んだぞ、きれいに磨き終ったら鼻緒をすげてと言ったんだ。

小山田 馬鹿、あれは、商売してる時、小僧に言ってた口癖がついうっかり出たんだ。つまらんこと覚えてるなよ。

砂川 併し、班長が下駄屋さんをやっておられたとは、どうしても見えません、班長殿は

小山田 どう見ても芸術家だろうが。儂は小さい時から詩人になろうと思っていたのだが、儂の書いた詩を見ると、皆が笑うので、ついに気がくじけて親の商売を継いで下駄屋になってしまったのだ。だけど、今でも儂は、これでも詩の同人雑誌の同人だよ。家内があなた、あなたには、もう子供が二人もあるのですよ、詩だか、五だか判らない、そんなものはおやめになったら如何ですかと言うのだが、どうもやめれないのだよ。

木本 奥さんはやめろと仰有るのですか。

小山田 どうせ下駄屋の女房だからね、ロクなことは言わんよ。どうだい、此処に、戦地へ来て以来の習作があるが一寸、読んで聞かそうか。

木本 いや、結構であります。この間も読んでいただきましたから

小山田 そうだったかね、それは残念だな


小山田軍曹は、軍衣の物入れから手帳を出したり入れたり、その手帳に書いた詩を余程、読んで聞かせたいらしい

砂川 併し、思えば不思議な御縁でありますなお互いに召集される迄は、何処の誰だかも知らない人間が、召集されてからは、班長殿となり部下となり、敵前上陸以来、何百里という道のりを、今此処にこうして、警備部隊として警備につく迄、一しょに戦い、一しょに苦しんで参りました。

小山田 うんそうだったね。(しみじみとする)

早川 自分は、病気で参りかけた時、班長殿があんなにまで御親切に介抱して下さるとは思いませんでした。

小山田 そんな、礼を言われるとどういう顔をしていいか判らなくなるからねえいやだねえ、そんな礼なんか言うもんじゃないよ。

早川 これが、兵隊でなく、普通の世間にいるのだったら、誰があんなに介抱してくれたでしょう。

小山田 そう言えば、君は親類も縁者もないと言うとったね。

早川 ハア、小さい時、孤児になったものですから(うつむく)

小山田 うむ(いたわるように)そうか、そうか


間。


木本(何か思いついて)班長殿。

小山田 うむ、何んだ。

木本 この分隊の附属する部隊は、当分この町の警備をつづけるんでありましょうか。

小山田 もう当分はつづくんだろう。

木本 そうするとあの(何か言いたそう

小山田(それに答えるように)正月は此の町ですることになるかと言うのだろう。

砂川 そうです。敵前上陸してから、しばらくすると、皆で正月は何処でするだろう、正月は何処でするだろうと言い暮らして来たんであります。

福西(期待を持って)正月は此の町でありますか。

小山田 まあ、此の町だろうなア。

小松(勢い込んで)本当でありますか、班長。

小山田 大体、本当だよ。

小松(子供のように)間ちがいありませんな、班長殿。


兵隊達は、もうすでに、正月が来たように浮々とする。


小山田 うむ皆、それ程、正月が楽しみだったのか。

木本 ハア、小学校へ行ってる頃は、正月というものが待ち遠しくて仕方がありませんでしたが、大人になると、それ程でもなくなりました。所が、今また、戦地へ来て見ましたら、小学校へ行ってる時と同じように正月が待遠しくなりました。

小山田 仕方のない、子供みないな奴等だな。

木本 班長殿は、待遠しくないでありますか。

小山田 儂か、儂はほら、指に印をつけてるんだよ、(と指を見せる。かんぜよりで指が一本ずづ、指輪のように縛ってある)毎日々々、このかんぜよりの指輪を抜いて行くのだよ。後七本で元旦だ。

砂川 それじゃ、班長殿もやっぱり。

小山田 皆の前では言い出さんじゃったけど


兵隊達、ワーッと声をあげて笑う。小山田班長という父親を取り囲む子供達のようである。


砂川 元旦には、せめて、一きれでいいから餅が食べたいですなあ。

小山田 うむ。

早川(その味を思い出すように)俺は、黒豆の中に入ってる、あのガリガリの梅が好きだよ。

福西 あれは、小梅というのだよ。

浜崎(思い出すように)俺はゴマメが好きさ、ありゃあ、煮方によって随分味が違うから、うまく煮んとなあ焦がすと苦くていかんよ。

鏑木 俺は、正月に餅を二十六食ったことがあるぞ。

砂川 畜生、食いてえなあ、よだれが出て来やがる。

小山田(兵隊達の気持に乗ってくる)おい、何処かへ行って石臼と糯米を探そうか

砂川 えッ、此処で餅をつくんでありますか。

小山田 うん、つくのだ。

砂川 賛成。(飛び上る)

木本(分別くさく)併し、糯米がありませんよ、店という店、家という家は、全部敵兵が掠奪して行った後ですし、町に残っている難民や、戻って来た住民なども、時々我々の携帯口糧を貰いに来る位ですから。

砂川(夢中になる)いや探せばあるよ、草の根を分け、石を掘り起こす気持になりゃ、あるさ、きっとある。

福西 仇討みたいだな。

砂川 とにかく絶対にあるよ、ありますよ。

木本(からかう)お前は、普段は、間の抜けた顔をしとるが、食物の話の時だけは、真面目な顔付になるなあ。

砂川(怒る)

木本 今初めて発見したよ。

砂川(怒る)人が真剣になってるのに、顔の棚おろしなんかしやがって、お前は餅が出来ても食わんのか。

木本(真剣になる)食うさ、食うとも、誰が食わんと言った、顔付の話と食う話とは別だ。

砂川 見ろ、お前だって真剣な顔になったじゃねえか。


兵隊達、ワーッと笑う。


小山田 じゃ、何とかして、餅つきの準備をしょうじゃないかね。

砂川 やりますか餅をつくとよ、バンザイ。

福西 おい、正月の餅をつくんだとさ。


「万歳」「万歳」と一同は手をとり合って子供のようにはしゃぐ。


小山田 おい、それじゃ、手分けしてこれから石臼と糯米探しだ。

木本 おい、組分けをしようや。(と、紙に線を書く)これをどれでもいいから引け


兵隊達は、その組分けの銭を順に引く。片岡、福西、砂川、鏑木が橋米組となり、山内、浜崎、早川が石臼組となり、小山田、木本、小松が留守組となる。


小山田 儂は留守組になったよ。(がっかりする)

木本 俺も留守組だ。(がっかりする)

小松 俺もだ。(がっかりする)

砂川(雀躍しながら小山田に)天の神様がお助け下さって、自分は、糯米組となりました。

早川(小山田に)自分達は、石臼組になりました。

小山田 そうか、それじゃ、頼むぞ。

砂川 それでは行って参ります。糯米組、突撃イ、突ッ込め

早川 石臼組、突ッ込め


「行って参ります」「行って参ります」と石臼組と、糯米組は蜻蛉釣りに行く子供のように、はしゃぎつゝ走り出て行く

静かな一瞬。

表を——此の町を通過する他の部隊が通ってゆく。「後尾異状なし」「後尾異状なし」というような叫び声が聞える。


小山田(軍衣の物入れから手帳を出す木本と小松に)どうだね、これは。

木本 ハア(困った顔唯、手をのばして火にあたっている)

小山田 この詩はどうだね、エヘッ(嬉しそう)

木本 ハア。(と小松に向って残るんじゃなかったなあ——という思い入れ)

小松(うなずく)

小山田(それに気づいて)何を合図してるんだね、何を儂が詩のノートを出して、どうだねと言ったものだから居残り組になったが為に、この災難じゃとお互いに合図をしているんだろう何んだい、眼と眼で合図して、気持が悪いねえそんなに厭なものなら、読みませんよ。

小松 いえ(慌て)そんなことはありません。木本が、目の中に何か入ったらしいような顔をしたから、自分が何も入ってないよと合図したんです。

小山田 そうかそんなら読もうか


木本と小松、情けなさそうな顔。


小山田(一人、嬉しそうに)では読むよ。(と、読む)

戦終りて我眠りにつきて

しばし経ちし時

夢を見たり

そは、路ばたにて。

五十銭銀貨を

拾いし夢なれど

眼を覚ましみれば

五十銭銀貨はあらずして

空に大きな月、昇りてありき

あゝ、あわれ

月に見られて恥かしや


木本一等兵と小松上等兵プッと吹き出す。

小山田(気づいて)おかしいかね。

小松 いえ、一寸も、おかしくありません。


丁度その頃、街路から青蓮が忍び出て来て屋内に入ろうとする。

が、うっかりして、其処にあったシャベルを倒して音を立てる。


小松 誰だッ。


小松上等兵、駈けよって逃げようとする青蓮を捕える。


青蓮 您(原文は旧字体)高拍拍手、饒了我哥哥吧。(ゆるして〳〵、どうぞ御ゆるし下さい、兄さんを助けて下さい)

小松 何、兄さんを助けてくれ?

青蓮 哥哥偷儞們東西、実在对不起儞們 我們一家巳経餓了四五天肚子了。(兄さんは盗人をして、まことに申訳がありませんけど私の一家は此処四五日食べるものも食べていないのです)


青蓮、小松に縋りつく。

小山田(小松に)どうしたのだ。

小松 今朝方、この班の食糧を盗みに来た泥棒の妹らしいのですが、兄貴を助けてくれというのです。

小山田 泥棒したんだから仕方がないと言うてやれ。

小松 この一家は、此処四五日何も食べるものがなくて、飢餓に苦しめられたので、此の娘の兄貴が妹や弟が三人居るそうですがその弟や妹達の為に盗みをしたのだ、どうかゆるしてくれと言ってるんです。事情をきくと可哀そうな気がしますけれど

小山田 ならん許してやることはならんよ。殊に軍隊の食糧を盗みに来たのだ刑罰は厳重にせにゃいかん。賞めるべき処を賞め、罰する処を罰してこそ、秩序は保たれ、皇軍の威信は上るのだ、ならんよ。


青蓮、尚も小松に縋る。


青蓮 只要饒了我哥哥、無論什麼活児我都替偏們幹、我幹活児去賠他偷的米。(兄さんを許して下さればどんな事でもいたします、兄が盗んだ米の分は必ず働いてお返しします)

小松(小山田に)この娘、可哀想に、兄貴を許してくれれば、どんなことだってする、兄の盗んだ米の分だけ働いてお返しするからと言ってるんですけれど

小山田 ならんと言ったらならん、大体、儂が詩を読んでる時に、わざわざ騒がせに出て来んでもええじゃないか。

木本(小山田)班長殿、兄貴はとにかくとしても、綺麗な姑娘だし、ひとつ如何でありましょう。

小山田 駄目だってば。

木本 判らねえ親爺だな。

小山田 何。

木本(うっかり悪口を言ったので、自分でびっくりして慌てゝ敬礼する)いけねえ失礼いたしました。


青蓮、きょろ〳〵して、小山田達の会話をきいている。


小松(青蓮に)駄目だとさ。

青蓮 不行麼?(いけませんか)

小松 那辺去罷。(あっちへ行け)


青蓮、小山田を恨めし気に睨みつける。


青蓮(小山田に)壊心眼子!(意地悪野郎)


青蓮、小山田軍曹を突飛ばして街路へ走り去る。


小山田 おい、小松上等兵、お前、シナ語あざやかなもんだな。

小松 ハア、内地でシナ貿易の店につとめていましたから如何でしょう、あの、台所に縛って、懲らしめてあります泥棒、あの娘の言うのは本当らしく腹が減って、口もきけない位なんです。

小山田 駄目だ、こらしめる時に、こらしめなきゃ、日本軍というのは、悪い事はしても、女が行ってたのみゃ、すぐ許してくれると、思うじゃないか、いいか泥棒に同情することはならんよ。


小山田軍曹は、チラリと泥棒のいる台所の扉口に目をやってから、階段を上って入る。


木本 判らねえ親爺だな今迄は気がつかなかったが、そう言われてみるとあの男はこのままおいとくと餓死しちゃうぞおい乾麺麭持っとらんか。

小松 あるよ。

木本 少しよこせ。

小松 よし来た(と、雑囊から乾麺麭を出して渡す)

木本(台所口へ首をつっこんで)おい、泥棒泥棒許してやりたいけど、親爺の野郎が頑固で判らねえからな、さあ食べろ(乾麺麭を投げ込む)


小山田、階段の上からヌーッと顔を出す。


小山田 こらッ泥棒に同情は要らんというのが判らんのか。

木本(あッと驚いて)まだ、其処におられたのですか。

小山田 仕方ない奴だなその泥棒がだね、若し敵のスパイだったりなんかしたら、その時の責任はどうするのだね、お前達の失態は儂の責任だぞその時は儂は知らんよ、それでもいいのか、馬鹿者。

小松・木本 ハッ。(と悄気る)

小山田 此の手紙を持って(と軍衣の物入れから手紙を出す)二人で小隊長殿の所へ使いに行って来い、お前達を此処へおいとくと何をするか判らん。


小山田、手紙を小松に渡す。


小松 この手紙を持って小隊長殿の所へ行って参ります。

小山田 気をつけて行け。

小松 行きます。


木本一等兵、小松上等兵は街路へ去る。小山田軍曹は、台所から、腰を縛られ、刑罰の為に、両手に煉瓦を捧げ持たされている李起鳳を連れ出す。


小山田(あたりを見廻してから)食べろ、食べるんだよ。

李起鳳 謝々。

小山田 早く食うのだ、皆が帰って来ると、見つかるから、急いで食うのだ。

李起鳳 謝々。

小山田(気がついて)煉瓦か、煉瓦を持ってるので食べられんのか、練瓦は儂が持ってやる。(と両手に受取る——その煉瓦を、地蔵様みたいに両手で捧げ持つ)早く喰べろ。


其処へ、街路から、護衛兵を連れた野島中尉が来る。


野島 一寸尋ねるが、波島部隊は何処か。


小山田 ハッ。(と言って敬礼しようとするが、両手が煉瓦でふさがっているので出来ない)あのう


小山田軍曹は、思わず知らず、両手の煉瓦を野島中尉に持たせる。


小山田 ハッ。(敬礼して)波島部隊は

野島(手に持たされた煉瓦を見て)馬鹿ツ。


小山田、気がついて、びっくりする。

(暗転)


第二景


戦地の大晦日

前景の一週間後、雪の夜——。

宿舎の二階、小山田軍曹の部屋。

左手に階下へおりる階段の入口。

右手から正面にかけて、幅の広い窓。

右手の壁に沿って、シナ風の寝台

右中央に支那卓、椅子など

支那卓の左火鉢代りの石油統を囲んで、木本、早川、小松、砂川、浜崎、福西、山内、片岡の兵隊達がいる。

小山田軍曹は、一番右端に、卓に凭っている。


小山田(手を火にあぶりながら)高が食物じゃないか、何だ、意気地なし、それ程悲しいのか。(兵隊達の顔を見廻す)

砂川 悲しくはないであります。

小山田 これ程探して見ても、無いのなら、諦めにゃ、仕方がないでないか。

砂川 ハア、諦めます。

小山田 その顔は諦めた顔ではない。もっと朗かな顔をして諦めろ。

砂川 ハッ。

小山田 皆、出来るだけ探したのだろう。

砂川 ハアあの日に行って駄目だったので次の日も探しに行きました。

小山田 知っとる。

砂川(訴えるように)その次の日にも行きました。

小山田 それも知っとる。

砂川 いくら、振られても振られても諦めることの出来ん、思い切りの悪い色男みたいに自分達は糯米を探しに行ったであります。

小山田 それでもなかったのだろう。

砂川 ハアそんなものは、一粒もないんであります。

早川 石臼だけは、あの日に一つ見つけ次の日には糯米組と同行動で、糯米を探しに行きましたが、又石臼が見つかったのであります。

砂川 石臼ばかり二つも見つかったのに、糯米がないのであります。終いには、初め、へらへら笑っていた木本まで飛び出して、探しに行ったのであります。

木本 餅が食えなくなると、大変だと思いましたので、皆と一緒に、探しに行ったのでありますが、ないのであります。だからしまいには糯米はもう要らんから、せめて、正月らしい御馳走だけでも探そうということになってゴマメや小梅や煮〆の材料を探しましたが、これもありません。

小山田 そりゃシナへ来て、ゴマメや小梅を探したって無駄だろう

木本 だからせめて、肉でもあればと、又模様変えをして、肉を探しました。

小山田 肉はあったか。

木本 肉もありません。余りしつこく城外の方まで探しに行くので、終いには、城外の敗残兵が、我々を見つけて射って来ました。

早川 お正月の食物を探しに行って戦死しては皇軍の名折れでありますから、残念でありましたが引き返して参りました。

木本 砂川の奴は、城壁の陰から敗残兵の居る方へ行けば、あるかも判らんなあと言って、城壁の外を、うらめしそうに見ていたのであります。


窓の板戸を打つ吹雪の音が、聞えて来る。


小山田(段々、兵隊達がいじらしくなって来る

砂川 で、仕方がないから、草ばかり引っこ抜いて持って来ました。

小山田 草草とは何んじゃ。

砂川 菜っぱでありますこの町の城内も城外も、何処へ行っても、菜っぱばかりであります班長殿も御承知でありましょう、我々の持っている携帯の米も、段々残り少なくなって来ましたので、三度に一度は菜っぱだけで米なしの時があります。その他にもおかずは、朝もひるも晚も菜っぱであります。昼は菜っぱの御飯に菜っぱのおかずであります。こうしている内にや、我々の口からくちばしが生えるじゃろうと、木本が言いました。

木本 菜っぱなぞは、草の一種であります。草ばかり食べているのは鳥であります。でも仕方がないから、草をどっさり引っこ抜いて来たんであります。


兵隊達は、親のような、小山田班長にせめて、不平を訴えることによって、悲しみをまぎらわせているのである。


小山田 ええ仕方がない諦めろ

砂川 諦めるであります。

小山田 軍のえらい人達も、我々に、何んとかして正月を味わせてやろうと考えてはいなさるにちがいないのだ。もっと考えているに違いないのだ。だが、この前線迄は、まだ兵站線が完備せんのでとどかんのだよ、諦めろ。

木本 諦めるであります。


皆の胸に内地にいた時の正月が浮んで来る間。


早川 内地の人はさだめし、今夜あたり忙がしいでありましょうなあ。

小山田 うむ、今夜は大晦日だからな、借金取りが、集金に来るので、急いで映画館へ逃げて行ったり、ゆたかな家でも貧しい家でも、煮〆などを拵えて、あすの元旦の支度だけはしとるだろうて

小松 気の早い女の子供は、今日あたりから羽根突きをしております。

小山田 うん家の子供もやっとるだろう家内も、明日の支度をしとるだろう。

木本 班長殿、諦めが肝心であります。

小山田 馬鹿、それは儂がさっきから言うとる言葉だ諦めろ、諦めが肝心だぞ。

一同 ハア

小山田 何もなくとも、正月は正月だ。

木本 そうであります。

小山田 やっぱり、年は一つ取るんだから、アハハハハ(笑)

一同(笑う)


ポツンとした間——


砂川(怒ったような顔で)この間、戦地におりゃ、大晦日になっても、借金取りが来んからええぞと言ったのは、誰だ。

木本 俺だ。

砂川(そっちを向いて)借金取りの来ない嬉しい大晦日だからして、餅もゴマメも小梅もない、馬鹿みたいな正月をせにゃならんのだぞ。

木本 だけどお前、此間は、そりゃそうだ、こんな有難い大晦日はないと言ったじゃないか。

砂川(怒ったような顔で)そりゃ言ったさ。


一同、笑う。

砂川は、気持のやり場に困ったように、押し黙っている。やがて笑う。


福西 班長殿、しめ縄だけは、はってもよろしいでありますか。

小山田 しめ繩

福西 はあ。(と、階段の下り口から、大きなあんぺらをほぐしたようなものでこしらえたしめ縄を持って来る)

小山田 大きなしめ縄だなおや、こりゃ、藁ではないんだな。

福西 うまい具合な藁がないので、アンペラをほぐして憎えました。

小山田 そうか後で表へはれ。

福西 ハア。


間。


小山田 じゃ、もう寝たらどうだ。

一同 ハア(と言ったきり、もじ〳〵している)

小山田 まだ、思い切れんか。

一同(もじ〳〵している)

小山田 そんなら一つ儂が皆の気を晴らしてやろうか。(と、物入れから詩のノートを取り出す)

木本 何かして遊ぶのでありますか。

小山田 詩だよ、詩を読んでやるのだよ。


兵隊達慌てる。


木本 あの、木本は、眠くなったから寝るであります。

小山田 他の者はどうだ。

砂川 自分も眠いであります。

一同(口々に)眠いであります。

小山田 馬鹿、風流の判らん奴らだ寝ろ、寝てしまえ。

木本 ハッ寝ます。

早川(一同に)気をつけ別れ。


一同、小山田に礼をして「おやすみなさい」「おやすみ」そして、階段を下へ下りてゆく。


間——。


吹雪が窓を叩く音。

小山田は黙々として、寝台へ入る。

海老のようになって寝る。

ランプの灯が自然に消える。

暫く暗闇がつづく。

やがて、階段の下から、砂川が「班長殿、班長殿」と言いながら、昇って来る。


砂川 班長殿、班長殿。(右手にローソクを持って、左手で小山田をゆり起こしている)

小山田 (起きて)何んだ、どうしたんだ。

砂川(嬉しそうに笑う)エヘヘ

小山田 え、どうしたんだ、ニヤニヤ笑って気味が悪いねえ。

砂川 エヘヘヘ班長殿あのう(何か言いたそうにしてやめる)まあ寝ていらっしゃいよエヘまあ、おやすみなさいどうぞ、ごゆっくり


階段を下りて行く。


小山田 おかしな奴だな(と一旦ベッドへもぐり込むが、むっくり起き上る)おかしな奴だな。(ベッドから下りて、手さぐりで階段を下りて行く)


舞台はそのまま廻る。


第三景


元旦

前景と同じ時——。


第一景と同じ階下の店の間である。


前景の兵隊達が、臨時にこしらえたシナ卓の炊事台、石油躍の七輪を取り囲こんで、はしゃいでいる。

炊事台の上には、肉の罐詰、果物の罐詰、正月の餅、蜜柑などが、山と積まれてある。

七輪の火の上には、秋刀魚の乾物が焼かれて、ジュウ〳〵と煙を上げている。ランプ数個の光が明るい。


小山田が階段の上へ出て来る。


小山田(兵隊達に)どうしたのだ、そりやあ。(呆然と見つめる)

木本(小山田に気づいて)班長殿、とうとう見つかりましたな、余り騒がしいので寝られんでありましょう。

小山田(慌てゝ階段を駆け下りてくる)おい、そりゃ餅に、蜜柑に、罐詰じゃないか

木本 酒もあります。(と、酒のタプタプと入った、飯盒をさし上げてみせる)尾頭付もあります秋刀魚の乾物でありますが、尾頭付もあります。

小山田 ど、どうしたのだ。(炊事台に進みよる)


兵隊達は、小山田をとりまく。


木本(息をはずませている)さっき、中隊本部から使いの兵隊が来まして正月用品を渡すからとりに来いと言って来たんであります。

砂川 私と木本がとりに行って参りました。
中隊本部へ参りましたら軍のえらい人々は、前々から何んとかして、兵隊たちに、人並に正月を迎えさせてやろうと苦心していたのだがそれがやっと元旦の朝になって間に合ったのだと言って、これらの物を渡されました。

小松 忙がしくなったら、あの男を使うてやろうと、木本とこの間から、約束していたのでありますが、こんなにおそくに、色んなものが来ましたので、今さっき慌てて、叩き起してつれて来たんであります。来来。


呼ばれて、台所の方から、李起鳳と青蓮が湯を沸かした鍋を持って出て来る。青蓮は、炊事台の上で、菜を切り始める。


小松 この間の泥棒であります、いくらか給料を払って使ってやることをおゆるし下さい。

小山田(そんな事は、もはや問題ではない、嬉しくて物も言えない気持無言)

砂川(喜びを反芻するように)班長殿、お正月が来たんですよ、お正月が来たんですよ。

小山田 うん来たな

木本 これでやっとお正月らしい、お正月が迎えられますよ。

小山田 内地と内地とちっとも変らんじゃないかうん、内地と変らんじゃないか。

山内 班長殿、蜜柑ですよ、ほら。(五ツも六ツも持って跳びはねる)

福西 班長殿、ほら、肉の罐詰ですよ。(罐詰を叩いて、跳びはねる)

浜崎 餅ですよ、班長殿、糯米でこしらえた餅ですよ、ほら(頬に、餅をすりつけて喜ぶ)

砂川(焼けかけの、秋刀魚をぶら下げて)尾頭付ですよ、ほら、秋刀魚ですよ。くしゃくしゃにならんように、カチカチに材木みたいに干してあるんですけど、焼くとほらこんなに、油が出て来るんですよ、ほら、こんなに、ジュウジュウとあぶらが出て、焼けるんですよ

木本 秋刀魚の煙ですよ〳〵。


木本は、石油罐の七輪の上で焼けている秋刀魚の煙を掌で煽いで、小山田軍曹の方へ流そうとする。秋刀魚の匂いがぷんぷんと匂う。


砂川 畜生、内地でも、秋刀魚の煙は煙いが、戦地でも煙いなあ。(泣いている)


小山田は、物入れから、ノートを出して急いで詩を書く。


小山田 おい皆、頼むこれだけでいいから、聞いてくれ、たのむ(朗詠する)

あわれ

冬風よ、情あらば伝えてよ

兵隊ありて、秋刀魚を焼きてくらうと

そが上に

あつき涙をしたゝらせてくらうは

いづこの里ならいぞや

あわれ

げにそは問わまほしくをかし


兵隊達、すゝり泣く。


木本 班長殿、(泣く)班長殿にしては、珍らしくええ詩ですなあ。

小山田 いや、これは、儂の詩ではないよ。佐藤春夫という人から一寸借りたんだよ、それを儂の具合のええように、一寸直してねでも泣けたか。

木本 ハァ

小山田 儂がよんだ詩で、人が泣いたのは始めてだ始めてだ(泣く)


誰からとなく手に餅を持ち、さんまを持ち、蜜柑を持ったまま歌い出す。


年の始めのためしとて

終りなき世の芽出たさを

松竹立てて門毎に

祝う今日こそたのしけれ


兵隊達その内にオイオイと声をあげて子供のように、泣き出す。


(溶暗)


第四景



前景の三四カ月後——。


小山田班の宿舎の裏庭である。


右手に母屋から庭へ出る扉口。

扉口の前の、廻廊は奥へ向い、正面へ折れ、正面中央に、他の部屋の扉口。その左手に塀があり、丸いくぐり窓が開いている。

塀は左手に続き、外郭を形づくっている。

前面は、庭石、花壇など桃の花が咲いている。

小松上等兵と、青蓮と、青蓮の弟、李雲成がいる。

青蓮が歌っている。声が美しい。

併し、その間に、李雲成は、小松上等兵を誘って左手塀の蔭へかくれる。青蓮は歌い終ってきょろ〳〵する。


小松(塀のかげから)此処だよ、此処だよ。

青蓮(李雲成の仕業と悟って)李雲成、混張東西。(李雲成の馬鹿)


青蓮は走って行って李雲成を掴まえる。


小松 駄目だ、駄目だ、弟をいじめちや駄目。

青蓮 だって李雲成、意地悪するから馬鹿です。

小松 俺だってかくれたんじゃないか。

青蓮 だって

小松 弟をいじめちゃ駄目だョ。俺だって隠れたんじゃないか——じゃ、もういたずら止そう。


三人で、桃の花の下に坐る。

間。


 ネエサン、ジョ、ジョトウヘサン、ノ、オヨメサン、ニナル、イイナ。

青蓮 雲成!(睨む)

 ボク、雲成デ、ネエヨ。タロー、ダヨ。

小松 コラコラ、ねえだなんて下卑た言葉を使っちゃ駄目だよ。誰が教えた?

 スナガワイットウヘサン、オシエヤガッタ。

小松 あいつの言葉か。

 ソウデヤガラ。

小松 駄目だよ。砂川一等兵は下品な言葉ばかり使うんだから、真似しちゃ駄目だよ。

 ヨシキタ。

小松 ヨシキタ? 駄目だよ。ハイって言わなければ駄目だよ。

 ジョトウヘサン、ネエサン、ガ、オヨメサン、ナッタラ、ボク、ノ、ニイサン、タロ

小松(慌てゝ)そんなこと言うじゃない。

 オイ、ニコニコスルナヨ。

小松 こらッ、太郎は子供だろう、子供がそんなこと言うんじゃない。そんなこと言っちゃ駄目だ。


李起鳳、母屋の扉口から出て来る。


李起鳳(小松に向って)ハンチョサン、ハンチョサン。(母屋を指さす)

小松 ウン、班長どのが呼んでるのか。そうか。太郎、ここにいるんだぜ。すぐ来るからな。


小松上等兵、母屋へ入る。


李起鳳 青蓮。(妹を呼ぶ)

青蓮 甚麼?(何)

李起鳳 我不許偷跟那個兵要好。(お前、あの兵隊と余り仲好くするんじゃないぞ)

青蓮 為甚麼?(何故)

李起鳳 不論為甚麼!(何故でも)

青蓮 哥哥儞到現在還跟正規軍暗地裡通消息啊!(兄さんは、やっぱり正規兵との通信をやめないのね)

李起鳳 又有甚麼辦法呢! 為了儞我真不願意干那種事、再說這裡的兵也不是壞人可現在我要是停止了通信、那非給他們殺了不可。(仕方がないのだよ。俺はお前の為にそんな事はやりたくない、それに此処の人達は皆いい人だだが今、正規兵との通信をやめる事は俺の生命がなくなることだ)

青蓮 好哥哥、可別再那個了。(兄さん、やめて〳〵)

李起鳳 不齢不成啊。(やめられないのだよ)

青蓮 幹那個又有什麼用、日本是很好的国家。(そんな事をして何になるの。日本は大変良い国です)

李起鳳 再不要說了、叫我幹吧、我除了照蓋給正規軍当奸細没有別的路了。(そんな事を言わないで俺にやらせてくれ、俺は今まで通り正規兵のスパイをやるより他に道がないのだ)


李起鳳と青蓮はもみ合う。

李雲成、それをとめる。


 哥々和姐々打起来了。

(兄さん姉さん喧嘩はやめてくれよ〳〵)

李起鳳 儞少説話。(お前は黙っていろ)


母屋から小山田軍曹、出て来る。


小山田 どうしたんだ、何をやっとるのだ、兄弟喧嘩か


青蓮は泣きながら正面の扉口へ入ってしまう。


李起鳳(小山田軍曹の姿を見て、ハッとする、それを隠すように)上等兵さん、呼びました。

小山田 うん、逢ったよ。

李起鳳 そうですか。(と、卑屈な愛想笑いをして入る)

小山田(ぼんやり立っている、李雲成に)どうしたんだ太郎。

 ネエサンガ、ニイサンニ、オコッテ、タヨ。

小山田 兄さんが小松上等兵のことを言ったのではないのか。

 ヨクシンネェ、ケドニイサン、ヤキモチ、ヤイタンダロ

小山田 何、もう一度言ってみろ

 

小山田 駄目だぜ、そんなくだらん言葉を覚えては、仕方のない子供だね全く。

 ソンナニオコルナ、ヨスカタネェ、オヤジダナ(口真似する)

小山田 馬鹿早く何処かへ行って遊んで来い


木本一等兵と砂川一等兵が、母屋の扉口から出てくる。


木本 班長殿。

小山田 何んだ。

木本 今日は、砂川一等兵と二人で、おねがいに上りました。

小山田 何を願いに来たのだ。

砂川(もじ〳〵しながら)実は、小松上等兵のことでありますが

小山田 小松上等兵のこと(ピンと感じる)


小山田軍曹は、花壇の端に腰かける。


木本 実は、最近チラリと噂をきいたのでありますが、最近の内に、一部の兵隊が帰還するというのは、本当でありましょうか。

小山田(厳しく)そんな事は判らん、そういう事は、上の方の方々が決めることで、我々がみだりに噂を口にすることはよくないよ。

砂川 そんなら若し帰還するとした場合、こちらから、願い出れば、現地除隊が出来るというのも判らんでありましょうか。

小山田 それも判らんそんな噂は耳にもかけずに、本務につくしたらどうだ。我々は敵前上陸以来、随分戰って来た。だが去年の暮以来、この町の警備駐留を命ぜられて、鳴かず飛ばずにもう春になってしまった。帰還の事など考えずに、早く、次の戦闘をしたいという気持に何故ならんのだ。

木本 そうではないのであります、若しも、我々の分隊の中のあるものにであります。帰還の命令が出たとしたならばであります。その者に現地除隊を許してやっていただきたいのであります。

小山田(木本達の、小松への思いやりが嬉しくなる)小松の事か。

砂川 班長殿はもう御存知でありますか。

小山田(くす〳〵と笑って)そんな事位、知らないで班長の役目がつとまりますかよ、厭だね、全く


木本と砂川はホッとする。


木本 そうでありましたか、若しもそういうことがありましたら、小松のために、是非共お願いいたします。

砂川(馬力をかける)あの姑娘は小松なんかに、勿体ない程のいい娘であります。畜生、実際全くうまくやりやがったであります。

木本 小松は、現地除隊が許されれば、この町で日シ貿易の繁栄につくしたいと言ってるであります。

小山田 よし、そういう時が若しもあったならば、俺から上へ願い出てやろう併し、それ迄は、本務にはげむように言うとくのだぜ

二人 ハッ。


塀のあたりで、ゴソゴソ遊んでいた李雲成が、小山田軍曹の傍へ来る。


 シカラレ、テルノカイ。

木本 ちがうよ。

(小山田軍曹に)オジサン、カンベンシテヤリナョ。

小山田 うん、叱っとるんではないよ。

 ハンチョサン、トチメンボウ、トッテ、ナニョ。

小山田 トチメン棒誰が言ってたのだ。

(砂川を指さして)コノスナカワイットヘイサン、イッテタハンチョサン、トチメンボウダッテ。

砂川(走りよって、李雲成の尻をつねる)こらッ馬鹿ッ

木本 駄目だよ、そんな事を言っちゃこの砂川一等兵が可哀想じゃないか。

(木本を指さして)ユノ兵隊サンモ、イッテタヨ

木本(てれて笑う)では、何分お願いいたしますであります。

砂川 失礼いたしました。


二人は慌てゝ逃げ出そうとする。


小山田 おい、木本一等兵、砂川一等兵失礼いたしましたはいいが、トチメン棒とは、どういう訳だ。

木本 そんな事はもういいではございませんか、済んだ事でありますから

小山田 仕方のない奴等だ、いいよ、行けよ。

砂川 ハッ、失礼いたしました。

木本(李雲成に)さあ行こう。


李雲成は、行きしぶる。

それを木本は無理に連れて母屋へ行く。

砂川も行く小山田のいない所で、叱るつもりらしい。


青蓮が、正面の扉口から出て、母屋へ行きかける。


小山田 青蓮さん。

青蓮 はい。

小山田(まじ〳〵と青蓮の顔をみつめる)あんたは、小松上等兵が好きかね。

青蓮(恥かしげにうつむく)

小山田 いい娘だいい娘だ、若しもその機会が来たら、儂がねえ、出来るか出来んか判らんが、必らず、努力しますよ。

青蓮 ありがと。(頬を染める走って母屋へ入る)

小山田(見送って)いい娘だ、いい娘だ。


小山田軍曹は首をふりながら桃の木の下においた支那卓に向う。物入れから手紙の入った封筒を出す。


小山田(呟きながら、封筒の上書を書く)中支派遣軍春山部隊、野島部隊、松島隊小山田班早川三郎殿と裏は何処だったかな、青森県弘前市一女性よりか


物入れから便箋を出す。


小山田(又もや、呟きながら、便箋に字を書く)この同封の封筒、何処か町のポストに放り込みなさい、恭助儂は無事だから安心しなさいと。


そして、その便箋で、初めの封筒を包み、そのまゝ、もう一つの新しい封筒に入れる。早川上等兵が母屋から出て来る。


小山田(知らずに)誰かおらんかあ

早川 ハッ、早川上等兵であります。

小山田(早川をみて、慌てる)お前は駄目だ、他の兵隊がいいがなあ

早川 左様でありますか。(と立っている)

小山田 何か用かね。

早川 ハア

小山田 何んだね。

早川 ハア(物入れから、読み古したような汚れた封を切った封筒を出す)これは班長殿の字ではありませんか。

小山田 何(受取って見る驚く それを非常にまずく隠す)これは、俺の字でないよだって、差出人は青森じゃないか。

早川 でも、字は、班長殿の字ではありませんか。

小山田 俺の字はこんな下手ではないよ、失礼な事言っちゃいけませんよ、第一、儂がだね、青森でこの手紙を書くわけがないじゃないか。

早川 そりゃ、確かに、差出し人は青森です。青森県弘前市一女性よりとしてあります。これで三通目です。初めの一通と二通は嬉しくて夢中で読みました、でも三通目には、一寸変だなと思うことがあったのです班長殿これは班長殿が自分でお書きになって一旦内地へお送りになって、そして内地のどなたかから、私宛に送らせて、おいでになるんじゃありませんか。

小山田 そんな馬鹿なことはない、儂はそんないたずら者ではない。第一儂がそんな下手くそな文章を書くか。

早川 班長殿は中身を御存知なんですか。

小山田(慌てる)いや、知らんよ、自分が書いたのでもないのに、知ってるわけはないじゃないか、儂はそんないたずら者ではないよ。

早川 班長殿をそんないたずら者だと言うのではありません。唯お礼が言いたいのです班長殿は、私が親類縁者のない孤児だと言うことを知っていらっしゃいますね。

小山田 そりゃ知っとる。

早川 身寄りのない男ですから、当然、手紙も参りません、その上不思議な事に私の所へ来る慰問袋は、そういう廻り合わせになっているのでしょうが、未だかつて慰問文が入っていたためしがありません、それで、私が何時か慰問袋までが、俺を孤児扱いにしていると言ったことがありますね。

小山田 うむ、あったな。

早川 だから、班長殿は、私を寂しがらせまいとしてこしらえた手紙を、私宛におかきになっているのです。

小山田 お、俺は知らんよ、俺は知らん。

早川 班長殿早川上等兵は、礼が言いたいのです。

小山田 俺は知らんと言うのに。

早川 班長殿


早川上等兵泣く。小山田もそっと涙をふく。


早川 班長殿、泣かれましたね。

小山田(慌てゝ髯を撫ぜる)知らんよ。

早川 髯を撫ぜたりしてごまかさんで下さい。

小山田 髯ぐらい、撫ぜさせていただきましょう。私の髯でございますから


間。


早川上等兵は涙を拭く。


早川 有難うございます。自分が悪うございました。今後も送っていただきます。

小山田 何、送ってくれ。

早川 内地から、私の所へその手紙が戻って来ましたら、有難く喜んで、読ましていただきます。ですが、唯

小山田 唯なんだね。

早川 唯嬉しげに、寝てはよみ、起きては読みして、喜んで下さるあなたのお姿を見ると、私も手紙の書き甲斐がありますのよと言うようなことだけは、書かんでいただきたいのであります。

小山田 だって、お前は、寝て読んだり、起きて読んだりしてたじゃないか。

早川 ハア?

小山田 (しまったと言う顔、口髯を撫ぜてごまかす)


小松上等兵、母屋から出る。

小松 行って参りました。

小山田 中隊本部の用事は、何んであったね。

小松 慰問袋が来たのであります。それで受取って参りました。

小山田 御苦労御苦労、それで誰の所へ来たのだ。

小松 分隊員全部であります。

小山田 何、分隊員全部

小松 ハア班長殿の奥さんがお送り下さったのであります。

小山田 家内が、芳枝の奴無理をしちまったね、仕方のない奴だね。(併し嬉しそう)


兵隊達、大ぜいが「ワッショイ」と騒ぎながら、慰問袋を沢山包んだ脚包みを、かついで出る。


早川 小松、皆に代って御礼を申し上げろ。

小松 班長殿、班長殿の奥さんが我々一同に、慰問袋をお送り下さいました、有難うございます。

早川 班長殿に敬礼。


一同、敬礼する。


小山田 随分、無理して仕方のない家内だ。礼なんぞよしてくれよ、恥かしいじゃないか。


兵隊達、菰包みを解く、中から多くの小さい慰問袋が出る。


小山田 ほう、各々の袋になってるね。

福西 班長殿のもあります。

小山田 何が来たんだろう。

木本(自分の名宛になった袋を開ける。桐の下駄が出る)おい、班長殿のお家の商売物だ。

砂川(袋を開く)おい、俺のは、スケート下駄だ

兵隊(口々に)俺も下駄だ、俺は草履だ(と、叫ぶ)


砂川は「班長殿、滑りますよ、滑りますよ」と、スケート下駄で滑る)


小山田 俺のは何んだろう、手紙が入ってるよ(読む)シナは路が悪いそうですから、便利なものを送りますから。


小山田が、自分の袋をあけると高さ一尺ほどの高下駄が出る。


小山田 おい、俺は、高下駄だよ。


小山田、その高下駄を履いて歩く。


(暗転)


第五景


命令

前景の一月後——。


小山田班の宿舎、店の間である。

浜崎、木本が雑誌を読んでいる。

砂川は、李雲成を相手に毛糸をまいている。


青蓮が台所口から出る。


青蓮(手にした軍服の上衣を木本にわたして)出来ました。

木本 有難う有難う、うむ仲々裁縫もうまいじゃないか。

青蓮 そんな事ないです。

木本 日本人の旦那さんは、裁縫がうまくないと厭がるからなあ、小松に、お嫁さんに、貰ってもらおうと思ったら、しっかり覚え込むんだぞ。

青蓮 有難う(恥しげにうつむく)


砂川、編かけのセーターを両手に持ち、青蓮を呼ぶ。


砂川 青蓮さん、一寸来てごらん。

青蓮 何んですか。

砂川 一寸。(と、編かけの女物のセーターを青蓮の胸にあてる)はい、よろしい。

青蓮 それ何んですか。

 ネエサン、オヨメサンニ、行ッタラ、

砂川 お祝にだよ。

 オユワイニ、ヤルンダヨ。

木本 おい、砂川、余り無理すんなよ。

砂川 何を言ってやがる、一寸も無理じゃねえや、俺や家にいる時から、冬になると女房のセーターを編まされていたんだが、俺が戦地に来ちゃったので女房の奴、戦地迄、毛糸を送って来て、セーター編んでくれと言って来たんだ。

木本 又、随分、不心得な女房もいるもんだな。

砂川 不心得だろうが、不心得でなかろうが大きなお世話だよ、女房が俺の編んだセーターでなきゃ着ねえてんだから仕方がねえでしょうそのセーターをだな、お祝物に廻すことにしたんだよ、一寸も無理じゃねえじゃねえか、戦友を思やあ、この位の事はあたり前だよ。

青蓮 アリガトウ

砂川 礼なんてよせや。(と、やさしく言う)


街路へ町の女、妙琴が佇む屋内を見る。

やがて屋内へ入って来る。


 姐々那個女的又来了。(姉さん、又あの女が来たよ)

青蓮(きっとなって)儞又来了、快給我走。(又来たのか帰れ)

妙琴 別那麼說時、我来材李起鳳的。(そんな事を言わずに、李起鳳に逢わせておくれよ)

青蓮 我不是說不行麼、耐給我回去。(駄目だってば、お帰りと言うのに)


台所の扉から李起鳳、出て来る。


青蓮(李をとめる)哥々。

李起 我去看一着、儞放心好了。(一寸行ってくる、心配しなくともいゝ)

青蓮 儞還那麼說好容易我這才要過太平日子。(そんな事を言わずにいて折角、私達は幸せになりかかったんじゃないの)

李起(青蓮に構わず、妙琴に)走罷。(行こう)


李起鳳、妙琴は街路へ走り去る。


木本 権兵衛は何処へ行ったんだい。

青蓮 お友達と一緒。

 アノ、トモタチバカヨ。

木本 兄さんの事を、やいてるんだな。

 ニイサンモバカヨ、ニイサンバカヨ。

浜崎 馬鹿に、兄貴の評判が悪いんだな。

砂川 兄貴の悪口なんか言うんじゃねえ兄弟は仲好くしなくちゃいけないんだ。

 ソレテモバカヨ。

浜崎 変に頑張るんだな兄弟喧嘩でもしたんだろう。

木本 兄貴の悪口だからいいけど、姉さんの悪口を、小松上等兵さんのいる前で言うんじゃないぞ、コツンと拳固を食らうぞ。いいか。

青蓮 まあ


三人笑う。

階段の上から、小山田軍曹と小松上等

兵、降りて来る。


小山田 ええか、その場合はだな、儂がきっと頼んでみる、一生懸命に頼めば、何んとかして下さるだろう。

小松 ハア、有難うございます。

小山田 それまでは、絶対に、軍人の本分を乱しちゃいかんよ。

小松 判っております。

小山田 そんな事は、日本の軍人には、言う必要はないかも判らんがね。

小松 ハァ。

小山田 又その期待がだな、全然放れたとしても、落胆するのではないよ。日本の軍人であるということを忘れんようにせにゃいかん、ええか。

小松 判りました。


小山田と小松は階段を降りて店の間へ来る。


小山田 青蓮さん、兄さんはどうしたね。

青蓮 今、お友達と行きました。

小山田 そうか一寸話があったんだがまあ後でもええだろう。

木本 班長殿、いよいよ帰還命令が下りそうでありますか。

小山田 そんな事は、みだりに口にすべきではないと言うのに、判らん男だね、併し(気が好さそうに)そんな噂もあるね。

青蓮(何か言いたげに)班長さん。

小山田 うむええ娘だ。儂は、あんた方が幸せになればええと思うてるよ、此の上は、あんたの兄さんさえ、話を含んどいてくれればええのだ。その上、兄さんの身許さえ間違いがなければええのだ、勿論間違いはあるまいがなあ、幸せになるんだよ。

青蓮 はい、アリガトゴザイマス。

小山田 そうか、よしよし。

青蓮(思いつめたように)あたしコマツさん好きなの。

小山田 そうか、よしよし、いい娘だ。


玉金が、街路から走って来る。


玉金 李起鳳つかまったよ。(と、わめきながら、小松の腕を掴まえて)李起鳳、つかまったよ。

小松 誰がつかまったって。

玉金 李起鳳デスヨゴンベですよ、ゴンベですよ。

小山田 どうしたのだって

小松 ゴンベエが青蓮の兄貴が捕まったのだそうです。


福西が街路から飛び込んで来る。


福西 おい権兵衛が、捕まったぞ、スパイだったんだとさ。

小山田 何、青蓮の兄貴がスパイだ


街路を憲兵に曳かれて、李起鳳と妙琴、もう一人のシナ人が通る。


 ニイサンバカ、ニイサンバカ。


(泣きながら街路へ飛び出して、李起鳳にしがみついて泣く)


青蓮、放心したように、くず折れる。

小松上等兵、動ぜず。


砂川(青蓮を抱きおこす)おい、しっかりしろ


木本一等兵、呆然として街路をみつめる。


小山田(静かに)おい、小松上等兵、お前は悪くないぞ、青蓮も悪くないぞ、悪いのは、ゴンベエだけだ。そのゴンベエも或いは、誤まって、正しいつもりで悪い事をやっとったのかも 知れん気を落すなよ、ええか、気を落すなよ。


街路から中隊本部の兵隊山口、入って来る。


山口 中隊本部から使いに参りました。

小山田 何か。

山口 小山田軍曹は直ちに中隊本部へ出頭せよ、終り。

小山田 判りましたと伝えてくれ。

山口 判りましたと伝えます、帰ります。


山口は街路へ去る。

小山田軍曹は黙々として剣を下げる。


木本 あの噂のことでありましょうか。

小山田 判らん。


街路へ出て行く。


砂川 おい、小松、介抱してやれよ。

小松 うん。(動ぜず)

砂川 兄貴は悪くったって、妹は悪くないと、今も班長殿が言ったじゃないか

木本 そうさ、兄貴は兄貴、妹は妹とし、班長殿が計らって下さるよ、気にせずに介抱してやれ。

小松 うん


浜崎、水を持ってきて青蓮にのませる。

木本 しっかりしろ、青蓮青蓮小松は軍人だからな、態度に困っているだけだぞ、お前の事を思う心はちっとも変っていないのだぞ。

砂川 班長殿がちゃんとして下さる、班長殿がちゃんとして下さる。小松を信じていろよ。班長殿がいる限り大丈夫だからな。


早川が街路から出る。


早川 おい、今、中隊本部で聞いたんだが、班長殿に帰還命令が下ったらしいぞ。

小松(おどろく)班長殿に。

砂川(おどろく)班長殿に。


暫くたって、小山田軍曹、街路から帰ってくる。黙々と階段を昇って行く。木本達その姿を見つめる。

小山田軍曹、チラリと兵隊達をふりかえる。

その眼に、涙が浮かんでいる。


(溶暗)


第六景


兵隊達

前景の一カ月後——。


早川上等兵の「気をつけ」という声で明るくなる。


月の夜である。


小山田班の兵隊達、一列に並んでいる。


早川 番号。


一同、番号をとなえる。


早川 休め。休んだままできいとってよろしい。皆も小隊長殿から伺ったであろうが、小山田班長殿が帰還された後の班長の任務は、今日から自分がつぐことになった。自分は、班長となったについて、先ず一番初めにやりたいことがある。それは今日の昼間、皆と相談したことであるが、帰還された小山田軍曹殿に、班一同から手紙をさし上げることである、皆それぞれ手紙は書いたか。

木本 ハッ、書きました。

早川 順に読んでみろ。

木本 ハッ(読む)小山田班長殿(早川に)もう班長殿ではないのでありますが、班長殿と言わしていただきます。

早川 よろしい。

木本 小山田班長殿、班長殿はとうとうお帰りになりました。我々が親とも、又、伯父とも慕っていた班長殿はとうとう帰還してしまわれました、我々は又、何時の日、班長殿にお逢い出来るか判らないのであります。実は班長殿がお帰りになる時、我々は決して泣くまいと、皆で誓い合いました。班長殿が自分一人が帰るのは心苦しいと仰有ったからであります。班長殿に気兼ねしていただくのが申しわけないからであります。ですから、我々はついに誰一人として泣きませんでした。その代り班長殿の乗ったトラックが、遠く遠く、丘の向うの砂煙の中にかくれたら、初めて涙が出て参りました。早川上等兵殿が一番最初に子供みたいに泣きました。皆に泣くなよ、泣くなよと言いながら声をあげて泣きました。それ程、我々は班長殿と別れるのが辛かったのであります。

砂川 自分たちは例え、戦死するとも班長殿の御恩を忘れないでありましょう。自分は班長殿の残された教えを守って、立派な兵隊となります。立派な日本帝国の軍人となります、班長殿、見ていて下さい、必らず必らず班長殿の名を汚さぬ立派な兵隊となります。班長殿の名を恥かしめぬ立派な兵隊となります。(泣く)

小松 班長殿、小松上等兵は、小松上等兵は(泣く)班長殿の教えを守って、日本帝国軍人の名を恥かしめずにおります。今後とも決して決して(泣く)

早川 班長殿手紙をいく度も有難うございました、今度こそは、女の名前でなく、本物の班長殿のお名でお手紙がいただけます、早川上等兵は泣いてお手紙を読むでありましょう。

木本 我々はさんまの歌を忘れません。

砂川 我々は一生あの歌を忘れません。今、皆で歌います、聞いて下さい。


兵隊達笑う。


あわれ

冬風よ、情あらば伝えてよ

兵隊ありて、秋刀魚を焼きてくらうと

そが上に、あつき涙をしたたらせてくらうは

いづこの里のならいぞや

あわれ

げにそは問わまほしくおかし


(溶暗)


第七景


エピローグ

前景と同じ頃。


ある港町である。


海に近い路奥の方に堤があって、その向うは海。舟の帆柱など見える。左の方に、汽船の待合所がある。

右に、倉庫の壁が見える。


堤の上、右の方から小山田恭平と妻の芳枝が下りて来る。


芳枝 もっと早く帰れるつもりだったのだけれど、本当におそくなりましたね。

小山田 仕方がないさ、儂の親類廻りを待って、皆が戦争の話をききたがるんだから

芳枝 帰還なさってから、夜、外を歩くのは初めてでしょう。

小山田 うむ、(しみ〴〵と)内地の夜は明るいね。

芳枝 まあ、きょろきょろして田舎者みたいね。

小山田 仕方がないさ、二年ぶりだものああ、なつかしいなあ


遠くで工場の汽笛がなる。


小山田 おい大丈夫か、おい大丈夫か。

芳枝 何がですか。

小山田 空襲だぞ。

芳枝 工場の汽笛じゃないのさ、あれは。

小山田 馬鹿、大きな声をするんじゃない、敗残兵が出て来るじゃないか、かくれろかくれろ

芳枝 あなたッ、此処は内地ですよ。

小山田 何、内地あ、そうか道理で歩哨線がないと思ったよ。アッハハ(明るく笑う)

芳枝 まあ、いやですよ、あんたは


左の待合室の蔭から、会社員風の酔払いA、Bが出る。


(小山田夫婦をみて)おい、あんまりいちゃつくな、気が揉めるじゃないか。

 本当だぞ、いい年しやがって。早く帰って、炬燵にでも入って寝ろ。

小山田 何

芳枝 あんたおよしないよ、相手は酔払いじゃありませんの。

 何、酔払いがどうした、自分の金で自分が酔払うのが何故悪い。酔払おうと酔払うまいと僕達の自由だ。

小山田 失礼ですがね、あなた方は。

 何、あなた方はあなた方がどうしたんだ。酒を飲みすぎてるっていうのかい。でも、僕達は若いんですからね。

 道のまん中で、年よりのくせにいちゃつく方が余ッ程、衛生に悪いやおいぼれ、早く帰れ。

小山田(グッと来る、飛びかろうとする)

芳枝 あなた(と、とめる)


酔払い達、右手の倉庫の蔭へ何か喚きながら入る。

小山田、じっと、その後姿を睨んでいる。


芳枝 厭ね、酔払いの相手になんかなる人がありますかあんた、帰って来てから、とても変よ今みたいに酔払いにつっかかってみたり綺麗な着物を着たり、綺麗な服を着た男の人が通ってると、厭な顔をしたりどうしてなの。

小山田 いや、お前等には判らん(悲しくなって)俺は戦地へ帰りたい俺は戦地へ帰りたいよ。

芳枝 まあ、だって、あんた、折角、帰って来たばかりじゃありませんかあんた帰って来てから、どうも変ですよ。

小山田 変かも知れんなあ、自分でも時時戦地に居るのか内地に居るのか判らなくなることがあるのだよ。

芳枝 変ですよ、ほんとに変ですよ。

小山田 俺には、戦地にまだ沢山し残したことがあるのだよ。

芳枝 でも、あなたが帰していただいたのと、入れちがいに他の兵隊さんがあっちへいらしたんでしょう。

小山田 いや、そんなことでなく他のことでだよ、お前に言っても判らんけどねえ

芳枝 あなた、どうなさったの。

小山田(悲しさが、こみ上げて来る)儂ゃ戦地へ帰りたい儂ゃ戦地へ帰りたい。


マイクの声がさゝやくように

「班長殿〳〵、御機嫌よろしゅう我々は立派にやります」

「ハンチョサン、ワタシ、コマツサン、スキナノヨ、スキナノヨ」


小山田(悲しさを耐えて、かみしめるように)あわれ、冬風よ、情あらば伝えてよ、兵隊ありて、秋刀魚を焼きてくらうとあわれ冬風よ、情あらば伝えてよ


小山田恭平は、呟きつつ涙をこぼす。遠くで汽船の入港するらしい汽笛がきこえる。


(幕)


道修町


七場

昭和十七年七月
有楽座上演(古川緑波一座)

(人物)
市兵衛(安田市商店の主六十才前後)
佐登子(その姉娘 二十三才)
たか子(妹娘 十九才)
嘉助(大番頭 六十才前後)
重助(番頭 三十五才)
信助(同 三十七才)
恭助(同 二十八才)
謙吉(小僧 十九才)
春吉(同 十九才)
利吉(同 十八才)
和吉(同 十七才)
松吉(同 十二才)
宗吉(同)
菊(上女中 二十五才)
まき(下女中 三十三才)
よし(同 二十才)
昭和十三年頃から十六年頃へかけて大阪道修町


第一場


安田市商店の店先

道修町の薬種問屋、安田市兵衛商店の店先——。


上手よりに、荷物発送のための土間を取り、大部分は、二重畳敷きの店の間。一番下手に、ガラス戸の表口(夜はガラス戸の外側に、雨戸と、その外側に、一寸角の木格子の戸が閉まるくゞり戸から、出入する)

上手の土間は、正面に、幅一間の細格子の開き戸、普段は閉まりきりとなり、その一部分にくゞり戸があり、台所へ出入する。

二重、畳敷きの店の間は、上下二間に別れ上手の間は、正面右よりに、台所へ行く細格子の障子と、その左に、一間の戸棚(漢薬が入っている)。右手の壁には、薬棚(新薬の瓶が並んでいる)。正面の戸棚の下半分は壁、その前に、主人用の事務机、座布団。下手の間は、一番左手に街路に面した 窓、正面左手よりに、漢薬の戸棚、その右は奥座敷へ行く細格子の障子。番頭用の事務机四脚。


下手の店の間で、帳付をしている番頭の、嘉助、重助、信助、恭助

上手の土間で、荷箱へ縄をかけ、荷造りをしている中僧の謙吉。新らしい荷箱に、藁で巻いた瓶を詰めている春吉と、小僧の和吉。薬棚から、伝票と睨み合せながら漢薬の袋を出し、通い箱に入れている利吉

こんな姿で幕があく。


信助(机の前に坐ったまゝ)ゲンノショウコは二袋やで、間違えなや。

利吉(薬棚の前で通い箱に、漢薬を入れながら)間違えしまへん。そんな心配せんかてよろしが。余り心配すると、頭禿げまっせ。

信助 何ん吐かしてけつかる。しょむないこと言わんと、よう伝票見て、品数間違わんようにせえ此間も、山帰来十袋言うのに、二十袋持って行きよったやないか、武田はんとこが、正直やなかったら、えらい損する所や。

利吉(通い箱に漢薬の袋を入れ終る)やかまし番頭はんやなあそない、があがあ言うたら、尚のこと間違うがなほなら、行って来まっせ。(と、通い箱をかついで、土間へ下りる)

信助 これ、判取帳持って行きんかい。

利吉 すんまへん。

信助 阿呆んだらめ、気いつけんかい。


利吉は通い箱をかつぎ、判取帳を提げて街路へ去る。


春吉(上手の土間で和吉に)阿呆そないに、藁ばっかり使うてどないするねん箱の中藁ばっかりで、瓶は一つも入らへんやないかい送るのは、藁やのうて薬やで

和吉 薬の瓶が、われたらいかん思うさかい、藁でていねいに包んでまんね。

春吉 少しの藁で、瓶がわれんように包むのが一人前や何度言うたら判んね。そんなこっちゃ、何時までたったかて、一人前の番頭になれヘんぞ

和吉 あて一人前の番頭なられヘんかて、かましまへんね。

春吉 ほなら、何んで奉公しとんね奉公なんぞやめ。

和吉 春吉っとんは、一人前の番頭はんになる為に奉公してはりまんの

春吉 そやがな(二重の上の番頭達を指さして)あの上へ坐って、羽織着せて貰うてそうすりゃ一人前の番頭はんやがな

和吉 へえうちは、番頭はんにならしまへんね御主人になりまんね、そやよって一人前の番頭はんに、なれんかてかましまへんね。

春吉 ふんこのがきやまあ、大けなこと吐かしおってよう言わんわ

重助(二重の上から)何んや何んや番頭なんぞになりとうない、主人になるんやて。

春吉 そない言うてまんね、このがきや、阿呆らしゅうなって来るわ。

重助 ガーンと一ついてこましたれくせになるさかい仕様ないがきやな。

謙吉 和吉とんしょむないこと言うてんと(箱に縄をかけ終る)この箱、表へ出しとき

和吉 へえ(と、箱を引きずる)

謙吉(それを見て、まだるっこくなる)ええ、どけどけ役に立たん奴っちゃなあこうやって運ぶのやがな。


謙吉は、箱を器用に動かして街路に面した表口へ運んで行く。

出合頭に、此の家の妹娘たか子が帰って来る。テニスのラケットを持っている。


たか子 あぶないわ気いつけてえな。

謙吉 すんまへん


番頭たち、たか子に「お帰りやす」と言う。

たか子、番頭達にうなずく。ラケットを二重におく


たか子(謙吉の荷箱をとって)下手くそやなあこうやんのやがな。(と、ころ〳〵転がして街路へ出してしまう)

謙吉(呆気にとられる)大きに


たか子、得意な顔で、手の塵を掃い二重のラケットを持って、上手土間の台所口へ行きかける。


たか子(ふと、ラケットに目をやって)えらいこっちゃ、お父さんに見つかったら、叱られてしまう所やった(引返す)恭助はん。

恭助(帳面をつけていた頭をあげる)はい。

たか子 これ何時もの通り隠しといしてや。(のび上ってラケットを渡す)

恭助 はい(受取る)

たか子 その内に、お礼するわね。(台所口へ行きかける)

重助(たか子に呼びかける)こいさん(からかうように)お礼は何をしやはりまんの。

たか子 そんなんまだ、決めたらヘん。

重助 恭助はんが、喜びそうなお礼やったらとうはんに、叱られまっせ

たか子(ふりむいて)阿呆何言うてんねそんな事ばっかり考えてるよって、あんたは偉うならへんねもう少し本を読んで男と女との交りには、恋愛以外の交りもある言うことを勉強して頂戴や。

重助 へんえらい言われ方や恭助はんはインテリだすよってなあてみたいな、ド阿呆とはちがいますわ。

たか子 あんた、思うたより悧巧やなあ。

重助 そりゃ、あてかてなあ

たか子 自分のド阿呆をよう知ってはるわ。

重助 


たか子重助に向って映画俳優のように、敬礼して、入りかける。

奥から障子があいて、主人の安田市兵衛が出て来る


市兵衛 たか子

たか子 はあ?

市兵衛 お前、今何言うてた

たか子 

市兵衛 重助に何言うてた此処へおいで


たか子、無言。


市兵衛 此処へおいで言うてるのに、判らへんのか。

たか子(二重の上へ上る)

市兵衛(自分の机の前に坐る)坐んなはれ。

たか子(市兵衛の前に坐る)

市兵衛 手をついて。

たか子 手をついて、どないしますの。

市兵衛 重助に謝まんなはれ。

たか子 うち、生れてから誰にも、謝まったことあれしまへんね

市兵衛 何んでもええから謝まんなはれ、お父さんの命令や

たか子 何んで謝まらんなりまへんの。

市兵衛 お前、今さっき、重助にどない言うた重助が、あてはド阿呆でっさかいになあ言うたらお前、あんた思うたより悧巧やなあと言うたやろ。

たか子 言いました。

市兵衛 そしたら重助が、そりゃあてかてと乗って来よったわ。此の男は根が阿呆やよってなそうしたらお前、あんた自分のド阿呆よう知ってはるわ失礼と、敬礼したやろ

たか子 しました。

市兵衛 お前、悪いこと言うたとは、思わへんか。

たか子 

重助(したり顔)世の中には言うてええことと、悪いこととおまっさかいなあ

市兵衛 そやその通りや世の中には言うてええことと悪いこととある、重助は確かにド阿呆やそやけど、それは本人の前で言うては悪いことや(重助げっそりとした顔)それにお前は、女子やないかこれから嫁に行こうかいう女子があんなこと言うてええかちと、つつしみなさい。重助に謝まりなさい。

たか子 うちは女子やよってに謝まんなりまへんの。

市兵衛 そや女子いうものは、言いたいことが十分あったら、その内の三分言えばええものや

たか子 うち、そんなの厭やわうち、そんなの厭ですのお父さんや皆が、うちらの事、女子やよってに、女子やよってに言うて、何んでも押しこめるようなこと言うてやさかいうち、わざと男みたいにしてますのそうせな損やよって

市兵衛 たか子もっとちゃんと坐りい。(たか子坐り直す)お前、姉さんを見てどう思う姉さんはお前みたいなしょむない口のきき方、一度でもしたことあるか

たか子 姉さんは、特別や

市兵衛 姉さんが特別やあらへん特別はお前や儂ゃな、死んだ儂の嫁はんになあお前みたいな子を作ってくれ言うて、頼んだ覚えは、一度もないでお母はんはな、どんな時でも、お店の番頭はんには、ていねいな口をきいとってやった。番頭はんが無うては、お店が成り立 たへん言うてな。死んだお母はんはな、何時でも姉の佐登子はええやが、妹のたか子が何んせ困り者や言うて、嘆えてはったでお前ええ年して今だにこんなことでお母はんに申訳ない思わへんか。

たか子 

市兵衛 ええお母はんやったお前、お母はんに済まん思うたら重助はんに謝まり。

たか子 (父の顔をみるそして、重助に、つつけんどんに)堪忍してや


たか子は、土間へ下りる。


市兵衛 たか子。

たか子 (ふりかえる)

市兵衛 まだ済まへんのやで。

たか子 何んですの

市兵衛 恭助はんその柄のついた餅網みたいなもの出し。

恭助 はあ(とぼける)

市兵衛 あんた何時でも、たか子からあずかっとってやろ


恭助、立ち止って、窓際の、薬棚の陰に隠したラケットを出すそれを上手の部屋の市兵衛の前へ持って行く。


恭助 どうも、すみません。

市兵衛 あんたは悪いことあらへん悪いのはたか子や(と、たか子に向い)何んや、この魚焼きの網みたたいなもの

たか子 テニスのラケットだすがな。

市兵衛 ラケットか、ビスケットか知らんけど何でこれを、恭助はんにあずけんならんね

たか子 姉さんが、又お父さんに見つかったら怒られるさかい、恭助はんにあずかって貰い言わはりましてんそれに恭助はんなら、黙ってあずかってくれはりますもの。

市兵衛 そりゃ頼まりれや、仕様ないよってあずかってくれてのや恭助はんかて迷惑やがな毎日毎日こんなんばかり振り廻して飛びはねて何が面白いねん、こんなもの。

たか子 運動ですよって、身体によろしねやわ。

市兵衛 身体にええか知らんけど、そんなことばかりしてるよって、飛び跳ね者になりますのや儂ゃ、そういう女子は嫌いです嫌いやけどやなあお前がそうすることが好きやと言うのなら別にやめなさいとは言いませんで現代の女子はそういうことをせないかん言うのなら仕様がおまへんそやよってこの餅網も、恭助はんにあずけるような事せんと、自分でちゃんとしもうときなさい

たか子 はいそんならテニスはやってもよろしいの。

市兵衛 その代り隠し事はよしなはれやこれからもあるこっちゃ、お父さんに隠し事したら、あきまへんで

たか子 すみません。

市兵衛 仕様しゃあない子やもうよろし行き。

たか子 すみません。


と、たか子は、土間から台所口へ入る。


市兵衛 仕様ない子やな

恭助(恐縮して)どうも、私もついうっかりおあずりしていて、申訳ありませんでした。

市兵衛 いや大事だんない、大事ない。ありゃ時々言うてやらんと、何処まで飛び上るか判らん子やよって一寸こらしめただけだす。心配せんかてよろし。

恭助 本当にどうも

市兵衛 いやだんないそれよか、あの方はどや。

恭助 はあそのう。


恭助は下手の部屋の、他の番頭達から一人離れて帳付けをしている大番頭の嘉助に、話をゆずって自分の机へ行く。


嘉助(話を引きとって)旦那はんえらい売行きだっせ。

市兵衛 やっぱり、よかったかいなあ。

嘉助 今土間で、荷造りしてまっしゃろ。(と、土間の和吉、春吉達を指さす)あれもそうだんね

重助 旦那はんやっぱり新薬はよろしいなあ。

市兵衛 ええかいなあ少しはようないとえらい犠牲払うてるのやよってなあ。

嘉助 そうだす、漢薬専業で何百年言うて通して来た安田市商店が、清水の舞台から目えつむって、飛び下りた気持で、新薬を売り出したんですよってなあ。

市兵衛 ちいとばかりは、儲けさせて貰わな後生が悪うおます。

嘉助 ほんまにいな


番頭達、相槌を打って笑う。


恭助(進み出る)旦那さん。

市兵衛 何んだす。

恭助 その今のお話の新薬ですけれど私は宣伝の仕方で、もっと売れるような気がしますけれど

市兵衛 宣伝がいけまへんか。

恭助 いけないと言うこともないのですけれど何んですかあそこにかかっていますね(漢薬の看板を指さす)新聞の広告をみましても、家の新薬の広告は、あの漢薬の看板 を見るような気がするのです。新聞広告なども、もっと新らしい気のきいた図案や文案を考えたら、もっと売れるんじゃないかと思いますけれど

嘉助 恭助はんあの新聞広告いけまへんか。

恭助 いえ、別にいけなくはないのですけれど、漢薬と新薬とでは自ずと宣伝の方法も

嘉助 いけまへんやろなあて等、根が無学でっさかい新薬など扱うたこともおまへん新薬の宣伝など、殊に不得手だすあの広告は、私が図案も文案も決めたんだっせ悪うおましたなあ。

恭助 いいえですから

嘉助 ですからどないですね併し、なあ恭助はんこの安田市商店には昔からの格いうものがおまんね昔からの、暖簾言うものがおまんねその暖簾に傷のつくような品の悪い広告はしたいことがおまへんさかいなあ

恭助 併し、新薬を売るのに、新薬らしい広告のしかたをしたって、暖簾に傷がつくという程のこともございませんでしょう。

嘉助 黙ってなはれ、あんたみたいな学校出の若い人には、判りまへんやろけどこの、昔からの漢薬の卸で鳴らした安田市商店がだすな、今度新薬を発売する言うだけでも私等、昔からいる番頭は何十回言う程、相談会を開いたんだっせ余り傍からこれ以上お店の品を落 すような商売の入知恵つけんといとくなはれ

恭助 私は唯商売が大事だと思いますものですから、何時までも昔流の商売をしていることは


番頭達は、嘉助と恭助の言い争いに、次第に引き入れられて昂奮してくる。


重助 昔流昔流って、恭助はんは言いなはるけどなあ昔は、新薬言うものはのうて、漢薬ばかりだったんだっせ、その時はこの店かて、新らしい商いの仕方をしてたんだっせ

市兵衛(争いを遮ぎる)もう嘉助も、重助も、恭助も、やめとき皆、商売を大切に思うばっかりや儂や、厚う礼を言うで店の品も大切やそれも判る。商いもぎょうさんせんならんそれもわかる。皆、よう喧嘩してくれなはった。併し此処で一番肝心な事は、この安田市商店が皆も、もう知ってるさかい言うてもかまへん一番肝心なことはこの安田市商店が、没落しかかっとる言うことや先祖伝来の漢薬事業をよして、始めて新薬を発売したのも新聞広告言うようなものを、始めてやったのも、その危険な瀬戸際をうまく切り抜ける為や今度の新薬には、資本もみな掛けてしもたな、それをよう噛み分けて、皆仲好う、商売にはげんでや儂かて、先祖から伝わった漢薬事業の看板をはずしとうはない併し、その看板だけでは今の時節では商売がし憎いさかいな、し憎い商売を、無理押しして安田市商店を潰すようなことがあったらなあそれこそ、御先祖様に申しわけないよってなあ、御先祖様から授かった暖簾をはずすような事にならん為に新薬発売もやりましたんや頼みまっせな。

嘉助 そらもう、よう判ってます、よう判ってまっさかいあてかて、一生懸命になって新聞広告かて、ポスターかて、一々自分で指図して作らせては、出してまんね。

市兵衛 所が、恭助はんは、それが漢薬の看板みてるみたいな、言うてのやろ。

恭助 別に悪口を言うつもりはなかったのですが

市兵衛 ええがな薬言うものはな、昔から、効きさえすれば売れる言うことに決まってまんねそれにな、嘉助はんも、重助はんも、信助はんも、昔から番頭はんやってるんや、商売の事は、よう知ったはるまあ、まかせときなさい。

恭助 はあ

嘉助(まだ気がすまない)宣伝が効いてる証拠には、ああして註文がどんどん来てるやないか。

恭助 私は、あれが毎日二箱三箱でなくこの土間ではせまくて、荷造りもろくに出来ないと言う程、沢山註文が来るといいそう思ったのです。すみませんでした。

嘉助(気が折れてくる)まあ、商売のことは、私にまかせておきなはれ私のすることは御主人もちゃんと見とってやそれにあんたは、近々の内に、上のとうはんを、御嫁はんに貰うてこの家の後つぎになっての人や、段々に商売を覚えて行かんならんな、荒い言葉使うてすみませなんだが気い悪うせんといてや

恭助 いいえ

市兵衛 両方共、判ったか

恭助 はい、判りました。

市兵衛 判ったら気持のようなった所で、もう表閉めたらどうや

嘉助 そうだんな夢中になってたが、もう五時すぎやな(土間に向って)春吉とん謙吉とん後は明日にして、表閉め

謙吉 へえ。


小僧達は、土間の荷箱を、片隅によせ、あたりにちらかった藁や縄をかたづけはじめる。


市兵衛 重助、売上帳みせてみ

重助 へえ(と、さし出す)

市兵衛 この調子なら、何とか順調に、売れよるわいなあ嘉助はん。

嘉助 左様だすどない言うても先祖伝来の看板がもの言いまっさかいなあ安田市が新薬売り出したあちゅうてそれだけで、小売屋が喜んで、飛びついて来よりまっさかいなあ

市兵衛 もう一息やなもう一息押切る為には、恭助はんの言うような、宣伝のしかたもええような気がするな恭助はんの言うのは武田はんや、田辺はんで、宣伝してはる、ああいう宣伝の仕方やろ。

恭助 そうです。

市兵衛 皆、成功してはるさかいなああれもええような気がするなあ、なあ嘉助はん。

嘉助 ブルブルブルいけまへん、よしとくなはれ。

市兵衛 いかんかあ

嘉助 私は、派手な事は、なんでも好きまへんねあんな派手な事せんかて、家の暖簾で地道に、売れて行きまんがな

市兵衛 それも、そうやなまあ、地道にさえ売れて行ってくれれば、文句はないかも知れんなあ

嘉助 左様だす旦那はん、近頃は時々、突拍子もない、新しがった事言うてやさかいはらはらし まんがな

市兵衛 儂や慾張りになったんかいなあ。

嘉助 上のとうはんの、御結婚が間近いですよってなあ


番頭達、恭助の顔を、ひやかし半分にみる。


市兵衛 いろいろ物入りやでそのせいかも知れんでなあ、恭助はん。

恭助 はあ(困る)


番頭達、笑う。市兵衛、立ち上る。

街路を通る新聞屋が、夕刊を放り込んでゆく。恭助、拾って——


恭助 旦那さん、夕刊です

市兵衛 うむ


市兵衛は、夕刊を受取って奥へ入る。謙吉、春吉、和吉など、表戸を閉め始める。嘉助、重助、信助、恭助は事務机をかたづけ始める。

奥から、市兵衛、再び出て来る。


市兵衛 恭助はん家の新薬の創製者なあの医学博士何んというお名前やったいなあ

恭助 木崎博士です。

市兵衛 木崎

恭助 木崎養之助です。

市兵衛 木崎養之助(と、改めて夕刊に見入る)

恭助 何か出ておりますか。

市兵衛 いや(と、奥へ行きかける又引返す)後で、読んでみ(新聞を恭助に渡し、不安気に奥へ入る)


恭助、新聞をひろげて読むその顔に不安の影が濃くなる。


信助(傍へよる)何んでんね


信助、新聞をのぞき込む。

これも、不安な面持。


恭助 大番頭さん(と、新聞を渡す)

嘉助 何んやね。(と、新聞を見る)


奥から市兵衛が、もう一度出て来る。


市兵衛(黙って、新聞を受取って見入る)

番頭達そのまわりを取り巻くようにして覗き込む。

謙吉達の、表戸を閉める音が騒がしい。

(溶暗)


第二場


同台所

(前場の一月後)


安田市商店の台所である。

下手に、店の間からの出入口—前面は土間。

正面に二重の板の間。その奥に一段高く台所の畳敷き

上手に、へっつい鍋釜の棚、食器の棚、漬物樽そして片隅に、車井戸

一番上手の奥に、奥庭へ出るくゞり戸。正面板の間の左隅には、店員達の箱膳を入れておく棚。

畳敷きの奥、上手よりに家人の食器を入れる鼡入らず、その下手に奥座敷に通じる襖の出入口——それらの上に、吊棚、椀その他の食器を入れた定紋つきの箱が並べて載せてある。その一番下手に店へ行く障子の出入口

その他、すべて、大阪の旧家らしい雰囲気

嘉助が畳敷きの上で。重助、恭助、信助が板の間の上で。利吉、謙吉、和吉が土間に腰かけて。御飯を食べている。

女中まきとよしが、番頭たちの食事の給仕をしている。


嘉助食べ終る)御馳走様。

まき よろしゅうお上りお茶、入れまほか。

嘉助 入れかえんでもええで

まき よろしがな大番頭はん、出したてが好きや言うて、何時でも、新らしいのにせえ言うてやおまへんか

嘉助 新らしい茶は毒や言うて聞いたさかいもう飲まんことにしたんやそのまま入れたらええねん。

まき 左様だっか。(茶を注ぐ)

謙吉(土間で)御馳走様。

利吉(土間で)御馳走様およしさん、お茶くれんか

よし(土間で)何言ってんね、小僧のくせに生意気言わんと、御飯たべたら、さっさと御店へ行って、働き

利吉 へええらい言われ方や。


謙吉、利吉は、上手の流し場で、茶碗を洗う


信助(板の間で)御馳走様これ頼んまっさ


信助、立ち上って箱膳をよしに渡す。よしは、土間で受取って、流し場へ運ぶ。

信助、店へ去る。


重助(板の間でまだ食べている)お代り

まき(給仕をしながら)重助はん、よう食べてのやなあこれで五杯目だっせ。

重助 何杯食うても、人のこと大きなお世話や精分つけな、身体がやせて仕様ないわ

まき 一月も前に飲まはった下し薬まだ効いてるんだっか

重助 阿呆言うなそないに長いこと効いてたまるかい薬はうっかり飲めんよって、御飯で滋養とってるのや

まき そんなら山盛りにしまっさ

重助 程ようよそうとけ程よう何杯にも分けりゃええねん。

まき 文句の多い人やな(と、茶碗を渡す

恭助(板の間で)御馳走様

まき 御茶、入れまほか。

恭助 有難う


まき、茶を注ぐ。

恭助、静かに茶を飲む。

嘉助、さっきからしきりに考え込んでいる。


春吉(土間で)御馳走様。

和吉(土間で)御馳走様。


謙吉、利吉、箱膳へ洗い終った茶碗をおさめ、土間の出入口から店へ去る。

春吉、和吉、流し場で、茶碗を洗う。恭助、立ち上って店の間へ行こうとする。


嘉助(呼びとめる)恭助はん。


恭助、嘉助の前へ坐る。


嘉助 あんた旦那はんから話聞きなはったか。

恭助 いえ、まだです併し薄薄は様子で判ります。


嘉助ジッと、恭助の顔をみる。


嘉助 先月の新聞以来や新聞にあないして、木崎博士の事が出てから以来家の初めての新薬がぱったり売行きがとまってしもうた。

恭助 本当に売り出して、誰でも知ってる薬になってしまってからならよかったのです。まだ宣伝の最中にその新薬を創製した博士が、あんな事になってしまわれたんですからね

嘉助 世間いうものは、薄情なもんやあの博士の御家の中の出来事と薬とは、何んの関係もあらへんやないかそれが、あの博士の名前を使うてるばかりに、ばったり売行きがとまったんやからな。

恭助 旦那さんも、あれ程、乗気になっていられたのにお気の毒です


春吉、和吉、洗い終った茶碗を箱膳におさめ棚へのせて、土間から、店の間へ去る。


嘉助 あんたも知っとってやが最近はこの安田市商店も、道修町の他の新らしい勢力いうのか、どういうのか大きな店に押しつけられてな一寸商売の方が、具合が悪かった今度旦那はんが、創業以来初めて、新薬に手を出さはったのもそれを一息に挽回しよういうおつもりやった資本もなあ、根こそぎいう程注ぎ込んでなあ工場まで建ててなあそれがこの有様や

恭助 御運が悪かったのです

嘉助 あてら八つの時から此の店に奉公してるこんな事は初めてや心配で、御飯も咽喉を越さへん

恭助 さっきあれ程お茶の好きな大番頭さんが茶を入れかえなくともいいよと仰有ったので僕はいい番頭さんだな心の中で思いました。

嘉助 そうまで神経を使うたかて、なるようにしかならんのかも知れん暢気にな、御飯を五杯も六杯も食べる人かて、あるけどなあ


盛んに、食べつゞけていた重助、嘉助の皮肉を感づいて、お代りと言いかけ慌てゝ「お茶」

「あの、お茶の葉は、入れかえんかてええで」まき「あたり前ですがな」重助「少しでええねん、少しで」まき、注ぐ重助「大けに」と、恐縮してお茶を飲む。


重助 此のままで行きゃ此の安田市商店は没落する他に路がないねん、何百年か続いて来た此の店がなあ

恭助 

嘉助 一軒の店が潰れるということは、容易ならん事やでなあ私等あてら、この店のおかげで商売を覚え、旦那はんのおかげで、一人前の商売人にさせて貰いましたその私等のいる店がその旦那様が今どうなるかと言う瀬戸際へ来てまんね私等かて、ジッとしている訳には、行きまへんわなあ、そない思いまヘんか。

恭助 思います。

嘉助 そこでやなあんた、気い悪うせんようにしててやええか気い悪うせんようにしてやこれはこの話には旦那はんは、てんで乗ってはらしまへんで乗ってはらしまへんが、一つこういう話が、此の家に来てまんねその話になあ、当家の者がなあ、乗って上げさえすれば当家は安泰になりまんねこの安田市商店が破産したりせんかてすみまんね。

恭助 それはどういうお話でしょうか。

嘉助 御当家のなあ、そのう上のとうはんを、御嫁に貰いたいという家がある。そういう話だんねその先は、船場の立派な御家だっさかいな若しその話が決まれば、その御家でも、当家が、こうして困窮してはる姿をみれば、そのままではおいとかはりますまいこの話、あんた、どう思う。

恭助 

嘉助 旦那はんはなええかこの話を、てんで傍にもよせつけはらへんのやで誤解しなや所でや、あんた、この話をどう思う

恭助 

嘉助 旦那はんはな何故か知りまへん何故か知りまへんけどなこの話をてんで見向きもしやはらへんでそやけどやなこの話が、御当家の為に、ええ話やと思うたら奉公人の我々も、この話はええ話でっさかい、この話を進めて、旦那はん、御家を立て直しとくなはれそう言うておすすめせんならんわなあそやないか。

恭助 


重助嘉助と恭助の話に聞き入っている此処まで来るとたまりかねる


重助 大番頭はんあては、この恭助はん昔から嫌いだっせ昔から嫌いやけど今の大番頭はんの話は恭助はんの為にやめとくなはらんか。

嘉助 やめる何んでや。

重助 あては、恭助さんが、お家の上のとうはんとどういう訳合いになっとってや、よう知りまへんで知りまへんけど、若しもお家のとうはんと、恭助はんとが、あてが想像するような訳合いになっとってやったら今の話は、恭助はんに死ね言うようなもんや

嘉助 そりゃ、どう言うこっちゃ私は何んにも知りまへんで恭助はんに何か事情がおますのか

重助 大番頭はん空っとぼけんでおくんなはれ恭助はんの、昨日までの立場は、こうやってお店に奉公している者のはりあいの的だっせ番頭かて成績さえよけりゃ、尤も顔もようなきゃいけまへんやろけどな成績さえよけりゃ、番頭でも御主人の家の娘はんを嫁はんにもろて、御主人の家の後つぎになれるそれは、あてたちの明るい希望希望そのものでっさかいなこういう場合にも、恭助はんみたいな立場の人が、初めの予定通りにあてらが思うていた通りになれたらあてら番頭の世界は、どないに明るうなりまっしゃろ。

嘉助 重助はんあんたは、番頭さえ幸せになりゃ、御主人の家はどないなってもええという主義か

重助 いえ、別にそういう主義やおまへんけど。

嘉助 そういう主義なら主義でよろしおまあんた今日限り此の店から去んでもらいまほ

重助 そんな無茶なそんなあんたそら無茶苦茶や。

嘉助 無茶な事あらしまへん私は何時の場合でも御主人が第一、自分の事はその次だす

重助 そりゃその通りだす、その通りだすけどなあ

恭助 大番頭さん私に考える間を下さい。どうしたら御主人の御家が安泰になるかその話に乗ることが、この御家の為になるかならないかよく考えてみたいと思います。

嘉助 よう考えてみとくんなはれなあ、御家が大事だっせ。


まき、よし、流し場の隅で、御飯を食べている。

奥から上女中の菊が出て来る。


 番頭はんら皆はん、もう御飯すんだんでっか

嘉助 すんまへんもう、とっくに済んでましてんけど長話をしよ りまして今、退きま。

 とうはんが、御飯上ってやよって一寸すみまへんけど、退いてくれはらしまへんか。

(土間へ向って)まきはんとうはん方の御飯の支度してんか。

まき はい


嘉助、重助、店の間へ去る。

たか子、奥の間から出て来る。


たか子(奥へ向って呼ぶ)姉さん早ようおいでんか。

 こいさんまだ支度出けてしまへんねで。

たか子 かまへん此処で坐って待ってるから、ええねん。(坐る)


奥の間から佐登子、出る。

恭助、店へ去ろうとする。

佐登子と顔を見合せる。


恭助 どうも、長い事無駄話して御食事がおくれて申訳ありません。(と、店の間へ行きかける)

佐登子 恭助はん

恭助(ふりかえる)

佐登子 ええわ何も用事ないねん。

恭助 そうですか。


二人は、顔見合せる笑う。

恭助はそのまゝ店の間へ去る。


たか子 姉さん、あんたどない思うてんのん断わってやなあ断わってでしょう。

佐登子(坐る)断わるも断わらんも、こない話そないに簡単に言えるもんやあれしまへん。

たか子 そやけど姉さんには、ちゃんと、自分の行くべき路が、決まっているのですもの考える余地なんか、ない思うわ。

佐登子 そりゃ、お父さんかてその事に就いては何も言わはらへん唯、こう言う話があるけどお前に黙っているのも何やから、一応耳にだけ入れとくそう言うてはったそやけど

たか子 姉さんは姉さんの思った通りにしやはったらええやおまへんの

佐登子 それがなああんたはまだ子供やうちの気持判れへん。

たか子 姉さんあんたの心境そないに頼りない心境なのあんた、恭助はんのこと好きやないの

佐登子 たか子いやなこと言うての子やなあんたそないなこと阿呆やなあ

たか子 姉さんたら、言いたいことの半分も言わへんのやもんうち、何が何や、一寸も判れへんわ

佐登子 うちあんたみたいに、何んでも言える人、幸せや思うわ

たか子 姉さんは不幸やな


二人笑う。

土間へ重助が、小さい小僧、松吉を連れて出る。


重助(佐登子達に)すんまへん此の子、今日から小僧ぼんさんに来ましてんけどなあ、まだ昼御飯食べてまへん言いますよって今此処で、すんまへんが、食べさせてやっておくんなはらんか。

佐登子 ええわ其処で食べさせておやり

重助 へえ大きに(松吉に)本来なら、お前、とうはん等と一緒に、御飯食べたり出けへんねで今日だけやで早よう食べさせて貰い(まきに)おまきさん何んぞ食べさせてやってんか

まき 仕様ないな、今時分になっておかず何にもあらへんで(と、箱膳を取って板の間へおく)さあ、これがあんたの御膳やよう覚えとき。

重助 ええか余り食べすぎるんやないで五杯以上食べると、身体に悪いよってなあ腹も身の内や、ええか

まき 何言うてんねそりゃあんたに言う言葉やがな。

重助 わいが経験ずみやよってそない言うてんね。

まき 人に言うより、自分が気をつけなはれ。

重助 へんえらい言われ方や。


松吉、板の間に向って土間に腰かける。

重助、店の間へ去る。


よし(松吉に)はいお菜や御飯は自分でよそうて食べるんやで(お櫃をあてがう)

松吉 おおけに

佐登子(松吉に向って)小僧さんあんた、何んて言う名や。

松吉 松三郎言いまんねけど此処へ来たら松吉と変えられましてん。

たか子 可哀想になあどうして小僧に来ると名前かえるんやろか。

佐登子 此の子も名前変えられたん不平そうやな松吉っとん

松吉 (黙って佐登子の顔をみる)

佐登子 あんた、名前変えられて悲しいか。

松吉(黙ってうなずく。)

佐登子 無理ないと思うわそやけどな、そういう悲しい思いしてそういう悲しい思いを何度も何度もして人間言うものは、段々偉うなってゆくのやで

松吉(佐登子の顔をみつめる。)

佐登子 あんたかて、此処に奉公している内には、叱られることかてあるやろ、朋輩に叩かれることかてあるやろそんな時、松三郎が叱られたり、叩かれたりするのや思うたら腹が立つ松吉が、叱られたり叩かれたりするのや思うたら、諦めもつくその内に段々大人になってくるわ偉うなる為には、それも我慢せなならんのやな、我慢しいや。

松吉(うなずく)


その間に菊、佐登子たちの膳を出して、食器を揃える。

まき、佐登子たちの器に、お菜を盛る。

よし、店員達のとは、別の櫃に佐登子達の御飯をとる。


たか子 松吉っとんあんた、親兄弟あんのか。

松吉(うなずく)お父ちゃんと、姉さんがいてはります。

たか子 姉さんがあんのそらええなあ姉さんはやっぱり、うちらみたいに、お花生けたり、お茶立てたりしてはるのかお花生けんの上手か。

松吉 お花生けるって、何んだす

たか子 知らんのんか切花を花瓶に生けたり、水盤に生けたりするのやがな

松吉 姉さんは工場へ行ってはります。

たか子 工場へお父はんは何してはるの。

松吉 お父ちゃんは、病気だんね、お父ちゃん病気で、働けんさかい、うちは工場へ行く言うて、行ってはりまんね。

たか子 そう偉いなああんた一人で奉公に来て寂しいことないか。

松吉 

たか子 今夜からは、お父ちゃんとも、姉さんともはなれて一人で寝るのやで可哀想やな

松吉(御飯を頬ばりながら、泣いている)


菊、佐登子達の御飯をよそう。


 お上りやす。

たか子 お父さん、おそいなあ


 おそうなったら、先に食べさせとけ言うてはりましたよって遠慮のう、お上りやす


たか子、食べはじめる。

佐登子、箸もとらず、考え込んでいる。


たか子 姉さん食べへんのんかどないしたのん


間。


たか子(姉の顔をみつめる)

佐登子 うち、考えたけどな御嫁に行こうかと思うねんけど。

たか子 

佐登子 うちら、少さい時から、お父はんやお母はんに可愛がられて、育って来たな今、親孝行せな、する時があらへんような気がする。

たか子 それで、御嫁に行く決心しやはったの

佐登子 

たか子 お嫁に行く言ったら恭助はんの方やのうて、うちが断わんなはれ言うてる方やな。

佐登子 (うなずく)

たか子 姉さん言うたら、何言うてるの、そりゃ相手の家は、えらいしんしょ持ちや其処へ姉さんが御嫁に行けば、家が困ってるのそりゃ助けてくれはるやろそやけどそればっかりが親孝行やあらへんでうちは松吉っとんの今の話きいたら、益々、姉さんと恭助はんは、結婚せないかん思い始めた。

佐登子 うちは御嫁に行かないかん思うた。

たか子 阿呆阿呆やな、姉さんは、松吉っとんは姉さんとお父さんと自分とが、一緒に暮せへんのが悲しいのやで。

佐登子 そやけど、松吉っとんの姉さんは、外へ出て働いて、お父さんを養うてはるわ。

たか子 それはそうせなならんさかいや。(松吉に)そやな、松吉っとん。

松吉(無言で姉妹の顔をみている)

佐登子 うちなあ。死んだお母はんのこと思い出してんお母はんは十五で、お父はんの所へ嫁入りして来やはったんや西も東も判らん内から、お嫁に来て死ぬまでお父は んの為に尽さはったんや、うちら、お母はんに比べると恥かしいわ。

たか子 姉さんあんた恭助はんのこと、可哀想や思わへんのか恭助はん、可哀想やないか。

佐登子 そら、恭助はんは可哀想やそやけどうちかて可哀想やお母はんは言うてはった、女子いうものは、その家のうちからその家の暖簾を守って行かないかん男は外で働いて、暖簾を守る、女子はうちらから守る今は、お父はん一人が、あのお年寄りのお父はん一人がこの安田市商店の暖簾を守る為に汗みずくになってはる時やお父はん一人でこの家が支え切れんようになったら死んだお母はんの代りにうちが出て行って支えてあげないかんそやないかお母はんかて、うちらが黙っていたら、不甲斐ない子供やなそう思うてやろ

たか子 そやけど

佐登子 恭助はんも可哀想やそやけど本当の心を言ったら、うちかて可哀想や小說かて、何かてこういう場合には、男ばっかり同情されたるそやけど、女子は好きな男の人と別れて、何んでもない、まるで知らん人の所へ行くのやその方が、余っ程、可哀想やないか

たか子 そんなん古くさいわそんなん安っぽいセンチメンタルやうち嫌いやそんなん例え、この家が没落しても、姉さんと恭助はんとが結婚して、お父はんと姉さんと恭助はんと、うちと四人が、共共に働いて暮すのが、うちは本当の幸福や思う姉さんは古いわ問題にならへん考え直し。

佐登子 古うてかまへんうち、お母はんの代理になるねん。



信助、出る。


信助 旦那はんがお帰りになりましたで。


市兵衛が店の間から出る。

信助は店へ去る。


佐登子・たか子 お帰り

市兵衛 ああ、暑つうちらにいると、そうでもないが、外歩くと、もう相当暑いでえらい汗や。

 直ぐ御飯にしまほか。

市兵衛 ああ頼む(膳に向って坐る。)

たか子 何処へ行ってでしたの

市兵衛 一寸、用達しや。(松吉をみて)その子何んや

 今度来た小僧や言うて、重助はんが連れて来やはりました、まだ昼御飯食べてへんさかい言うので、さっきから食べてるのだす(松吉に

松吉っとんあんた長いなあ、早よう食べてしまいんか

市兵衛 ええがな育つ盛りやたんと食べさせてやり


店の間から重助が出る。


重助(市兵衛に)あの旦那はんに、まだお引き合せしまへなんだけどこの子が昨日申しました、松吉いう子でんね(松吉に)旦那はんやで御挨拶し。

松吉(立上って、御辞儀をする)

市兵衛 えらい小さい子やな。辛いやろけどなこの位の内から商売覚えたら、ええ商売人になるわまあ、しっかりやり。

重助(松吉に)お前まだ食べてんのか、いい加減にせんかい腹も身の内やで

 重助はんの世話する人やよって、よう似てはるわなあ。

重助 お菊はん世の中にはなあ言うてええことと悪いことあるねんで旦那はんやとうはんの前でそんな事言うたら、あてがさも、食いつぶし男みたいやないか

市兵衛 まあ、ええがな重助はんの大食いは、儂もよう知っとるさかい公認やがな

重助 おおけにエヘヘ


重助は店の間へ去る。


佐登子 嘉助はんに聞いたんですけど金策の方は、どないでしたの

市兵衛 嘉助に又、阿呆な奴やなあの男そんな事は、女子の知ったることやあれへんどうでもええねん、そんな事は

佐登子 お父はん此の間のお父はんのお話しのなあお嫁入り先の家みんなええ人でっか。

市兵衛 何んやて

佐登子 うちなあ先の人が、ええ人やったら、御嫁に行かせて貰おうか思ってますの。

市兵衛 そりゃ先の人は普通の人や、普通以上ではあらへんええ先やったら、お父さんが行け言うて、すすめたるやめとき


三人は御飯を食べ始める。


たか子(突然箸をおいて)はっきり言うとくけどなあ、うち、姉さんのその御嫁入り話は、絶対反対やで人間は、思うままの事をするのが一番幸福なんやその幸福を捨てる話か て捨てさせる話かてうちは絶対に賛成出来へんうち、はっきり言っとくわ

市兵衛(怒る)たか子何んやその口のきき方はそれでも女子かお父はんは佐登子を嫁にやるともやらへんとも、何んともまだ言うとらへん


松吉、その剣幕に驚いて、店の方へ走って行きかける。


市兵衛(呼ぶ)松吉松吉いうたかいなあ。


松吉、ふりかえる。


市兵衛 びっくりせんかてええねんで小さい内に奉公に出て、いきなり他処の内部のことを見て驚いたんやろなびっくりせんかて、ええねんでうん

(ゆっくり暗くなる)



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