もくじ

口絵

かなりや軒

下駄分隊

道修町

スラバヤの太鼓

花咲く港

今日を限りの

がめつい奴

放浪記

丼池

東京の風

五条木屋町

毒薬

鐘の嗚る丘(隆太の巻より)


菊田一夫(きくたかずお)

1908年 神奈川県横浜市に生まれる
日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。

菊田一夫(きくたかずお)

1931年 神奈川県横浜市に生まれる
日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。

菊田一夫戯曲選集

菊田一夫

かなりや軒


一幕

昭和八年七月
ムーラン・ルージュ上演

(人物)
惣兵衛 (かなりや軒の主人)
おとく (おかみさん)
お銀 (娘)
仙吉 (円タクの運転手)
おしな (帰って来た女)
敬三 (その内縁の夫)
客五、六人

(場所)
隅田川に沿った町のある小さなミルクホール

舞台 かなりや軒の一戸建(三方かざり)そのA面をかなりや軒の裏側から見たる外観、そのB面を店――、そのC面を台所兼家族達の居間とする。

そして此の三方かざりを総括したるかなりや軒の建物をつゝむ、そのあたりの家、及び隅田川の景を、外飾りとして此の舞台装置は構成される。

A面、外観は――板壁の中央正面に窓(ガラス戸がしまっている)その上に二階の窓、物干用の小さなてすりと、雨除けがついている。雨戸がしまっている。


幕があく。

朝である、薄暗い朝靄に包まれた空気――。

工場の汽笛が鳴る。

舞台は次第に明るくなる。

やがて隅田川の向う側の町からやって来た朝の日ざしが、かなりや軒の二階の雨戸をオレンジ色に染めて、一日の始まりを知らせる。

二階の雨戸が内側から開かれる。

中からお銀ちゃんのまぶしそうな顔がのぞく、お銀ちゃん、手にはかなりやの鳥篭をぶらさげている。かなりやの啼声――。


お銀 かなりやが啼いてるわかなりやちゃん、あんたお腹すいたの?待ってらっしゃいね、すぐに朝御飯こしらえて上げるからね、一寸待ってるのよ。


と、かなりやの籠を雨除けの釘にかける。

そして一旦、姿をかくし、今度は九官鳥の篭をぶら下げて姿を現わす。

九官鳥の啼声――。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


お銀 あんたもお腹すいたの? 待ってらっしゃいね。お前は後よ、かなりやちゃんが済んでからね。


九官鳥の啼声――。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


お銀 駄目! そんなに催促しちゃあ、九官鳥は厚かましいから嫌いさ。待ってるのよ、大人しく。


と、お銀は餌鉢で餌をする。

かなりやの啼声――。

階下の方の窓ガラスが内からあけられる――。

お銀の母おとくさんが上を見上げてのぞく。


おとく お銀、お銀。

お銀 なあに。(と、下を覗く)

おとく 父さん起きたかい。

お銀 まだ、ぐうぐう寝てるわよ。

おとく 起こしておくれよ、お店を開けなきゃ、折角お客が来ても帰っちゃうじゃないか。

お銀 私、かなりやちゃんと九官鳥のエサを慥えるのよ。それにお父さん、私が起こしたって起きないのよ、お母さん起こしてよ。

おとく 仕様がないね、本当に父さんは(と、ガラス戸をしめる)


お銀、餌をすりつゞける。

やがて二階へ登って来たおとくの姿が二階の窓の中に見られる。おとくが惣兵衛を起こす後姿。


おとく お前さん、お前さん。

惣兵衛(声だけ)う、う、う、うーん。

おとく 起きなさいよ、もう何時だと思ってるんだよ、起きなさいってば、そんなに寝ると眼玉がとろけて流れちゃうよ。

惣兵衛(声だけ)何を言ってやがんでえ、この位で眼玉がとろけたら、おれの眼玉なんかいくらあったって足りやしねえや。

おとく 何んだって?起きないのかい。起きなきゃ起きないように考えがあるよ。

惣兵衛(声だけ)起きる、起きるよ起きるよッ(姿現わす)起きるってば


と、窓に腰かける。

九官鳥の啼声――。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


惣兵衛 馬鹿野郎、煩せえやい。

おとく 何んだって?

惣兵衛 九官鳥に怒ってるんだよ、お前に言ったんじゃないよ、だからいいじゃないか実際この九官鳥と来たひにゃ実際ろくな事を覚えやがらねえ。九官鳥なんてものは「今日は」とか「お早よう」とかって言葉を真先に覚えるもんだ。それだのに「お父ちゃん叱られた」だなんて、何んて事をぬかしゃがるんでえ、お銀だろう、こんな事を教えたのは。

お銀 知らないわよ私、九官鳥がひとりでに覚えたのよ、ねえお母さん。

おとく そうだよ、お銀でなくったって、九官鳥だってかなりやだって、お前さんのだらしないのはよく知ってるよ。

惣兵衛 本当か?(と九官鳥の篭をのぞく)

おとく 馬鹿だね、九官鳥に向ってきく奴があるかい。


九官鳥の啼声――。

「お父ちゃん叱られたお父ちゃん叱られた」


お銀 もういいの! 駄目、そんな事言っちゃ。

惣兵衛 実際、女房の野郎がおれを尊敬しねえから、鳥迄がおれをなめてやがる。

おとく いいからさ、お前さんは早く店を開けて、顔を洗っといでよ、おつけがさめちゃうじゃないか。

惣兵衛 洗って来るよ。(去る)

おとく 本当に、お父さんも、もう少ししっかりしてくれなきゃあねえ。

お銀 あれでいいのよ、世の中には随分悪いお父さんだっているんですもの。家のお父さんみたいにいいお父さんはないと思うわ、いい人だというだけで沢山よ。

おとく そりゃそうだけど、今はお店の方だってどうにか三人が食べて行かれるという程度だろう。私ゃせめてお前にお聟さんを貰う時の支度だけでもしたいと思ってさあ。

お銀 あらそんな事いいわ。このままで来る人が無かったら、お聟さんなんか欲しかないわ。

おとく そりゃ口ではそういうけどね、なかなかそうはいかないもんだよ。

お銀 そうかしら

惣兵衛(階下で声だけ)おとく、おとく。

おとく 何さ、お前さん。

惣兵衛(同)店にお客さんが来てるぜ。

おとく お前さん出とくれよ、近くにいるんじゃないか、何してるの、お前さんは

惣兵衛(同)おれか、おれゃ飯食ってるんだよ。

おとく まあ仕様がないね、あの人、顔も洗わずに御飯食べてるよ。(と去る)

お銀 (餌をかなりやと九官鳥の篭に入れてやる)かなりやちゃんも九官鳥も御飯食べてしまったら、私と一緒に今日もお店にお客様がいっぱい来ますようにっておいのりするのよ、ね、おいのりするのよ。


かなりやの啼声――


舞台半廻しとなり—B面となる。

店の間――下手に街路に面したガラス戸の相当間口の広い出入口。(その外側にはかなりや軒と書いた白いのれんがかけられてある)出入口の向うには隅田川及び、その河向うの町がぼんやりと見える。

その出入口のやゝ上手、正面向きに、奥へ通ずる出入口。(カーテンがさがっている)

その上手にコーヒー沸し、ソーダ水注入器などを飾りつけた台、台の片隅には旧式な金銭登録器――。店は土間になっていて、テーブル、椅子などが程よくおいてある。

そのテーブルに向った椅子の一つにおしなが掛けている。その前におとくが掛けている。


おとく 家の人がお客さんだって言うからさ、出て来たらおしなちゃんじゃないか、びっくりしちゃったよ、たよりがちっともなかったからね、どうしたのかと思って、家でも始終噂してたんだけど

おしな すみませんおかみさん皆様は?

おとく お蔭様でね、皆丈夫なのさ、それでおしなちゃん、今は?何処にいるの。

おしな 遊んでるんです。

おとく 遊んで? 銀座の方の店は?

おしな とっくに止しちゃったんです。そして方々の店を廻ったんですけど、一寸した事情があるため落ちつけなくて

おとく だってそれじゃ困るだろう。

おしな ええそれでね(ためらいながら)あのお願いに来たんですけれど、お店、今誰かいます?

おとく ううん、あれっきり誰もおかずに、お銀も店へ出て働くようにして親子だけでやってるんだけど、でもうちなんかじゃ、あんたも知ってる通り、カフェーと違ってお金にならないからねえ。

おしな でもいいんですわ、我慢するわ。

おとく そりゃあ有難いけど、直ぐに又厭になっちゃうよ。

おしな 今度は大丈夫よ、私カフェーからカフェーをまわって働いてる内に何処で働くのも同じだということが判ったんですもの、今度は心を入れかえて働くから大丈夫ですわ。

おとく 大丈夫かねえ、じゃとにかく家の人に聞いて見るからね、お前さん、お前さん。

惣兵衛(奥座敷で――声だけ)何んだよ。

おとく 一寸、店へ来とくれよ。

惣兵衛(同)飯食ってるんだよ。

おとく あら、まだすまないのかい、随分長い飯だね、おしなちゃんがきてるんだよ。

惣兵衛(同)誰?

おとく おしなちゃんだよ、家にいたさあ、それでねえ、家でもういっぺん働きたいっていうんだけどね一寸来とくれよ。

おしな すみませんわね、御飯中でしたの。

おとく いいんだよ、こんな事でもなけりゃ飯をやめないんだから。


惣兵衛が正面出入口奥から出て来る。


惣兵衛 おう、おしなちゃんかい、どうしたね。

おしな 御無沙汰しました。

惣兵衛 お客様だと思ったものだから、おとくに出てくれって言ったんだけど、おしなちゃんなら俺一人で出て来てしんみりと逢うんだったよ。

おとく 馬鹿だねお前さん。

惣兵衛 儲かるかねおしなちゃん。

おしな ちっとも儲かりませんわ。

惣兵衛 そうだろうね。

おとく お前さん! 儲かりませんわといったのに、そうだろうねえって挨拶する人がある?

惣兵衛 相手がおしなちゃんだからいいよ。

おとく 相手がおしなちゃんだからじゃないよ、お前さんは誰にだってそうなんだから、少しは考えて物をいいなさいよ。

おしな 相変らずなんですのね。

おとく 本当に仕様がないんだよ、所でお前さん、どう今の話

惣兵衛 いいだろう。(と、言いながら煙管を出して煙草をのむ)

おとく そりゃおしなちゃんがいてくれるとね、随分お客様の数がちがうからねじゃあ、おしなちゃんに何処かいい所が見つかるまでいてもらう事にしようか。

惣兵衛 そうしろよ、それがいいよ。

おしな まあ、おいて下さいます? すみません、何時も我儘ばかり言って。

おとく いいんだよ、そんなことじゃお前さん、そうしようよ、ね。

惣兵衛 それがいいよ。いいことはいいが、おとくおしなちゃんが来て口が殖えたからって、俺に、飯を加減しろなんて言っちゃ厭だぜ。

おとく 馬鹿だね、そんな事いやしないよ。

惣兵衛 お前時々いうじゃねえか。

おとく およしってば見っともないじゃあね、奥へ行ってその着物着換えておいでよ、お銀のが何かあるだろう、その着物のままじゃ汚れるよ。

おしな ええ、私、自分勝手においてもらう事にきめて着換えの着物も持って来ましたの。

おとく そうかい、馬鹿に手廻しがいいんだねお銀、お銀。

お銀(奥で、声だけ)なあに。

おとく 一寸。

お銀(同)はい。(と、奥から出て来る)何か用?

おとく おしなちゃんが来たんだよ。

お銀 えッ、おしなちゃん!

おしな お銀ちゃん。

お銀・おしな まあ


と、二人はすがり合う。


おしな お銀ちゃん、しばらくの間に随分大きくなったわ、そして綺麗になったわ。

お銀 あーら、おしなちゃんこそ。

おしな 本当にきれいになったわ、お聟さんはまだ。

お銀 いやだわあ、私お聟さんなんか貰わないわ。

おしな まだ小さい時と同じことを言ってるのね、可愛いわ。

おとく お銀、おしなちゃんにね、前みたいに店で働いて貰うことになったんだけど

お銀 まあ嬉しいわ、二人で働けるんだといいわね、お父さんと二人でお店へ出てるととてもつまんないのよ、父さんちっとも話相手にならないんですもの、私の言うことちっとも判らないのよ。

惣兵衛 何を言ってやがんでえ、人聞きの悪い事言うねえ。

おとく お前も賛成なら尚の事いい。じゃ、おしなちゃんが着物着換えたいといってるから、一しょに奥へ行って手伝っておやり。

おしな いえ、私、勝手知ってますから一人で着換えますわ。

おとく そうかいそれじゃお銀、御飯食べておしまい、お母さんも一しょに食べるから

お銀 店番は?

おとく 店番はお父さんにしてもらえばいいじゃないか。

惣兵衛 (慌てて)おれゃまだ飯食うんだぜ。

おとく まだ食べるのかい。

惣兵衛 だって、さっきは中途で切れたんじゃないか、食べ直しだよ。

おとく まあ呆れたよ、この人は

惣兵衛 そう呆れるない、だからさっき念を押したんじゃないか。

お銀 いいわ店番は私してるから

おとく それじゃ直ぐにお母さんが代るからね

お銀 ええ

おとく じゃ、おしなちゃん。


と、おとく、おしな奥に入る。


惣兵衛 お銀ちゃんと店番してるんだぞ、居ねむりなんかするんじゃないぞ。

お銀 居ねむりはお父さんじゃないのさ。

惣兵衛 何を言ってやんでえ。


と、惣兵衛も奥へ入る。

お銀はテーブルの上の皿をおき直したり、テーブルの位置を替えたりして、やがて立て込んで来る客への準備をする。

自動車のラッパの音――。

ギヤーをかけて停止する音――。

円タクの運転手仙吉が下手から出る。


仙吉(つくり声で)御免下さい。

お銀 あ、いらっしゃいませあら仙吉さんじゃないの、厭ッ、おどかしちゃ。

仙吉 御免よ、あまり夢中になって片づけてるからさ。

お銀 だって自動車がとまったからきっと仙吉さんだと思って、わざと知らない顔したのよそうしたらまるで違う声で御免なさいって言うんですもの

仙吉 おどろいた?

お銀 いやな仙吉さんよ

仙吉 御免ね、御免よ。

お銀(機嫌を直して)今日は忙がしい?

仙吉 普通だな。

お銀 今日もミルクとトースト?

仙吉 うん。

お銀 仙吉さん、ミルク好きねえ。

仙吉 だって、お銀ちゃんの顔の色と同じだからさ。

お銀 馬鹿ね一寸通してくるわね(と、奥のカーテンの所へ行く)お母さんトーストとミルク頼むわ。

おとく(奥で、声だけ)今御飯なんだよ。

お銀 お父さんは?

惣兵衛(奥で、声だけ)今御飯だよ。

お銀 まだ食べてるの、お客様なのよ早くしてよ。

惣兵衛(声だけ)客か待たしとけ。

お銀 まあ(と、テーブルへ戻って来る)

仙吉 君んちのお父さんもお母さんも暢気でいいね。

お銀 暢気すぎて困るのよ。

仙吉 お銀ちゃん一人で働いてるんだろう。

お銀 そうでもないわ、忙がしくなると親子総出よ。

仙吉 そう、でも僕が来る時は何時もお銀ちゃん一人じゃないか。

お銀 だって(恥じらいながら)なるべく、私、私一人でいるようにしているんですもの。

仙吉 有難う、お銀ちゃん実はね僕もね、お銀ちゃん一人の時を見はからってやって来るんだよ。

お銀 そうお。

仙吉 街を流しながら客を拾っても、正午近くになるとね、此処の反対の方面に行けという奴には、とても高くふっかけてやるんだよ。

お銀 駄目よ、そんな事しちゃ、商売は大事よ

仙吉 だって、人の気も知らずにさ、平気な顔をして高田の馬場だなんて此処と反対の方へ行かせようとしやがるからさ。だから、そういう奴乗っけた時にはわざと石ころの上や、凸凹の所を走るんだよ。すると客の奴ね、車の中で天井に頭をぶっつけたりなんかして、この車随分ゆれるねえだってさ、ハハハハ。

お銀 あたしもよ、仙吉さん来てるでしょう。そんな時にくるお客とってもしゃくにさわるのよ。だから、わざとコーヒーの中に砂糖入れずに持ってゆくのよ、すると随分にがそうな顔して飲んでるわ。

仙吉 そうかい、面白いなあ、お客ってばね、今朝君んちが開いて間もない時分、此処へお客様を一人運んだんだぜ。

お銀 店開けてすぐ?

仙吉 うん、女のお客様さ。

お銀 あ、あれ、家の人よ。

仙吉 家の人? 親類かい?

お銀 ううん、元、家にいた人なの、他処へ行ってたんだけど、今日から家で働くんだって

仙吉 そういえば女給みたいな装で、随分男なれのした口のきき方だったけど、君んちにずっといるの?

お銀 あの人、きれいでしょう、だから、あの人がずっといると、店が又はやるようになるわよ。

仙吉 それ程、きれいでもないよ。

お銀 あら、きれいよ。

仙吉 そうかな。


おしながじみな着物と着換え、ミルクとトーストを盆にのせて運んで出る。


おしな お待遠様、ミルクとトーストこちら?

お銀 あら、おしなちゃん、もう着物着かえたの。

おしな ええ、早いでしょう。(と、テーブルの上へ運んで来たものを並べる)

お銀 早いわねこの人知ってる?

おしな この人?

仙吉 今朝程は(と立上って堅くるしくお辞儀をする)

おしな あら、今朝の運ちゃんね。

お銀 まあ、運ちゃんだなんてひどいわ。

おしな 御免なさい。

お銀 今ね、おしなちゃんを此処へつれて来た事を、お客様連れて来てやったんだってこの人自慢してる所なのよ。

おしな お客様でなくてがっかりしたでしょう、ホホホホ。


小僧さん風の客A、Bが入って来る。そして下手よりのテーブルにつく。


お銀・おしな いらっしゃいませ。

おしな(そのテーブルへ行く)何にいたしましょう。

客A 紅茶とトースト。

客B ライスカレー。

おしな はい、かしこまりました。(お銀の傍に来て)お銀ちゃん、おかみさんがね、今の間に御飯食べておしまいなさいって

お銀 あたし、まだいいわ。

おしな でも、たてこんでくると食べられなくなるわよ。

お銀 そうね。

おしな 食べておしまいなさいよ。(と、言いすてゝ奥のカーテンの所へ行く)紅茶とトースト、ライスカレー一ちょう。

お銀 仙吉さん、まだいるでしょう。

仙吉 もう、一寸いらあ。

お銀 直ぐにすませてくるわね待っててね。

仙吉 うん。


お銀、奥に入る。

おしな、仙吉のテーブルへ来る。


おしな ねえ、運転手さん、あんた毎日、此処へ来るお客様?

仙吉 うん、毎日来るよ。

おしな 私、ずっと此店で働くのよ、どうかよろしく。

仙吉 いや、僕こそ。

おしな 僕こそだなんて随分堅そうな人ね。


と、てれて赤くなった仙吉の顔をまじまじと見つめる――私がつき合った男の中にはこんなにウブな男はいなかった――と心の中で思う。


おしな 朝は御免なさいね、私あんたが此処のお客様だってことを知らなかったのよ。だから、いろんな事べらべらしゃべっちゃって

仙吉 いえ、面白かったですよ。

おしな そうお、だってね、私が前にいた時には、あんたみたいな可愛いお客様来なかったのよ、あんたみたいな人が来るんだったら、私、この店で働いてても張り合いがあるわ。

仙吉(てれて)うまいこと言ってらあ。

おしな あら、ほんとよ。


仙吉は言葉のつぎほに困って唯機械的にミルクをすする。


惣兵衛(カーテンからのぞく)紅茶とトースト、ライスカレー上ったよ。

おしな はい(と、言って客A、Bの所へ運ぶ)お待遠様――(仙吉のテーブルへ来て)あんた毎日おひるじゃないと来ないの。

仙吉 夜は忙がしくて、滅多に来られないんだよ。

おしな 今日からは、夜もいらっしゃいよ。

仙吉 来られたら来るよ。

おしな 来られたらじゃなくてさ、今夜来る?(と、おっかぶせるように)

仙吉(へどもどしながらそして何かしら引ずられるような力を感じながら)大てい来ます。

おしな そう、じゃあ、待ってるわね、必らず来るのよ。

仙吉 うん


おしな、じっと仙吉の顔をみる。

仙吉は眼のやり場に困ったようにもじ〳〵としている。


仙吉(立ち上る)ぢゃ今夜廻って来る間の時間だけ稼がなくちゃならないから。

おしな もう行くの。

仙吉 ああ。(と、墓口の中から五円札を出す)おつりくれないかこれで

おしな あら、おつり? こまかいのないかも判らないわ、私、立替えといたげるからいいわ。

仙吉 でも

おしな いいんだったら、しまっときなさいよ。(と、仙吉の手を握って押しかえす)

仙吉(気弱く)じゃ、晩に返さあ。

おしな ええ、いらっしゃいね、きっとよ。

仙吉 左様なら。


と、仙吉は出て行く。

自動車の出てゆく音。

お銀が奥から出て来る。


お銀 あら、仙吉さんは

おしな 仙吉さんて?

お銀 そこにいた人。

おしな 今の運ちゃん? 帰ったわよ。

お銀(がっかりして)帰ったの。

おしな あの人仙吉さんていうの?お銀ちゃん、あの人好き?

お銀 ううん。(恥かしそうに首をふる)


青年団員風の客C、Dが来る。そして仙吉の坐っていたテーブルにつく。


おしな いらっしゃいまし。

客C ライスカレー。

客D コーヒーにトースト。

おしな(奥へ向って)はい、ライスカレーにコーヒーにトースト一ちょう。(と、大きな声)

客A 勘定だ。

おしな(客A、Bのテーブルへ行く)はい、有難うございます。


この時、お銀一人を残して舞台全体が暗くなる。


お銀 仙吉さん仙吉さん何時も黙って帰ったりなんかしないのに、何故帰っちゃったのかしら(と、つぶやく)


照明そのまゝで舞台はC面へ向って廻ってゆく。

C面の舞台。

上手に、B舞台下手出入口の外側となるガラス戸と白いのれん。

その下手に台所兼、かなりや軒の調理場(土間)。その下手に奥座敷へ行く二重。二重の下手に障子。中央には店の間へ行くカーテンの出入口。調理場には小さい台の上にガスと七輪、パンを焼く旧式の大きいテンピなどが乗せてある。

その横にコーヒー茶碗、コップ、シロップなどを乗せた棚。

夜――

調理場の中は明るく、外は暗い。上手ののれんの後からは店の間の灯りが浅れて見える。

惣兵衛が牛乳の瓶をあけて牛乳沸しの中へ移している。

おとくが店の方から入って来る。

紅茶の茶碗を持っている。


おとく お前さん、何んだいこりゃ

惣兵衛 紅茶だよ。

おとく 紅茶というものは、お湯みたいに透き通ってるものかい。

惣兵衛 紅茶は紅いものだよ、決まってるじゃねえか。

おとく 決まってる? じゃたしかに紅いんだね。

惣兵衛 紅いから紅茶じゃねえか。

おとく そんならこれを御覧。何だいこりゃ

惣兵衛 あれえ、お湯の薬鑵と紅茶の薬鑵と間ちがえてついだんだよ。


と、牛乳沸しを下ろし、コップに牛乳を注ぐ。


おとく 馬鹿野郎、はっきりしとくれよ、お店は忙がしいんだよ何してるのさ。ミルクのコップに指をつっ込んで

惣兵衛 へまをやると又お前に怒られるからさ、味を見てるんだよ。

おとく 汚ないね、早くこっちへお出し。

惣兵衛 あいよ。(と、渡す)

おとく(店へ行くカーテンの横の窓口から)おしなちゃん、ミルク上ったよ。

おしな(店の方で声だけ)はーい。

おとく(惣兵衛の傍へ来て)だけど、お前さん、お銀どうしたんだろう。お昼すぎから、馬鹿に変な顔してるよ。

惣兵衛 変な顔って、どんな顔だい。

おとく どんな顔ってさァ、判らないかねお前さん、泣きそうな顔をして、お客様が来ても、何時もみたいに嬉しそうに出て行かないんだよ。

惣兵衛 病気じゃねえのかい。

おとく そうでもないらしいんだよ、年頃だからね。

惣兵衛 ヒステリーか。

おとく 違うよ。

惣兵衛 ああ、ヒステリーはお前か。

おとく 殴るよ、本当に今晚でもお店終ったら聞いてやろうよ。

惣兵衛 そうしなよ。

おとく ああ、二階の窓のカナリヤと九官鳥、しまったかい。

惣兵衛 しまったよ、しまって店の帳場の上につるしておいたよ。

おとく 忘れると、夜は寒くて、殺しちゃうからね、それにお銀が殊に大切にしてるんだしねえ本当にお銀どうしたんだろう。

惣兵衛 心配する程の事もねえやな。

おとく そうかねえ


お銀が店へゆくカーテンから駆け込んで来る。


お銀 お母さん、大変よ。

おとく あ、びっくりした、どうしたんだよ。

お銀 お店に変な人が来て、おしなちゃんにからんでるのよ、おしなちゃん困ってるのよ。

惣兵衛 変な人って、どんな奴だい。

おとく どんな人だい。

お銀 ならず者みたいなの。

おとく 仕様がないね、お前さん、一寸行っておくれよ。

惣兵衛 よしッ、俺がつまみ出してやろう。

おとく お客様が大勢いるんだから、あまり手荒な事するんじゃないよ。

惣兵衛 客が居ようがいまいがかまいやしねえ、叩き出してやるんだ(と、行きかけて後へ戻る)だけどお銀、俺があぶなくなったら交番へかけつけるんだぞ、お父さんが殺されそうですっていいか。

おとく そんな事頼む位なら余り威張って行くんじゃないよ、大人しくなだめるんだよ。

惣兵衛 よしッ。(と、肩をそびやかして店の方へ行く)

おとく えらそうな事いって怪我しなきゃいいが前から知ってそうな人なのかい。

お銀 どうもそうらしいの、かなり深い関係の人らしいのよ。

おとく おしなちゃんもいいけど、時々こういう事があるんでね


惣兵衛がぼんやりと出て来る。


おとく おや、お父さんどうしたんだい。

惣兵衛(ぼんやりと)どうもしないよ。

おとく 馬鹿に早いじゃないか、もう外へ追い出したんかい。

惣兵衛(ぼんやりと)まだだよ。

おとく(じれったそうに)じゃ何故、逆もどりして来たんだよ。

惣兵衛(ぼんやりと)だってさ、お前なんかの出る幕じゃねえ、引込んでろっていうからさ。

おとく 馬鹿。

惣兵衛 どうもすみません。


舞台B面へ向って半廻しとなる。

店の間。

上手よりのテーブルにおしなとおしなの内縁の夫である敬三がかけている。

下手、中央のテーブルには客E、F、Gがいる。


おしな だからさ、今日はこのまま帰っておくれったらさ。

敬三 駄目だよ、金を出すか、俺と一緒に帰るかどっちかにしろよ。

おしな だから、お金は今日ないからといってるじゃないか。

敬三 此処の主人に借りりゃいいじゃないか。

おしな こんな小さなミルクホールに金があるものか。

敬三 その金のねえミルクホールなんかに何んだって住みこむんだよ、お前は俺から逃げるつもりだろうが、そうはいかねえんだぜ。

おしな きっとこしらえるよ、きっとこしらえるから帰っておくれよ私、この家の人のいい旦那や、おかみさんや娘さんを驚かしたくないんだよ。

敬三 驚かしたくないんなら尚更早く出しゃいいじゃないか。

おしな 何度言えば解るの勝手におしよ。

敬三 勝手にするさ、勝手にして明日の朝まででもねばっててやるぜ。

客EF(さゝやき交わして立上る)おい、勘定おいたぜ。(と、出て行く)

おしな はい、有難うございます。(と、そのテーブルへ行き、金を持って奥のカーテンの所へ行く)おかみさん、お会計です。

おとく あいよ。(と、出る。金銭登録器へ金を入れてから小声で)おしなちゃん、まだ帰りそうもないのかい。

おしな 御免なさいね、おかみさん。

おとく いや、いいんだけどさ、交番に走らせようか。

おしな いえいいんです、私、私帰しますわ。

客G おいいくら。

おとく はい、十五銭いただきます。

客G 金をおいて去る。

お銀(おとく達の傍へ来て、小声で)おしなちゃん、大丈夫。

おしな 有難う、お銀ちゃん、大丈夫よ、あんなの、ちっとも怖くなんかありゃしない。(と、敬三の傍へ行って不貞くされたように坐る)

お銀 大丈夫かしら。

おとく おしなって子は気が強いね。


自動車の停る音。

仙吉が入って来る。そして下手の椅子にかける。


おとく おや仙吉さんが来たよ、仙吉さんが夜来るなんて珍しいじゃないか。

お銀 えッ仙吉さんが、あらッ、昼間黙って帰ったんで、きっと謝りに来たのよ。(仙吉のテーブルへ行く)いらっしゃい。

おとく まああの娘は(と、のび上ってお銀達の方をみる)


同時に舞台、おとくのいる所だけを残して暗くなる。


おとく(奥へ向って)お前さん、お前さん。

惣兵衛(奥の方で声だけ)何んだい。

おとく ちょっと、ここへ来て店の方をのぞいてごらんよ。

惣兵衛(同)それ所じゃないよ、今ホットケーキがこげついて大変なんだよ。

おとく どの位こげたのさあ。

惣兵衛(同)一寸だよ。

おとく 一寸ならいいじゃないか。

惣兵衛(同)ううん、たべられる所が一寸しかないんだよ。

おとく 仕様がないね、じゃ、それは新しく焼く事にしてさ、ここへ来て一寸のぞいてごらんよ。

惣兵衛(カーテンから顔だけ出す)何だい、のぞけ、のぞけって

おとく ほら、あれを見て御覧よ、お銀が昼間からシクシクしてた原因が解ったよ。

惣兵衛 ああ、あの運転手の事でか、チエッ仕様がねえなァ。

おとく だってもう、年頃なんだもの、仕様がないよ。それにあの仙吉って子は堅そうだからね。

惣兵衛 人間が堅いばかりじゃ仕様がねえぞ、頭の使える奴じゃねえと仕様がねえぞ。

おとく 生意気言うんじゃないよ奥へいってホットケーキを早くこしらえといで。

惣兵衛 こしらえるよ。

おとく 味を見るんだなんて、又なめたりしちゃいけないよ。

惣兵衛 あいよ。(と、顔を引っこめる)

おとく(独言)ああやって、嬉しそうに話してる所を見ると、お銀も娘らしくなったよ、一緒にしてやってもあんな具合に仲好く行くかしらそうだと、いいがねェ。

客H(ライトのかげで)おいホットケーキまだかい。

お銀(同)はい、唯今。(おとくの傍へ来る)お母さんホットケーキお催促よ。

おとく ああ今すぐだよ。

お銀 そう。(と、行きかける)

おとく お銀。

お銀 え。

おとく これ仙吉さんに持っていっておやり。(とシュークリームの皿を出す)

お銀 まあ、シュークリーム。

おとく 仙吉さん、好きなんだろう。

お銀 ええ、好きだけど、いいの、お母さん。

おとく 仲好くおしよ。

お銀 まあいやッ、そんな事いっちゃ

おとく まあ.あんなに喜んでうまく行ってくれるといいがね。


これで舞台全部が明るくなる。


お銀 仙吉さん、これお母さんが御馳走するんだって

仙吉 お母さんが、やあ、どうもすみません。


おとく、微笑んでうなずく。


お銀 いいのよ、そんなにお辞儀なんかしなくったって

仙吉 でも悪いじゃないか。

お銀 いいのよ。

仙吉 有難うねェお銀ちゃん、さっきから気になってるんだけど、あそこにいる変な男、何?(と、敬三達の方を指さす)

お銀 おしなちゃんと向きあって坐ってるんでしょう、何んだか悪い奴らしいのよ。

仙吉 悪い奴?

お銀 ええ、おしなちゃんにとてもからんで来るのよ。

仙吉 おしなちゃんの恋人なの。

お銀 なんだか、そうらしいけど

仙吉 人相の悪い奴だね、追っ払ってやろうか。

お銀 よしなさいよ、怪我しちゃつまらないわ。

仙吉 だけどさ。

お銀 仙吉さん、そんなに気になるの?

仙吉 ううん別に別にそうじゃないけどさ。

お銀 おしなちゃん気が強いから大丈夫よ、怪我でもしちゃつまらないわ。


と、お銀立上りかけた仙吉を抑える。


敬三(おしなの黙りこくった横顔をみつめていたが)おい、何時迄此処に坐らせとくつもりだ。

おしな だって、何時迄も坐ってるからいいって、自分で言ったじゃないの。

敬三 返事はどうするんだ、返事は。

おしな だからさ、さっきから出来ないと言ってるじゃないのさ。

敬三 出来なきゃ俺と一緒に来て、俺の言う通りに働け。

おしな 厭なこった。

敬三 何ッ、厭だ?

おしな 何時まで私の骨をしゃぶりたいというのさ、もっと男らしくおしよ。

敬三 生意気言うな。


と、いきなり立上っておしなを殴る。

おしなが逃げようとする拍子にテーブルが倒れる。皿やコップがこわれる。


おしな 何をするのさ。(泣声)

敬三 何を言ってやがんでえ。(と、つゞけさまにおしなの顔を打つ)

仙吉(立上る)とめてやろう。

お銀 仙吉さん、およしなさいよ。

仙吉 可哀想じゃないか。


と、立上る仙吉をお銀とめる。


お銀 仙吉さん。


仙吉、それをふりはらって、敬三の傍へ進み寄る。


仙吉 おい、よせ、可哀想じゃないか。(と、敬三の肩をつかむ)

敬三 お前は何んだ。

おしな(初めて仙吉に気づき)まあ、だめよ、出て来ちゃ。

仙吉 だって、余り乱暴するからさ。

おしな まあお昼の約束守って来た上に親切なのね。

敬三 この青二才はなんだ。

おしな 私の可愛い人よ。

敬三 何ッ。(と、仙吉をつき倒す)

おしな あっ、あぶない。


仙吉、テーブルと一緒に倒れる。


仙吉 畜生あっさりやったな。(と、敬三に武者ぶりつく)畜生。


仙吉と敬三、取っ組み合う。おしなとお銀はそれをとめようとしている。


お銀 仙吉さん、仙吉さん、あぶない。

おしな およしッ、およしってば。(泣声)

おとく(カーテンの所へ行って叫ぶ)お前さん、一寸来ておくれ、お前さん。

惣兵衛(出る)何んだ何んだ、こらッやめろ、やめねえか、やめねえと、どいつもこいつもたたきのめすぞ。(と、椅子の上に乗っかってどなる)

おとく そんな高い所へ乗っかって怒鳴ってないでさ、傍へいってとめるんだよ。

惣兵衛 こらッ、やめろ、やめろ、やめないと家のおかみさんにぶたれるぞッ、やめろ、やめろ。(と、惣兵衛は敬三と仙吉の取っ組み合った中に割って入る。ひとたまりもなく突倒されて、カウンターの下に逃げ込む)

おしな(泣声)やめとくれよッ、やめとくれよッ、やめておくれったらさあ。(と、夢中になって二人の間に分けて入る)


おしなは敬三を、お銀は仙吉を遂にとめる。


敬三(息をはずませて)どうだ若僧。

仙吉(同)何ッ、いくらだってやるぞ。

お銀(仙吉の腕にすがって)仙吉さん、やめてよ、やめてよ、あんた私が可哀想だと思ったらやめてよ。

仙吉 大丈夫だよ、お銀ちゃんあんなやつ、なんでもありゃしないや。

おしな(敬三を下手の方の椅子に無理に坐らせ、そしてお銀と仙吉達の方へ来る)仙吉さん、怪我なかった。

お銀(怒気をふくめて)大丈夫よ、仙吉さん、怪我なんかしないわよ。(と、仙吉とおしなの間に入ってしまう)

おしな あお銀ちゃんはそうだったのね見てあげて、見てあげてね。

おとく 本当にあぶなかったよ、お銀、仙吉さんを(上手を指さし)あっちの椅子に坐らせて繃帯を巻いておあげ。

お銀 ええ。(と、仙吉をつれて上手よりの椅子にかけさせる)

おとく 大丈夫かい、仙吉さん。

仙吉 ええ、大丈夫です、すみません、御迷惑かけて

おとく いいんだよ、お銀、帳場のひきだしに繃帯があるだろう。

お銀 ええ。(と、カウンターの下から繃帯を出して仙吉の腕を巻く)


おとくはお銀を手つだって仙吉の身体の泥を落してやる。

この間、おしなは佇んだまゝお銀たちのすることを放心したように凝視する。

間――。


おしな(トボ〳〵と敬三の傍へ寄って)お前さん、私、お前さんの言う通りに此処の家お暇もらうわ、そして何処へでもお前さんの言う通りにつとめるわ。

敬三 そうしろ。

おしな 今夜帰ってすぐ寝るところあるの?

敬三 何んとかなるさ

おしな そうじゃ一寸表で待っててよ。

敬三 逃げるんじゃねえだろうな。

おしな 大丈夫よ、馬鹿だねね、待っててよ、その横の露路の所でさ。

敬三 うん、待ってるよ。(と、出てゆく)

おしな(おとくの方へ来る)おかみさん! 御迷惑かけてすみませんでした。

おとく(やさしく)帰ったのかい、あの男

おしな いいえ、待たしてありますの。

おとく 待たして?

おしな ええあの本当に勝手な事言って何ですけど、私やっぱり此処にいちゃいけないと思いますから。

おとく やめるのかい。

おしな え。

おとく(しんみりと言ってきかせるように)余り変な男にかかり合わない方がいいよ。

おしな でも、あの人やっぱり私がいないと困るらしいの、私が断わったりなんかしたからいけなかったのだわ似た者夫婦で似た者夫婦で丁度いいかかも知れないわ。(泣く)

おとく おしなちゃんも苦労するね。

おしな 自分が悪いんですものお銀ちゃん、御免なさいね、私ね、お銀ちゃんのこと、昔のままのねんね扱いにしてたのね、御免なさいね。

お銀 (さっきはあんなに強く憎んですまなかったと思うそしてたまりかねて)おしなちゃん。

おしな 仙吉さんと仲好くしてね、仙吉さん純な人だわ、純な人だわ。

お銀 おしなちゃん、これから何処へ行くの。

おしな なんとかなるそうだから、きっとなんとかなるでしょう。(笑う、だがそれがすぐ涙になる)御免なさい、泣いたりしてあのおかみさん、私、風呂敷包どうしたかしら。

おとく あ、お銀とってきてお上げ、奥にあるだろう。

お銀 ええ(と、奥へ入り、すぐに持って出る)これでしょう。

おしな 有難う。(受取る)風呂敷包抱えこんで子守っ子のお宿下りみたいねおかみさん、店このままで

おとく いいよ、仕方がないよ、あ、一寸お待ち。

おしな え?

おとく これ、わずかだけどね。(金を出して紙に包む)今日の分の働き賃だよ。

おしな まあ、おかみさん!

おとく 持ってお行きよ。(と、無理に握らせる)

おしな (泣く)すみません。

おとく 馬鹿だね、泣くやつがあるかい、早く行っておやり、待ってるよ。

おしな え、仙吉さんとお銀ちゃん、仲好くね。

仙吉 ありがとう。

お銀 左様なら。(泣く)

おしな あの旦那さんは?

おとく お前さん、お前さん、何処へ行ったんだよ。

惣兵衛(カウンターから顔を出す)おーいもうすんだのかい。

おとく 何んだね、変な所へかくれておしなちゃん帰るんだよ。

惣兵衛 えッ、おしなちゃん帰るのかい、あの男と一しょに

おしな ええ。

惣兵衛 風邪ひくなよ、身体は大切だぞ。

おしな 有難うございます左様なら。


おしな、惰然と入る。


おとく 可哀そうにね。


店の片隅にかけられた篭の中でかなりやが啼く。


惣兵衛 おや、今の騒ぎで鳥が二羽とも、目をさましちゃったぜ、可哀そうに


かなりやの啼声――。


お銀 かなりやちゃんが鳴いてるわ。かなりやちゃん、何んでもないから、心配しないでねんねするのよ。みんな、みんな済んじゃったのよ、さあ、ねんねするの、ねんねするの。


お銀、惣兵衛、おとく、仙吉の四人はかえって来た平和を心から楽しむような風に鳥篭をかこむ。

だが、四人の胸の内には、今夜のねぐらすらもない、おしなの寂しい姿が悲しくきざみつけられているのだ。

小鳥の啼声――。

(静かに幕)

下駄分隊


七景

昭和十五年一月
有楽座上演(ロッパと兵隊)

(人物)
小山田軍曹(班長)
早川上等兵 小松上等兵
砂川一等兵 木本一等兵
浜崎一等兵 鋼木一等兵
福西一等兵 片岡二等兵
山内二等兵
李起鳳(班の給仕)
李青蓮(その妹)
李雲成(その弟)
王春興(仕立屋)
玉金(その妻)
妙琴(町の女)
芳枝(小山田の妻)
その他
(時)昭和十四年、日華事変の頃
(所)西湖のほとり、小さな町


第一景


小山田班長

西湖に近い小さな町


小山田班の兵隊達が、宿営している家の内部から街路をみる。

かつて、この家は、商舗であったらしく、左手の街路に面した表口は、間口いっぱいの、ガラス戸及び陳列棚右手には、二階へ昇る階段。正面は、店の間――。

品物は何もない。何処からか、兵隊達が集めて来たシナ椅子が五六脚、屋内の中央では、石油罐の中の焚火が赤々と燃えている。


この班の兵隊、他の班の兵隊大勢の兵隊達で騒ぐ声、喚声で幕があく。


街路では、仕立屋の王春興と女房の玉金が、取ッ組み合いの喧嘩をしている。それを取り巻いて兵隊達は声援したり、仲裁したりしているのである。


木本(王春興と玉金を仲裁して)プシンプシン夫婦喧嘩プシン。


併し、この仕立屋夫婦は、聞き入れない、尚一層はげしい剣幕で、掴み合いをつゞける。


木本(持て余し)おい、誰か、班長殿を呼んで来てくれ。

浜崎 よし来た。(と、右手の階段を昇ってゆく)


王春興と玉金の、はげしい怒鳴り合い掴み合い。二人の掴み合いは次第にこの家の中へ移動してくる。


木本(二階へ向って叫ぶ)班長殿、班長殿、早く来て下さいよ、こら、やめろ、やめんか、プシン、プシン、夫婦喧嘩プシン、プシン。


屋外にたかった兵隊、面白がって、ワイ〳〵と噺し立てている。


砂川(夫婦の間にもまれて)やめろ、やめんかやめんと、ぶっぱたくぞ。


階段を小山田軍曹が降りて来る。四十歳位、口髭をはやしている、相当のロートル軍曹である。


小山田 毎日々々煩さい奴だな、どうしたんだ、こら、やめろ、やめよ。(東北訛がある)


と、小山田班長は、王春興と玉金を押し分ける。

王春興と玉金シナ語で、小山田班長に、何事かを口々に喚き立て、訴える。


小山田 何判らんよ、俺は日語なら判るけど、シナ語は判らんのだから。

玉金(シナ語で何事か訴える)

小山田 そんなに早口で言うても判らん、もっとゆっくり言うてみろ。

玉金(シナ語で――もっと早く言う)

小山田 ゆっくりだと言うのに、判らんのかね。

王春興(シナ語でもっと早口で、訴える)

小山田(癇癪を起こす)煩さい、よく飽きもせずに、毎日々々喧嘩がやれるものだね。俺は、何もお前方の夫婦喧嘩をとめる為に、はるばると日本から来たのではないのだよ。(怒鳴りつける)

玉金(シナ語で前よりもっと早口に、訴える)

小山田 やかましい、夫婦喧嘩なんかしないで、帰りなさい。夫婦喧嘩はプシンだよ。

砂川 ナビエンチュバ。(と外を指さす)


王春興、玉金、お互いに喧嘩に疲れて、外へ出てゆく。

街路を左手へ去る。

他の班の兵隊達は、それ〴〵散って去る。


小山田(屋内に残った自分の班の兵隊達に)驚いた奴等だね、毎日毎日、よく喧嘩の種がつきないものだ。

木本 いやどうも班長殿、どうも御苦労さまでありました。

小山田 御苦労さまでしたじゃないよ、ぼんやりあの喧嘩を見とってお前達はそれでも日本の兵隊かね。

木本 ハッ、でも、戦争ならとにかく、あんな訳の判らない、シナの夫婦喧嘩ときてはどうも。

小山田 夫婦喧嘩だから、どうしたというのだね、夫婦喧嘩も戦争も、大きいのと小さいのとの違いだけでしょう。お前達、戦争はたしかに強いが、夫婦喧嘩の仲裁はなってないよ、仲裁は下手でもいいんだけど、私に迷惑だけは、かけてもらいたくないね、え

砂川 ハッ。

小山田 まあ、掛けたらどうだ。

兵隊達 ハッ


兵隊達は、なか〳〵腰かけない。


小山田 遠慮なくかけたらいいでしょう。こんなに火が燃えているのに、遠慮したって、火の節約にはならないよ。

木本 ハッ、かけてもいいのでありますが

小山田 何、かけてもいいのだが、どうした。かけてもいいのだが、又お説教されるのが、いやだと言いたいのだろう。

木本 いや、そんなことはないのであります。自分は御説教は大好きであります。

小山田 うまいことを言うんじゃないよ。いいから皆かけなさい。

木本 ハッ。


兵隊達は、火のまわりへかけたり去ったり、小山田軍曹を囲む。


小山田(兵隊達を見廻して)儂だって、何も好きこのんで、文句を言うんじゃないよ、言いたくはないけど、皆の為を思うから言うのだよ。

砂川 ハッ、判っております。

小山田 そんなに早く判らなくともええ。そんなに早く判るわけはないのだからねえ皆は今は儂の部下だ。所がこれで、万が一にも、万が一にも、無事で内地へ帰る日が来れば、現役の人は別だが、応召して来た兵隊ならば、この中には会社員もおるだろう、大工もおるだろう、畳屋もおるだろう。帰還したら、皆それぞれ元の職業へ戻るのだ。儂は、その時のことまで考えて文句を言うのだよ。兵隊でいる間に、精神をきたえてしまえば、社会へ戻ってからも、実に立派な人間として働けるのだからねえ、儂なぞも、これでもし帰還することがあれば一寸、儂の商売には向かん位、立派な、厳格な、人間にきたえ上ってしまったよ。

早川 班長殿は

小山田 儂は下駄屋をやっとったんだよ。知ってる癖にわざわざきくなよ下駄屋から文句を言われるとなると、皆だって変な気がするだろう。

木本 ハハン、それで班長殿は、召集されて部隊の配属が決まった当座、我々が銃剣を磨いていると傍へ来て、よく磨んだぞ、きれいに磨き終ったら鼻緒をすげてと言ったんだ。

小山田 馬鹿、あれは、商売してる時、小僧に言ってた口癖がついうっかり出たんだ。つまらんこと覚えてるなよ。

砂川 併し、班長が下駄屋さんをやっておられたとは、どうしても見えません、班長殿は

小山田 どう見ても芸術家だろうが。儂は小さい時から詩人になろうと思っていたのだが、儂の書いた詩を見ると、皆が笑うので、ついに気がくじけて親の商売を継いで下駄屋になってしまったのだ。だけど、今でも儂は、これでも詩の同人雑誌の同人だよ。家内があなた、あなたには、もう子供が二人もあるのですよ、詩だか、五だか判らない、そんなものはおやめになったら如何ですかと言うのだが、どうもやめれないのだよ。

木本 奥さんはやめろと仰有るのですか。

小山田 どうせ下駄屋の女房だからね、ロクなことは言わんよ。どうだい、此処に、戦地へ来て以来の習作があるが一寸、読んで聞かそうか。

木本 いや、結構であります。この間も読んでいただきましたから

小山田 そうだったかね、それは残念だな


小山田軍曹は、軍衣の物入れから手帳を出したり入れたり、その手帳に書いた詩を余程、読んで聞かせたいらしい

砂川 併し、思えば不思議な御縁でありますなお互いに召集される迄は、何処の誰だかも知らない人間が、召集されてからは、班長殿となり部下となり、敵前上陸以来、何百里という道のりを、今此処にこうして、警備部隊として警備につく迄、一しょに戦い、一しょに苦しんで参りました。

小山田 うんそうだったね。(しみじみとする)

早川 自分は、病気で参りかけた時、班長殿があんなにまで御親切に介抱して下さるとは思いませんでした。

小山田 そんな、礼を言われるとどういう顔をしていいか判らなくなるからねえいやだねえ、そんな礼なんか言うもんじゃないよ。

早川 これが、兵隊でなく、普通の世間にいるのだったら、誰があんなに介抱してくれたでしょう。

小山田 そう言えば、君は親類も縁者もないと言うとったね。

早川 ハア、小さい時、孤児になったものですから(うつむく)

小山田 うむ(いたわるように)そうか、そうか


間。


木本(何か思いついて)班長殿。

小山田 うむ、何んだ。

木本 この分隊の附属する部隊は、当分この町の警備をつづけるんでありましょうか。

小山田 もう当分はつづくんだろう。

木本 そうするとあの(何か言いたそう

小山田(それに答えるように)正月は此の町ですることになるかと言うのだろう。

砂川 そうです。敵前上陸してから、しばらくすると、皆で正月は何処でするだろう、正月は何処でするだろうと言い暮らして来たんであります。

福西(期待を持って)正月は此の町でありますか。

小山田 まあ、此の町だろうなア。

小松(勢い込んで)本当でありますか、班長。

小山田 大体、本当だよ。

小松(子供のように)間ちがいありませんな、班長殿。


兵隊達は、もうすでに、正月が来たように浮々とする。


小山田 うむ皆、それ程、正月が楽しみだったのか。

木本 ハア、小学校へ行ってる頃は、正月というものが待ち遠しくて仕方がありませんでしたが、大人になると、それ程でもなくなりました。所が、今また、戦地へ来て見ましたら、小学校へ行ってる時と同じように正月が待遠しくなりました。

小山田 仕方のない、子供みないな奴等だな。

木本 班長殿は、待遠しくないでありますか。

小山田 儂か、儂はほら、指に印をつけてるんだよ、(と指を見せる。かんぜよりで指が一本ずづ、指輪のように縛ってある)毎日々々、このかんぜよりの指輪を抜いて行くのだよ。後七本で元旦だ。

砂川 それじゃ、班長殿もやっぱり。

小山田 皆の前では言い出さんじゃったけど


兵隊達、ワーッと声をあげて笑う。小山田班長という父親を取り囲む子供達のようである。


砂川 元旦には、せめて、一きれでいいから餅が食べたいですなあ。

小山田 うむ。

早川(その味を思い出すように)俺は、黒豆の中に入ってる、あのガリガリの梅が好きだよ。

福西 あれは、小梅というのだよ。

浜崎(思い出すように)俺はゴマメが好きさ、ありゃあ、煮方によって随分味が違うから、うまく煮んとなあ焦がすと苦くていかんよ。

鏑木 俺は、正月に餅を二十六食ったことがあるぞ。

砂川 畜生、食いてえなあ、よだれが出て来やがる。

小山田(兵隊達の気持に乗ってくる)おい、何処かへ行って石臼と糯米を探そうか

砂川 えッ、此処で餅をつくんでありますか。

小山田 うん、つくのだ。

砂川 賛成。(飛び上る)

木本(分別くさく)併し、糯米がありませんよ、店という店、家という家は、全部敵兵が掠奪して行った後ですし、町に残っている難民や、戻って来た住民なども、時々我々の携帯口糧を貰いに来る位ですから。

砂川(夢中になる)いや探せばあるよ、草の根を分け、石を掘り起こす気持になりゃ、あるさ、きっとある。

福西 仇討みたいだな。

砂川 とにかく絶対にあるよ、ありますよ。

木本(からかう)お前は、普段は、間の抜けた顔をしとるが、食物の話の時だけは、真面目な顔付になるなあ。

砂川(怒る)

木本 今初めて発見したよ。

砂川(怒る)人が真剣になってるのに、顔の棚おろしなんかしやがって、お前は餅が出来ても食わんのか。

木本(真剣になる)食うさ、食うとも、誰が食わんと言った、顔付の話と食う話とは別だ。

砂川 見ろ、お前だって真剣な顔になったじゃねえか。


兵隊達、ワーッと笑う。


小山田 じゃ、何とかして、餅つきの準備をしょうじゃないかね。

砂川 やりますか餅をつくとよ、バンザイ。

福西 おい、正月の餅をつくんだとさ。


「万歳」「万歳」と一同は手をとり合って子供のようにはしゃぐ。


小山田 おい、それじゃ、手分けしてこれから石臼と糯米探しだ。

木本 おい、組分けをしようや。(と、紙に線を書く)これをどれでもいいから引け


兵隊達は、その組分けの銭を順に引く。片岡、福西、砂川、鏑木が橋米組となり、山内、浜崎、早川が石臼組となり、小山田、木本、小松が留守組となる。


小山田 儂は留守組になったよ。(がっかりする)

木本 俺も留守組だ。(がっかりする)

小松 俺もだ。(がっかりする)

砂川(雀躍しながら小山田に)天の神様がお助け下さって、自分は、糯米組となりました。

早川(小山田に)自分達は、石臼組になりました。

小山田 そうか、それじゃ、頼むぞ。

砂川 それでは行って参ります。糯米組、突撃イ、突ッ込め

早川 石臼組、突ッ込め


「行って参ります」「行って参ります」と石臼組と、糯米組は蜻蛉釣りに行く子供のように、はしゃぎつゝ走り出て行く

静かな一瞬。

表を――此の町を通過する他の部隊が通ってゆく。「後尾異状なし」「後尾異状なし」というような叫び声が聞える。


小山田(軍衣の物入れから手帳を出す木本と小松に)どうだね、これは。

木本 ハア(困った顔唯、手をのばして火にあたっている)

小山田 この詩はどうだね、エヘッ(嬉しそう)

木本 ハア。(と小松に向って残るんじゃなかったなあ――という思い入れ)

小松(うなずく)

小山田(それに気づいて)何を合図してるんだね、何を儂が詩のノートを出して、どうだねと言ったものだから居残り組になったが為に、この災難じゃとお互いに合図をしているんだろう何んだい、眼と眼で合図して、気持が悪いねえそんなに厭なものなら、読みませんよ。

小松 いえ(慌て)そんなことはありません。木本が、目の中に何か入ったらしいような顔をしたから、自分が何も入ってないよと合図したんです。

小山田 そうかそんなら読もうか


木本と小松、情けなさそうな顔。


小山田(一人、嬉しそうに)では読むよ。(と、読む)

戦終りて我眠りにつきて

しばし経ちし時

夢を見たり

そは、路ばたにて。

五十銭銀貨を

拾いし夢なれど

眼を覚ましみれば

五十銭銀貨はあらずして

空に大きな月、昇りてありき

あゝ、あわれ

月に見られて恥かしや


木本一等兵と小松上等兵プッと吹き出す。

小山田(気づいて)おかしいかね。

小松 いえ、一寸も、おかしくありません。


丁度その頃、街路から青蓮が忍び出て来て屋内に入ろうとする。

が、うっかりして、其処にあったシャベルを倒して音を立てる。


小松 誰だッ。


小松上等兵、駈けよって逃げようとする青蓮を捕える。


青蓮 您(原文は旧字体)高拍拍手、饒了我哥哥吧。(ゆるして〳〵、どうぞ御ゆるし下さい、兄さんを助けて下さい)

小松 何、兄さんを助けてくれ?

青蓮 哥哥偷儞們東西、実在对不起儞們 我們一家巳経餓了四五天肚子了。(兄さんは盗人をして、まことに申訳がありませんけど私の一家は此処四五日食べるものも食べていないのです)


青蓮、小松に縋りつく。

小山田(小松に)どうしたのだ。

小松 今朝方、この班の食糧を盗みに来た泥棒の妹らしいのですが、兄貴を助けてくれというのです。

小山田 泥棒したんだから仕方がないと言うてやれ。

小松 この一家は、此処四五日何も食べるものがなくて、飢餓に苦しめられたので、此の娘の兄貴が妹や弟が三人居るそうですがその弟や妹達の為に盗みをしたのだ、どうかゆるしてくれと言ってるんです。事情をきくと可哀そうな気がしますけれど

小山田 ならん許してやることはならんよ。殊に軍隊の食糧を盗みに来たのだ刑罰は厳重にせにゃいかん。賞めるべき処を賞め、罰する処を罰してこそ、秩序は保たれ、皇軍の威信は上るのだ、ならんよ。


青蓮、尚も小松に縋る。


青蓮 只要饒了我哥哥、無論什麼活児我都替偏們幹、我幹活児去賠他偷的米。(兄さんを許して下さればどんな事でもいたします、兄が盗んだ米の分は必ず働いてお返しします)

小松(小山田に)この娘、可哀想に、兄貴を許してくれれば、どんなことだってする、兄の盗んだ米の分だけ働いてお返しするからと言ってるんですけれど

小山田 ならんと言ったらならん、大体、儂が詩を読んでる時に、わざわざ騒がせに出て来んでもええじゃないか。

木本(小山田)班長殿、兄貴はとにかくとしても、綺麗な姑娘だし、ひとつ如何でありましょう。

小山田 駄目だってば。

木本 判らねえ親爺だな。

小山田 何。

木本(うっかり悪口を言ったので、自分でびっくりして慌てゝ敬礼する)いけねえ失礼いたしました。


青蓮、きょろ〳〵して、小山田達の会話をきいている。


小松(青蓮に)駄目だとさ。

青蓮 不行麼?(いけませんか)

小松 那辺去罷。(あっちへ行け)


青蓮、小山田を恨めし気に睨みつける。


青蓮(小山田に)壊心眼子!(意地悪野郎)


青蓮、小山田軍曹を突飛ばして街路へ走り去る。


小山田 おい、小松上等兵、お前、シナ語あざやかなもんだな。

小松 ハア、内地でシナ貿易の店につとめていましたから如何でしょう、あの、台所に縛って、懲らしめてあります泥棒、あの娘の言うのは本当らしく腹が減って、口もきけない位なんです。

小山田 駄目だ、こらしめる時に、こらしめなきゃ、日本軍というのは、悪い事はしても、女が行ってたのみゃ、すぐ許してくれると、思うじゃないか、いいか泥棒に同情することはならんよ。


小山田軍曹は、チラリと泥棒のいる台所の扉口に目をやってから、階段を上って入る。


木本 判らねえ親爺だな今迄は気がつかなかったが、そう言われてみるとあの男はこのままおいとくと餓死しちゃうぞおい乾麺麭持っとらんか。

小松 あるよ。

木本 少しよこせ。

小松 よし来た(と、雑囊から乾麺麭を出して渡す)

木本(台所口へ首をつっこんで)おい、泥棒泥棒許してやりたいけど、親爺の野郎が頑固で判らねえからな、さあ食べろ(乾麺麭を投げ込む)


小山田、階段の上からヌーッと顔を出す。


小山田 こらッ泥棒に同情は要らんというのが判らんのか。

木本(あッと驚いて)まだ、其処におられたのですか。

小山田 仕方ない奴だなその泥棒がだね、若し敵のスパイだったりなんかしたら、その時の責任はどうするのだね、お前達の失態は儂の責任だぞその時は儂は知らんよ、それでもいいのか、馬鹿者。

小松・木本 ハッ。(と悄気る)

小山田 此の手紙を持って(と軍衣の物入れから手紙を出す)二人で小隊長殿の所へ使いに行って来い、お前達を此処へおいとくと何をするか判らん。


小山田、手紙を小松に渡す。


小松 この手紙を持って小隊長殿の所へ行って参ります。

小山田 気をつけて行け。

小松 行きます。


木本一等兵、小松上等兵は街路へ去る。小山田軍曹は、台所から、腰を縛られ、刑罰の為に、両手に煉瓦を捧げ持たされている李起鳳を連れ出す。


小山田(あたりを見廻してから)食べろ、食べるんだよ。

李起鳳 謝々。

小山田 早く食うのだ、皆が帰って来ると、見つかるから、急いで食うのだ。

李起鳳 謝々。

小山田(気がついて)煉瓦か、煉瓦を持ってるので食べられんのか、練瓦は儂が持ってやる。(と両手に受取る――その煉瓦を、地蔵様みたいに両手で捧げ持つ)早く喰べろ。


其処へ、街路から、護衛兵を連れた野島中尉が来る。


野島 一寸尋ねるが、波島部隊は何処か。


小山田 ハッ。(と言って敬礼しようとするが、両手が煉瓦でふさがっているので出来ない)あのう


小山田軍曹は、思わず知らず、両手の煉瓦を野島中尉に持たせる。


小山田 ハッ。(敬礼して)波島部隊は

野島(手に持たされた煉瓦を見て)馬鹿ツ。


小山田、気がついて、びっくりする。

(暗転)


第二景


戦地の大晦日

前景の一週間後、雪の夜――。

宿舎の二階、小山田軍曹の部屋。

左手に階下へおりる階段の入口。

右手から正面にかけて、幅の広い窓。

右手の壁に沿って、シナ風の寝台

右中央に支那卓、椅子など

支那卓の左火鉢代りの石油統を囲んで、木本、早川、小松、砂川、浜崎、福西、山内、片岡の兵隊達がいる。

小山田軍曹は、一番右端に、卓に凭っている。


小山田(手を火にあぶりながら)高が食物じゃないか、何だ、意気地なし、それ程悲しいのか。(兵隊達の顔を見廻す)

砂川 悲しくはないであります。

小山田 これ程探して見ても、無いのなら、諦めにゃ、仕方がないでないか。

砂川 ハア、諦めます。

小山田 その顔は諦めた顔ではない。もっと朗かな顔をして諦めろ。

砂川 ハッ。

小山田 皆、出来るだけ探したのだろう。

砂川 ハアあの日に行って駄目だったので次の日も探しに行きました。

小山田 知っとる。

砂川(訴えるように)その次の日にも行きました。

小山田 それも知っとる。

砂川 いくら、振られても振られても諦めることの出来ん、思い切りの悪い色男みたいに自分達は糯米を探しに行ったであります。

小山田 それでもなかったのだろう。

砂川 ハアそんなものは、一粒もないんであります。

早川 石臼だけは、あの日に一つ見つけ次の日には糯米組と同行動で、糯米を探しに行きましたが、又石臼が見つかったのであります。

砂川 石臼ばかり二つも見つかったのに、糯米がないのであります。終いには、初め、へらへら笑っていた木本まで飛び出して、探しに行ったのであります。

木本 餅が食えなくなると、大変だと思いましたので、皆と一緒に、探しに行ったのでありますが、ないのであります。だからしまいには糯米はもう要らんから、せめて、正月らしい御馳走だけでも探そうということになってゴマメや小梅や煮〆の材料を探しましたが、これもありません。

小山田 そりゃシナへ来て、ゴマメや小梅を探したって無駄だろう

木本 だからせめて、肉でもあればと、又模様変えをして、肉を探しました。

小山田 肉はあったか。

木本 肉もありません。余りしつこく城外の方まで探しに行くので、終いには、城外の敗残兵が、我々を見つけて射って来ました。

早川 お正月の食物を探しに行って戦死しては皇軍の名折れでありますから、残念でありましたが引き返して参りました。

木本 砂川の奴は、城壁の陰から敗残兵の居る方へ行けば、あるかも判らんなあと言って、城壁の外を、うらめしそうに見ていたのであります。


窓の板戸を打つ吹雪の音が、聞えて来る。


小山田(段々、兵隊達がいじらしくなって来る

砂川 で、仕方がないから、草ばかり引っこ抜いて持って来ました。

小山田 草草とは何んじゃ。

砂川 菜っぱでありますこの町の城内も城外も、何処へ行っても、菜っぱばかりであります班長殿も御承知でありましょう、我々の持っている携帯の米も、段々残り少なくなって来ましたので、三度に一度は菜っぱだけで米なしの時があります。その他にもおかずは、朝もひるも晚も菜っぱであります。昼は菜っぱの御飯に菜っぱのおかずであります。こうしている内にや、我々の口からくちばしが生えるじゃろうと、木本が言いました。

木本 菜っぱなぞは、草の一種であります。草ばかり食べているのは鳥であります。でも仕方がないから、草をどっさり引っこ抜いて来たんであります。


兵隊達は、親のような、小山田班長にせめて、不平を訴えることによって、悲しみをまぎらわせているのである。


小山田 ええ仕方がない諦めろ

砂川 諦めるであります。

小山田 軍のえらい人達も、我々に、何んとかして正月を味わせてやろうと考えてはいなさるにちがいないのだ。もっと考えているに違いないのだ。だが、この前線迄は、まだ兵站線が完備せんのでとどかんのだよ、諦めろ。

木本 諦めるであります。


皆の胸に内地にいた時の正月が浮んで来る間。


早川 内地の人はさだめし、今夜あたり忙がしいでありましょうなあ。

小山田 うむ、今夜は大晦日だからな、借金取りが、集金に来るので、急いで映画館へ逃げて行ったり、ゆたかな家でも貧しい家でも、煮〆などを拵えて、あすの元旦の支度だけはしとるだろうて

小松 気の早い女の子供は、今日あたりから羽根突きをしております。

小山田 うん家の子供もやっとるだろう家内も、明日の支度をしとるだろう。

木本 班長殿、諦めが肝心であります。

小山田 馬鹿、それは儂がさっきから言うとる言葉だ諦めろ、諦めが肝心だぞ。

一同 ハア

小山田 何もなくとも、正月は正月だ。

木本 そうであります。

小山田 やっぱり、年は一つ取るんだから、アハハハハ(笑)

一同(笑う)


ポツンとした間――


砂川(怒ったような顔で)この間、戦地におりゃ、大晦日になっても、借金取りが来んからええぞと言ったのは、誰だ。

木本 俺だ。

砂川(そっちを向いて)借金取りの来ない嬉しい大晦日だからして、餅もゴマメも小梅もない、馬鹿みたいな正月をせにゃならんのだぞ。

木本 だけどお前、此間は、そりゃそうだ、こんな有難い大晦日はないと言ったじゃないか。

砂川(怒ったような顔で)そりゃ言ったさ。


一同、笑う。

砂川は、気持のやり場に困ったように、押し黙っている。やがて笑う。


福西 班長殿、しめ縄だけは、はってもよろしいでありますか。

小山田 しめ繩

福西 はあ。(と、階段の下り口から、大きなあんぺらをほぐしたようなものでこしらえたしめ縄を持って来る)

小山田 大きなしめ縄だなおや、こりゃ、藁ではないんだな。

福西 うまい具合な藁がないので、アンペラをほぐして憎えました。

小山田 そうか後で表へはれ。

福西 ハア。


間。


小山田 じゃ、もう寝たらどうだ。

一同 ハア(と言ったきり、もじ〳〵している)

小山田 まだ、思い切れんか。

一同(もじ〳〵している)

小山田 そんなら一つ儂が皆の気を晴らしてやろうか。(と、物入れから詩のノートを取り出す)

木本 何かして遊ぶのでありますか。

小山田 詩だよ、詩を読んでやるのだよ。


兵隊達慌てる。


木本 あの、木本は、眠くなったから寝るであります。

小山田 他の者はどうだ。

砂川 自分も眠いであります。

一同(口々に)眠いであります。

小山田 馬鹿、風流の判らん奴らだ寝ろ、寝てしまえ。

木本 ハッ寝ます。

早川(一同に)気をつけ別れ。


一同、小山田に礼をして「おやすみなさい」「おやすみ」そして、階段を下へ下りてゆく。


間――。


吹雪が窓を叩く音。

小山田は黙々として、寝台へ入る。

海老のようになって寝る。

ランプの灯が自然に消える。

暫く暗闇がつづく。

やがて、階段の下から、砂川が「班長殿、班長殿」と言いながら、昇って来る。


砂川 班長殿、班長殿。(右手にローソクを持って、左手で小山田をゆり起こしている)

小山田 (起きて)何んだ、どうしたんだ。

砂川(嬉しそうに笑う)エヘヘ

小山田 え、どうしたんだ、ニヤニヤ笑って気味が悪いねえ。

砂川 エヘヘヘ班長殿あのう(何か言いたそうにしてやめる)まあ寝ていらっしゃいよエヘまあ、おやすみなさいどうぞ、ごゆっくり


階段を下りて行く。


小山田 おかしな奴だな(と一旦ベッドへもぐり込むが、むっくり起き上る)おかしな奴だな。(ベッドから下りて、手さぐりで階段を下りて行く)


舞台はそのまま廻る。


第三景


元旦

前景と同じ時――。


第一景と同じ階下の店の間である。


前景の兵隊達が、臨時にこしらえたシナ卓の炊事台、石油躍の七輪を取り囲こんで、はしゃいでいる。

炊事台の上には、肉の罐詰、果物の罐詰、正月の餅、蜜柑などが、山と積まれてある。

七輪の火の上には、秋刀魚の乾物が焼かれて、ジュウ〳〵と煙を上げている。ランプ数個の光が明るい。


小山田が階段の上へ出て来る。


小山田(兵隊達に)どうしたのだ、そりやあ。(呆然と見つめる)

木本(小山田に気づいて)班長殿、とうとう見つかりましたな、余り騒がしいので寝られんでありましょう。

小山田(慌てゝ階段を駆け下りてくる)おい、そりゃ餅に、蜜柑に、罐詰じゃないか

木本 酒もあります。(と、酒のタプタプと入った、飯盒をさし上げてみせる)尾頭付もあります秋刀魚の乾物でありますが、尾頭付もあります。

小山田 ど、どうしたのだ。(炊事台に進みよる)


兵隊達は、小山田をとりまく。


木本(息をはずませている)さっき、中隊本部から使いの兵隊が来まして正月用品を渡すからとりに来いと言って来たんであります。

砂川 私と木本がとりに行って参りました。
中隊本部へ参りましたら軍のえらい人々は、前々から何んとかして、兵隊たちに、人並に正月を迎えさせてやろうと苦心していたのだがそれがやっと元旦の朝になって間に合ったのだと言って、これらの物を渡されました。

小松 忙がしくなったら、あの男を使うてやろうと、木本とこの間から、約束していたのでありますが、こんなにおそくに、色んなものが来ましたので、今さっき慌てて、叩き起してつれて来たんであります。来来。


呼ばれて、台所の方から、李起鳳と青蓮が湯を沸かした鍋を持って出て来る。青蓮は、炊事台の上で、菜を切り始める。


小松 この間の泥棒であります、いくらか給料を払って使ってやることをおゆるし下さい。

小山田(そんな事は、もはや問題ではない、嬉しくて物も言えない気持無言)

砂川(喜びを反芻するように)班長殿、お正月が来たんですよ、お正月が来たんですよ。

小山田 うん来たな

木本 これでやっとお正月らしい、お正月が迎えられますよ。

小山田 内地と内地とちっとも変らんじゃないかうん、内地と変らんじゃないか。

山内 班長殿、蜜柑ですよ、ほら。(五ツも六ツも持って跳びはねる)

福西 班長殿、ほら、肉の罐詰ですよ。(罐詰を叩いて、跳びはねる)

浜崎 餅ですよ、班長殿、糯米でこしらえた餅ですよ、ほら(頬に、餅をすりつけて喜ぶ)

砂川(焼けかけの、秋刀魚をぶら下げて)尾頭付ですよ、ほら、秋刀魚ですよ。くしゃくしゃにならんように、カチカチに材木みたいに干してあるんですけど、焼くとほらこんなに、油が出て来るんですよ、ほら、こんなに、ジュウジュウとあぶらが出て、焼けるんですよ

木本 秋刀魚の煙ですよ〳〵。


木本は、石油罐の七輪の上で焼けている秋刀魚の煙を掌で煽いで、小山田軍曹の方へ流そうとする。秋刀魚の匂いがぷんぷんと匂う。


砂川 畜生、内地でも、秋刀魚の煙は煙いが、戦地でも煙いなあ。(泣いている)


小山田は、物入れから、ノートを出して急いで詩を書く。


小山田 おい皆、頼むこれだけでいいから、聞いてくれ、たのむ(朗詠する)

あわれ

冬風よ、情あらば伝えてよ

兵隊ありて、秋刀魚を焼きてくらうと

そが上に

あつき涙をしたゝらせてくらうは

いづこの里ならいぞや

あわれ

げにそは問わまほしくをかし


兵隊達、すゝり泣く。


木本 班長殿、(泣く)班長殿にしては、珍らしくええ詩ですなあ。

小山田 いや、これは、儂の詩ではないよ。佐藤春夫という人から一寸借りたんだよ、それを儂の具合のええように、一寸直してねでも泣けたか。

木本 ハァ

小山田 儂がよんだ詩で、人が泣いたのは始めてだ始めてだ(泣く)


誰からとなく手に餅を持ち、さんまを持ち、蜜柑を持ったまま歌い出す。


年の始めのためしとて

終りなき世の芽出たさを

松竹立てて門毎に

祝う今日こそたのしけれ


兵隊達その内にオイオイと声をあげて子供のように、泣き出す。


(溶暗)


第四景



前景の三四カ月後――。


小山田班の宿舎の裏庭である。


右手に母屋から庭へ出る扉口。

扉口の前の、廻廊は奥へ向い、正面へ折れ、正面中央に、他の部屋の扉口。その左手に塀があり、丸いくぐり窓が開いている。

塀は左手に続き、外郭を形づくっている。

前面は、庭石、花壇など桃の花が咲いている。

小松上等兵と、青蓮と、青蓮の弟、李雲成がいる。

青蓮が歌っている。声が美しい。

併し、その間に、李雲成は、小松上等兵を誘って左手塀の蔭へかくれる。青蓮は歌い終ってきょろ〳〵する。


小松(塀のかげから)此処だよ、此処だよ。

青蓮(李雲成の仕業と悟って)李雲成、混張東西。(李雲成の馬鹿)


青蓮は走って行って李雲成を掴まえる。


小松 駄目だ、駄目だ、弟をいじめちや駄目。

青蓮 だって李雲成、意地悪するから馬鹿です。

小松 俺だってかくれたんじゃないか。

青蓮 だって

小松 弟をいじめちゃ駄目だョ。俺だって隠れたんじゃないか――じゃ、もういたずら止そう。


三人で、桃の花の下に坐る。

間。


 ネエサン、ジョ、ジョトウヘサン、ノ、オヨメサン、ニナル、イイナ。

青蓮 雲成!(睨む)

 ボク、雲成デ、ネエヨ。タロー、ダヨ。

小松 コラコラ、ねえだなんて下卑た言葉を使っちゃ駄目だよ。誰が教えた?

 スナガワイットウヘサン、オシエヤガッタ。

小松 あいつの言葉か。

 ソウデヤガラ。

小松 駄目だよ。砂川一等兵は下品な言葉ばかり使うんだから、真似しちゃ駄目だよ。

 ヨシキタ。

小松 ヨシキタ? 駄目だよ。ハイって言わなければ駄目だよ。

 ジョトウヘサン、ネエサン、ガ、オヨメサン、ナッタラ、ボク、ノ、ニイサン、タロ

小松(慌てゝ)そんなこと言うじゃない。

 オイ、ニコニコスルナヨ。

小松 こらッ、太郎は子供だろう、子供がそんなこと言うんじゃない。そんなこと言っちゃ駄目だ。


李起鳳、母屋の扉口から出て来る。


李起鳳(小松に向って)ハンチョサン、ハンチョサン。(母屋を指さす)

小松 ウン、班長どのが呼んでるのか。そうか。太郎、ここにいるんだぜ。すぐ来るからな。


小松上等兵、母屋へ入る。


李起鳳 青蓮。(妹を呼ぶ)

青蓮 甚麼?(何)

李起鳳 我不許偷跟那個兵要好。(お前、あの兵隊と余り仲好くするんじゃないぞ)

青蓮 為甚麼?(何故)

李起鳳 不論為甚麼!(何故でも)

青蓮 哥哥儞到現在還跟正規軍暗地裡通消息啊!(兄さんは、やっぱり正規兵との通信をやめないのね)

李起鳳 又有甚麼辦法呢! 為了儞我真不願意干那種事、再說這裡的兵也不是壞人可現在我要是停止了通信、那非給他們殺了不可。(仕方がないのだよ。俺はお前の為にそんな事はやりたくない、それに此処の人達は皆いい人だだが今、正規兵との通信をやめる事は俺の生命がなくなることだ)

青蓮 好哥哥、可別再那個了。(兄さん、やめて〳〵)

李起鳳 不齢不成啊。(やめられないのだよ)

青蓮 幹那個又有什麼用、日本是很好的国家。(そんな事をして何になるの。日本は大変良い国です)

李起鳳 再不要說了、叫我幹吧、我除了照蓋給正規軍当奸細没有別的路了。(そんな事を言わないで俺にやらせてくれ、俺は今まで通り正規兵のスパイをやるより他に道がないのだ)


李起鳳と青蓮はもみ合う。

李雲成、それをとめる。


 哥々和姐々打起来了。

(兄さん姉さん喧嘩はやめてくれよ〳〵)

李起鳳 儞少説話。(お前は黙っていろ)


母屋から小山田軍曹、出て来る。


小山田 どうしたんだ、何をやっとるのだ、兄弟喧嘩か


青蓮は泣きながら正面の扉口へ入ってしまう。


李起鳳(小山田軍曹の姿を見て、ハッとする、それを隠すように)上等兵さん、呼びました。

小山田 うん、逢ったよ。

李起鳳 そうですか。(と、卑屈な愛想笑いをして入る)

小山田(ぼんやり立っている、李雲成に)どうしたんだ太郎。

 ネエサンガ、ニイサンニ、オコッテ、タヨ。

小山田 兄さんが小松上等兵のことを言ったのではないのか。

 ヨクシンネェ、ケドニイサン、ヤキモチ、ヤイタンダロ

小山田 何、もう一度言ってみろ

 

小山田 駄目だぜ、そんなくだらん言葉を覚えては、仕方のない子供だね全く。

 ソンナニオコルナ、ヨスカタネェ、オヤジダナ(口真似する)

小山田 馬鹿早く何処かへ行って遊んで来い


木本一等兵と砂川一等兵が、母屋の扉口から出てくる。


木本 班長殿。

小山田 何んだ。

木本 今日は、砂川一等兵と二人で、おねがいに上りました。

小山田 何を願いに来たのだ。

砂川(もじ〳〵しながら)実は、小松上等兵のことでありますが

小山田 小松上等兵のこと(ピンと感じる)


小山田軍曹は、花壇の端に腰かける。


木本 実は、最近チラリと噂をきいたのでありますが、最近の内に、一部の兵隊が帰還するというのは、本当でありましょうか。

小山田(厳しく)そんな事は判らん、そういう事は、上の方の方々が決めることで、我々がみだりに噂を口にすることはよくないよ。

砂川 そんなら若し帰還するとした場合、こちらから、願い出れば、現地除隊が出来るというのも判らんでありましょうか。

小山田 それも判らんそんな噂は耳にもかけずに、本務につくしたらどうだ。我々は敵前上陸以来、随分戰って来た。だが去年の暮以来、この町の警備駐留を命ぜられて、鳴かず飛ばずにもう春になってしまった。帰還の事など考えずに、早く、次の戦闘をしたいという気持に何故ならんのだ。

木本 そうではないのであります、若しも、我々の分隊の中のあるものにであります。帰還の命令が出たとしたならばであります。その者に現地除隊を許してやっていただきたいのであります。

小山田(木本達の、小松への思いやりが嬉しくなる)小松の事か。

砂川 班長殿はもう御存知でありますか。

小山田(くす〳〵と笑って)そんな事位、知らないで班長の役目がつとまりますかよ、厭だね、全く


木本と砂川はホッとする。


木本 そうでありましたか、若しもそういうことがありましたら、小松のために、是非共お願いいたします。

砂川(馬力をかける)あの姑娘は小松なんかに、勿体ない程のいい娘であります。畜生、実際全くうまくやりやがったであります。

木本 小松は、現地除隊が許されれば、この町で日シ貿易の繁栄につくしたいと言ってるであります。

小山田 よし、そういう時が若しもあったならば、俺から上へ願い出てやろう併し、それ迄は、本務にはげむように言うとくのだぜ

二人 ハッ。


塀のあたりで、ゴソゴソ遊んでいた李雲成が、小山田軍曹の傍へ来る。


 シカラレ、テルノカイ。

木本 ちがうよ。

(小山田軍曹に)オジサン、カンベンシテヤリナョ。

小山田 うん、叱っとるんではないよ。

 ハンチョサン、トチメンボウ、トッテ、ナニョ。

小山田 トチメン棒誰が言ってたのだ。

(砂川を指さして)コノスナカワイットヘイサン、イッテタハンチョサン、トチメンボウダッテ。

砂川(走りよって、李雲成の尻をつねる)こらッ馬鹿ッ

木本 駄目だよ、そんな事を言っちゃこの砂川一等兵が可哀想じゃないか。

(木本を指さして)ユノ兵隊サンモ、イッテタヨ

木本(てれて笑う)では、何分お願いいたしますであります。

砂川 失礼いたしました。


二人は慌てゝ逃げ出そうとする。


小山田 おい、木本一等兵、砂川一等兵失礼いたしましたはいいが、トチメン棒とは、どういう訳だ。

木本 そんな事はもういいではございませんか、済んだ事でありますから

小山田 仕方のない奴等だ、いいよ、行けよ。

砂川 ハッ、失礼いたしました。

木本(李雲成に)さあ行こう。


李雲成は、行きしぶる。

それを木本は無理に連れて母屋へ行く。

砂川も行く小山田のいない所で、叱るつもりらしい。


青蓮が、正面の扉口から出て、母屋へ行きかける。


小山田 青蓮さん。

青蓮 はい。

小山田(まじ〳〵と青蓮の顔をみつめる)あんたは、小松上等兵が好きかね。

青蓮(恥かしげにうつむく)

小山田 いい娘だいい娘だ、若しもその機会が来たら、儂がねえ、出来るか出来んか判らんが、必らず、努力しますよ。

青蓮 ありがと。(頬を染める走って母屋へ入る)

小山田(見送って)いい娘だ、いい娘だ。


小山田軍曹は首をふりながら桃の木の下においた支那卓に向う。物入れから手紙の入った封筒を出す。


小山田(呟きながら、封筒の上書を書く)中支派遣軍春山部隊、野島部隊、松島隊小山田班早川三郎殿と裏は何処だったかな、青森県弘前市一女性よりか


物入れから便箋を出す。


小山田(又もや、呟きながら、便箋に字を書く)この同封の封筒、何処か町のポストに放り込みなさい、恭助儂は無事だから安心しなさいと。


そして、その便箋で、初めの封筒を包み、そのまゝ、もう一つの新しい封筒に入れる。早川上等兵が母屋から出て来る。


小山田(知らずに)誰かおらんかあ

早川 ハッ、早川上等兵であります。

小山田(早川をみて、慌てる)お前は駄目だ、他の兵隊がいいがなあ

早川 左様でありますか。(と立っている)

小山田 何か用かね。

早川 ハア

小山田 何んだね。

早川 ハア(物入れから、読み古したような汚れた封を切った封筒を出す)これは班長殿の字ではありませんか。

小山田 何(受取って見る驚く それを非常にまずく隠す)これは、俺の字でないよだって、差出人は青森じゃないか。

早川 でも、字は、班長殿の字ではありませんか。

小山田 俺の字はこんな下手ではないよ、失礼な事言っちゃいけませんよ、第一、儂がだね、青森でこの手紙を書くわけがないじゃないか。

早川 そりゃ、確かに、差出し人は青森です。青森県弘前市一女性よりとしてあります。これで三通目です。初めの一通と二通は嬉しくて夢中で読みました、でも三通目には、一寸変だなと思うことがあったのです班長殿これは班長殿が自分でお書きになって一旦内地へお送りになって、そして内地のどなたかから、私宛に送らせて、おいでになるんじゃありませんか。

小山田 そんな馬鹿なことはない、儂はそんないたずら者ではない。第一儂がそんな下手くそな文章を書くか。

早川 班長殿は中身を御存知なんですか。

小山田(慌てる)いや、知らんよ、自分が書いたのでもないのに、知ってるわけはないじゃないか、儂はそんないたずら者ではないよ。

早川 班長殿をそんないたずら者だと言うのではありません。唯お礼が言いたいのです班長殿は、私が親類縁者のない孤児だと言うことを知っていらっしゃいますね。

小山田 そりゃ知っとる。

早川 身寄りのない男ですから、当然、手紙も参りません、その上不思議な事に私の所へ来る慰問袋は、そういう廻り合わせになっているのでしょうが、未だかつて慰問文が入っていたためしがありません、それで、私が何時か慰問袋までが、俺を孤児扱いにしていると言ったことがありますね。

小山田 うむ、あったな。

早川 だから、班長殿は、私を寂しがらせまいとしてこしらえた手紙を、私宛におかきになっているのです。

小山田 お、俺は知らんよ、俺は知らん。

早川 班長殿早川上等兵は、礼が言いたいのです。

小山田 俺は知らんと言うのに。

早川 班長殿


早川上等兵泣く。小山田もそっと涙をふく。


早川 班長殿、泣かれましたね。

小山田(慌てゝ髯を撫ぜる)知らんよ。

早川 髯を撫ぜたりしてごまかさんで下さい。

小山田 髯ぐらい、撫ぜさせていただきましょう。私の髯でございますから


間。


早川上等兵は涙を拭く。


早川 有難うございます。自分が悪うございました。今後も送っていただきます。

小山田 何、送ってくれ。

早川 内地から、私の所へその手紙が戻って来ましたら、有難く喜んで、読ましていただきます。ですが、唯

小山田 唯なんだね。

早川 唯嬉しげに、寝てはよみ、起きては読みして、喜んで下さるあなたのお姿を見ると、私も手紙の書き甲斐がありますのよと言うようなことだけは、書かんでいただきたいのであります。

小山田 だって、お前は、寝て読んだり、起きて読んだりしてたじゃないか。

早川 ハア?

小山田 (しまったと言う顔、口髯を撫ぜてごまかす)


小松上等兵、母屋から出る。

小松 行って参りました。

小山田 中隊本部の用事は、何んであったね。

小松 慰問袋が来たのであります。それで受取って参りました。

小山田 御苦労御苦労、それで誰の所へ来たのだ。

小松 分隊員全部であります。

小山田 何、分隊員全部

小松 ハア班長殿の奥さんがお送り下さったのであります。

小山田 家内が、芳枝の奴無理をしちまったね、仕方のない奴だね。(併し嬉しそう)


兵隊達、大ぜいが「ワッショイ」と騒ぎながら、慰問袋を沢山包んだ脚包みを、かついで出る。


早川 小松、皆に代って御礼を申し上げろ。

小松 班長殿、班長殿の奥さんが我々一同に、慰問袋をお送り下さいました、有難うございます。

早川 班長殿に敬礼。


一同、敬礼する。


小山田 随分、無理して仕方のない家内だ。礼なんぞよしてくれよ、恥かしいじゃないか。


兵隊達、菰包みを解く、中から多くの小さい慰問袋が出る。


小山田 ほう、各々の袋になってるね。

福西 班長殿のもあります。

小山田 何が来たんだろう。

木本(自分の名宛になった袋を開ける。桐の下駄が出る)おい、班長殿のお家の商売物だ。

砂川(袋を開く)おい、俺のは、スケート下駄だ

兵隊(口々に)俺も下駄だ、俺は草履だ(と、叫ぶ)


砂川は「班長殿、滑りますよ、滑りますよ」と、スケート下駄で滑る)


小山田 俺のは何んだろう、手紙が入ってるよ(読む)シナは路が悪いそうですから、便利なものを送りますから。


小山田が、自分の袋をあけると高さ一尺ほどの高下駄が出る。


小山田 おい、俺は、高下駄だよ。


小山田、その高下駄を履いて歩く。


(暗転)


第五景


命令

前景の一月後――。


小山田班の宿舎、店の間である。

浜崎、木本が雑誌を読んでいる。

砂川は、李雲成を相手に毛糸をまいている。


青蓮が台所口から出る。


青蓮(手にした軍服の上衣を木本にわたして)出来ました。

木本 有難う有難う、うむ仲々裁縫もうまいじゃないか。

青蓮 そんな事ないです。

木本 日本人の旦那さんは、裁縫がうまくないと厭がるからなあ、小松に、お嫁さんに、貰ってもらおうと思ったら、しっかり覚え込むんだぞ。

青蓮 有難う(恥しげにうつむく)


砂川、編かけのセーターを両手に持ち、青蓮を呼ぶ。


砂川 青蓮さん、一寸来てごらん。

青蓮 何んですか。

砂川 一寸。(と、編かけの女物のセーターを青蓮の胸にあてる)はい、よろしい。

青蓮 それ何んですか。

 ネエサン、オヨメサンニ、行ッタラ、

砂川 お祝にだよ。

 オユワイニ、ヤルンダヨ。

木本 おい、砂川、余り無理すんなよ。

砂川 何を言ってやがる、一寸も無理じゃねえや、俺や家にいる時から、冬になると女房のセーターを編まされていたんだが、俺が戦地に来ちゃったので女房の奴、戦地迄、毛糸を送って来て、セーター編んでくれと言って来たんだ。

木本 又、随分、不心得な女房もいるもんだな。

砂川 不心得だろうが、不心得でなかろうが大きなお世話だよ、女房が俺の編んだセーターでなきゃ着ねえてんだから仕方がねえでしょうそのセーターをだな、お祝物に廻すことにしたんだよ、一寸も無理じゃねえじゃねえか、戦友を思やあ、この位の事はあたり前だよ。

青蓮 アリガトウ

砂川 礼なんてよせや。(と、やさしく言う)


街路へ町の女、妙琴が佇む屋内を見る。

やがて屋内へ入って来る。


 姐々那個女的又来了。(姉さん、又あの女が来たよ)

青蓮(きっとなって)儞又来了、快給我走。(又来たのか帰れ)

妙琴 別那麼說時、我来材李起鳳的。(そんな事を言わずに、李起鳳に逢わせておくれよ)

青蓮 我不是說不行麼、耐給我回去。(駄目だってば、お帰りと言うのに)


台所の扉から李起鳳、出て来る。


青蓮(李をとめる)哥々。

李起 我去看一着、儞放心好了。(一寸行ってくる、心配しなくともいゝ)

青蓮 儞還那麼說好容易我這才要過太平日子。(そんな事を言わずにいて折角、私達は幸せになりかかったんじゃないの)

李起(青蓮に構わず、妙琴に)走罷。(行こう)


李起鳳、妙琴は街路へ走り去る。


木本 権兵衛は何処へ行ったんだい。

青蓮 お友達と一緒。

 アノ、トモタチバカヨ。

木本 兄さんの事を、やいてるんだな。

 ニイサンモバカヨ、ニイサンバカヨ。

浜崎 馬鹿に、兄貴の評判が悪いんだな。

砂川 兄貴の悪口なんか言うんじゃねえ兄弟は仲好くしなくちゃいけないんだ。

 ソレテモバカヨ。

浜崎 変に頑張るんだな兄弟喧嘩でもしたんだろう。

木本 兄貴の悪口だからいいけど、姉さんの悪口を、小松上等兵さんのいる前で言うんじゃないぞ、コツンと拳固を食らうぞ。いいか。

青蓮 まあ


三人笑う。

階段の上から、小山田軍曹と小松上等

兵、降りて来る。


小山田 ええか、その場合はだな、儂がきっと頼んでみる、一生懸命に頼めば、何んとかして下さるだろう。

小松 ハア、有難うございます。

小山田 それまでは、絶対に、軍人の本分を乱しちゃいかんよ。

小松 判っております。

小山田 そんな事は、日本の軍人には、言う必要はないかも判らんがね。

小松 ハァ。

小山田 又その期待がだな、全然放れたとしても、落胆するのではないよ。日本の軍人であるということを忘れんようにせにゃいかん、ええか。

小松 判りました。


小山田と小松は階段を降りて店の間へ来る。


小山田 青蓮さん、兄さんはどうしたね。

青蓮 今、お友達と行きました。

小山田 そうか一寸話があったんだがまあ後でもええだろう。

木本 班長殿、いよいよ帰還命令が下りそうでありますか。

小山田 そんな事は、みだりに口にすべきではないと言うのに、判らん男だね、併し(気が好さそうに)そんな噂もあるね。

青蓮(何か言いたげに)班長さん。

小山田 うむええ娘だ。儂は、あんた方が幸せになればええと思うてるよ、此の上は、あんたの兄さんさえ、話を含んどいてくれればええのだ。その上、兄さんの身許さえ間違いがなければええのだ、勿論間違いはあるまいがなあ、幸せになるんだよ。

青蓮 はい、アリガトゴザイマス。

小山田 そうか、よしよし。

青蓮(思いつめたように)あたしコマツさん好きなの。

小山田 そうか、よしよし、いい娘だ。


玉金が、街路から走って来る。


玉金 李起鳳つかまったよ。(と、わめきながら、小松の腕を掴まえて)李起鳳、つかまったよ。

小松 誰がつかまったって。

玉金 李起鳳デスヨゴンベですよ、ゴンベですよ。

小山田 どうしたのだって

小松 ゴンベエが青蓮の兄貴が捕まったのだそうです。


福西が街路から飛び込んで来る。


福西 おい権兵衛が、捕まったぞ、スパイだったんだとさ。

小山田 何、青蓮の兄貴がスパイだ


街路を憲兵に曳かれて、李起鳳と妙琴、もう一人のシナ人が通る。


 ニイサンバカ、ニイサンバカ。


(泣きながら街路へ飛び出して、李起鳳にしがみついて泣く)


青蓮、放心したように、くず折れる。

小松上等兵、動ぜず。


砂川(青蓮を抱きおこす)おい、しっかりしろ


木本一等兵、呆然として街路をみつめる。


小山田(静かに)おい、小松上等兵、お前は悪くないぞ、青蓮も悪くないぞ、悪いのは、ゴンベエだけだ。そのゴンベエも或いは、誤まって、正しいつもりで悪い事をやっとったのかも 知れん気を落すなよ、ええか、気を落すなよ。


街路から中隊本部の兵隊山口、入って来る。


山口 中隊本部から使いに参りました。

小山田 何か。

山口 小山田軍曹は直ちに中隊本部へ出頭せよ、終り。

小山田 判りましたと伝えてくれ。

山口 判りましたと伝えます、帰ります。


山口は街路へ去る。

小山田軍曹は黙々として剣を下げる。


木本 あの噂のことでありましょうか。

小山田 判らん。


街路へ出て行く。


砂川 おい、小松、介抱してやれよ。

小松 うん。(動ぜず)

砂川 兄貴は悪くったって、妹は悪くないと、今も班長殿が言ったじゃないか

木本 そうさ、兄貴は兄貴、妹は妹とし、班長殿が計らって下さるよ、気にせずに介抱してやれ。

小松 うん


浜崎、水を持ってきて青蓮にのませる。

木本 しっかりしろ、青蓮青蓮小松は軍人だからな、態度に困っているだけだぞ、お前の事を思う心はちっとも変っていないのだぞ。

砂川 班長殿がちゃんとして下さる、班長殿がちゃんとして下さる。小松を信じていろよ。班長殿がいる限り大丈夫だからな。


早川が街路から出る。


早川 おい、今、中隊本部で聞いたんだが、班長殿に帰還命令が下ったらしいぞ。

小松(おどろく)班長殿に。

砂川(おどろく)班長殿に。


暫くたって、小山田軍曹、街路から帰ってくる。黙々と階段を昇って行く。木本達その姿を見つめる。

小山田軍曹、チラリと兵隊達をふりかえる。

その眼に、涙が浮かんでいる。


(溶暗)


第六景


兵隊達

前景の一カ月後――。


早川上等兵の「気をつけ」という声で明るくなる。


月の夜である。


小山田班の兵隊達、一列に並んでいる。


早川 番号。


一同、番号をとなえる。


早川 休め。休んだままできいとってよろしい。皆も小隊長殿から伺ったであろうが、小山田班長殿が帰還された後の班長の任務は、今日から自分がつぐことになった。自分は、班長となったについて、先ず一番初めにやりたいことがある。それは今日の昼間、皆と相談したことであるが、帰還された小山田軍曹殿に、班一同から手紙をさし上げることである、皆それぞれ手紙は書いたか。

木本 ハッ、書きました。

早川 順に読んでみろ。

木本 ハッ(読む)小山田班長殿(早川に)もう班長殿ではないのでありますが、班長殿と言わしていただきます。

早川 よろしい。

木本 小山田班長殿、班長殿はとうとうお帰りになりました。我々が親とも、又、伯父とも慕っていた班長殿はとうとう帰還してしまわれました、我々は又、何時の日、班長殿にお逢い出来るか判らないのであります。実は班長殿がお帰りになる時、我々は決して泣くまいと、皆で誓い合いました。班長殿が自分一人が帰るのは心苦しいと仰有ったからであります。班長殿に気兼ねしていただくのが申しわけないからであります。ですから、我々はついに誰一人として泣きませんでした。その代り班長殿の乗ったトラックが、遠く遠く、丘の向うの砂煙の中にかくれたら、初めて涙が出て参りました。早川上等兵殿が一番最初に子供みたいに泣きました。皆に泣くなよ、泣くなよと言いながら声をあげて泣きました。それ程、我々は班長殿と別れるのが辛かったのであります。

砂川 自分たちは例え、戦死するとも班長殿の御恩を忘れないでありましょう。自分は班長殿の残された教えを守って、立派な兵隊となります。立派な日本帝国の軍人となります、班長殿、見ていて下さい、必らず必らず班長殿の名を汚さぬ立派な兵隊となります。班長殿の名を恥かしめぬ立派な兵隊となります。(泣く)

小松 班長殿、小松上等兵は、小松上等兵は(泣く)班長殿の教えを守って、日本帝国軍人の名を恥かしめずにおります。今後とも決して決して(泣く)

早川 班長殿手紙をいく度も有難うございました、今度こそは、女の名前でなく、本物の班長殿のお名でお手紙がいただけます、早川上等兵は泣いてお手紙を読むでありましょう。

木本 我々はさんまの歌を忘れません。

砂川 我々は一生あの歌を忘れません。今、皆で歌います、聞いて下さい。


兵隊達笑う。


あわれ

冬風よ、情あらば伝えてよ

兵隊ありて、秋刀魚を焼きてくらうと

そが上に、あつき涙をしたたらせてくらうは

いづこの里のならいぞや

あわれ

げにそは問わまほしくおかし


(溶暗)


第七景


エピローグ

前景と同じ頃。


ある港町である。


海に近い路奥の方に堤があって、その向うは海。舟の帆柱など見える。左の方に、汽船の待合所がある。

右に、倉庫の壁が見える。


堤の上、右の方から小山田恭平と妻の芳枝が下りて来る。


芳枝 もっと早く帰れるつもりだったのだけれど、本当におそくなりましたね。

小山田 仕方がないさ、儂の親類廻りを待って、皆が戦争の話をききたがるんだから

芳枝 帰還なさってから、夜、外を歩くのは初めてでしょう。

小山田 うむ、(しみ〴〵と)内地の夜は明るいね。

芳枝 まあ、きょろきょろして田舎者みたいね。

小山田 仕方がないさ、二年ぶりだものああ、なつかしいなあ


遠くで工場の汽笛がなる。


小山田 おい大丈夫か、おい大丈夫か。

芳枝 何がですか。

小山田 空襲だぞ。

芳枝 工場の汽笛じゃないのさ、あれは。

小山田 馬鹿、大きな声をするんじゃない、敗残兵が出て来るじゃないか、かくれろかくれろ

芳枝 あなたッ、此処は内地ですよ。

小山田 何、内地あ、そうか道理で歩哨線がないと思ったよ。アッハハ(明るく笑う)

芳枝 まあ、いやですよ、あんたは


左の待合室の蔭から、会社員風の酔払いA、Bが出る。


(小山田夫婦をみて)おい、あんまりいちゃつくな、気が揉めるじゃないか。

 本当だぞ、いい年しやがって。早く帰って、炬燵にでも入って寝ろ。

小山田 何

芳枝 あんたおよしないよ、相手は酔払いじゃありませんの。

 何、酔払いがどうした、自分の金で自分が酔払うのが何故悪い。酔払おうと酔払うまいと僕達の自由だ。

小山田 失礼ですがね、あなた方は。

 何、あなた方はあなた方がどうしたんだ。酒を飲みすぎてるっていうのかい。でも、僕達は若いんですからね。

 道のまん中で、年よりのくせにいちゃつく方が余ッ程、衛生に悪いやおいぼれ、早く帰れ。

小山田(グッと来る、飛びかろうとする)

芳枝 あなた(と、とめる)


酔払い達、右手の倉庫の蔭へ何か喚きながら入る。

小山田、じっと、その後姿を睨んでいる。


芳枝 厭ね、酔払いの相手になんかなる人がありますかあんた、帰って来てから、とても変よ今みたいに酔払いにつっかかってみたり綺麗な着物を着たり、綺麗な服を着た男の人が通ってると、厭な顔をしたりどうしてなの。

小山田 いや、お前等には判らん(悲しくなって)俺は戦地へ帰りたい俺は戦地へ帰りたいよ。

芳枝 まあ、だって、あんた、折角、帰って来たばかりじゃありませんかあんた帰って来てから、どうも変ですよ。

小山田 変かも知れんなあ、自分でも時時戦地に居るのか内地に居るのか判らなくなることがあるのだよ。

芳枝 変ですよ、ほんとに変ですよ。

小山田 俺には、戦地にまだ沢山し残したことがあるのだよ。

芳枝 でも、あなたが帰していただいたのと、入れちがいに他の兵隊さんがあっちへいらしたんでしょう。

小山田 いや、そんなことでなく他のことでだよ、お前に言っても判らんけどねえ

芳枝 あなた、どうなさったの。

小山田(悲しさが、こみ上げて来る)儂ゃ戦地へ帰りたい儂ゃ戦地へ帰りたい。


マイクの声がさゝやくように

「班長殿〳〵、御機嫌よろしゅう我々は立派にやります」

「ハンチョサン、ワタシ、コマツサン、スキナノヨ、スキナノヨ」


小山田(悲しさを耐えて、かみしめるように)あわれ、冬風よ、情あらば伝えてよ、兵隊ありて、秋刀魚を焼きてくらうとあわれ冬風よ、情あらば伝えてよ


小山田恭平は、呟きつつ涙をこぼす。遠くで汽船の入港するらしい汽笛がきこえる。


(幕)


道修町


七場

昭和十七年七月
有楽座上演(古川緑波一座)

(人物)
市兵衛(安田市商店の主六十才前後)
佐登子(その姉娘 二十三才)
たか子(妹娘 十九才)
嘉助(大番頭 六十才前後)
重助(番頭 三十五才)
信助(同 三十七才)
恭助(同 二十八才)
謙吉(小僧 十九才)
春吉(同 十九才)
利吉(同 十八才)
和吉(同 十七才)
松吉(同 十二才)
宗吉(同)
菊(上女中 二十五才)
まき(下女中 三十三才)
よし(同 二十才)
昭和十三年頃から十六年頃へかけて大阪道修町


第一場


安田市商店の店先

道修町の薬種問屋、安田市兵衛商店の店先――。


上手よりに、荷物発送のための土間を取り、大部分は、二重畳敷きの店の間。一番下手に、ガラス戸の表口(夜はガラス戸の外側に、雨戸と、その外側に、一寸角の木格子の戸が閉まるくゞり戸から、出入する)

上手の土間は、正面に、幅一間の細格子の開き戸、普段は閉まりきりとなり、その一部分にくゞり戸があり、台所へ出入する。

二重、畳敷きの店の間は、上下二間に別れ上手の間は、正面右よりに、台所へ行く細格子の障子と、その左に、一間の戸棚(漢薬が入っている)。右手の壁には、薬棚(新薬の瓶が並んでいる)。正面の戸棚の下半分は壁、その前に、主人用の事務机、座布団。下手の間は、一番左手に街路に面した 窓、正面左手よりに、漢薬の戸棚、その右は奥座敷へ行く細格子の障子。番頭用の事務机四脚。


下手の店の間で、帳付をしている番頭の、嘉助、重助、信助、恭助

上手の土間で、荷箱へ縄をかけ、荷造りをしている中僧の謙吉。新らしい荷箱に、藁で巻いた瓶を詰めている春吉と、小僧の和吉。薬棚から、伝票と睨み合せながら漢薬の袋を出し、通い箱に入れている利吉

こんな姿で幕があく。


信助(机の前に坐ったまゝ)ゲンノショウコは二袋やで、間違えなや。

利吉(薬棚の前で通い箱に、漢薬を入れながら)間違えしまへん。そんな心配せんかてよろしが。余り心配すると、頭禿げまっせ。

信助 何ん吐かしてけつかる。しょむないこと言わんと、よう伝票見て、品数間違わんようにせえ此間も、山帰来十袋言うのに、二十袋持って行きよったやないか、武田はんとこが、正直やなかったら、えらい損する所や。

利吉(通い箱に漢薬の袋を入れ終る)やかまし番頭はんやなあそない、があがあ言うたら、尚のこと間違うがなほなら、行って来まっせ。(と、通い箱をかついで、土間へ下りる)

信助 これ、判取帳持って行きんかい。

利吉 すんまへん。

信助 阿呆んだらめ、気いつけんかい。


利吉は通い箱をかつぎ、判取帳を提げて街路へ去る。


春吉(上手の土間で和吉に)阿呆そないに、藁ばっかり使うてどないするねん箱の中藁ばっかりで、瓶は一つも入らへんやないかい送るのは、藁やのうて薬やで

和吉 薬の瓶が、われたらいかん思うさかい、藁でていねいに包んでまんね。

春吉 少しの藁で、瓶がわれんように包むのが一人前や何度言うたら判んね。そんなこっちゃ、何時までたったかて、一人前の番頭になれヘんぞ

和吉 あて一人前の番頭なられヘんかて、かましまへんね。

春吉 ほなら、何んで奉公しとんね奉公なんぞやめ。

和吉 春吉っとんは、一人前の番頭はんになる為に奉公してはりまんの

春吉 そやがな(二重の上の番頭達を指さして)あの上へ坐って、羽織着せて貰うてそうすりゃ一人前の番頭はんやがな

和吉 へえうちは、番頭はんにならしまへんね御主人になりまんね、そやよって一人前の番頭はんに、なれんかてかましまへんね。

春吉 ふんこのがきやまあ、大けなこと吐かしおってよう言わんわ

重助(二重の上から)何んや何んや番頭なんぞになりとうない、主人になるんやて。

春吉 そない言うてまんね、このがきや、阿呆らしゅうなって来るわ。

重助 ガーンと一ついてこましたれくせになるさかい仕様ないがきやな。

謙吉 和吉とんしょむないこと言うてんと(箱に縄をかけ終る)この箱、表へ出しとき

和吉 へえ(と、箱を引きずる)

謙吉(それを見て、まだるっこくなる)ええ、どけどけ役に立たん奴っちゃなあこうやって運ぶのやがな。


謙吉は、箱を器用に動かして街路に面した表口へ運んで行く。

出合頭に、此の家の妹娘たか子が帰って来る。テニスのラケットを持っている。


たか子 あぶないわ気いつけてえな。

謙吉 すんまへん


番頭たち、たか子に「お帰りやす」と言う。

たか子、番頭達にうなずく。ラケットを二重におく


たか子(謙吉の荷箱をとって)下手くそやなあこうやんのやがな。(と、ころ〳〵転がして街路へ出してしまう)

謙吉(呆気にとられる)大きに


たか子、得意な顔で、手の塵を掃い二重のラケットを持って、上手土間の台所口へ行きかける。


たか子(ふと、ラケットに目をやって)えらいこっちゃ、お父さんに見つかったら、叱られてしまう所やった(引返す)恭助はん。

恭助(帳面をつけていた頭をあげる)はい。

たか子 これ何時もの通り隠しといしてや。(のび上ってラケットを渡す)

恭助 はい(受取る)

たか子 その内に、お礼するわね。(台所口へ行きかける)

重助(たか子に呼びかける)こいさん(からかうように)お礼は何をしやはりまんの。

たか子 そんなんまだ、決めたらヘん。

重助 恭助はんが、喜びそうなお礼やったらとうはんに、叱られまっせ

たか子(ふりむいて)阿呆何言うてんねそんな事ばっかり考えてるよって、あんたは偉うならへんねもう少し本を読んで男と女との交りには、恋愛以外の交りもある言うことを勉強して頂戴や。

重助 へんえらい言われ方や恭助はんはインテリだすよってなあてみたいな、ド阿呆とはちがいますわ。

たか子 あんた、思うたより悧巧やなあ。

重助 そりゃ、あてかてなあ

たか子 自分のド阿呆をよう知ってはるわ。

重助 


たか子重助に向って映画俳優のように、敬礼して、入りかける。

奥から障子があいて、主人の安田市兵衛が出て来る


市兵衛 たか子

たか子 はあ?

市兵衛 お前、今何言うてた

たか子 

市兵衛 重助に何言うてた此処へおいで


たか子、無言。


市兵衛 此処へおいで言うてるのに、判らへんのか。

たか子(二重の上へ上る)

市兵衛(自分の机の前に坐る)坐んなはれ。

たか子(市兵衛の前に坐る)

市兵衛 手をついて。

たか子 手をついて、どないしますの。

市兵衛 重助に謝まんなはれ。

たか子 うち、生れてから誰にも、謝まったことあれしまへんね

市兵衛 何んでもええから謝まんなはれ、お父さんの命令や

たか子 何んで謝まらんなりまへんの。

市兵衛 お前、今さっき、重助にどない言うた重助が、あてはド阿呆でっさかいになあ言うたらお前、あんた思うたより悧巧やなあと言うたやろ。

たか子 言いました。

市兵衛 そしたら重助が、そりゃあてかてと乗って来よったわ。此の男は根が阿呆やよってなそうしたらお前、あんた自分のド阿呆よう知ってはるわ失礼と、敬礼したやろ

たか子 しました。

市兵衛 お前、悪いこと言うたとは、思わへんか。

たか子 

重助(したり顔)世の中には言うてええことと、悪いこととおまっさかいなあ

市兵衛 そやその通りや世の中には言うてええことと悪いこととある、重助は確かにド阿呆やそやけど、それは本人の前で言うては悪いことや(重助げっそりとした顔)それにお前は、女子やないかこれから嫁に行こうかいう女子があんなこと言うてええかちと、つつしみなさい。重助に謝まりなさい。

たか子 うちは女子やよってに謝まんなりまへんの。

市兵衛 そや女子いうものは、言いたいことが十分あったら、その内の三分言えばええものや

たか子 うち、そんなの厭やわうち、そんなの厭ですのお父さんや皆が、うちらの事、女子やよってに、女子やよってに言うて、何んでも押しこめるようなこと言うてやさかいうち、わざと男みたいにしてますのそうせな損やよって

市兵衛 たか子もっとちゃんと坐りい。(たか子坐り直す)お前、姉さんを見てどう思う姉さんはお前みたいなしょむない口のきき方、一度でもしたことあるか

たか子 姉さんは、特別や

市兵衛 姉さんが特別やあらへん特別はお前や儂ゃな、死んだ儂の嫁はんになあお前みたいな子を作ってくれ言うて、頼んだ覚えは、一度もないでお母はんはな、どんな時でも、お店の番頭はんには、ていねいな口をきいとってやった。番頭はんが無うては、お店が成り立 たへん言うてな。死んだお母はんはな、何時でも姉の佐登子はええやが、妹のたか子が何んせ困り者や言うて、嘆えてはったでお前ええ年して今だにこんなことでお母はんに申訳ない思わへんか。

たか子 

市兵衛 ええお母はんやったお前、お母はんに済まん思うたら重助はんに謝まり。

たか子 (父の顔をみるそして、重助に、つつけんどんに)堪忍してや


たか子は、土間へ下りる。


市兵衛 たか子。

たか子 (ふりかえる)

市兵衛 まだ済まへんのやで。

たか子 何んですの

市兵衛 恭助はんその柄のついた餅網みたいなもの出し。

恭助 はあ(とぼける)

市兵衛 あんた何時でも、たか子からあずかっとってやろ


恭助、立ち止って、窓際の、薬棚の陰に隠したラケットを出すそれを上手の部屋の市兵衛の前へ持って行く。


恭助 どうも、すみません。

市兵衛 あんたは悪いことあらへん悪いのはたか子や(と、たか子に向い)何んや、この魚焼きの網みたたいなもの

たか子 テニスのラケットだすがな。

市兵衛 ラケットか、ビスケットか知らんけど何でこれを、恭助はんにあずけんならんね

たか子 姉さんが、又お父さんに見つかったら怒られるさかい、恭助はんにあずかって貰い言わはりましてんそれに恭助はんなら、黙ってあずかってくれはりますもの。

市兵衛 そりゃ頼まりれや、仕様ないよってあずかってくれてのや恭助はんかて迷惑やがな毎日毎日こんなんばかり振り廻して飛びはねて何が面白いねん、こんなもの。

たか子 運動ですよって、身体によろしねやわ。

市兵衛 身体にええか知らんけど、そんなことばかりしてるよって、飛び跳ね者になりますのや儂ゃ、そういう女子は嫌いです嫌いやけどやなあお前がそうすることが好きやと言うのなら別にやめなさいとは言いませんで現代の女子はそういうことをせないかん言うのなら仕様がおまへんそやよってこの餅網も、恭助はんにあずけるような事せんと、自分でちゃんとしもうときなさい

たか子 はいそんならテニスはやってもよろしいの。

市兵衛 その代り隠し事はよしなはれやこれからもあるこっちゃ、お父さんに隠し事したら、あきまへんで

たか子 すみません。

市兵衛 仕様しゃあない子やもうよろし行き。

たか子 すみません。


と、たか子は、土間から台所口へ入る。


市兵衛 仕様ない子やな

恭助(恐縮して)どうも、私もついうっかりおあずりしていて、申訳ありませんでした。

市兵衛 いや大事だんない、大事ない。ありゃ時々言うてやらんと、何処まで飛び上るか判らん子やよって一寸こらしめただけだす。心配せんかてよろし。

恭助 本当にどうも

市兵衛 いやだんないそれよか、あの方はどや。

恭助 はあそのう。


恭助は下手の部屋の、他の番頭達から一人離れて帳付けをしている大番頭の嘉助に、話をゆずって自分の机へ行く。


嘉助(話を引きとって)旦那はんえらい売行きだっせ。

市兵衛 やっぱり、よかったかいなあ。

嘉助 今土間で、荷造りしてまっしゃろ。(と、土間の和吉、春吉達を指さす)あれもそうだんね

重助 旦那はんやっぱり新薬はよろしいなあ。

市兵衛 ええかいなあ少しはようないとえらい犠牲払うてるのやよってなあ。

嘉助 そうだす、漢薬専業で何百年言うて通して来た安田市商店が、清水の舞台から目えつむって、飛び下りた気持で、新薬を売り出したんですよってなあ。

市兵衛 ちいとばかりは、儲けさせて貰わな後生が悪うおます。

嘉助 ほんまにいな


番頭達、相槌を打って笑う。


恭助(進み出る)旦那さん。

市兵衛 何んだす。

恭助 その今のお話の新薬ですけれど私は宣伝の仕方で、もっと売れるような気がしますけれど

市兵衛 宣伝がいけまへんか。

恭助 いけないと言うこともないのですけれど何んですかあそこにかかっていますね(漢薬の看板を指さす)新聞の広告をみましても、家の新薬の広告は、あの漢薬の看板 を見るような気がするのです。新聞広告なども、もっと新らしい気のきいた図案や文案を考えたら、もっと売れるんじゃないかと思いますけれど

嘉助 恭助はんあの新聞広告いけまへんか。

恭助 いえ、別にいけなくはないのですけれど、漢薬と新薬とでは自ずと宣伝の方法も

嘉助 いけまへんやろなあて等、根が無学でっさかい新薬など扱うたこともおまへん新薬の宣伝など、殊に不得手だすあの広告は、私が図案も文案も決めたんだっせ悪うおましたなあ。

恭助 いいえですから

嘉助 ですからどないですね併し、なあ恭助はんこの安田市商店には昔からの格いうものがおまんね昔からの、暖簾言うものがおまんねその暖簾に傷のつくような品の悪い広告はしたいことがおまへんさかいなあ

恭助 併し、新薬を売るのに、新薬らしい広告のしかたをしたって、暖簾に傷がつくという程のこともございませんでしょう。

嘉助 黙ってなはれ、あんたみたいな学校出の若い人には、判りまへんやろけどこの、昔からの漢薬の卸で鳴らした安田市商店がだすな、今度新薬を発売する言うだけでも私等、昔からいる番頭は何十回言う程、相談会を開いたんだっせ余り傍からこれ以上お店の品を落 すような商売の入知恵つけんといとくなはれ

恭助 私は唯商売が大事だと思いますものですから、何時までも昔流の商売をしていることは


番頭達は、嘉助と恭助の言い争いに、次第に引き入れられて昂奮してくる。


重助 昔流昔流って、恭助はんは言いなはるけどなあ昔は、新薬言うものはのうて、漢薬ばかりだったんだっせ、その時はこの店かて、新らしい商いの仕方をしてたんだっせ

市兵衛(争いを遮ぎる)もう嘉助も、重助も、恭助も、やめとき皆、商売を大切に思うばっかりや儂や、厚う礼を言うで店の品も大切やそれも判る。商いもぎょうさんせんならんそれもわかる。皆、よう喧嘩してくれなはった。併し此処で一番肝心な事は、この安田市商店が皆も、もう知ってるさかい言うてもかまへん一番肝心なことはこの安田市商店が、没落しかかっとる言うことや先祖伝来の漢薬事業をよして、始めて新薬を発売したのも新聞広告言うようなものを、始めてやったのも、その危険な瀬戸際をうまく切り抜ける為や今度の新薬には、資本もみな掛けてしもたな、それをよう噛み分けて、皆仲好う、商売にはげんでや儂かて、先祖から伝わった漢薬事業の看板をはずしとうはない併し、その看板だけでは今の時節では商売がし憎いさかいな、し憎い商売を、無理押しして安田市商店を潰すようなことがあったらなあそれこそ、御先祖様に申しわけないよってなあ、御先祖様から授かった暖簾をはずすような事にならん為に新薬発売もやりましたんや頼みまっせな。

嘉助 そらもう、よう判ってます、よう判ってまっさかいあてかて、一生懸命になって新聞広告かて、ポスターかて、一々自分で指図して作らせては、出してまんね。

市兵衛 所が、恭助はんは、それが漢薬の看板みてるみたいな、言うてのやろ。

恭助 別に悪口を言うつもりはなかったのですが

市兵衛 ええがな薬言うものはな、昔から、効きさえすれば売れる言うことに決まってまんねそれにな、嘉助はんも、重助はんも、信助はんも、昔から番頭はんやってるんや、商売の事は、よう知ったはるまあ、まかせときなさい。

恭助 はあ

嘉助(まだ気がすまない)宣伝が効いてる証拠には、ああして註文がどんどん来てるやないか。

恭助 私は、あれが毎日二箱三箱でなくこの土間ではせまくて、荷造りもろくに出来ないと言う程、沢山註文が来るといいそう思ったのです。すみませんでした。

嘉助(気が折れてくる)まあ、商売のことは、私にまかせておきなはれ私のすることは御主人もちゃんと見とってやそれにあんたは、近々の内に、上のとうはんを、御嫁はんに貰うてこの家の後つぎになっての人や、段々に商売を覚えて行かんならんな、荒い言葉使うてすみませなんだが気い悪うせんといてや

恭助 いいえ

市兵衛 両方共、判ったか

恭助 はい、判りました。

市兵衛 判ったら気持のようなった所で、もう表閉めたらどうや

嘉助 そうだんな夢中になってたが、もう五時すぎやな(土間に向って)春吉とん謙吉とん後は明日にして、表閉め

謙吉 へえ。


小僧達は、土間の荷箱を、片隅によせ、あたりにちらかった藁や縄をかたづけはじめる。


市兵衛 重助、売上帳みせてみ

重助 へえ(と、さし出す)

市兵衛 この調子なら、何とか順調に、売れよるわいなあ嘉助はん。

嘉助 左様だすどない言うても先祖伝来の看板がもの言いまっさかいなあ安田市が新薬売り出したあちゅうてそれだけで、小売屋が喜んで、飛びついて来よりまっさかいなあ

市兵衛 もう一息やなもう一息押切る為には、恭助はんの言うような、宣伝のしかたもええような気がするな恭助はんの言うのは武田はんや、田辺はんで、宣伝してはる、ああいう宣伝の仕方やろ。

恭助 そうです。

市兵衛 皆、成功してはるさかいなああれもええような気がするなあ、なあ嘉助はん。

嘉助 ブルブルブルいけまへん、よしとくなはれ。

市兵衛 いかんかあ

嘉助 私は、派手な事は、なんでも好きまへんねあんな派手な事せんかて、家の暖簾で地道に、売れて行きまんがな

市兵衛 それも、そうやなまあ、地道にさえ売れて行ってくれれば、文句はないかも知れんなあ

嘉助 左様だす旦那はん、近頃は時々、突拍子もない、新しがった事言うてやさかいはらはらし まんがな

市兵衛 儂や慾張りになったんかいなあ。

嘉助 上のとうはんの、御結婚が間近いですよってなあ


番頭達、恭助の顔を、ひやかし半分にみる。


市兵衛 いろいろ物入りやでそのせいかも知れんでなあ、恭助はん。

恭助 はあ(困る)


番頭達、笑う。市兵衛、立ち上る。

街路を通る新聞屋が、夕刊を放り込んでゆく。恭助、拾って――


恭助 旦那さん、夕刊です

市兵衛 うむ


市兵衛は、夕刊を受取って奥へ入る。謙吉、春吉、和吉など、表戸を閉め始める。嘉助、重助、信助、恭助は事務机をかたづけ始める。

奥から、市兵衛、再び出て来る。


市兵衛 恭助はん家の新薬の創製者なあの医学博士何んというお名前やったいなあ

恭助 木崎博士です。

市兵衛 木崎

恭助 木崎養之助です。

市兵衛 木崎養之助(と、改めて夕刊に見入る)

恭助 何か出ておりますか。

市兵衛 いや(と、奥へ行きかける又引返す)後で、読んでみ(新聞を恭助に渡し、不安気に奥へ入る)


恭助、新聞をひろげて読むその顔に不安の影が濃くなる。


信助(傍へよる)何んでんね


信助、新聞をのぞき込む。

これも、不安な面持。


恭助 大番頭さん(と、新聞を渡す)

嘉助 何んやね。(と、新聞を見る)


奥から市兵衛が、もう一度出て来る。


市兵衛(黙って、新聞を受取って見入る)

番頭達そのまわりを取り巻くようにして覗き込む。

謙吉達の、表戸を閉める音が騒がしい。

(溶暗)


第二場


同台所

(前場の一月後)


安田市商店の台所である。

下手に、店の間からの出入口—前面は土間。

正面に二重の板の間。その奥に一段高く台所の畳敷き

上手に、へっつい鍋釜の棚、食器の棚、漬物樽そして片隅に、車井戸

一番上手の奥に、奥庭へ出るくゞり戸。正面板の間の左隅には、店員達の箱膳を入れておく棚。

畳敷きの奥、上手よりに家人の食器を入れる鼡入らず、その下手に奥座敷に通じる襖の出入口――それらの上に、吊棚、椀その他の食器を入れた定紋つきの箱が並べて載せてある。その一番下手に店へ行く障子の出入口

その他、すべて、大阪の旧家らしい雰囲気

嘉助が畳敷きの上で。重助、恭助、信助が板の間の上で。利吉、謙吉、和吉が土間に腰かけて。御飯を食べている。

女中まきとよしが、番頭たちの食事の給仕をしている。


嘉助食べ終る)御馳走様。

まき よろしゅうお上りお茶、入れまほか。

嘉助 入れかえんでもええで

まき よろしがな大番頭はん、出したてが好きや言うて、何時でも、新らしいのにせえ言うてやおまへんか

嘉助 新らしい茶は毒や言うて聞いたさかいもう飲まんことにしたんやそのまま入れたらええねん。

まき 左様だっか。(茶を注ぐ)

謙吉(土間で)御馳走様。

利吉(土間で)御馳走様およしさん、お茶くれんか

よし(土間で)何言ってんね、小僧のくせに生意気言わんと、御飯たべたら、さっさと御店へ行って、働き

利吉 へええらい言われ方や。


謙吉、利吉は、上手の流し場で、茶碗を洗う


信助(板の間で)御馳走様これ頼んまっさ


信助、立ち上って箱膳をよしに渡す。よしは、土間で受取って、流し場へ運ぶ。

信助、店へ去る。


重助(板の間でまだ食べている)お代り

まき(給仕をしながら)重助はん、よう食べてのやなあこれで五杯目だっせ。

重助 何杯食うても、人のこと大きなお世話や精分つけな、身体がやせて仕様ないわ

まき 一月も前に飲まはった下し薬まだ効いてるんだっか

重助 阿呆言うなそないに長いこと効いてたまるかい薬はうっかり飲めんよって、御飯で滋養とってるのや

まき そんなら山盛りにしまっさ

重助 程ようよそうとけ程よう何杯にも分けりゃええねん。

まき 文句の多い人やな(と、茶碗を渡す

恭助(板の間で)御馳走様

まき 御茶、入れまほか。

恭助 有難う


まき、茶を注ぐ。

恭助、静かに茶を飲む。

嘉助、さっきからしきりに考え込んでいる。


春吉(土間で)御馳走様。

和吉(土間で)御馳走様。


謙吉、利吉、箱膳へ洗い終った茶碗をおさめ、土間の出入口から店へ去る。

春吉、和吉、流し場で、茶碗を洗う。恭助、立ち上って店の間へ行こうとする。


嘉助(呼びとめる)恭助はん。


恭助、嘉助の前へ坐る。


嘉助 あんた旦那はんから話聞きなはったか。

恭助 いえ、まだです併し薄薄は様子で判ります。


嘉助ジッと、恭助の顔をみる。


嘉助 先月の新聞以来や新聞にあないして、木崎博士の事が出てから以来家の初めての新薬がぱったり売行きがとまってしもうた。

恭助 本当に売り出して、誰でも知ってる薬になってしまってからならよかったのです。まだ宣伝の最中にその新薬を創製した博士が、あんな事になってしまわれたんですからね

嘉助 世間いうものは、薄情なもんやあの博士の御家の中の出来事と薬とは、何んの関係もあらへんやないかそれが、あの博士の名前を使うてるばかりに、ばったり売行きがとまったんやからな。

恭助 旦那さんも、あれ程、乗気になっていられたのにお気の毒です


春吉、和吉、洗い終った茶碗を箱膳におさめ棚へのせて、土間から、店の間へ去る。


嘉助 あんたも知っとってやが最近はこの安田市商店も、道修町の他の新らしい勢力いうのか、どういうのか大きな店に押しつけられてな一寸商売の方が、具合が悪かった今度旦那はんが、創業以来初めて、新薬に手を出さはったのもそれを一息に挽回しよういうおつもりやった資本もなあ、根こそぎいう程注ぎ込んでなあ工場まで建ててなあそれがこの有様や

恭助 御運が悪かったのです

嘉助 あてら八つの時から此の店に奉公してるこんな事は初めてや心配で、御飯も咽喉を越さへん

恭助 さっきあれ程お茶の好きな大番頭さんが茶を入れかえなくともいいよと仰有ったので僕はいい番頭さんだな心の中で思いました。

嘉助 そうまで神経を使うたかて、なるようにしかならんのかも知れん暢気にな、御飯を五杯も六杯も食べる人かて、あるけどなあ


盛んに、食べつゞけていた重助、嘉助の皮肉を感づいて、お代りと言いかけ慌てゝ「お茶」

「あの、お茶の葉は、入れかえんかてええで」まき「あたり前ですがな」重助「少しでええねん、少しで」まき、注ぐ重助「大けに」と、恐縮してお茶を飲む。


重助 此のままで行きゃ此の安田市商店は没落する他に路がないねん、何百年か続いて来た此の店がなあ

恭助 

嘉助 一軒の店が潰れるということは、容易ならん事やでなあ私等あてら、この店のおかげで商売を覚え、旦那はんのおかげで、一人前の商売人にさせて貰いましたその私等のいる店がその旦那様が今どうなるかと言う瀬戸際へ来てまんね私等かて、ジッとしている訳には、行きまへんわなあ、そない思いまヘんか。

恭助 思います。

嘉助 そこでやなあんた、気い悪うせんようにしててやええか気い悪うせんようにしてやこれはこの話には旦那はんは、てんで乗ってはらしまへんで乗ってはらしまへんが、一つこういう話が、此の家に来てまんねその話になあ、当家の者がなあ、乗って上げさえすれば当家は安泰になりまんねこの安田市商店が破産したりせんかてすみまんね。

恭助 それはどういうお話でしょうか。

嘉助 御当家のなあ、そのう上のとうはんを、御嫁に貰いたいという家がある。そういう話だんねその先は、船場の立派な御家だっさかいな若しその話が決まれば、その御家でも、当家が、こうして困窮してはる姿をみれば、そのままではおいとかはりますまいこの話、あんた、どう思う。

恭助 

嘉助 旦那はんはなええかこの話を、てんで傍にもよせつけはらへんのやで誤解しなや所でや、あんた、この話をどう思う

恭助 

嘉助 旦那はんはな何故か知りまへん何故か知りまへんけどなこの話をてんで見向きもしやはらへんでそやけどやなこの話が、御当家の為に、ええ話やと思うたら奉公人の我々も、この話はええ話でっさかい、この話を進めて、旦那はん、御家を立て直しとくなはれそう言うておすすめせんならんわなあそやないか。

恭助 


重助嘉助と恭助の話に聞き入っている此処まで来るとたまりかねる


重助 大番頭はんあては、この恭助はん昔から嫌いだっせ昔から嫌いやけど今の大番頭はんの話は恭助はんの為にやめとくなはらんか。

嘉助 やめる何んでや。

重助 あては、恭助さんが、お家の上のとうはんとどういう訳合いになっとってや、よう知りまへんで知りまへんけど、若しもお家のとうはんと、恭助はんとが、あてが想像するような訳合いになっとってやったら今の話は、恭助はんに死ね言うようなもんや

嘉助 そりゃ、どう言うこっちゃ私は何んにも知りまへんで恭助はんに何か事情がおますのか

重助 大番頭はん空っとぼけんでおくんなはれ恭助はんの、昨日までの立場は、こうやってお店に奉公している者のはりあいの的だっせ番頭かて成績さえよけりゃ、尤も顔もようなきゃいけまへんやろけどな成績さえよけりゃ、番頭でも御主人の家の娘はんを嫁はんにもろて、御主人の家の後つぎになれるそれは、あてたちの明るい希望希望そのものでっさかいなこういう場合にも、恭助はんみたいな立場の人が、初めの予定通りにあてらが思うていた通りになれたらあてら番頭の世界は、どないに明るうなりまっしゃろ。

嘉助 重助はんあんたは、番頭さえ幸せになりゃ、御主人の家はどないなってもええという主義か

重助 いえ、別にそういう主義やおまへんけど。

嘉助 そういう主義なら主義でよろしおまあんた今日限り此の店から去んでもらいまほ

重助 そんな無茶なそんなあんたそら無茶苦茶や。

嘉助 無茶な事あらしまへん私は何時の場合でも御主人が第一、自分の事はその次だす

重助 そりゃその通りだす、その通りだすけどなあ

恭助 大番頭さん私に考える間を下さい。どうしたら御主人の御家が安泰になるかその話に乗ることが、この御家の為になるかならないかよく考えてみたいと思います。

嘉助 よう考えてみとくんなはれなあ、御家が大事だっせ。


まき、よし、流し場の隅で、御飯を食べている。

奥から上女中の菊が出て来る。


 番頭はんら皆はん、もう御飯すんだんでっか

嘉助 すんまへんもう、とっくに済んでましてんけど長話をしよ りまして今、退きま。

 とうはんが、御飯上ってやよって一寸すみまへんけど、退いてくれはらしまへんか。

(土間へ向って)まきはんとうはん方の御飯の支度してんか。

まき はい


嘉助、重助、店の間へ去る。

たか子、奥の間から出て来る。


たか子(奥へ向って呼ぶ)姉さん早ようおいでんか。

 こいさんまだ支度出けてしまへんねで。

たか子 かまへん此処で坐って待ってるから、ええねん。(坐る)


奥の間から佐登子、出る。

恭助、店へ去ろうとする。

佐登子と顔を見合せる。


恭助 どうも、長い事無駄話して御食事がおくれて申訳ありません。(と、店の間へ行きかける)

佐登子 恭助はん

恭助(ふりかえる)

佐登子 ええわ何も用事ないねん。

恭助 そうですか。


二人は、顔見合せる笑う。

恭助はそのまゝ店の間へ去る。


たか子 姉さん、あんたどない思うてんのん断わってやなあ断わってでしょう。

佐登子(坐る)断わるも断わらんも、こない話そないに簡単に言えるもんやあれしまへん。

たか子 そやけど姉さんには、ちゃんと、自分の行くべき路が、決まっているのですもの考える余地なんか、ない思うわ。

佐登子 そりゃ、お父さんかてその事に就いては何も言わはらへん唯、こう言う話があるけどお前に黙っているのも何やから、一応耳にだけ入れとくそう言うてはったそやけど

たか子 姉さんは姉さんの思った通りにしやはったらええやおまへんの

佐登子 それがなああんたはまだ子供やうちの気持判れへん。

たか子 姉さんあんたの心境そないに頼りない心境なのあんた、恭助はんのこと好きやないの

佐登子 たか子いやなこと言うての子やなあんたそないなこと阿呆やなあ

たか子 姉さんたら、言いたいことの半分も言わへんのやもんうち、何が何や、一寸も判れへんわ

佐登子 うちあんたみたいに、何んでも言える人、幸せや思うわ

たか子 姉さんは不幸やな


二人笑う。

土間へ重助が、小さい小僧、松吉を連れて出る。


重助(佐登子達に)すんまへん此の子、今日から小僧ぼんさんに来ましてんけどなあ、まだ昼御飯食べてまへん言いますよって今此処で、すんまへんが、食べさせてやっておくんなはらんか。

佐登子 ええわ其処で食べさせておやり

重助 へえ大きに(松吉に)本来なら、お前、とうはん等と一緒に、御飯食べたり出けへんねで今日だけやで早よう食べさせて貰い(まきに)おまきさん何んぞ食べさせてやってんか

まき 仕様ないな、今時分になっておかず何にもあらへんで(と、箱膳を取って板の間へおく)さあ、これがあんたの御膳やよう覚えとき。

重助 ええか余り食べすぎるんやないで五杯以上食べると、身体に悪いよってなあ腹も身の内や、ええか

まき 何言うてんねそりゃあんたに言う言葉やがな。

重助 わいが経験ずみやよってそない言うてんね。

まき 人に言うより、自分が気をつけなはれ。

重助 へんえらい言われ方や。


松吉、板の間に向って土間に腰かける。

重助、店の間へ去る。


よし(松吉に)はいお菜や御飯は自分でよそうて食べるんやで(お櫃をあてがう)

松吉 おおけに

佐登子(松吉に向って)小僧さんあんた、何んて言う名や。

松吉 松三郎言いまんねけど此処へ来たら松吉と変えられましてん。

たか子 可哀想になあどうして小僧に来ると名前かえるんやろか。

佐登子 此の子も名前変えられたん不平そうやな松吉っとん

松吉 (黙って佐登子の顔をみる)

佐登子 あんた、名前変えられて悲しいか。

松吉(黙ってうなずく。)

佐登子 無理ないと思うわそやけどな、そういう悲しい思いしてそういう悲しい思いを何度も何度もして人間言うものは、段々偉うなってゆくのやで

松吉(佐登子の顔をみつめる。)

佐登子 あんたかて、此処に奉公している内には、叱られることかてあるやろ、朋輩に叩かれることかてあるやろそんな時、松三郎が叱られたり、叩かれたりするのや思うたら腹が立つ松吉が、叱られたり叩かれたりするのや思うたら、諦めもつくその内に段々大人になってくるわ偉うなる為には、それも我慢せなならんのやな、我慢しいや。

松吉(うなずく)


その間に菊、佐登子たちの膳を出して、食器を揃える。

まき、佐登子たちの器に、お菜を盛る。

よし、店員達のとは、別の櫃に佐登子達の御飯をとる。


たか子 松吉っとんあんた、親兄弟あんのか。

松吉(うなずく)お父ちゃんと、姉さんがいてはります。

たか子 姉さんがあんのそらええなあ姉さんはやっぱり、うちらみたいに、お花生けたり、お茶立てたりしてはるのかお花生けんの上手か。

松吉 お花生けるって、何んだす

たか子 知らんのんか切花を花瓶に生けたり、水盤に生けたりするのやがな

松吉 姉さんは工場へ行ってはります。

たか子 工場へお父はんは何してはるの。

松吉 お父ちゃんは、病気だんね、お父ちゃん病気で、働けんさかい、うちは工場へ行く言うて、行ってはりまんね。

たか子 そう偉いなああんた一人で奉公に来て寂しいことないか。

松吉 

たか子 今夜からは、お父ちゃんとも、姉さんともはなれて一人で寝るのやで可哀想やな

松吉(御飯を頬ばりながら、泣いている)


菊、佐登子達の御飯をよそう。


 お上りやす。

たか子 お父さん、おそいなあ


 おそうなったら、先に食べさせとけ言うてはりましたよって遠慮のう、お上りやす


たか子、食べはじめる。

佐登子、箸もとらず、考え込んでいる。


たか子 姉さん食べへんのんかどないしたのん


間。


たか子(姉の顔をみつめる)

佐登子 うち、考えたけどな御嫁に行こうかと思うねんけど。

たか子 

佐登子 うちら、少さい時から、お父はんやお母はんに可愛がられて、育って来たな今、親孝行せな、する時があらへんような気がする。

たか子 それで、御嫁に行く決心しやはったの

佐登子 

たか子 お嫁に行く言ったら恭助はんの方やのうて、うちが断わんなはれ言うてる方やな。

佐登子 (うなずく)

たか子 姉さん言うたら、何言うてるの、そりゃ相手の家は、えらいしんしょ持ちや其処へ姉さんが御嫁に行けば、家が困ってるのそりゃ助けてくれはるやろそやけどそればっかりが親孝行やあらへんでうちは松吉っとんの今の話きいたら、益々、姉さんと恭助はんは、結婚せないかん思い始めた。

佐登子 うちは御嫁に行かないかん思うた。

たか子 阿呆阿呆やな、姉さんは、松吉っとんは姉さんとお父さんと自分とが、一緒に暮せへんのが悲しいのやで。

佐登子 そやけど、松吉っとんの姉さんは、外へ出て働いて、お父さんを養うてはるわ。

たか子 それはそうせなならんさかいや。(松吉に)そやな、松吉っとん。

松吉(無言で姉妹の顔をみている)

佐登子 うちなあ。死んだお母はんのこと思い出してんお母はんは十五で、お父はんの所へ嫁入りして来やはったんや西も東も判らん内から、お嫁に来て死ぬまでお父は んの為に尽さはったんや、うちら、お母はんに比べると恥かしいわ。

たか子 姉さんあんた恭助はんのこと、可哀想や思わへんのか恭助はん、可哀想やないか。

佐登子 そら、恭助はんは可哀想やそやけどうちかて可哀想やお母はんは言うてはった、女子いうものは、その家のうちからその家の暖簾を守って行かないかん男は外で働いて、暖簾を守る、女子はうちらから守る今は、お父はん一人が、あのお年寄りのお父はん一人がこの安田市商店の暖簾を守る為に汗みずくになってはる時やお父はん一人でこの家が支え切れんようになったら死んだお母はんの代りにうちが出て行って支えてあげないかんそやないかお母はんかて、うちらが黙っていたら、不甲斐ない子供やなそう思うてやろ

たか子 そやけど

佐登子 恭助はんも可哀想やそやけど本当の心を言ったら、うちかて可哀想や小說かて、何かてこういう場合には、男ばっかり同情されたるそやけど、女子は好きな男の人と別れて、何んでもない、まるで知らん人の所へ行くのやその方が、余っ程、可哀想やないか

たか子 そんなん古くさいわそんなん安っぽいセンチメンタルやうち嫌いやそんなん例え、この家が没落しても、姉さんと恭助はんとが結婚して、お父はんと姉さんと恭助はんと、うちと四人が、共共に働いて暮すのが、うちは本当の幸福や思う姉さんは古いわ問題にならへん考え直し。

佐登子 古うてかまへんうち、お母はんの代理になるねん。



信助、出る。


信助 旦那はんがお帰りになりましたで。


市兵衛が店の間から出る。

信助は店へ去る。


佐登子・たか子 お帰り

市兵衛 ああ、暑つうちらにいると、そうでもないが、外歩くと、もう相当暑いでえらい汗や。

 直ぐ御飯にしまほか。

市兵衛 ああ頼む(膳に向って坐る。)

たか子 何処へ行ってでしたの

市兵衛 一寸、用達しや。(松吉をみて)その子何んや

 今度来た小僧や言うて、重助はんが連れて来やはりました、まだ昼御飯食べてへんさかい言うので、さっきから食べてるのだす(松吉に

松吉っとんあんた長いなあ、早よう食べてしまいんか

市兵衛 ええがな育つ盛りやたんと食べさせてやり


店の間から重助が出る。


重助(市兵衛に)あの旦那はんに、まだお引き合せしまへなんだけどこの子が昨日申しました、松吉いう子でんね(松吉に)旦那はんやで御挨拶し。

松吉(立上って、御辞儀をする)

市兵衛 えらい小さい子やな。辛いやろけどなこの位の内から商売覚えたら、ええ商売人になるわまあ、しっかりやり。

重助(松吉に)お前まだ食べてんのか、いい加減にせんかい腹も身の内やで

 重助はんの世話する人やよって、よう似てはるわなあ。

重助 お菊はん世の中にはなあ言うてええことと悪いことあるねんで旦那はんやとうはんの前でそんな事言うたら、あてがさも、食いつぶし男みたいやないか

市兵衛 まあ、ええがな重助はんの大食いは、儂もよう知っとるさかい公認やがな

重助 おおけにエヘヘ


重助は店の間へ去る。


佐登子 嘉助はんに聞いたんですけど金策の方は、どないでしたの

市兵衛 嘉助に又、阿呆な奴やなあの男そんな事は、女子の知ったることやあれへんどうでもええねん、そんな事は

佐登子 お父はん此の間のお父はんのお話しのなあお嫁入り先の家みんなええ人でっか。

市兵衛 何んやて

佐登子 うちなあ先の人が、ええ人やったら、御嫁に行かせて貰おうか思ってますの。

市兵衛 そりゃ先の人は普通の人や、普通以上ではあらへんええ先やったら、お父さんが行け言うて、すすめたるやめとき


三人は御飯を食べ始める。


たか子(突然箸をおいて)はっきり言うとくけどなあ、うち、姉さんのその御嫁入り話は、絶対反対やで人間は、思うままの事をするのが一番幸福なんやその幸福を捨てる話か て捨てさせる話かてうちは絶対に賛成出来へんうち、はっきり言っとくわ

市兵衛(怒る)たか子何んやその口のきき方はそれでも女子かお父はんは佐登子を嫁にやるともやらへんとも、何んともまだ言うとらへん


松吉、その剣幕に驚いて、店の方へ走って行きかける。


市兵衛(呼ぶ)松吉松吉いうたかいなあ。


松吉、ふりかえる。


市兵衛 びっくりせんかてええねんで小さい内に奉公に出て、いきなり他処の内部のことを見て驚いたんやろなびっくりせんかて、ええねんでうん

(ゆっくり暗くなる)


第三場


同奥座敷

前面に庭を抱く、二重の奥座敷。

正面下手よりに店の間へ通じる襖の出入口、下手に廊下を経て台所へ通じる暖簾の出入口。

上手に床の間

庭の上手は倉そして隣家との境界をなす高い塀。下手は、炊事場へ通じる木戸。


夏の夜。


舞台空。

夏の祭りの太鼓の音が遠くからきこえて来る。風呂焚きの勝爺さんが、祭りの提灯を持って出て来る。

提灯に火を入れて、軒下に吊るす。

台所の方から、菊が出て来る。


勝爺 どやこの提灯吊るすと、いかにも祭りの気分がするやろ。

 勝どんは、提灯吊るすのが好きやなあいたる所、お祭りの提灯吊るしてはるわ。

勝爺 何もお祭りの提灯は表へ吊るすもんと相場が決まったるもんやあれへんよってな方々に吊るして、それでお祭りの気分がたんと出りゃその方が得や。

 何んや損得で、提灯吊るしてるのかいな

勝爺 そやけど今年のお祭りは、寂しいなあ。

 何もさびしいことはあれへん(たか子が脱ぎすてた着物を畳みはじめる)何時もと同じやがな。

勝爺 同じか同じゃあらへんやろ

 そら此処の家はちがうわいな旦那さんは、黙りこくって考えてばかりいやはるし、こいさんはつんけんして八ツ当りに当ってはるし普通にしとってのは、上のとうはんばかりや。

勝爺 上のとうはんやっぱり嫁入りしてのんか。

 うん

勝爺 可哀想にな恭助はんのこと、あないに好いとってやったのになあ。

 所が、そのとうはんが一番落ちついてはるねん

勝爺 そやけど恭助はんが黙っていんやろ

 所がなあ、恭助はんかて、何も言わはらへんねあれがインテリ言うもんやろかなあてらなら、とうはんの首ったまつかまえて、お前は俺をよくも裏切ったなそない言うのがあたり前やと、思うのやけど所が、恭助はんは、とうはんに言うてはるね。

勝爺 どない言うてはんね。

 僕には、あなたの気持がよく理解出来ますあなたは、大阪の古い古い家に育った娘さんだ、あなたは古い昔の大阪の悲しくも床しい気風をうけついだお嬢さんだ、あなたは、自らを進んで悲しい悲しい環境におとし入れ、しかもそれに生甲斐を感じる娘さんだそのあなたに、僕の我儘を理解させることは、美しい人形に、きずをつけることだ、僕はあなたに、僕の悲しみを訴えることをやめましょう

勝爺 それがラヴシーンかいな。

 そや、そういうて二人とも涙こぼしてはるねん。

勝爺 えらいラヴシーンやなまるで裁判所の法律読んでるみたいやないかこいさん、もめてはるやろ。

 あんな人やよってな旦那はんに食ってかかり、とうはんにくってかかり大変やいくら大阪の娘かてそうそうは押しつけにされとうないそう言うてなあ

勝爺 こいさんかてインテリやろ

 自分でそう言うてるはるさかいきっとそうや

勝爺 えらい、インテリでもいろいろあんねなあ

 こいさんのは、怒りインテリいうのや。

勝爺 そうか併し、なんにしても、お祭りだけは、ちゃーんとさせたげたいなあ大阪の人間は、昔から、お祭りだけは、ちゃーんと一年中の楽しみにしてるよってなあ

 そやよって今夜だけは三人揃うて、お祭りに行かはるねん。

勝爺 そうかそらええわ祭りだけはなあ、ちゃんと楽しまななあ


と、勝爺さんは庭石を伝って、台所の木戸へ入る。

菊は着物を畳み終って去る。

祭りの太鼓、きこえる。

お祭の晴着を着た、たか子と市兵衛が正面の襖から出て来る。


市兵衛 たか子たか子まだ怒ってるのか。

たか子 

市兵衛 今夜はお祭りやお祭りの日だけは、楽しそうにしていてんか。

たか子 

市兵衛 大阪の娘かて、そう何時までも、忍従の生活をするのはいやや姉さんにもさせとうはないそう言うお前の気持は、よう判るで判るよってな、儂かて苦労しとんねそやけどな佐登子自身の気持が、そうなっとるのにどうにもしょうがないやないか佐登子はな、死んだお母はんの気持を受けついでるねん死んだお母はんはな、普段は、何でも僕の言うことをきいておとなしゅう物も言わんような人 やった。それが何かの事があると忽ち今の佐登子みたいになるねん儂がためろうていることで、それをやれば、儂の為によいというような事があるなあそういうような時には、てこでも動かん程、頑固になりよるねん今の佐登子が、それや

たか子 そんなこと言わはったかて、姉さんかて、何も無理矢理には、お嫁に行きたいことおまへんねで、恭助さんのことが好きなんでっせお父さんが嫁に行くのはいかんて、きつう言わはったらきっと、決心が変る思います。

市兵衛 そらそやそやけどなあそう言われりゃ儂かて、悪いねん儂かてこの安田市商店の暖簾はつぶしとうないよってなあ

たか子  それ見なはれな、お父はんはやっぱり、姉さんを犠牲にするつもりや。

市兵衛(泣く)阿呆お前阿呆お前は、儂の気持が判らんのじゃ儂の気持が(泣く)佐登子の気持も判らんのじゃ

たか子 判ってます、判ってるよって(泣く)お父はんかて可哀想やけど姉さんが可哀想でなりまへんねわ

市兵衛 もうええもうやめとここの話やめとこ祭りへ行こか。

たか子 

市兵衛 路歩きながら二人でもっと話しよ。

たか子 姉さんは

市兵衛 佐登子はおいとこ佐登子にも、よう考えさせてやるねん一人になったら、よう考えるやろ。

たか子 (父の気持が判らない)

市兵衛 今夜はな、店の者も女中達も誰もおらへん恭助が一人でお店番や恭助も、佐登子も、一人ずつになったら、よう考えるやろ。

たか子 お父はん。

市兵衛 儂ゃなどうして、あの二人がもっとはっきりした気持を、儂に言うてくれへんのやろかそう思うてんねであの二人がどうしても添わしてくれな厭やはっきりそう言うてさえくれたら儂にも決心がつくねんで佐登子を貰いたい言うてる先方へかて、断わりよいよってなあ


正面の襖を開けて佐登子が出る。


佐登子 お祭り行きまほか

市兵衛 あのなあ儂ゃ一寸用事が出けたんやけどその一寸、たか子を連れて用事に行って来んならんのや折角のお祭りやけど佐登子、お前留守番してくれへんか。

佐登子 あて、留守番だっか。

市兵衛 うんすまんけど。

佐登子 しょうがないなあ

市兵衛 すまんその代り、土産買うて来てやるよってな。

佐登子 お父はん、何時でもそれやでも、何で急にそうなりましたの。

市兵衛 それが、その急にそないになってなあそれで、お店の方はなあ恭助が、留守番してんねで

佐登子 恭助はんが

市兵衛 そやそやよって、お前一人で淋しかったら、恭助を話相手に呼んでなあそれから、あの事も、よう二人で話して、よう考えてみい

佐登子 お父はん

市兵衛 たか子恭助に、一寸用がある言うて、呼んで来い。


たか子「はい」と、正面の襖を開けて去る。


市兵衛 佐登子儂ゃなあ、お前が幸せになる為やったら店なんかどないなってもかまへんねで安田市商店の暖簾も大切や先祖様からのこされた暖簾やよってなあそやけどお前の幸福の為やったら暖簾はずしてもかまへん儂が悪うござりました言うて、御先祖様に謝まりゃええねんな、判るか。

佐登子 

市兵衛 しょうむない親持ってお前、苦労しよるなあ

佐登子 


正面の襖から、たか子と恭助が出て来る。


恭助 お呼びでございますか。

市兵衛 うんあのあのなあ儂とたか子と、用達があって出かけるねんけど、後は佐登子一人が留守番せんならんのでな話相手になってやってや

恭助 はい。

市兵衛 退屈せんようにないろいろ相談事があったらないかも判らんけどあったらないろいろ相談してな

恭助 はい。

市兵衛 さあたか子、行こう(立ち上る)

たか子 姉さん行って来ます。(と、持って来た絽の羽織を父に渡す)

市兵衛 じゃ、行って来るで

佐登子(市兵衛に、羽織を着せながら)お早ようお帰り。

恭助 行ってらっしゃいまし。


市兵衛、たか子入る。

市兵衛だけ、直ぐに現われる。


市兵衛(佐登子と恭助に向ってしみじみと訓すように)あのなあそのう昔なあ、儂の知ってる人でなあこういう人があったんやでその人はな、親の家の後つぎをせんならん人やったんや、所が親が嫁さんに貰えゆう娘さんの他にやなもっと好きな女子があったんやそれで、その人はどうしても、その女子の人と結婚したい思うてな、その方が、結局は親も喜んでくれるようになる思うてなその女子の人と無理矢理結婚したんや親は怒りよったけどな結局はゆるして、その人は、今は幸せに暮らしてはるわそういう話があったんやそんなら行って来るわ。(と、入る)


市兵衛、又出て来る。


市兵衛 あのなあ今の話判ったか判ったな、判ったらええねん。(と、入る)


祭りの太鼓、聞こえる


佐登子 恭助はんあんた、うちのこと憎らしい思うてか。

恭助 憎らしいそう思ったこともあります併し、お嬢さんには、お嬢さんの信念があるのです私はお嬢さんが、その信念を通されることを、願っています

佐登子 古い店の暖簾がはずされる若しそんなことがあったらお母はんは、きっと嘆いてやと思ううちは、それがたまらんねんわお父はんがあのお父はんが、泣きたい程の気持、我慢して、笑うてはる顔みると、うちはほんまに、このままではいかん思うねわこの気持判ってくれてやなあ。

恭助 私は、お嬢さんが、どうしてそうまで、この安田市商店の古い暖簾に愛情を感じるかそれがどうしても判らないのです。古い暖簾の代りに、我々の手で新らしい暖簾をかければいいじゃないかそう思うのです併し、お嬢様が、お母さんから受け継がれた、昔からのこの家の或いはこの町の気風それだけは判るのです、その気風に依って生きているお嬢さんである。それだけは判るのですお嬢さんは、それによって生きなければ、或いは生きて行けない人ではないかと思うのです


祭りの太鼓の音、聞こえる。



佐登子 去年のお祭りは、楽しかったな。

恭助 楽しかったですね。

佐登子(激情)恭助はん

恭助 佐登子さん。

佐登子 (気持を押える)お店のこと、頼むわ大事にしてやってな。

恭助 ええ(激情を押える)それじゃお寝みなさい。

佐登子(悲しく)おやすみ


恭助、店の間へ去る。

佐登子、机に向う、本を拡げる。読む。


佐登子その人はいかにかしたる。今も猶君を恋ふるや」かく言ひて、我が物語ききゐたる、少女は髪をかき上げぬ「否」と答へて、ゆるやかに我は煙草の煙吹く「一月ばかりすぎて後、我その人を見捨てにきあはれ七年また逢はずあはれ七年また逢はず。


祭りの太鼓風に送られて来る

(溶暗)


第四場


同奥座敷

床の間に、結納の島台など飾ってある。

佐登子の結婚式の夜である。


まき、よしなどが、新らしいお仕着せを着て、忙がしげに立ち働いている。

重助が、羽織袴で出て来る。


重助 旦那はん、こっちにおってやないか。

まき お店の間とちがいまっか。

重助 お店にいてやないさかい、ここへ探しに来たんやないか何言うてんね。

まき おかしいな。

重助 おかしいなやあれへん、何処へ行かはったか、探してみいな。

まき そんなこと言うたかて、あて達かて、忙がしゅうおまんねやがな。自分で探したらええやおまへんか、結婚式の日は、男より女子の方が忙がしゅまんねで

重助 そんな事言わんかて判ってるわいわいかて、結婚式のおかげで、こんな窮屈なもん着せられて走り廻ってるのやないかい

よし 重助はんこんな窮屈なん着せられて言うてはるけどあんた窮屈なはずや袴後前にはいとってやがな

重助 何

よし 袴がなあ前と後とあべこベや言うてまんね。

重助 あべこべ(と見る袴の腰当てが前へ来ている)ああこれあべこベか生れて初めて袴はいたんでどうもおかしいおかしい思うとったああそうかこれは腹当てとちがうのか。

よし そら腰当てですがな

重助 あ、そうか腰当てかわいは又、袴言うものは、行儀よう出来たるもんや余り御飯ぎょうさん食べるといかん言うて、これでお腹を押えるようになったる、うまいことなったるもんやなあ思うとった。

よし 何んちゅう人やろな世の中の人はあんたみたいな人ばかりやあれしまへんでほんまに、何んちゅう人やろな

まき 早よ、おいではかしたげますよって。

重助 大きに。


重助は、まきに袴をはかせて貰う。


重助 大きにほんまに、結婚式言うものは忙がしいもんやな。


廊下からたか子が出て来る。


たか子 重助はん、お父はん呼んではったで

重助 左様でっか大きに


重助は正面の襖へ入る。


まき こいさんは、まだ着物着かえてやおまへんのだったか。

たか子 うちは着換えが早いさかい皆がすんでからでもええねん。

まき 左様でっか

たか子 ああ、台所の方が忙がしいさかい、早よ来てんか言うて、勝爺さん言うてた、早よう行ってやり。

まき へえ。(よしに)あんた、それ、店の間へ持って行き。

よし あんた、台所へ行ってくれてか。

まき あて、行くわ。


まき台所へ去り、よしは店の間へ去る。

たか子床の間の島台をみる


たか子(悲しげに)姉さんうち姉さんを軽蔑してんねで姉さんはやっぱり古い女子や、古い古い大阪の女子やうちがどんなに言うたかて、うちの言うこと聞かはらへんうち、姉さんを軽蔑してんねで姉さん、ええかこれが最後やでこれが最後の、うちの抗議やで最後の抗議やよってに、出けたら聞いて結婚やめて。大阪の娘が、何時までも因習の殻に閉じこめられてるか、突き破ってし まうか言う境目やよってな(と、父と姉に宛てた手紙を、島台の上に乗せる)左様ならうちは、姉さんに代って強い女子になるねん左様なら


たか子、台所の方へ行きかける。

正面の襖から、(新らしい木綿の縞の着物に角帯の)松吉が出て来る。


松吉 とうはん旦那はんが、呼んではりまっせ大きいとうはんの支度も出来たさかいに、早よう支度しなはれ言うて。

たか子 すぐに行きます言うといて。

松吉 へえ。

たか子 あッあのなあ(と、島台の上の手紙をとって)これなあこれから十分ほどたってからなあお父さんに渡してんかええか、今直ぐやないで、十分ほど経ってからやで

松吉 へえ(受取るふところへ入れる)

たか子 じゃ、うちは支度しに行くから、あんた此処にいい此処にいて十分ほど経ってからお父さんに、それ渡し、ええなあ。

松吉 へえ

たか子 じゃ、頼んだで


たか子は下手の廊下へ去る。

松吉、ポツネンと佇んでいる。

市兵衛が出る。


市兵衛 たか子たか子おらへんか。

松吉 こいさんは、今、支度しに行かはりました。

市兵衛 そうかそらよかったどいや、忙がしいので驚いたか。

松吉 へえ

市兵衛 とうはん、見たか

松吉 へえ

市兵衛 どや、綺麗やろ

松吉 へえあの。

市兵衛 何んや何んや言いたそうにしてるなあ。

松吉 うちの姉さんもあないに綺麗な着物着て、お嫁に行ったら、ええやろなあ

市兵衛 姉さんにも、あない着物着せたいいか

松吉 へえ

市兵衛 お前が早よう偉うなってなあ姉さんにええ着物着せてやれ。

松吉 へえあの(と、手紙を出しかける)


正面の襖から、菊が出て来る。

松吉、そのまゝ手紙を懐中へしまう。


 旦那はん、とうはんの御支度、出来ました。

市兵衛 そうか

 お父さんに、お別れの言葉をのべたい言うてはります

市兵衛 そうか此処へ連れて来なはれ。

 へえ。


菊、正面の襖へ去る。


松吉 あの、旦那はん(手紙をふところから出しかける。)

市兵衛 何んや用事か、用事などあとでもええ、今とうはんが此処へ来てやさかいよう見い、お前の姉さんにも、あないに綺麗なベベ着せてやるのやで

松吉 へえ。(手紙をしまう)


菊、正面の襖から出て来る。

佐登子、白無垢の婚礼衣裳で出て来る。

父の前へ坐る。


市兵衛 うむ、綺麗になった綺麗になった

松吉(市兵衛に)あの旦那はん

市兵衛 何んやね。

松吉 さっきからもう十分経ちましたか。

 何言うてんね、此の子は。あんたこんな所におるのやあらへんで、店の間へ行っていい。

松吉 まだ十分経ちませんか。

 何んやね此の子、変な子やな、十分たったら、どないしたんや。

松吉 あのうこいさんが、十分たったらこれ渡してくれ言わはりましてん。

市兵衛 こいさんが。

松吉 へえ。

(松吉の手から、手紙をひったくるようにして、市兵衛に渡す)

市兵衛 何言うてんのや、この子は(と、封を切る、読む)お父様、お姉様お驚かせしてすみません。これが私の最後の抗議です。私は古い大阪の家を出て広い世界へ飛び立ちます。古い古い、大阪の家の雰囲気に堪えられないからです姉さんのお嫁入りには、私はあくまで反対です。一人の人が、自分を殺して、それも暖簾の為にと言う、古い因習に満ち満ちた言葉の犠牲になる、そんな生活に、私はとても耐えられないのです。出来得ればお姉様の結婚を取りやめて下さい。私を可哀想だと思ったら結婚を取りやめて下さい私は姉さんを助ける為に、この家を出て行くのです


佐登子、気持の動揺をこらえている。


 旦那はん(声がふるえる)

市兵衛 嘉助はんを呼んで来い。

 へえ。(と、入る)

市兵衛 松吉、こいさん、どっちへ行った。

松吉 台所の方へ行かはりました。

市兵衛 直ぐにな、裏口から出て、こいさんが、そこらへんにおらへんか見て来い。

松吉 へえ。(と、入る)


嘉助、出る。


嘉助 旦那はんえらい事だすな。

市兵衛 たか子おらんようになったのや、すぐ手配してんかなるべく世間へ知れんようにな

嘉助 とりあえず番頭達を、探させにやりましてんけど、私も、そのあたりを一寸


嘉助、立って行きかける。


佐登子 嘉助たか子の思う通りにさせてやりたか子には、たか子の考えがあるねんたか子かて可哀想や悲しい時には、誰かて、泣きたいだけ泣かな、気持が晴れへんもんや、たか子の気持が晴れるまで、ええようにさせてやり

嘉助 へえ(坐る)

佐登子 たか子なあ一人で気いもんでんねでうち、それがよう判るねん、そやよって、たか子を無理に連れて帰って来ても、そのたか子の目の前で、うちがやっぱり嫁に行く言うてこの姿のまま家を出て行ったらたか子、どんな気がするやろ

市兵衛 佐登子お前やっぱりくか。

佐登子 お母はんが、うちの胸の中で命令してはります。どんなことがあっても、安田市の暖簾は守れ言うて

市兵衛 (涙が出て来る)

佐登子 お父さんもうお輿入れの時間でっしゃろうち行きます。

市兵衛 佐登子儂ゃ

佐登子 お父さん、御機嫌よう御達者でな商売一生懸命にやって、安田市の店、よう繁昌させとくなはれうちそればっかりが楽しみや

市兵衛 うむお婿さんと仲好うな(泣いている)

佐登子 お父はん行きますさいなら

市兵衛 うむ


市兵衛は泣けど、佐登子泣かず。立ち上る。

壁にかけられた母親の写真の前へ行く。


佐登子 お母はん行きます。左様ならお父はんの事、たのみまっせ

市兵衛 嘉助はん、お供の支度たのみまっせ

嘉助 へえ(涙を拭いて入る)


菊、佐登子の手を引いて入ろうとする。

佐登子、泣かず


市兵衛泣く

(溶暗)


第五場


同店先

前場の二年後、初夏。

店内の様子、二年前と変らず、唯、荷物の箱、前より数多く、土間に積まれてある。


畳敷きの事務所には、重助、信助、謙助(第一場の謙吉)がいる。

土間で荷造りをしているのは利吉、和吉新らしい小僧宗吉である。

表を初夏らしく金魚売りが通って行く。春吉、外から、空の通い箱をかついで、帰って来る。


春吉 行って来ました。

信助 御苦労はん、判取帳は

春吉 ああ判取帳向うの店へ忘れて来た

信助 忘れて来た

春吉 判押しとくなはれ言うて、向うへおいたまま忘れて来ました、すんまへん貰うて来まっさ。

信助 品物だけおいて、判貰わずに来てどないする早よ貰うて来い。

春吉 へえ。

謙助 阿呆やな此奴は何時でもやがな判取帳はな、品物を確かに受取りました、間違いおまへんという印やで、品物持って行きゃ必ず判もってくるのに決まったるねん でお前、御飯食べる時、箸もたずに食べるか。

春吉 うっかりしてたんやがな。

謙助 お前何年薬屋の飯食うとんねしっかりせえ。

春吉 すみまへん。

謙助 ド阿呆

春吉 えらい言われ方やなあんた、番頭はんになった思うてえらいいばらはるなあ

謙助 何。

春吉 何んやねつい去年までは、あんたとあては、同じ小僧やったんやで番頭はんになったら、えらい水臭いねんな。

謙吉 何んやて

信助 これこれよしいなお前方喧嘩ばかりしとんねな、春吉も悪いが謙助はんかて少しいばりすぎるで。

謙助 左様だっかそやけど、わいかて番頭になったんやよって少しはいばらしてもらわな恰好がつきまへんやがな。

信助 そない無理していばらんかてええがな(春吉に)早よう行って来い。

春吉 へえ


春吉は、通い箱を二重へおいて街路へ去る。


和吉(土間で)こら宗吉何してんね、何してんね

宗吉 すみまへん

和吉 荷造り言うものはな、藁の入った瓶を先方へ送る為にやるのやで判るかお前の荷造りは藁ばっかりやないかお前、薬送らいで、藁を送るのか

宗吉 すみまへん瓶がこわれるといかん思いましてていねいに包んでまんね。

和吉 荷造り言うものはな、少しの藁で、瓶がわれんように上手に包むのが一人前やねんそんなこっちゃ何時までたっても一人前の番頭はんになれへんぞ気いつけえ

利吉 和吉っとん。

和吉 何んやね。

利吉 それ、二年前にあんたが此の店へはじめて来た時、皆に言われた言葉やがな。

和吉 かまへん、順送りや

利吉 あ左様か併し、二年前言うたら思い出したこいさん、どないしてはるやろな。

和吉 えらいきついとうはんやったけどなあ何処へ行かはったんやろ

利吉 わいが思うのには、東京やな。

和吉 何んでや。

利吉 家出する先は、誰でも東京に決まったるわ。

重助(二重の上から)これこれお前等、何言うてんねつまらんこと言うのやあらへん旦那はんにきかれたらどないするね。

利吉 へえ

重助 仕様ない奴等やな

信助(帳付をしながら)重助はん、あんたこいさんの姿見た言うの本当か。

重助 本当や但し、私は電車の中、向うは路やそやからあっと言う間に、行きすぎてしもたが、あれはたしかにこいさんやったな。

信助 どないな姿してはった。

重助 それがなあ

利吉(土間から)番頭はん旦那はんにきかれたら叱られまっせ

重助 やかましい番頭は、別や


台所から襖が開いて、嘉助と市兵衛が出て来る。

台所から土間へまきが出て来る。


まき 皆はん御飯だっせ。

重助 はいよ


まき、入る。


重助(嘉助に)大番頭はんは

嘉助 私は、旦那はんと御一緒にいただかせて貰うたよって、皆食べてきい。

重助 へえ、大きに皆御飯やでは、頂いて来ま


番頭小僧達、台所口及び二重の台所へ行く襖から入りかける。


市兵衛 重助はん。

重助 へえ。


他の店員は入り、重助のみ残る。


重助 何ぞ御用でっか(坐る)

市兵衛 あんたなあ、たか子の姿見なはった言うの、本当か。

重助 

嘉助 私が旦那はんに申し上げたんや

重助 あ左様かあの、電車の中からチラリとお姿をお見かけしたばかりでんねけど。

市兵衛 それ何処で見なはった。

重助 阿倍野の方へ行った時でんねけどアッと言う間に、電車がチンチンと走り出してしまいましたよって

市兵衛 そんならそのまま姿見失のうてしまはったんやな。

重助 余程、電車降りて、行って来うか思いましてんけどもう間に合わんやろ思いまして。

市兵衛 左様かおおきに

重助 どうも、鈍な事ですみません。


重助は二重から台所へ去る。


嘉助 残念な事でしたな

市兵衛 電車の上からやそれに、慌て者の重助の事やから何んとも知れん

嘉助 その阿倍野のあたりどの停留所のあたりか、重助によう聞いてみて、その辺調べさせまほか。

市兵衛 いやそないせんかてええもうどうせ、捨てた子や向うかて、見捨てた家や、この家へ帰る気、せえへんやろし、もう、ええわ

嘉助 左様でっか

市兵衛 だんない放っときなはれさあ帳合でもしまほか。

嘉助 へえ


嘉助は自分の机から、帳面を持って来る。

市兵衛は自分の机に向う。


嘉助 では始めまっせ

市兵衛 どうぞ。

嘉助 一、三百九十八円也神戸の三盛薬局だす一、九百五十二円二十銭也、吉岡薬店一、一千二百三十円三十五銭元生病院、一、二百二十三円也太田医院、一、百三十八円九十銭也西村薬局一、一千九百三十円也野崎堂薬店。

市兵衛 御蔭でえらいええ成績やな

嘉助 恭助はんがなあ出征しやはる前えらい奇妙な宣伝を考えてくれはりましてなあそれ以来、目立って一度駄目になりかかっとったあの新薬の売行きがようなって来ましてん

市兵衛 恭助は、ようやってくれよったなあ。

嘉助 その宣伝を、恭助はんが考えてくれはった時も、私は、どうも余り奇抜すぎますよってなあ反対したかったんだすがあのあの時の後だすよってな私ゃ、せめて商売のことなと、恭助はんの言い分を通してやりたい思うて、許しましてんそうしたらそれがえらい当りでんね

市兵衛 やっぱり若いもんには、かなわんなそれにしても、ようひがみもせずにやってくれよった。(涙ぐむ)

嘉助 若い、大学出や言うのに商売が好きだんねな

市兵衛 普通の者ならあんな事があったら、こんな店なぞは飛出してしまいよるぜそれを飛出しもせずじっと我慢して、どっちかと言えば、恨まんならん、儂の為に一生懸命働いてくれよった本当の意味のインテリ言うのは、ああいうのを言うのやろな。

嘉助 私はどういうものか大学出言うのは嫌いやが、恭助はんは別だす

市兵衛 戦地から、手紙が来てるで手柄を立てて無事に凱旋したら、又店の為に働きたい言うてな恭助はん、帰って来ても、何も報いてやるもんがあらへんなあ

嘉助 商売繁昌してるのが、何よりのことだすがなあ商売好きやさかいそれだけでも、あの男、喜びよりまっせ。

市兵衛 そやろか。


二人笑う。

街路から嘉助の娘、信子が入って来る。

男物のようなスーツを着ている。


信子(表口に近い土間で)今日は

嘉助 お越し何んや信子やないか、旦那はんに御挨拶せんかい。

信子(無邪気に)今日は

市兵衛 どや、元気か

信子 ええ、元気ですお母はんが、旦那はんにお目にかかったら、よろしゅう申上げてくれ言うてました。

市兵衛 おおきに

嘉助 何か用で来たのか。

信子 お父はん、今日破れた足袋はいて来やはりましたやろ。みっともないよって、とりかえたげて来い言うて、お母はんに言われましてん。

嘉助 ああ、そうか

信子 会社が忙がしいさかい、これおいてにまっせ

市兵衛 信子はん、会社に勤めてはるのか。

信子 この四月から、タイピストしてまんね、この時局にうかうか遊んどられまへんよってなあ

嘉助(二重の上り口においた足袋を受取りに行きながら)タイピストか何か知らんけど男みたいな洋服着よりまして、飛びはねで仕様がおまへんね、どうも子供言うものは、親の思う通りには、なりまへん

市兵衛 何処でも、同じや(信子の顔をジッと見て)信子はんは、二十一やったな

信子 そうです

市兵衛(つぶやく)たか子と同じ年や。

信子 そんなら左様なら

市兵衛 一寸待ち嘉助はん、これ、その子にやり。(紙入れから十円礼をとり出して渡す)

嘉助 旦那はん(市兵衛の顔をみる)


市兵衛、くるりと机に向って仕事をはじめる。


嘉助 旦那はんによう御礼言い。

信子 旦那はんおおきに


市兵衛、後向きのま、うなずく。

信子、去る。


嘉助 旦那はん

市兵衛 帳合いはじめよう。

嘉助 へえ一、五百二十円也、武村薬房一、二百三十八円五十銭也、山村医院。


佐登子が、人妻らしい渋い身装で入って来る。


佐登子 今日はえらい商売熱心だんねなあ

嘉助 お越しやす旦那はん、とうさんだっせ

市兵衛 ううん佐登子か、まあ上れ今日は旦那はん、お留守か。


佐登子は、店の間へ上る。


佐登子 商売で、昼間から御客様のつきあいでんね。

市兵衛 御飯食べに行ってはるのか。

佐登子 そうだんねその間に一寸来ましてん家の中ばかりにおっては、気いが晴れまへんよって

市兵衛 嫁はんに行ったら急にモダンになりよったんやな。

佐登子 これがモダンかいな。


三人、笑う。


市兵衛 商売の方はどや。

佐登子 御蔭さんでどうやらこうやら、とんとんだすわ。

市兵衛 この時節やよってな、とんとんに行きゃええわ

佐登子 所が、田沢の言葉によると、とんとんではどうにもなりまへんねんやて

市兵衛 お前の旦那はん、えらい慾張りやな。


三人、笑う。


佐登子 お父はんうち今日お頼みがあって来ましてんけどな。

市兵衛 えらい改まった口上やな、何んいや。

佐登子 お父はんたか子の事どない思うとってだす。

市兵衛(ハッとして)お前、たか子に逢うたんか。

佐登子 それよりもなお父はん、たか子の事どない思うとってだす言うてきいてまんね。

市兵衛 いや、たか子に逢うたんか。

佐登子 いえ、それよりもなあうちはなあ、お父はんは、たか子の事をどう思っとってや、きいてまんね。

市兵衛 いやそれよりもええ判らん子やなお前たか子に逢うたんか

佐登子 ええ、逢いましてん。

市兵衛 えッ逢うた

佐登子 逢いましてん二年ぶりでなあ

市兵衛 逢うたのかそれで、たか子は、何処におるたか子は何処におる。

佐登子 表におります。

市兵衛 えッ表に(立ち上る)


たか子が表から入って来る。

表口に立ち止まって、父の顔をみつめている。

みすぼらしいスーツを着ている。


佐登子 お父はんたか子を許しとくんなはれお父はんお願いや、たか子を許しとくんなはれたか子は私の為に、あんなことしましてん許してやっとくなはれ


間。


市兵衛 たか子まあ上れ上れ。

たか子 

市兵衛 何を遠慮しとんね阿呆自分の家やないかい上らんかい。

たか子(駈けよる)お父はん(父の膝へすがる)

市兵衛 うむ(間)身体は達者か病気せなんだか

たか子 達者だす達者だす。(幼ない子供のように声をあげて泣く)

市兵衛 そうかそりゃよかったな(涙が出て来る)

佐登子(泣いている)たか子なあ身体は達者だすけど疲れはてて帰って来ましてんおなごの子がなあ、男の手にもすがらんと、一人立ちして暮らして行くのは、並大抵やおまへんよってなあたか子なあ人間が生きて行くのは、仲々の事では、難かしい言うことを悟って帰ってきましてん

市兵衛 そやろそやろ

佐登子 お父はんたか子いたわってやっとくんなはれ。

市兵衛 うむ(膝につっぷした、たか子の背を撫ぜさする。その背なかに、涙が落ちる)

佐登子 家を出てからなあ喫茶店の女給をしてたんやけど、男ばっかり来る所やよって、直ぐ其処を飛び出して、他所の女中に入ったり

市兵衛 女中にもなったんか。

佐登子 今では、阿倍野の方の小さい工場の事務員してまんねて

市兵衛 苦労しよったんやなよし、もう泣くやない泣かんかてええねんお父さんや、姉さんや嘉助はんかて皆、お前の傍におるのやないか

たか子 お父はんすみません

市兵衛 阿呆、家へ帰って来て、何が悲しいねん、泣くのやない

佐登子 よかったなうち、たか子連れて来てよかったな(ハンカチで涙をふく)

市兵衛 佐登子お前には、儂ゃどない言うてええか判らん儂ゃ、親の癖に、お前には面倒かけるばっかりや。

佐登子 何言うてはりまんねこれは、うちがしてるのやあらしまへんお母はんが、してはりまんのやがな

市兵衛 お母はんがなあ


嘉助、下手の帳場で、泣いている。


嘉助 死んだ御寮はんは、ええ御寮はんでした。とうはんは、死んだ御寮はんのあの気性をうけついではりまんのや。なあ、旦那はん

市兵衛 そうかも知れん佐登子もええ子や、たか子もええ子や、儂ゃ、たか子かて決して悪い子や思うてヘん皆、姉はんの事思うてやった事やよってなあだが、唯一つだけたか子に言うておく事は、お前、姉さんの事、古い古い言うけどなあ姉さんはそら古いかも知れん古いかも知れんが決して古いばかりで、何んの取柄もないとは言えんと言うことや佐登子、たか子、ええ物見したる戦地へ 行ってはる恭助はんから、来た手紙や


市兵衛、帳場机から封筒を出す。

封筒から手紙を出す。


たか子 恭助はん、戦地へ行ってはりますの。

市兵衛 そや去年、応召しやはってな。(眼鏡をかけ直して読む)仏印は冬でも暑い、併し暑いだけにそれだけ自分は働いているのだと言う気がします昼間の猛訓練が済んで、元フランスの兵士が住んでいたという兵舎に夜が来ます。寝ころんで考えるのは内地のことですこんなことを申し上げて御許し下さい。やっぱり思い出すのは、あの時の事です併し、あれはあの当時よりもずっとずっと美しい姿となって思い浮ぶのです暖簾の為に暖簾の為にと言った佐登子さんの言葉それが、あの当時よりも、もっと美しい言葉になって、胸に蘇えるのです何故ならば僕自身も、今は祖国たる日本の二千六百年の古い暖簾の為に戦っているのではないかその暖簾を傷つけんとする者に対して、暖簾を守る為の戦いをつづけているのではないか身を捨ててこそ、一家の暖簾は守り通せる今思うのはその言葉です。国家に対 しては国民が、一家に対しては一家 の者が、身を捨てて暖簾を守る、その気持こそ一番必要ではないか佐登子さんは、美しい心の人だったそして、併し、たか子さんも、やがて人間として成長する時、それが判るであろう(読むことをやめる)戦地へ行ってはる人の言葉やで、たか子ようきいとき。

たか子 恭助はん今は幸せなのね。

市兵衛 うん大きな大きな幸せを摑んではるねん

嘉助 こいさん恭助はんに、手紙出して家へ帰って来ました言うて、喜ばして上げとくんなはれ恭助はん、喜びまっせ。

たか子 ええ


佐登子、もじもじとして、傍の風呂敷 包みを引きよせる。


佐登子(恥らいをふくんで)お父はんうちな、怒られるか思うて、こっそり送ろか思うたんやけど実はな、恭助はんに慰問袋送るつもりで、買物した物がおまんね此処で、荷造りさせともろてよろしか。

市兵衛(しみじみと)佐登子お前が一番、可哀想やな阿呆やな、お前兵隊さんに、慰問袋送るのに、何を遠慮しとんねお前の旦那さんかて、許してくれてや遠慮のう、送ってやり

佐登子 おおきに

嘉助 旦那はん、奥で三人がかりで、慰問袋こしらえたげたらどないだす私かてお手伝いしたいけど御三人でやらはった方が恭助はんは喜びまっせ。

市兵衛 そやなあそんなら、それ持って奥へ行こう恭助喜びよるで

佐登子 たか子も手伝うてんか。

たか子 ええ。


市兵衛、佐登子、たか子、奥へ入る。

嘉助は改めて店の間を見廻す

古びた大黒柱――。

漢薬の棚――。

帳場机――。


嘉助(つぶやく)これでええねん安田市商店もこれでええねん何時もの通りやちっとも、普段と変ったることあれへん

(舞台廻る)


第六場


同台所

同じ時。

店員や、まき、よしが食事をしている。重助が「お代り」まきが「あんたよう食べんねなあ腹も身の内やで」「なんぬかすんねん、そんな事言われんかて知ってるわい」などと捨ゼリフを言っている。

何時もと同じ、台所の雰囲気


そのまゝ舞台は廻りつゞける。


第七場


同奥座敷

同じ時。

佐登子とたか子が、慰問袋に品物をつめている。

市兵衛、かつて、たか子が、家出の書置をおいた机で荷札を書いている。


市兵衛 さあ、荷札書けたで

佐登子(慰問袋に品物をつめながら)まあ、早いのやなこっちはまだや。

市兵衛(立ったまゝ)えらいぎょうさんつめてるのやなあ。

佐登子(白シャツを袋へ入れながら)思いついたものを、皆、買うて来たよって袋へ入らしまへんねわ。

たか子 恭助はんの好きなものばかりにしたら

佐登子 恭助はんは、何んでも好きやさかい皆入れな可哀想や恭助はんの好きなもの言うたらママレードゆであずき栗のキントン(思い出すように)それからカーネ ーションの花仏印でも、カーネーションの花、咲くやろか

たか子 姉さんが、手紙送って上げれば、それが、カーネーションの花や

佐登子 そやろか今でもやっぱり、そない思うてくれてやろか

たか子 何年たったかてお爺さんになったかて、お婆さんになったかて恭助はんからみれば、姉さんはカーネーションの花やきっとそうやうち、そう思う

佐登子 カーネーションの花は、仏印でもきっと咲いてるわなあ


市兵衛、庭へ下りている。

庭石に佇んでいる。


市兵衛 佐登子空がよう晴れたるこの空かて、仏印の空かて、同じ空やで

佐登子 そやなあ(空を見上げて)恭助はん、ええ人やったなあ

市兵衛 うん、ええ男やった


松吉が木戸から走り出て来る。


松吉 こいさんお帰りなさい

たか子(見て)あ、松吉か

松吉 今、他所から帰って来たらこいさん帰らはった言うてききましてん(改めてたか子の顔を見直し)こいさんが、うちに手紙渡さはりましたよってなあお前、何故早よ うに、旦那はんに手紙渡さなんだ言うて皆に言われてえらい苦労しましたで

たか子 そうか

市兵衛 松吉、うらみ言か


一同、笑う。


たか子 あんた何時まで立っても大きゅうならんな

松吉 私は大きゅうならんかて、お店が大きゅうなってまんがなあ、旦那はん。

市兵衛 そやそや


一同、笑う


市兵衛 店も大きゅうなったたか子も帰って来た松吉かて、今に大きゅうなるわいなあハハハ(笑う)


縁先の鳥篭で、小鳥が囀っている。

(幕)


スラバヤの太鼓


四場

昭和十七年九月
有楽座上演(古川緑波一座)

(人物)
マルトウ(通訳)
ユウ・ジイ・ポールテン(白人)
ピイ・ジイ・ゲルトマン(同)
村長
ミナー(部落の娘)
ヌール(部落の若者)
アリ・ウェナン(ユウラシアン)
スピナン(その愛人)
イサ(アリの母)
カルモジョウ(ウェナン家の親戚)
タン・グドック(同)
グドックの妻(同)
ラデン・マラカ(同)
ゴンジョレス(同)
ハジ・タムロン(刑事)
アブドル・ウェナン(アリの兄)
ルーキー(部落の若者)
ナビイ(ユウラシアン)
その他
時 昭和十六、七年ごろ
所 インドネシアのある部落


第一場 部落の夜


部落の家と水田のあるところ――


村長の家も、床の高い、ニッパ椰子で屋根をふいた、ジャバ風の家である。床の上の廻廊のてすりに、いささか彫刻があるのが、部落の他の家と異なるところであろう。

戸外は、水田、何処までも続く水田、そのずっと奥に、廃墟となった城趾の影絵のように黒ずんだ姿。

椰子も、檳榔樹も、マングローブも、青い月の光に包まれている。

部落の夜である。


部落の百姓達が彼等インドネシア達がせめてもの喜び永い間の慣習それを楽しんで男も女も、老いも若きも、打ち揃ってガメランを奏し、輪になって歌い、その中で、踊るものもある。部落の夜の歓びである。


歓びはつづくそのさなかに、客人の如く、見物人の如く、通訳マルトウ(インドネシア)に案内されて、白人ユウ・ジイ・ポールテン、同じく、ピイ・ジイ・ゲルトマンが出る。通訳マルトウは、村長を招いた。村長は恭々しく二人の白人を、彼の家の廻廊に案内した。村長に命じられて、慌たゞしく、家の中から籐椅子を運び出す二人の小使いそれを引ったくるようにして、自ら、客を招じ、手真似で、さし示す村長

傲然と掛ける、二人の白人と、通訳但し通訳は、彼自身の椅子は、白人の椅子に比して貧弱であることが、さも当然であるかのように


村人達の歓び歌、踊りはつづく

その中を物色する様に見廻る村長村長は一人の娘を、白人の前へ連れて行った。

だが白人は、首を振った。大げさに両手を振った。

村長は、その娘を元へ戻し、他の娘を物色した。

それが、二三度くりかえされた。

最後に選ばれたのは、さっき、哀切な声で歌をうたった、ミナーである。

廻廊の上に連れて来られたミナーの姿を見て、白人の一人ポールテンはうなずいた。ミナーはそのままその位置に留めおかれた。

ずっと続いていた、ガメランの騒々しい、だが、哀愁のある音が、はたととまった。

大ぜいの村人からなる楽師の手をとどめさせたのはその中で、太鼓の皮を、打っていたヌールの叫び声である。


ヌール(ジャバ語)やめろ太鼓を叩くのをやめろやめろ。


ヌールは立上った。

村長の家の廻廊へ向って歩み出した。

村人の一人がこれを遮切ろうとした。


村人(ジャバ語)何処へ行く

ヌール(ジャバ語)とめるな、どけっ

村人(ジャバ語)おい、ヌール。

ヌール(逆上している)どけッ


ヌールは突然、小刀を抜いて村人を切った。村人は驚いた、叫び声を上げた。(ジャバ語)「アモックだ」「ヌールがアモックになった」

ヌールは夢遊病者の如くに、廻廊に近づく

ポールテンが、ピストルを出して、ヌールを射った。


ヌール(ジャバ語)おう許して下さい、私は夢中だったのです。


ヌールは傷を押えて逃げかけた。

その背中を目がけて、又一発。ポールテンが射った。

ヌールは倒れた。

呻いている。

村長の家の陰から、ピストルの音を、きいたのであろう

アリ・ウェナンと、スピナンが走って来た。(アリはユウラシアンである。背広の上着の下にサロン褐色の皮膚のそして美しいおもだちの青年)

註(ユウラシアンとは白人と、インドネシア人の混血児である)

(スピナンはインドネシアの美しい、だが、その面には何処か無智の影のある娘である)

村人達は、ヌールが倒れたので、徐々に引き返して来た。

「アモックアモック」とつぶやきながら


村長(村人達に)早よう連れて行きなさい早よう、ヌールを家へ連れて行きなさい。


村人達は、ヌールの身体を抱き上げ、樹木のかげの小路を去った。大ぜいの男女皆したがった。


村長 早よう、早よう。(言いながら村長もそれにしたがった)


ポールテンは、やっと落つきをとり戻したようである。


ポールテン(和蘭語)どうしたんだ、あれは一体あの土人は狂犬なのか。

マルトウ(和蘭語)はい左様あれはそのはい(唯おどおどしている)(アリ・ウエナンは、そのポールテンの姿を、憎悪の眼で見上げた)

アリ(スピナンに向って)人を傷けた後になってどうしたのだと、聞いてやがる

スピナン だってヌールが、何かしたから射ったのよきっとそうよ(ポールテンに向って)トアンあれは、アモックなのよ。

ポールテン(和蘭語)何んだって

マルトウ(和蘭語)そうだったそうだたしかにそうだった旦那様あれはアモックでございますよ。

スピナン(アリに)だって、ヌールは、初め射たれてから夢中でやったんです。ごめんなさいって謝まっていたじゃないの

アリ 謝まっていたにしたところで

スピナン だからアモックよトアン、アモックって、とても怖い病気なんですよ。

アリ スピナン。

スピナン だってトアンは、どうしたんだって聞いてるんでしょう

ゲルトマン(和蘭語)あの娘に、アモックの話をさせよう。

マルトウ(和蘭語)はい、かしこまりました娘さんこちらの旦那が、アモックの話をしろと言っておられる、こちらの旦那はお前が気に入られた様子だ私から説明して もええがお前の話の方がお気に入るらしいしてごらん。

スピナン だからアモックってとても怖い病気なの暑い日が長い間続くと、突然起るの初めは、自分の生れた土地の事を考えたり親や兄弟の事を考えたりとても、気持が、くさくさするのそれが暫く続いてその内に何か腹の立つような事があると、フッと頭へ血が上るのそして急に腹が立って人を殺したり、自分が死んだりするのそれだけ

ゲルトマン(廻廊から下りて来るスピナンの姿を見ている)

マルトウ(和蘭語)アモックは、暑さのつづく時に、突然出て来る病気で、発作的に人を殺し、或いは自殺するそういう病気だと言っております。

ゲルトマン(和蘭語)そうかなかなかいい娘だ(と、スピナンの頭髪に手をふれる)

スピナン いやッ触っちゃいや

ゲルトマン(和蘭語)何触っちゃいやだどうしてだね。

スピナン(相手の言葉は判らないそれと意識せずして)頭の毛は神様からさずかったものよ人間の手でさわるとけがれてしまうさわっちゃいや

アリ スピナン行こう

ゲルトマン(ポケットからガラス玉の首飾りを出す)(和蘭語)いい娘だこの首飾りをやろうお前によく似合うよ、上げよう上げよう


スピナンはそのガラス玉の首飾りをおずおず受取った。

彼女にはそれが宝石のように思えるのである。


村長 スピナンじゃないかトアンに、何かええ物をいただいたな。

マルトウ 見なさい、立派な首飾りじゃ。

村長 それじゃ、トアンはスピナンがお気に入りとなったのかな。

マルトウ(和蘭語)(ゲルトマンに)お気に入りましたか。

ゲルトマン(和蘭語)村長に話しておけ

マルトウ(和蘭語)はい、かしこまりました旦那様(村長に)この娘の親に言っておきなさいトアンは、お金持だ相当の引出物が貰えるだろうからと言うてな

村長 話しておきましょう親も喜ぶことでしょう。

マルトウ それに(廻廊にいるミナーを指して)あそこにいるミナーの事も忘れんようになトアン達は向うに待たせてる自動車で、待っておいでになる。

村長 

マルトウ(スピナンに)娘さん、このトアンはな、お前を嫁さんに欲しいと言うておられるのだええか嫁さんにだぞこのトアンは今年の四月はるばると本国からイギリスヘ廻りそのイギリスから、こっちへおいでになったばかりのお役人様だこっちの娘を嫁さんに持ちたいと言うておいでになるええかお前は、幸せになるのだぞ何時までも田舎の娘では、ウダツが上らんからな


スピナンはアリの顔と、マルトウの顔をきょろきょろと見比べていたアリが怒りはしないかと恐れたのだ。


マルトウ それじゃ旦那方は、自動車で、待っておいでになる早く成るだけ早くな(和蘭語)旦那様、話はすみましてござります。

ゲルトマン(和蘭語)よし(ポールテンに)ポールテン君行くかね。

ポールテン(和蘭語)よろしい思った程の収穫はないがまるでないよりはましだろう。

ゲルトマン(和蘭語)そうともまあ我慢するさ

ポールテン・ゲルトマン(笑う)

ゲルトマン(和蘭語)さあ行こう。


と、ゲルトマン、ポールテン、マルトウは去って行った。

その姿が消えると、ミナーは廻廊から駈け下りて来て、村長の膝にすがりついたのである。

村長は初めてその面に白人への憎悪を現わした。

ペッ

唾液を地へ吐いた。


音楽――


ミナー ああ怖かった。あたいあの白人に殺されるのかと思ったよ

スピナン あたいは殺されるんだとは思わなかったけどでも、怖かったよ

ミナー でも、スピナンは、首飾りを貰っただろう。

スピナン 貰った怖かった代りに得しちゃった。

アリ 馬鹿(スピナンを突き倒す)お前達は殺されるよりももっと、怖ろしい思いに遭いかかっているんだぞ。

スピナン 何故よ何んにしてもびっくりするわそんなに突き倒さなくてもいいじゃないの。

アリ お前達は馬鹿だ。

ミナー アリはスピナンが白人から首飾りを貰ったので、やきもちをやいてるのよ。

スピナン あたいアリのなんでもないわやきもちなんかやかれる事ないわ。

村長 ミナースピナンお前達今しがたあの本国人と一緒に来たマルトウの言った事を何んときいた

ミナー あたい達を、あのトアンが、嫁にくれと言ってるそう言ったんでしょう

村長 そうだ。

ミナー あれは冗談よねえスピナン。

スピナン 冗談かしら冗談なら冗談でもいいけどあたい冗談でなくてもいいと思うわ。(と、アリをちらりと見る)

村長 馬鹿なことを言うもんじゃない。あの白人たちは本気で言っておるのだよ。

ミナー 本気で

村長 本気だともよ

スピナン 本気で、嫁にくれと言ってるのあたい達を

村長 嫁にそうだあの白人たちがスラバヤや、バタビアの市にこのジャバの中に住んでおる間だけの嫁になその間だけの仮りの嫁にすると言っておるのだあの白人たちはお前を嫁にして混血児を生ませそして自分の国へ帰る時が来ると、さっさと自分だけ帰ってしまうのだ。

アリ スピナンいい例を話して上げようか。

スピナン いやあたい知ってるわ。

アリ 黙って聞くのだその混血児ユウラシアンは僕だユウラシアンを産んだおふくろは僕のお母さんだもう一つ言ってやろうかかれ等は、シナ人と同じように、豚の肉を食べる犬を連れて歩く

村長 おう(土下座して、天を仰ぎ、地を拝す)アラー、イル、アラー神様、何卒唯今の汚れた言葉を御許し下さいませアラー、イル、アラー。

アリ もう一度言ってやろうか。

スピナン もうやめてよやめてよ。

アリ かれ等は豚の肉を食べ、犬を連れて歩く。


村長、ミナー、スピナン、急いで土下座する。


村長・ミナー・スピナン アラー、イル、アラー。

スピナン どうぞ、アリの唯今の汚れた言葉を許して下さいませ。どうぞアリをお許し下さいませ。

アリ だから僕の兄さんは、インドネシアの子のくせにかれ等と同じように、不浄の肉を食べるんだ。

ミナー 村長さんあたいあたい

村長 何事も、アラーの神の思召しじゃそれに、ミナーは、この村にこれからもずっとおる人間じゃからな逃れる術があるまいアリスピナンは、どうする

アリ 勿論断りましょう今夜の汽車で僕達一家はスラバヤへ帰るのです父親が死んでみなし子になったスピナンは僕達の一家に引き取られ、今度初めてスラバヤへ行くのです明日からスラバヤへ住むのです。僕はお母さん達と一緒にスピナンを引取りに来たのですから。

村長 そうかそれが出来れば、それに越したことはない。スピナンは、スラバヤへ逃げて行ってしもうたことにでもしてわしが言いわけをしておこう。スピナンは、スラバヤでせめて、アリと結婚するがええ。本国人の嫁になるよりはまだ、アリの嫁さんになった方がましだから。

アリ 村長さん

村長 いやこりゃ失礼儂ゃ、あんたがユウラシアンだと言うことを忘れとったさあ白人らが自動車で待っているミナー、おふくろさんに別れを告げて来なさい、何事もアラーの神の思召しじゃ、家へ行こう。

アリ 村長さんあなたは今、このスピナンにせめてアリとでも結婚するがええ、まだ本国人と結婚するよりはましだからと言いましたね。

村長 気を悪うしなさんなあんたは、ユウラシアンの中でも又、気持の変った人じゃと言うことを儂は知っとる儂の言いすぎじゃ。

アリ いやそれはいいのです、それは僕がユウラシアンだから仕方がないのですだが村長さんは、どうして、そのミナーを、白人にやってしまおうとするのです。ミナーは白人の所へ嫁に行ってそして又、僕のような、ユウラシアンを産むそれをどうしてさせるのです。

村長 ナシップアラーの神の思召しじゃ。

アリ あんた方は自分達のナシップとして、それをそのままおい、ミナー

ミナー あたい判んないわ。アラーの神の思召しなら仕方がないわ。

村長 儂ゃアモックになったヌールの事も見てやらにゃならんさあ、ミナー、早よう行こう。


ミナーも、回教徒の女達がそうであるが如くに、彼女も又従順に村長の後にしたがって立ち去った。


アリ(スピナンが、首飾りに見入っているのを見て)スピナン、その首飾りを捨てておしまい。

スピナン だって、これアモックのことを教えて上げたのであのトアンがあたいにお礼にくれたのよきっと。

アリ 捨てておしまいそれはガラス玉だよ、唯のガラス玉だよ。

スピナン でも、あたいの首によく似合うと思うんだけど

アリ 捨てるんだ(スピナンの手から、首飾りをとって地へ捨てる)

スピナン (拾おうとする)

アリ(その手を叩く)スピナン僕のお母さんもね一番初めにはお母さんが結婚した相手の白人に首飾りをもらったそうだその白人の相手は、金持だったから、それは本物の真珠の首飾りだったそうだけれどねそしてその後で今のミナーみたいに、そのトアンの所へお嫁に行ったんだ小さい更紗の風呂敷包みを一つ腕に下げてねそして、僕達が生まれたんださっきのように、村長さんにあんな言われ方をする僕達が生れたんだ

スピナン アリそんな言い方をするものじゃないわ、誰だってアリの事を悪いと思う人はないわ。

アリ 有難うだがね。さっきヌールは、アモックの発作を起したねあれは唯のアモックだと思うかいヌールはミナーを好きだった。そのミナーが、あんな白人の傍へつれて行かれた。ヌールはとても白人には敵わない、それでアモックが起きたんだと思わないかい。

スピナン あら、ヌールは、ミナーのことを好きだったのかしら

アリ スピナン君は自分達いや僕達もだインドネシアや、ユウラシアン達を自分で可哀想だとは思わないのかい

スピナン だってあたいは、今夜スラバヤへ行くんだものアリの家へ厄介になりに行くんだもの幸せよ。

アリ スピナン

スピナン あたいは、此の上はあたいの好きな人のお嫁さんになれればそれで何にもいうことがないと思うわ

アリ スピナン。

スピナン もう、やめてよあたいアリみたいに、学問がないでしょう。だから難かしいことをきくと頭が痛くなるのよ

アリ やめよう。

スピナン やめるまあ嬉しいついでにあの首飾り拾っちゃいけない?

アリ (余り怒らず)いけないよあれは汚れた人間の手から渡された首飾りだからね。

スピナン(うなずく)でもスラバヤって言う所綺麗な所でしょう石の壁の家があるんだってね、屋根も石の屋根だってね

アリ そうだよ。

スピナン でもアリの兄さん、アブドル兄さんはあたいが行くのが、厭みたい顔をしてたわねあたい本当に居候に行ってもいいのか知ら

アリ いいんだよそんなこと。

スピナン そうね何処の家だってそうだわねアリあたいね、スラバヤへ行って暫らくしたら、お嫁に行くの

アリ お嫁に

スピナン うん。(うなずく)


スピナン歌う。

アリ続けて歌う。


音楽――


アブドルの声 アリーアリ

アリ 

イサの声 アリーアリ

アリ あお母さんと、兄さんが呼んでいるスピナン行こうスラバヤへ帰る支度をするのかも知れない。

イサの声 アリ

アリ 早く

スピナン 直ぐにも行くのだったらあたい、友達に左様ならを言って行きたいのよいいでしょう。

イサの声 アリアリ

アリ じゃ直ぐ来るんだよ。


アリは急いで声のする方へ走り去る。

音楽――

蔭のハミング物憂い部落の百姓の歌


スピナン 左様なら左様なら(蔭へ向って手をふる)


そしてスピナンは、引きかえすその片手間に、落ちている首飾りを拾い上げた。

首へ掛けてみた。


マイクの声 スラバヤへ行ったらこんな首かざりを掛けたよその国の娘さんが沢山いるかしらあたいに、これとてもよく似合うわ


蔭のハミング続く。

立木の小路からミナーが更紗の風呂敷包みを腕にかけてスタスタと歩んで来た。

白人達の待つ、自動車へとお嫁に行くのである。

その後からミナーの母親が「アラ、イル、アラー」と泣きわめきながら見送って続いて来た村長も。スピナンは慌てて首飾りを、隠したのである。ミナー達は、通りすぎて行った。


(蔭のハミング)(溶暗)


第二場
アブドル・ウエナンの家


スラバヤの河岸に沿ったアブドル・ウェナンの家――客間。前場の一卜月後。


回教を信ずるインドネシアの風習と、欧米式な好みとが混然と入り乱れた室內の状景。

上手奥に、街路から階段を経て入り来る玄関の、欧米植民地風なホール。

其処から、廊下は、客間へ入るアーチの向うを、上手へ他室の扉の前を通って切れている。

客間へ入ると、正面の街路に面した、鎧戸のある窓の下手に、回教の祭壇が飾られてある

その下手に河に面した部屋へ入る扉がある。と言うことは、扉を開けると、奥に広い出入りの扉があり、その外にベランダが見え、河の水面がチラリと見えることによって判るのである。客間の中央には花むしろ式カーペットの上に、竹細工、或は籐細工の、相当に豪奢な洋家具のセットが用意されてある。

(夕方から夜へかけて

(蔭のハミングの声

祭壇の前で、仰天拝地の祈りを捧げているのは、イサ・ウエナン此の家に居候をしているカルモジョウ、スピナン、タン・グドック、グドックの妻、ラデン・マラカ、ゴンジョレスなどである。


やがて、祈りは終りを告げた。


イサ(立上って)スピナン。

スピナン 

イサ もう直ぐアブドルが帰って来るから帰って来ない間に、壁の守宮を捕っておしまい。

カルモジョウ 殺しちゃいかんぞ殺さんように、大切に河へ逃がしてやるのだ、ええか

イサ 下男に、暇を出してしまったので、何かと、あんたに用を頼むけどスピナン機嫌を悪くしないでおくれ。

スピナン あたい機嫌をわるくなんかしないわ


スピナンは、壁に這っている守宮を捕えては箱に入れる。


グドック だが、どうして、アブドルは、あんなに殺生をすることが好きなんだろうな。

グドックの妻 白人の血が混じっているからですよ。

イサ いえ同じ兄弟でも、アリはそんな事はせんやっぱり、生れつきの性質ですよ。

マラカ そう言やアあんたも殺生嫌いは昔の、汚れのない、娘の頃と同じじゃな一寸も変っちゃおらんようじゃ

イサ アラーの神は、私が死ぬまでアラーの神でございますから

ゴンジョレス アブドルだけどうして、ああ違った息子が出来たんじゃええ?

グドック アブドルだけじゃないアリも相当変りもんじゃぞ

マラカ やっぱりどちらもユウラシアンはユウラシアンじゃ。

イサ 皆私が悪うございますのじゃからアブドルや、アリを余り叱らんようにしてやって下さい私が、イーデンブルグ様の所へ嫁に来たのも、アラーの神の思召し、アブドルや、アリが生れたのも、アラーの神の思召しナシップでございますから

グドック それに、儂等がおるから人手はある筈じゃというて、下男に暇を出したりアブドルは、イサあんたのしつけが悪いから、ああなったんですよ

イサ アブドルが勤めているお役所でな白人の上役さんに、聞いて来たのじゃそうですが自分の国では、自分の国ばかりではない、アメリカという国や、イギリスという国でも一軒の家へ親類中が集まって暮らすというような事はない
 一つの身内は、一つの身内で、一軒一軒の家を持つのじゃアブドルはそう言っておりました。おおかたそんな所からアブドルは

グドック 自分の国じゃろうが、アメリカじゃろうが、イギリスじゃろうがそれは皆白人の国じゃ白人の国と、儂等とを同じように考えてどうするそんな雲の上へ手を届かせるような事を考えてどうする白人は特別じゃ、儂等には及びもつかんことじゃもっとも白人は、異教徒じゃがね

マラカ アブドルは、白人の真似をして、儂等、親類の者が、此の家に住むのが気に入らんというのか。

イサ いえそんな事は唯、アブドルが、そんな考えを持つようになったのもアラーの神の思召しでございますから私が悪いばかりに

グドック そんならええナシップじゃ仕方がない。


スピナンは、捕えた守宮を、扉をあけて捨てに出て行く。


マラカ(生欠伸)どうじゃ。新聞でも読んでもらうかな。

グドックの妻 又、新聞かね昨日も読んでもらったじゃないかね。

グドック 馬鹿なことを言うもんじゃない。新聞というものは、毎日違うのが来るのだ。

グドックの妻 私は御免だよ、何んじゃ知らんが新聞をきくと頭が痛くなるマンデーも済んだし、夜の御飯まで、もう一度寝て来ようイサ御飯の時には起こすんだよ。


グドックの妻はのろのろと廊下へ去る。


イサ 新聞を読みましょうか。

マラカ うん、読んでもらおう。

グドック 儂ゃ、楽にして聞こう。どうも、この白人式の椅子は窮屈でいかん。(カーペットの上に長々と寝そべる)

イサ(読み始める)砂糖の値が下がりました。今年は豊作なそうで欧洲の方へは戦争で送れんので有り余っているそうです。

カルモジョウ 砂糖の値が下がったのかね、そんなことを言うて、シナ人が、又百姓へ払う金を値切るつもりじゃろう。どっちにしても、儂ゃ百姓をやめてお前の所へ来てよかったな。

グドック アラーの神が、お前さんを助けてくれたのじゃイサそれみなさい、お前の弟が助かったじゃないか何にしても、昔からのならわしじゃから、親類中がその中で一番金のある家へ集まって暮らすということはええことじゃ

マラカ 欧洲の方の戦争というと、此方の白人はまだ勝たんかね。

イサ まだ勝ったとは書いてありません。

マラカ それじゃ、お前のトアンも生きてるか死んでるか、まだ判らんね。

イサ はい生きているか死んでるか(トアンを想い起こしている)だが、その次にはこのジャバも戦争の用意をせにゃならんので、砂糖の外の食物は大分値上りになったと書いてあります。

グドック 何値上りになった食物がか。

イサ 値上りになったそうです。

グドック そうかそうなると、お前も家の切り盛りがやりにくかろう。だが何と言ってもお前の所が、一番金持ちじゃからな儂等の為に尽すことは、アラーの神の思召しに従うことじゃ何とかやりくりをしなさい。

マラカ このジャバも戦争の用意をせにゃならんというのは、何処と戦争するつもりじゃろうか。

イサ それは(別の面を見る)此処にジップインを懲らしめろと書いてあるこの事じゃなかろうかと思います。


スピナン、守宮を捨て終って佇んでいる


マラカ ジップインというのは、何処の国だね。

イサ 地図があります。北の方の国です、それこのスラバヤにも、時時、マタハリの旗を出す家があるじゃありませんか。

マラカ 戦争をするというからやっぱり、相手は白人の国じゃと思うていたが、ジップイン、ありゃ儂等と同じ色をした人間じゃないか儂等と同じ色の人間が白人の国と戦争をしても勝てる道理がないじゃないかこりゃ戦争になるまい。

イサ 私もそう思いますよ。

スピナン 伯母さん、あたい、マタハリの国は強い国だって聞いたわ。

マラカ 誰が、そう言っておった。

スピナン アリが

グドック アリがアリは学校の先生じゃから学問がある。

イサ スピナンそりあアリがふざけて言ったんじゃろうアリは、そんなことを言う訳はありませんよ。

グドック いや、儂等は学問がないから判らんが、前にも一度そういう噂が出たことがある。

リサ もう、この話はやめにしましょうこういう話は、本国の人の耳にでも入ったらそれこそみんなジイ・カッシング。

カルモジョウ えッ絞首刑になる


呼鈴が鳴る。

その音に、一同ハッと顔を見合わせた。スピナンがホールへ行って、扉をあけた。

表から印度人の金物商人が入って来た。


金物屋 鍋や金小刀鋏、要らんか。

スピナン いらないよ。

金物屋 安くしておくよ、私インドから来たね、お金ほしいね。

スピナン 要らないよ。

グドック ああ、驚いた儂ゃ、警官でも来たのかと思うたよ。

マラカ 要らんて、金物なんぞ


一同は顔を見合わせて笑った。

金物屋は去った。

入れ代りに、刑事、ハジ・タムロンが入って来た。


ハジ 御免下さい。奥さんはおいでになりますか

スピナン はい。

ハジ こういうものですが、一寸お目にかかりに参りました、お取次下さい。


スピナンは、無言で名刺を受取りイサに渡した。


イサ(名刺を見る)スラバヤ警察署政治係刑事


一同は再度、ハッと顔を見合わせる。


イサ どどうぞお通り下さいと言うて下さい

スピナン(ホールへ行く)どうぞ、お通り下さい


ハジ・タムロンは客間へ通った。


ハジ ハジ・タムロンと申します。

イサ 私が此の家の主人の母でございます。

ハジ 皆様、お揃いでございますな、お邪魔をいたします。

イサ どうぞお掛け下さいまして

ハジ 実は一寸、込み入った話があってお伺いしましたが、御親類の御方は、一寸御遠慮下さらんでしょうかな。

グドック それじゃ儂達には、別に用事があるんじゃないのでございますか。

ハジ 何でもない、ほんの一寸した用事ですから奥様にだけお話しすればいいことなので

グドック(親類達に)儂達には、用事がないのだそうだよ。(ホッとする)それでは、お邪魔になるといかんから、儂達は、各々の部屋に引き取ることにするかな。


グドック、カルモジョウ、マラカ、ゴンジョレスは廊下から立ち去った。

一番後からスピナンは立ち去った。

スピナンは廊下に立ち止って、話をきいているつもりなのかも知れない。


イサ 御用というのは、どんな事でございましょうか。

ハジ 奥さんは前に此のスラバヤにおられた白人のトアンの奥さんでいらっしゃる上の坊ちゃんはスラバヤの税務署のお役人でいらっしゃる。だから私は特に上の方から命令を受けて、奥さんの下の坊ちゃんが今やっていらっしゃるような、無謀なことをなさらぬように、忠告を申し上げに参りました。

イサ と言うとアリの事で

ハジ 下の坊ちゃんはインドネシアの小さい子供達の教育をやっていられる学校の先生である、その学校の先生がこのジャバの平和をおびやかすような思想を持っていらっしゃるということは我々としても、非常に困惑いたすことでして

イサ アリが何かいたしましたのでございますか

ハジ そうです、いや何かしたという所までは行っておりません。勿論このジャバには、各地に我々のような係の者がおりますからな。何かが出来る筈がないのです。だが、幼い者を教育する学校の教師がそういう思想を持っているということは、実に重大問題でありまして

イサ アリアリに限ってあの子は一本気な子供でしてあの子の言葉には角がございます、やることにも人の気持をかまわぬような所がございます、ですが、あの子が

ハジ いや、こういう問題に関してだけは母親である奥さんの目よりも、我々の目の方が確かでございますぞアリ・ウエナン氏は、若しお父さんが、われらの本国の御人でなかったら、とっくに投獄の運命にあるのですぞ。

イサ そんなそんなあの子が大それた

ハジ 私はあなたの言訳を聞く必要はないのです、あなたは、自分の子供が、今後はそういう事にたずさわらないように気をつければいいのです。母親のくせに、自分の子供が何をしているのかが判らんのですか。

イサ はい。


呼鈴が鳴る。

スピナンが、直ぐに廊下を走って行く姿が見える。

スピナンは扉をあけた、表から、アブドル・ウェナンが入って来た。


スピナン お帰りなさい。


アブドルは、靴とヘルメット帽子をスピナンに渡して、客間へ入って来た。


アブドル(和蘭語)如何ですか、お母さん。

イサ(和蘭語)あなたこそ、御機嫌よくおつとめでしたか

アブドル(和蘭語)おう私は何時も上機嫌です。


と、アブドルは欧米式に、母の肩を抱きよせた。


アブドル お客様ですね。

イサ アリのことで一寸


スピナン、鞄を持って、客間へ来る。

鞄をおいて、去ろうとする。


アブドル スピナン後で話があるよ。

スピナン (去る)

アブドル アリの事でどういうお話なのです。

ハジ 実は私は、さき程お母様に名刺をさし上げておきましたが、スラバヤ警察の政治係りの者でハジ・タムロン

アブドル 君は、土民刑事だね

ハジ ハア?

アブドル 君はインドネシアですねと言ってるんですよ。

ハジ ハアそうそうです。

アブドル それで(後をうながす)

ハジ その、実は、アリ・ウエナン氏が、学校の教師をしていらっしゃる片手間インドネシアの

アブドル うん?

ハジ いえ、その土民の若い無分別な者達と、しばしば会合をなさって、このジャバの平和を乱すような例えばそのジャバの本国たる白人帝国に、叛旗をひるがえすというような、無謀な

アブドル 無謀な事をやっているというのかね。

ハジ 左様このままで放っといては結局そのあなたにとっても御為にならないようなことに

アブドル アリは、そんな事をする筈がないよ。

ハジ いえ、それは、私どもの目でたしかにですから、その今の内に警告を発して

アブドル 警告、生意気な事を言うな、生意気な事を警告とか忠告とかいう事は、少なくとも同格の人間のいうことですよ警告とか忠告とかをしたければ、君のような土民刑事をよこさんで、ユウラシアン少なくとも僕等と、同格の人間をよこしたまえそう言ってくれたまえ

ハジ ですから、これはその私がいたすというのではなく、上の方からその

アブドル アブドル・ウエナンの家の人間は、そんな馬鹿な事はいたしません。そう言ってくれたまえ。考えても見たまえ。ウエナン家の人間がどうしてそんなことをしなくてはならないんだね。ウェナン家は、ユウラシアンだ。ユウラシアンがどうして土民と組んで、そんな馬鹿な事をしなくちゃならん

ハジ ですが

アブドル 君は学校を出たかね。

ハジ 勿論。

アブドル それで月給はいくらだね。

ハジ 四十グルデン貰っております。

アブドル では君と同じ学校を出たユウラシアンは。君と同じ係りにも、ユウラシアンはいるだろう、ええ

ハジ そういう人達は、私達より、もっと上の係りをやっております。

アブドル いくら貰ってるね。

ハジ 二百グルデン位じゃないかと思います。

アブドル それみたまえ、ユウラシアンは、それ程優遇されているんだ。もっとも本国人程にはいかんがね、併し、それ程優遇されているユウラシアンアリ・ウエナンがだね僕の弟がだねそんな馬鹿なことをするわけがないじゃないか。

ハジ はい

アブドル 君がそれをやるなら判るがね、アハハハハ帰りたまえ、併し、御忠告は有難う。尚僕の方も、弟のそぶりは、それとなく注意をしてみるつもりだよ。

ハジ 何分お願いいたします。今日の私の用向きをおききとどけいただかないと私の責任がすみませんので

アブドル いいとも、判ったよ。

ハジ それでは、失礼いたします。奥さん、失礼いたします。


スピナンが茶を持って来る。


スピナン(茶を卓の上におく)

イサ まあお茶でもどうぞ

ハジ いえ、もう結構でございます失礼いたします。


ハジはしょんぼりと客間を去った。

その悄然たる後姿――

彼自身にも、何事か悩みがある。

スピナンが、扉をあけた。

ハジは街路へ去った。


イサ まあ、お掛け、疲れたでしょう。

アブドル 丁度、僕が帰って来る頃でようございましたね、馬鹿なことを言って来るものだ。

イサ 本当に吃驚してしまって

アブドル(傍のヘルメット帽を冠ってみる)どうです、この帽子は

イサ さっきから、気にしていたのだけれどその帽子、あんた、買っておいでたのか

アブドル そうです、ずっと前から一度かぶってみたいと思っていたものですからね似合うでしょう。

イサ あんたその帽子はふちのついた帽子じゃないですか、私のトアンがよくかぶっておいでだったが

アブドル なつかしいでしょう

イサ なつかしいのもなつかしいだがあんたはトアンの子ではあるけれど、私の子でもあるのじゃから私は、あんたには、やっぱりふちのない、私等の先祖様がずっと昔からかぶっていらしったような帽子をかぶっていてもらいたいような気がするがふちのある帽子はおてんと様を遮切るから折角、私等の身体にお恵みを下さるおてんと様の光を遮切っちゃもったいない罰があたる

アブドル そう仰有るだろうと思って、いましたよお母様が併し、おてんと様の罰も恐ろしいけれど、おてんと様は暑いですからね、かないませんよ。

イサ 何んという事を仰有る

アブドル 僕は本国へかえったお父さんと、そしてお母さんとの子供でしょう、ユウラシアンの皮膚は、インドネシアの皮膚よりは弱いですよ、どうしても、白人の皮膚に近いですからね、というこの言葉と同じことをあのケイが言ってましたよ。

イサ ケイというのは誰ですか。

アブドル お母さん、又忘れてしまった僕の婚約者ですよ、僕の許嫁の名前を忘れちゃ困りますね、アハハハハ

イサ あの、 ナビイさんのことですね。

アブドル そうですよ、ナビイは欧洲の名前が好きだから自分でケイという名前をつけているんですよ僕の婚約者の為にどうぞケイという名前を覚えていてやって下さい、お願いしますよ、お母さん

イサ 私は自分が白人であるトアンの所へ嫁に来た女子じゃからあんたが何でも自分の事や家の事を白人の方式にするのを許しております。だがおてんと様のこと、マタハリの事だけは、昔からのアダートを守っておくれ、あんたには、お父さまの白人の血も流れているでもインドネシアの血も流れている

アブドル まあ、そんなにお母さんが心配なさるのでしたら、強いて冠らなくてもいいんですがね。

イサ そうかやめてくれるか

アブドル その代り今夜は、ケイが遊びに来ると言ってましたから来たら、歓待してやって下さいよ。

イサ そりゃするとも、あんたがそのふちのある帽子さえ冠らなきゃそれで私はいいのだから、ホホホホ

アブドル じゃ服でも着かえて、ケイを歓迎する準備でもしますか。


と、アブドルは立ち上った。

そして思い出したように、


アブドル それから、実は今日スピナンの事について役所で話が出たんですがね


玄関のホールの所で影法師のように佇んでいたスピナンは、この言葉をきいて廊下を走り去ろうとする。

その姿が見える。


アブドル スピナン、其処にいたのかね、こっちへおいで


スピナンはおずおずと客間に入って来る。


アブドル お前、幸せ者だぞ。

イサ スピナンがどうかどんなお話が出たのですかね。

アブドル 此の間、役所へ、僕の忘れ物をスピナンが届けて来ましたね、あの時、スピナンの姿を見て、一目惚れした人があるのです。本国から来たばかりの僕の上役でねスピナンを嫁に貰いたいというのです。スピナンお前、僕達と一緒に、このスラバヤへ出て来る日に、お前のカンポンで、白人に出会わなかったかね。

スピナン 出会いました。


スピナンは無意識に物入れから、ガラス玉の首飾りを出す、そしてそれを眺める。

そして、それから目を避けるように卓の上においてしまった。

イサ、アブドル、それに注意を払わず


アブドル その人が、僕の上役なんだ。偶然にお前に逢ったというので喜んでねお前を嫁に貰いたいと言ってらっしゃるんだどうです、お母さんの御意見は

イサ スピナンが私と同じように更紗の小さな風呂敷を腕にかけてお嫁に行く(つぶやく)

アブドル(関係なく)そして、ユウラシアンを生む子供は幸せですよ。


この時、河に面した部屋の扉が開いた。

そこから、アリ・ウエナンが出て来た。


アリ 兄さんそりゃ止めた方がいいよ。


スピナンはアリの傍へ走って行った。


アブドル お前、帰っていたのか

イサ アリ、お前、何時の間に、帰っていたの

アリ 今しがた。

イサ 玄関から入ったのかね。

アリ いえ表に逢うと具合の悪い男がしゃがんでいたので裏から河をジャブジャブ渡って這い上って来たのですよ。

イサ 表にしゃがんでいたというと警察の人かね。

アリ まあ(笑ってごまかす)

イサ アリお前、まさか

アブドル お前まさか馬鹿な連中と、馬鹿な話をし合っているんじゃないだろうな。

アリ 僕は決して馬鹿な話ではないと思いますよでも僕のはふざけ半分にあの連中とつき合っただけなんですから、御心配は要りませんよ。

アブドル では何故さっきの土民刑事を避ける何故、彼奴の頬げたの一つも張りとばして、玄関から堂堂と入って来ない

アリ そりァ、若しも、家の表で何か言い争って、それが世間へ知れて、兄さんや、お母さんに迷惑をかけちゃいけないと思ったからです。

アブドル あたり前だ、たとえふざけ半分にせよ、何んという事をする。俺は税務署の役人だ。お前は学校教師だ、お母様のトアンイーデンブルグ様の血をひいていればこそ、お互いに土民達には及びもつかないような地位にいる今の生活を幸福だと思わなくちゃいかん。

アリ だけど、兄さんは(兄の側へ寄る)もう少し年をとって、或る地位にまで昇るとしますね。兄さん、すると他の役人、彼等と同じ本国から来た白人達はそれから後もどしどし出世して行くのに、兄さんはその地位限りで、もう終いです。兄さんは、それでも幸福だと思いますか。いいえ地位の高下ではないのです。そういうユウラシアンだからという差別待遇を受けて、それでも尚、幸せだと思いますか。

アブドル インドネシアよりはましだずっとましだインドネシアは我々よりもずっと下の地位で一生お終いだ、上をみれば限りがない、相手は、白人という我々には及びもつかない階級だ人間は分を知らなくちゃいかん分を守ってその中でその範囲で最大の努力をするのだこういう立派な家に住んで

アリ だから、僕はインドネシアの事を言ってるのです。

アブドル 毎月の生活を無事におくって

アリ インドネシアは奴隷のような生活を送っている。

アブドル 他人の事に構うな、我々はインドネシアじゃない。

アリ 併し、兄さん

イサ(遮切る)もうやめておくれ、そんなそんな恐ろしい話はやめておくれ。勿論本国のトアンの方にもそりゃ悪い所はあるじゃろう、だが、トアン方は皆皮膚の白い方々じゃ、何をなさろうと、それを責める訳には行かんのじゃ私も若かった頃、イーデンブルグ様に嫁に来いと言われた、トアン方のお言葉は強くはのうても、それはもう一旦口から出れば、命令なのじゃ、私は結婚したばかりの夫に別れて、イーデンブルグ様の所へ嫁に行った、夫は村のはずれまで見送って来た、涙ぐんで手をふる夫にもう夫ではなくなったそのお百姓に見送られて更紗の風呂敷を腕にかけて私はその頃営林局のゴム林の管理所長をしておられたイーデンブルグ様の所へお嫁に行っただが、お嫁に行って見れば、白人であるトアンだって決して悪い人ではない、イーデンブルグ様はその後、本国へおかえりになられたが、此のスラバヤの港から船に乗って、行かれる時にその内には又こっちへ戻って来るよとやさしゅう仰有ってじゃった、あれから、十五年でもきっと帰って来られる、帰って来られる

アリ お母さん

イサ 本国のトアン方を、決して悪う思うてはいけません。今日のことはアリが悪い。あんたらは、ナシップというものに従わなくてはいかん

アブドル お母さん、御心配かけてすみませんでした、さあ、もう直ぐケイが来ますから、支度をしましょう

イサ ホホそうじゃったな、着物は何にしようか

アブドル あれは厭ですか、欧米式の

イサ 洋服かね私は

アブドル ケイが喜ぶと思いますよ。

イサ そうじゃったな、ケイが喜ぶことは、あんたを幸福にすることじゃったな。私ゃ一寸位極りの悪い思いをしてもあんた方が幸せになれれば、それでええのだから

アブドル それじゃドレスにしますか。

イサ(祭壇の前へ行く)アラー、イル、アラー、暫くの間、キリスト教の着物を着させてもらいます、御許し下さい。アラーイル、アラー

アブドル お母さんは一々、神様の御許しを得るんだから大変ですよ、さあ支度をしましょう。


とアブドル、イサは廊下へ立ち去りかける。


アブドル スピナンさっきの事は考えておくがいいよ。


アブドルとイサは廊下へ立去った。

日が暮れて来た。

遠くからガメランの音が聞えて来る。

その音に釣られるやうに、アアアアと歌う哀調をおびた歌声

それが、河のある方から聞えて来る。

だが、それは何かの合図らしく、それを聞くとアリは何かを想い出したように行こうとする。


スピナン アリ何処へ行くの。

アリ うむ一寸

スピナン あの歌の所へ行くのでしょう、アリは昨日も一昨日もずっとその前もあの声がきこえると部屋からいなくなってたわね。あたい全部知ってるのよアリが何か怖いことをしているのだって此処の家へ来てから直ぐあたい知ったのよアリあんたどうしてそんな怖い所へ行くの

アリ スピナンお前には判らないことなんだよ。

スピナン どうして、あたいだってもう少しで大人になるのよ。それに此処へ来てから、アリが一生懸命学問を教えてくれたわあたい、アリがどんな事をしようとしているかよく判るのよ。

アリ(意外に驚いて)お前、僕が毎晩のように、家をあけるのを、知ってたのかい。

スピナン あたい、自分の部屋にいても、今、アリが家の中にいるかどうかひとりでに判るのよ。

アリ スピナンは千里眼みたいだね。

スピナン おちゃらかさないでよ、アリお願いだわ、そんな怖い所へ行かないでよ。さっき伯父さんや、伯母さんたちが言ったわ、そういう事は話をしただけでもジイ・カッシングなんだって

アリ 絞り首だっていいじゃないか。

スピナン じゃアリはどんな事があっても、あの歌の所へ行くのね。さっき兄さんや、お母さんに言った言葉は嘘なのね、ふざけ半分につき合っているんだなんて


ガメランの音が一しきり高く聞えて来た。そして、さっきのあの単調な、哀調をおびた歌声が

アリはそれにともすれば気をとられるのである。


スピナン アリあんた、あたいがカンポンから出て来る時、スラバヤヘ行ったらいろいろと相談相手になってやるって言ったわねそれだのに、あんたは一寸も相談相手になってくれないわ。

アリ(強く)だから、なってやってるじゃないかさっき、自分で言ったじゃないか、アリが一生懸命学問を教えてくれるんで段々物事が判るようになって来たって

スピナン そんな事じゃないのよそんな事じゃないのよ、やっぱりあたい白人のトアンの所へお嫁に行かなくちゃならないのかなア

アリ スピナン馬鹿な事を言っちゃいけないよ。

スピナン だって、アリのお母さんが伯母さんが言ったわ、白人であるトアンの言葉は強くはなくても、命令だってこれも、アラーの神の思召しかも知れないわ。

アリ 馬鹿そんな事をさせる位なら


ガメランの音、強く聞えて来る。

またあの哀調を帯びた歌声が聞え て来る。(アリを呼んでいる)


アリ スピナン、僕達はね、スピナン達があの本国のトアン達の言葉を、厭な言葉を神様の命令みたいにしてきく男も女もインドネシアの皆が、凡て白人の言葉を 神様みたいに尊い恐ろしいものとして、あがめ奉まっている。それをぶちこわす為に、相談事をしているんだよ。


ガメランの音つよく。

河に面した部屋の扉をひらき、ルーキーが半身を出した。


ルーキー(声をひそめて)アリアリ皆待ってるよ

アリ(驚く)ルーキー。

ルーキー 余り来ないから河を渡って来たんだ

アリ 直ぐに直ぐに


ルーキーは姿をかくした。


アリ いいか? スピナンお待ちもう直ぐなんだからね、もう直ぐたとえ僕達のやっている事が駄目になってももう直ぐきっと白人たちと、マタハリの国と、戦争になる。そうすれば僕達は、スピナンお前達も、あの本国のトアン達の手から救われるんだよ

スピナン そしてどうなるの

アリ スピナンお前は、もう本国のトアンの所へ嫁に行かなくてすむのだよ、お前の好きな人の所へ、お嫁に行けるのだよ。

スピナン アリそうしたらあたいねそうしたら(アリと手を取り合う


ルーキーが扉を開けて、再び姿を現した。


ルーキー アリ

アリ 行こう


と、アリとルーキーは、河に面した部屋へ行って了った。


スピナン アリ怖いことをしないで、捕まらないようにしてね。アリ


スピナンは、アリの入った部屋へ追って入った。

ガメランの音が強く

そして、あの単調な、哀調のある、アリを呼ぶ歌声がきこえて来た。

間。

呼鈴が鳴る。

廊下へ服を着換えたアブドルが出て来る。


アブドル スピナンスピナンはいないのか誰かいないのか誰かいないのか


イサが廊下へ出て来る。


イサ どうしたのです。大きな声を出してスピナンはいないのだねお客さんなら私が

アブドル いえ、お母さんはいいんです。静かに控えていて下さい。誰かいないんですか


クドック、マラカ、カルモジョウ、ゴンジョレス、グドックの妻など出て来る。


グドックの妻 アブドルかい晚の御飯かね。

アブドル 来客です、迎えて下さい。

グドックの妻 表へかい、私がそんな馬鹿な

グドック アブドル、お前は、身内の儂等を摑えて何を言うている、そんなアラーの神の思召しにさからうような

アブドル スピナンがいないのでおたのみしているんです。

グドック スピナンがいなけりゃ、自分で出りゃいいじゃないか。

アブドル 自分が出ちゃ具合が悪いから、おたのみしているのです。私は体面を保たなくてはなりません。母には母としての体面を保たせなくてはなりません。

イサ アブドルお前、そんな

アブドル お母さん、黙っていらして下さい。

グドック 何を言うとるんじゃ、体面も大切じゃろうが、体面のために、親類の者を、酷き使うなんて罰があたるぞインドネシアにはそんな風習はないぞ。

アブドル 食客は食客らしくしたらどうです。身内の者が一軒栄えれば、其処へ大勢の親類がごちゃごちゃ転がり込んで怠け放題に怠けてそれが回教徒の風習なら、そんなものは豚にでも食われてしまえです私は、この一家の為に、働いている。その私の地位を向上させるための、婚約者を迎えようというのです。誰かが、取次の役目を買って出て、私に体面を保たせるその位の努力を払ったらどうですグドックの奥さん、おたのみします。


呼鈴、鳴る。


グドックの妻 私は、生まれてから親類の者をこんな目に合わせる男は初めてだよ。

アブドル 早くなさい、早く


グドックの妻、玄関の扉をあける。


ナビイ(和蘭語)今晩は(ホールへ入り来る)

アブドル(がらりと調子をかえて和蘭語)おう、私の愛するケイよく来てくれました。どうぞこちらへ


アブドルはナビイの手をとって客間へ案内する。


イサ(和蘭語)よくいらっしゃいました。

ナビイ 今晩は。アブドルのお母様は、本国の言葉がお上手なのね。

アブドル 今晩は特に

ナビイ アブドルあなたに聞かせようと思ってとてもいいレコードを持って来たのよ。

アブドル ケイどんなレコードそれは

ナビイ ききたい?

アブドル とても

ナビイ じゃ、待ってらっしゃいこの蓄音器拝借してよ。

アブドル 光栄のいたりです。

ナビイ アブドル喜ぶかしら


と、ナビイは、電気蓄音器にレコードをかける。それは欧米風の華やかな音楽である。ナビイは口で調子をとり、レコードの音楽に合せた。


アブドル ケイ私のケイ


ナビイは手をさし出した。

アブドルはひざまずいた。

そしてナビイの手を

その間

グドックその他の親類達は、まばたきもしないで此の場の有様を、あっけらかんと見ていた。(ああアブドルは、女の前にひざまずいたりしている何んたる神の恐れを知らぬ男)が、この瞬間、アブドルがナビイの手に恭々しく接吻するのを見、一同は驚愕した。一同は、直ちに、祭壇の前にひざまずいて


一同 アラー、イル、アラーアラー、イル、アラー


神に謝罪していたのである。

じっと目をつぶって、息子の様子を見まいとするイサ・ウエナンそして

(溶暗)


第三場 河


アブドルの家、裏手。

前場の二日後。

アブドル・ウエナンの家の裡を流れる河。


河は、下手の奥から舞台前面へ向い、そして上手へ折れて流れている。

その曲り角に、アブドルの家がある。

下手へ向って、水浴の為の階段。その上手よりに洋風のベランダ、家の中へ入る扉。正面に向った壁に、窓が二つ鎧戸のしまる窓である。

家に沿った、盛土をした小路は、上手へ廻り、家の横からも、街路へ出られることを示している。


夕方から夜へ――


盛土をした小路で、水浴が終って、サロンの裾をしぼっている、グドック、マラカ、カルモジョウ、ゴンジョレス等。


ゴンジョレス こんなに世の中が騒々しゅうなって来ると、マンデーも、気をおちつけて、やっておられんようになる、悲しいことじゃなあ。

グドック 何が騒々しい、別に何も騒々しいことはないじゃないか気をおちつけて、マンデーが出来んのはお前の心持が落ちついとらんからじゃ。マンデーは気を落ちつけて静かにやらにゃ、身体にこびりついた汚れたものが、洗い落せやせんぞ。

ゴンジョレス 何が騒々しいのか儂にも判らんよ儂にも判らんが、何んとなく気が落ちつかんと言うことを言うとるんじゃ

マラカ ゴンジョレスの奴朝から晩まで、昼寝ばかりしとって、何が気が落ちつかんお前位落ちついておりゃ、沢山じゃないか。

ゴンジョレス その昼寝がおちおち出来んほど、何んとなく気が落ちつかんと言うことを言うとるんじゃ

グドック 一体お前は、何がそんなに、気が落ちつかんのじゃい、どういう風に落ちつかんのじゃい

ゴンジョレス どういう風にとは、儂も一口には言えんが、何だかこう、居眠りしておっても、その間に儂等のおる家が、一寸二寸ずつ、ずれて動いとるような気がするんじゃ。

グドック そういう気持なら、儂も、大分前からしておるよ。どうも、世間の話を聞いたりあの新聞という奴がいかんらしい。あれをイサが読んでくれるようになってから何んとなく、こう、儂等の住んでおる家が、ズレて動いとるような気がするようになって来たありゃ、新聞の中に、あの新聞をこしらえる時に、何か、そういう落ちつかんようになる薬を入れるんじゃろうそのせいじゃよだからみい、あの白人達は、街を歩いとっても、ああして、せかせかせかせか歩いとるじゃないか。

ゴンジョレス 成程、白人といえば、皆が皆、朝になると新聞を読むそうじゃからな。儂等のように、読んでもらうのやのうて、自分で、読むだけに、尚のこと落ちつかんようになるんじゃろう。

グドック アラーの神の次に偉い本国の人達でさえ此の事には気がつかずに、毎朝新聞をよむんじゃせかせかせかせか歩いとるんじゃよ。


一同は声を上げて笑った。

彼らの疑問は、これで溶けた。

彼等は、次には楽しい話をする。


マラカ 所でどうじゃ、カルモジョウ、お前、正月の支度は出来たか。

カルモジョウ まだ出来んこれからじゃ、まだ十二月も初めじゃからな、これから正月迄にゃ、ゆっくり間に合うて

グドック アブドルの奴が、けちじゃから、大した支度は出来んが、まあ、正月だけ位は、ゆっくり落ちついた正月をするんじゃな。

ゴンジョレス 正月まで、新聞さえ聞かなきゃ、落ちついて正月が出来るて

グドック 成程それに気をつけにゃいかんなあ

カルモジョウ 併しスピナンはどうするのじゃろう

グドック 嫁入り話か、相手が何せ本国人じゃからなこりゃ断わる訳にゃいくまい。それに、此の家の主人がアブドルじゃと言うことはじゃなスピナンが、どうしても行かにゃ、ならんと言うことになるわけじゃ

カルモジョウ 又混血児が生れる


下手の奥から小路へ

グドックの妻が現われた。


グドックの妻 あんた方、何をしておられる、早よう行って、お祈りをせにゃ

グドック 混血児もええがアブドルのようなのが生れちゃアラーの神に申訳がないからな。


と、グドックの妻、グドック、カルモジョウ、ゴンジョレス、マラカは階段を昇って家の中へ入って行った。

下手の奥から、スピナンが出て来た。

そして階段を昇って、家の中へ入ろうとする。

小路の上手から、ルーキーがあたりをはばかるように出て来た。


ルーキー スピナンスピナン

スピナン 

ルーキー スピナン

スピナン 

ルーキー アリはまだ学校から帰らないかい。

スピナン まだだよ。

ルーキー そうかもう直ぐ帰るかい。

スピナン あんた誰、あたい、あんた知らないわよ。

ルーキー 何時も、アリを呼びに来る男だよ。

スピナン アリは今日は早く帰って来たいって、朝は言ってたけれど、まだ帰って来ないんだよ

ルーキー 今日は早く帰って来たいって?

スピナン 別にあんたに用があるんじゃないんだよ。あたいに用事があるんだよ。あたいが今夜はお嫁に行かなくてはならない日なんだよだけどアリがいると、それが行かなくてもすむようになるんだよ。あたいもアリを待ってるんだよ

ルーキー 俺も待ってるんだ、きっと、俺の用事と、お前の待ってる用事とは、関係があるにちがいないよ。困ったな、俺の方が、急ぐんだ日が暮れると直ぐなんだ

スピナン あたいだって、日が暮れると直ぐだよ。

ルーキー スピナン俺がアリを探しに来たことを此の家の人間に言うんじゃないぞアリが帰って来たら、ルーキーが来たとても急いでいたって言ってくれ


ルーキーは去る。

スピナン、階段を昇りかける。

ルーキー、引きかえして来る。


ルーキー スピナン。

スピナン 

ルーキー やっぱりよそう(行きかける)

スピナン 何か渡すものがあったら、アリに渡してやるよ。

ルーキー(考え込む)

スピナン あたいを信用しないのアリはあたいに何んでも言うよ。

ルーキー 何んでも

スピナン あたいは何んでも聞いて知ってるつもりだけど本当は、何んでも聞いてるわけじゃないかも知れないけれど

ルーキー スピナンじゃお前に小遣をやるだからその代り絶対にこの中の物を見ちゃいかん人に見せてもいかん黙ってアリに渡してくれ

スピナン じゃあたいお断りするわ、おこづかいであたいに口留めしようなんて、あたい信用されないんなら、お断りするわ。

ルーキー じゃ何んだって俺たちに手伝ってくれるんだい。

スピナン あたいアリの為だったら、何んでもしてやりたいんだよ。

ルーキー よし、じゃお前に頼む、これを誰にも知れないようにアリに渡してくれ

スピナン (黙って受取る)

ルーキー スピナンお前、アリが好きなんだな

スピナン 

ルーキー だと思うから、俺はお前に、これをあずけるんだインドネシアの女は、愛する男の為には、どんな犠牲でも払うだから、これをあずけるんだいいかいこれが他人の手に渡ったら、アリが破滅になるんだよ、判ったね。

スピナン(うなずく)

ルーキー スピナン、インドネシアが解放されるのは、もう直ぐなんだよ、インドネシアが失敗しても、もうすぐマタハリの国とわが本国とが戦争になる。マタハリの国からアメリカヘクリスという人が行った話がうまく行ってないらしいこんな事は新聞に出てもいないけれどね俺達には、ちゃーんと知らせを持って来てくれる奴がいるんだもう直ぐ戦争になるきっとなるその時を俺達は待つんだ待たなくとも俺達が何か始めたら、マタハリの国はきっと助けに来てくれる。

スピナン アリもそう言ってたわ

ルーキー そうなれば、お前も世の中が明るくなる、その中の一人だ、お前のやることはその手紙をアリに渡してやることそれだけでいい。それを無事にアリに渡すたったそれだけで、世の中が明るくなるんだいいかい、頼むよ。


ベランダヘカルモジョウが出る。


カルモジョウ スピナンスピナン。


ルーキー小路を走り去る。


スピナン 

カルモジョウ アブドルが呼んでる

スピナン 

カルモジョウ 客間で呼んでるあのユウラシアン阿魔にお前を見せるんだとさ。


アブドルとナビイがベランダへ出て来た。


アブドル 伯父さん、少し言葉を考えて使って下さい。伯父さんは、言葉の数を余りたくさん知らないらしいけれど。

カルモジョウ(悄気て入る)

アブドル スピナン、もう客間へ行かなくてもいいんだ、こっちへ顔を見せてごらん


スピナン、ベランダを見る。


ナビイ 典型的なインドネシアの顔ね、無智な目をしてもういいわ。

アブドル もういい、家の中へ入れ

スピナン(黙ってナビイを見つめている)

アブドル もういいのだ、家の中へ入れ。


スピナン階段を昇り、家の中へ入る。


ナビイ ゲルトマンさんも物好きね、どうしてあんな娘が気に入ったんでしょう。


と、ナビイは、ユウラシアンを、鼻にかけ、そして椅子にかけた。


アブドル(立ったまま)わが本国政府は純粋のインドネシアを無くして、人種を高級にする為に、かねて白人とインドネシアの結婚を奨励しているその国策に沿われたんでしょうな。

ナビイ もっとも本国から来て、四五年の間だけのなぐさみものにするには情熱的でいい顔ね。

アブドル (間)四五年の間だけのなぐさみ物。ケイ、その言葉もしもあなたと僕とが結婚したら、母の前だけでは言わないで欲しい。僕の母は、その言葉にあてはまる女かも知れないから母自身は決してそうだとは思っていないけれど

ナビイ あらアブドルは割に親孝行ね。

アブドル ケイのお母さんもそうではないの

ナビイ だってお母さんもインドネシアですもの

アブドル 

ナビイ それで今のあのスピナンという娘をゲルトマンさんは、今夜自動車で受けとりに来るって言ってたけど大丈夫ね

アブドル え? 何んでしたっけ。

ナビイ いやねアブドル、ぼんやり何を考えてたのゲルトマンさんが、今のあのスピナンという娘を、今夜自動車で受取りに来ると言ってらしたの大丈夫ね。

アブドル そりゃもう大丈夫だ。

ナビイ あんたが余り先方へ返事をしないものだから、ゲルトマンさんしびれを切らせて、私の所へ話を持って来たのよ。私から、あなたに話せば間違いがないと思ったのね、保護者が、ユウラシアンだけにさらって来るわけにもいかん、困った困ったって言ってたわやっぱりユウラシアンだと尊敬されるのね。

アブドル 尊敬もしないでしょうけれど、やっぱり白人の血が混ってる分だけ、遠慮するのでしょうね。ところでスピナンはお約束通りゲルトマン氏に差上げます。その代りアリの事は大丈夫でしょうね。

ナビイ それは大丈夫大丈夫だって、ゲルトマンさん言ってらしたわ。僕から警察署長に話しておこうって危いところだったわ。一両日の中に、あの連中の集合場所を、襲撃して、一斉検挙をやる予定なんですって

アブドル その場合、もし其処にアリが居ても逮捕を免がれる訳ですね。

ナビイ そうアリだけ逃がして貰えるんですってアブドルって割と普通なのね、お母さん孝行だったり、弟思いだったりホホホホホ

アブドル 彼奴はいい奴なんです、正直すぎるのがいけないんです。周囲の人間がいなくなれば、彼奴も、気持が変ってくるでしょう無駄な努力を払わなくなるでしょう。

ナビイ アブドルあんた、私と結婚したら、その位、私の事を思ってくれる

アブドル 勿論だよ、ケイ

ナビイ 私お父さんに言って、アブドルをもう少し上の役につけるようにして上げるわ。

アブドル 僕を愛しているから

ナビイ それもあるわでも、第一、なるべくあんたが上の役についてないと他処のティーパーティに出ても恥しいでしょう

アブドル(少し皮肉に)有難う。

ナビイ アブドルでも、あんた私に自分のしたい事を頼むばっかりであたしには、何もしてくれないわ。

アブドル 何がしてもらいたいのです。

ナビイ 結婚してからのいろいろな話やなんか

アブドル 勿論、結婚したら二人は幸福さ。

ナビイ インドネシア風に親と同じ家に住むのは御免よ。

アブドル そう山の手の、高級な白人の住宅地に近い所に、新しい家を建てて、二羽の小鳥は其処に、楽しく暮らす新しい生活の設計


アブドル歌う。

歌い終って


アブドル もう直ぐ日が暮れて来るね。じゃゲルトマン氏に色よい返事をお届けしようか。

ナビイ そうね、自動車を用意してきっと待ってらっしゃると思うわ。

アブドル これでアリの事も安心出来る

ナビイ 後は二人の結婚だけね。


アブドルとナビイは、ベランダから奥へ姿を消した。

階段へスピナンと、アリが出て来る。


アリ 今日に限って、学校の用事がなかなか片づかないのだ。急ぐのだと、言ってただろうね。

スピナン とても急ぐんだって。


と、ルーキーの手紙を、スピナンは、アリに渡した。


アリ(急いで読む)


日が暮れてくる。

アリは、読み終った手紙に火をつける。

赤く燃える。


スピナン 何んて書いてあったの

アリ お前は、そんな事をきかなくったっていいんだよ。

スピナン だって、あたいは、今晚お嫁に行かなくちゃならないんだもの。この手紙を持って来たルーキーは言ってたわよ。お前がこの手紙をアリに渡すだけで世の中が明るくなるんだって、その中に、あたいは本国人の所へ嫁に行かなくってもいいって書いてあるんじゃないの。

アリ うんそりゃ書いてあるんだ。だからお前は、今夜、此処で僕の帰って来るのを待っていればいいんだ。うまく行ったら僕は一寸ここへよるからね、そしてお前を安心させておいて、又次の事をやるんだ

スピナン じゃこれから、アリは出かけるのね。

アリ そうだ、僕が出かけて、それから、暫らくたったら、このスラバヤ中の人達が騒ぎ出すスピナンの結婚どころじゃなくなってくるその頃、お前は此処に立って僕が河を渡って帰って来るのを待っている其処へ僕が帰って来てもうそれで、お前は、あんな白人の所へお嫁に行かなくてもすむのだその頃は、既に本国人、結婚式どころじゃなくなっているからね。

スピナン じゃあたいは此処で、アリの帰るのを待っていれば待っているだけでそれで白人の所へはお嫁に行かなくてすむのね。

アリ そうなんだ

スピナン だって世の中は、今夜、明るくなるんでしょう

アリ 馬鹿だなそりゃ、スピナンが嫁に行かなくてもよくなるようにあの本国人の間に騒ぎが起るのは、今夜さだけど、それだって、いろんな苦労がある、そして、その後に世の中が明るくなるんだよ。

スピナン あたいなんだか判らないけど、あたい、アリだけが頼りなのよ、今夜は、此処できっと待ってるわよ。

アリ うんスピナン。(肩を抱きしめる)

スピナン そして時々、呼んでみるわよ(と、あの単調なアリを呼ぶ歌を歌う)

アリ その時、その声に答えて、僕は歌うのさ。(とそれに答えてアリ単調な答える歌)


ガメランの音がきこえてくる。

アリとスピナン歌う。


歌が終ると、ガメランに合せて太鼓の音が遠くからきこえて来た。

そして、蔭であの単調な、アリを呼ぶ歌声がきこえてくる。


アリ(ハッとして)アッ呼んでいる時刻が来たんだ、スピナン行って来るよ。

スピナン あたい、あんただけが頼りなのよ、覚えててね。


アリ、小路を伝って上手へ行きかける。すると、ベランダの上に、イサが出て来た。


イサ アリ


スピナンは下手の奥へ逃げようとする。


イサ スピナン何処へ行くの馬鹿な子だね、アリ以外には誰にもなつかないのだね

アリ お母さんに先刻学校から帰って来て、挨拶しようと思ったら、お祈りをしていらしたので、しませんでした。

イサ 何処かへ行くつもりだったの。

アリ うん一寸

イサ スピナンもこっちへおいで


スピナンとアリはベランダの下に並んだ。


イサ(スピナンとアリの顔を見比べて)あんた達、私に何か言いたいのではないのスピナンは今夜お嫁に行くのだね。だけど、その事について何か言いたいのじゃないの、或いは、そうではないかも知れないでも、お母さんにはそう見えますよ。

アリ お母さん、お母さんはむかし白人と結婚しましたね、そして、僕達を産みましたね、お母さんは今でも

イサ その白人のトアンを好いているか、どうかと言うのだね。

アリ その相手の白人は、僕達をお母さんに産ましておいて本国へ帰りましたねそしてそれきり、事情があって帰って来られないのだお母さんはそう言いましたね。だけど、人の噂によるとその相手の人間は、本国から何時の間にか帰って来て白人の妻を連れて戻って来て、このスラバヤに住んでいるそういう話ですよ。

イサ そんな事は嘘です。私は今でもあのなつかしいトアンのことを大切な人じゃと思って居ります。その大切な人あんなに優しい人がそんな事をするわけがない

アリ でも

イサ だけど、お前の言おうとする事はよくお母さんに判りますよ。そんな不実な事をする本国の人間に、スピナンをやりたくない、お前はそういうのでしょう。

アリ 

イサ お前は、小さい時から、母さんに何か言いたいことがあると、遠まわしに他の事から言う性質だったアリお前はスピナンを好きなのだねスピナンは?

スピナン あたいあたい

イサ お前達は、何故もっと早く、私に言わないスピナンは、私から逃げてばかりいる。アリは何も言わない。

スピナン だって、あたい達、まだ何んにも決まらなかったもの

イサ だけど、いつもあのトアン達の言葉は、命令なのだよ、こうなっては、私の手には負えない母さんから、アブドルに頼んでみましょう。アブドルは、何んでもしたいと思うことはどんどんしてしまう子供です。きっとあの本国のトアンの言葉でもアブドルには、命令ではないかも知れない

アリ お母さん


ガメランの音が強くなって来る単調なアリを呼ぶ歌声


イサ アブドルは、帰って来たかも知れない、母さんは頼んでみます。

アリ お母さんお母さんに、僕、時々、厭なことを言うでしょう、でも、あれはでも、僕は、本当は、お母さんを好きで好きでたまらないのですよ。

イサ 母さんにお世辞を言っているの、馬鹿な子だね、ホホホホ


ガメランの音強く

アリを呼ぶ声強く

イサは立上って


イサ 其処で暫らく待っておいで


イサは奥へ去った。


アリ スピナン行って来るよ。

スピナン だってアリ、伯母さんが話してくれるって言ったじゃないの。

アリ 世の中を明るくするということは、アブドルの力位では、どうにもならないことなんだよ、此処でまっておいで此処で必ず帰って来るからね。


アリは小路を上手へ走って行った。


スピナン(アリを呼ぶ歌、単調なひとふしを歌う)

アリの声(それに答えて歌う声)


ガメランの音強い

アブドルがベランダの上へ出て来る。


アブドル スピナン支度をおし

スピナン 


イサが出て来る。


イサ アブドル、スピナンはどうしてもお前の、上役さん本国人のトアンに上げなくてはいけないのかね。

アブドル ええ

イサ 私は、この家を、この一家を支えて行くことは何事でもお前にまかせている。だが唯一つだけお願いをきいておくれでないかスピナンはアリを好いている。アリもスピナンを好いている年寄りの私には、殊に自分を混血児に産んだということで私を恨んでいるアリには、何もしてやることがない、せめて、好きな娘と、アリを一緒にさせてやりたい、これが私の願いなんじゃけど

アブドル アリがスピナンを愛している。私は弟の考えていることに、思いやりがなさすぎたかも知れません。併しスピナンは、是非とも彼にやらなくちゃならないのです。

イサ だけどお前は何んでも、どんな事でもやろうと思ったことは、必ずやりとげる子供だ私はそれを知っている。だからお前に何時も不幸を背負っているようなアリを、幸福にしてやることを頼んでいるのじゃないか

アブドル 何んでも実行する男だからこそ、スピナンをあの本国人にやるのです。私がしなくても、インドネシアは不幸なんですからね。

イサ だが、それではアリまでが不幸になってしまうじゃないか

アブドル アリまでがスピナン、支度をしておいで。

スピナン(黙って、階段を昇って入る)

アブドル お母さん、アリを救う為に、スピナンは是非とも彼の所へ嫁に行かなくてはいけないのです。

イサ アリを何故アリを救う為にスピナンが嫁に行かなくてはならんのです。

アブドル お母さん、アリは何時か、刑事が来ましたね。放っておけばバンダ・ネエラへ流される男なんですアリはバンダ・ネエラへ流刑され、僕は役所を免職になる僕が役所を免職になることはいい、だが

イサ それじゃアリは、やっぱり、此間来た刑事が言ってたように

アブドル 無駄なことをやっているのです。そんな子供だましのような事で、ひっくりかえる世のなかじゃない、だがそれをアリは知らないのです、厭な弟だだが弟は弟ですからね。

イサ それだからと言って

アブドル スピナンは可哀想です、だが所詮は、誰かに虐たげられるインドネシアじゃないですか僕達だってそうです。インドネシアよりは、ましかも知れないしかし、所詮は人種的に、片輪ですからね。その片輪者が、一家を支えて一家を幸福に暮らして行かせる為には何かを犠牲にするより仕方がない。何かの犠牲なくして僕達の一家は、栄えて行くことは出来ないのです。ましてや、アリは助からないのです

イサ アブドル(泣く)

アブドル スピナンを、あの本国人にやる、アリを助けるケイナビイと結婚する、ナビイの父の手で出世する。これが僕の取引なのです。ユウラシアンは生きなくてはならない。僕達は生きなくてはならないアリがいたら僕から説明してやりましょうアリアリ


ベランダの下蔭でうごく人影がある。


アブドル(それに気づいて)誰だアリかい其処にいるのはアリアリ

ハジ(立ち上って)トアン、私です。

アブドル 

ハジ 私です。スラバヤ警察のハジ・タムロンです。

アブドル 何其処で何してるんだ。

ハジ 上役の言いつけで待ってるんですへえ。

アブドル 誰を誰を待ってるんだ。

ハジ 逃げて来る奴を待ってるんです。

アブドル 逃げて来る奴

ハジ はいトアン今夜、無駄な努力を払う連中の一斉検挙があったんです。

アブドル 何、一斉検挙があった

ハジ はい、トアン。その中で網の目を逃れた奴が一人、二人ありましたので、こっちへ立ち廻らないか此処で又網をはっているんで

アブドル そその中には、アリ・ウエナンはいなかっただろうな。

ハジ いえ、いらっしゃいました。

アブドル 逃げただろうな

ハジ いえ、アリ・ウエナン氏は捕まりました。バンダ・ネエラへ行くようになりましょうトアン

アブドル 馬馬鹿何をする、アリは見逃せという命令が出ている筈だ。

ハジ それは知りません、唯、アリは、自分は助かるものだと思っているかも知れないから、何か世迷言を言ってても構わず引っくくれ上役にそう言われました。はい、トアン。

アブドル そうして、お前は、アリをくくったのか、捕えたのか

ハジ いえ、私は、他の連中へまわっていたので、他の刑事がアリ氏を捕えました。

アブドル そして何処かへ何処かへ、連れて行ったというのか。

ハジ 左様です。トアン

アブドル 恥を知れ恥を知れお前だってインドネシアだ。

ハジ トアンは、ユウラシアンで

アブドル お前だって、インドネシアだそのインドネシアのお前が白人である上役共に命ぜられてインドネシアの世界の為に、戦っている若者達を追い廻す恥かしくないのか。

ハジ はいトアン。私には、子供があります。五人もあります。私は女房と五人の子供を養わなくちゃならないんでしてトアンインドネシアは、虐められる方へ廻るか、でなければ追う方へ廻るかこの二つしか道がないんで私はその内の追う方へ廻ってるだけでして、トアン。

アブドル 行け何処かへ行っちまえ何処かへ行っちまえ。

ハジ 目ざわりなら、トアンの目につかねえ所で網をはってますへえ。


ハジはしょんぼりと上手へ去った。


アブドル(くず折れるように、椅子にもたれる)本国人の目から見たら、ユウラシアンも、インドネシアも、一寸も変りはないんだお母さん、お母さん、僕の考え方は、間違っていたようでした。


音楽――


イサ 私のトアンは、そんな人ではなかった私は信じている。私は信じている今この国にいるトアン達は、人が悪くなっている。


スピナン登場。


アブドル スピナンもう一度もう一度アリを呼んでごらん。


スピナン、もう一度声を上げて歌った呼んだ。

そして、イサもアブドルも、もう一度、答える声を待った。

何者も答えず。


スピナン あたいの呼び方が悪いのかしらアリはあたいが呼んだら、必ず答えるからねって、言ったのよ。

イサ アリは此の近所には帰って来てはおらんのかも知れん。

スピナン アリは僕がかえるまで、必ず待ってろ、って言ったのよ此処で、あたい待っていたいのもう行かなくては不可ないのあたい伯母さんがいいって言ったら、此処で何年でも何年でも待っていたいんだけど

イサ スピナン。(スピナンを抱きよせる)


奥からナビイが出て来る。


ナビイ アブドル、ゲルトマンさんが車を持って来たわよ

アブドル 命令だと言うのか。

ナビイ 何んだか知らないけど今夜はとても怖い顔をしているのよ。


間――

イサ、アブドル、スピナン無言で

河の向うを見つめている。


スピナン(もう一度アリを呼ぶ歌声をはり上げる)


答える声なし。


スピナン(もう一度声を張り上げる、途中でとまる泣いている)

ナビイ アブドル、どうしたのよ、ゲルトマンさんが待ってるわよ。

アブドル(悲しく)スピナン!

スピナン(アブドルの顔を見るそしてイサに)あたいね、アリが帰って来たらとアリは何時でも河の水をジャブジャブ渉ってかえって来るでしょう。サロンを濡らしてかえって来るでしょうだから、サロンをはき代えるように代りのを持って来たのよ。アリがかえって来たら履かせて上げてね

イサ 有難うよ、スピナン

スピナン 此処へおいとくわね。(ベランダのてすりにかける)

アブドル スピナン、行こう。

スピナン あたいが、アリと二人でカンポンから出て来る時、ミナーもこうやって、風呂敷をさげて、あのトアンの所へお嫁に行ったわ。あたいも同じね。

アブドル(黙ってスピナンの顔をみつめる、そしてクルリと後を向いて奥へ入って行く)


スピナン、更紗の風呂敷包を腕にかけて、従順に、つづいて行く。

そしてイサも入って行った。


ナビイ アブドル、どうしたのよ、アブドル。


ナビイは、取り残されたのを取りかえそうとでもするように入って行く。

ルーキーが上手から小路へ出て来る。


ルーキー スピナンスピナンスピナンはいないのか、スピナンアリからの伝言だアリは捕まった。アリは捕まった。だが、マタハリの軍隊がやってくるんだよ、このスラバヤに近づいて来てるんだよ、すぐに上陸するだろう、我々のやった事は無駄ではないもう直ぐだもう直ぐだだから待つんだ待つんだ辛抱して、辛抱して待つんだよ、スピナンスピナンはいないのか‼︎


ハジ・タムロンが上手に出て来る。捕縄を投げた。

ルーキーの手首にかかった。


ルーキー あッ


ルーキーは小刀を抜いて縄を切った。

逃げた。

ハジは追って入った。

蔭でハジの吹く、呼笛が鳴り渡る。

ベランダでは、アリのサロンだけが、月の光を浴びている。

(溶暗)


第四場 ウエナンの家


アブドル・ウエナンの客間。

前場の三カ月後。

第二場と同じ場面。

椅子に凭って、呆然と眼を見開いているイサ。手に手に、各自の風呂敷包みを提げ、或は夜具の包みをあっちへこっちへ引きずり廻しているグドックの妻、マラカ、カルモジョウ。

相変らず、椅子に居ねむりをして、その癖、腕にはしっかりと風呂敷包みをかけている、ゴンジョレス。

玄関のホールには、避難民たちが十四、五人も、各自の荷物をかかえ込んでうろうろしている。

表をひっきりなしに通るトラックの音、そして、飛行機の爆音。

そして、高射砲の音。

はげしい爆音の度にマラカ、カルモジョウ、グドックの妻など土下座して「アラー、イル、アラー」と神に祈を捧げている。

表を雪崩れる群衆の叫び声。


近所の娘サラーが駈け込んで来る。


サラー 又、兵隊が逃げて行ったわよ。

カルモジョウ どっちの兵隊が逃げたんだね。

サラー 逃げたのは、いままでの兵隊よ、追っかけてるのは、まだ見えないけれど、きっと、マタハリの兵隊よ。

カルモジョウ 上を飛んでいるのは、どっちの飛行機だね。

サラー マタハリの飛行機よ。

カルモジョウ おう、マタハリの飛行機


カルモジョウ、マラカ、グドックの妻たちは、

「おう、アラー、イル、アラー」と又神に祈る。

一しきり砲声。

表からアブドルが駈け込んで来る。


アブドル さあ皆、避難するんだ、もう直ぐマタハリの軍隊が入って来る。

カルモジョウ 逃げるかね。

アブドル 逃げたくないものは残れ、逃げたいものは逃げるんだ。米は持ったか、食物は持ったか。

グドックの妻 米も食物も皆持ちましたよ。

アブドル お母さん、避難するんですさあ参りましょう。

イサ(顔を上げる)私は、このまま此処にいたいのです、お前方だけ、逃げておくれ。

アブドル お母さん、どうなさったのですか。

イサ 私は、此処にいたいのです。

アブドル お母さんは、アリを待っているのですか。

イサ アリも勿論、母さんは待っているだけど

アブドル その他に、誰を待っているのです。

イサ アブドル、此の家はね、私が若い頃結婚して、トアンと一緒に住んだ家なのだよ。その白人のトアンが本国に帰る時、私に下すった家なんだよ。此の家を捨てたら、私はトアンに申訳がない

アブドル お母さん、お母さんは、そんなにあの人を愛していらっしゃるのですか。

イサ 

アブドル 僕には、判りません。それじゃ、誰かが最近に、イーデンブルグさん、あの人の姿を此の町で見たと言っていましたが、お母さんは、あの人が来るかも知れないそう思って待ってらっしゃるのですね。

イサ それは嘘です。あの人は、此の町にいれば例え、今どんなお暮らしをしておられようと、必ず此処へおいでになっておられます。あの人がこの町にいらっしゃる、そんな馬鹿なことは、ありませんあの人は本国に本国でなければどこかの国このジャバでない国にいらっしゃるのです。きっとそうにちがいありません。私はあの人にいただいた、この家を守っていればそれでいいのです。

アブドル お母さん、だけど危ないじゃありませんか。

イサ 私は、此の家で死ぬのなら楽しく死んでゆけるのです。アブドル許しておくれ


飛行機の爆音が又もや強くなった。

高射砲が盛んに炸裂する

トラックが表を走る、走る

群衆の叫び声。

インドネシア人の警官が入って来た。


警官一 避難命令が出たぞ皆、避難するんだ。南側へ避難しろ。南側から避難しろ。


警官一、去りかける。

警官二が入って来る。


警官二 皆、スラバヤを死守せよと言う命令が下ったぞ、避難するものは、逮捕されるぞ。

警官一 馬鹿、避難するんだ。避難命令が下ったんだ。

警官二 死守するんだ、死守命令が出ているんだ。

警官一 お前は誰からきいて来た。

警官二 お前こそ誰から命令されて来た。

カルモジョウ やかましい。一体どっちが本当じゃいッ、人の家に来て、てんでに違う事を吐かしおって、どっちが本当なんじゃい。

マラカ はっきりしてくれ、はっきり

ゴンジョレス(目をさます)やかましいな、やかましくて寝られやしねえ。(と、又もや寝直す)


警官一、二はしおしおと表へ出て行く。

又もや、はげしい砲声。

飛行機の爆音。

それがやがて間遠になる。

タン・グドックが表から駈け込んで来る。


グドック イサ、イサ、お前のトアンの姿を俺や見たぞ、イサ、お前のトアンは此の町にいたんだぞ。

イサ 

グドック お役所の方から、沢山の自動車が、皆が町の外へ逃げて行きやがる。儂やそれを一つ一つみていたんだそうしたら、その中にイサのトアンがいたんだ、若い頃と同じ顔をしていやがった。白人の若いきれいな女房をつれてな

イサ 

グドック お前、お前のトアンがこの町にいるのは、嘘だ嘘だと言ってたが本当にいたのじゃないか。


イサ、無言。

スピナンが駈け込んで来る。


スピナン 伯母さん‼︎

イサ スピナン‼︎

スピナン あたい今日からもう一度伯母さんの家においてもらってもいい

イサ どうしたのスピナン。

スピナン あたいのトアンは、あたいを残して、自動車に乗って逃げてしまったの。あたいは、自動車に乗らないで逃げて来たの。どんなに早く歩いても、自動車には追いつかないものあたい途中から路をかえてこの家へ来たのよ。

イサ スピナン可哀想なスピナン


イサはスピナンを抱く。

飛行機の爆音強い。


警官一(入って来る)避難命令が出たぞ。みんな避難しろ、避難しろマタハリの軍が入って来るぞ。

カルモジョウ 今度は本当か。

警官一 本当だ、早く逃げろ。

カルモジョウ アブドル、避難しろと言って来たがどうするね。

マラカ どうじゃろうな。マタハリの軍隊は、儂等を殺すじゃろうかな。

グドック 儂ゃ、殺しゃせんと思うぞ。何しろ相手は俺等と同じ顔しとるじゃないか。白人程、偉くはないじゃろうが、そう、酷いことはせんぞ。

カルモジョウ 何しろ、儂等と同じ顔の色の人間が、こんなに強いとは、不思議なもんじゃな。

グドック やっぱりアリがよう言うとったが、アリの言う事は本当じゃったよ。まあ、逃げんでもよかろう。アブドル、どうするね。アブドル、アブドル

アブドル 煩いな、僕は考え事をしているのだ。


サラーが駆け込んで来る。


サラー マタハリの兵隊が入って来たよ、マタハリの兵隊が入って来たよ。

アブドル 何マタハリの兵隊が入って来たみんな、マタハリの旗を作るんだ。

グドック マタハリの旗を

アブドル その旗を家の表に出しておくのだ。そうすれば、この家は、無事なのだ。

サラー 旗は紙でもいいの。

アブドル 紙でもいい。布でもいい。

サラー 私、家から持って来る(去る)

アブドル(親類達に)何をしてる。旗をつくるんだ、旗を。グドックの奥さん、あんたは女じゃないですか布か紙、赤インキそんなものを持って来たらどうです。


群衆の叫び声。

アリが飛び込んで来る。


アリ 唯今

アブドル・イサ アリ

アブドル どうしたんだ、どうして出て来られたんだ。

アリ バンダ・ネエラをとび出して来たんです。インドネシアの看守が鍵をあけてくれたのです、兄さんお母さんは無事でしたか。

イサ 無事だよ無事ですよ

アリ お母さん達の顔をみたら安心しました。僕はこれから直ぐに、マタハリの軍の所に行かなくてはなりません住民の中にも、軍に協力するものがいることを言わなくてはならないのです、お母さんイーデンブルグさんが捕まりましたよ。来る途中で僕はみました。

イサ 


グドックの妻が、布と赤インクとを持って来る。

サラーが筆を持って来る。


グドックの妻 これでいいのですか。

アブドル 有難う。(日の丸を書く)

アリ マタハリの旗ですよ。

アブドル そうだマタハリの旗だこれさえ出しておけばこの家は無事なんだグドックさん、これを表に貼っておいて下さい。


グドック日の丸を表へ持ってゆく。


アブドル これでいいお母さんこれでこの家でやる僕の仕事は終りました。これから後はアリが、この家のことを万事うまくやってくれるでしょう。僕の時代が去って、アリの時代がきたのです。これからは、アリが此の家を支えていくのです。

アリ 兄さん

アブドル マタハリの軍隊には俺にも出来る仕事があるならやらせてもらいたいそう言ってくれ

アリ 兄さんだって、働けるさこれからじゃないか

イサ アリ、忙がしいお前にこんなお願いをしてすまないが。

アリ なんですか、お母さん。

イサ アリ、いいかね。私はそんな人は知らないよだけど、マタハリの軍隊に捕えられた本国の役人のなかに、もしも、もしもだよイーデンブルグという捕虜がいたなら(包みの中から、男物の背広を出す)この着かえの背広をやってもらえるように、マタハリの兵隊に頼んでおくれ。

アリ お母さんあなたはまだ、あの人を

イサ おかしいかねこれがジャバの女なのだよ

アリ それじゃ、行って来ます。

アブドル アリ(引きとめて)スピナンに逢ってやってくれ。

スピナン アリあたい、あの夜は、長い事待ったのよだけどアリは帰って来なかったのよ

アリ(笑顔でそして態と荒々しく)僕は忙がしいんだ今は、お前なんかにかまっちゃいられないんだ。


アリは、そのまゝ表へ去る。

群衆の叫び声。


グドック マタハリの兵隊が大ぜい歩いて来たぞマタハリの兵隊が(表でどなる)


行進してゆく兵隊の足音。

(マイクを通してきこえる)

スピナンアリの気持も知らず、呆然として、倒れかかる。


アブドル スピナンしっかりしろ今日はかまっていられないと言うことは明日になれば、ということなんだぞ、明日は、明日の風が吹く見ろ、僕だって、元気を落しちゃいないじゃないか一寸も落しちゃいないじゃないか。


イサは祭壇の前にぬかずいた。


イサ アラー、イル、アラー何卒アブドルを守らせ給えアリを守らせ給えそして、スピナンを守らせ給えアラー、イル、アラー


イサの、その声をきき、姿を見て、アブドルもひざまずき、スピナンもひざまずく。そしてグドックもその他の親類縁者達も、祭壇の前にひざまずいた。


みんな(ロ々に祈って)アラー、イル、アラー我等を守らせ給え、アラ ー、イル、アラー。


表から刑事ハジ・タムロンがはいってきた。


グドック(その姿をみて)刑事のタムロンだタムロンがきよった。


みんな、ハッとして、タムロンを見た。

だが、タムロンには、いつもの鋭さがない。


タムロン 今日は、アブドル・ウエナン。

アブドル(探るように)タムロン、何の用だ、僕達を捕えにきたのか、だが白人達はもういないぞ。


タムロンは弱々しく眼を伏せる。


アブドル(叫ぶ)去れ、白人どもの犬。

タムロン(きっと肩をいからせるがやがて眼を落して去っていこうとする)

イサ タムロンさん、せっかくきたんぢゃ、お茶でも飲んでいきなさらんか。

タムロン(ふりかえるが、そのまま去った)


やがて、次の間から銃声がきこえた。

タムロンは自殺したのであろうか。

スピナンが走っていきかけるのをアブドルが留めた。

外から声がきこえてきた。

「マタハリの兵隊がきたぞ、マタハリの兵隊がきたぞ」

戸外を行進してゆく軍靴の音と行進ラッパ

みんなは祭壇に

(幕)


花咲く港


三幕六場

昭和十八年三月 帝国劇場上演
(古川緑波一座に新劇人参加)

(人物)
奥田有助(村長 六十才)
平湯良二(助役 四十二才)
おかの(かもめ館の女主人 四十八才)
野羽玉精吾(乗合馬車会社々長 三十七才)
袈裟次(漁夫 五十才)
林田伍一(網元 島で一番の資産家 四十才)
ゆき(二、三年前に島に渡って来た女 四十才)
里枝(白痴 ゆきの子 十六、七才)
せつ代(唐がえりの女 三十才)
野長瀬修造(渡瀬憲造の遺児と称する男 三十五才)
勝又留助(渡瀬憲造の遺児と称する男 三十四才)
その他 島の人、造船大工等

昭和十六年初秋から、十七年春へかけて、九州、天草島の南、甑群こしき島中の上甑島、その一漁村南国の風の吹くところである。


第一幕


遺児来る (昭和十六年初秋)

上甑島の一漁村にある「かもめ館」という旅宿の内部である。

下手に村道に面した入口。村道の向う側には、乗合馬車の休憩所がポツンと建っている。その後景は松林と、芭蕉樹、そしてずっと遠い海。入口から土間へ入って来ると、低い板敷きの間があり、それにつづいて畳敷きの薄暗い店の間がある。

店の間の正面には、街路に横面を見せて、二階へ上る階段がある。

正面の二階には、店の間を見下す廻り廊下が見える。

店の間の上手奥には、奥座敷へ行く廊下があり、中庭がかすかに見える。

入口から、舞台の前面を廻る土間を上手へ行くと、舞台へ行く木格子のくぐり戸がある。

この家の内部のすべてが、洋風と和風をごっちゃにした色彩である。


午すぎ

入口に西陽があたっている。

薄暗いと言ってもそれは、戸外の強い陽射しに比較してではあるが店の間では、村長の奥田有助が、あぐらをかいて、二通の電報を交互に読みくらべている。

戸外では、強い陽射しの中で(客席からは見えないが)村道に停車している乗合馬車に乗り込む二、三の乗客。

その乗合馬車に五、六箱の魚箱を積みつつある「かもめ舘」の若い衆。それを指揮しつつある「かもめ館」の女主人おかの婆さんの、齢四十八歳をすぎるとも見えぬ矍鑠たる姿。


おかの(男のような口調で叱りつける)これこれまっといさぎよう積まんかい。それそのはしからいおが落つる。(覗き見て)よかよか、そいでよかよかとや、桟橋へ行ったら、大新の旦那によう言いまっしょ。追加は四箱ですけん。忘れずに帳付け願いますと言うてな。

若い衆(黙って魚箱を積みつづける。頭だけでかすかにうなずく

おかの(念を押して)よかとや。(ガミガミと)判ったや返事せんな、返事を。

若い衆 はい。

おかの 判ったら、何故なし早ように返事せんな、この極道もんもう一ペン、ちゃっと返事しまっしょ。

若い衆 はい。

おかの よか(と、家の中へ入り、台所へ向って)兼さあ兼さあ


台所の格子戸から、若い衆の兼次が急いで出て来る。


兼次 はい(戸外へ走って行く)

おかの(追いかけ廻すように)何を愚図愚図しとるや、船がついたらどげな人をお迎えするか判っとるな?

兼次 渡瀬憲助というお方探して、お迎えすっとです。

おかの どげにしてお迎えするな。

兼次 ていねいにお迎えして、御案内しますたい。

おかの(口煩さく)もう忘れちよるこの島には、初めておさいじゃす大切ていせつなお客様のけん、そそうのないように御案内申し上ぐっとじゃ、判ったな。判ったら返事ばしまっしょ。

兼次 はい。

おかの よか。(行けと、顎をしゃくる)

兼次 行って来ます。


兼次、馬車の方へ去る。


馭者(声だけ)お内儀さあ馬車出してんよかですな?

おかの よかど馬車は何んでかんでん積み込むだけ積み込うだら、走ればよかとじゃ、走れば


馬車のラッパ。

村道の遠くから叫ぶ声がきこえて来る。

「おおい、待ってくれえ」

村の呉服屋、横川彦八が叫びながら走って来る。


横川 一寸待ってくれえ、一寸(汗を拭きながら)桟橋まで一めい

おかの(切符をちぎって渡しながら)仕入に行かるるとや?

横川 はい鹿児島までな此の船におくれっと、又一週間仕入がおくれるばって、そうなりゃ、此の島中に呉服物が何にも無うなりますたい。

おかの その方が、女共おなめらいっそさっぱりして、よかとじゃろう。

横川 いやあ、そいじゃ、おい共の腹の虫が、さっぱりしすぎて、乾干しになりますたい。(笑う)

おかの もどりはこんの次の桜島丸な?

横川 荒化しけさえなけりゃ桜島丸にしようと思うばって、荒化たら一寸

おかの そうなりゃ、いよいよ以って、此の島あ呉服ごふくひでりじゃ。(男のように笑う)

横川 行って来ます。(馬車の方へ去る)

おかの(馬車へ向って)兼さあお迎えの方、ていねいにお連れもうさんと

兼次(声だけ)判りもした。


馬車のラッパの音。

馬車の走り去る音。

村の助役、平湯良二と、網元、林田伍一が道へ姿を現わす。


林田 婆さん、相変らずじゃなう

おかの(愛嬌よく)あらいよ、網元さあか、おさいたもんし何が相変らずな?

林田(からかって)そげん金儲けばっかいしとっちゃ、このかもめ館な金冷えのして困っつろうが、宿屋したり、いな仲買なかげしたり、乗合馬車の手数料儲けたり、ハッハッハッ

おかの ふん、そげなこつ言う網元こそ、島中の儲け頭のけん、金冷えは網元んこってごあんど。

奥田(店の間から、戸外へ声をかける)この島中での金儲け頭が二人して金儲けの話のなすくい合いか。うん?

林田(店を覗き込んで)おう、村長さんな、お先におさいじゃしたとな。

おかの 先程から、しびれ切らせて、お待ちくたびれじゃ、まあ、助役さあも、網元さあも、お上りやったもんせ。(先に立って、店の中へ入り店の間に上る)

平湯(上り框に腰をかけ、靴を脱ぎながら)とにかく此処は鹿児島県の一番近い港までが二十浬、天草までが二十浬、絶海の離れ島じゃ本土に連絡する港は群島中に唯一つ、船は一週間に唯一回、島のまわりをかこむ黒潮にや、鰹節の原料が、捕っても捕っても捕り切れぬ程、泳いじょるとにかく此の島へ一旦入って来た金はなかなかの事では、外へは出て行きませんたい。

奥田(調子を合わせて)その金を、このかもめ館の婆さんと、この林田網元とが、二人して分け取りしちょるという訳け合いか。

林田(上り込んで、坐りながら)話だけは、なかなかの話ですばい。が、なかなかどうして

奥田 とか何んとか、そりゃ謙譲の美徳とやら言うもんかや。

一同(哄笑する)


おかの、帳場のあたりで何かを探している。


奥田(おかのに向って)電報は此処こけごあんが。(と、おかのに渡す)

林田 で今日、おいたちがつどうたのは?

奥田(おかのの持っているのを指して)その電報じゃそんな事で慌てておかの婆さんは、おいの所まで相談におさいじゃしたで、おいも驚いてなあ早速此処にみなして集うことにしたとじゃが。

林田 ほう?(と、まだ内容の判らぬままおかのの手から電報を受取る)

おかの 後は? 誰方がおさいじゃすと?

奥田 後は乗合馬車会社の野羽玉社長が来るこつになっちょる

林田(受取った電報の電文を読む)「アスノフネデユク、ハジメテノフルサトニムネオドラセツツアリ」ワタセケンゾウイジ、ワタセケンスケ渡瀬憲造というと。(思い出せない)

おかの ほれ(と、記憶を引き出させようとするように)この向うの海岸の、椰子の木浜の

林田 椰子の木浜?(思い出せない)

おかの 椰子の木浜に、砂に埋もれて二十も三十もほれ、慥えかけた木造船の竜骨がずらあっと並んで

林田 う? うんあそこにゃ腐りかかった竜骨が、砂に埋もれかかって、二十も三十も並んじょるが。
(それがどうしたのだと言う気持

平湯(眼をじつとつぶって𧦅うように)その竜骨にあ、苔が生えて、その苔にゃ、赤い花が咲いて

林田(現実的に)そりゃ確かに苔も生えちょるし、赤い花も咲いちょるが、あれはその

奥田(思い出をたどって)あれは、大正八年頃の、猫もしゃくしも、南洋ヘ南洋へと言い申して、南洋へ渡るにゃ船も要ろう、船乗りも要ろうと、うわごとんように言うちょった時の事じゃったなあこん前の欧洲戦争の頃に、マーシャル、カロリン群島がこの日本の委任統治になった頃じゃったなあこん島にも、その熱病が入って来て、村中の人間がいや島中の人間が、うわ言んごつ、船じゃ船じゃと言い申して、島中の有るだけん金ば持ち寄ってあの椰子の木浜に、造船台ば二十も三十もずらあと並べて、木造船ば造りかけちょった。

おかの そこへ、あの大正九年の大暴落ですばい。

奥田 最早もへい船は要らんごつなる。南進熱は、夢んごつ消え失せる島の、金を出した人間は、皆破産してしまう

おかの 船は、あげにして砂浜に竜骨ば並べたまま、立ち腐れになるそれが、彼処の椰子の木浜の、砂に埋もれかかった竜骨ですたい

奥田 船の竜骨も、作りかけのまま二十三年もおいとかれりゃ、苔も生えるじゃろうし、その苔に花も咲きましょうたい。

林田(思い出す)ほほう、そいじゃあの、彼処の、椰子の木浜にずらあと並んだ船の竜骨の

奥田(うなずいて)そうたい、そうたい、二十三年前に、まっ先に立って、島の村々へ主唱して歩いて議をまとめ、船ば慥えかけた

林田 あの時のあの渡瀬憲造氏か

おかの(嬉しげにうなずく)そいじゃ、そいじゃ

林田 この電報は、その渡瀬憲造氏のわすれがたみから来たと?

おかの そげんごあんど。(うなずく)

林田 ほほう、それは珍らしかあおいは、そん頃は二十歳位の年頃じゃったが、俺も南洋へ行き申そう言うて毎日あの椰子の木浜を歩き廻ったもんじゃった。ずらあっと並んだ造船台の上に、竜骨が雁首をそろえて、段々船らしうなってゆくとを楽しみになあそうか、あん時の渡瀬憲造氏のわすれがたみが、おいでなさったとな、海を渡って此ん島へなあ

おかの(浮々として)それ此処に、ワタセケンゾウイジ、ワタセケンスケと書いてごあんが。

林田(うなずいて)それでもう一通の電報は何な?

おかの やっぱいワタセケンスケさんからの電報でごわす。一通だけでは足りもさんと、思われたであんしょう同じような電報を、もう一通送り込うでおいじゃしたど。(と、渡す

林田(電報を黙読する)


戸外へ物売りの女が出る。


青物屋 唐芋は要りもはんか。

おかの 要り申さん

青物屋 安うしもんで。

おかの 要り申さん


青物屋去る。


林田(電文を、今度は、声を立てて読む)「アスノフネデツク、ヨキヘヤタノム、コチラ、ワタセケンゾウイジ、ワタセケンスケ」(初め読んだ電報の電文を、読みくらべる)「アスノフネデユク、ハジメテノフルサトニムネオドラセツツアリ、ワタセケンゾウイジ、ワタセケンスケ」同じような電文でごわすのう、ないごてま同じような文句を二通も打っておいじゃしたど?

おかの(何もかも善意に解釈する言い方で)其処がそれやっぱり嬉しまぎれで、一通ではもしも届かんような事があってはと思われたでごあんど。

奥田(好人物らしく)おいもそげん思う。初め、此処で二通の電報を読み比べた時ゃ、何んとまた粗忽者じゃろうかいと思い申したが、何んちゅうてん、亡き父が二十年前に、奮闘遂に破れたりの地じゃからなあ遺児にとっちゃ、胸も躍るじゃろう。電報も一通じゃあ足らんと思わるるとじゃろう

平湯(良識人らしい態度で)併しこりゃ私の解釈では、二通来るのが当然じゃと解釈いたしますがなあ。

林田(冷静に)ないごてな?

平湯(研究を発表する学者のような態度で)後から打ったのが、この「ヨキヘヤタノム」という文句のある方で、他のもう一通の初めに打った電文には、部屋を頼むの一句が抜けちょった。それを気づいて直ちにもう一通打った。私はこう解釈したいと思いますが如何でごあんど? そしてしかも、後の電文に於いては「ワタセケンゾウイジケンスケ」は無くもがなの文句であるが、もし前文に於いて、その意味が徹底しておらんではいかん。其処でも一度「ワタセケンゾウイジ、ワタセケンスケ」こう来たのである。私はこう解釈したいと思いますが、如何でごわす。

林田(少し疑いながら)成程ないほどなあ

平湯 それにつけても、私の推察に依ればでごわす「ヨキヘヤタノム」この一句は、渡瀬憲造氏の遺児憲助氏は、すでにはや、父の名を恥かしめず成功者の一人となっておることを説明するものであるこの解釈はどうでごわす。

林田 とすると、渡瀬憲造氏の遺児憲助氏は、幾歳位の御方でごあんしょ?

奥田(はじめて気づいて)幾歳?さあて(記憶をたどって)そう言やあ、あん頃、渡瀬氏にはお子さんのあったとじゃろうか?

林田 おいはその頃は、さっきも言うたごつあるが二十歳位じゃったから、渡瀬氏とも、えらいお方じゃと言うばかいで何んのおつき合いもしては頂けんじゃったが、併し、その頃は確か

おかの(何故か、きっぱりと)渡瀬先生な独身ひとりみでごわした。

林田 確か御独身でごわしたとおいも覚えちょります。そうすると、此の憲助氏と言うなあ

奥田(暢気に)まだ若いお方んごつあるが、あの時、生れておいでだとしても二十三か、そういう訳じゃなあ。

林田(疑い深く)とすると、此の島の人間な、誰も渡瀬憲造氏の遺児、憲助氏をば存知上げ申さんと言うことになる訳たい。

平湯(はじめて気づいて)そうかそうすっと、今日来らるる方は、成功者となっちょられるとは言えんわけですさな。

林田(皮肉に)平湯君なまた、村の学校へ寄附でもしてもらうつもりでいたんじゃなかや?

平湯(てれて)いやあ、そうではなかとですよ、アハッハッハッ


戸外から野羽玉精吾が、結襟服に下駄履姿で自転車に乗って来る。野羽玉は、自転車を戸外へおいて入って来る。


野羽玉 御在宅おじゃすか。

おかの おさいじゃなしさあ、お上りやってたもんせ、皆様、御揃いであんす。

野羽玉(汗を拭きながら)役場の小使さあが、急いでかもめ館へ来いと言うておさいじゃしたども、会社の方が忙がしうして、なかなか手が離れんじゃったからやあ今日は。(と、上り込む)

平湯(席をゆずりながら)甑島乗合馬車株式会社の社長どんな、切符を売ったり、馬にまぐさやったりなかなか多忙じゃからなあ。(心易く笑う)

野羽玉 一人二役三役じゃから、社長も、なかなかどうして(明るく笑う)そいで急用の相談と言うのは何事な?

奥田 渡瀬憲造さんば、おはん覚えちょるな。

野羽玉 うむ?覚えちょるも覚えちょらんも、おいは渡瀬先生の給仕のようにして働いちょったんじゃ、忘れてええもんかおいは今でも、あの椰子の木浜のずらあと並んだ朽ち枯れた船の竜骨ば見ると、胸が痛うなりますばい。

奥田 そうじゃったなあ野羽玉君は、何ちゅうてん、渡瀬氏とは縁故の深か人じゃった。

野羽玉 (何かの期待)

おかの(乗り出して)野羽玉さあその渡瀬さあの、わすれがたみの憲助坊ちゃまが、此の島へ今日の船でやって来らるっとじゃ

野羽玉 えッ渡瀬先生のわすれがたみわすれがたみと言うと、お子さんの事じゃろうが

奥田(嬉しそうに)そいじゃ

野羽玉 はあてな渡瀬先生にゃ、あの当時、奥さんもお子さんもなかったと、おいは思うちょるが


おかの、この間に茶棚から、菓子鉢を出して来る。女中お春が盆に載せた番茶を運んで来る。


おかの ところが、それがじゃ、お子さんがおさいじゃすのじゃけえハッハッハッまあ、酒は晩の事として、何もなかですから、黒砂糖なとしゃぶって、番茶でも啜って、おかたいやったもせ。

林田(野羽玉の言葉をついで)いや、それですたいあの頃渡瀬先生は独身でいなさったとじゃから、お子様があったとすれば、その後渡瀬先生が、あの造船所を失敗なさって、こん島から本土の何処ぞへ向けて出てお行きやった後その後のお子さんばい、それ故、こん島ん人は、誰も、渡瀬憲造先生の遺児憲助氏の御顔は存知上げんのですたい。おいはさっきからそれを言うちょるですたい。

野羽玉(が、林田の意に反して)なある程、こりゃ愉快じゃ。では、今日の相談ちゅうなあ、その渡瀬先生の我々の未だ見ぬ坊ちゃまをお迎えする為の相談でごあすとね。

奥田 このかもめ館へ、偶然にも電報が来たのが、事の始まりですばいどうもさっきから見ちょる所、林田網元は腑に落ちんような顔ばしとんなはるが

野羽玉(意にかけず)成程、こりゃ愉快でごわす。渡瀬先生な、こん島のお方であるとは言え、此の島に御住居なさったはほんの僅かの間であった。確かそうでごあんど?

奥田 そいじゃ

野羽玉 幼少時からスマトラ、ボルネオに行っておられ、スマトラで、お父様を亡くして、渡瀬先生がこん島へお帰りになったため(思い出して)大正六年、欧洲戦争のまっ最中、それから三四年の間に、こん島中に、あの大きな造船所騒ぎば起こしてそして事破れるや、又慧星の如くに何処かへ去ってしまわれた(陶酔している)何んちゅうてん、渡瀬先生な一種の英雄でごあんが。

奥田(引きずられて)昔から、こん島にゃスマトラ、ジャワあたりへ出稼ぎする者が多かったが、あれ程、大仕掛けな事を考える人は、未だかつて無かっつろうなあ。

おかの あの大暴落の後で、造船所の為に島で破産つまづいた者あ多かったが、誰一人として、渡瀬先生の事ば怒る人はなかとでしたもんなあ。

奥田 そう言やあ、林田君の親爺さんな、あの船ん為に相当に財産ばなかごとなったでごあんど。

林田 う? うんいやあ、ありゃ元々、家の親爺も損得づくではなかったことですしかし、あの時何んでん一番大きな損ばこいたなあ、渡瀬先生自身じゃったそうじゃけんなあ

奥田 そいじゃ、渡瀬さんな南洋から持っておさいじゃした財産も何んもかんも、昔、島の破産ばした人に分け与えて、何処かへ消えられたとじゃからなあ、ほんとの、腹の太か者で無かとならば、あげんこつは出来んとじゃ。

野羽玉 そいじゃ、そいじゃ、こりゃ愉快じゃそいで?おかの婆さん、坊ちゃまお迎いする用意なすっかり出来たとや?

おかの そりゃ無論のこつばい。そん為、態々わざわざ、こんかもめ館へ、電報ば送り込うで来られたとですもん。部屋から何からちゃーんと支度は出来申したその上でじゃ、その上で、どげにして歓迎ば申上ぐるか、その相談ばしとるとではなかとですか、ハッハッハッ、野羽玉さあなほんにも(と、野羽玉の肩をポンと叩く)

野羽玉 そいじゃあ、もういつきじゃ、もう桟橋へ着かれとる頃じゃなかとや、誰かお迎えに行ったとや?

おかの 若か者が、お迎えに行っとりますが、お前様の会社の三番馬車で、おいでんなさるとですよ。

野羽玉(慌てて)そりゃ急がにゃ、そこでそのう、その歓迎の方法じゃが、どげにするな?

奥田 それじゃてそれが問題じゃて、のう林田ん網元、どげんするな?

林田(他の連中にひかれて、やや乗気になるが、しかし冷静らしく)いや、そうと決まれば、その方法も、それ相応に考えにゃならんがなあ、おかのさん(おかのに)このかもめ館などげんして歓迎申上ぐるな?
おい共にばっかい歓迎させて、かもめ館な宿料は儲けようちゅんこんたんじゃなかとじゃろうな。

おかの(林田の顔を見る)

林田 おかの婆さんな女傑じゃからなあ、ハッハッハッ

奥田 いやいや、林田君そりゃちがう。そりゃおいが知っちょる今度に限りおかの婆さんな一生に唯一度の奉仕をやらるるとじゃろう

林田 ほうそりゃまたどげんしてな?

奥田 ハッハッハッ、この話ばっかいやあ、林田君も、野羽玉君も、平湯も知らんじゃろうがあの頃、渡瀬さあと、大人同士の交際ばしちょった、此のおいひとり知っちょるこのおかのさあの秘密があっとじゃ、秘密がな。(クスッと笑う)

おかの(ムキになって)村長さあ何言わるるとな。

野羽玉 ほう、そりゃ何んな。(立ちかけたのが、よって来る)

おかの(劇しく)聞く事あなりまっせんばい。

林田 まあまあ、ええじゃないか、その秘密ば聞かせなはい、ハッハッハッ。

奥田(おかのに)もう今更になって隠すこともなかとじゃろうが

おかの(気がくじけて)そげに言うても、そればっかやあ。(笑う)

野羽玉 おや、おかの婆さんが女のような声で笑うたぞ。

奥田(得意になって)ハッハッハッ。

平湯(おかのに)ほう、そういうエピソードがあっとですか。

奥田 そいじゃ、そいじゃこのおかのさあはなあん時敗亡してこん島から去られた渡瀬さんに惚れとってなあ、渡瀬氏が失意のはてに再度渡航された後を慕うて、ペナンまで追うて行ったとじゃ。

野羽玉 おう、そう言やあ、あの時、おかのさあは一時この島から姿を隠されたなあ。

林田(乗り出して)そいで?ペナンで渡瀬先生ば射とめたと?

奥田 さあ、そえが聞きたけれゃ、直接聞くべしじゃ、ハッハッハッ(煙管に火をつける)ハッハッハッ。(と、大きく笑う)

平湯 おかのさあ、そいでどげんされたとや?

野羽玉 先生ば、射とめなはったとや?

おかの (黙ってうらめし気に奥田を見つめている。やがて)渡瀬先生ば自分のもんにしとりゃ、今もってあたやペナンかシンガポールあたりで或いは、先生が日本へ帰っておらるっとならば、日本の何処かで、先生のお墓ば守って幸福に暮らしておりますばい。

平湯(同情しないで)ほう、そいじゃあ、おかのさあ失恋の巻か。

おかの 先生なあたやをば見向きもなさらんとのけん、私ゃ、ペナンで稼いで稼いで稼ぎまくって、貯めた金ば持って、こん島へ帰って来たとですよ。(てれたように笑う)

野羽玉 そいでか成程、そいで金色夜叉のお宮ならぬおかの婆が出来上っとじゃな。

平湯 成程ないほどなあ。(面白さうに笑う)

林田 成程(ふと自分の考えにもどって)そうすっと、今日、来らるる渡瀬先生のわすれがたみは、おかのさあを負かした勝利者と、亡き先生とのお子様でごわすな。

野羽玉 つまり、おかの婆さんの恋敵のお子さんばい。

おかの(寂しくうなずく)

野羽玉(笑う)おい平湯君、おかのさんが悄気とる。


一同笑う。


おかの(しかし、真面目に、しかも情熱的に)そいじゃっどん私や、今でも、先生の事あ好いとるもんねと、言うて、実の所はもう色気も何んもない年のけんねその、先生の坊ちゃまば心から歓迎ば申し上ぐつもりですよ。

平湯 成程

野羽玉 成程なあ過ぎさりし昔は夢なりき、よか夢も悪か夢も、時に罪はなかりけりちゅう歌もあっとのけ、まあ、しいかり歓迎ば頼むぞ、婆さん。

おかの よか、まあお泊りの事はあたゃにまかせなはい。(明るく胸をたたく)


一同笑う。

林田の家の若い衆が自転車で外へ出る。


林田の若い衆(戸外から)だんしゃま。

林田(戸外へ向ってどなる)おう荷は全部積み出したな?

林田の若い衆 全部積み込うで、判も貰うて来たとです。船やもう出たとです。

林田 よし、漁師共にふるませ酒ば出しちゃれ言うて、家内に言うとけ。

林田の若い衆 はい

おかの 家の荷も積み込うだじゃろうか。

林田の若い衆 かもめ館の荷も、全部積み込うだ模様でございました。

野羽玉 うちの会社の馬車はどげんした?まだ桟橋におったか?

林田の若い衆 はい、今日はお客様と荷物が多かそうで、馬車ば増発するとかせんとか揉めちょりましたが

野羽玉 なんち馬車は増発すっと?そいでどうした。

林田の若い衆 そいで結局増発することになり申した。

野羽玉 増発したとなこりゃ儲かったなあハッハッハッ。

おかの そいで?馬車はもう出たとや?

林田の若い衆 はい、さきの馬車はさっき方桟橋を出たとです。其処ん村道で追い越し申したが、もう間もなく此処へ着く頃でごあんそ。

奥田 何、もう着く頃な?

林田の若い衆 はい

奥田(皆に)さあ歓迎の方法じゃ、どげんするな。

おかの 何んちゅうてん、渡瀬様の坊っちゃまごあんでなあ

林田 そいじゃ、そいじゃ

林田の若い衆(誰にともなく)御免なさいっせ。(と、去る)

林田 とにもかくにも、一応の歓迎はせにゃならんばいねえ

奥田(そわそわと)そげん、お前ごたる天邪鬼を言わんで、兎に角考えんか、馬車は、もう其処へ来とっとけん

野羽玉 つまり、その馬車に渡瀬先生のわすれがたみが乗っておらるるつまりこういう訳け合いじゃ愉快じゃ、愉快ですばい(そこらを歩きまわる)

おかの(そわそわと)何ちゅうてん、渡瀬さあの坊っちゃまごあんでなあ

野羽玉(外へ聞き耳を立てて)ほい、あの音は何んじゃ。


一同、戸外へ聞き立てる。

馬車のわだちの音とラッパの音が遠くから走って来る。


奥田 これ、歓迎の方法はどげんするな?

平湯 折角、早ようからつどうて相談会ばしたといなあ

野羽玉 おい、馬車が早よう議をばまとめまっしょ。

奥田 早ようせえ、早ようせえ(焦せって)皆、愚図々々しよって、はかどらん奴等ばっかいじゃ

林田 そんで俺はさき程から何度も言うちょるではなかとや、大体いくつ位のお人じゃろうかと相手の年齢に依って、歓迎の方法は種々とあっとのけん

平湯(食ってかかる)それを今言うても、仕様がなかとでしょう。誰も見た人がなかとですから大体、林田ん網元が、異議を申し立てなはっとのけん、こげん相談がおそうなりましたばい。

林田(鼻白んで)おはんな、俺が相談会ばおくらせたと言いなはっとな?

野羽玉(遮切って)そんではじゃなあ、さっきも皆して言うたように、少なくとも、渡瀬先生が此処ば去られてからのお子様、すなわち大正九年以後のお子様でごあんど、じゃとすれば、多くて二十三歳、んけかお人ならば十七八歳、おいはそう思うちょりますそれ以下では、電報ば打つ才覚はなかとですもんなあ。

奥田 そいじゃ、そいじゃそんでは大体の目標ば其処に於いて方法を決めたらどうじゃ。

野羽玉 そんではですなあ、二十一歳以上ならば今晩は、これだけの顔ぶれを以って、先ず歓迎の酒宴さかもいば開く。

平湯 そいで?早よせにゃ、馬車が段々傍へ来ちょる。

野羽玉 ええかそれが歓迎法の第一種じゃそれから二十歳以下ならばじゃ、酒はようなかとですから、名物の唐芋ようかんば、沢山出して食べてもろうて、明日は朝は早ようから馬車に乗せて、此の島の海岸ば見物に案内する。これが歓迎方法の第二種ですたい、とりあえずこんな事でどげんですな。

奥田(あわただしく)そいでよか、そいでよか。


戸外に馬車着く。馬のいななき。


おかの おさいじゃしたど


一同、緊張する。


若い衆の兼次出て、ボストンバッグを 二個板敷きの上り框に置く。


兼次 お客様、お着きでごあす。


一同、ハッとして立ち上る。

渡瀬憲助と称する男、野長瀬修造=三十五歳、モーニングを着て、髯を生やしている=戸外からツカツカと入って来る。

静かな間。


修造(一同の顔を、下からジッと見つめ、やがて、静かに帽子をとる)

おかの(はじかれたように)アライヨ。おさいじゃし渡瀬憲助様でごあんど

修造(東北訛がある)そうです。私が渡瀬憲助渡瀬憲造の遺児、渡瀬憲助です。


一同、ソッと顔を見合わせる。


修造 小母様が、おかのさんでいらっしゃいますか。

おかの(引きずられるように)はい私やがおかのでごわす

修造(さも懐かしげに)そうですかそうでしたか今は亡き父に、かねがね噂を聞いておりました。あの、あなたがおかのさんですか、そうでしたか懐かしいです。全く懐かしくて、胸がつまっつまうですなあ。

おかの(急き立てられるように)さあ、お上りやってたもんせさあ、お上りやってたもんせお疲れなさったろうさあ、お上りやってたもんせ、これ兼さあ、お靴の紐を。

修造(詠嘆調で)有難う。小母さん。(と、上り框に腰を下ろす)


兼次修造の靴を脱がせる。

修造、店の間へ上る。

兼次、修造のボストンバッグを提げて、奥の間へ去る。
(此の間に馬車の音も戸外から遠くへ去ってゆく)

村長や網元その他の人達は、きょとんとしてこのやりとりを見ている。


修造(かしこまって坐る。一語々々区切って)初めてお目にかかります。私が渡瀬憲造の遺児、渡瀬憲助でございます。この度、父の思い出の地を一目見たいと、遙々東京から汽車に揺られてやって参りました。私は、父がかねがねお噂しておりました、かもめ館の御主人、おかのさんにお目にかかれ、非常に嬉しく思います。父の思い出の地に暫らく遊ぶその間の御世話を何分よろしく御願い申し上げます。

おかの(涙ぐんでいる)坊ちゃまよようまあ仰有って下はりました私やまあ、渡瀬先生にゃあ、何んともかんとも申されん程御世話ばかけちょりますけえなあその先生の坊ちゃまがこうして、私の目の前に、おさいじゃしたたあ、私やもう嬉しうて嬉しうて(鼻をすする)それにまあ、坊ちゃまは、まあだ小んけなお方と思うちょりましたら、こげに立派な体格ばして、それに、まあ、口髯まで生やあちからに私ゃほんにもまあ(泣きくずれる)

奥田 おかのさあおい共達ば御紹介して下さらにゃ、お語い申す事も出来んけえ失礼ごあんど。

おかの(涙を拭いて)ほんにまあ、あたやとしたことが、ホホホホ御紹介ば申し上げまっしょ。こちらが、村長の奥田有助様でごわす。

修造(大げさに)おうこりゃ村長さんですか、父から村長さんの温い御友情に、感激した話を幾度聞かされた事でございましょう私は、この島についたら、村長さんにお目にかかって、父のその感激をどう言ってお伝えしよう、父にたまわった村長さんの御友情を子として、どう言って御礼申し上げようと、そればっかり考えながら参りました。

奥田(感激する)とっけもねえ!俺が、そげな事言わるるため、夢にも思うたことはごあんどおいは唯、二十三年前の、渡瀬憲造氏の勇ましか、腹ん太か姿ば思い浮ぶるのみで、唯もう、涙がせき上ぐっばかしでごわす。

修造(さも、感激したるが如く)父は、いいお方をお友達に持っていましたなあ、ようこそ、つき合ってやって下さいました。

奥田(手をふって)とっけもねえ。とっけもねえ(鼻を啜る)

林田(儀礼的に)坊ちゃま私は、この島の漁業の方をその大体の元締を、ここんおかのさあと手分けしてやっちょります、林田伍一という者でごわす。二十歳位の時でごわしたけえ、お父様の、何んのお手助けも出来ませんごつごわしたが、渡瀬先生の御偉風な、蔭ながら、御慕い申しちょりました。

修造 そうですか父を御存知ですか(感激を誇張する)全く嬉しくなっつまうなあ、私はねえ、父を御存知の方に御目にかかると、もう胸がいっぱいになって、涙が出て来つまうんですよ。私が此処におる間に父の話をおきかせ下さい。父が此処で、あなた方にどんなにお世話になったか、そして、どんなにして働いたか、私は聞きたいんです。(昻奮して)それをね

林田(しかし、冷静に)そん内、ゆっくり語らせて貰いますたい。坊ちゃま、御紹介申し上げまっしょ。こりゃ、野羽玉精吾ちゅうて、こん島の乗合馬車株式会社の社長でごわす。

野羽玉 さき程、桟橋から乗っておさいじゃした乗合馬車会社の社長、野羽玉精吾でごわす

修造(作戦をかえて)ほう、野羽玉さん?

野羽玉 はい、先生にゃあ、叱られたい、可愛がって貰うたいどのようにお世話ばおかけもしたか判りまっせんばい

修造 野羽玉さんですね

野羽玉 はいそうですたい。

修造 おう、そうだった父にお名前聞いておりますよ。

野羽玉 えッおいの名前ば先生はお話しやったと?

修造 そうです、聞いておりますよ野羽玉精吾さん、ああ、あんたでしたか。

野羽玉(膝を叩いて喜ぶ)先生は偉いお方じゃったなあ。(嘆声を上げる)そいで先生な、おいの事ばどげに言うちょられましたとや?

修造 そうです。こう言っておりました。(思い出すように眼をつむって)随分、叱りましたが、可愛い奴だった

野羽玉 えッ、ほんのこつですか。(嘆声)あーあもう、おいは死んでんよかとじゃ、チェストッ。

平湯(進み出て)平湯ですこん村の助役の平湯良二です。先生がおらるる時は、小学校の訓導ばしちょりました。

修造 ああ、あの平湯さんですか。

平湯 えッ先生な、私の事まで御記憶に留めておられたとですか。

修造 ええ、しっかりした先生だああいう学校の生徒は幸せだとね

平湯 チェストおいは、今でも学校の教師ばしちょるべきじゃったかも知れんなあ。

野羽玉(平湯の肩を叩いて)いやいや現在はまたよか助役じゃ。気んするこつはなか。

おかの(修造を団扇で煽いでやりながら)でもまあ、好うくさ、好うくさ訪ねておさいじゃしたなあ


お春、お茶を持って出る。


おかの さあまあ、お茶でん一ぺい(と、それぞれに茶を配る)今晩は、不出来じゃっどん、こん島の、鳥料理でん、召し上ってたもんせ。

林田 お茶もお茶じゃが、坊ちゃまな、汽車に揺られ、船に揺られで、ひんだるうなっておらるっとじゃろう。先ず一風呂、風呂ば浴びていただいて、それからの話にしたがええでしょう。

修造 いやいや、私は風呂よりも何よりも、皆様の御顔を少しでも長く、こうして見ていたいのです。全くの所、今は亡い父が、生前にしばしば噂にのせていた好もしき人々、その人々にこうして初めてお目にかかる。それがこんな嬉しいものだとは、私は今の今まで気がつきませんでしたよ。

奥田 そいで?憲助さあは、ずっと東京からおさいじゃしたとな?

修造 そうです、東京から来ました。はい。

奥田 そいじゃあ、渡瀬さんな、東京で、お亡くなりんなったとですな。

修造 あ、父ですか、そうです。父は東京で昭和三年私が、二十一の時に亡くなりました。此の島を、最後まで気にしながら亡くなりました。

奥田 此の島の事をや

修造(うなずく)

奥田 えらかもんじゃ、最後まで故郷の事をばなあ、えらか人じゃ

修造 その時、父が私に言い遺した言葉があります。此の島の事に就いての言葉であります。

奥田 そりゃどげな御言葉でごわすと

修造 それは(眼をつぶつて、亡き父をしのぶが如くと言った風に)それはですねえ。


一同、かたずをのむ。


修造 いやいや、それは唯今、此処で申し上げてはならないことなのです。

奥田 そいじゃ(と、乗り出して)誰か、例えばおい一人に語れちゅうような遺言でも

修造 いえ、皆様に申し上げる言葉なのです。

奥田 ほう皆様に!

修造 はい、そうでした。私がうっかりしておりました。それは皆様もそのお気持である、父と同じようなお気持を持っておられると、言うことが判った時に初めて、皆様と共に、その事業を遂行せよ父は、こう申しておりました。

野羽玉 そいは、どんげんお言葉じゃろなあ。

奥田 いやいや聞いてはならん判いもした。そうでごわしょう。そげんなこつでもなかとならば、あの渡瀬さんの坊ちゃまが、此ん島へ遙々おいでるちゅうことの意義もなかとですそいじゃ貴方が、その機会である、それをお語いやったもす機会である、そう思われた時ゃ、その機をはずさずおい共にその言葉ば、お語いやって下さい。遠慮のうお語いやって下さい。

修造 判って下さいますか失礼をお許し下さい。

奥田 とっけもねえ、さあ、そいじゃ林田君も言うちょったが、暫し、身体ばお休め下さい然る後、今晩は、このかもめ館の主の手製の島料理しまじゆいでんかこんでゆっくり語いもそう。

修造 はあ、有難うございます。

おかの そのう渡瀬先生がお語いやった言葉たあ、どげんこつでごあんどなあ。あのおえらい方のお語いやったお言葉じゃから、どんげにええお言葉でごあんどなあ。

林田(早く切り上げようとして)さあ、そりゃ、坊ちゃまの御心一つにあるこつじゃ、早ように御部屋に御案内ばしもして、休息ばして頂かにやあ、坊ちゃま御案内ば申しまっしょう。

修造 有難うございます。(立上る)


修造は、林田の顔を見つめるやがて突然、林田の手をとる。


修造 林田さんと仰有いますね私は何んだか、あなたには父の考えと同じ物が流れているような気がしますよ。

林田(突然なので驚く、併し、いくらか嬉しそうに)いやあそんげな併し、おいなどは、唯、何んにも判らん綱元ですけえなあ。

おかの(立上って)さあ坊ちゃま、お部屋は、其の一番静かな所へ用意ばしましたばいさあ、おいでやったもんせ。


おかのは、先に立って、奥へ入る。修造は、林田を見て微笑み、そして、一同に会釈して入る。

一同、立ち上って修造を見送る。


野羽玉 えらもんじゃ。なかなかのえらもんじゃ。

平湯 流石は、渡瀬先生のわすれがたみでごわす。

林田(坐りながら)併し思うたより年をとっておらるっとばいなあ。

奥田 とするとじゃなあ、渡瀬氏が、此ん島へおさいじゃした時にゃ、すでに、嫁さんもあの坊ちゃまも、本土の何処ぞに、おい共の知らん所に住んでおいでた訳じゃ。

林田 そう言う事にもなり申す。

奥田(変に感心して)こえばかいは、おいにも、眼が届かんじゃったな。

野羽玉 歓迎方法第二種で決定して唐芋ようかんば用意しちょったら大まごつきにまごつく所じゃったで。

平湯 そいじゃ、そいじゃ。

野羽玉 こやあ、歓迎方法番外にせにゃいけまっせんばい。


一同笑う。

戸外へ、乗合自動車が着く。

馭者がスーツケースを提げて出る。


馭者(家の中へ向って叫ぶ)御客さあでごあんど。

野羽玉(駅者に)増発は満員な

馭者 満員でごわす。

兼次(奥から出て)増発にゃ、うちんお客様はなかとでしょう。

馭者 お客様ん荷物ですばい。(と、板の間におく)

兼次 お客様な?(外へ走って出る)

馭者(店の間の一同に)渡瀬様の坊ちゃまがおさいじゃしたとですばい。

野羽玉 うむ?渡瀬憲助様がおさいじゃとが桟橋でんそげん評判になっちょるとや

馭者(変な顔をして)え?憲助様は俺の馬車でおさいじゃしたんでごわす。

野羽玉 何?お前や何ば言うとるな(腑に落ちない)


兼次が小さいボストンバッグを持ち、渡瀬憲助と称する男、勝又留吉を案内して出る。


留吉(兼次に向って怒鳴り散らして)あれ程くわしく、直ぐに判るように電報を打ったのに、どうして出迎えて呉れないのです実際不親切だね、君の家は

兼次 いえお迎えにゃ出たとですが、そのう渡瀬憲助様な

留吉 増発の馬車が無かったら、僕は桟橋から此処まで、荷物を提げて歩いて来なくちゃならなかったのだよ

兼次 いえ、それが。

留吉 あれ程はっきり「アスノフネデツク、ヨキヘヤタノム、コチラ、ワタセケンゾウイジ、ワタセケンスケ」と、電報を打っといたじゃないか。

林田 どげんしたな?

留吉 僕は、渡瀬憲造という此の村に前いた人の息子で、憲助という者です。宿の人はおらんのですか。

林田 渡瀬憲助

留吉 そうです、渡瀬憲助です。渡瀬憲造のわすれがたみ憲助です。


一同、ぽかんとする。


奥田(突然奥へ向って叫ぶ)おかのさあ、おかのさあ。


おかの、奥から出て来る。


おかの 何事ないごとな?せからしかねえ。

奥田 渡瀬氏の坊ちゃまが、又一人おさいじゃしたどん、こりゃどんげん訳じゃろうなあ

おかの(笑って)まあたまた、婆さまをからかおう言うからに。

奥田 いいやあ。(指さして)其処におさいじゃしたがな?

おかの(見る)

林田(立上って留吉に)ああたは、確かに渡瀬憲助様な?

留吉 確かにとは何んです、確かにとは僕は、渡瀬憲造の遺児、渡瀬


奥から、修造が手拭を提げて出る。留吉の顔を見て、あっと驚く。


留吉(修造の姿を見る)やッ、あんたは

修造(間髪を入れずツカツカと留吉の所へ歩みよって)ようお前は、弟じゃないかハッハッハッ、お前も来たのか(留吉の肩を叩く)

留吉 いや、俺は

修造(留吉に物を言わせず)お前も来るなら来ると何故私に言わんのだ。

留吉 いや大体

修造 そう言ってくれれば、一緒に来るのであったのに、黙って来つまったとは驚いたものであったねえ皆さん、御紹介申し上げます。これは私の弟であります。私が、渡瀬憲助、これが渡瀬憲二、私の弟であります。いや、併しよく来たねえ

おかの(感じ入って)成程、そいで、電報が二通も来たんでごあんすのう。

留吉 だから僕は態々

修造 これも電報を打ちましたか、そうすると、お前は兄さんの代理をするつもりか何んかで、私の名前を使ったんだろう。

留吉 それは

修造(厳格らしく)駄目だよ、そんな事をしちゃ私達は東京で、此の島へ来る為の相談をしていたねえ。その内に私は用事が出来ちまって、他処へ旅行しちまったねえ。その内に、二人でこの島へ来るという約束の期日がすぎちまったねえ。その日になっても私は東京へ帰って来ない、実は私はそれから東京へ帰ったのでは遅くなるから、そのまま、その行先から一人で来ちまったんだが、それをお前は知らないから其処でお前は、じりじりと焦った揚句、一人で決心して、兄さんの代理で、此の島へ来ちまったんだろうそれならそれでいいから、遠慮しないで、自分の名前で堂々と来ればいいじゃないかね、駄目ですよ、兄さんの名前で来たりしちゃ人騒せをして、皆に謝まりなさい。

留吉(全然くわれてしまって)どうも皆さん(不承々々に頭を下げる)

林田(疑わしく)併し、船は同じ船でしたじゃろうが。

修造 所が、此奴は生れつき吝嗇でしてねえ、私は一等船客ですが、此奴は恐らく、三等なんですよ(磊落に)いやあ、どうも驚いつまったですなあ。まさか弟の奴がひょっこり来るとは思いませんでしたからな。皆さんも、お驚きになったでしょう。

野羽玉 おいは又偽者が現われたのかと思うて

修造 偽者ですか、アッハッハッハッ、おい、偽者だと思われたんだぞ(留吉の背中をどやしつける)アッハッハッハッ。(と、腹をかかえて笑う)


一同緊張して見ていたが、ホッとする。


修造 偽者ですか、こりゃ可笑しい全く可笑しい。アッハッハッハッ


一同、共に笑う。


(溶暗)


第二幕


第一場 椰子の木浜
(前幕の半月後)

奥へ行くにしたがって、小高く盛り上 った砂浜。

正面に松林と、その間々に群生する椰子樹。砂浜は下手へ行って奥へ弯曲し、海の一部分が見える。

砂浜の中央やや下手よりに、朽ちたる舟の竜骨及び骨格の一部分が、砂の中から屹立する。その竜骨には苔が蒼く密生し、小さく紅い草花咲く

他にも相当の間隔をおいて朽ちたる舟の残骸は連立する。

砂浜の上手、人一人が坐り得られる程の高さの岩頂の苔に紅い花が咲いている。

樹々の梢の上で、空は晴れ雲は白い。

浪は時に大きな音を立てる。風が吹く

岩の中ほどのくぼみに、ゆきの子、里枝が腰かけている。(十六、七歳であるが、幼い頃、頭を患つて知能程度は七、八歳である)砂浜に、半盲目の漁夫袈裟次が坐って縄釣りの糸を修理している。少しはなれて朽ちた竜骨にもたれて、唐がえりの女せつ代が、煙草を喫っている。


袈裟次(黒眼鏡をかしげて、縄釣り絲をたぐりながら)そいで?

せつ代 店も何んもかも畳んでしもうたと何ちゅうてん、日本人会からのお達しじゃけえなあ。日本人会な、とりあえず不必要な人間は、日本へ送りかえす、そうしてその後の形勢ば見ちょる。こう言うて決議ばしたそうですけえ。

袈裟次(黙って修理をつづける

せつ代(煙草を喫っている)


波の音だけ。


せつ代 帰って来る時ゃせめて万と積った金ば握っちょるつもりじゃったが(溜息ついて)駄目々々

袈裟次 せつ代どんが、バタビアから唐がえりばするちゅうて聞いたけえ。さだめし、よか身装ばして帰って、来つろうと思うちょったがあ

せつ代 見らるる通りの姿ばい私も、帰って来る時ゃ、せめてかもめ館のおかの婆さんほどの家ば建ててからに、学校へも寄附ばしてからに、天晴れ唐がえりじゃと、村ん人にも言わりょうと思うちょったが、日本人会の決議には敵いまっせんもんなあ。(すれっからした笑い)

袈裟次 せつ代どんな、無理やり引揚げさせられたとが、余程口惜しかとね。(可笑しそうにかさかさの声で笑う)

せつ代 折角の金儲けば捨てて、一文なしの唐がえりたい、口惜しうてなりもさんほんのこつ戦争ばすっつもりじゃろうかねえ。

袈裟次 どんげにすっつもりじゃろかねえ。


波の音だけ。


里枝(突然、手にもった木片の舟を空に滑らせて)シュシュシュ、ボチャーン。(虚ろな眼で、その木片の舟を見ている)

せつ代(驚いて、その顔を見つめる)

袈裟次 里坊、また船が進水したと?

里枝(袈裟次をふりかえってにーッと笑う)

袈裟次 それで、里坊の舟あ、何隻進水したと?

里枝(悲し気に)船バッカイ出来デケタトイナシナンョへユカレントヤ。

袈裟次 何んな?

里枝 ウネバッカデケタトイナシナンヨヘユカレントヤ。

袈裟次 ああ、船が進水したのに、何あし南洋へ行かれんとやと聞いちょるとか。

里枝 ウネ、出来タ(と指で六つを示す)ウネ出来タ

袈裟次 うん?(と、聞き返す)

せつ代 指ば、六本出しちょりますたい

袈裟次 (ああそうかと、うなづく)船が六隻出来たとや。六隻も船が出来たとに、何して南洋へ行かれんのか聞いちょるとや。

里枝(うなづく)

せつ代 うんちゅうとる。

袈裟次(黒眼鏡の見えぬ眼をかしげて)そりゃなあ、里坊の舟あ、玩具の船じゃけえ、南洋へは行かれんとじゃ。

里枝 ウネ出来タ。(指で六つを示す)

袈裟次(いたわるように)判っちょる判っちょる

せつ代 あの子あ誰が子な?

袈裟次 おはんが、バタビアへおいでやった後けえなあ。他処よそん国からの渡り者で、おゆきちゅうおなごが、こん島へ這入りこうで来て、今じゃ、そのおなごはおかの婆さんの世話で、島の集会所の小使ばしちょるがあの子はそのおゆきの子供じゃ可哀想に、んけか時、頭ば患うちからに六ツ七ツの子供と同じん、舌の廻らん事ば言うちょる。

せつ代 低能児けえなあ。

袈裟次 そいじゃ低能児たあ言うもんの、別に悪さするでもなく、親が此処こけにいろと言った所にああして身動きもせんとおとなしう遊んじょる。

せつ代 可哀想になあ

袈裟次 おいとは、ええ遊び友達よ

せつ代 何故なしな?

袈裟次 おいは、こげな半盲目めくらじゃし、あん子供はっけ者じゃしそれにあん子はどういう訳か玩具の舟ばこしらえちゃあ、これで南洋へ行く、こん舟に乗って南洋へ行くと言うちょる海ば見ちゃあ出来もせんことを考えちょる其処が、二人のよう似た所じゃけえなあ

せつ代 袈裟次どんな、何時から眼が見えんようになったと?

袈裟次 おいの眼かおいの眼な、一昨年からじゃ一昨年の秋、鰹船の帆柱に、身体ば縛りつけて、潮見役ばやっちょる内に、潮風が眼球にあたっと、しみてしみて仕様がないようになって来よったそう思うておる内に、眼に映る海の色が段々に霞んで来よった海の水が霞んで来たんじゃなかとで、おいの眼玉が霞んで来たとじゃ医者に見せた時ゃ、もう手おくれでなあ、此の上、この務めばやっとっちゃ、本物の盲目んなると言うて、今の状態よりあ、務めをやめたところでよくはならんそういう時じゃった。

せつ代 袈裟次さあ程の潮見役あ、他になかとじゃけえ、網元は困っつろう。

袈裟次 林田の旦那あお前の後釜が出つく迄、もう暫らくやって貰えんかと言われたとじゃが、医者がどげんしても許可出来んと言うわけえなあ

せつ代 そいじゃ、その眼な、もう癒らんとな?

袈裟次 う?うん。(悲し気に)鰹漁業の潮見役ちゅう役は、鰹船の帆柱に身体ば縛いつけて、揺れる帆柱の上から、潮の流れば見つめちょる潮の色に依って、此処にゃ鰹がおる、此処にや鰹がおらんそいば見極むる役目じゃっどんその役目ばやっちょる人間は、必らずそん内にゃ、潮風に眼球ばやられて、盲目になっとじゃ、俺の親爺もそうじゃし、じいさまもそうじゃった。こりゃ、昔からの習わしじゃし、男冥利じゃけえなあ俺は別に悲しうはないじゃっどんおいは、鰹の泳いじょる潮ば追うて、千浬二千浬も沖の方まで、船を追い込うで来たが沖の潮は、綺麗な色ばしちょるけえなあおいは忘れられん。(寂しく笑う)

せつ代 (痛ましくその顔を見る)

袈裟次(溜息をつく)そこにおる里坊も、白痴うつけ者の悲しさに、玩具の船ばこしらえちゃ、出来もせん事を考えちょるおいも、この上潮見役をやりゃ、本物の盲目になるちゅうのに、やっぱい沖の潮風を恋しがっちょるええ相棒でごあんどハッハッハッハ


松林の奥の小路から、里枝の母ゆきが出て来る。


ゆき(袈裟次に)どうも御世話様でございました。よう見てやって下さいました。

袈裟次 もう連れて帰っとや

ゆき はいそろそろ日が暮れて来ますけん。

袈裟次 里坊お母さんが、おさいじゃしたど

ゆき(里枝に)小父様に遊んでいただいてよかったのう、さあ御家へ帰りまっしょう。

里枝 ウネ、出来タ。(指で六つを示す)ウネ出来タ。

ゆき よかったのうさあ、おいで(と、里枝の手をとる)今夜は、集会所に島の人がお集りになって、相談会をなさるんじゃけん、母さんは忙しいんじゃけん、隙をみてあんた呼びに来たんじゃけん、早うしておくれさあ。


ゆきは里枝を岩の上から下ろす。


袈裟次 さあ。里坊おいも、帰るけえなあ(立上り、修理した釣縄をまとめながら)今夜は集会所で、何んの相談会な?

ゆき 何んでも、かもめ館に泊まっておられる東京からのお客様の発起で、造船所を作るとか作らんとかの相談でございますそうで。

袈裟次 ほう、あの渡瀬さあの坊ちゃま方の発起でな?

ゆき はいその、坊ちゃまとかの発起じゃそうで

袈裟次 いよいよ造船所ば作らるっとじゃなあおいも、きっとそうじゃろうと思っとった。丁度二十年程前になるじゃろうか、そん時にも、今来ちょらるる坊ちゃま方のお父様の発起で、毎日々々、その相談会ばやっちゃあ揉めちょったがそいが、この船じゃ(手探ぐりで行って、腐った船の竜骨を撫ぜてみる)おいも、そん時の相談会にゃ潮見役の意見を語いに出たもんじゃったが、もう、今度はこう眼が見えんでは、意見も何んもない(なつかしげに竜骨を愛撫する)

ゆき(異常に関心を示して)袈裟次さんは二十年前のその時ゃ、どういう御意見でございましたと?

袈裟次 おいは、勿論、造船に賛成じゃった後で網元ん旦那に叱られたがなあ、アハハハハ

ゆき(じっと竜骨を見つめる)

袈裟次 まあ、ごめんなさっせ。(足さぐりで歩き出す)

ゆき 御免なさいませ

せつ代 御嬢ちゃまば御大事に

ゆき 有難うございます。


袈裟次の手をせつ代、ひいてやる。

松林の小路へ去る。

ゆき里枝の手をひき、朽ちた船の竜骨に近よる竜骨を、そして、骨格を一本々々撫でる


ゆき(つぶやく)あの人の子供だという人が来てこの島に、此の場所に造船所をこしらえる里枝、お父様の子は、あんた一人じゃのう(悲しく)あんたの他にお父様の子がおるわけはないそうじゃのうのう、里枝。

里枝(虚ろな眼で)ウネ出来タ、ウネ、レケタトイナシ、ナンヨへ、ユカレントヤ?

ゆき(つぶやく)あの人の子が来てこの子の他におるあの人の子が来て、此の村で造船所を慥える造船所が出来て、此の村から船が進水するそれは嬉しい。死んだあの人もきっと喜ぶけど

里枝(虚ろな眼で、かなしげに)ウネ、レケタトイ、ナシ、ナンヨヘユカレントヤ?

ゆき あんたの他に、お父様の子がおるわけはない里枝、そうじゃのう


陽が落ちてくる。

波の音が、少し強くなる。

風が吹いて、松林の梢が口笛を、吹きはじめる。


おかの(遠くで声だけ聞える)おゆきさあおゆきさあ。

ゆき (無言)

おかの(声だけ強く)おゆきさあ。

ゆき はい此処におります。

おかの(声だけ)何処におっとな?(出てくる)おう、其処におるな?

ゆき(おどおどして)はい、里枝を呼びに来ましたもんで

おかの 一寸、ああたに用事があったけえ、相談会の時間より早う行ったが、集会所におらんけえ、(皮肉に)おおかた、此の浜辺じゃろうと思うてね。

ゆき どうも申し訳ございません。

おかの おゆきさあ聞いたと?

ゆき (無言)

おかの あたやの家に、渡瀬さあの坊ちゃまが、御兄弟二人で泊り込うでおらるるとを聞いたとや

ゆき(不承不承に)はい

おかの(勝ち誇ったように)よかよかこえで、ああたと私の勝負は、私の勝じゃけえな。

ゆき (きっとなっておかのの顔をみる)

おかの ペナンじゃあ、ああたの勝ちじゃったが、今度はあたやの勝ちじゃ、アッハッハッハッペナンで渡瀬先生に恥ば忍んで、こん胸の気持ば打ち明けた時ゃ先生の胸ん中にや、すでにああたちゅうものがあったとじゃ。何処ん馬の骨か判らんああたに、渡瀬先生ば取らあちからに、私の胸ん中は、煮えくりかえる如くじゃった。そん時ゃ、私の負けじゃったがね

ゆき それでも、私やあの時は何んにも

おかの 黙って、私の言う事ば聞きなはい

ゆき 

おかの それから、二十年たって私が此ん村で宿屋ば開いちからに、やさっとこさと村に顔ば売っちょる所へああたがひょっこり訪ねておさいじゃした。

ゆき 私ゃ、その時も、まだ何んにも

おかの 黙って、あたやの言う事ば聞きなはい

ゆき 

おかの 私ゃどげん驚いたじゃろうああたが、此ん村へ来てからに、私こそは、渡瀬の嫁じゃ、こん娘は渡瀬の子供じゃと言わるるこたあ折角、顔ば広うにしちょる私に、赤っ恥ばかかせらるることじゃけえなあ私ゃ、恥をかく事は、生れつき大嫌いじゃけえ。おかのは渡瀬先生に振られ申したなんぞと言わるることは大嫌いじゃけえ

ゆき 私ゃ、あの人が仕事をしのこしたこの土地であの人の仕事の名残りの姿を、毎日眺めて暮らすだけでそれだけでええのでございますもん。

おかの ああたは、そげん言うちょったが、私とすればじゃ、何時それを言わるるか何時言わるるかと、夜もおちおち睡れん程じゃった。ああたに、こん島から出て行けと言うても、ああたは出て行かん

ゆき 私ゃ、あの人の姿の残っている此の島で死ぬつもりで、渡って来ましたけん

おかの 其処で私ゃああたにその事に関しちゃ、誰にも、何んにも語らんという約束ばさせて集会所の小使に世話ばしましたとじゃああたに恩ば着せたとじゃ(溜息をつく)そんでも、私の気持ゃ気楽にゃならんじゃった。私ゃ負けたままじゃった(俄かに喜ぶ)所が所がじゃ今度ばっかやあ、私ゃあんたに勝ったなあ。(男のように笑う)

ゆき (悲しげに沈黙)

おかの 渡瀬さあにゃ、あんたより先に嫁さんがあったといなあ私ゃああたにゃ、何んも引け目ば感ずるこたあなかったといなあ、アッハッハッハッ(腹をかかえて笑う)

ゆき(反抗して)そんな事はございません、あの人に、私よりも先にそんな人があったとは夢にも思いとうはございません。

おかの そいでも、ああして坊ちゃまが二人も来ちょらるものを、どうすっとら渡瀬さあの坊ちゃまである証拠にゃ此処へおいでんなって暫らく経ったら、私は父の意志を継いで此の島で造船所ば建てたいと言うとんなはる。それが何よりの証拠でございまっしょ。

ゆき 

おかの(真面目になって)私ゃ、二人の坊ちゃまば盛り立てて、飽くまでこん島で、造船所ば成功さすっとじゃ、そうすりゃ渡瀬さあは草葉ん蔭で、ああやっぱいおかのの方が俺の事をば本当に思うちょったそげんに思わるるとじゃろうねえハッハッハッ

ゆき(つぶやく)船を造る船を造って、死んだあの人を喜ばせる

里枝(ゆきの手に、よりすがって)ウネ、出来タウネ、出来タウネレケタトイ、ナシナンヨヘユカレントヤ?


ゆき、突然に里枝を胸に抱きしめる。


ゆき おかのさん造船所を作ってやって下さい。私ゃ、何んにも申しません、何んにも申しませんから(はげしく泣く)

おかの(悠々と歩きまわって)言うた所で本当の坊ちゃまがいなはっちゃ仕様がなかでなあ。

ゆき(泣きながら)何んにも申しませんから、其処にも、あそこにも、砂に埋もれているあの人の船を海に浮べてやって下さい私ゃ、それを見ているだけで、幸せでございますけん。

おかの そいじゃあ、ああたはこのあたやに渡瀬さあの残された仕事ば、後を継いでくれと頼うでおらるっとね?

ゆき はい。

おかの(愉快に笑う)よかよか私がええようにするけえ話はそれだけじゃそいじゃぼつぼつ、島ん衆が集うて来てるでなあ、集会所へ行きまっしょ。(歩き出す)


里枝、何時の間にか竜骨の傍へ行って、その腐った船の骨に坐っている。


里枝 オ母タンコノウネナ、イツレケルトヤ?

ゆき 此の小母様が慥えて、海に浮べて下さるのですけん。ようお頼みせにゃ。

里枝 オバタンコノウネ、イツレケルトヤ?

おかの こん船な?こん船は、このままでは駄目じゃっどん、こん場所に新らしい大きな船が出来てなあ、それが海に浮ぶとじゃ今晩の相談会で島ん衆が、うんとお言いやったら、忽ちこん島に船の株式会社が出来っとじゃ。

ゆき (竜骨を見つめる)

おかの 里坊お前や、まるでその腐った船が化けて出た幽霊みたよな子じゃのう。

里枝 (ふところから竹の笛を取り出して楽しげに吹く悲しい節廻しである)


ゆき、里枝に近づいて、苔むした竜骨の上に咲いている紅い花を摘み、里枝の頭に飾ってやる。


ゆき この砂浜から船が辷り出しゃあ、あの人はいえ、この腐った船は浮ばれますけんなあ。


遠くの海を走る船の汽笛が風に乗って聞えて来る。


おかの その子は、船の幽霊ばい。あの半盲目の袈裟次は海の幽霊ばい、ああたと私とは渡瀬さんに迷うとる幽霊ばい。こん島にゃ化物が多かけんねえ(けらけらと笑う)


下手の小路から、修造と林田の姿が現われる。


修造 おう、小母さん其処におられましたか。

おかの アライヨ憲助坊ちゃまな、林田ん網元と散歩や?

修造 散歩?いや散歩という程ではないのですがこの椰子の木浜の竜骨は、何度見ても全くのところ壮観極まりないですねえ、此の浜辺を林田氏と語りながら歩いてねえ、すっかり意気が投合しつまいました。

林田 ハッハッハッ憲助さあの、熱心なおすすめにゃ全く兜ば脱ぎましたばい

修造 いや併し全くのところがですね、現在ほど我が日本に於いて、船がその、必要とせられておる時はないのです。

ゆき (修造の顔を見つめている)

おかの(ゆきに)集会所へ、行っていなはい


ゆきはやがて、里枝の手を引いて松林の小路へ去る。


おかの 林田さあ私、どげな事があっても、こん島に造船所ば建てにゃいかんと思うちょります。

修造 そうです、全くそうです。

おかの 船ばつくる。その船ば使うちからに、我が国から、方々の国へ品物ば持って行く、他処の国で買い集めた品々ば我が国へ持って帰る。無論、木造船の事じゃから大したこたあなかばい、じゃっどんそんな事は二十年前に、こん坊ちゃまのお父様が言うちょられたた御言葉じゃけえなあ

修造 そうです私は、その時は未だ子供であった。此の島には来てはいなかった。併しながら、父が此の島で何をなさんとしていたか、何を言わんとしておったか、それはちゃんと私の胸に通じておる私は父の子供ですからな

おかの 二十年前には林田さあ、あんたのお父様もその意見にゃ賛成ばしちょられましたとい。

林田 うむ、賛成ばして、一番多額の出資ばしたけえ、一番多額の損ばしたとじゃそんお蔭で、おいが代をついだ時ゃ二進も三進も行かん資産状態じゃった憲助坊ちゃまは、この船の残骸ば見なはって、お父様の事ば思い出さるっとじゃろうがおいは、この残骸ば見る度、我が家の損害ば思い出して胸が痛うになりもうす。

修造 (困る)

おかの じゃっどん船はいくらあってん足らん時ですけえなあ今はなあ

林田 ハッハッハッ(皮肉に)おかのさあは、そりゃ何とかして、船会社ば作りたかろう、損得を別勘定にしてのう

おかの 


修造は、竜骨の特に大きいのを見定め、その前に行って、がばと打ち俯し、両手をつく。


修造(大げさに嘆きの声をあげる)おお、お父様僕は非力を悟りました。僕は何んとかしてあなたの意志を継ぎ、何んとかして此処に船会社を設立しようと試みましたがああ、僕はあなたの霊魂を安んじようと、こんなにも努力をしたのにおお、お父様。(はげしく泣き伏す)

おかの(おろおろして)坊ちゃま。(助け起そうとする)

修造(芝居がかりで)放っておいて下さい。この悲しみ、何んのかんばせあって、父の霊魂に相見え得るでしょうか。(むせび泣く)

林田(いくらか気を引かれるが、成るべくその方を見ないようにして)まあ、 今の状態でん、漁業の方だけで、おいとしちゃあ充分に金利ば廻しちょるけん、今のままの方が、無事のような気がし申す。何ちゅうてん田舎のこげん島の資本家は、高が知れちょっでな東京からおいでやった人が考うようにや、思い切った気持にゃなれもはんでな

おかの(強く)林田さあそいじゃ、それでよかとですあたやああたの力をば借りずして、この坊ちゃまな盛り立てて造船会社ば慥えまっしょ。あのかもめ館も売り払うてしまいましょ私の金と、島ん衆の賛成者の出資とで、甑島造船株式会社は充分に出来っとですけえなあ

修造(顔を上げて聞いている。少し恐ろしくなる)小母さん小母さんは、あのかもめ館も売ってしまうのですか。

おかの おいの身ぐるみ脱いでも、造船所ば建つるこたあ死んだ渡瀬さあの意志ば継ぐことですけえなあ。

修造(不安になる)本当にそうするのですか(が、思いかえして)そうです。そうしてこそ、初めて小母さんの資本は二倍にも三倍にもなって戻ってくるのです。

林田(うっそりと)おかのさあおはんな、本気でそいばやるつもりか

おかの 本気ですたい。


勝又留吉が出て来る。

その場の空気を察して、黙って佇む。


おかの おいには、意地ででも此ん島に、造船所ば慥らえにゃならん事がありますけえなあ。

林田(おかの一人に儲けられるのではないかと、不安になる)おかのさあは、そげにこの造船所に望みば持っちょらるるとやそりゃ、おいも、船ば作りゃ金利の廻ることも知っちょるが何んちゅうてん、目の前にこげん(竜骨を顎で示す)失敗の見本ば見ちょるけえなあ

おかの(自信強く独語)私や女ながらに、造船所の持主になる此ん坊ちゃまば社長にするそれでよかです。

林田 まあまあ、とにかく今夜の相談会でじっくりと、相談ばしてみましょうたい。島ん衆の意見も大切じゃけえあ

おかの おいは、無理にとは言わんけえ

林田 まあ、相談の上にしようじゃなかとやおいも全然反対じゃという訳でんなかとじゃけえなあまあ、集会所へ行って見よ。(留吉に気づいて)おう憲二さあ何時の間にや、まあ集会所へ行きまっしょ

留吉 はあ(修造、残れという眼の合図)あの一寸、兄さん。

修造 それじゃ、私達は一寸おくれて参りますから私達のおりません所で、まず腹蔵のない御意見を闘わせていただいて其処へその大体決定した所へ私達が参りましょうか

留吉 そうですねえ、私達の意見というものは、もう大体語りつくしておりますようですから。

おかの (二人が躊躇しているのをみて)遠慮しとりなはっとね、可愛らしかねえそいじゃ、少しばかいおくれておさいじゃしてそん方が、威厳があってええかも知れませんけえ、ハッハッハッ。


林田とおかの、松林の小路へ去る。


修造 (荒々しく)何の用だ

留吉 修さん俺や何んだか、怖くなって来ちゃったんだ。

修造(怒鳴りつける)馬鹿ッ、何を言ってるんだ、君は(と、言って自分の声にぎょっとしてあたりを見廻し声をひそめて)だから私はこの島へ君を誘わなかったんですよ。私一人で来たんですよ。それを何んだって君はのこのこと後からやって来たんだ。勿論君は、私が先に仕事に来てることは知らないで来たんだろうからね、自分一人で仕事をやるつもりだったんだろう意気地なしの癖に図々しいねえ。

留吉 そりゃそうですよ誰だって、こんな絶好のいい仕事のネタがある事を聞いて少なくともペテン師である限りはですなあ聞き逃すわけはありませんからね私は勿論一人で仕事をやるつもりだったのですよ。

修造 その癖にだね。その癖に第一君が、かもめ館に初めて着いた時のあの顔は何んだ。あれがペテン師の顔か、あれが一本立ちのペテン師の顔か、ええ?さも私は渡瀬憲造の遺児と名乗っては参りましたが、実はペテン師でございます。私より先に来ております男も実はペテン師でございますそういう顔をしとったじゃないか君は。他人の分まで白状した顔をしとったじゃないか私があの時に、永年の功で、早速の機転をきかさなかったら、今頃は二人共、寂しい所に入っていなくちゃならないんだよ驚いたよ全く

留吉(おどおどして)そんなに、もう過ぎ去ったことを言わなくったって

修造 私は、君が意気地がないと言うことを言っているのですよ。君はね、私が一人で仕事をしようとしている所へ来てからに、邪魔ばっかりしているのですよ、もっと私のように、どうして確かりした悪党になれないの?

留吉(反抗)そりゃ私だって悪党にかけちゃあ他人にひけは取りませんよ、併しこんな大きな仕事は初めてですからね。

修造(馬鹿にして)フン、こんな大きな仕事は初めてです?チェッ

留吉(押えようと)だって、今夜の相談会が運悪くまとまればですね。

修造 運悪くたあ何んだね、運悪くとは

留吉 いえ、そのとにかくまとまればですね集まって来て我々の手に委託される金額は大変なものですよ。

修造(悪党らしく)何?何が大変だよ、私はね、未だかつて千や二千の金で驚いた事は一度もないのですからね。此の間だって、私はある仕事をして、千六百円ばかり儲けたのだもっとも、それを成功させる為に、方々で算段して歩いた金が千五百円ばかりかかったがね

留吉 それじゃあんたは大きな事を言うけど、結局百円しか儲けてやしないじゃないか。

修造(憤然と)私は、金額の事を言ってるんじゃないんだ。技術の事を言ってるんだ、技術の事を

留吉 所がね此の島でね、今夜の相談会の結果造船所が出来るということになればそりゃ、木造船の会社だから会社としたら小さな会社ですがね集まる金は少くとも第一回目だけでも五万円になりますよ。

修造(平気で)何んだって?いくらだって?

留吉 五万円ですよ。

修造(あッと驚く)何、五万五万円?

留吉 そうなんですよ、だから私ゃ、怖くなっちゃったんで(ガタガタと慄える)

修造(呆然と)五万円(身体がこきざみに慄えて来るが、強がって)馬鹿ッ慌てるな、その位の金額で、何が怖い。(ごくんと息をのんで)しかし、その金額が全部我々に委託されることになるのかね、我々が、もしその金を持って逃げるということになると、その五万円を全部持って逃げなくちゃならないのかね?

留吉 そうなんですよ。(慄える)

修造 もう少し、少なくはならんのかね

留吉 え?

修造 いやねえ、もう少し、少ない金額にはならないのかねと聞いているのだよ、例えばだね、五千円とか三千円とかさあ

留吉 そんな少ない金額では、造船所は出来ませんからね。

修造(上の空で)五万円か。

留吉 そうですよ、五万円なんですよ。(慄える)

修造(冷静ぶって)いや併しそれがまだ我々の手に確実に入るものと決まったわけではないのだからね、そんなに怖がることはないのだよ。

留吉 併し、島の連中は、殆んど全部が乗気になっているのですよあの林田という網元を除けば全部が乗気なんですよ。

修造 (感動して)私は今迄に、随分大きなペテン仕事もやった事はあるがね大きいのに限って今迄、成功したためしがない。皆失敗しているだから私ゃ、今度の仕事も、成功した時の事をまだ一度も考えた事はなかったがね五万円かそれだけ持って逃げたら、逃げられた方は相当に怒るよ。

留吉 相当どころじゃありませんよ。

修造 怒るよそりゃ大変なものだよだけど、我々をだね、どうして島の人達は、こんなに信用するのだろうね。

留吉 どうしてですかねえ。それが判らないのですよ

修造 此の島の人間は、夢を見すぎているよ大体世の中なんて、そんな甘いもんではないのだからね。

留吉 そうですよそんな甘い事を考えていると、必らず悪い奴がつけ込むんですからね。

修造 何言ってるんだ馬鹿、私達がそのつけ込んでいる悪党じゃないか(ふと思いついて)いいかね、我々は、悪党なんだよ。私は大悪党だ、君はまだ小悪党だだから、儲かった分け前も、君の方が少ないよいいかね。

留吉(慌てて)だけど、そりゃ

修造(叱りつけて)黙ってなさい兎に角、我々はだね、ペテンをやりに来たのだから、儲けて帰らなきゃ、仕様がないのだ。

留吉 そりゃそうだよ、此処へ来る汽車賃だって資本がかかっているのですからね第一島の連中の方が勝手に乗気になったんですからね。

修造 そうですとも


ゆきが、松林の小路から出て来る。


ゆき あの、皆の衆がお待ちかねですけん、どうぞ早ようおいで下さるようにとおかのさんが言うておられます。

修造 ああ、そうですかそれで?島の人達は造船所に就いて、どう言う意見だか知らないですかね。

ゆき はい、そりゃもう皆さん大乗気ですけんどうぞ御安心なさって下さい。

修造 (気が重くなる)あ、そうですか。


修造、留吉げつそりして行きかける。


ゆき あの(呼びとめる)あなた方は、渡瀬様のお坊ちゃまだそうでございますそうで

修造 そうです、私は渡瀬憲助、これが渡瀬憲二です。

ゆき そうでございますか、どうぞお父様の御意志をお継ぎ下さって、この浜辺から、船を進水させて下さいませ

修造 そりゃ(落ちついて笑って)そりゃ勿論です

ゆき 私は私は名もない力もない女でございますがお坊ちゃま方の、船を作るお仕事の成功を蔭ながらお祈り申して居ります。

修造 有難う

留吉 有難う

ゆき どうぞ、どんな事がありましても中途でおやめにはなりませんようにこういう仕事では、よく途中で集まった金を持って逃げる人があったりして、得てして、中途でつまずき易いもんじゃそうです此の前の時にも、あんた方のお父様が一生懸命に、船をこしらえようとなすっている時に、途中でそれをやった人があって、暴落が原因よりも、その傷手が大きうて、造船は失敗したのじゃそうです

修造・留吉(顔を見合せる)

ゆき 今度は、せめてお力添えに、私がそれを見張っておりますけん、どうぞ成功なさって下さいどうぞお願い申し上げますどうぞ成功なさって下さい。


ゆき、其処にひざまずき、熱情をこめて頭を下げる。


修造(冷汗)有難う。

(溶暗)


第二場 甑島造船株式会社
(昭和十六年十二月初旬)

第一幕「かもめ館の内部」と同じ場面である。店の間に、テーブルを並べて、事務所を設けている、「甑島造船株式会社創立事務所」という看板が表にかかっている。

中央のテーブルに「甑島造船株式会社株式引換所」という紙札を貼り、その横のテーブルの上には、株券と引換えにおいて行ったであろう拾円札の札束が、約五万円ほど積み重ねてある。

机の前で、慄える手で紙幣を勘定している留吉。手際よく金を受けとり、株券を手渡して島人をさばいている兼次。島の人々は続々と拾円札を手に、株券を受取りに来る。或る者は板の間に腰かけ、或る者は土間に佇み、順番を待つ

二階から、客の荷物を持ってお春が降りて来る。

画家風の客が続いて降りて来る。

おかのが奥から出て来る。


おかの どうも、取り込うでおりますけえ、おかまいもしもさんで。

画家風の男 いや、いい時に来ましたよ。もうあの海岸の朽ちた船はなくなるのだそうですね。

おかの はいあそこへ新しい造船所ば作りますけえなあ

画家風の客 もう少しおそく来たら、折角の画材を失ってしまう所でした。

おかの ほうあれを画にしてお描きになりましたと?

画家風の客 描きました不思議な寂しい絵が出来ました。しかし惜しいですね、ああいう風な、美しい風景をなくするのは

おかの そうでござっしょうかのうしかし、何んにしても、あそこは造船所は作るのに元々ええ場所じゃそうですけえなあ。

画家風の客 そりゃそうかも知らんが、惜しいものだ

おかの 今度、造船所が出来たら、そいば描かるッとよかではないですか。

画家風の客 ハッハッハッ造船所もいいですがね、船は二時出帆でしたねえ。

おかの そうでごわす。

画家風の客 では、もう一度あの海岸に名残りを惜しんで、その足で桟橋へ行きます。

おかの お粗末様でごわした。


画家風の客、去る。

春は箒とはたきを持って、二階へ行く。


おかの 憲二さあ、御疲れでごあんしょ黒砂糖でんなめて、精気ばつけて下さい。


おかの、留吉のテーブルに、菓子盆と茶をおく。


留吉(気もそぞろになっている黙って株券をさし出す)

おかの(受取って)木崎さあ、お待遠様でごわした木崎さあは、三十株もおはり込みやったと。

木崎 そうでごわす(株券を見る)

おかの 其処におはんの名前も書いてごあんど

木崎 書いてごわす(嬉しそうに)これを持っとりゃそのう

おかの こん会社が儲かりゃ配当がごわすたい。株を人に売りゃ、その時の相場で売れ申すたい。

木崎 会社がつぶれたらどげんなり申す?

おかの つぶれた時ゃ、この会社の財産ば整理して、その分に応じて、損害のいく分かが戻りますたい。

木崎 財産ちゅうのは

おかの たとえば、造船所の諸式道具とか作りかけた船とか、出来上り申した船で、未だ他人の所有になっとらん船とか

木崎 そいじゃ、何んも財産の出来んうちにつぶれたらどうなり申す

おかの そげんこつは、この会社に限ってなかですたい。造船所が出来るまでに、今此処にある金は持逃げするような奴がおりゃ別じゃが、そういう奴は、この会社にゃおりまっせんもんなあ。

木崎 船は何時頃になっと出来申すとや

おかの もう、今日すでに長崎から船大工人衆がおいでんなって、社長さあと打合はせばやっちょられますけえ、早いこつでごわしょうたい。

木崎 ほう、そげんな何ちゅうてん、おい共の出資で、おい共の船が出来申すのじゃけえなあ。

おかの そいじゃ、そいじゃ

木崎(嬉しそうに笑う)たのしみでごわすて


木崎、戸外へ去る。

助役、平湯が戸外から入って来る。


平湯 ようこりゃ常務殿自ら、株券の受附をやっちょるとな。

留吉(泣きそうな顔で会釈する)ヘッヘッヘッヘッ

おかの おさいじゃし今日は?

平湯(島の人々の挨拶に会釈しておかのに)役場が一寸手が空きましたけえな、陣中見舞じゃ取締役殿もお客様の接待かな?

おかの 人手が足りまッせんもなあ、重役自らがお客様の接待ですたい。

平湯 まあまあ、成功で結構たい。おいも少しは株ば持って、御手伝ばさせて貰わにゃならん所じゃっどん。公職にある身じゃけえなあそれも出来んおいも近頃は何んのかのと忙しうて

おかの どうでござっしょう、戦争には、なっとじゃろうかね。

平湯 さあ、どんなもんじゃろうなあ

村人(佐伯)助役さあ、そう言やこん島からも、ここの所大分応召があったようでごわすが、行先はどっちの方でごあんしょう。

平湯 これこれ、そげん事、おいに聞くもんじゃなかうっかり喋舌ってみい、おいの首はこれじゃ。(と、手で自分の首を切る真似をする)

おかの(からからと笑って)平湯さんの馘首になんなはったら、こん甑島造船会社で拾うてあぎょうたい。

平湯 あッ、そうか、そん方がええかも知れんぞ。(高笑いする)


戸外に

自動車に乗って役場の小使が出る。


小使(急き込んでいる)平湯さあ助役さあ急用ですけえ、直ぐ役場へ帰って下さい。村長さんが呼んじょられます。

平湯 急用?急用たあ何な。

小使 県庁から電報が来ましたが、そいば村長さんがお読みやって急に、助役さんば呼べちゅうて、言われたとですたい

留吉(びくっとして札の勘定をやめる)

平湯 何んじゃろうなあ。

おかの 会社んこつではなかろうか。

留吉(ぎょっとする)

平湯 いや、こん会社の事なら、もう認可が下りちょるけえ、他の事じゃろうまあ、御免なさっせ。

おかの 御免なさっせ


平湯、外へ出る。


小使 自転車に乗らるるようお言いやったけえ、こえで行って下はい。

平湯 ほう、余程急ぐと見ゆるなあ。


平湯は自転車に乗って去る。

小使は歩いて去る。

土間に居た島の人々は、株券の引換えを終って去る。


留吉(不安)あの小母さん、今役場の小使さんが、助役さんを呼びに来たの、県庁から役場へ電報が来たのですかこの会社の事ではないでしょうかね。

おかの 会社の事ではごわすまい、ちゃーんと認可の下りた会社ですけえなあ。

留吉 そうでしょうねえ、認可の下りた会社だから、ハッハッハッ

おかの(茶呑茶碗をかたづけながら)兼さあ株券ば申し込うで来た人な、全部おさいじゃしたとや。

兼次 はい全部おさいじゃしたとです。

おかの そいじゃ、昼すぎにゃ、林田さあや、野羽玉さあが集うて来てじゃけえ今の内に昼飯ばすましてしまえ。

兼次 はい(立上りながら)どうも、洋服ちゅうもん初めて着ましたけえ、窮屈で困り申した。

おかの(笑う)会社員じゃけえなあ(万吉に)さあ、お前も、昼飯ば食べてしまえ。

万吉 はい。(立上る)


兼次と若い衆の万吉は台所へ去る。


おかの おくたびれでごあんしょ。

留吉 はあ、ハッハッハッ。(怖いものに触れるようにして金庫に、札束を入れている)


奥の部屋から、修造と、長崎から来た造船技師山崎唯一が出る。


山崎 とにかく感心いたしましたよ、造船関係の仕事をなさると言えば、いくらかでもその方面の経験のある人達ですが全部が素人の方で、しかも、林田さんと言い、野羽玉さんと言い、あなたと言い、こんな熱意を持っておられるのは初めてです。

修造 いや、私もその、いろいろと研究はしていたのですが、やっぱり、その道の方から御覧になりますとその、何んと言っても、やっぱり素人ですよ。(豪快に笑う)

山崎 私の方も、皆さんの熱意を体しまして極力便宜をお計りいたしましょう(時計を見る)もうそろそろ馬車の来る時間でしょうね。

おかの(山崎の靴を揃えてやりながら)はいもう、着く頃でごわすそいでも、船が出る迄には二馬車分の時間がありますけえ。

山崎(靴を履きながら)資材その他従業員の集まる目当がつきましたら、早速電報を打ちますがその時は社長さん、あなたが、長崎までおいでになりますが

修造(おかのに聞かせて)はい、都合に依っては、電報がなくとも、出向いて行くかも判りませんから至急に仕事を始めたいと思いますもんでねえ何分宜しく

山崎 承知しました。


遠くから上り便の馬車の音が走ってくるラッパの音も


おかの 橋行の馬車が来もうした。

山崎 それじゃ

修造(きちょうめんに)此処で失礼いたします


山崎、戸外へ出る。

馬車の着く音。


おかの(表口まで出て)そいじゃ、何分よろしうお願い申しますたい

馬車の人(声だけ)おかのさあ、ああたん所にゃ何も知らせはなかっとや?

おかの 何んの報せな

馬車の人(声)役場から直ぐに来いという使いじゃけえ、こいから行くとじゃが。

おかの そえなら、さっき助役さあも呼ばれてお行やしたどん、何事じゃろうかねえ。

馬車の人(声)助役さあも呼ばれとや、何んごつの起ったっじゃろうかねえ。


馬車の動き出す音。遠くへ走って去る。

ラッパの音も


留吉(修造に)県庁から役場へ電報が来てるんですがねえ

修造(眉をしかめて)電報が?県庁から?

おかの(戸外から入って来る)何んも心配するこたあなかですよそれよりや、今の造船技師さあとの打合せなすんだと?

修造 ハッハッハッ(留吉の肩を叩いて)どうも此奴は取越苦労をする奴でねえ、ハッハッハッええ打ち合わせは全部済ませました。

おかの そげんな(座敷へ上って坐る)先ず先ずお芽出度うごわした。お父様も草葉ん蔭で、さだめし御喜び下さっつろうなあこえで、私も、肩ん荷が半分がとこは下り申した。

修造(坐り直して)全くこの度は、何んと言って御礼を申したらよろしいかお前もお礼を申し上げなさい。

留吉(坐り直して)どうも有難うございました。

おかの 何んの何んの、とつけもねえこん上は、私の事をば、母とも思うて頼りにして下はいハッハッハッハッ。どれ、昼の御飯ば慥えてさし上げますけえ(二階へ向って叫ぶ)春坊ちゃまの午の御飯にするで下りて来いや。


おかの、立上って、台所へ去る。

春、二階から下りて来て台所へ去る。


修造(台所へ去ったのを見極めて)県庁から電報が来ているというのは本当かね。

留吉(声をひそめて)さっき、役場の小使が助役を呼びに来た時、そう言ったんだがその時、ジロッと私の顔を見たのがどうもねえ

修造(怯えて)本当か、そりゃ

留吉 本当ですよ、犯人は此奴ではないかなというような顔をしてね。

修造(度胸をすえたような気持で)フン、そりゃ君の気のせいだろう。

留吉 そうでしょうかねえ。

修造 意気地のない奴だねえ全くもっと確かりしなさい確かりと(邪険に)それで?金は集まったのかね。

留吉(反感白い眼を剥いて)集まりましたよ。


留吉は、二つの手提金庫と、尚、それに入り切れずに、半端になっている札束を示す。


修造(半端の札束だけ見て笑う)何んだそれだけかね五万円、五万円と大げさに言うが、大したことはないじゃないか(悪党ぶって)チェッ、その位の金を持って逃げるのにびくびくする事はないじゃないか。

留吉(反感)そりゃねえ、何しろたったこれだけなんだからね、だけど修さんはその二ツの手提金庫にもぎっちりつまっているのを知ってるんだろうねえ。

修造 何?その二つの手提金庫?(軽く)そっちにも入ってると言うのか。

留吉 ああ、あの二ツにぎっちりとね。

修造 ぎっちりねえ。(少し怖くなる)ふうん、どれ見せてみなさい。

留吉(皮肉ぶって)私ゃとにかく意気地がねえんだから、この程度の札束をみたって慄えちまうんだ

修造 いいから見せなさい。

留吉 


留吉、そッと台所の方を伺い、修造は戸外をうかがう。

留吉、慎重な態度で手提金庫の蓋を開ける。

突然、金庫のベルがジリジリジリとけたたましく鳴る。

修造と留吉は、この意外な音に飛上って驚き。急いで金庫の蓋を閉める。

ところが慌てて座蒲団で金庫を押え、その次に蓋を閉めたので、座蒲団が食い込み、ベルの音はとまらない。

修造は蒼白な顔色になり、留吉は机の下に這い込む。

台所から、おかのが、ベルの音を聞きつけて出て来る。


おかの(二人の姿を見て)ああ、坊ちゃま方おいでやしたとな、私やまた金庫の音がしたけえ、誰か開けたなと思うてびっくりしたばい

修造(落付いて)え?ああ、これですか、今ちょっと調べたんですがねこの金庫は仲々用心がええですな、これなら大丈夫です。安心だ。ハッハッハッ(眼が据っている)

おかの そうでござっしょう。家には、男主人がおりませんけえなあ、用心のええ金庫でないとなあ、ハッハッハッ

修造 これなら、大丈夫ですよ、これなら。ハッハッハッ


おかの、台所へ去る。

修造と留吉は顔見合せて、ホッと息をつく。


修造(金庫の中を見て)これが全部札かね底まで札だね底の方まで

留吉(這い寄って来てうなずく)

修造(溜息をつく

留吉 全部札だからね

修造(金庫の中をジッと覗き込んでいる)とにかく、併し、逃げるんなら今日だな(声が上ずってくる)

留吉 そうですよ、あの役場の電報だってもしかしたら、我々の事かも知れませんからね。

修造 そりゃそうだ今日は船の出る日だな。

留吉 今日を逃がしたら、後一週間は逃げられませんよ。

修造 二時だったか

留吉 そうですよ

修造 逃げよう逃げっちまおう

留吉(臆病に)全部持ってですかえ?

修造 勿論(慄えて来る悲愴な声で)私達ゃペテン師なんだからね。悪党なんだからねそのペテン師が、悪党が、どんなに善人の真似をしたって、善人にはなれっこねえのだからね全部持って逃げっちまうのだ。

留吉 全部ですかこ、こ、これを全部ですか(慄える)

修造 慄えるじゃねえってば。落ちつけ

留吉 これを、ど、どうやって持って逃げるのです。

修造(うわの空)鞄を持って来い、鞄を

留吉 へえ(と奥へ入る

修造(金庫の中から札束を夢遊病者のように出しながら)(独語)私ゃ、実を言うと、今迄かつて、この商売で成功したことがなかった併し、今度ばかりは、どういうものだか成功すつまった。私や、これで足を洗う足を洗って、何か堅い商売をやる。札束を見て、身体が慄えるようじゃ、どの道、この商売の権威者にはなれそうもねえからな。


留吉が、慄えながらボストンバッグを持って来る。


修造(それに札束をつめながら)いいかお前はこれを持って、今直ぐに逃げるのだ、一人で逃げるのだ、いいかね、二人一緒に出ては怪しまれっからな桟橋へ行って船で待ってなさい

留吉 へえ逃げ逃げます。

修造 私ゃ、後に残って、船にぎりぎりの馬車が来たら、急に思い立って、長崎に立つと、こう言う事にするそう言って逃げるええかね、判ったね、さあ、行きなさい。

留吉 お、お先に(と、ガタガタ慄えながら、ボストンバッグを提げ歩き出す)

修造 おい、お前ど、どうして、そう慄えるそんな事では、桟橋まで、とても歩いちゃ行かれねえぞ

留吉 大大丈夫ですよ


留吉、慄えながら土間へ下りかける。

おかのが、台所口へ顔を出す。


おかの 坊ちゃま。

修造 はッはあ?

おかの 坊ちゃまは、豚の肉はお好きじゃったけえなあ。

修造 はあ、(怯びえて笑って)大、大好きです。

おかの 憲二坊ちゃまは、どげんな?

留吉 はあ、(怯びえた笑い)大大好きです。

おかの そりゃようごわした。豚の肉があったけえなあ、お好きなら煮て上げようと思うちからに死んだお父様も豚の肉が大好物でごわしたけえなあ今、おいしう煮て上げますけえ待って下はい。(去る)



修造 留さん待てよ

留吉 

修造 あの婆さん、私達が金持って逃げたのが、後で判ったら、私達の事を何んと思うだろうか

留吉(無言相手の気持が判り、板の間にしょんぼり腰かけてしまう)

修造 この金は、島中の人から、この家へ寄せ集めた金だ。私等は、この家に今日迄いたのだその私等が、この金を持って逃げっちまったらあの婆さんは、この島の人から何んと言われるだろうかね。

留吉 そ、そりゃあの婆さんは可哀想だね。

修造 (何か言おうとするが、黙ってしまう)

留吉 (ポケットにもねじこんだ札束を板の間に出して)修さん逃げるのはやめようか。

修造 うん、その方がええかも知れんその方がねだけどその併し商売は商売だからな

留吉 (慌てて、札束をポケットへもどす)

修造 私等は、どっちみち悪人なんだからな。

留吉 じゃ、やっぱり逃げるのかい。

修造 うん折角の金儲けだからな。

留吉 そりゃそうだよなあ、ハッハッハッ。(空元気で立上る)


遠くから猛烈に早い馬車の音、ラッパの音

馬車の人々は何やら喚いている。


修造(聞いて)何んだ、どうしたのだ。

留吉(戸外を見て)修さん町の方から、下りの馬車がまだ、そんな時間じゃないだろう。

修造 うん?(時間表をみる)ちがう、そんな時間じゃねえよ。

留吉 何んだか怒鳴りながらやって来るぜ、皆が喚いてる。

修造 怒鳴りながら?

留吉 あの、電報の件じゃないかなあ。

修造 何?捕、捕まえに来たというのか。(ぎょっとする)


馬車慌ただしく着く

馬のいななき

乗客達、口々に喚く

「おかのさあおかのさあ」野羽玉精吾が慌ただしく、昂奮して戸外から入って来る。


野羽玉(馬車に向って)早よう次の村へ行け次の村へ知らせろ。


馬車、走り出す。


野羽玉(奥へ向って)おかのさあおかのさあ(修造と留吉に気づいて)あッ坊ちゃま、大変な事になりましたばい。

修造 えッ来ましたか。

野羽玉 電報が来ましたとじゃ、電報が

修造 えッ、電報が警察からですか。

野羽玉 いや、県庁から、電報が来ましたとじゃ戦争じゃ、戦争がはじまったとですよ。

修造(自分達が捕われる事にのみ、神経を使っていたので、ホッとし)ああそうですか(と、言いかけ、もっと重大な事柄であるのに気づく)えッ、何んですって。

野羽玉 判らんかのう戦争ばい、今日の未明から戦争がはじまったとばい。

修造(びっくりして)戦争野羽玉さん、そ、そりゃ本当ですか。

野羽玉 本当にも何んにもおい共は今しがた、役場へ呼ばれて、島ん衆にそれを知らせると同時に、その心がまえでしっかりやれちゅうて、言われて来たばっかりですけえなあ。

修造 戦争(きょとんとしている)

留吉 (阿呆のように立っている)

野羽玉(奥に向って)おかのさあおかのさあ。


おかのが、台所口から出て来る。


おかの アラヨ、野羽玉さあな、何事な、ふとか声ば出しなはって

野羽玉 おかのさあ戦争がはじまったとじゃ、戦争が

おかの えッ、戦争な?(間)やっぱいやっぱいなあ。


林田が自転車に乗って来る。


林田(戸外から)おかのさあ聞いたとや。

おかの 今、聞いた所たい。

野羽玉 おいが、今、知らせに来た所じゃ。

林田(入って来る)大変な事になったもんばいなあ。


馬車の音町の方から猛烈な勢で走って来る。


林田(聞いて)ありゃ何んじゃ、上りの馬車な?

野羽玉 いや、下りじゃおいの会社の馬車は、今日はみな役場へ提供してあるけえなあ役場じゃ、何かニュースがある度に、馬車で島中へ触れ歩くことになっちょる戦況の速報かも知れん。(戸外へ出る)


馬車、着く。


林田(戸外へ出て)何んな?何んの知らせな?

馬車の人(声だけ)今夜は警戒管制ばい、ええか、警戒管制じゃぞ


馬車、走り去る。


おかの(おろおろと)野羽玉さあ警戒管制ちゅうなあ、どんげんこつな?

野羽玉 夜間、ランプの灯りば、外へ洩らしちゃならんと言う事たい、戦争となりゃ、米軍の飛行機が何時来っとも知れんけえなあ

おかの(不安)なあ、野羽玉さあ今度こんだの戦争などんげんもんじゃろうかね、日清日露の戦争な勝戦じゃったがねえ。

野羽玉(昂奮して)そりゃ、何ちちゅうてん、相手はふとか国で、此方はんけか国のけん、心配ばい。此の次の船で来っ新聞にゃ、きっと、宣戦の大詔も記してあってとじゃろうからね(修造に)坊ちゃま、坊ちゃま方が、こん島へおさいじゃした時に、戦争が始まったたあ、何かの因縁でございまっしょうなあ。

修造ぽかんとしていて)え?ああ戦争が始まったのはねえそうです、全くねえ。

野羽玉 坊ちゃま方のお父様が、二十三年前におさいじゃした時や、欧洲戦争の時でごわした。

留吉(調子を合せて)全くですよ、何かの因縁でねえ、ハッハッハッ(その後、しょぼんとしてしまう)

野羽玉 どげんしたとです?元気がなかじゃないですか、戦争が始まったんで驚いとんなはっとな?

修造(快活らしく)いやあ、私はですねえ、どうしたらこの戦争に勝てるであろうかと、それをね考えておったんですよ、いやあ何んと言っても重大な事ですからねえハッハッハッ。

野羽玉(強く)それですたいおいの考えちょるのもそれですたい坊ちゃま、いよいよ責任は重大になっとですよ。船です。船はこうなりゃ、益々必要ですけえなあ

修造(判らない)船がねえ

野羽玉 外からの食糧の輸入がとまりゃあ近くでいおとるなあ我々の大型木造船でございまっしょうがな。

修造 木造船ねえ(言われてはじめてアッそうかとペテン仕事の方を思い出す)そうです私も今それを考えておったんですよ、考えは同じですよ、全くねえハッハッハッハッ

おかの そうか。(と、造船会社に思い至って)戦争になりゃ、船ゃやっぱり要っとじゃろうねえ

野羽玉 即ち、それが先代の渡瀬先生の御教えじゃごわはんか

おかの(感心して)成程ないほど


此の間に、林田は座敷へ上り、しきりに算盤をはじいている。


林田 おかのさあ野羽玉君坊ちゃま方まあ、こっちゃへお上りなはらんか。

おかの(座敷へ上りながら)アライヨ、林田さあな、さきから何処へお行きなはったかと思うたら、何ば考えとんなはったと?

林田 う?

野羽玉(上りながら)林田ん網元な、寝た間も算盤ば離しなはらんお方のけんなあ、又、金儲け事ば考えておんなったとばい。(笑う)

林田 いや、その算盤の事じゃが皆も、今聞かれはった通り、いよいよ、大戦争じゃ、其処でおいは、それに就いて幾度も考えて見申したがどんげんもんじゃろうねえ。おいはどう考えてん今度の造船会社は算盤に合わんと、こう思案し申したが戦争となりゃ、船ゃどれ程作ってん沈んでしまうじゃろうと、こげんおいは思うがのう今ん内ならばじゃ、会社の資本金なすべて手つかずじゃけえ。

おかの と、言いなはっと、どんげん思案ばしなはったと?

林田 つまりその、今の内ならばじゃ、資本金は全部手つかずじゃけえこのまま全部、それぞれの株主へ返金すっとじゃ

修造(決然と)ちょっとちょっと待って貰いましょう、株主へ返金と言うのは、今日集まった金を返すと、つまりこう仰有るのですねえ。

林田 まあ、そういう事でごわす。折角の坊ちゃま方の御計画じゃが、こういう際じゃけえなあ。

修造 私は、その案には絶対に反対ですよ。

留吉 私も、兄さんの意見に同意です。

林田 いや、そりゃ坊ちゃまのお気持はよう判り申す。じゃっどん、此の際じゃと言う事を考えて

野羽玉(昂奮して)林田さあおはんは日本人な

林田 なんち

野羽玉 此の際なればこそ、益々もって船ば作らにゃいけんとでございまっしょ、おはんな金儲けさえすりゃ、他の事はどんげんあってもよかですか。

修造(野羽玉の昂奮に便乗して、あの札束を確保しようとする)そうです私は、此の島にだけは、立派な人だけが住んでおる、そう思うて、はるばる汽車に揺られ、船に揺られてやって来たのでしたやっぱり私は来るべきではなかったなあ

留吉 あの、集まった金を返金する何んという非国民だろう。

修造(急いで、留吉の言葉を修正する)つまり、造船会社をやめると言う事が非国民的であると、弟は言うのです。

林田 非国民?こりゃ聞き捨てにならん言葉でごわすなあ。

修造(慌てて)いや、御異議があれば、取り消してもええのですがねハッハッハッ。

野羽玉(鋭く)いや、取り消すにゃ及ばん林田さあのごたる人間にゃ、非国民でたくさんばい

林田(昂奮する)野羽玉君、もう一度言うてみい

野羽玉 林田さあな非国民ばい

林田(立ち上る)何?

野羽玉 何な?(立ち上る)

おかの(留めて)これ、止しなはい。野羽玉さあも、口が過ぐっとばい。


戸外からゆきと里枝が入って来る。


おかの(林田をなだめて)まあ、網元さあも勘忍してやったもんせ。野羽玉さあの口の悪かとは昔からの癖じゃけえ。

林田(坐って)金儲けがいけん事なら、こん世の中から金ば無うするより他にゃ途はなかけんねえ

野羽玉(坐って)まあ、林田さあはお厭なら、ああただけが株主から抜けなはっとよかでしょう

おかの じゃっどん、折角の坊ちゃま方の御計画じゃけんなあ

林田 おいは、非国民呼ばわりされてまで、株主になりとうはなかけんね、フン

修造 いや、それはこの憲二がつい口を辷らせたのであって、これも、この突然の戦争勃発にカッと逆上しましてね、しかし、その真意は、林田さんをも、折角の儲けの仲間はずれをさせたくないと、こういう気持で

ゆき(誰もふりかえらないので)御免なさいませ

おかの(気づかず)野羽玉さあ、こん造船会社は、儲けの方も間違いは無かとじゃろうねえ

野羽玉(機嫌悪く)そりゃ勿論ばい。おいは、こうなったら此の仕事に就いてそんげん事は考えとうはないが、需要が多いという事はつまり、供給する方にとりゃあ、儲かる事じゃけえなあ

おかの 林田さあ考え直しなはらんか。

林田(すねて)資本家ちゅうもんは、儲かる証拠がなかとならば、資金は出しとうなかですでな。

ゆき 御免なさいませ。

おかの(気づいて)あ、おゆきさあか、何事な?

ゆき あの造船会社の申し込みは、もう終りましたでございましょうか。

おかの 何な?(冷笑的に)お前も株ば申し込みに来たとな。

ゆき (おずおずと)はい、そん事を言うてはいけん言うたんでございますが、この子を誰かがからかったものと見えまして、村の衆のお持ちになった株券を指して、あれが欲しいと申します。あれさえ持っとりゃ船が出来ると、どなたかが仰有ったのでございましょうどうしても聞かないもので

おかの ハッハッ、その子がな?(意地悪く)株券は玩具じゃなかで余っちゃおらん。

野羽玉 どうじゃ、林田さあの株ば廻してやっちゃあハッハッハッ。

林田(慌てて)な、何ば言うとな、おいはまだ、抜けるとは言うちゃあおらんぞ、相談ばしとっとじゃ、相談ば

おかの(邪険に)おゆきさあああたが心配せんでも、あたやの力で、造船所は立派に出来っとのけん、さあ、帰んなはい、帰んなはい

ゆき はいでは、やっぱり駄目でございましょうねえ、どっちみち、此処には一株だけより、分けていただく金はございませんのですけれど

おかの ハッハッハッ、素人くさい事ば言うとじゃねえ、何処に一株ばっかり株ば買う人間がおる?さあ、帰んなはい、林田さあも株はお売りになはらんのじゃけえ

ゆき はい里枝、諦めなさい。その代り、このお金は、此処へおいて行きまっしょ。なそうしましょう。

里枝(うなずく)ウネナ、イツレケルトヤ?

ゆき こんのお金を此処へおいて行けば、直ぐに出来るけんな。

里枝(うなずく)

ゆき あのでは、これをおいて参りますけん僅かでお恥かしうございますが(と、紙包を上り框へおいて)さあ、里枝行きまっしょ。(去りかける)

おかの おゆきさあそりゃ何な?

ゆき いいえ、何んでもほんの志だけですけん


ゆきは里枝の手をひき、影の如く戸外へ去る。


野羽玉(立って紙包みをとり上げ、書いてある文字を読む)御釘代

おかの 御釘代たあ何な?

野羽玉 造船会社への寄附金ばい。

おかの(カッとなる)フン出すぎもんばいねえ。

林田 まあ、そう言うな、折角の志のけん、受取ったらどげんな。

野羽玉(その林田の態度に)そいじゃあ、林田ん網元は、予定通り、専務取締役ば引受けなはっとじゃね

林田 う?まあ、ゆっくい相談しょうじゃなかとや

野羽玉(坐る)ハッハッハッ林田ん網元も、石橋叩いて渡る主義じゃけえなあ、なかなあ安心しなはらんたい。(笑う)

おかの ふん。(しかし、ホッとして笑う)

野羽玉 そいじゃ、この寄附金は会計殿に渡しまっしょ。(と、紙包を留吉に渡す)

留吉(受取って時計を見る)兄さん、上りの桟橋行が来る時間ですよ。(立上る)

野羽玉 馬車ん事でごわすか。

修造 (思いついたと言う風に)そうそう、実はさっき思いついたのですがね、私は、今日の船で、造船技師と一緒に長崎へ行って、急拠準備にとりかかりたいと思っておるのですがね


馬車の音走って来る。

ラッパの音。


留吉(ボストンバッグを提げて)こうなって来ると、いよいよ、仕事ば急がなくちゃなりませんから実は私も一緒に(土間へ下りる)

野羽玉 ああ、そんな事なら、来週の船で行きなはったらよかでしょう。

修造(立上る)いや、しかしですね、事はいよいよ至急を要する

野羽玉 じゃっどん船は今日はもう出帆したけんね

修造 え(行きかけ立留る)出帆した?

野羽玉 今日の開戦の知らせで、急に予定変更になり申してのう一番馬車の客だけ乗せて出帆したとですよ。

修造 (がっかりする)ほう出帆したほう。(坐る)

留吉 (ぽかんと土間に立っている)

林田 ま、その内にゃ、どっちしても、行って貰わにゃならんじゃろうがねえ、来週か来週なら、おいが行って来っけん、何なと用ば言いつけなはい、ついでのあっとのけん

修造 いや有難う


馬車、着く。


役場の小使(出る)戦況ニュースでごあんど(と、ガリ版刷りの紙をおいて去る)


馬車、走り去る。


野羽玉(刷物をとって見る)ほうなかなかよか調子じゃねえ。

おかの(立上って覗き込む)戦況な?

野羽玉 うん前々から準備ばしとったんじゃろうなあ

おかの じゃっどん、相手はふとか国じゃけえなあ

野羽玉 仕様がなかたい、何んとかなっとじゃろう。ハッハッハッ


林田は、また算盤をとり上げてしきりにはじいている。

修造は、大きく溜息をつく。

留吉は、戸口にボストンバッグをおき、それに腰かけて、去ってゆく馬車を見送っている。

(溶暗)


第三幕


第一場 椰子の木浜
(昭和十七年二月)

第二幕第一場と同じ場面。

正面の、松林、椰子樹林の中に

木造機帆船の骨格(舷側、外板の八分通り打ちつけ終つたもの)が、巨大な尾部を見せ、頑丈な造船台の上に据えつけてある。

樹々の梢の上をゆく雲は後半に至って、次第にけわしくなる。

風やや強い

夕暮前。

島の人々は、老巡査も、からゆきさんも、子供たちも、竣工一歩前の、彼等自身の木造船を見物に来ているのであるが

此の時、突如として起ったおかのとゆきの喧嘩に気をとられている。おかのはゆきの髪を引きむしらんばかりにして怒り、その手にすがって里枝が泣きわめいている。それを仲裁しているのは野羽玉精吾で

船大工たちはげらげら笑って、これを見ている。


野羽玉 これ、よさんか、よさんか

おかの 放っておきなはい、人の恩ば忘れるような奴ば、こらしてやるんですけえ。(ゆきの髪を引きずりまわす)

野羽玉 これよさんかちゅのに(無理に引き離す)

おかの(昂奮して)さあ、こん島から出て行け今日限りこん島から出て行け

ゆき 私や恩ば忘れてはおりません。

おかの 恩は忘れとらんでも、約束ば破って、こん白痴こけ野郎(口がきけない程、昂奮して来る)

ゆき(負けずに)約束は約束は決して破ってはおりません。

里枝(ゆきの胸にすがりつき)オ母タン、オ母タン(と、泣く)

野羽玉(おかのの肩を叩いて)まあええ、まあええ、気を鎮めんか、一体、どげんしたっち?

おかの(息を切らせて)この女は、大体が出しゃばりすぎますたい。

野羽玉 何ば、出しゃばっとるな?

おかの 何んでんかんでんまるで、此の船ば、吾がもんのような顔ばしてからに指図がましく、意見ば言うてからに、しゃしゃり出てからにざわりんなって仕様がなかですたい。

野羽玉(笑って)いやあおいの見た所じゃ、そりゃ自分のおる島で出来る船じゃけえ、嬉しそうにはしちょるがしゃしゃり出て、意見ば言う程とは、見えもさんがなあ。

おかの(野羽玉の胸のあたりをポンポン叩いて)おはんにゃおはんにゃこの女の、おとなしそうに見えてそのその真底は、そうでなかとが、判りもはんで

野羽玉 そうかなあ併し、おはんなそげに言うが、何時ぞや、林田ん網元と一緒になって、おはんの気持が迷うちょった時に

おかの あん時は別でごわすあん時は気持の転倒しちょった時ですけえなあ

野羽玉 まあどっちにしてん、この島におる人間な、こん船が一日々々形をつけて行くとを見て吾子の成長するのを見る如くに楽しみにしちょるとじゃ、少し位や可愛がらせてやんなはい(ゆきに)併し、ああたもじゃこん船が、次第に出来て行くのを楽しみにすっ心持はよう判るが何ちゅうてんこん船に、おかのさあは、最初から心持ば入れとるんぢゃけえまあ万事は、渡瀬社長や弟様や、このおかのさあの指図の下に余り出すぎんようにな、するこつじゃ

ゆき 私は、そんな指図がましい出すぎた事は決していたしません唯、出来上ってゆく船を見せていただいて、喜ばせてさえ頂けば

おかの(激しく)そげな、しおらしかこつを言うちょるがそんなら何故こん船ば傍へ寄ってから、撫でてみたり、さすってみたりしちょるとや

野羽玉 撫でてみようが、さすってみようが船大工さあの、邪魔さえせんけりゃ、それでよかとじゃろうおはんの亭主を、撫でたり、さすったりするわけじゃなかとじゃもん(見物人達の同意を求めて)なあ、そうじゃろう。

一同(ドッと笑う)

おかの(むきになって)おいには亭主なんぞはなかですたい。

一同(それが又おかしくて笑う)

野羽玉 これこれ笑うとらんと早う、仕事にせい出さんかい。


船大工達、船のかげに入る。船のかげから槌の音が聞えはじめる。


おかの(まだ、こだわってゆきに)何んでんよかとじゃおはんは集会所でおとなしうしとりゃよかとじゃ

せつ代(岩に凭れて、さっきからの喧嘩を見ていたが)フンかもめ館の御主人な、御自分一人で、船が出来るように思うちょらるるけえなあ。

おかの(ふりかえって)何んな

せつ代 大株主様な、御自分の都合のよか時だけ、地球をおまわしになりますたい。

野羽玉(せつ代を軽く制して)これ、折角おさまっとる喧嘩を、横から何言うちょる船を見るなら黙っておとなしう見とらんか。

せつ代 馬車会社の社長さんな、何故大株主にばかり、ひいきばなさるとやこれでも私や、株主の一人でごわすけえなあ。

野羽玉 判った判ったせつ代さあの南進論にゃ株主総会で、悩まされたもんなあアハハハ


ゆき、里枝に手伝わして、船大工達に出したらしい茶碗を集めて廻る。

村長奥田と、修造、留吉が上手奥の小路から出て来る。


奥田 野羽玉君、揉め事があったちゅうが何事な?

野羽玉 いやあ何事でもなかとですよ。おかのさあが、一寸癇癪玉ば破裂させましたけえ

奥田 おかのさあがかあ、そうな。(笑う)

おかの 出すぎ者ですけえなあ私ゃ出すぎ者は好かんとですたい。


ゆきは里枝を連れ、一同に会釈をして去る。

奥田、船の傍へ行き船の胴を叩いてみる

その内部では槌の音が盛んにしている。


奥田 出来て来よる段々に、形が出来て来よる立派な船じゃなあ、憲助さあ

修造(仕方なく)そうです。立派な船になるでしょう。

留吉(不貞くされて傍の船材の上に腰かけて)船の形が、出来上ってくる度に段々に、資本金が減って来ますけどねえ

奥田(好人物らしく)そうじゃろう、昔とちがうて、資材も騰貴しよるけえな。今迄に何ぼ程かかっちょります余程かかっつろう。

留吉(不貞くされて)もう既に三分の二は無くなってますよ。

奥田 そうかそうでごわしょう。この上、機関を積み込うだりまだまだ費用はかかるとじゃろうけえなあ。

留吉 船が出来上った時は(むしゃくしゃして)もう手おくれですからな。

奥田 何が手おくれな

修造(急いでとりつくろって)いや船が進水する時には、資本金が丁度いっぱいいっぱいになってるだろうと、弟はこういうのですよ。弟はあの資本金で船が十隻や二十隻は出来るだろうと思っていたらしいので、アッハッハッ

奥田(笑って)そりゃ無理ですたい併し立派な船になり申す。ああた方の御喜びはお察し申しますたい。

修造 いやあどうもねえ全く嬉しくて。(豪快に笑う)

野羽玉 村長さあこん船が、南海の黒潮ば乗り切って、荷物ば運うだり、漁ばしたりする日の事ば考うつと嬉しうてなりもはんで

せつ代 私ゃ、こん船ば使うて、うんと金儲けばしてからに、銘酒屋ば開業した夢ば見申したばいその時ゃ、ここん野羽玉さあも、お客におさいじゃしてなあ。

野羽玉 何んち?おいがおはんの銘酒屋へ行った?馬鹿、誰がおはんの銘酒屋なんぞに行くものか、余り人聞きん悪か事ば言うなそげん柄ん悪か商売ばすっつもりなら、おはんな株主にすっとじゃなかった

奥田(明るく哄笑して)野羽玉どんなもう船が完成しちょるような事ば言うちょるじゃなかとや

野羽玉 ああ、そうか

一同(笑う

奥田 なあ、坊ちゃま野羽玉君もええ大人のごたるが実はまだまだ乳くさか子供ばいなあ、坊ちゃま。

修造(何か考え込んいる)ええ?何がですか?

野羽玉 いや、おいの事ば称して、村長様はまだ乳くさいと言うちょっとですよ、怪しからんですばい、なあ、坊ちゃま。

修造(慌てて調子を合せて)こりゃ面白い。野羽玉君を称して乳くさいとねえこりゃ面白い、どうだ憲二、面白いぢゃないか。(笑う)

留吉(にこりともしない)

修造(弟分の不貞腐れが癪にさわるが)おい憲二、お前はだねえ、あの資本金で皆さんが思っているよりも、もっと立派な船を作り上げるつもりだったかしらんが、それが其処まで行かない内に資本金がなくなってしまうそれが悲しいので余り嬉しそうな顔をしない、と、つまりこういう訳なんだろう。それこそ乳くさい考えと言うもんだよ、仕方すかたないもんだねえ。

野羽玉(感心して)いやあ、憲助坊ちゃまは、腹ん太か兄んしゃまで、憲二坊ちゃまは良心的なお方よか御兄弟ばい

修造 そう言われてはどうもねえハッハッハッ

おかの(船の傍へ行つて)坊ちゃま方まあ、こっちへおさいじゃして、この船ば見ちゃって下はい坊ちゃまな、そげんな心配ばしとんなはるが、まあ見ちゃって下さい、立派な船でごあんど。

修造(大げさにうなずいて)全く立派な船ですよ、ねえ島の方々や皆さんが喜んで下されば、一寸も気にすることはありませんよどうだ憲二、ちょっと船の中を見てみようじゃないか。

おかの 立派な船でごわすけえなあ


修造は立ち上り、留吉を誘う。おかのと共に船の蔭へ去る。


奥田 立派なもんじゃ二十年前にゃ竜骨だけで終ったが、今度は、こん船が、立派に進水して海へ浮ぶのじゃけえなあこの船にゃ二十年前からの、こん島ん衆の夢が通うとるんじゃけえなあ。


林田が出て来る。


林田(冷笑するように)皆して、未だ出来上りもせん船をば、ようまあ飽きもせずに、眺めちょる

奥田 おう、こりゃ林田さあな。大株主がそげな冷淡な事を言うちゃ折角の船が泣きますばい

林田 冷淡にも冷淡でないにもおいは株の払込ば無理やりに強奪されたようなもんじゃけえ。(と、言い捨てて通り過ぎようとする)

奥田 何処へ行かるっとな?

林田 荷揚場へ行くと漁船の帰って来っ時間のけん

奥田 まあええじゃないか、一服喫うて行かんかお前んさあも船がこげに立派な姿に、段々出来でくっとを見ちゃ、やっぱり可愛ゆうにないもそうがな

林田 そりゃ、おいの手から出た金がこげに形ば変えちょっと思やあ憎くはごわはんど。そいだけに、こん船にゃ相当に稼ぎば上げて貰わにゃ、御先祖様に対してん、おいの立つ瀬があり申さん(煙草に火をつける船材に坐る)

野羽玉 こげん、機嫌の悪か人がいては、おいもやり憎くかねえ、ハッハッハッハッ。(林田に火を貰う)


船のかげから、おかのが出て来る。


おかの アライヨ、林田さあな、まだ荷揚場にゃあ行きなさらんと?

林田 今、此処へ通りかかったとを引留めなはったけえ、一服しちょっとたい。

おかの たまにゃあ、船の傍へ来なはってん罰や当らんでしょう。時に、袈裟次さあはどげんな?

林田 うむ心配し申したが、意志でもっちょると言うか、気力でもっちょると言うか、陸へ上りゃあ真暗闇の盲目じゃが海へ出りゃそうでもない。心配要らんと本人は言うちょったまあ、その証拠ちゅうか何んちゅうか、袈裟次が潮見ばやるようになった此の頃は、近頃にゃ珍らしい鰹の大漁でなあ

野羽玉 袈裟次どんな、又海へ出ちょっとな?

林田 うむ、留めてもかんもんなあ

野羽玉 肯かんちゅったって、船へ乘せんようにすりゃそれでよかとじゃないか。

奥田 あの眼じゃ無理じゃぞ

野羽玉(蔑すんで)こん野郎はまあ、あの半盲のごたる袈裟次ば使うて、そんげんしてまで金儲けのしたとじゃろうかねえ

林田(ムツとして)何んち?何んば言うとか袈裟次はおはんに言われんでも、あん男は親の代からの潮見役のけん、おいは大切な上にも大切に扱うとっとじゃ。漁師の気持やおはんごたる者に判っか、黙っとれ

おかの そりゃ、袈裟次さあの気持や、又特別のけん、こりゃいちがいに林田さあば責むっとは好か事じゃなか袈裟次さあの事もあたやも留めて見たが、なかなかあの人は頑固者で肯かんもんなあ。

奥田 そりゃ、袈裟次どんの気持やよう判っちょる、何んちゅうてん、古今未曾有の戦争のけん。

林田 戦争?袈裟次の気持やあ、そいんげん小んけかものたあ違うたい。

野羽玉 林田さあな、戦争ばんけなものじゃと言いなはっとな?

林田 そうたい、袈裟次の気持に比べりゃ小んけなもんじゃと、おいは言うちょるたい

野羽玉 

林田 漁師ちゅう者はなあ唯、いおうんの中からとって来て、そえば売りさえすりゃええもんじゃとお前等思うとっじゃろうがなあ根っからの漁師の気持ちゅうもんはそんげん簡単なもんじゃなか袈裟次は、おいにも時に意見ばすっとじゃが、彼奴あれの言うのはじゃ、今度のように戦争の為に、若い漁師共が海ば怖がって魚ば獲らんと逃げ歩いて、陸へへばりついとるとが何んちゅうてん情ない、漁師が海で死ぬこたあ本望な事じゃと、こげん言うちょっとじゃ。

野羽玉(負けずに)おはんな、金儲けは好きじゃが、うんは嫌いじゃけえな、ハッハッハッ

林田 おいの何処が、海ば嫌うとる?こん野郎は、おいが、こん船会社に出資すっ事ば嫌がったとを根に持ちよって

奥田 まあ、よかよかそんげん同じ村の、同じ会社の重役同士が、事毎に角つきあいばしてどんげんするな

おかの そいじゃ、そいじゃ船ば作りゃあ、金儲けの出来でくっけんと思うて楽しみにする者と、船ば作っても、沈みや損ばするけんと心配する者との話のけん、何処まで行っても、話や折れ合わんとばいまあええ加減にした方がよか、船が出来りゃ、どっちが勝ちかが判っとじゃけえ、ハッハッハッ


林田の店の若い衆が、慌ただしく走り出る。


林田の若い衆 旦那さあ家の旦那さあ、おさいじゃすか。

林田 おう何事な?

林田の若い衆 旦那さあ(息を切らせている)

林田 どげんした?こん野郎、息まで切らせてからにしっかりせえ。

林田の若い衆 船が船が沈み申した。

林田 何、船が?


一同ハッとして立上る。

沈黙

風が強くなる。


林田 それ、言わんこっちゃない。

林田の若い衆 湾に敷設した機械水雷いう事でごわす頭ばかちわられた若え者が一人だけ帰って来申した。

林田 鰹船や?かもめ館の船な、うちの船な?

林田の若い衆 うちの船でごわす。

林田 何?袈裟次の乗った船か

林田の若い衆 そうでごわす

林田 袈裟次は死んだとか。

林田の若い衆 はい。


突如林田は血相変えて下手の道へ走り入る。

奥田、野羽玉、おかの、せつ代その他船大工等不安な面持で、後を追って入る。

船の蔭から修造と留吉がのつそりと出て来る。


留吉 行って見ようよ。

修造 いやだ(船材に坐る)

留吉 どうしたんだい、修さんチェッ、さっき迄は俺がふさぎ役で、今度は修さんがふさぎの虫にとっつかれたって言うのかい。俺のせいじゃありませんぜその度に逃げそこなっているのは、皆、修さんが下手な事をやってるんですぜ。俺だって 金の減ったのはもう諦めてるんだから、残った金だけを持って逃げりゃそれでいいじゃねえか。

修造 だから私は、そんな、逃げ損ってることで、ふさぎ込んでる訳じゃないのですよ。

留吉 それじゃ修さんは、ずっとこの島にいるというのかいその内には暴露ばれちゃうぜ。

修造 だから私は、船が出来上るまでこの島にいて、船が出来上ったのを見て逃げるつもりなんだよだからそれまでは船が出来上るそれまでは、皆と同じように船の出来上るのを見て、喜びたいのだよだが、皆は、船が毎日々々、次第に形をつけて来るのを見て、子供みたいに喜んでいるそれだのに私にゃ、皆のように、どうしてあんなに心から喜べないのだろう。

留吉(納得させるように)だって、俺達ゃ初めからこんな船なぞは作る気持じやなかったのだから、作る気持のない船が出来上って来るにしたがって折角の俺達の取り分が減ってくるのだからだから、この船になじまないんだよね、つまりだよ、惚れてもいない女に子供が出来て来るのと同じなんだよ。ハッハッハッ

修造 併し、惚れていない女に産れた子供だって我が子だと思って見れば、段々可愛くなって来る筈だ。私はそういう経験はないからね、よく判んねえけど

留吉(説得しようとして)修さん俺達ゃ、ペテン師なんだよ。普通の人間と同じにゃ行かないんだよ

修造 留さん君は、島の人が、この船を作る為にあんなに夢中になっているのを見て、何んともないのかね

留吉 だって、修さんは俺に、悪党になれ、悪党になれってあんなに言ったじゃねえか俺は、修さんの言う通りに、一生懸命になって、悪党になってるんじゃないか。今更になって、そんな弱音吐くなんて、だらしがねえぞ。

修造 君一人で、逃げ給え後は、私がうまくつくろってやっから。えい(と頭を叩いて)どうしてこんな気になっつまったんだろうなあ。

留吉 冗冗談言っちゃいけないよ、一人で逃げる位なら苦労しないよ一人で逃げりゃあ一人で捕まるんだぜ、そんな寂しい事はかんべんしてくれよ、修さん、あと二万円ばかりあるんだよ俺達がどんなに善人ぶったって、悪党は所詮悪党なんだって、修さんはよく俺に意見しただろう明日は、朝七時に船が出るんだ、明日の船で逃げようよ。

修造(船を見る)どうして、この船が、こんなに立派に出来上って来るのを見て他人のように嬉しくならないんだろうな俺達は、他の人間とは余ッ程頭の何処かが違って出来てんだなあ。(感傷的に言って、泣き出してしまう)

留吉 だから、修さん、俺達は、どっちにしたって、悪党なんだよ。悪党は悪党らしくしていりゃいいんだよ。もう札束にゃ馴れたから、一万円や、二万円見たって怖くはなくなっちゃった二万円あるんだぜ、二万円だ。あれを持って逃げようよ。

修造(泣きながら)二万円あるのか

留吉 修さん、逃げちゃおうよ。

修造(泣きながら)逃げちゃおうかな。


松林の奥の小路からゆきと里枝が出る。


ゆき あ坊ちゃま方おいでになったのでございますか。

留吉(邪険に)何んですか何か用なんですか。

ゆき いえ(引き返しかけて思いかえし)あの今、集会所の窓からこちらを見ておりましたら、皆さんが、一時にいなくなられたようでございますけん皆さんが、おいでにならぬ間に、一寸の間だけでもせめて

留吉 せめてどうなんですか。

ゆき 船をようくこの子によく見せてやりたいのでございますこの子は、船が大好きでございますけん。

留吉 船がねどうぞ、遠慮は要りませんよ。よく御覧なさい。


ゆきは里枝の手をひき、遠慮勝ちに造船台の傍へゆく。


ゆき 里枝触って見てごらん、これが船じゃけん(慕わしく)これが、お前の大好きな船じゃけん。

里枝(船体を撫でながら)コノウネ、イツレケルトヤ?

ゆき もう直ぐもう直ぐだよ。


修造、その親娘の姿を見ている。


修造 おゆきさん。

ゆき(いきなり呼びかけられたので)は、はい(ふりむいて、修造の真剣な顔にぎょっとする)

修造 あんたの名前はおゆきさんでしたな。

ゆき(おずおず)はい、左様でございます。

修造 あんたは、そんなに迄その船が好きですか。

ゆき え?

修造 あんたはどうしてそんなに、この船を愛しているのですか。

ゆき(怯える

修造 あんたばかりじゃない、この島の人は皆そうなんだが、この私でさえそんなに愛せないその船が、どうしてそんなに愛せるのですか。私はどうしてもそれが判らんのですよ。

ゆき(怯えて、許しを乞うように)坊ちゃま。

修造(意地悪く)それじゃまるで、私の方が間違っとって、あんた方の方が間違ってないみたいだからな

留吉(修造の様子の変ったのがふと不安になる)兄さんどうしたんですか。

修造 たとえばですねえこの島の人は、いや、あんたはだ渡瀬という人いや、私のお父さんとだ何か特別な関係でもあるのかね。

ゆき (修造が、自分と渡瀬との関係を知っているのかと誤解して驚く

修造 でなきゃ、こんなにこの船を愛せる訳はないからね(喧嘩腰で)面白くねえもんだよ、全く

ゆき 坊ちゃま(突然ひざまずく)御免なさい御免なさい。

修造 (驚いて)いや、別に謝らなくてもええのだがね。

ゆき 御免なさい許して下さい(はげしく泣く)

修造 いや、謝まらなくてもええのだ、少し私も言いすぎたがね。

ゆき 坊ちゃまに申し訳がございません(泣く)私は、私より前に、坊ちゃまがいらっしゃることを知らなかったのでございます坊ちゃまのお母様がいらっしゃることを知らなかったのでございます

修造 (きょとんとする)

ゆき 私はペナンで、坊ちゃまのお父様に初めてお目にかかったのでございます。その時、坊ちゃまのお父様はお独身で、いえ、お独身だとばかり思いましたのでございます私は、坊ちゃまや、坊ちゃま方のお母様が、その時すでに、他所におられたのを知らずに、お父様の嫁さんになったのでございます御許し下さい御許し下さい。(はげしく泣く)

修造(飛上る程驚く)え?それではあんたは、渡瀬憲造氏のいや、僕のお父さんの嫁さんかね?

留吉(驚く慄え出す)

ゆき いいえ(泣く)私は、坊ちゃま方や、坊ちゃま方のお母様からお父様をとった悪い女でございます。悪い女で(泣く)

修造(慄えている)とんでもないそんな事は一寸もかまいませんよ

ゆき(修造のつじつまの合わない言葉にも気づかず)此の島へ来る迄は、私こそは渡瀬の妻じゃと思うておりましたけれどおかのさんに、叱られたり坊ちゃま方の御姿を見たりしています内に、私や、悪い女じやったと、どれ程、胸をいためたことでございましょう御許し下さいませ御許し下さいませ

修造 それじゃこのお嬢さまがお父様の本当のいや、あなたのお子さんなんですね。

ゆき はい

里枝 (ひざまずく)オジタン、オカアタンガ、ワルイコトバ、シタトヤ?

修造(はや、気も転倒して)そんな事はありませんよそんな事はありませんよ。

里枝(手をついて)オカアン、カワイトウジャケイ、ユルイテ、クダハイ、ユルイテ、クダハイ。

修造(たまりかねて)奥さん私は、私達はですねえ

留吉(驚いて)修さん兄、兄さん(修造の口を押える)


年老いた此の村にたった一人の巡査がおっとり刀で走り出る。


老巡査 こらこら

留吉(その姿を見て蒼くなる)御免なさい

修造 あ(息をのむ)御免なさい、御免なさい。(手をついて許しを乞う)

老巡査 何を謝まっとるとじゃ、漁船が沈んで怪我人が出たちゅう事じゃが、どの浜辺か知らんな?

修造 え?

老巡査 荷揚場か、連絡船の舟着場か?

留吉 そ、それなら荷揚場です。

老巡査 そうなどんげんして沈んだとじゃろうねえ


老巡査は再びおっとり刀で走り去る。

修造と留吉は、ぽかんとして見送る。

風が強くなる。

雨が降って来る。

(溶暗)


第二場 嵐の島
(前場の翌朝)

第一幕と同じ場面。

表口の雨戸がしまっている。

戸外の嵐の音が物凄く

隙間を洩れる風で天井のランプが揺れている。

表口の雨戸をはげしく叩く音。


ゆき(声だけ)おかのさんおかのさん開けて下さいおかのさん


雨戸をはげしく叩く音。


ゆき(声だけ)おかのさんおかのさん。


おかの二階からカンテラの灯を頼りに降りて来る。

雨戸を開ける。

風強く、雨吹き込んで来る。

ゆきが、よろめきつつ入つて来る。


おかの ゆきさあじゃないな

ゆき (息を切らせている)

おかの 何事な

ゆき(叫ぶ)船がこわれる船がこわれる

おかの 何んな?

ゆき(しぼり出すような声で)風で、椰子の木浜の、船がこわれる私と里枝とで一心こめて防いでいましたが風にゃかないませんもんなあ(気を失いかける)

おかの おゆきさあ。(と、ゆきを抱き起して)しっかりせんか、おゆきさあ(身体を揺すぶって)おゆきさあ(ゆきの頻を突然にパンパンと殴る)しっかりせんか、そいで船はどげんしたとや

ゆき 船を助けてやって下さい。(泣声)船を助けてやって下さい。(泣く)

おかの おゆきさあ泣いちょる時ではなかとじゃしっかりしなはい。そいで?男ん衆は誰もまだ行っちょらんな?

ゆき 林田さあの所が一番近うございますけんあそこへ駈け込みましたら

おかの 林田さあはどげんしたとや?

ゆき 林田さあは、今朝風がまだこんなにひどうならん内に漁師達をつれて、自分で鰹船に乗って出かけられた袈裟次の志を継ぐのじゃというて出かけられた。今頃は難破しておられるかも知れんとこの置手紙をことづけられましたけん。(と、一通の手紙を出す)

おかの(受取って板の間へおく)しっかりしなはいおゆきさあ、しっかりしなはいそいじゃ、あたや直ぐ海岸へ行くけえ、ああたは早う、野羽玉さあに知らせてやって下はい

ゆき はい。(起き上ろうと努力する)

おかの(抱き起こして)辛かろうがのうあの船は渡瀬さあの魂が生れ代ってこの世に出て来る船のけん、お互いに命までもと思いこんだ渡瀬さあの身替りのあん船の為ならば、ああたもあたやも、命を捨つるとも惜しうはなかとじゃ。

ゆき はい。

おかの 行って下はるとや?

ゆき あの船を助ける為なら(決然と)行きます行きます。


ゆき、立ち上って戸外へ去ろうとする。


おかの(呼びとめて)おゆきさああん船ば、本当に愛しちょるなあああたと私とじゃけえなああん船ば助けてやったもんせ。(泣く


ゆき無言おかのの手を握る。

ゆき戸外へ去る。

風は強く、ゆきの去った戸外から雨が吹き込む。


おかの(土間から叫ぶ)兼次万吉


台所へ向って呼ぶ。


おかの 兼次万吉春。(叫ぶ)


兼次、万吉、春、台所から出てくる。


兼次 ひでえ風でごわすなあ。

おかの 何言うちょる船があぶない、椰子の木浜へ行くとじゃ、支度せえ。

兼次 あ、そう言や気がつきもさんで万吉、早う支度せえ。
(台所へ去る)

万吉 はい。(台所へ去る)


春、天井のランプを下して灯をとぼす。


おかの 春。

 はい。

おかの(身支度をしながら)奥へ行って、憲助坊ちゃまと憲二坊ちゃまば呼んで来う。


春は慌ただしく奥へ去る。


おかの(身支度をしながら、独りで呟くように)渡瀬さあの船じゃけえなあ、何んとしても助けにゃ。あん人の船じゃけえなあそれとも、おゆきさあの船かのうそれとも坊ちゃまの船かのうあたやの船ではなかとじゃ、私ゃの船ではなかとじゃそいでんよかとじゃあん人の船じゃけえなあ私やは、あん人に、真心ば捧げとりゃ、そいでよかとじゃけえな


春が走り出て来る。


 おかみさあ、坊ちゃまがおりまっせんばい

おかの なんち

 二人ともおられまッせんばい。

おかの してや?そげんな馬鹿な事があるもんか、よかよか、私が起して来っ


おかの、奥へ入る。

表から、助役平湯が雨外套を着たまま入って来る。


平湯(奥へ向って)おかのさあ船や大丈夫かあ。

兼次(台所から出る)こいから、行く所でごわす

平湯 こん風じゃ、あぶないと思うたけえ、人数ば集めて来たおかのさあはどげんした。


おかの、奥から出て来る。

万吉と春が雨具をつけて出て来る。


平湯 おう、おかのさあ海岸へ行こう

おかの(狐につままれて)平湯さあ、坊ちゃま方がおられまッせん

平湯 何してや?浜へ行かれたとじゃろう。

おかの いえ、それが今、おゆきさあが、知らせて来なはった様子じゃ、浜辺にも、行っちょらるる様子はなかとです。

平湯 そげんこつはあるもんか。渡瀬様の坊ちゃまじゃけえ、こげん風のひどか時や、必らず船ん事ばまっ先に考えておいでじゃきっと浜辺ぢゃ、船ば助くっ為に夢中になって働いておられよう何ちゅうてん、あの船にゃこん島ん衆の命がかかっとるんじゃけえなあ。

おかの じゃっどんとにかく行きもそう。


一同は戸外へ去る。

嵐、ひとしきり吹きすさむ。

ややあって

修造と、留吉がボストンバッグを提げ、濡れ鼠になって入って来る。


修造(喘いでいる)だから、私ゃ、厭だと言ったんじゃないか

留吉 だって昨夜の様子ぢゃ、これ程ひどい嵐になるとは思わなかったんだよ。

修造 こんな嵐なら、船は欠航するのがあたり前だからね、ほんとに全く、こんなとんちんかんなペテン仕事は私ゃ初めてだよ。

留吉 (くさって)運が悪いのだよ。

修造 だから私ゃ逃げるのは厭だと言ったのだ。

留吉 だって、逃げなきゃ、修さんは白状しちまうじゃないか白状すれば俺達は、二人とも揃って、警察の御厄介になっちまうんだぜ。警察の御厄介になるか、二万円儲かるという境目なら、誰だって二万円の方を選ぶのがあたり前だろう

修造(不機嫌に)だけど、船の出ねえ日を選んで逃げ出す事はないのだからね。

留吉 修さん、許してくれよ、明日か明後日になりゃ船も出るんだからな感冒かぜひかなかったかい。

修造(不機嫌にあたり散らす)要らねえお世話だよ。

留吉(なだめて)まだ誰も起きていないらしいから、今の内に寝床へもぐり込んじまえば判らないよさあ、寝ちまおうよ、修さん
(と座敷へ上る)


修造、座敷へ上りかけ、ふと、其処へ落ちている手紙に気づいて拾い上げる。


修造(上書を読む)渡瀬憲助様・憲二様

留吉 修さん、寝ねえのかい。

修造(封を切って中身を読む無言)

留吉 先に寝るぜ見つかると煩さいからなあ

修造(手紙をジッと見つめて)留さん、あの林田の網元でさえ船の事を心配してるのだよ自分は漁師らしく海のあるかぎりどんな場合にも漁へ出て行くが、自分がもしも死んでもあの船は是非完成して貰いたいとねちゃんと、此の手紙に書いてるのだ。あんな男でも、いよいよになると金の事は言わねえんだからね何んだい二万やそこらの金を持って逃げるのにあくせくして、恥ずかしくないのかね。

留吉 (無言)

修造 これが十万とか十五万とかの仕事なら、話はまた別だがチェッ、こんな濡れ鼠になって、それでいて持って持げる金がたった二万円けちくさくて話にならねえよ。

留吉(少し癪にさわって来る)じゃ、修さんは、結局船が出来るまで逃げないって言うのかい。

修造 これから明日の朝までによく考えて見ようじゃねえかえ?こせこせしないで(と、立上る)


修造と留吉、奥へ行こうとする

突然、表戸があいて、里枝がずぶ濡れになって飛び込んで来る。同時に吹き込む、風と雨


里枝 オジタンウネ、コワレルヨウネ、コワレルヨ(泣き叫ぶ)オジタン、オカアタンガ、ワルイコトシタトワワタチガ、アヤマルケエオカアタンガ、ワルイコトシタトワ、ワタチガ、アヤマルケエウネバタスケテヤッテタモンセウネワレルヨウウネバタスケテヤッテタモンセオカアタンガ、ワルイコトシタトワ、ワタチガ、アヤマルケエナア。

修造 お嬢さん船がどうしたんだって?

里枝(その手にとりすがって)オジタン、ウネコワレルヨウネコワレルヨウタスケテヤッテタモンセタスケテヤッテタモンセ。

修造 船がこわれる?


戸外の凄まじい風の音。


修造(ふらふらと土間へ下りて)留さん、行こう。

留吉 修さん、、何処へ行くんだい。

修造 船だよ

留吉 船?


里枝、ジッと修造と留吉の顔を見つめている。

戸外の凄まじい風の音。


留吉 行って見ようか

修造 うむ


修造と留吉、オーバーを頭からかぶる。

表戸を開けて、猛烈に吹き込む雨の中へ突進して去る。


里枝(その後姿へ叫ぶ)オジタン、ウネイツレケルトヤ?オジタン


里枝、吹き込む風に飛ばされそうになりながら、戸外へ突進して行く。誰もいない、開けっぱなしの屋内に風が思うさま吹き荒れる。風と雨。その中に微かに陽光が射して来る。


(溶暗)


第三場 晴れた日
(前場の一カ月後)

第二幕一場及び第三幕一場と同じ場面。

第三幕一場の木造船が完成して、進水を待つばかりの姿となり、帆柱には満艦飾の旗が飾られている。

背後の松林には紅白の幕がはりめぐらされ、「進水祝賀会会場」の立礼。

木造船の船尾のあたりに、ささやかな演壇が設けられ、その前にテーブルが備えられて、其処には「祝辞、知事閣下」と書いた紙が貼られてある。

花火の音

楽隊の賑やかなマーチ

花火の音だけが残る。

知事代理の内務部長が演壇の上で金ピカの第一礼装で祝辞を読んでいる。

主催者の、林田、野羽玉、おかの

来賓の奥田村長、平湯助役

渡瀬憲助氏こと、野長瀬修造が椅子に掛けている。


内務部長(祝辞)斯くの如き絶海の孤島に於いて、木造船増産推進の先駆の火蓋が切られたるが如きは


花火の音

花火に喚声をあげる島の人達の蔭の声。

その音に依って祝辞の声が聞えない。


内務部長(朗読をやめて空を仰ぐ火蓋が切られたるが如きは、正に画期的現象とも言うべく


花火の音

喚声


内務部長(大声をはり上げて)正に画期的現象とも言うべく、当県の誇りたるは論をまたざる所なる事疑いもなき所にして、その功績たるや特記すべきもの也。依って進水式を期し此処に祝辞を贈りその業を賞讃するもの也。長崎県知事従五位勲三等功六級、椎名又助。


花火の音

喚声

一同拍手

内務部長は壇を下り席につく

入れ換って、奥田村長が登壇する。


奥田(肩をはって選挙演説のような口調で)諸君、唯今の長崎県知事、従五位勲三等功六級、椎名又助閣下の御名代、県内務部長、入畑米五郎閣下の有難い御祝辞ば聞き申されたな?県知事閣下より御祝辞を頂き、県内務部長閣下の御来臨を忝けのうすっちゅうような事は、こん島開闢以来古今未曾有の特記すべき出来事でごわすよかですか諸君は、こんげん記念すべき日の事ば一生忘れてはなりもはんかえり見るにこん甑島造船株式会社設立に就いちゃあ、村長奥田有助即ち吾輩もひとかたならず心配し申したが、そいがじゃ、こんげん晴れやかな進水式の日ば迎えるちゅうこつは、唯々ひとえに諸君の努力、神の加護、これより他に考うっ事は有りもはん、忘れちゃあなりもはんど、これが大切の事ですけえさて、それについて、特記すべきは、その星の数よりも数多ある功績者の中に於いて最も功労多かりし、我等の指導者渡瀬氏御兄弟の

野羽玉 村長どんその我等の指導者ちゅう言葉は取り消して貰いとうごわす。

奥田(腰を折られて)何んち?

野羽玉 我等の指導者ちゅう言葉は、その昔の共産党がよう使うた言葉のけん、この儀式にはふさわしか言葉じゃごわはん林田網元、どんげんごあんそ?

林田 そいじゃ、そいじゃ(立ち上って)閣下我等の指導者ちゅう言葉に就いての御考えは如何でごあんそ?

内務部長(苦笑して)そうだねえ、私達の統率者?これもおかしいまあ、私達の指導者とでもすべきだろうねえ

林田(几張面に)あの、念の為に申し添えておき申すが、奥田村長は決して共産党ではごわはんけえ、何卒誤解ばなさいませんようにお願い申し上げますたい

内務部長(哄笑して)いや、それはよく調べてあるから、大丈夫だ。

林田 はい村長、私達の指導者と改めて下はい

奥田 はい(恐縮して)どうもはや、年甲斐ものう言葉ば間違え申して、何卒お聞きのがしの程ばお願い申し上げますたい。

内務部長(うなずく)

奥田(演説をつづける)私達の指導者渡瀬憲助氏、及び、今日は、感冒をひいて御欠席の渡瀬憲二氏の特記すべき功績でごわすそえが計らずも今回、県当局のお耳に達し、唯今の祝辞に引きつづき、渡瀬御兄弟は、こん席上に於いて県知事閣下より表彰せらるることになり申した

一同(拍手する

修造 (態と驚いたように)村長さん、そりゃ困るそ、そりゃ、全く私の意志とは離れております。あなた、表彰なぞとそんな

奥田(壇上から)困る事はなかじゃ折角の県知事閣下の思召じゃけえ、頂いておきなはい。

野羽玉 いや、この事はなその、県当局の御内意ば初めから坊ちゃま方にお伝えしておくべきじゃったかも知れんが、おい共の口から言うよりや、内務部長閣下のお口から聞かれた方がどれ程お喜びであろうかと

修造(てれたペテン師の遠慮と、芝居じみた遠慮をごっちゃにして)いやその実はこのお話は、今朝ほどおかのさんから秘かにおうかがいしたので、何卒そういう事はお断りいたしたいと

林田 おかのさあな、坊ちゃまに聞かせなはったな?

おかの 一時も早う聞かせて喜ばせてあげようと思うたけえなあ、ところがどうしても断ってくれとそんげん言わるっとじゃが、そうもいきもはんで

修造 いや全く困ります。私の意志はいや、父渡瀬憲造の意志は決してそういう所にはなかったのです

奥田(壇上から)坊ちゃま、折角の知事閣下の思召ばい、お断り申しちゃあ失礼ごあんど

修造 (止むを得ずと言うように)困っつまったなあ

内務部長(命令的に)村長進水式がおくれる。早く済ませなさい。

奥田(恐縮して)はい(演説をつづける)さて、諸君も知らるる通り、渡瀬憲造氏遺児渡瀬憲助氏並びに憲二氏は志操堅固にして清廉潔白、衆の模範たるべきお人でごわす。この点に関しては諸君に於かれても満場一致異議なき所でごあんど

一同(拍手)

おかの(泣いて)坊ちゃま嬉しうごあんどなあ

修造 (大げさに)ああ、僕はどうしたらいいのであろうかねえ僕は寝ている弟にも聞かせてやりたいです。

おかの そうでごあんしょうほんにも。(泣く)

奥田 今日唯今、此処に於いて県知事閣下より表彰の栄を贈らる、快ならずや。(机をドンと叩く)

一同(拍手)

奥田 では、唯今より表彰式でごわす


奥田村長、壇を下りる。

入れ換って、内務部長登壇する

花火の音

島の人々の喚声


奥田(演壇の横に立って)唯今より表彰式でごわす渡瀬憲助(さし招く)


修造、演壇の下へ行く

平湯、立ち上って用意の表彰状を塗り盆に拡げてのせ、恭々しく内務部長の前へ運ぶ。


内務部長(表彰状の文言を読む)表彰長崎県平民、渡瀬憲助、同、渡瀬憲二右の者、時局下における木造船増産の急務を痛感し、卒先その推進に当りたるは県民の以って模範とすべき所也、依って之を表彰す。昭和十七年四月一日、長崎県知事、従五位勲三等功六級、椎名又助。


内務部長、恭々しく一枚の表彰状を修造に渡す。

修造は、表彰状を受け取り、その後に、何か貰えるのかと待っている。


奥田 坊ちゃま、そえが表彰状でごあんど


修造、変な顔をして席に戻る。

一同、立ち上って修造を取り囲む。


林田 坊ちゃま、お芽出度うごわす。

おかの ほんにも、渡瀬様が此の世におさいじゃしたらどんげんお喜びでごあんそお芽出度うごわす、お芽出度うごわす

野羽玉 坊ちゃま。(肩をたたいて)ようごわしたなあ。

平湯 チェストほんにも、今日はよか日ですばい、お芽出度うごわす

修造(何かしらあてがはずれたので悄気ているが)有難ういや、全く何んと言ってよろしいのでしょうか、父も喜ぶ事でしょう。

野羽玉(世話役らしく)さあちょっくら休憩ばして引きつづき進水式ですけえ、こん幕の向うの祝賀の会場でほんのお口汚しばいたしとうごわすどうぞ、皆さあ

奥田 坊ちゃま、村長も祝賀の御相伴にあずかりますたいお芽出度うごわしたなあ

修造 有難うございました

奥田(内務部長に)さあ、田舎の事で何もごわんが、どうか島料理しまじゆいでんお上りやってたもんせさあどうぞ、坊ちゃまもどうぞ。

野羽玉(如才なく)さあ、皆さあ用意が出来とりますけえ。

おかの 坊ちゃま、さあ、参りまっしょ

修造(仔細ありげに)有難うしかし私、実は、進水する前に、私一人でもう一度この船をしみじみと眺めたいと存じます、直ぐに参ります。どうぞ皆様はお先に、お先に

おかの(うなずいて)ほんにも、そりゃそうでごあんそ、お一人でなあ

野羽玉 坊ちゃまにすりゃあ、感激も深うごめんそ、無理もなかですたいでは、お待ち申しておりますけえ

奥田(内務部長に)さあ、どうぞ


一同は「祝賀会会場」と立札の貼られた所から、紅白のだんだら幕の蔭へ去る。

役場の小使たちが数人出て来て、椅子、机等を運び去る。


役場の小使 皆様、お待ちになっちょらるっとですけえ、何卒お早うに

修造 や、有難う


役場の小使は去る。

花火の音

留吉が第一場に登場した時の服装で出て来る。


留吉 修さん、支度出来たぜ、船は二時だ。

修造(留吉の顔を見て、てれたように溜息をつく)

留吉 表彰の褒美いくらだったね、相手は役所だから、どうせ包み金だろうがねえ

修造(無言で表彰状を放り出す)

留吉 (にやにやと笑って)修さん、土壇場になってごまかそうなんてひでえや

修造(憤然として)何言ってるんだ君は私がごまかす?ふざけるんでないよ。私がそう言う事をする人間か人間でないか、君はこれ程長い間、私とつきあっていながら判らねえのか。

留吉 (蒼くなって)御免よ、勘弁してくれよ。だって余りひでえからさあ表彰ってえのはこんな紙をたった一枚呉れる事なのかい。

修造(人並らしく)政府を見損なったのは私も同じだ。私ゃ、たとえば千円位は呉れるかと思ったんだ。小学校の卒業式だって、賞める時にゃ、帳面だとか鉛筆だとか呉れっからね大人に呉れる褒美だから、少なくとも千円は呉れるだろうとね、私ゃ思ったんだしかし、呉れねえものは仕方がない。とにかく今の内に逃げっちまおうじゃないか。

留吉(おどおどと)修さん、馬鹿な目に合ったなあ実はね。

修造 ま、仕方がないよ、私は、こうして出来上った船の姿も見たんだし、もう、此の島にも心残りはないからなところで会社の金庫にいくら残ってたね?

留吉 修さん(悄気てそれが、金庫を調べたら、六十円余りしか残ってねえんだ。

修造 何んだって?

留吉 六十円なんだ。

修造 六十円?六千円の間違いじゃないだろうね

留吉 六十円なんだよ

修造(憤然と)馬鹿ッ私ゃ、東京から此処へ来るのに、汽車賃船賃を合せて七十円程費ってしまったんだよ

留吉 俺だって俺だって同じだよ

修造 そんならお前、二人の投資した資本は、合わせて百四十円じゃないか、そ、それを六十円ばかり持って逃げてどうするんだ(口がきけない程腹を立てる)おい、帰りの汽車賃だって要るんだぞ

留吉 だから、途中までしか帰れねえんだよ

修造 お、おい、留公君は夢を見てるんじゃねえだろうなあ

留吉 (悄気て)どうすりゃいいんだろうなあ

修造(その留吉の頭を、丸めた表彰状で殴る)馬鹿野郎大体、私一人でやって来た仕事場へ、君がひょこひょこ現れて来たのが、けちのつきはじめだ

留吉(反抗)何言ってんだい、何時も逃げ損ったのは兄貴じゃねえか

修造 何んだと?こら、留公(と、留吉の胸倉をつかむ)

留吉(おどろいて)何を、何をするんだ何を

修造 おい、東京から態々やって来てさ、欠損二百円のペテン仕事なんて、泣くにも泣けねえぞ、私はおい、君が悪いんだ、君が

留吉 仕様がねえじゃないかそんな事言ったって、運が悪いんだよ。


おかのが出て来る。


おかの 坊ちゃま(留吉に気づいて)アライヨ、憲二坊ちゃまもおさいじゃしたな皆様、お待ちになっちょるっとじゃけえ、どうぞ、早う

修造(慌てて)いや、此奴がね、どうしても出席すると言うので身体に障ってはいかんからと、留めておるのです。どうも困った奴でして、ハッハッハッ

おかの 御出席なさっちゃ、好うなかとでしょうか。

修造 (厳然と)駄目です、身体は大切ですからねえ直ぐに参ります。どうかもう暫らく

おかの では、そんげんお取次しておきますけ


おかの、去る。


留吉 兄貴修さんとにかく、今の内だ船が出ちまうぜ。

修造(溜息)ああ、何んて事だろうかねえこの島へはじめて来たのは去年の秋だよ。あれから半年も、かかって

留吉 つまりその半年かかって二百円余り損をしたわけなんだ、帰りの足代も入れたらな。(泣き笑い)

修造(頭をかきむしる)ああ、厭んなっつまったなあ此の世の中がさあ。

留吉 俺が来たのが却って邪魔になったかなあ。

修造 (溜息)大阪あたりで、何か大きな仕事をして今度こそは成功してだな、この損害を取り返すんだな。なあに、人生いたる所に青山ありだ。気を落す事はないよ。

留吉 兄貴、勘弁してくれるかい。

修造 仕方ねえよ、私ゃ昔から肚が出来てるんだからな。許すも許さんもお前、ハッハッ(おかのの去ったあたりを見送って)あのお婆さんともお別れだ

留吉(船をつくづく眺めて)五万円か。(泣きそうな声で)全部、この船に化けちまったんだからな。

修造 うん?(ふりむいて)ああ、この船かこれが、私のやった中じゃあ、一番大きな仕事だ、損害も大きかったがね(溜息)

留吉 じゃそろそろ行こうか、馬車が来るんだ


年老いた巡査が出る。


老巡査 いよいよ、進水式でごわすなあ。

修造 おかげでねえ。

老巡査 お芽出度い事でごわす、おい共は何んの関係もない人間じゃっどん、今日の進水式は嬉しうてなりもはんでよか船ですたい、なあ坊ちゃま

修造 有難うございますおかげでねえ、ハッハッハッ

老巡査 祝賀会で皆さあがお待かねでごあんが、お行きにならんと?

修造 いや、弟の身体の具合が少し悪いのでね

老巡査 おう、そりゃいけまッしえんなあ、どうぞ大事に

修造 はい、宿まで送りとどけて参りますから。

老巡査 お大事に

修造 憲二行くんだよ


修造は、名残り惜し気にチラッと船を見る

そして、留吉と共に慌ただしく去る。

花火の音

老巡査は空を仰いで花火に見とれて、やがて去る。

ゆきと里枝が出る。


ゆき 里枝さあ、もう誰もおんなさらけん、船をよう見なさい。船が出来上ったんじゃけん

里枝(船の傍へ行って、ゆきをふりむく)ウネ、デケタウネ、デケタ。(微笑む)

ゆき お父様の船じゃけんお父様が、病気で寝とんなさった時のように優しうさすって上げなさい

里枝(微笑む)ウネ、デケタ
(と、船の胴腹に頬ずりをする)

ゆき お母さんは、お祝いのお手伝いで忙がしいけん、此処で遊んどるのですよ(懐中から細い竹笛を出して与える)ほれ、久しぶりでお父様の笛を貸してあげよう、お父様に聞かせて上げなさい。

里枝 オトウタンガ、ビョウキノトキノヨウニ、フイテキカセルトヤ?

ゆき そうじゃ、そうじゃ船の傍でよう聞かせて上げなさい


里枝は、船によりそって坐る。

竹笛の歌口をしめして吹きはじめる。

南方の土民の歌のような物哀しい節まわしである


ゆき ええか遊んでおるのだよ。


ゆき、行きかけて修造が捨てて行った表彰状に気づき、拾い上げる。

拡げてそれを見る。

そしてゆきは、里枝の姿をふりかえってそッと涙を拭く

里枝答えず、無心に笛を吹きつづける。

風が少し出て来る。

波の音が静かに聞える。

せつ代が出て来て、松の木に凭れて船を見ている。


せつ代(船をみつめて)よか船じゃよか船じゃ


船によりそうて笛を吹く里枝

笛の音は、風とかすかな浪の音の中をびょうびょうと流れてゆく

その笛の音は、南方の土民のかなしい歌声のようである。

風が吹く、そして静かな波の音も

(幕)


今日を限りの


三幕十一場

昭和三十四年六ー七月 芸術座上演
(東宝現代劇)

(人物)
桂一郎(海軍兵学校生徒)
頼母木亘(同 伍長)
管原啓二(同 伍長補)
山本奈加夫(同 四号生徒)
朝倉安彦(同 〃)
島公安(同 〃)
野島継雄(同 〃)
森永篤(同 〃)
田中時雄(同 〃)
荒木成年(同 〃)
京原信一(同 三号生徒)
町田久(同 三号生徒)
田無芳雄(同 二号生徒)
牧務(同 二号生徒)
黒田矢寸四(同 一号生徒)
高畠恭一(同 〃)
南鄉晴雄(同 〃)
三宅俊晴(海軍兵学校教官)
野坂英俊(同)
三宅雪枝(三宅教官の娘)
みつ子(倶楽部の娘)
かね(倶楽部の主婦)
およし(倶楽部の手伝いっ子)
朝倉邦子(安彦の母)
同 三枝(邦子の娘)
金原教官(特務下士官)
上原少佐
勝本大尉
清水中尉
桂浩平(一郎の父)
同 のぶ(一郎の母)
同 みき子(一郎の妹)
同 三郎(一郎の弟)
航空隊司令
栗山中佐
川口大尉
その他


第一幕


第一場 若人というもの
(海軍兵学校)

自習室內部。

正面の壁に、

〝聖訓五箇条〟

一 軍人は忠節を尽すを本分とすべし

一 軍人は礼儀を正しくすべし

一 軍人は武勇を尚ぶべし

一 軍人は信義を重んずべし

一 軍人は質素を旨とすべし


前奏があって、幕があがる。

昭和十五年三月末、夜

電灯があかあかとついている。

生徒達がはいってくる。


荒木 桂同じ分隊にはいれてよかったな。

 朝倉もこの分隊だ朝倉のおふくろに知らせてやると喜ぶぞ。

荒木 朝倉のおふくろは、俺にも頼んでたよ朝倉は陰気な子じゃけん、よろしう頼むいうてな。

 (東北弁)あんた、何処の生れかね。

  僕は二本松ですよ。

  儂ゃ岩手県じゃが

  二本松は福島です。

  福島と岩手は案外近くだども、あんたは一番の成績じゃったそうなよろしう頼むで。

山本(案内書のようなものを読んでいる)分隊とは、上級生たる四年生から、三年、二年、一年を縦に割って、およそ十五名宛を区切りとした区分にして、一分隊には四年生二、三名、二、三年生数名、一年生数名を割り当て、これを統卒し指導するものは、上級生中の成績優秀なる生徒にして、分隊長にあたる上級生を伍長と呼び、これを補佐する生徒を伍長補と呼ぶ一分隊中に、四年、三年、二年の上級生を混合したるは、兵学校生活に慣れぬ新人生徒を上級生を以って、教導せしむるにありかすると、なあ諸君、この分隊には四年生も三年生も加わっとるというわけじゃが、上級生ちゅうのは、とかく生意気なもんやでなあ住みにくいぞ、こりゃ。

 山本君(注意)上級生がおられるぞ。

山本 上級生?どれじゃ。

荒木 あれとちがうか。


と、頼母木達の一群を指さす。

ちょうどその時

廊下のあたりで、

「待てえッ」という一号生徒の声がきこえる。

室内の四号生徒は、驚いて顔を見あわせる。

声は一号生徒黒田矢寸四である。


黒田(声だけ)何というあがりかたをするのかもう一度あがってこい。

頼母木(四号生徒に)四号生徒よくきけ、兵学校では階段は二段ずつあがるものだみんな二段ずつあがったか。

山本 いえ、行儀よく一段ずつあがりました。

頼母木 今日ははじめてだから見逃したのだ明日からは二段ずつあがるんだぞ、海軍軍人の行動は敏速でなくてはならん。

黒田(声だけ)待てえッ!何度やり直したら判るか!なぜ一段ずつあがってくるか!

朝倉(声だけ)一段ずつあがるのが正しいからです。

黒田(声だけ)兵学校では、二段ずつあがるのが正しいのだ。

朝倉(声)なぜ、それを先に言わないんです。二段ずつあがるのは正しくないじゃないですか。

黒田(声)何!


拳で殴る音。


黒田 もう一度あがり直せ。


足音。


黒田 ようし此処が自習室だ。入れ!


扉があいて、一号生徒の黒田と、四号生徒の朝倉が入ってくる。

朝倉は不満な涙。


 朝倉、どうしたんだ俺も一段ずつあがったんだが君は不運だったんだよ。

菅原(大声)私語してはならん。

頼母木 整列。

菅原 四号生徒は左翼に並べ。


混然と並ぼうとするのを、


菅原 四号生徒というのは、今日入学した生徒のことだ。自分達の呼名が判らんのか。

頼母木 海軍軍人は敏速な行動を尊ぶと、さっきもいったのだが判らんのか。


生徒、一列に並ぶ。


頼母木 自習を開始するにあたり、姓名申告を行なう。姓名申告。(自分も隊列に入って)伍長、頼母木亘。

菅原 伍長補、菅原啓二。

黒田 一号生徒、黒田矢寸四。

田無 二号生徒、田無芳雄。

 二号生徒、牧務。

京原 三号生徒、京原信一。

町田 三号生徒、町田久。

 四号生徒、桂一郎。

頼母木 四号は姓名だけ言えばいい。

 桂一郎。

山本 山本奈加夫。

頼母木 声が小さい。

山本 山本奈加夫。

頼母木 声に力がはいっとらん。

山本 山本奈加夫。

菅原 何を言っとるか判らん。

山本 山本奈加夫。

黒田 貴様の名は、やまをなあおというのか。

山本 山本奈加夫。

黒田 きこえん。

山本 山本奈加夫。

頼母木 次ッ。

 島公安。

頼母木 声が小さい太平洋のまん中でも、そんな声で、きこえると思うか。

 島公安。

頼母木 何ッ。

 島公安しまきみやす

菅原 何ッ、何がいまくるのか。

 島公安。

頼母木 次ッ。

朝倉 朝倉安彦。

頼母木 声が小さい。

朝倉 朝倉安彦。(同じ声量)

頼母木 声が小さい。

朝倉(同じ声量)朝倉安彦。

菅原 朝倉貴様。


と、進み出るが、


頼母木 菅原あとにしろ次。

野島 野島継雄。

頼母木 次。

森永 森永篤。

田中 田中時雄。

荒木 荒木成年。

頼母木 よし。

菅原 朝倉、一歩前へ出ろ!さっき頼母木伍長は、貴様に声が小さいと注意を与えておられた。なぜ、同じ声で答えたか。

朝倉 なぜ大きな声で言わなくてはいけないのですか。

菅原 声が小さくては、何を申告したか判らんからだ。

朝倉 しかし、あなたはいま、僕を朝倉とお呼びになりました。僕の姓名申告がよくきこえたからではないのですか。

頼母木 軍艦の上では、いまのような声ではきこえん。

朝倉 軍艦に乗った時は乗った時のような声を出します。

頼母木 普段からやらずに、どうして軍艦の上だけ大きな声が出るか。

朝倉 剣道の稽古に普段から真剣を使いますか。

頼母木 何ッ。

朝倉 剣道の稽古は竹刀でやります。心持だけが真剣であればいいときいております。

黒田 その四号前へ出ろ!貴様、さっきも階段の昇り方で逆らったな前へ出ろ!前へ出るんだ。


朝倉、前へ出る。


黒田 両手をうしろにまわし、両足を開け。


朝倉、命令通りに実行する。


黒田 貴様、何の目的で兵学校に入学してきたか。

朝倉 

黒田 何の目的で兵学校に入学してきたか。

朝倉 

黒田 判らんのか判らんければ、いま判るようにしてやる。


と黒田は拳固で殴る。

朝倉がよろけるを見て、


黒田 なぜ動くか貴様、だらけとるぞ。


とまた殴る。


黒田 なぜ兵学校に入って来たか判ったか。


朝倉 

黒田 まだ判らんのかよし、判らんければ

頼母木 黒田よせ朝倉は、兵学校にはいりたくてはいってきた。だが、兵学校がどんなところであるかは、判っていない。仕方がないじゃないか。今日入学してすぐに兵学校の如何なるものかが判るわけはないからな。

黒田 しかし、兵学校に入りたいと思う以上は、海軍兵学校の何たるかを

頼母木 海軍兵学校は、日本帝国海軍の根幹となるべき人材を作りあげるところだ。その程度のことは誰でも知っている。だからこそ、我々は誇りをもってこの学校に入ってきたのだ。朝倉も知っているにちがいない。――しかし、如何なる方法でその人材を作りあげるか、それは朝倉にも今は判っていない今から我々の手で徐々に判っていくようにしてやるより仕方がないじゃないか。

黒田 しかし

頼母木 朝倉貴様、兵学校が好きで入学して来たのとちがうのか。

朝倉 好きじゃないです親が申込んだのです。

頼母木 では貴様は、日本帝国海軍の根幹たる海軍軍人になることを好まずして、この兵学校に入ってきたのか。

朝倉 僕が好んで入ってきたんじゃない。

菅原 僕はじゃない、私というんだ、私と

朝倉 僕は止むを得ず入学してきたんです。

黒田 朝倉!

頼母木 待て。誰か四号生徒でこの朝倉と親しい奴はいないのか。

 頼母木伍長私は朝倉と同郷であります。

頼母木 桂一郎だったな、故郷は何処だったか。

 福島県二本松であります。

頼母木 朝倉も会津か。

 朝倉は学校で私の一年下でした。

頼母木 桂、お前から朝倉に、海軍兵学校の何たるかを説いてきかせろ、貴様は知ってるのだろう。

 つもりであります。

頼母木 何?

 つもりであります。

頼母木 言葉を省略しては意味が通じん。

 海軍兵学校の何たるかを知っているつもりであります。

頼母木 よし朝倉には、お前からとっくりと話してきかせろ海軍兵学校の生活には戦時も平時も変りがないのであるが、しかし、いまは日華事変の三年目だ国家の前途は益々多難特に兵学校生徒の任務は重い兵学校の生徒全員が心を一つにして、国難におもむかねばならんという時ましてや、一つの分隊の中に、朝倉のように、兵学校の生徒であることに疑問を抱くような者がいては、全員一丸の任務達成は覚つかないと思う。よろしくやれ。それで判らなければ、俺自身で朝倉と判る迄話し合うつもりだ。

 朝倉も、恐らくは海軍兵学校の何たるかは知っている筈であります。

頼母木 その筈だと俺も思っているが明日、話の結果を報告しろ。

 判りました。

菅原 もとの位置!


桂、朝倉列に帰る。


頼母木 皆に教えておく。此処が自習室だ。毎日の日課が終ると、我々は此処へ来て午後六時半から九時半まで自習をやるのだ。ことのついでに毎日の日課を教えておくが、毎朝の起床は午前六時である。起床ラッパが鳴ると、寝具をたたみ整頓して、洗面所にかけつけて顔を洗い、体操の準備をして生徒館前に集合、これを十分以内にやる。室内点検をやって、それから飯だ。飯がすむと定時点検、午前の課業、午後の課業、訓練などの毎日の日課がはじまる。その間一切の私語雑談の類は禁じられておる。この自習室にきてからも同じだ。自習は六時半から九時半まで終ると、寝室に入って、そこで巡検の時刻までの休憩時間が約十五分間ほどある。その時、はじめて雑談が許される何かお互同士話し合いたいことがあれば、その時充分に話すがいい巡検がすむと就寝である。充分に睡眠をとらないと、翌日の学課にさしつかえるから、上級生は就寝時刻がくれば、直ちに眠ることにしている。貴様達も、よく眠った方がいい。

 頼母木伍長。

頼母木 何か。

 するとあの一日二十四時間の内、新入生の我々だけが話し合うのは、巡検の前の十五分間だけッちゅうことになりますが、何分にも同級生ということになれば、いろいろと話したいことが、山ほどあるでがんすがのう。

菅原 島。

 はい。

菅原 地方弁は許さん標準語でしゃべれ。

 何言ってんだ、あんた、私のこれは、立派な標準語だってばよ。

菅原 島、前へ出ろ!


島、前へ進み出る。


菅原 なんて言う歩き方をするか、海軍にはそんな歩き方はない気をつけ、前へ進め、歩調とれ!


島、歩く。


菅原 もっと胸をはり、尻を引込めろ、廻れ右前へ進め、連隊止まれ。

(止まる)

菅原 あいうえおを言ってみろ。

 あいうえお、かんきくけこ、さしすせそたちつでど

菅原 かんきくけこではない。かきくけこだ兵学校に入るのに、なぜ地方なまりぐらい直しておかないのだ。

 申すわけないであります。

菅原 申すわけではない、申しわけだ。

(泣く)申すわけないであります。

菅原 よし、もどれ。

(元の席にもどる)


三宅教官が出る。


頼母木 気をつけ!


一同、正面を向く。


三宅 休んでよろしい。

頼母木 休め。

三宅(頼母木に)姓名申告その他は、もうすんだのか。

頼母木 はい済みました。姓名申告終了後に毎日の日課と起床時その他、新入生の心得を話しておきました。

三宅(生徒全体に)ここは自習室だから、生徒各自が伍長の統率のもとに生徒自らの学習をする室だが、教官もたまには見回ってくる時もある。その時お前達の学習態度がよくなかったら、伍長の責任になる。頼母木伍長にあまり迷惑をかけんようにしなくてはいかん。

生徒一同 判りました。

三宅 わしは、会津二本松の出身だが、わしの前任者の藤岡中佐も東北岩手の出身者だった。東北人は、鈍重で、なかなか腹を立てんが、腹を立てるとしゅうねん深いから、お前等よく気をつけておけ。

頼母木 教官、この分隊に、会津二本松の出身者が二人おります。

三宅 ほう、そりや懐かしいな、誰だ?

頼母木 桂、朝倉、立て。


桂、朝倉、立つ。


三宅 お前達は、二本松の出身か。

 はい、二本松の地主で、あの近所で一番うまい桜んぼを作っているのが、私の家であります。

三宅 ほほうあの家か、いやよく憶えているぞ。わしもなあ、子供の時に、桜んぼをとりに行って、よく怒られたもんだあっはっはあの家だったのか。よし、日曜日にはわしの家に遊びに来いよ。他の四号生徒もつれてな。

 はい、ありがとうございます。

三宅(頼母木やその他の上級生に)おい、藤岡中佐が戦死したぞ。

頼母木 えッ藤岡教官が

三宅 お前達に知らせようと思って、それでこの部屋へ来たんだ。

菅原 藤岡教官は、どこで戦死されましたか?

三宅 渡洋爆撃だ。漢口を爆撃の帰途、エンジンの故障で乗機が海中に墜落したらしいんだ。


音楽。


三宅 日華事変も、最初は小規模な局部的な戦闘で終ると思ったが、だんだん戦死者が殖えて行くようだなあ。皆にとっては、藤岡中佐はわしよりも任期の長い教官だっただろう。中佐の自宅へ遊びに行った連中も、この中にはいるだろう。遺家族宛におくやみの手紙でも書かせたらどうだ。

頼母木 はい、お知らせありがとうございました。


三宅教官、去る。


頼母木 みんなも今聞いていた通り、わが分隊の前任の教官であった藤岡中佐が渡洋爆撃実施中戦死をされた。藤岡中佐は、我々一号生徒の恩師である。

田無 頼母木伍長、藤岡中佐には、我我も教わりました。

町田 頼母木伍長、三号生徒も藤岡中佐に教わりました。恩師であります。

頼母木 では、新入の四号生徒以外は、藤岡中佐のくんとうを受けたんだな。支那海の藻くずと消えられた藤岡中佐の霊に黙禱をささげよう。

 四号生徒も黙禱をささげたいと思います。

頼母木 よし、事変がこのまま続けば、我々の中にも何人かの戦死者が出るだろう。今日は人の身、明日は我が身気をつけ!


一同、不動の姿勢。


朝倉 俺は嫌だ、死者に対して礼をつくしたければ、知っている人間だけでやればいい、関係のない人間が、明日はわが身にふりかかる運命だからといって、黙禱などする必要はない。俺は戦争なんぞにいかないぞ。

 朝倉、何を言うか、俺達は今日からはもう、民間人ではないのだぞ、気を静めろ。

頼母木(静かに)黙禱。


一同、黙祷する。


音楽高まる。

(溶暗)


第二場 女ッ気
(倶楽部)

江田島の民家で、兵学校と契約して生徒達のクラブとして使用されている家である。二階座敷で、正面の廊下からは海が見える。

下手にピアノが置いてある。

上手には床の間。

座敷の真ん中には、じゅうたんを敷き、洋テーブルに椅子が備えてある。

四号生徒にとっては、入学して以来三月目の初夏である。

クラブの娘みつ子が、下手の壁際においてあるピアノのそばに立ち、手伝いっ子のおよしが弾き、四号生徒の山本、