もくじ

会津の雨 木賊温泉[福島県]

忠治も来た 鳩ノ湯[群馬県]

小さな町 矢野温泉[広島県]

五七調の旅 鹿沢温泉[群馬県]

ふるさと再訪 塩田温泉[兵庫県]

湯の町エレジー 籠坊温泉[兵庫県]

眠る町 春日温泉[長野県]

なおしてくるぞと 寒の地獄[大分県]

片目の魚 温湯温泉[青森県]

夢を売る 湯涌温泉[石川県]

パンツはつけるな 入之波温泉[奈良県]

風呂で選べ 河内温泉[静岡県]

ジッと見ろ 沢渡温泉[群馬県]

月を仰ぎつ 滑川温泉[山形県]

ステッキ突いて 渋温泉[長野県]

化ける 塩原温泉[栃木県]

先人に学べ 栗野岳温泉・新湯温泉[鹿児島県]

即身成仏 岩室温泉[新潟県]

人には愛を 峩々温泉[宮城県]

庭をながめて 熱塩温泉[福島県]

夜明けにひとり 塔之沢温泉[神奈川県]

一本締め 山代温泉[石川県]

ちんちん千鳥 草津温泉[群馬県]

川端さんの宿 湯ヶ島温泉[静岡県]

月見風呂 不老不死温泉[青森県]

仙人杖 日光沢温泉[栃木県]

天国への階段 伊香保温泉[群馬県]

お告げの湯 佐野温泉[福井県]

人魚を食う 河内温泉[福井県]

白と黒 小天温泉[熊本県]

お湯争い 城崎温泉[兵庫県]

風の町、風の里 越中山田温泉[富山県]

放浪記 東京の温泉[東京都]

銭湯巡り 上野・根津・谷中界隈[東京都]

汽笛一声 熱海駅前温泉[静岡県]ほか

おらあ三太だ 道志温泉[山梨県]

才市の里 温泉津温泉[島根県]

正月・二月・三月 伊賀温泉[三重県]

駅ヨリ五里二十丁 嶽温泉[青森県]

龍はいるか? 龍神温泉[和歌山県]

札所巡り 松葉川温泉[高知県]

饅頭こわい 有馬温泉[兵庫県]

木曾きまぐれ気まま旅 桟温泉[長野県]

ほうとう記 下部温泉[山梨県]

温泉手帖 飯坂温泉[福島県]ほか

親子咄 小野川温泉[福島県]

効能一番 湯の網温泉[茨城県]

さらば、鞍馬天狗 黒湯温泉[秋田県]

ガラメキ温泉探険記[群馬県]

終の栖 田沢温泉[長野県]


池内紀(いけうちおさむ)

1940年 兵庫県に生まれる
日本の独文学者、エッセイスト

池内紀(いけうちおさむ)

1940年 兵庫県に生まれる
日本の独文学者、エッセイスト

温泉旅日記

池内紀
会津の雨 木賊とくさ温泉[福島県]


 会津若松から会津線で一時間半ばかりのところに田島という町がある。むかし、会津西街道の宿場町として栄えたそうだ。そういえば古い家並みがよく残っている。旧郡役所の建物だったというシャレた木造の洋館があって、民俗資料館になっている。土地の総領社である田出宇賀神社は、七月にひらかれる祇園ぎおん祭で有名だ。会津の山里に、どうしてみやびやかな京風の祭礼があるのか。たぶん、落人伝説とかかわりがあるのだろう。田島郷のあちこちに平家落人の里といった言い伝えがある。この奥の秘境檜枝岐ひのえまたは、村ことばに独特のなまりがあり、上方風の素人歌舞伎を伝えている。
 もっとも私が行ったのは五月半ばのことだ。参道の奥の白い鳥居がすっきりと美しい。うしろからうっそうとした老木がかぶさっている。雨が降っていた。人っこひとりいない境内に大つぶの雨が音をたてて落ちていた。れそぼったノラ犬がこころぼそげにすりよってきた。
 町にもどってしんごろうもちというのを食べた。竹のくしにさしてあって炭火で焼く。甘みそをつけて食べる。
 それから一日一便のバスに乗った。バスは山裾やますそを縫うようにして走りつづけた。このまま永久に走りつづけているのではあるまいかと思うほど走って、やっと木賊温泉に着いた。正式には福島県南会津郡舘岩たていわ村大字宮里字湯坂。地図帳でみると、ひときわ茶色が濃いところだ。どうしても、はるばる来たぜ――といった感慨がわく。
 川沿いの古い農家のような宿だった。まだそれほどの時刻でもないのに、みるまに暗くなってきた。また雨が強くなったとみえて、しゃあしゃあ音がする。どちらの方角から聞こえてくるというのでもない。川音と雨の音とがまじりあって、辺り一帯が水につつまれている。そのうち車の音がした。お客がついたらしい。玄関あたりがなんとなくざわついて何人もの人の気配がする。
 傘をさして外に出た。
 宿から少し下った川っぺりに粗末な小屋がけの共同風呂があった。コンクリートで固めた上にトタンの屋根がのっている。その屋根ごしに霧のような水滴がちりかかってきた。目の前を濁った水がしわになって流れていく。黒い太い筋になって、うねうねとすべっていく。
 木賊は「とくさ」と読む。温泉の名前に植物名は珍しいのではなかろうか。どことなく抹香くさいのはどうしてだろう。子どものとき、私たちはたしか「やいと草」といった。茎を折って肌に押しつけると、お灸をすえたような跡がついたからだ。
 内田百閒ひゃっけんの随筆に「とくさの草むら」という絶品がある。愛弟子であった大井征の死を悼んだものだ。百閒先生の家の庭に大井からもらった木賊が一ぱいしげっていた。その草むらをぼんやり眺めながら先生はこう思った。「大井は死んだが、死んだと云ふ事はよく解らない」
 つづいてこんな風に書いている。
「木賊は地上の植物の中で最も古いものの一つださうで、生え始めてから七千萬年ぐらゐ経つてゐると云ふ。木賊と大井と比べてみて、どう考へていいのか、わからない」
 少しぬるめの半露天風呂にあごまで沈んで、私はぼんやりと目の前の川をながめていた。気のせいか、だんだん水かさがましてくる。黒い太い筋が厚みをもって、かなりの速さで流れていく。水面にやみが迫っていた。風がさわいで、雨つぶが降りこんできた。岩でもあるのか、下手の一角で音もなく水が盛り上がり、音もなくすべり落ちる。見ていると引きこまれそうで胸苦しさを覚えてきた。水の筋が黒い大きな蛇のようにゆったりともち上がり、すべるようにいよっておどり上がったかとおもうと、なだれるようにかぶさってきた。あわてて目をそらすと、のどかな宿の灯がみえた。黒い蛇はもういなかった。
 その夜、ふとんの中まで川音がひびいた。宿の人の話によると、近くの峠道に古い六地蔵があるのだそうだ。雨でもなんでも朝早く起きてみてこよう――そんなことを思っているうちに寝てしまった。
 あくる日はぬぐったような快晴だった。宿を出て木賊の集落を歩いていった。裏の川が嘘のように縮んでいる。風がひんやりと快い。村外れで振り向いたら、茅ぶきの曲り家の背後に山が迫っている。つげ義春の絵でみたのと同じだと思った。赤ん坊を背負って、でんでん太鼓をもった女の子はいなかった。
 忠治も来た はとノ湯[群馬県]


 傷ついた鳩が舞い下り、ゆあみしているのを見て里人が温泉に気がついた、といった開湯伝説をもつ鳩ノ湯は全国にいくらもある。埼玉県の秩父にもある。福井県大野市にもある。ここにいうのは上州の鳩ノ湯である。群馬県吾妻郡吾妻町本宿、高崎から直通のバスがあって二時間ほどで行けるそうだが、私は吾妻あがつま線で渋川から中之条へ出て、そこから大戸乗り換えのバスに乗った。
 わざわざ廻り道をしたのは大戸の関所跡を見ていきたかったからである。江戸時代に碓氷うすいの関所の裏固めとして設けられていた所だ。(あとで知ったのだけれど、直通バスもちゃんとそこを通る)。この関所を破った罪により国定忠治は処刑された。いま、関所跡の近くに忠治地蔵が立っている。
 大戸をこえると温川沿いに一路ゆるやかな上り道がつづく。この道がかつて江戸と信州とを結ぶ裏街道であったことは、ひんぴんとあらわれる馬頭観音碑や庚申こうしん塚からもわかろうというものだ。ある四つ辻に石が立っていて「ひだりはとのゆ」と刻まれていた。宿の由来記によると寛政年間に温泉坊宥明という行者が湯小屋を建てたのが始まりだそうである。真偽のほどは 保証のかぎりではないが、ここが古い温泉であることはたしかだろう。
 かなりの傾斜をもった渡り廊下を、誰かに背中をおされるようにして下っていくと脱衣場にとびこむ。入口は別々だが中は混浴である。木の浴槽が一つ、ポッカリと口をあけている。すぐ下に道があり、上手の山の斜面には集落がなくもないのにシンとして物音ひとつしない。浴室全体が何かマジックボックスといった感じで、少しぬるめのお湯につかっていると、からだがつま先からフワフワ消えていくような気がするのだった。
「あのとき、国定忠治もここに立ち寄ったかもしれない」
 少なくとも菊池寛の短篇『入れ札』によると、上州岩鼻の代官を斬り殺して赤城山にこもったあと、八州の捕方を避けて信州へ落ちていく際、忠治は十人あまりの子分とともに近くを通り、この附近でひと休みしたはずなのだ。夜中に利根川をわたったという。渋川から伊香保いかほ街道沿いに名もない裏山から榛名はるな山にとりつき、一日一晩でやっとこえた。大戸の関所にかかったのは夜明け前のことだった。五、六人しかいない役人たちは、忠治たちの勢いに怖れをなして、誰ひとりとして通行をとがめなかった。
 そのあと街道は避けつつ、しかし道は見失わない程度のへだたりを保ちながら山から山へとたどり、大戸の関所から二里ばかりの小高い山の中腹で忠治一行は休憩をとった。上州一円にかいこがかえろうとする春の終りの頃だった。その小高い山から見わたすと街道沿いの村々には、朝もやのなかに青い桑畑がどこまでもつづいていた。
 あくる日、朝風呂に入ったあと、宿の裏手の小高い山の中腹まで登っていった。半ばこわれた神社があった。見上げるような庚申塚の横に五輪塔があって、十基ばかり古い墓が並んでいた。あるものは嘉永かえいの年号をもち、別のものはもっと古いらしかった。目の下に永らく打ちすてられたままの桑畑が広がっていた。冷やっこい風にのって温川から立ちのぼる朝もやが流れてきた。
 時間が停止したような眺めだった。わきあがってくる朝もやをついて、関東じまあわせさめざやの長脇差しをさし、脚絆きゃはんわらじで足ごしらえした国定忠治の一行がヌッとあらわれてもおかしくないような気がした。子分たちの中には片そでのちぎれたやつがいる。白っぽい縞の着物に、ところどころ血をにじませた者もいたようだ。先頭に立って威勢よく歩いていた忠治が足をとめ、菅笠すげがさをとった。小びんのところに傷痕のある浅黒い顔がのぞいた――私もまた、ちょうど菊池寛の小説の中の忠治がしたように、足下に大きな切り株を見つけて、そこにドッカと腰を下ろした。
 小さな町 矢野温泉[広島県]


 広島県に三次みよしという町がある。福山で福塩線に乗り換えて約三時間、山陽と山陰のほぼまん中にあり、中国山地のヘソのような所である。ごうノ川と西城川と馬洗ばせん川の三つの川が、いびつな三角形をつくりながら合わさったところ、かつては浅野家の分家が城をかまえて五万石、城跡が公園になり、また川沿いに古い家並みが残っている。
 なぜか旅行となると小さな町へ行きたがる。会津の田島、播州ばんしゅう龍野たつの、信州の高遠、栃木の烏山からすやま、富山の城端じょうはな、伊予の大洲おおず、念のためにガイドブックに当たってみると、誰が決めたのか、かなりの町が「小京都」に相当するらしい。別に由緒ありげな町でなくともいいのである。むしろ、なるたけ取柄のない方がいい。小さな町にふさわしく小さな支店なり、支店のそのまた支店とか、出張所とか、支所とか、分室が、小さな軒を並べている。狭い通りを歩いていると、ちょっとした広場がひらけ、「明治天皇御少憩記念」の碑が立っていたりする。
「小人閑居して――」のたぐいである。人間の器というものに関係しているのかもしれない。たえず小さな町にかれるのは、当方の人間的小ささのせいらしい。
 ひとしきり城跡公園でぼんやりしたあと、橋をわたってふらふらと駅前近くまでもどってくる途中だった。小さな三階建てのビルの前で足をとめた。某保険会社三次支店、向かい合った事務机に五人ばかりのワイシャツ姿が見える。衝立ての前にソファーがあって、いかつい顔の中年男が、初老の男を前に立たせ、指さしながら何やら早口でまくしたてている。初老の男は小さくうなずきながら真剣な顔つきで聞いている。やがてためらいがちに何か言いかけたが言葉に詰まった。同僚たちはそしらぬ振りで事務をとっている。電話をしている。そっぽを向いてタバコを吹かしている。初老の男は深々と頭を下げてから、ぎこちない足どりで机にもどった。ロ辺にとまどったような微笑を浮かべたまま身じろぎせず坐っている。低い鼻の左右に皺が走り、禿げあがった額に汗がにじんでいる。
 私はまたノロノロと歩きだした。フランスの作家シャルル=ルイ・フィリップに『小さな町』という短篇集があったのを思い出した。中身はすっかり忘れたが、さりげない日常の中のささやかな事件が丹念に記されていたはずである。家にもどったら読み返してみよう――たしかそんなことを思ったはずだが、未だに読み返したけはいがない。
 その日は矢野温泉で泊った。福塩線の備後矢野駅から送迎バスが出ている。商店一つない山間の駅に、むやみと大きなバスが待機していた。運転手以外に誰もいない。電車を降りた人々は足早に駐車場の方に歩いていく。やがて一斉にエンジンの音がしてピカピカの自家用車やオートバイが次々に走り去る。あとに乗客一人きりのバスが残った。ゆるゆると走って温泉に着いた。
 変哲のない湯治場である。小さな川沿いの平地に眠ったような集落があり、宿が数軒。歩いて十分ばかりの所に寺がある。当地の名刹めいさつということだが、砂利道はタイヤの跡をとどめたまま荒れていた。山門の両側に小学生の写生画が掲げてある。人っこひとりいない風景のなかに、たよりなげな風が吹いていた。
 季節はずれのこととて宿の客は私ひとりだった。夜中に起き出して渡り廊下をわたり、暗い湯舟につかっていると、天井から冷たいしずくが首すじにポタリと落ちた。小人は首をすくめて、あわてて辺りを見まわした。
 五七調の旅 鹿沢かざわ温泉[群馬県]


 山間やまあいの小さな駅で列車を待っていたときのことだ。

「レヂャーにカメラ
 生活にプロパン」

 一読して何のことかわからなかった。下に「写真部」、「プロパン部」と二分して記されている営業品目によって納得がいった。その写真店はカメラ、8ミリ、出張撮影のかたわら、プロパンの販売・配達もおこなっているのである。少々はげかけた看板にみる苦心のコピーを、私はいそいそと手帖に書きとめた。
 ときおり雑誌のグラビアで「取材旅行中のK氏」といった写真を見かけたりするだろう。ラフないでたちの作家K氏が、古びた建物の前で思案深げにたたずんでいるといった式だが、彼はむろん、意味もなく佇んでいるわけではない。それが証拠に、きまって片手にさりげなく手帖らしきものが握られている。
 かねがね、そんな姿がうらやましくてならなかった。また、気にもなった。いったい作家たちは旅行に際して、どのようなメモをとるのだろう。そこから読者を魅了する傑作が生まれてくるのだ。何の変哲もない一つの町を歩いても、至るところに鋭い目が光り、的確なメモがつづられているにちがいない――。
 羨ましがるだけでなく、おりおりの旅行に私も忘れず手帖を携えていく。そしてせっせとメモをとる。成果の一つが、いま述べた「レヂャーにカメラ・生活にプロパン」である。わざわざ写しとっても生活上なんのたしになるわけではないのに、何か得をしたような気になるから妙な話だ。
 山間のその駅は、たしか吾妻線のことだったと憶えている。渋川で上越線と分れて終点の大前まで五十五・六キロ、途中に伊香保や四万しま、草津などの天下の名湯がある。ほかにも花敷や尻焼、湯のたいら沢渡さわたり、といった個性的な湯治場が散らばっていて、温泉好きには何度通ってもうれしい路線である。ついでに言うと終点の大前は駅舎ひとつないさみしい所だが、駅前に嬬恋つまごい温泉がある。駅のホームと道一つへだてただけ、折り返しの合間にひと風呂あびることもできるのだ。コンクリートの湯舟に少しぬるめのお湯がドボドボと流れこんでいる。すぐ前の吾妻川にかかる橋の上で涼んでいたら、車掌が大声で叫んでいる。私は濡れタオルをなびかせて駆け出した。
 以前は吾妻線とはいわなかった。長野原線であり、川っぺりの長野原が終点。そのため草津まではともかく、上信国境の鹿沢温泉に行くには猛烈に不便だった。大抵は草津経由でバスを使った。あるときは小諸から菱野温泉を経て地蔵峠をこえてたどりついた。私は使ったことはないが、軽井沢から草軽電鉄経由のコースもあったらしい。
 この点、現在はらくなものだ。終点の一つ手前の万座・鹿沢口駅前から直通バスが出ている。バスは吾妻川沿いの国道をはなれたあとは、集落を縫うようにして走っていく。両側の家並みによっても、これが旧道であることがわかる。旧仁礼にれ街道、高崎と善光寺を結ぶ脇道だった。むろん、草津への入湯客が多くここを利用した。大笹の集落に、かつての関所の門扉が復元されている。寛文二年(一六六二)に沼田藩主が設けてより江戸の終りまで厳しく通行人を取り締まった。
 大笹関所あとに近い三叉路さんさろに、誰が立てたものか、シャレた碑がある。一見、変哲のない馬頭観音だが、台座の側面に意味深長な歌が刻まれている。

揚雲雀あげひばり見聞てこゝにやすらふて右を仏の道としるべし」

 郷土史家の本によると、あげひばりに託してそれとなく「仏の道」、つまり通行手形のない旅人用の抜け道を暗示したものだそうだ。
 一応メモはとったが、実をいうと、この種のもっともらしいものには、あまり気持がすすまない。それが証拠に、このときの手帖を取り出してみても、由緒来歴のちゃんとしたのは右の一つだけであって、あとはもう、なぜわざわざ筆記したのか、自分にもとんと合点がいかないものばかりだ。

 「お知らせ!
  専用ゲートボール場完成!
  用具貸出し、練習相手、対戦相手、審判、いつでも相つとめます。
   ゲートボール同好会部長」

 たしか駅前の広報板で見た。つづいてもう一つ、これは土産物屋のガラス戸で見かけた。

 「関西演劇界の花形
   浪花三之介・特別公演
  人情時代劇『流転親恋月』(一幕四場)
  三橋美智也構成・演出『夏姿歌謡絵巻』
   割引チケットあります」

 おつぎのものなど、自分はいったい、どんな必要を思って書きとめたのだろう?

 「挙式から披露宴まで
  ゴージャスでホットな
  サン横山の結婚式
   ご予約受付中」

 「胸なし、ずん胴、タレ尻
   大和撫子なでしこの三大欠点カバー
   水着セレクション
   新着入荷」

 群馬県嬬恋村は高原野菜の栽培で知られている。バスは旧道をはなれて見わたすかぎりのキャベツ畑を突っ切っていくのだが、その間にも片ときもメモの手を休めなかった。というのは村道とまじわる道路ぎわに、五七調の苦心作が次々とあらわれたからである。それは「事故をよぶ酒が疲労がスピードが」といった交通安全スローガンにはじまって、ひろく生活全体の諸事項を網羅していた。
 たとえば朝のひととき、妻が夫に贈ることば。
 「行ってらっしゃい、今日も一日ごくろうさん」
 日常のモラルはどうあるべきか。
 「あいさつは、いつでもどこでも誰とでも」
 「約束を守る家庭に明るい子」
 「思いやり人の心を大切に」
 月々の貯えその他――
 「年金のお受取りは吾信あがしんで」
 火の用心は誰にもできる。
 「防火の大役あなたが主役」
 お腹がすいたときは――
 「暖かい花チャン弁当このさき五分」
 
 鹿沢温泉は湯の丸山の北東にあって、標高一五○○メートル、古風な木造二階建て、気持のいい一軒宿だ。昔は何軒もの宿が並んで湯治場のたたずまいをみせていたらしいのだが、大正七年の大火で全焼、一軒だけが再建されて昔ながらの温泉宿をつづけている。一段下がったところの湯屋は洗い場も湯舟もやわらかい木造り、仕切り壁にレリーフがあって、ほの暗い灯の 下にびた銀色を浮かばせていた。
 まずお風呂、食事はあとのおたのしみ。
 せっせと五七調をメモしてきたせいか、頭がなかなか、五七調から改まらない。
 ひとつかり、すれば心も身もはずむ。
 かくのごとく永年にわたって筆録をつづけてきたのだ。わが手もとには、どっさり手帖がたまっている。もうそろそろ読者を魅了してやまない傑作が生まれてもよい頃ではなかろうか。


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