何でも人さし指でコリコリおじさん
私のテリトリー内にとても興味深い人がいます。歩いているとひょっこり現れて、右手人さし指で電柱や人様の家の壁をコリコリとこすります。あるときなど私の運転する車めがけて来たもんだから、思わず車を止めました。すると、私の車のドアにコリコリとやって行きました。おもしろいことに、たぶんこするのを忘れたのでしょう、あわててもどってきてコリコリとやっていくときもあります。あれは何のまじないでしょうか。
(神戸市・コリゴリ主婦・38歳)
「まじない」ではありません。その人はたぶん「世界がカユがっている」と感じているのです。だからかいてやっているのです。犬などは耳のうしろをかいてやるとウットリとしますが、常時耳のうしろがカユイというのは、考えてみればたいへん気の毒なことです。それと同じふびんさを、その人は壁や電柱にも感じているのです。わざわざ戻ってきてかいてやるというのは、彼の心のやさしさをあらわしています。
心理学の本を読んでいたら、ある症例がのっていました。
ある中年の主婦の例ですが、彼女は道を歩いていて「フタのしてある空きビン」を見ると、わざわざフタをとってやらなくては気がすまないのです。「ビンが息苦しがっている」ような気がするからだ、ということです。自分でもバカバカしいと思っているのですが、フタつき空きビンを見るとどうしてもフタを取らずにはいられないのです。
原因はどうもこの人の昔の就職先にあるらしい、と医師は指摘しています。この人の昔の勤め先の主人は、ガス栓に対して異常に神経質な人でした。ことあるごとに「事務所のガス栓はちゃんとしめて帰ったか!」と言われるので、彼女も一種の「ガス栓ノイローゼ」になってしまいました。その反動が、どうも「キャップを取ってやる」という行為になってあらわれているらしいのです。
本人にバカげているという自覚もあり、病名をつけて騒ぐほどの症例ではないようです。
たしかに我々にしても、何かひとつやふたつはそういう病的な執着を持っています。
コリコリおじさんも、別に人間をかくわけではなし、いいじゃないですか。逆に背中がカユイときなど、お願いしてみてはどうですか。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
「世界がかゆがっている」だなんて、なんと壮大なフレーズ!と、計らずも感動してしまって悔しい。こうやってお茶の間から地球規模まで変化自在な回答が飛び出すのが『明るい悩み相談室』の醍醐味かと思う。誰しもある「病的な執着」。私の場合、街中で働いている着ぐるみを見つけると、控室のあるビルに戻る所まで必ず見届けたいという執着。あのファンシーで可愛らしい動きから、ビルへ入っていく直前に素に戻る瞬間がたまらない。