「けなげ」と雑草にせっせと水やる父
私の父は家族が雑草をむしろうとすると怒ります。そればかりか、日照りが続いたりするとその雑草にジョウロで水を与えたりします。
「雑草は悪条件のもとで精いっぱい生きている。けなげさに頭が下がるじゃないか。水くらいやらにゃ。第一、雑草といえども貴重な緑なんだし、ちゃんと空気を浄化してくれている。それをわざわざ一本残らず抜くやつの気が知れん」と言うのです。聞いていると、もっともだという気もしてくるのですが。
(石巻市・K・M・22歳)
一理も二理も三理も四理もあるものの見方で、お父さんは悟りに達した人だと思います。
僕自身は、女の人がよく言うように、花や草を「可愛い」とか「いとしい」と思うことはほとんどない人間なのですが、つい最近、ネギを「飼って」みました。仕事場で徹夜をしたときに、ラーメン用のネギを買っておいたのですが、全部使い切れずに根っこの方が余ってしまいました。コップの水に生けておいたのですが、二、三日たってから見ると、青々とたくましく再生しつつありました。思わず手かざしをして、「大きく育て」と念じつつ「気」を放射してしまいました。ネギはこの「気」を感じたのか、こころなしかうれしそうに揺れているように見えるではないですか。ネギはその後も元気に育ち、ひとまわり細くはなりましたが、もとの長さくらいにまで背を伸ばしたのです。
困ったことに、またラーメンが食べたくなったのです。僕は心の中で謝りつつ、ネギをざっくり半分に切って根の方をまた水にもどしました。何度かくり返すうちに、ネギはいつしかワケギかニラのようにか細くなってしまいましたが、まだ生きています。僕はネギへの愛と自分のエゴとに引き裂かれつつ、日夜ネギと暮らしているわけです。
名のない草を雑草とさげすみ、虫を「害虫・益虫」呼ばわりするのは、つまるところ人間のエゴです。万物はなにも人間のために存在するのではありません。「恩恵を与えてくれない」ものを無視し、憎み、排除しようとするのが人間の傲慢(ごうまん)なところです。
お父さんはそのあたりを深く悟っておられるにちがいない。きっとそのうちに雑草だけでなく、ハエ、ゴキブリ、ネズミなどもいつくしみ、エサをやるようになられると思います。じゃましないようにしましょう。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
この欄に寄せられる質問は、世間的には「奇行」と呼ばれるものが多い。多くの人生相談回答者ならば、この奇行をやめさせる方法について答えるだろうと思われる。ところが中島らもさんは、その根底にある心の働きに目を凝らす。それはもちろん滑稽で笑いを誘うものであるが、しかし本当にそれだけだろうか、その奥底には切実ななにかがあるのではないだろうか、と思わせる迫力が実はある。この回答でらもさんは、人間のエゴと愛の矛盾に言及している。そのうえで最後は笑いに着地させる手つきがシブい。