日常会話を何でも人名に変える夫
私の主人は、日常会話を何でも人の名前に変えて言う癖があります。たとえば「はらだへりのすけ(腹が減った)」、「ふろいりやたろう(ふろにはいる)」、「ただのいまざえもん(ただいま)」など。最近では私も理解できるようになってしまいました。先日などは「いまざえもん!」と言って帰宅した主人に「えりのすけ(おおおかえりのすけ)!」と答えてしまい、ゾッとしました。将来、子供のことを考えると気持ちが暗くなります。
(京都府・おやつくいたろう・28歳)
思わず落語の「青菜」を思い出してしまいました。落語を聞かない方はご存じないかもしれませんので要約しておきます。
さるご隠居さんのところで仕事を終えた植木屋さん、主人のすすめで一杯ごちそうになることになります。焼酎をみりんで割った「柳蔭(やなぎかげ)」、「コイのあらい」とふるまわれた後に、青菜が出る段取りです。待っていると、奥から細君が三つ指をついて、「鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名も九郎判官(ほうがん)……」。それを聞いたご主人は、「ああ、義経、義経」と答えます。つまり「菜(な)は食ろうてしまってもうない」というのを奥ゆかしくシャレで知らせ、主人もシャレで「よしよし、かまわんよ」と答えたわけです。
おたくの場合もその域に近いところまでいっているので、もう少し研究すればかなりのレベルに達するはずです。ここはひとつ会社の同僚などを招いてやって見せるべきです。感心されること請け合いです。
「今日はひとつ盛大にいこう。お歳暮にもらったブランデーがあったろう。あれを出してくれないか」「はいはい」
奥さんは台所へ。しばらくしてからしずしずと出ていきます。
「ナポレオンがセント・ヘレナ島へ島送りになりまして、その名も……」。それを聞いてご主人が「ああ、ボナパルトボナパルト」。
これはつまり、「お歳暮にいただいたナポレオンはそのまま島さんのところへ贈ってしまったわ」ということですね。しかしご主人の「ボナパルトボナパルト」というのはいったい何なのでしょうか。僕もそこまでの責任は持ちかねます。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
支配欲なのでしょうか、何にでも、命名することに脳内麻薬のようなものが分泌するのかも知れま仙太郎。「知らぬ顔の半兵衛を決め込む」「北叟笑む」「塞翁が馬」など慣用の言い回しで人の名前を使うことはありますが、実在した人物が多いようです。「合点承知之介」は架空ですが、時代劇を見る機会が減ってしまった今、死語になりつつあります。
余談ですが、中島さんという知人が何かに参加するという話の時に、「中島たちも?」という意味を乗せて「中島ら、も?」とふざけることがあります。良い歳をして。