母の「ふた」捨てに困り果てるわが家
私の母はどういうわけか、よく「ふた」を捨てるのです。ペンのキャップ、瓶のふた、マヨネーズのふた、接着剤のふた、アジシオのふた、ジャムのふた……と、とにかく無意識のうちにあらゆるふたを捨ててしまい、私たち家族が気づくまで平気なのです。そして私たちが困り出すと母もやっと困るのですが、それでもまた、ふたを捨ててしまうのです。どうすれば母がふたを捨てるのを防止できるでしょうか。「ふた」って大事なんですよ!
(大阪・ふたの重要さを知っている娘・17歳)
なぜ、あなたのお母さんは「無意識のうちに」ふたを捨てたがるのか、これは深層意識の中でお母さんが「ふた」を「憎んでいる」のではないか、と考えられます。おそらくは無意識の奥深くにしまい込まれている幼時体験の中で、ふたに関するいまわしい思い出があるのではないでしょうか。
たとえば、あなたのお母さんくらいの年の人が小さいころというのは、缶コーラや缶ジュースなどという便利なものはありませんでした。みんな瓶の容器にはいっていて金属の王冠がついていたのです。店先で開けてもらえればいいのですが、状況によっては、飲みたいのに「栓抜きがない」という場合があります。こういう時には、年上の男の子などは歯をテコのように使ってうまく栓を抜きます。ところが永久歯にまだはえかわっていない小さい子が乳歯を使ってそれをまねると、よく歯が折れてしまうのです。前歯が抜けると人間の顔というのはずいぶんマヌケになります。お母さんはそのためにまわりの悪ガキから「歯抜けブスの〇〇子」とか「栓抜き歯抜け」とか言ってはやされ、それがトラウマ(精神的外傷)となって残っているのです。
あるいは、「初めチョロチョロ、中ぱっぱ、赤児泣いてもふた取るな」と言われるご飯がまのふたを取ったために、ご飯を台なしにしてしまい親にこっぴどくしかられた、ということも考えられます。防止策としては、お母さんがふたを捨てようとするそのくずかご自体に「ふた」をするとよいでしょう。そのふたを取る間にお母さんはふたを捨てようとしている自分にハッと気づくはずです。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
かつての同居人は、胡麻油のふた、化粧水のふた、乳液のふた、漂白剤のふた、すべてを開けっぱなしにする人でした。車のドアこそ閉めますが、ロックはしません。用心に悪い、衛生に問題がある、酸化するという私の忠告を、ことごとく無視し続けました。つまり、ふたがあるから気になるのです。なければ気にならない。今、政党と反社会組織の癒着のパンドラの匣のふたが開いてしまいました。二度と閉まらないように、すっぱり捨ててしまおうではありませんか。