猫が盗んだうなぎは「お父さんの分」
ある日、ふろから上がってみると、夕食用のうなぎ一皿分が、近所の猫にやられています。主人の分です。帰ってきた主人は、息子が横でうなぎを食べているのを見ながら、サラダと塩辛でビールを飲み、さりげなく言いました。「同じ皿なのに、猫はなぜ“ワシの”だとわかったんやろか」。とっさの折に、私には、主人より息子という母性本能が働いてしまったようです。今後こういうときにうまく「本音」をかくせるでしょうか。
(尼崎市・夫こそ我が命・34歳)
ひょうひょうとして味のあるお父さんです。久しぶりに笑ってしまいました。
しかし、日本の食卓の光景も変わったものです。僕の世代では、オヤジは家中で一番いいものを食べていました。といっても品数が一品多いくらいのものですが。それより前の時代になると、男尊女卑の気風がはっきりとおぜんの上に出ていたようです。「亭主」は「女・子供」とはまったくちがうごちそうを一人で食べていたわけで、その時代にこの「うなぎ事件」のようなことは考えられもしなかったにちがいありません。
男が空いばりする時代はもう二度とこないだろうし、来てほしくもない。かといって息子に「うなぎ権」を奪われてサラダだけ、というのにも少し悲しいものがあります。
その辺は、あなたのサーブの仕方ひとつで受ける印象もちがってくるわけで、この場合こう答えるべきだったのです。どうして猫には「ワシの皿」がわかったのか、と夫が言ったら、「それは、あなた用には尾頭(おかしら)つきのおっきなうなぎを丸々一匹つけておいたからよ。猫だって大きくておいしそうな方をまずねらうでしょ?」。
こういうのを「嘘も方便」といいます。証拠物件はすでに猫の胃の中で消化されつつあるわけですから、絶対にばれません。この場合、今は過去のものとなった父権制の幻想をきっちり借用するわけです。
なおかつ息子の分のうなぎをお父さんに出せばいいのです。「いいのよ。子供には添加物入りの魚肉ソーセージでもやっておくから。これはあなたがお食べになって」
これだけやると、お父さんはうなぎを我慢するのはもちろん、次の日には巨大なうなぎをお土産に買ってくるにちがいありません。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
このお父さんのキャラクターが素晴らしいと同時に、相談自体が映画のワンシーンのようで印象に残っていました。ホームドラマなのにサスペンス、という小津安二郎の映画『麦秋』の世界みたい(ケーキのくだり、ご存じですか?)。
夫婦の心の機微、勝手に出入りするアヤしい猫、男尊女卑社会だった昔の日本にきっぱりバイバイを告げている回答に至るまで、全部が見事、ぴたりとはまった回だと思います。