曾祖父の明治言葉をまねる三歳の息子
わが家は四世代同居でとてもにぎやか。明治生まれのひいおじいちゃんも三歳の息子のよき遊び相手になってくれます。それはよいのですが、ひいおじいちゃんの言葉を息子がまねしてしまうのです。たとえばこんなふうです。「かべ土(粘土)で、いかい(大きい)デコさま(人形)やごっこじめ(おばけ)を作って遊ぼう」などとひいおじいちゃんが言っているのを聞くと不安になります。息子は幼稚園に行って快適な社会生活を送れるでしょうか。
(茨城・言語学研究を始めた母・28歳)
僕は方言が好きで、好きさが高じて自分で「たりしか弁」という方言の体系を作ってしまったくらいです。「ほんなこつ剣呑(けんのん)な天気たりしかねえ(ほんとうに不快な天気であることよなあ)」というふうに、文法からボキャブラリーまで作っていると、なかなかに楽しめます。
しかし、いまどこの地方へ行っても電車の中の学生同士の会話などはきれいな標準語です。テレビやラジオの影響なのでしょう。「これは通訳を立てねば」と思うくらいの方言はお年寄り同士の会話くらいのものです。
たとえば関西に住むとわかりますが、他の土地の人が考えているのとは違って、高校生は、
「おおきに、すんまへん」
だの、
「あきまへん」
などという大阪弁は使いません。商売の場では確かにこういう大阪弁が生きていますが、若い人たちが日常使っているのはもっとマイルドで臭みの少ない大阪弁です。根っからの関西人である僕でも、お年寄りからいきなり「しやけどあんさんがめんでもたんやさかいあんじょうまどてんか(訳・でも、あなたが壊してしまったのだから、きちっと弁償してくださいよ)」などと言われたら一瞬何のことかわかりません。そういう意味ではお年寄りの本格的方言はある種の外国語です。
息子さんはいまから二カ国語を覚えていくわけですから言語感覚が発達するでしょう。将来ほんとの外国語に出会うときに、きっと役に立つと思います。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
米朝師匠の俳句に「咳ひとつ しても明治の人であり」というのがあります。これほど明治の人に威厳を感じ、敬い、そして憧れをもって詠まれた俳句はないように思います。我々には計り知れない、米朝師匠の思いがおありだったのでしょう。そんな中、こんな句もあります。「パンティは布団の外に 朝寝かな」。この意味を聞くと、軽く微笑まれて「そんな時も、あったちゅうことやな」とおっしゃいました。僕は、こちらに憧れております。