「橋」があると渡りたくなる僕
僕には奇妙な本能的習性があるのです。「橋」があると、遠まわりになっても渡りたくなってしまう、ということです。お寺などで朱塗りの弓状に反った橋を見てしまうと、もうガマンできません。入れなくても、囲いを越えてでも渡りたくなってしまいます。あの反りは妙にそそるものがあると思いませんか?
(京都市・I・Y・19歳)
惜しいことをしたなあ、あげたのに太鼓橋。芝居で何度も朱塗りのかわいい太鼓橋を大道具で使ったんですが、その度に作っては壊してました。まさかそんなに橋の好きな人がいるとは思いもしませんでしたから。
たしかに家の中に太鼓橋が、たとえば居間からダイニングルームヘ行く途中についてたら楽しいかもしれませんね。どっかの食堂ビルみたいで。ただ、ついつい「すき焼き食べ放題!」みたいな食生活になって、体に悪いかもしれませんが。
しかし、あなたの場合、「橋が好き」といっても渡るのが好きなのだから、まだましでしょう。詩人のアポリネールはミラボー橋を題にして、「川は過ぎゆく私はとどまる」と名作を残しましたが、現代でこれをやるとどうもいけません。男が橋の上でじっと暗い水面をながめている。どう見てもこれは借金のことか何か考えてるとしか思えません。橋の上で、くつをきれいに揃(そろ)える。こうなるともっといけない。一刻も早く走りついて羽がい締めにしなくてはいけません。ただ、陸橋の上に立つのが好き、という人の場合は例外です。アンケート用紙なんか持って立っていると、趣味と実益を兼ねた商売になります。
あなたの場合は、渡るのが好きなのですから、せいぜいお金をもうけて自分の家の庭に太鼓橋をつくるか、もしくは公共用の橋を寄付するのがよいでしょう。四国の高名な学者の話ですが、古希か喜寿かのお祝いに、周りの人間が資金をつのって先生の銅像を建てようとしたところ、この先生は、断りました。「老生は像となって高い所から諸君を見おろすよりは、むしろ橋となって多数の人に踏まれることを望む」。この橋は完成し、今も親しまれているそうです。
あなたもそうなさい。まあ、月に一度くらいは自分の貸し切りにしてもいいでしょう。「橋、渡り放題!」。……あまりうらやましくないなあ。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
私は「橋」と聞くだけで、心がざわついてしまいます。第二室戸台風の時、地元の川にかかっていた橋が流されてしまい、その後欄干の無い仮設の橋がかけられました。そこを自転車で通学していた同級生が、三度も川に転落した光景を見ているので「橋」というモノに不安感を持ってしまったようです。高知へ取材に行った時、沈下橋の真ん中でリポートすることになり、ずっと橋が地に着いてませんでした…足でした。動揺しました(汗)。