何にでもドボドボとソースかける夫
私の夫はポークジンジャーにソースをかけます。カレーライスはもちろん、野菜いため、スパゲティにもソースが登場します。独身時代、ソースをドボドボかけていて、食堂のおじさんに「オレの作ったものがそのままじゃ食べられないのかあー」とどなられたそうです。「郷里(福井)ではみんなそうしている」と言い張るのですが本当でしょうか。これはもう生涯直らないものなのでしょうか。
(神戸市・私もどなりたい妻・35歳)
福井には一度だけ行ったことがありますが、だれもソースをかけまくっている様子はなかったですよ。もっとも「寿司屋」と「立ち食いそば屋」だけだったからかもしれません。
ところで、我々中年男というのはたいていソースが好きなものなのです。今の若い人たちのように裕福ではありませんでしたから、学生時代、青年時代などにとてもお世話になっています。お世話になったものに好意と愛情を抱くのは当然のことです。たとえば、学食のカレーというものはとてもまずい。殺意さえ感じるほどのまずさです。このまずさをごまかすためにはソースをぶっかけるしかありません。あるいは、肉屋でコロッケを二個買ってくる。下宿で、このコロッケ二個で大量のご飯を食べるためには次のようにします。
やや深めの皿にソースをドボドボ入れて作った「ソース湖」にコロッケを沈めます。待つことしばし。ソースがしみ込んでまっ黒になったコロッケを、茶わんに半分盛ったご飯の上に置きます。その上にまた、ご飯をかぶせてしばらく蒸してから食べるのです。
この「ソース湖」は今でも立ち食いの串くしカツ屋などに存在します。女性はあまりああいう所には首を突っ込まないでしょうからご存じないでしょう。店にはいると、まず目の前に金属製の巨大な箱のようなものが出現します。この中にソースがなみなみと満たされていて、これは「ソース湖」というよりは「ソース海」です。これに串カツをドブンとつけて食べるのです。ここでは「一度かじった串を二度漬けしない」ということが「良識」とされます。つまるところ、男にとっての「ソース行動」は「儀式」なのです。味うんぬんよりも「死ぬほどぶっかけてやった」という成就感が大事なのです。
だから減塩ソースをさらに水割りにして、好きなだけかけさせてあげてはどうですか。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
友人の高田純次は何にでも醤油をかける。寿司屋の醤油の小皿は、最後に盃のように飲み干す。彼はもう七十を越えているのだが、誰も注意しなかったのか。だが元気に働いている、不思議だ。
そういう私は、大のソース好きである。何でもソースをかける。子どもの頃、近所に巡回していた紙芝居屋のソースせんべいが原因と思うが、違うか。
ソースせんべいはお菓子だった。