相談5

目の前の物の単語を呟く父の深層意識は?

 僕の父は普段はよくしゃべるのですが、会話がとぎれたときなどには目の前にある物の単語だけを言うのです。たとえば夕食にカレーライスが出たりすると、「……カレーライス」とだけ言ったり、テレビにバスがうつっていたりすると、「……バス」とだけ言うのです。なにか理由がありそうなのですが、よくわかりません。どうしたもんでしょうか。

(神戸市・豆単息子・19歳)

らもさんの回答

 たとえば小さい子が動物園に連れていってもらったとします。オリの中にサルがいます。子供はそれを見て、「サル」と言います。この場合、子供は、「これはサルだ、ということを僕は知っているんだぞ」ということを誇示したいので「サル」と言うわけです。

 お父さんの場合、これとよく似てはいますが、根底には「ぼんやりとした不安」があるのではないでしょうか。

 たとえば「病気」を例にとってみます。どうも体調が悪い。胃が痛くて食欲がない。こういうとき、人間はとても不安です。で、医者へ行くと、「あなた、これは神経性胃炎ですよ」と診断されます。とたんに人間は、とても安心するのですね。

 お父さんの場合、目の前にカレーライスがある。もし、このカレーライスに名前がなかったとしたらこれほどブキミな食べ物はありません。ところが幸い、カレーライスにはカレーライスという名前がある。お父さんはそれで少し安心します。しかしまだまだ油断はならない。突然インド人が現れて、「カリ!」と先に言ってしまう可能性も皆無とは言えません。あるいはタイ人が来て、「ゲーン!」と言うかもしれない。

 この不安をふり払うためには、とにかく口に出して言い切ってしまうよりないのです。「カレーライス」と言ってやってこそ、テーブルの上の皿は初めて、「名実」ともにカレーライスになるのです。お父さんはそこで深い安らぎをおぼえるわけです。

 無理にやめさせると、お父さんは「実存の危機」におちいりますよ。

中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん

内田春菊さんより

単語や名前の確認は必要です。動物園や水族館に行くと、表示を見ては生き物の名前をかなり大きな声で音読している人がいるのを、昔の私は笑ってたんですが、口に出したり、ミニテストして答えたりする方が記憶に残るそうじゃないですか。大切ですよね、特に人の名前。口に出しての確認、ぜひ、させてあげてください。わたしもやってます。脳内のハードディスクが相当重くなってきてるので、データ入れるの大変です。