定年後タレントになるときかない父
私の父親は六十一歳。だれが再就職をすすめても、いっこうにウンと言ってくれません。テレビと植木のお守りの毎日ですが、この前突然「タレントになりたい」と言い出したのです。テレビに出てくるオジンたちより自分の方が顔はいいし、言葉もはっきり言える、といってきかないのです。とてもタレント性のあるタイプではなく、外出嫌いで外食さえ一度もしたことのない四角四面のくそまじめな人なのです。何とかなだめる方法はありませんか。
(東京・タレントの卵の娘)
お父さんの考えに全面的に賛成します。定年後の身の処し方に困ったあげく、老人性のうつ病になっていく人が多い中で、タレントになってみたい、と言い出すお父さんの柔軟さは素晴らしいと思います。お父さんは、社会的にはひとつのレースを走り終えた人なのですから、後は自分のしたいことを何でもすればいいのです。十三や十四の子供が“アイドルになりたい”と言い出すのとは根本的に状況が違います。周囲が足を引っ張ってはいけません。
我々の仕事では、CFやドラマを撮るときに「がやを仕込む」ということをします。そういう「がや通行人や笑い役などのエキストラ」を専門にブッキングしているプロダクションが東京にもいくつかあるのです。お父さんもそういうところに所属すればいいのです。以前、テレビのコントを撮るときに、この「がや」を仕込む予算がなくて、仕方なくスタッフのお父さんに出ていただいたことがありました。最終電車の中で眠り込んでいる老サラリーマンで、首に「返品」という荷札がぶらさがっている、という情けない役です。もちろんセリフはありません。当日、そのスタッフのお父さんは、自分の持っている中で一番上等のスーツを着てこられました。とても恐縮して、その上等のスーツをヨレヨレの背広に着替えてもらって撮影しました。後で当のスタッフに「お父さん怒ってただろう」とたずねると、答えはこうでした。
「いや、すごく喜んで、“汚れ役もいいが、次は侍の役で出たい”と言ってた」
セリフなんかなくても、これはきっとお父さんには手ごたえのある仕事です。四角四面六十年の存在感で勝負をかけさせてやって下さい。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
61才のお父さんがタレントになんてなれるわけがない! どう止めてあげたらいいんだろう、と、おそらく誰もがハラハラして読んでるところに、ひょうひょうとご自身の経験談を語ってくれるらもさん。らもさんを知ってる人であるならば、きっと誰もが彼の声で再生される文章ではないでしょうか。その体験談の中身もものすごくユニークでおかしいし、笑っているうちに、社会はあんがい需要と供給の妙というものがあるんだな、と呆れつつも感心させられます。事実は小説より変。