相談1

父の「フン芸」の理解に悩む家族

 さわやかな日曜日に誠に失礼します。唐突ですが、私の父は便で字を書くのを得意としており、その「作品」を流さないのです。おかげで毎日家族のだれかが被害にあっています。私たちが目の色を変えて父にかけあっても「いやぁー。今日は“のし”と続き書きができたんだぞお。この大作を見てもらわずして流す手はない!!アハハ」。この父をどうしたものでしょうか。

(神戸市・雲之月)

らもさんの回答

 これは芸術を解そうとしないあなたがた家族が悪い。

 新しい芸術というのは、常にその揺籃期ようらんきにおいて、常識にこりかたまった世人の 糾弾きゅうだんを受けるという宿命を背負っています。しかし、そうした迫害を乗り越えて新しい芸術を世間に認めさせる原動力となるのは、家族の温かい理解と励まし以外にはないのです。

 ことにあなたのお父さんが追究されている「フン芸」は、ニューヨークなどでは早くから「シット・ペインティング」と称されて一部の熱狂的な支持者を集めていますが、トイレの水洗化の遅れたわが国においては、まだまだ奇異の目で見られているようです。

 ただ、この「フン芸」の起源は意外に古く、江戸時代には有名な「天狗てんぐさまの雲古」事件というのが起こっています。

 ある日、たき木取りに出かけた農夫が山の中で直径二〇センチはあろうという巨大な雲古を発見したのです。こんなものは見たことも聞いたこともない、天狗さまのものにちがいないというので、ついにはお代官さまが検分に出向くという大騒ぎになりました。しかし、真相は、いたずら好きの村の若い衆が何人かで、巨大な青竹をくりぬいたものを使って製作したオブジェだったのです。若い衆は、もちろんこっぴどくとっちめられたそうです。

 そういう由緒ある芸に没頭されているお父さんを家族みんなでばかにするなどとんでもないことです。

 繊維質の多い食べ物がたくさんれるような献立を、フン闘して工夫してあげましょう。

中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん

水道橋博士さんより

実は58歳にして人生初の“腸活”に成功したボクはフン芸を書道家としてたしなむ域に入っております。一時は毎夜の深酒で厠では塗料を噴(フン)霧、ジャクソン・ポラックの如き抽象画しか描けなかったのが、今や一筆書きの「し」、老舗のうなぎ屋の「う」の如く、武田双雲もかくやと言う程に極太の一筆書きを日々描けています。家族は作品を目にすると嫌悪よりも、むしろ仰天されます。「悩むより老大家の作品を鑑賞せよ!」と申し上げたい。