何にでも日付と値段を記す父
私の父はきちょうめんな性格で、何にでも日付と値段とその他一言を記しておかないと気がすみません。ふろ場の腰かけの裏にも油性フェルトペンで書いてあります。電気ストーブの裏には、「昭和○年○月○日、○円。玲子○歳。高校入試まであと一カ月、頑張っている。父○歳、応援している。母○歳、夜食にイモを焼く」など、ビッシリ。テレビや冷蔵庫の背はもちろん、驚くことに自分のふんどしにまで名前だけは書いています。
(松山市・学生)
これは、ある程度以上の年代の方によく見られる共通のくせなのです。
たとえば、僕の母などは、戦中戦後の飢餓体験をなめてきているために、食べ物を捨てるということが絶対にできません。
冷蔵庫をあけると、ズラーッと小びんや広口びんや小さなキャップのようなものがラップをして並んでいます。それぞれのラップの上にはマジックで「○月○日、魚の煮汁」とか、「○月○日、ハンバーグのソース余り」とかがビッシリと書き込んであります。これをタイミングをみて再度料理に使うわけですが、ときどきは置きすぎて腐らしてしまったりもしていたようです。そういうときにはとても悲しそうな顔をしていました。
お父さんの世代というのは、それこそナベカマひとつから今の生活までを築きあげてきたわけで、増えていく物のひとつひとつが幸せな生活へのステップだったのです。
物への愛着が強いということは、物欲が強いということとは別です。お父さんにとっては、目に入るもののひとつひとつが家庭の発展と家族の成長のあかしになっているわけで、いわば家自体が「住めるアルバム」になっているのです。
電気ストーブの裏を見ては、「ああ、そういえばあのときの夜食のイモは……」などと感慨にふけっておられるのでしょう。
育ててもらった子供が、そんなことを四の五の言ってはいけません。生まれたときに背中に「○月○日、妻これを産む」と彫り込まれなかっただけでも感謝しましょう。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
らもさんは、かつて関西で私たちのライブがあると、必ずと言って良いほど、テレビやラジオにゲストとして呼んでくれた。NTTだったと思うが電話会社の紙媒体のカラー見開き広告にも、らもさんは対談相手として私を名指ししてくれた。とても嬉しかった。このお答えに関しても、当時の元気だった、広告業界を支えたお一人でもあるらもさんの、その片鱗が窺える。「住めるアルバム」! 考えうる状況を、一言のシャープなキャッチコピーで、ズバリ表現してらしたではないか! あらためて感服。