「ウン」はついても「運」には縁ない私
私は、うんちに縁があって困っています。自転車で通勤途中、電線にとまったスズメのうんちが頭を直撃。その後ハトのうんちが頭、肩、弁慶の泣き所と日を違えて三回。とどめは会社で飼っている犬の花子が、自分のうんちを踏んだ足で私のスカートにとびついてきました。かの一億円拾った大貫さんもうんちをかけられたとか?私はうんちをかけられても、一億円を拾いませんし、ジャンボ宝くじにも当たりません。
(東京都・本当のウンがほしい女・40歳)
まだまだ修行が足りません。やはり人糞との遭遇を経験しなければ。
たとえば知人のA子さんはマンションに一人暮らしをしていたのですが、ある夜、中華丼の出前を取りました。器をきれいに洗って表に出しておいたのですが、翌朝起きて扉をあけてみると、中華丼の容器いっぱいに人糞がとぐろをまいて盛り上がっていました。
「ギャー」と叫んだA子さんはすぐに警察を呼んだのです。こういうのをやはり受難というか、ウンが悪いというのであって、ハト糞や犬糞ではまだまだ一億円は拾えません。
僕だって、これに関してはかなりの試練を経ています。この前仕事部屋で深夜、小説を書いていたのです。『水に似た感情』というタイトルで、バリ島を舞台にした素敵な小説(になるはず)を書いていて、途中、何の気なしに、その、気体の方をしようと思ったわけですね。ところが出たのは気体ではなく実体でした。僕はあわててジャージーの下とパンツを脱いで風呂場へ走りました。汚れたジャージーとパンツをバスタブに放り込んで湯を張り、そこからは踏み洗いです。きゅっきゅっと踏み洗いをしながら、「♪何が作家じゃて何がブンガクじゃて♪」と歌まででて。もうその日はその後一行も書けませんでした。そのかっこうのままフトンをかぶってねてしまった。
次の日はインタビューです。まだ
「中島さんにとってブンガクとは」
「文学なんてものは、糞ですね」
「は……」
あなたも人糞体験を積むと一億円拾えますよ、僕はもう拾いました。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
らもはいつも大真面目だった。彼にとって文学は糞だったが、それでも読書家然とした本棚には難解な外国文学や思想書がずらっと並んでいた。友人数人と家で飲んだりすると、たいてい思想や文学について大激論になる。我々はいったい何をわめいていたのか。最後は「表に出ろ!」ということになる。最初に庭に出るのはらもだった。夜は白んでいた。もう寝てしまったりして、誰も外に出ない。らもは卑怯にも棍棒を握りしめて突っ立っていた。武闘派でない彼は喧嘩が弱かったのである。