山に帰りたくない“母狸”の言い訳は
子供が小さいころ、私は重大な秘密を打ち明けてしまいました。「実はお母さんは狸で、山で助けられたお礼にお父さんのお嫁さんになってあげた。でも約束であなたたち二人が大人になるころには山に帰らねばならない」。この話は大受けで、帰らないでと泣いていた娘たちでしたが、高校生になった今、「もう山に帰ってもいいよ」とか、「そろそろね、その日が楽しみ」と私を山へ帰らせようとします。私はまだ人間界に未練があるのですが。
(大阪・狸の恩返し・44歳)
あなたがそうやって子供たちにいじめられるのは、やはりあなた自身に責任があるのです。狸の身でありながら、お礼にお父さんのお嫁さんに「なってあげた」というのが思い上がりというか、そもそもの勘違いではないかと思うのです。「なってあげた」と豪語する以上は、夫に対してあなたは、狸であるがゆえの著しいメリットを与えねばならなかったはずです。
たとえば、鶴の恩返しでは、鶴は美しい織物を織って経済的余裕を家庭にもたらします。落語の「天神山」(別名「墓見」)ではしゃれこうべがやはり妻になって恩返しをしますが、この場合でも幽霊なりのメリットをもたらしています。
夫になる「ヘんちきの源助」の言い分によると、幽霊の奥さんは、出るのが夜中だけですからまず三度の食事がいらない。いつもザンバラ髪なので髪結いに行かなくてすむ。足がないですから足袋もげたもいらない。夏場はひんやりしてクーラーがわりになる。と、これだけのメリットがあるからこそ、お嫁さんに「なってあげる」という言い方ができるわけです。
それに比べて狸であるあなたの場合、そういう「売り」があるとは思えません。むしろ僕なら自分の妻が狸だというのは我慢ができません。子供たちだって自分のお母さんが狸だというのは友だちにも言いづらいものがあるでしょう。そのあたりをわかった上で、「山に帰らないのは故郷の山が開発されて団地になったからだ」と釈明すればよいでしょう。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
本気で笑いの発作に襲われると、らもさんはときどき、うしろむきに床にひっくり返った。狸からの相談を一読したときもきっとそうなった。そして起きあがり「ありがとう」といったろう。声に出しても出さなくても。わざとらしい作り事だとらもさんは簡単に見ぬいてしまう。この狸は「ほんもの」だ。らもさんは手を合わせ、そうして鉛筆をとり、ここまで笑わせてくれた狸に心をこめて完璧な答えをかえしたのだ。