相談4

俳句で「毛虫焼き」
楽しみになった私

 私は昔からそれこそ「虫も殺さぬ」優しい男で、庭木の殺虫すらできませんでした。ところが最近、俳句を習い覚えまして、「毛虫焼く」が夏の季語と知りました。それ以来、早起きしてライター片手に毛虫を見つけては焼くことが楽しみになりました。たかが俳句ひとつで自分の性格のこの急変。そら恐ろしいです。よろしく助言をお願いします。

(高槻市・毛虫キラー・43歳)

らもさんの回答

 まさにこの原稿を書き始めようとしたときです。原稿用紙の上に一匹の羽虫が止まって、ゆっくりとマス目の上を横断し始めました。僕は最近、むだな殺生を自分に戒めているので、ゆっくりと虫くんの横断するのを待とう……と思ったのですが、途中でいきなり叩き殺してしまった。じっと見ているとどうやらそれは「羽アリ」のようだったからです。

 これほどに慈悲深い僕ですが、幼少のころはさながら悪鬼のごとき子供で、専門はアリ殺し、それも「つば地獄」を得意としておりました。アリの行列の上につばを一滴たらすと、何匹かのアリがその中にからめとられます。そのもがく様をじーっと見つめて「ふっふっふ。きみたちには今、何がどうなってもがいているのかさえわかるまい」。

 思えば何という陰湿なブキミな子でありましょうか。まあこんなことは成長してヒマがなくなるにつれておさまりましたが。

 その点、「虫も殺さぬ」優しい人間であったあなたにこういうことを言う資格はないのですが、「優しい」という言葉はしばしば「優柔不断」の同義語です。「虫も殺さぬ」人と「虫も殺せぬ」人とでは内容がずいぶん違いますが、同じ「優しい」の一言でくくられてしまいます。

「毛虫焼く」が季語であると知ったあなたは、「そうか、古今東西、みいんな毛虫を虐殺しとるんだ」ということに気づいたわけです。それでコロッと「虫殺す」人に変身した。

 あなたは「虫殺したかったけど殺せなかった人」であった自分をいま、しみじみと発見しているはずです。季語によって自分をひとつ解放したわけで、喜ばしいことです。願わくは季語の中に「人殺す」とか「パンツ盗む」なんてのがありませんように。

中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん

喰始さんより

僕も昔は句会に参加していたことがある。その頃の僕の句号は「虫」。子供の頃から夢中になっていたマンガ家・手塚治虫からいただいた。その手塚治虫の作品『火の鳥』シリーズの「鳳凰編」の中に、人殺しの主人公がもののはずみでテントウ虫を助けるエピソードがある。そのテントウ虫が恩返しとして…。ぜひこの作品を読んでください。虫に対するあなたの考え方が再び変わるはずです。