相談2

オムライスの卵
よけて食う謎の男

 あるレストランで、私の前に座った四十歳前後の男性がオムライスを注文し、やがてそれがくると「ナイフかなんかください」と言いました。ウエートレスは「はいフォークですね」といってスプーンを持ってきました。お客さんは一瞬けげんな顔をしましたが何も言わずスプーンを取り、まずオムライスの皮をはがし、中のチキンライスだけ食べ、卵には手もつけず立ち去りました。あれは一体何だったのでしょうか。

(熊本県・ケチャップリン・59歳)

らもさんの回答

 あなたはひょっとするとたいへんなシーンを目撃してしまったのかもしれません。

 ロレンス・ダレルという作家の作品に、“アレキサンドリア四重奏カルテット”と呼ばれる四部作があります。一作目を読むかぎり、古都アレキサンドリアを舞台にくりひろげられる恋愛小説。しかし、二作目ではこれが政治スパイの世界になるのです。一見何の変哲もない上流階級のパーティーが、実は列国スパイの丁々発止の駆け引きで、会話のひとつひとつに深い意味があったりします。

 そういう目で見ると、そのレストランは某国スパイの本拠地ですね。オムライスの客はそこへ連絡を取りにきたのです。「ナイフかなんかください」は自分が同志であることを示す合図です。ウエートレスの「フォークですね」も指定の合言葉。スプーンは……スプーンは、「我々はピンチなので“すくって”くれ」という謎かけです。で、男はオムライスの卵の皮の中に緊急の情報の入ったマイクロフィルムをはさみ、さりげなく去っていったわけです。

 世界の歴史の裏側というのは、常にこうして動いていくのですね。

 しかしまた、まったく別な見方もできます。

 男は「皮よけ人種」の一人だったのではないか。普通、子供というものはリンゴもトマトもソーセージも、皮のままかぶりついて育ちますが、金持ちの子はそうではない。リンゴはウサギの形に乳母が皮をむき、トマトは湯むきして皮を取ってあります。こうなると、むかれた時点で「皮」は食べものではなくなるわけです。おんば日傘で育てられた子供は、煮魚の皮はもちろん、しまいにまんじゅうの皮までむいて捨てるようになります。もちろんオムライスの外側の卵は「皮」であって口に入れるべきものではありません。

 しかしまた別の見方もできます。「天ぷらそばの台ぬき」に代表される「ぬき」人種。しまった、紙数が尽きました。とにかく世の中は見方次第で意味がかわる。奥が深いです。

中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん

松本侑子さんより

「ナイフください」と言った客に、「フォークですね」と言ってスプーンを渡すウェートレス。オムライスの卵を残す客。この奇妙なやりとりから国際スパイ小説を連想するらもさんには、天才のひらめきがあります。大阪に住んでいた頃、劇団「リリパット・アーミー」の芝居を見ました。らもさん作の絶妙のギャグに会場中が笑い、最後に舞台挨拶でステージにふらふら出てくるらもさんを大歓迎し、ちくわ投げにみんなが興奮した。あの熱気に包まれた劇場空間は、大切な思い出です。