相談1

飛び降り自殺をためらわせる法

 よくドラマや映画で、飛び降り自殺をしようとしている人を通りがかりの人が見つけて「おい、やめろーっ」と叫ぶ場面があります。ほんとうは「やめようかな」とためらっていた人でも、「やめろーっ」と下から注意されると意地になって飛び降りてしまうこともあるでしょう。飛び降りた人はそれっきりなのでいいですけど、「やめろーっ」と叫んだ人は一生「あのとき何というべきだったのか」と悩むと思います。らもさんなら何と叫びますか?

(神奈川・杞憂?)

らもさんの回答

 いろいろ考えてみたのですが、変な結論に達してしまいました。そういう場面で一番効果のある思いとどまらせ方は「こらっ。後で道路を掃除する人のことも考えろっ!」とどなることではないかと思うのです。あるいは「そんなところから飛び降りて、子供にでもあたったらどうするつもりだ!」でもいいかもしれません。

 暗い話で恐縮ですが、僕も今までに死にたくなったことが二回だけあります。そのときに思いとどまった直接の原因は、後がどうなるか、ということでした。無意識のうちに、何か思いとどまるための大義名分をさがしていたのかもしれません。

 たとえば手首を切る方法を選んだとして、家でそれをやったら、タタミからフスマから天井板から、全部張り替えないといけないでしょう。ふろ場なら洗うだけで済むかもしれませんが、後々、家族はおふろに入るたびに気味の悪い思いをしなければなりません。

 死ぬのは人の勝手ですが、勝手なことをする以上、せめて人にかける迷惑は最小限にすベきでしょう。ところがそういう風に考えていくと、人に迷惑を与えないとか、他人の一生に悲しい影を落とさないで済む自殺などというものはないのです。それなら不本意ではあるけれど、やめようか、ということになります。

 ですから、飛び降りにしても「自分で自分の後始末ができるのなら飛び降りろ」としかられると、返す言葉につまると思います。

中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん

タブレット純さんより

高卒後8年ほど、一人でお店番を任されていた、八王子の外れの小さな古本屋。そこで中島らもさんの文学に出合いました。不協和音の中に水蜜桃を奏でる雨漏り。やりきれない人生の片隅で、これも音楽と教えてくれる、そんな優しさと可笑しさに救われました。らもさんがいよいよ飛び降りて死のうとした時、外から聴こえてきた♪いしや~きいも~があまりにも間抜けていて「もういいや」となった“その日の天使”のお話が特に好きですが、ここにもそんな天使の囁きが。理詰めでダサいともいえる論理には、らもさん流の“美しいあきらめ”がひそんでいるように思えます。