買い物算で消費税に悩む小四の息子
算数が好きで成績も良かった小四の息子。「一さつ百円のノートニさつと、一本百五十円のペン三本を買いました。全部でいくらでしょうか」という問いに、
(式)100×2+150×3=650
(答)お店によってちがうからわからない
と答えます。消費税をとる店ととらない店では支払額がちがうというのです。私としては「お前は正しい」と言ってやりたいのですが......。
(千葉・消費税をのろいたい教育ママ・41歳)
息子さんは若い身空で早くも「不可知論」におちいってしまったわけですね。算数、数学というのは根本的にはすべて「仮定」の上に成り立っているので、そこのところで好き嫌いがわかれたりします。たとえば現実界には「一冊のノート」は存在しますが、「マイナス一冊のノート」というものはありません。それを仮定してしまうところに現実派の人間は不愉快を覚えたりしてしまいます。
あるいは小中高校で習う数学はユークリッド幾何学をベースにしています。これは「ひとつの直線外の一点を通って平行に引ける直線は一本ある」という、平行線が永遠に交わらない空間です。ところがこれが非ユークリッド幾何学になるとねじれた空間の中に平行線が一本以上存在し、交わるということになってしまいます。
では今まで十二年間にわたって教わってきたあの数学は何だったのか。「嘘」だったのか、という考え方に現実寄りの人間はおちいってしまいます。これは「嘘」と「仮定」を混同してしまっているわけです。あるいは、「出納帳簿をつけるのに平方根やサイン・コサインが何の役に立つ!?」と考えてしまう人もいます。ただ察するところ、息子さんの性格というのはシリアスな「現実」が好きなのではなくて、明快な「真実」を追究したいタイプだと思います。こういう人は消費税のあるような現実の奇怪さに疲れたときに、数学というものが非常に清潔で美しい「安息の場」だということに遅かれ早かれ気づくはずです。心配いりません。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
私事ですが、自分も算数の文章題から、「のぶ子さんは商売には向いていないので地道にパート勤務でも始めたほうがよいかと思います」といった歌をうたっております。このお子さんやぼくのような、“ねじれた平行線”に対し、らもさんはやはり“現実の奇怪さ”から解放された「安息の場」を与えてくださっています。ところでらもさん、旅館の朝食の焼き海苔はなぜ白い紙袋に包まれているのでしょう?あれでは海苔の端っこも一緒にちぎってしまい、ごはんに思わぬ黒吹雪が...あぁ、らもさんにお会いしたかった。人の世の黒吹雪を、まんまる綿あめに変えてくれた夢人に。