「社会の窓」の由来、ふたたび
ずっと疑問に思っていることがあります。男性のズボンのファスナーが開いていることを「社会の窓があいている」と言います。(中略)「ズボンのファスナー」と「社会」とは何か深いつながりがあるのでしょうか。
(岡山市・健全な女学生・21歳)
きわめて異例のことなのですが、前回の続編をやります。((注)朝日新聞での連載時、この前の回で「どうして社会の窓っていうの?」という問いに、らもさんは「僕にはまったくわかりません」「どなたかご教示ください」と呼びかけていました。)
前回、どうしてもわからなくてギブアップしたところ、全国からたくさんの助言をいただきました。ただ、場所が場所だけにかなりの珍回答もたくさんありました。信憑性に欠けるものから先に紹介します。
川崎市の「風に立つおいらん君(24歳)」の説はこうです。「なぜ社会の窓と呼ぶかというと、小水が“シャーッ”と出たあと、おちんちんが“かいい”から“シャー・かいい”。これがつまったものである(と人から聞いた)」
もう少し知的な説は、横浜市・U・Sさん(56歳)の「誤植説」です。つまり、「PUBIC(恥骨の、恥丘の)」が誤植で「PUBLIC(社会の)」になり、そのまま翻訳された、というわけです。
飯田市のH・Yさんの解釈はこうです。「尿意を催すことを“自然が呼んでいる”という。つまり、ファスナーは“自然への窓”で、ズボンの中が“社会”なのだ」
東京都・K・K氏の解釈。「①最初はずばり“×××の窓”だった②露骨なので漢字にした③それをさらに逆にして“宝珍の窓”にした④語呂から“法人の窓”になった⑤それが“会社の窓”に⑥さらに逆転して“社会の窓”に」
広島市の「内気な受験生の娘(17歳)」さんの説によると、社会の窓とはもともと「長崎の出島」のことなのだそうです。鎖国当時、世界に向かって開かれていたのは北海道と長崎。日本の男性の体に見立てるならこれは「口」と「下」にあたります。なかなかうがった説です。
さて、東京都のT・Sさんからの手紙によると、この言葉の言い出しっぺは「Tさんのお父さん」その人なのだそうです。
昭和二十七年、お父さんは開成中学二年で、教わっていた社会の先生はいつもズボンの前があけっ放しでした。おりしも当時NHKで「社会の窓」という番組があったのをとって、「みろ、また社会の窓、前をあけてら」と言っているうちに、いつのまにか前のボタン・ファスナーそれ自体のことを「社会の窓」と呼ぶようになったのだそうです。
座間市のT・Hさん(72歳・元NHKアナ)の助言によると、この「社会の窓」という番組は昭和二十三年四月に始まり、毎週水曜日夜七時半から第一放送でオンエアされていたそうです。社会問題を扱った硬派番組でした。語源自体がここにあるのはまちがいないでしょう。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
らもさんの名答(珍回答も)を評価するコーナーなのに、読者のお手紙の回を選んでしまいすみません。しかしマー面白い作家には面白いファンがつくというものであります。単なる悪ふざけ的駄洒落(これがまた笑えるのだが)からなかなか信憑性の高そうなものまでいろいろあり楽しませていただきました。私も「社会の窓」の理由など全然知らなかったくちですが、昔NHKの番組で同名のものがあったことも全くの初耳です。