たい焼きの頭に悩む優しき姉妹
私と妹は、たい焼きや鳩サブレ(鎌倉名物)などを食べるとき、どこから食べたらよいのか悩んでいます。妹はまず腹から食べ、最後に残った頭の部分を絶望的な表情で見つめていますし、私は残酷に徹して頭からかぶりつくことにしているのですが、そのたび何か悪いことをしたような気持ちになります。この私たち姉妹に正しくかつ健全な食べ方を教えてくださいませ。
(京都・泳げ鳩サブレ・24歳)
「鳩サブレを食べていると本物のハトを連想して気味が悪くなる」というこの種の想像力は人間の社会にとっては重要な想像力です。これを逆に適用したものがつまり「象徴化」ということだからです。たとえばハニワがそれです。太古には主人が死ぬと臣下も愛馬もみんな 殉死していました。その風習が無残なのでいつごろからか人形で代用するようになった。この場合、人形は単なる偽物ではなくて、人間や馬の「象徴」なのです。人形には魂が宿っているというのはそういうことから派生しています。
コンニャクのことを「山ふぐ」と言ったり、「たぬき汁」だというのでこわごわ食べてみたら野菜とコンニャクの汁だったり、あるいは「がんもどき」だの「ナスのシギ焼き」だのもそういうことで、動物を野菜に象徴することで 殺生戒とうまく折り合いをつけてきたわけです。
人間も動物ですから、たとえばパンダなどを見ても「かわいい」と思うと同時に「食ベてみたい」と感じておかしくありません。僕などは「パンダは目のまわりの黒いところの肉がおいしいのではないか」とひそかに考えていますが、これを実行したりすると日中関係がたいへんなことになります。パンダ・クッキーやパンダ・パンなどがその衝動と現実のパンダとの間の調整弁になっているわけです。
この種の象徴喚起能力がないと、人間はもろに現実の血や肉とむかい合うことになります。たとえば懐石料理でタイの目玉の潮汁がつくと、これは「あなたのためにタイを丸一尾使いましたよ」ということで、この場合タイの目玉というのは象徴です。これを解する能力のない人が「舟盛り生け造り」みたいなスプラッター料理を繁栄させているのだ、と僕はにらんでいますが。
中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん
はにわ等の象徴化や、たぬき汁やがんもどきの殺生戒との折り合いのつけ方など、なるほどなるほどと、とてもスッキリした後…あれ? 食べ方は? となるのですが、あぁ、らもさんだったとホッとする。ならば私が健全な食べ方を…聞いた話ではたい焼きは、まず餡の少ない尾の部分をちぎり、腹のあたりのたっぷりの餡をつけ食べ、そのまま食べ進めていく。しかし最近のたい焼きは全身にしっかり餡が行き届いています。ならばどうするか? まず左手で頭、右手で下半身を隠し真っ二つに。そのまま中身の餡だけを見つめて食べ進めるのが良いのではないでしょうか。ただし、鳩サブレは見つめる餡がなく、しかも薄いので、かなり集中して見つめなければなりませんが。