相談3

いつも頭に浮かぶ
「鶏のからあげ」

 私は数年前から妙な現象に悩まされています。きちんと物を考えようとすると、「明日買うものは……鶏のからあげとスカートと……」とか「今晩のおかずは鶏のからあげ」とつぶやかないと考えが前へ進まないのです。先日、夫の海外出張があり、お土産は、と聞かれ思わず「鶏のからあげ」と言いかけ、あわてました。今後この症状がどうエスカレートしていくか心配です。

(川崎市・K・Y・29歳)

らもさんの回答

 大阪市中央区常盤町二丁目のフロイトと呼ばれている僕が、いまからあなたの深層心理の謎をあざやかに解いてさしあげましょう。

 人間の思考というものは散漫になるようにできています。いつもいつも集中力をフルに使っていては胃に穴があいてしまいます。

 主婦であるあなたも、当然普段はぼんやりしていていいはずなのです。ここ一番というとき、たとえばてんぷらを揚げるときですね、そういうときに集中力を発揮すればいいのです。

 しかし、生来きまじめなあなたは、ぼんやりと散漫な自分の思考を「罪悪」だと考えてしまいます。お手紙の冒頭にもあるように、きちんと物を考えることが美徳で、いつもそうあらねばならないという強迫観念が心の底にあるのです。きちんと物を考えねば、きちんと家事をしなくては、きちんとやりくりをしなければ。きちんと、きちんと、きちんと。……もうおわかりですね。「きちんと」が「ちきんと」になったのです。本来のあなたは、きちんとなんかしたくない、もっとのんびりしていたい。きちんと主義に抵抗する本来の自我が無意識のうちに「きちんと」という言葉にアナグラム(文字のおきかえ)を行ったのです。無意識はそれだけではまだあきたらず「きちんと」に衣をつけて揚げてしまったのですね。

 これが「鶏のからあげ」の正体です。

 きちんと物を考えようとするたびに「鶏のからあげ」が出てくるのは当然のことです。

 ここまで解明すればもう安心でしょう。「鶏のからあげ」現象がなくならなくても気にすることはありません。「鶏のからあげ」はソロバンの先生の「願いましては」みたいなものだと考えましょう。「願いましては」を言わずに、いきなり「六円なり十八円なり」と襲ってくるなんて、そんな無法なことはありませんからね。「鶏のからあげと洗濯と回覧板と」で調子よくやってください。

中島らも『明るい悩み相談室』シリーズ(朝日文庫)より転載 イラスト/死後くん

升さんより

この回答こそが、深層心理の謎を解いていく、らもさんの真骨頂ではないでしょうか。強迫観念が頭に浮かび心に広がり、きちんとしなければ、が「きちんと」→「ちきんと」となり無意識はそれではまだ飽き足らず、「ちきんと」に更に衣を付けて揚げてしまう。これらの回答から、このらもさんの発想こそが今年五度目の再演を果たした、中島らも唯一無二の戯曲、舞台「こどもの一生」を産みだしたのではないかとさえ感じます。この回答を読み終えた時、「こどもの一生」に出てくる名台詞「よろしいですかぁ~」という、らもさんの声が聞こえたような気がしました。